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情報公開法について (陵水六十年記念論文集)

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情報公開法について

名誉教授 森 順 次 1 近代憲法原理と情報公開制  今日一般に論ぜられている情報公開制は,国民主権主義に立脚する徹底した 民主主義憲法に保障されている国民の「知る権利」(right to know)を基礎と する制度であるとされる。現代では,近代憲法の古典的な自由権の中核をなす 「言論の自由」ないし「表現の自由」の中に「知る権利」が包含されているこ とは,広く国際的にも承認されている。  例えば世界人権宣言(昭23・12・10)第19条は「すべて人は,意見および表 現の自由に対する権利を有する。この権利は,干渉を受けることなく自己の意 見をもつ自由,並びにあらゆる手段により,また国境を越えると否とにかかわ りなく,情報および思想を求め,受け,かつ伝える自由を含む」と規定し,国 際人権規約(昭41・12・16)B規約第19条第2項は「すべての人は,表現の自 由についての権利を有する。この権利には,口頭,手書き,もしくは印面・芸 術の形態または自から選択する他の方法により,国境とのかかわりなく,あら ゆる種類の清報および思想を求め,受け,かつ伝える自由を含む」と規定す る。  また国内法でも1949年の西ドイツ基本法(ボン憲法)の第5条第1項は「各 人は,言語,文書および図画をもって自由にその意見を表明し,および流布し, および一般に近づくことのできる情報源から妨げられることなく知る権利を有 するσ出版の自由およびラジオおよび映画による報道の自由は保障される。検 閲は行われない。」と規定し,明確に「知る権利」を保障する。わが国では現 行憲法に「知る権利」を規定した明文はないが,最高裁決定は昭和44年12月26

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 2  彦根論叢 無水60年記念論文集(222 ・ 223号) 日「報道機関の報道は民主主義社会において国民が国政に関与するにつき,重 要な判断の資料を提供し,国民の『知る権利』に奉仕する」と判示している。  このように「知る権利」は,第2次大戦後明文をもって表示されるようにな ったが,考えてみれば,いかに言論の自由が保障されていても,現実の政治や 行政について実状を「知る権利」によって裏打ちされていなければ,民主主義 の基礎的な人権としての言論の自由が十分に機能するはずはない。それ故に, ヨーロッパ大陸において最初に絶対王政を打倒したフランス革命(1789年)に おける人権宣言でも,第11条で「思想および意見の自由な伝達は,人の最も貴 重な権利の一である。したがってすべての市民は,自由に発言し,記述し,印 刷することができる」と規定したあとで,第15条に「社会は,その行政のすべ ての公の職員に報告を求める権利を有する」と規定しているのである。  したがって「知る権利」は/8世紀の民主主義の理論のなかでは,いわば自明 の基本的人権と考えられていた。 「知る権利」について語られる場合に常に引 用されるマディソン(アメリカ憲法制定者の1人)の「民衆に情報を与えな い,もしくは情報を獲得する手段を与えないでいて,民主的な政府だなどとい うのは,道化芝居の序幕か,悲劇の序幕か,どちらかである。いやその両方で もあろう。知識はつねに無知を支配してやまないだろう。そして自分たち自身 が統治者であろうと意欲する国民は,知識が与えるところの力をもって,自か らを装備しなければな:らない」 (1822年8月4日付パリー宛書簡)という言葉 も同様の意味をもつわけである。  しかしアメリカで「知る権利」について特に深い硬究が行われるようにな ったのは,奥平教授の指摘によれば「この領域での画期的な研究業績である Harold L. Cross, The People’s Right tO know(Columbia Univ. Press,!953)       つ が公刊された」前後のことである。この時期にいたって何故に「知る権利」が アメリカで急にとり上げられるにいたったかについては,種々の原因があると 思われるが,その最も主要なものとして,この時期における行政権の飛躍的な 1) 奥平康弘・「知る権利」57頁。

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拡大強化を挙げるべきであろう。後に述べるごとく,アメリカ憲法における三 権分立主義の貫徹は,本来的にアメリカの行政権を極めて強大なものとしてい るが,それが質的にも量的にも強化・拡大された時期に「知る権利」が強調さ れはじめたのは至極当然とされよう。 9 イギリスと情報公開制  ところで,アメリカを含めて,現代の多くの国々が情報公開制を問題として いるなかで,イギリスだけがこれに大した関心をを示していないのは,イギリ スの伝統的統治原理としての「法の支配」の慣行に由来すると見てよいであろ う。この政治原理は長いイギリスの政治史における,議会と国王の政府(行政 権)との激しい対決のなかで確立・伝承されてきたものである。もともとイギ リスは地政学的に島国であった関係で絶対王政期から国王の周辺に陸軍がなか った。王の政府は議会の意に反して政策を強行する物理的力を具えておらず, 議会のコントP一ルに服さざるを得ないことが多かった。大まかに言って「強 い議会,弱い政府」という図式がイギリスの議院内閣制の礎石である。このよ うな統治の仕組みの中で「法の増配」の伝統が中世以来,脈々としてうけつが れてきた。  「法の支配」は,周知のように,タイシイ(Dicey)の「憲法研究入門」(1855) によって,3つの意味をもつとされた。第1は専断的権力の支配の否定,第2 は国の官吏も一般国民と同様に通常の法(regular law)に服する,第3は国民 の人権の保障である。この3つの意味を総合すると,国民も官吏もひとしく通 常の法によって規制され,官吏とくに行政官の権限行使は適正であるように, 実体的にも,手続的にも通常の法によって規制されるので,広い自由裁量権は 認められず,したがって行政官が通常の法に違反して権限を行使した場合は, 行政官だけを対象とする行政裁判所というごとき特別の裁判所ではなく,通常 裁判所の裁判に服し,これによって行政権による人権の侵害が救済される仕組 みということになる。つまり通常裁判所の個々の判例の中に,具体的な人権が 示されていると考えるわけで,他の成文憲法をもつ国のように,憲法上保障さ

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 4  彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号) れた人権が予めあって,それが裁判判決によって確保されるという考え方では ない。r個人の自由は,イギリスにおいては,法によってのみ個人を制限しう ることの反映にすぎない」(ダイシイ)とされるのもこれを指している。こう してイギリスでは成文憲法による人権の保障も必要がないし,人権宣言も必要 がなく「法の支配」の原理だけで十分である。したがって「知る権利」をもち 出すことはない。  とりわけ此処で注意すべきことは「法の支配」にいうところの法は,その実 体の公正であることのみならず,同時に手続の公正さをも要求するものであ り,ここに英法の基本的特徴の一とも見られる適法手続(due process)の原理 が強調され,双方聴問の原則,偏見排除の原則などを中核とする自然的正義 (natural justice)の実現を内容とする行政手続法の体系の整備を見るにいた り,国民の人権が行政機関によって不当に侵害されることを防止している。  以上に概観したイギリスの状況は,現在のイギリスが情報公開法に関心を示 していない数少ない国の一つであることを理由づけると見てよいであろう。勿 論イギリスの「法の支配」の原則も歴史の流れの影響をうけており,とりわけ 1911年目国会法の改正や1949年のその改正法によって下院の絶対的な優越性が 確立され,「通常の法」も事実上は下院の多数党の意思によって定められるこ ととなった。したがって「法の支配」は20世紀に入っては「国会制定法の支 配」にとって代わられたのであるが,しかし下院の多数党は,数をたのんで不 公正を押し通すことをすべきではないという確信が厳存する。ここに一旦はと って代わられたかに見える「法の支配」が再び生々とはたらいて多数党を拘束 し,かくて国会制定法はコモン・ロオの成文化であり,コモン・ロオは中世の 絶対的な道義的命令としての普遍的な法の実定化であると観念せられる状況, つまり,中世の絶対的な道義的命令が現代の公正な国会制定法の中に生きてい ると観念される状況が今日もなお連綿と続いている。イギリスには成文憲法は ないから,国会一事実上は下院の多数党の立法権を制約する法的規範は存し ないが,それだからといって下院の多数党は何でもできるわけではなく,かつ て横暴をきわめた国王を断頭台に送ることさえ辞さなかった「法の支配」の伝

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統によって厳しい制約をうける。  こうしてダイシイが不文のイギリス憲法の深奥に存するとした「法の支配」 と「国会主権」の二つの原則は,ダイシイ自身が指摘したように,外面的・形 式論理的には予盾し,「法の支配」を強調すれば,国会はこの法に拘束される から「国会主権」は成立せず,逆に「国会主権」を強調すれば伝統的な「法の 支配」の作動する余地はないということにならざるを得ないが,イギリスの憲 法運用の実際においては,この矛盾的な両原理の統合がはかられていると見得 るのである。そして両原理の統合の仕方についての疑問は,もとより成文憲法 のないイギリスの事であるから,裁判所の違憲審査という法的手続によること を得ず,もっぱら政治的手続一具体的に言えば国民の投票によって判定され ることになり,此処にイギリスにおける下院の総選挙の重要な意義が見られ る。それはそれぞれの時代の当面の問題に対して伝統的な「法の支配」の観点 から決断する最も厳粛な国民投票たる性格をもつ。  以上のようなイギリスの「法の支配」は,やはりイギリス特有のものであ る。アメリカはイギリスの影響をうけて「法の支配」の原理を継受している が,成文憲法で人権を保障しているし,裁判所による違憲審査制度もとり入れ るにいたった点など根本的にイギリスとは異る制度をとると見なければならな い。  そこで本稿の主題とするところにしたがい情報公開制に立ち帰って考察する と,イギリスでは,他国で情報公開制が要望せられる基盤となっている諸種の 事項,すなわち小さな政府,開かれた政府,ガラス張りの政治・行政,国民の 行政に対する監視と参加などの諸要請が長期にわたって歴史的に発展してきた 議院内閣制による議会の監視機能をはじめ,強固な地方自治制の確立や整備さ れた行政手続法などの諸制度を通じて充足されていると見られる。さきに一言 したごとくイギリスは情報公開制について最もおくれていると言われるが,逆 にその必要を感ずることが最も少ないとも考えられるのである。とりわけ「法 の支配」の原理から直接的に導かれる適法手続の原理は,行政運営の民主化と 公正化,行政の円滑化と能率化,行政権に対する国民の権利保護の適確化,行

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 6  彦根論叢 陵水6Q年記念論文集(222・223号) 政救済制度の合理化などの成果をもたらした。それはひっきょう,人間の行う 決定,したがって行政官の行う決定には誤りを犯す可能性があるから,利害関 係者にその決定過程に参加させる必要があるという確信にもとつく。かくて告 示,聴問,意見書提出,不服審査など各種の行政手続は単なる形式的手続では なく,行政の公正さ,適確さなど実体を同時に含む手続であり,この過程を踏 むことにより,情報公開の必要性は減少せしめられるのである。 皿 アメリカの情報公開制と戦前のわが国の行政法体系  これに対してアメリカは,一口に英米法と呼ばれるごとく,イギリスの法制 から決定的な影響をうけている。しかし前にも一言したごとく重要な諸種の相 違点をもち,とりわけ,議院内閣制を斥けて厳格な三権分立制を採用してい る。厳格な三権分立制は,本来は立法権の定立した法律にしたがうべきものと される行政権を,現実の行政の運用において極めて強力なものとする一面をも つ。すなわち,行政権に固有とも言える自由裁量権を駆使したり,場合によ っては法律に対して独自の解釈を加えるような可能性もあり,それに対して議 会が批判を加えても,行政権と立法権の分立を盾としてそれを無視すること も可能である。前述のごとくく強い議会,弱い行政府”と評されるイギリスの 議院内閣制に比較するとアメリカの行政権は格段に強く,行政権の頂点に位 置するアメリカ大統領は,現在世界で最も強い権力を把持すると言われるので ある。  そこで当面問題とする情報公開制についてもアメリカはイギリスとは異なっ た方向を辿らざるを得ない。政治の腐敗など特殊な国内事情にもとづいて,い ちはやく情報公開制を採用したスエーデンなどを除けば,アメリカはこの制度 採用の先進国と言えるのであって,連邦の情報自由法(Freedom of Inform− ation Act,いわゆるFOIA)が制定されたのは1966年である。しかしそれ以前 においても既に古くから国民の権利を擁護するために,例えば訴訟遂行上必要 な場合には公的記録を閲覧する手続がコモン・ロオ上認められていたり,更に 1946年の行政手続法(Administrative Procedure Act, APA)第3条に利害関

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係者が広く公的記録を入手できる旨の規定がある。事実,前記「情報自由法」 およびそれと関連の深い1976年の行政機関会議公開法(Govemment in Suns− hine Act)は行政手続法所定の公告(pub五ic information)の改正という形式 をとって制定されたものである。そのためFOIAについも,これを行政手続 法の枠内にあると解する説と,憲法に基礎をもつ「知る権利」を具体的に実現 するための独自の制度と解する説が成立する。この両説の相違は一般的に行政 手続法の枠内にあると考えれば,①憲法上の基礎は適法手続条項,②公開され る清報は特定,③公開請求権をもつものは特定の利害関係者,であるのに対 し,「知る権利」を基礎とする独自の制度と考えれば,①憲法上の基礎はF知 る権利」,②公開される情報は原則として一切の情報③公開請求権をもつ者 は「なんびとも」(any person)というようになるであろう。しかしアメリカ のFOIAは現在問題として取り上げられている改正の方向などを勘案すれば, 必ずしもこのいずれかに決めつける必要もなさそうで,両方の性格を併せもつ とも言えよう。  こうしたアメリカの状況を考えると,わが国の中央政治の段階で,もし情報 公開制を採用するとすれば,おそらく「知る権利」を基礎とする制度とならざ るを得ないだろう。というのは明治時代以来わが国の行政法はドイツの理論お よび制度をうけ入れて組み立てられており,およそ英・米のごとき行政手続法 の制度は受け入れられなかった。のみならず更に根元にさかのぼると,前述し たごとき「法の支配」の原理から遠く離れていた。とりわけ官吏と国民がひと しく通常の法に服し,ひとしく通常裁判所の裁判に服するという原則は拒否さ れ,行政機関の行う行政行為は「行政裁判所」という特別の行政機関によって 裁判され,しかも訴訟を提起できる事項は法律の定めるところによって限定さ れたり,損害賠償の請求は認められないなど厳重な制限があった。だからその 時代には,例えば消防自動車の運転手が火災現場へ行く途中誤って通行人を殺 傷したり,国立大学医学部教授が大学病院での手術後,患者の腹部にメスを置 き忘れて縫合したりした場合にも,行政訴訟では損害賠償は請求できないとい うような,今日からみれば考えられないような状態が見られた。概括的に言っ

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 8 彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号) て,国民の権利・利益を行政権に対して擁護するという考え方に欠けていた。 そしてこれはドイツ・フランスなどヨーロッパ大陸の行政法に共通する特微 で,わが国はそれを忠実に受け入れ,昭和20年終戦にいたるまでこれを持続し ていた。それは中央集権的な官僚支配に恰好の場を提供するものであり,言葉 をかえて言えば国民を愚民視し「依らしむべし,知らしむべからず」とする官 僚政治に好都合な:行政法体系であった。  この体系は国民の権利・利益の擁護に欠けるところはあるが,すぐれた官僚 が専ら国家的観点に立って政策の立案・遂行に当れば,すばらしく能率的な統 治効果をあげる可能性があることは否定し得ない。明治以後のわが国が後進国 でありながら,急速に先進国の域に到達し得たのはこの行政法体系採用のお蔭 といえる点もあろう。事実,明治時代の中央政府の官僚の上層部,もしくはそ れへのコースにあると見られる一群の人達は,真に国家・国民のため最善の政 策を企画・立案・実施するについて日夜はげしく論争し,先憂後楽の精神に徹 したと伝えられる。そこでは個人的・部分的利益の追求は唾棄すべきことと考 え.られていた。しかし何といってもそれは民主的行政に反し,また官僚の権限 濫用・腐敗などによる行政の不公正さ,国民の権利・利益の侵害など決定的な 弊害を生むおそれがあり,とりわけ行政機構としては地方自治制の発達を妨害 した。終戦にいたるまでのわが地方自治制は,周知のように府県制は官選知事 のもとに不完全な自治を認められたにすぎなかったし,市町村制もまた,大正 デモクラシーの一時期に自治制の拡大・強化の方向に進んだことがあったとし ても,昭和の初期から戦争が近づくにしたがって急速に自治制制限の方向をと ったのであった。 IV 新憲法下の行政法体系と情報公開制  新しい憲法の下で中央政治もイギリス流の議院内閣制が採用され,行政権は 議会によってコントロールされる建前となった。また行政裁判所の制度は廃止 され,行政事件をも含めてすべての司法権は一元的に通常裁判所によって行わ れることとなり,アメリカにならって違憲審査制度も採用された。国政の基本

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ぽ大きくイギリス・アメリカの「法の支配」の制度をとり入れ,それに伴って 政治の中枢部門をはじめ建築行政,都市計画行政などの行政分野において,各 種の審議会の設置や公聴会の制度が定められることになった。しかしこの種の ・各種審議会や公聴会などはイギリス・アメリカの「法の支配」の原理に立脚し た制度のごとく,利害関係者の意見を十分に取り入れて,真に公正な行政を行 うための組織として機能していると言えるだろうか,という疑問が各方面から 出ている。公聴会の形式を踏みさえずれば足りるとする考え方が露骨に現われ た例さえある。それはひっきょう,法律や制度の大きな変革にもかかわらず, 統治の基本原理としての「法の支配」の精神が生かされず,旧態依然たる官僚 支配が存続しているからである。そこでは中央集権的であると同時に,各官庁 の割拠する「縦割り」行政の体制をあくまでも維持しようとする官僚群があ り,それが予算配分や諸種の行政施策について政界や経済界と密接に結びつい ていたことは周知のところといえるであろう。  これに対して昭和40年代に外務省の秘密漏えい事件が起り,報道の自由や国 民の「知る権利」が声高く論ぜられた。ついで50年代にはいってPッキード事 件グラマン事件等国民の関心を引いた問題についてアメリカの情報公開制度を 通じて情報がもたらされるなどのことがあり,急激にこの制度への要望が高ま った。それ以前から消費者団体や薬品被害者団体などが関係官庁に対して情報 公開を要求することがあったが,ロッキード事件などはこれを言わば国民的要 求にまで拡大したとも見られる。こういう状勢を背景に一して,弁護士・学者等 で構成される自由人権協会が54年8月にわが国で初めての情報公開法要綱を発 表した。 (それはのちに山形県金山町がわが国で初めて情報公開条例を制定し た時に参考とされた)。政府もこの状況を無視し得ず,55年1月大平首相が第91 通常国会の施政方針演説のなかで「最近,いわゆる情報の公開と管理について の論議が高まっております。政府は,これまでも,その改善に努力をかさねて まいりましたが今後とも情報の円滑な提供と適正な管理を図るため,鋭意検討 を行い,所要の改善措置を講じてまいる所存であります。」と述べ,これにもと づいて55年5月27日付けで「情報提供に関する改善措置:等について」の閣議了

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 10 彦根論叢 温水60年記念論文集(222・223号) 解が行われた。それは「各省庁は,従来から,白書の刊行,資料の開示等を通 じて情報の提供に努めてきたところであるが,この際,行政の適正,能率的な 運営に留意しつつ,一層円滑な情報の提供を図る見地から見直しを行い,その 改善充実に努めることとし」そのために,できるだけ速やかに情報提供のため の手続・窓口の整備,情報提供の充実(国民生活に役立ち公開に適すると認め られる主要な刊行物,統計,資料等の目録作成,公文書等の国立公文書館への 移管,及び国立公文書館における公開措置の促進等)情報提供に関する国民へ の周知などに努めるとともに,今後,情報の管理,提供の改善を図るため,情 報の体系的分類,保管・保存方式,保存年限等について全般的見直しを行うと ともに各省庁に共通する公開基準の策定について検討し,あわせて諸外国にお ける法制とその運用の実態について研究を行うなど,わが国の実情に合った情 報公開に関する法制化の諸歯痛について,輻広く検討する,というのであっ た。これは従来の政府の態度に比すれば画期的とも言うべき重要な改革ではあ るが,そこに示されている基本的立場は,あくまでも政府の側からの情報の提 供すなわち広報活動の整備・拡張と見られるのであって,国民の「知る権利」 に対応する政府の公開義務を内容とするいわゆる情報公開制ではない。        ラ  これに対し野党各党の対策をみると,野党第一党の日本社会党はロヅキード 汚職が争点とされた昭和51年総選挙に際して政治腐敗防止対策の重要な一環と して,国民の「知る権利」を尊重するため,情報公開制度を確立すべきことを 主張,55年情報公開法の原案を作成,56年国会に提出したが,党の方針として は地方自治体に情報公開制度を作る体験を積み重ねることにより,国会での法 の制定に努力するというのである。また公明党は51年11月情報公開法制定を提 言,55年6月情報公開法案の要綱を発表,56年5月19日公明・民社・新自由ク ラブ・社会民主連合のいわゆる中道4党共同で「公文書公開法案」を第94通常 国会に提出した。さらに共産党も国民の「知る権利」に応えるため56年第94国 会に「行政機関の公文書の公開に関する法律案」を提出した。これら野党各党 2)法学セミナー増刊「情報公開と現代」64頁以下による。

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の立場は,大体において,政界・官界・財界の癒着による政治腐敗を防止する 礎柱として,国民の「知る権利」を基盤とした「情報公開法」の制定を目ざす 点で一致していると言える。  このように今日野党各党の要望する情報公開制は,従来行われたような官公 庁の広報活動による情報提供と本質的に異なっている。もとより広報活動と情 報公開制とは密接な関連をもっており,両者は相まって住民と行政との信頼関 係の増進,住民参加の充実,民主的・効率的な行政の推進に役立つことができ る。また広報活動が活発になれば,それだけ国民の側からする具体的な情報公 開の要請は少なくなるであろう。しかし広報活動がいかに拡大され,精緻化し ても,国民の立場からの情報公開の要求が完全に無くなることは起こらないだ ろう。それは執行する立場と監視する立場の相違とも言えよう。  したがって今後は,広報による情報の提供と国民の側からの情報公開の要求 とが二本の柱として,行政の民主化と効率化を計るために,互に協力関係に立 つべきものと考えられるが1国政の段階では,とりわけわが国で顕著に見られ る中央行政の縦割り型式にメスが入れられない限り,早急に情報公開制を取り 入れることは望み難いといえよう。現に先に述べた55年の大平内閣以来の政府 の情報公開制への歩みも遅々としており,臨時行政調査会でもその方向への確 実な見通しが必ずしも立っているとは言えない状況である。その直接的原因は おそらく明治以来の中央集権的な官僚制である。官僚制に対し深い洞察を加え たマックス・ウェーバーの「いかなる宮僚制も,その知識や意図の秘密保持と いう手段によって,かような職業的精通者の優越性を一層高めようとする。官 僚制行政はつねに公開禁止をもってする行為である。官僚制は,でぎるだけそ        お  の知識と行為を批判からかくまうものである」という言葉は現代日本にも当て はまるであろう。  日本だけでばない。明治以来終戦までのわが国の官僚制の模範とされたドイ ツでも,冒頭に記したように,西ドイツ基本法に国民の「知る権利」を保障し  3) マックス・ウェーバー阿閑・脇訳「官僚制.」66:頁。

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 エ2 彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号) ているにかかわらず,「情報公開という言葉がスエーデンやアメリカにおける ような情報公開制度,すなわち,全ての個人に対して認められる一般的な情報 開示請求権の原則を意味するものとすれば,西ドイツにおいては,情報公開制 度は存在していないと言わなければならない。……今日,西欧民主主義国家の 共通の財産となりつつあるかのようにみえる情報公開制度については,注目す べぎ展開はみられない。市民に対する行政情報の提供は,なお官庁の広範な裁 量に委ねられているという状況がある。こうした事情の背景には,プロイセン        の 以来の職業官僚制の根強い伝統の存在をみおとすことはできない。」西ドイツ では専門的行政能力で卓越する行政官僚は,依然として「職務上の秘密」の殻 にこもり,ただ自らの裁量によって相当量の行政情報を「広報」として公開す るだけである。また同じく官僚制の発達しているフランスでも,前示のごとく 18世紀末の人権宣言で情報開示を求める権利を国民に認めているにかかわら ず,従来開示請求権は認められず,ようやく1970年代になって公文書公開につ       ら  いての法案作成の準備作業が行政の側で行われ始めてきたにとどまる。そして 以上のドイツ・フランスの両国はともに「法の支配」の原理も認めない,いわ ゆる「大陸法」の法系に属することに注目すべきである。  しかし西ドイツもフランスも,さらに前に述べたイギリスも,ある時期,と りわけ重大な政治的疑獄の発覚した時などには,情報公開制を求める世論の圧 力によって,この制度を採用することになるであろう。 V 地方自治体における1惰報公開制  わが国の地方自治体では,すでにいくつかの町が条例を制定し,府県でも神 奈川が昭和58年4月から,埼玉が同年6月目らそれぞれ条例を施行している。  地方自治体で情報公開制をいち早く採用し得た原因としては,地方自治体に 4)浜田純一「西ドイツにおける行政清報の告知と広報」 シュリス1・742号.!981年,  6月5日号(情報公開・プライバシー特集)!36頁。 5)多賀谷一照「フランスの情報公開制度と運用の実態」上掲ジユリスト742号,141  頁。

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おいて国政には見られない各種の直接民主政的な制度が採用されていることな どもあげられようが,なんと言っても最大の根本的原因は,そこにおける行政 が首長と地方議会を車の両輪として,総合的・統一的に運営されるからである と言えよう。現実に自治体の一般職公務員の配置・転換も極めて流動的であ り,閉鎖的な点は認められない。それは中央におけるがごとき縦割り行政およ びそれに結びつく割拠主義的・閉鎖的な官僚制の成立を防止している。そのた め地方自治体は,その行政における各種の情報を総合的に収集・管理すること ができ,したがって住民の公開の要求に応ずることもできる。ただ現在の状態 が改善され,中央集権が排除されて地方分権が確立し,行政事務の再配分が行 われたならば,各地:方自治体の情報公開制は飛躍的な効果を発揮することがで きるであろう。  こうした地方分権を確立する機会は,現行憲法の下でも現実に存在した。と りわけ注目せられるのはシャウプ勧告である。敗戦直後から昭和23年頃にかけ て諸施策,とくに六・三朔による中学校の新設や自治体警察の創設は,地方自 治体の財政を圧迫し,さらにその上に昭和24年のドヅジ・ラインによる国の超 均衡予算のための地方配布税率の半減などのことがあり,地方財政は窮乏の極 にあった。これに対し24年5月シャウプ使節団が来日して実情調査に当り,同 年9月15日,占領軍司令部からシャウプ勧告全文の発表があった。それは大き く分けて地方財政の強化と行政事務の再配分の2つの方向を含んでいた。  第一の地方財政の強化は,従来の付加税主義を廃止して府県及び市町村にそ れぞれ独立財源を与え,他方これら独立財源のみによっては,富裕自治体と然 らざる自治体との間の均衡が失われるので,その調整のために「地方財政平衡 交付金制度」を設けることとし,従来の国庫補助金制度は一部の奨励的なもの のみを残してこれを整理することとした。しかも地方財政の強化に当っては, 地方自治の発達縛まず必要なのは府県よりも市町村であるという考え方に立っ て,基礎的な地方自治団体たる市町村の財政自治権確立に主眼をおき,府県は 後まわしとした。  第二の行政事務の再配分では,国,府県,市町村の三段階に分かれる日本の

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 !4 彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号) 行政事:務の執行は責任の所在が不明確で能率も悪く,ことに国民の立場からみ て納付した税金がどの段階でどの行政に使用されているか理解し難いものとな っているという観点から,行政事務を配分しなおす必要があるとしたもので, その際指導原理として挙げられたのは,①行政責任の明確化,②行政の能率 化,③地方自治尊重ことに市町村自治優先の三原則であった。  このシャウプ勧告に従い,昭和25年5月30日,従来の地方配付税制度を廃止 して,地方財政平衡交付金法が制定され,各地方自治団体ごとに財政需要額と 財政収入額とを測定し,前者が後者を越える部分を補うこととなり,また地 方税法も改正されて,地方税全般にわたる負担の合理化と地方財政の自主性 の強化を計ろうとする新地方税法は25年7月制定され,翌8月から施行され た。  以上のように地方財政制度の改正は時をうつさず実施されたが,行政事務の 再配分の方は殆ど成果を見ないままに,昭和25年6月の朝鮮戦争の勃発により 状勢の急転回を見るにいたった。シャウプ勧告が意図した地方財政の自主性確 立一行政事務の再配分による地方分権一地方自治制確立という方式は結 局,実現されなかった。とりわけ同勧告が奨励的なもの以外は原則的に廃止す べきものとした国庫補助金制度は,勧告頭初こそ減額されたものの,その後の 朝鮮戦争特需景気やそれに続く国の財政事情の好転とともに息を吹きかえし, 地方に対する中央官庁の統制の手段として中央集権の支柱となった観がある。 すなわち,中央の縦割り行政の機構の中でそれぞれ割拠する行政官僚は国庫補 助金の予算獲得のためにそれぞれ特定の国会議員と密接に連繋し,(国会議員 の中に農林族・文教族・国防族・通産族・道路族などと呼ばれるグループがあ ることは周知のとおり)地方自治体はこれらの国庫補助金の配分をうけるため に中央官庁へ運動する。こうした状況のもとでは真の意味の地方分権や地方自 治制の確立は望み得ないであろう。それは同時に国の行政について縦割りの官 僚機構が存続しつづけることを予想させ,他方,国政の段階における情報公開 制の採用は当分望むべくもないことを示すと言えよう。

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VI 地方自治体の情報公開の問題点  以上のごとく見てくると,差当り情報公開制の採用が可能とみられるのは地 方自治体だけであり,またさきに述べたごとく現実に行われている少数の例が ある。それらは国政段階における情報公開制の先駆的役割をもつものとして, 重要な意義をもつとせらるべぎである。というのはわが国における国政段階の 情報公開制の採用は,終戦以来30数年の間におけるアメリカ法の継受の定着を 基盤として,今や歴史的必然とも言える勢にあるとみられ,他方「法の支配」 をはじめとする新しい諸制度は,その実現を可能ならしめる条件をととのえて いるといえる。ただ問題は,ドイツ的な宮僚支配の伝統が厳存している事であ るが,これとても,行政改革・地方分権・地方自治の拡充確立等によって守勢 に立たされている。この時期,多くの地方自治体がそれぞれ「開かれた地方行 政」を目ざして情報公開制を採用することは,国政段階の情報公開制へ近づく 最も確実な道であると言えよう。  しかし国の情報公開法が制定されていない現在においては,地方自治体の情 報公開条例について数多くの問題点があることは広く知られている通りであ る。その中の重要なものについて触れてみたい。  (1)現在実施されている神奈川・埼玉の2県をはじめ幾つかの市町の情報公 開制は,いずれも各地方自治団体の条例によって定められている。これは住民 の権利もしくは義務を定めるものだから当然のことであるが,これまで例えば 各地方自治団体が環境アセスメントの制度を「行政要綱」の形で定めてきたの に比すると,特徴的である。しかし条例について憲法94条は,「地方公共団体 は・…・怯律の範囲内で条例を制定することができる」と定めるので,情報公開 条例を制定した場合その中に「法律の範囲内」にない事柄が含まれていること は当然予想されることであり,これについて慎重に配慮する必要がある。また 近頃は公害関係の条例などで,法律の規定する限度を越えた「上のせ条例」 「横だし条例」なども存在するから,それらとの関係も考える必要があろう。  (2)(1)とも関係するが,情報公開条例を制定した場合,情報公開を申請した

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 16 彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号) が拒否された住民の不服の申立を審議したり,自己のプライバシィに関する情 報に接近し,これをコントロールする事を求める住民の請求を審議するなど各 種の機関を設置する必要があるが,国の情報公開法のない現段階では地方自治 の一般法たる「地方自治法」にもとづいてこれを設置する以外にないだろう。 そこでこれに該当する地方自治法の規定は差しあたり第202条の3「普通地方 公共団体の執行機関の附属機関は,法律若しくはこれに基く政令又は条例の定 める所により,その担任する事項について調停,審査,審議叉は調査等を行う 機関とする」であると思われる。ここにいう執行機関というのは執行行政の決 定機関だから自治体の長と各行政委員会を指し,附属機関というのは執行機関 に附属している諮問機関としての各種審議会や調査機関なごを指すと言える。 したがって情報公開条例において一応の決定を行った執行機関と,その決定に 不服をとなえる住民との中間に立って第三者的立場で不服審査裁決機関を設け る必要があるとすれば,こうした機関は地方自治法上予想されていないという ことになるだろう。r附属機関」の解釈を拡げて第三者的裁決権をも認めよう とする説もあるが,かなりの疑問がある。地方自治法の別表第7には裁決権を 認められた各種審議会が掲げられているが,例えば建築審査会は建築基準法に というように,それぞれ法律にもとつくものである。  少なくとも現在のところ,条例のみにもとづいて裁決権を有する第三者的機 関が設置されている例は存しないと言えよう。そうだとすると地方自治体の必 要とするところを条例で定めるということは,そもそも地方自治の本旨に合致 することだから,必ずしも法律の根拠を要しないというような次元の高い憲法 原理のところに遡って議論しなければならないが,その場合は逆に「国民の権 利義務は必ず法律で定められねばならぬ」という法治主義の原理がそこなわれ るおそれもあるから,簡単こ結論づけることはできないであろう。  (3)更に今日では地方自治体の事務には多くの「機関委任事務」があるが, これは本質的には国の事務であるから,地方自治体の「情報公開条例」が機関 委任事務にかかわる公文書を公開できないということになると,機関委任事務 が地方自治体の行う事務の80%位を占めているといわれる現在では,情報公開

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の意味は大半失われるであろう。また機関委任事務にかかわる公文書でもこれ を公開する事務は地方自治体の事務と考えるのが住民の「知る権利」を保障す る所以であるという考え方をとるとすれば,実際問題として,公開に先だって 国との関係を十分調整する必要もあろう。  (4)情報公開請求の基礎を,「知る権利」に求めるとすれば,請求権は原則的 に住民に限定し得ず「なんびと」もということになろう。しかし条例で定める とすればやはり当該地方公共団体の住民を中心として,在勤者,在学者,当該 地方自治団体の地方税納税者等利害関係者に限定せざるを得ないであろう。な おアメリカのFOIAは「なんびと.」も情報請求権があるという立場に立つが, それに関連して各種の事例が報道されている。  そもそもアメリカをはじめカナダ,オーストラリアなど現代の西欧民主主義 諸国において情報公開制が競って採用されはじめている根本の原因は,それが 国民主権主義の必然的な要請であるということにあるが,同時に急激に発達し てきた通信技術・コンピューター技術などにより,まさに情報革命とも言える 大きな変化がおこり,国際的な拡がりをもつ情報社会の中で相互理解を深める ためには情報公開制度を採用せざるを得ないような状況にあるからと言えよ う。わが国でもすでに医薬品による被害の損害賠償を求める民事訴訟で,厚生 省がその薬品の成分などについての情報公開の請求に応じないので,同種の薬 晶についてのアメリカにおける情報を有力な資料として訴訟を提起したという 例もある。ここでは日本入がアメリカの制度を利用しているわけである。また 東大奥平教授は,1981年12月頃,アメリカで情報公開法に関する問題点を審議 中の行政審議会の会議を唯一人の東洋人として見聞した時,情報公開法専門の ある法律家が,この領域で企業利益が損なわれている状況の一つの事例として, 日本の企業が情報公開法を活用している例をあげ,恥ずかしい思いをしたと報     の 告している。それは鈴木自動車がトヨタ自動車の提出した排気ガス関係の環境 基準にかんするチータを,アメリカ環境庁に請求したというのであって,この 6)奥平康弘「アメリカにおける1青報公開の現状」 (一ヒ掲,法学セミナー増刊,75頁以  下)。

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 18 彦根論叢 陵水60年記念論文集(222・223号) 事例が語られた時,会合出席者はなんとも言い難い複雑な反応を示し,同教授 のうけた印象では,それは明るい町有ではなく,侮蔑さえふくむ不満密な苦笑 と感じられたので,恥ずかしく思ったというのである。情報公開制は,主権者 たる国民が政治を監視し,もしくは政治に参加するために,「知る権利」を認 めらるべきものとされるのであるが,このような本来の目的を離れて日本の企 業がライバル関係にある企業の情報を入手する手段として利用しているとすれ ば,アメリカ側が複雑な感情をあらわにしたのは無理からぬことである。わが 国でも,「知る権利」を基礎として情報公開制を創設するとすれば,開示請求 権は「なんびと」にもあるという議論が強く主張されているが,外国人にまで 広げることについては,先に述べた情報社会の国際化の傾向,ないし情報公開 法制定の必要性の国際的拡がりとは別個に考慮すべき問題といえそうである。  ㈲ 情報公開法で最も問題となるのは,個人のプライバシー及び企業秘密を どのような仕方で公開の枠外に置くかであろう。個人のプライバシーの保護の 問題は,「知る権利」と真正面から対立する人権と人権との衝突の問題であ り,最も慎重に対処すべき事項に属する。今此処でそれを取り扱う余裕はない が,基本的な考え方としては,弱い個人を強い社会的力からできるだけ守護し なけれぽな:らないということであろう。但しこうした力関係は社会生活の中で 千差万別の形態をとるわけだから,「知る権利」及び「言論の自由」とプライ バシーの擁護との両立をはかることは民主主義国家のいわば永遠の,しかも最 も重要な課題として取り組むべき事項であると言える。  これに対し企業秘密の問題はライバル企業や消費者団体との関係がはいり込 んでくるので極めて困難な様相を呈する。アメリカの情報公開法では9項目の 適用除外事項が示されているが,それは公開禁止と決まっているわけではな く,行政庁が開示請求に応じなくてもよいとされるものである。つまり行政庁 はこれらの事項に該当すると判断した場合でも,裁量によって開示することが できると解されているようであep ,これは情報公開が国民の「知る権利」にも とつくものである以上,さらにまた行政機関のもつ情報が元来国民のものであ ると考えられる以上,建前としては開示を原則的に禁止することは認められな

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いという基本的立場に立つからであろう。  ところで,上の9項目というのは,国家の安全に関する事項,政府内部の人 事に関する規則,特別法により非公開を命ぜられている事項,犯罪調査などの ために収集された記録個人のプライバシー,金融機関の規制に関する事項な どであるが,その中に「営業上の秘密および第三者から得た商業上または金融 しの情報で,秘密特約のあるもの」というのがある。これが企業秘密と呼ばれ ているものであり,これをめぐって問題が山積している。それは,企業秘密に 対して消費者団体が国民の健康保持のために開示請求をする場合,ジャーナリ ズム関係者が企業の社会的責任を追及する目的で開示請求をする場合,あるい はライバル企業が自己の利益のために開示請求をする場合など各種の例がある からで,ことに最後の場合のごときは,被害側企業が企業防衛のために,行政 庁に対して情報公開の差し止めを求める訴訟(逆FOIA訴訟と呼ばれる)を 提起する例が頻発しているようである。現在のところアメリカ情報公開制の最 大の問題点であり,改正の必要が論ぜられている課題の一であると言える。        一目召58.9. 6, 一一

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