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いわゆる補語構造“V 取"の変質と衰退について

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いわゆる補語構造“V 取"の変質と衰退について

著者

伊原 大策

雑誌名

東北大學中國語學文學論集

16

ページ

195-210

発行年

2011-11-30

URL

http://hdl.handle.net/10097/54186

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東北大学中国語学文学論集 第 16 号(2011 年 11 月 30 日)

いわゆる補語構造“V 取”の変質と衰退について

伊原 大策 1 はじめに 中国語の補語構造(1)には起源の異なるものが少なくないとは言え、多くの場合、発生や変遷 の過程で結果補語形と可能補語形とが関連を持っている。そのため結果補語形と可能補語形と の間で、しばしば“VC”

“V得C/V不C”という変換可能性が存在する(2)。 ところが一部の補語構造にはそうした変換可能性が存在しない。“V取”はそのうちの一つで あり、中古漢語期から近世漢語期にかけて頻用された結果補語形でありながら、“V得取/V不 取”という可能補語形の存在を文献上に確認できない。この事実は、“V取”が補語構造を完成 させる過程において、他の補語構造とは異なる条件の下にあったことを暗示する。 語法史研究の観点から見た場合、“V取”が生産性を伴って使用された時代は比較的短期間で あり、そのため従来の研究においては“V取”の変遷過程について簡単な記述で済まされてき た。すなわち、獲得の語義を持つ“取”が動詞と連用された結果、“取”の引伸義をきっかけに 文法化が生じ、動作の実現を示す補語構造“V取”が成立したとされる。しかし“V取”が連 動構造から補語構造へと移行する際の状況については、十分に検討が行われて来たわけではな い。 小論は、“V取”の変遷過程を新たな視点から跡づけることにより、これまで見落とされてき た“V取”の文法機能上の変質に注目することで、いわゆる補語構造としての“V取”の扱い に再検討を加え、あわせて結果補語形が一般に持つ“V得C/V不C”という形態が“V取” において成立しなかった背景にも考察を加えようとするものである。 2 先行研究と小論の視点 “V取”は語法史上において比較的短期間しか光彩を放たなかった句型であるにもかかわらず、

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“V取”の複雑な機能が早くから研究者の注目の対象となっていた。例えば張相 1953 は“V 取”の種々の用例を集めた上で、その文法機能に基づいて分類を試みている。日本においても、 日本語の「聴き取る」(“聽取”)や「奪い取る」(“奪取”)などの表現と類似性を持つためか、 好んで扱われるところとなり、“V取”を題名に含んだ論考のみに限っても、例えば藤原1968 は禅書に現れる“V取”の用例を収集して分析を加え、玄1986及び玄1990は中古漢語期の作 品に使われる“V取”について、その用法上の特質を明らかにしようとしている。 中国では張相1953以降も継続して“V取”に対する興味が維持され続け、劉・江・白・曹 1992は近代漢語に関する専著の中で一章を設けて“V取”の変遷過程を詳述している。この論 考はそれまでの国内外の研究を踏まえて要領よくまとめたものであるだけに、“V取”の発生と 変遷に関する先行研究の到達点はここにほぼ示されている。しかし中国において“V取”に対 する興味は現在もなお尽きていないらしく、劉敬林2006、林新年2006、褚福侠2009などの 論考が相次いで発表されている。 これらの他に、より大きな視点から“V取”を系統的に取り上げ、他の補語句型との関連の 中でその変遷過程全体を捉えた論考もある。例えば志村1974 は上古漢語期から中古漢語期に 至る時代を広く視野に納めつつ、“V取”を含めた補語構造全般の発生過程を詳細に描いている。 また劉承慧 1999は志村の業績を踏まえながら精密な分析を行うことで、補語構造の成立史研 究に新たな視点を加えようとしている。 以上の先行研究はいずれも、“V取”が中古漢語期に至って補語構造へ進化したとする。その 点自体は全体としてそれで適切なものであろうが、その考察過程で上古漢語の“V取”と中古 漢語の“V取”との間の連続性に十分な注意が向けられず、その結果、中古漢語期の“V取” に新しく生じた別の変化に気づかれていない。また“V取”に可能補語形が存在しない事実は、 “V取”がその変遷史において補語構造を完成させるに至らなかったことを示唆するにもかか わらず、先行研究ではこの事実の存在自体に気づかれていない。 そこで小論は、こうした先行研究において既述されている点との重複を避けながら、“V取” を上古漢語から近世漢語に繋がる視点の中で捉え直すことで、“V取”にどのような新機能が芽 生え、それがこの句型内部の文法構造にいかなる変質をもたらしたかについて検討を試みる。 3.1 上古漢語期における“V 取” 上古漢語において“取”は動詞と連用され、見かけ上の“V取”を構成する。“取”と結びつ くからには、獲得の概念を含む動詞と結合しがちであるものの、“V取”が一語化しているかど

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うか容易に決めがたい例もある(3)。 小論は各時代における“V取”の姿全体に再検討を加えようとするものではなく、またとり わけ上古漢語の“V取”について言えば、小論の見解が先行研究と大きく異なるところがある わけでもない。そのため、ここでは比較的まとまった用例を含む作品に基づき、特徴的な“V 取”の用法を概観するに止める。例えば『史記』に拠れば、以下の特徴を認めることができる。 1. 鐸椒為楚威王傅,為王不能盡觀春秋,采取成敗,卒四十章,為鐸氏微。(『史記』14)(鐸 椒が楚の威王の補佐となり、王が春秋の全てを見るわけにいかないので、成功や失敗 の記録を集め取り、四十章を編纂し終えて『鐸氏微』とした) 2. 鄴三老、廷掾常歲賦斂百姓,收取其錢得數百萬。(『史記』126)(鄴の三老や役人は毎 年民衆に課税してそのお金を収め取り、数百万を手に入れる) これらの例では“V取”のVとして獲得を示す動詞が選ばれている。そのため、こうした用法 を観察する限りでは、“V取”は類義結合構造を構成しているかのようである。しかし、獲得そ のものを示す動詞でなくても、獲得に結びつく概念を内包する動詞とも好んで結びつく。 3. 其友騎郎公孫敖與壯士往篡取之,以故得不死。(『史記』111) (その友人である騎郎 の公孫敖が壮士とともに行って(衛青を)奪い取ったので、(衛青は)死なずにすんだ) 4. 而拜習馬者二人為執驅校尉,備破宛擇取其善馬云。(『史記』123)(馬の扱いに通じて いるもの二人を執駆校尉に任命して、宛を破って良馬を選び取るのに備えたと云う) 5. 江之源理不如四海,而人尚奪取其寶。(『史記』128)( 長江の源流やその川筋は四海 の大きさに及ばないが、人はそれでもそこにある宝を奪い取ろうとする) とは言え、獲得に結びつく概念を含む動詞以外との組み合わせも少なくない。 6. 乃使使往先視之,在其家,武帝乃自往迎取之。(『史記』49)(そこで使いの者を遣わ せて先に調べさせると(女は)その家にいたので、武帝は自分で行って迎え取った) 7. 漢軍大敗走,參以中尉圍取雍丘。(『史記』54)(漢軍は大いに敗走し、参は中尉の身 分で雍丘を囲んで取った) 8. 燭之火滅,即記其處,以新布四丈環置之,明即掘取之。(『史記』128)(火が消えると そこに印をつけて新布四丈を丸く囲むように置いて、翌朝にそれ(茯苓)を掘り出して 取る) 9.故之大卜官,問掌故文學長老習事者,寫取龜策卜事,編于下方。(『史記』128)(その ため大卜の官を訪問したり、掌故や文学の長老で事柄に習熟している人に聞いて亀策 や卜字を書き写し取り、下のように編した) これらの例の“V取”においては、必ずしも獲得の義を内包するわけではない動詞が選ばれ るものの、賓語が示す対象をその行為を通じて獲得することが示される。但し具体的な事物を

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自らの手元に獲得する際のみではなく、例文9のように、文字によって表記される知識を書写 行為を通じて獲得する際にも“V取”が使用される。ここに“V取”が対象を抽象的に獲得す ることを示す用法の萌芽を認めることができる。 これらの“V取”の内部構造を観察すると、行為が行われた時間軸の順に従って動詞が連用 されていると解することができる。先行研究では、こうした類の用例を原因と結果の因果関係 を示す連語の原型と見なす(4)。 3.2 中古漢語前期における伝統的な“V 取” 中古漢語期に入ってからも、“取”は獲得の概念を含む動詞と好んで結びつく。 10. 種澤蒜法,預耕地,熟時採取子,漫散勞之。(『斉民要術』19)(澤蒜を植えるには、 予め田を耕しておき、種が熟した時に種を集め取り、バラバラと撒いて土をかぶせる) 11. 養蠶法,收取種繭,必取居簇中者。(『斉民要術』45)(養蚕の方法について、タネ繭 を収め取るには、必ず繭が群がっているものの中から選ぶこと) 『斉民要術』(5)の“V取”においては、『史記』で見られたのと同様に、獲得の概念を含む動 詞または獲得に結びつく概念を内包する動詞がしばしば選ばれる。上に挙げた例の他、“拾取” “揀取”“接取”“摘取”“掠取”など手偏の動詞も好んで“V取”に採用される。おそらく手作 業に関わる動詞が“取”と結び付くパターンが成立していたのであろう。それらの例の一部を 示す。 12. 耕地中拾取禾蕟東倒西倒者,若東西橫地,取南倒北倒者。(『斉民要術』56)(〔馬の 蹄の病気を治すには〕耕した畑でアワの東西に倒れたものを拾い取って使うが、もし 東西の方向の畑であれば、南北に倒れたものを使う) 13. 以手向簸箕痛挼,令均如胡豆,揀取均者,熟蒸,曝乾。(『斉民要術』82)(手を使っ てザルの中でよく揉んで均して胡豆の大きさにしてから、その均したものを選び取り、 よく蒸して乾かす) 一方、『史記』には見られなかった類の動詞と結合する例も少なくない。 14. 一沸即漉出,盆研之,生布絞取濃汁。(『斉民要術』33)(〔棗を煮て〕一沸きすると それを掬いだして、器に入れて押し潰し、精錬していない布で濃い汁を絞り取る) 15. 桑椹熟時,收黑魯椹,即日以水淘取子,曬燥。(『斉民要術』45)(桑の実が熟す頃に 黒い桑の実を取り、その日のうちに水で種を洗い取って乾かす) 16. 取鹹土兩石許,以水淋取一石五斗,釜中煎取三二斗。(『斉民要術』56)(アルカリ性

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の土を2石ばかり取って、それに水をかけて1石5斗の液体を取り出し、それを釜の 中で2・3斗を煮つめて取る) 17. 日未出前汲井花水,於盆中以燥鹽和之,率一石水,用鹽三斗,澄取清汁。(『斉民要 術』70)(日の出前に井戸水を汲んで容器の中で乾いた塩と混ぜ、比率は1石の水に塩 3斗を用い、清まし汁を澄ませ取る) 18. 一壟取七科,三壟凡取二十一科,淨洗,釜中煮取汁,色黑乃止。(『斉民要術』56)(一 つの畝から7株、3つの畝から合わせて21株を取ってきれいに洗い、釜の中で汁を煮 て取り、煮汁が黒くなったら止める) 上古漢語の用例と較べて、“V取”に採用される動詞の範囲が拡大しているようである。とは 言え、この点に中古漢語における“V取”の進化を認めることができるかどうかは疑問である。 というのは、行為が行われた時間軸の順に従って動詞が連用されるという点で、上古漢語の用 法と変わるところはないからである。また“V取”が補語構造化したことを認定するには、“V 取”が緊密な内部構造を持った一語の中で“取”が自動詞として機能していることが求められ るが、中古漢語前期の用例においてその事実を容易に確認できるわけではない。 それどころか、例えば上に挙げた例文 18 の“煮取”に注目すれば、実はその内部構造の結 合は不安定であり、“煮”と“取”がそれぞれ等立的に機能しつつ並列されていると見るべき例 が見いだされる。 19. 桑葉五分,蒼耳一分,艾一分,茱萸一分,若無茱萸,野蓼亦得用。合煮取汁,令如 酒色。(『斉民要術』64)(桑葉5分、蒼耳1分、艾1分、茱萸1分、もし茱萸がない場 合は野生の蓼を用いてもよい。それらを合わせて煮て酒のような色の汁を取る) 20. 各自別搥牛羊骨令碎,熟煮取汁,掠去浮沫,停之使清。(『斉民要術』75)(それぞれ 牛や羊の骨を槌で打って砕き、十分に煮つめて汁を取り、表面の泡を取り去って、静 かに置いて澄ませる) 上の2例の下線部について、漢語の自然な読み方に従えばそれぞれ“合煮|取汁”および“熟 煮|取汁”であろう。したがって“煮取”の場合、その内部構造の緊密性は十分に高いわけで はなく、“煮”と“取”が時間軸上の先後関係に基づき並列して使用された結果、偶々見かけ上 の“V取”が成立しているに過ぎないと理解するのが合理的である。 先行研究は中古漢語前期の“V 取”が已に補語構造に移行していたと見なそうとする(6)。し かし多用され固定した形態を備えているかのような“煮取”ですら、内部構造上のこうした不 安定さを保持しているのであるから、当時の“V取”全般が十分に緊密な内部構造を有し、補 語構造を構成していたと決めつけるわけにはいかない。

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3.3 中古漢語期における“V 取”の 過渡期的形態 しかし、中古漢語期における“V取”に、新しい動きが認められないわけではない。 例えば、呉福祥1999:188は曹広順1997の例文“我今以手掌盛取少少汁飲,而活于命”(『仏 本行集経』24)を利用しつつ、“盛取”の“取”は動作の実現または結果を示すから自動詞化し ており、それ故“盛取”を補語構造と認めることができるとする。また劉承慧1999:366は“庾 時頹然已醉,幘墜(墮)几上,以頭就穿取”(『世説新語』6)を例に挙げ、実際の動作の発生順序 に基づけば“取”は“穿”の前に発生したはずのものであるから“穿取”が連動構造ではあり 得ないと見る。 両氏は共に、これらの例において“取”が獲得の原義を失っていることを根拠に、“V取”が 連動構造から離れ、補語構造に進化しているものと考える。 しかし上古漢語の“V取”の用法に倣って解すれば、“盛取”は「盛ってそれを自分のものに する」と理解できるから、“V取”と賓語との関係を見た場合、Vの賓語も“取”の賓語も共に “少少汁”であることになる。また“穿取”の場合は、泥酔した人物が異常な姿勢で冠を身に つけようとしたのであり、衣冠を身につける正常な動作が行われたわけでないので、動作の発 生順序に拠って判断しようとするのは合理的でない。文脈に基づけば、この場面では、Vの賓 語も“取”の賓語も同じく“幘”である可能性を排除できない。とすれば、“V取”の第二動詞 が自動詞化している保証はなく、したがって“V取”が連動構造である可能性は残ったままで ある。 “V取”が補語構造であるか連動構造であるかの扱いについては、文脈を含めた種々の条件 が複雑に絡み合うだけに、先行研究においても個々の場合によって明確でない判断の示される ことがある。例えば劉・江・白・曹1992:83-84は、『斉民要術』の“濾取”を含む中古漢語前 期の複数の用例に対して、用法のみに基づいて判断すれば連動構造と言うことができそうだが、 他の条件をも考慮して補語構造と見なすのが合理的であると述べる。また曹・遇 2006:81-89 は、『史記』における賓語を後置した動詞連語を連動構造と認める一方で、中古漢語の『賢愚経』 の用例を挙げ、“書取”は“取”が本義を失っており、賓語と動賓構造を構成していないと考え る。となると、小論が3.1章の例文9で示した“寫取”(『史記』128)が連動用法であるにもか かわらず、同義の動詞が類似の文脈において“V取”に採用された“書取”(『賢愚経』1)が連 動用法でないことになってしまう。さらに呉茂剛2008:118は、『賢愚経』の“汝今割我股裏肉 取”の“取”が自動詞か否かについて異なる見立てが存在することを紹介している。 こうした見解の齟齬に関しては、慎重な検証を経て適正な結論が得られるものであるにせよ、 判断に微妙さが伴うのは、中古漢語の“V取”において“取”が獲得の原義を多かれ少なかれ

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残したままであることによる。そのため、“V取”の変質を観察しようとすれば、“取”がその 実義からどの程度に離れ、別の文法機能を有し始めたかが重要になる。 その観点から見れば、例えば唐詩や禅語録において好んで使用される“記取”(7)は、“取”が 原義から一歩離れ、抽象化しつつある例であると認められる。先行研究においては、こうした 例の“取”が具体的な獲得を示す実義から離れたことを以て補語化したと見なされる。しかし これらの例における“取”が抽象的な意味での獲得の原義をなお留めたままであるという点に 注目すれば、これらと上古漢語の“V取”との間の質的差異については確認が必要であろう。 すなわち上古漢語の例文9の“寫取”と中古漢語の“書取”や“記取”とを比較すれば、“寫 取”は「記録を書き写してそれを自分のものにする」と解すべきものであり、“書取”と “記 取”はそれぞれ「相手の言葉を書き留めてそれを自分ものにする」「対象を憶えてそれを自分の ものにする」と解すことが可能である。そのため、これら3つの“V取”の用法の間に本質的な 差異を見いだすことは困難であり、V及び“取”とその賓語との文法上の関係における差異に ついても確認が難しい。先行研究においては、“寫取”は補語構造成立以前の時代の用例である ので、その“取”は賓語を支配する他動詞と見なされる一方で、“記取”の“取”は具体的な実 義を失っているので補語としての自動詞であるとされる。ところがここに見たように、“記取” は“寫取”と比較して“取”の原義がわずかに抽象化したものにすぎず、“記取”の“取”を自 動詞と見なす根拠は必ずしも明確でない。したがって“寫取”-“書取”-“記取”の間には 直接的な連続性が保持されたままであり、上古漢語の“V取”と中古漢語の“V取”との間の差 異は “V1V2”における第二動詞の引伸義における程度の差に過ぎないことになる。 これは中古漢語の“V取”が補語に向かって変化しつつある過渡的形態を示すものとして理 解できるが、これを以てこの時代の“V取”に明確な質的変異が生じ、補語機能が発揮されて いると見るには十分でない。この後、“V取”にはもっと明瞭な変質が待っているからである。 3.4 中古漢語期における“V 取”の変化の兆し 以上に見たように、獲得の語義を内包する動詞が“V取”を構成する時、引伸義によって“取” の意味が拡張された場合であっても、“取”には獲得の原義が一定程度に保持されたままである。 ところが、もともと獲得の語義を持たない動詞が“V取”で使用されると、特定の文脈におい て“取”が獲得の機能に接近する場合があるし、獲得の機能から離れる場合もある。例えば、 “造取”について見ると、以下の例を認めることができる。 21. 代宗曰:“師滅度後,弟子將何所記。”師曰:“告檀越,造取一所無縫塔。”(『景

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徳伝灯録』5)(代宗が言うには「師がお亡くなりになった後、私は何をよすがにすれば よいでしょうか」師が言うには「施主に告ぐ、一基の無縫塔を作れ」) この例では、師が弟子に対して「自分の没後には塔を造ってそれをよすがにせよ」と述べて いるのであるから、行為者にとって“造”(造る)という行為の対象は“無縫塔”であり、たと えこの“取”が補語化していたとしても、“造”する対象である“無縫塔”は行為者の手元に留 まる。しかし次の例では、事情が異なる。 22. 汝須努力莫為難,造取些些好菓盤。(敦煌変文「目連縁起」)(おまえは努めて悲しま ず、供物を少しばかり作りなさい) この例(8)を文脈に基づいて理解すれば、仏を供養する目的で行為者が供物を造るのであるか ら、対象である供物は“造”した後に行為者の手元に残らない。行為の対象である供物を獲得 するのは仏である。そのため行為者から見た場合、この“取”は、供物を自分が獲得するので はなく、反対に相手に獲得させるものとして機能している。これは取りも直さず“V取”にお ける“取”の文法機能に変化が生じ始めていることを意味する。ここでの“取”には、もはや Vと等立的に並列されて賓語を支配しているものとして理解できる余地は存在しない。 こうした例は上古漢語では認め難く、中古漢語のとりわけ後期以降の資料から目立ち始める ものである。このような例が現れるようになったのは、中古漢語期に入って以降、“V取”で使 用される動詞の範囲が拡大すると同時に、“V取”の内部構造がしだいに緊密になった結果、質 的変化が生じる条件が整いつつあったためであると考えられる。 こうした例が増加し、これが触媒として有効に機能する条件が整えば、“取”はいよいよ獲得 の原義から離れ、新しい機能に向かって変質を遂げることになる。 4.1 中古漢語後期以降における“V 取”の変質 獲得の原義から離れつつある“取”は、同時代の他作品からも見いだされる。 23. 其太子逃逝,投於南陽郡。至於城北十里已來,不知投取之地,遂於磻陀石上而坐。(敦 煌変文「前漢劉家太子伝」)(太子は逃亡し、南陽郡に身を寄せようとした。町から十 里ばかりの所へ来たが身を寄せるべき所がわからないので、大きな石の上に腰を下ろ した) この例の“投取”では、行為者が“投”(身を寄せる)という行為を行うことによって、その 土地に自分が到着することを示している。文脈に基づいて理解すれば、行為者が行為の対象(身 を寄せる土地)に自分が到るという意味において、事実上は対象を獲得するのではあるが、行

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為者が“取”に使動性を発揮させることでその対象を獲得すると理解できる可能性は存在しな い。あたかも行為者が行為の後にその対象(身を寄せる土地)に自ら帰着するかのようである。 これはちょうど“V 到”が等立的連動構造から補語構造へと変質した時の状況に類似する(9)。 上の例文をそうした変化の一例と理解すれば、これは他でもなく“取”の他動詞性が弱化した ことを意味することになる。 実は、“取”が獲得の原義を変化させ、同時にその他動詞性を弱化させた用法は、この例にと どまらない。次の例では、行為によって行為の対象(賓語)が行為者から離れていくという点で、 明らかに獲得の原義を喪失している。 24. 待那飛禽來偷穀時分,便彎起這弓,放取彈子,打這禽雀。(『新編五代周史平話』上)(鳥 が穀物をこっそり食べに来るのを待って、スズメ打ちをぐいと引いて弾を打ち出し、 獲物に当てようとした) 行為者が“弹子”(タマ)を小鳥に向けて“放”(打ち出す)して、その“弹子”を自分の手元に 獲得することは論理的にあり得ない。にもかかわらずここで“放取”という表現が使用されて いるからには、この“取”が賓語に対する獲得を示している可能性は明確に排除される。つま り第二動詞の他動詞性は失われており、明らかに中古漢語前期の典型例とは質を異にする。 “放取”におけるこうした機能は、単に文脈の力によって偶然に実現されるものではなく、 第一動詞が獲得と正反対の概念を持つ動詞であるという事実によって支えられている。この頃 以前にこうした用例を見いだすことができなかったのは、“取”が自分から離れる方向への移動 を示す動詞と結びついて内部構造の緊密化した“V取”を構成することがなかったからである。 獲得とは正反対の、いわば放出とも言うべき概念を内包する動詞が“V 取”を構成した時、 “取”は獲得の原義を明瞭に失い、且つ他動詞性をも放棄する。この結果、内部構造として “VtVt”と疑わしきものが“VtVi”に変化し、補語構造を構成する基本要件が成立する。 志村 1974:23は補語構造として認定するために、“VtVi”という語構造上の要件に加えて、 VtとViが「その結合によって個個の原義をはなれ、語義に変化をきたしたことが客観的に証 明され」た上で、V1と V2の「緊密な結合によりひとつの新しい意義を表わすにいたる」こと を求める。“V取”は上で示した如き用法を成立させるに及んでようやくこの条件を満たすこと ができたと言える。 以下の例は、そうした意味で補語構造を獲得したと考えられる“V取”である。 25. 行取那說不得處,說取那行不得處。(『祖堂集』17)( きちんと説くことのできないも のを余すところなく実践し、きちんと実践できないものを余すところなく説き尽くせ) この例では“V取”が2例(“行取”と“說取”)用いられているが、ここでは“說取”に注 目したい。

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“說”という動作は他者に向かってメッセージを発する行為であるから、獲得とは反対の概 念を含む動詞である。この点で“說取”は、例えば“聽取”と大きく異なる。同じく高度な精 神作用に基づく行為であっても、“聽取”は「行為者がメッセージを聞いてそれを自分のものに する」ことがあり得るのに対して、“說取”は「行為者がメッセージを話してそれを自分のもの にする」ことはあり得ないからである。“說”はあくまでも対象物(想定される賓語)を自分から 離れる方向に放出する行為である。こうした動詞としては、以上の「放つ」「話す」の他、「教 える」や「告訴する」という意味を含む動詞が該当する。 26. 射雁得詩,分明是教取哥哥行這一條活路。(『新編五代梁史平話』上)(雁を射て詩を 得たということは、これは明らかに兄貴が行くべき活路を教え示してくれたのです) 27. 今日箇法司官多偏向…有人告取收贓,則不與招伏狀。(元刊雑劇三十種「死生交范張 鶏黍雑劇」4)(近頃のお役人ときたら公正さに欠けており、…役人が賄賂を受け取った と誰かが訴えても供述書も出さない) このように、放出の概念を内包する動詞が“V取”の第一動詞に当てられた時、第二動詞の “取”は獲得の原義を喪失すると同時に他動詞性をも失い、その結果、動作の実現や完成を示 す補語構造“V取”に接近する。こうした新用法と比較すれば、中古漢語前期における典型的 な“V取”が上古漢語以来の用法から十分に離れていないことは明らかである。 したがって、ここで指摘した質的変異に注目すれば、“V取”が補語構造を獲得するに至った 時期は、先行研究において想定されていたより遅れると見なければならない。“V 取”は他の “V1V2”と異なり、過渡期的形態を長く維持し、連動構造から補語構造へ移行するのにずいぶ んと手間取ったのである。 4.2 “V取”と“V得取/V不取” “V取”がこうした変質を成し遂げた頃の環境について、補語構造全体の変遷史において見 れば、補語構造化が隆盛を迎えた時期に相当し(10)、本来は補語構造でないものすら擬似的な補 語構造を作り上げた例の発生した時期である(11)ことが知られる。そのため、遅ればせながらも “V取”に補語構造へと変化を促したものは、この時代における補語構造化への類推の圧力で あったろうと推測できる。 それだけに“V取”がひとたび補語構造を獲得すれば、以後はその機能の定着することが期 待できる。しかしながら、実際には明代以降に“V取”は急速に衰退の傾向を示し、とりわけ 知覚動詞が採用された“V取”のまとまった使用例を確認できるのは、近世白話作品のうち、

(12)

古い痕跡を留めるものに限られる。次の例は、『西遊記』の初期の由来を反映するテキストから の例である(12)。 28. 且向前去認取此屍,看是不是。(朱鼎臣本『西遊記』4)(先ずはこの死体をよく見て、 確認して下さい) 29. 我抽身上去看取婆婆。(朱鼎臣本『西遊記』4)(私は自分で赴いて妻に会いましょう) 以後、“V取”が使用されることはあっても、具体的な獲得の実義を含んだ動詞と結びつく伝 統的な用例(“攻取”や“採取” など)が多く、禅語録や語類で多用された知覚動詞と多様に結 合する“V取”(“記取”“認取”など)は姿を潜めていく。“V取”は補語構造に向けて新しい姿 を獲得しつつあったにもかかわらず、それを進化させることなく、逆に中古漢語前期以前の姿 に戻ろうとしたかのようである。 そこで、“V取”をめぐる環境について、類似の機能を持った語法に目を向けると、中古漢語 後期は結果や完了や持続を示す句型“V得”“V了”“V着”などが発達した時期に相当する。そ のため、“V取”が備える補語機能が“了”“着”などの新興の助詞の機能の専門性に及ばなか った故に“V取”が淘汰されたと理解する見解がある(13) 。また一方で、“V取”は“V得”“V了” “V着”とその文法機能が必ずしも重なるわけではないとの指摘もある(14) ところで上に示したように、“V取”の語法機能については、連動構造と補語構造の中間とも 言うべき過渡期的形態が長期にわたって維持された結果、補語構造の成立の時期も明らかに他 の例と較べて遅れている。そのため、“V取”が補語構造化へと向かうことを妨げた要因につい ては、その外的環境にではなく、その内的条件に求めるのが適当であろう。とすれば、中古漢 語後期において顕著な機能変化を示したのが“取”であるので、“V1V2”におけるV2 に注目す ることになる。 そこで、“取”が持つ動詞としての本来の特性を見るために、李佐豊1983及び李佐豊1994 に倣い、上古漢語期から中古漢語期に至る作品の他動詞用法と自動詞用法の用例数を計数した。 さらに比較のため、他動詞性と自動詞性を兼ね備えていることが知られている“滅”の用法に ついても計数し、それらをあわせて以下に示した(15)。 (表1)時代別に見た“取”と“滅”の他動詞用法と自動詞用法

他動詞用法

自動詞用法

他動詞用法

自動詞用法

賓語あり 賓語なし 賓語なし 賓語あり 賓語なし 賓語なし 論語・孟子 (上古漢語)

44

27

0

2

0

0

捜神記(20 巻本) (中古漢語)

68

34

0

6

0

7

(13)

現在主に自動詞として用いられる語であっても、上古漢語においてしばしば他動詞として用 いられていたものが少なくないことは、已によく知られている。例えば“滅”がその一つであ り、上古漢語期においては賓語に対して使動性を発揮した他動詞用法が少なくない。ところが “滅”は中古漢語期以降、しだいに使動性を失い、やがて自動詞に接近していく。表1の“滅” の項で示される変移は、“滅”について知られているそうした変遷過程と一致する。 一方、表1に基づいて“取”の用法を見ると、この動詞の他動詞性が極めて強く、上古漢語期 から中古漢語期を通して一貫して自動詞性を認めることができない。したがって、“V取”が補 語構造を発生させるのが遅れたのは、“取”の他動詞性があまりに強かったからであると考えら れる。また中古漢語後期に至ってようやく補語構造へと進化し始める過程において、“取”が獲 得(取る)を示すものから放出(取られる)を示す用法を生み出したのも、「(自動詞としての)取れ る」に接近しようとした結果であると考えられる。 梅祖麟1991:131は“施受関係的中立化”という表現を用い、中古漢語において補語構造が成 立して以降、行為の主体と受事の対象が曖昧になる傾向が生じた事実を指摘する。この「中立 化」とは、何れが行為者であり何れが受事者であるか明確でなくなる場合が生じる現象を指す。 これを“取”に当てはめれば、施受関係が中立化して行為者と受事物が曖昧になる結果、行為 者から見た獲得の語義が受事者から見た放出の語義として捉えられることになる。そのため、 “V取”が補語構造へと進化する過程において、“取”が獲得の語義から放出の語義を有するも のへと転換した背景には、施受関係の中立化が機能したと推測できる。 可能補語形“V不C”(すなわち“V1不V2”)の由来として、呂叔相1944:137は中国語にもとよ り存在する句法として“呼之不來,揮之不去”(呼んだが来ない、去れと命じたが去らない)を 例に取り、元来は結果を示す語法が可能を表す機能に変化した過程が想定されるとする。とす れば“V不C” (すなわち“V1不V2”)が成立するには、“V取” (すなわち“V1V2”)の場合と比 較して、V2相当語により明確な自動詞性が求められるはずである。等立的連動構造に由来する “V取”(すなわち“V1V2”)においてはV1もV2も他動詞が用いられるが、結果表現に由来する “V不C” (すなわち“V1不V2”) においてはV2として自動詞が採用されねばならないからであ る。したがって“V不取”が成立しなかったのは、他でもなく“取”に自動詞性が欠けていた ためであるということになる。 已に見たように、明代以降に“V取”は補語構造に進化しようとする動きを放棄し、連動構 造としての特性を留めた中古漢語期以前の伝統的な用法に回帰することで、ようやくその命脈 を保とうとした。これは“V取”の他動詞性があまりに強かったが故に補語構造へと進化する 際の壁を十分に乗り越えることができなかったからであると考えられる。

(14)

5 まとめ 小論は上古漢語期から近世漢語期に至る“V取”の変遷についての考察に基づき、以下の点 を指摘する。 “V取”は上古漢語において連動構造であったと考えられるが、時代とともにしだいに変化 し、中古漢語期には補語構造に接近した。しかし中古漢語に見られる多くの用例は、“取”が獲 得の語義を一定程度に保持したままであり、さらに“取”の文法機能が賓語を支配している可 能性を排除できないことから、上古漢語の用法との間に顕著な質的差異を認めることは難しい。 そのため、中古漢語のとりわけ前期の“V取”についてはそれを補語構造であると認定する根 拠が必ずしも明確でなく、またたとえそれらを補語構造と認定するにしても、“V取”の変遷の 歴史においては、他にもっと注目すべき変化がある。それは中古漢語後期から近世漢語初期に かけて、“V取”が放出の語義を含む動詞と結びついた結果、獲得の語義を喪失した上に、“取” が賓語を文法的に支配しない特性を持つに至った変化である。この新用法においては、“取”が 他動詞として機能している可能性を明確に排除できるという点において、補語構造に進化しつ つある“V取”の頂点の姿として捉えることができる。 まとめると次のようになる。 1.中古漢語前期の“V 取”の多くは補語構造に向かって変化しつつあっても、その本質 は上古漢語期以来の連動構造としての“V取”と連続性を保持したままである。 2.“取”は他動詞性が極めて強く、“V 取”において補語構造を成立させるための要件を もともと欠いていた。そのため、“V取”は連動構造から容易に脱することができず、補 語構造に向けての過渡期的形態を維持し続けた。 3.中古漢語後期に至るに及んで、“V取”の一部は獲得と正反対の語義を内包する動詞と 結びつくことにより、獲得を示す機能を“取”から喪失させ、獲得の語義を媒介にしな いままで実現や完成を示す機能を持つものへと変化した。但しこの変化はすべての“V 取”に直ちに及んだわけではなかった。 4.“V取”に生じたこの変質の契機として、中古漢語において顕著になった「施受関係の 中立化」が機能したであろうと推測できる。 5.中古漢語後期から近世漢語初期にかけて補語構造化の潮流が隆盛を迎える環境にあっ ても、“取”は自動詞に転化することが難しかった。その結果、補語構造化の歴史的趨勢 に着いていけなくなり、補語へ進化しようとする試みをかえって放棄した。 6.以後は中古漢語前期以前の伝統的な“V取”に回帰して生産性を喪失し、“V得取/V 不取”という可能補語形を生み出す力をも失った。

(15)

“V取”は“VC”

“V得C/V不C”という変換可能性が成立し得る条件を満たしている にもかかわらず、“V取”に“V得取/V不取”が存在した事実を確認できないのは、以上の背 景があるためであると考えられる。 注 (1) 小論の「補語構造」というのは、使成複合動詞による動補構造を指す。先行研究において 「補助動詞」と呼ばれるものであっても、それが使成式の第二動詞を指す場合はその構造を補 語構造として扱う。 (2) 結果補語形と可能補語形とが対称的に存在しない例がないわけではない。両者の間で変換 可能性が成立し得ない理由としては、少なくとも二つの面が考えられる。すなわち一つは意味 上の理由によるものであり、もう一つは成立史上の背景によるものである。前者については、 可能補語が行為者にとっての可能を示すものである以上、動作の結果が行為者にとってプラス 評価を受けるものでない場合、当然のこととして可能補語形を構成し難い。斉滬揚・張汶静2011 は変換条件とそれが機能するメカニズムを明らかにしており、それに基づけば、“V取”は変換 可能条件に違反するものではない。後者については、発生や成立の過程において、結果補語形 に由来しない可能補語形もまた当然ながら変換可能性を有しない。例えば、“来得及/来不及” は想定される“来及”を持たないが、それは“来及”を起源としないからである。これについ ては拙論2007、2008a、2008bに詳しい。 (3) 潘允中1989:40は上古漢語における連語の単語化について、「長く用いられているとしだい に結合が強くなって一語となる」と述べる。もとより連語と単語との境界は明確に定義し難い。 (4) 例えば劉承慧1999:361-363。 (5) 『斉民要術』のテキストは複雑である。小論は繆啓愉校釈・繆桂龍参校1982『斉民要術校 釈』に拠り、例文の使用にあたっては補語相当部分に問題のある異同の存在する例を避けた。 (6) 例えば蒋紹愚 1999:345は中古漢語前期の“V取”の用例を引きつつ、「(それを)補語構造 と見なしてよく…この時期に補語構造は已に形成されていた」と述べる。 (7) “記取”の具体的な用例については藤原1968等の先行研究においてしばしば挙げられて来 たところであり、そのため小論において改めて例文を示すことはしない。 (8) 敦煌変文については潘重規1984『敦煌変文集新書』に拠った。 (9) 拙論2002では「V到」の機能上の変質を扱ったことがある。 (10) 拙論2001:276-279。 (11) 拙論2008a:120-122。

(16)

(12) 『西遊記』におけるこれらの用例は、『西遊記』の諸テキストのうち、特徴的に古い痕跡 を保持している版本にのみ認められるものである。拙論1993。 (13) 劉・江・白・曹1992:93。 (14) 林新年2006。 (15) 複合語を構成していると考えられる例は計数の対象としない。そのため複合語の扱い方に よっては、数字が些か異なってくる場合がある。 参考文献 伊原大策1993.「『西遊記』諸本の語彙・語法―言語から作品成立史の一端を覗く―」、『言語 文化論集』37。 伊原大策2001.「結果補語構造「V見」の発生とその変遷」、『日本中国学会報』53。 伊原大策2002.「結果補語“V到”における『移動』と『目的の達成』」、『(筑波大学)東西言 語文化の類型論特別プロジェクト研究成果報告書(平成13年度)』Ⅴ(PART1)。 伊原大策2007.「可能補語『来不及』の起源に関わる二つの『V不及』」、『集刊東洋学』98。 伊原大策2008a.「“来不及”型可能補語句型の成立過程」、『地域研究』29。 伊原大策2008b.「“来不及”句型と“不及来”句型」、『中国文化』66。 玄幸子1986.「敦煌変文に於ける“V取”について」、『中国語学』233。 玄幸子1990.「白居易詩に於ける“V取”について」、『中文研究集刊』2。 呉福祥 1999.「試論現代漢語動補結構的来源」、『漢語的現状与歴史研究』。中国科学出版社 1999。『語法化与漢語歴史語法研究』安徽教育出版社2006所収。 呉茂剛 2008.「魏晋六朝非使成動結式的発展情況」、『淮北煤炭師範学院学報(哲学社会科学 版)』29-2。 斉滬揚・張汶静2011.「従動補結構“VC”到可能補語結構“V+得+C”的拡展条件与機制」、 『現代中国語研究』13。 志村良治1974.「漢語における使成複合動詞の成立過程の検討」、『東北大学文学部研究年報』 24。後に志村1984に収録される。 志村良治1984.『中国中世語法史研究』。三冬社。 蒋紹愚1999.「漢語動結式産生的時代」、『国学研究』6。 曹広順1997.「試論漢語動態助詞的形成過程」、第一届漢語史学術研討会論文(未見)。 曹広順・遇笑容2006.「漢語結果補語産生過程再研究」、『中古漢語語法史研究』。四川出版集 団巴蜀書社。

(17)

張相1953.『詩詞曲語辞匯釈』。中華書局。 褚福侠 2009.「従明清小説的“V+取”式結構看“取”字的語法化問題」、『棗荘学院学報』 26-3。 梅祖麟1991.「従漢代的“動・殺”、“動・死”来看動補結構的発展」、『語言学論叢』16。 潘允中.1989『漢語詞彙史概要』、上海古籍出版社。 潘重規1984.『敦煌変文集新書』。中国文化大学中文研究所敦煌学研究会。 繆啓愉校釈・繆桂龍参校1982.『斉民要術校釈』。農業出版社。 藤原輝三1968.「『正法眼蔵』に於ける“動詞+『取』”形の口語語彙について」、『愛知学院 大学論叢 一般教育研究』16-3。 李佐豊1983.「先秦漢語的自動詞及其使動用法」、『語言学論叢』10。 李佐豊1994.「先秦的不及物動詞和及物動詞」、『中国語文』1994-4。 劉敬林 2006.「論与“取”字詞綴説相反的事実」、『徐州師範大学学報(哲学社会科学版)』 32-2。 劉堅・江藍生・白維国・曹広順1992.『近代漢語虚詞研究』。語文出版社。 劉承慧1999.「試論使成式的来源及其成因」、『国学研究』6。 呂叔相1944.「与動詞后『得』与『不』有関之詞序問題」、『金陵・斉魯・華西大学中国文化 匯刊』4。『呂叔相全集』遼寧教育出版社2002所収。 林新年2006.「唐宋時期助詞“取”与“得”的差異」、『古漢語研究』2006-3。

参照

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