勘定學説の展開
勘 定 學 説
の の展 開
、 四四小
倉
榮
一
郎
勘定學論史硯究の方法
鐸 勘定學訟は十九一二十世紀のドイツに於て一箇の學問分野としてその凋立を認められたものであるが、個々の學論が結 果として理論化に成功していると否とにか、わらす、夫々複式簿記法の乳管的古論付けた協の苗圃をもつたものである ぬ ことは否めない所である。ところで、勘定學読の分類体系を示した試みは少くない。イルゲン︵同=騎①旨︶オスバルド ︵Oω毛巴α︶ルタートル︵ド①Oo偉嘗①︶フユークリ︵自鼠εザクッエル︵6り四x興︶等々ドイツをはじめとして欧米・本邦 に於ける殆どの簿記學書には一管何らかの分類体系を組んでいる。今その一々を引合いに出す暇はないが、これらに一貫 して言い得ちことは、次の二観点から個々の學論をはめ込むべき類型が作られ、もって諸宗者の見解を休系立てんとして いることである。 第一の観点、勘定理論、︵一︵O⇔けΦ旨けず①O貝圃Φ︶ 勘定理論は廣義に解されるときには簿記理論と同義であるけれゼも、こ、では狭義に解して﹁勘定﹂、即ち、複式簿記 特有の計算形式がもつ意義に思する理論、勘定の概念決定を行うものの意に用いる。この点から勘定は人的樺利義務叉は 預け預り、受け渡しの早事者を想定して、その記録を行うものとするところの、入潮概念に立つもの及び、企業活動に關 する諸慣殖量増減の計算を行うという物的概念に立つものとに二分される。第二の観点、勘定記入理論、︵囚O暮①三嘆毒ぬω爵Φ〇二Φ・︶ 、 勘定記入法則は簿記理論の重要な構成要素であって、前輿の勘定理論とは不則不離の關係にあるところの勘定記帳法則 に乱する理論である。勘定記入法則を統一的に把握する原理の獲見に努めるもので、その支配的法則の数によって、 一勘 定法・二勘定法等と分けられる。 簿記理論は、勘定理論・勘定記入理論によって織り成される形式的休系の中に、具休的渋難たる現實の資本循環が如何 に反映されるかという、認識方法に關する學であって、勘定學論はか、る方法に封ずる避難者各自の主親的、佃別的理解 を指すものであるから嚴密には匿別されるべきである。勘定画論の研究に課せられたる第一の課題はかくの如き個別的特 ギ 殊性の認識である。第二の課題は學説相互聞の關毒性範躊の認識である。この点からして、前蓮の二親点による學詮の類 型化は果して充分その要求に慮え得るものなりやとの疑問が生する。 ﹁勘定理論﹂に於て勘定概念が簿記の技術的構造から抽出されるときには技術的概念構成が行われるに止つで計算封象 の本質の反映は望み難い。叉﹁勘定記入理論﹂に断て網羅的に列奉された支離滅裂な個別的記入技術を素材に、その間に 類同性−形式的類似性を手がかりとした論理上の統一を試みることに絡始するならば、支配原期の邪見には威倒するか も知れないが、かような原則は技術的原則に終るのである。複式簿記は巧妙に組織立てられた完成構造をもつているが故 に、その形式的完全性が學論構成の主動因となって前述の如き技術的理解の爾側面に立って概論を解制する危瞼性を包藏 している。こ、に看過すべからざるものとして學論のもつ歴史性の顯重なる課題が浮び上って理る。科學としての簿記理 論は往古の代理人簿記の非組織的重態から絶えざる工銭をとげて今日に至った、それは常に前代の學問的遺書の上に、時 代から時代へと成果の蓄積を掛けて行くことによって完成へと導かれているという経過であると共に、實に人聞の経濟生 活の歴史的攣遷に慮する韓化の過程である事を見落してはならない。 勘定學読の展開 四五
勘定學説の展開 ・ 四六 簿記學は歴皮、即ち、人間経路生活の獲展によって規定されることをまぬがれ得ない。それは第一に簿記論が簿記の技 術的構造の解明に絡毒する技術論ではなく、簿記的思素の封象、素材を夫々の時代の裡に活きている資本の裡に見出すか らである。第二に思索の目的が時代の異るにつれて、共に攣化するからである。これ科學としての簿記學の生成、ひいて はその實践性獲得の要因である。古來簿記學論は何れも實践指導性の奪長に縛しては、多大の努力を傾けて、記帳法の教 授法として完成せしめている点について他に譲ることはなかったし、叉技術論でなくて黒戸としての簿記論たるものはそ の歴史性の顯現にも努めているのである。簿記學詮︵勘定學詮︶の研究は⋮學読を類型化するに常っての前蓮の二観点を次 の如くに取扱うことによって學論の正當な解明に努めた。 ﹁勘定理論﹂に於ける勘定概念は、とりもなおさす、その勘定に記入される計算封敦としての取引關係を如何に解繹す るかという封象限定の態度を意味して局り、この態度如何が闇接的であるけれども、その學溌の謄史的性格を示唆し得る という点、換言すれば、勘定が個々別々に取扱われるという個別勘定理論でなくして、何らかの統一的思想休系に集中的 に理解されているという点の顯現を通じて、それから﹁勘定記入理論﹂は記帳技術の形式的統一として哩はなく、種々な る取引即ち、簿記の単独を複式簿記特有の勘定形式にあてはめて貸借記入の形で把握する認識方法の統一化という点から 理解されることによって、記帳法則の形式的統一原則でなくて實質的に理解される原理の中に封象認識の態度が示唆され 得るという事情を通じて、この爾点からする簿記學論の歴史性の把握に努め、これが可能となっていたわけである。とこ ろで、か、る學説の罐習性は理論形成の基礎に存するところの科學的見地にあらわれる實践的具体的要求が規定したもの である。學論の歴史的理解とは實に實質的性格の究明に通するものであり、これは理論簿記學が實践面に於て實現すべき 目的・任務叉は課題の實現に適感ずる科學の目的・任務の認識に立つ樹象限定と方法規定に從って理論形成を行ったとい う科學性の故に具有するに至った性格である。簿記學説の實質的性格の究明とか、實質的類型化なるものは實にかくの如
き歴史的現實としての簿記の目的的歴史性の研究に外ならない。 この研究は個々の勘定僻論の概究にあたって必要であるのみならす、勘定學論の歴史的研究には不可欠の要件である。 ,時代的順列・地域的關係はもとより、技術的構成の異同の如きをもって、學論の系譜を求める事は徒らに誤断の艦齢に接 近する事に外ならない。勘定無論史叉は勘定細論の歴皮的研究の根本的意義がこ、に存する所以である。 ①
呂原始的簿記法の特質
童画の形では、パチオ・のズムマをはじめとしてその後永い聞簿記珊論は科學としては勿論の事、技術的原則さへも呈 示することなく、無敏の取引の記入例を網羅的に示して簿記技術を指定する方法が採られた。これはいわば簿記の教授法 であるから學論の名に毒しない事言うまでもない。新しい取引が生すると、示された典型的取引の型から類推法によって 記帳法が求められたのであるから、類推のためには湘當の擬制が行われたわけで、勘定記入理論は早くから求められよう として居り乍ら結局記入技術の詮明原理を一歩も出でないま、で絡ろ。か、るものは學論をなさないので學読史の研究封 象からは除外されるべきである。た∫原始的簿記法は十五i六世紀の世にあって現に意義をもつところの理論性を保有し ていた。この点を指摘することは後の下説皮展開にあたって學論の位置付けと慣様付けの基準となるので略述を敢て行う ものである。 ② 荘園時代の護国po二野訪08信暮をはじめとして封建時代の諸計算はこれをまとめて代理人簿記︵︾ひq①口O同HWOO奔犀①①ロ一P湘︶ として特徴づけた。この計算の最も顯著な特質は口別計算制度及び代理人としての計算原則である。しかしてこれは當時 の組合企業等の行う差別取引に裏付けられた實質的計算法であった事は疑いない。この根本要因たる口別取引は實はパチ オロ以後も永い聞支配的取引形態であって資本主義成立の前夜或はその初期に至るまで一般に見られたものである。経濟 勘定學設の展開 四七勘定學説の展開 、 四八 史家は一般に資本主義成立の時期を劃するに十六世紀をもつてするのであるが、確かに十七世紀初期に於、ても左様であっ ③ た事情を次の一例が示している。 英國東印度倉産の前後、各國には、公募される民聞資本と政府患資とによる大事業が企てられ、貿易の互利、開拓の亘 利を口指して活躍していたが、その出贅はすべて期限付出資であって會耽は募集一償還の繰返しによって事業を糧績し ていた。これには絶封専制君主による女業への干渉が危惧されたという事情もあるけれども、さらに根本的には、株主達 の慣習として、英気に於ける海賊∪量犀①のように私的掠奪のための敵艦食堂の如き極端な場合でなくても、多少ともこ れに類する亘利を得るための一時的投機の性格をもつた川前であったり、中にはトルコ貿易が一時不振となったために、 その聞試みにインドへ金を賭けてみようという地中海東部の歯入が株主となっているものである。既にこの種の出資形態 に混じって早くから個人財産の商業資本化が見られ、商業にあっては取引の安直確保のため武装哨所や衛兵の備蓄、取引 量増大のための船舶その他運搬具の保有、叉工場にあってはまだ意趣たるものながら建物工具の必要、等の事情があって 資本需要が遡行し永績的出面による會肚資本の確立が見られるけれども、大体に於て東印度愈耽の例に漏れない態のもの であった。 一般に一航海の錠前にあたって赤本が募集され、航海が彫れば資本を流動化して償還するという形がとられ た。東印度會腫の=ハOO年から一六一七年の取引は百十三航海に上り、その離度資本が集められどの場合にも一航海の 古りに全資産が分配せられた。尤も何程かの未現金融資産が分配されすに淺つたけれども、これは別段定つた康則にもよ らす適宣後の航海に承纏された。 一六一三年に募集された株式は第九一第十二回の残余財産を合併したという。このような事情であるから、簿記に課、 せられた課題は現在のそれとは大いに異るのである。ロ別計算と名付けて原始簿記渉の特徴とした計算制度はかような取 引を計算封敦としたもので自ら明らかなる如く次の諸特質を有する。
噛 e 計算の陸別性、 一口の取引が開始され絡了する問をもつて完了する。常時取引はロット形粛であった事、及び一口の ④ 取引はとりもなおさす一口の出資父は観念上一回の軸部を想定された資本であるので切戸一口の計算とも一致する。 ◎ 牧支計算性、口別完了計算であるが故に支出棄損費、牧入11牧盆の關係が實質的意義を有する。したがって循還途中 の計算的把握はむしろ實物管理に委ねられ計算は支出及斑入によって行うことが副來る。典型的現金主義心計となる。 商品99\oが成立しても同じである。 聖 日 分配主義叉は分割主義、取引完了の際に甘くべき分配高の計算が目的である。從って資本運動過程の計算的把握でな くて、淺余齢財産計算が目的であり、純財産の添田はその原因を問わすすべて利釜と考えられる。即ち最一巡貨、清算 に關⋮する利益の概念である。 ︵豆く繭り。すロ℃﹃ぎ。圃覧Φ︶ 四 知的勘定性、口別完了計算が現金主義的に行われ、結論として財産分割計算を行うという構造は既に形式的に勘定の 入的化−人的貸借、叉は委託關係による勘定の成立を可能ならしめているのである。しかしこれにも増して重要な事 は、か、る特質は資本主義以前の封建的経濟關係に内在する人的性格によって裏けられて實質的意義をもつという事實 である。この段階では形式的にも實質的にも入的⋮勘定による計算が意養をもつ、貸付資本の計算の本來の姿がかくの如 く現われるのである。 ﹁ ① 拙稿﹁原始的簿記法の成立過程﹂昭和十六年一月彦根論叢笏四号﹂ ﹁口過計算制度の成立過程﹂昭和廿六年六月頃計五九・六、 ﹁財 務諸表の護生的考察﹂昭和廿六年七月企業會計三・七、 ﹁バチォロ簿記法の再吟味﹂昭和廿六年六月彦根論叢第五号、をかりて私見 の概略を叢表した。これとの蓮叩上この一項隠が設けられたものではない。こ、に原始的簿記法なるものについては右を参照された い。 ② ﹀・O・唄・葺一嘗。5、。﹀。8毎。ご﹂q閑①<〇一三ぎ5ぎぢ。﹃、の命名による。右掲小論に論じた如く、訟皐月程艶び蓉7の℃巽蓼屋9雪ヨ㎎よ りは廣い範園である。 勘楚學説の展開 四九
③ ④ 勘定學説の展開 五〇 U却二㊦8炉笹罫賠磨けhh×︻︻お、.首︹三§零。コぎ○薄℃o甕江邑”憎吝く、.嗣・二巳け。偶ζ三七蔓との二章は英米の歴史・法律・商業分野 の文職より幾多の事例を引用している。その一例を揚げた。 拙稿﹁財務諸表の護生的考察﹂企業會計三・七、嵐き。二乙ミ。の解羅。
三資本主簿記の性格
東印度倉就の例等を最後として、聞もなく永績的資本体としての企業の成立が見られる。一六五七年に會肚は永績的で あり、七年目に計算が行われる株式の募集を勅許された。その後資本の評贋は毎年行われる事となり一六六一年には、會 瀧は分配を∪三ωごロωの形で行わす、画業沿革のU署宣①ロ血とすると磯表した。これは會齢資本の法的人格の承認、その 糧磁性原則の確立を示唆するものであるが、企業を資本主個人から切り離すには法的には今一つの原則の確立が必要であ る。有限貴任制これである。愈就と上繭、會耽と債樺者の聞は夫々別々の契約であって、この二つを自動的に蓮結する機 能を法律はもたない。肚員に封ずる債樺者は會杜に愛しては請求し得す、叉倉祉に封ずる債灌者は杜員の個人財産を引當 とは温し得ないという法の認定は、會肚の法人格の確立を意味するものであるが、この段階に到達するには一世紀を要し た。しかして、この認識によって浮び上って來たものは永績的に維持さるべき資本体という企業の性格である。かく言え ばとて法的性格の確立が企業成立の契機となったというのではない。むしろ逆であって、これは雌蕊的必然の法的認識を 指すにすぎない。資本の回牧維持という要請は財産が資本的に活動しはじめると共に生するもので、いわば資本一般の属 性である。 ① 一五三九年のカルダノ︵OΦ﹃O一ΩoコPO O鶴脱α9Ω資O︶︵今では忘れられている︶は勘定については入的見解に立っているが、 た望店舗と企業主、即ち、企業と資本主側人の計算的分離に意を佛つた事は著目すべきである。一七一二年のド・ラ・ポ②
ルト︵一︶O 一〇 ℃O吋什Φ︶は﹁螢業詮﹂ ︵O①ωo蜜h訪昏8ユ。︶を思わしめる如き主義を立て、勘定を企業主勘定、物の勘定、入の勘定の三つに分けた。從來勘定は人の勘定と物の勘定に分けられ、資本主の勘定は人の勘定の中にあった︵債務的取 扱︶のに愛してたしかに大きな進歩である。ゴムベルグの﹁この分類は欝利的企業に於ける経濟活動から生する経濟的、 ③ 個別的、法律的なる三種の結果に上書し、経濟活動の性質に封ずる正しき観察に基くものである。﹂という評は些か過大 艦上に過ぎると思う、これは委託運用叉は利付貸付資本と違って、自己増殖する資本の負債に比べての側別性認識に封慮 するもので、たしかに進んでいる。 一七一二年のバルレーム︵じd①﹃け登山︼ρ創 明﹃麟﹃FωO凶ω 切曽﹁﹁伽5P①︶が一般勘定と特殊勘定に 二分した上でコ般勘定は帳壁たる商人の勘定であって、元帳内の一般勘定は皆自分自身の勘定である。借方淺を示せば 自分が借主、貸方淺を示せば自分が貸主なのであるしといって、物の勘定たる一般勘定中に企業主を註せしめた擬人的取 扱の中に當時の傾向が讃み取れる。 ④ 人的一重定論には、二つの類型が見られる。第一形態は最も素朴なもので杢勘定を並列に置いて、勘定の夫々には保管 者が想定される。例えば現金勘定は理金保虫草の管理計算の場であると考える。しかして取引はその各人格聞での受渡 し、叉は貸借であって、これが勘定形式の二更の呼び方エ帥く①・曵く①⋮d①ぴけ050器α搾。﹃の字義通りに記入される。即ち、 記入法則は唯一つ﹁受け入れたものを借方に、’渡したものを貸方に﹂記入するのである。第二形態は勘定を人に擬す乃点 は第一形態と同じであるが、人に擬せられた勘定の聞に費本主を介入せしめて、取引の記入を一々資本主との貸借叉は受 ⑤ 渡しの二塁と老えるのである。 ﹁借方商品、貸方、仕入先﹂ ︵商品掛買︶について例示すれば、第一形態では﹁商品倉庫 番が仕入先から借りて居り、仕入先は商品倉庫番に預けた、一嘗がある﹂と考える。しかし取引慣野上も法律上も商品 倉庫番は仕入先に支佛義務を負ってはいない。仕入先は倉庫番に尊して請求構を行使する立場にはない。換言すればこの 論では企業と取引先どの具体的封外的取引關係、取引事實をゆがめすしては、勘定の擬開化、記入法則の入構受渡化が不 可能なのである。それに劃して第二.論では﹁仕入れによって商晶倉庫番は資本主から保管を委託されて、預りの關係に立 勘定學設の展開 五一
勘定學読の展躍 五二. つ資本主は預けている。 ︵内部關係︶掛仕入によって仕入先に煙して資本屯は借りとなり、仕入先は資本主に干して專實 上貸している關係となる︵封外︶L換帯すれば﹁借方商晶︵貸方資本主﹂﹁借方、春蝉主帥貸方仕入先﹂の關係と考えるの である。勿論この資本主︵勘定︶は中陶項として消去し得るわけであるが、人に擬せられた平定は夫々の入格がこの消去 される中聞項に封ずる上灘債務を記録するものとなる。從ってこのものにあっては事實を擬警保ているのは内部的野係に ついて球ある。この關係は彼の代理人商業時代にあっては實質的關係であったけれども、資本主企業にあっては凡そ擬制 に過ぎない。封建的諸關係を資本柔.装的墨黒の解澤に流用したもので擬制のそしりは冤れない所であろう。 ︵バーランシャン︵炉’︼W舜。﹁﹃9芦。び︷βHe◎○◎QQ︶ウルマン︵d臣ヨ自︸挿H㊤O心︶カーター︵O鋤詳Φ門︶等を第一形態の典型とし、 ドメニコ・マンツオニ︵Uoヨ①巳ooζ碧Noa旨①蔭︶ジモン・ステフイン︵ωぎθo旨6りけ①<貯H8Q。︶の古きものより近くは ディクシー︵一︶一〇醤ωΦΦ HQ◎ON︶が第二形態の典形。︶ 根本的難点は資本主義的企業に於ける資本循環の計数的把握の立場には些も接近出呈す取引個々の個別的記録法の精緻 な組成に絡つた事、換言すれば、資本實休の具体的反映としての無難的理論となり得す、記帳技術の読明教授の手段とし か評債出來ない事である。 この欠陥の原因は次の諸点に存する。それはその故に、技術論としての内面的矛盾は何うにか解決し得るとしても、根 本的には到底解決し得ざる方法論上の欠陥である。 ω計算の他主性。資本宝義的企業にあっては取引は蓮動の契機であって、蓮動ずるものは實体たる企業資本である。取引 を計算の契機として、これに出費することは方法的に誤りではないけれども、計算の封象は取引當事者の灌利義務の確 定ではなくて、取引によって攣化する物的企業資本自体でなくてはならない。代理人簿記の封書は正しく前者、しかし 企業の自主的計算は後者でなくてはならない。
, 5 ウ ②封建的経細細會のロ別計算制度がよって立つ計算原理、即ち、 一取引を計算年期として、これが個別的認識に絡始して いる点。資本主義的企業の取引は個別完了取引でなくて、一連の資本循還の一駒をなす取引であるから、簿記はこれを 統︸的山本運動に封ずる機能の点から把握すべきであるが、人的擬制を用いる結果この統一性を見失い、入的關係の計 算的把握に絡る。 ③企業が正當に認識されて居ない。既に確立された企業槻は叢叢家計との分離を意味する。簿記的には資本主と資本金の \ 分離である。人的槻によるときは資本勘定は資本主の企業に封ずる貸借卸量を想定せすしては聰明出來ない。・資本主は 企業外部者に齢して貸借をもつ人格であると共に、企業に⋮煙して叉貸借の當事者となる。即ち、ω働の擬制を張行ずる 結果企業と資本主の分離が叉擬制となる。たとえ個人企業であっても、企業と資本主家計との分離は擬制ではなくて實 ⑥ 在である。資本實体と費本の閥に分離を考える事、貸借を考えるのが擬制なり。 ㈹資本に議して商的擬制を用いた結果として、杢く受渡し關係が實在しない損釜勘定にまでもこの原則を壁昌喩的に演回す ること、なった。その奇態なる專擬人説第一形態に於、て最も顯著である。 擬人法の諸難点は物的學詮諸家から鏡く指摘された、それは非現實性、非歴史性、非科養性、擬制性の諸点である。こ れを要するに時代鬼面展によって惹起された諸憂化は複式簿記實践には速早く反映して、企業の計算制度としての期聞計 算制度が成立していたわけであるが、これが簿記理論に昇華されるに際して方法を誤ったという点に集中せしめて理解す ることが糾來る。 ﹁体系の具体的基礎を考慮することなくして、休々自体から一個の論明原理を獲得しようと努力した。 ぱ 此の結果、勘定の擬人化を以て始まり、後の。①﹃σ○巳學汲の近世的人的學論に到って、其の談謬頂点に達した。﹂と、ス ⑦ ガンツイニの非現實性批判はこの人の學溌の裏付けを考え合わせると一命味が出て來る。 物的勘定學説は人的勘定學論に封ずる批判から出血して簿記論を貸馬理論の段階にまで高めたものである。人的二三が 勘定墨・説の展開 五三
勘定學説の展開 五四 複式簿記の構造から鵬擬して技術体系の解明に絡位し、現實の具体的饗象を無豪し、勘定の擬制を余儀なくされたのに封 して、物的勘定學説の根本的特質は物的資本の現實認識を出嚢点として、その運動に内在する法則性を隙見するという封 岸に至る迄の﹁方法の學﹂どして確立した点にみる。即ち、取引とは企業資本の關係債値の増減であって、物的資本の物 的攣化を意味する。從って勘定は夫々が別種の華墨量、量的關係を表現するものであるとする。取引が企業資本の量的憂 化の相關的認識であり、取引を記入する勘定は量的性格をもち、記入は量的塘滅と老えられるのであるから、勘定記入理 論は量的鮮紅性の認識に立たなくてはならない。これは盲溝的表式を用いることを可能ならしめる。これはこの修論の特 典でもあろう。たゴ、代数學的方法を用いて示すことは理論の一表現法にすぎないのである。複式簿記の整然たる構造自 体が既に方程式を整然たる体系に組立て得る可能性を含んでいるので、こ、から導き出された表式の整然さは當然の乙と で、これに目を奪われてはならない。勘定記入法の形式的に整頓された論明法−技術論を析別する配慮を失ってはなら ぬ。物的學論を資本主簿記の項で取り上げた所以は、この學論の一部のものが、その方法論的優位にもか、わらす、簿記 の機能目的の点で入的官設と軋を一にする段階に止り、所謂資本主論︵℃3言下Φ8鴇三℃夢8二①ω︶の部類に属すると考え られるものがあるからである。物的詰論に於ける二本主論とは、物的學論中の螢業読︵国ロ蜂団夢㊦oユ①ω︶に封ずる。簿 記目的観に於ける差別に從つた類型である。それは 鴨昂諏一陣煎旺聾誉十芭︷酔︵諺一℃11凶十℃門︶ の方式に要約し得るであろう。勘定は財産系と資本系に二分され、夫々別個に資本主の取前としての純財産を確定するこ とを目的とする。資本は資本主の取前純額であり、損益は資本金の増減部分であると考える。企業實休たるべき資本につ いて、資本主の取分即ち人的債灌債務の關係を考えねばならなかった点に謎木主と企業の分離の不徹底を見出す。叉資本 循環の成果たる利潤の解繹に資本主資本との同一性を認めざるを得なかった点にも企業の計算自主性喪失を見出す。これ
は入的學詮に於ける擬固化の淺澤であり、常座取引の口輪計算原則たる分配t義︵U三。。凶。ロ只貯。凶覧①︶の過渡的準用で あって、これを脱皮し得なかったところに、資本主溌なる一範疇を設定する所以が存する。 年代順に代表的人物を揚げてみよう。 響霞※G。ぎ8Q。8くぢ︵δOQQ︶・崇9。<p。三︾ロ8巳。寓。ω。︸寒け凶︵δξ●米客≦o①Ng︵μ8。。︶ εζ§。♂9琴≧①養民2︵嵩H。。︶●︵bD︶*=易け。冨津︵嵩ωα︶●︵。。︶﹁●類,o﹁。弓①ぎ︵冨H。。︶・︵金※閃鳶尾凶日夏扇g色二。。お︶ ︹噂︶一門ゴ◎5P⇔ω HO類①の ︵].o◎恥同︶●§米¢∪’跨轟の買お︵同。。α悼︶●︵“︶o冨露国.98聲。︵戸。。。。o︶.︵。。︶米08胃内ξNσ聾ま﹃ ︵ドQQQobo︶・︵⑩︸米句.閏言嵩︵μ。。。。刈︶・︵目。︶来卑凶a誉ずω。ゴ晋︵6b。卜。︶・ 以上の十人だけでさえもその論のニュアンスをこ、に拐げるだけの余白がない。先輩諸家の解繹と評債が一々存するの で、大陸系︵*印︶はこれに譲りたい。英米系の三人について、本論の漫事を明確にするためにその要点を抜平するに止 ⑧ めることは止むを得ない。 クロンヘルムは、.一︶。鐸窪。国記姥σ︽OQぎ笹①、、の著者として上菅計算上著名であるが、書名の示す如く記帳手績の簡素化 に努力した。從って、簿記の基礎構造の解明には優れた見解を示したが、英人として勘定學論の温床ドイツの學界から遠 く、年代的には先んじていながら學論史中では見落されていた。 ﹁資本の構成部分を集めて資本を確定する部分︵軍靴︶簿記があり、これは棚卸で行う。別に完全︵複式︶簿記は①資本 勘定と②資本濡幕部分の勘定の二組の過程を経て計算.されるもので、 こ、では棚卸は計算結果の實地車讃にすぎない、﹂ と二系統の一致なる特色を認め、 ﹁財淺の記録としての簿記の目的は、所有者に何時にてもその純資本顯を知らしめ、資 本各部分の債値を知らしめる。﹂ことにあるρところでこの二計算結果の一致については、﹁從來の簿記論が、資本総額は その構成部分の合計額に等しいという軍純な原理を見落したところに勘定概念の触手の因がある。勘定を入的・實在・假 勘定學説の展開 五五
勘定學設の展開 五六 という名で呼ぶことは、⋮⋮資本とその構成部分の中の託るものとが實在せざる上物であるということになる。﹂とかく の如きは排せらるべき分類で、彼のは次の如き分類となるゆ ︾ ゆ 慧 丑 ︾ 慧 、ワ ゆ 慧
︷篶護 蒸一 綿灘∴構
聾 銑 轡 滞:⋮ら’豊購嘩滞N♂避冷酵滞9。’謹﹀轡滞・・::“凝︹掌’謹﹂邸鞍 全資本︵総財産︶額と財産構成部分の閥に均衡を見出すには、資本主資本と他人負債を明幽する必要がある。負債は も カ セ も も の し も 消極財産とし、積極財産と連携するものであると説明し、かくて次の方程式で暴礎的關係を表示する。 ︵o十ぴ十〇︶−一ーヨーロー1ω︵酬無蔑奪爵︶一︵さ宙澄,語︶一1購誉 この方程式は蝉+び+011一+9+p+ωとは根本的に異るのである。即ち後者では資本と負債は同範疇に入れられるが、 前者では資本Sが分析されるすべて雲ある。 かくの如くであるから、分類の2総財康勘定は實質的には資本勘定唯一であるが、た号勘定へ多数の小記入を行う煩雑 さを免れる便宜上、損益胸勘定でこれを行い、資本勘定へ綜括韓記するのである。損益勘定は資本勘定の分枝︵下厨勘 定︶に過ぎない。簿記の日的は資本主取前たる純財産の計算であって、損釜は純財産の増減部分という資本主設共通の見 解を有することかくの如きである。 トーマス・ジョンズはハントフィールドの主著によって物的二勘定詫の先駆といわれた。その著..勺ユβoぢげω拶質匹⑨ ⑩
℃﹃β。o臨。①oh⇔コOo閃犀①①O冒箔、、の序文には、⇒d●男﹁oω8鴨がオリジナリティーを認めて彼に且つた書簡を掲げているQこ⑪
れに封して、ライドネル・ゴムベルグが先駆と見たのは臨9。戸壽ωo冨r>q蕩O震堕国ζ守σ同仁①﹃で後二者はフユークリが@
﹁二人の開拓者﹂として紹介したものをゴムベルグが引用したのである。ジヨンズの見解を特異点だけ述べよう。 (第一●囲) 望面董負f雲表 1840年12月31日所有現金15,000 支彿手形3,000
受取手形 4,000 J.S氏負債 6,000 × W.J氏債樺 3,000 \$22,000 $ 9,000
$22,000−9,000 == $ 13,000現在純資本高 (第二圖) 1840年1月1日の企業の純資本額 $10,000 年 1昌1 禾iJ 系茎 3,000 $ IR. ,OOO算額
す本
釜せ資
關首
利に年
債41 聞負18 産の年抄出
擬人法を痛烈に排撃して、 ﹁堀﹂ ﹁減﹂なる純粋量的用語を用 い、 ﹁分類﹂ ︵統計的︶手績として記入法を展開した。叉部分と 全休の和の一致という形式論理をそのま、、二つの實質的指導原 理に分つ。 ︵定理1︶では﹁一定期に於ける資産と負債を確定し 得ば、爾者を比較して、その時の企業の歌態を決する事が出來 る。︵第一圖︶ ﹁定理2﹂ではコ定期聞の開始の時の企業の位置、及び、その 期間中の損釜を決するとその期の絡末に於ける位置を知り得る。 ︵第二囲︶ そこで資本のこのこ重整理のために、二組の勘定が用意され る。第一組は資産と負債の勘定群、第二組は資本勘定及その下位 も も し も 勘定たる商品勘定以下損釜勘定の勘定群が入る。その後の論述に 至ると形式的技術構造から諸概念を抽出する幣に陥る。この派の懸者の後期のものはいつれもこの傾向に陥って行くので ある。例えば彼は諸勘定を現金勘定の原理の横張にすぎすといった具合に技術論と理論の境界を危げにさまよう。その後 の著書で示された試算表の解繹は杢く技術的である。 ︵次圖参照︶ 勘定學説の展開 五七 ’勘定學説の展開 五八 彼にあっては借方貸方の語は﹀﹁び事典罰ξに用いられるもので、青赤でもかまわないという。これは分るけれども、し .からば何故に財政部門と事業部門とで逆に用いられるのかという勘定記入理論について叢々科白的解明がない。叉財政部 (堀加)118,254.00 財政部門g8,560・00(減少) (減少) 3,621.06 三業部門50,315.06(増加) 借方計148,875.06 貸方計148,875.06 且つ、一般的結果次の通り 財政部門 堀加(借方) 118,254.00 減少(貸方) 98,560.00 貸方残即、資本 $19,694.00 欝業部門 堀加(貸方) 50,315.06 減少(借方) 30,621.06 $ 19,694.00 , その結果として簿記の機能は資本主との槽利義務の確定なる法的限定を受けた技術目的に奉仕する立場となり、 のもつ心身的意義の理解、科學的目的としての具体的資本立動の實質的認識という機能を見落したのである。 門・螢業部門なる各勘定は、果して如何なる實体的封象をもつか不明 である。理論の点では前述と一歩も出ていない。 スプレイグの主著晒.↓ず①℃三二ωoO﹃︽oh諺600三戸富、、B㊤O刈∼日㊤b。bΩ は四分の一世紀も前から維誌..しdOo犀二日b興、.︵2・団・HQ。Q。O︶で準備 ⑬ されていた。=鋤く⑦÷↓鑓のけ“Oミ。十×と置かれた構造では資本主読 でないようであるが、十〇は一Oの形式的移項にすぎないと噺ってい る。論旨はフユークリ・シエアーに酷似しているが、學問的蓮績は自 ら否定している。アメリカで永く指導的學論であったので機禽あれば 検討したい。 資本主論を絡るにあたり、改めて指摘したい事は劃象たる資本實体 の量的認識に出護して科學として簿記論の樹立、かの不画工極る擬人 法の欠陥から解放される途を開いて居りながら、企業の實体観不徹底 の故に贅本勘定について︵從って損釜勘定について︶擬人法と分配主 義1一封建的關蓮に基礎づけられた技法を用いるに至った事である。 資本循環 .
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岡田誠一課濠。 ︼︵ぎ=同︸︶韓α蔓.,≡伍仲。一お象一M二ご。c臥。^奮e。ε・ε・・”一εジ H葺二〇ぎ∼8乙∴︶・︹ご 09昌ど﹃欝一夢r畠中幅一﹁勘定蔓生史研究一︵倫この著は勘宕雄姿の前牛を杢く︵幅^:障巨ξ嶺から引用して居り、それ以上何物も加え られていない。又ζ即日〇け9︼も多くを︵鄭。⋮ゲ霞αqから得ている。大陸系以外の研究者には同様の不利が存するわけである︶ ︵ぎ≡げ¢領嫡旨凶3二本九頁岡田教授の註にある如くゴムペルグの思想に形式上一致しているに過ざない。 畠中氏の命名に從つた。しかし訂窪缶魯は襲撃段階としては別の段階と解しているようである。即ち、簿記体系完成の一駒として の﹁資本宅﹂がこ、で浮び上って來るからである。 ○夢蟄鼻警轟磐。の稿と推定される米國.露、ざ窒。葬。ξ。箋︵咳・ピじう。・3一。。つ。に︶、一、註墨島8・壱巴風調即受て霧。三識。葺8・に ドラマ形で示されたこの設の例があることをご窪。ぎ目は引用している。尤も。な藁鍾ざの.,=象︵︶蓄℃論士︸では全く異った見解を示し ているので彼自身の所信を述べた謬ではない。 ゴムペルグのクールセル・スヌイユ批判︵八九頁︶に明らがにされているこの見解に讃意を表した。後述圏参照。 エσ身き斗︼♂R二同瞬h=罠︷δ聖経西︵ζ尽巴芝謎。一[巴、﹁、︸5自ぎ︻r︹5︾.扁W・複式簿記の雀斑論的基礎の構想に甥賞するQ h﹂三。8ロ㌦げ建・︾一︹ま以下より引用。 他に、.勺母陣乙O躍$O出ごO謹↑隔一 乙Oお象什一ざ=μ︵肖二駈8⊆ごがあるQ 囲﹂仲二〇8コL寓9︸冒・H。。ド これを見ると米國に於ける斯學の先駆であったらしい。 ︵串9回旨費鉾美馬・羅本五八頁叉﹀・渚^冒く齢さがR9畠。7三巴一、鐘漿︺o。三養︻。=冨﹂q・︻幹ぎに津碧N一天田口島町を紹介している。 ==α身躍誇お=o︸戸7触二叶戸き鴻。巨あ嘗象。︼けと⑳・Hし3幽・ ⑨に言うドラマの事でなく、.、≧讐げ琵。鴨>oo99。・獅”、P、ぎ穿。琶︵①ε︶o♪日、三k−﹀菖ぴq奏♂一G。。。Oを指す。Hき自黛。昌”凶鍔F七・b。OG。・ 四 螢業簿記の科學性︵倉計學の焚展︶ 東印度脅肚の永績的資本の募集と七戸原則︵9︿錠①民四望。乾①︶を樹立したことが永績的企業資本成立の一例であっ て、その後、有限責任制の確立によって法的に資本維持の途が講ぜられたという前蓮の事情は、夏時の歓洲での一般的傾 勘定學説の展開 五九勘定學説の展開 六〇 向である。しかしこれが計算原理に實質的反映を示すには問題が不足であった。試みに近代資本主義企業の重要問題たる ① 減債償却法について見ても分る通り、問題としてはぢぢヨ。集の︵温葵︶からはじまって居り乍ら≦●貯7身瀞ゴ︵HG。脅︶ の示した當時としては最上の實践と考えられる方法でさへ、固定建直勘定を商晶勘定と同じに取扱い、棚卸項目の中に入 れ、期末棚卸額について賞却と見倣して貸方記入する。これによって責却損の形で償却費が求められた。減債償却親が全 く現代のそれと異る如く、Ooの﹃ぎooヨρ闇接費、前佛費用、見越負債といった昔日は勿論未だ出て覧て居ない。既に永 績化した企業の期間計算のための素地は存して居りながら、計算理念の未載蓬な点に動囚不足が窺われる。 會肚資本に與えられた法的性格一−株式の譲渡性、株主の有限責任性、資本金維持の原則、等はとりも直さす法律の立 場からする會融資本の永績的維持の保誰に外ならない。この形式的枠づけの中にあって、・實質的維持の保誰をするものは 會計原則である。期闇的損盆の限定というも、配転し得る損釜の計算、叉は資本︵剰余︶と利釜︵剰余︶の嚴密な分離計 算というも皆この問題に外ならぬ。配當原則が掛立されて以來、舌面金を続って交々判例が礎され、會計學はこれに基礎 を提供した。か、る中から原則が樹立されるときそこに法人格の會計學的認識が成立する。 ︵そのために出現した問題群 も セ を今は腎見する余白さへない。︶即ち、契機としては法律上の紋下成立を考えるけれども、簿記墨はこの法的規定に滑っ て計算する技衛的原則を勢熟することに絡始したのではない。實にこの問題を通して簿記は資本そのもの、資.本實態 ︵国難葺団︶の運動を把握する。盗本循環︵取引︶の成果を緊密に把握する方法の樹立へと駆り立てられ内眞に科學として 成立するための動因があたえられた。たばに法人格の確保にとゴまらす、資本一般の経意力の維持が要求される。この要 求は肚含生活の本源的要請に慮じる資本の経濟的性格であって、法人はこれを全く其体的必然的に要求される。しかしこ の認識によって幾多の矛盾と擬制から解き放たれたのは立入企業の資本意である事に注意すべきで、簿記のこの獲展は會 肚企業の個別理論として債値あるにあらす、維濟的企業活動一般の普遍的にして純粋直接的認識方法としての簿記理論ひ O
噌 いては筑。ぎぬOo旨。①遷の倉計理論の獲展に功があった事を張調すべきである。 簿記理論に於ける螢業論国匹敵団昏㊦○ユΦのは三層にか、る位置にあって、か、る債偵をもつ。螢業溌なる語は實は實体読 とすべきだったかも知れない。盛業読といえばとてベルリナー︵7臼£o口h吋①α じ口①﹃一⋮口Φ﹃︶のO①の。霧坤の号8ユ①を含むさらに ② 卜い国恥を指すのであるが、リットルトンが同義と解しているので用い慣れた﹁王業﹂の語を採った。しかしスガンツイ ニの因①9。房㎡凶ωoず①ロ夢ooユ①︵毒断論︶の方に遙に近いものである。これらの総体概念である。 Oo霞。① oωあ①ロ①三一をはじめとして、 ︵HりO︶Uσ﹃oめ犀ヨ国Pω箔p。μ践β凶一Z輔。匹す互切①客月①5H伽。コOoヨび①彊”Oのび鋤ゴ5 ℃9謬。ジ↓巴二四欝O﹁o沼り勺鋤bρもつ。ずヨΩΩ二①ロσ嚢。o﹃芝鎧σ・等その殆どが二十世紀の墨者である。中には學問的影響の明白 なものもあれば然らざるもあり、論旨も直々である。その一々を示すことをせす一毛をもつて螢業説の結論を示すの外は ない。前と同様先入の研究を参考にされたい。 根本的には資本主と企業資本の分離が行われる。資本勘定が物的概念となり、もはや資本宅個人との貸借關係ではなく なる。ベルリナ!の忍業學詫は理念としては正にこの立場に威するが、但し、資本は企業が負う借物としたのは方法とし ては代理人槻への逆戻りである。スヌイユは、 ﹁企業は商入の勘定に記入することあたかも画く他人のために開設したロ 座になす如く記入する⋮⋮﹂と言っている。これにゴムベルグは讃意を表し、 ﹁資本主は生利の点からも利盆の点からも 債灌者とは同じでないので、その相違は認めなくてはならぬが簿記はかような第三者關係の認識が課題ではなく、全く別 の企業内の債値に關するものである﹂として嚴密に止めを刺した。 企業資本の分離が成立すれば、簿記は自主的計算として、企業資本そのものを構造的に、循環的に、機能的に純粋直接 的に把握する立場が可能になる。ニツクリシユの機能的資本壁面観は良くこの問題の本質を衡き、オスバールは﹁企業の 立場からの貸借夕照表﹂に曾て企業の貨幣経濟的椿造の基本表示、経濟的機能の考察という立場から認識を進める。シユ 勘定學説の展開 六一
勘定學設の展開 六ニ マールンバツハ・ワルプの貨幣勘定の性格、スガンツイニの貨幣勘定︵統制勘定︶系統に於ける貨幣資本の計算の立場と 蓮るものを感じるG か、る共通地盤に立って展開される簿記の理論構造を基本的類型にはめ込むことは容易ではない。大略次の貸借樹照表 を考えているQ 隣 認睡瑞 廿
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滞回鯨羅曲11爆 ﹂鮎 燐 卦 資産は債灌者を滞足せしめるための流動化を待つ担保でなくて、生塵的使用を待つところの生産的支出、生産によって 新上値を生じこれを給付して得られる牧釜に封慮︵且つ回向︶せらるべき前彿された生産的資本投下︵支出︶。である。 ーシユマーレンバツハ・ワルプ・ゲルトマツヘル・フオルソム・スガンツイニー叉は活動しつ、ある、循環中の資本の機 能形態と考えられる。ーニツクリシユ・パーペ・オスバール・ゴムベルグ・タルモングロス一二体たる企業資本の爾面把 握という認識方法は二元論の不徹底を招くと非難されたが種々なる意味で>11囚方式を基礎とした一派が存したゆこの一 派では利釜は形式的には資本側に入り、損谷計算書が從的存在となったけれども、實質的には資本とは全く切り離された 幕本概念であって、資本主論の如くその源泉を問わない。資本主の純財産の増加ではないその原型叉は典型をニツクリシ ユの資産H潜在サービス・費用一活動サービスの思想の中に絡み取る事が出來る。利盆は資本運動の成果として前佛され た出費を超える回牧債値余剰、換言すれば、資本投下の巧妙さに忘して企業が得る報酬であると考えられる。かくてこの 成果の生成が現實の費用に謝慮する牧釜、叉は、現實の投下資本生塵的支出に封ずるその回牧補償の体系として、簿記が 認識すべき實質的封敦となる。 ︵動的槻成果學溌︶資本の循環静態の認識に立つにせよ、循環動態の認識に立つにせよ、虚 資本循環が直接的封象となった点を螢業玄圃の方法的特質とするのである。 負債の資本性が認識されることは金融資本の経濟的機能の認識を示し、近代的資本主義の妻達に側圧する簿記學、脅計 ③ 學の獲達を示唆すること、資産の費用性の認識が幡羅計算論に基礎理論を提供する功績、等螢業學読が簿記論の講話理論 化に齎.した功績は大きい。 この最後の展開は小論の全巾を費して荷卸充分な主題、且つ︸磨の研究によって裏付けされるべき課題としてさらに將 來の成果を約して閉じねばならない。たy扇頭に述べた如く、簿記學の百計學への稜展という皮的考察の意圖を獲表する に止った事は淺念である。 ・① ピ坤三。8巨L露乎℃・b3b。←。区h<﹂︶①葺㊦9暮ぎごこの部分は木村和三郎教授﹁原書計算諭研究﹂に要約されているものがある。 ② 日戸梓二〇δ∬旨建.亨同逡. ③ H・捧一躰。F一露3㍗H鵠こ、には未紹介の米入国ρ国〇一・。書あ毎冬學の素養を生かした學説︵前後二者︶.、類おぎσ9一。鑑﹀。︵。一ぎ蔓、 ..hb臓。o︹>8。巨冨..の興味ある見解、及訂貧ぎ零の一部等が出ている。しかしO。巨ぎ贔の著の影響が大きいのでぼないかと思う。 因に砿95碧δロげ鴛F毛巴ぴが出て來ない事にも留意願いたい。 弔 勘定學読の展開 六一二