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[Cultural Practices Favoring Young Marriage and High Fertility: The Case of a Priangan Sundanese Village, West Java]

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(1)

東南 ア ジア研究 25巻4号 1988年3月

西 ジャワ ・ブ リア ガ ン地方 の ス ンダ人農村社会 にお け る

早婚 ・多産 の文化 ・社会 的背景

孝*

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IGARASHI*

This report aims to establish the social・ culturalcontextsof fertility もehavior common to ethnic Sundanese,who predominate in the PrianganHighlands,W estJava,and have long been well・knownfortheir very young marital age and high fertility,in the hope that an understanding offertility・related socialpercep・ tions and cultural practices of a particular ethnicgroup willprovideabasisforexplaining regional and ethnic differences in levels and patternsOffertility in Indonesia. Here l will simply describe a number of institutions and practices involving the early stage of the reproductive period in women,i.C.,from the attainmentofadulthood to the consummation ofthe丘rstmarriage,which Iobservedduring 丘eldwork in aPriangan Sundanesevil一age.To compare social-culturalcontexts of fertility,I also present a brief review of data on the fertility behavior of other Indonesian etlm ic groups,particularly ofethnicJavanese,ofwhich ratherreliabledataisavailable.Fertility・related practices in Sundanese society are distinct

Ⅰ は じめに

西部 ジ ャワが ジ ャワ島 の中では相対的に早

*京 都大 学 東南 アジア研 究 セ ソ クー :The Center forSoutheastAsianStudies,KyotoUniversity

from those in Javanesesociety in many ways. For example:1. A considerable proportion of rural Sundanese girls get married before menarche, indicatlng that marriageability for ruralSundanesegirlspredatesmenarche,even though rural Sundanese residents state that menarchesignalstheattainmentofmarrlageable age. 2.Most marriages,including those of premenarcheal girls,take place at the girl's own wish,and are not arranged by parents or relatives. Almost all women interviewed showed a strong dislikeforarrangedmarriage including ``child marrlage." 3.A younger sister is strictly forbidden to marry before an elder sister. Thispractice naturally leads to the virtual universality of marrlage at an early age. 4.Consummation ofmarriage, even ``premenarchealmarriage,"takesplaceat a very early stage. Thismeans thatdivorce without consummation has rarely occurred, even though many 五rstmarriageshave ended in divorce. 婿かつ多産地域であ ることはかな り以前か ら 気付かれ ていた こ と ら しい。今 世 紀 の 前 半 (1920年お よび 1930年) にイソ ドネシア (当 時 ,蘭領東 イン ド) で行われた センサ ス結果 は ,ジ ャワ島の人 口学的特徴 として,初婿年 齢が大変若 く,皆婚-の志 向が強い こと,こ

(2)

東南 アジア研究 25巻4号 の債 向は特に西部 ジ ャワで著 し く,反対に王 侯領(ヨクヤ カル タとス ラカル タ),マデ ィウ ソ,クデ ィ リな ど中央 ・東部 ジ ャワの南部で は比較的弱い ことな ど,ジ ャワ島の出生力が 西に高 く東に低い ことを十分に予想 させ る結 果 を示 してい る [Nederlandsch・Indi台 1936: 49-51]。 この よ うなジ ャワ島におけ る出生力の地域 間格差 ,あるいは民族間格差に関す る調査 ・ 研究は今 日まで少 な くないが,1)本 格 的 な 分 析は1971年 のセンサ スに基づ くLeeJayCho (趨利済) らに よる報告書が最初 で あ ろ う。 それに よると,西部 ジ ャワ州の女子初嬉年 齢 は ジ ャワ島全体のそれ よ り1歳ほ ど低 く, ヨ クヤ カル タ特別 区のそれは反対に3歳ほ ど高 い こと,ジ ャワ島の出生力は西か ら東へ漸次 低下 し,合計特殊 出生率 の差が約 1 (す なわ ち生みあげた女子1人につ き約 1人,ただ し 農村部のみの比較) であ ること,再 生産年 齢 初期の出生力 (と りわけ 15-19歳におけるそ れ)が西部 ジ ャワ州で著 し く高 く, ヨクヤ カ ル タ特別 区では低いこ と,な ど今世紀前半に 行われた センサスが予想 させ る結果 とよ く符 合す る(表1) [Cho

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.

1980:59].

Lee・Jay Choらは さらに県 (kabupat6n) ごとに推計 された合計特殊 出生率 の分析を行 い,ジ ャワ島の高 出生力地帯は,西部 ジ ャワ州 全域に及ぶのではな く, プ リアガン地方に局 在 していることを兄い 出 した 後 [ibt'd.:61 -62],県別 に計算 された コール (Coale)のイ ンデ ックスを四つ の カテ ゴ リーに分類 し,各 県が どの カテ ゴ リーに含 まれ るかの地理的分 布を示 してい る。 これに よると,きわめ て興 味深い ことに, プ リアガン地方 とヨクヤ カル タ地方の諸県はそれぞれ まとまった地域 を形 成す る。す なわち, プ リアガン地方一帯には 有配偶 出生力の指標 (Ig) と有配偶割合 の指 標 (Im) のいずれ もが高水準であ るカテ ゴ リ 表 1 1971年セソサスに基づく年齢別特殊出生率と合計特殊出 生率の推定値 (ただし農村部のみ) 年齢グループ (読) 州/地域区分 15-192012425-2930-3435-3940-4445-49 合計特殊 出 生 率 西部ジャワ州 中央ジャワ州 ヨクヤカルタ特別区 東部ジャワ州 4 3 4 5 日 り ‖ り ‖ り 目 し 8 8 .4 7 4 4 5 4 8 2 2 2 1 2 3 0 1 1 1 1 2 3 .4 0 0 0 1 7 2 2 2 1 4 5 3 9 27 26 26 22 0 1 8 7 0 8 6 4 3 2 2 2 9 8 6 0 3 7 1 7 2 1 1 1 9 5 2 CO 5 5 5 4 ジャワーマ ドゥラ 193 273 2 5 4 1 日H9 1 41 48 14 5.4 イ ソ ドネ シ ア 187 282 270 208 128 58 18 5.7 資料の出所 :ChoetaZ.[1976:5] 1)これらの調査は,そのいずれもが中 ・東部ジャ ワ (ジャワ人)に比較 した場合の西ジャワ (ス ソダ人)の早婚 ・多産憤向を指摘する(例えば, Budi[1980:40-41

]

,

Iskandar [1970:114

,

137LMcNicolletal.[1983:53-55],Parsudi etal.[1980:26],Timmer[1961:35-38], Zuidberg[1975:34-35]など)。また,ジャカ ルタに居住するスソダ人系およびジャワ人系の 子孫についても,同様な傾向が観察されている [Jul丘taet

al

.

1980:`47-48,60-61]。

9

4

一に含 まれ る諸県が 分布 し, ヨクヤ カル タ特別 区を含む 中部 ジ ャワの南部一帯に 紘,有配偶 出生力に ついては同程度に高 いが有配偶割合が低 い カテ ゴ リーに含 ま れ る諸県が分布す る libid.:64-65

]

.

ジ ャワ島 の二 つ の 文化的核心域,す な わちスソダ人の居住地であるプ リアガン地方 とジ ャワ人の文化的中心地である ヨクヤ カル タとその近傍が ,以上 のよ うに出生力構造の 点でそれぞれあるまとま りを示す事実は,出 生力構造が個別 の文化 ・社会的な背景 と強 く

係わっていることを強 く示酸する。

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Choらは また, 有 配 偶 割合の高い地域 が プ リアガン地方ばか りではな く,中 ・東部 ジ ャ

(3)

五十嵐 :スンダ入鹿村社会における早婚 ・多産 ワ島 の北海岸一 帯 (パ ンシール) にか け て分 布す る ことを示 してお り [ibid.:71-72], ジ ャ ワ島 におけ る 出 生 行動 の 背 景 と して 宗 教 (イ スラム教) が 疑 い もな く重 要 な 要 素 で あ る ことを窺 わせ る。2) ジ ャ ワ島 に おけ る出生力構 造 の地域 ・民族 間格差 とそ の文化 ・社会的 背 景 に関す る ミク ロな レベルで の調査 ・研究 は ,今 日まで多少 の蓄 積が あ る とはい え,そ のほ とん どが ヨク ヤ カル タとそ の近傍 で 行 わ れ て き た も の で [M cNicollet

al

.

1983:56], ジ ャ ワ島 に おけ る も う一 つ の文 化的 中心地 であ る プ リア ガン地方 におけ る同種 の情報 はほ とん ど欠 落 してい る。3) この よ うな資 料的欠落 を補 い ,出生行動 の 地域 ・民族 間格差 につ い ての よ り精綾 な考察 へ の端緒 を兄い 出す こ とを 目的 に ,筆 者 は プ リアガ ソ地 方 の- 村落 におい て, 出生行動 と そ の文化 ・社会的背 景 につ い て調 査 を続 け て きた。 ジ ャ ワ人 とスソ ダ人は ジ ャ ワ島 内の近 隣 集団 で多 くの文化的 要素 を共有す る とはい え , ジ ャワ人につ い て一 般 に指摘 され る出生 2)スソダ人はイスラム信仰の厚い民族 といわれる [peacock 1973:100-101]。この点では非イス ラム的要素のより強いジャワ人とは対象的であ るが,ただ しジャワ島の北海岸一帯 (パシシー ル)に居住するジャワ人はイスラム信仰が厚い といわれる[Koentjaraningrat 1985:21]。 3)プリアガン地域においてもミクロな レベルでの 出生 行動 の調査は,例えば, Dessy [1980], Djuariah [1968;1981],拡etty[1979],Molly [1971],Siti[1980],Susi[1980],Winati[1970] などによって行われて きたが,これ らの うち Djuariah[ibid.],Winati[ibid・]などを除 く と,調査手法などの点から十分信頼に億すると 思われるものはない。なお,西ジャワで行われた 地域医療に関するインターディシプリナ リーな 調査として有名なスルポン ・プロジェク トもま た出生行動に関する多くの情報を収集 している が [Zuidberg 1975;ZuidbergeEall1977

]

,

調査地がスソダ,マ レー,ジャワ,中国系が温 位する比較的ジャカルタに近いマ レー語圏であ るため,プリアガン地方のスソダ人社会におけ る出生行動を理解する際の直接的な参考 とは出 来ない恨みがある。 行動 の諸特徴 は ,必 ず しもスソ ダ人につ い て は 当ては まらない。た とえば ,す でに予 備 的 な報告 [Igarashi 1985b:86;1987:19]で 指摘 した よ うに, ジ ャ ワ人社会 におい て妊娠 間 隔を決め る最 も特 徴 的 な 要 因 と し て 従 来

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Hulll1980:231

]

,Singarimbunet

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.

[1976:175]等 々が指摘 してきた産 後 の性的 禁 欲 は , スソ ダ人社会 におい ては ,ジ ャ ワ人 に較べ遥 か に短 く,分 娩 後 の月経再 開 後 もな お性的禁欲 を続 け る者 は極め て稀 で あ って , したが って産 後 の性 的禁欲 の習慣 は スソ ダ婦 人 の妊娠 間 隔に直 接 関わ りを持た ない。 スソ ダ婦 人 の 出生間 隔に直 接影 響 を及 ぼす のは産 後 の無 月経期 間であ り, よ り突 っ込 んだ 出生 力研究 のため には ,産 後 の無 月経 期 間 と係わ る授 乳 行動 な どの文 化 ・社会的背 景 ,お よび 母 体 の栄養状態 な どの生物 ・医学 的背 景 の検 討が必 要 に なろ う。 本稿 の 目的 は , この よ うな 出生行動 とそ の 文化 ・社会的背 景 の地域 ・民族 間格差 を明 ら か にす る一環 として, プ リア ガン地 方 の- 村 落 の事例 を通 して ,出生力 の レベ ル とパ ター ンに関連す る と思われ る スソ ダ人社会 におけ る習慣 ・慣 行 を研究 ノー ト的 にひ と渡 り概 観 してお くこ とであ る。 ただ し,本稿 では ,女 子再 生産年 齢 の全期 間を扱 うのでは な く,観 察 を再 生産年 齢初 期 (具体的 には スソ ダ人女 子 の性的成熟 が始 まる年 頃か ら最初 の婚 姻 後 の性的結合成 立 まで) に限 り, この期 間の高 出生力に関連 付け られ る と恩われ る習慣 ・慣 行を ,主 に ,信 頼で き る資 料が比較的揃 って い るジ ャ ワ人社会 のそれ と比較 しつつ記 述す る こ とに したい。4) 4)筆者の調査地であるサラムンカル村落は,西ジ ャワ州の州都バン ドソ市の東南東にある小巴マ ジャラヤから東南へ徒歩で約1時間40分のとこ ろに所在する山麓村で,バン ドソ県パセ-郡に 属する。サラムソカル村落の人口 ・世帯数,気 象条件,生業等々についてはすでに別稿 [五十 嵐1982;1984;1987;Igarashi 1985a]に報告 したので,ここでは繰 り返さない。

(4)

東南 アジア研究 25巻4号

balるgをめ ぐって コー ランは婚姻 の下限年齢を定め ていない といわれ るが ,イス ラム社会では コー ランの 記述 に基づ き,ある子供が結婚可能 となるの はb豆Iigh(イン ドネシア語ではbalig)と呼ば れ る成長段階に達 した時であると考 えられて

い る[Hammtidah 1977.・76;Mahmou'ddin

1982:49;Maulana 1977:414-415]。この b孟lighは コーランの第4章第6節に言及 され てい る言葉で,身体的な性的成熟を遂げ る思 春期 を,社会的 には成人 としての社会的義務 の生 じる年 頃 と見倣 され る成長段階を意味す る言葉であるとい う[AIIamah 1984:57-62; Gibbetal.1960:993;Hushes 1885:35

]

o

イスラム法において何歳を もってb豆Iigh に達 した とす るのか に関 して,様 々な見解が ある らしいが [Gibbetal.1960:993],身体的 な 性成熟を示す生理的現象 ,す なわち女の子は 初潮を もって,また男の子は最初の夢精 を も って "成 人''にな った と見倣す慣行はイ スラ ム諸 国 で 広 く見 られ る [Indonesia 1978;

36,・Tanzil・Ur-Rahman 1978:63;Winati

1970:23

]

さて,上記 のb豆ligh は スソダ語ではbal6g と靴 るが ,プ リアガン地方一般におけるこの 言葉 の理解は,筆者 の知 る限 り,上記の説明 とはやや異なるので以下に述べ てお きたい。 言 うまで もな く村人は,ある一定の年齢を も ってある成長段階に達 した と判断す るのでは ない。仮 に,何歳以上を 「成人

と見倣す と い うよ うな決 ま りがあ った として も,正確 な 暦年齢を知 らない村人に とって,それは何の 意味 も持たないであろ う [Soepomo 1933: 31].村人が,bal6gに達 した と判断す る決め 手 とす るのは,立居振舞 ・身のこな し方 とい った子供 の示す行動様式であ る。す なわ ち, 村人の説明に従えば ,あ る子 供 が mangkat 596 bal6g("ba16gの段階に達 した'') と判 断 さ れ るのは,宗教的な戒律 (1日5回の礼拝 , 断食 月における断食 など) を守 ることが 出来 るよ うになること,不必 要に泣かな くなるこ と,他人 との会話で状況に応 じて丁寧言葉の 使い分け (undak・usuk basa)5)が 出来 る よ う になること,子守,水汲みな どの仕事を始め, 女の子である な らば,食 事 の支 度 ,食 器 洗 い,脱穀 ・籾摺 り,掃除 な どの家事労働を, 男の子であるな らば ,薪集めな どの家事労働 のほか ,林刈 り,家禽 ・家畜の世話な ど生産 活動に結び付 く仕事を任せ ることが 出来 るよ うになる頃 とされ る。 村人が bal占g と判断す る成長段階は, 実 際には何歳 ごろか らに相 当す るのだろ うか ? 試み に,い く人か の 子 供 を 対 象 に,す で に bal6gに達 しているか ど うか とい う質問をそ の母親に行な ってみた ところ,50%の子供が bal8g と見倣 され るよ うになる年齢 (中央値) の推定値は,女の子の場合9.1歳,男の子の場 合は これ よ りわずかに遅 く9.7歳であ った.6) この年頃では女の子 も男の子 も何等 の二 次性 徴が発現 していない段階であ るか ら,子供が mangkn tba16g("ba

l

6gの段階に達 した'') と判断す る手掛か りを外見的に明 らかになる 性的成熟 と関連 させ ていない ことが分か る

7

)

5)話 し相手が話 し手よりも目上か目下であるかに よって丁寧さの度合を変化させる習慣(待遇法) のことで,ジャワ語のunggah・ungguhingbasa に相当する。 6)これらは statusquoデータの prol)it変換値 から求めた中央値の最尤推定値であ る。この statusquo法については別稿で述べた[Igara・ shi 1985b;1987]。なお,以下の表4,表6, 表8なども同様の方法による。 7)ジャワ島住民の二次性徴の発現年齢に関する情 報を筆者はまったく知らないが,平均初潮年齢 は,先進国に較べ,かなり遅いので[IgaraShi 1985b;1987],二次性徴の発現年齢もやはり遅 いと想像される。なお,二次性徴としてふつ う 最初に認められる乳房膏期(乳房発育の第 2期) を迎える平均年齢は,先進国では,満10歳ない し11歳である[Tanner1962:36-37コ。

(5)

五十嵐 :スソダ人魚村社会における早婿 ・多産 bal6gに達 した子供 の重 要 な仕事のひ とつ は幼い弟 ・妹 の子守であ る。 母親が家を留守 にす ることの多い農繁期 を通 して,弟 ・妹 の 面倒を見 る子供 は学校 を休 まなければ な らな い。サ ラムソ カルの子 供 が 通.5小 学 校 に は "農繁 期休み''の制度が ないた め,再 び 学 校 に戻 って も授 業につい てゆけず ,農繁期を通 じて長期欠席す ることが しば しば 中途退学 の き っかけ とな る。8) 本稿 で と りあげ る調査地 サ ラムソ カル村落 在住 の112名 の既婚婦 人の最終学歴 は表 2の よ うにな る。 学校へ まった く通 わなか った13 表2 サラムソカル村落在住112 名の既婿婦人の最終学歴 最終学歴 人数 学校-全く通わず 小学校1学年まで 小学校2学年まで 小学校3学年まで1) 小学校4学年まで 小学校5学年まで 小学校6学年まで 小学校卒業 中学校2学年まで 高等学校1学年まで 3 8 4 2 3 7 5 8 1 1 1 2 2 1 1 注1) 3年制 であった村落学校 (sakolad卓sa)を卒業 した 者も小数含む。 8)この地方で農繁期に学校を休みにすることは実 際上不可能であると思われる。とい うのは,別 稿 [五十嵐 1984:44-49]でも述べたように, 水田耕作は降雨の季節的多寡と関係なく行われ ているため,農繁期は毎年異なった時期にやっ て来るうえ,同じ学区の中でも水田耕作の周期 は集落毎に少 しずつ異なり, したがって農繁期 もずれてやって来るからである。ヨクヤカルタ 特別区の天水依存地帯である二つの県において は学校の農繁期休みがあ り,港概水が年間にわ たって獲られる他の二つの県においてはその ような制度が取 られていない とい う[White 1976:292

]

名を除 く通学体験者99名につい てみ る と,そ の約60%が小学校 2学年か ら 4学年 までの間 で ,あ るいはその約85%が小学校1年か ら5 年 までの問で 中途退学 してい る。 ここで注意 してお くべ き ことは ,応答者 のすべ てが ,過 学 した時 には も うとっ くに ba

1

6g に達 して いた , と述べ てい る ことであ る。す なわち , た とえ小学校1年 で退学 した者 で も,退学時 の実際 の年 齢は7- 8歳 ではな く,かな りの 仕事が こなせ る年 頃にな っていたであろ うと 思われ る。 母親が子供 の年 齢を正確 に知 らな い こともあ って,入学時 の実際 の年 齢には相 当な幅があ り,そ の うえ各学年 で落第す る者 が少 な くないため (約18%),各学年 に 在 籍 す る学童 の年 齢幅は大変広 く,た とえ1年 生 であ って もす でに ba16g に達 している者が 幾 人か は存在す る。9)112名 の既婚婦 人につ い て退学時 の年齢を知 るこ とが 出来 ないため , 憶測にな るが ,おそ ら く,退学時 の実際 の年 齢は ,退学時 の学年 とはほ とん ど関係な く, ba16g に達 して間 もない頃か ら一 人前に近い 仕事が こなせ る よ うな年頃-ll-13歳- まで に集 中 してい る と想像 され る。 学校 を止めた後の子供 の身辺 にはい くつか の変化が生 じるが ,そ のいずれ もが 「成 人

とな るため の過渡的過程におい て重要 な意味 を持つ と思われ る.その一つは宗教教育に係 わ る。小学校 に入る頃か ら子 供 達 は,ngaos (または ngaji),す なわち,近 くに住む guru (イ ス ラム教師) の元へ通い , コー ラソ の 読 み方を習い始め る。子供達 はイ ス ラム教師か らコー ラソの読み方 を習 うだけでな く, コー ランの教 えに基づいたmapatahan(訓戒)を 9)サラムソカルq)子供が通 う二つの小学校の在籍 学童の場合,たとえば,2学年に在籍する者の 年齢は7歳から11歳まで,3学年のそれは8歳 から14歳までにひろがる。また.例えは,満9 歳の学童が在籍する学年は1学年から4学年ま で,満10歳の学童が在籍する学年もまた1学年 から4学年までにわたる[五十嵐 1982:133]。

(6)

東南 アジア研究 25巻4号 受け るO この ngaosは, 毎夕 magrib(日 没時の祈 りをす る頃, 午後6時頃) か ら isa (就 寝 前 の祈 りをす る頃,午後7時頃) まで の時間帯に行われ,学校 を出る頃には "修 了" す るのが慣わ しであ る。ng80Sを "修 了"す ると,イス ラム教師に替わ って,親が mapa -tahanをす る番であ る。親に よるmapatahan

が イス ラム教師のそれ と違 うのは,その内容 が しば しば ``成人向け''である点で,ふつ う 男の子には男親が,女の子には女親が行 う。 村人が しば しば言 うよ うに 「結婿す ることは コー ランの教えに従 うことであ って,イ ス ラ ム教徒 としての務め である

とい うよ うな結 婚観 ,あ るいは性に係わ る数 々の禁忌,妻や 夫 としての義務等 々に関す る教えが ,村人な ら誰で も請 じてい る コー ランの一節や スソダ 語の格言 ・諺を混 じえて親か ら子へ と伝 え ら れ る。 幼い弟 ・妹が イスラム教師の もとへ行 って不在である 日没後のひ とときこそが ,こ の よ うな性に係わ る教えを,間 もな く性に 目 覚め る年 頃の子供 に対 して諭す格好 の機会 と なる。 学校を止め て以降の も う一つの重要 な変化 は,仕事の内容が成人のそれに近付 くことで あるOす なわち,ba16gの初期の段階では学 校に通いなが ら家事の手伝いを し,い くつか の雑用を任 され るだけであるが ,学校を止め るとともに,女の子であれは本格的に家事の 切盛 りを始め,やが てす ぐ下の妹 ・弟に子守 を譲 ることが出来 るよ うになると,農 作業へ も参加す るよ うになる。男の子の場合は農作 業だけではな く村 の共 同作業へ も加わ るよ う になる。初めの うちは,賃金労働や刈取 り作 業に参加 しても一 人前の報酬は受け られず, せいぜい1回分の食事が与え られ るだけであ る。女の子であれば,この頃か ら結婚す る者 が現れ始め るが,多 くの者は しば ら くの期間, 現金収入の稼 ぎ手 として働 き,その後に最初 の結婚に至 る。 598 表3-1 112名の既婚婦人が初婚以 前に従事 した主要 な仕事 初婚以前に従事 した仕事 人数 家事労働 のみ (子守を含む) 村落及びその近 傍 での賃金労働 町での賃金労働 41 学校1) 4 合 計 112 注1) これは,すべて在学中に最 初の結婚を経験 した婦人 で ある。 その様子は表

3-

1

に見 ることが出来 る。 こ の裏は112名の既婚婦人に対 して初婚以前に 従事 した仕事の うち主要な ものを一つだけ挙 げて もらった ものであるが

,

「村落 及 び そ の 近傍 での賃金労働

に従事 した者 と 「町での 賃金労働

に従事 した者 を合わせ ると,全体 の約7割が初婚 までに一度は現金収 入の稼 ぎ 手 として働いた経験 を有 す る こ と一に な る。 「村落及びその近傍での賃金労働

は,親元 に留 ま りなが ら,報酬 (賃金)を 目的に他人 が耕作す る水 田 ・畑地での農作業に雇われ て 農業労働に従事 していた者 である。 これに対 して 「町での賃金労働」は,村か ら町 (主に マジ ャラヤ) まで通 うか ,あるいは親元を離 れ て町 (主にバン ドソ) で暮 らしなが ら日雇 い賃金労働に従事 した者 である。町で賃金労 働に従事 した

41

名の うち

,3

4

名が マジ ャラヤ の紡績工場,6名がバ ン ドンの市場 ,残 り1 名がバ ソ ドンの商店であ った。 言 うまで もな く多 くの者は,以上二つの カテ ゴ リーのどち らか一つではな く,いずれに も従事 していた もの と思われ る。 しば しば,ジ ャワ人の女は結婚彼 もよ く働 くが ,スソダ人の女は結婚 した ら働かない, と言われ る [McDonald e

ial

:

1

9

7

4:

5] . これは行商な ど直接現金収入に結び付 く活動 について言われ ることであるが ,スソダ人 と

(7)

五十嵐 :スンダ人農村社会における早婚 ・多産 ジ ャ ワ人 の この よ う な違 いは他 の調 査 で も裏 付け られ てい る [Meyer 1981:10ト 102]。サ ラムソ カル におい て も,女が工 場 ,市場 な どで働 く のは ,結婚 までのほ ん の 一 時 期 に 限 ら れ,10)そ の期 間は 平 均 1.5年 ほ どに過 ぎ ない (平均値19.8カ 月) (表3-2)

この 表3-2 初婚以前 に町 で 従事 した仕事 の 期 間 期 間 人数 2.5カ 月 3 カ 月 5 カ 月 1 年 13カ 月 1.5 年 2 年 3 年 4 年 1 3 4 9 1 4 9 9 1 期 間 に多 くの者 は最 初 の配偶者 とな る者 に 出会 い ,結婚 を待 たず して賃金 労働 を辞め るか らであ る。 ba16g のあ る段 階 で,乳房 の発 育, 陰毛 ・ 脇 毛 の発 生 ,喉頭 隆起 ・声変 わ りな どの二 次 性徴が発 現す る。続 い て身長が急 激 に伸 び る 時期が あ った後 ,女 の子 であ るな らは初潮 を 迎 え る。村 人の説明 に よれ ば ,"性 的 に 成 熟 した,''あ るいは ``成 人 した''とい う意 味 で ba16g とい う言葉 を使 うこ とも決 して間違 い では ないが, よ り正確 には ahirba16g,す な わ ち "ba16g 期 の最終 段 階 に達 した''と言 う べ きであ る とい う。11)す なわ ち,村 人に よる 10)ただ し,まとまった現金が必要 となるルバラン (L芭baran- 断食明けの大祭)直前などには主 婦がにわか商人となって行商をする姿が見られ る。また,離婚 した婦人が現金収入活動に従事 するのは当然と考えられている。 ll)筆者は当初,村人が盛んに用いる"ahirbal占g" とい う言葉は,"akilbal6g"の間違いであろ う と考えていた。とい うのは,標準的なスンダ語 辞典にはすべて "akilba16g"は載っているが, ``ahirba16g''とい う言葉は見当たらないからで あ る (ただ し,最新 の スソ ダ語辞典 であ る Eringa[1984:8]には ahirbal占g が載 って お り

,

「akilba16g と同義」となっている)Oこ の点を改めて村人に確認 してみたが,村人の語 桑には akilba16g とい う言葉がないらしく, Hasan[1913:52]が 「スンダ語ではakilb816g とはいわず,ahirbal丘gとい う」と述べている bal6g とい う言葉 の使われ方 は,標 準的 な辞 書等 に よる説 明 よ りもず っと広 く,性的成熟 に至 る以 前のか な りの長 い期 間を 含んでい る ことが分か る。 この ahirba16g に達 した と判 断 され る決 め手 は,女 の子 であ るな らば 月経 (h6dまた は kar盲sban) が始 まる こ と, 男 の子 であ る な らば最初 の夢精 (ngimpikaluarcaimani, ngimpisapat岩mon,あ るいは単 に ngimpi)

を経験す る こ とであ る とされ る。12)サ ラムソ カルにおけ る平均初潮年 齢 は,別稿 でやや 詳 し く報告 した よ うに

,

「思い 出 し法 」に よ り算 出す る ことは不可 能 であ る [Igarashi1987: 2-3]。 したが って,本稿 で と りあげ る 112名 の既婚婦 人につ い ての平均初潮年 齢 を知 る こ とは 出来 ない。そ こで , これ とは別 の集団 , す なわ ち調 査時点 におい て10歳か ら19歳 であ った女 子に対 し,既潮 か末潮 かを尋 ね , この 結果 か ら初潮年 齢 の中央値 を算 出 した結果 は 表4の よ うにな る。 また 同一 の方法 に よ りえ られた年 齢別夢精体験 の有無 と,初 回夢精年 齢 の中央値 も同表 に見 る よ うで あ る。 す なわ ち,50% の女子が初潮 を迎 え る年 齢 は 15.2 読,50%の男子が最初 の夢精 を経験す る年 齢 は17.1歳 と推 定 され る。 ジ ャワ人社会 におけ るの と同様 に [Geertz 1961:119], スソ ダ人社会 におい て も,女 の 子 の初潮 には祝 い事 を伴わ ない。せ いぜ い粥 を作 って 内輪 の老 だけ で食べ るだけ であ る。 この こ とは , しか し,あ る女 の子が初潮 を迎 えた こ とに何 の関心 も払 われ ない とい うこと ではない。 それ どころか ,誰 々が初潮 を迎 え ことに一致する。なお,スソダ人社会の習慣 ・ 慣行に関する従来の文献のうち, 正 しく"ahir bal占g''とい う言葉が記載 されているのは,筆者 の知る限 り,Ajoeetal.[1927:62]のみであ る。 12)Winati[1970:23]ほ, プリアガン地方のある 村の事例として,全く同様な村人の見解を報告 している。

(8)

東南 アジア研究 25巻4号 表4 初潮 (女) お よび夢精 (男) の年齢別体験割合,お よび初潮年齢中央値 と初回夢精年齢 中央値 の probit変換最尤推定値1) 女 男 調査時年齢 観察人数 初潮体験者 (%) 調査時年齢 観察人数 夢精体験者

(

%)

10.0-ll.9 12.0-13.9 14.0-15.9 16.0-17.9 18.0-19.3 9 7 4 9 4 1 1 1 0

(

0.0) 0(0.0) 8(57.1) 16(84.2) 14(100.0) 12.0-13.9 14.0-15.9 16.0-17.9 18.0-19.9 20.0-21.9 5 7 9 2 ・4 1 0( 0.0) 0( 0.0) 5(55.6) ll(91.7) 4(100.0) 全年齢 63 38 全年齢 37 20 初潮年齢中央値 のprobit変換最尤推定値 : 中 央 値 :15.2歳 標準誤差 :0.36 標準偏差 :1.51 注1) なお脚 注6を参照 のこと。 た とい うニ ュースはその 日の うちに村中の若 者が知 るところ となるほ どに,大 きな関心を 持 って迎 え られ るのが常である。 初潮を迎 え た とい うことは,その娘が結婚す るのに "ふ さわ しい"年 頃に遷 した ことを意味す るか ら である。

結婚適齢期 イン ドネシアで婚姻 の下限年 齢を定めた婚 姻法 (Undang・Undang No.1/1974)が成 立 したのは1974年12月,魔 行 されたのは翌1975 年 10月か らであ る。 この婿姻法に よれば ,婚 姻 の下限年 齢は男19歳 ,女16歳 であ る

[

V.

.

Hull 1975:205;Susi 1980:35] 。 しか しなが ら,法的な婚姫 の下限年齢があ るとは い って も,婚姻 の手続 きをす る際 に本人の暦 年 齢を確認す る手段が ないため ,下限年齢以 下の婚姻 を防止す ることにはほ とん ど役にた ってお らず ,村社会においては,"ふ さわ し い" と考 えられ ている年頃で多 くの者が結婚 す る,とい う実感 には何 ら変化が ない。 女の子の場合,多 くの村人が強調す るよ う に,初潮 を迎 えた らなるべ く早い時期 に結婚 600 初回夢精年齢中央値 のprobit変換最尤推定値 : 中 央 値 :17.1歳 標準誤差 :0.38 標準偏差 :1.20 す るのが良い とされ る。 この ことは,前述 し た mapatahan(訓戒)の時に親が述べ る文句 か らも窺 うことが 出来 る.娘 に向か って親が 諭す文句は,例 えば次の よ うであ るとい う。

Man6h t6h kakaraba16g buru・buru bogaSalaki

am6h ayanu mangmarabankeun

,

mangmak6ankeun,mangnglmahkeun. "大人''(ba

l

丘g)にな ったか らには 一刻 も早 く夫 を持 ちな さい, 夫 を持 てば,食べ させ て くれて, 服を買 って くれて,住む家 もできるか ら。 この決 ま り文句 の 中 で 使 わ れ て い る ba

l

占g は,す でに述べた ahirba

l

占g,す なわち初潮 を迎 える年 頃 (男子な らば,最初の夢精 を経 験す る年頃) を意味す る。 一方 ,男の子の場合は, ahir ba

l

占g に達 す ると結婚可能な年 頃にな った と見倣 され て ち,必ず しも結婿に "ふ さわ しい年頃''とは 考 え られず ,結婚相手を養 ってゆけ るだけの 条件が整 って初め てふ さわ しい年頃になる, と少 な くとも村人の建前では考 え られている らしい。男 の子に向か って親が諭す時の文句

(9)

五十嵐 :スソダ人農村社会における早婚 ・多産 ほ ,た とえば次の よ うであ る。

Man6h t6h kakaraba16g geurabogapamajikan am6h ayanu ngalalad6nan. Tapim6m6h war岩g

1

6

16ngohan ulah wakabogapamajikan lantarankududiparaban Jeungdipak6an.

"大 人''(bal6g) にな ったか らには お まえ も早 く妻 を持 ちな さい , 妻 は身 の回 りの世話を して くれ るか ら。 しか し枕添 のい ない ことが辛 くな るまでは 早 まって妻 を持 ってほいけ ない , 妻 を持 った ら,食べ させ て, 着 る もの も与 えなけれ ばな らないぞ。 女 の子 は "性 に 目覚め た ら" 出来 るだけ早 く結婚 しなければ な らない とす る理 由は ,ほ ぼ二 つ に要約す る こ とが 乱 来 る。 そ の 一 つ は,初潮 を迎 えた女子 はす でに十分 に napsu sahwat(性的欲望)を持 った成熟 した成 人で あ り,独 身でいつ づけ る ことはふ しだ らを犯 し,adat(慣 習) を犯す 危険 な存在 にな りえ る, とい う理 由であ る。 い ま一 つ は ,適 齢期 に達 した後 なお しば ら くして も配偶者 を持 た ない女 の子は "売れ残 り''(teu payu) と抑 稔 され ,当人に とって大変恥ず か しい ことで あ るだけ でな く,そ の親 も社会的 な非難 の対 象 に され る, とい う理 由であ る。1‡) 13)以上の様な理由づけは,Utonetal.[1977](こ の本は,スソダの文人 (bujangga)達による結 婚に対する心構えとならわ しについての書き残 しを集成 ・編集 し,一般大衆への示針として出 版 されたものらしい)にも,明瞭に述べられて いる。すなわち同書の 「親の子に対する義務

と題する章には次の様に書かれ てい る。「もし 子供が``成人"(akilbaligh)になったなら,女の 子であれ男の子であれ,出来るだけ早 く結婚さ せるよう努めるべきである‥‥‥(中略).‥‥. "年 頃 を 過 ぎ た 未 婚 の 女 子"を 意 味 す る parawanjombloは蔑み の ニ -アン スを含む 言葉 であ るが,不幸 に して parawanjomblo

と形容 され る よ うにな った娘 を持つ 親は ,や む な く,適 当な男を見つけ て取 り入 り,婚 資 (岩maskawin),婚姻 登録料 (ip盲kah)等 々結 婿 に際 して男側が 負担すべ き一切 の義務 を娘 の親が 支払 って まで して, 自分 の娘 との結婚 を懇願す る, とい う。 もちろん ,当人に とっ て も親 に とって も大変 不名誉 な こととされ る この よ うな形式 の配偶者 探 し (meuli・meuli) は,14)サ ラムソ カルに も先 例が あ る といわれ るが ,実際 に生 じる ことは きわめ て稀 な こと であ る。 女 の子は ``性甘こ目覚めた ら" 出来 るだけ早 く結婚 しなければな らない とい う村 人の指摘 に関連 して,い ま一つ 注意 して置か なければ な らない習慣 は ,兄弟間におけ る結婚 の順序 であ る。す なわ ち, 同性 の兄弟は ,生 まれ た 順 に結姫す る もの とされ ,未婚 の姉 (兄)よ り も先 に妹 (弟)が 結婚 しては な らない とす る習 慣 であ る。 この習慣 は イ ン ドネシア全域 にお い て宗 教 の如何 にかかわ らず見 られ る とい う が [Boerenbeker 1931:70-72;Mariaet

al

.

1983:167-169], この習慣 が実際 に どの程 度 の拘束 力を持 ってい るか , また男兄弟に も適 用 され るか ど うかは地 域 に よ りか な りの差が なぜなら,もし急ぎ結婚させないと,その子は 性欲に耐えられず道を誤まり,その親は 〔道を 誤まった〕子供に由来する悪評 と罪を負 うこと になるからである」[ibid.:3]。同様 な理 由付 けは,やは りイスラム国で早婚傾向の極めて強 いバングラデシュを始め[原1968:34;Maloney etal.1981:84],イスラム諸国に広く見られ るとい う [Youssef 1978:78

]

14)女の側からほ meuli・meuli,男の側からは di・ beuli・beuliと表現される。この言葉の適訳を思 い付かないが,meuliは ``買う,"dibeuliは "質 われる''が本来 の意味 であ る。また,"漁網" (sai一) とい う言葉に由来する nyair(``捕らえ る"),disair(``描らある") とい う言葉で表現 されることもある。

(10)

東南 アジア研究 25巻4号 あ るらしい。ジャワ人社会 [KaStO 1982a: 69]や ミナ-サ人社会 [Inkiriwang 1983: 64]においてほ妹が姉に先ん じて結婚す るこ とは実際には可能であるとい うが ,スソダ人 社会においては この習慣が厳格に守 られてい るとしば しば指摘 され る [Hasan 1913:53; indonesia 1982:49-50;McDonaldg

fα7

.

1974:4;Prawirasoeganda 1941:289; Prawirasuganda 1951:241-242;Yasmine 1977:20;Zuidberget

al

.

1977.・80].サ ラ ムンカルにおいて も,この習慣は厳格に守 ら れ てお り,今 日まで妹が姉に先ん じて結婚 し た例は1件 も生 じた ことがない とい う。妹に 先 を越 され ること (karunghal)は,姉 に と って "死ぬほ ど辛い''(pa6heun), とい うの がその理 由である。男兄弟について も,決 し て好 ましい こととは考 えられてはいないが , 実際 には ご く少数 (最近では2件)存在す る。 やむを得ぬ事情で妹 (弟)が姉 (兄) に先 ん じて結婚す る場合には,一定の "罰金''を 柿 (兄) に支払 うか ,あるいは,妹 (弟) の 結婚に先立 って姉 (兄)が 形 式 だ け の結 婚

(kawi n kias,または kawin pany岩Iang)15)

を挙げ るか ,いずれか の手続 きを行えば よい とされ るが ,言 うまで もな く本人に とっても 親に とっても大変不名 誉 な こ と とされ て お り,サ ラムソカルにおいては今 日までその よ うな例が生 じた ことはない という 。 何人かの 婦人は,筆者 の質問に答えて,仮にその よ う な事腰 にな った とした ら,同 じ く不名誉 であ って も,実質的な結婚 であるmeuli・meuliの

15)この kawinkias(または kawin panyelang) と呼 ば れ る結 婿 は,Asalsakawineunbag, k njeunkawinisuk,pegatsor占 ("なすべ きこ とは結婚だけ,た とえ朝 して,夕に別れても'') といわれ るよ うに,妹 (弟) の結婚が可能 とな るよ うに,柿 (冗) が まった く形だけ挙げ る結 婚のことであ る[Prawirasoeganda 1941:289; Prawirasuganda 1951: 24ト242; Yasmine 1977:20]。ジャワ人社会に も同様 な習慣 が あ るか どうか筆者は知 らない。 $02 方を選ぶだろ う, と述べたが ,同時にその よ うな事態 にな らない うちになぜ結婚 しないの か , と意地悪な質問を した筆者に問い返す者 もいたほ どで,"ふ さわ しい"時期に結婚 しな い ことへの社会的な非難 の強 さを窺 うことが 出来 る。 このよ うに,結婚に "ふ さわ しい" とされ る期間の上限は,女の場合はす ぐ下に 妹がいるか ど うか ,男の場合はす ぐ下に弟が いるか ど うかに よるところが大 きい らしく, この結果,"適 齢期''の幅は,と りわけ女の子 の場合,大変短 くなる。 同時に, この習慣が 厳格に守 られてい る結果 として,生涯 結婿 し ない者の生 じる余地がほ とん どな くなる。 一方 ,女の子の適齢期 の下限については ど の よ うに考 えられ ているのだろ うか。 ジ ャワ 人社会においては,いわゆ る 「幼児婚」を別 にすれば,女の子の初婚は初潮後の間 もない 時期に行われ るのが 習わ しであるとい う見解 が紹介 され てきた (た とえば,Geertz[1961: 56,119], Mayer l1897:380-381], Tan [1973:31]な ど)。これに対 して,Singari m-bunらは, ヨクヤカル タ特別 区 の- 村 落 で の調査に基づいて,初潮以前での結婚経験 を 有す る婦人が少 な くない ことを兄い出 し,従 来の見解 とは一致 しない ことを報告 している

[Singarimbune

ia

l

.

1974a:70

]

サ ラムンカルにおいて も,女の子の "年 頃" は初潮を迎 えた時点か ら, とす る村人の見解 があることは,前章で述べた とお りである。 しか し,改め て,村人の考える ``結婚 にふ さ わ しい年頃''の開始が初潮以降に限 られ るの か ,あるいは初潮以前のある時期 までを含む のかを尋ねてみ る と,村人の答えは整合的で ない。 とい うのは,少 なか らぬ村人が 「初潮 を迎 えた女の子が,もしまだ未婚であるなら, それは大変恥ずか しい こと」とい う見解16)を 16)Dessy[1980:61] もまた, プ リアガン地方 の ある村 の事例 として同 じよ うな村人の見解を紹 介している。 ・ ・-「 .I IL B -.卜 .■ い

(11)

五十嵐 ・.スソダ人魚村社会kおける早姫 ・多産 述べ るが , この見解 は,初潮以前におけ る結 婚 の可能性 を含んだ表現であるに も拘 らず , その一方で しば しば 同一 の村人が ,女 の子の 結婚 は初潮を迎 えた後であるべ き, とす るか らである。 別稿 [Igarashi 1985b:75-76] で も触れた よ うに

,

「女の子の最初 の 結 婚 は 初潮 を迎 えた後であるべ きか ,あるいはそれ 以前で も構わない と考 え るか」との 質 問 を 114名の既婚婦人に行な ってみた ところ,揺 とん どの老 (90.4%)が梼蹄 な く 「初潮後」 と答え,その うちの幾 人かは 「初潮 前の結婚 は agama (イ ス ラム教) が禁 じてい る」 と 述べたほ どであ る。 筆者 は,西 ジ ャワ各地だ けでな く,イソ ドネシア各地 で,初潮を迎 え ていない女子 の結婚 は agama(イス ラム教) が禁 じている とい う説明を幾度か耳に挟む機 会があ ったが ,もとよ りイ スラムでは未潮者 の婚姻 を禁 じてい るわけではない。17) サ ラムソカルの村役人に よれば,初潮以前 の女子は結婚す ることは出来ない という 。 サ ラムソ カルにおいてほ,結婚 を約束 し合 った 二 人の男女が結婚 の意志 を村 (kalurahan)の 宗教係 (1旨b6またはamil)に伝 える時(jagrag あ る い は pinton), お よび 郡 (kacamatan) の宗教局 (kantorurusan agama)の宗教役 人 (naib)の前で結婚 の誓いをす る 時 (dira・ paュan)の都合2回,花嫁 となるべ き者がす で に初潮 を迎 えてい るか ど うかが問われ る。 こ の時 ,花嫁 となるべ き者が未潮であれば ,そ の結婚は受け付け られ ない, とされ る。 した が って,村役 人の側か らす れば,初潮以前の 結婚 は無いはず とい うことになる。 しか し, 問われた花嫁候 補が既潮 であ ると述べ さえす 17)Zuidbergetal.[1977:80]ほ,「イスラム法 に よれば,女子は初潮 以前に結婚す ることを許 され ない」 と述べ てい るが,おそ らくこれは村 人 の語 った ところをその ま ま書 い た の で あ ろ う。い うまで もな くイ スラム法は,一定 の条件 下 で,末成人 (女 なら初潮以前) の結婚を認め る [Tanzil・Ur・Rahman 1978:184

]

れば よいのであるか ら

,

1

8

)実際上は この手続 きが初潮以前の婚姻 の防止に役立 ってい るわ けではないO 初潮を迎えていない女子の結婚 を,形式的 とはいえ,除去す るよ うな手続 き が取 られ てい る背景に どのよ うな事情があ る のか筆者には分か らないが,19)少 な くともこ うした手続 きの存在す ることが村人に よる結 婚適齢期についての発言を縛 ってい ると想像 す ることは可能である。 以上 ,この章においては,村人の考 える適 齢期が初潮以前を も含むか ど うかに関 して二 通 りの見解があることを指摘す るに とどめ , 次章以下で結婚 の前段階である婚約,次いで 初婚が実際に どの よ うな タイ ミングで生ず る のかに関す る若干の数量デー タを提示 しなが ら,再び この点に触れ てみたい。

嬉約のタイ ミング 前章では,結婚 に "ふ さわ しい"年 頃が初 潮以後に限 られ るのか ,あ るいは初潮以前 の 18)この時,末潮 であ るに も拘 らず,既潮であ るか の よ うに答 える者 が実際 には少 な くない とい う が,他所 で も同様 ら しい。Zuidbergらは,西 ジ ャワ ・スルポソ郡で も同様 な事実 のあ ることを 報告 している [Zuidberg 1975:9;Zuidberg etal. 1977・.80

]

0 19)この手続 きは,婚姻 の下限年齢を定めた婚姻法 の施 行(1975年10月)以降に始 まった ことではな く,"古 くか ら"行われて きた ことであ ると村役 人は説明す る。バンドソ県(afdeelingBandoeng) においては,1921年 の時点で

,

「すでに古 くか ら,15歳 以下 の子供 の結婿 に際 して親は特別 の 許可 を願 い出なければ ならない とい う習慣 が広 く行 き渡 ってい る。 この囁 い出が認め られ なけ れば,結婚は許 され ない」 と報 告 され て い る

[CommissievoorhetAdatrecht 1931:88

]

また,1947年には,宗教大 臣に よって幼児婚禁 止 の通 達 (InstruksiMenteriAgama No. 4ノ1947)が 出 され て い る [Nani 1955:59; Tanzil-Ur・Rahman 1978:65]O今日,西ジャ

ワで,婚姻の手続 きに際 して既潮 ・末潮を尋ね る習慣 の背景には, あ るいは,以上の よ うな事 情 が関係 してい るのか も知れ ない。

(12)

東南アジア研究 25巻4号 時期 を も含む のか とい う点 にな ると,村人の 反応 は整合的 ではない ことを述べた。 しか し 女 の子 の適齢期が初潮 と深 く係わ ってい るこ とは疑 い よ うもな く,初婚 の平均的 な タイ ミ ン グは初潮か らほ どない頃であ ることが予想 で き よ う。 この章 では ,実際にサ ラムン カル におい て女子 の初婚-至 る までの プ ロセスの 第一 歩が どの様 な タイ ミン グで生 じてい るの か につ いて まとめ てお きたい。 もとよ り, どの よ うなイ ブン トを もって初 婚 に至 る プ ロセスの第一歩 と見倣すか はにわ か に決めがたいが ,ここでは と りあ えず ,村 人の説明 に従 い, 自他共 に認め る "相思相愛 の仲'' (bobogohan)にな ることとしてお こ う。ここで"bobogohan"の仲 と認め られ る よ うにな るのは,以下に述べ るよ うに,男側か らの プ ロポーズを女側が受けた時点か らを言 うoサ ラムソカルにおけ る プ ロポーズの手続 きは簡単 であ る。 多 くの場合,先ず男が娘 を 見染め ると,panglayar(二 人の間を と りもつ 役 を果 たす人物) とな って くれそ うな者 に近 付 く。pang】ayarとな る者 は,多 くの場 合, 見染め られた娘 の男兄弟か ご く近い親戚 の者 であ るが ,当該の娘 を よ く知 る老 な らば誰で もか まわない とされ る。 結婚 の申 し込み は こ

の panglayarを通 して行われ る。panglayar

の伝 え る結婚 の申 し込 み を娘 が 受 け 入 れ る と,panglayarはその知 らせ を 結 婚 の 申 し 込み人に伝 えるopanglayarの伝 え る結姫 の 申 し込みを娘が 受 け 入 れ る こ と を narima salam,す なわち "(自分を見染めた男か らの) 挨拶 を受け取 る" と言 い, 二 人 が 婚 約 関係 (bobogohan- 本来の意味は "相 思 相 愛 の 仲 '') にあ ると公に知 られ る よ うに な る のは この時点か らであ る。20) 20)panglayarはまた娘の親へもこの知らせを伝え るが,娘の親はすでに二人の仲に気付いている のが普通である。結婚が成立するかどうかは, この時点では,分からない。この後,男は遊び 604 ジ ャ ワ人社会 におい ては配偶者 を親が決め ることが 多い といわれ る [Ⅴ.∫.Hull 1975: 205-214;Singarimbunet

a

l

.

1974a:68-70

]

O

例 えば Kasto [1981:43-44]に よる と, ヨ クヤ カル タ特別 区の-農 村 では全初婚 の77.7 %が親 (または親戚)に よってア レンジされた 結婿 であ った とい う。 また ,イ ス ラム諸国に おい て も同様 であ る とい う [Youssef1978: 78]。 これに対 して, スソダ人 社 会 は ず っと 自由で,配偶者 の選択 におい て親 の意志が働 く場面が少 ない とよ く言われ る。21) サ ラムソカルにおいて も親 に よる配偶者 の 選択 (diadu-丘du)は過 去にお い て 生 じて い る。しか しその体験者 は112名の うち6名 (こ の うち

5

名は年輩 の婦 人,残 りの

1

名 は調査 当時20歳程度 の婦 人) に過 ぎない。 これ らを 除 くすべ ての婦人は,親が選 んだ相手 と結婚 した のではな く, 自分 自身が相手に出会い, 自らの意志で配偶者 を決めた と答 えている。 配偶者 を誰が選択 したか とい う質問 を個 々 の婦 人に尋ねた際 に,実 に多 くの者が,di

adu-adu mah alim teuing ("見合いを させ られ

るなん て,まっぴ らごめ んです'')と述べたほ どに,親 に よる配偶者 の選択 は好 まれ ていな い。 この債 向は男 について も同様 であ る。親 が決めた結婚 をす ることに これほ どまでの拒 否反応が あ るのは ,親 に よって配偶者 を選択 され る結婚が ,年 端 も行か ない うちに結婚 さ と称 して娘の親を3回まで訪ね,3回目の時, 娘の男親が訪ねて来た男に自分の娘との結婚の 意志を確認する。この時点から二人は公式にい いなずけ同士となる。もし男が娘の親を訪ねて 行かなければ,男のプpポーズは iseng(から かい)であったと見倣されるが,この時点では 正式の婚約関係が成立 していないので何らの罰 則 も掛けられない。なお.以下このbobogohan を "婿約関係"と表現する。 21)しかしながら,Wonget

a

l

.

[1985:265]は, 東南アジアの他の民族に較べた場合,スソダ人 社会のみならずジャワ人社会をも,配偶者選択 における自由のある社会としている。

(13)

五十嵐 :スソダ人農村社会における早婿 ・多産 せ るいわゆ る幼児姫 の場合,あるいはその逆 に,適齢期 を とうに過 ぎてしまって急 ぎ結姫 させ なければな らない場合な ど,多 くの村人 表 5 初めて婚約 (bobogohan)を した時,学校 を出た後であ ったか,在学 中であったか1) 学校 を出た後 ・ 婚姻 の生 じた甲 ) 在学中の別 1975年以前 1976年 以降 学校を出た後 45 34 79 在学 中 9 4 13 小学校 1年 小学校2年 小学校3年 小学校6年 中学校1年 不明2) 1 3 3 1 1 3 1 0 0 0 6 1 7 学校 に通わず 13 0 13 合 計 73 39 112 注1) 結婚に至 ったか ど うかを問わず,最初 の婚約 について尋ねた結果 。 2) 通学経験 あ るも,最初 の婚約を した時に在学 中であ ったか,学校を出た後であ ったか不明 の婦人。 3) 婚姻年の両群間で最初 の婚約 を した時 に在学 中であ ったか学校を出た後であったかの別に 有意差 な し。(カイ 自乗検定 :Yatesの 連 続 性 の補正を した X2-0.279,df- 1,p>0.05)0 が好 まし くない と考 えてい る結婚 に限 られ る か らであろ う。 す でに見た よ うに,多 くの女子は小学校 を 中途退学 した後,一人前の稼 ぎ手 として働 き, その後のある時点で最初 の結婚に至 る。 この 過程 の どの時点か ら結婚-の プ pセスの第一 歩が始 まるのだろ うか ?112名の既婚婦人の うち,99名の通学体験者 について,最初の婚 約を体験 した時, まだ在学中であ ったか,あ るいはす でに学校 を出た後であ ったかを見 る と (表5),多 くの者は学校を出た後に最初の 婚約を体験 した と述べ ている

「学 校 を 出た 後」 とはい っても,多 くの者が小学校 の中途 退学者であることはす でに見た通 りである。 また ,最初の婚約を経験 した時す でに学校を 出た後であ った とす る者 の中には,在学 中に 非公式な プロポーズを受けるやす ぐに学校を 止め ,その直後に解約関係が認め られた とい うケースもかな りある と思われ る。 この質問 を行な った筆者 に対 して応答者のなかには, 「bobogohan(婚約状態) とな ったのは学校を 止めた後であ るが,男

か らの最初 のアプ ロ ーチがあ った時は,まだ在学 中であ った

と 述べた者 ,あ るいは, 「学校を出た後」 と答 表6 婚約(bobogohan)の年齢別体験割合,お よび婚約年齢 中央値 のprobit変換最尤推定値1) 女 男 調査時年齢 観察人数 婚約体験者 (%) 調査時年齢 観察人数 婚約体験 者 (%) 10.0-ll.9 12.0-13.9 14.0-15.9 16.0-17.9 18.0-19.9 8 7 5 6 2 1 1 1 0( 0.0) 0( 0.0) 9(60.0) 14(87.5) 10(83.3) 16.0-17.9 18.0-19.9 20.0-21.9 22.0-23.9 24.0-25.9 0 .4 .4 8 5 1 1 1 2(20.0) 9(64.3) 3(75.0) 6(75.0) 13(86.7) 全年齢 58 33 全年齢 51 33 女子婚約年齢 中央値 のprobit変換最尤推定値 : 中 央 値 :15.2歳 標準誤差 :0.47 標準偏差 :2.32 男子婚約年齢中央値 のprobit変換最尤推定値 : 中 央 値 :18.9歳 標準誤差 :1.10 標準偏差 :4.99 注1) 結婚に至 ったか ど うかを問わず,婚約体験 の有 りな しを尋ねた結果 。なお,脚注 6を参照 の こと。

(14)

東南 アジア研究 25巻4号 えてか ら

,

「在学 中に も幾度か プ ロポ ー ズは 受けたが

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(か らかい) だ った」 とい う よ うな注釈を加えた者が少 な くなか った。お そ ら く,本気 ともか らかい ともつか ない プロ ポーズであるな らば ,かな りの女子が在学 中 に体験 してい ると思われ る。 最初の婚約を した時の年齢は,112名の婦 人については,残念なが ら不明であ るが ,調 査時点で

1

0

歳か ら

1

9

歳 までの女子 ,お よび

1

6

歳か ら

2

5

歳 までの男子に婚約体験 の有無を尋 ねた結果 は表

6

の よ うになる。す なわち

,5

0

%の女子が

1

5

.

2

歳 までに

,5

0

%

の男子が

1

8

9

歳 までにそれぞれ最初の婚約を体験す る と推 定 され る。 ここで興味深い ことは ,女子の最 初の解約時の平均年齢(ただ し中央値)が初潮 年齢 と一致す ることであ る. もちろん これだ けの資料では各個人について プロポーズが初 潮以前になされたか ど うかは判 らない。が , 男か らの最初 のアプローチを受け るのは,初 潮 とい うイ ブン トと時間的に趣 く接近 した時 点か ら始 まると見 ることは出来 る。ちなみに 男子は "性に 目覚め で

'

(最初 の夢精体験)か ら結婚へ の最初のアプ ローチをす るまでの経 過時間は平均

1

.

8

年 とい うことになる。 あ る者 はその まま結婚 に至 るが ,婚約は し ば しば破棄 され るので,実際 に結婚 に至 るま でには数回にわた り婚約 とその解消が繰 り返 され ることになる。 婚約が解 消され る理 由は 様 々であ るが ,その一つは

(婚約期間が)長 過 ぎる」 ことである。 スソダ人社会において 紘,婚約期間が長いのは よ くない ことである と考 えられ てお り

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1

9

8

2:

71

],何 らかの事情で婚約期間が ``長過 ぎる" と,そ の こと自体が婚約を解消す る十分 な理 由 とな るらしい。 112名の既婚婦人について,婚約期間を (た だ し,2回以上の婚約 体 験 を有 す る婦 人 に は,最初 の結婚に至 った婚約について)尋ね た結果は,表7に 見 る よ うに,半 数 の者 が 606

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か ら

3

カ月足 らずで結婚 して お り (中央値は

2

.

8

カ月),婚約期間が大変短 い ことが分か る。婚約期間が

5- 6

カ月以上 になると ``長過 ぎる" と考 え られ てい るらし く, この質問をす る過程 で も, 自分 の婚約期 間を "長過 ぎた''と述べた応答者は ,婚約期 間が

5- 6

カ月以上の者 に しば しば見受け ら れた。 婚約期間が "長過 ぎた''理 由として もっと もよく聞かれ るのは,婚約相手 (男) の兄, 表7 婚約

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)

の期間1) 婿胸の生 じた年2) 期 間 1975年 以前 1976年 以降 通 過 1 2 15 開 聞 日 3 週 間 1カ月 弱 1 カ 月 1.5 カ 月 2 カ 月 2.5 カ 月 3 カ 月 4 カ 月 5 カ 月 6 カ 月 7 カ 月 8 カ 月 1 年 17 カ 月 1.5 年 2 年 7 年 3 2 1 2 1 6 1 1 1 8 1 6 2 1 1 2 1 4 1 7 7 2 2 4 1 4 1 1 2 1 1 1 1 7 3 1 2 1 3 1 8 1 0 1 8 6 1 1 7 1 3 3 1 合 計 62 中央値 (カ月) 2.9 2.4 注1) 最初 の結婿に至 った婿約 につ い て尋 ね た結 果。 2) 婚姻年の両群間で婚約 の期間に有意差 な し。

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検 定 :U-1,124.5, E(U)-1,147,V(U)-18,820,之--0.164, 0.8650<p<0.8728,ただ し両側確率)。

(15)

五十嵐 '.スンダ人典村社会における早婚 ・多産 表 8 結婚の年齢別体験割合,および初婿年齢中央値のprobit変換最尤推定値1) 女 男 調査時年齢 観察人数 既婚者(%) 調査時年齢 観察人数 既婚者(%) 12.0-13.9 14.0-15.9 16.0-17.9 18.0-19.9 20.0-21.9 22.0-23.9 4 1 1 6 4 3 1 1 1 1 1 0( 0.0) 3(27.3) 9(81.8) 14(87.5) ll(78.6) 12(92.3) 16.0-17.9 18.0-19.9 20.0-21.9 22.0-23.9 24.0-25.9 26.0-27.9 1 .4 .4 8 5 1 = ーlH HH r= 1(14.3) 7(50.0) 3(75.0) 4(50.0) 13(86.7) ll(100.0) 全年齢 69 49 全年齢 63 39 女子初婚年齢中央値のprobit変換最尤推定値 : 中 央 値 :16.1歳 標準誤差;0.86 標準偏差 ;4.03 注1) なお脚注6を参照のこと。 または応答老 (女)の姉が未婚であ ったため , 自分達 の結婿を遅 らさざるをえなか った , と い う事情 ,あるいは反対に,婚約期間が大変 短か ったのは,応答者 は妹 ,あ るいは婚約相 手 の弟がす でに婚約 していて, 自分達 の結婚 を急がなければな らない事情があ った とす る 者が多い 。以上 いずれ も,既述 の よ うに,未 婿 の姉 (兄) に先ん じて妹 (弟)が結婚 して はな らない とされているか らである。多 くの 者が初婚に至 るまでに数回の解約を経験 して い るのは,た とえ婚約が成立 した として も, 一方は結婚を急がねはな らず ,他方は遅 らせ なければな らない とい うよ うに,双方の事情 が しば しば一致 しない ことが,その主要な理 由であ るらしい。 この よ うに,婚約期間が短 いだけでな く,初婚 に至 るまでに婚約 とその 破棄が繰 り返 され ることが多いのは,女の子 の "適齢期''と考 え られてい る期間が短い こ とと裏表の関係にあ ると言 え よ う。 Ⅴ 初埠のタイ ミング 112名 の 婦 人の うち正確 に初婚時の年齢が 分か るのは約半数のみであ るので, ここでは 男子初婚年齢中央値のprobit変換最尤推定値 : 中 央 値 :20.4歳 標準誤差 :0.75 標準偏差 :3.91 平均初潮年齢 (表 4)や平均婚約年齢 (表 6) を求めたの と同一 の方法で平均初婿年齢 (た だ し中央値) を求 め てみ る と,女 子 は16.1 読 ,男子は20.4歳 となる (表8)022)す なわ ち,女子の場合,初潮を迎 えてか ら初婚 まで の期間,お よび最初 の婚豹 を体払 してか ら初 婚 までの期間はいずれ も約1年 とな り,男子 の場合は,最初の夢精経験か ら初姫 までの期 間は約3年 ,最初 の婚約体験か ら初婚 までは 約1.5年 とい うことになる。 前章で述べた よ うに,女の子のある者は小 学校在学 中に,多 くの者 は学校を止めた後の 間 もない頃か ら ``男のアプローチ''が始 ま り, 初潮を迎 える年 頃 まで に半 数 の 者 が 最 初 の "解約''を体験 し,女の子に よっては何回か の "婚約''と破棄が繰 り返 された後,最初 の結婚 に至 る。では,最初の結婚を した時点は,学 校を退学 (あるいは卒業) してか ら何年 (何 カ月)後になるのだろ うか ? 通学体験者99 名の最終学歴を二つ の グループ,す なわち, 22)ただし,調査当時在村 しなかった (バン ドンな どの町に居住)15名の女子を加えて計算す る と,平均初婿年齢 (ただし中央値)は17.3歳と なる[IgaraShi1987:8-9]。

(16)

東南 アジア研究 25巻4号 表9 学校を中退 ・卒業 してか ら婿姻 (初婿) までの経過期間 と最終学歴 との関係 (括孤 内は%) 最 終 学 歴1) 学校を中退 ・卒業 してか ら初婚 までの経過期間 A 三上 中央値 1年未満 1年 2年 3年 4年 5年 6年以上 小学校 5年以下 8(9.5)2) 13(15.5) 8(9.5) 18(21.4)7(8.3)9(10.7)21(25.0)84(100.0) 3.22 小学校 6年以上 8(53.3)3) 0(0.0) 2(13.3) 0(0.0)2(13.3)0(0.0) 3(20.0) 15(loo.0) 0.94 全 最 終 学 歴 16(16.2)4) 13(13.1) 10(10.1) 18(18.2)9(9.1)9(9.1)24(24.2)99(100.0) 3.08 注1) 最終学歴 の両群間で初婚 までの経過期間に有意差あ り。(Mann・W hitneyのU検定 :U-403.5,

E(U)-630,V(U)-10,193,ヱニー2.2433,之'--2.2684,0.0116<p<0.0119,ただし片側確率)0 2) 小学校5年在学時に結婚 した者1人を含む 。 3) 小学校6年在学時に結婚 した著 2人,お よび高校1年在学時 に結婚 した老 1人を含む。 4) 上記在学中に結婚 した者合計4人を含む 。 通学体験者99名 の約85%が 中途退学 した小学 校1年か ら5年 まで と,小学校6年 以上 とに 二 分 して見 る と (表 9),最 終学歴が 小学校 5年 以下であ った者 については,その半数が 学校 を出てか ら3年ほ どの間に結婚 してい る (中央値は3.2年)。一 方 ,最終学歴が 小学校 6年以上であ った者は,その半数が1年足 ら ず の間に結婚 してお り (中央値は

0

.

9

4

年), 学歴 の長い女子は,学校を出 るや結婚 を急 ぐ ととが窺われ る。す なわち,小学校1年か ら 5年 までの間で中途退 学 した者 と,比較的高 学年 (とはい って も小学校6年 以上 であ るが) まで勉強を続けた者 とでは,初婚年齢 に大 し た違いが ない ことが予想 で きる し,女子 の初 婚が比較的短 い年 齢幅の中で集中的に生 じて い ることが予想 され る。 す でに述べ た よ うに ,女子の場合,少 な く とも建前では,初潮 を迎 えることが結婚適齢 期 に達 した と見倣 され る決め手 となるに もか かわ らず ,初潮以前での初婚体験 を持つ婦人 も少 な くない。イ ソ ドネシア各地 におけ る初 婚時未潮率は す で に 別 稿

[

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7:

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]

で報告 したが ,多少 の改変を加 えて再掲 す ると表

1

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の よ うになる。 い うまで もな く, 質問 の性質上 ,応答 した婦人の中には,初婚 時に未潮であ ったに もかかわ らず既潮 であ っ た と述べた者が ,いかほ どかは判 らないが ,

6

0

8

存在す ることを予想 しなければな らない。 と はいえ,サ ラムソカル在住 の既婚婦人 131名 については35.1%が , またその娘 で既婚であ った

老51

名 (その多 くは村外に住む) につい ては37.3%が初潮 を迎 える以前に結婚 した と 答 えてお り

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], こ れ までに報告 のあ るイ ン ドネシア各地 の初婿 時未潮率 としては もっとも高率 に 属 す る.23) イ ソ ドネシアの各地 において も,サ ラムソカ ルほ ど高率ではない とはいえ,初婚時に未潮 であ った者がかな りの割合で存在す る024) 23)初婿時 の既潮 ・末潮 の別を尋ねた際には.結婿 式 (hajat pErtikn han)が行われた時点では な く.法的 な婚姻手続 き(dirapalan)が行われた 時点 で既潮 であったか未潮 で あ った か を尋 ね た。結解式は多 くの場合,法的 な手続 きと同 日 に行われ るが, しか し時 として数 日から数週間 遅れ て行われ ることもあ るか らであ る。 24)表 10で引用 した ものの外,初婚時未潮について 次の よ うな報 告 が あ る。Koesnoe[1975:45 -46]ほマ ドゥラ人農村社会において も初 潮 以 前に結婚す る女子が少 な くないと述べ てい る。 Ⅴ.

.

Hull[1975:23]は, ヨクヤ カル タ市 近 郊農村での調査に基づいて,初潮以前の結婚は 以前は ど一般的 な ものではな くなってい ると し てい る。W inati[1970:23]は, スソダ人農村 社会においてほ "時 々''(adakalanya)初潮以 前に結婚す る者がい ると述べ ている。Zuidberg etal.[1977:80] も初潮 以前 の結婿が ``幾例 かけあ ると報告 している。これ らの報告書は, しか し, いずれ も初姫時末潮率の具体的 な数字 を挙げ ていない。

(17)

五十嵐 :スソダ人魚村社会における早婚 ・多産 表10 イン ドネシア各地 におけ る初婚時未潮率 (初潮 以前 の初婚体験を有す る既婚婦人の割 合) 絹 等 (%) 標本数 民 族 場 所 35.1 131 ス ソ ダ 西 ジ ャワ州,農村部1) 37.3 51 /′ 〝 〝 2) 25.6 613 ブ ギ ス 南 スラウェシ州,農村部3) 23.0 7 ジ ャ ワ ヨクヤ カル タ特別区,農村部4) 13.3 3,556 8.0 571 5.6 36 3.3 610 約 2 601 ? ヤ ? ソ 一 ジ バ ヤ バ スラバヤ市,都市部5) ワ ヨクヤ カル タ特別区,農村部6) バ タビア市,都市部7) ジ ル -南 カ リマンタン州,農村部8) バ リ州,農村部9) 約 2 563 才才:;L 南 スマ トラ州,農村部10' 0.0 85 7 バ タビア市,都市部11) 0.0 592 アチェ- アチ ェ-特別区.農村部12)

注1) 131名のサ ラムソカル在住既婚婦人。IgaTaShi[1985b:77] 2) 上記131名の既婚婦人の娘 で既婚で あ った老 51名 。Igarasbi

[1985b:77]

3) Massuanaetal.[1983:82] 4) SingaLrimbunetal.[1974a:70]

5) スラバヤ市 の 1病院 におけ るカルテ分析 oただ し初潮時年齢 と初婚年齢 が同 じであった者を含む。Bruno[1980:27] 6) Kasto [1982a:70;1982も:13] 7) JIタビア (現 ジャカル タ) の1病院に来院 した36名の初産婦 で年齢 の分か る者 。スソダ, ジ ャワ, マ レー の 都 市 混 合 住 民。Meuleman [1937:2421] 8) Mahfudzl1982.・63-64] 9) Rimbawan [1982:85] 10) Syoib [1983:64] ll) 7)と同一 の病院に来院 した初産婦 で年 齢 の分 か ら な い者 。 Meuleman [1937:2423] 12) 昔は,初潮 以前に結婚す る著 が, と りわけ貴族階級 で,多 く 見 られた。CutArian [1982:70,84] 本稿 で扱 われた 112名 の既婚 婦人 につ い て初婚時 の既潮 ・未 潮状 況を示せば表11の よ うにな る。す なわち,婚姻 (初婚) と 来潮が 同 日であ った と答えた老 2名 を含め る と,初婚時 の未潮 率 は42.9% (45/105)とな る。 す でに述べた よ うに ,婚姻 の下 限年 齢を定めた婚姻 法が1975年 10月か ら施 行 さ れ た の で,112 名 の既婚 婦 人 を ,初 婚 の 年 が 1975年 以前 であ った者 と1976年 以降であ った者 との2群 に分け て,初婚 時 の未潮率 を比較 して み る と,1976年 以降現在 までの 最近約10年 間 に結婚 (初婚 ) し た若 い世 代において さえ ,そ の 初婚時未潮率 (27.0%)は, こ れ までに報告 のあ るイ ン ドネシ ア各地 の初婚 時末潮 率 と しては もっとも高率 に属す ブギ ス人村 落 とジ ャワ人村落 のそれ を上 回 る(表10参照)。 とはい え,サ ラ ムソ カルの初婚時未 潮率 は , こ の10年 間に結婚 (初婚) した若 い世 代におい て,確 か に減少 し てい る ことが分か る (義 ll)。 ただ し,既述 の よ うに ,応 答 者 のなか には初婚 時 に末潮 であ ったに もかかわ らず ,既潮 であ 表11 婚姻年別にみた初婚時 の既潮 ・未潮状況 婚 姻 の 初婚時既潮 初婚時末潮 初婚 と同 日 不 明 合 計 初婚時末潮率 生 じた年1) (a) (ち) に来潮 (C) (d) (a十b+C+d) 〔b/(a+b+C)〕 1975年 以前 33(45.2) 33(45.2) 2(2.7) 5(6.8) 73(100.0) 48.5% 1976年 以降 27(69.2) 10(25.6) 0(0.0) 2(5.1) 39(100.0) 27.0% 合 計 60(53.6) 43(38.4) 2(1.8) 7(6.3) 112(100.0) 41.0% 注 1) 婚姻年の両群間で初婿時 の既潮 ・末潮 の別に有意差 あ り。(カイ 自乗 検 定 :「初 婚 時 既 潮」 と 「初婚 と同 日に来潮」を併合 した時 の X2-4.58,df-1,p<0.05).

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