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哲学から宗教までの円了解 利用統計を見る

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(1)

哲学から宗教までの円了解

著者名(日)

森川 滝太郎

雑誌名

井上円了センター年報

12

ページ

153-171

発行年

2003-07-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002744/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

哲学から宗教まての円了解

森川滝太郎

ミミ≧金ミ式ミごミさ 一 はじめに  井上円了︵以下円了と略称︶は、古今東西の哲学および宗教の系譜を幅広く研究し、それらの個別的な意義を 明らかにすると共に、その全容把握に立脚しながら、円了自身の哲学思想および宗教思想を多数の関連著作とし て世に問うている。そしてある時期に、円了は自らの思索の到達点を﹁円満完了﹂、略して﹁円︵満完︶了﹂す なわち﹁円了﹂という言葉、つまり自身の名前に模した言葉、を用いて表現している。この﹁円満完了﹂の中身 は、円了が哲学および宗教に与えた﹁解﹂である、と受け止めることができる。この﹁円了解﹂の具体的な内容 を円了の代表的な著作から探り、人類生存にとっての基幹的な指針を見出すことが本稿の目的である。  その際に、円了は本稿で取り上げる著書をどのような時期に刊行していたのかを対比させてみると、大略つぎ のようになっている。  ︹円了の著書の刊行年︺   ﹃哲学一夕話﹄     ﹁第一編﹂  明治一九年七月 153 哲学から宗教までの円fne

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   ﹁第二編﹂ 明治一九年一一月    ﹁第三編﹂  明治二〇年四月  ﹃哲学要領﹄    ﹁前編﹂  明治一九年九月    ﹁後編﹂  明治二〇年四月  ﹃純正哲学講義﹄ 明治二四年二∼九月  ﹃哲学一朝話﹄    ﹁第一編﹂ 明治二四年一一月  ﹃哲学新案﹄  明治四二年一二月 ︹円了の略歴︺  哲学館設立を計画   明治一九年春︵二八歳︶  哲学館を開設     明治二〇年九月︵二九歳︶ 第↓回全国巡講を開始 明治二三年一一月︵三二歳︶ 哲学館大学を退隠   明治三八年一二月︵四七歳︶ 154 二 哲学の解釈  哲学館の創立直前に当たる明治↓九年七月から明治二〇年四月にかけて刊行された﹃哲学一夕話﹄は三編から 成っていて、中道の哲学を中心に、思弁と演繹についての問答を対話形式で記述したものである。この著作の目

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的について円了は﹁序﹂の中で、﹁純正哲学は哲学中の純理の学問にして、真理の原則、諸学の基礎を論究する 学問というべし。これを論究するに当たり、心の実体なにものなるや、物の実体なにものなるや、物心の本源、 物心の関係いかなるものなるや等の問題起こる。故にこれを解釈してその説明を与うるは、純正哲学の目的とす るところなり。今、余はこの純正哲学の問題およびその解釈を、世の全く哲学を知らざるものに示さんと欲する をもって、ここに﹃哲学一夕話﹄の数編を著すに至る。﹂と述べている。  この著作に共通する考え方は、円満完了という概念である。たとえば第二編の中に、﹁けだし円了の義たる、 道理の円満完了するところにして、諸説諸論の回帰してよくその中和を得るものをいう。﹂の記述がある。  まず、明治一九年七月に刊行された第一編﹁物心両界の関係を論ず﹂の内容を見てみると、円了先生の門下生 二名による対話形式の問答から構成されている。門下生の名前は、円了と山水を組み合わせた円山と了水であ る。一方の円山が物界は心外に存在するとして物心差別論を唱えるのに対して、他方の了水は物界も心内に存在 するという物心無差別論を唱えている。  その中から、興味深い主張を見てみると、次のようなものがある。  ﹁世界はなお織物のごとし。時間その経となり、空間その緯となり、経緯の間に織り出だしたる千態万状の模 様は万物の変化なり。その変化の最小最短部分を占有するもの、我人の一生なり。たとえその人五尺の身体を有 し、五十年の寿命を保つと称するも、限りなき時間と、限りなき空間とに比すれば、その身槍海の一粟を余さ ず、その寿一瞬一息を待たざるものなり。﹂  ﹁我人の知るところの月は心の内にあるとするも、心内にその象を示すところの本体は心外にありて存せざる べからず。もしその存せざるにおいては心内にその象を現ずべき理なし。これを例うるに鏡面に月影を見るがご 155 哲学から宗教までの円了解

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      H   −   、      一   ∼  一     一   一   一   一    一  _   一   一 一    一   ’

r水

物心無劃 物界も 心内にあ

r先生

物心差別論 物界は 心外にあり

 卜H  (満完)ra)角♀ 差別と無差別は二者1司体  (一・物の表裏の違い) 〔図1〕物界と心界の関係 とし。鏡面にその影あるは鏡外にその実体あるによる。﹂  これら以外にも様々な主義・王張が交わされた後、その纏めとして 円了先生は次のように教示している。  ﹁無差別の心は差別の心によりて知り、差別の心は無差別の心に よりて立つ。これを例うるに一物に表裏の差別あるごとし。表裏の 差別あるをもって物あるを知り、物あるをもって表裏の差別を生ず るなり。表面を見て見極めれば裏面あるを知り、裏面を見て見極め れば表面あるを知り、表裏を見てその全面を検すればその体一物な るを知り、一物を取りてその外面を見れば表裏その別あるを知るべ し。﹂  このような物心の関係に関する円了の思索過程を図示してみたも のが︹図1︺である。  ついで、明治一九年一一月に刊行された﹃哲学 夕話﹄第二編 ﹁神の本体を論ず﹂の内容を見てみると、円了先生の門下生四名に よる対話形式の問答から構成されている。ここでは門下生の名前 が、円了と東西南北を組み合わせたものになっている。天神の存否 に関して、円東は唯物論を論拠として無神論、了西は唯心論を論拠 として無神論を主張しているのに対し、円南は物心の外に天神が存 156

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在するという有神論、了北は物心の内外に天神が存在するという有神論、をそれぞれ展開している。  その中から、興味深い発言を見てみると、次のようなものがある。  ﹁すなわち思想の海内に世界の現象を浮かべ、心性の鏡面に万物の影像を結ぶというに過ぎず、なお水中に月 を見、鏡裏に人影を現ずるがごとし。﹂  ﹁たとえ天地万物はことごとく思想内にありとするも、その思想内に起こるところの万物の変化はまた思想の 力の営むところなるが、思想はただその変化を想見するに過ぎざるにあらずや。これを例うるに水面に波の変化 を見るがごとし。その変化は水を離れて別に存するにあらずといえども、水自らこれを生ずる力なきは明らかに して、これ全く風の力による。﹂  これらを受ける形で、円了先生は﹁古今東西の哲理の本体は一にして二あることなし。﹂と断定している。ま た、このことに関連して、﹁心は能知能観の体なり、故にこれを主観といい、物は所知所観の体なり、故にこれ を客観という。主客は全く相対して起こるの名にして、主なければ客またなく、客なければ主またなきの理な り。﹂と述べ、﹁諸説を合体する﹁中﹂に真理あり。﹂という中道の思想を開陳している。  このような天神の存否に関する円了の思索過程を図示してみたものが︹図2︺である。  さらに、明治二〇年四月に刊行された﹃哲学一夕話﹄第三編﹁真理の性質を論ず﹂の内容を見てみると、これ も円了先生の門下生四名による対話形式の問答から構成されている。ここでは門下生の名前が、円了と天地およ び陰陽を組み合わせたものになっている。真理の基準となるものは何かという問題で、円天が思想の原則は外界 の経験であるとし、了地が事物の真非は思想で判定されるとするのに対して、円陽は真理の標準は物心の外にあ るとし、了陰は真理の標準は内外の中間にあるとする。 157 哲学から宗教までの円了解

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有神論

了 唯心無神論 心界の外に 天神なし

円了先生

唯物無神論 物界の外に 天神なし

   円(満完)∫の解 諸説を合体する「中」に真理  (哲理の総体の中点を保持) (図2) 天神の存否とその本体  その中から、興味深い主張を見てみると、 次のようなものがある。  ﹁世界はなお一大海洋のごとし。その波浪 の間に出没浮沈するものは我人なり。教学は なお一大船舶のごとし。その進路を指針して 方位を示すものは哲学なり。しかれどもいっ たん哲学理論の中位を失して、真理の方向を 誤るときは天地晦冥、日月光を隠して、我人 その船舶と共に非真理の海底に沈まんのみ。﹂  ﹁その争うや、あたかも暗夜に方の東西を 争うがごとし。旭日ひとたび出つれば、さき に争うところのもの全く一夜の迷路たるを知 るべし。今、哲学上論定するところの純全の 真理、ひとたびその光を放ちて道理界を照す に至れば、さきに争うところの是非の論は、 全く↓時の妄見に過ぎざるを知るべしとい う。﹂  ﹁かつそれ真非を判決するにはまずその標 158

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準なくばあるべからず。なお物の値を定むるに貨幣の標準を要するがごとし。﹂  その総括という形で、円了先生は有象界と無象界は不即不離であり、相対と絶対の合一が円満完了の解である と諭し、次のように判定を下している。  ﹁絶対門よりこれをみれば、一理平等にして事々物々、一として真ならざるはなし。相対門よりこれをみれば、 一理体の海面に千差の波形を現じて、始めて真非の差別あり。試みに庭前の雪についてその関係を示さん。雪片 の形象一ならざるも、その体ひとしくこれ水なり。これを同一の水体なりとみるは絶対平等の見にして、これを 数葉の雪片なりとみるは相対差別の見なり。しかしてまた水体を離れて雪片なく、雪片すなわち水体なるをもっ て、平等の見も差別の見もその帰するところ同一なり。﹂  このような真理の性質に関する思索過程を図示してみたものが︹図3︺である。  以上が対話形式による哲学の思索過程を表現した﹃哲学一夕話﹄の要約であるが、ほぼ同時期の明治一九年九 月に﹁前編﹂が、翌明治二〇年四月に﹁後編﹂が刊行された﹃哲学要領﹄は、哲学史の体系的把握を中心に記述 したものであり、時期的に﹃哲学一夕話﹄と表裏一体の関係にある。この中で円了は、哲学は無形質のものを論 究する全体的な学問であるとし、次のように論述している。  ﹁インド哲学をシナ哲学に比すれば一層高尚深遠にして、ギリシア哲学といえども理想の論究に至りては、け だしその右に出つるあたわず。﹂﹁ギリシア季年の懐疑学は哲学世界日没のときにして、人みな眠りに就かんと す。ローマより中世を経て近世に至るの間は暗夜のときにして、人みな夢裏に迷う。﹂﹁しかりしこうして、第一 七世紀の中年に至り長夜の暗夢にわかに覚し、千里の迷雲たちまち散じて、再び思想界中に青天白日を見るに至 りしもの、あに偶然ならんや。﹂﹁しかれどもその論ずるところ、なお中点を保持することあたわずしてその両端 159 商学から宗教までの円了解

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円天 了陰 験準、七 経標物 可了先生 天神理体論 標準は 物心の外 了地

  円(満完)了の解 相対標準と絶対標準の合一 (有象界と無象界は不則不離 〔図3〕真理の標準の性質 に動揺することあるは、未だ哲学の最高点に 達せざるによるや明らかなり。﹂﹁哲学の組織 は有機体の組織を有し、その発達は三断法の 規則に従うゆえんを述べたり。﹂  哲学を巡るこれらの歴史は、円了が後に自 己の新しい哲学を構築する伏線となってい る。なお、三断法の規則というのは、正断、 反断、合断から構成されるものであり、今日 でいう弁証法の正︵定立︶、反︵反立︶、合 ︵総合︶に対応する。  また、円了解に関わってくるところでは、 次のような記述がある。  ﹁物と心とはあたかも一感覚の体に内外の 両面あるごとく、その内面に集まるものこれ を心と称し、その外面にあらわるるものこれ を物と称するなり。﹂﹁相対も絶対もその体同 一にして、心も物も、象も体も、みな一境中 にありて存するをいう。しかして物心体象の 160

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別あるは、無差別中に差別を現ずるによる。なお一体の物に表裏の差別あるがごとし。﹂コ部分にして全体、全 体にして一部分なるは二元同体の原理にして、例えば我人の眼は宇宙の一部分にして、またよく宇宙の全象をそ の中にいるるがごとし。一物一心は理想の一部分なれども、またよく理想の全体をその中に含有すべし。﹂  また、次のような記述は、円了によって後日提起される新しい哲学の骨子に繋がっている。  ﹁物質不滅の理法に考うるも、勢力保存の理法に証するも、一事一物みな他物と連接して同一体の関係を有し、 一を減ずれば全組織ことごとく破滅すべき理あるを見る。﹂﹁事々物々は外延上互いに相異なりて、内包上同一な り。﹂﹁進化もその極点に達すればまた溶化し、溶化もその極点に達すればまた進化し、互いに相循化してやまざ るなり。﹂﹁インドは虚無に流れ、シナは実際に傾くの風あり。ドイツは演繹を本とし、イギリスは帰納を本とす るの勢いあり。孔孟は人道、老荘は天理、イオニア学派は物理、イタリア学派は純理、経練学家は感覚、論理学 家は思想をとりて、互いに他を排する等みなおのおのその一僻あり。﹂﹁これらの僻見を除きて中正を得たるも の、ひとり二元同体論あるのみ。故に二元同体論は、哲学諸論中ひとり完全を得たるものというもあえて過言に あらざるなり。﹂  この﹃哲学要領﹄を補足する形で明治二四年二月から九月にかけて刊行された﹃純正哲学講義﹄は、哲学史の 総合を中心に記述したものであるが、この中で円了は哲学と宗教の対比に関して、次のように述べている。  ﹁学問の起源は宗教の起源なり、哲学の起源は理学の起源なり。理学も哲学も宗教も同一の源泉より発し、よ うやく流れようやく去りて東に向かうあり、西に進むあり、北に分かるるありて、諸学の別を生ずるなり。その いわゆる源泉とはなんぞや。曰く、人心中に疑罹の念あるものこれなり。﹂﹁学術は理論なり、宗教は実際なり。 学術上考究して得たるところの真理を実地に応用して、その心に安心を営むは宗教なり。﹂ 161 哲学から宗教までの円了解

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﹂二 宗教の意義  その宗教について、円了の考え方を如実に開示したものとして筆頭にあげられるのが、哲学館創立の年にあた る明治二〇年二月に刊行され、円了の代表作の一つとされる﹃仏教活論序論﹄である。この中で円了は、日本の 特産で西洋にその類を見ないものは極めて少なく、政治、法律、軍制、教育、理学、工学に至るまで、殆どの供 給を西洋に仰いでいるとしたあと、仏教低迷の状況を危惧し、その活力復興を意図しながら次のように記述して いる。  ﹁一物の生ずる必ずそのよりて生ずる原因あり、一事の起こる必ずそのよりて起こる事情あるは理のもとより しかるところなり。もしこれに反し、因なきに果を生じ、事情なきに事物の起こるあらば、物なきに物を生じ、 力なきに力を生ずることあるべし。これ全く物質不滅、勢力恒存の理法に反するものなり。故に仏教の因果の規 則に基づきて成仏の理を談ずるは、今日の学説に符合せるものというべし。﹂  円了が仏教は理学の源泉であると同時に、理学との乖離のない深遠な宗教であると位置づけていることは明白 である。言い換えると、理学を宇宙の真理を反映するものと受け止め、それを人間救済に繋がる仏教活性化の挺 子に活用しようとの考えであると推察できる。  さらに、明治二六年四月に刊行された﹃教育宗教関係論﹄において、円了は理化学進歩と宗教の関係につい て、﹁もし理学もその広き意味によりて有形無形を統括すという説に従わば、教育は理学に属し、宗教は哲学に 属すというべし。この区別によれば教育は可知的の範囲において成立し、宗教は不可知的に関係して成立するな り。今これを心の上につきていえば、教育は人の成長とともに次第に変化する心象に基づき、宗教は始終不変な る心体に基づく。﹂と述べている。 162

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 ﹃仏教活論序論﹄の約四年後の明治二四年一月に刊行された﹃哲学一朝話﹄は、宗教論を中心に﹃哲学一夕話﹄ と同様の門弟間の問答を対話形式で記述したものである。円了の門弟一二名が問答を繰り広げているが、その名 前は円了と日月、雲雨、雷電、禽獣、草木、金石の組み合わせになっている。それぞれが宗教の本義について思 うところを述べあう形で問答が行われ、以下のような含蓄のある表現がなされている。  ﹁ああ、我人のごとき神仏の日光を仰がざれば、いかにして苦海の中に楽岸を見んや。宗教の風力を借らざれ ば、なにをもって世路の上に迷雲を払わんや。実に宗教は転迷開悟の法なり、神仏は安心立命の体なり、けだし これ世に一日も宗教なかるべからざるゆえんなり。﹂  ﹁社会は白昼なお暗夜なり。我が輩この冥々の中にありて、いかにして真理の明月を見んや。しかるにひとり 宗教の孤灯のその間を照すありて、我人始めて暗裏をわたりて冥路に迷わざるを得るのみ。﹂  ﹁哲学は疑念を特性となすは、真理の都城に向かいて進むの駅路にあるによる。すでにその都城に達すれば安 楽の庭園に遊ぶより外なし。しかるにもし哲学は迷心を造出するのみにて、安心の結果なきときは世になんの用 あらんや、畢寛その学の疑いを階梯とするは、人の迷いを解き心を安んずるを目的とするによる。﹂  ﹁なかんずく、神仏の観念のごときは、即時直接に覚知する作用にして、あたかも目をもって色の黒白を弁じ、 耳をもって声の強弱を分かつがごとし。これを直覚作用と名付く。直覚作用は教育推究の結果にあらずして、天 賦の能力なること疑いなし。故に余は宗教心をもって天賦なりとす。﹂  ﹁宗教心はたとえ経験によりて発達するも、遺伝によりて成来するも、その原子本種となるべきもの本来存せ ざるべからず。あたかも麦の種子より麦を生じ、豆の種子より豆を生ずるがごとし。けだし人の心には宗教心の 原種本来存するも、これをして発達せしむるものは、経験遺伝の諸事情なり。故に経験遺伝は草木の発達に要す 163 哲学から宗教までの円了解

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るところの雨露日光のごとし。草木はこの諸事情を待ちて発達するも、その事情すなわち草木なるにあらず。し かして草木をして草木ならしむる原因は、その種子中に本来存せざるべからず。﹂  ﹁もし将来別に新宗教の起こることありとするも、これ一夢醒めきたりて更に一夢を結び、一病謝し去りて更 に一病を迎うるがごとく、やはり妄想界裏に一歩 歩を移すものに外ならず。﹂  ﹁畢寛かくのごとくその心泰然として生死禍福の間に動かざるは、自らこの世は一生を限りとし、そのきたる や浮雲と共に現じ、その去るや灯火と共に滅し、過去もなく未来もなしと固信して疑わざるによる。﹂  門弟たちのこれらの多岐に亙る発言を受けて円了先生は、宗教と哲学、あるいは可知と不可知はいずれも二に して一であると説いたあと、次のように裁決している。  ﹁なんじらは事物の表面を見る眼ありて裏面を見る眼なく、一隅を知る力ありて三隅を知る力なし。故をもっ てその論おのおの偏するところあるを免れず。そもそも宗教に無量の門あり。無数の道あるも、その本体に至り ては単一不二なり。この単一不二の本体は至大至高、至遠至微にして、宇宙より大に日月より高く、星辰より遠 く、元素より微なり。これを望むに望遠鏡をもってするも達せず、これをうかがうに顕微鏡をもってするも及ば ず。あるいは想像の帆を掲げ、あるいは推理の車に駕するもなお究め尽くすべからず。ここにおいて理学の羽翼 を張り、哲学の風雲に乗じ、嗣々臆々として四方上下より考索探求するに、知るべきがごとくにして知るべから ず、感ずべきがごとくして感ずべからず。﹂  ﹁いよいよ進みてようやくこれに近づけば未だ本城に入らずといえども、真理の光線四方に放射するを見る。 あたかも暁天未だ旭日を現せずして、まず空中に光線を見るがごとし。この光線を名付けてあるいは天といい、 神といい、理といい、道といい、正真といい、純善といい、至美というも、これみな]部分の形容に過ぎず、我 164

(14)

元蹴(

  ま可知 宗教は不可知 天、、 、宗 r宗教選択論、

宗教剃⇒

、一,N学は知力 \宗教は感楕 了電 宗●・ 哲並

 円(満完)了の解 宗教の本体は単一一不二 (表裏両面を見る眼が必要) 〔図4)宗教の本義と哲学との関係 人未だその本城に入ら ず、未だその実体を見 ず、あにあえてこれに名 称を付せんや。しかれど もすでに関門に迫り、す でに光輝を仰ぐ、あにそ の本城なきの理あらん や、あにその実体なきの 理あらんや。﹂  このような宗教の本義 に関する円了の思索過程 を図示してみたものが ︹図4︺である。 四 哲学と宗教の融和  明治四二年一二月に刊 行された﹃哲学新案﹄ は、物事は互いに相手を 165 哲学から宗教までの円了解

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含むという﹁相含の理﹂を中心に記述したものである。その序において円了はこの著作の経緯について、以下の ように述べている。  ﹁わが国ひとたび国禁を解き、泰西の文物を輸入せし以来、ここにすでに四十余回の春秋を送り、国運は鰻々 として世界を風靡し、東洋を圧倒するの勢いなるも、わが哲学界の現状は、今なお西人の膜尾に付し、欧米の糟 粕を甘んじ、翻訳受け売りこれ務め、ほとんど未だ一家独立の学説あるを見ざる状態なり。なんぞ意気地なきの はなはだしきや。余不肖かつ浅学といえども、心ひそかに憤慨するところありて、二十年前より独立の見地に立 ちて、西人未踏の学域に先鞭をつけんと欲し、多年研讃の末、ようやく一新案を考定するに至れり。すなわち本 書所説の輪化説、因心説、相含説等なり。これ西人未発の新見なりと自ら信ずるところなり。﹂  ﹁哲学は総合の学なりとは、先輩すでに主唱しきたり、これまた余の新案にあらざるも、先輩は口に総合を説 きながら、実際は局部の偏見を固執せり。かくのごときは決して哲学を完成する法にあらず。これを家屋を造営 するに例うれば、柱、礎、屋、壁、棟、梁等を総合して、始めて造家を落成すべきに、あるいは柱のみをもって 建てんとし、あるいは壁のみをもって造らんとす。その竣功を見難きは必然なり。故に哲学は名実共に総合の大 観によらざるべからず。﹂  以上のような経緯と立場から構築された円了の哲学は、観点を縦横、内外、表裏に移した考察によって成り立 っている。そこで、まず最初にこれら六種の観点を言い表した文章を例示的に引用してみると、次のような表現 が見当たる。  ﹁宇宙は縦観によれば輪化無窮なり、横観によれば相含無尽なり。﹂﹁外界より見れば、心界は物界より生ずる がごとく感じ、内界より観ずれば、物界は心界より出つるがごとくに覚ゆるのみ。心界は物界の中にありなが 166

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ら、物界また心界の中にあり、この関係を余は相含と名付けたり。﹂﹁無限の時方と吾人の理性とは畢寛相含相容 せるものとなす。﹂﹁絶対の彼岸より相対の此岸に通ずる一道なかるべからず。彼岸より此岸を観察し得る道理な り。これを裏観という。﹂  このような背景のもとに、それぞれ個別の観点について、以下に特徴的な文言を引用しておく。まず、縦観論 に関わるところでは、次のような記述が特徴的である。  ﹁宇宙の大法は、進化にあらず、退化にあらず、輪化なりといわざるを得ず。あたかも地球の旋転するがごと く、車輪の回転するがごとく、世界は縦に古今にわたりて輪転するなり。﹂  ﹁今日胎生学の報ずるところによるに、動物人類の初胎のときにありては、全く同一にして、なんらの差異を 見ず。漸々発育するに従い、次第に異同を生ずるに至るという。これすなわち初めに潜因の状態にありしもの が、漸々に顕因となるものなり。世界もこれと同じく、星雲の胎内に今日の一切万類、すなわち生物も無生物も 共に包有せらるるも、その当時は潜因の場合なれば、なんらの差別現象を見ることを得ざるのみ。﹂  ﹁もし宇宙を本位として考うるときは、現界と後界との間に連続する年月のごとき、これあたかも一夜の長短 にひとしかるべし。かつまた吾人が眠息して無意識の状態にあるときは、一時間も一日も二日もその差を覚え ず。もしひとたび死して真の眠息の状態に入るときは、一年も百年もないし千万億年も更にその長短を感ずべき 理なし。故に吾人が死して現界に永訣を告ぐるときは、長き一夜を眠る心地にて、安息して可なり。﹂  次に、横観論に関わるところでは、次のような記述が特徴的である。  ﹁例えば宇宙の大海が無始以来波動を自発し、一の波は更に他の波を起こし、漸々誘起して大小高低、千態万 状、無量の波形を開現し、その一波一動が因力を養成馴致し、ついに無数の因心を生ず。﹂ 167 哲学から宗教までの円r解

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 ﹁その因心に物質元素を招集して、ここに精神を開現するにおいては、元素その物に精神を発し得る理を具せ ざるべからざるゆえん、未だ明らかならず。これを例えるに薪を集めてこれに火を点ずれば、薪の上に火を発現 す。しかるときは薪その物に火を発する性を具せざるべからざるがごとし。﹂  ﹁なかんずく神経組織のごときは、最も有力なる元素が、最も巧妙なる配置を得たるものにして、名歌中の名 歌に比すべし。もしその配置の上に微小の変動を与うるも、たちまち全体の生命を失うに至るは、一字の移動が 名歌を殺すと同一般なり。﹂  次に、外観論に関わるところでは、次のような記述が特徴的である。  ﹁もしまた人ありて何故にかかる形式ありと問わば、実際かかる形式の存するが故なりと答えんのみ。それ以 上の説明は不必要なるべし。あたかも何故に吾人は今存するかの問いに対して、かく存するが故に存すと答えざ るを得ざると同様なり。﹂  また、内観論に関わるところでは、次のような記述が特徴的である。  ﹁吾人が茅屋の下に住し、破窓の傍らに座し、その室は両膝をいるるに足らず、その食は一箪を満たすに足ら ざるも、静座黙思して、理性の心眼を宇宙の上に放ちきたらば、掌中に日月を握るべく、胸底に乾坤を蔵すべ く、帽上に六合を載せ、靴下に三界を踏むべく、無限の海底にも出没し得べく、絶対の岸頭にも昇降し得べく、 高く宇上に出で、遠く宙外に遊ぶべく、宇宙の内外に雄飛闊歩するを得べし。﹂  ﹁そのときの吾人の心状は、東西を握り、古今を呑み、天地を巻き、彼我主客、物心内外のごとき一切の差別 観を超絶したる場合なれば、大虚もわが身をいれ難く、永劫もわが寿を算し難く、無限の方系を一寸に縮め、無 限の時系を一刻に畳み、無限の宇宙を一念に収めたる最妙極致の境遇なるを自覚すべし。﹂ 168

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 次に、表観論に関わるところでは、次のような記述が特徴的である。  ﹁もし理性の無限眼をもってうかがわば、時方両系を一心の所現と体達しきたるべし。しかるときは無限大は 一針孔中にはいるべく、無限劫は一電光間に縮むべく、重々無尽の輪化も一瞬一息と化し去るべし。ここにおい て最大の極と最小の極との一致を見、最長の極と最短の極との合体を知る。さらにこの理を推して一分子一元素 は、宇宙世界の胎内に収蔵せらるると同時に、宇宙世界は一分子一元素の嚢底に包括せらるるがごとき相含ある を知るべきなり。﹂  ﹁この因心吸集の状態は、これを例うるにあたかも一年草が秋霜のときに枯落して、種子をとどめ、その種子 が翌春を待ちて再び発生するがごとく、吾人の霊魂もまたしかり。現界一生問の一言一行が、霊魂の自体に薫習 し、過界より伝来せる旧因に、更に新因を付加することとなり、旧新相合して新因心を生じきたるべし、これす なわち種子なり。﹂  さらに、裏観論に関わるところでは、次のような記述が特徴的である。  ﹁知情意の動波全く静定し、理性の霊動も休止せる場合に、心海最も深き所、あるいは心天最も高き所より一 閃の霊光を照受するがごとき自覚あり、あるいは一声の天籟を聴取するがごとき感応あり、これを一如内動の消 息という。﹂  ﹁しかるに哲学界の諸家が、多く理性の作用をもって宗教の真理をうかがわんとす。これあたかも目をもって 味を判ぜんとするの類にして、愚もまたはなはだしといわざるべからず。﹂  ﹁人体には眼官と舌官とあるがごとく、人心にも理眼と信舌あり。理性は眼をもって見るがごとく、信性は舌 をもって味わうがごとし。絶対一如の外相を望見するは理眼の力にして、内情を感知するは信舌の力なり。一は 169 哲学から宗教までの門r解

(19)

多年の研鎖

に基づく解

裏観 表観 (図5〕 哲学から宗教までの円了解の構図 絶対の真相を認め、一は一如の妙味を感ず。 この二者を総合しきたりて、始めて宇宙本体 の全相を真実に開示し尽くすこと得べし。﹂  このように論を進めたあとの最後のところ では、﹁故に人生のことも理性は冷ややかに して水のごとく、信性は暖かにして火のごと く、その性質全く相異なるも、互いに相融和 し、共に建設的となりて世間を利することあ たわざるにあらざれば、哲学と宗教との相融 和する道を講ずるを急務とす。﹂との総括を 行つている。  以上の全体が、円了の多年の研鐙に基づい た正に﹁新案﹂としての哲学解であり宗教解 であると結論付けられる。このことを図式的 に示したものが︹図5︺である。 五 おわりに  ﹃哲学一夕話﹄ 三編ならびに﹃哲学一朝話﹄ 170

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一編に登場する門下生の命名の仕方の根底には、哲学館学生に対する訓辞を纏めて大正五年五月に刊行された ﹃哲窓茶話﹄の中の一節、﹁釈迦の知はそのいわゆる日月なり。孔子の徳はそのいわゆる雨露なり。ソクラテス の識はそのいわゆる山岳なり。カントの学はそのいわゆる海洋なり。その知はわれを照らし、その徳はわれを潤 し、その識はわれを護し、その学はわれを擁し、わが父となり、わが母となり、君主となり、師友となり、日夜 われを愛育撫養せり。﹂との意識も強く働いているのではないかと推察される。  また、論の進め方は、一貫して﹁中﹂の思想を拠り所とするものであるが、それ自体が対話手法で真理に到達 しようというソクラテス流の姿勢に通ずるものが多いし、さらにはへーゲルに至る弁証法の論理展開に繋がると ころも大きい。  いずれにしても、哲学から宗教までの円満完了に至る井上円了の思索過程、すなわち﹁円了解﹂の具体的な内 容は、一言で表現するとすれば、どちらか一方に偏らない厳正中立な思考の精華であると言ってよい。換言すれ ば、今後の人類全体の生存にとっての指標となり得る部分を最大限に集約したものであるとも言える。 171 哲学から宗教までの円了解

参照

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