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新たなる認識論理の構築 : デザイン篇

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(1)

新たなる認識論理の構築 : デザイン篇

著者

鈴木 啓司

雑誌名

名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇

43

2

ページ

45-63

発行年

2007-01-31

URL

http://doi.org/10.15012/00000841

(2)

新 たな る認識論理 の構築

前稿1)に続 いて

,い

よいよ新 たな る認識論 理 の構築 に取 り掛か る。 まず は目標 と方針を簡 単 にさ らってお こう。 認識を論理化す る場合

,代

表的な二つの論理 体系

,古

典論理 も直観主義論理 も

,あ

る点で大 き く欠 けている部分があ った。 それは,「 何 か 知 らないが知 らない ことが在 る ことを知 って い る」 とい う知識 の形 で あ る。古典論理 は神 の 目を借 りて

,人

間の知 らない ことも暗黙裡 に 想定 してかか る論理であ った。 これに対 して直 観主義論理 は

,人

知 の範囲内にとどまり確実 に 知 っていることだけを知 って いるとす る論理で あ った。両者 ともその知 っている内容 ははっき りと命題化で きるものである。 それはそ うであ ろ う。おのおのの評価基準

,真

偽 あるいは証明 可育旨性は

,対

象が命題 と して形 を成 していなけ れば通用 しない ものである。 しか し

,わ

れわれ の知識の形態 には先 にあげたよ うに

,知

ってい る内容が命題化で きない ものがある。断 ってお くが, ここで私 はいわゆる暗黙知だ とか身体的 知

,あ

るいは無意識 といったいわゆる潜在的な 知 の ことを云 々 しているのではない。 それ らに した ところで学問の対象 にす る以上

,言

語化で きなければ意味 はないのであ って

,私

が問題 に して いるのは

,そ

れ らも含めはっきりと意識 さ れた「無知 の知」である。 この知の形が

,他

の あ らゆる知識を生む人間のあ くなき好奇心の源 泉 にな っているもの と思 われ る。 その意味で私 は これを,「 推進知識」 と名づ けた。 これ に形

を与え公理とし

,認

識の新たな形式体系を築 く ことが本稿の目標である。 前稿の結びでも述べたが

,わ

れわれは有限な る絵を認識することで物事を分かったつもりに なっているが

,絵

を絵 と認識するにはその背景 に無限といってよいカンバスが必要なことを思 い返すべきである。認識 とはその背景 も含めて 認識なのである。従来の論理はいわば絵の部分 であった (非常によく描かれてはいるが)。 新 たなる認識論理はだか ら

,

この背景をも含めた ものでなくてはならない。 ここで問題 となるの は

,無

限を形式体系に取 り込むことである。カ ントールの集合論が示すように

,そ

れには大 き な困難 と危険を伴 う。 しか し

,わ

れわれはこの 背景を数量的に無限とする必要はない。それは 境界が引けない (引ければたちまち絵になって しまう

)と

いうことで

,無

限 というより無境界 と言 ったほうがよい。われわれが持つ無限とい う概念は

,実

はこのどこまで行 って も最終的な 境界が引けない認識の地盤のイメージではなか ろうか。それを有限なる絵の中に取 り込 もうと したところに無理があったのではかろうか。そ れはともか く

,わ

れわれがこれか ら構築にかか る新たなる認識論理 (以下

,新

認識論理 と呼ば う

)は,従

来の論理を絵 とする

,背

景をも含め た無境界モデルを持つ論理である。また

,

この モデルが

,前

稿か ら懸案の

,認

識オペレーター の無限連鎖による共有知識像を断ち切 って くれ る手立てとなって くれるのである。 ― デザ イ ン篇―

(3)

それでは前日上はこの くらいにして

,早

速作 業に取 り掛かろう。

原子式

論理体系の構築はひとつの宇宙創造にも似て いる。宇宙を構成するものは原子である。論理 学で も

,単

純命題 (肯定形の単文

)を

形式化の 最小単位 として原子式と呼ぶ (記号にはP,Q,

Rな

どが使われる)。 しか し

,わ

れわれの新認 識論理では

P単

独の存在を許 さない。必ず認 識オペ レーター

Ki(エ

ージェントiは知 ってい る

)を

付け加えた

KPを

原子式 とする。 これは 宇宙に認識 という視点を取 り入れた場合

,当

然 のことである。古典論理の宇宙は宇宙単独で存 在 していた。ゆえに

,そ

れは客観的に数値化で きるものであった。われわれを取 り巻 く二次元 空間内にある点は

,周

知のとおり縦

,横,奥

行 きを表す三つの数字で指示可能である。 しか し 本来

,単

に三つの数字

,た

とえば

3,4,5を

並 べただけでは意味を成さないのである。その三 つが一かたまりとなって一つの点を示すという 解釈が施されなければならない。すなわち

,三

つの数字をカ ッコで くくって

,{3,4,5}と

しなければならない。 これがいわゆる集合であ る。そ して

,

この集合という概念を使 って宇宙 を構築するのが認識主体 (エージェント

)で

あ る。だか ら

,三

点で構成されているかのごとき 宇宙空間は

,四

点 目の認識主体が要 るわけであ る。 これは幾何学的に言 って も自明のことであ る。

n次

元の ものが存在す るためには

n+1点

が必要である。1次元の線が成立するには

2点

,2次

元の平面が成立するには3点 (三角形) が

,3次

元の立体が成立するには4点 (三角錐) が必要なように。命題を支えるこの認識主体の 存在を隠蔽 し

,神

という無色透明な超越者に視 点の問題を預けたのが

,古

典論理であった。ゆ えに

,新

認識論理ではエージェントと命題を常 にワンセットとして扱 うものである。 ここで言 う宇宙 とは

,あ

くまでエージェントという知識 状態のことなのである。 公 理 宇宙の最小単位 は決 まった。次 に これを生 み 出す宇宙の原理

,公

理 を考えよ う。 冒頭で も述 べたように

,新

認識論理 は「推進知識」 を土台 とす る。 それ は換言すれば,「 何か知 らないが 知 らない ことがあ ることを知 っている」 という ものであ った。それを次 にように書 き表そ う。

Ki(ヨ

xKiy) これ は翻 訳 す れ ば,「 エ ー ジェ ン トiは

yで

あ る ことを知 る

xが

存在 す る ことを知 って い る」 となる。前稿ではこれに時制 オペ レーター ◇ (いつか

)を

付 け加 えて

,Ki(ヨ x◇

Kiy) 「 エー ジェ ン トiは いつか

yで

あ る ことを知 る

xが

存在す ることを知 ってい る」 と したが

,宇

宙創造 に天下 り式 に時間概念 を導入す るわけに はいかない。後 に触れ るが

,時

間 と空間 もこの 新認識論理 において定義 しなおす。 上記の式 は古典論理の観点か らすれば

,ま

っ た く無意 味で論理式 た り得 ない。 それ は述語 がyと い う自由変数 で未決定 なため

,式

の真 偽が決 め られないか らである。だが

,上

述 した よ うに

,知

識の内容 をすべて明確な命題の形 に して扱 うところに

,従

来 の論理が認識 を扱 うう えで不十分な点があるのであ った。知識の本質 とは

,あ

らか じめ在 る未知の ものを知 ることで も

,知

った ことを知 っていると確認す ることで もない。それは何か未決定の ものを決定 してい く行為 に似ている。 ちなみに

yに

あえて述語を 当て はめるな ら

,そ

れ は ヨ「存在す る」その も

(4)

の となろうか。すなわち

,上

述 の式が表 してい るの は

,x(モ

)と

y(認

)は

イ コールで あ って

,ま

った く自由に変わ りうる未決定状態 の認識が

,あ

る述語 に決定 され ることによ りそ れを属性 として持つ

xを

束縛 し知識 の中に存在 せ じめるとい うことである。古来 より「存在す る」 というのが特別な述語 なのかどうか という ことが論 じられて きたが

,今

述べたよ うな意味 で

,あ

らゆる述語 に先立つ根源的な ものである ことは確かであろ う。 この推進知識の公理か ら見 ると

,従

来 の論理 の公理が命題

P(メ

ッセー ジの名前 と言 い換え て よいか もしれない

)が

決定 してか らの事後的 な ものであることが分か る。すなわち

,推

進知 識 の 自由変数

yが

何 らかの値 に決定 し

Ki(ヨ

xKip)と

な り

,重

複 して い る

Kiを

削 って Ki (ヨ

xP),そ

して カ ッコ内を命題記号

Pに

置 き 換 えて原子式

KiPが

誕生 してか ら後 の話 で あ る。 そ して

,事

後 的 な もの に留 ま って い る限 り

,そ

れ らは有効なのである。逆 に越権行為 に 及ぶ と

,認

識論的には不具合を生 じる。同一律

P→ Pは

よい。

Pと

名前 が決 まれば

Pで

あ る。 矛 盾律 ¬(P∧ ¬

P),排

中律

P∨

Pは

ど う であろう。 これ らも名前が決定 した後の公理 と してみれば問題 はない。言 い換えれば

,有

限の 範囲が名指 された (絵とされた

)後

な ら

,有

効 である。 しか し

,名

前が未決定の状態 に適用 さ れ名前を決定す るとなると, どうか。 とい うの も

,

この二つ は背理法 とい う形で命題の真偽を 判定す る (名前 を決定す る

)作

業 に深 く関わ っ ているか らだ。特 に排中律 はよ く問題 にされ る よ うに

,一

考 を要 す る。排 中律 は二重 否定 則 ¬ (¬

P)→

Pと

同値 であ るが

,

これ は「

Pで

ない ことはない

,な

らばP」 とい うふ うに

,P

と決定 され る前 に

Pを

持 ち出 して

Pと

決定 し ている趣がある。 このあた りの ことを決定力あ りと過大評価 して排中律 をやみ くもに使 うこと の危険性を問 うたのが,直観主義論理であ った。 対象が有限であれば事後的に確認可能か もしれ ないが

,対

象が無限 とな ると

,冒

頭で も述べ た よ うに

,そ

もそ も囲い込み (名づ け

)不

可能 な のである。矛盾律 も

,認

識論 の立場か らす ると 未決定状態ではあ らゆる相矛盾す る状況が両立 可能だ といえ,その使用 には留保が必要である。 このように

,未

決定 と事後 とい う観点 に立て ば

,

これまでの論理学 のさまざまな問題点がよ く理解で きる。要す るにそれ らは

,事

後の論理 が コ トを生む

,決

定す ることにまで関わろうと した ところに起因す るのである。 これは従来の 認識論理の公理 に もいえる。認識を特徴付 ける 代表 的 な二つ の公理

S4(KiP→

KiKiP)と

S5

(¬

KiP→

Ki¬

KiP)も

命 題

Pが

決定 してか ら の公理である。前者「

Pを

知 って いれば

,Pを

知 っていることを知 っている」 は

,機

械 のデー タベースとは違 った人間の知識の自覚性を唱え た もの として うなず ける。後者「

Pを

知 らなけ れば

,Pを

知 らない とい うことを知 って い る」 は

,真

偽 の定 ま らない命題 (たとえば数学の未 解決問題

)を

前 に して

,そ

の真 なること (ある いは偽 なること

)を

知 らない とい っているわ け だか ら

,

これ も首肯 で きる。 しか し

,S5が

と きに人間の知識を表すには強す ぎると言われ る のは

,知

らないことをすべて命題の形で決定 し ているか らである。推進知識の示す ごとく

,人

間 には

,命

題化 されない知 らないことがあるこ とを知 っているという自覚がある。S4と

S5で

,知

っていることも知 らないこともすべて命 題化 され決定 されて しまっているが

,そ

れ らは い うまで もな く事後的で静的な知識である。未 決定か ら決定へ と移 る (まった く知 らなか った ことが知 られる

)と

い う知識のダイナ ミズムの 場 は ここにはない。 その抜 け落 ちている重要 な

(5)

要素が

,推

進知識なのである。 このあたりのこ とは図に示せばよく理解できよう。 x==y 認 識 線 S5 S4 X 図1

x=yは

推 進知識 を表 す いわば認識線 で あ る。 この変数が上昇 してい くことによって知識 は増 大 してい くとい うイメー ジだが

,そ

れを境 に し た上 の部分

,S5が

受 け持 つ知 らない ことは決 して真の未知ではない。前述 したように

,そ

れ らはすべて命題 の形で決定 されている。人間に とって最 も未知 なる存在 といってよい神 は

,

こ の

y軸

の無限遠点 のかなたにあるのだろ うが, それを しも人間 は神 という名を与えて命題化す る。そ してその強引に形式化 された視点か ら見 下 ろ した既知

,未

知取 りまとめた世界が

,古

典 論理 のそれであ る。 これ に対 し

,直

観主義論理 は既知 の領域

,S4の

領域 に とどまろ うとす る。 しか し

,そ

の どち らに して も

,未

決定か ら決定 へ と移 る

,境

の認識線 は含 まれていないのであ る。真 の未知 はこの線上 にあ るとい ってよい。 そ して同時にそれは

,知

識が生み出され る動的 な場で もある。そ うした意味で

,認

識線 は既知 と未知を分 ける境界線ではない。逆 に既知 と未 知 の区別が無効 になる知識の領域 なのである。 これをデデキ ン トの切断 に喩えてみよう。 デ デキントは実数 (連続体

)を

定義するのに切断 という手法を用いた。それは有理数の集合か ら 実数を構成するものだったが

,

ここではその結 果か ら言えることを述べてみる。いま実数直線 をある無理数 (たとえばの

)で

左右に分ける。 両側を整数の集合 と見ると

,左

は上に有界 (上 限

1),右

は下 に有界 (下限

2)と

なる。有理 数の集合 と見ると

,ど

ちらも有界ではない(上 限

,下

限がない)。 実数の集合 と見 ると

,切

断 線の無理数を含めたほうは有界

,そ

うでない ほうは有界ではない。 この最後の状態が連続 と いうことだ。知識がどのような単位で増えてい くかは定かでないが

,知

っていることの上限 も 知 らないことの下限 もはっきりとは同定できな いこと

,ま

,命

題化 された内容は言語化され ているという意味で連続的でないことを考える と

,有

理数 モデルが適当であるように思われ る。また

,そ

のほうがコンピューターで処理 し やすかろう。 しか し

,切

断線 となる認識線 は, 無理数のごとく有理数の集合には入 らない

,あ

るいは有理数の無限集合の極限に現われるもの なのである。それはまた

,カ

ントールの有名な 対角線論法に出て くる実数に例えてもよいか も しれない。実数 に自然数を番号 として振 って いった表を想定 して

,そ

の対角線上の数を拾 っ てそれとは違 う数を割 り当てて構成された実数 は決 してこの表中に現れない。なぜな ら

,そ

の 実数 は表の

n番

目の実数 とは

n桁

目で違 うは ずだか らである。ゆえに

,無

限は無限であって も

,実

数は自然数の集合 (無限集合の次元でい えば

,自

然数 と有理数は同 じである

)で

は覆い つ くせない。以上のことを具体例で言えばこう なろう。 いま

,実

数1,ooooo……を前 に して, これが自然数の 1で あるか否かをどう判断する か。 もし

,小

数点以下

0が

無限に続 くのであれ ば

,そ

れは自然数

1で

ある。だが

,一

箇所で も

(6)

0以

外 の数字 が出て くれば

,そ

れ は自然数1で はない。後者の場合 は

,そ

の数字が出て きた時 点で確認 は終 わ る。 しか し

,前

者 の場合

,す

な わち

,自

然数

1で

あ った場合

,そ

の確認 をとる 術 はない。言 うまで もな く

,無

限を見通す こと はで きないか らであ る。それは最初か ら排中律 的 に自然数1であ るか否かに決 まっているので はな く

,適

当な ところで検証 を切 り上 げ自然数

1で

あ ると決定 され ると言 わざるを得ない。従 来の論理 はすべて この決定後 の言説であ る。 し か し

,決

定後 の状態 においてあの未決定 の状態 を復元す ることはもはやで きないのである。 新 認識論理 の構築 を続 けよ う。推進知識 Ki (ヨ

xKy)か

ら変数 が あ る値 に決 ま る ことに よ って原子式

KPが

生 じた。原子式 自体

,単

純 命題 で あ る。 だか らこれ をPに代 入 して, KiKiPが得 られ る。 これ は公理S4にもな って い る。 さ らに代入作業 を繰 り返す ことによ っ て,KiKiKiKi・ ・・

KiPが

得 られ る。 これは一 エー ジェ ン トと してみ ると

,例

の悪 しき無限退行 に映 るが

,そ

れ ぞれの Kiに 差異 を認 めれば, エー ジェン トの増殖原理 となる。実際

,差

異 を 認 め る ことがで きる。KiPよりKiKiPのほ うが よ り多 く知 っていると言えるであろう。ゆえに ここに順序関係を持 ち込む ことが許 されよ う。 す なわち

,KP≦

KKiP≦

KKKiP…

。 そ して, 各

Kに

番 号 をふ って い けば

,Kl,K2,K3,

K4…

と無限 のエー ジェン トが得 られ る (数 の 定義 が成 され て いな いが

,

ここで は便宜 的 に 導 入 して お く)。 さ らに

,そ

れ ら各 エー ジェ ン トは推進知識 によ り己が変数 を変 えて い く (エー ジェン トと知識状態 は同 じであることに 留意)。 か くして

,

さまざまな知識状態のエー ジェン トが誕生す るに至 る。 これ らが新認識論 理 の宇宙

=知

識空間を形成 しているのである。 モデ ル 今述べたよ うに

,新

認識論理 にとっての宇宙 とは

,エ

ー ジェ ン ト

=知

識状態 の集合 であ る。 古典論理 のよ うにエー ジェ ン トの外 にあ らか じめ宇宙が存在 しているので はない。 ゆえに, エージェントにとって知 る対象 となるのは他 の エ ー ジェ ン ト

=知

識状態 であ る。 この知識空 間の広が りは

,い

わゆ る距離的長 さで計 られ る のではない。それはあるエージェン トか らある エー ジェン トに至 る間にどれだけのエージェン トを経なければな らないか

,言

い換えれば

,あ

る知識状態か らある知識状態 に達す るのにい く つの認識 ステ ップを要す るか

,で

計 られ る。 ま た

,そ

のステ ップ数が時間を も構成 している。 よ く時間を ものの状態の変化 と捉える見方を 目 にす るが

,あ

る ものが

Aか

Bの

状態 に変化 した とい う場合

,そ

の変化 した もののアイデ ン テ ィテ ィーをどう保証す るか とい う難問が常 に 付 きまとう。それを

,あ

る知識状態か らある知 識状態 に至 る手間 とすれば

,変

化 におけるアイ デ ンテ ィティーの問題 に悩む必要 はない。 これ は

,後

に触れるが

,そ

の ほかの論理学上のアポ リアを解決す るうえで も有効である。 また

,時

間 と空間を同一視す る宇宙観 は

,現

在 の物理学 の観点か らいって も自然 なことである。時間の 不可逆性 については

,ま

た後で触れ る。 以上 の知識時空間を

,認

識論理 を含 めた様相 論理 の代表的モデル

,可

能世界論 と照 らし合 わ せ てみてみ よ う。可能世界論 とは簡単 に言 う と

,現

実世 界 を含 め た さまざまな可能世 界 の 集合 を想定 し

,そ

れ らの間の到達可能 性関係 に よ り必然性 や可能性 とい った様相 を表現 しよ うとす るモデルで あ る。 この可能世界 をエー ジェ ン トに置 き換 えれば

,到

達可能性 を知識 の進展性 に読 み替 え る ことがで きる。 そ こで

(7)

論 ずべ きはや は り

,知

識 の公理系 で上 位二 つ に位置す るS4と

S5で

あ る。

S4は

反射性

,継

続性 とい った基本的到達可能 性に加え

,推

移性 とい う特徴 を持つ。 これ は

Aか

Bの

世界 に 行 け

,さ

らに

Bか

Cの

世界 に行 くことがで きれ ば

,Aか

Cの

世 界 に行 くことが で きる とい うものであ る。 た とえば大小 関係 は推移 的 で あ る。

Aよ

Bが

大 き く

,Bよ

Cが

大 きければ

,Aよ

Cが

大 きい。 この

S4に

さ ら に対称性を加えたのが

S5で

あ る。 これは

Aか

Bに

行 けれ ば

,Bか

Aに

も行 けることを い う。 この対称性を加え ることにより

,任

意 の 可能世界か ら任意 の可能世界 に行 き来で きる最 強のユニヴ ァーサルモデル (別名 ユーク リッ ド 的 モデル

)が

で きあが る。それは

,古

今東西 あ らゆ る可能世界を見通す ことがで きるラプラー スの悪魔の ごとき知性が君臨する世界である。 そ して

,そ

れ はとりもなおさず神の視点を持つ 古典論理 の世界 といえ る。 だが

,

これ らが決定 後 の論理世界であ ることは

,す

でに強調 してお いた。新認識論理 のエー ジェ ン ト知識世界 は, これ らの到達可倉旨性では語 りつ くせない

,ま

た 同時 にこれ らの到達可能性 を生 み出す地盤 の ご ときものである。一 目瞭然だが

,

これ らの到達 可台旨睦は可能世界の集合全体 を決定 して (閉じ て

)成

立 して いる。 しか し

,エ

ー ジェン トの数 は決 して あ る有限 の数 に とどまる もので はな い。あるエージェン トが最終的に到達す るエー ジェン トは未決定で開いているのである。だか ら

,推

移性 は推進知識 に照 らして書 けば次 のよ うになるであろ う。 →

K2→ K3→

K4・ これを今現在知 っていることに限定 して無限連 鎖を恣意的に止 めたのが

,直

観主義論理であ る。そ して

,無

限のかなたか ら文新ホ性でもって

Klに

返 って きて無限を強引に神の名の もとに 包み込んだのが古典論理である。だが

,前

稿か ら言 っているように

,各

エージェントはそれぞ れの視点か らのみ世界

=知

識時空間を見るので あって

,エ

ージェントの集合全体を見渡す視点 などどこにもないのである。 新認識論理のモデルを考えると

,私

はゆ く りな くもライプニ ッッのモナ ドロジーを思 い 浮かべ る。 ライプニ ッツはこの宇宙の実態を 無限個ある単純な存在モナ ド(「単子」 と訳 さ れる

)と

みな した。モナ ドは主体sujetと知覚 perceptionと 欲求app6titiOnの三つの性質を持 ち

,宇

宙を表出 している。主体は各モナ ドのそ れぞれの視点である。そこか ら互いに他のモナ ドを映 し出す (知覚する)。 これが宇宙の状態 である。 しか し

,そ

の表象はあくまで各モナ ド の視点に立 ったもので しかない。そこでモナ ド は

,欲

求 という内的原理により

,よ

り全体像に 近づ くべ く自己の知覚状態を変えていく。 この モナ ドをエージェント

=知

識状態に置き換える と

,実

にすんなりと新認識論理のモデルに当て はまるような気がする。宇宙のあり方とは

,各

エージェントの見え方 (能動的

,受

動的両方の 意味で

)な

のである。 こうした宇宙の多様さを示すにあたって

,

ラ イプニッツは彼の有名な不可識別者同一の原理 を持ち出す。それは簡単にいえば

,区

別できな いものは同一のものであるする考え方だ。われ われは二個のりん ごを目の前 に して,「りん ご 二つ」 というふ うに同 じ「 りんご」という概念 で くくるが

,二

個 と数えられる限 りにおいて両 者は区別されているのであり

,区

別される限 り 両者 は同 じものではない。かようにここでは, われわれの抱いている概念的世界 と「数える」 という実際的行為の間のずれ

,今

日流に言えば 集合と可算要素 との饂幅が指摘されているので あって

,数

え られる限 り宇宙には同 じものは二

(8)

つ とないのである。そ して

,

もうこれ以上分 け られない数え られ る最小の単位が

,モ

ナ ドとい うわ けである。 ゆえに

,モ

ナ ドはどれひ とつ と して同 じではない。その個性的なることは

,先

に も述べたように

,各

モナ ドがそれぞれの視点 か ら他のモナ ドを映 し出 した状態であることか ら必然的に帰結す る。宇宙の実態 は多様な個 な のである。 しか し

,モ

ナ ドロジーに宇宙全体 という視点 がないわけではない。む しろ

,部

分 と全体 の予 定調和を説 くことこそが

,

ライプニ ッツの主眼 といえ る。だが

,そ

の段 になると

,

ライプニ ッ ツもやはり時代の制約を感 じさせ る。彼 はその モナ ド的宇宙像 を

,同

一 の都市 を さまざまな 角度 か ら眺 めた ときの眺望 に喩えて いる2)が, その眺めているものが同一の ものであるという 保証 は

,全

体 を見渡す神の視点が与 えて くれ る のである。各モナ ドは各視点か ら他のモナ ドを 知覚す ることで個性的だが

,全

体 は神の創 りた もうたモナ ドの集合体なのである。ゆえに

,全

体 と部分 は常 に調和 している。 全体 と部分の問題 は

,普

遍的な哲学 テーマで あ る。われわれの論考 にそえば

,地

と絵

,未

決 定 と決定 の問題 といって もよい。 この執念 くわ れわれの思考 に登場 して くる全体を見渡す視点 とは何であろ う。新認識論理ではもちろん

,神

の存在を引 き合 いに出 して くるわけにはいかな い。 といって

,

この視点をまった く無視す るわ けに もいかない。それが何か認識の本質 に関わ るよ うに見え るのであれば

,な

お さ らであ る。 その答 えを与 え る手 がか りとな って くれ るの が

,私

には共有知識であるように思われ る。で は次 に

,前

稿 よ り懸案 の共有知識 の形式化 を通 して

,新

認識論理 における全体 と部分の関係を 見てい こう。

共有知識の形式化

共有知識 とは,『「

Pと

い うことを皆 が知 っ て い る」 ことを皆 が知 ってい る』 ことで あ っ た。 日′常言語で はこのよ うに簡単 に言 い表せ る が

,

これを形式化す るとなると一つの困難が付 きま と うことはす で に見 た。 それ は認識 オペ レーターの無限連鎖の問題である。ルールを守 りあ う場合 を考えればす ぐ分か るが

,相

手 の知 識状態 を知 りえて始 めて互 いに安心 してルール に従え る。ドライバ ーである私 は

,車

は左側通 行 しなければな らない とい うルールを知 ってい る。 このルールは対向車線の ドライバーも知 っ ている。そ して

,そ

の ことを私が知 っているた め

,私

は安心 して左側通行をす る。そ して

,そ

の ことを相手 も知 っているため

,相

手 も安心 し て左側通行 をす る。 そ して

,そ

の ことを私 が 知 っているため

,私

はよ り安心 して左側通行を す る。そ して

,そ

の ことを相手 も知 っているた め....。 この よ うに相手 の知識状態 を知 り合 いなが ら

,互

いの信頼関係 は醸成 される。 しか し

,問

題 は

,実

際 の コ ミュニケ ー シ ョンの場 で

,わ

れわれ はこうした形式的無限推論を瞬時 にや ってのけているのか とい うことだ。 いや, や って い るとはや は り考 え に くい。 だ と した ら

,別

の共有知識 モデルが要請 されて しか るべ きであろ う。 上記の問題 は

,エ

ー ジェン トと知識対象であ る命題を二つに分 けて考える古典論理の姿勢 に 起 因 して いる ことは述 べ た。 ゆえ に

,新

認 識 論理で は

,KiPを

原子式 と してエー ジェン トと 知 識対象 を一 つ の もの と して見

,共

有 知識 は 同 じ複数 の知識状態 の出会 いと して

,無

限連言 と同時性の問題 を一挙 に解決せん とす るという ことにも触れた。だが

,

ここに新 たな問題が生 じて くる。それはエージェン トのアイデ ンティ

(9)

ティーの問題である。 ライプニッツの不可識別 者同一の原理にもあるとおり

,区

別できないも のは同一である。 したが って

,

この段で行 く と

,複

数の同 じ知識状態 というのはそもそもあ りえない。それは一つの同 じものである。共有 知識はアイデンティティーも関係ない一つの知 識状態であるという言い方 もできるが

,わ

れわ れはどんなに相手 と通 じ合 っていると思 ってい て も

,自

己意識を忘れるほど相手 と一体になっ ていることは稀であろう。それにこれでは

,分

担作業の共有知識 (エージェン ト

1は

Aの

作 業

,エ

ージェント

2は

Bの

作業を共同でする) を説明できない。同 じ知識状態でありなが ら複 数の視点を確保するということはできないであ ろうか。だが

,

これは不可識別者同一の原理に 反する試みである。では

,

この原理が間違 って いるのか。いや,それは正 しいものに思われる。 ただ し

,マ

クロの レベルで。現代では ミクロの レベルで, ライプニッツも思いもよらなかった であろう(あるいは思 っていたが

,神

が現実世 界 としたものとは考えなかったか。彼によれば, 神はあらゆる可能世界を創造できたが

,そ

の中 で最善のこの世界を選ばれたのである

)存

在の 在 り方があらわになってきている。量子力学の 説 くところでは

,電

子 といった素粒子は個性は ないが数え られるのである。換言すれば

,そ

れ らは同 じものであるが一つ一つ数えられる。 こ こに

,不

可識別者同一の原理がいう「個性」

=

「数え られること」か ら外れた宇宙の存在の一 様式が見出せる。そしてその場合

,数

え られる 拠 りどころとなっているのが

,い

わば位置なの である(詳しくは原子核のまわ りの軌道)。 電 子はみな同 じだが

,一

つ一つは違 った軌道上に ある(パウリの排他原理。ちなみに

,

こうした 素粒子をフェル ミオンという)。 以上のことか ら,同一の知識状態で もアイデンティティー(視 点

)の

違いを確保することは

,あ

ながち不可能 ではないと思われる。 では

,

どのよ うにす るか。今

,四

人のエー ジェン トが同 じ知識状態

Pを

共有 していると しよう。そ して

,そ

のことを皆互いに知 ってい る

,す

なわち

,共

有知識状態が成立 していると する。 これを表に図示 してみよう。左端の列が 各エージェン トを表す。そ してその横の行が, 知 っている内容である。 この よ うに全員 同 じ知識状態 で あ るが

,

こ の表 自体 が共有知識 を表 して い るわ けで はな い。 この表が示すのは

,全

員が他 のエー ジェン トも

Pを

知 って い る ことを知 って い るとい う ことで

,

この知識 自体が全員に知 られているこ とは示 されていない。 いうなれば

,一

人一人 を 個 室 に呼 んで

,他

の メ ンバ ー も

Pを

知 って い るよ と知 らせた状態だ。共有知識 は個室の壁 を 取 り払 い

,全

員が一堂 に会 して この表 を見 ると ころに成立す る。 しか し

,そ

の ソ トの状況を こ の表の中に取 り込 もうとす ると

,ど

うして もあ の認識 オペ レーターの無限連鎖 に陥 る。そ して, その原因 とな っているのが

,各

エージェン トの アイデ ンティテ ィーを区別す る表の格子なので あ る。 これが壁

,境

界線 とな って

,同

じ一つの 知識状態 の成立 を妨 げている。不可識別者同一 の原理 によ り

,一

つの同 じものを認 め るには, アイデ ンティテ ィー

=個

性 は邪魔 なのである。 個体 の壁 を取 り払 って しま うと

,知

識状 態 は

,{KlP,K2P,K3P,K4P)に

統 一 さ れ る。 しか し

,今

度 は視点 の問題

,

この集合を集合 Kl

KlP

K2P

K3P

K4P

K2

KlP

K2P

K3P

K4P

K3

KlP

K2P

K3P

K4P

K4

KlP

K2P

K3P

K4P

(10)

た らしめている各 エージェン トとい う観測者の 存在が無視 されて しまう。 そ こで

,知

識内容を 各 エー ジェ ン トにあわせて並べ替 えて読 み込 む ことに してみよ う。すなわち

,Klな

ら{KlP, “

P,聰R K4P),2な

ら せ

OR ttR K4P,

KlP),K3な

{K3P,K4P,KlP,K2P},K4

な ら

{K4P,KlP,K2P,K3P)と

い った ぐあ いに

,視

点 を表す項 を順繰 りに左端 に持 って く るわ けであ る。 す る と

,

これが一 つの円環 モ デルで表せ ることが分か る。すなわち

,KlP,

K2P,K3P,K4Pを

円形 に結んで

,各

エー ジェ ン トは自己の項か ら始 めて ぐるりと円を一周す るのである。 トポロジーでは球面が有限かつ無 境界 モデルの代表 と してよ くあげ られ るが (確 かにその表面 は閉 じていてどこに も境界線

,縁

が ない), この円環 モデルは

,認

識論 にお ける 共有知識 の有限無境界 モデル とな って くれ るも の と期待す る。 だが

,読

者 にはまだ納得で きない人がいるで あ ろ う。無境界 であ ることはいい と して

,各

エー ジェン トか ら始 まリー周 してそのエー ジェ ン トで終わるとい うことは何 によって決定 され るのか。

Klだ

か ら

Klで

始 まる とい うので は 同語 反 復 で あ る。

Klな

Klで

始 ま り

Klで

終 わ る必然性が示 されなければ

,始

点 も終点 も 定 ま らぬ円周上の永久循環 にな って しまう。 こ れ は円だけで考えている限 り抜 け出せないアポ リアである。円はあ くまで共有知識 を表 してい る ことを思 い起 こ して いただ きたい。す なわ ち

,各

エージェン トは共有知識 においては統一 されているが

,そ

の ソ トにはおのおの独 自の知 識状態を持 っているのである。 これをイメー ジ 化すれば

,各

エージェン トはモナ ド(単子

)と

い うよ リコー ド(ひもcOrdの 意 であるが

,記

号情報 のcOdeと も掛 けている

)の

ごときもの で

,

これが共通の知識部分で重な り輪を作 って 図 2 共有知識 を形成 している。図示すれば上 のよ う になろうか。 見 て の とお り

,Klな

Klの

輪 の重 な り部 分か ら入 って きて一周 し

,そ

の重な り部分か ら 出て行 くわ けである。かように

,統

一空間であ る共有知識内のアイデ ンテ ィティーはそのソ ト によって支え られている。それが

,共

有知識 と い うその場 に居合わす全員に明晰に映 っている 絵 を立 ち上 げるいわば地であ る。 そ してその地 とは

,各

エージェン トの個別的知識である。個 別的知識 とは何か。 それはまさに字義通 り, そ の エー ジェン トだけが知 っていることであ る。 たとえば

,今

一人部屋 にこもって この原稿 を書 いている私の机の上の状態 は

,世

界広 しといえ どおそ らく私 しか知 るまい。 エージェン ト

=知

識状態 のみが作 る知識空間をモデルに もつ新認 識論 にとって

,未

知 な るもの とは何 も神秘的な 色合 いを帯 びるものではない。 それは

,各

エー ジェン トが知 らない他 エージェン トの個別的知 識 の ことなのである。 ここには

,神

のみぞ知 る 究極の真理 などどこに もないのである。 このような観点 に立つ と

,従

来幅を利かせて きた古典論理 とい うものの別 の面 が見 えて く る。論理 というものはそ もそ もそ うなのだが, K l           D ・         聰 K4 K2

(11)

決 して私一人で成立す るものではない。それを 分か ち合 う少 な くとも一人 の相手がいる。 だか ら

,論

理 は説得の道具 とな りうるのである (こ れ は私一人が 自問 自答す る場合 も同 じである。 私 はそ こで 内 な る相手 と対話 して い るので あ る)。 私 とあなた とい う二人 のエー ジェ ン トが 普遍性

=共

有知識 の出発点 であるが

,古

典論理 はそれを神の目という二人称的視点か ら全人類 に広 げた ものといえよう。ゆえに

,古

典論理が 正 しい場合 は

,全

人類が共有知識で一つにな っ ているときである。そ うなれば

,わ

れわれは世 界 をすべて見通せ る。すなわち

,未

知 なるもの について意見を対立 させ ることはない。しか し, あいに くそれはあ りえない。先 ほど見 たよ うに, 各 エー ジェ ン トが持つ些細 な個別的知識 とい う の は山ほどあるか らだ。要す るに

,古

典論理 は 共有知識を外か ら説明す るものではな く

,共

有 知識が成立 した空間内で始 めて流通す るものだ とい うことである。冒頭で も述べたように

,古

典論理 を含 め従来 の “絵 の論理"“ 決定後 の論 理

"は

,絵

が立 ち上が って くる地 を説明す るこ とがで きない。それを逆転 して

,で

きあが った 絵 の中で絵 をで きあが らせた地 を説明せん と し た ところに

,

これまでの共有知識 の形式化の難 点 があ った と思 われ る。 われわれ は共有知識が すでに (部分的 にだが

)成

立 した空間で

,共

有 知識を含めさまざまな事柄 の共有知識 (普遍的 定義

)を

定立せん と しているのである。 このあ た りの ことを

,代

数 モデルを使 って次 に展開 し てみよう。

代数モデル

推進知識 によ り

,定

項 をおかず エー ジェ ン ト

=知

識状態 を変数 と して捉え る見方 を導入 した ことで

,新

認識論理 は代数 モデルを想定 しやす い もの とな っている。 まず

,エ

ー ジェン トを変 数記号

x,yに

お きかえて しまお う。すでに述 べ たよ うに

,エ

ー ジェ ン トが知 る対象 は他 の エー ジェン トである。 それはエー ジェン ト同士 の重 な り部分 ととれ るか ら

,and計

算 を適用で きよ う。すなわち, x×

y xは

yを

知 って いる。 そ して

,知

識 の増加 とは複数 のエー ジェ ン トを 知 ることなので

,Or計

算 を当てはめ られよ う。

xy+xz=x(y+z)(分

配律

)xは

yまたは zを知 っている。 ここで注意すべ きは

,知

識 の代数系で は乗算 の 交 換則 に制限が加 え られ るとい うことだ。xy だか らとい って

,即

yx(yは

xを

知 って い る) が成 り立つわけではない。共有知識の形式化の ところで見 たよ うに

,直

線 的 に式 を書 いた場 合

,左

端 の項が エー ジェン トの視点 を表すので あ った。交換則の成立 には

,対

称性 とい う性質 が関わ って くる。対称性 とは

,x→

yな

らばy ―→xと い うものである。

xか

yが

言え るな ら ,

yか

らxも言 ぇ るとい うわ けだ。 しか し

,知

識 が対称的でない ことは自明であろう。

xが

yを

知 って い るか らとい って

,そ

れ が

,yが

xを

知 っていることにはな らない。知識 は対称的で な く

,反

対称 的 (anti―symmet

c)で

あ る。反

文、l禾が'性とは

,x→

yか

y→

xな

らば

x=yと

い うものだ。すなわち,同値 ということである。 反文新かとい う名称 はどうも誤解 を招 きかねない が,ブ ト文寸称

(asymmemc)と

い うことではない。 非対称 は

,x→

yな

らば

y→

xで

はない

,と

い うものだ。知識 は反文新ホであって

,

この反文新ホ 空間

=同

値空間が現 出 したのが

,共

有知識 であ る。

xが

yを

知 り

,か

yが

xを

知 るな らば, 両者 は同 じもの (知識状態

)で

ある。 そ してそ こでは

,当

然 の ごと く交換則が成 り立っ。

xが

(12)

×

x)と

は結局

,x×

y× y×

x=x2y2で

ある。 エー ジェン トが増 えれば,x2y2z2...とな って い

く。 これが共有知識の代数 モデルである。見慣 れた交換則

xy⇔

yxは

,実

は共有知識状態x2y2

の中で成 り立っ部分系 とい うわけだ。 これを図

2に

当て はめてみれば

,

この代数式がよ り理解 で きよ う。 図3 すなわち

,各

コー ドはぐるりと輪を作 って

,再

び自分に重なって輪を出ていく。そして

,そ

の 重なり部分で自己を知 る

,換

言すれば

,自

己意 識

,独

自の視点 を もつ。共有知識 とはかよ う に

,各

エージェントが互いの自己意識を知 り合 う

,あ

るいは

,他

者を通 して自己意識を獲得す る空間 といってよいであろう。 したが って

,2

乗 といった ことに数量的な意味 はない。 それ は

,共

有知識の外か ら共有知識内で通用する数 の概念を便宜的に当てはめただけであって

,一

度重なって しまえば (もちろん重なるというの も後づけ的言い回 しであって

,重

なる以前にそ の基本単位 となるものが定立 しているというわ けではない

),後

は何乗であろうが

,要

,閉

じたループを ぐるぐる回 り続けるのではな く, 重なり部分が外に開かれているシステムである ことが大切なのである。ちなみに

,自

己意識が 確立 された後の定項

Aの

ベキ

Anは ,

このルー プを無限に循環 しているイメージであろうか。 具体的には

,自

己について考える場合に付 きも のの無限退行である。それは共有知識

=古

典論 理空間を閉 じて完結 した世界 とみなす限 り

,ど

うしても起 こって くる内部矛盾なのである。 この空 間 は特性 と して

,反

射性 (x⇔x), 推移性 (x→

y,y→

zな らば

x→ z),反

対称 性をもつ。 これ ら三つの関係性をそなえた構造 を

,半

順序構造 という。それは

,要

素間に≦関 係が成立する集合のことだ。そして

,そ

の集合 が

and計

算 とor計 算で閉 じている場合 (計算 結果が常に集合内にある場合

),

これを束 とい う。 この東上で

,分

配律

,す

なわち

,x∧

(y ∨

z)⇔

(x∧

y)∨

(x∧

z)な

らびにx∨ (y ∧

z)⇔

(x∨

y)∧

(xVz)の

成立によって 定義できるのが

,直

観主義論理の代数系

,ハ

イ ティンク代数である。また

,分

配律に相補律, x×

y=o,x+y=1(oは

この束の最小元, 1は 最大元

)を

加えて定義できるのが

,古

典論 理の代数系

,

ブール代数である。両者 とも東 と いう閉 じた順序空間で成立 していることに留意 していただきたい。すなわち

,要

素決定後の名 前のある集合である。その中において

,上

に見 たように

,分

配律は認識代数で も片方

,す

なわ ち

x∧

(yvz)(→

(x∧

y)∨

(x∧

z)が

認 められる基礎的律である。 ここか らも

,直

観主 義論理が抑制 された論理であることが伺える。 しか し

,相

補律 となると

,認

識代数を超えたか なり強い意味合いを持つ。それは

,xと

yの

重 なり部分 は

0(無

)で

あり

,xと

yを

あわせれ ば

1(全

)で

あると言 っているに等 しい。す なわち

,xと

yは

,二

つで全体を構成する互い に別の物 (集合論的に言えば補元

)で

あるとい うことだ。今

,oを

,1を

真 とすれば

,相

(13)

律 とは

,x∧

xは

(矛盾律

),xV¬

xは

(排中律

)と

な り

,真

偽二値 の古典論理 に相当 す る ことが理解 で きよ う。 ここで は

,xyは

互 いに別物 として二人称的視点か ら眺め られてい るが

,認

識代 数 にお いて は もと もと

,vは

x か ら眺 めた

yを

,yxは

yか

ら眺 めた

xを

表 し ていたはずだ。それがxと

yは

二つの別の もの となるのは,x2y2と ぃ う共有知識 における互 い の 自己意識の成立があ って初めて可能な ことな のである。すなわち

,共

有知識成立 とい う決定 後 に自己 と他者 は分かれ

,同

時 に同 じ知識を共 有す るのである。共有 とは

,同

じモノを違 う者 が ともに持つ という意味であろう。 このあた り の事情 をより分か りやすい具体例で言えば

,始

めは

,私

はあなたを知 る (こ こでは私 もあなた も深 い意味 はない), とい う主観的出会 いだが, それが

,あ

なた も私 を知 る

,

とい う共有知識の 成立 によ って

,近

接作用 によ り現象 を説明す る 現代の科学理論 に見 られ るxと

yの

客観的「 出 会 い」が

,語

れ るよ うになるのである。 か よ うに

,認

識 を共有知識成立 の前 と後 に 分 けて捉 え る見方 が可能 であ る。従来 の認識 論 は

,共

有 知識 成立後 の空 間内で展開 され る ものであ ったのだ。前述 したように

,論

理 とは そ もそ も誰か と共有す るものである。新認識論 理 は

,共

有知識成立前の認識のあ り方 も含めて これを形式化 しよ うとす る試みである (もちろ ん

,そ

れ も論理である限 り人 と共有 され ること を欲す るのだが)。 そ う した観点か ら

,認

識代 数 のいわば部分系 (無限の半順序構造上 の有限 束

)と

もい うべ きブール代数像を示 して きたわ けだが

,部

分系 のほ うが強力であるとい うの も おか しな話 に聞 こえるであろう。 しか し

,そ

れ が決定後の強み というものである。 コ トが決 ま れ ば

,後

付 け的 に ど うとで も理屈 はつ け られ る。共有知識 は反対称的な同値空間であるが, 古典論理 の説 くいわゆ る客観的真理 というもの は

,対

称性 を強 く感 じさせ る。 エー ジェン ト1 にとって真理であることは

,エ

ー ジェン ト

2に

とって も真理である。

x→

yな

らば

y→

xとい う文新ホ性 は

,反

対称性 よ りも成立条件が少ない 分

,よ

り広 い範囲で ものが言え る。 これがいわ ゆ る真理 の もつ強みである。 ほん とうは

,x→

yか

y→

xな

らば

x=yと

い う同値関係が成 立 した後 に (共有知識が成立 した後 に

)語

られ うる対称性であるのに

,あ

たか も最初か らそれ があるかの ごとく普遍性 (全体性

)を

想定 し,

x→

yな

らば

y→

xと主張す るのが

,古

典論理 のや り口といえよう。 で は

,な

ぜ反対称的空間の中で対称性が語 ら れ うるのか。実 は

,

これ も全体 と部分の問題 に 関わ ることなのであ る。x2y2z2とぃ う共有知識 全体 は同値関係である。 しか し

,部

分 と して実 際 にそれを生 きるわれわれは

,ど

こかか ら計算 を始 めなければな らない。 それが

xで

あるか y であるか

,あ

るいは

zで

あるかによ って

,立

ち 位置が決 まる。観測点が決 まるのである。そ し て

,そ

の計算の開始点が

,わ

れわれの各々の意 識 といえ るか もしれない。対称性 に して も

,論

理 学 的 に は

x→

yと

y→

xは

同時 に成立 して い るのだが

,現

実 的 には,「 な らば」 をはさむ 左項 と右項 の間に時間の流れを感 じて しま う。 計算 にかか る時間である。神 にとってすべての 計算 は終わ っているが

,わ

れわれは常 に計算 に 着手 しなければな らない。そ して

,モ

ノゴ トを 決定 してい く。決定後 は決定後の知識状態で し か決定前の知識状態を語れない。そ こに時間の 不可逆性感が生 じる。 また

,そ

こか ら

,新

認識 論理

,古

典論理

,直

観主義論理 の強弱関係 も説 明で きる。古典論理 は新認識論理 に比べて決定 後特有 の強みを持 っているが

,そ

れを不 自然な もの と して見直そ うとした場合

,決

定後 はそれ

(14)

を弱める (排中律 を抜 くな りして

)と

い う直観 主義論理型で しか行えないのである (直観主義 論理 の創始者 ブラウワーは

,後

に連続原理 なる ものを加え別の形の論理を作 ったというが

,筆

者 はその詳細 を知 らない)。 ゆえ に

,求

め られ るべ きは強弱の問題ではな く

,決

定前 と決定後 に計算ルールが変わるということを包含 した論 理 であ る (ヴィ トゲ ンシュタイ ン流哲学 によれ ば, ル ール の変 わ り方 にル ール はない とい う ことになるのであろ うが)。 さ らに言 えば, こ の決定状態 は決 して安定 した ものではない。 な ぜな ら

,そ

れを成立 させている共有知識空間の 外 には回収 しきれない各 エー ジェン トの個別的 知識が広が っていて

,共

有知識空間を絶 えず揺 さぶ るか らである (とはいえ

,未

知 に向か って 開かれている システムである人間が暴走 しない のは

,そ

こにやはり何 らかの統御 ルールがある か らだ と思 われ る)。 古典論理がいずれ世界 を 覆 いっ くす とい うことは決 してないのだ。全体 と部分

,反

文新かと対称

,同

時性 と因果性 の関係 は以上 のごときものなのであるが

,そ

れを

,後

づ け的な対称性 に反対称性の同値関係を認 めて いるところに

,古

典論理の欺脳性があると思わ れ る。x2で 始 めて 自己意識が生 じるのだか ら, 意識上で は一回 目のxと認識 され るといえ る。 か くして

,重

な りを前提 としない通常 の

xy→

落 の対称性 が 自明 の ごと く受 け入 れ られ るわ けである。だが

,そ

の自明性 を生み出す下地 と な って いるソ トは

,古

典論理 には決 して取 り込 み きれない ものなのである。 以上 の新認識論 モデルを

,少

し具体的な問題 に応用 してみよう。前稿で も触れた一斉攻撃問 題 とマ ッデ ィーチル ドレンパ ズルを再 び取 り上 げる。 一 斉攻撃問題 とは

,

こうい うものであ った。 谷 の両側 に陣取 っている味方同士が

,谷

底 に野 営 している敵軍を一斉に攻撃 しようとして

,片

方が「明朝六時一斉攻撃」 という伝令をもう一 方に送 ったとする。 しか し

,

この伝令が確実に 届 くという保証はないので

,受

け取 った方 は確 認の意味で了承の伝令を最初の送 り手 に返す。 しか し

,

この伝令 も確実に届 くという保証はな いので

,了

承の伝令を受 け取 った方は了承の了 承 の伝令 を返す。 しか し

,

この伝令 も,,, と いった具合に

,永

遠に伝令をや り取 りして も, 両者の間に「明朝六時一斉攻撃」の共有知識は 成立 しない。 この辺の事情は

,新

認識論理の代 数で表せばよ く分か る。谷の両側の陣営をx, yと おけば

,伝

令をや り取 りするステップごと の各知識状態の変化は次のようになる。

l x y

2 x

‐→

yx

3 x)Ⅸ ← 黙

4 xyx

yxyx

5 xyxyx

p(yx

かよ うに

,ど

のステ ップを見て も

,共

有知識 の 成立 条件 で あ る ⇔

yxの

反対称性 は現 れ な い。 よ って, こ う した メ ッセー ジのや り取 り (いか な る通信手段 を使 お うとも

)で

,共

有 知識 は生 まれえない ことが言 え るのである。 マ ッデ ィーチル ドレンパズルについてはどう か。 これ は次 の よ うな もので あ った。車座 に 座 った複数の子供 たちの うち

,何

人か は額 に泥 をつ けて いるが本人 には分 か らない。 ここで 先生 が,「 この中の一人以上 は額 に泥 をつ けて います。 自分が泥をつけているのが分か る子 は いますか」 と問 うたな ら

,泥

をつ けている子が 全員ハイと答え られ るには何回 この問いを発 し なければな らないか。一人であ った場合

,直

ち にその子 は自分が泥をつけている当人であるこ とが分かる。なぜな ら

,そ

の子 には額 に泥をつ

(15)

けて いる子が一人 も見えないか らだ。二人だ っ た場合

,一

回 目の問 いには答 え られない。 しか し

,そ

の答え られ ないさまを互 いに確認 して, 相手が答え られないのは相手 にも泥をつ けた子 が見えているか らだ と推理 し

,そ

れが他な らぬ 自分 自身であることが分か って (なぜな ら, 自 分 に見え る泥をつ けた子 はその相手 しかいない か ら

),互

いにハ イ と答え る。以下

,何

人 にな ろ うとも

,前

回答 え られなか った ことか ら同様 の推理を経て

,自

分が泥 をつ けていることが分 か るとい う寸法である。要す るに

,n人

泥 をつ けた子がいれば

,全

員がハ イ と答え る (それ は 同時 にで もあ る

)に

,n回

問 いを発 しなけれ ばな らない とい うのが, このパ ズルの答えであ る。 パ ズルはパ ズル として

,

これが現実的には考 えに くいことはすでに述べた。各子供間の論理 能力の差や

,い

つの時点でまたどのように互 い に答え られないことを確認 しあ うのか, とい っ た問題である。だが

,論

理パ ズル として も

,

こ れ には少 し怪 しげなところがあるのである。二 人の泥 をつ けた子供 は互 いに相手が答え られな いのを見て

,自

分が泥をつ けていると二人同時 に答え られ るよ うになる。 これはお互 い

,答

え られない状態 と答え られ る状態が重な っている ことを意味す る。 これでは事態 は動かない。本 当はタイムラグを導入 して

,

どち らか聡 い方が 一瞬先 にハイと答えるとい うべ きであろう。 し か し

,そ

れでは各子供の個人能力を も考慮せね ばな らず

,純

粋 なパ ズル とはいえな くなる。同 時性 とタイムラグの矛盾 は決定論 に付 きまとう 普遍的な問題だが

,前

稿 で も触れたように

,共

有知識 にお いて それ は顕 著 に見 られ るので あ る。 や は りここに も

,古

典論 理 の欺 日前性 が関 わ っている。古典論理 は二人称的視点か ら状況 を見渡 した。ゆえに

,各

エージェン トが同時に 同 じ計算過程 を経 て同 じ答えに達す ると見 るこ とが で きた。 しか し

,実

際 は (新 認 識論理 で は

),各

エー ジェ ン トの視点 で しか状況を見 る ことがで きない。そ して

,そ

の ことが計算 にか か る時間を構成 していた。われわれは

,ど

こか か ら計算 を始 めなければな らないのである。計 算量 とい う概念 の登場で今では計算 にかか る時 間 とい う もの も研 究 の対象 にな ったが (とは いえそれ らは量 的効率性 に特化 されて いる気 がす る

),従

,計

算 とは無 時間的 な ものであ り

,神

の 目か ら見ればすでに終わ っていた。 こ こに

,神

の視点 か ら見た静的世界 と

,時

間を生 きるわれわれの動的世界のずれが生 じるのであ る。 これを二つなが ら視野 に入れ る新認識論理 で は

,マ

ッデ ィーチル ドレンパ ズルの状況 はど う説明 されるであろう。 今

,四

人 の中で泥 をつ けて いる子 が二人 の 場合 を想定 してみ よ う。Pを「 額 に泥 をつ けて い る」 とい う言 明 と し

,( )内

の数字 を泥 を つ けて い る子 の数 とす る。泥 をつ けて いるの は1と 3の 子 であ る。す ると

,各

自の知識状態 は以下 の ごとくである。

Kl〔

P(1)〕

,K2〔

P

(2)〕

,K3〔

P(1)〕

,K4〔

P(2)〕 。 〔〕 は, それがその子の内面 の個人的知識であることを 示 す。す なわ ち

,1と

3の子 には泥 をつ けて い る子が一人見 えて

,2と

4の 子 には二人見えて いるという状況である。 ここで先生の宣言「 こ の中の一人以上 は額 に泥をつ けています」が伝 え られ る。 それ は

P(1+α

)と

表 せ よ う。 こ れ は子供たちが個人的に持 っている状況知識 に 何 ら新 たな ことを付 け加 えていない。 どうして そのよ うな情報量 oの 宣言が

,子

供 たちを して 自分が泥をつ けていることに気づかせ ることが で きたのか, とい うのが

,い

わゆるコンウェイ パ ラ ドクスであった。その理由はもうお分か り のよ うに

,共

有知識が成立 したか らである。す

(16)

なわち

,個

人的知識を表す 〔〕が取れて知識 が互いに行 き来できる

,計

算可能な代数空間が 出現 したわけである。 これにより

,泥

をつけて いる子は他の子の視点を通 して自分の状態を知 ることができる(相互確認の問題を棚上げすれ ば

,実

は泥をつけていない子 も自分の状態を 知 ることができるのである。泥をつけている子 が互いに相手が答えられないことを確認 して自 分の状態を知 った瞬間に

,泥

をつけていない子 も自分の状態がわかる。ただ

,泥

をつけている 子の場合

,相

手が答えられないという目に見え るとされ る状況を手がか りにで きるのに対 し て

,泥

をつけていない子はそうした根拠を持た ないだけである。ゆえに

,彼

が自分の状態を知 るのは

,泥

をつけた子がハイと答えるときだと 見なされる。 しか し

,前

者の相互確認にして も 実に怪 しいものであることは前述 したとおりで ある。要するに

,両

者の違いは

,

もっともらし い推論

=計

算過程があるかないかの差なのであ る)。 ここで注意すべきは

,神

の視点で見れば 一 日で全体を見渡せるが

,わ

れわれは計算によ り部分部分を積み重ねるしかないということで ある。そこにエージェントによる差異が生 じて も仕方がない。 もともとエージェントは個性的 な存在であったのだから。大事なのは

,知

識が 往来できる共有知識空間の成立によって計算が 可能になったのであって

,計

算により共有知識 空間が構成されるわけではないということであ る。平た く百えば

,計

算ができるようになった という事実があるのであって

,計

算により事実 が再現できるというわけではないのである (計 算により構成されるのは

,あ

くまで古典論理的 世界像である)。 この辺の本末転倒が

,古

典論 理の立場か らの共有知識の定義を袋小路に追い 込んだ理由であると思われる。

アポ リア解決への応用

以上素描 して きた新認識論理 は

,共

有知識 の 形式化以外 に も

,さ

まざまな認識論上のアポ リ ア (難問

)に

答 えて くれ るものである。詳細 は また稿 を改 めて論 じたい と思 うが

,

ここで は ざ っと主 な問題 について概略を述べておこう。 全知の問題 全知 の問題 とは

,認

識論理の公理

K,す

なわ ち

Kl(P→

Q)→

KP→

KiQに

関わ るものだ。 これ はS4にせ よS5にせ よすべての認識論理 の 公理系 にある基本公理で,「Pな らばQ」 を知 っ て いれば

,Pを

知 って いれば

Qを

知 って いる, とい う意味になる。至極当然の ことを言 ってい るよ うに思え るが

,こ

れ もや は り

P,Q二

つの 名前が は っきり決 ま ってか らの ことである。わ れわれ は

Pを

知 っているか らとい って

,そ

こか ら論理的に帰結す るあ らゆることを知 っている とは限 らない。数学 のあ る公理 か ら導 き出せ るすべての定理を知 っているわけではないので ある。かような常識的人間能力を超えた全知 の 問題 は

,命

題決定前の自由変数を も視野 に入れ た新認識論理 においてな ら解消で きる。その視 点 に立てば

,従

来 の論理の公理 は

,変

数 に名前 が代入 され共有 された (共有知識空間が成立 し た

)後

で有効 となるのであった。 また

,決

定後 のエー ジェン ト間の認識の差 (ある公理か ら導 き出せ る定理 について

,数

学者が知 っているこ とと素人が知 っていることの差

)は

,エ

ー ジェ ン ト

=知

識状態間の距離で説明で きる。特定 の 分野 に関 しては

,専

門家 と素人 は距離が離 れて いる (間に介在す るエージェン ト数が多い

)の

である。 とにか く公理か ら導 き出せ る定理の名 前が決 ま っていれば

,そ

れはエー ジェ ン ト群が 形成す る知識集合 の中に確実 に存在す る。知 ら

(17)

ないエー ジェ ン トは知 っているエージェン トに 知識時空間内で接すれば

,そ

れを知 ることがで きるのである。 ゲテ ィア問題 論理学者 ゲティアは

,認

識論史上有名なその 論 文「 正 当化 され た真 な る信念 は知識 だ ろ う か」3)にお いて

,伝

統 的に受 け入 れ られて きた 知識成立の必要十分条件 について

,疑

念 を差 し はさんでいる。ある特定の命題を誰かが知 って いる

,

と言え るには

,次

の三条件が必要 に して 十分 であ るとされて きた。

1)Pが

真 で あ り,

2)Pだ

とい うことを

Sが

信 じてお り

,3)Pだ

とい うことを信 じる点 で

Sが

正 当化 されて い る。

3)は

,Sが

Pと

い うことを信 じる十分 な 証拠を持つ

,あ

るいは

,Sが

Pと

い うことに確 信 を持 つ の は当然 で あ る

,

と言 い換 えて もよ い。 ゲテ ィアは

,

これ ら二つの条件が満たされ ていて も

,Sが

Pを

知 って いるとは言 い難 いと 思 われ る事例 を二つ挙 げている。一つだけ紹介 しよ う。 ス ミスとジョー ンズは同 じ就職先 に応 募 し

,ス

ミスは正当な根拠か ら次 のように信 じ て いる。P「その勤 め先 に採用 され るのは ジョー ンズであ り

,か

つ ジ ョー ンズはポケ ッ トに 10 枚 の硬貨 を入れている。」根拠 は例えば

,そ

の 会社 の社長か ら

,採

用 され るのは ジョー ンズに なるだろうと聞か されたことで もよい し

,実

際 に ジ ョー ンズのポケ ッ トに硬貨が

10枚

入 って い るのを 目撃 した ことで もよい。 そ して

,ス

ミスが信 じて い る連言命題

Pは

,次

の ことを 合意す る。

Q「

その勤 め口に採用 される男 はポ ケ ッ トに

10枚

の硬貨を入れている。」 さて

,ス

ミスのあずか り知 らぬことに

,実

は採用 される のはス ミスであ り

,

しか も

,彼

自身知 らなか っ たのだが

,ス

ミス もポケ ッ トに硬貨 を

lo枚

入 れていた。 この とき

,Qは

真 であ り

,ス

ミスは

Qを

信 じてお り

,Qを

信 じる正 当な根拠 を持 っ ているが

,そ

れ は

,彼

が誤 って採用 されると信 じているジョー ンズの ポケ ッ トの中の硬貨の枚 数 に拠 って立つ ものであ る。 したが って

,ス

ミ スは

Qを

知 って い る とは言え ない (たまた ま 彼 の信 じていることが真 にな った), とい うわ けである。 こうしたエー ジェン ト内部か ら見た知識像 と 外部か ら見 た知識像のずれは

,

クヮイ ン・ パ ズ ルのような量化 に関す る問題 に も通 じるもので あるが

,要

,認

識論上 の内在主義 と外在主義 の対立 に収敏す る。 この古 くか ら続 く論争 も, 共有知識 という概念を介せば

,あ

る道筋がつけ られ る。その段で行 けば

,内

部 と外部 の知識像 のずれは

,エ

ー ジェン トとその論者の間に共有 知 識が成立 して いない ことに起因す るのであ る。 それはひいては

,

システム構築者 とシステ ム内エージェン トとの間の共有知識 という

,よ

り根源的な問題 につなが る。論者 は論 じられて いるエー ジェン トの外部 に立つ者であ り

,そ

の 間 に共有知識がなければ

,共

通 の知識像が立 ち 上が るはず もない。知識 に関す る限 り

,定

義 は 定義者か ら対象 に一方的に押 し付 け られ るもの で はない。互 いに知 り合 っている中で始 めて, 共通 の定義が成立 しうるのである。内在主義 も 外在主義 も論者 自身の視点 を考慮 に入れていな いところに

,妥

協 の難 しさがあ ったよ うに思 わ れ る。論者 はエー ジェン トの外部であ り

,自

身 の内部である。その意味で

,論

者 自身 も知識時 空間のエー ジェン トの一員 としてみる必要があ る。物理学 において も

,量

子力学 にお ける観測 者 の問題 のよ うに

,世

界 を論ず る者が決 して世 界 の外 に立 ち得 ない現実 があ らわ にな って き た。論理学 において も同断であろう。新認識論 理 は必ず論理式 にKiを付与す ることによ って, この視点の問題 (誰が認識 しているのか

)を

参照

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