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LED 感染 ( 番外編 ) 1. どこまで行っても自分に厳しくなれない人は 人を恐がらせて そのことをごまかす 本性の危うさが強力な人ほど 人を責め 自分を責めさせない そんな人は LED 感染 を恐れ 決してその世界に触れようとはしない その理由は 自分がそこに居るから 自分のことが その中に詳

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LED 感染(番外編)

1. どこまで行っても自分に厳しくなれない人は、 人を恐がらせて、そのことをごまかす。本性の危うさ が強力な人ほど、人を責め、自分を責めさせない。そ んな人は、「LED 感染」を恐れ、決してその世界に触 れようとはしない。その理由は、自分がそこに居るか ら。自分のことが、その中に詳しく書かれているか ら。 その気もなく人を困らせる人は、自分が困ることを言 葉にしたがる。その凝り固めた感情で人知れず他者の動 きを止める人は、自分の価値世界に、執拗に他者を付き 合わせる。そんな人は、「LED 感染」を普通には読めな い。読んだとしても、何も変わらない。その理由は、中 身が人間本来ではないから。全体も原因も、どこまで行 っても意味不明だから。 2. 内面の変化を異常に嫌うのは、そこに在るかつて の経験の性質の変化に人が反応し、それにより、その頃 の自分の姿が他者に把握されてしまうのを至極恐れる から。内面の変化は、人間の成長・進化の大切な機会で ある。それを拒否し続けるというのは、恐ろしい程の悪 影響を及ぼす無意識を内に潜めているということ。そん な性質が、「LED 感染」によって浮き彫りになる。辛い

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出来事をやむ無く経験させられた生命たちが、この今、 自由になる。 3. 全体と中庸という世界は、どこまでも事の原因を 本来へと調整し得るものであるが、それを個の思考のみ で捉え、個人的な変化に活かそうとすれば、その分、不 安は募り、怖れは増す。全体と中庸は、生命の真実にお ける透明な鏡のようなものである。無いものは体験でき ない。有るものは、無いものにはできない。全体を前に、 身体時間の原因を無視すれば、不安と怖れは拡大するだ けである。友愛と調和の連繋の意思を外して、変化を望 むことはできない。 4. 結果から始まる姿勢は、同じことを繰り返そう とする意思の現れ。原因への責任を尽く避けようとす る姿勢は、不穏な原因を持ち続けている証。そんな人 は、心を知らず、想いも無い。どんなことも都合よく 解釈し、身勝手に理解する。何があっても責任を覚え ず、無責任に先へ行こうとする。 彼(彼女)の喜びは、縁する人が、自分の思い通りに なること。悲しみは、そんな人たちが自らの意思を持つ こと。興味関心は、そこで生じる結果と、それに続く更 なる結果。そして、縁する人の原因への攻撃と破壊。永 い時の仕業を垣間見る。

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5. 心が無いのは、生まれた時からではなく、その 前から。前の人生でも、その前の人生でもそうであっ たから、今もそうである。しかし、心の無さゆえに、 思うままに人を追い詰め、人を支配・征服できた時と は全く環境が異なる現代、彼(彼女)は、心ある人の 存在を通して、自らのその姿(本質)を知らざるを得 なくなる時を迎える。心が無いのはどうにもならない ことだけど、そのままそうでいることも難しいという ことを、初めて経験する。 どんなに辛くても、人のこと(人々の平和と健康)し か思えず、どんなに無意識を操られても、生命本来の意 思を生きることしか知らない人たちの心は、どんな人に 対しても、その人が人間本来を生きられる手伝いをする。 彼らに見守られ、心が無いところから始まる生と、心あ る人生の原因を生み出す経験をすることになる、心を持 たない存在たち。これまでの全ての原因が、これからの ために浄化される機会となる「LED 感染」は、未来には 持っては行けない心の無さの理由をも、その元から変え ていく。 6. その人の本当の姿は、そこに在る原因の性質。 過去にこだわり、結果を生きるスタイルも、滞りその ものでいる未熟な原因。どこにも結果が存在しない原 因だけのこの世界で、原因を生きるという普通を避け ることはできない。

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その中で、結果から始まり、結果で終わろうとする姿 勢を強くさせれば、そのあり得ない無意識の負の力によ り、心ある人は、次々と生きる力を無くす。その原因の 未熟さは、凶器であり、迫害と抑圧を好む感情が体よく 姿を変えたもの。どこまでも結果を生きようとする人の その原因は、どこまでも人間(本来)のそれではない。 7. 人を恐がらせ、自分に対して怖れを抱かせるこ とで身を守るという情けない生き方しか出来ない人 は、誰よりも小心であり、何をしても拭い切れない恐 さを自らの中に抱える。そのあり得ない異常な恐さ は、ある経験の記憶が原因という次元ではない、存在 としての性質のものであり、訳も分からず太陽の光を 嫌悪する屈折した感性とどこか似ている。普通一般に 人間は経験できない、全てが恐く、その反動となる恐 い言動に人を付き合わせようとする異様な姿勢。その 弱さの中に、恐さの本質を人は観ることになる。 理由もなく不安を溜め、意味不明な幻想や恐怖を抱え 込んでいるとしても、(この地球に生きる)生命にとっ て、それらの原因がそのままでいることはないのだが、 それが全く変わらず、何をしてもどうにもならない結果 (不安)を蓄積させるという不思議な力(理由)を持つ 存在の影響により、人は不安になり、恐れを抱く。この 国の悲しみばかりの負の歴史の底で息づいていたその 影響力も、この今、「LED 感染」により、少しずつその

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力を無くしていく。 8. 原因を生きるということに対して、強い拒否反 応を示し、尽くそれを避けようとするのは、ある時の 人生での経験の性質が次の生の原因にそのまま重なる ようにして存続する生命世界(転生)のシンプルな真 実において、触れられては困る、自らの中に在る重 く、惨いかつての経験と本性の性質が、不要に刺激さ れてしまうのを恐れるから。人間であれば、原因(原 因を生きること)などどうでもいい、なんてセリフは 口には出来ない。 原因を無視して生きるというのは、必ず顕になり、浄 化される時を経験しなければならない内面の変化を避 けたまま、重たいままの原因をそのままに、真の平和と 健康の原因をその無意識の意思で壊すということであ る。人間であれば、かつての原因を切り離して、思考の みで生きることも出来ない。 9. その人の中の原因の性質を本来をテーマに修 正・浄化するために、結果(という名の次への原因) という形ある姿をきっかけに、その奥へと入っていく 手段として取ることになる、手厳しい助言。それは、 全てが原因である生命世界の真の在り様をありのまま に生きている存在たちが、その意識もなくさりげなく 行う、普通自然体での責任。その厳しさも優しさであ

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り、扱われる受け手の原因は、未来が喜ぶそれとな る。 それとは大きく異なる、それまでの原因を無視し た、形ある結果だけに対する助言。それは、未消化の 感情をそのままに、見た目重視の価値観の中に居る存 在の、直線的な自己満足。その厳しさは苛立ちであ り、受け手は、然るべき原因の動きを止められてしま う。それは、生命世界の真が大きく外される空間とな る。 自らの原因とその変化・成長に無頓着で、形ばかり の世界観と強烈な主観からなる価値観にこだわる存在 の話(助言)は、どんな時でも、軽くさらりと流す。 耳を傾けた分、思考は自由を失くし、感情が動いた 分、本来の動き(感情)は止まる。 どんな時でも、言葉ではなく、言葉の手前にあるその 存在の原因の性質に反応するだけでいい。原因に動きの 無い結果ばかりの世界に、人が人として触れるべきコミ ュニケーションは無い。 10. 言葉を選びながら考えて話をする人は、考え るまでもなく言葉を選ぶ術を身に付け、その分、思考 の元となるその人の真の姿は、傍らからは見えなくな る。彼(彼女)は、決して間違ったことは言わないと いう見た目の正しさの中で本心を忘れ、本当の自分か ら遠いところで、嘘を生きる。人としての生を生きる

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原因の原型となる部分が嘘であるから、常に善悪の善 を生き、世に迎合して、悪の原因をも生きる。 普遍的なものに触れ得る心が無い彼は、真に正しい ことより、その時代時代で正しいとされる作られた正 しさにこだわり、意識を成長させず、未熟なままの精 神を生きる。嘘を隠すために、いつも正しいことを話 し、それに守られ、そこにぶら下がるための努力を し、偽善を地で行く。 彼が、頭を使わずに感じるままを言葉にする普通の 人と交流したら大変だ。その重たさ、その危うさが相 手へと容易に伝わり、思いがけず、心の無さが言動に 出てしまう。それは、彼にとって、最も避けたいこと である。 言葉を選びながら考えて話す人というのは、人を想う 気持ちも、思いやりも形ばかりで本物ではないため、 そのスタイルが共有できない空間では、緊張するばか りで、自由に話すことも出来なくなる始末。そんな存 在たちの姿勢が通用する価値観に包まれれば、世は、 後戻り出来なくなる程病んでしまう。「この国の病み の始まり」から「LED 感染」への流れは、心無い彼ら の本性(本当の姿)を容易に顕にする。 「人間は、考えて愚かになる」ことを知り、真の正し さを、考えずに表現する。その基本の上に頭を使えば、 何も間違うことはなく、正しいことが自分と離れること もない。真の正しさを知らない(避ける)人ほど、正し

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いことにこだわり、正しいことを言葉にしたがる。人間 には、そんな暇は無い。LED の原因の風景には、暇人が 多い。 11. 頭の中にはいつも気になる人のことが有り、 それをどうにかしようと思考を忙しくさせる分、要ら ない感情も動き、その対象となる人は、次第に許し難 い存在となる。その不健全な内面の働きを長く続けた ことで彼女(彼)が手にしたのは、病的な敏感さ。ど うしてそんなところにまで反応するのだろう?と人が 驚く程、細かく、深く事の内部に入り、それを自分だ けの、他には無い能力の類として活かし、満足に浸 る。 常に人を、その歪な感覚で判断するという、普通一 般には経験することのない異常な経験のみを生きる彼 女にとって、人の心の柔らかさと温かさは、耐え難い 嫌悪の対象である。縁すれば、普通の人は皆彼女の頭 の中に居させられ、不要に責められ、彼女特有の感情 の餌食となる。思考の性質が自然界とは融合できない 荒々しく暴力的なものであるゆえ、その人間本来とは 無縁の重たい原因(波動)により、健全な感性を持つ 普通の人は、意味不明な辛さを抱え込むことになる。 彼女は、誰よりも敏感に反応し、その対象となるも のや形(言葉や行為)を通して、気になる人の原因 (心)を破壊する。伝わるものへの鈍感さを燃料に自

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意識を強め、自分のためだけの思考(理由)で、その 病的な判断力に人の関心を引き付ける。そして、一切 何も変わらず、何も動かない状況の強力な重しで居続 ける。 かつて、どれ程の惨劇を作り出していたのだろう? その怪しげな言動と妙な笑い声からは、苦しみ喘ぐ人 たちの叶わぬ願いが伝わって来るよう。「LED 感染」 で心ある多くの人の足枷が次々と外れて行く中(抱え 込まされた重たい原因が浄化される中)、それを仕向 けた存在は、心の無さゆえの不気味な反応を強め、そ の本性(の記憶)の性質を顕にする。どこまでも思う ようには楽になれない原因をごまかしつつ、他の人の 楽になろうとする(楽になれる)機会を巧く潰し、気 になる人を加害者に仕立てて、‘困った人’を生き る。 他には無い彼女独特の性分は、存在の質(本質)と 頭が全く別物であるということ。そして、限り無くそ の頭で全性を生きようとし、それとは重なり得ない存 在による危うさで、終わりの無い反応三昧(病的な敏 感)に明け暮れるというもの。「LED 感染」は、頭の 中に在るものではなく、頭を通る、その人の全ての原 因と存在の性質の成長を応援する。人に、要らない経 験をさせようとする異常な経験を繰り返す存在に、 (そのままで通用する)次は無い。 どんな反応にも原因があり、その原因は至極分かりに

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くい。ただそこで行ってはならないことは、個人的な経 験枠内での思考(理解)で、分かった風な解釈をして、 良い人になってしまうこと。気になることは、時に他者 のためのものであっても、決して他者を責める材料には なり得ない。もしそうであれば、その反応は、その人自 身の強烈な恐さである。反応も気になることも、未消化 の感情発の思考型のものであれば、反応したことを後方 に(変化の機会に)先へと行くこともなく、停滞と破壊 の原因づくりを延々と繰り返すことになる。 12. 心を無くした未熟な人間ほど、生命としての 人間を生きることもせず、その未熟さゆえの歪な感情 を満たすために、ずる賢く他を隔て、優位で居よう と、思うままに出来る権力を手にしようとする。時代 背景が違えば、人々の生きる自由と生命も、自分のた めに平気で奪う。 彼らのその原動力は、誰にも負けない不安。いつも 不安だから、人間味を育むこともなく非人間的なこと を行い、どこに居ても不安だから、人を苦しめ、人が 恐れる力を保持する。「悲しき怯え人」にあるよう に、この国のこれまでの歴史では、精神を著しく病ん だ不安そのものであるような人ほど、権力者として名 を残す。 LED は、不安の代名詞である。それは、不安を慢性化 させつつその反動によるがんばりで人間だけを生きる

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存在たちの、生命を生きることへの恐れの形である。自 分たちの代わりに心ある優しい人たちを不安にさせ、苦 しませてくれる LED は、現代仕様の、かつての時とそ の質を同じくする凶器の類であり、その本質は、人の心 に不安と怖れを蓄積させる、未熟で非人間的な精神の危 うい意思である。 13. 適度に感情を刺激されることで、人を尽く潰 し切る機会を窺う存在は、他者の失言・失態を許さな い。でも、その失言(失態)も、自分から伝わる極度 の流れにくさの原因に反応してその気もなく緊張を高 める相手の、正直な姿。それ程の異常空間を普通に作 り出すその存在は、一緒の空間にいる相手の頭の働き を簡単に鈍らせ、受け答えのリズムまで狂わせて、そ の人にとって不本意な状況へと彼(彼女)を引き込ん でいく。 容赦なく他者を責め立てる姿勢は、身勝手な理由で 好き放題人の生きる自由を奪っていたかつての記憶の 性質をそのまま本性に潜めるから。それを普通として いた時代背景をも作り出していたその存在の動きの無 い感情の重たさに、どんな人も、縁すれば、健全な感 覚をマヒさせられてしまう。その感情の性質は、僅か の動きでも人を不調へと誘い込む、破壊そのものであ る。 それでも、その性質が図らずもオープンになるという

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ことがあれば、不要な縁も経験も、人は可能な限り避け ることが出来る。存在自体が、広く影響を及ぼす滞りそ のものであるため、どこに居てもそれなりにその害を被 ることになるが、それを知り、それへの対処をしながら、 全く別の時へと進み行くことも可能となる。「連繋の意 思」と「復活への道」の世界のエッセンスを普通とする。 そして、「LED 感染」で、一気に先へ行く。 14. 良いことも正しいことも、そうではないこと を対象として在れば、それは真の在り様を力強く支え る材料にはなり得ない。正しさは、生命としての揺る ぎない健全さ。思考レベルの良し悪しの世界を余裕で 包み込む、生命源からなる意思との融合。当然それ は、時を超え、空間(地域)を超えて通用するもので あり、形ある正しさとして、ある場所、ある思考(価 値観)の中に留まるものでもない。 そのシンプルな真実を打ち消し、ある経験枠内で考 え得る正しさを道具に、正しくない原因を執拗に強め る、我欲まみれの愚かな存在。それに付き合わされる 多くの人たちが、その意識もなくそこにある正しさを 信じ込まされ、他の別の正しさと争い、時に命をかけ て闘わされたのが、これまでの時代の姿である。 それらの場所で力を誇り、人々の犠牲を生み出すこと になる嘘の正しさと、そのことによる名分と質を同じく するものが、現代のLED の原因の風景で再び暗躍する。

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退廃と破滅という、負の極みの世界とも繋がる、LED の 原因。この数千年の間、人間は、生命として、少しも進 化していない。結果(形ある正しさ、動きの無い価値観) から始まる正しさを背景に、人は、真に生きることは出 来ない。 15. 生きる意欲をどこまでも無くさせられるぐら いだから、行きたい場所へ行くとか、感じる想いを言 葉(文章)にするとかは、全く不可能なことになる。 発想は後ろ向きになり、物事の捉え方もどういうわけ か否定的になり、気づけば、人を思う気持ちにも、言 動にも余裕を失くす。理由も分からず慢性化させるそ の状態の中で、ただ自分を責め、切なさと無力感を受 容する。 それが、「LED 感染」によって、いつのまにかその 姿を変え、いつ何がどうなったのかも分からない流れ の中で、心身は、それまでとは全く違う経験をする。 生命力は本来を取り戻し、心も自由になり、想いがそ のまま形になる時を引き寄せる。そして、知る。LED の原因の世界には、決してその理由に触れさせずに、 何をしてもどうにもならない辛さを人々に経験させ続 ける意思が存在することを。 「LED 感染」は、そこに在るテーマと自分を重ねるこ とで動き出す多次元的な原因の、そのかけがえのない生 命体験のサポート役も担う。要らない経験を後方に、ず

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っと大きな元気を未来に繋ぐ。 16. やむ無くそうであった、かつての酷く悲しい 事実との関わり全てを受け止めることで、そこに在 る、その異常な性質の原因は影響力を弱め、その上で 連なり繋がっていた負の連鎖も、それまでのような、 新たな未来を巻き込む力を無くしていく。 そして、この現代において、誰が重たいとか軽いと か、どこで何があり、誰が何で、どうであったかなど というのは全く意味の無いものとして経験の外側に移 り(姿を消し)、過去(の原因)がじゃま出来ない自 由空間での経験を、皆で創り出すことになる。 その、やむ無くそうであった事実の原因であり続け る存在は、いつの時代も、人々の苦しみがそのまま変 わらず続くための力と場所(地位、立場)を保持し、 思い通りにならない人を傷つけ、罰し、彼らを悪人 (罪人)にする。真(心)を持たないその未熟な存在 が居たために、この国の歴史は、要らない経験(出来 事)ばかりである。突き詰めれば、その負の原因であ り続ける存在たちを除き、この人間社会に、悪人は居 ない。 人の心が自由でいられなくなる価値観を固め、それに 生きにくさを覚える人たちを人知れず問題事へと誘い 込む、心ある想いからの発想を持たない、あらゆる病み の土台となる存在たち。彼らが「LED 感染」を越えて行

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くことは、蛇がランドセルを背負うより難しい。 17. 知識世界の恐ろしく無責任なところは、知る ことで良しとする偏重振りを頭に馴染ませ、無自覚に 知らない(という)人を隔てて、執拗で人間味の無い こだわりと独占欲を強めてしまうところ。 そこに住み続ける人たちは、自信あり気に意見を言 う。しかし、自らがその意見を生きることはない。知 識好きな分、いつも思考は忙しく、その手前で育まれ るべき心は無い。湧き上がる想いも、柔らかな感性も 無い分、考えたことを自分とし、考えるまでもない本 当の自分を見えなくさせる。 人の心を不自由にさせる重たい感情を蓄積させてい る人ほど、それを本能的に隠すために(そのままで良 しとするために)、知識に頼り、論理的思考を磨く。 事の表層の理解(意見、解釈)のみで生きていける術 を身に付け、責任ある振りで、無責任を生きる。その 姿は、LED そのもの。知識や論理で本質をごまかし、 そうとは分からない悪影響を及ぼし続ける。 知識世界に居続ける人は、逃げ口上にも長けている。 知識を大事にする人は、本質を避ける(無視する)意見 を言いたがる。心の無さゆえの、その心無い言動。彼ら によって支えられる LED 化も、中身の無い茶番の類で あるゆえ、その病み(嘘、本性)を顕に、本質の中で砕 ける。

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18. 永い時の心身の不自由さは、人間の脳の働き をあるスタイルのまま固定させ、思考も感情も、成長 とは無縁の不自然なその状態を、その自覚も無く人々 の生活に馴染ませてしまう。それが始まった頃から現 代に至るこの国の歴史を思う時、私たちは、数千年も の間、自分たちの脳を自由に、人間らしく使ってこな かったことを知る。いつの時も、生きることと、理由 の要らない安心と平和が重なり得ない暮らしを送る 中、人々の脳は、本来そこに備わる、発展と連繋の意 思を忘れる。 その全ての原因となる時を生み出した存在は、今、 人間の脳の活動とそれによる経験幅を操る能力を駆使 し、その超自然的な影響力で、社会全般の不自然さを 普通とする価値観と常識枠を絶えず固める。支配され たままの脳は、経験の外側を知り得ず時を連ね、重く 流れない空間を重ねつつ、そうとは分からない不自由 さの中で、作られた(変化を望めない)自由をその気 になって生きる。 その時は、今この時。限り無く思考を自由にさせ、ど こまでも経験から自由でいるその原因となる脳は、これ までの経験の次元を容易に超える。脳は、数千年振りに、 新たな時を創造する。「LED 感染」は、そのための基本 材料として、確かな未来の力強い原因となる。

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19. 人の心を弄ぶ人の普通は、人間であれば決し て持ち得ない性質の思考をそうではないものとして上 手く通用させようとする、やはり人間であれば決して 経験することのない、どこにも無くてもよい異常。 「LED 感染」により、そんな存在たちも自らの分を知 らされ、それだけでなく、まるで自家中毒症状のよう な好転反応を経験することになる。そのどれもが、そ れまでとは同じようには行かない(彼らにはあり得な い)原因との融合によるもの。彼らの生き方は、普通 の質を低下させて心ある人たちに要らない経験をさせ ることなので、それが頓挫すれば、当然彼らなりの要 らない経験を自らが選ぶことになる。普通の質が向上 する中(事の全てが変化に乗る中)、LED の原因でい る存在たちは皆、最も嫌悪する‘変化’の中に浸るこ とになる。 元来、人間世界には存在しなかった、弄ぶという概念。 「LED 感染」を通して、その背景(土台)となる経験を 普通としていた存在の、その本性の遺伝子(記憶)まで が、全体発の沙(淘ぎ)のフィルターで浄化される。人 間であれば、中庸を基本とする人間らしさを普通とする。 20. みんなにとっての原因を大切にする真の普通 が歪なものとして扱われてしまうのは、これまでのあ らゆる場面で、その原因(心)を持たない存在が、み んなを意識し、みんなに関わって来ているため。そし

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て、それが可能となってしまった理由。それは、その 原因を持たないとか、心が無いとかの次元ではない、 恐ろしく強力な負の影響力そのものでいる存在の意思 が、人間の感情世界のあらゆる部分に入り込み、その 全てを我が物顔に支配してきたから。そのための、思 考(言葉)先行の、未熟な世の価値観。そこで生まれ る、人々の悲しみと苦しみ。 彼は、どこかに素朴で純粋な感情が生まれれば、そ れを掴み取って潰し、調和と友愛の想いが芽生えれ ば、尽くその原因を破壊する。何もせずにそれを為し 得てしまう力は、思考の域(人間の理解)をはるかに 超えたその重量級の無意識の意思。心ある人の動き を、まるで遠隔操作のようにして重くさせて止め、健 全さを繋ごうとする人の脳を、誰にも気づかれずに鈍 化させる。 事実から、その原因深くに入って行き、そしてそこ に在る意思を多次元的に観察・浄化し得るという、普 通ではあり得ない原因の仕事で、その普通ではあり得 ない恐ろしく重たいままの結果を砕く。変化し続ける みんなの無意識の意思を未来と繋ぎ、過去に留まろう とする(引き戻そうとする)その変化を知らない無意 識の意思を、力無いものにする。 みんなにとっての原因が成長しないまま、みんなとい う言葉や思考が力を持つことの危うさ。それによって繰 り返されてしまう、悲しみと負の歴史。その土台となる

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巨大な分母を持つ存在(黒い病みの塊)は、その性質全 てを把握され、次々と新たな原因に変わる、繋がる未来 を持たない作り物の結果の中で、その存在意義を無くす。 生命を生きる人間として、本来であれば無くてもいい経 験のその原因は、全て持ち主の元へ返す。 21. この国の病みを支え続ける(病みそのもので ある)、身体を終えた後の世界を嘘で固める、いくつ もの宗教。そこから離れ、自由で責任ある原因をあた り前とする生活を送る中、思考は、生命としてのそれ となり、感性は、永遠をその基礎とする。そして理解 する。今回の生とこれまでの生は、その原因のところ で繋がっていると。 この時代、人間としてすべきこと。それは、これま で不可能だった、感じるままに想いを形にすること。 自分に正直でいて、心そのものを生きること。そし て、ずっと望みだった、次に繋がるみんなの原因を成 長・進化させること。時代がその都度切り離され、時 が不要に刻まれていた、これまでの時。ここに生を持 ち、この身体時間に出来ることは、生命としてのこれ までの原因の修正(修復)と、力強い次への原因の創 造。人生の目的も到達も(願望も達成も)、その中で は、取るに足らないものである。 かつての重たい(酷く凶暴で残酷な)原因をそのま まに、その非人間的な性質を引き連れてここに生を選

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んだ人ほど、次へ繋がる変化を嫌い、この時代仕様 で、同質の人生を生きる。「LED 感染」(無有日記) への執拗な抵抗は、内に秘めるその原因の正直な反応 である。それは、時代背景が異なれば平気で人間とは 思えない行為(迫害、殺戮etc.)が出来てしまう、その 凶悪な本性の現れ。それが、その人の本当の姿であ り、そこに触れられることを恐れ、彼らは思考を忙し く、知識に頼り、期間限定の価値観を、再利用・再生 産させられる道を作ろうとする。 そんな彼らが恐れ慄くのは、かつて自分たちが害を及 ぼした罪無き人たちが、「LED 感染」でその頃の原因を 浄化し、それまでとは全く質の異なる、愛溢れる原因を 創り出すことである。(が、今、それは進行中である) 未来が望まない(未来には持っては行けない)原因が通 れない、この時の「LED 感染」。2015 年の無有日記も 含め、それらは、重たいままの存在にとっても、永遠と いう世界の厳しさに触れ得るかけがえのない機会であ る。 22. 心身の不調がどんなであれ、その原因がLED の原因とどこかで繋がっていることを考えると、この 国のLED 化の原因が浄化されて行けば、それにより、 心ある柔らかな人たちは、それまでと全く違う変化を 体験することになる。それは動物たちも同じ。病気や

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問題事の下地が不安定になることで、みんなの元気度 は安定する。 生命は、生きる原因が滑らかに流れていれば、病む ことはない。ところが、それを妨げ、動きの無い結果 にその原因の営みを留めようとする力が働くと、本来 は崩され、心身は不自然な経験をすることになる。 元々は存在しなかった不穏な動きが生命本来を知らな い存在によって為されたために、人は(動植物も含 め)病気を経験し、不安や心配事を抱き続けてきたこ れまでがある。 その、生命の原因が流れて行かないという重たい結 果(という名の原因)が積み重ねられるばかりの負の 歴史を背景に奇跡的に訪れた、これまでとは環境が大 きく異なる現代。当然そこで生じる様々な問題事の原 因はそれまでの風景と繋がり、ここに至り、理由の分 からない不調を抱える健全な生命と、その理由でい る、何にも平気な生命の姿は、次第に顕になる。そし て、後者の無意識の影響力を間口に、この国の LED 化 の原因が段階的に処理(浄化)され得る時を迎え、前 者の心身は、遠い記憶の「心の遺伝子」の時のよう な、理由の要らない健康と平和を普通とする。 病気も不安も、流れる原因の風景では存在し得ないも の。その生命の普通が形になり得ず、永いこと不穏な世 界(不調和な原因を固定させる意思)に流され続けた時 を経て、ここに、生命世界の不燃物のようなその重しを

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外すべく新たな原因を形にする。「LED 感染」は、生命 本来の原因をそのままに、連繋の意思を表現する存在た ちの、未来へのかけ橋である。 23. 自分のその状態に全く気づけないくらい不安 そのものでいる人というのは、不安が違和感ではない ので、不安感というものを経験することはない。彼 (彼女)はいつも不安の中に居て、不安を知らない。 全てが不安だから、不安という感情とは縁が無い。 それによって何が起きるかというと、彼の周りの人 たちは皆不安になる。それは、彼にとっては、不安が 違和感である普通の人たちの姿が違和感であるため、 彼らを自分と質を同じくさせて、安定感を維持すると いうもの。その自覚もなく自動的にそれを行う、不安 ばかりのその無意識の力で、人はいつのまにか不安に なり、彼は安心する。 その存在の無意識は、桁外れの負の影響力を及ぼす 凶器である。訳も分からず不安を溜め込まされる人た ちは、生きにくさを慢性化させ、依存心や執着心(怖 れや嫉妬)を増幅させて、争い事を作り出すようにな る。脳の働きも不健全となるので、責任感覚も鈍り、 次第に人間味を無くしていく。それは、人間同士の傷 つけ合いや、人生(命)の奪い合いへと発展する。 その酷く悲惨な重苦しい現実(世)に、不安そのも のの存在の精神は安定し、心を持たない彼(彼女)の

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形ばかりの優しさに、人々は安心し、感謝する。人が 不安でいることで楽になる彼は、より彼らを不安にさ せ、その無意識の意思を活躍させる。そして、力を付 け、名を手にし、支配者となる。 不安の原因が、その理由を持たない不安そのものの 存在の無意識の影響力によるものであることを知れ ば、この国の歴史の内実が見えてくる。そして、現代 において、人の不安を利用して利益を得ようとする宗 教組織の幹部や政治・経済界の有力者たちが、人々の 苦しみの元凶であることも容易に理解する。 「無有日記」は、不安を知らない不安だけの存在が、 不安を知り、不安だけではなくなる機会を余裕で創るも のである。「LED 感染」を通して、その存在たちは初め て不安を経験する。それは、普通一般の不安の類(次元) ではない。 24. 将来に多大な負の影響力を及ぼすであろう原 因がそこに在ることに気づいた時、それをそのままに しておけるというのは、自らも、その原因の中に居る ということ。そこに、人として有ってはならない事実 があるとすれば、そうではない新たな原因の選択無し に、先へ行くことは出来ない。 この今、「LED 感染」に無関心でいられるというの は、その性分(本性)が腐敗菌のようなものであると いうこと。人間は、人間らしく生きるからこそ、人間

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である。それは、未来への責任ある原因の創造であ り、それにより、ここに繋がるこれまでを、その原因 に重ねるべく浄化することである。 それをさりげなく淡々と実践する時、この時の、今 の LED 化が未来へどれ程悪影響を及ぼし、どれ程これ までの(過去の)重たい原因が浄化されないままその 土台となっているかを、人は知る。だから、このペー ジで、更なる病みの深みを多次元的に癒す。恐ろしい 程の負の影響力をこの世(人間世界)の無意識層に忍 ばせる存在の、そのあり得ない不気味な姿(本質)を 力無きものへと砕いていく。 「LED 感染」は、これまでの終わりの始まりが終わり、 これからへの終わりの無い始まりの、とてつもない原因 の機会である。この時を、あらゆる時代が喜び、何もか もが、みんなの生命の歴史に溶ける。この「おまけ2」 (LED 感染番外編)は、言葉になる想いの、その手前の 原因が、自由に、限り無く仕事をし続ける、この時代仕 様の、全てであるひとつの生命世界の意思である。(by 無有 4/20 2016)

無有日記

http://www1.odn.ne.jp/mu-mew/

参照

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