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城下町鶴岡の成立と変容

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(1)Title. 城下町鶴岡の成立と変容. Author(s). 横尾, 実. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 48(2): 1-8. Issue Date. 1998-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2104. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 平成10年 2月 8 Feb l r uaryl99. 北海道教育大学紀要 (第1部B) 第48巻 第2号 2 Secho I fEduca i ido Un i i t lo fHokka 1 1 工B)VO tyo o 1 1( ver s journa . .48 .No. 城下町鶴岡の成立と変容 横. 尾. 実. 北海道教育大学旭川校地理学研究室. 工. はじめに. 現代日本の多くの都市は江戸時代に成立した城下町を歴史的母体としている. 城下町と現代都市との間の 連続関係を捉えようとするとき, 東北地方の諸都市は格好の研究材料となる. そこでは城下町形態が急激に ) か らで ある. 経 破 壊 さ れる こ とな く, 遅々 と した 経 過 を辿 り な が ら変 質 して い っ た (矢 崎, 1962 , P435. 6 ) は東北地方の意義をあげている. この地方は国内で最も遅れて近代産 970 1 済史の分野でも藤田 ( , P27 業化したので, 日本近代産業生成の純粋かつ典型的な型を暗示するというのである. また, 地理学や史学の 研究上, 東北地方のように均等性を持った地方を対象として, そこに存在する多数の都市の研究から特定の ). 課題に接近する必要性が主張されてきた (たとえば避妊亘sand UI超an, 1945; 松 本, 1994. 以上のような視点から筆者は東北地方における城下町出身の諸都市を取り上げ, 都市内部地域構造の形成 9 ). 本論の目的は山形県庄内平野の南端に位置する鶴岡を例に, 971 3 を研究してきた (たとえば横尾,1 ,19 江戸時代に成立した城下町としての地域構造が明治以降第2次世界大戦までの期間中, どのように変化した かを明らかにすることである. 対象期間を戦前までに限った理由は, 戦後の都市拡大期以前の都市構造を把 握することによっ て, 現代の鶴岡を理解するための歴史的基盤を確認するためである. 調査は現地調査とあ わせ, 鶴岡市および鶴岡市立図書館が所蔵する郷土資料の整理によった.. 亘. 機能の推移. 2年) 酒井忠勝 (所領1 3 近世城下町としての鶴岡の成立は, 元和8年 ( 1 62 .8万石) 入封時に遡る. 酒井氏 は前領主最上義光が構築した居館と小集落を改修, 拡張して城下町を建設した. その建設工事は寛永元年 ), 山 形県 ( 1987 ) によ れ ば, その 後 の改 1624年) ま で に一 応 完成 し (鶴 岡 町教育 会, 1917 ( , P24 , P558. 5b, P7 61 ). 土 修は補足的なものにすぎない. 城下人口は元禄期に約2万人で最大となった (鶴岡市, 197 庶 人 口 の割 合 はお よ そ1対 1 で ある1).. 維新後, 他の城下町と同様, 鶴岡は人口減少を体験した. 鶴岡在住士卒のなかには, 周辺農村の開墾地や ). た だ, 明治初期 の鶴 岡の 行政 区 遠く北海道へ移住する者が続出した結果である (鶴岡市, 197 5a, P228 域は従来の郷方支配村をも含む (大瀬, 1 97 3 9 ) ため, 人口減少の程度は正確に知り得ない. 統計上の , P6 人 口 は1890年 に最小 と なり, 19,421人 である (鶴 岡市, 1975b, P762 ). このよう な状 況下, 鶴 岡の 経済 は. 8 当然沈滞した (鶴岡商工会議所, 1 987 5 ). 1 90年代前半においては, 郡役所など少数の官公署が新設 , P4 され,また, 幕末以来士族の内職であった絹織物業が問屋制家内工業としてわずかに普及しただけである(山 ). 形県, 1984 , P266; 鶴 岡市, 1975b, P502 1895年 は鶴 岡工 業 に と っ て1つ の転 機 とな っ た. 絹 織物 業 が輸 出産 業 と して発展 に転 じた (山形県,1984 ,.

(3) . 横 尾. 英. ) か らである. 鉄道 の羽越 線開通 は1919年ま で待 たな けれ ばな らな い が, そ P696; 鶴 岡市, 1975b, P502. れを前に, 鶴岡では零細機業家の機業場が増加するとともに2), 小規模なマニュファクチュアも出現した (山形 県, 1984 ). こ の 輸 出 向絹 織 物 業 は 第 1 次世 界 大戦 の 好 況 時ま で生 , P514; 鶴 岡市, 1975b, P504. 産を拡大する(鶴岡市,1 97 ) 5b, P540 . その間,力織機導入による機械制工業への転換とともに生産は,「羽 前織物」 ( 91 1 8年職工5 40人) と 「鶴岡織物」 ( 191 8年職工267人) の2工場に集中し, 群小の機業家は後退し て い っ た (山形 県, 1984 27 ). 絹織物業の隆盛は長く続かず, 19 20年以後は , P696; 鶴 岡市, 1975b, P5. 輸出の縮減により不振に陥り (鶴岡市, 197 5b, P4 9 1 ) , 第2次世界大戦勃発とともに輸出産業としての地 位を失った (鶴岡商工会議所, 198 7 2 ) . 絹織物業以外の工業は江戸期以来の零細な酒造, 漆器などし , P20 かなく, しかもそれらの生産は停滞していた (鶴岡市教育会, 1 94 1 31 ) . このような結果, 工業は江戸 , P1 期以来の地域中心としての鶴岡の性格を変えるほどの原動力にはならなかった. 18 95年以降, 鶴岡の人口推 移は微増に留り,1 940年国勢調査による市域人口は約3‐7万人である.この間1924年,鶴岡は市政を施行する.. m 地域構造の成立と変容 1. 都市成立期 (江戸時代) 第1図は幕末の鶴岡城下図である. これは安政3年 ( 18 5 6年) から万延元年 ( 18 60年) の鶴岡を表わした. m 500 5. 0. . . . . . 、・ .′ ・ . 寺. ・ . . . .. ′、 ′、. ,. 、 ・ ′′. ー. . : . : ・. . ・ , .. ・ ,.・. . ・ , . .・ ◆ ,.・. . ・. . ‐. ー. . ▼ ・ ・ ‐: . ◆ . .. . - . . .・・ . ・ . ・ ・ ・.: ‐. . . ・ ・ . 、′; ‐ - . .き ・. 省. :. 巨劃藩施設所在地区 ヒヨ武士居住地区 [コ足軽地区 霊園寺栂池 圏圏商業中心 国璽商人町 第1図. 幕末の鶴岡. 睡墓職人町 8 大手門. 圏園 堀と土手 -- 主要街道 ソた 集落 …. ′.

(4) . 城下町鶴岡の成立と変容. 「鶴ケ岡御城下絵図」 (鶴岡市立図書館所蔵) によっ ている. 以下 これに基づいて江戸期の鶴岡について , 述 べよ う.. 酒井氏は最上氏の居館のあっ た地を本丸として整備し, その周囲に二の丸と三の丸を新設して城郭を拡大 した. さらに本丸周囲に最上氏時代からあっ た町屋, 農家と寺社を郭外に移し (鶴岡市, 1 9 27 ), 城 , P26 下全体の拡張を実現するとともに身分別居住区域を確定した. 地形位置について言えば, 城地は赤川の支流 内川の扇状地末端にあたり, 城下は扇端から沖積低地にかけて広がる (米地, 1978 ). 藩の諸施設は本丸と 二の丸に集中しながら, 二の丸外周にも溢れ出した. 三の丸は家臣団の居住地区であり, 大手前や郭外との 通路口には門閥および高級武士が配置された. 二の丸と三の丸をそれぞれ画する内堀と外堀は, 内川旧河道 を利用 してつくっ た溜池と結合し, 内川, 青龍寺川も城郭防禦線として想定された (中島, 193 3 ). , p45 こう して堀, 土手と川によって囲まれた郭内は他国商人の通行禁止区域とされた (鶴岡町教育会, 1 923 ,P 53 ).. 家臣団の居住地区は広く郭外にも及ぶ. そこでは中・下級士と足軽の屋敷が明瞭な地帯化を伴わずに割り 出され, 縁辺部では農村集落と連続する. 幕末, 城下の南北両端には江戸引揚げ藩士の屋敷が加わった (鶴 岡 町教育 会, 1917 ). , P173. 他方, 幕末の下級士と足軽地区においては, 本来の厳格な身分別居住区制が弛緩した部分も出現した. 1 つは町人町の延長部にあたる諸街道筋の城下玄関口で, そこには商人と職人が進出した. その例として鶴岡 市 ( 1975b, P765 ) と 大瀬 ( 1973 ) は北 部 の酒 田 街道, 浜 中街 道, 藤 島街 道, お よ び南 部の櫛 引 街 , P124. 沿線をあげている. もう1つは御抱職人が混在する地区である. 中島 ( 道・ 19 3 3 2 ) と大瀬 ( 97 3 25 ) 1 , P5 , P1 によると, 城下の東西両端にあたる紙漉町と大工町がこれにあたる. さらに, 1 9世紀に藩は下級士に絹織物生産を奨励した結果, 土卒には問屋制家内工業として賃織が普及し (山形 県, 1987 ) 99 , P523; 鶴 岡市, 1975b, P4 , 事実上, 下級士と足軽居住区は手工業地区と化した. これらの土卒地区とは別に, 山形県 ( 1987 ) は城下に隣接する郷村年貢地での変化を記している. , P559 それによると, 城下南端では商人, 職人および足軽から成る, 10 0軒を越える家並が出現した. 次に町人居住地区を見よう. 商人町は城郭を迂回する羽越街道に沿っ て配された. そのうち内川を挟んで 城の大手と向かい合う自然堤防状の微高地は, 有力呉服商などが櫛比する商業中心となった. 商人町には職 人も 混在 し (山形県,1985 ), 商業 中心 の一角 にも多 数の染物 職 人 が存 在 した (山形県,1987 ). , P583 , P562. 職人の同業者町は城下南縁の街道背後に限られ, それらは武具製造御用職人の町と, 屋根葺および曲物製作 職 人の 町である (鶴 岡市, 1975b, P723 ).. 河川交通と結合した町の存在も見逃してはならない. 鶴岡と日本海沿岸の港町酒田との間には, 内川, 赤 川および最上川を経由する水運が開かれていた. 鶴岡城下の船着場は内川と羽越街道が交差する付近である (半田, 1975 ) . 船着場はちょう ど商業中心の両翼にあたり, 船着場の背後には船荷扱い問屋, 舟運 , P77 業者, 商店, 旅館, 車屋, 料理屋, 芸者屋, 貸座敷や茶屋などが並んで賑わった (鶴岡町教育会, 19 17 ,P 207 ). この 繁盛 はとく に商業 中心 北側 の河岸 で著 しい (大瀬, 1990 P58 ). ,. 寺社の多くは城下周縁に配された. 主として酒井氏入封時に建設された寺社から成るが 最上氏時代に起 , 源を持つものもある. これらの寺社集団地は城郭防衛の役割をも併せ持っ た (中島, 1 93 3 ). なお, , P50 これらの寺社の分布は本論対象期間を通して変らない. 2 市街停滞期 ( 186 8年~1894年) 本期は城郭の破却と土卒居住地の荒廃によっ て特徴づけられる. 本丸と二の丸を占めていた藩施設は撤去 され, 内堀, 外堀や溜池も多くの部分が埋立てられた. 城地は公園となり, 二の丸は新設道路で分断された. 三の丸内外の旧家臣団住居地区では離散者が続出し, 残存家屋は取潰されて大量の空閑地が出現した (鶴. 3.

(5) . . . 横 尾. 実. 62 ). 県はこれらの空地を対象に士族授産策として養蚕を奨励し, 桑の植付けを促した。 5b, P7 岡市, 197 97 3 4;鶴岡市, その結果, 旧家臣屋敷は桑畑に変じ, そのほかりん ご, 桜桃畑にも転用された (大瀬,1 , P15 1973 ) によ っ て 旧士 族 出身 養蚕家 の集 中 地 と して 報告 さ れ ). 三 の丸 の西 半部 は大瀬 ( 1975b, P762 , P92 る ほ どの 変貌ぶり である.. ) 3 二の丸南側では堀跡の埋立て地が水田となり (大瀬, 197 , 前代に三の丸北東部の沼沢地に開か , P92 れた水田はそのまま存続した.こう したことから市街中央部に水田が存在するという特異な景観が出現した. 5a, 97 3 士卒地区の空隙化と田畑への転換はとくに市街周縁で著しかった (大瀬, 1 , P23;鶴岡市, 197 6 2 ) P315; 鶴 岡市, 1975b, P7 . 明治初年, 鶴岡の南西縁と北東縁ではそれぞれ江戸引払い士卒用の屋敷 91 6 が新設されたが, 彼らの離散の結果, 宅地は直ちに薬畑や水田となっ た (鶴岡町役場,1 , P67;鶴岡市, ). 総 じて 本期 にお ける 市 街縮小 は明 瞭である. 1927 , P127. このように荒廃した旧家臣居住地区にはやがて少数ながら新しい成分が立地していく. まず, 二の丸と商 業中 もの中間の旧門閥家屋敷跡には郡役所, 警察署, 裁判所, 町役場と小学校が創設された. また, 三の丸 ). 内外 で は, 職 工 数40人未満 の小 規 模な 木綿, 羽二 重 工場 が分 散 して立地 した (鶴 岡市,1975b, P480 ,504. 「松ケ岡製糸場」 女工150人のマニュファクチュア) が創業し 市街北西端では士族経営による座繰製糸場 ( , ) た (大瀬, 197 3 9 . そのほか, 旧町人町との隣接地では商工業に転職する土卒も現われた (鶴岡町教 , P2. . 2 3 ). しかしながら, 商工業者の分布上, 旧士卒地区と旧町人町間の相違は江戸期 と同様に 育会, 1 9 , P57 明瞭である (第2図, 第4図). 94年) により, 商業 第2図は 「明治26年度西田川郡鶴岡町営業税雑種税賦課等級議案」 (鶴岡町発行, 18 およびサー ビス業者を町 ごとに集計して示したものである.それから明らかなように,商店街は旧町人町と,. 0◎ ○ 金 2. 2010 5. 1. 件 数. 璽. ◎◎◎。買廻品店 ○○ .. . o 最寄品店. . ′ .. 窄も. ◎. 〆. 受986。. . r ・. ◆ . . ・ r . ・. , , . ・り ・. ざ ”;. , - ‐ ... o. e◎◎. 謡 … 三. ! 餐. ,. キ ー … . 主 ・.. ◎◎000△. A. :. , 三 一. . 89 3年商業・サー ビス業者の分布 第2図 1. 4. . ◎◎. ;. ..

(6) . . . 城下町鶴岡の成立と変容. 円 霊. . ・ . . ・ . ・ . ・ . , . - - ・ . . . . t ‐ ・ . ・ ・ . ・ . . ・ . , .・・.・... . . . ・ . . . ・ . . ・ . . ・ . ・ . . ‐ . ・ . . ・ . . ・ . . ・ . ・ . . ・ ・ . ‐ . ・ . . ・ ‐ . - - ・ . ・ . , . - - ・ . - . ・ ・ “ . ・ . ・ ・ , . ・ , . ‐ - , . ・ . . , - ・ . ・ . , . - - ・ . ・ . . ・ . ‐ . ・ ・ .・..・.,.. .. : . : : ・ : - …: i … … : … 1 … - … ≧ … - : ‐ - ‐ ‐ . . ・ . : : - : . : ・ :÷〉 . . : . . . :: : ・ : . : ・ : - : 〉. . : . :. .. . : . . . ‐ ・ ‐ ‐ ・. -. ・ . … … … … …該… ≦ ミ ミミミ … …※… … … … … … ; …※… … ‐ : . : ‐ . - . . -. . - - ・ . , . , . ・ . . ・ . . ・ . , . ・ . . - . ・ ・ ‐ . . ・ ・ , . ・ . . . , . ・ ・ . . ・ . ・ . . . ・ . . . ・ . . . ・ ‐ . ・ ・ . ・ ‐ ・ ・ . ・ ー ‐ . . .. . ・ . . ‐ .・ . . ‐ ・ .‐ ・ ー . ・ . . ・ ・ . ‐ . . ・ ー . ・ ・ , . ・ . . , ・ . , . ・ . ・ . . ・ ‐ ・ . .・ . ・ . . ‐ ・ . . . ・ . - . ・ . . ・ . . ・ ‐ . ・. ・ . - . ・ . ・ . ・ . ・ . . . - . . . - . ‐ . - ・ ‐ . ・ . ‐ . . . ・ ・ . ・ ・ . . . ・ ・ . ・ ・ . ◆ . . . ・ . . ・ ・ . ・ . . ・ , . ・ ‐ . ‐ ・ . . ・ . . ・ . .. ‐ . , . . ・ . , . ・ . . ・ ・ ・ . ・ ・ . ・ . . ・ ・ ‐ . ・ . . ・ . . . ・ . . . , ・ ‐ . ・ ・ . . . . . . . ・ ・ ‐ ・ ‐ . ‐ . . ・ . . ・ . ・ . . ・ ‐ . ・ . . ・ . ・ . ・ . . ・ . . ・ ・ . . . . ・ . . ・ . . ・ . . ・・‐ . - . ・ ・ . ・ . . ・ , . ・ . . ・ . ‐ ・ . ・ . , . ・ . ・ . ・ , . ‐ . . ・ ‐ ・ ・ . ・ . ・ ・ .ー ・ . . . ・ . . . , . ・ . . ・ ・ . ・ ・ . . ・ . . . . - - ・ . . ‐ .・・. ・・. ・ ・ . ▼ .・. 商業・サービス業者営業税額 (1戸当たり平均額). 第3図. . . . . , ・ .・..・・ . ... : 0◎◎△△ ・・. m 59。. ◎. ・.・ ‐ . :. . , .. ・ . .・.‐ ・・.・ ・ .. ・ ▲ ・ . -・. も 芝 、 ・. . ・・ ‐ すぎ . ...・ . gi鞄-. . ◎◎. . : . .二 .. .,・ . 惣◎ 〜, ・ ・ . .. 0000. . . . . , メ *ヰ き ド . メ . . . -・ {- : ・・ ・. .・. .・ .・ . . .. - 0 △△△ ○ 000◎; oo◎◎◎◎△△△ ′ △ △△△ △△△△△金息△ ; ・. ・ . ・ . ・ . . . . , . ・ .. . .・ . . ・ ・△△・ ・ . ・ ◎△▲ . △ △ □ ・. :. .・.・ . . ・ 金盛. ・ . . . ;園 . . △ゑ△ ・.、 ・△. . . . ・00△△ . ‐ ・.・・・. . ・ ・.・ 00 0000◎ . ・ ≦今金△△金▲△デ ー .. .. . ・ . ・. , . ,.・・ ・. ooo ・. . ‐ . . ‐ ・ . ・ . ., ・. ..・..◎◎ . 1 ・ △ △ △金 △△ , . ・ ◎ . 合 △ ・ ‐ ・ ;~ jo◎: . . ・ .口園 ・ . . ・ ・ ・・・ . ・ . ・ .・ . . ; . . ・ : △ △ A ・ . ‐ . ; oooもも;. . . △ , .0◎ ・ ‐ . ・ . . ,. . . ・ ・ ・ ・ . . . ・ . ・ . … 0 ; ・ . ◎▲ ... . . ‐ . , ・ ・ ・ .. .‐.・・.... . . . . ・・ o◎◎△ ‐・・ . . , . : . } . ・ . … ;- 二 . .. /○△÷ ; .. 毘. ・ . .. :. 5 円 1 ~ 1円. o◎. 以 上 4円 未 満 o o oタ o染物 、 裁 縫、 製 糸 ◎ ◎ ◎ 鍛 治、 鋳物、 金属 △ 。 大工、 石 工、 左官、. 葺師. 金. □. □. ぬ指物、 桧物、 木 工 o印刷、 紙渡、 漆塗、 提灯 E. その他. 第4図 189 3年の手工業者の分布 (営業税額別).

(7) . . 実. 横 尾. 幕末に発展した城下縁辺の街道口商店街から成っている. 本期も後者では商・職人が増加し (鶴岡市, 1 975 ) は南部の街道筋では土卒による商店経営が 97 ) と鶴岡町教育会 ( 192 3 b, P7 ), 大瀬 ( 1 3 40 , P70 , P57 加 わ っ たこと を記 している.. 第3図には, 上記議案に記された個々の商業・サービス業者の営業税雑種税現賦課額について, 町別に平 均値を求め表示した. それによれば, 旧町人町は鶴岡の主要商店街としての地位を確保し, 街道出入口の商 店街間との格差を保持している. さらに, 第2図に示した商店の業種別分布から, 旧町人町内での中心商店 街の存続は明らかである. 明治に入り, 新しく銀行や郵便局が立地したのも中心商店街においてであった. 第4図は上記議案から作成した手工業者の分布図である. この図は, 手工業者の分布も基本的に江戸期と 変らないことを示している. 旧来どおり, 商業中心付近では染物業者を中心に有力手工業者が集中し, また, 鍛冶職と槍物・指物師の同業者町も存続する. 3 市街充填期 ( 189 4年) 5年~194 27 19 ) 鶴岡の人口漸増を背景に, 家屋充填に向かう時期である. 充填の過程を示す資料としては, 鶴岡市 ( 1 9 31年, 1 0 00 24年, 1 2 0分の1) や鶴岡市発行の実測図 「鶴岡都市計画図」 ( の付図 「鶴岡市街図」 ( 19 ,0 ,00 分の1) がある. 後者によれば, 昭和初期の市街はおおむね旧城下範囲内におさまり, それを越えた小突出 部は鉄道駅前と主要道路沿いに認められる (第5図).. = 旧城下範囲. て. 皿 市街地 ≧#集落 朝 教育施設. . . . ・ ・ . 、. :7ノヒ. 1 1. . G 官公署. ”を ・ ・ . ‐ ′” ‘ ′ , … :. ふず. 湖 福祉施設 鰯謎 公園. ふ 鉄道. . ・ 1 1 ・ ・ ・ ・ ‐ . 1 1・ ‐ ・. 醐. ≠. ; 珍.. ‘、′: ′ . ノ、 ′ ・ .. =. ・ ′. ー ー. . ・ … ・ ・ ‐ ; = . , ′ ‐ゴー … ・ … ‐て‐ .. g. ‐て ; ・ . . , ・ . ・ r‐ ・ . . ・ .. 1 1. 1 1. . ZI I . ‐. ti. 50が 『. : ‐ .. l l 、. 1 1. - - . 1 1. - -. 第5図 1931年の鶴岡. 主 要工 場. ▲ 鉄工. 物 ◎ 織 織物 ◎ 糸 製糸 ◎ 製 ◎. △ 食料品. 0 染 色. 園 印刷. 口 木製品.

(8) . 城下町鶴岡の成立と変容. ), 外堀はほと 975b, P86 1 市内に広がる旧士卒居住地区は, 住宅地区として家屋密度を増し (鶴岡市, 1 8 ). 同時に城紙公園周囲と旧三の丸では, 官公署, 学校, 病院, んど消滅した (鶴岡市教育会, 1941 , P1 その他の公共施設が住宅地区内に開設された (第5図). 桑畑や桜桃畑となっ ていた旧主要家臣屋敷や藩施 設跡 が こ れ らの 敷地 にあ て ら れた の で ある (大瀬, 1973 ). とく に城 鎌 と , P152; 鶴 岡市, 1975b, P762. 商業中心の中間部は官公署の集中する地区となり, その付近には銀行, 新聞社, 料理店や魚問屋なども進出 した (鶴 岡市, 1975b, P654 ). , 686. 旧士卒地区は絹織物工業の発展とともに織物工場の創業地ともなっ た. 佐藤 ( 191 5 2 ) 97 5 1 , P7 , 鶴岡市 ( b, p504 ) には多 数の 織物 工場 の立地例 があ げられて いる. そ れらの ほと ん ) お よ び山形県 ( 1984 , p695. どは職工数100人未満の工場である. ただ, 旧三の丸には市内最大の輸出向絹織物工場「羽前織物」が創業し, さらに染色工場, 絹撚糸工場, 県立の絹織物検査所と工業試験所も設立された. しかし, 機業家の増加は前 述のように持続せず, 小工場は淘汰された結果, 第5図に示されるように, 昭和初期の織物工場の分布は点 在的でしかない. 一方, 充填化から取り残された地区もある. 旧城郭部の溜池や堀を埋立てた跡の水田と桑畑はそのまま残 存 し (鶴 岡市教 育 会, 1941 ), そ れに面 して伝染病 院 が建 設さ れる ほ どであ っ , P120; 鶴 岡市, 1927 , P125. た. 第2次大戦時には軍需工場がこの水田を潰して建設された (鶴岡市, 197 5a, p715). ま た, 鶴 岡町役 場 ( 1916 ), 鶴 岡町教育 会 ( 1923 ) そ して 鶴 岡市 ( 1927 ) によ る と, 市 街縁 辺 でも 旧士 , P67 , P54 , P126. 卒の屋敷跡の水田や桑畑が見られた. それは第5図からも読み取れる. 1 91 9年, 鉄道駅が既存市街の北側約500mの水田地帯に開設されると, 駅前には商店, 旅館と飲食店など が立地して (鶴岡町教育会, 19 23 27 ) 新市街が急成長した (第5図). 駅に通 6 , pl12;鶴岡市, 19 , P15 じる既存商店街も繁盛した (鶴岡市,1 97 5b, P7 3 3 ) . 反対に, 鉄道開通の結果商勢が後退した地区もある. 1つは内川河岸の船着場界隈であり,もう1つは市街縁辺街道口にあっ た小商店街の1部である(大瀬,1 97 3 , P203 ). そ れ らの 沈滞 化 の原 因と して は輸送手段 の 変化 があ げられる. 船着 , 207; 鶴 岡市, 1975b, P797. 場の繁栄を支えていた内川水運は鉄道開通後 に衰退し, 米穀倉庫や運送店は河岸を離れて駅前へ移転して い っ た (鶴 岡市,1975b, P768; 鶴 岡商工 会議所,1987 ). 飲食店 と 料亭群 は船着 場付 近 に残 っ た が, , PI02. 貸座敷の一団は旧城下範囲外の南郊に移転した (鶴岡市, 197 5b, P7 50 ) . 他方, 街道口商店街の退行は, 鶴岡周辺の農村地帯に駅が設置され, 街道交通量が減少したことによる (鶴岡商工会議所, 1 987 OI ). , PI 中心商店街は存続し,周辺商店街のうち鉄道から外れた農村地帯を後背圏とするものは旧勢を維持 した(鶴 岡市教育会, 1 941 22 ) . 商業中心には新しく銀行, ホテル, 映画館, 絹織物販売会社と水力 発電会社な , P1 どが加わり, 内川沿いには料理屋も並んだ (平野, 1 91 3 41 ) . 周辺商店街末端における伝統的な鍛冶職 , P1 人の集団地も残存する (鶴岡市県立中等学校合同郷土調査会, 1 932 49 ). 市内の商店街とその付近には , P1 織物, 染色, 織機 と農 機 具 製作 な どの小 工場 が創 設 さ れた (鶴 岡市 1975b P481 489 504 ). しか し, , , , ,. それらの分布は分散的で, 工場の特定地区への集中は見られない.. W. まとめ. 以上, 江戸時代における鶴岡の成立と, 明治から第2次世界大戦までの変容を追跡してきた. 鶴岡は明治前半の沈滞を挟みながらも再生した. 城は解体され, 城下町の都心は消滅した. 代って 城紙 , と商業中心の間に行政中心が成立し,両者は鶴岡の新しい都心となった.一時空隙化した旧士卒居住地区は , 住宅のほか公共施設と小工場によって占拠されていっ た. それはわが国の産業革命泰明期における輸出向絹 織物業の発展を背景とするもので, 鶴岡の復興は鉄道開通以前に始まった. しかし, 絹織物業は近代工業化. 7.

(9) . 横 尾. 実. の過程で工業地区を設立させぬまま後退した. 鉄道開通も都市構造に対して小さな影響しか与えなかった。 そのような結果, 戦前の鶴岡では市街は旧城下範囲を充填する形で成長し, 地区別機能は基本的にかつての 配列を受継いだ. 本論対象期間における鶴岡の動向を地域構造という見方から整理するなら,J日城下町構造 は城郭を喪失したものの,明治以後の変遷を鋳型のように制約し,まだ新しい都市構造は顕在化していない.. 注 ) による と10,961人 で 1985 ) に よる と10,197人, 鶴 岡市 ( 1985 1700年) の町方 人口は山形県 ( 1) 元禄13年 ( , P54 , P579 ある‐ )‐ 2) 1904年, 機業家は88戸 となっ た (鶴 岡商工会議所, 1987 , P77. 引用文献 1 9 7 ):鶴岡百年のあゆみ一「続・城下町鶴岡--‐ 鶴岡郷土史同好会, 鶴岡市. 大潮欽哉 ( 3 1 9 9 0 ):城下町鶴岡. 庄内歴史調査会, 鶴岡市. 大瀬欽哉 ( 佐藤良次 ( 1 9 1 5 ):荘内案内記. 酒田新聞社, 酒田町‐ 9 2 7 ):鶴岡市史‐ 鶴岡市 ( 1 鶴岡市 ( 1975a):鶴岡市史 中巻.. 9 鶴岡市 ( 7 5b):鶴岡市史 下巻. 1 5 「荘内史要覧」 鶴岡市 ( 1 9 8 5 ):鶴岡市史資料編 荘内史料集 1 ):郷土読本‐ 鶴岡市教育会 ( 9 4 1 1 1 9 3 2 ):郷土調査. 鶴岡市県立中等学校合同郷土調査会 ( 9 8 7 ):鶴岡商工会議所五十年史. 鶴岡商工会議所 ( 1 7 );鶴岡町沿革史 前編‐ 鶴岡町教育会 ( 1 9 1 9 2 3 ):鶴岡町沿革史 後編‐ 鶴岡町教育会 ( 1 鶴岡町役場 ( 1 9 1 6 ):鶴岡町史. ):庄内地誌. 帝国書院‐ 中島東次 ( 1 9 3 3 半田岩雄 ( 1 9 7 ):鶴岡の今昔. 東北出版企画, 鶴岡市. 5 ):鶴岡案内. 地主書店, 鶴岡町. 1 9 1 3 平野成継 ( 0 藤田五郎 ( 1 9 7 ):日本近代産業の生成. 藤田五郎著作集, 1. 御茶の水書房. 1 9 9 4 ):近世中後期城下町論--古河古松軒の著述を通して考える--.・田中喜男編:歴史の中の都市と村落社会. 松本四郎( 悪文閣出版, 京都 市. ,. 2 ):日本都市の発展過程‐ 弘文堂. 矢崎武夫 ( 1 9 6 9 ):山形県史 第4巻 近現代編上. 山形県 ( 1 8 4 1 9 8 5 ):山形県史 第2巻 近世編上. 山形県 ( ):山形県 史 1987 山形県 ( 横尾 横尾. 第3巻. 近世編下. 実 ( 1971 ):仙台の都市地域の 形成過程. 地理学評論, 44 ‐ , P618~627 260 ~ P2 4 4 ):秋田お ける都市構 造の歴史的再編. 人文地理, 45 実 ( 1993 ‐ ,. 1978 ):土地分類基 本調 査 米地文夫 (. 鶴岡. 地形分類‐ 山形県, P21~31 ‐. l副 SCi ence i Harr sof 放e A me癌can Academy ofR徳がc可 孤 d soc 1945 Thenatureofcihes s , ‐AnnaZ ,C .D,and Uuman,E.L( 242 17 ‐ . ,p7. (本 学 助 教 授. 8. 旭 川 校).

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参照

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