atvak\
keee
eg15e
(1991)
pp,
219N238
ikP
IRE-,:,i:,
Fit]li
ie
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t{3
ej・6Hi
[l
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cl)Rma
'
en
ag
E
tw*
1
Masaki
Hachino
ReceiuedOetober
30,
1991
ZUSAMMENFASSUNG
!
.
Das
Jahrbuch
.ORDO" zdhlt einundvierzigeBEnder
in
1990.
Mit
den
ganzen
Btindern
habe
es meinerMeinung
nachdrei
wirtschaftspolitiseheZiele
verfolgt : ersbens'die
t-.
:g:bklL//:elgPS
GeldeS,
zweitensdie
Offnung
des
Marktes
unddr]ttens
die
Freiheit
'
'
'
2
.
In
Beziehung
apfder
Offnung-
des
Marktes
kann
man auchdreierlei
GrUnde
zeigen.Zum
erstengche
esdafifr
einen ethischenGruTftl.
Man
muBden
Markt
deshalb
offenhalten,
weil mandamit
dlen
betrtigerisehen
Handlungen
in
Markt
einzudringen verwehrenWttrde,
.3
.
Zum
zweitengel]e
es auch einen theoretischenGrund.
Gr6Sere
Zahlen
der
Angeboter
und
Nachfragenden
mttssen urrl,dert
gUnstigeren
Preis
gegeneinander
spielen, wennein
gerechtelrer
Preis
zustandekomme.G}eichgewichtstendenz
des
Preises
seidavon
abhEngig,
daB
er wegender
groBen
Zahl
der
Beteiligten
sehr wenigenGrund
der
Bewegungen
ha6e.
.
4.
Zum
dritten
gebe
es noch einen wirtschaftspolitischenGrund.
Wenn
mandie
Freiheit
zum
Ziele
hat,
muB, mandaftir
den
Rahmen
schaffen.Der
Rahmen
muB so weitwie m6glich
gesetzt
werden.Denn
die
Politik
fttr
die
Freiheit
ist
eigentlich nichtfifr
die
wenigen, songernftir
die
vielengewEhk.
Der
Rahmen
muBdoeh
fest
gehalten
werden, sodaB
alleBeteiligte
aufdem
Markte
sofrei
wie m6glich
handeln
k6nnen.
*lj
as
2
鉢 野 正 樹一
問 題 提 起
(
一
)日米 構 造 協 議と市
場
の開 放戦 後 間もな く
,
1948
年
に ドイッで創 刊 さ れ た年報
誌 「オル ドー
」 (ORDO
)は,
1990
年の時
点
で41
巻を数え るに いた っ て い る。 こ の 「オル ドー
」には, 三っ の経 済 政 策 上の 目標がある。 これが ,私
の見 解である。一
通貨は
安
定さ せな け れ ば な らない。二
市
場は開放
し な け れ ば な ら ない 。三
丁
貿易
は自 由に しなけれ ばな らない。
戦後
の ドイッ(
旧西 ドイッ)
に おい て,
何 故,
この ような経 済 政 策 上の目標が立て ら れ た か は, 戦 前の ドイツ の歴 史を振 り返 れば容 易に説 明がつ く。 通 貨の安 定にっ いて は, 第一
次 大 戦後
の天文
学的数字 (
約
1
兆倍)
と言
わ れ た イ ン フレー
シ ョ ンが歴 史の教
訓になっ て い る。市場
の開 放につ い て も, 両 次 大 戦 間に ドイッ の産 業に多 発 したカ ルテルが, これ を 管 理 するた めの国
家 主義
型計画経済 (
ナ チス の経済体制)
の前提
にな っ た という歴 史の教
訓が あ る。貿易
の自
由につ い て も, 世 界 恐 慌の 結 果, 貿 易によっ て 自国の景
気が更に悪 化 する ことを 恐 れて貿 易を 制 限 し た世界
の大勢
に順
じて,
ドイッ も孤 立化政策
をとっ たこ とが第
二次大戦
の 原因
をな した とい う歴史
の教訓
が あ る。年 報 誌 「オル ド
ー
」が掲 げる 三っ の経 済 政 策 上の 目標に照 らすと,1989
年6
月に 日米 間で開始 し た 「日
米構
造協議
」 (Structural
Impediments
Initiative
)
で問 題と な っ て い るの も,市
場の開 放であ ること が明 白になる。 市 場 論を主題 に して, 年 報 誌 「オル ド
ー
」におけ
るその展開
を検討
する にあた り, 日本
が現在
直 面 して い る現 実 的 な 問題
とし て, 「日米構
造協議
」 にっ い て の 見解を市場
の 開 放との 関連で 述べ て みた い。「日
米
構 造 協 議 」 は,1980
年 代の は じ め か ら顕 著になっ た日米 間の貿 易 不 均 衡を背 景に始め られた。 貿 易 不 均 衡の 問 題は, 黒 字 国が加 害 者で, 赤 字 国が被 害 者で あるとい う納 得し やすい 論理 に よっ て,
ア メ リカが 日本
に向
かっ て貿 易 収 支の改善
を 要 請 する とい う形で解 決が計られ て き た。 し か し,
あ れ か ら十年
を経
て省
み る と,
』
む し ろ責
めを負
うの はアメ リカ側
で あ っ た と いうのが正しいと思 われる。 こ の点,
私は こ の問 題を詳 細に検 討 し た石 原 義 盛の以 下の意 見を支
持 し たい。「最 近にお ける米 国の 貿 易 赤 字や各 種 経 済
摩擦
の原 因は,
米 国の 経済
政 策の失敗
にあ る とい わ ざ る を え ない。 日本
に も周 題は あ る が,
そ れ はせ い ぜ い ニー
三割
で, あ との七
一
八割
は米国
』
側の責 任で ある」D1980
年 代に入
っ て ア メ リカで は, カー
ター
か ら?
一
ガン へ と政 権が交 代 した。 レー
ガ ン 政 権 は,減税政策
に よっ て設備投資
と個
人消費
を 拡 大 さ せ,
その成果
を用いて公 共投
資 を 増 加 させ ようとした。 か かる需 要 増 大に よ っ て懸 念さ れ る イン フ レー
シ ョ ン には,
高 金 利 政 策に よ っ て物価
の抑制
を計
っ た。 レー
ガノ ミッ クス は, こ の ように減税
政策
と高
金利
政策
とを ミッ クス さ せた。 し か し, こ の結
果, 貿 易 と財 政の いわ ゆる双 子の赤 字を
生み出し た。 日米 聞の 貿 易 不 均 衡も, こ こか ら生
じて き た。 レ ごガノ ミ ッ クス は,1980年代
の ア メ リカ に長期
に わ た る景気
の拡
大をもた ら し たの は確
かである。財
政赤字
も,世界
の安
全保障
のた めの ア メ リカの軍 事負担
とい う側 面,貿易赤字
もこれに よっ て世界
の貿
易 拡 大に寄 与し た側面
があるの で一
方 的に非難
年 報 誌 「オル ド
ー
」にお ける市 場 論の展 開3
はで きな い。 しか し,
こ と日米
の貿易
不均
衡に問題 を限 定 す れば, 石 原 義 盛の 言 うよ うに , ア メ リ カの経済
政 策は失敗
し た と言
え る。,
こ の よ うに 「日米 構 造 協 議 」は, ア メ リ カ側の正 しい現
状
認識
に基づ く とは言
え ない が,本
来は意 図して いな1
か っ たにせよ,
日本の 経 済 構 造の問 題 点 をも明ら かに し たの も確かで あ る。 こ の点
を理解
するには,
1985
年
11
月
の いわ ゆ る ドル高
是 正のた めの プラザ合 意まで さ かのぼ る 必 要がある。 こ こまでさ がのぼっ て みる と, ア メ リカが 問 題にした こ とは, まず 為替構
造, っ い で貿易構
造, そ して市場構
造で あ っ たこ とが わ か る。 ア メ リカ は,
まず,為替構
造 (日本の 貿 易 黒字
にも か か わ らず, 円高
にな ら ない為替構
造)
を闘題
に し た。 っ い で , 貿 易構
造 (特
に, 農 産物
一
オ レ ン ジ,牛肉,米
一
な どの貿
易自
由化
を拒む貿易構
造)
を 問題に し た。 そ して, ノ 最 後に,市場構
造を問題 に し始め た。 カル テル 価 格,
流 通 制 度, 系 列 問 題, 排 他 的 取 引 慣 行, それに,
貯 蓄 と投資
と土 地 利 用 を 加 えた1989
年
の第
一
回目
の会議
で提
起されたいわゆ る六項 目
の検
討課題が これであ る。 こ れに よっ て,
「日米構
造協議
」で 問わ れてい るの は,
日本の市 場幽
が外に向か っ て 開かれて い るか どうか とい うこと よ り も , 市場
が 内に向
かっ て も開 か れている か どう か とい うこ と に な る。(
二)
ソ連
,東欧 東独
の経済変革
と国家体
制1980
年 代の末
に, 雪 崩の よ う な変 革が世 界の社 会 主 義 諸 国を襲
っ た。 ソ連, 東 欧,東独
, さ らに中 国 を 含め た社 会 主 義 諸 国の変 革で問 わ れて い るこ とは,計画経済
か ら市場経済
へ の移行
で あ る。 しか し,社会
主義諸国
に お け る市場経済
の問題
は,
.
単
に, 商 品 市 場, 資本
市 場, 労 働「
市 場の育 成にとどま らない。 もっ と根 本 的に, 市 場 経 済を成り立 たせる国 家 体 制を も問 題に し なくて はならない。 こ の よ うな観点
から,
まず,
ソ連,東欧,東独
の変革
を東欧経 済
を専 門
と す る諸学者
の 意 見を参 照しっ っ 整理 し て み たい 。1989
年
の変革
を,野尻武敏
は革命
とい う観点
から,
こ の大
き な歴史
の変革
を 以下
の よ うに印
象 深 く描
写 して いる
。「
1989
年はフ ラン ス革 命二百 周 年にあたっ たが
, こ の年の後 半,
東 欧 諸国
に吹 き 荒 れた嵐は フラン ス革命
に も劣
らず革命的
であっ た。国民
の民
主化
要求
に お さ れて,
ポー
ラン ドー
ハ ン ガ リー一
チ ェ コ ス ロ ヴァ キアー
ブル ガ リアと独 裁 体制
が崩 れ, 最後
に残っ たルー
マ ニ ァ で は,十
二月
二十
五 日の グ リス マ ス当
日,大統領
夫妻
が捕
ら え ら れ その 日の うちに処刑
さ れ た。 そ して自
ら は慎重
だっ たソ連で.
も,年
が か わっ て1990
年
の三月
に一
党独裁
の制度
は廃
止さ れ,
、
七月
の第
二十 八 回 党大
会で は急 進 改革
派の民主綱 領 派が脱党
して, 七 十 年 余に及ん だ共 産党独
裁
は現 実に その幕
を閉
じ た」2)東 欧に
,
民主革 命と呼ば れ る政
治改革
が成功
し た 理由
は,
同じ1989
年
6
月
4
日 に,中
国に生
じた民 衆の民 主化
要 求へ の武 力に よ る血の弾 圧と無 関 係で は なかっ た。 中 国で は,1980
年 代に 始まっ た開 放 経済
を目
ざ す経済改革
が,民衆
に よ る政治改
革の要求
に発
展し た時
に , こ れ を武
力によっ て破壊
し た。 こ の武 力 鎮 圧は , し か し,東
欧で の民 主 化 要 求を; 武 力で弾 圧レ
に くい状
況 を生み出
した。中国
の民
主化要求
は,本国
では失敗
し た代
わりに,東
欧
で の民
主化
運動
を助
ける結
果に なっ た。 もちろ ん, 東 欧の民 主 革 命は, より直
接 的に は,1985
年に登 場 し た ゴル バ チ ョ フ当 時 書 記 長によ るペ レ ス トロ イカによる。ま
た,
これによっ て ソ連の 東 欧 政策
が, ブ レジネフ時代
の制 限主権論
から
体制選択 自由論
へ・
と転換
してい た ことによ るp更
に,
こ の よ う221
一
4 鉢 野 正 樹 な ソ連の東 欧 政 策の転 換の背 景には, ソ連の深 刻な経 済 危 機があっ た。 こ の点 を, 佐 藤 経 明は 次の よ うに言っ て い る。
「ソ連
・
東 欧諸国
の経
済 改革
の 現在
の核
心 的 問題とは何か。 それは六 〇年
代い っ ぱい,
あ る いは第一
次 石 油ショ』
ック(
1973
年 ) まで の伝 統 的 工 業 化の段 階で はかな り健 闘 して いたソ連・
東欧
の経済
が,
ここ まで 『ダ メ』になっ たこと と深 くか か わ っ て い る」3)問 題 をソ連の経
済
だ けに限 定 して み る と1 ソ連の経済
に資源
や労働
や資本 (
少
な く とも,伝
統
的工業
化とい わ れ る重 化学
工業 段 階まで の資本
)に不 足が ある と は 思 え ない。 ソ連の経 済に 欠 けて い る の は, こ の よ うな ハー
ド の面でな く , 組織
制 度, 体 制 といわ れるソ フ ト の面で あ る。「
,
ソ連 経 済が, 共 有 制か ら私 有 制 (生 産 手 段の所 有
形
態で, 公 共 施 設な どの所 有 形 態では ない) に移
行
すれば,野
尻武敏
の社会
主義
の 三っ の形
態の中
で,
ソ連経済
は,管
理社会
主義 (
公有
制
+計
画経済)
か ら,市場社会
主義 (
公有制
+市場経
済)
を通り
こ して,自由社
会 主義 (
私有制
+市 場 経 済 )と なる。 これは, 資 本 主 義と は微 妙な運 営 上の相 違 を 残 すだ けの 経 済 体 制で あ る♂)これ を, 福 田 浩 敏のより詳 細な 「所 有
・
相 互・
上下 調 整の三元 論 」5) に よる経 済 体 制 論で分 析 すると,
ソ連経済
は,
現行
の所有方式
では共有制,相
互 調 整方式
で は中
央管
理経済 (
計画
経 済 ),
上 下 調 整 方 式では指 令 方 式を とる管 理 社 会 主 義か ら, チ ェ コ ス ロ ヴ ァ キ ァやハ ンガ リー
が目指
し
て い る所有方式
は共有制
を残
す もの の,相
互調
整 方 式では市場
経
済 (
市場価格
メ カ ニ ズム ),
上 下調整 方 式 も誘 導 方 式へ と変 革する市 場 社 会 主 義 を 超えて,
所有
方 式 すらも私有
制 を とる自由社会
主義
へ と経済体制
を改革
することに な る。か か る大 幅な経 済 改 革が, ロ シ ア革 命 (
1917
年 ) 以 来 七 十 年 以 上にわ たっ て築 き上
げ られて き九今日のソ連で一
朝一
夕で成 し遂 げ られ ると は思え ない。 今 年 (1991
年
)8
月19
日の失 敗に終
っ た クー
デ ター
によっ て明ら かに なっ た事 実は, ソ連という2240
万 平 方km
に及 ぶ広 大な国 土と,2
億8600
万とい う膨 大な人口 と,120
の民 族 6)か ら な る15
の共 和 国を統一
するた めに は,強大
な軍事組織
と強力
な政党組織
を必要
とするということであっ た。更
に1 か かる軍事
及 び政覚組織
を維持
するた めに は,莫大
な経済力
を 必要
とする.
とい うこ とで あっ た。
ソ連は
,
連 邦 体 制 を 維 持 する必 要 上, 権 力とい うム チ によっ て運 営さ れてき た国 家で あっ た。 この国家
が,利
益とL丶うア メに よっ て運営
さ れ る ため に は,少
なか らぬ時 間 を 必要
とする。 ソ 連で は, 今で も, 物々交 換のた め物 資が隠さ れて い る とい うか ら, これ を市
場 へ と放
出さ せ る に は利 益と い うア メで は な く, 権 力 とい うム チが必 要なのか も知れ ない。 も し, そ うで あ れ ば 失 敗に終
っ た国家非常事
態委員
会が, ヤ ナー
エ フ ・ ソ連大
統 領代
行の名 前で発表
し た声
明で, 以下の よ うに言
っ て い るこ とは必
ずし も失 当で はな い の か も知れ ない。「導 入さ れ た措 置は暫
定
的な もの であ り1 国家
と社
会の全分
野にわ たっ て改革路線
か ら決
し て逸脱す
るもの で は な い。経済
を崩壊
から,国家
を飢
え から救
い,
迫 り くる内戦
の危
険の増 大 を 妨 ぐた め に,
やむ を 得 ず と られ た 措 置 セ ある」η権
力を もっ て今まで運営
さ れてき た ソ連
の国家体制
は ,権力
を もっ て運営
さ れ る他
ない ので あるとい う保 守 派の現 状 認 識 を 覆 して ,利 益に よ る運 営が可 能である こと を実 証 するた めには,改革派
の側
に,国家体制
につ い て cb , 正 確な認 識が求め られる。 すで に, 西 独 との統一
に よ っ て国 家 体 制の変 革 を 開 始 した東 独 は 別と して, ソ連に も, 東 欧に も,中
国に も, 現在求
め ら れ年 報 誌 「オ ル ド
ー
」 に おける市場論の展開5
て い るもの は,
計 画 経 済か ら市 場経済
へ の経済
改革
にとど ま らず,政治改革
と,社会改革
をあ わ せ た国家体制
の改革
で あ る。 これ が, 私の見解で ある。 何 故なら, 政 治と経 済 と社 会 との間 に は,秩 序の上で の斉
合 性が必要
だ か らで あ る。政
治の 民主
政 治 , 経済
の市 場 経 済, 社 会の契 約 社会
の間
に は,秩序
の斉合性
がある。 逆に,政治
の専制政治
,経済
の計画経
済 ,社会
の血 縁社会
の 間に も秩 序の 斉 合 性がある。 8) 秩 序の 斉合性
は,「
オル ドー
」の一
致 した主 張で もある。オ イケ ンの弟 子で あり
,
オ イ ケ ン の 「経済政策
原理」の編纂者
であ っ たパ ウル・
ヘ ンゼル は,
次
の よ うに言
っ て いる。「経 済, 社 会, 政 治,文 化, ・宗 教の生 活は
,
孤 立 して営 ま れるもので は な く,相
互に規 定 しあ い,
影響
し あっ て い る」 9)これ らの
生活
の秩序
を統
一
する原垠
を説 明 するには, カー
ル・
ポパー
の 「閉ざ され た 社 会 」 と 「開 かれ た社 会」 が有
用で あ る。民
主政治
と市場経済
と契約社
会
を統
一
してい るの は,
「開 、
か れ た社 会 」の原理であ る。 「開か れ た社 会 」とい うの は, 相 互 批 判を最 大 限に認め る社 会で ある。 民 主 政 治で は, 政 党が競
っ て政 策の妥
当性
を批判
しあ う。 これに比べ て 「閉
ざ さ れ た社
会
」で は,批判
は タ ブー
で ある 。 こ の社会
にあ る批判
は,相
互的で なく,一
方 的で ある。 有 力者
は批判
さ れず,
批 判さ れ るの は敗 残 者である。 批 判を うけたくない者は, 批 判か ら超 然と し た仲 間の中に入る他 は ない。 か く して,
専 制政
治で は,
共 産 党は一
党 独裁
であっ て他
の政
党の批判
か ら は超
然とする。 計 画 経 済で も, 中央 計 画は絶 対で あ っ て, これに は服 従あ る の み で あ る。 血 縁 社 会で も, 血 縁に よ る (地 縁や, 学 閥な ども含めて) 人 間 関 係は生 来のもの で あっ て, そ の年功序列
は死
ぬ まで変
わ らない 。既成
の人間関係
は,変革
の余地
は な く守
ら れ る他
は ない。中
国, ソ連
, 東 欧の改 革は, 政治
改 革で あり, 経 済 改革
で あり,社会
改革
で ある。 こ れが成 功 するために は,
何よ りも,
ポパー
の言 う 「閉
ざされた社
会 」 から 「開かれた社
会 」へ の秩序
原理 の変 革が受 容さ れ なくて はな らな
い。 市 場 経 済は,
「閉ざ さ れ た社 会 」で な く,
「開か れ た 社 会 」の秩 序 原理に基づ くとの認 識が必 要で あ る。 二市 場
と倫
理(
一
) 交
換 から虚
偽
,欺瞞,詐欺
を排除
する市場
の開放
「日
米構造協議
」で問
われて い る のが,市場
は開
か れて いな くて はな ら ない こ と だ とすれば,何故
,1
市場
は開
かれてい なくて は な らない の か,
その理由
が充分
に説明
さ れ ねば な らない 。 ま’
た, 中 国,
ソ連, 東 欧な どの 社 会 主 義諸
国で 問 わ れて い る のが, 単なる経 済 改 革を超えて,
政 治 改 革 と社
会 改革
を あわ せ た国
家体
制の改革
で あり,
これ らを斉合
的に統
一
し ているの が開
か れ た社
会であ る とすれ ば, 何 故,社
会は開かれて いな くては な ら ない のか, その理 由が充 分に 説 明されね ば な ら ない。 そ の理 由に は, 倫 理 的理由, 理 論 的理由「
, 政 策 的 理 由が あげ られる。 そ こ で, これ らの問 題を, それぞれ 市 場と倫理
市 場と理 論, 市 場 と政 策に分
けて検
討 する こ とにする。 以 上,
三者
を合
わ せて市 場論
と して,何故 ,市
場は開
かれてい なくては な ら ない か を説
明す る。 まず,市
場と倫理 との 関 係か ら始
め ることにす る。 こ こ で は, 開か れ た市 場は, 開かれた社
会 を 要 請 することを も あ わせ て明
ぢ
かに し たい。
年 報 誌 「オル ド
ー
」の中で,
市 場と倫 理 を 主 題とした論 文に は,
ネル・
プロ イニ ン グ 「職
階223
一
6
鉢 野 正 樹的
秩
序 と独 占主 義 」 (○.
v.
Nell
−
Breuning
,Berufsstandische
Ordnung
undMonopo
!ismus
)
(第
3
巻1950
年 ), ヨ セ ブ・
ヘ フ ナー
「ス コ ラ哲 学に お ける競争」
(
Joseph
H6ffner ,
Der
Wettbewerb
inl
der
Scholastik
)
(
第
5
巻
1953
年)
, ダ
ニ エ ル ・ ウィユ 「カ ト リッ ク
的
思惟
におけ る市 場 経
済
」aniel
Villey
,
Die
Marktwirtschaft
im
katholischen
Denken
) (第7
巻
『
1955
年),
エ リッ ヒ・
ホ ッ プマ ン 「道徳
と市場
シ ステ ム 」(
Erich
Hoppmann
,
Moral
undMarktsystem
)(
第
41
巻
1990
年 )な ど がある。 こ の中で は,
ホッ プマ ンの 「道 徳 と市 場シス テム」が最 も有 用で, す ぐれ た論文
で ある。 ホ ッ プマ ンが,
この論文
で展 開し た 「小
さ な,
閉 ざさ れ た社会
」と 「大 きな, 開かれ た 社 会 」につ いては,
後にとりあ げる。市 場 と倫 理 との
関係
にっ い て,素朴
な市場
の 生成
に立ち帰っ て,何故,市場
は倫
理 を必要
と す るの か, そ して , そ れ はいか なる倫 理かを 明 らかにする。 同 時に, 開 か れた市 場 と開 か れた 社 会の関係
, すな わ ち開
か れた社会
で の倫
理 を明 らかに して み たい 。経済
が生産
に始
ま り消費
に終
る循
環 過 程であるとい う洞 察力
に満
ち た見解
は,難波
田春夫
の講義
の 中で,
『
し ば しば聞いた印 象 深い言 葉で あっ た。 生 産 か ら消 費にい たる循 環 過 程は,
二っ の経 路に区 別される。一
っ は, 生 産が 「市 場 」 を 通 して分
配され 消費
にいた る経路
である。 も う一
つ は,
こ の ような経路
を通さ ない で,生
産された ものが 「配 給 」を通して分 配さ れ消
費に いたる経 路で ある。 前者
は市 場制
度に よ る経路
,後者
は配給制度
に よ る経路
で あ る。市場制度
で
は,商 品
に せ よ, 用役
に せ よ,情報
にせ よ,交換
は対
価 を 相 互に渡
して有 償で 行 わ れる。 こ れに対 して, 配 給制
度で は, 生 産され たもの は,
一
旦,無償
で管
理機
関に集荷
さ れ ジ次
い で再
び無 償で分
配される。
交
換
の場合
には,
レ プ ケ が 「経 済の 理論 」(
Die
Lehre
vonder
Wirtschaft
,
1937
,邦
訳「自 由
社
会の経 済 学 」)の中で言っ て い るように, それが等 価で あ れ ば あるほど, 交 換の当 事 者 の聞には略 奪 もな けれ ば 慈善
もない ので交 換は道 徳 的に中 立の行
為 と見 なされる。 これに比べ る と,管
理機関
が介 入 する場
合には,
一
方で は集
荷に際して は略 奪が,他 方で は分 配 に際 して は慈善
が組
みあわ されてい る。略奪
は道徳
的に はマ イ ナスだ し, 慈善
は道徳 的
に は プ ラス の行
為である。 従っ て, 市 場 制 度では自
動 的に道 徳 的 中立
の行 為が成 立して いるの に対 し, 配 給制
度で は作 意 的に一
方のマ イ ナ スを他方
のプラスが補 う形で, 道 徳的中立
の行 為が成立
さ せ られ て い る。市 場制度
に は,本来,道徳 的
に評価
される よ う な要素
は ない。 道徳
的に は善
く も な く,
悪 く も ない。 た だ し,効利
主 義 的 観 点か らする と,市
場 制 度には, 交 換の必 然的
な結
果と して,事
後 的に交 換 当事
者の満 足 感 を 増 大さ せるか ら評 価さ れるべ き利 点をもっ てい る。 素 朴な例で言 えば,穀物
を もっ 人と,衣
服を もっ人
とが,
互い に穀物
と衣
服 を交換
し あ え ば,』
交換
する前
に 当 事者
が もっ て い たはずの満
足 感は,
交 換 し た後で は 双方 ともに増 加 する。 これ を, 両 者の 満 足 (効 用 )の度 合で比較
してみ る と, 事 前より も事 後では明らかに増大
する。効
用拡大効
果を 発揮
亥
る行為
と して,
交換
は,
人 間 社 会に制度
として定 着 した。し か し, あ らゆる制 度が そうであ る ように
,交換
にも,
これ が善
用さ れ れば有
用であ る が,
一
旦 ,悪
用さ れ る といま わ し い弊害
を 生 じ る。 ホー
マー
の描
いた叙事詩
にある よ う に,
かっ て,
カル タゴ人は船に乗っ て リビ ア の海 岸に到 着 すると, 用 意し た商 品を陸 揚 げして煙を たい て リ ビ ア人に知ち せ,自
ら は船
に帰
っ て待機
し た。 煙 を 見た リビア 人は, カル タゴ人の商 品が気に 入 れ ば,商
品の傍 ら’
に金 塊 を並べ て , その場 を立 ち去 り, カル タゴ人の 反 応を見た。 カル タゴ年 報誌 「オル ド
ー
」における市 場 論の展 開7
人は,
金 塊に満 足 すれば,
商 品 をお い て金 塊を持
ち去
っ て,
両者
の 間には沈 黙 取 引が成 立 し.
た。 1°) し か し,
交 換は常に この ような麗 しい形で の み展 開し たの で は ない。 交擁
に は, 相 手の 損 失によ っ て当 方の利 益 を か ちと ろ うとする悪 意に支配
さ れ ること が少
な く な かっ た。 グル ト・
ハ ル ダッ ハ とユ ル ゲン・
ニ リン グの 共 著になる 「市 場の書 」の中の 「偽サ フ ランの 販 売を禁
じ た,1306年
の レー
ゲ ンス ブル グ市参
事 会の規
定」 には, に の地で は,
た と えみずか らの消
費の ため で あ ろ う と,
再販
売に供
する た めで あろ う と も, 何人
も, サ フ ラン の 贋物
を購
買 して は な らない し, ま た販 売 して は ならない 。 そ して,
偽サ フ ラ ン を 提供
し,
誰か に売
っ た者,
あるいは それ を他者
か ら買
っ た者
は,
いずれ も10
ポン ドの罰 金を払
わ な け れ ば な ら ない」玉且) と あ る。 こ の ように, 交 擲ご
は, 虚 偽, 欺 瞞, 詐 欺が入 り込 み, こ の結 果,一
方が他 方 に慈 善 をしいる形で略
奪が行 わ れることは,
古代,
・
中世,
近代
を問
わず珍
し く ない。 問 題は,
どう
し た ら,交換
の中
か らζ
の よ う な弊
害を取 り除 くことができ る か とい うことで あ る。 こ の 問 題を解 決 する方 法が, 実は, 市 場を開 放 するとい う.
こと なのである。市場
を開放
す るこ とによっ て , 何故,
交 換に,虚
偽, 欺 瞞, 詐 欺な どの ゴマ カ シが入 り込ま ない の か。 そ れ は,市場
にな るべ く多
くの供給者
が入 り, なるべ く多
くの需 要 者が入れば
, 供 給 者の 間に も, 需 要 者の間に も 自 己の捌 きたい商 品 をな るべ く多 くの 人1
こ買っ て もら おう と競 争 する し,
逆に,自
己の欲
する商品
をめ ぐっ て競争
が生 じ るの で,
いか が わ しい商 品
が市場
に 入 りこむ余 地が厳 しく排 除さ れるか らである。 競 争に よっ て悪 徳を排 除 する の が , 市 場の倫 理 で ある。 こ の倫 理は, 市 場 をな るべ く閉 ざすこ と によっ て資 格 と能 力のない供給者
や需
要 者 を市場
か ら事前
に排除
してお くとい う中世的,
ギル ド的
行為
に対
して,市場
を独 占
する行 為を禁 止し,競
争者
の 参 入を要請
する。 市場
の倫理 に,中
崋
と近 代で は相 違があ
る。 問 題は, 市 場 に 出 回る商 品の検 証 を 誰が行 うの かにある。 生窪
者に その 資 格 を 全両
的に委 譲 するの か,
それ.
と・
も,消費者
が検
証の主体
と な るのか ということであ る 。・
商
品の真
贋を見極
め る目が,誰
に委
ね ら れるか ということで ある。 生 産 者に し かそ の資 格はない とすれ ば,
市 場を閉ざすこと を非 難 で きない。 しか し,
消 費 者に その権
利 が あり, 必 ず し も資格
を失 わないと す れ ば,布場
は開 か れ な くて は な ら ない。オ ランダの ア ン トワ
ー
プの取 引所
(市 場 )の 玄 関に掲 げら れてい た 「あら ゆ る国 民とあらゆ る国
語との商 人の た めに」12)1(
Den
Kaufleuten
allerV61ker
undSprachen
).
は, 市 場を開 くこ とが
,市場
の 倫 理であるとい う当時
の 近代
的な市場
の倫
理 を宣言
したもの と思われる。 こ れ は, 市 場の隆 盛は多 くの木
々が集まる こ とによ る か らで あっ た とい うよりは, 市 場の中から
, いま わ しい虚偽
の種
を取
り除
くこと に本来
の目
的が あっ た もの と思わ れ る。後
に,
ドイ ッで も制定
される 「営業秩序法」 (
Gewerbeordnung
1869
年)
も,
以 上の市場
の倫
理に即
した もの であ
る。最
近,貿易
の自由化
や,市場
の自由化
は消費
者
の利益
に な る と い う議論
を耳
た
する が , これが単
に商
品が安 く買
え るからとい うので は,市
場 め倫
理を 充 分に深く認識
し た もの で は な い。何故
な ら,市場
に は価格決定
の機能
と と も に,
商
品検定
の機能
も求
め ら れて いる か らであ
る。中世
か ら近 代にかけて , こ の商 品検定
の権
限は生産
者か ら消
費 者に移
されっ っ ある。権限
委 譲に際 して , 消 費 者に真
贋 検 定能
力 が 備わっ て い るこ と,
消 費者
が充分
に賢
明で あるこ と が 重 要で ある。 最 近, ア メ リカ な どで消 費 者 教 育が問 題に
さ れ るの も当 然の ことである。225
一
8
鉢 野 正 樹(二 ) 「閉ざさ れ た, 小さ な社 会 」か ら 「開か れ た
,
大 きな社 会 」へ市 場が
,
ア ゾト ワー
プ取引所
の標
語にあ る よ うに 「あ らゆ る国 民と,あ
らゆる国
語との商人
」 を受 容し よ う と す れ ば, 市 場は必 然 的に拡 大 する。 また,
市 場は,
あ らゆ る人々 を一
時 的で あ る に は せ よ売 買に よ っ て結 び付
け るの で,
古い社
会を掘
り崩し,新
しい社
会を作り出す。市場
が閉
ざさ れて いる間は,市場
で売
買によっ て結
ば れ る人 間 関 係は , 互いに顔 見 知 りの 間の外に 出る こ とは ない。 従っ て,
売 買 も仲
間う ちの間の行 為に限 定さ れ る。 閉 ざさ れ た市 場は , 閉ざ された社 会と符
合 する。小
さな市場
は,小
さな社会
に対応
する。 し か し,一
旦,市 場
が外
に向
かっ て開
かれて,外
に向
か っ て拡大
さ れる と市場
の事
態は一変
する。 これに と も ない ,社
会の事
態 も変
化
する。 市 場で の売 り買い は,
今 まで顔 見 知 りの間だけで あっ た もの が,
こ の中に,
見知
らぬ人
が常時出
入 りするこ とに な る。 取引
関係
と人 間 関 係 との間にも, 時として困難
な矛 盾を生じ る ことになる。 何 故な ら,
市 場での取
引 きは,
あくまで も高値
をっ け る者 ,
あるい は購
買 力の あ る者
との間で成立する。 こ こ で は,
知人
であるか, 友 人で あるか, 肉 親で あるか,
要 するに顔
見 知 りであ る か否かは意 味を もた ない。 面 識をもた ない者どう しが,
市 場で は取 引 関 係を結ぶ。 小さ な市 場が大 きな市 場に移
行 する時, 小さな社会
の入間関係
を大
きな市
場で も求
め ん とする人
々は,時
と して悲しい悪
い を さ せ られる。.
親しい仲であっ たの にどうして私に売
っ て くれ な かっ たの か, ど う して 私の ものを買
っ て くれな か っ たの か と思う か らで ある。 し かし,大
きな市場
は大
きな社
会
を作
り出
し,大
き な社会
に は,小
さ な社
会 とは異な る倫
理 が必
要で ある。この
聞
題につ い て,
ホ ッ プマ ンが1990
年に 「オル ドー
」に発 表 し た 「道徳
と市場
シ ス テム 」 は,非
常に重 要な解 明を与えて い る。 以 下, ホ ッ プマ ン の提 示 した概 念 「閉ざ さ れ た, 小 さな 社 会」13)(
die
geschlosseneStammesgesellschaft
)と 「開 か れ た, 大き な社
会」 iρ(
die
、
offeneGro
βgesellschaft
)
を参 照 し な が ら・
,
「開か れtc
、
1
大き な社 会 」の 倫理 を問題 に して.
み たい 。 開かれた市 場の倫理 は,開
か れた, 大き な社 会の倫
理 に基づ くか らで ある。ホ ッ プマ ン の 「開かれ た, 大 きな社 会 」は, ポパ
ー
の 「開かれた社 会 」 を 連 想さ せるが , ポ パー
の 「開
か れ た社
会」
に は なかっ た新 しい内容
を有
した画
期 的な概
念である。 ホッ プマ ンは,
倫理 も社 会の発 展と と もに進 化すべ き もの であるとい うハ イエ クの 進化 論 的 倫理命 題を 重要な 発 見で あっ たとする6
ここか・
ら出
発 して,倫
理 も絶
対 的でな く,
歴史
や社会
の変化
に応 じて変 化 する とい う立場
に立っ 。 従っ て, 「閉 ざ された,小
さ
な社
会 」にはこれに応
じ た倫 理が あり, 「開か れ た,
大 きな社
会 」 にはこれに応じ た倫理 が あ る と言う。 「閉 ざ さ れ た, 小さな社 会」 の 倫 理は, すで に熟
知 さ れてい る。 ホ ップマ ン は,
以下
の よ うに言う。「道 徳の第
一
の種 類は, よ く知 ら れたもの で ある。 それは, 『汝の隣入
を愛せよ』 とい っ た種
類のも
の で ある。 例 え ば, 家 族が た がい に, 己を無に して愛の心で向かいあい助 けあ
い犠
牲
に な り連帯
して仕
えあえば, こ こに われわ れ の道徳的感情
は満
た される」
15)「閉 ざされた, 小 さな社 会 」の倫 理は, 儒 教の五 倫 五 常につ い て も当て は まる。 孟 子の 五倫 は
,
これを武内義雄
「儒教
の精神」
で,括
弧内
に私
の解釈
を付
記 して示
せば, 以 下 のよ うであ るo一
父 子
有親 (
父
と子の道徳
は, 睦ま じく親
し み あ うことであ
る)二
君 臣
有義 (
君と臣の道徳
は, 互い に己を無
にする義
である)
三
夫
婦有
別 (夫 と妻
の道 徳は, なすべ きこ と を 分 け あっ て 助 け あ う別で ある)年 報 誌 「オル ド
ー
」 に お け る市場論の展開9
四
幼 長
有
序 (兄 と弟の道 徳は,
順 序を守る こ とであ
る)
五 朋 友
有 信 (
友
入 同志の 道徳
は,耳
い に信 頼 するこ とで あ.
る)キ リス ト
教
で も, 儒 教 倫 理で も, これ らはすで に成 立 し.
てい る 「閉 ざ さ れ た,
小 さな社
会 」 を前
提に し,
この社会
の存
立を健
全にす る倫理で あ る。 し か し,
も し, こ の よ う・
な 「閉ざ さ れ た,
小さ な社
会 」が変 化 して,
「開かれた, 大 きな社 会 」・
が出 現 する時には, 新しい社 会の ため に,新
しい倫
理 が必要
となる。 こ こに古
い倫
理を当
ては め よう, あるいは,古
い倫
理を絶対化
しようとすると, 深 刻な問 題が生 じて くる。現
代の日本にも, こ の種の問 題が少な くない。「
開
か れ た,大
きな社会
」に は,
「閉
ざさ れ た,小
さ な社会
」の ように ま と まっ た倫
理規定
が存在
し な い。 た だ,戦後
四十
年,
社会
の大 きな変動
を経験
して き た 日本
の中
で,今
まで に流 行 語に な っ て きた言葉
をっ な ぎあわせ てみ ると,新
しい社会
の倫
理 が,
その輪
郭におい て浮か び 上 がっ て くる。 戦 後,
流 行し た 「ウエ ッ トと ド ライ」,
「人
に迷惑 を か け る な」,
「思 い や り が大 事 」,
「や さ しい人が好き 」 これ らの 日常 語は,
新 しい社会
の倫
理 の方 向 を 示 して い る。 これはジ’
封
建社会
に対
す る市民社会
の倫
理 と も,私
の もつ社会
の 二分
法 「血縁
社会」
に対 する 「契
約 社 会 」16)の 倫理 と も言え る。聞
題は,
この 「開か れ た,大
き な社
会 」 の倫
理 は何か とい うこ とにな
ξ
。 私は, これ を民 法の総 則に あ る 「信 義 誠 実の原 則 」 (Treu
undGlauben )
が, 最も 適当
で あると思 う。 民 法 第
一
編 第一
条 第二 項に は,
』
以 下の.
ように ある。「
権利
ノ行使
及ヒ義務
ノ履行
ハ信義
二従
ヒ誠実
二 之 ヲ為
ス コ ト ヲ要
ス」信 義と は
,
約 束を守
る ことで あり,期
待を裏切
ら ない こ とで あ り, 責 任をiとる
ことで あ る・ 市 民 社 会と言うに せ よ,
「開かれ た, 大 きな社 会 」と言 うにせ よ,
「契 約 社 会 」と言 うにせ よ,新
しい社 会は, 契約
が信 義と誠 実にょっ て守 られること を条 件として のみ成 立 する。 こ の根 幹 が揺
ら ぐ と,
こ の社会
は 混乱
す る。信義
に よ っ て成
り立つ社会
には,
親和
に よ っ て 成 り立っ社
会
の 温 か み が ない。 この「
開
か れ た,
大き な社
会 」の倫
理 にっ いて, ホ ッ プマ ン は以 下の よ う に言 う。「
更
に,
第二 の種類
の道 徳 が ある。 例 え ば, 父 親が
ものを 買 う時に は1
自 らにとっ て最 も有利
な条 件を考 慮 するの であっ て , 買物
の相手方
の欲
求と か困窮
を配慮
すること は ない 。 父親
の助
けを最
も必要
にしている生産者
や仲介
人 を探
す めで はな く,最
も安
く提 供 して くれる生 産 者 や 仲 介 人 を 探 すのである。 こ の父親
に道 徳 的な承 認が えられ
る の は, 家 族にとっ ての有 利な買 物 を し た時, 従っ て , 家 族に行き届い た生計
配 慮を して い る時
とい うこ と に な る」 17)以 上の ホ ッ プマ ンの 「開か れた, 大き な
社
会 」の倫
理 は, 「閉ざ さ れ た,小
さ な社会
」の倫
理 に比べ ると倫
理 と言
う内 容に乏 しい。
これよ り も, ホ ッ、
プマ ンが 「開かれた,’
大 きな社 会 」の倫
理 は,
近 代の 民法
に多 く見 られ る禁
止則
に よっ て成
り,
そ れ は,
モー
セ の十
戒に近い と言
っ て い る ことの方が重 要で ある。 モー
セ の十 戒 と は旧 約 聖 書 「出工’
ジ プ ト記 」二十章
に見 ら れ,
以下
の もの で ある。一
あな た は自分のために, 刻ん だ像を造っ て は な ら ない。 (も し,
神
を愛 する な ら,神
の他
に
神、
一
偶像
一
を造 っ て はい け ない)二
それに ひれ伏しては な ら ない 。
(
もし,神
を愛
するな ら,偶像
を神
の ように崇
めて はな らな い)三
あ
な
たは, あなtt
の神, 主の名を, み だ りに唱えて はな らない。 (もし,神
を愛 する な ら,
神
が し ない こ とを神
の せ いに し,神
の し た こと を神
以外
の もの の せ いに して は ならない)
227
一
10
鉢 野 正 樹 四安息 日 を覚えて
,
これ を 聖 と せ よ。 (も し,
神を愛す るな ら,
神と週 に一
度
の交
わ り を大・
事にせよ
)
五あなたの
父
と母とを敬
え6
(
も し,神
を愛
す る な ら,神
の地
上 代理人
で あ る父
と母
とを神
と同じく
尊敬
せ よ)
六あ な
・
た は殺して はならない。 (もし, 人を愛 するな ら, 人 を 殺 すよ うな こ とは して はいけない
)
七 あ な た は姦 淫 しては な らない。 (も し,人 を愛 する な ら, その配 偶 者を苦
し め る よ うな不
倫
は して はいけ ない)
八
あな た は盗ん では な ら ない。 (もし
,
人を愛 する な ら,
他 人の所 有 物 件を許 し な しで奪 うこと は してはい けない )九
あな た は隣 人につ い て , 偽 証して はな らない。 (もし, 人 を
愛
するな ら, 真 実を まげることによっ て
,
正直者
が馬 鹿を見る よ うな
,
』
真実
を混
乱さ せ るこ と を してはな らない)
十
あ な たは
隣
人の家
を む さ ぼっ て はな ら ない 。(
も し ,人
を愛
するな ら,人
を羨
む こ と があっ
’
て も,危 害 を 及ぼす 恐 れのある ように妬む こ とを して はいけない)以上が
,
旧約
聖書
の十戒
の概要
で あ る。十戒
は神
と入
,
人と入との 関係
を規定
し た律
法で あ る。 神と人との 関 係は,
元 来,
旧知の間で も,
親しい間で も,
身 内の 聞で も な く,
創 造者
と被
造 物とい うド ラ イな間 柄である。 これは,
「閉ざ さ れ た, 小さ な社 会 」の倫
理 で律 せ ら れる も の で は ない。 同じく,十 戒の第 六 戒か ら第 十 戒まで は, 人と人との倫理で あ るが, 厂閉ざ さ れ た, 小さな社 会 」を前 提と した倫 理で は ない。 こ の た め十 戒は, 「契 約 社 会 」の倫 理 と して , 信 義 誠実
の 原 則,信義
則を具体化
し た倫
理規定
と見なす こ と がで き る。十
戒は,
「開
か れ た,
大き な社
会 」の倫理 と して,
その有 効 性が再
認 識さ れて もよいd 例え ば,
ウ ソ に甘
い社
会は,・
「
閉ざ さ れ た,
小さ な社
会 」で は許されて も,
欄
か れ た,
大 きな社 会 」では許 さ れない ことは十 戒の第 八戒
に よっ て明
ら かである。 現代
の 日本社
会で、 企業
の倫
理のみならず, あら ゆ る人間
の倫
理 と して,
約三千 年以前の 旧 約の 律法
が,
今日的 意義
を もっ て蘇
ら さ れ るこ と が必 要で あ る。 ま た, これ か らの世 界が倫
理喪
失の国 際 社 会に な ら な い た め に も古い契 約 法の再 生が必 要で ある。 三市場
と理論
(
一
)
’
適正価格
以 上, 何 故, 市 場は開かれて い な くて はな ら な い か を
,
市場
に入 り込み やすい虚
偽,欺瞞,
詐欺
を排除
する には,市場
に は競
争が必 要である という倫
理的
理由
か ら説 明し た。次
に, そ の 理論的
理由
を, 価格
を め ぐっ て中世
以来問
題と さ れてき た 「適 正価格」 (
gerech
’
ter
Preis
)
か ら明 らかにする。・
.
「オル ド
ー
」 の中
で,
市場
を理論 か ら問 題に した論 文には,
、
レ オ ンハ ル ト・
ミクシュ 厂均 衡の理論のた めに」
・(
Leonhard
Miksch
,
Zur
Theorie
des
Geleichgewichts
)
・
(
第
1
巻1948
年),
ハ イ ン
.
リッ ヒ・
7
オ ン・
シュ タッケ
ル ベ ルグ 「経 済 運 営の可 能 性と限 界 」 (H
.
v.
Stachelberg
,Mdglichkeiten
undGrenzen
der
Wirtschaftslenkung
)(
第
2
巻
1949
年),
ブリ、
一
ド リッ ヒ・
ル ッ ツ「
競争秩序
に対す
る反対意見」 (
Friedrich
Lutz
,
Einwtinde
gegen
die
Wet
七
benwerbs
・
年 報 誌 「オ ル ド