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横笛「青葉」伝承の生成と流布

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横笛「青葉」伝承の生成と流布

  尾

  恵

  里

「日本語日本文学論叢」 第十三号 抜刷 平 成 三 十 年 二 月 二 十 日   発 行

(2)

横笛「青葉」伝承の生成と流布

  

  

  

はじめに

「 葉 二 」 と「 青 葉 」 は、 と も に 中 世 の 伝 承 に み ら れ る 横 笛 の 名 器 で あ る。 「 葉 二 」 は『 江 談 抄 』 な ど、 主 に 説 話 集 や 楽 書 な ど に お い て 鬼 と 関 わ り を も つ 笛 と し て 伝 承 さ れ る。 「 青 葉 」 は『 平 家 物 語 』 を 起 点 と す る 敦 盛 伝 承 に 名 前 が み ら れ る ほ か、 『 神 道 集 』 や 室 町 物 語 に お い て 業 平 の 笛 と し て 伝 え ら れ る。 二 つ の 名 器 は そ れ ぞ れ 固 有 の 伝 承 を 有 し、 両 者 の 関 わ り に つ い て の 逸 話 はみられない。しかし、書物によっては、 「青葉」が「葉二」の別名とされる場合がある。 先行研究は、 「葉二」 と「青葉」 のそれぞれに付随する伝承の話型や伝承の中で楽器が果たす役割について注目している。 「葉二」 の 伝 承 に つ い て は、 名 器 が 名 人 や 鬼 と 関 わ り を も つ こ と で 権 威 や 神 秘 性 な ど を 示 す こ と や、 「 葉 二 」 伝 承 の 展 開 の 様 相 に つ い て 指 摘 さ れ る。 「 青 葉 」 に つ い て は、 敦 盛 伝 承 に 注 目 し、 「 青 葉 」 が 物 語 中 の 架 空 の 名 器 で あ る こ と を 指 摘 し た 上 で 伝 承 の 生 成 の様相が明らかにされている。このほか、 『神道集』 や室町物語の伝承に注目し、 業平が 「青葉」 を手に入れる伝承の原型が 『続 教訓抄』にみられることが指摘されている。 そ れ ぞ れ の 名 器 に ま つ わ る 伝 承 に つ い て の 研 究 が す す め ら れ て い る も の の、 「 葉 二 」 と「 青 葉 」 が 同 一 の も の だ と さ れ る 理 由 に つ い て は 言 及 さ れ て い な い。 ま た、 「 葉 二 」 と「 青 葉 」 が 同 一 の も の で あ る と す る な ら ば、 同 一 の 楽 器 に 別 々 の 伝 承 が 付 随 す る こ と は 不 審 で あ る が、 そ の 理 由 に つ い て も 解 明 さ れ て い な い。 特 に「 青 葉 」 は、 敦 盛 伝 承 に よ っ て 広 く 名 前 が 知 ら れ、

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現 代 で も 親 し ま れ て い る。 そ の「 青 葉 」 が、 な ぜ ほ か の 名 器 と 同 一 視 さ れ る な ど 不 安 定 な 状 態 で 伝 え ら れ る の か、 検 討 す る 必 要があるのではないだろうか。 そ こ で 本 稿 で は、 特 に 中 世 の 伝 承 に お け る「 葉 二 」 と「 青 葉 」 の 関 係 を 改 め て 整 理 し、 「 青 葉 」 伝 承 の 生 成 の 過 程 を 再 検 討 した上で、 「青葉」伝承がどのように派生し流布してゆくのか、その様相を明らかにしたい。

  「葉二」の伝承

「 青 葉 」 伝 承 の 性 質 を 見 極 め る た め に、 ま ず は 横 笛「 葉 二 」 と の 関 連 を 改 め て 整 理 し た い。 本 節 で は「 葉 二 」 伝 承 が ど の よ う に 伝 え ら れ て い る か 確 認 す る。 「 葉 二 」 に 付 随 す る 伝 承 に は、 鬼 か ら 手 に 入 れ た こ と、 浄 蔵 と い う 笛 の 名 手 の 演 奏 に 鬼 が 感 応 す る こ と と い う 二 つ の 要 素 が 含 ま れ る。 こ の 伝 承 に つ い て の 研 究 は、 稲 垣 泰 一 氏「 鬼 と 名 器 を め ぐ る 伝 承 」 ( 1) や、 『 東 斎 随 筆』 の補注 (2) が詳しい。まず 「葉二」 に付随する伝承のなかで最も先行するものとして、 『江談抄』 の本文を挙げる。 『江談抄』 では、浄蔵が鬼から手に入れたものされる。 『江談抄』巻三 (3) (五〇) 葉二は高名の笛為る事   ま た 命 せ ら れ て 云 は く、 「 葉 二 は 高 名 の 横 笛 な り。 朱 雀 門 の 鬼 の 笛 と 号 く る は こ れ な り。 浄 蔵 聖 人 笛 吹 き て、 深 更 朱 雀 門 を 渡 る に、 鬼 大 声 に て 感 ず。 そ れ よ り、 こ の 笛 を 件 の 聖 人 に 給 ふ と 云 々。 そ の 後、 次 第 に 伝 へ て 入 道 殿 に 在 り。 後 一 条 院 御 在 位 の 時、 蔵 人〈 某 〉 を も っ て、 こ の 笛 を 召 さ る。 蔵 人 笛 の 名 な る を 知 ら ず。 た だ「 は ふ た つ 参 ら せ さ せ 給 へ 」 と 申 すに、入道殿、 「何事も承るべきに、歯二つこそえ欠くまじけれ。もしこの葉二の笛か」とて進らしめ給ふ」と云々。 次 に、 『 十 訓 抄 』 の 本 文 を 挙 げ る。 『 十 訓 抄 』 で は、 源 博 雅 が「 葉 二 」 を 鬼 か ら 手 に 入 れ、 そ の 後 に 浄 蔵 が 演 奏 し て 鬼 の 感 応

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を得るとされる。 『十訓抄』十ノ一九 (4) 博雅三位、 月ノアカヽリケル夜、 直衣ニテ朱雀門ノ前ニ遊テ、 終夜笛ヲ吹レケルニ、 同サマニ直衣キタル男ノ笛吹ケレハ、 誰 ナ ラ ン ト 思 程 ニ、 其 笛 ノ 音、 此 世 ニ タ ク ヒ ナ ク 目 出 ク 聞 ケ レ ハ、 ア ヤ シ ク テ 近 ヨ リ テ ミ ケ レ ハ、 未 見 ヌ 人 ナ リ ケ リ。 我 モ 物 ヲ イ ハ ス、 カ レ モ 云 事 ナ シ。 如 此、 月 ノ 夜 毎 ニ 行 ア ヒ テ、 吹 事 夜 比 ニ ナ リ ヌ。 彼 人 ノ 笛 ノ 音、 殊 ニ 目 出 カ リ ケ レ ハ、 試 ニ カ レ ヲ 取 カ ヘ テ 吹 ケ レ ハ、 世 ニ ナ キ ホ ト ノ 笛 也。 其 後、 猶 々 月 頃 ナ レ ハ、 行 ア ヒ テ 吹 ケ レ ト、 本 ノ 笛 ヲ カ ヘ シ ト ラ ン ト モ イ ハ サ リ ケ レ ハ、 永 ク カ ヘ テ ヤ ミ ニ ケ リ。 三 位 失 テ 後、 御 門 此 笛 ヲ メ シ テ 時 ノ 笛 フ キ 共 ニ 吹 セ ラ レ ル ト、 其 音 ヲ 吹 ア ラ ハ ス 人 無 リ ケ リ。 其 後、 浄 蔵 ト 云 目 出 キ 笛 吹 有 ケ リ。 召 テ 吹 セ 給 ニ、 彼 三 位 ニ ヲ ト ラ サ リ ケ レ ハ、 御 門 御 感 有 テ、 此 笛 ノ ヌ シ 朱 雀 門 ノ 辺 ニ テ 得 タ リ ケ ル ト コ ソ キ ケ、 浄 蔵 此 所 ニ 行 テ フ ケ ト 被 仰 ケ レ ハ、 月 ノ 夜、 仰 ノ コ ト ク 彼 ニ ユ キ テ 此 笛 ヲ 吹 ケ ル ニ、 彼 門 ノ 楼 上 ニ、 高 ク 大 ナ ル 音 ニ テ、 猶 一 モ ウ カ チ (ママ) ト ホ メ ケ ル ヲ、 カ ク ト 奏 シ ケ レ ハ、 始 テ 鬼 ノ 笛 ト 知 食 ケ リ。 葉 二 ト 名 テ 天 下 第 一 ノ 笛 也。 其 後、 ツ タ ハ リ テ 御 堂 入 道 殿 ノ 御 物 ニ 成 ケ ル ヲ、 宇 治 殿 平 等 院 ヲ 造 セ 給 ケ ル 時 経 蔵 ニ オ サ メ ラ レ ニ ケ リ。 此 笛 ニ ハ 葉 二 ア リ。 一 ハ ア カ ク 一 ハ 青 ク シ テ、 朝 毎 ニ 露 ヲ ク ト 云 伝 タ レ ハ、 京 極 殿 御 覧 シ ケ ル 時 ハ、 赤 葉 落 テ 露 ヲ カ サ リ ケ ル ト、 富 家 入 道 殿 カ タ ラ セ 給 ケ ル ト ソ。 笛 ニ ハ 皇 帝、 図 乱 転、 師 子、 荒 序、 コ レ ラ 四 秘 曲 ト 云。 ソ レ ニ ヲ ト ラ ス 秘 ス ル ハ 万 秋 楽 ノ 五 六 帖 也。 笛 ノ 最 物 ニ ハ、 青 葉 二、 大 水 龍、 小 水 龍、 頭 焼、 雲 太 丸、 是 等 也。 名 ニ ヨ リ テ 各 由 緒 有ト云ヘトモ、長ケレハ略ス。 『 江 談 抄 』 に み ら れ る 伝 承 と『 十 訓 抄 』 に み ら れ る 伝 承 は、 ど ち ら も「 葉 二 」 の 伝 承 と し て 鬼 か ら 手 に 入 れ た こ と、 浄 蔵 と い う 笛 の 名 手 の 演 奏 に 鬼 が 感 応 す る こ と と い う 二 つ の 要 素 が 含 ま れ る 点 が 共 通 し て い る。 し か し、 『 十 訓 抄 』 は 鬼 か ら 笛 を 手 に 入 れ た 人 物 と し て 源 博 雅 が 登 場 し、 浄 蔵 が 鬼 の 感 応 を 得 た 場 面 の 描 写 も 細 か く な る 点 が『 江 談 抄 』 と 異 な っ て い る。 「 葉 二 」 に 付 随 す る 伝 承 は、 『 江 談 抄 』 と『 十 訓 抄 』 と の 二 つ の 系 統 に 分 か れ、 『 江 談 抄 』 の 系 統 で は『 教 訓 抄 』『 二 中 歴 』 に 同 じ 内 容

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の 伝 承 が み ら れ、 『 十 訓 抄 』 の 系 統 で は『 説 経 才 学 抄 』『 糸 竹 口 伝 』『 東 斎 随 筆 』『 続 教 訓 抄 』『 体 源 抄 』 に 同 じ 内 容 の 伝 承 が み られる。 さ ら に『 続 教 訓 抄 』 で は、 「 葉 二 」 に つ い て『 十 訓 抄 』 と 同 じ 内 容 の 伝 承 が み ら れ る が、 博 雅 と 浄 蔵 と い う 二 人 の 登 場 人 物 の年代的な矛盾について指摘がある。 『続教訓抄』第十二冊 (5) 但此記頗ル不審也、博雅ハ浄蔵ヨリノチノ人ナリ、生年トイヒ、死去トイヒ、コトノホカノ相違ナリ、 浄蔵ハ寛平三年辛巳生ル、康保元年十一月廿一日入滅、 〈年七十四、 〉 博雅ハ、延喜十九年已卯生ル、天元三年九月廿八日薨去、 〈年六十二、 〉 源 博 雅 は 生 年 が 延 喜 十 八( 九 一 八 ) 年、 没 年 が 天 元 三( 九 八 〇 ) 年 で あ る。 一 方 で、 浄 蔵 の 生 年 は 寛 平 三( 八 九 一 ) 年、 没 年 は 康 保 元 年( 九 六 四 ) 年 で あ り、 浄 蔵 が 先 に 没 し て い る。 し た が っ て、 博 雅 が 没 し た の ち に 浄 蔵 が 演 奏 す る、 と い う『 十 訓 抄』 『東斎随筆』の伝承は、事実としては成り立たない。 こ れ ら の 点 に つ い て、 『 東 斎 随 筆 』 補 注 で は、 次 の よ う に 説 明 し て い る。 『 江 談 抄 』 の 伝 承 で は、 浄 蔵 の 演 奏 に 鬼 が 感 応 す る 伝 承 は『 十 訓 抄 』『 東 斎 随 筆 』 と 同 じ だ が、 鬼 か ら 笛 を 手 に 入 れ る 伝 承 に つ い て、 誰 が 手 に 入 れ た の か 具 体 的 な 個 人 名 は 登 場 し な い。 そ し て こ れ は、 『 教 訓 抄 』 も 同 様 で あ る。 そ れ に 対 し て、 前 述 の 二 書 よ り も 成 立 が 遅 れ る『 十 訓 抄 』『 東 斎 随 筆 』 で は 博 雅 も 登 場 し、 さ ら に 時 代 が 下 っ て か ら 成 立 す る『 続 教 訓 抄 』 で は 本 文 中 に 博 雅 と 浄 蔵 の 年 代 的 矛 盾 に つ い て の 考 証 が さ れ て いる。このことから、補注は次のように結論付けている。 朱 雀 門 の 鬼 か ら 笛 を 貰 っ た と い う 説 話 は、 主 人 公 の 名 が 伝 わ っ て い な か っ た か、 浄 蔵 上 人 に ま つ わ る 話 で あ っ た か が、 本 来 の 姿 で あ っ た の だ ろ う。 そ れ に 博 雅 三 位 が 加 え ら れ た た め に、 年 代 的 な 矛 盾 が 生 じ た の で あ る。 博 雅 三 位 の 名 が 加 え ら れ た の は、 一 つ に は 彼 が 笛 の 名 手 と し て 名 高 か っ た か ら だ が、 も う 一 つ、 鬼 と 博 雅 三 位 と の 間 に 説 話 的 連 想 が 作 用 し て

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い た の で は な か ろ う か。 今 昔 物 語 集 (ママ) 巻 二 四 の 二 四 話 に、 博 雅 三 位 が 羅 城 門 の 鬼 か ら 玄 象 を と り 戻 す 話 が あ り、 『 江 談 抄 』 巻三に、彼が笛を吹くと鬼瓦が落ちたという話がある。 このように、 「葉二」 を鬼から手に入れるという伝承の原型は、 博雅の登場しないものであったと考えられる。 しかし、 『十訓抄』 で は 漢 詩 や 和 歌 な ど の 名 人 に よ る 逸 話 が 連 続 し、 『 東 斎 随 筆 』 本 文 で は 音 楽 に ま つ わ る 博 雅 の 伝 承 が 前 話 か ら 引 き 続 い て お り、 ど ち ら も こ の 説 話 の 冒 頭 に 博 雅 の 名 前 が 登 場 す る こ と か ら、 楽 器 の 名 人 と し て の 博 雅 に 付 随 す る 伝 承 の 中 に 位 置 づ け ら れ て い る。 ま た、 稲 垣 氏 の 論 考 ( 6) も こ の 伝 承 の 話 題 の 中 心 は 名 人 だ と 考 え て お り、 「 葉 二 」 の 伝 承 は、 共 通 す る 要 素 を 持 ち つ つ も 少しずつ内容や主題を変化させながら伝えられていることが分かる。

  「葉二」と「青葉」の関連

続いて、 横笛「青葉」がどのように伝承されているのかみていきたい。横笛「青葉」は、 『続教訓抄』 『拾芥抄』 『神道集』 『体 源抄』 にみえる名器である。また、 『続教訓抄』 『拾芥抄』 『体源抄』 の三書では 「葉二」 の別名もしくは同一のものとして 「青葉」 の名前が挙げられている。しかし、 横笛の名器を列挙する中にみられる (7) のみで、 「青葉」 に付随する逸話は伝えられない。 『神 道集』では、 在原業平が鬼から手に入れた笛として挙がるが、 「葉二」との関連が示されないため、 こちらについては後述する。 次に、横笛の名器を列挙している書物の中で「青葉」の名前がみられるものを挙げる。 『続教訓抄』第十二冊 竹 大水龍、 同 小水龍、 同 青竹、 同 葉二〈又号鬼丸〉 、 同 柯亭、 同 讃岐、 同 中管、 同 釘打、 同 庭蕩 或庭 齋 筠 院 、 同 青葉〈或ハ葉二同管云 〻 〉、 同 空貴 或 元 穴 貴 貴 、 頭焼〈胡竹〉 、 海人焼不足〈或称頭焼〉 、 音安、 内宴丸、 虵 逃〈又号 虵 丸〉 、 和竹 助支丸、 重代丸、 小螺蚶〈見江談〉   (中略)

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又云、青竹ハ甘竹ノ笛也。昔蝉碧鮮二葉アリ、白露常ニ其上ニ凝ル、故ニ青葉ト号ス、尤宝物トスルニ足レリ。 或 云 ク、 葉 二 同 管 ナ リ 竊 ニ 此 儀 ヲ 案 ス ル ニ、 其 謂 ナ キ ニ ア ラ ス、 蝉 ニ 青 葉 ア リ、 葉 ニ 白 露 ヲ 成 ス、 マ コ ト ニ 鬼 神 ノ 資 産 ニ アラスハ、寧如此ノ霊異アラムヤ、加之、一管ノ異名二葉トハ云験ヲ、故ニ青葉 〻 二鬼笛、皆一管ノ異名歟、 『拾芥抄』楽器部第三十五 (8) 葉二〈江談曰、朱雀院鬼笛、又号青葉歟〉 『体源抄』巻五 (9) 竹 大水龍、 同 小水龍、 同 青竹、 同 葉二〈又号鬼丸〉 、 同 柯亭、 同 讃岐、 同 中管、 同 釘打、 同 庭蕩 或 齋 庭 院 筠 、 同 青葉〈或ハ葉二同管云々〉 、 穴貴〈或元貴〉 、 頭焼〈胡竹海人焼不足ト云々〉 、 竹 音安、 内宴丸、 虵 逃〈又号 虵 丸〉 、 助支丸〈和竹〉 、 重代丸、 小螺蚶〈見 江淡〉 〈此他富士スソ野ナンド云笛名物出来ス重テ可注之〉   (中略) 又云。青竹ハ   竹ノ笛也。昔蝉碧鮮二葉アリ、白露常ニ其上ニ凝ル、故ニ青葉ト号ス、尤霊物トスルニ足レリ。 『続教訓抄』 『体源抄』 では、 横笛の名器を列挙したうえで、 それぞれの名器にまつわる逸話を伝える。どちらも引用は 「青葉」 に関わる部分のみを抜き出したが、 引用部の後半の伝承については、 「葉二」 にまつわる逸話を伝える中にみられる。中でも 『続 教 訓 抄 』 は 異 伝 を 網 羅 的 に 収 集 す る 姿 勢 が う か が え、 特 に「 葉 二 」 の 伝 承 に お い て そ の 傾 向 が 顕 著 で あ る。 先 に 引 用 し た「 青 葉」に関わる部分は、 「葉二」に関連する様々な補足や異伝の末尾にみられる。 『拾芥抄』では「青葉」の名前は割注にみられるのみであり、 「葉二」と同一のものであるかについても、 断定を避ける「歟」 と い う 表 現 が 使 わ れ る。 『 続 教 訓 抄 』『 体 源 抄 』 で は 楽 器 名 を 列 挙 す る 中 で「 葉 二 」 と と も に「 青 竹 」 を 挙 げ、 「 葉 二 」「 青 竹 」 の 詳 し い 逸 話 を 伝 え る 中 で 同 一 の も の で は な い か と し て お り、 こ ち ら も 断 定 は し て い な い。 こ れ は、 そ れ ぞ れ 独 立 し て 伝 え ら れている「葉二」 「青葉」という名前を持つ横笛を、同一のものかと疑っていることを示す。

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そ れ ぞ れ 独 立 し て 伝 え ら れ て い た は ず の「 葉 二 」 と「 青 葉 」 が 同 一 の も の か と 疑 わ れ る 原 因 と し て は、 次 の 二 点 が 考 え ら れ る。一点目は 「葉二」 と 「青葉」 が 「葉」 の文字を共通して持っており、 名前が類似していることである。前節で述べたとおり、 『続教訓抄』 『体源抄』 のように 「青葉」 は 「青竹」 と同一のものかとされることもある。こちらは 「青」 の文字を共通して持っ て い る。 二 点 目 は、 『 十 訓 抄 』 に み ら れ る「 葉 二 」 に 付 随 す る 伝 承 で あ る。 『 十 訓 抄 』 に は「 此 笛 ニ ハ 葉 二 ア リ 一 ハ ア カ ク 一 ハ 青クシテ朝毎ニ露ヲクト云伝タレハ京極殿御覧シケル時ハ赤葉落テ露ヲカサリケルト富家入道殿カタラセ給ケルトソ」 とある。 こ の 伝 承 で は「 葉 二 」 の 特 徴 と し て 二 つ の 葉 が あ っ た が、 そ の う ち 赤 い 葉 が 落 ち て 失 わ れ た た め、 青 い 葉 だ け が 残 っ て い る と いうことになる。葉が二つあった「葉二」が、青い葉だけになったので「青葉」と呼ばれることは不自然ではない。 以 上 の よ う に「 葉 二 」 と「 青 葉 」 の 伝 承 と そ の 関 連 を 確 認 し た。 「 葉 二 」 は 多 く の 書 物 に 名 前 が 挙 げ ら れ、 鬼 か ら 手 に 入 れ た 伝 承 が み ら れ る。 そ の 一 方 で、 「 青 葉 」 は 名 前 の み が 伝 え ら れ、 ほ と ん ど の 書 物 が 逸 話 を 伝 え て い な い。 し か し、 両 者 を 同 一のものと疑う書物は複数ある。同一視が疑われることは、 「青葉」が「葉二」と深く関連していることを示している。

  「青葉」の生成

次 に「 青 葉 」 に ま つ わ る 伝 承 に 注 目 す る。 「 青 葉 」 は、 十 三 世 紀 前 半 以 降 に 成 立 し た『 平 家 物 語 』 巻 第 九「 敦 盛 最 期 」 を 起 点 と す る 敦 盛 伝 承 に 取 り 込 ま れ、 後 世 で は 敦 盛 所 持 の「 青 葉 の 笛 」 と し て 知 ら れ る。 し か し、 「 青 葉 」 の 名 前 が み ら れ る 中 世 の書物はそれほど多くない。 「青葉」が横笛の名器として伝えられるようになる契機や名前の生成過程について考察する。 佐 谷 眞 木 人 氏 は、 『 平 家 物 語 か ら 浄 瑠 璃 へ   敦 盛 説 話 の 変 容 』  10) お い て 敦 盛 伝 承 の 形 成 や 派 生 の 様 相 を 考 察 す る 中 で 敦 盛 の 笛 に も 注 目 し て お り、 「 青 葉 」 と い う 名 前 に つ い て は 次 の よ う に 指 摘 し て い る。 「 青 葉 」 は、 従 来、 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 』 の 翻 刻 に よ る『 十 訓 抄 』 に「 青 葉・ 葉 二 」 と い う 本 文 が み ら れ、 横 笛 の 名 器 の ひ と つ と さ れ て き た が、 現 存 す る『 十 訓 抄 』 諸 本

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に は 該 当 箇 所 を「 青 葉 二 」 と す る も の が あ る (  11)。『 江 談 抄 』『 夜 鶴 庭 訓 抄 』 の 横 笛 の 名 器 の 列 挙 で は「 青 竹・ 葉 二 」 さ れ て い る 箇 所 で あ る た め、 『 十 訓 抄 』 の「 青 葉 二 」 は、 書 写 の 過 程 に お い て「 青 竹・ 葉 二 」 か ら「 竹 」 の 字 が 脱 落 し、 後 に「 葉 」 が 補 わ れ「 青 葉・ 葉 二 」 と な っ た も の と 推 察 で き る。 し た が っ て、 『 十 訓 抄 』 が 成 立 し た 段 階 で は「 青 葉 」 と い う 名 器 は 存 在 し なかったと考えられる。次に、 『江談抄』の横笛名器を列挙している箇所を挙げる。 『江談抄』巻三 (四八)笛 大水竜。小水竜。青竹。葉二。柯亭。讃岐。中管。釘打。庭筠。 佐 谷 氏 が 参 照 し た 二 書 の 他 に も、 特 に「 大 水 竜、 小 水 竜、 青 竹、 葉 二、 柯 亭 」 の 冒 頭 五 つ の 名 器 に つ い て は、 『 教 訓 抄 』『 愚 聞 記 』『 説 経 才 学 抄 』『 糸 竹 口 伝 』『 続 教 訓 抄 』『 名 器 秘 抄 』『 体 源 抄 』 に み ら れ る 名 器 列 挙 の 順 番 と も 一 致 し て お り、 「 青 竹、 葉 二 」 が 連 続 す る こ と は、 横 笛 の 名 器 を 挙 げ る 上 で 一 般 的 な 順 番 と い え る。 ま た、 泉 基 博 氏『 校 本 十 訓 抄 』 (  12) は、 十 三 の 写 本の本文が 「青葉二」 とされていることが確認でき、 『十訓抄』 本文の本来のかたちは 「青葉葉二」 ではなかったと考えられる。 さらに、 佐谷氏は、 『東斎随筆』において『十訓抄』の該当箇所を含む説話が引用され、 横笛の名器が列挙される箇所に「青 葉二」とあることから、 『十訓抄』本文の「竹」の脱落がかなり早い段階で起きたことを指摘する。 『東斎随筆』には『十訓抄』 と ほ と ん ど 同 文 の 伝 承 が み ら れ る が、 『 東 斎 随 筆 』 翻 刻 (  13) お い て 横 笛 の 名 器 は「 青 葉 ニ、 大 水 龍、 小 水 龍、 頭 焼、 雲 太 丸 」 と さ れ て い る。 ま た、 そ の 補 注 に は、 「 青 葉 ニ 」 に つ い て「 底 本 で は「 ニ 」 は 片 仮 名( 格 助 詞 の「 ニ 」) と み る べ き で あ ろ う 」 と指摘がある。 「 二 」 の 解 釈 に つ い て、 佐 谷 氏 は、 『 十 訓 抄 』 諸 本 に お い て「 青 葉 二 」 と い う 本 文 を 持 つ も の は「 青 竹・ 葉 二 」 か ら「 竹 」 の 字 が 脱 落 し た も の で あ る か ら、 「『 青 葉 』 に 」 と 解 す る の は 不 適 切 と し て い る。 こ の 指 摘 を ふ ま え、 名 器 列 挙 が み ら れ る 他 の 書 物 を 確 認 し た と こ ろ、 列 挙 中 に 格 助 詞 の「 ニ 」 が 挟 ま れ る も の は み ら れ な い。 片 仮 名 の「 ニ 」 と 漢 字 の「 二 」 は 形 が 酷 似 し て

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おり区別が難しいが、 『十訓抄』本文が「青竹 ・ 葉二」から「竹」の字が脱落したのであれば漢数字の「二」と解すべきであり、 『東斎随筆』は『十訓抄』に依拠し「青葉二」という箇所についてもそのまま転記した可能性が考えられる。 そ し て『 校 本 十 訓 抄 』 に 翻 刻 さ れ る『 十 訓 抄 』 諸 本 に は、 平 仮 名 本 が あ り、 平 仮 名 本 に お け る 該 当 箇 所 も ま た、 「 青 葉 二 」 とされる。平仮名本において本文中の他の箇所の仮名の 「に」 の字母は 「丹」 「尓」 「仁」 が多く (  14)、名器を列挙する中の 「二」 は 漢 数 字 と 解 す べ き で あ る。 ど ち ら に し て も、 横 笛 の 名 器 を 列 挙 す る 中 で「 青 葉 二( ニ )」 と あ る の は 不 自 然 で あ り、 こ の 箇 所 が『 十 訓 抄 』 と 一 致 し て い る 点 に お い て、 本 話 に つ い て『 東 斎 随 筆 』 は、 典 拠 で あ る『 十 訓 抄 』 を 忠 実 に 引 用 し て い る と い える。 ま た、 『 榻 鴫 暁 筆 』 に は 横 笛 の 名 器 を 列 挙 す る 中 に「 青 葉 二 」 が み ら れ、 こ の 三 文 字 が『 十 訓 抄 』 と 同 じ 内 容 の「 葉 二 」 説 話 の 見 出 し に も な っ て い る。 『 十 訓 抄 』 や『 東 斎 随 筆 』 で は そ れ ぞ れ の 説 話 に 見 出 し は 付 さ れ て お ら ず、 見 出 し は『 榻 鴫 暁 筆 』 独 自 の も の で あ る。 こ の 点 に つ い て 佐 谷 氏 は、 「 こ の 場 合、 笛 の 名 は「 あ お ば ふ た つ 」 と 読 む の で あ ろ う か 」 と 指 摘 し て い る。 こ の 指 摘 を ふ ま え る と、 「 青 葉 二 」 と い う 本 文 を 持 つ『 十 訓 抄 』『 東 斎 随 筆 』 も ま た、 「 青 葉 二 」 の 三 文 字 が ひ と つ の 横 笛 の 名 器を指すと解されていた可能性が考えられる。 こ の よ う に 考 え る と、 『 十 訓 抄 』 の 成 立 段 階 で は、 ま だ「 青 葉 」 は 楽 器 の 固 有 名 と し て 成 立 し て い た と は い え な い。 し か し、 前 節 で ふ れ た よ う に「 青 葉 」 の 名 前 は 複 数 の 書 物 に み ら れ る。 こ の よ う な 書 物 は、 い ず れ も『 十 訓 抄 』 よ り 成 立 が 遅 れ る も の で あ る こ と か ら、 『 十 訓 抄 』 の「 青 葉 二 」 と い う 本 文 を 契 機 と し て い る。 「 青 葉 二 」 と い う 本 文 か ら「 二 」 を 書 写 過 程 に お け る 衍字と考えたか、 「ニ」を格助詞と解したために「青葉」という名前の笛があるのだと認識されたのであろう。 さ ら に、 従 来『 十 訓 抄 』 に「 青 葉 」 の 名 前 が み ら れ る と さ れ て き た 理 由 に は、 「 青 葉 二 」 の 箇 所 を「 青 葉 葉 二 」 と す る 本 文 を 持 つ 伝 本 の 存 在 が 大 き な 影 響 を 与 え て い る。 こ の よ う な 本 文 は、 享 保 六 年 に 刊 行 さ れ た 版 本 に み ら れ る。 ま た、 国 立 国 会 図 書 館 蔵『 十 訓 抄 』 に は「 青 」 と「 葉 」 の 間 に 本 文 と 同 墨 で「 葉 」 の 字 の 傍 書 が み ら れ、 宮 内 庁 書 陵 部 蔵『 十 訓 抄 』 に は「 青 」

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と 「葉」 の間に 「葉」 の字が後補される (  15)。本来は 「竹」 の脱字であったにもかかわらず、 なぜ 「葉」 が補われたのだろうか。 「葉」 が補われた要因は次のように考えられる。前節でふれたように、 横笛の有名なものとして鬼から手に入れたとされる 「葉 二 」 が あ る。 「 青 葉 二 」 が 楽 器 名 と し て 不 自 然 で あ る た め、 文 字 の 並 び の 中 か ら「 葉 二 」 を 見 出 し、 「 青 」 と「 葉 」 の 間 に は 脱 字 が あ る と 考 え ら れ た。 何 の 文 字 を 書 き 落 と し た の か 考 え る 際 に、 前 節 に 引 用 し た『 続 教 訓 抄 』 の「 故 ニ 青 葉 〻 二 鬼 笛、 皆 一 管ノ異名歟」とある本文の影響を受け、 おどり字の脱字だと推測し、 「葉」の字を補ったのではないか。横笛の固有名には「青 竹 」 や「 葉 二 」 の よ う に 植 物 を 連 想 さ せ る 名 前 が す で に 存 在 し て い た。 そ の た め、 「 青 竹 」「 葉 二 」 と 同 じ く 植 物 を 連 想 さ せ る 「 青 葉 」 と い う 名 前 を 持 つ 横 笛 が 存 在 し て も 不 自 然 で は な い。 こ の よ う な 要 因 か ら、 「 青 葉 」 と い う 名 前 の 横 笛 が 存 在 す る と 認 識されて「青葉二」に「葉」の字が補われ、本来の「青竹、葉二」という本文には訂正されないまま伝えられたのである。 以 上 の よ う に 横 笛「 青 葉 」 が 名 器 と し て 伝 え ら れ る よ う に な る 契 機 や 名 前 の 生 成 過 程 を 再 検 討 し た と こ ろ、 『 十 訓 抄 』 が 成 立 し た 頃 の 書 写 過 程 で の 誤 写 に よ っ て 生 成 さ れ た 名 前 で あ っ た。 誤 写 に よ っ て 生 成 さ れ た の だ と す れ ば、 「 青 葉 」 は 名 前 だ け が存在する実態のともなわない名器であったといえる。 『十訓抄』以前の書物に「青葉」の名前は見られない。また、 『十訓抄』 よ り 成 立 が 遅 れ る 書 物 に お い て「 葉 二 」 と 同 一 の も の か と 疑 わ れ る こ と も、 「 青 葉 」 が 名 前 の み 伝 え ら れ る 名 器 で あ っ た こ と を示している。

 

敦盛伝承にみられる「青葉」

「 青 葉 」 の 名 前 が 伝 承 の 流 布 過 程 で の 誤 写 を 契 機 と し て 生 成 し た の だ と す れ ば、 な ぜ、 名 器 の ひ と つ と し て 固 有 の 伝 承 を 持 つ よ う に な っ た の だ ろ う か。 「 青 葉 」 は 平 敦 盛 の 笛 の 名 前 と し て 有 名 で あ り、 『 平 家 物 語 』 研 究 か ら も 注 目 さ れ る。 前 掲 の 佐 谷 氏 の 論 考 も そ の 立 場 を と る。 し か し『 平 家 物 語 』 の 伝 本 諸 本 に お け る 敦 盛 の 笛 は 横 笛「 小 枝 」 ま た は 篳 篥「 月 影 」 と な っ て お

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り、 「青葉」はみられない。 「青葉」と『平家物語』敦盛の笛との関わりから、 「青葉」の名前の流布についてみていきたい。 『平家物語』巻第九「敦盛最期」 (  16) 件 の 笛 は、 お ほ ぢ 忠 盛 笛 の 上 手 に て、 鳥 羽 院 よ り 給 は ら れ た り け る と ぞ 聞 え し。 経 盛 相 伝 せ ら れ た り し を、 篤 盛 器 量 た る によッて持たれたりけるとかや。名をは小枝とぞ申ける。 『 平 家 物 語 』 に お け る 敦 盛 の 笛 に つ い て は、 貝 賀 奈 津 美 氏「 横 笛 と 篳 篥 ― 敦 盛 の 笛 か ら み る 楽 器 の 役 割 ―」 (  17)が、 伝 本 諸 本 間 で の 楽 器 の 種 類 や 名 前 の 揺 れ に 注 目 し て い る。 貝 賀 氏 は、 主 な 説 話 や 楽 書 と し て『 枕 草 子 』『 江 談 抄 』『 古 事 談 』『 十 訓 抄 』 『 古 今 著 聞 集 』『 教 訓 抄 』『 続 教 訓 抄 』 を 挙 げ、 「 こ れ ら の 書 物 か ら、 敦 盛 が 所 有 し て い た と さ れ る 小 さ え だ 枝 ・ 小 こ え だ 枝 ・ 月 影 の 名 器 は み つからなかった。敦盛の笛が名器という設定は架空である可能性が高いだろう」と指摘している。 と こ ろ が、 『 拾 芥 抄 』 で は 横 笛 の 名 器 列 挙 中 に「 小 枝 」、 同 じ く『 平 家 物 語 』 に お い て 横 笛 の 名 器 と さ れ て い る「 蝉 折 」 の 名 前 が 伝 え ら れ (  18)、『 名 器 秘 抄 』 で は「 小 枝 」「 蝉 を れ 」 を 見 出 し に 挙 げ、 横 笛「 蝉 を れ 」 が 鳥 羽 院 の 持 ち 物 で あ っ た こ と が 伝 えられる。 『拾芥抄』楽器部第三十五(割注は省略) 笛 大水龍、 小水龍、 葉二、 柯亭、 穴貴、 海人焼残、 讃岐、 中管、 釘打、 庭筠、 釘打、 富士丸、 音丸、 内裏丸、 虵 逃、 重代丸、 青竹、小枝、蝉折、大穴、平禮、拍子合、神咒寺、赤疵丸 『名器秘抄』 (  19) 一   小枝蝉をれの事 此 笛 ハ、 鳥 羽 院 の 御 時、 金 千 両 を 唐 の 御 門 へ ま い ら せ さ せ 給 た り け れ は、 其 返 報 と お ほ し く て、 生 身 の 枝 付 た る 笛 竹 一 よ ま い ら せ さ せ 給 け り、 秘 蔵( し カ ) お ほ し め さ れ て、 寺 の 僧 正 覚 増 ニ 仰 て 壇 ニ た て、 七 日 加 持 し て ゑ り た り け り、 お ほ ろ

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け の 御 遊 ニ ハ と り も い た さ れ〔 さ 〕 り け れ と、 あ る 時、 高 松 中 納 言 実〔 平 〕、 此 笛 を 給 て 吹 れ け る か、 ふ つ う さ ま に お も ひ な し て、 ひ さ の 下 に を し か け て、 又 と り あ け て ふ か ん と し け れ ハ、 笛 と か め や 思 け ん、 と り す へ ら か し、 〔 せ 〕 み、 う ち お り て け り、 そ れ よ り 此 笛 を ハ 蝉 を れ と い ふ、 鳥 羽 院 の 御 か た み と 思 食 て、 御 身 を ハ な た し と 思 食 け れ と も、 高 倉 宮、 薗 城 寺 へ 没 落 せ さ せ 給 け る 時、 金 堂 に て 御 入 堂 あ り け る に、 弥 勒 に ま い ら せ さ せ 給 け り、 龍 花 の 値 遇 の 御 た め と い ひ て、 哀也し、 い ず れ も 敦 盛 所 有 の も の で あ っ た と い う 伝 承 や『 平 家 物 語 』 と の 関 わ り は 伝 え ら れ な い。 し か し、 こ の 二 書 は『 平 家 物 語 』 よりも成立が遅れるため、 『平家物語』の影響を受け、 「小枝」 「蝉折」を名器伝承に組み込んだものと考えられる。 「 青 葉 」 は、 平 敦 盛 の 笛 と し て 現 代 で も 知 ら れ、 須 磨 寺 に は 敦 盛 の「 青 葉 の 笛 」 だ と 伝 え ら れ る 笛 が 保 管 さ れ て い る。 敦 盛 伝 承 に お い て 笛 の 名 前 が「 青 葉 」 と な っ た こ と に つ い て は、 冨 倉 徳 次 郎 氏『 平 家 物 語 全 注 釈 』  20) お い て、 謡 曲 の 影 響 で あ り江戸時代以降のことであろうと指摘されている。 ここで、敦盛の笛が「青葉」となったことに影響を与えたとされる謡曲「敦盛」の本文を挙げる (  21) 〈地〉身の業の、 好ける心に、 寄り竹の、 好ける心に、 寄り竹の、 小枝蝉折   さまざまに、 笛の名は   多けれども、 草刈りの、 吹 く 笛 な ら ば   こ れ も 名 は、 青 葉 の 笛 と   思 し め せ。   住 吉 の   汀 な ら ば、 高 麗 笛 に や   あ る べ き、 こ れ は 須 磨 の   塩 木 の、海人の焼残と   思しめせ、海人の焼残と   思しめせ。 引 用 箇 所 は 地 謡 で あ る が、 文 脈 か ら は シ テ( 草 刈 男、 実 は 敦 盛 ) の 台 詞 の 一 部 で あ る。 ま だ 正 体 を 明 ら か に し て い な い シ テ が、 『平家物語』において敦盛の笛とされる「小枝蝉折」の名前を出すことで自らが敦盛であることをほのめかしながらも「草 刈男が吹く笛であれば、 青葉の笛だとでも思ってください、 ここが須磨の海辺であれば、 海人の焼残だと思ってください。 」と、 あえて別の笛の名前を挙げているのだと解釈できる。 こ こ で 「 青 葉 の 笛 」 の 対 句 と し て 挙 げ ら れ て い る 「 海 人 の 焼 残 」 は 『 教 訓 抄 』 に お い て 横 笛 の 名 器 と し て み ら れ る (  22)。『

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訓 抄 』 は 十 三 世 紀 ご ろ に 成 立 し て お り、 謡 曲「 敦 盛 」 に 先 行 す る。 こ の た め 作 者 で あ る 世 阿 弥 は、 「 海 人 の 焼 残 」 が 名 器 と し て 知 ら れ た 名 前 だ と 認 識 し た う え で「 敦 盛 」 に 使 用 し た と 考 え ら れ る。 こ の こ と は、 「 青 葉 」 が 楽 器 の 固 有 名 と し て す で に 知 ら れ た も の で あ り、 名 器 で あ る「 海 人 の 焼 残 」 と 対 句 と し て 釣 り 合 い が と れ る も の で あ っ た こ と を 示 す。 こ の 場 面 に お い て、 シ テ は 草 刈 男 で あ る た め、 笛 の 名 前 は「 青 葉 」 と な る。 草 刈 男 の 正 体 は 敦 盛 で あ る の で、 敦 盛 の 笛 が「 青 葉 」 だ と 考 え ら れ る ようになったのであろう。 ま た 、『 平 家 物 語 』 巻 七 「 経 正 都 落 」「 青 山 之 沙 汰 」 で は 敦 盛 の 兄 で あ る 平 経 正 が 琵 琶 の 名 手 で あ り 、 琵 琶 の 名 器 「 青 山 」 を 下 賜 さ れ て い た こ と が 記 さ れ る (  23)。「 青 山 」 も 敦 盛 の 笛 と 同 じ く 『 平 家 物 語 』 以 外 の 書 物 に は あ ま り 名 前 が み ら れ な い 。「 青 山 」 が み ら れ る 書 物 の ほ と ん ど は 『 平 家 物 語 』 以 降 に 成 立 し た も の で あ り 、『 平 家 物 語 』 の 影 響 に よ る も の だ と 考 え ら れ る (  24) こ の 点 に お い て、 経 正 の「 青 山 」 と 敦 盛 の 笛 は 流 布 の 状 態 が 近 似 し て い る。 さ ら に、 「 青 山 之 沙 汰 」 に み ら れ る 経 正 伝 承 に 焦 点 を当てた謡曲「経政」 (  25)があり、謡曲の題材となっている点においても敦盛伝承と共通する。 「 青 山 」 と「 青 葉 」 は、 「 青 」 の 文 字 が 共 通 し て い る ほ か、 自 然 の 景 物 を 連 想 さ せ る 点 が 類 似 し て い る。 謡 曲 を 契 機 に 敦 盛 の 笛の名前が「青葉」だと考えられるようになった際、 謡曲「経政」に登場する敦盛の兄である経正と琵琶「青山」が連想され、 兄 弟 が ど ち ら も 管 絃 に 秀 で て い た と い う 伝 承 を 持 ち、 よ く 似 た 名 前 の 名 器 を 所 有 し て い る こ と は 不 自 然 で は な い と 考 え ら れ た の で は な い だ ろ う か。 こ の こ と か ら『 平 家 物 語 』 で は「 小 枝 」 で あ っ た は ず の 敦 盛 の 笛 の 名 前 が、 「 青 葉 」 と し て 敦 盛 伝 承 に 組み込まれて流布したのだと考えられる。 近世には楽書 『楽家録』 に 「青葉」 が敦盛の笛として明記される (  26)。また、 歌舞伎 「景清」 においては、 平家の宝物として 「青 山 の 琵 琶 青 葉 の 笛 」 が 挙 げ ら れ、 対 句 と し て「 青 山 」 と と も に「 青 葉 」 が 用 い ら れ て い る。 こ の こ と は、 近 世 に「 青 葉 」 が 敦 盛の笛の名前として浸透していることを示している。

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  『神道集』にみられる「青葉」

「 青 葉 」 は 敦 盛 の 笛 と し て 知 ら れ る が、 そ の 一 方 で 在 原 業 平 の 笛 で あ る と い う 伝 承 を 持 つ。 こ の 伝 承 は『 神 道 集 』 や 室 町 物 語にみられ、詳しい来歴が伝えられる。 「青葉」に付随する伝承から、 「青葉」の名前の流布の様相をみていきたい。 『神道集』における「青葉」は、 前述のとおり、 在原業平が鬼から手に入れた笛とされている。この伝承は、 巻第四 ・ 十八「諏 訪大明神五月会事」の前半部分に相当するもので、 室町物語「青葉の笛の物語」が類似した内容を伝えるのみである。ここで、 『神道集』巻第四 ・ 十八の前半部分における「青葉」の伝承の概略を簡単に示す。 在原業平は多才な人物で、 笛の名手であった。光孝天皇の時代、 信濃には一人の鬼王がいた。この鬼は大変な笛好きで、 青葉の笛という不思議な笛を持っていた。業平はその笛をなんとかして手に入れ、 我が国の宝にしたいと考えた。そこで、 笛 を 百 本 こ し ら え て、 腰 や 懐 に し の ば せ て 鬼 王 に 会 い に 出 か け た。 毎 夜 秘 曲 を 演 奏 す る う ち に 鬼 王 が や っ て 来 た の で、 業 平 は 鬼 王 の 笛 を 借 り て 演 奏 す る こ と が で き た。 鬼 王 は 業 平 の 演 奏 を 感 心 し て 聞 い て い た が、 明 け 方 が 近 づ く と 笛 を 返 す よ う 要 求 し た。 業 平 は 用 意 し て い た 百 本 の 笛 を 使 い、 鬼 王 の 笛 と す り 替 え て 返 す こ と で 時 間 を 稼 ぐ。 鶏 の 声 を 聴 く と 鬼 王 は あわてて姿を消す。 業 平 は 手 に 入 れ た 笛 を 帝 に 献 上 し、 喜 ば れ た。 そ こ へ 鬼 王 が 笛 の 返 却 を 求 め て 宮 中 に 現 れ た。 鬼 王 は 丁 寧 に 返 却 を 求 め た が、 応 じ て も ら え な い。 怒 っ た 鬼 王 は 正 体 を 現 し、 都 中 に 災 害 を 起 こ し た。 そ れ で も 帝 は 笛 を 返 さ ず、 か え っ て 鬼 王 追 討を指示した。 『神道集』 における伝承については、 濱中修氏 「神道集諏訪五月会説話考―笛と王権―」 (  27)に詳しい。 濱中氏は 『神道集』 巻第四 ・ 十 八「 諏 訪 大 明 神 五 月 会 事 」 に お け る 笛 と 王 権 と の 関 わ り や、 中 世 神 話 に お い て 笛 も し く は 楽 器 が 果 た す 役 割 に つ い て 考 察 さ れており、 業平が鬼から笛を手に入れる伝承は、 『続教訓抄』 にみられる 「葉二」 の異伝に同話が存在することを指摘されている。

(16)

こ の 異 伝 に つ い て は、 他 の 先 行 研 究 に お い て も 指 摘 さ れ て い る (  28) 次 に、 『 続 教 訓 抄 』 の「 葉 二 」 伝 承 の 異 伝 と 年 代 の 考 証 の箇所を挙げる。 『続教訓抄』第十二冊 大 外 記 師 遠 語 テ 云 ク、 〈 師 任 孫 師 平 子 〉 昔 殿 上 人、 月 夜 一 廻 ト〈 天 〉 歩 行 ニ テ 陽 明 門 ヨ リ イ テ ヽ、 朱 雀 門 ヨ リ 入 ケ リ、 人 ミナ内裏ヘ参リテ後、 業平中将一人此門ニトマリテ、 月ヲ感シテ笛ヲ吹テ入ケリ、 楼上ノ鬼大ニ感シテ、 此笛ヲ給トイヘリ、 業 平 ハ 天 長 二 年 乙 巳 生 ル、 元 慶 四 年 五 月 廿 八 日 卒、 〈 年 五 十 六 〉 此 人 ノ エ タ ル 笛 ヲ、 後 ニ 浄 蔵 ノ 吹 キ タ ラ ム ハ、 年 紀 符 合セリ、博雅ハコトノホカノ相違也、 この異伝は、 『十訓抄』と同じ内容の「葉二」伝承、 博雅と浄蔵の年代の矛盾の指摘に続けてみられる。業平が鬼から「葉二」 を 手 に 入 れ た と す る 伝 承、 さ ら に 補 足 と し て 鬼 か ら 笛 を 手 に 入 れ た 人 物 が 博 雅 で は な く 業 平 で あ れ ば、 浄 蔵 と の 年 代 の 矛 盾 が 解 消 さ れ る こ と が 指 摘 さ れ て い る。 ま た、 「 博 雅 ハ コ ト ノ ホ カ ノ 相 違 也 」 と あ り、 博 雅 が 手 に 入 れ た の で は 後 に 浄 蔵 が 演 奏 す るという伝承が事実として成り立たないことを強調している。 『 続 教 訓 抄 』 の「 葉 二 」 に ま つ わ る 伝 承 に つ い て 記 載 さ れ る 順 や 考 証 か ら、 撰 者 で あ る 狛 朝 葛 は、 「 葉 二 」 に 付 随 す る な か で 最 も 人 口 に 膾 炙 し た 伝 承 と し て 博 雅 と 浄 蔵 が 登 場 す る 逸 話 を 一 番 に 伝 え て い る が、 登 場 人 物 の 年 代 の 矛 盾 を 解 消 で き る 業 平 が 鬼 か ら 手 に 入 れ た と す る 伝 承 に つ い て も 重 視 し て い た こ と が う か が え る。 『 続 教 訓 抄 』 の 成 立 は『 神 道 集 』 に 先 行 す る た め、 濱中氏の論考のとおり業平が鬼から手に入れた笛は、本来は「青葉」ではなく「葉二」であったと考えられる。 本 来「 葉 二 」 に 付 随 し て い た 伝 承 が、 「 青 葉 」 の 伝 承 に 変 わ る き っ か け に つ い て は 次 の よ う に 考 え ら れ る。 同 一 の 名 器 に、 博 雅 が 手 に 入 れ た と す る 伝 承 と 業 平 が 手 に 入 れ た と す る 伝 承 が 付 随 す れ ば、 事 実 と し て は 辻 褄 が 合 わ な く な っ て し ま う。 そ こ で、 業 平 が 手 に 入 れ た 笛 に、 権 威 あ る 名 器「 葉 二 」 と 同 一 の も の か と 疑 わ れ な が ら も 実 態 を 持 た な い 名 器 で あ っ た「 青 葉 」 の 名 前 が 付 加 さ れ る。 そ し て、 「 葉 二 」 は 博 雅 が 手 に 入 れ た 笛、 「 青 葉 」 は 業 平 が 手 に 入 れ た 笛 と し て、 そ れ ぞ れ が 別 の 名 器 と し

(17)

て 伝 え ら れ る よ う に な っ た の で あ る。 業 平 が「 青 葉 」 を 手 に 入 れ た と す る 伝 承 は、 室 町 物 語「 青 葉 の 笛 の 物 語 」 へ と 派 生 し、 流布している。

おわりに

以上のように、 横笛 「青葉」 に関連する伝承をみてきた。 「青葉」 は、 誤写などを契機として生成された実態のない名器であっ た。 そ の た め に 中 世 の 楽 書 な ど で は「 葉 二 」 の 別 名 か と 疑 わ れ る な ど、 不 安 定 な 状 態 で 伝 え ら れ て い た。 し か し、 謡 曲 を 契 機 に敦盛伝承に取り込まれ、 敦盛の笛として広く流布する。 『平家物語』の敦盛の笛は架空の名器だと考えられるが、 『平家物語』 の流布に伴って、後世の書物においては実在する名器として扱われるようになる。 ま た、 『 神 道 集 』 に み ら れ る よ う な 伝 承 は、 「 葉 二 」 伝 承 の 異 伝 を 契 機 と し て 名 前 の す り 替 え が 起 こ っ た も の で あ っ た。 こ ち ら は 室 町 物 語 に 派 生 し、 敦 盛 伝 承 と は 別 の 伝 承 と し て、 独 立 し た か た ち で 流 布 す る。 「 青 葉 」 伝 承 の 派 生 の 様 相 か ら、 実 態 を 持 た な い 名 器 が、 名 前 の す り 替 わ り や 伝 承 の 派 生 と い う か た ち で 後 世 の 伝 承 に 影 響 を 与 え る こ と が 分 か っ た。 こ れ は、 名 器 伝 承の性質のひとつであるといえる。 注 (1) 稲垣泰一氏 「鬼と名器をめぐる伝承」 (東京教育大学中世文学談話会編 『峯村文人先生退官記念論集   和歌と中世文学』 、一九七七年) 。 (2) 久保田淳氏 ・ 大島貴子氏 ・ 藤原澄子氏 ・ 松尾葦江氏校注『今物語 ・ 隆房集 ・ 東斎随筆』 (『中世の文学』第一期)一九七九年、 三弥井書店。 (3) 本文は、新日本古典文学大系『江談抄』に拠る。

(18)

(4) 本 文 は、 泉 基 博 氏 編『 校 本 十 訓 抄 』( 一 九 九 六 年、 右 文 書 院 ) に 掲 載 さ れ る 宮 内 庁 書 陵 部 蔵『 十 訓 抄 』( 片 仮 名 本・ 番 号 六 五 八 四 二 ) に拠る。句読点は私に付した。 (5) 本文は、日本古典全集『続教訓抄』に拠る。以下の引用も同じ。 (6) 前掲注(1) 。 (7) 説 話 集 や 楽 書、 類 書 な ど に お い て、 名 器 と そ の 逸 話 を 網 羅 的 も し く は 体 系 的 に 伝 え よ う と す る 場 合、 楽 器 の 名 前 を 列 挙 す る 項 目 と、 それぞれの名器にまつわる逸話を詳しく伝える項目に分ける書物がある。 (8) 本文は、故実叢書『拾芥抄』に拠る。以下の引用も同じ。 (9) 本文は、日本古典全集『体源抄』に拠る。 ( 10) 佐谷眞木人氏『平家物語から浄瑠璃へ   敦盛伝承の変容』二〇〇二年、慶應義塾大学出版。 ( 11) 佐谷氏は『古典文庫』による宮内庁書陵部蔵『十訓抄』の翻刻を参照している。 ( 12) 前 掲 注( 4) 。 該 当 す る 説 話 は 底 本 で あ る 宮 内 庁 書 陵 部 蔵『 十 訓 抄 』 を は じ め と す る 十 四 の 現 存 す る 写 本 が 校 合 さ れ る。 こ の う ち 国 立国会図書館蔵本のみ本文と同墨の書き入れによって「葉」を補われている。 ( 13) 前掲注(2) 。底本は宮内庁書陵部蔵葉室本。 ( 14) 国文学研究資料館 HP の電子資料館に公開されている平仮名本として、東京大学国文学研究室蔵本、祐徳稲荷神社蔵本を参照した。 ( 15) 『校本十訓抄』は本文と同墨でない書き入れを除いて翻刻しているため、 後補については確認できない。泉基博氏編『御所本十訓抄』 〈下〉 (一九八三年、笠間書院)による影印を参照した。 ( 16) 本 文 は、 新 日 本 古 典 文 学 大 系『 平 家 物 語 』( 底 本 は 覚 一 本 系 統 に 分 類 さ れ る 高 野 辰 之 氏 旧 蔵 東 京 大 学 国 語 研 究 室 蔵 本 ) に 拠 る。 以 下 の引用も同じ。 ( 17) 貝賀奈津美氏「横笛と篳篥―敦盛の笛からみる楽器の役割―」 (『成蹊国文』四十三、 二〇一〇年) 。 ( 18) 横笛 「小枝」 「蝉折」 は覚一本 『平家物語』 巻四 「大衆揃」 において、 以仁王の持ち物としてみられる名器である。本文は次のとおり。

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『平家物語』巻四「大衆揃」 此 宮 は、 蝉 折・ 小 枝 と 聞 え し 漢 竹 の 笛 を、 ふ た つ も た せ 給 へ り。 か の 蝉 折 と 申 は、 昔 鳥 羽 院 の 御 時、 こ が ね を 千 両、 宋 朝 の 御 門へをくらせ給ひたりければ、返報とおぼしくて、いきたる蝉のごとくに、ふしのついたる笛竹を、ひとよをくらせ給ふ。 「い か ン が こ れ 程 の 重 宝 を、 さ う な う は ゑ ら す べ き 」 と て、 三 井 寺 の 大 進 僧 正 覚 宗 に 仰 て、 壇 上 に 立 て、 七 日 加 持 し て ゑ ら せ 給 へ る 御 笛 な り。 或 時 高 松 の 中 納 言 実 平 卿 参 ッ て、 こ の 御 笛 を ふ か れ け る が、 よ の 常 の 笛 の や う に 思 ひ 忘 れ て、 ひ ざ よ り し も に お か れ た り け れ ば、 笛 や と が め け ん、 其 時 蝉 お れ に け り。 さ て こ そ 蝉 折 と は つ け ら れ た れ。 笛 の お ん 器 量 た る に よ ッ て、 こ の 宮 相 伝 あ り け り。 さ れ ど も い ま を か ぎ り と や お ぼ し め さ れ け ん、 金 堂 の 弥 勒 に 参 ら ッ さ せ お は し ま す。 竜 花 の 暁、 値 遇 の 御 た め かとおぼえて、あはれなッし事共也。 「 蝉 折 」 に つ い て は そ の 来 歴 が 語 ら れ る が、 「 小 枝 」 に つ い て は み ら れ な い。 「 敦 盛 最 期 」 で は「 小 枝 」 に つ い て、 忠 盛 が 鳥 羽 院 か ら 譲 り 受 け、 経 盛 を 経 て 敦 盛 の 手 に 渡 っ た こ と が 記 さ れ る が、 以 仁 王 の「 小 枝 」 と 敦 盛 の「 小 枝 」 が 同 一 の も の で あ る か ど う か は 明 記 さ れ な い。 前 掲 の 貝 賀 氏 の 論 考 で は、 敦 盛 の 笛 に つ い て 主 な 諸 本 の 比 較 が あ り、 以 仁 王 の「 小 枝 」 と 敦 盛 の「 小 枝 」 が 別 の も の であるか同一のものであるかは伝本によって異なることが示されている。 ( 19) 本 文 は、 中 原 香 苗 氏「 宮 内 庁 書 陵 部 蔵『 名 器 秘 抄 』 考 ― 楽 器 名 物 譚 を 記 す 楽 書 ―」 ( 伊 井 春 樹 編『 古 代 中 世 文 学 研 究 論 集 』 第 一 集、 一九九六年)の翻刻に拠る。なお、凡例によれば()は判読不能字、 〔〕は虫損部分のうち典拠等による推定部分を示す。 ( 20) 冨倉徳次郎氏『平家物語全注釈』下巻、一九六七年、角川書店。 ( 21) 本文は、日本古典文学大系『謡曲集   上』に拠る。 ( 22) 『教訓抄』では「アマノタキサシ」と表記される。 ( 23) 琵琶「青山」については、 磯水絵氏『院政期音楽説話の研究』第二部第三章「玄象伝承の末路」 、第四章「 『平家物語』から―「青山」 と「 師 子 丸 」〔 名 器 考 〕 ―」 ( 和 泉 書 院、 二 〇 〇 三 年 )、 小 林 加 代 子 氏「 三 面 の 琵 琶 ― 師 子 丸 の 伝 承 を 手 掛 か り に ―」 (『 中 世 軍 記 の 展 望 台 』 二 〇 〇 六 年、 和 泉 書 院 )、 同 氏「 青 山 の 模 造 品 ―『 平 家 物 語 』 受 容 の 一 端 ―」 (『 軍 記 物 語 の 窓 』 第 三 集、 二 〇 〇 七 年、 和 泉 書

(20)

院)に詳しい。 ( 24) 平 家 物 語 』 成 立 以 前 の 書 物 と し て は、 守 覚 法 親 王 の『 左 記 』 に「 青 山 」 の 名 前 が 記 さ れ る。 こ の た め、 先 行 研 究 に お い て も 敦 盛 の 笛のように「架空のものであろう」とはされない。 ( 25) 作者未詳。成立は謡曲「敦盛」よりも遅れる。流派によって、 「経政」と表記される場合と「経正」と表記される場合がある。 ( 26) 『楽家録』 には 「左枝」 も敦盛の笛として記載される。 『平家物語』 本文についても、 前述の異同はあるものの 「青葉」 とはされない。 また、室町物語において敦盛伝承が派生したものは「小枝の笛の物語」である。どちらも敦盛の笛としてそれぞれ伝承されている。 ( 27) 濱中修氏「神道集諏訪五月会説話考―笛と王権―」 (『沖縄国際大学大学部紀要国文学篇』十六号、一九八八年) 。 ( 28) 前 掲 注( 1) 、 石 川 透 氏「 室 町 時 代 物 語 に お け る『 伊 勢 物 語 』 享 受 」( 徳 田 元 正 編『 室 町 文 学 纂 集 第 一 輯   伊 勢 物 語 注 』 三 弥 井 書 店、 一九八七年、 『室町文学纂集』第一輯)など。        (せのお・えり   本学大学院修了生)

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