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タイ国近代化の社会・文化的背景と教育的課題 [Socio-cultural Background and Educational Needs for the Modernization of Thailand]

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タイ国近代化 の社会 ・文化 的背景 と教育的課題

森 口 兼

Socio-culturalBackgrotLnd andEducationalNeeds for theModerni2;ation ofThailand

by KenjiM oRIGUCHI

1

論 文 の 目 的 ひと くちに,東南 ア ジア諸 国 とい って も, それぞれ が異 な った伝統 を もち, 多様 な発達段 階 にある。 けれ ども, いま これ らの諸国が 目指 して い る大 きな 目標 の一致点 は, 自国 の産業を始 め とす る生活諸領域 に,近代 的な科 学技 術 の成果 と合 理的な態度を適 用 して,国をつ くりかえ る こと,す なわ ち 「近代化」で あ る。 「開発途 上 の国 々」が近代化を推進す るため の条件 を 自国 に定着 させ る上 に, もっとも基本 的 な課題 のひとつ は,近代化 の担 い手 とな る人間を 自国民 の中に形成 してゆ くことで あろ う。 この小論 の 目的 は,近代化を考 え るに必要 な社会 ・文化 的 背 景 に 関 す る変数群 の図式化を読 み, この図式を タイ国 に適 用 して, 「人間 の形成 と変容 を通 じて の近代化」 とい う上述 の基本 的 な社会 的要請 の前 に, タイ国 の教育 が直面 して い る現状 と問題点 を整 理す る ことで あ る。

2

近代化への接近 法 1) 近代化 の レデ ィネスの多様性 世 界諸国 の近 代化 は, それぞれ異 な った条件 を背景 に,多様 な過程を経 る歩みで あ った。比 較を軽卒 に行 な うことはで きな い。 だが また, 多様 な近 代化過程 には,産業革命 に象徴 され る 共通性 があ り,比較 のため の必要 な着眼点 や変数群 を想 定す る ことはで きる。 タイ国を考 え る 準備 と して, 日本 の ことか ら考 えてゆ きた い。 明治以来, 日本 国民 自身は,つ ね に欧米 的水準- の 「末到達 感」 において, 自国 の近代化過 程 や段 階を意識 して きた。 けれ ども,国外 か ら日本 の近代化を間期 にす る論点 は,次第 に, そ

(2)

姦 し」:タイ国近 代 化 の 社会 ・文イヒ的背 景 と教 育的謙虚 の未 到 適性 にお いてで は な く, む しろ 日本 が 欧米 諸 国以 外 の国家群 に お いて 「例 外 国 」で あ る とい う,現 代史 の 「奇跡 」 や 「驚異 」 の対 象 と して取 上 げ られ る こ とが 多 くな って い る。 欧米 が 「後 進 国」 を見 守 って きた 目は, 西 洋文 明 の成 果 を異 質 の土壌 に移 しか え,実 を結 ばせ る こ とが, どの程 度 に, また どの よ うな経 過 で 可能 か, とい う 「目」で あ った といえ よ う。 この 「目」 が 日本 を 「驚異 」 と見 るので あ る。 また, この 「目」 が他 の低 開発 諸 国 に対 す る, 日本 の 「モデル性 」 を提 唱 させ る ので あ る。 で は, 奇 跡 と さえ いわ れ る 「日本 の近代 化 」 は, ど うい う既 存 の レデ ィネ スや変 数 群 の結 果 な ので あ ろ うか。 経 済 学 者 シュル ツ (T.W .Schultz)博 士 は, 彼 の著 書 の 日本 語 版 に次 の よ うな序 文 を よせ て い る。 「い まや 経 済 学者 に と って, 日本 の経 済 成長 は ひ とつ の古典 に な りつ 1) つ あ る。 - - 日本 は工 業 化 の先 頭 に立 つ に有利 な条 件 を な に ひ とつ そなえ て いな か った。 」 そ して必 要 な天 然 資源 に もめ ぐまれず , 土地 や鉱 業資 源 に くらべ て過 大 な人 口を か か え なが ら国 民 所得 のめ ざ ま しい増 加 を もた ら した のは, 「近代 的 な施 設 にた いす る投 資 で あ り, 国民 の技

2

)

能 ・能 力 にた いす る投 資 で あ った

。」

と説 明す る ので あ る。 シ ュル ツ氏 は, 日本 の経 済 成長 を ふ りか え って, 「人間 が後 天 的 に獲得 した技能 や 能 力 は,

3

)

物 的資本 とな らんで , こん に ち の経 済 成 長 の秘 密 を解 くカギで あ る ことを教 えて くれ る

とい う。 だ が, シ ュル ツ氏 は人 的資 源 の重 要 さを何 も 日本 の分 析 に よ って,提 唱 した ので はな い。 ア メ リカの場合 も, 「国民 所得 を 生み 出す に使 わ れ た,土 地 ・労働 力 ・再 生 産 可能 な資本 ス ト 4) ッ クの合 計額 よ りも, 国民 所得 は, は るか に高 い増加 率 を示 して きた」 ので あ り, この不等 式 を 理解 す るには, も うひ とつ の変 数 , 人 的資 源 が念頭 にお かれね ば な らぬ とい うので あ るO ま 5) た, 他 の著 書 で も, 彼 は経 済 学 者 の習慣 的 な生 産 要 素 に関す る二 つ の部 分 と して 寸土地 ・労働 力 ・資 本 や と や技 術 変 化 やを あげ , この技 術変 化 とい う 「生 産 的要素 の組 合 せ 」 を 一語 で表 現 した概 念- 混合 物 の指 示 概 念- を め ぐる基 本 的 な問題 と して, 「生 産 的要素 に は人 的要素 6) が ふ くまれ, それ ぞ れ の生 産 的要素 を いか に使 用 す るか とい う知識 」 を重 視 す る 必 要 を 訴 え た。 この よ うな シ ュル ツ氏 の諸見 解 を ひ とつ の函数 式 に ま とめ るな ら, 次 の よ うに表 現 で きよ う 。 ED-f〈NR・LF・CS/PD・TC(MP)I

但 し,ED-経 済 成 長 (EconomicDevelopment)

1),2),3)TheodoreW .Schultz,TheEconomic ValueofEducation,(New York),清水義弘訳 『教育の経済価値』(東京 :日本経済新聞社,1964),pp.6-7.

4) 同上 清水訳書中の論文 「人的資本-の投資」pp.145-146.原論文は,T.W.Schultz,Investment

in HumanCapital,AmericanEconomicReyieu),Vol.LI,(1961),pp.1-17.

5) T.W.Schultz,Transforming TraditionalAgriculture,(YaleUniv.,1964),逸見謙三訳 『農業 近代化の理論』(東京大学出版会,1966).

6) 同上書 p.163.

(3)

東 南 ア ジ ア 研 究 妨 4巻 第3号

NR

-天然資源

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-量 と して の労働力

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-質 と して の人的能 力

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そ うして,単純等質 な量 と して の労働力 とい う概念 と質 と して の人的能 力を合 わせ て考 え る な ら

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NR・

CS/

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MP

と書 きかえて もよいで あ ろ う。 す なわ ち,経済成長 は天然資 蘇

(

NR)

や資本財

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と過 密 にす ぎな い人 口密度

(

PD)

に恵 まれ ると ともに,技 術 の開発 や導入

(

TC)

と, これ らの生産 的要素全体を生 かす,質 及 び量 と して の人 的資源

(

MP)

が十 分で ある と ころに期待 され易 い。 だ が, 日本 の経済成長 の場合,

NR・

CS

とい った変数 に も,

PD

とい う変数 に も有利 な条件 が そなわ っていなか った のに,

TC・

MP

とい う二つ の変数へ の 投 資 が,前 者 の不利 を補 って余 りある要 因 と して働 いた。 これが シュル ツ氏流 に見 た 目本 の近 代 化で あ る。 そ うして, これだ けの変数 につ いてみただ けで も, タイ国 の場合, 日本 とは著 し く条件 が異 っていた ことは明 白で ある し,国 それぞれが, これ ら近代 化や経済成長 の レデ ィネ スにお いて,非 常 な多様性 を示すで あ ろ う。 2) 近代 化を考 え るため の共通 変数 経済学者 が経済成長 の変数 につ いて示 した見解 に 基 づ く上 の 函数式 は,筆者 の考 え による と,少 な くと もさ らに三つ の変数 や 因子 をつ け加 え る ことによ って,近代 化を考 え るため のい っそ う有効 な枠組 にな ると思われ る。 その第

1

は,政治 的支配 の体制 ない しは社会 組織 (記 号 と して

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で あ る。 シュル ツが 「日本 は工 業化 の先頭 に立 つ有利 な条 件 を, なに ひとつ そなえ ていなか っ た。」 とのべた ことには先 に もふれたが, 果 た して 「そなえていなか った」 といえ るで あ ろ う か。 シュル ツの人 的能力 の投資説 は, きわめて重要 な指摘 で あ るが,投資 して伸 び得 る国民 を 背 くんだ レデ ィネ スは, ど う説 明す るのか。 この点で思 いお こされ るのは,た とえ ば, ライ シ ャワー (

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氏 の指摘で あ る。 彼 は, そ の著書 において

,

「世界史 の驚異 , 日本 7) の発展 」 と述べ なが らも, 日本 近代 化 の レデ ィネスの ひとつ に, 「ヨー ロッパ以外 で完全 な封 8) 建制度を経験 した も う一つ の地域, 日本 」 とい う観点を提起 してい る。 この見解 を要 約すれ ば,封建 制度 は ヨー ロッパ と 日本 に共通す る,近代 化 のた め の社会 的条 件で あ った。す なわ ち,氏 によれば中央集権 的な政府概念 と個 人関係 や個人的忠誠心 の何 れ に 7) E.0.ライシャワー 『日本近代の新しい見方』(東京 :講談社,1965),p.33. 8) 同上書 p.31.

(4)

森 口 :タイ国近 代化 の社 会 ・文化的背景 と教 育的課庖 強 く傾 きす ぎて も封建 制 は生 まれ なか った ので あ り,両 者 が適 当なバ ラ ンスを保 った ヨー ロ ッ パ と 日本 にだ け, この制 度 の発 達 がみ られ た。 そ して,封建 制度 の結 果 , 「法 律 的 な権 利 と義 9) 務 が重 視 され た ことが, 近代 の法 的概 念 の成 立 に貢 献 した」 とい う。 また , 「封建 領 主 」 が 土 地 の所 有 と地 租 の徴収 に専 念 した ことが , 商工 業 者 の 自由を許 す ことにな り, 近代 的 な経 済 機 10) 構 の発 達 に寄 与 した」 とい う。 筆者 の考 えで は, これ に加 え て, 日本 の場合 ,幕 府 は 「御触 書 」 に見 られ る よ うな節約 を農 民 に強 い, 高 い年貢 を と りた て な が ら, 「疲 へ

い」

に まで は至 ら せ ず , 他方 ,農 民 か ら取 た てた資 本 は,参勤 交代 に象 徴 され る よ うな諸 藩- の浪費 強要 政 策 に よ って, 商 工 業 の発 達 に貢 献 した ので あ る。 この よ うな 日本 の社会 組 織 と くらべ て, タイ国 には封建 制度 はな か ったで あ ろ う し,資 本 蓄 積 を促 す よ うな, きび しい徴税 のた め の社会 組 織 が 存 した か ど うか も, 重要 な問題 で あ ろ う。 さ らに,殆 ど時 を 同 じ う して19世 紀 半 ば の欧米 諸 国 に よ る外圧 との出合 い に お いて, 富国 強兵 へ と国民 を方 向づ けた 日本 の政 治 的 目標 の確 立 と遂 行 の過 程 は, タイ国 の場合 と著 し く異 な る で あ ろ う。 こ こで ,以 下 の論述 の便宜 上 ,パ ー ソ ンズ (T.Parsons)博 士 らが ,社会 体系 の一 ll) 般 理 論 と して提 起 した ,有 名 な AGIL理 論 を想 起 し て お き た い。 彼 らは, この理 論 にお い て, 上 に述 べ た政 治 的要 因を 目標 充足 (記号 と して G-GoalGrati丘cation)の 機 能 と名付 け た。 あ らゆ る社会 集 団 の行 為 に は 目標 の確 立 が必要 で あ り, 政 治 の うけ もつ 社 会 組 織 の形 成 や 方 向づ けが な けれ ば, うま く機能 しな い ので あ る。 近代 文 明 と の出合 い にお け る政 治 的 レデ ィ ネ ス と, そ の後 に対 処 す べ き 目標確 立 と遂 行 の組 織 形 成 は,非 西 欧諸 国 す べ て の近代 化過 程 を 左 右 した重要 な変 数 で は な いだ ろ うか。

つ け加 え るべ き第2の変 数 は, 国民 の価値 ・態 度 (記 号 と して VA-ValueAttitude)で あ る。 マ ッ クス ・ウェ-バ ー (MaxWeber)が , ヨー ロ ッパ の資 本 蓄 積 の過 程 に お いて, プ ロ テ ス タ ンテ ィズ ム の果 た した役 割 を 強 く評価 した ことは,余 りに も有 名で あ る (DieProtest a-ntischeEthikundderGeistdesKapitalismus,1905)。 この場合 , 勤勉 に よ って高 め られ た 生 産 の伸 び に対 して, 消 費 水準 の高 ま りを 抑 え,職 業 に没 頭 させ 得 た のは, 禁 欲主 義 的 な価値 ・態 度 で あ る。 日本 人 の価 値 ・態 度 と近代 化 と の関係 につ いて は, ベ ラー (A.N.Bellah)氏 の 12) 労 作 「TokugawaReligion」が あ る し,外 来 文 化 を排 斥 す る よ うな 強 固 な一 神 教 や, 伝 統 と 13) して の思想 史 的支柱 が な か った とい う指摘 も数 多 くみ られ る。 また, 中国が中華思想 の故 に, 中国 を

と して きた 日本 とちが って, 近代 化- の 出発 が お くれ た とす る説 明 も, ライ シ ャワー 9) 同上書 pp.35-36. 10) 同上書 p.32.

1D T.ParsonsandN,Smelser,EconomyandSociety.(London,1956).

12) R.N.Bellah,TokugawaReligion,(Glencoe,Ill.,FreePress,1957),邦訳 掘一郎,池田昭英訳 『日本近代化 と宗教倫理』(未来社,1962).

13) 例えば,桑原武夫 『日本文化の考え方』(白水社,1963).丸山美男 『日本の思想』(岩波書店,1961).

(5)

東 南 ア ジ ア 研 究 的 4巷 始3号 氏 自身 が行 な って い る。外圧 や近代 文明を迎えた タイ国 の小乗仏教や国民 の価値 ・態度 は,覗 らか に 日本 と異 なるで あろ う。 先述 のパ ー ソンズ民 らによる AGIL 理論で は, この価値 ・態 度要 寓 が 「変 動 の文 化的源泉」 と して位 置づ け られ る。 社会 に潜在 的 な文化 の持続性 を保 つ価 値 ・態度 は,制度化 され た価値 を変動 させ よ うとす る圧 力 (た とえば外圧 との 出合 い による近 代化へ の動機づ け) に直面 した とき, 体 系 を 安 定 に保 と うとす る, 『パ ター ン維持』 の機能 と 『緊張 の処 理』 の機能を もつ ので ある。 なお ,パ ー ソンズ らは ,この側 面を 略号L (Latent -Pattern MaintenanceandTension Management)で あ らわ した。

第 3につ け加 えたいのは,近代 化へ の動機づ けに対処 す る国民 と して の社会 的連帯性 (記号

SS-SocialSolidalism)の強弱で ある。 日本 の近代化 は, 内部的成熟 と同時 に,幕末 の外圧 と開国 に伴 う近代西洋文 明 との接触衝撃をぬ きに して考 え る ことはで きない。 そ うして , この 異 種文 明 との 出合 いや圧力 に対 して , 国重民 全 体 と しての危 機感 の深 さな り, その圧 力 に対 し て ,政治的 目標づ けに従 い,適応を試 みた社会 的連帯 には,それ だ けの レデ ィネスが あ った と い う研究 が世 に問われて い る。 た とえば ,ベ ラー氏 は 日本 の幕 藩体制下 における強固 な上下 の 15) 支配組織 や 「部落」を重要視 して , 日本社会 における タテ ・ヨコのつ なが りの強 さを近代 化説 明の メスに使 って い る し,

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・マ ツモ トは,戦後で す ら,西 欧側 か らの仮説 (工業化 の前提 に個 人主義的価値志 向を考 え る仮説一私註) に反 して , 日本 は集団志 向 (collectivity-orientation) 16) の まま工業化 した ことを述べた。 この よ うな, 日本近代化 の レデ ィネスと しての タテ ・ヨコの 強 く,きめの こまかいつ なが り,す なわ ち社会達嵩 の基礎 は タイ国の場合 に も想定 し得 るで あ ろ うか。 あるいは,上層部 の うけ とめた衝撃 を ,大衆 に も内面化 させ る コ ミュニケー シ ョン組 織 があ ったで あろ うか。 参考 まで に, パ - ソンズ らは,AGIL 理論 において, 筆者 の考 え る SS変数 に近 い ものを略号 Ⅰ(統合 の要 因-Integration)と呼んで い る。 以上 に筆者 は,経済成長 に関する諸変数 のほか に,社会集団 が全体 と して動 いてゆ くた めの 三 つ の変数をつ け加 えた。 これ らの諸変数を ひ とつの 「近代化 のための函数 式」 にま とめた の が第 1図で ある。 筆者 は, これ らの諸変数 の それ ぞれ について タイ国 の場合を考 え る比較 材料 と して , 日本 の近代化過程 に関する簡単 な示唆を上 の文 中 に述べた。 だが,わずか二 ケ月 の現 地研究 の経 験 しか もたぬ筆者 が, タイ国 自体 について ,各変数 に関す る検討 を行 なお うと して も,それ は児戯 に類 す る僧越 とい うほか はない。筆者 の願いは,ただ . ここに提 出 した諸変数 や変数 間の相互 関係 に関す る仮説 的 な考 えが ,専門研究者 のよ り正 確 な研究 成果 によ って代 置 され る過程を通 じて,少 しで も 「共通 的 な比較 的観点」 に立 った近代 化研究 の可能性 が高 め ら 14) ラ イ シ ャワ ー 前掲書 15) Bellah前掲書

16) Y・S・Matsumoto,ContemporaryJapan:TheIndividualandtheGroup,(Philadelphia:The AmericanPhilosophicalSociety,1960).

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森l」:タイ国近 代化 の社 会 .文 化的背 景 と教 育的課題 M - f(NR ・CS ・TC ・MP/PD) ・ SO ・ SS

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11 技術 人的資源 変化 /′人口密度 ノヾ- ソ ン ズ ・ス メ ル サ ー の社会体系一般理論

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日標達成の人的 ・物的手 段変数群 .tr A - (Adaptation)

目標へ の環境適応 (経済機能)

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目標充足 成員の統 潜在的文 (政治) 合 化 図1 近代化のための諸変数 れ て ゆ くことだ けで あ る。 そ こで ,図1で あ るが , この図式を , ことばで説 明す るな ら, こうい うことになる。 す なわ ち,① 近代 との 出会 い まで に一 国 の物 的資 本 な り人 的資 本 な り,人 口的条 件 等 の社 会 的生 産 力 及 び消費 力 の段 階 は どの程 度 に発達 して いた か (環境 適 応 力A),⑨ 近代 との 出会 い において , どの よ うな政 治 的指導 力 と社 会組 織 (SO)が , この動 機 づ け に対 す る 目標 の確 立 と達成 の方 針 を確 立 した か (G),(9さ らに, この動 機づ け- の国民 の危 機 感 な り反 発力 は,社 会連 帯 (SS) とか 社会 凝集 力 と して の統 合 性 (Ⅰ)にお いて , ど うい う タテ ・ヨコ の ま と ま りを もって い た か 。 ④ また , この異 質 文 明 との 「出会 い体 験 」 とか , それ に対 す る適応 反 応 の基 礎 にあ った価 値 ・態 度 (VA)も し くは潜 在 的 な文 化型維 持 や 緊張 処 理 (L)のた めの国民 的性 格 は どの よ う な もので あ った か 。 そ こで 再 び もとにか え って , この よ うな 目標 を ,社 会 連 帯 や価 値 態 度 を基 礎 と しなが ら,現 実 に達 成 す るた め の環境 適 応手 段 (A)と して , どの程 度 の土 地 (NR)・資 本 財 (CS)・技術 水 準 (TC)・それ を社会 的生産 と して実 用化 す る人 的資 源 (MP)・さ らには 消 費 的 ・成 長 抑 制 的 な因子 と して の人 口密 皮 (PD)を もって いた か。近 代 化 の成 否 や 遅 速 は , この よ うなっ なが りを もつ変 数 群 の ,必 ず しも算術 和 的で は ない総 反 応 力 や レデ ィネ スの函 数 と して , 多 くの国 々の場 合 も考 え て ゆ くことがで き るので は なか ろ うか 。 図2は , この変 数 群 をパ ー ソ ンズ民 らの AGIL理 論 の基 本 図表 に な らって書 き直 した もので あ る。 以 下 に, この よ うな変 数 群 を念頭 にお い 図2 近代化のための変数群 と AGIL図表-の関 連づけ - 7 - 405

(7)

東 南 ア ジ ア 研 究 第 4巻 第 3号 て , タイ国近代 化 のための社会 ・文化的背景 を既存 の研究 か ら概括 して みよ う。 自然 の恵み 近代 化変数を整 理 す る出発点 と して ,筆者 は タイ国か らの- 日本 留学生 が, 日 本近代 化 につ いて発表 した感想 を手 がか りに した い。筆者 は

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96

4

年 に留学生研究組織 に参加 し, 日本で 医学を学 んで い る T.R.君 に面接 した。 この調査項 目の ひ とつ に 「日本 の近代化 に 関す る感想」をえ らんだので あるが, この間 に対 す る T.R.君 の答 の うち, もっと も印象的だ った のは次 の部分で ある。 す なわ ち, 「日本 の近代化 は驚 くべ き もので 想像以上だ った。 そ う して , この近代化 の早 さな り,成功 の原 因を考 えてみ ると, 日本 が タイ国の よ うに 自然 に恵 ま れ て い ない とい うことが, もっと も重要 だ と思 う。 日本 近代化 のた めの必死 の努力 は,その貧 しさを克服 する切 迫 した必要感 に基づ くもので あ った と思 うが, タイ国の場合 ,豊 か な 自然 の 17) 恵 みが そのよ うな必要 を感 じさせ なか った に相違 ない。」 この T.R.君 と同 じ見解 は,多 くの 専 門研究者 に も共 通 して見 られ る もので ,近代化 とい う動機づ けに対応 す る変数 の検 討 にさい して不可欠 の 目のつ け どころで ある。た とえば ,世界 開発銀行 の 「タイ国政府 の要 請 に基づ く 再建 と発達 のた めの調査使節団報告書

(

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95

9)

の 中で も

,

「タイ国 はなお,圧 倒 的に農業依存 の国で ある。 感 謝 すべ き豊か な農 産物。 その恵 みで , タイ国 には失業 問題 もなけれ ば ,他 の国 ●●●●● ●● 々に対 して は工業 化へ の重圧 をつ くり出 した対外貿易 の難 問 もない。す なわ ち,工 業 化の急速 18) な発達を促 す条件 が存在 しないので ある」 と指摘 され て い る。 19)

1

96

0

年 の セ ンサ スによると, タイ国就業 人 口の

82.

3%

,世 帯 の

7

3.

9

% が農業で ある。 さ らに 単位 耕作面積 あた りの収穫 量 こそ 日本 の三 分 の一弱で あるが,平均 一戸 あた りの耕 作面積 は約 20) 5町歩で あるか ら, 日本 の-町半以上 の耕 作地保 有者 に匹敵 す る。 もとよ り,耕 作地 開発 に必 要 な労働力や条 件 を考 え に入 れず ,現在 の数値で比較 す る ことは乱暴で あろ うが,なお比較 的 容 易 に耕 作面積 を増加 し得 る余地 を具 え なが ら,多 くの農家 が5町歩 の耕地を もつ 自作農で あ る とい うことは, 自然

(

NR

変数) における非 常 な恵 まれ方 と評 して よ いで あろ う。 と ころ で , ここで注 意 すべ き ことは, この

NR

変数 にお け る恵 まれ方 は ,価値 ・態度や社会連帯 とい った諸変数 との相互作用 において考 え るとき,必ず しも,単純 に,経済成長 や近 代化 のため に 有利 な要因 と して評価で きない とい う事実で あ る。 自然の恵み と他 の諸変数の関係 上 に紹 介 した T・R・君 の感想や世 銀報 告の指摘 を , さ らに 17) この研究は永井道雄が研究代表者となり,昭和39年度と40年度に 「留学生を中心としてみたアジア文 化交流の基礎研究」という研究課題の下に行なわれた。文部省から特定研究費を受けている。結果は 脱稿しているが未刊。

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(8)

森 tj:タイ国塩代化の社 会 ・文化的背景 と教 育的課題

21) 22)

ウイル ソ ン (David A.W ilson)氏 や エ ンブ リー (John F.Embree)氏 の見 解 に 関係 づ けて 検 討 して み よ う。 結 論 か ら先 にいえば , これ らの研究 者 の指摘 は, 「自然 資 源

(

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変 数) に お け る恵 まれ 方 が , タイ国民 の経 済生活 の基盤 で あ る ことを認 め なが ら,同時 に, この恩 恵 は 価値 ・態 度 (VA 変 数 )形 成へ の影響を媒介項 と して , 社 会連 帯 と しての適応 力 (SS 変数) 形成 の上で もマ イナ スの力 と して働 くこと, さ らに その結 果 ,AGIL 体系 内 の A 因子 (経 済 的 な環境 適応手段) の中 の

MP

変数 (質 を と もな う人 的資 源) の開発 に もマ イナ ス の規 制力 と して ,はねかえ って くる こと」 を示 唆 す るので あ る。 す なわ ち, 自然 に恵 まれ , 自作農 と して 自分だ けの生活 を考 えて おれ ば よか った タイ国 の農 民 た ちは ,狭 い耕地 で 領主 - の年 貢 や地主 - の地代 に苦 しみぬ いて きた 日本 の農民 に くらべ る とき,生産手段 の所 有形体 にお いて ,よ り個 人 主 義 的 な価 値志 向を形成 した と思 われ る。 また ,個 々の家族 が生産手 段 を所 有 して いたばか りで な く,個 人 の信 奉 す る小 乗仏 教 ( The-ravada)その ものが ,個 人 の禁欲 によ る精神 的救済 を主 とす る もので あ り,集団志 向性 には結 びつ きに くい もので あ った と思 われ る。 さきに あ げたパ ー ソ ンズ (T.Parsons) は, シル ズ 23) (E.A.Shiュs) らとの共 著 「行為 の総 合理 論を め ざ して」 の中で ,五対 の基本 的 な 「行 為理 論 の 関係 枠か ら直接 に 出て くる型 の変 数 (Pattern variables)」 を あ げた。 その ひ とつ は, 自己中 心 的 な志 向 (self-orientation) に対 す る集団 中心 的 な志 向 (collectivity-orientation) で あ り い くつか の比較文 化研究 において , この変 数 に関 して は ,欧米 が 自己中心 的志 向で あ るの に対

24)

し, 日本 は集団志 向型 の文 化 と しで 性格 づ け られ た。 また , ク ラ ックホー ン (F.Kluckhohn) は価値 志 向の分類 にあた って ,すべ て の人 間が直面 し,答 を もた ざ るを得 ない五種 の価値志 向 類 型 を提 唱 した が , その人 間関係 にお け る志 向の 型 と して , 「タテの系統 的 なつ なが り (li ne-ality)」, 「ヨコの並行 的 なつ なが り (collaterality)」

,

「個 人主 義 (individualism)」の三 つを

25)

あ げた。 日 ・タイの仏 教 につ いて は後 に再論 す る と して ,氏神を もち,家 の中 に先 祖を祭 る仏 壇 を もつ過 去 の 日本 人 の人間関 係志 向は , 「タテの系統 的つ なが り」型 の社会 とい って よいで あ ろ う。 この よ うな 日本 社会 の特性 につ いて は,すで に川 島武宣氏 の 名著 「日本社 会 の家族 的 構 成

(E1本 評 論新社 ,昭25) が あ る。 これ らの点 で , タイ国 は ど うで あ ろ うかO

ウイル ソ ン (David A.W ilson)氏 は, タイの社会 関係 の基礎 と して , エ ンブ リー (∫.F. Embree)氏 の所説 を ひ き, まず , タイは 日本 と異 り, 「個 人主 義 的」で あ る と特 徴づ け る。

2D DavidA.Wilson,Politicsin Thailand,(Ithaca:Vai1-Ballou,1962).

22) JohnF.Embree,HThailand-ALooselyStructuredSocialSystem,HAmericanAnthropologist. LII,1950.

23) T・ParsonsandEIA・Shits,Tou)ardaGeneralTheoryofAction,(HarvardUniversity,1954), 永井道雄 ・作田啓一 ・橋本頁訳 『行為の総合理論をめざして』(日本評論社,1960).

24) た とえば前 掲 Y.S.Matsumoto,ContemporaryJapan:TheIndividualandtheGrou

Z

,,(Phila

-delphia:TheAmericanPhilosophicalSociety,1960),の作業仮説 と結論0

25) F.R.KluckhohnandF.L Strodtbeck,VariationsinValueOrientations,(New York:1961).

(9)

東 南 ア ジ ア 折 衷 妨 4巷 幾 3号

す なわ ち, 「西洋 ・日本 ・ヴ ェ トナ ムか らタイ国 にや って きた観察者が印象づ け られ る タイ文 化 の最初 の特徴 は, タイ国 人の個人主義 的行動で あ る。 また , タイ国 に永 くい るほ ど,われ わ れ は規則性 (regularity),紀 律性 (disciplined),組織性 (regimentation) の欠如を感 じるの で あ り, この点 , 日本 とは コン トラス トを なすので あ って , タイ国 には簡潔性 と紀律 が ないの 26) で あ る。」 と指摘 され てい る。 さ らに また , タイの ひ とび とは , 「社会 的権利一 義務構造 の中 27) で ,重 い社会 的受苦を回避 しよ うと し,個 人的 な志 向性で反応 しよ うとす る」 と も述べ られ て い る。 そ うして , ウイル ソンは, この社会構造 のル ーズ さや個 人 的志 向の基本 的原 因を , 「小 28) 乗仏教 と他者 に依存 す る必要 の ない資 源 の豊 か」 さに求 めたので あ った。 価値 ・態度 につ いては伝統 的教育 理念 の問題 と して再論 す るが ,上 にみた よ うに,

AGI

L

理 論 にあて はめた ときの,

A・

Ⅰ・

L

について は, タイ国 の場合, 日本 とはか な り異 な った 社会 史 的背景 を もっていた といえ よ う。 す なわ ち,従来 の研究 によれ ば,

A

因子 と しての 自然 の恵 み と,

L

因子 と して の世俗 的価値 に否定 的 な戒律重視 の小 乗仏教 が ,個人主 義 的志 向 と, Ⅰ因子 の社会連帯 におけ るル ーズ さを形成 した。 したが って ,G因子 と しての近代 化を志 向す る目標 設定 も,国民 的課題 には な りに くか った といえ よ う。 ラン ドン女 史 の 「ア ンナ とシ ャム王 (ミ ュー ジカルで は王様 と私)」 の物語 りで 有名 なモ ンクッ ト王 や , 王子 を英 国で勉 強 させ た チュ ラロ ンコン王 の近代化- の情 熱 が,並 々な らぬ もので あ った ことはよ く知 られ て い るが, 国王 の意志 が社会 連帯 と して統 合的に内面化 され るには,他 の諸 因子 におけ る レデ ィネスが熟 して い なか った とい うべ きで あろ う。マ ッシュー (

E.

S.

Matthew)氏 によれ ば ,英 国帰 りの ラーマ 6世 (ヴ ァジ ラグ ッ ド王) は, 日露戦争 に勝利を お さめた 日本 に刺激 され, 「タイ国民 は愛 国 者で ない

と感 じて人心 の結 集を はか り,その結集 点 と して , 「よ き愛 国者 た るため に,よ き 29) 仏 教徒たれ」 と熱心 に訴 えた と記 され てい る。 だが ,人 口の密度 も低 く,交通 機 関 も未発達で あ った 当時 の タイ国 において ,戒律遵守 による世俗 欲 か らの個人 的解脱 を理 想 とす る小 乗仏教 によ って ,ル ーズな社会連 帯を ,国王 の ア ピールを 中核 に結 晶化 させ る ことは, きわ めて困難 で あ った と考 え ざ るを得 ない。 ラーマ6世治下を50年 もさか のぼ る幕末 ・維新 の 当時で す ら, 日本 の人 口密 度 は,今 日の タイ国 よ り高 く,命令伝 達や社会連帯 と しての コ ミュニケー シ ョン 組織 は強固で あ った と思 われ る。 以上 に述べ て きた近代 化 に対 す る国家 的適応 を ,既 出の変数 や 因子 に基づ き, タイ ・日両 国 の比較 的 な図式 と して ま とめた ものが 図

3

で あ る。 この図式 は,伝 統 的 な教育理念 と して の価 値 ・態度 に関す る以下 の説 明によ って ,よ り理解 し易 い ものに なるで あろ う。 26) D.A.Wilson,前掲書 の pp.45-46. 27),28)同上書 p.46.

29) EumiceS.Matthew,TheLandandPeopleof Thailand,(PhiladelphiaandNew York:

J

.

B.

(10)

森。:タイ国近代化の社会・文化的背景と教育的課題 変 NR (自然資源) vA i 敬 (宗教 ・基本的態度) (人 間関係 の価値志 向)

S

O

(政治 と社会組織)

S

S

(社会連帯) タ イ 国 充 足的 小乗仏教 中心 ・禁 欲的 個人志 向 ルーズな社会組織 Il 個人充 足的 外圧 に比較的無関心 な 個人充 足的現状維持 本 欠乏的 折衷的 ・欲望肯定的 集団志 向 強固 な社会連帯組織 ll 相互依存的 外圧への集団解決的な 努力 図3 近代化へ の社会的動機づ けを中心 とした変数間関係 についての タイ国 と 口本の比較

3

タイ国近代化のための教育 的課題 タイ国をふ くむ今 日の開発途上国家群 が , いわゆ る近代化を進 めて ゆ くた め の教育 的課題 は,単純化 すれば二 つの ことに帰着 す る。 第 1は教育 の内容面 に関す る もので ,それぞれ の国 の もつ伝統 的 な精神史 的土壌 の上 に,近代 化に必要 な価値 ・態度や知識 ・技能 を形成 す る こと で ある。第

2

は,教育 の形式 と手段 に関す る もので あ り,第

1

の 目的を達成 す るに必要 な教育 制度を整 え,それ に要 す る教育投資を行 な うことで あ る。われ われ は,タイ国近代化のための これ らの教育的課題 を問題 にす る前提 と して , タイ国 における教育 の伝統 を検討 してお く必要 が ある。 1) タイ国 における教育 の伝統 教育の社会 的機能 教育 には二 つの大 きな社会 的機能 があ る。第 1は,伝 統的 な文化 の伝 達 と 社会 の維持で あ り, 第2は, 教育 による文化変容 と社会 の向上で あ る。 この両機能を統一 し て , 「教育 の社会 的機能 は,文化を新 しい世代 に伝 達 しつつ ,漸進 的に必要 な変容を行 ない社 会 発展を はか る こと」 と表現 して もよい。 だが近代化 とい う大 きな 目標 に動機づ け られ なが ら,その 目標 と現状 や伝統 の差 になやむ国 々に とって , この両機能 は, 「伝 統 の継承 」 と 「伝 統 の廃 棄」 とい う矛盾 した課題性 を おびざるを得 ない。 と ころで , この矛盾 の大 きさは, と うぜん , 「伝 統的 な文化」 と 「目標 と しての変化を 目指 す文化」 との異質性 の程 度 ,および適応 しよ うとす る時点で の発達水準 と目標水準 とのひ らき の大 きさが質的 な差 に転 化 してい る場合 ,そのひ らきの大 きさによ って規定 され る。 この二 つ の面 において , タイ国近代化 のための教育 が どのよ うな矛盾や困難を もち, どのよ うに適応 し て きたか について , 日本 を比較 の材料 と しなが ら述 べてゆ きた い。 伝統 的教育理念 と近代 的教育理 念 一 国 の伝統 的 な宗教 にふ くまれ る価値 ・態度や教育理念 と,近代化 のた めの科 学的 ・実用主義的価値 との矛盾 は, ヨー ロ ッノヾ自身で も経験 され た こと - ll-- 409

(11)

東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号 So) で ある。 ヨー ロ ッパで も,学問や教 育 は, きわ めて多 くの場合 ,聖職者 の仕事で あ り,多 くの 大学 の前身 は

,

「聖職者 の養成」 と 「聖職者 によ る教 育」の場所 と して生 まれ た もので あ った。 このよ うなキ リス ト教 国 において ,ブル ー ノーやガ リレィ-の迫害事件 や進化論へ の弾圧 が お こったので あ った。 したが って,伝 統 的 な宗教 や教育理念 と科 学的思考法 との矛盾 は,決 して タイ国や 日本 な ど多 くの非 キ リス ト教文化圏 に固有 の問題で は ない。 けれ ど も同時 に, ヨー ロ ッパで の両者 のか っと うは,同 じ文化圏 内の伝統を背景 と して発生 した新 ・旧思想 の矛盾で あ り,それ だ けに矛盾 の解決 に も十 分 の時間を費 した徹底 的対 決が可能で あ った。 と ころが ,異 なる文化圏 の出会 いが唐突 にお こった場合 ,両者 は時 と して ,徹底 的 な対決 のための基礎 さえ 欠 いてい るよ うに思 われ る。 さて , 日本で も庶民 の学校が寺子屋で あ ったが , タイ国で は,19世紀の末葉 まで の教育 が , ほ とん どすべて寺院 と僧侶 の仕事で あ り,教育 に果 た した僧 侶の役割 の大 きさは 日本 の比で は なか った。最近 まで , タイ国 の男子 が ,大部分 ,パ ンサー と呼ばれ る最低

3

カ月の寺院生活を お くり,それ が男子 と しての社会 的評価を定 める機能を ももって いた ことは,よ く知 られ て い る。 このよ うな仏教国 タイにおける,伝統 的 な教育 理念 は,精神 的価値 (小 乗仏教 のspiritual value) の伝達で あ り, 教育 とは 「宗教生活 のための教育 (education forreligiouslife)」 を 意味 した。 これ に反 して ,近代化 とい う社会 的要請 に こたえ る教育 とは, 「実用 的価値 (utili -tarian value)」 の伝達で あ り, よ り高 い 「世俗 的生活を め ざす教育 (education forsecular

31) life)」で あ る。 両者 の タイにお ける対立を ,いま,世 俗 的 な欲望 の充足 とい う観点を中心 に眺めてみよ う。 まず ,教義 の問題 と しての小乗 仏教 の基本 を考 えてみ ると,そ こには, 「人生 とは苦で あ り, この苦 は世俗 的 な意味で の人欲か ら生ず る」 とい う基本 的 な考 え方 があ る。 したが って, 日本 で もよ く知 られ て いる五戒 (殺生 ・倫盗 ・邪淫 ・妄語 ・飲酒) を は じめ,魂 の平 和 の妨 げに な るすべての人欲を制御 する こと こそ,苦 の輪廻をた ちきる唯一 の道で あると考 え られ る。 これ は禁欲の教義で ある といわ ねば な らない。逆 に近代化 な り経済成長 とい うことは,欲望 のよ り 十 分で能率 的 な充足を 目指 す もので あ り, 「欲望肯定 」を前提 とする充足手 段 の発達 こそ,そ の中心的 な命題で あ る。だが , このよ うな欲望をめ ぐる現実志 向欲 と禁欲的 な宗教 的教義 との 対立 は,何 もタイ国だ けの ことで は ない。問題 は両者 の関係で あ り,教義が現 実志 向へ の制御 力 と して , どの よ うな形 式及 び力で ,近代化過程 に機能 したか, とい うことで ある。

30)Charoon Vongsanyanha,HProblem EncounteredintheDevelopmentofEducationalTechni -quesin an Asian Setting,"Univ.ofHawaii,1964, -ワイ大学の The East-WestCenter におけるCrossCulturalFactorsinEducationalChan geの国際セミナーに出された報告,及び 未刊論文 HTheChoiceofEducationalMeansinaDevelopingCountryH に強調されている。

31) このような教育の社会的機能における二側面をタイ国の説明に適用したのは,前掲の C.グォンサン ヤナ氏の二論文。

(12)

森 口 :タイ国近 代化 の社会 ・文 化的背景 と教育的課 題

かつて リン トン (R.Linton) は ,最 多 的 な行動様 式 (modalpattern)を典型 文化 型 (cul -turalconstructpattern) と名付 け,理想や タテ マ 工 と して の文化型 (idealpattern)とは区

32) 別 した。 この よ うな区別 に従 うとき, タイ国 の小乗 仏教 にお け る価値 ・態 度を基礎 と した上述 の伝統 的教育 理念 が ,その まま典 型文化型で あ った と考 え る ことはで きない。現 に,時代 は も はや現代 の ことに なるが , 有 名 な フ ィ リップ ス (H.P.Phillips)氏 の バ ンチ ャン調 査で は , 「人生で最 も重要 な もの は ?」 とい う問い に対 し, 調 査対象で あ る農民 の答 え の

5

7%

ま で は 33) 「食 物 と金 」で あ った と記 され て い る。 だが , この調 査 で第二位 を 占めた回答 は , 「宗教」 の

1

0

%で あ り, 「仏教」を 「食物 や金 」以上 に重要 な もの と考 え る人 が

1

割 もあ る ことを示 して い る。 この例 を もって して も, タイ国 の仏教 は, 典 型 的文化 型 とはいえ ない と して も, 同時 に, 日常生 活 とは無 縁 な,教 義 と して の 「理 想型」 に とどま らない もので あ ると考 え られ るで あ ろ う。近代 化 の尖端 を ゆ く欧米 諸国が禁欲 的 なキ リス ト教 の信奉者 か ら成立 して い る事実 を 考 えて も,われ われ は ,世 俗 的価値 の追求 とい う現 実志 向的 な典 型 的文化 型 が支配 的で あ るか らこそ,戒 めの原理 と して の禁欲 的 な理想型 を もつ文化 が きわ めて多 い, と解 して よいで あ ろ う。 だが , これ らの禁 欲原 理 が ,世 俗 的価値 の追求 や近代 化 の過程 に , どの よ うな影響 を もつ か に関 して は ,国 と時代 が異 な るに した が って , きわ めて 多様で あ ると思 われ る。 そ こで , タイ国 の教育史 に戻 れ ば, この国で は, 伝 統 的 な教育 の担 い 手 で あ った 僧 侶が ,

1

8

7

0

年前後 か ら輸入 され た近代 教育 に対 して , 「みず か ら教育者 と して の不 適格性 を認 め ,敬 34) 師で あ る立 場か ら退 いて ,その職分 を人民 の宗 教生 活- の貢献 に限定 した」 ので あ るo ヴ ォ ン サ ンヤナ (C.Vongsanyanha)氏 は, タイ国 にお け る この よ うな新 旧教育 理念 のか っと うと, 教育 担 当者 の断絶 が , 「一方で 伝統 的 な教育 制度 の衰 退を もた ら しただ けで な く,教育 の二元 35) 分裂 的概念を もた ら した」 とす るので あ り,新教育 の推 進 も容 易 に軌 道 に乗 らなか った ので あ る。 す なわ ち, タイ国 の場合 ,宗 教 的理想型 が教 師で あ った僧 侶の典 型 階層文化で もあ った こ とが ,教育近代 化 に対 す る重大 な障壁 とな ったので あ る。 だ が , この事実を指摘 す るヴ ォ ンサ ンヤナ氏 自身 が , 「新 しい教育 制度 は,その カ リキ ュ ラムに道徳 教育 を ふ くんで い るが ,週 一 36) 時間 の道徳教育 で は,徳 目の機械 的暗記 以外 に何 がで きよ うか」 と述 べて い るの は,鋭 い新 教 育 批判 と して , タイ国 の伝統 的 な教育 理念を よ く伝 えて い る もの といえ よ う。 と ころで ,伝 統 的 な宗 教 的基 盤 が仏教で あ り国民 の教育 に寺院 や僧侶 が大 きな役 割 を果 た し た とい う事 情で は , 日本 もタイ国 に似て い るよ うに見 え る。 事実 ,わ が国で も庶民 の教育 機 関 は寺子 屋 と呼 ばれ た。 け れ ど も, 日本 人 の価値 ・態 度形 成 にお け る仏教 の比重 な り性 格 な り

32) RalphLinton,TheCulturalBackgroundofPersonality,(New York:1945).

33) HerbertP.Phillips,ThaiPeasantPersonality,(Berkeley:UniversityofCalifornia,1965),

p.198.

34),35l,36) はいずれも,ヴォンサンヤナ氏の前掲論文 (-ワイ大学報告)

(13)

東 南 ア ジ ア 研 究 第 4巻 第 :1号 紘, タイ国 における仏教 とはか な り異 な っていた といえ よ う。第1に, 日本 の場合 ,道徳 的 な 価値 ・態度 の源泉 と しては,仏教 よ りも,む しろ儒教の方 が重要で あ った し,第2に精神教育 機 関 と して寺院が国民 に果 た した役割 も, タイ国男子 の制度化 され た僧院生活 に比 肩で きるよ うな機能や広 い影響範 囲を もつ もので は なか った。 第

3

に仏教 の性格で も,浄土宗 の 「妻 帯是 認」 とい う妥協 に もみ られ るよ うに,人間の弱 さや業 の深 さを認めた上で の念仏 による 日本 の 他力本 願説 と,僧侶で あ るか ぎ り戒律を堅持 しよ うとす るタイの小乗仏教 の性格 とは異 な って い る。 なお, この よ うな 日本 におけ る人欲 と戒律 との対 決 にお ける不徹底 さの基礎 に, 自然 的 人欲観 と もい うべ き土着思想を考 えて もよいで あろ う。 故九鬼周造博士 は,かつて , 「西洋 の 観念形態で は, 自然 と 自由が対立 して考 え られ るが , 日本 人 の実践体験で は, 自然 と 自由が融 37) 38) 合相 即 して会得 され る」 と述べ , 本居宣長 が 「人欲 もす なわ ち天 理 な らずや (直昆霊)」と述 べた ことに注 意を促 してい る。だが , この よ うな人欲を天理 と して肯定 す る哲学 は,単 に, 自 由や理性を 自然や動物 的情念 に対立 させ て とらえ るか ど うか , とい う文脈で西洋的 な考 え方 に 対 す る対照性 を示 すだ けで な く,人間 の生 き方 に関す る哲学 や宗教 が ,現世 や世俗 的欲望 に対 して , どのよ うな態度や観点 を とるか とい う文脈で は,仏教国の中で も特異 な もの といえ るか も知れ ない。 どの国 に も,人間 の世俗性 に基づ き,呪術 の延長上 に,た とえば お賓銭を投 げて 現世 的願望 の成就を神 に願 う種類 の土着信仰 はあ るで あろ う。 けれ ど も,現世欲 を人間 の理想 的 な在 り方 に対 して有害 な もの と し,否定 的 ・禁止 的 な戒律 を重視 す る小乗仏教 と,世俗 的願 望 か ら脱 し切れ ぬ凡夫 のままの姿で ,念仏称名 による救済 の約束を重視 す る 日本 の仏教 とは異 な る。 そ うして , この点 に筆者が固執 す るのは, この ちがいを近代化 との関連 において考 え る とき,同 じ非 キ リス ト教文化圏 において も, 日本 は,宗教 の中に近代 的志 向に制御的 に機能 す る強い禁欲 的性格を もた なか った例外 的 な国 と考 え る必要 が あ るとい う仮説 のた めで あ る。 こ のよ うな仮説 が許 され るな らば ,価値 ・態度変数 の もつ近代化へ の適合性 とい う点で は,上記 の よ うな特異 な国で ある 日本 に くらべて , タイ国で は,よ り困難 な状況 にあ った といえよ う。 なお, も うひとつ重要 な ことは,同 じ く寺子屋 といいなが らも,タイの僧侶 によ る教育 が精 神 的価値 の伝達を中心 と して いた といわれ るのに対 し, 日本 の寺子屋 は必ず しも寺院で の仏 教 教育で は な く,内容的 に も 「よみ ・か き ・計 算」 の実学 が ,ご く一般 的 にお しえ られ ていた と+ い うことで あ る。 この ことは,よみ ・か き ・計 算等 の能 力 に対 す る社会 的需要 が,わ が国 の場 令 ,すで に徳 川期 において非 常 に高 くな って いた とい う事情 に も照応 してい る。 両国 に欧米諸 国の国民教育 制度が紹介 され た時期 には大 した ひ らきが ないはずで あ るが , 日本 の義務教育 が 1872年 (明治5年) に発足 した のに対 して ,タイ国 の場合 には,約50年 お くれ て1921年 に開始 され た ので あ る。 もちろん ,わが国で も 「新 しい公立小学校 の教育 内容 は二つの側 か ら反 発を 37),38) 九鬼周造 『人間と実在』(岩波書店,1939年),所収の 「日本的性格」

(14)

森 口 :タイ国近 代 化 の社 会 ・文 化 的背 景 と教 育 的課 題

3

9

) 受 け る ことに な っ

た」

ので あ り, 旧武士 層 か らは 「営利教育 」へ の反 発 を , 「無 識者 階級即 ち 農 商工 及び婦人輩 」 か らは ,その 「非 実用性 」- の反 発 を蒙 った とい う事実 はあ る。 このた め 明治前 期 は, 「旧武士 層 の子 弟 も農 商工 の庶民 の子 ど もた ち も, そ れ ぞ れ 私 塾 や寺子 屋 に通 40) い ,公 立小学 校 の普 及を くい とめて しま った 」 けれ ど も,勝 田守一 ・中 内敏 夫両 氏 に よれ ば , 日本 には教 師 の最初 の供 給源 と して ,僧 侶の ほか に, 「当時 の知識 階級で あ った 旧武士 層 (士 族)」が あ った ので あ り, さ らに

,

「啓蒙 学者 た ちによ って西 洋各 国 の 『学 校.』 とい う教育 機 関 が 明治 の 日本 人 に新 し く紹介 され た とき, それ を理解 し,まが りな りに もこれ を こなす」 こと 41) を可能 に した 「藩立 の武士 の学 校 の伝統 が あ った」 ので あ る。わが国 の場合 , これ らの条件 に よ って ,教育 勅語 の 出 され た後 , 「学 制」 か ら20年で 大 体 ,国民教育 制 度 は地 につ いた ので あ る。 だ が , タイ国 の場合 , ヴ ォ ンサ ンヤナ氏 に よれ ば ,1921年 とい う時点 以後 において も, 「この新 しい義務 教育 にふ くまれ た価値 は , タイ国人民 の伝 統 の中 に あ る精 神的価値 と結合 し 42) 得 なか った」 ので あ り, 「両 親 は ,なぜ 4年 間 も教育 を受 けてか ら,また農 業をや りに家 の 田 43) 畑 に戻 って来 ねば な らないのか , とい うことを 理解 す る ことがで きなか った 」 ので あ る。 この ことは ,後 に も述 べ るよ うに,現 代 にいた るまで ,初 等教育 段 階で の脱落者 が非 常 に高 か った とい う事実 に も うか が え る。 2)第二 次大戦 後 の近代 化要求 と教育 的課 題 近 代 化へ の動機づ け タイ国が,19世紀 後半 に出合 った近 代 化- の刺激 に対 して ,Lj本 と比 較 す るか ぎ り, その近代 化志 向 と して の国家 的適応 が緩慢で あ った とい うことにはすで にふれ た。 だ が ,第 二次世界 大戦後 は ,ア ジア ・ア フ リカ地域 にお け る諸 国家 の独 立 と,国 家再建 の 気運 が著 し く高 ま った。他方 ,国 際連合 を始 め とす る国 際諸 機 関の設立 ・先進諸 国 にお け る第 二 次産 業革命 と もいわれ る著 しい経済 成長 と広 汎 な援 助計 画 ・交通 や通信 の発 達 ・東 西及 び南 北 の政 治 的緊張 な どの諸 条件 が相 ま って ,開発途 上 国家群 と先進 諸 国 との接 触 は ,著 し く高 め られ た。 そ う して , スプ ー トニ クや オー トメー シ ョンに象 徴 され る新 しい飛躍 の時代 に入 った 先進諸 国 の驚 くべ き水 準 との 出合 いは ,多 くの 開発途 上 国 に と って ,焦 りを伴 った 強 い近代 化 へ の動機づ け とな った。 タイ国 の場合 も, もとよ りその例外で は ない。教育 面 につ いて も,級 にのべ るカ ラチ ・プ ラ ンの決議 は ,内部 的 な必 要意識 に拍車 をか けた。 と ころで , 近 代 化 の た め の鍵 が科学 ・技 術 の発達 とその実 用化 にあ る ことはい うまで もな い。 タイ国 にお いて , この社会 的要請 に,教育 的側 面 か ら応 え よ うとす る ときの ,基 本 的 な観 点 につ いて は , タイ国文部省 の C.ヴ ォ ンサ ンヤナ教育技 術局 長 が ,次 の よ うな適 切 な指摘を 39),40) 勝田守一 ・中内敏夫 『日本の学校』(岩波書店,1964),pp.36-37. 41) 勝田 ・中内前掲書,pp.66-68. 42),43) C.Vongsanyanha氏前掲論文 - 15 - 413

(15)

東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号 お こな って い る。 「科学 的接近法 を受容 す るとい うことは,ただ一団 の新 しい知識群を獲得 す る とい うことで は ない。 タイ国 の場合 ,それ は人生 と世界 に対 す る新 しい態度を受容 す るとい うことなので あ り,合理的 な思 想体系を通 して真理 と新 知識へ の探求心 を獲得 す ることを意味 44) して い る」 と。 したが って ,科学 知識 の導入 と定着 には,その前提条件 と して ,伝 統 的価値 ・ 態度 その ものの 「つ くりかえ」 が必要 なので あ る。 だが , このた めの教育 的構 想 と して ,すで に価値 ・態度 の固定化 した成人層へ の働 きか けによ り実現 す る ことを考え るな ら,それ は著 し い困難 といわ ねば な らない。基本 的 には ,青少年 に対 す る組織 的 な学 枚教育 を通 じて ,成就 さ るべ き ことで あ ろ う。 タイ国政 府 と して は , 目標 を1980年 においた20年計画で対処 しよ うと し て い る。だが , この計画 の途上で も, 「しば しば家庭や児 童 の校外接触 環境 が学 校以上 の影響 4

5

)

力を もち」, 学 校教育 による新 しい価値 ・態度 の形 成 に対 して , 阻害 的 な条件 と して働 く。 こ の困難 を学校教育 と成人教育両者 の進展 に よ って克 服 して ゆ くことが , タイ国近代 化 のため に 要請 され る第1の基本 的 な教育 要求で あ る。 教育投資の必要 そ こで , この よ うな長期 的 な展望 において , 教育要 求 を 実現 す るた め に は,学 校教育年限 の延長 ・教員 の養成 ・教育 施設 の拡充 等 のための莫大 な教育投 資が必要 とさ れ る。す なわ ち, タイ国近代化 のための第 1の教育 的課題 が伝統 と近代 との調整で あ るとすれ ば ,第2の教育 要求 に と もな う困難 は,経済成長 や生活水 準 の向上 に必要 な投資 と教育投 資 と の調 整で あ る。 教育 は長期 的 に見 るとき,必要不可欠 な,また高 い回収率 の期待で きる生産 的 投 資で あ るが ,短期 的に見 ると,それ は労働力人 口を減少 させ つつ ,消費人 口を増大 させ る と い う形で の消費で あ る。 このか っと うの調 整 こそ,現代 の タイ国 に と って , もっと も基本 的 な 教育 的課題 といわ ねば な らない。 今 日,開発途上 の国 々が ,社会 開発 のた めに行 な う教育投 資を考 え る際 ,基本 的 な 目のつ け 方 は, 「第 1に国民 総生産 (GNP)の伸び方 に関す る把握 ,第 2に国 と地方 の行政 にGNPか らさいて使 うことので きる予 算 の基礎 と して の課税率

(

TR-Ta

xa

t

i

o

nRa

t

i

o

)

,第

3

に国民 総 46) 生産 か ら集 め られ た租税収入 の どれ だ けの割合 を教育投 資 に さき うるか」 とい う三 つの段 階 に 分 かれ て い る。 この よ うな発 想法 が,1959年 の カ ラチ ・プ ラン (ア ジア17カ国 の教育代表者会 読) の経 過 と決議- 1980年 を 目標 とす る 7年制無償 義務教育 の実施- ・1962年 にユ ネ ス コ や エカフェの代表 者で行 なわれ た東京会 議 ・1965年11月にバ ンコクで ひ らか れ た ア ジ ア 文 部 大 臣会議等 の諸機会 を通 じて確立 され て きた ことは衆 知 の とお りで あ る。 ここで は,ただ概括 47) 的 に述 べ るが , タイ国 の GNPは 日本 の約六分 の-弱 ,また タイ国 の GNPの伸び率 は約6% 44)

C.Vo

ngs

a

ny

a

nha

氏前掲論文

45)

C.Vo

ngs

a

nya

nha

氏前掲論文

46) 伊藤良二 ・阿部宗光 『アジア各国の教育事情』(帝国地方行政学会,1965),pp.7-8.

47)

UNES

CO

,EducationalSituationin Asia-Past Trends and PresentStatus

,

(

Ba

ngko

k:

(16)

森 口 =タイ国近代 化の社 会 ・文化 的背 景 と教 育的課題 と高 いが , 平 均

1

0%

前 後 もの伸 び率 を示 す 日本 よ り低 く, ア ジアの多 くの国 は

3%

前 後で あ る。 また租税 の

GNP

に 占め る率 も欧米 先進 国で

3

0

%

, 日本 が

2

2

% ,東 南 ア ジア諸 国 は

1

7-8

48)

4

9

)

% の ものが 多 く, タイ も

1

6.

8

% (

1

9

5

9-1

9

6

1

年 平 均) といわれ る。 だ が ,政 府 総 予 算 中 に 占め

5

0

)

る教育 費 支 出の割合 で は , タ イ国 は , 日本 の

7%

を は るか に凌 駕 して

1

7.

2

% と発表 さ れ て お り, この国 が , 近 代 化 の た め の 教育投 資 を いか に真 剣 に考 え て い るか が分 か るので あ る。 だ が ,国 全 体 と して ,順 調 な経 済 成 長 を とげつ つ あ る タイ国 に と って ,人 口の増 加 と と もに ,相 対 的 な教 育 人 口の増 大 は ,容 易 な らぬ重圧 で あ る。 この間 の事情 を考 え る手 がか りと して , ま ず , こ こ十 数 年 問 の国民 総生 産

(

GNP)

の伸 び方 を ,総 人 口及 び国民 一人 当 りの

GNP

の推 移 と比 較 して示 した の が表 1で あ る。 蓑 1 国民総生産 と人 口増加の推移 国民総生産 (GNP) l 総 人 口 l 一 人 当 の GNP (等位千バ_響)い旨 数 実(単位百万人)数 序 数 E実 数 (バーツ)EfB 数 l ′0 2 3 5 5 ′D /D 9 0ノ 9 9 1 1 1 1 平 均 年 間 伸 び 率 28,219 40,928 63,059 65,795 6.0% 0 0 ′b ′0 ) 0 4 1 2 1 1 2 2 1 20.3 23.5 28.0 28.8 3.1% ′0 8 2 1 3 4 1 1 1 1,390 1,742 2,250 2,285 4

.

4

0

/

0

00 25 62 65 1 1 1 ■l▲

出典 :THAILAND

,O

jWcialYearBook1964,Bangkok,p.328,

この裏 で 明 らか な よ うに ,国民 総生 産 の伸 び は平 均

6%

と 目覚 ま しい もの が あ るが ,同時 に

4% (

4

0

パ ー ・ミル ) を超 え る 出生 率 が続 いて お り,人 口の 自然増 加 率 も平 均

3%

を超 えて い る。 このた め人 口一 人 当 りの国民 所得 とい うことに な る と,4.4% にお さえ られ る。 後述 す る よ うに , この こ とが 出生 率 を 家族 計 画 に よ って 減 少 させ るた め の成 人 教育 を発 想 させ る社会 的 背景 とな って い るが ,早 期 の解 決 は望 め な い。 と ころで ,人 口の 自然 増加 率 によ って ,か な り相 殺 され る経 済 成 長 の実 質 的 な伸 び は ,年 限 延 長 に よ る絶対 数 の増 大 と と もに , 自然増加 率 を上 まわ る教育 人 口の上昇 に よ って , さ らに相 48) 伊藤良二 ・阿部宗光 『アジア各国の教育事情』(帝国地方行政学会,1965),pp.7-9及び前掲 UN・ ESCO報告書

49)UNESCO,Ref)ortonthe WorldSituation,No.61.

50) GovernmentofThailand,StudiesonPopulation,Health,Nutrition,FoodandAgricalture,

Education,SocialWelfareand ManpowerAnd Ref)ortonPlanning for the Needs of

Childrenand YouthinNationalDevelopment,(Bangkok,1964),p.4.以下,この報告書の略

称 に RebortonPlanningfortheNeedsofChildrenand Youthを使 う。

ここの数値は NationalResearchCouncil,NationalSeminaronthePopulationof Thailand,

(1963),p.99を出典 としているo

(17)

東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第3号 殺 され ざるを得 ない。 す なわ ちタ イ USOM の調査で は, 1942年以来 の初 等教育人 口の絶対数 の増加 は表2の とお り で あ り,1956年 か ら60年 にか けての平 均年 間増が12万 5千 人,60年 か ら61年 にか けて15万 人 とい う数値 は,対 初等教 育 人 口あた りの増加率 に直 す と,年間約

5%

とな り,総人 口における年間 自然増加率

3%

強 を は るか に上 まわ る。 同 じ く表3は,幼年 (0-14才)人 口が総人 口に 占め る割合 の推移 を示 した もので あ り,人 口中の低年 令層増加率 が相 対 的 に高 い ことを示 して い る。 また ,表4は,1980年 まで の教育 人 口 (6-15才) の伸 び に関す る推 計を総人 口増加 率 に対比 させ た もので あ る。 このふたつ の表 か ら, タイ国 表 3 総人 口中に占め る幼少年 (0-14才) 表4 人 口の構成比 の推 移 表2 初等教育人 口の増加状態 年 度 惜 既 設詐 人 1942- 1945 1946- 1950 1951- 1955 1956- 1960 1960- 1961 29,0∞人 39,000人 79,0(刀人 125,0∞人 152,0∞人 出典 :TheJointThai-Usom Hll・ manResources Study,PreZi -minaryAssessmentofEduc a-ttonandHumanResourcesin Thailand,SchoolEnrollment

.

PartII,1961,p.6. 総人 口及 び教育 年令人 口 (6-15才) の増加 に関す る推 移 と推定 年 纏 金 井 6

1

1謂 ^*,e i

(

5 9

6

;

1 5 0 〇 一b ノ0 7 8 9 9 9 9 日り = HHU HU 4 0 9 1 7 1 5 8 2 3 3 4

18 49 44 1 ・l 1 2

出典 :前掲 RePortonPZanningforthe 出典 :前掲 RePorionPZanningfortheNeeds Needsof Childrenand Youth. ofChildrenand Youth.

における,生産年 令人 口の伸 びを上 まわ る消費人 口 ・教育人 口の伸 びの重圧 が ,今後十数年 に わた って続 くことが分 か るで あろ う。 なお, 教育人 口の 増大 は, と うぜ ん教員 の増加 を要請 す る。 教員養成 について は後述 す る が ,それ以外 の領域で も,近代 化 に必要 な技術者 は,1960年現在で人 口1万人 あた りで 日本 の 35.3人 や台湾 の20.1人 に くらべて ,なお0.3人 と著 し く僅少で あ り,医師 も 日本 の14.3人や台 51) 湾 の7.4人 に くらべ ると, タ イ国 は1.4人 にす ぎない。 この よ うな点 を考 えて も, タイ国 は,初 等教育 か ら高 等教育 まで ,正 に教育 に対 す る社会 的需要 は無 際限で あ る。次 によ り具体的 な現 状 と問題 点を整 理 して おきた い。

4

タイ国 におけ る教育の現状 と問題点 1)学校教育 の現状 と問題点 現 在 の学校教育制度 教育 による人材 開発を通 じて の近代化 を ,長 期 的 に解 決 してゆ く方途

51)Dept.ofEducationalTechniques,MinistryofEducation,Thailand.EducationalStatistics,

(18)

森l】 :タイ国近 代化 の社 会 ・文化的背景 と教 育的課由 は い うまで もな く学 絞 教 育 で あ る。現 在 の学 校 教 育 制 度 は

1

9

6

0

年 か ら改革 実 施 され た もので あ る。 この改革 で , タ イ国 の無 償 義務 教 育 年 限 は従来 の4年 か ら7年 に延 長 され , カ ラチ ・プ ラ ンの決議 どお りに な って い る。 日本 の6・3・3制 に対 照づ け る な ら, タ イの初 等 教育 7年 は前 ・後 期 に分 かれ て い るので ,

7(4:3)

・3・2

割 が標 準 的 な初 等 ・中等教育 課 程 で あ る。 けれ ど も,前 期 中等 教育 も後 期 中等教育 も普 通 課 程 の ほか に , それ ぞれ ,1年 で 終 了 , 2年で 終 了 及 び3年で 終 了 とい う三 通 りの職 業課 程 が あ り, この点 , 日本 とか な り異 な る。 図4は学 校 教 育 制 度 を 図示 した もので あ るが ,図 の下 に教育 人 口を 段 階別 にみた場合 の構 成比 を附 記 して お 図 4 タイ国の現行教育制度 .大 学 E:ii l Ji tその他 の 高等 故 背横 関 いた 。 全 教育 人 口の

91

% まで は初 等教育 人 口で あ り,職 業 教 育 課 程 と教 員 養成 を ふ くめ た 中 等 教育 人 口が

7.

7

% ,高 等教 育 人 口が

0.

9

% とい う構 成で あ る。 これ は構 成 比 で あ って就 学 率で は ない。 わ が国で 最 近 , 出版 され た ア ジア教育 事 情 の紹 介 記 事 に も, この両 者 を 混 同 して い る も のが あ るので 誤 りを 正 して お く。 初 等教育 (第

1

-第

7

学 年 ) の就 学 率 が

9

1

%

ほ ど高 くない と い う ことは ,後 に示 す とお り,

1

9

5

7

年 度 第

1

学 年入 学 者

1

0

0

に比 して

,1

9

6

4

年 に

7

学 年 に進 級 して い る もの は , そ の

8%

にす ぎず , さ らに ,年 令別 教育 人 口で

,1

9

6

3

年 度 の

8

才 の初 等教育 荏 籍 者 (第

1

年 級 に あた る) が ,

1

0

9

万 人で あ るの に対 し,

1

4

才 (第

7

年 級 に あた る) の在 籍 者 が9万 7千人 に す ぎない ことを 示 す , タ イ国 文 部省 資 料 に基 づ いて も, これ を就 学 率 と して 取 扱 う ことの誤 りは 明 らかで あ る

。1

9

6

2

年現 在 の初 等 教育 在 籍 生 数 は

4,

1

2

2,

1

7

2

人で ,総人 口 の

1

4.

9%

を 占め る

。1

9

6

0

年 の統 計で は ,初 等 教育 第

1

学 年 の就学 率 が

8

8.

2

%で あ る ことを つ け 加 えて お く。 なお ,上 に述 べ た初 等 ・中等 の 教育 課程 の ほか に ,特 殊 教育 施 設 と して ,2年 間 ず つ の盲学 校 とろ う唾学 校 が各 2校 あ り, また 山地民 た め の ボ ーデ ィング ・ス ク-ル が6校 あ - 19- 417

(19)

東 南 -/ I) I/研 究 韓 4巻 舞 3-i3L 52) る。 と ころで ,新 教育 制度 を め ぐる第1の問題 は ,延長 され た教育年 限 に関す る もので あ る。 反 対 論 の論拠 は 「経 済学 者 を 中心 に唱え られ る もので ,低 開発 国 の財 政状 態 が この よ うに長期 に 53) わた る国民 教育 の負担 に耐 え られ ない」 とい うこと,及 び 「形 式 的 に年 限延長 を実施 して も, 現在 の貧 しい教育 予算で まか な う限 り, きわ めて 内容 の粗末 な,結果 と して は浪費 にす ぎぬ教 54) 育 しか行 な うことがで きない」 とい うことに基づ いて い る。 ちなみ に, 日本 の義務 教育 年限 が

4

年 か ら

6

年 に延 長 され た の は明治

4

0

(

1

9

0

7

年 ) の ことで あ り,義務 教育 開始 後

3

6

年 目に あ た る。 タ イ国 の

1

9

6

0

年 にお け る延長 は義務 教育 開始 後

4

0

年 目で あ り,ほぼ 日本 の場合 に ひ と し い。 現実 に, タ イ国 の教育 予算 中で 初 等教育費 の 占め る割合 は

7

1

%

(後 出)で あ り, また , こ 55) の初 等教 育予 算 の

9

0

%以上 が教職 員 の給 料で あ る ことを考 えれ ば ,年 限延 長 を した場合 の教員 以外 の教育 条件 整備 にか け得 る余 裕 が どれ ほ ど, きび し く限定 され た もので あ るか が分 か るで あ ろ う。教 育人 口の総 人 口を上 まわ る伸 び につ いて はすで に述 べ た が ,現 在 の外 国 の国民総 所 得 の

1

6.

8

% を 占め る政 府予算 の中で ,最 大 の投 資 領域 はい うまで もな く経 済 開発で あ るが ,経 済 開発投 資 総額 が対

GNP

比 率で

3.

5

%で あ るのに対 し, 教育投 資 の対

GNP

比 率 が

2.

9

% と 56) い う大 き な割合 を 占めて い る。 日本 の場合 ,国民 所得 中 の政 府 予算 の割合 こそ

,2

1.

1

%

(前 出 ) とやや タ イ国を上 まわ るが ,

GNP

に対 す る経 済投 資 が

9.

2

% で あ るのに対 し, 教 育 投 資 は 57) 1

.

5

%

にす ぎない。政 府 予算 に 占め る両 国 の教育 費率 は, タ イ国

1

2.

2

%

に対 し, 日本

7.

1

%

で あ る。 と ころで ,上 に のべ た年限延長 - の批判 的意見 に対 し,支 持 論 の根拠 は ,第1が教育 機会平 等主義 の主 張で あ り,第 2は義務 教育終 了者 の文 盲- の再後 退 に対 す る必 要策 と して の主張で 58) あ る。 い まは , 第 1の点 の説 明 は省 略 す ると して , 第 2の点 に 目を注 ぐと, タイ国 の文 盲率 は

,1

9

6

0

年 まで の四年 制義務 教育 の普 及 と,補 充 的 な成人 初 等教育施 行 に よ って漸 次 ,減少 を 示 し

,1

9

4

0

年 に

6

8・

8

%

で あ った ものが

,1

9

6

0

年 には

2

9・

2

%

に な って い る。 けれ ど も,海軍 志願 59) 者 を対象 と した研究 の結果 ,義務 教育修 了者 の

4

% は,文盲 に戻 って いた ことが分 か った。 こ の研究 か らも, 「よみ ・か き能 力」 を い った ん 習得 して も, それ が4年 間程 度 の短 い期 間 にお ぼえた もので は,学 枚 を は なれ て使 用機会 に恵 まれ ぬ場合 ,文 盲 に後 退 す る可能性 も高 い と考 え られ るので あ る。 そ う して , これ が , もはや生 涯忘れ ないで すむ所 まで確 実 に修 得 させ るた

5

2

) UNES

CO

,EducationalSituationinAsia-PastTrendsandPresentStatus.p.

3

8

.

53),54) C.Vongsanyanha氏前掲論文

5

5

)

後 出第

9

表参照

56),57) 前掲 RePortonPZanningfortheNeedsof Childrenand Youth,p.175,出所はRebori ontheWorldSocialSituation,No.61,IV 4,(1961),p.71.

58) Vongsanyana氏 の- ワイ大学報告

表 8 タイ国における教員養成計画と実状

参照

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