転写因子タンパク質Bach1の天然変性状態制御の物
理化学的解析
著者
瀬川 圭
号
64
学位授与機関
Tohoku University
学位授与番号
医工博博第82号
URL
http://hdl.handle.net/10097/00129817
氏名(本籍地) 瀬せ 川が わ 圭け い 学 位 の 種 類 博 士(医工学) 学 位 記 番 号 医工博 第 82 号 学位授与年月日 令和元年 9月25日 学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当 研 究 科 、 専 攻 東北大学大学院医工学研究科(博士課程)医工学専攻 学 位 論 文 題 目 転写因子Bach1 の天然変性状態制御の物理化学的解析 論 文 審 査 委 員 (主査)東北大学准教授 村山 和隆 東北大学教 授 芳賀 洋一 東北大学教 授 木村 芳孝 東北大学准教授 神崎 展
論
文 内 容 の 要 旨
第一章 序論 天然変性タンパク質には、生理的機能から見ると疾患への寄与が大きく非常に魅力的な創薬標的分 子が多く存在する。しかしながら、従来の創薬アプローチである結晶構造解析が適用できず、タンパ ク質構造ベースの低分子化合物デザインができないため、創薬標的としてはほとんど取り組まれてこ なかった。転写抑制因子であるBach1 はヘムを内因性アンタゴニストとする天然変性タンパク質であ り、BTB ドメイン、bZip ドメイン以外の構造については不明な点が多い。Bach1 は、その機能を阻 害することで細胞保護因子であるHO-1 発現を誘導し、生体防御能を発現させることが期待されるこ とから創薬標的として魅力的である。Bach1 のヘムによる構造変化・機能変化についての知見は Bach1 をターゲットとする創薬に有用である。そこで、本研究では Bach1 タンパク質について (1)天然変性タンパク質に対するアプローチとしてどのような手法で何が可能か検討する。 (2)その成果としてBach1 タンパク質のヘム結合による構造・機能調節機構を明らかにする。 ことを目的とした。 第二章 Bach1 の調製 本研究ではヘムが結合して機能変化が生じるとされるCP3, CP4, CP5, CP6 に焦点を当てることと した。CP3, CP4, CP5 を含む 417 番目から 524 番目までの領域を N 末端側 Heme binding region(HBR-N)、bZip より後半の 631 番目から 739 番目までの領域を C 末端側 Heme binding region(HBR-C)とした。 マウスBach1全長(1-739aa)をコードする遺伝子を哺乳類細胞発現ベクターpCAG-neoに組み込み、 pCAG-mBach1WT を作製した。このベクターに対して点変異を導入することで CP モチーフのシス テインのアラニン変異体を作製した。 HBR-N あるいは HBR-C 遺伝子を組み込んだ pGEX-6p-1 ベクターを大腸菌に導入し、IPTG によ りGST 融合 HBR-N あるいは HBR-C タンパク質を発現させた。アフィニティークロマトグラフィー、イオン交換クロマトグラフィー、ゲル濾過クロマトグラフィーにより目的タンパク質を精製した。 本研究では細胞におけるBach1 の転写抑制作用をレポーターアッセイにより検討した。
Bach1 の CP モチーフ周りの局所状態を評価するため、HBR-N の3つの CP モチーフに対して 3 本のペプチド(P1: RRSECPWLGI、P2: SSVNCPFIST、P3: QQEPCPYACV)を作製した。
第三章 タンパク質分析手法の原理 紫外可視分光法はタンパク質や核酸は芳香環などによる紫外線領域の吸光係数などから濃度の検 定などに用いる。円二色性分光法は光学活性物質における左右の円偏光の吸収の違いを利用した分光 法である。分析超遠心はセル内の粒子の沈降の様子を解析するものである。動的光散乱では、タンパ ク質分子などの溶液中の微細な粒子にレーザー光を当て、光の散乱を観測する。拡散係数は散乱の自 己相関関数から求められ、結果的に溶液中の分子の粒子径を求めることができる。核磁気共鳴分光法 は有機分子の分析手法として広く利用される手法である。二次元NMR スペクトルを解釈することで、 ペプチド間の結合およびその距離を評価することができ、最終的には構造・コンホメーションを解析 することが出来る。MALDI-MS 法はイオン化に際しマトリクスを用い、レーザーのエネルギーをマ トリクスで吸収し蒸発させ、その際マトリクス中に混在する生体分子をイオン化するものである。 SPR は金の薄膜に相互作用を調べたい分子の一方を固定化し、もう一方を溶液として流し、結合させ た際のSPR 信号を検出し、相互作用を解析するものである。 第四章 アミノ末端部ヘム結合領域の物理化学的解析 HBR-N WT、mCP 及び nCP の遠紫外領域の円二色性分光解析の結果、ランダムコイル構造を示す 200nm 付近の強い負のピークを確認した。このことから、この領域は秩序構造を持たない天然変性状 態であることが示唆された。近紫外領域の円二色性分光解析の結果、HBR-N 及び nCP ではヘム依存 的に320nm 付近にピークが出現し、ヘム濃度依存的にピークが大きくなった。一方、mCP ではピー クは見られなかったことから、ヘム添加により出現した320nm のピークは HBR-N の CP モチーフ のシステイン依存的であることが示唆された。 紫外可視分光解析の結果、HBR-N WT と nCP は 6 配位及び 5 配位結合の両方を持つことが示唆さ れた。一方、HBR-N mCP では 6 配位結合だけが存在し、5 配位結合を持たないことが示唆された。 これらの結果から、HBR-N におけるヘムの 5 配位結合は CP モチーフ特異的であると考えられた。 しかしながら、化学修飾実験ではアクリルアミドに対する反応性はHBR-N mCP と nCP ではあまり 変わらないという結果であった。このことから、CP モチーフ依存的な 5 配位結合は CP モチーフの システイン残基とCP モチーフ以外のシステイン残基との反応性の違いにより生じているわけではな いと考えられた。ヘム滴定実験における427nm の吸収スペクトル変化は、HBR-N nCP では WT に 比べて3 つのシステインがアラニンに変異しているにもかかわらず、両タンパクにおいてほぼ同様の 推移となった。このことから、6 配位のヘム結合は CP モチーフ以外のシステイン残基とはまた別の アミノ酸残基を利用していると考えられた。一方、HBR-N mCP の 427nm の吸収スペクトル変化は WT の 60%程度まで減少していたことから、CP モチーフのシステイン残基はヘムの 6 配位結合に関 係している可能性がある。 SPR 解析の結果では、HBR-N WT では約 4 個のヘムが結合することが示唆されたが、HBR-N mCP ではヘムは結合しないという結果であった。このことはHBR-N の CP 依存的な 5 配位のヘム結合の みが観察され、6 配位のヘム結合は検出されなかったということになる。SPR 実験では常にマイクロ
流路中に流れが存在するため、不安定な結合のヘムは洗い流されてしまい、結合を検出されないと考 えられるため、6 配位結合は非常に不安定な可能性がある。 HBR-N で観察された摩擦係数は WT で 1.56、mCP で 1.76 であったことから、これらのタンパク 質はいずれも緩やかに伸長した形状となっていると考えられた。そして、HBR-N mCP よりも WT のほうがコンパクトな形状となっていることが示唆された。MALDI-TOF-MS を用いた検討では HBR-N WT でほぼ全てのシステイン残基へのアクリルアミド修飾が見られたことから、このタンパ ク質にはシステイン残基間のジスルフィド結合は存在しないと考えられた。システイン残基はタンパ ク質の立体構造において水素結合ネットワークの一部を形成しうる。HBR-N mCP よりも WT のほう がよりコンパクトな形状となった理由はシステイン残基による水素結合が考えられる。CP モチーフ 近傍のペプチドのNMR 測定の結果からは、その領域は伸長した状態であることが示唆された。その ため、ヘムはHBR-N の局所的な構造を崩すことなく直接 CP モチーフにアクセスすることができる と考えられる。 第五章 カルボキシル末端部ヘム結合領域の物理化学的解析 HBR-C WT 及び mCP の遠紫外領域の円二色性分光解析の結果、HBR-C WT 及び mCP の両方で、 206nm 付近に強い負のピークが見られたため、HBR-C の領域も秩序構造を持たない天然変性状態で あることが示唆された。HBR-C WT の近紫外領域の円二色性分光解析の結果、HBR-C WT では 3 当 量のヘム添加時に320nm 付近にピークが出現した。一方、mCP では 3 当量のヘムを添加してもピー クは見られなかったことから、このピークはHBR-C の CP モチーフのシステイン依存的であること が示唆された。 HBR-C WT と mCP の動的光散乱測定の結果、流体力学的半径はそれぞれ 2.88nm、2.68nm であ り、HBR-N と近い数値である。HBR-N と HBR-C は近い分子量であり、特に多量体化する機構も考 えられないことから、これらのタンパク質は凝集しておらず、単量体で存在していると予想された。 HBR-C WT と mCP の紫外可視分光解析の結果、HBR-C WT でも 6 配位及び 5 配位結合の両方を 持つことが示唆された。一方、HBR-C でも CP モチーフの変異により 5 配位結合が消失することが 示唆された。また、HBR-C WTの365nmの吸光度は3当量のヘムまで直線的に増加した。一方、428nm の吸光度変化はHBR-C WT 及び mCP のいずれでも 3 当量ヘムまでの濃度では飽和しなかった。6 配位結合を示す吸光度変化幅は、HBR-C では mCP のほうが 4 倍程度大きい結果となった。このこと から、HBR-C の 6 配位結合は HBR-N とは異なり、CP モチーフのシステインを介さず、他のアミノ 酸のみを使用している可能性がある。 SPR 解析の結果、HBR-C WT では約 2 個のヘムが結合することが示唆されたが、HBR-C mCP で はヘムは結合しないという結果であった。HBR-C でも CP 依存的な 5 配位のヘム結合のみが観察さ れ、6配位のヘム結合は検出されなかった。HBR-Cとヘムの解離定数はHBR-Nよりもさらに大きく、 10μM を超える結果となった。おそらく部分タンパクである HBR-C として実験したことが主な原因 であり、Bach1 全長分子に対するヘムの親和性は大幅に高いものと予想している。 HBR-N と HBR-C とのプルダウンアッセイの結果より、両分子の共沈降は確認されず、プルダウ ンアッセイで確認できるほど強力な結合を持たないことが示唆された。両分子は静電気的に引き付け あっていることが予想されるが、本検討では明確な結合は確認されなかった。 第六章 細胞内におけるBach1 のヘム応答
HO-1 プロモータアッセイにより Bach1 の CP モチーフ変異体の転写抑制作用への影響を検討した 結果、いずれの変異体においてもWT と同等の転写抑制作用が見られた。このことより、CP モチー フの変異ではBach1 の転写抑制作用は障害されないことが示唆された。また、CP モチーフ変異体の ヘム応答について詳細に検討した結果、CP モチーフ変異体の数に依存してヘム応答が減弱すること が示唆され、CP モチーフ全てに変異が入ってしまうとヘム応答がほぼ消失することが確認された。 このことから、ヘムによるBach1 の転写抑制作用調節には CP モチーフが必須であることが明らかと なった。
mammalian two hybrid assay により Bach1 と NCOR1 の結合を検討した結果、全長 Bach1 WT において明確なシグナル上昇を確認し、両分子の結合が示唆された。Bach1(521-630)において明確な シグナル上昇を確認したため、Bach1 と NCOR1 の結合領域は bZip 領域近傍と考えられた。全ての CP モチーフの変異体 Bach1mCP でも WT と同程度の NCOR1 との結合シグナルを確認したことか ら、NCOR1 と Bach1 の結合はヘムにより影響を受けないと考えられた。Bach1 と XPO1 の結合を 検討した結果、Bach1 WT、Bach1 (415-520)WT において明確なシグナル上昇を確認し、両分子の結 合が示唆された。また、Bach1mCP では両分子は結合していないこと、ヘム添加により Bach1 WT、 Bach1 (415-520)WT との結合が増加傾向であったことから、XPO1 との結合はヘム依存的であると考 えられた。
第七章 Bach1 分子機構モデル
Bach1 と MafK との複合体は bZip 領域でのロイシンジッパー構造により安定化され DNA と結合 できる。しかしヘムと結合することで各天然変性領域においてコンホメーション変化が起きる。 HBR-N ではこの領域が DNA 結合部位と隣接しているため HBR-N のコンホメーション変化は bZip-DNA 相互作用に影響を及ぼすものと考えられる。次に HBR-C においてもヘムが結合し、コン ホメーション変化が起きる。モデル構造からロイシンジッパー部のC 末側は特に HBR-N の方向に向 けられるわけではなく、コンホメーション変化の影響は近接した領域にある MafK の C 末部位 (111-156)との相互作用を不安定化させるのではないかと予想している。それによりロイシンジッパー 構造が不安定化され、上記HBR-N の影響と合わせて Bach1 を DNA から解離させやすくしているも のと考えられる。 第八章 総括 我々は本研究において可能なアプローチとそれがどのような情報をもたらすかを検討してきた。 多くの分析手法を駆使するということはターゲットの解析に対しいろいろな視点から光を当てること に似ている。それによりターゲットの一面のみでなく広い視野で議論が可能となる。天然変性タンパ ク質における“構造”とはそもそも何かということを考えると、揺らいでいてとらえどころのない、 しかしある一定の機能を発揮しうる状態というものがあり、それこそが天然変性タンパク質の“構造” なのではないかと考えている。本研究における多角的な解析によりBach1 タンパク質の多様な物理化 学的性質が解明された。それらを総合することで従来想像することすら困難であった天然変性タンパ ク質の構造として分子モデルの1つのイメージを形成することができた。
別紙1