I
学 会 の 歩 み を 回 顧 し て
第 1 回
(鼻副 鼻 腔 研 究 会)
世 話 人 鈴 木 篤 郎 白 岩 俊 雄 高 橋 良 会 期1962年(昭 和37年)10月8日 会 場 長 野市 産 業 会 館加
藤
秀
雄*山
〓
可
夫*
宇津宮市開業
東京歯科大学教授
(*初 代幹事)
鼻 科 領 域 の 学 会 を 持 ちた い との 希 望 は以 前か らあ った が,種 々の 事 情 で 実 現 が 遅 れ て い た 。 研 究 会 誕 生 前 の 状 態 に つ い て は 日本 鼻 副 鼻 腔 学 会 会 誌 第1巻 の 巻 頭 言 に 高 橋 良 教 授 が 詳 し く誌 され て い るの で 割 愛 す る。 研 究 会 発 足 の 本 格 的 な 会 議 が持 たれ た の は昭 和37年8 月11日(土)東 京 ・新 橋 に お け る鼻 副 鼻 腔 懇 話 会 世 話 人 会(出 席 者 は 世 話 人 と して,長 大 ・後 藤(敏)教 授,横 市 大 ・柏 戸 教 授,東 邦 大 ・名 越教 授,東 医 大 ・白 岩 教授, 慈 大 。高 橋 教 授(順 不 同),幹 事 と して 慈 大 ・山 崎 講 師, 東 医 大 ・加藤 医 局長)の 席 上 で あ り,第1回 研 究 会 を早 急 に 行 うた め の 討議 で あ った 。 その 結 果,第1回 鼻 副 鼻 腔 研 究 会 を長 野 市 で 開 催 す るこ とが 決 定 され た 。 会名 も 懇 話会 か ら正 式 に研 究 会 と発 展 的 に改 称 され る こ とも併 せ て 決 定 され た 。 期 日は10月 の オ ー ジオ ロギ ー学 会 前 とい うこ と で あ っ た の で,学 会 を主 宰 され る 。信 大 ・鈴 木 教授 お よ び教 室 員 の方 々に と って は,ま さ に青 天 の へ き れ きで あ った ろ うと思 われ る 。 それ に もか か わ らず 鈴木 教 授 か らは御 快 諾 の 御 返 事 が 高 橋 教 授 に もた ら され た の で,信 大 の 教 室 に は,で き る限 り ご迷 惑 を か けぬ よ うに す るた め,慈 大 お よび 東 医 大 の 教 室 か ら数 名 づ つ医 局 員 を 出 して 学 会 の 設 営 を 行 う こ とに な った 。 第1回 鼻 副鼻 腔 研 究 会 の 世 話 人 は鈴 木 篤 郎 教 授,白 岩 俊 雄 教授,高 橋 良 教 授 の3名 で あ った の で,そ れ ぞ れ の 教 室 か ら医局 員 を 派 遣 す る こ と は 当 然 で あ った 。 一方,長 野 市 の荻 野 朝 一 博士 に も学 会 設 営 に つ い て の 御 協 力 を 依頼 され,こ れ ま た 御快 諾が 得 られ た た め,9 月3日(月)― 山崎 と 加藤 の両 幹 事 は細 部 打 合 せ の た め 早 朝新 宿 よ り長野 に 向 った 。両 名 は3日4日 の 両 日に わ た って 荻野 博 士,な らび に信 大 広 瀬 助 教 授,野 村 郁 雄 博 士(当 時 長 野 日赤 耳 鼻 咽喉 科 医長)ら に お 会 い して,会 場 に予 定 され た産 業 会 館5階 会 議 室 と世 話 人 会 会 場(信 連 応 接 室)等 を 下 見 し,さ らに会 場 設 営 に要 す る ス ライ ド映 写 機 等 の 小 道 具 や学 会 要 員 と して 慈 大 よ り8人,東 医 大 よ り5人 の 医 局 員 派 遣 な ど に つ いて も打 合 せ,会 期 前 日の10月7日 に は 会場 設 営 を完 了す る ため 現 地 に着 く こ とを 約 束 して 帰 京 した 。 9月5日,長 野 市 か ら帰 京 す るや 直 ち に 山〓 らは 第1 回 鼻 副 鼻 腔 研 究 会 開催 に関 す る案 内状(演 題 申込9月15 日締 切,慈 大 宛)を 慈大 よ り速 達 便 で 全 国 関 係 施 設 に 発 送 した 。 以 上 の 日程 を み ると き わめ て 短 時 日の う ちに,種 々の こ とが 進捗 した こ と が うか が わ れ る。 か く して学 会前 日の10月7日(日),東 医 大 加 藤 他4 名 と,慈 大 日野 原,添 田他6名 は,長 野 市 に 向 い,待 ち 受 け て お られ た広 瀬 助 教 授,浅 輪 講 師,野 村 医 長 らの 御 案 内 で,会 場 設 営 の 万 端 遺 漏 な きを 期 した 。 夕 方 よ り担 当 校 の ご 配慮 で,全 員を 招 待 して い た だ い た 市 内 「や ぶ 旅館 」2階 で の前 夜 祭 は2昔 前 の こ と とは い い な が ら, 今 で も鮮 や か に懐 しい想 出 と して 残 って い る。 10月8日(月)の 研 究 会 の 演 題 の全 容 は 日本 鼻 副 鼻 腔 学会 会 誌Vol,1に 掲 載 され て お り,パ ネ ル デ ィ スカ ッ シ ョ ン(写 真1.2)は 耳 鼻 咽 喉 科 展 望 第6巻 第1号 に 録 音 記述 と して 詳 し く掲 載 され て い るの で 御 覧 い ただ きたい 。 写 真 1. パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン(演 者)写 真 2. パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン(会 場) 成 功 裡 に 終 った 研 究会 の夜 は,荻 野 博 士 の 御招 待 で, 西端 名 誉 教 授,佐 藤 名 誉 教授,他 世 話 人 の 各教 授 等 が, 一 料 亭 に集 り,信 州 そ ば の ご馳 走 にあ ず か り(写 真3) 写 真 3. 荻 野 博 士 の招 待 会(世 話 人 会) か つ 翌 日の10月9日 は,朝 か ら午 後 に わ た り,2班 に 分れ て 荻 野 博 士 執 刃 に よ る手 術 供 覧(写 真4)が 行 なわ れ,総 勢26名 の 見 学 者 が あ った 。 写 真 4. 手 術 見 学(荻 野 博 士 執 刃) 若 年 の 医 師 達 は そ の手 技 の 鮮 や か さに,た だた だ尊 敬 と 羨望 の 念 を 強 く した もの で あ った 。 荻 野 博 士 が この 会 の た め につ く され た 熱 意 と御 協 力 の 詳 細 は,後 日博 士 亡 き あ と,御 子 息 の 御 好 意 に よ り,拝 見 させ て い た だ い た 備忘 録 か らつ ぶ さに 伺 い知 る こ とが で き る。 記 して 深 甚 の 謝 意 を 表 す る もの で あ る。 な お,並 々な らぬ 御尽 力 をい た だ い た 信 大 関係 者 に改 め て深 甚 の 謝 意 を 表 す ると と もに,こ こに 第1回 鼻 副 鼻 腔研 究 会,発 会 式 設 営 の記 とす る。 資料 は 日本 鼻 副 鼻腔 学 会 会 誌 第1巻 お よ び,日 野 原正 教 授(独 協 大),浅 輪 勲 博 士(長 野 日赤)の 両 氏 と加 藤 秀 雄(宇 都宮 市)の 提 供 に よ った 。 文 責(初 代 幹事:加 藤 秀 雄,山 〓可 夫)
第 2 回
(鼻副 鼻 腔 研 究 会)
会 長 中村 文雄 担 当 京 都府 立 医 科 大 学 耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 会 期1963年(昭 和38年)9月30日 会 場 京 都府 立 医 科 大 学 記 念 講 堂(京 都 市)中
村
文
雄
京都府医科大学名誉教授
京都第1日 赤病院長
鼻 副 鼻 腔 学 会 が 本 年20周 年 を 迎 え,最 初 は鼻 副 鼻 腔 研 究 会 と して 比 較 的 小 人 数 の 会 員 で発 足 した学 会 が,20年 に して,今 日の 内 容,規 模 と もに大 き く充 実 した,立 派 な 学 会 に 発 展 い た しま した こと を お よ ろ こび しま す 。 第2回 鼻 副 鼻 腔研 究 会 は,昭 和38年9月30日(月), 京 都 府 立 医 科 大学 耳 鼻 咽 喉科 教室(教 授,中 村 文 雄)担 当 で 開 催 され ま した 。特 別 講演 や シ ンポ ジ ウム は な く, 一 般 演 題 の み で あ りま した が,ま た 僅 か 第2回 目の学 会 で あ った に も拘 らず,36題 の 演 題 が あ つ ま りま した 。 そ れ を7つ の群 に分 け,第1群 は一 般 問 題(座 長:北 村 武 教 授),第2群 も一 般 問題(座 長:柏 戸 貞一 教 授),第 3群 は ア レルギ ー問 題(座 長:鈴 木 安恒 教 授),第4群 副 鼻 腔 手 術 の 問 題(座 長:浅 井 良 三 教授),第5群 も, お な じ く副 鼻 腔 手 術 の 問 題(座 長:後 藤 敏 郎 教 授),第 6群,基 礎 的 問 題(座 長:名 越 好古 教 授),第7群 も基 礎 的 問 題(座 長:高 橋 良 教 授)で あ りま した 。 そ して 第1群 に は5題 の 演 題 が あ りま した が,ウ イ ー ンと千 葉 に お け る慢 性 鼻 炎症 の ち がい,慢 性 副 鼻 腔 炎 と 線 維性 塵 埃,ジ ェ ッ ト機操 縦 士 の 鼻 副 鼻 腔 所 見 と飛 行時 諸症 状 の 報告,な ど が 、注 目を集 め ま した 。 第2群 も5 題,そ の うち術 後 の 多房 性 上 顎嚢 腫 の 成 因,副 鼻 腔 の存 在 意義,副 鼻 洞 手 術 と 消 炎剤,高 橋 研 三氏 手 術 に お け る 2.3の 問 題 な どの 演 題 が あ り ま した 。 第3群 は ア レルギ ー に 関す る問 題 が 出 され ,5題 の 演題 が あ りま した が, ア レルギ ー性 鼻 炎 の 皮 膚 反 応,ア レル ギ ー性 鼻 炎 に対 す る減 感 作 療 法 成 績 に つ い て な どを,中 心 に論 義 が行 わ れ ま した 。 第4群 の 副 鼻 腔手 術 の問 題 で は,4題,副 鼻 腔 炎 再 手 術 よ り見 た る2.3の 考 察,副 鼻 腔 炎 の 再 手 術 所 見 な どの 問題 に 追加 質 問 が 多 くあつ ま りま した 。 第5群 も 4題,お な じ く副 鼻 腔 手 術 の 問 題 が 講 演 され ま した が, 座 長 が ま とめ と して,Sinoplastikと い う名 称 は,副 鼻 腔 の手 術 は全 副 鼻 洞 の 開 放 と同 時 に洞 の 改築 ま た は 成形 を 行 う意 味 で 意 義 が あ る と述 べ られ た 。第6群 は5題, 主 と して 基礎 的 問 題 が 論ぜ られ たが,座 長 は エ ン ピナ ー ス は じめ 治療 薬 剤 の 治癒 機 序 の 検 討,治 療 効 果 の判 定 に は慎 重 で な け れ ば な らな い と述 べ られ た 。第7群 も5題 の 演 題 が述 べ られ た 。 お も に鼻 腔 副 鼻 腔 粘 膜 の 血 流 動 態, これ に 対 す る薬物 の影 響 につ い て の 研 究 や,粘 膜 の 蛋 白 分 解 酵 素 の研 究 な ど生 化 学 的 研 究 の 発 表 が され た。 以 上36題 の 報告 が,多 数 の 活 発 な 質 疑,応 答 と と も に 非 常 に 時 間 が延 長 して5時 終 了 予 定 が 午 後6時 半 とな っ た 。 そ の あ と で簡 単 な ビール パ ー テ ィーの 後 散 会 した 。 頂 度 第2回 の研 究 会 は,宝 塚 市 の 気 管 食 道 科 学 会,オ トマ イ ク ロサ ー ジェ リーの 学 会 に 続 い て 開 催 され た 関 係 もあ って,出 席 者 も200名 を 越 え,非 常 に 盛 会 で 有 意 義 な研 究会 で あ っ た。第 3 回
(鼻副 鼻 腔 学 会)
会 長 後 藤 敏 郎 担 当 長 崎 大 学 医 学 部耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 会 期1964年(昭 和39年)9月28日 会 場 長 崎 大 学 医学 部 講 堂(長 崎 市) 後 藤 敏 郎 長 崎 大 学 名 誉教 授 長 崎 県 立 島 原 温泉 病 院 長 ―鼻 科学20年 の 歩 み に 想 う― 昭 和36年4月 の 日耳 鼻 総 会 が 長 崎 市で 小 生 司 会 の もと で 開催 され た と き に,Sinuectomy懇 話 会 をTympa-noplasty懇 話 会 と並 立 的 に 開 催 した 。後 者 の 方 は そ の 後Otomicrosurgeryか ら,更 に臨 床 耳 科 学 会 に発 展 し,Sinuectomyの 方 もま た 発 展 して 現 在 の 鼻 ・副鼻 腔 学 会 に至 って い る。 学 会 名 は そ の 後 日本 鼻 ・副鼻 学 会 と して 「日本 」 を 補 足 した が,い ずれ は 日本 鼻 科学 会 と した統 括 され た 名 称 に 改 め られ,耳 鼻 咽 喉 科 学 会 の 中の 固 有 の学 会 と して,位 置 的 に は そ の 中央 にあ るべ き学 会 と思 う。 私 自身 は研 究 対 象 と して い る含気 腔 学 説Pneumati-satioslehreの 関 係 か ら,こ の両 学 会 に関 係 して い たた め に,こ の 両 種 の 懇 話 会 の 開催 を 同時 に 計 画 す るこ と に な ったが,こ の 両 学 会 の そ の 後 の進 み 方 に は,互 に比 較 しなが ら興 味 を も って 観 察 して き た。 先 日 も臨床 耳 科 学 会 に その 誕 生 頃 の 様 子 を 書 い たの で,今 回,鼻 ・副 鼻 腔 学 会 の20周 年 記 念 誌 に 当学 会 成 立 当時 の こと を記 す こ と の 機 会 を え た こ とは 自 ら喜 ん で い る。 現 在 に 立 って,こ の 会 の発 足 当時 のSinuectomyの こ とを 顧 み ると,そ の変 り方 の 著 しい こ と に驚 くの み で あ る。 時 間 的 に は,そ れ ほ ど長 くない この 期 間 に,Sinuecto-mvは 徹 底 的開 削 主 義 か ら保 存 主 義 へ の著 明 な変 化 を み るに 至 った こ と は,耳 鼻 咽 喉 科 学 の歴 史の うえ か らみ て も画 期 的 な現 象 で あ る。 戦後 の抗 生 剤 の 登 場 に よ って最 も大 き な影 響 を うけ た もの は急 性 化 膿 性 中 耳 炎 の 臨床 であ ると思 われて いた 。と い うの は,そ れ ま で 頭 蓋 内 や全 身性 の 合 併 症 の た め に活 発 な臨 床 の 対 象 で あ った 急性 中耳 炎が 抗 生 物質 で 容 易 に 治 る よ うに な った か らで あ る。 これ に 対 して 副鼻 腔 炎の 方 は 慢 性 炎症 を主 と して い た た め に,抗 生 剤 治療 の対 象 にな らな か った こ とか ら,当 時 の耳 鼻 咽 喉 科 臨床 の主 軸 とな って い た感 が あ った 。一 般 の 臨 床 で は 鼻疾 患 の 占 め る割 合 は ま す ま す 大 き くな り,大 学 病 院 とい え ど も比 較 的 に 多 くの 病 床 がSinuectomyの 患 者 で 占 め られ て い る状 態 で あ った 。 と こ ろが,耳 科 学 の 方 は その 後 一 方 で はAudiology の 発 達が あ り,他 方 で はTympanoplastyの 登 場 に よ って む しろ新 鮮 な 姿 で再 起 して きた 。 しか も それ は 聴 力 増進 手術 とい う名 称 で紹 介 され て い た の で学 会 員の 関 心 は そ ち らに向 け られ るよ うにな って,わ が国 に おい て も 追試 報告 が 出 始 め た 。Sinuectomvの 方 は実際の臨床 で は 主 要 な位 置 に あ りな が ら,そ の 手 術法 は 旧態 依 然 た りで, 若 い学 会 員 に は 魅 力の な い もの に な りつ つ あ った 。 二 つ の 懇 談会 を開 い た当 時 の 私 の素 直 な感 想 を 述 べ る と,Tympanoplastyの 方 は,一 般 の会 員へ の 普 及 と定 着 とを 図 る こと を 目的 と した もの で あ っ たが,Sinuec-tomyの 方 は従 来 の マ ンネ リズ ム か ら脱 却 して,新 し い 理 念 に裏 打 ち され た 手術 法 の 出現 を 期 待 して の もの で あ った 。学 会員 もSinuectomyに つ い て は 従 来 の 技 法 の 枝 葉 的 な修 飾 に甘 ん ぜ ず に研 究 的 対 象 と して 臨 ん で も らえ な い もの か 。 そ う した 希望 を託 して の もの で あ った。 これ もま た私 事 にな るが,そ れ まで 乳 様 蜂 〓 の 仕 事 を 主 に して い た私 は,こ の 頃 か ら鼻 科 学 側 の 学 会 に も関 係 す る機 会 が 多 くな った 。 これ に は 当時 の 高 橋 会 長 の 要 請 に答 え る こと に も あ っ た。 耳 鼻 咽 喉 科学 会 で の 研 究 活 動 家 の分 布 を み る と,ど う して も耳 科 学 の 方 に人 が 集 る傾 向 が強 い 。 と くに大 学 な ど研 究機 関の ス タ ッフ とな る と,耳 科 学 の 方 に集 ま って, 鼻 科学 の 方 に は疎 にな る傾 向 の あ る こ と は否 定 で きな か った 。 これ は一 つ には 人 間 の 鼻 と い う器 官 が 持 って い る 運 命 的 な 内容 に も よ る もの と思 う。鼻 や 副 鼻 腔 は形 態 的 に は比 較 的 単 純 で あ って,機 能 も生 存 活 動 の 第 一 義 的 な と ころ か らや や 引い た と ころ に あ る 。副 鼻 腔 は と くに そ うで あ る 。 した が って 一 見 平 凡 に 見 え る現 象 の 中か ら何 もの か普 遍 性 の あ る新 ら しい もの を 探 し 出 す と い う こ と は極 め て 難 か しい こ とで あ って,研 究 論文 を数 量 的 に 多 くを作 製 しよ う とす る傾 向 の あ る わ が 国 の大 学 に は取りつ きに くい 対 象 で あ る。 そ うい うこ とか ら,鼻 科学 に は 日常 の 臨 床 で は 重 要 な 対象 で あ りなが ら,研 究 す る者 は少 な い とい う矛 盾 した 現 象 が み られ て い た 。 耳 鼻 咽 喉 科 学 会 を 細 分 化 して 学 会 を つ くる こ とに は批 判 はあ るが,こ う した 落 ち 込 み そ うな分 野 の 進 歩 の た め に は,有 効 な 方 法 で あ る こ とは確 かで あ る。 鼻 ・副 鼻 腔 の学 会 が で き る よ う にな って か らは各 大 学 の 教 室 か ら も 多 くの 若 い 研 究 者 が 集 ま るよ うに な っ て,研 究 の 対 象 は SinuitisやSinuectomyの 問題 に止 ま らず,広 く鼻 科学 の 基 礎 的 問 題,と くに 嗅覚 を含 ん での 呼 吸 機 能 の 問 題 へ と進 ん で ゆ き,一 方 で は鼻 ア レル ギ ーが,鼻 の 感 染 症 に替 わ って 臨床 の主 要 な 位 置 を 占 め る よ うにな るな ど, この学 会 は時 代 の 変 化 に対 応 して発 展 的変 貌 を とげ て, 耳 鼻 咽 喉科 学 の な か で鼻 科 学 が 背 負 って いた 責 任 の よ う な もの を,こ の20年 の あい だ の 歩 み で果 た して い るよ う に思 う。 終 りに な るが,是 非 誌 る して お きた い こ と は,高 橋 良 教授 の鼻 科 学 に情 熱 を傾 けた 一 貫 した研 究 態 度 で あ る。 この こ とが,ま た この会 の 発 達 を 推 進 す る主 軸 とな り, わが 国 の 鼻 科 学 に 大 きな貢 献 を 果 した こ とは この 機 会 に 強調 して お か な け れ ば な らない こ とで あ る。 同 教 授 は ま た こ の学 会 の 初 期 の 頃 に は 数年 にわ たってSinuectomy の研 修 会 を 催 し,Sinuectomyを 安 全 に かつRadical に行 え る た め に,鼻 腔 お よ び副 鼻 腔 の解 剖 実 習 を伴 な っ たSinuectomyの 講 習 会 を 慈 恵 医 大 で 開催 し,徹 底 的 洞手 術 の技 法 の研 修 を会 員 の た め に 図 って い た が,や が て そ の 後 のSinuitisの 質 的 変 化 を み て は,Sinuecto-myの 手技 を 大 き く保 存 化 した 方 向 に 転 換 して ゆ き,ま たVidian神 経切 除術 を開 拓 し,他 方 で は 「鼻 の 感 染 症 と ア レル ギ ー 」 に 関 す る国 際 シ ンポ ジ ウ ムを 開 い て い った こ とな ど同 教授 の畢 生 の 仕 事 と して 続 け て い る鼻 を 中 心 にお い た 考 古 学 的 人類 学 の 研 究 は 別 と して も,こ れ らの 一 連 の 活 動 を み ると き,こ の 学 会20年 に 歩 ん で きた 方 向を 示 して い る もの と思 う。 向 後 の 鼻 科 学 は どん な 方 向 に進 ん で ゆ く もの か 。
第 4 回
(日 本 鼻 副 鼻 腔 学会)
会長 高 須 照 男 担 当 名 古屋 市 立 大 学 医 学 部 耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 会 期1965年(昭 和40年)7月11日 会場 愛 知 県 中小 企 業 セ ン タ ー(名 古 屋 市)馬
場
駿
吉
名古屋市立大学教授
昭 和40年7月11日,私 の恩 師,高 須 照 男 教授(当 時)を 会 長 と して,私 共 の 名 古屋 市立 大 学 医 学 部 耳鼻 咽 喉科 学 教 室 が 第4回 の 本学 会 総会 を担 当 させ て い た だ い て か ら, す で に17年 の歳 月 が 流 れ ま した 。本 来 な らば,こ の稿 も 高 須 照 男 先生 が 執筆 され るはず の もの で す が,残 念 なが ら宿 痾 を 得 られ,昭 和51年4月14日 逝 去 され る と こ ろ と な りま したの で,当 時,年 次 幹 事 と して,準 備 に参 画 い た しま した小 生 が代 って筆 を と らせ て い た だ くこ と に な りま した 。 さて,こ の 度 の 第21回 の 本 学 会 を 担 当主 催 させ て い た だ くに当 って,会 場 を ど こ に求 め よ うか と種 々考 え ま し た が,結 局 は 来 会 者 に便 利 で,会 場 数 を 多 くとれ る愛 知 県 中 小 企 業 セ ンタ ー(名 古 屋 駅 前)に 決 め ま した 。17年 前 の 第4回 総 会 も この 会 場 を 使 用 して お ります が,そ の 時 も同 じ理 由 で こ こに落 ち つ い た と記 憶 して お り ます 。 今 回,プ ロ グ ラム を編 み な が ら感 じま した こ と は,こ の よ うに 会場 は 同一 で も,最 近 の 学 会 発 表 の 内容 の 変 化, 演 題 数 の増 加 に は 目を み は らせ られ る もの が あ る とい う こ とで した 。 第4回 で は,慢 性 副 鼻 腔 炎 に関 す る演 題 が 主 流 を 占め,鼻 ア レル ギ ー の関 連 演 題 は1群9題 に過 ぎ ませ ん で した 。今 回 で は そ れが 完 全 に 逆 転 して,鼻 ア レ ルギ ーに 関 す る もの は9群42題 に及 ん で お り ます 。 ま た 演 題 数 に つ い て言 え ば,第4回 で は特 別 講 演2題,一 般 演 題71題 が1日 だ け の会 期 中 に消 化 され て い ます が,今 回 の 第21回 総 会 で は学 会 創 立 記 念 講 演1題,シ ンポ ジ ウ ム,パ ネル デ ィス カ ッ シ ョ ン各1題 一 般 演 題200題 それ に 鼻 副鼻 腔基 礎 問題 研 究 会,臨 床 問 題 懇 話 会 も併 せ て2日 半 の ス ケ ジ ュ ール が び っ し りとい う状 態 に な ってお りま す 。 この よ うな学 会 の規 模 の 増 大 は,も ち ろん 現 時 点 で の鼻 科学 研 究 の裾 野 の拡 が り と,そ れ に支 え られ た 水 準 の 高 さを示 す も の と考 え て よい か と も思 い ます が た だ し,研 究 者 の 意気 込 み につ いて み ま す と,17年 前 も 決 して 最 近 に 劣 る こと な く,い や,む しろ も っと熱 気 に 溢 れ て い た よ うに も思 わ れ ま す 。 当時,耳 鼻 咽 喉科 学 の 研 究 者 の 眼 は 「耳 」 の方 に ひ かれ が ちで,鼻 科 学 へ の 関 心 が や や 薄 い と い う時代 的 な趨 勢 が 見 られて い ま したが, 前年,長 崎 で 開 催 され た 第3回 総 会 を機 に,研 究 会 か ら 学会 に 改組 され,さ あ これ で,鼻 科学 領 域 に関 心 を もつ われ われ 若 手 研 究 者 に も活 躍 の場 が与 え られ る こ とに な るの だ とい う期 待 が 大 き く胸 を ふ く らませ て くれ るの を 感 じて いた か らで す 。 今,日 本 鼻 副 鼻 腔 学 会 々誌 の 古 い合 本 を ひ も とい て, 第4回 の記 録 にあ らた め て 眼 を通 して み ます と,前 述 の よ うに,確 か に疾 患 構 造 が 変化 し,演 題 の テ ーマ 別分 布 に もか な りな 変 貌 を 遂 げ て 来 て い るこ とが 如 実 に 実感 さ れ ま す が,な お 一 層 眼 を こ ら して み ます と,当 時 の一 題 一 題 に,今 日大 きな 研 究 課題 と な って い る もの の 萌芽 が 明 らか に読 み とれ る こ と もま た興 味 あ る こ と と言 え ま し よ う。 た とえ ば,先 程 もふ れ た鼻 ア レル ギ ーに 関 す る先 駆的 な仕 事 や,フ ァ イバ ー ス コ ピーの 応 用,Wegener's granulomatosis,副 鼻 腔 の臨 床 細 菌 学,真 菌症,副 鼻 腔 炎 粘 膜 の 生 化学,鼻 副鼻 腔 気 流 動 態,嗅 覚 検査 法 な ど, 目 につ い た もの を手 あ た り次第 書 き抜 い て み ま したが, これ らは い ず れ も,今 日な お鼻 科 学 の 重 要 な研 究 課 題 と して 引続 き さか ん に と り上 げ られ て い る もの ば か りで あ り ます 。 これ らの うちの あ る もの は 今 日,大 き く進 歩, 改 善 した もの もあ ります が,な お 手 ごわ く抵 抗 を つ づ け て い る もの も多 く,わ れ わ れ 研 究 者 の一 層 の努 力 を要 求 して い るよ うに も思 われ るの で す 。 ま た,こ の 学 会 で 印 象 に残 りま した の は、 現 在 も慢性 副鼻 腔 炎の 保 存 的 薬 物 療 法 に 最 もよ く用 い られ て い る蛋 白 分解 酵 素 の 臨 床 応 用 や そ の 基礎 的検 討 に関 す る演 題9 題 が,2群 にわ た って 発 表 され,さ らに名 市 大 生 化 学 村地 孝 助 教 授(現 京 大 中 検 教 授)の"抗 炎 症 剤 と して 使 用 され る蛋 白分 解 酵 素 の 活性 測定 法 と その 結 果 の 解釈" と題 した 特 別 講 演 が 行 な わ れ た こ と で した 。 これ に 関連 した 演 題 は 第3回 の長 崎 の 学 会 あ た りか ら登場 し,大 き な 論 議 を 呼 ん で い ま したが,そ の 薬理 作 用 は と も か く, 実 際 の 臨 床効 果 が次 第 に認 め られ て そ の後 慢 性 副 鼻 腔 炎 の 薬 物療 法 に定 着 して ゆ く こ とに な った の で したe第4 回 学 会 に お け る村 地 孝 氏 の 講 演 は 蛋 白分 解 酵 素 が 腸 管 よ り吸 収 され 得 る可 能 性 を 示 唆 す るも ので したが,そ れ 以 後 もな お,内 服 され た酵 素 剤 が どの よ うな か た ち で 局所 に作 用 す るの か は不 分 明 な ま ま今 日に至 って い るわ け で あ りま す 。 た だ し,近 年,薬 効 評 価 に二 重 盲 検 比 較試 験 が と り入 れ られ,リ ゾ チ ーム,プ ロ ナ ーゼ な どの副 鼻 腔 炎 に対 す る臨床 効 果 が あ らた めて 検 討 され て 来 ま した が, それ らの試 験 結 果 は,プ ラセ ボ に比 し,酵 素 剤投 与 群 に 高 い 改善 率 が得 られ る こ とを示 して お りま す 。従 って, 17年 後 の現 在 も な お,こ の基 礎 と臨 床 との距 離 はつ め ら れ て い な い と い うこ とに な るわ け で す 。 これ もわ れ わ れ の 日常臨 床 の う ちに もま だま だ 未解 決 の問 題 が 如 何 に 多 い か を示 唆 す る一 例 に ち がい あ りませ ん 。 昭和40年 は秋 に,東 京 で 世 界耳 鼻 咽 喉 科 会 議 が開 かれ 日本 の耳 鼻 咽 喉 科学 の ポ テ ン シヤ ルの 高 さが 世 界 に も示 され た記 念 す べ き年 で もあ りま したが,そ れ に 参加 した ア メ リカ鼻 科 学 会 のCottle教 授 らの 要 請 に よ り,京 都 で,国 際 鼻 科学 会 と銘 打 ったmeetingが 開催 され ま し た 。丁 度 そ の年 に本 学 会 の 年 次会 長 で あ った 高須 照 男 先 生 が その 世 話 役 を 引 き受 け られ,わ れ わ れ 教 室 員 も,京 都 国 際 ホ テ ル に 泊 り込 ん で そ の お世 話 を した こ とも今 は なつ か し く思 い 出 され ます 。 な お,本 学 会 名 が第3回 に おい て は 「鼻 副鼻 腔 学 会 」 の み で 「日本 」 がつ い て い なか った わ け で す が,こ の 国 際 鼻 科学 会 が開 催 され るの を機 に 「日本 」 を つ けた 方 が よい とい う意 見 が 出て この第4回 か らは 「日本 鼻 副 鼻 腔 学 会 」と学会 名 が少 し変 った わけで す 。 この よ うな経 緯 を ご存 知 の方 も今 で は少 な い ので はな い の で し ょ うか 。 この度,第21回 総 会 を お 引受 け して そ の準 備 を 進 め つ つ,あ らた めて 故 高 須 照 男教 授 を 偲 ぶ こ とが しば しば で した 。 その 御 冥 福 を お 祈 りす る と と もに,師 恩 に報 い る べ く立 派 な学 会 運 営 を と切 に念 願 して い る次第 で あ り ま す 。
第5回
会 長 浜 谷 松 夫 担 当 札 幌 医 科 大学 耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 会 期1966年(昭 和41年)9月22日 ∼23日 会 場 札 幌 市民 会 館(札 幌 市) 福 田 栄 三 札 幌 市 ・開業 (昭 和41年 度 幹事) 第5回 日本 鼻 副 鼻 腔 学 会 は昭 和41年9月22,23日 の 両 日,第18回 日本 気 食 学 会 に先 立 っ て札 幌 医 大浜 谷松 夫 教 授 会 長 の 下 に札 幌 市 市 民 会館 に於 て 開 催 され た 。 一 般 講 演 は66題,特 別 講演1題,会 長 指 名 講演1題 の プ ロ グ ラム で あ る。 第1日 目 は会 長 挨 拶 に つ づ いて 第1 群 は 術 前 術 后 の 血 清 γグ ロブ リ ン価 の 変 動,鼻 粘 膜 の 線 溶 能,大 脳 皮 質 自津 神 経 中枢 刺 激 の 影 響,鼻 腔 通 気 度, 鼻 内 気 流,自 然 日 の 大 き さの 意 義,鼻 副 鼻 腔粘 膜 の 酸 素 呼 吸 等 の 生理 学 的 問 題 。第2群 で は 鯖骨 洞,鼻 涙 管,上 顎 洞 自然 口 等 解 剖学 的 問題 が 報 告 され,第3群 で は前 頭 洞 炎 の 手 術 適応,術 后 治 癒 機 転 眼 球突 出 と副 鼻 腔 炎, 小 児 副 鼻 腔 炎 の 疫学,Ozenaと 地 質 等発 症 関係 。第5群 は 副 鼻 腔 炎 に対 す る リ ンコ シ ン局所 使 用,酵 素 療 法 の 適 応,ア レル ギ ー性 鼻 炎 に対 す る減 感 作療 法 、 ヒス タ グ ロ ビ ン療 法等 治 療 に 関す る演 題 。 第6,7,8群 に は 副 鼻 腔 粘膜 の組 織 化学 特 に酸 性 ム コ多糖 類,及 び各 種 酵 素 剤 療 法 等 酵 素 関係 が発 表 され た 。 第2目 に入 り第9群 で は 慢性 副鼻 腔 炎 成 立 と細 菌 抗 体, ウ イ ル ス感 染 の 関 係,及 び上 気 道 粘 膜 上 皮 の 動 態,下 甲 介血 管 層,鼻 粘 膜 の 線 毛運 動 及 び腺 構 造,線 毛 上 皮 の 役 割 等 の 電 顕 的 研 究 。 第10群 で は副 鼻 腔 炎 手 術 につ いて そ の術 式,カ ク テ リン麻 酔,出 血 等 手 術 関 連 事 項 。第11群 で は鼻 ア レルギ ーの 免 疫 化学 的研 究,副 腎皮 質 機 能,ヒ ス タ ミ ンの 検 討,更 に 鼻 ア レル ギ ー の病 名 の 問題 等 ア レ ル ギ ー関 係 が 発 表 討 議 され た 。 以 上 一 般 演 題66題 が 発 表 され た が,各 群 に20分 前 后 の 追加 討 論の 時 間 を と り充 分 に 討 論 す る こ とが 出 来 た の は 誠 に有 意義 で あ っ た 。 第2日 目午 后 よ り学 会 総 会 あ り,次 い で 特 別 講 演(大 藤敏 三教 授 司会)「 組 織 化 学 的 立 場 よ りみ た慢 性 副鼻 腔 炎病 態 に関 す る2,3の 考 察 」 が 名 古 屋 市 立 大学 高 須 照 男 教授 に よ り発 表された。次 に 会 長 指 名 講演 「副鼻 腔 炎手 術 に よ る高 度 視力 障害 につ い て 」 が 佐 藤 重 一 教 授 の 司 会 で慈 大高 橋 良 教 授 に よ って な され,こ れ に 特 別 発 言 者 と して長 崎大 後藤 敏 郎 教 授,京 都 大 森 本 正 紀 教 授 が そ れ ぞ れ の 立 場 よ り発 言 が あ り全 会 員 に 大 き な 感 銘 を 与 え た 。第 6 回
印 象 と回 想
会 長 白岩 俊 雄 担 当 東 京 医 科 大 学 耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 会 期1967年(昭 和42年)10月21日 ∼22日 会 場 安 田生 命 本 社 ビル(東 京 都)白
岩
俊
雄
東京医科大学名誉教授
第6回 日本 鼻 副 鼻 腔 学 会 の 学 術 講 演会 と総 会 は,昭 和 42年10月21日(土)と22日(日)の2日 に 亘 り,東 京 都 新 宿 の 安 田生 命 本 社 ビルの ホ ール で 開催 され た 。提 出 さ れ た 演 題 は74題,そ の 他 に シ ンポ ジウ ム と して 「慢 性 副 鼻 腔 炎 の 治 癒 の 判 定 基 準 」 が11名 の教 授,病 院 医 長,実 地 医 家 等 の 経験 者 に よ って 討 論 され た 。特 別 講 演 と して は 「鼻 副鼻 腔 の 「レ」 線 像 と その 臨 床 」 とい う主 題 に対 して,各 種 の 生 理 的 映 像 の 所 見 及 び炎症 や 腫 瘍 の 場 合 の 「レ 」 線 像 所 見 が 検 討 され た 。 そ の 上 学 術 映 画 が3本 大 学 教 授 方 よ り提 出 され,映 写 され た 。 会 場 の ホ ール は 広 さ も 音 響 効 果 も 申 し分 な く,そ の 上 座 席 は 立 派 な リク ライ ニ ング ・シー トで快 的 な 仮 眠 には 申 し分 な い もの で あ った 。唯 一 つ 困 った の は,会 場 の 係 員 は 全部 会 社 の 社 員 で あ り,時 間 は 厳 守 され て,終 了 時 間 の 延長 は全 く許 され ず,演 壇 の 垂 れ幕 は プ ログ ラム の 時 間 通 りに お ろ され,「 マ イ ク」 の 電 気 も切 られ て し ま うの に は,平 素 講 演会 の終 了時 間 が ダ ラダ ラ延 長 され る事 に慣 れ て い た演 者 に も座 長 に も少 な か らず戸 惑 いを 与 え て い た.会 長 と して は一 面 申 し訳 な い思 い を したが, 他面 良 い 「時 間厳 守 」 の 習慣 付 けの 切 掛 とな った か も知 れ ぬ と,自 ら慰 め る気 分 もあ っ た。 学 術 討 論 の 「ハ イ ライ ト」 はや は り我 々が 日常対 決 し て い て,而 も決断 に 困難 す る慢 性 副 鼻 腔 炎 の 治癒 の 判 定 に あ った と思 う。副 鼻 腔 炎 の治 癒 には 個 人 的特 異 性 が 大 きい もの で は あ る が,そ の上 保 存 的 療 法 に よ る治 癒 と手 術 療 法 に よ る治癒 と は歴 然 と 区別 され る。一 般 に治 癒 と は 「正 常 」 に な る事 と して,保 存 療 法 で 正 常 に もど った 場 合 は よ い と して も,手 術 療 法 で 治 った 場合 に は正 常 な 手 術 前 の 状 態 に は な り得 まい 。 こ こに,「 臨 床 的 治癒 」 とか 「病 理組 織学 的 治 癒 」 とか 「自覚 的治 癒 」 とか 「他 覚 所 見 的 治癒 」 と か,色 々な 表 現 が 出 て くる。 私 が 東 京 医 大 に い た時,恩 師 の 故 緒 方知 三 郎 学 長 が よ く私 の 部屋 に こ られ て,「 人の 副 鼻 腔 は 何 の た め に存 在 す るの か」 と質 問 され,色 々 と議 論 に 花 が咲 い た。 その 結 果 私 も最 終 的 に は先 生 の 御 考 え の よ うに,「 副 鼻 腔 粘 膜 も生 体 で は組 織 呼 吸 に関 与 して い るの で は な いか 」 と 言 う考 え に傾 い た 。 そ して この 点 に 就 て 当時 の 医 局 員 た ち に検 討 して も ら った所,成 績 はや は り肯 定 的 に出 た. その 研 究 の 第 一 報 は この総 会 で(33)番 目の 演 題 として, 教 室 の 今 給 黎君 に 報 告 して も らっ た。 この 様 な事 か ら,私 は 「副 鼻 腔 炎 の 根 本 手 術 」 と称 し て 洞 粘 膜 の病 変 部 位 の み な らず,洞 粘 膜 全 体 を 全 摘 出 す る手 術 療法 は,疾 病 の為 の 適 切 な 療 法 とは 考 え られ な い し,粘 膜 全 摘 出後 粘 膜 の 生 理 機 能 が 復 元 され 得 ると は思 え な い 。 そ れ は単 な る対 症 手 術 で,臨 床 的 の 自他覚 所 見 を 消 去 す る手 段 に過 ぎず,知 覚 の 比 較 的 鋭 敏 な 患者 た ち は,一 生 涯 粘 膜 と その 機 能 を 喪 失 した 上,術 後 の瘢 痕 や 切開 痕 に よ る異 常 感 覚 に 悩 ま され続 け ねば な らな くな る。 それ 等 の 点 に関 して 東 北 大 学 の 片 桐 教授 等 は演 題(20) に於 て,「 特 に 手 術 後 の 愁 訴 に は 医 師 も患 者 も 日常 悩 ま され て い る」 と述 べ られ て い る 。 その 結 果 可能 な限 りの 保 存 的 療 法 を 追 求 され,洞 粘膜 の機 能 の 恢 復 を 試 み られ て い る。横 浜 の 故 柏 戸教 授 も相 似 た試 み を 演 題(22)で 発 表 され て い る。 私 の 親友 の優 秀 な耳 鼻 科 医(故 人)も 以 前 に この 根本 手 術 を施 行 され,死 ぬ 迄 その 手 術 に 困 る 後胎 症 に悩 ま され 続 け,自 ら筆 を と って 「副 鼻 腔 炎 の 根 本手 術 」 は根 本 手 術 で な い ばか りか,生 涯 不 快 な 後 飴症 を 残 す 対症 療 法 に過 ぎ な い と訴 え 続 け て い た 。我 々も臨 床 的 他 覚 的 治癒 を 患者 に強 い て,生 涯 の 自覚 的術 後 性 後 胎 症 を 起 こ さぬ よ う 自重す べ きで あ ろ う。 自,他 覚 的 所 見 にの み と らわ れ て 「本 来 の 治 癒 」 の半 面 を見 て以 て 足 れ り とす る事 は,本 来 の 「治 癒 の 判 定基 準 」 を充 足 す る もの で は な い事 を 銘記 すべ きで あ る。 粘 膜 を 保 存 した 保存 療 法 の 限 界 の拡 大,病 変 粘 膜 の み の 可 及 的 小 部 分 の切 除 と,そ の 後 の 切 除粘 膜 の 再 生 に よ る機 能 の 保 存 こそ が,私 が 提 起 した 「治 癒 の 判 定 」 とな り,そ の 規 準 の 決定 こ そが 命 題 な の で あ る 。 その 為 に は 個 人 的 特 異 性,即 ち体 質 も,治 癒 の た め の時 間 的 要 素 も 含 まれ るの で,今 後 の研 究 の 発 展 に 期待 す る外 はな い 。 この 複 雑 な 副 鼻 腔 の状 態 乃 至 は そ の病 態 を間 接 的 に 察 知 す る為 の 最 も手 近 で,比 較 的 確 実 で,患 者 に負 担 を 与 え な い,最 も便 利 な方 法 は 「レ線 写 真 の撮 影 」 乃 至 は 「 透 視 」 で あ ろ う,従 って その 撮 影 法 は,骨 組 織 の 最 も重 畳 す る頭,顔 部 の 複雑 な構 造 に妨 げ られ る為,多 くの 研 究 者 の 格 段 の工 夫 に よ って 日進 月歩 の 進 歩 が 進行 中 で あ る。私 は この 鼻 副鼻 腔 の 色 々な撮 影 法 に よ る 「レ」 線 像 に就 て,特 に そ の道 に造 詣 の 深 い専 門 家 に 依 頼 して 「特 別 講 演 」 を 御 願 い し,「 レ」 線写 真 の各 種 の 撮影 法,そ の 臨 床 像 の 解 説 を して い た ゞき,会 員の 方 々の 実地 臨 床 に御 役 に 立 つ よ うに と考 えた 。 先 ず松 川教 授(福 島 医 大)に は 当 時 未 だ 耳 新 し い, 「頭 部の ル ー レ ッ ト ・ トモ グ ラ フ ィ」 に就 て 実 像 と「レ」 線写 真 に就 て 解 説 して い た ゞい た 。上 咽頭,眼 窩 の 断 層 写 真 に就 て は木 田助 教 授(福 島 医 大)の 総 論 を うか ゞっ た 。 又 鼻副 鼻 腔 の 炎症 に就 て は 土 田 助教 授(北 大)に, 腫瘍 に就 て は佐 藤(三)助 教 授(福 島 医 大)に,夫 々断 層 「レ」 線 写 真 の 多 数 に つ いて,そ の 臨 床所 見 と合 せ て 御解 説 を い た ゞき,多 大 の所 見 を 知 る事 が 出来 た 。 そ し て最 後 に 「レ」 線 像 に 就 て は特 に 造 詣 の 深 い片 桐 教 授( 東 北 大)に 総 括 的 の 御 発 言 を御 願 い して,会 員一 同 多 大 の 稗 益 を得 た と信 じて い る。 当 時 と して は盛 大 だ った この 学 会 も,最 近 で は著 明 な 会 員 数 の増 加 と,研 究 発 表 数の 増 加 で 昔 日を偲 ぶ故 も な い 。 而 も鼻 科 学 の 国 際 化 と共 に,昔Chica goのDr. Cottle一 派 の 国 際 鼻 科 学 会 のみ で あ った鼻 科 学 会 も, オ ラ ンダ のProf.Van Dishoeck(Leiden大 学)が ライ デ ン大 学 で 第2回 欧 洲鼻 科 学 会 の 会 長(1966)と し て,米 国 のDr.M.H.Cottleと 東 洋 か ら私 が 一 人 出席 した 。 最 も思 い 出 の深 か っ たの は,そ こで 同大 学 の ア レル ギ ー教 室 のR . Voorhorst. M.D.がhouse-dust内 の
miteが ア レ ル ギ ー の 原 凶 で は な い か と 世 界 で 初 め て 発 表 し た 事 で,私 も 顕 微 鏡 下 で 「家 ダ ニ 」 を 見 せ ら れ て 驚 い た 事 を 思 い 出 す 。 こ のDr.CottleのG.S.で あ っ た GeorgeDrumheller等 が 中 心 と な っ て 今 日 で は 「国 際鼻 科 学 会 」 が 成 立 し,日 本 の鼻 科 学 会 もこ れ に 加入 し た と は,鼻 科 学 会 も 変 っ た も の と,今 昔 の感 に 耐 え な い 。
第 7 回
会 長 柏 戸 貞 一 担 当 横 浜 市 立 大 学 医学 部耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 会 期1968年(昭 和43年)9月14日 ∼15日 会場 神 秦川 県 薬 業 会 館(横 浜 市)沢
木
修
二
横浜市 立大学教授
(昭和43年度幹事)
鼻 副鼻 腔 学 会 が20回 を迎 え るに 当 り,そ れ を 記 念 して 今 ま で の学 会 の想 い 出 を纒 めて 出 版 した い との こ とで, 私 共 の 担 当 した第7回 の 印象 記 を 書 くよ うに との 馬 場 会 長 の 御 要望 で あ る 。本 来 な ら会 長 を 務 め られ た柏 戸 教 授 が 執 筆 され る筈 で あ る が,先 生 が 既 に 他界 され て お られ るの で,当 時 助教 授 を して この 学 会 の 運営 を お手 伝 い し た 私 が 代 って纒 め るこ と に な った 。 学 会 は 昭 和43年9月14,15日,国 電 根 岸駅 の近 くにあ る神 奈 川 県 薬業 会 館 で開 か れ た 。 この 講 堂 は定 員500名 ぐらい の 小 さい もの で,二 階 に100名 足 らず の 部屋 が も う一 つ あ って,こ れ が第 二 会 場 に 当て られ た 。今 に して 思 え ば,こ れ で よ く収 ま った もの だ と感 心 す るが,会 員 数 も少 な か った こ とと て,結 構 間 に合 った の で あ る 。 一 般 演 題 は62題,14群 に 分 け られ て 発 表 され た 。 その う ち副 鼻 腔 と題 す る群 が5,他 に前 頭 洞 の 群 が一 つ あ り, 当 時 はま だ 酵 素 製 剤 に よ る保 存 的 治 療 に 論 議 が 集 中 して い た か の 感 が あ る。 他方 前 頭洞 は充 填 術 や 骨 弁形 成手 術 が 論 ぜ られ,全 く隔 世 の 感 が あ る。 ア レル ギ ーは2群,10題 で,セ ロ トニ ンや ヒ ス タ ミン の 定 量 が 話 題 に な って お り,今 盛 ん に取 り上 げ られ て い る免 疫 グ ロ ブ リンは ど こに も見 当 らな い 。 他 は 手 術,症 例 報 告,臨 床 観 察,基 礎 問 題 の群 で,今 な ら これ らは 更 に 幾 つ か に 細 分 類 され る と ころ で あ るが,当 時 と して は こ う した 群 の 編 成 が 精 一 杯 で あ った よ うで あ る。 た とえ ば 手 術 の 群 を み る と,萎 縮 性鼻 炎 の手 術,視 神 経 管 の 開 放,外 鼻 変形 に 対 す る形 成 手術 な ど,ま こ と に雑 多 で あ る。 基 礎 問 題 に して も,嗅 覚 の ことが あ るか と思 え ば, 鼻 粘 膜 の 測 色 法 が あ った りで,甚 だ纒 りが 悪 い 。何 しろ 嗅 覚 の 総 合 研 究 班 が 組 織 され る以 前 の こ とで あ るか ら, この 種 の 演 題 が 少 な か った の も止 む を 得 な か った こ と と 思 う。 映 画 が2題 あ って,一 般 演 題 の な か に組 み込 まれ てい る。 鼻 内気 流 の 問 題 と外 鼻 欠 損 に 対 す る形 成 手 術 とで あ る。 特 別 企 画 に 筆 を進 め よ う.ま ず 会 長 指 名 講 演 と して, 前 回会 長 で あ った 白 岩 教 授(東 医大)の 「慢 性 副鼻 腔 炎 治 療 判 定 規 準 の 総 括 」 が 報告 され た.こ れ は 前 回 の学 会 で 同 じ題 名 の シ ンポ ジ ウム が もたれ,多 くの 先生 方 に よ って 討 議 され た もの で あ る。 そ の と き2時 間 に も亘 る熱 演 に も拘 らず,一 定 の 結 論 が 得 られ な い ま ゝ時 間切 れ に な った の で,改 め て 今 回 総 括 的 に 報 告 して い た ゞい た の で あ る。 そ の 要 旨は,患 者 の 自覚 症 状 の 軽 快 と,X線 写 真 その 他 に よ る客 観 的 所見 の好 転 とを併 せ て 判 断 すべ きで あ る,と い った よ うな こ とで あ った と記 憶 してい る。 特 別 講 演 は 「慢 性 副 鼻 腔 炎 粘 膜病 変 の電 子 顕 微 鏡 的解 釈 」 と題 して 石 川 教 授(慈 医 大 病理)の 報 告 が あ った 。 多 数 の ス ライ ドを 駆 使 して 臨 床 医 に も解 り易 く解 説 して 下 さ り,会 員 に多 大 な 感 銘 を与 え た 。 ま だ 透 過 型 電 顕 の 万 能 な時 代 で,御 存 知 の 通 りそ の 後 走 査 型 電 顕 が 加 わ り, た とえ ば 線 毛 の 破 壊 とそ の修 復 像 な どを 併 せ 考 え た,病 態 の 新 しい 解 釈 が 成 り立 って い る 。 シ ンポ ジ ゥ ム は二 つ あ り,一 つ は 「交 通 外 傷 と鼻 副 鼻 腔 」 で,高 橋 教 授(慈 医 大)の 司会 の も とに4人 の 先 生 が登 場 され た 。 これ も当 時 と して はuptodateな 課 題 で あ っ た。 他 は 「慢 性 副 鼻腔 炎治 療 に お け る薬 物 と手 術 の 接 点 」 で5人 が 参 画 し,柏 戸 会 長 が 自 ら司 会 され た。 これ は 白岩 教 授 の 総 括 報 告 と も関 連 す る もの で,副 鼻 腔 炎 の保 存 的 治 療 は ど こ まで 期 待 で き るか,手 術 に 踏切 るの は ど の時 点 か と い う,臨 床 医 に と って 切 実 な 疑 問 で あ る。発 言 す る先生 の個 性 が 反 映 した 主 観 的 判 断 が 優先 し,科 学 的 か つ 客 観 的 な線 は 引 き 出せ な か った よ うに思 うe尤 も この 課 題 を10数 年 後 の今 再 び取 り上 げ て も,同 じよ うな 傾 向 に 落 着 くの で は な い か と思 われ る 。 こ とほ ど古 く して 新 しい 問 題 で あ る。 当時 は東 大 医 学 部 で あ げ られ た 大学 紛 争 の狼 煙 が 全 国 に展 が りは じめ て お り,懇 親 会 な ど学会 に あ るま じき こ とだ と い う雰 囲 気 が 漂 って い た 。 しか し柏 戸 先生 の計 い で,そ ん な こ と に はお 構 い な く,評 議 員 会 は 当地 自慢 の ホテ ル ・ニ ュー グ ラ ン ドで 昼 食 会 の 形 式 で 開 か れ,夜 は 関 内 の料 亭 に宴 席 が設 け られ た。 それ は 恰 も産学 協 同の 非 難 の 声 な ど,ど こ吹 く風 か と い っ た ム ー ドで あ った 。 尤 も それ か ら3年 後 に 同 じ横 浜 で 開 かれ た 音 声 言 語医 学 会 で は,そ う した運 営 振 りは払 拭 され,饗 宴 は一 切 も た れ な か ったの を 思 う と,あ の 頃の 世 相 の 流 れ が あ りあ り と伺 わ れ る 。 そ れが 今 また 何 とな く逆 コー スを 辿 って い るよ うで,学 会 の開 催 は これ で 良 い のか と疑 問 に 思 わ れ る。 戦 中 派 な らぬ 大学 紛 争 経 験 派 の つ ぶ や きであ ろ うか。 会 員 懇 親 会 は 中華 街 で一 番 大 きい 陽華 棲 餐庁 で 開 か れ た 。十 人 つ つ の テ ー ブル が30以 上 も並 ん だ ろ うか 。学 会 参加 者 の 割 り に 出席 者 が 多 か った との 印 象 を うけて い る。 特 別 な ア トラク シ ョ ンが あ ったわ けで もな い 。 日中国 交 回復 以前 の こ と とて,本 場 の 中華 料 理 を 横 浜 で と い う, 先 生 方 の御 希 望 が あ って の こと か と想 像 して い る。 以 上 憶 い 出 す ま ゝに学 会 の 印 象 を纒 めて み ま した 。学 会 当 日受付 け や ら何 や らとお 手伝 い して い たた め,講 演 は垣 間 見 た 程 度 で 印 象 が薄 く,間 違 い も少 くない こ と と 思 い ます 。 お 気 付 きの方 が お られ ま した ら,御 指 摘 願 い ま す 。
第 8 回
会 長 豊 田 文 一 担 当 金 沢 大学 医学 部 耳 鼻 咽 喉 科学 教室 会 期1969年(昭 和44年)11月8日 ∼9日 会 場 金 沢 大 学 医学 部 十 全 講 堂(金 沢 市)豊
田
文
一
金沢大学名誉教授
この 度第21M鼻 副 鼻 腔 学 会 が 名 古 屋 市立 大学 医 学 部 耳 鼻 咽 喉 科学 教 室 馬 場 駿 吉 教 授 の 担 当 で 開催 され る に 当り, その発 展 の推 移 を 顧 りみ て今 昔 の 感 に 耐 え な い 。学 会 設 立 当 時,私 も 関与 して い た もの の,日 耳 鼻 学 会 理 事 会 で は,学 会 設 立 に対 して批 判 のあ った こ との ご承 知 の方 も あ るだ ろ う。 その 経 緯 は気 食 学 会 創 立 の 時 に さか の ぼ る と,そ の 頃 の 日耳 鼻 執 行 部 で は強 い 反 対 の 声 が あ が り, 気 管食 道 は耳 鼻 咽 喉 科 学 の 範 囲 で あ り,敢 て そ の臓 器 別 だ け で一 分 科 と して 独 立 す る必 要 が な い とい う意見 で あ る。 しか し独 立 に踏 み切 っ た気 食 学 会 は,近 接 関連 領 域 を 含 め て発 展 して い るの は周 知 の こと で あ る。 こ の よ う な雰 囲気 が残 存 し,同 様 の 考 え 方 で 批 判 の声 が あが った。 気 管 食道 と ちが い 会 員の ほ とん ど総 て は,日 耳 鼻 会 員 で あ り,研 究 成 果 は,日 耳 鼻 学 会 で 発 表 す れ ば よ い で は な い か,ま た その 当 時 あ っ た研 究 会 の 場 に お い て行 い,そ の 存続 で差 し支 え な いで あ ろ う とい う こ とで あ る。 日耳 鼻学 会 と して耳 鼻 咽 喉科 の各 臓 器 別 に 学 会 が,相 次 いで 設 立 され る よ うに な る と,日 耳 鼻 学 会 そ の もの が形 骸 化 す る と い う危 惧 の 念 を 洩 ら した 人 々 も少 くな か った こ と は事 実 で あ る。 しか し鼻 副 鼻腔 に関 して,大 き な業 蹟 を 残 して お られ た 後 藤 敏 郎,北 村 武,高 橋 良,高 須照 男教 授 ら,さ らに荻 野 朝 一,古 城 九 州男 博 士 ら,鼻 副鼻 腔 研 究 会 の指 導 的 立 場 の 人 々に よ って批 判 を 押 し切 って学 会 創立 に踏 み切 られ た わ け で あ る。 以 来20年 の 歳 月 の 流 れ,年 と とも に研 究 成 果 が 充 実 し, 当 時危 惧 された 日耳 鼻 学 会 と も密 に関 連 が 保 た れ,耳 鼻 咽 喉 科学 の み な らず,医 学 の 進 歩 に大 き な足 跡 を 残 して い る。 さて,私 は第8回 日本 鼻 副 鼻 腔 学会 を金 沢 に おい て 担 当 した の も,研 究 会 発 足 以 来,諸 先輩 の驥 尾 に 附 して, そ の発 展 に努 力 して い た関 係 もあ り,昭 和44年11月8, 9日 金 沢 大学 医 学 部十 全 講堂 を 会 場 と して 開催 した の で あ る。 頃 は 秋 た け な わ,百 万 石 城 下 街 の 風光 に も接 して も らい た か った か らで もあ る 。発 表 され た 演 題 は48題 近 年 の 演題 数 に比 して 極 め て 少 い もの で あ った が,活 溌 な 討 議 が行 われ た 。特 別 講 演 は,千 葉 大 学 北 村 武 教 授 の 「慢 性 副鼻 腔 炎 の問 題 点 」 金 沢 大 学 梅 田良 三 助 教 授 の 「災 害性 嗅覚 障 害 につ いて 」 と シ ン ポ ジ ウム は 「副 鼻 腔 の生 理 学 的意 義 に つい て 」 は 千 葉 大 戸 川 清,日 大 佐 々木好 久,京 都 府 大 佐 藤 良 暢 博 士 ら, 「蝶 形 洞 手 術 に つ い て 」 は横 浜市 大 柏 戸 貞 一 教 授,東 京 黒 須 病 院 黒 須 正 夫,慈 恵 医 大 足 川 力雄,堤 昌 己,岡 山 市 松 村 久,高 松 市 藤 沢 康 武,高 知 市 古城 九 州 男,長 野 市 荻 野 朝 一 博 士 らに 依 頼 し,そ れ ぞ れ の研 究 成 果 を 講 演 され 参 会 され た 各 位 に多 大 の 感 銘 を与 え た 。 さて 第8回 総 会 に お い て 発 表 され た演 題 は前 述 した よ うに48題 で,そ の 内 容 は 基礎 的研 究 と実 地 臨床 の 問 題 が, 相 半 ば して い た が,昨 年 の 第20回 総 会 に お いて は156題 の報 告 が あ り,耳 鼻 咽 喉 科 医 の 関心 と期 待 が本 学 会 に 向 け られ,発 展 を 続 け る証左 と もい え よ う。 しか も演 題 の 70%は,実 地 臨 床 に関 係 す る もの で,日 常診 療 に直 ちに 稗 益 す る もの と思 われ る。 この 動 向 は 多 くの 会 員 の 熱 望 して い た もの で,諸 先 輩 が この 学 会 設 立 に情 熱 を傾 む け た本 意 が 実現 した もの と信 じて い る。 私 は 医 学 部 を 去 って10年 余,研 究 の 場 も間 遠 に感 じて い るが,時 に学 会 に 出席 し,ま た 学 会 誌 を 通 じて 常 に学 会 の 動 向 を 察知 して い る積 りで い る 、 しか し医 学 の進 展 に伴 な い 耳 鼻 咽 喉科 学 も多 岐 にわ た り,微 に 入 り細 に わ た る昨 今 の研 究 に は,自 分 自身理 解 し兼 ね る所 も少 くな い。 も ちろ ん 医 学 の 進 歩発 展 のた め喜 ば しい こ とで あ る が,医 学 本 来 の 目的 で あ る 「生 命 の尊 厳 」 に 集 約 され れ ば幸 で あ る。 わ が 国 に お け る耳 鼻 咽 喉 科 学 の80年 の 歴 史 を 偲 び つ ゝ も,本 学 会 の 設 立 当 時 の こ とを 思 い,私 の 担 当 した 第8 回総 会 を 顧 み て,感 慨 新 な もの が あ る。 拙 文 を 草 して恐 縮 で あ るが,会 員 各 位 の ご努 力 に よ り,本 学 会 の 益 々発 展 す る こ とを 心 か ら祈 る もの で あ る。
第 9 回
会 長 高 橋 良 担 当 東 京 慈 恵 会 医 科 大 学 耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 会 期1970年(昭 和45年)11月14日 ∼15日 会 場 東 京 慈 恵 会 医 科 大 学 講 堂(東 京 都)高
橋
良
東京慈恵会 医科大学名誉教授
私 は第9回 の 日本 鼻 副 鼻 腔 学 会 総会 を担 当 させ て い た だ き ま したが,本 学 会 の 発 会 当 初 よ り世 話 人,運 営 委 員 な どの 運 営 面 に たず さ わ って きた 中 の1人 で ご ざ い ます し,本 学 会 の 事 務 局 が 自身 責 任 者 で あ りま した東 京 慈 恵 会 医科 大 学,耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 に あ りま した関 係 で,私 的 な立 場 か らな るべ く離 れ て 本 学 会 の経 緯 を簡 単 にふ り か え って み たい と思 い ます 。 な お,本 学 会 の 歴 史 につ い て は 日本 耳 鼻 咽 喉 科 学 会90 年 史 に本 学 会 よ りの 報 告 が 掲 載 され るこ と に な っ て お り ます が,こ の 機 会 に も少 し触 れ て お い た方 が よ い と思 い ます の で,そ の 大 筋 の み を 述 べ て お き た い と存 じます 。 本 学 会 は鼻 科 学 の 進 歩 と発 展 を 図 るた め,そ の基 礎 的 な ら び に臨 床 的 研 究 の 報 告 と検 討 を 目的 と す ると と もに 会 員 相 互 の 懇 親 を 計 る ため 発 会 した の が そ の端 緒 で あ り ま した 。 第1回 の 懇 話 会 は 昭 和36年4月29日 に,第62回 日本 耳 鼻 咽 喉 科 学 会 の 際 に 長 崎 大 学 に お い て 後藤 会 長 の もと に 行 わ れ ま した が,同 会 長 の ユ ニ ー クな 運 営 で 至 極行 き先 の よい ス タ ー トを 致 しま した 。 そ の 后 第1回 日本 鼻 副鼻 腔 研 究 会 が 昭 和37年 に行 わ れ,第3回 よ り 日本 鼻 副 鼻 腔 学 会 と改 称 され,現 在 に い た って お りま す.懇 話 会 時代 は 日耳 鼻 総 会,あ るい は 日耳 鼻 学 会 関東 地 方 会 等 の 機 会 を 利 用 して 行 わ れ て 参 りま した が,諸 報 告 の 内 容 が 濃 く な り,か つ 報 告 者 の 増 す に 従 い,次 第 に研 究 会 体制 へ発 展 させ る機 運 が 高 ま り,当 時 の 長 崎 大学 ・後 藤 敏 郎 教授 横 浜 市 立 大 学 。柏 戸 貞 一 教 授,東 邦大 学 ・名 越 好 古 教授 東 京 医 科 大 学 ・白 岩 俊 雄 教 授 等 の御 尽 力 を 得 て,昭 和37 年 に 長 野 市 で 第1回 の研 究 会 が 開 かれ る運 び とな りま し た 。 そ の 際 の 開 会 ま で の 準 備 に は荻 野 朝一 博 士 の 御 書 力 に 負 う と ころ が 多 か った の で あ ります が,表 向 きに は 信 州 大 学 ・鈴 木 篤 郎 教 授,東 京 医科 大 学 ・白岩 俊 雄 教 授 と 私 とで お世 話 させ て い た だ き,西 端 験 一 教 授 の特 別 講 演も行 わ れ て最 初 の研 究 会 を 無 事 終 了 し得 た の は大 変 嬉 し い 思 い 出 と して残 っ て お ります 。 この よ うに して始 め られ た本 学 会 もそ の 内 容 質 共 に 発展 の 一 途 を た ど りま して,本 年 で 満20年 を 迎 え るこ と にな りま した が,過 ぎ去 って み ま す と非 常 な 早 さで無 事 に過 ぎた とい うだ けの 感 じを 持 つ 反 面,運 営面 で は決 し て 円 滑 な こ とば か りで は な く,色 々の こ とを 何 とか乗 り き るた め に,こ れ ま で の毎 年 の学 会 毎 に,そ の学 会長 や 運 営 委 員,つ い で は 名称 も変 りま して 理 事 ・監 事 の 他, 幹 事 の 皆 様 あ るい は 会 員各 位 に多 大 な御 努 力,御 支 援御 理 解 を い た だ き,本 学 会 を 本 日まで 盛 り上 げ て い た だ き ま した こ とに 対 し衷 心 よ り厚 く御 礼 申 しあ げ ま す 。 学 会 の 盛 会 さの 一 面 を 示 す と思 われ て お りま す 報 告演 題 数 を一 寸 省 み ま して も,第1回 で は22題,第2回 は32 題,第3回 は45題 と殖 え て ゆ き,私 が担 当 させ て い た だ き ま した第9回 鼻 副 鼻 腔学 会 で は58題 で あ りま した が, 最 近 で は150題 を 超 す こ とが 珍 し くあ りませ ん 。 た だ単 に 演題 数 の み な らず,発 表 報 告 の 内 容 も年 々向上 して 参 りま して,第9回 総 会 の 昭 和45年 頃 に は,基 礎 的 な 研 究 と して電 子 顕 微 鏡 に よ る諸 研 究 が ま す ま す さか ん とな り つ ゝあ ります が,中 で も走 査 型電 子 顕微 鏡 が 鼻 科 学 領 域 の 研究 に導 入 され は じめ,そ の影 像 と成 果 のす ば ら しさ に は どな た も 目を み は った 時 期 で あ りま した 。臨 床 的 に は 当 時増 加 しつ ∼あ り ま した ア レル ギ ー性 鼻 炎 に対 す る 新 しい 治療 法 と して ビデ ィア ン神 経切 除 術 が行 わ れ は じ め,こ れ も一 つ の 契 機 と して,ア レル ギ ー性 鼻 炎 に対 す る基礎 的 な らび に臨 床 的 研 究 の 進 歩 を促 した と 申せ ま し よ う。 この よ うな 当時 の 状 況 を 思 い お こ して み ます と,様 変 り しつ 、あ る現 在 の 鼻 科 学 へ の移 行 期 で あ った よ うに 受 け と め られ,そ の 后 の 研 究 は ま す ま す広 くかつ 深 くな り ま して,形 態 学 的,生 理 学 的 ま た 免疫 学 的研 究 な どが 飛 躍 的 に発 展 を と げ る こ とに な り,現 在 み られ る よ うな 鼻 科 学 に成 長 して 参 った 訳 で あ りま す 。 本学 会 発 会 当初 よ り,そ の 運営 に あ た らせ て い ただ き, 今,20周 年 の 記 念 学 会 を 機 に,学 会 の会 則 に よ り,理 事 長 の任 を退 か せ て い た だ く時 を 迎 え,こ の20年 間 の 丁 度 中 間 頃の 学 会 が 熟 しか け た 頃 の本 学 会 を担 当す る こ とが 出 来 ま した こ と は私 に と って は大 変 意義 深 く,か つ 幸 な こと で あ った と考 え て お りま す 。 これ か らの 日本 鼻 副 鼻 腔学 会 に 期待 す る こ とは 色 々 と あ る よ うに思 い ます が,最 近 の本 学 会 に関 与 して 今 后 の 発展 につ なが る動 きの 中 で の主 な もの を2つ3つ あ げ た い と思 い ます 。 ま ず,そ の 第1は1965年,日 本 で国 際 耳 鼻 咽 喉 科学 会 が 開 催 され た 折,京 都 で 国 際鼻 科 学 会 が,名 古 屋 市立 大 学 ・高 須 照 男 会長 の も とで 第1回 学 術 講 演会 が開 催 され た際,米国 ・コ トル教 授 が 主 とな って国 際 鼻 科 学会(LR. S.)の 組 織 が 作 られ,初 代 会長 に就 任 され ま した 。 このI.R.S.に は その 后,米 国,ヨ ー ロ ッパ,メ キ シ コ,ア ル ゼ ンチ ンの各 鼻 科 学会 が,日 本 鼻 副 鼻 腔学 会( J.R.S.)は 諸種 の事 情 よ り これ ま で 加 入 して お り ませ ん で した 。 しか し近 年,I.R.S.の 今 后 の 発 展 の た め に も J.R.S.の 加 入 が必 要 と考 え られ,度 々懇 請 され て お り ま した の で,昭 和56年10月 のJ.R.S.の 理 事 会,評 議 員 会 で,そ の 加 入 が承 認 され る こと な り ま した 。 この加 入 に際 しま して は 日本 か らの 要望 も大 巾 に承 認 され ま した の で,今 后 の 日本 の本 学 会 会 員 に と りま して 活躍 の舞 台 が大 き く広 くな った 訳で あ りま す ので,大 い に 活 用 して い ただ きた い と思 い ます 。 つ ぎに は,1976年11月 に東 京 に て国 際 シ ンポ ジ ウム,鼻 副 鼻 腔 の感 染 と ア レル ギ ー (ISIAN)が 盛 大 に行 わ れ た ことで あ りま す 。 この 盛 会 さの た め 第2回 イ タ リー ・ボ ロー ニ ヤ,第3回 ス ウ ェーデ ン ・ス トッ クホ ル ムでISIANが 開 催 され ま し たの は,J.R.S.が その 背 后 に あ るため で もあ り,御 同 慶 に耐 え ませ ん 。 最 后 に本 学 会 の 名 称 の改 名 の 件 で あ ります が,こ れ に つ き ま して は 本 学 会 と して はす で に 数年 前 よ り何 回 も慎 重 に討 議 が 重 ね られ,日 本 鼻 科 学 会へ の改 称 の 方 向 に進 む こ と にな って お りま す 。 巾広 い鼻 科 学 の 研 究,発 表 の 場 と して 発 展 させ るた め に も,ま た専 門医 以 外 の 本学 会 に 関心 を もつ 方 へ の 啓 蒙理 解 の た め に も,単 的 ズバ リそ の ものが 解 り易 い 日本鼻 科 学 会 へ の 改称 を是 非 順 調 に進 め た い もの と考 え ま す 。 け だ し英 語 の 名称 は発 会 当 初 よ りJapan Rhinologic Society(J.R.S.)と な って お りま す 。 思 いつ くま ゝを 簡 単 に 本学 会 の 歴 史 を ふ りかえ りみ な が ら書 いて み ま した が,発 会 后20年,人 間 で いえ ば 成 人 式 を迎 え る時 で も あ りま す ので,こ れ か ら こそが 本 当 の 成 人 と して の 学 会 で あ るか と考 え ます 。 関係 者 の皆 様 の 今 后 一 層 の御 指 導 御 協 力 御支 援 を 願 い しつ 、筆 を お き ます 。
第 10 回
会 長 粟 田 口 省 吾 担 当 弘 前 大 学 医 学 部耳 鼻 咽 喉 科 学 教 室 会 期1971年(昭 和46年)10月9日 ∼10日 会場 弘 前 市 民 会 館(弘 前 市)粟 田 口
省 吾
弘前大学 名誉教授
公立学校共済組合東北 中央病院長
第10回 日本 鼻 副 鼻 腔 学 会 総 会 は,昭 和46年10月9日10 日の両 日 弘 前市 民 会 館 で,弘 前大 学 医 学 部 耳 鼻 咽喉 科 学 教室 主 催 の も と に開 催 され た 。今 か ら11年 前 の ことで 「10年ひ と昔 し」 と た とえ られ るよ う に,最 早 や 歴史 的 ベ ール に包 まれ た過 去 の 学 会 とな った 。 当時 は,学 会 印 象 記 を 短波 放 送 した り,雑 誌 に も書 いた こ と もあ ったが, 只 今,手 もと に残 っ た もの は,「 学 会 抄 録 」 と 学会 の 記 録 が 掲載 されて い る 「日本 鼻 副鼻 腔 学 会 々誌 」 第10巻 (1971― 昭和46年)に す ぎず,従 って,こ の 原 稿 も両 者 を 参 照 して,お ぼ ろ げ な記 憶 を た どって 書 い た もの で, 今 回 の 総会 々長,馬 場 駿 吉 教 授 の 御企 画 に充 分 に 添 い 得 ない もの と恐 縮 して い る 。 さて,学 会 の 内容 は,特 別 講 演1,シ ンポ ジ ウム2, 一 般 演 題(テ ー マ指 定 演 題 を 含 む)56 ,展 示6で,2日 間 の学 会 と して は比 較 的 ゆ っ く り した,よ き時 代 の学 会 (会 場 費500円,懇 親 会 費2,000円)で あ った 。 特 別 講演 は,「 嗅 覚 の 基 礎 と臨 床」 と題 して 高 木 貞 敬 教授(郡 馬大,第 二 生 理 … 当時)が 長 年 にわ た る研 究 の 一 端 を話 され た 。最 初 にEOG(Electro-Olfactogram) に つ い て解 説 され た 。EOGは"に お い"に よ って お こ る 嗅上 皮 の電 気 的 変 化 を 表 す こ とを示 し,嗅 細 胞 と支持 細 胞 お よ び ボ ー マ ン氏 腺 の 分 泌 液 との電 解 質NaやKな ど の電 位 の差 に よ って お こ る こ とを 簡 明 に説 明 され た 。 次 で,三 叉 神 経 と"に お い"と の密 接 な関 係,当 時 よ う や く緒 につ い たば か りの 嗅 覚 検 査,悪 臭13物 質,"に お い"の 植 物 性 機 能 な ど,斬 新 な 知識 を教 示 して 下 さった。 シ ンポ ジ ウ ムIは 「鼻 に み られ た悪 性 肉芽 腫 の 基礎 と 臨床 」 で,司 会 は 浜 谷 松 夫 教 授(当 時 札 医 大,教 授), 発 言 者 は,石 井 哲 夫(組 織 化 学),古 内一 郎(細 胞 免 疫 学 的 態 度 と イ ム ラ ンの 効 果),本 多芳 男(生 検 材 料 の 検 討),形 浦 昭 克(血 液 レベ ル か ら見 た病 態 と そのImm-unologic profile),水 越 鉄 理(鼻 にみ られ た 肉芽 腫 の臨 床 像,特 にWegener肉 芽 腫症 につ い て),佐 々木 好 久(鼻 悪 性 肉芽 腫 の 生 化 学 的,免 疫 学 的 研 究),沢 木 修 二(剖 検 所 見 よ りみ た 鼻 壊 疸症Rhinopathia gan-grenosaの 病 態),渡 部 泰 夫(Wegener肉 芽 腫 症 と そ の類 以 鼻 疾 患 に関 す る2,3の 検 討,分 類 一 病 原 微 生 物 一 生化 学 的 検 査),山 口宗 彦(所 謂進 行 性 鼻 壊 疸 の 臨床), 発 言 者,諸 氏 の 敬 称 は 省 略 させ て い た ゞい た が,ど なた も現 在,大 学 教 授 か 大 病 院 の 耳鼻 科 の長 で,発 言 内容 も 多 岐 に わた って,ま こ とに 立 派 な シ ンポ ジウ ム で あ った と思 ってい る。 な お,シ ンポ ジ ウム の最 後 に 「進 行 性 鼻 壊 疸 の症 候 を 示 した 鼻 腔 の 細 網 肉腫 の特 異 性 に つ いて 」 と題 して,石 井 善 一 郎 教 授(東 京 医歯 大 病 理),佐 藤 喜 一 ,山 下 公 一(共 同 研 究 者),の 発 言 が あ り,「 一 般 の 細網 肉腫 細 胞 に比 し抗 原 的 要 素 を 強 く も った特 異 な腫 瘍 細胞 」 と結 論 して い る。 電 顕 的研 究 が あ れ ば,さ らに よ か った と思 って い る。 シ ンポ ジ ウ ムII「 ビデ ア ン神 経手 術 の基 礎 と臨 床」 の 司会 は,高 橋 良 教 授(慈 大 ― 当時)で 、発 言 者 は 藤 田洋 右他(適 応 と それ が 鼻 粘 膜 と全 身 に与 え る影 響),久 松 建 一(鼻 ア レルギ ーへ の 影 響),岩 田 重 信(犬 に お け る ビデ ア ン神 経 手 術 後 の 鼻 腔 粘 膜 の 経 時 的 変 化 に つ い て), 兼 子順 男(ビ デ ア ン神 経 の 人 、 犬 猫 の 比 較 解 剖),増 野 肇(ビ デ ア ン神 経 手 術 とChemical mediatorsの 消 長),野 村 恭 也(手 術 方 法 な らび に 鼻 粘 膜 の 自律 神 経支 配),寺 尾 彬(ビ デ ア ン神 経 手 術 の 適 応 につ い て),戸 川 清(手 術 手 技 の 検 討 と手 術 効 果),堤 昌 己(ビ デ ア ン 神 経手 術 の基 礎 と臨 床)の 諸 先 生 で,現 在,教 授 と して また 部 長 と して活 躍 中 の方 々で あ るゆ この シ ンポ ジ ウ ム IIは ビデ ア ン神経 手 術 が 行 われ る よ う に な って か ら 日が あ ま りた 、な い うち に行 われ た もの で,ク ライ オ ・サ ー ジヤ リーが この手 術 に使 用 され て き た今 日,わ が国 に お け る本 手 術 の 適 応 や 遠 隔成 績 な ど につ い て も,あ らた あ て 検 討 し教 え て い た ズい た と思 う。 テ ー マ指 定 演 題 は,「 鼻 科領 域 外 傷 の 治療 」 と,「 鼻 副 鼻 腔 疾 患 と眼 疾 患 」 の二 つ で あ った 。 前 者 は視 神 経 管 骨 折 な ど視神 経 損 傷 に 関 す る もの,涙 嚢,流 道 損 傷 に関 す る もの な ど で,後 者 は,前 頭 洞 篩 骨 洞 な ど の術 後 性 嚢 腫 に よ る眼窩 ∼視 神 経 侵 襲 に つ い て の出題 が 多 く,耳 鼻 咽 喉 科 医 よ り も,眼 科 医 の 関 心 が よ り 強 い よ うに 思 わ れ た 。 これ らテ ー マ指 定 演 題 に 関 す る研 究 報 告 は 現 在 読 ん で も参考 に な る点 が 多 い 。 また 展 示 の6題 は,「 鼻 副 鼻 腔 疾 患 の レ線 像 とそ の疾 患 」 と云 う こ とで 総 括 され て い たが,鼻 副 鼻 腔 顔面 諸 疾 患の レ線 診 断 に つ い て は 、CT.そ の 他 の レ線 診 断 装 置 の著 る しい 発 展 を み た 今 日で は,特 別 に 申 し上 げ るよ う な 出題 は なか った 。 一 般 演 題 は,上 述 の 諸 演題 を除 け ば24題 で あ った が, 鼻 副 鼻 腔 粘 膜 の 電 顕 的 観察,組 織 化学,慢 性 副 鼻 腔 炎 の 治 療,あ るい は 鼻 副 鼻腔 の腫 瘍 な どで,鼻 ア レル ギ ーに 関す る もの も数 題 に す ぎ なか った 。 以 上 述 べ た よ うに,鼻 副鼻 腔 学 会 総 会 で は その 時 々に 応 じて 主 題 を 撰 ん で,特 別 講 演 や シ ンポ ジウ ムを 行 って き た よ うで あ るが,日 耳 鼻 総 会 と こ とな った,専 門 領 域 の特 別 な 研 究 が 撰 ば れ るので,鼻 副 鼻腔 疾 患 の 流 れ を 知 る こ とが で きて 興 味深 い 。