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A revoir : 「ある主題による変奏」の余白に

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Academic year: 2021

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(1)29. A ヽ. revolr ――「ある主題による変奏」の余白に一一. ι s[… .]ε αrブ 'α j bι α ― θyι z― θj Jι ∫ク rθ ソ ι れソ “ “ “ θη a″ ソJsι ん (a Mendё s,20 mars 1866)D θ θZJiθ ∬ rι ソθjr Jι sク rθ ソι∫α況 S“ αんjι S,グ ι′ θ “ “ “ ′rι s ι′dcs ′θJん ″グι ソ ι グ bJα んε グιs θαrα ε′ “ “ ιS,[..・ ].(a MmC Kahn,29 avril 1894)2) 力 ′ “ ,. 中. 畑. 寛. 之. A ヽ. revoir一 en marge des“ Variations sur un Sttet". NAKAHATA Hiroyuki Abstract: The basis that supports Mallarin6 studies in the new century has been prepared by the new CEu― vres complё tes(2 vols)fOr `]Bibliothё que de la P16iade' edited by Bertrand Marchal, excellent rescarcher.. However, there should be some points to be reconsideredo We may not be satisfied with the treatinent of jθ ん αJ θbsι ″ Mallarm6's criticism act市 ities: “Notes sur le th6atre"(1886-1887),Nα ′. `r essays(1892-93). and “Variations sur un Sttet''(1895)。. MarChal seems to calculate the valuc of those texts in his edition to. jθ s(1897)。 Now,we should try to read Mallarm6's critical ん treat them simply as`avant― texte'of Djソ αgα ′. writings among the others not by the way of confining `pr6originaux'in a so―. called definitive version,but by. the genetic way or by the way Roland Barthes would gaze on the proof of]Balzac. In doing so, our poet, who faced toward the `siё cle' that he lived,or,in other words,another Mallarm6 `tel qu'en lui―. meme' would. appear fron■ the pages where we pursuc `noir sur blanc'.It is concerned with an important problem how we. should treat and what aspect we should consider when we exanline the texts of a writer like Mallarlll16. For the future,therefore,the diplomatic edition of Mallarmean works is indispensable for a such study.. 要 旨 :ベ ル トラ ン・マル シャルによって編集 された新 しい プレイヤー ド版 『全集』 (全 2巻 1998&. 2003)の 刊行 によ り,新 世紀 のマ ラルメ研究 を支 える基盤が ひとまず整 えられた よ うに思 う。 しか し,不 満がないわけではない。 と りわけ,「 演劇 に関す る覚 え書」 (1886-87),ナ シ ヨナル ・オブザ ー バー紙掲載 の記事 (1892-93),「 ある主題 による変奏」 (1895)と い つた批評 を,『 デ イヴァガシオ ン』 (1897)の 前 テクス トの位置 に とどめて しまった よ うにみえる ことが非常 に残念 で あ る。そ れ は,マ ラルメの ようなエ クリチ ュールの書 き手 のテクス トをどのように扱 い, どのような視点 か ら考 察す るのか とい う重要な問題 に関わつて くる。マ ラルメを, と りわけ彼 の批評テクス トを,決 定稿ヘ と精錬 させるパースペ クテイヴにおいて読 むのではな く,一 方 では「生成論」的な まなざしを,他 方 でバ ル トがバ ルザ ックの校正刷 に向けた同 じまなざしをそ こに注 ぐことで,己 れの生 きた く世紀 〉に 対峙す る詩人の態度 ,つ まリマ ラルメのべつの姿がそれ自体 として見 えて くるのではないか。マ ラル メ作品の「生成批評版」 はそのような作業 のためにこそ不可欠 なのである。.

(2) 甲南女子大学研 究紀 要第 43号. 30. ^. 文学 ・文化編 (2007年 3月. ). え,『 最新流行 』 の 各号 に附 け られ て い た水彩 着 色 石 版 画 と実寸切 り取 り済み型紙 は ともか く,第 1号 をの. I. ぞ い て ,そ の挿絵 はすべ て削 除 されて しまって い る。 ア ン リ・モ ン ドー ル とジ ョル ジ ュ ・ ジ ャ ン=オ ー ブ. また,『 古代 の神 々』 を飾 っていた 260の 挿絵 も同 じ. リー共編 に よる プ レ イヤ ー ド版 『マ ラ ル メ全集 』 (全. 憂 き目にあ った。「写真 イラス トによる小 説 につい て. 1巻 )が 1945年 に出版 され てか ら半 世紀 以 上 の 時 を. のアンケー ト」 に答えて,マ ラルメ 自身が 「賛成 です. 経 て ,版 元 の ガ リマール社 はつい にその新版 を出す気 になった。 とい う よ りも,そ の編集 とい う大変 な責務. ―― どんな挿絵 もないこ とに」 と発言 してい るとはい え°,残 念な ことである。. と呆 て しない労苦 をひ き受 け よ う とい う研 究者 をや っ. とりわけ不満が残 るのは,1886年 か ら 87年 までの. と見 つ けた とい う こ とだ ったのか も しれ ない。 ともか. 1シ ーズン『独立評論』誌 に連載 された「演劇 に関す. く,プ レイヤー ド版 の新 『マ ラルメ全 集』 は,詩 人 の 死 後 100年 (centenaire)に あ た る 1998年 に ≪lhuvre. る覚 え書」及たss′ r′ ど ´rr`,1892年 か ら 93年 まで `rん 『 イギ リスの新聞 ナシ ョナル・オブザ ーバー』紙 にフ. とそれ に 関す る書 簡等 を集 め た. ラ ンス語 の まま掲載 された一連 のフランス通信的な批. 第 1巻 が ,そ して 2003年 に ≪1'∝ uvre critiquc(et p6da_ gogiquc)》 を纏 め た 第 2巻 が 刊 行 され て完 結 `。 これ. 評記事 ,そ して 1895年 に 『ル ヴュ・ブラ ンシュ』誌. proprement po6tiquc》. まで未発 表 であ った資料 も含め ,信 頼 に足 るテ クス ト. 上で展開された「ある主題 による変奏」 陶 rJα ′ Jθ ん ∫∫r “ ′シリーズ,こ れ ら後期 マ ラルメの活動 の主要. "4 SIzJiθ. 批評 ・校訂 が 為 された詩 人 の仕事全体 をひ とつ の コー. な部分 を占める諸テクス トの扱 いである。 もちろんそ. パ ス と して よ うゃ く手元 にお くこ とが で きる よ うに. れ らは,『 パー ジュ』 (1891),『 詩 と散文』 (1893),そ. なった。 これ に よ り,新 世紀 のマ ラル メ研 究 を築 くた. して 『デ ィヴァガシオン』 (1897)と 機会あ る度 ごと. めの足場 が ひ とまず 整 え られた よ うに思 う。. に再編 されてい くのであ り,つ ねに完璧 をめざしてテ. 『全集』 は誤植 の多 さだけでな く,た とえばマ ラ. クス トに手 を加えていった「マ ラルメ」 とい う観′ 点か. ルメ最後 の散文集 『デ イヴァガシオン』が提示するテ. ら,つ まり諸テクス トの最終稿あ るいは決定稿へ と向. クス ト構成 をほ とん ど無視 して い る等 の 問題 があ つ. か うパースペ クテ イヴを採 って眺 める場合 ,確 かに初. た。そ の「重大 な」 欠陥 に気 づい て い た新 しい 『全. 出お よびそれぞ れ の刊 本 に収 め られ た批 評作 品 は. 集』 の編纂者ベ ル トラ ン 0マ ルシャルは,そ の構成 を. 『デ ィヴァガシオ ン』 に収録 されたテクス トのプ レオ. 「切断する」amputerこ とのない よう,「 散文詩」群 が. リジナル,前 テクス トとして位置づ けられ ることにな. 第 1巻 と第 2巻 に重複 して しまうことを怖 れず ,1冊. る。 したが って,そ れらは 《Dossiers》 として一定 の. の本 としての 『デ イヴアガシオ ン』 の姿 を尊重 し,そ の まま 『全集 』 の頁 の なか に再 現 してみせ た‖。 ま. 価値 を与 え られてはい る もの の ,『 デ イヴ ァガシオ ン』 に既出する部分 は参照記号へ と置換 えられ,出 版. た,『 イジチ ュール』『アナ トールの墓 』「〈書物 〉草. の経 済効率 にす っか り蝕 まれて しま った。『独 立評. 稿」 な ど未完 の作 品 だけで な く,『 デ ィヴ ァガ シオ. 論』誌 1887年 2月 1日 号 に発 表 された「演劇 に関す. ン』,デ マ ン版 『詩集』,「 エ ロデ イアー ド」,『 半獣神 の午後』,そ して 『骰子 一椰』,あ るいは 『英単語』 の. る覚 え書」 (第 4回 )か ら例 を挙げ ると,《 Dossiers》. 1日. 前 テクス ト. (avant― texte)'を. 含 むさまざまな資料 が. で提示 されるその劇評冒頭 は. ,. ,. 註 ではな く,本 文中 に「関係書類」Dossiersと い う扱. Au cours de laね 9on[ρ o. いで収録 された。 これは,作 品数の少ないマ ラルメだ. pour l'Art[。. か らこそで きた試みか もしれないが,画 期的な ことに. ノ2]de ce banal sacrilё ge.. はちがいない。将来 ,こ のマルシャル版 『全集』 はマ. θ. f∂ ,sイ. .f]d'interё gne フ′. … ]les imprudents acteurs[′ .f82,J.. Je comprends.7). ラルメ作品の「生成批評版」最初の試み として も讃 え られるであろう。 しか しなが ら,刊 行 された本が気難 しい読者 の要求. となって い る。 しか し,こ れで はなんの こ とかわか ら ない. (je. ηθcomprcnds′α∫)。. もちろん ,180頁 の 第 4. を完璧 に充 たす ことなどおそ らくあ り得 ない。現時点. パ ラ グ ラ フの 1行 日 に 目 をや れ ば ,Au cours de la. において望み得 る最良のエ デ イシ ョンが出版 されたの. fa9onで 始 まる断 章 が あ り,182頁 の 12行 日 を読 め. であるか ら,そ れに満足 し,不 足 を感 じるところは 自. ば ,les imprudents acteurs de ce banal sacrilё. らの研究 において補 えばいいのか もしれない。 とはい. る断章 が見 出せ る。 つ ま り,『 デ イヴ ァガシオ ン』 の. ge。. で終 わ.

(3) 中畑. 寛之 :A revOir. 「風俗劇 ,あ るいは近代作家たち」第 9段 落か ら 12段. じめ外部 の ,た また まその ときに出会 った 出来事 とい. 落 までが ,「 演劇 に関す る覚 え書」第 4回 冒頭部 に相. う偶 然 が否応 な く入 りこんで い る。 90年 代 に書 か れ. 当す るとい うことになる。参照箇所 さえ指示で きれば. た詩人の批 評 的 テ クス トが. いいので,そ れ以外 のテクス ト部分 は. …]で 省略 い されて るのである。 しか し,「 風俗嫁1,あ るい は近. あ るい は危機 の詩 )と 呼 ばれ る所 以 であ る。 したが っ. 代作家 たち」 のテクス トは 『ディヴァガシオ ン』収録. それが作 られた時点 にお け る他 の さまざまなテ クス ト. の際 に訂正や修正が施 されてお り,そ の箇所 には註が. との連 関 の なかで読 む こ と。そ して ,ひ とたび形 をな. 付 け られ,『 独立評論』誌初出のヴァリア ン トヘ とも. したテ クス トが 時 間 とともに変容 して い くプ ロセス に. う一度送 り返 される。つ まり,読 者 は 2段 階の操作 を. 沿 って読 む こ と。通時態 と共時態 の多層 的 な読 みの編. しなければ,元 の「演劇 に関す る覚 え書」 を再現 で き. み 目に沿 って テ クスチ ュール を解 きほ ぐしていか なけ. ないのである。. ればな らないの であ る。. [。. poё me. critiquc(「 批評 詩」. て ,マ ラル メのテ クス トは二重 の読 み を必要 とす る。. ≪Dossiers》 の提示 の仕方 はおそ らく,出 版 におけ るさまざまな制約 と真摯な編集者 の願 い とのあいだで. さて ,我 々は現在 ,『 ル ヴ ュ ・ ブラ ンシュ』誌 に 1895. 為 された妥協 の結果なのか もしれない。けれ ども,そ. 年 2月 か ら 11月 にか け て連載 され た 「 あ る主題 に よ. れは雑誌掲載時のテクス トが持 っていた統一性 ・有機. る変奏」 をで きる限 り出来事 の現場 にお い て読 み 直す. 性 を明 らかに「切断する」 ことになってい ると言 わざ. ことで,「 ステファヌ ・マ ラルメを中心 とする 19世 紀. るをえない。 この よ うな批判 を敢 えて書 きつ けるの. 末 フランス第三共和制 の 〈危機 〉の諸相」 を再 検討. は,そ れがマ ラルメの ようなエ クリチ ュールの書 き手. し,そ れにより『デ イヴァガシオ ン』 で成 されてい る. のテクス トをどのように扱 い, どのような視点か ら考. 「意味作用 の構造化」 をいったん解体 し,詩 人が批評. 察す るのか とい う重要な問題 に関わることだか らであ. とい う操作 op6rationを いかに行 っているのか を明 ら. る。. かにする研究 に着手 した ところである。つ まり,マ ラ. 次ペー ジの表 を見 て欲 しい。 1886年 か ら 87年 にか. ルメが どんな「事件」 を, どのように問いの俎上 に載. けて書かれ た劇評が ,1897年 刊行 の 『デ ィヴァガシ. せているのかを確認 したうえで,そ れを主要部品 に組. オ ン』 に至 る約 10年 の歳月のあい だに, どの よ うな. み立て られた批評詩の構造 を検討 し,「 〈詩 〉に対 して. 再編 を被 ってい くのかを簡略 に示 した ものである。実. 高 貴 な補 完 作 業 op6ration comp16mentaireを もた ら mと い マ ルメ 的批評 のメカニスム を解 き明かす す」 う ラ. 際 のテクス トにおいては,断 章 ごとの移動 ,入 換 え. ,. 削除,追 加 ,他 のテクス トか らの挿入等 もあ り,そ の 複雑 さは「初出」→ 「決定稿」 とい う一方向的な流れ. ことを目指 してい る。そのための基礎資料 として,そ. ではとて も把握 し得 ない。実際 ,1893年 刊行 の 『詩. よる変奏」 の生成批評版 を作成す る必要があ った。そ. と散文』 においてひとつの演劇論 として纏 め られたは. れ と同時 に,マ ラルメの批評が対 象 とす るさまざまな. ず の テクス ト群 は,『 デ ィヴァガシオン』 でふたたび. 話題. 解体 されて しまう。. ム,ア カデ ミー・フランセーズ など)に 関 して,詩 人. このような事態 を観察 してい ると,テ クス トはマ ラ. して うえで述べ て きたような理 由か ら,「 ある主題 に. (ア. ナーキスム,ア リス トクラシー,カ トリシス. ルメが 目指す 「絶対」 の色 を確 かに帯 びていると感 じ. 自身 のテクス トとそれ をとり巻 く多様 な言説 ネ ッ ト ワー クを可能な限 り再現 し,デ ー タベース化 しようと. られはするけれ ども,む しろそれ らを囲い込 んでいる. してい る。その仕事 は,あ る「重大雑報」 をめ ぐる言. 他 のテクス ト群 によって,そ して自らを構築 し,ま た. 説ネ ッ トワー クのなかにマ ラルメはなぜ繰 り返 し「侵. それにより自らが変容 してい くための時間 によってテ. 入」 しようとするのか,そ してその空間において詩人. クス トそれ 自体が浸食 され,「 絶対」その ものに限 り. による「書 く」 とい う行為がいかなる効果 を発揮 した. な く近づいたひとつの決定稿 として立ち上がって くる. か,あ るいは発揮 しなかったのかを明 らかにするため. どころか,バ ラバ ラの断片 とな り崩れてゆ く危機 にた. に必 要な基盤 となるだろ う。. えず曝 されてい るかのようだ。改 めて構築 し直す ため には,べ つの外的要素 をもう一度 と り込 まなければな. 雑誌連載時 のテクス トはすで にデ ー タベ ース化 さ れ,『 デ イヴァガシオ ン』 などとともに,関 西 マ ラル. らない。その ように見 えて さえ くる。そ もそ も,「 批. メ研究会. 評」作品である以上 ,マ ラルメのテクス トがいかに純. れてい る"。 それゆえ,こ こではジ ャック・ ドゥーセ. 粋 で絶対的なものであ ろ うとして も,す でに/あ らか. 文学図書館 に所蔵 されてい る「ある主題 による変奏」. HPの アルシー ヴ ≪Mall'archive》 で公 開 さ.

(4) 32. 甲南女 i大 学研究紀要第 43号. ^文 学 ・文化編. (2007年 3月. ). 表 「演劇に関する覚え書」 か ら『デ イヴアガシオン』 に至る劇評の編集過程 (略 図). Crayonnё au thё atre. Hamlet. Hamlct. Ballcts. Ballcts. Divagation premlere Relativelllent. Divagati. second nials. ⅣIimique. Le gcnrc ou des lnodernes. Un principe des vcrs. Parenthё se. Lassitude. Solcnnitё. Richard Wagner.. Solennitё. Reverie d'un poё tc francais. ′ ′ θ″α′θbscrソ (in A″α. (in Rθ. ソ〃. `″. 勧g′ 7ど ″′ ″θ,n° 7,. 8 aoOt 1885). θr,. 7 mai 1892). `″. の校 正刷 につい て ひ とこ とだ け述 べ てお こ う。. に貼 りつ け,装 頓 して い る。見返 し (遊 びがみ )に は. ア ン リ・モ ン ドールの所有 して い た 「あ る主題 に よ. フェ ネオ ンに宛 てたマ ラ ルメ 自筆 の メ ッセ ー ジが貝 占ら Ю れ ,赤 い モ ロ ッ コ革 の 半 皮 装 の 箱 に収 め られ て い. る変奏」 の校 正刷 は,そ の死 後 ,彼 を献 身的 に支 えた. る。 テ クス トは黒 イ ンク,赤 イ ンク (一 部 フェネオ ン. ,今 度 は彼 女 の 遺. の手 になる校 正 の 疑 い もあ る),黒 鉛筆 を使 って校 正. 志 に よ り同図書館 に他 の 重 要 な資 料 と と もに寄 贈 さ. されてお り,そ の他 に も赤鉛 筆 や青鉛筆 での書 き込 み. れ ,コ レクシ ョン番号 MNR Fol.36が 割 り振 られ た. (フ. ので あ る。 さまざまな フ ォーマ ッ トを持 つ校正刷 は全. る。 また,全 10回 の連載 の うち,第 7回 「葛藤」Con_. 部 で 38葉 ,そ れ を縦 28 cm,横 22 cmの 台 紙 の うえ. nitの 校 正刷 が 欠 けて い るけれ ども,こ れ はお そ ら く. 助 手 の 女性 に遺贈 され た 。 1973年. ェ ネオ ンに よる 印刷 所 へ の 指 示 等 を含 む )が あ.

(5) 寛之 三A revOir. 中畑. マ ラルメが フェネオ ンの手 を介 さず に印刷所 へ 直接 ゲ. まって い るわけで はない。そ うで はな く,「 視 覚 的. ラを送 ったため遺失 して しまった と推測 される。その. に」宙suellementと 言葉 を添 えるバ ル トは, きわめて. 代 わ り,2003年 に刊 行 され た ゴー ドン ・ ミラ ン編纂 『ス テ フ アヌ ・ マ ラル メ資料 』 の 新 シ リー ズ 第 ⅡI巻. 醒 めた眼で,そ の対象 をすでに読み,ま たこれか ら読 んでみ よう と誘 って もい る。つ ま り,こ の時期 ,『 テ. に よる と,「 葛藤」 の 自筆原稿 の一 部分 が イ 固人 コ レ ク. クス トの快楽』 を書 き終えていた彼 自身の関心 を強 く. ター に よって所有 されて い る よ うで あ るH)。 また ,騒. 惹 きつ けて止 まない「 まなざ しを打 つ もの」 (鈍 い意 味 ,あ るいはプ ンク トゥム)の 問題圏へ と向けてそれ. が し くな る反 マ ラ ル メ ・ キ ャ ンペ ー ンの 吠 え声 に対 し,番 外 編 的 に掲載 され ,「 変奏」 の 第. H回 目. ル. (『. を切 り開 こうとしてい るのである。その事物 の表象 に. ヴ ュ ・ ブラ ンシュ』誌 1896年 9月 1日 号 に掲載 )と. 心地 よ くまなざ しを留 めてお くことは もはやで きな. 位置 づ け られた「文芸 の なかの神秘」 の 自筆原稿 がや. い。活字 ,自 筆 ,さ らには「付箋」 によつて複雑 に構. は リジ ャ ック ・ ドゥーセ文学 図書館 に保存 されて い る. 造化 されたそのペー ジは我 々 を不 安 にさせ る。書 く. (ms autogr。. 30 ff。. ,15,5× 20 cm,Doucet alpha 7248-3)。. それ な らば,今 後 ,す で に知 られて い る 自筆原稿 や校. 「主体が戻 って くる」,そ れ とも校正刷 を読 み直 し,書. 正刷 以外 の新資料 が 見 つ か る可能性 は まだあるので は. き継 ぐのは他 で もない,今 度 は我 々,読 者 のほ うでは ないのか ?バ ル トは答 えず,「 エ クリチ ュールのエ ン. ない だろ うか 。期待 した い ものであ る。. ブレム」 がそ こにある ことを示すだけである。 バル トが発 した「造形美」beaut6 plastiqueと い う言 葉 は,そ れ を取 り巻 く語群 によって投 げ交 わ され る. Ⅱ. 「相互 の埋 め き」 を受 けて,彫 刻作品な どが「完成」 ところで,ロ ラ ン・バ ル トが ,1973年 3月 13日 France― Culturcで 放送 されたモ ー リス ・ナ ドー との対. されたのちに帯 びるある種 の静訛 さか らは遠 く隔 た ・」 と ・ り,「 プラスチ ック爆弾 un explosif plastiqucが ・. 談 ≪0ふ /ou. 囁かれるような場合 に生 じる暴力的で危険 な,そ れ と. ,. va la litt6rature?》. におい て0,批 評家 とし. ての彼 の まなざ しを魅了す る対象 につい て語 つてい た。彼 によって称讃 され,思 いがけない そ の「造形. 同時 にきわめて動的 な意味 を自らの うちに招 き寄せて )近 い る。「構想 と制作が同時 に行 われる」い 代 以 降の作. 美」 を指摘 された物体 ,そ れは,読 み返すたびごとに. 家 たちは己れの作品 に形 を与 えるべ く格闘す るが,彼. バ ルザ ックが訂正や加筆 をくり返 し,小 さな紙 を継 ぎ. らが「絶対」 の飽 くなき探求 を止めない とき,そ の果. 足 してはさらに書 き込みを加 えていった結果,つ い に. てにはあの老画家 フレンホー フェルの亡霊が じっと待. バ ル トの眼 に「花火 の よ うに」映 って見 えるまで に. ち構 えてい るか もしれないのである。己れの破壊 を逃 れたたった 1本 の足 ,カ トリーヌ ・ レス コーのむ き出 しの足 を抱 えて耐。幸 い にも,我 々の前 には,確 かに. 至 った 『セザ ール・ビロ トー』Cお αr 刷 である。. BJ“ ′ ′ ι α. の校 正. “. 6preuveと い う名 のひと りの女性が , しか もさまざま Et quand on voit les derniers placards de Cど sα r」 Bj…. な表情 を読 み とることさえ許 して,ゆ った りと横 た. rθ ′ ′ ιαン,. わってい る。 もっとも,そ の装 の うちにわけ入 つてゆ. c'eSt adΠ lirable, visuellement, car c'cst une. page impriln6c avec des explosions。. (〕 'cst comme un. feu d'artifice de supp16]ments,de rttoutS,de ce quc. くことはひとつの「試練」 ともなるであろ う。 バル トが ここで まなざす 「美」 は, したが って,創. une beaut6 plastiquc et, finalement, c'cst bien l'em―. 造 と破壊 の背反す る運動 に活気づ く二重 のヴェールを 纏 った姿 で立ち現 れて くる。完成へ と向か う力学 に従. blё me. い なが らも,そ れ を阻む,押 しとどめ得 ない創造力. Proust appelait les《. paperolles ≫; cela a vrailnent. de l'6criture qui est une prolif6ration,une dis―. が,テ クス トその ものを破壊 しかねない勢 いでたえず. s6nlination le long de la page13).. かつて「作者の死」 を宣告 し,そ れを「読者 の誕. 熱 く噴出 してい るそのペー ジが示す 「美」 とは,そ れ ゆえ,永 遠なる未完成へ と開かれたままであ り,確 定. 生」 によって弔 った批評家 はここで,い うまで もな く,「 輪韓機のや うな多作家」「書いて書いて書 きなぐ. か ら掘 り崩 して しまうエ ネルギー を潜 めた危 うい美 し. つ た小説家」nが 執拗 に手 を入れ. ,と きに読み難 く. さなので ある。そ の危険性 を鋭敏 に感 じと りなが ら. なってさえいる校正刷 の うえに思 いがけず発見 した. も,バ ル トは 目の前 に広がる「地所」domaineの 豊饒. 「造形美」bcaut6 plasdqucに ただ驚 き,心 奪 われて し. さを見抜 き,そ こか ら得 られるであろう未来 の収穫 を. した不変のテクス ト,い わゆる決定稿 とい う権威 を内.

(6) 甲南女子大学研究紀要第 43号. 夢 みて ,あ の よ うに感 1莫 して い た にちが い ない。 実際 ,そ の発言 は,構 造主義 的分析 の典型 的か つ 見. 文学 。文化編 (2007年 3月. ). は書 く行為 の ダイナ ミックな「爆発」explosionsや 誘 発が観察 で きるエ クリチ ュールの現場 で あ り,「 ペ ン. 法論 で は掬 い あげ得 ない と思 われ る もの ,他 で もな く. を持 った身体」 が まさに動 きまわ っているア トリエ な のだ。マ ラルメが 「_yxの ソネ」 におい て描 き出す部. 『サ ラ ジー ヌ 』 とい う作 品 を書 くバ ル ザ ッ クの 「 欲. 屋 には 〈主人〉が不在であるように,校 了 され,印 刷. 事 な実践 で もあ る 『S/Z』 とい う著作 に対 し,そ の 方. 望」 お よびその在処 を問 うナ ドー の挑発 に応 えて紡が れて い く言葉 の流 れの なかか ら生 まれて きた ので あ っ. 出版 されたの ちのテクス トか らは消え去 ることになる 「作者」 も, したが って,そ こでは観察可能 で あ り ,. た。 バ ル トはそれ をす ぐさま「ペ ンを持 った 身体」 un. それ を読 む者 の まなざしに不意 をつ かれ る こと もあ. corps qui a tenu la plumeの 問題性 と して問 い を立 て 直. る。「ペ ンを持 った身体」 が我 々の前 にはっきりと姿. した うえで ,こ れか ら探索す べ きひ とつの場所 をは っ. を見せる稀な機会があるとすれば,そ の 〈場 〉以外 に. き りと指 し示 してみせ た。. はない。校正作業 とは,テ クス トの現場 に作者が戻 っ て くる特権的な機会 なのだ。完成 した作品ではな く ,. [.… ]il y a un domaine magni■ quc a explorer:les. 作品の企てやその準備 においてこそ「作者 の姿」 が現. corections de Balzac sur ses 6preuves, sur ses pla―. れるとするならば,「 花火」 の ように虚空 に描 き出 さ. cardsi7。. れたその像 こそが まさに作者 の 肖像 となる。 とらえた と思 ったときにはすでに消え去 っているか もしれない. この声 ,バ ル トの あ の穏 やか な声 に よつて 目覚 め. ,. あ る い は力 を得 たか の よ うに ,1970年 代 以 降 の フラ. が,そ れは我 々に魅力的な イマー ジュをい くつ も見せ て くれるであろ う。. ンス にお い て ,生 成研 究 la g6n6tiquc textuelleが そ れ こそ精力 的 に行 われ ,バ ルザ ックは もち ろん,プ ル ー. マ ラ ル メの Manuscritsに 対 して ,バ ル ザ ックや プ. ス ト,フ ローベ ール,ゾ ラそ して ヴ アレリー とい つた. ルース トの それ に対す る よ うな関心 が払 われた こ とは. 作 家 の Manuscrits― ― 自筆 原稿 ばか りで は な く,メ. これ まで なか った 。遺 され て い る校 正刷 や 草 稿 類 が. モの類 か らタイプ原稿 ,校 正 刷 な どを も含 む資料体 を. け っ して豊富 で はない とい う生成研 究 にお い て致命 的. 指 す語 一一 を精密 に調 べ あげ ,比 較検討 を行 い ,作. な問題があ る こ とは確 かであ る")。 散文作 品へ の 関心. 品 の 内的 な発展 を明 らか に した優 れた研究成果 が 今 な. が 高 まって きた の は比 較 的最近 の こ とにす ぎず ,ヴ ア. お続 々 と発表 されて い る経緯 を ここで詳 しく述 べ る必. リア ン ト研究 に比重がおかれた従来 の研 究方法 も,詩. 要 はな い であろ う。 あ い かわ らず 多 くの探検 家 たちが. 人 の Manuscritsか ら利益 =関 心 を ひ き出す こ とを妨. そ の地 を訪 れ ,探 求 はその領域 をます ます掘 り下 げ. げて きた。 それゆえ,そ の校正刷 をわ ざわ ざ手 に とろ. ,. そ して絶 えずそ の範 囲 を拡大 しつづ けて い る。. う とす る者 な どほ とん どい なか ったので あ る。. も っ と も,そ の 発 言 自体 は生 成研 究 の 顕 揚 で は な. しか しなが ら,バ ル ト的 な態度 に従 って ,マ ラルメ. く,バ ル ト思想 の 変遷 を ロ ラ ン ・バ ル ト自身が分類 し. の校正刷 に まな ざ しを注 ご う。詩人 もまた ,小 説家 に. てみせ た 区分 に従 えば ,こ の とき,「 モ ラ リテ」 の 時. 負 けず劣 らず ,自 分 の作 品 の 印刷 に臨 んで は校 正 を繰. 代 へ と突 入 して い た批 評 家 の 関心 を率直 に披涯 した も. り返 し,出 版社 に対 してゲ ラをたえず 要求 し続 けた の. の にす ぎない。 つ ま り,こ れ以 降 ,「 作者 の姿」「ペ ン. だか ら。「 ど うか 校 正 昂」を僕 に送 って くだ さ い 」 (24. を持 つ 身体」 をエ クリチ ュールの うちに見出す ことの. avril 1866),「 暇 な合 間 を縫 って ,隅 々 まで 目を通 し. 重要性 を強調 して い くバ ル トが 語 り,実 際 に書 き,あ. ま した校 正刷 をお送 りい た します 」 (a00t1892),「 校. る いは実現 しなか った 多 くの 企図 の ひ とつ であ った。. 正 刷 は 是 非 と も送 っ て下 さ い ます よ うに」 (16 mai. それ は, しか しなが ら,生 成研究 とは 自ず と異 なる方. 1894),「 配 置 の 具 合 を校 正 刷 で 見 せ て い た だ け ます. 法 で 為 され るで あ ろ う。 1980年 2月 25日 ,「 あ の 運. か ?」 (5%v。 1896)な どな ど。 か くして ,マ ラ ル メ. 1に. た とえ 遭 遇 しな か っ た と して. と出版社 ・雑誌社 , もしくは印刷所 とのあ い だ を,幾. も,い わゆる生成 論 的 な批評 ,あ るい は研 究書 をバ ル. 度 も校正刷 が 行 き来 し,飛 び交 う こ とになる。 マ ラル. ト自身 が書 くこ とはおそ ら くなか った にちが い ない 。. メは ,よ く知 られ て い る よ う に ,60年 代 に書 い た詩. さて ,そ れで も,お びただ しい推敲 の跡 を留 め るバ. 篇 に も絶 えず手 を入れ ,推 敲 し続 けた。 とは い え,そ. ルザ ックの校 正 刷 にバ ル トは作 家 の創造行 為そ の もの. の ような機会 =契 機 を詩人 に齋 し,テ クス トに修 正が. の形 象化 を見 て い た とひ とまず は言 えるだろ う。 そ こ. 加 え られる こ とになったの は実 の ところ,友 人や知人. 」 命 的 な交 通 事 故・.

(7) 中畑. 35. 寛之 :A revOir. に贈 るために書 き写す ような場合 を除けば,当 然 のこ となが ら,そ の多 くが雑誌へ の掲載 ・再掲載や単行本 の出版 に際 してである。校正刷 とい うのは,マ ラルメ にとって,自 分 の作品 を客観的 に眺める ことので きる 最初 の 〈場 〉であ り,ま た 自らに批評 のまな ざしを向 ける ことを可 能 にす る鏡 の よ うな もので はなか った か。 とい うことは,校 正刷 は,手 書 きのテクス トが初 めて読者 の眼 に触 れる形へ と整えられてい く過程 を明 らかにすると同時に,ペ ー ジとい うものに対す る詩人. 主 言 1)St6phane Mallarm6,Cθ. rrι. ι ,tome I,Gallimard, ψθんあれθ. 1959,p.202. ι 2)St6phane Mallarm6,Orr`Ψ θんあれθ ,tome Ⅵ ,GalHmard, 1981,p.265。 2′ ι s,2 vols。 ,Ё ditiOn rι s θ θ ρ′ 3)St6phanc Mallarm6,6E′ ソ “ pr6sent6e, 6tablic et annot6e par Bertrand Marchal, Galli―. mard,Bibliothё que de la P16iade,1998 et 2003。 以下 ,略 号. θCの あ とに巻数 お よび頁数 を記す。 4)Cf.Bertrand Marchal,Notes sur la pr6sente 6dition,in θC II,nOtamment ppo xv― x宙 5)ジ ヤ ン・ベ ルマ ン=ノ エ ルが提 案 した この用語 は 「下 .. のこだわ りをも示 して くれるもの となる。我 々はそれ を,例 え│ゴ 『パージュ』,『 詩 と散文』そ して 『デ イヴ ァガシオ ン』 といった著作 をまさに手ず か ら造 りあげ てゆ くマ ラルメの作業 の うちに,き わめて特異な形 で 見 ることがで きるであろう。テクス トの変更 は,た と. 書 き」「草稿 」 とい った語 に憑 きま と う合意 を祓 う意 図 が あ り,そ の 点 にお い て は評価 す べ きで はあ る 。 しか しなが ら,い まだそ こ に残 る「 最 終 稿 」 また は 「 決 定 稿 」 とそ れ以 前 の テ ク ス ト群 とい う 目的論 的 な区別 に. えそれが単語 ひとつ,句 読点 ひとつであ って も,そ の. 関 して は再 考 の 必 要 が あ ろ う。 そ の よ うな見 方 に よっ て は ,以 下 に述 べ る よ うに,少 な く と も,マ ラル メの. 空間全体 を変えうるのであ る。. テ クス ト実 践 とそ の 効 果 を掬 い 上 げ る こ とはや は りで. 詩篇 であれば,ヴ ァリア ン トとい う形 で提示すれば 事足 りるのか もしれない20。 しか しなが ら,散 文 (散. きないのではないか と思 う。 一 一 一aucune inustration, tout ce qu'6vo― suis pour 一. 6) 《Je. quc un livre devant se passer dans l'esprit du lecteur ;. 文詩 であれ,さ まざまな批評 であれ)の 場合 はどうで. [...]》 。(Sur le rOman illustr6 par la photographic,in. あろうか ?と くに,「 批評詩」 と名づ け られることに. II,p.668).. なる晩年 のテクス トは ?校 正刷 に加 え られた訂 正 ・. 7)θ c. 加筆 の重要性 は言 うまで もない。マ ラルメにおいては と りわけ,修 正が削除の方向へ と働 くことが多いゆえ. 8)Crayonn6 au th6atre,in. に,雑 誌等 に発表,あ るいは単行本 として出版 された. θC,. II,p.287. θC II,p.161.. 9)Cf.http:〃 www.gcocitics.jp/mal_archives/. 10)マ ラル メの メ ッセ ー ジの書 かれ た紙片 は縦 3.5cm,横 17 cmで ,お そ ら くフェネオ ン宛書 簡 か ら切 り取 って き. テクス トよりも「饒舌 な」詩人の姿 を見出す こともあ. た もの。文 面 は 《Voici les 6preuvcs,cher F6n6on;quc. る。 さらに言えば,頁 組 にまで気 を配ったマ ラルメの. vous / appartenez le mois prochain ou un autre, /n'est―. あれ ら後期散文 を考察す るとき,そ のような頁 レイア. pas,pour que nous les revoyions ensemble,/≧. ウ トを生成 させ ,完 成 させてい く現場 で もあった校正 刷 はきわめて貴重 な情報 を我 々に齋 して くれるのでは ないだろ うか創 活字 の印象 と空 白の効果 とを確 かめ )。. なが らくり返 される植字の儀式は,詩 人によって,ひ. voile,sur la riviё. 11)Dθ θ′. “`れ. ce. 1'ombre de la. re.Votre/SM》 。. ι αr74ι ,nouvelle s6rie,tome な S′ クんα4ι να′. Ⅲ. 12)Roland Barthes,Oふ /ou va la litt6rature?(avec Maurice 2′ ι S,tome 3,1974-1980,Ё ″s θ θη ′ Nadeau),dans 6E“ ソ. di―. tions du Seuil, 1995,pp.57-69。. とつの典礼 にまで高 め られていたのである。 マ ラルメ もまた,バ ルザ ックや プル ース トと同 じ く,い やそれ以上に, しか し詩人独 自のや り方 によっ て,校 正刷 とい うものをその創造 の現場 として活用 し た者 たちのひと りであ った とい える。書 くことを知 る 人 はつ ねによ り多 くの 6preuvesを 自ら求める もの な のか もしれない。. 13)乃 j″ ,p.61.. 14)辰 野 隆『佛蘭西文學 上巻 』,自 水社 ,1954(1948),275 頁。 15)Jcan Roussct,Fθ. jθ れ, ′sjgん ′θ α′ r“ ιι. JOs6 Corti,1962,. ppo vH一 vlll,. 16)Cfo Honor6 de Balzac,Lι. r`jれ ε θれ4“ ,Galli― C/2`チ グ'α効ツ. mard, 1970。. 17)Roland Barthes,の 。θ 。 ,p.61. j′. 18)鈴 村 和 成 『バ ル トーー テ クス トの快 楽 』,講 談 社 頁数 の都合上 ,「 ある主題 による変奏」校正刷 の批 評校訂版 をここに掲載す ることがで きないのは残念 で ある。テクス トの提示. ,. pr6sent6s par Gordon Millan,Nizet,2003,pp. 104-107.. (生 成批評版 の試み)を 含 め. 問題点 の検討 などは他の機会 を待 ちたい。. ,. ,. 「現代 思想 の 冒険者 たち」 第 21巻 ,1996,303頁 。 19)ス テ フ ァヌ 。マ ラル メ生 成研 究 とい う領 域 には果 た して可 能性 が あ るだ ろ うか。豊 餃 な大 地 が 手 つ かず の まま広 が って い るの か ,そ れ と もそ こは不 毛 な荒 地 で しか ないの か。 す ぐに思 い 浮 か ぶ の は ,佐 々 木 滋 子 氏 が 世 に問 う た 『 イジチ ュー ル』 あ る い は夜 の 詩 学』 で あ ろ う。 労作 『.

(8) 甲南女 子大学研究紀 要第 43号. 36. 文学 ・文 化編 (2007年 3月. ). そ の精級 な読 解 は 1925年 にエ ドモ ン・ ボ ニ オ に よって 刊 行 され た テ ク ス トヘ の 「重 大 な疑 念」 をひ とつ ひ と. 20)充 分 で は な い , と我 々 はす ぐさ ま前 言 を撤 回す べ き. つ 根拠 づ け て い く地 道 な作 業 で はあ ったが ,対 象 とな. で あ ろ う。 詩 篇 の 発 表 に際 して は つ ね に ,字 体 ,行. 後ぜ ひ とも成 されね ばな らない重要 な仕事 であ る。. る草稿 の 不 在 とい う困 難 を抱 え なが ら,不 完 全 か つ 問. 間 ,空 向 の と り方 ,ペ ー ジ内 にお け る詩 の 位 置 な ど. 題 の 多 い テ クス トの 各断章 相 互 の 比 較 ・検 討 ,お よび 書 簡等 の 資料 をつ き合 わせ る こ とで ,『 イジチ ュー ル』. それ らの効 果 をマ ラ ル メは執 拗 に検 討 す るの で あ り. の生 成過 程 とそ の 可 能性 を大 胆 に , しか しきわ め て 説 得 的 に推 測 してみ せ た 。所 在 不 明 と 言 われ て きた 『 イ. ,. ,. 刷 り [1が りに満 足 す る こ とは稀 とい え ,自 らが思 い 描 くITへ と近 づ け るため ,詩 人 は校 正刷 を強 く要 求 す る か らであ る。. ジチ ュー ル』 車 稿 は 新 しい プ レ イヤ ー ド版 『マ ラ ル メ. 雑 誌 な どに批 評 テ クス トを載 せ る と きには ,実 の と. 全集 』 第 1巻 に公 表 され たが ,そ れ に よつて も佐 々木. ころ ,マ ラル メは 校 正刷 にそ れ ほ どこだ わ って い な い. 氏 の 仕事 は 修 正 を必 要 と しな い どころか ,そ の 精 密 さ. よ うにみ え る。 イギ リス との あ い だで の や り と りに時 間が かか る とは い え,『 ナ シ ョナ ル ・ オブザ ーバ ー』紙. を証す る ことになったc400頁 を超 える大著に加 え,H0 頁 に もお よぶ 論 文 「『『 イジチ ュー ル』 あ る い は 夜 の 詩 学』―補遺 ―新 プ レイヤ ー ド版 『マ ラ ル メ全集』 所収 の. の 記事 な どは ,校 正 を編 集 者 に まかせ て しま う。 詩 篇. 『 イジチ ュー ル』 :中 :稿 につ い て ―」 (『 一橋大学研 究年報. テ クス トの校 正 に も気 を配 る よ うに な る の は ,「 批 評. 人文科学研究 』 第 38号 ,2001,pp。 9卜 201)は す ば ら し. 詩」 とい う新 しい 形 式 を意 識 し出 した の ちの こ とで あ. い収穫 であ る と言 える。. な らばそ ん な こ とは 決 して しな い はず だ 。 詩 人が散 文. る。 』 な どの重 要 な未完. 21)物 理 的 に は ,テ クス トが 印 刷 に 附 され る た び ご と に ,そ して そ の つ ど複 数 の 校 正 刷 が 生 じる。 た とえ. 作 品 に 関 して も,く くDossiers》 と して ,そ れ らの 創作 メ. ば,「 あ る主題 に よる変奏」 の 第四 回 「擁 護救 済」 の場. す で に出版 され て い る 『エ ロデ イア ー ドの婚礼 』『 ア ナ トー ルの墓 』 に加 え ,『 骰 子. ^椰. 稿等 が よ うや く,少 な くと も我 々の 11. に見 え るか た ちで刊 行 され た 。 生 成研 究 に限 らず ,そ. tて い る。 と の,青 昂」 (bonnesた uilles)が 請求 さオ ), 8音 脇 イ は い え,校 lli刷 は 本 来 ,手 を入 れ たの ち に 印刷 所 へ と. れ らの テ クス トの本 格 的 な研 究 は これ か ら始 ま らな け. 送 られ ,作 者 の 指 示 に従 って 活 字 を組 み 直 す ため に使. モ ,下 書 き,草. われ る もの で あ り,次 の 校 正 刷 あ る い は最 終 的 に印 刷. ればな らない。 韻 文詩 につ い て は どうで あ ろ うか ?す で に 1世 紀 以. 物 を打 ち出 して しまえば ,普 通 は無 用 とな り,捨 て ら. 上 にわ た る莫 大 な研 究 成果 が 蓄 積 され て は い るが ,生. れ て しま う。著 者 に さ し戻 され た と して も,事 態 はそ. 成論 的 な視 点 か ら書 か れ た 論 文 は ほ とん どな い よ うで. れ ほ ど変 わ らな い 。 そ れが残 るため に はや は り,何 ら. あ る。新 プ レイヤ ー ド版 で は ,ヴ ア リア ン トを含 め. かの 《manie》 が必 要 とされ るであ ろ う。現 在 ,ジ ヤ ッ ク・ ドウー セ 文 学 口l書 館 が 所 蔵 して い る マ ラル メ関連. ,. 丁寧 なテ クス ト校 訂 が 為 され てお り,研 究 の ため に利 用 で きる資 料 は ほ とん どす べ て提 供 され て い る はず で あ る。詩 篇 の生 成研 究 とい うの は. され た資 料 体 が. =. 文献 につ い て も,校 正刷 は ほ とん ど見 当 た らな い 。最 ・ 初期 の評論 は 託 うに及ばず ,80年 代後半 の演劇批評 ,90. ス ト群 と我 々が どの よ うに向 か い 合 うか に よつて ,今. 年 代 初 頭 に ロ ン ド ンの 新 聞 「 ナ シ ョナ ル ・ オ ブ ザ ー バ ー」 紙 に投 稿 して い た 時評 な どは 自筆 稿 も校 正 刷 も. 後 マ ラル メの 詩 は さ らに 多様 な切 り子 面 を輝 かせ る に ちが い な い 。 つ い 最 近 も, ピエ ー ル ・ カ ン ピ オ ン氏 が. 残 ってはい な い よ うだ。 ほ とん ど唯 一 の 例 外 が ,95年 に 『ル ヴ ュ ・ ブ ラ ンシ ュ』 誌 に連 載 され た 「 あ る主題. '童 富 で なけれ ば なか なか難 しい よ うだが ,そ れ らの テ ク. 「ヴェル レーヌの 墓」 を素材 に,「 決定」 d6cisionと い う. に よる変奏」 の校正刷 なので あ る。. 概念 か ら,こ の 詩 の新 たな読 解 を試 み て い た (cf.Pた rre Camplon,La d6cision. Une notion a l'6preuvc d'un textc de. 己 岡寸言. jgz`′ Mallarrnё , in Pθ ご ′. 小 説作 品 の生 成研 究 とは 自ず と異 な るはず で あ. 本稿 は,平 成 17年 ,18年 度 の科学研 究 費補助 金 の 助 成 を受 けた研 究 「ス テ フ ァヌ 。マ ラル メ を中心 とす る 19世. るが ,同 じ問題 意 識 か ら出 発 した詩 作 品 の生 成論 的読. 紀 末 フラ ンス 第 二 共和 制 の 〈危 機 〉の 諸 相研 究 」 の 成 果. 解 も可 能 か も しれ な い 。 つ ま り,生 成論 的方 法 を用 い. の一 部 であ る。. 124)。. , n°. 145, f6v。. 2006, Seuil, pp. l13-. つ つ ,そ の 時 々 に ひ とた び 形 を成 した テ クス トの 姿 と,そ こか ら さ らに変形 され て い く過 程 とそ の 射 程 と. 参考文献. を考察 す る こ とが で きるので はないか ? そ して もうひ とつ 。本 を出版 す る に際 して ,マ ラ ル. 占田. メ 自 らが 作 った 「台紙 貼付 け. (マ. ケ ッ ト)」 の 研 究 も今. 城 『『失 わ れ た 時 を求 め て 』 草 稿研 究 』,平 凡社. ,. 1993. Jean Bcllcnlin― Nё cl,L`7セ 薄 r′ `′. 'Aソ. αれr-7θ χ′. `,Larousse,1972..

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