緘 黙 と こ と ば
― 緘 黙 の 症 例 を 通 し て こ と ば の 意 義 を 考 え る ―
門 前
豊志子
1. はじめに
臨床における教育相談や心理療法の場面で, ことばの問題 に関す る相談は非 常 に多い。 ことばがまだ出ないとか,幼児語が直 らないとか,構音障害でどう すればいいのか等, ことばの話 し方が, あるいは, ことばの出 し方が上達 しな いという相談は母親や家族,学校や幼稚園の教師か らしば しば持ちかけられる。
これ らの状態 は,少な くともことばを発 しているという点で, ことばを出さな い状態や ことばを出せない状態 とは,異なっている、 ことばの研究 は,大脳生 理学の医学の分野でなされてきている。 とりわけ,失語症や, 自閉症の症例を 中心 にして, ことばがどのように獲得されていくのかを大脳の言語中枢の働 き か ら研究 されて久 しい。交通事故や脳障害の後退症 として,ことばが出なくなっ たり, ことばがコ ミュニケーションとして機能 しなくなった りす る失語症の報 告か らも, ことばの獲得や ことばの発声 には,た しかに大脳の言語中枢の存在 を無視するわけにはいかない ( 大橋,1
987)。 さらに,最近で は, 右脳人間 と か左脳人間 ということばまででて きて, ことばと脳 との関係は不可分といえる。
しか し,臨床的な観点か ら, ことばの問題を考えるとき,必ず しも大脳生理学
か らだけで説明され うるとは限 らない。 なぜなら, ことばは何 らかの身ぶ り,
表情,動作, さらには,過去の記憶内容 に付帯 して表出されるきわめて心理的,
情緒的な表現であると考え られるか らである。 ことばだけが状況 と無関係に発
せ られることはないだろう。 もし,か りにある状況で, ことばがその状況 とは
無関係に発せ られた ら,何故そのことばが生 じたのか周囲の ものは理解 に苦 し
み,変人扱 いを して しまう。つまり,正常 な状態では, ことばは状況 とかかわ りなが ら, さまざまな身体活動や記憶内容 と付帯 して発せ られ,周囲に共感 と 理解を もとめ,同一の言語環境,ない しは,同一の言語時空間を共有 してこそ 喜びや悲 しみを分かち合えるコ ミュニケーションの手段である。 このように, ことばを通 した情緒的交流や共感性は,人間にとって,重要なコミュニケーショ ンの手段 となりうるのではないだろうか。
2.
ことばのもつ内包性 と外延性
ことばの獲得過程で, まず,個体がさまぎょな経験を通 して事物のイメ‑ジ を形成す る時期がある。乳幼児期における発達の最初の段階で,基本的な言語 能力を育て る家庭 とい う言語環境のなかで ことばは獲得 されていく。 この時期 は,幼児特有の表現 (イメージに規定 された独特の言 い回 し)が許容 され,局 りの親や大人 しか理解できにくいことばを使 うことがゆるされ,認め られる時 期で もある。子 どもが興味のある身近 な事柄 ( 例えば,両級,食べ物,乗 り物 などのお もちゃ等)は,早 く覚えて記憶され概念化されるが,興味のない事柄 や,経験で きない抽象的な事柄には, その ことばを教えて も, なかなか記憶 さ れない。 たとえそのことばを言 ったとして も,意味を理解 して話 しているので はな く,単なるオーム返 しの発音であることが多い. ことばというのは,獲得
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していく過程で,環境 のなかで生 きて使われるか らこそ,意味があ り, ことば
をとお して, 自己と他者 とが時間的に も空間的にも結ばれてい く心理的,情緒
的な粋ではないか と考え られる。 ことばは知的にはた らくより以前に,人間的
なはた らきかけとしてかかわって くる。 したがって, ことばは,発達の初期か
ら,母親などとの親子関係や育児をとお して獲得 され,記憶 され,概念化 され
て定着 していく。泣 く事 は乳児のことばである。泣いてさまざまな欲求を伝達
している。泣 き方で, いろいろの話 しかけを している。親がそれに対 して,大
人のことばであや した り,欲求をフィー ドバ ックしてやると,乳児 は,泣 卓や
んで,別のことば‑わ らったり眠 った りして‑で答える。 この何気ないかかわ
りのなかで,既にことばの発生がは じまっている。 ことばのやりとりのできな い環境,たとえば,親が非常に無口であるとか,親 自身が聾唖であるとか. こ どもが先天的に聾唖であったり,知能障害があるなど,外界への働 きかけに支 障がある場合には, ことばの発達に遅れが出て くる事が予想 される。上述のよ うないわゆる言語障害 といわれる問題の他 に臨床的場面でよ くみ られることば の問題 は,原因はともか く, ことばを発す る事 に対 して異常 な心理的緊張感を 伴 うために, ことばが話せないという繊黙の問題がある, ことばが概念化され, 普遍性を有 していく過程 (ことばの外延性を獲得 してゆ く過程)で, ことばが 共通語 となる以前には,む しろ親子関係のなかで しか理解されないきわめて特 殊な意味を もった語 (ことばの内包性) として使われている場合が多い。いい かえれば, ことばは共通語 ( 外延性をもったことば) になる前に,特殊語 ( 内 包性のつよいことば) として活用 されるといって もいいだろ う。 いわば,その 内包的な意味合いの強い状態か ら,普遍的な共通語 としての外延性を取 り入れ てい く過程で,親子関係か ら拡大 した対人関係,仲間関係が重要 となる。 この ことは, とりもなおさず,乳児が経験や学習を重ね, 自我を形成 し, 自己の行 動の適応様式を獲得 してい く自我の発達過程 とまった く同 じである。 ことばに よる意志や感情の伝達様式 は, 自我の成熟の一つの指標 となる.乳児のことば か ら,幼児の ことば, さらに子 どものことばをへて,大人の ことばの獲得へ と 変化 してゆ く過程は, まさに, 自我の成熟過程 と並行 しているように思われる。
フロイ トは, 日常生活の精神病理のなかで,いい間違 いや, ど忘れ, し損 ない
など, うっか りして言 って しまった り,忘れた りす ることが らには,無意識の
欲求や厩望がはたらいているということを多 くの臨床例か ら指摘 している. こ
とばを理解することは,その人の考えやかん じ方を理解することと同 じである
と考え られるか ら, そのことばが, どのように表現 され ( 抑揚,表情,動作等)
て, いかなる状況で話 されているか とい う事が大切 となる。 ことばと感情 との
対応, ことばと状況 との対応, ことばと身体 との対応, ことばと事象の流れと
の対応を考慮 しなが ら与とばを位置づけてゆ くことが,人間理解につなが って
いくことになる。行動や状況を十分考慮せず,表面的なことばだけで判断を し て しまうと,その背景 に脈 うつ情動や欲求を無視す る結果 となり,人間関係で の誤解や行 き違 い,不適応感などが生 じて しまう。
日本的感覚では,言外にいわんとす ることを匂わせた娩曲な言い回 しを良 し とする風潮がある。単刀直入に物事をいうことは,人間関係の摩擦を引 き起 こ しかねないという点では,優れた手だてであるが,人間 として個人を理解 して ゆ く目的を もった治療場面においては, クライエ ン トが無言であったり,言い そびれて口ごもった りするときに,言外の意味を くみ取 りなが ら明確に言語化 してい くことが,治療の進展上必要 となる場合がある。感情 とは遊離 したこと ばだけが表現 されるときには,感情 とことばとの統合が必要であるために, ク ライエ ン トにことばを少な くして感情 に浸 ることの大切 さを経験的に理解させ なが ら,感情 とことばとの統合をはかるような治療的方針を考えることになる0 心理療法の場面では,感情や欲求をことばでフィー ドバ ックして, クライエン
トが気づいていない内的精神世界にクライエ ントを導 き入れなが ら, クライエ ントと共 に内的世界を共有 し,言語化で きないさまざまな コ ンプ レックスを 解明 してい くうえで, クライエ ントと話す ことばは重要な治療的役割を担 う。
ことばが人格特性を意味 しているということ, ことばが人間形成の上で重要な 役割を担 っているとい うことを,械黙の症例を通 して改めて考えてゆきたい0
3.
繊黙 とは
繊黙 とは,正常 ない しは,正常 に近 い言語能力を もっているにもかかわ らず, 全生活場面あるいは一部の生活場面で沈黙 し, これが数カ月か ら数年間持続す
るものを寂然症 とよぶ ( 大井.
1984)と定義 されている.繊黙児の研究 におい
て多 くの示唆をあたえた荒木
(1974)によると,子 どもの械黙 は, いろいろな
状態の中で生 じると述べ,主 として聴覚や発生器官の異常 によって二次的に生
じる場合 と,心理的要因によって,繊黙だけを主症状 とする一群の患者がある
とされる。心理的要因 による械黙の症例は,心因性槻黙症 とよばれ,そのなか
に
electivemutismとか
,situationalmutismとよばれるものや,
Kannerが
silenceと呼んだ もの も含 まれていると分類 しているO
繊黙 は,吃音,構音障害や ことばの遅れ等 とは異なり, ことばが発せ られな い状態が何 カ月あるいは何年 と続 き,そのうちにことばを使 う必然性が喪失 し, ことばを通 しての対人関係 と無縁になり孤立化 していく状態である。 このよう な現象 は,人間にとって, ことばの もつ意味を改めて考えさせ られる臨床例で はないかと思われる。
吃音や構音障害は, ことばを出す ということに関 して,最初の時点では,お そらく何の抵抗 もなかったと思われる。就学後, ことばを話すあいだに,人か ら笑われた り,か らかわれることによって,だんだん意識的に対人緊張が強 ま り,人 と話す ことが苦痛 にな り,余計に吃音や構音障害が悪化 して,場合によっ ては,あまり話 したが らないという繊黙 に似た症状を呈することもあるが,本 質的には話 したい,話そ うという努力が積まれていることが明 らかに認め られ るケースが多いように思われ る。 しか し,繊黙の症例をみると,積極的, 自発 的に話 したいという気持 ちが沸 き上がってこない,む しろ,話す必然性を頑 な に拒否 しているような印象を うける場合が非常 に多い。械黙の状態を脱 して, 普通 に話すようになって も,なぜ繊黙であったかという内省報告 はほとんど語 られず,その心理的原因や社会的背景についてはい くつかの症例を参考 に しな が ら,推測の域を出ないのが実状である。
ここで も推測d ) 域を出ないか もしれないが,繊黙の症例をとお して,人間理 解や自我の発達 という点を中心 にことばのもつ意義 について考えてみたい。
囲 来談当時,小学
3年生の女児
,A子
症状 としては繊黙の他 に,夜尿,爪かみがあり,登校拒否傾向 もある.学校 で も家庭で も話 さない。知的理解は普通で,言 われたことは何で もできるが, ときに反抗的であり,学校へ もいきたが らない。
家族構成 両親 と本児,妹 と弟の
5人家族,母親が無口。妹は.活発でよ く
話 し,本児 とは対照的な存在。本児 は.陰気な感 じであるが,問いかけに対 し て ことばでは答えないが,顔を向け,分か ってほしいという表情をかいま見せ
るなどコ ミュニケーションを求めようとす る気配は,十分窺えた。
遊戯療法によって心理的緊張や葛藤の開放を こころみる。母親には, カウン セ リングを併行 しておこなう。数カ月の母子並行面接で治癒する。
治療経過の概略 転換点 として大 きく二つの流れに要約 されると思われる。
第‑ は,話す こと,話 さないといけないという話す ことに対するこだわ りか ら本児を開放 してやるかかわりの流れがあげられる。 ことばで話 さな くて もい ろんな話す手段があることを経験 させてやることで. ことばに代わるコ ミュニ ケーションの喜 び ( 本症例の場合は,切 り絵や貼 り紙あそぴ)を体験できるよ うに遊戯療法を展開させていった.通常,繊黙 という症状を もたない子 どもた ちでは,遊戯療法場面 において,遊具以外 にことばでのや りとりが非常に多い。
そのことばでのや りとりの中で言語化 しに くい感情を言語化 して子 どもの満た されない不満や葛藤の解決への手がか りを見つけていく。 したが って, ことば の果たす治療的役割 は大 きいと言わねばな らない。 これはまたことばという隠 れ蓑に治療者が隠れ られる利点 もあれば,言語化で きない微妙な感情を無祝 し て, ことばです くい上 げられる範囲内での感情的表現に規定 して しまって,互 いに分か った,理解 し合えたと錯覚 させ られる欠点 もある。その点, ことばが 媒体 とな らない繊黙児では, ことばも他の刺激 と同様,特別な意味を もっては いないと言 う認識へ と変えてゆ く試みがなされなければ, ことばだけをとりあ げて話 させようとして も ( 教育の場面でよ く見 られる光景 として,返事だけさ せ るといったような試み)苦痛で しかない し, その必然性に乏 しい。
話す ことが特別 な意味を もつ ということではな く話す ことによって詑め られ
る経験や楽 しさを体験 させ,話す ことが自分を表現する自然な姿であるという
意味で, あそぴのなかで ことばの意味を A 子に与えていく積み重ねが大切であっ
たと考え られ る。 また,活発な妹の存在 もことばを話す ことの意義について,
間接的な起爆剤 となっていったと思われる。
第二は, ことばの強制を しないということ以外 に,本児の行動をは じめ性格 や能力についての善 し悪 しの評価をぬきに して全人的に受け入れていった こと である。
具体的には話す ことのため らいや, 自信のなさを取 り除 くような試み (こと ばを聞 き返 したり,直 した り,笑 った りせず, ま じめに真剣 に
A子を受け入れ てい くという態度)を してい くあいだに,徐々に心を開いて,小 さな微かな声 で, うん とか,違 うと言 った答が,返 ってきて,表情 にも警戒心がとれ,恥ず か しそうにで はあるが, ほほえみ も認め られるようになって きた。
以上のように,話 したいけれど話せないという誠黙の場合には,話す ことの 抵抗感を少 しずつ和 らげていき,話す ことによる情緒的交流の喜びを体験 させ てい くことが肝要 となる。家族,特に母親のカウンセ リングによる子 どもに対 する見方が変え られることも重要 な要因である。 この症例の場合では,第一子 ということで もあり,下 に妹 と弟の出生で,十分 に言 い分を聞いて もらえず, 姉 としての期待と役割を担わされ,おとなしい,我慢強い良い子として振る舞っ てきた不満が うっ積 したまま持続 して,要求を出さない行動様式が固定化 しつ つあった. しか も母親 は,繊黙に対 しては,それほど神経質になってはおらず,
自分 も無 口であったが,それほど困 らなか った し,そのうち話すようになるだ
ろうという極 めて楽観的な捉え方であった.繊紫 よりも登校拒否になった り,
夜尿があることを心配 していたように,女子が繊黙であるという現象に関 して,
親 は,心配す るどころか返 って,女の子 は,お喋 りでない方がつつま しやかで
いいという価値判断が優先す る場合が多い。必要なときにそれな りの自己主張
ができ,必要でないときには黙 っているというのであれば,黙るということの
意蔑は,十分認め られるし,何等心配す るに値 しない。 しか し,必要なときに
ら,何 も自己主張で きない, 自己主張 しようとしない状態で は,年齢が高 くな
るにつれ,集団か ら取 り残 され,孤立 して独 りよがりの世界 に甘ん じな くては
ならな くなるばか りか.対人交渉 のもちかたも学習されず,共感能力や感受性
も伸ばされない。 自己表現を していく能力は,下手で もことばに置 き換えて表
わす練習を家庭の中か ら実践 していくことで獲得 されるものであり,親が子 ど もの話 しを聞いて言語化で きないところや理解できないところは,言語に置き 換えて尋ねてやるところか らことばの習得が始まるということを,改めて教え
られ る症例であった。
回 小学校
2年生か ら
約 7年間組黙を呈 した女性
,B子
.26才で不慮の 死をとげる。
繊黙当時の状態像 と多弁にな ってか らの様子 上 目遣いにセ ラピス トをみて いるが,何を尋ねて も全 く応答 な し。動作は過緊張のためか棒のようにつつ立っ たままで動かない。立 ったまま他の友達の遊んでいる様子をうつ向いて見てい るだけであった。暗 く陰気な顔つ きと,上 目遣 いの目つきが印象的であった。
約 2 年間集団遊戯療法 に通 ってきたが,効果がないとい うことで,中断。そ の後,約1 0年後に再会す る
(20歳位) 。 そのときの様子 は, 械黙 の ときとは別 人のような印象であった。絶え間な く話 し続け,性格的には,蝶 うつ性格の操 のような状態であった。興奮が強 く,抑制が効かず, 自己の感情のお もむ くま まに突 っ走 るという状態であった。話 しのや りとりをするというよりら, 自分 の気持 ちを聞いてほしい, 自分の したいことをや らせてほ しい, といった内容 が中心で,感情のままに行動す ることや,や りたいことをすることが,周 りに 与える影響については, ことばでは,人に迷惑をかけていけないことだとか, 自己中心的か もしれないとかと一応言 ってはいるが,実感 としては全然分か っ てお らず, ことばのみが上滑 りを していて, ことばに実感がともなっていない, ことばに共感性が伴 っていないという感 じを受 けた。
械黙のときの内省について も,明確化 されず ( 抑圧 されたのか) ,高校になっ てとて も気が楽 になった。高校が今まででいちばん楽 しか った。 それで話す気 になった らしいという程度であるが,高校生活 とその後の祖母の死が繊黙消失 の契機 となっている。
実族構成 母方祖母,両線,姉 と本児。
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この祖母が しっか りしていて,子 どもの養育を一手に引受け,家事 もしてい た。 とくに,本児が槻黙であり,登校を渋 ることもあったため,家で,勉強を みてやったり,本児の言いたいことを代弁 したり,本児 にとっては, まさに, 代理 自我,補助 自我 となる存在であった。 このような祖母 との共生関係のため, 親に話 したいことを自分で考えて話す という経験 は,祖母が亡 くなるまで皆無 であったのではなかろうか。
繊黙消失後の面接の経過 祖母の死後,話 さないと何 もして もらえない,か まって もらえないという状況にたたされ,話す必要性に迫 られた らしい。上述 したように,今 までの械黙が,信 じられない くらい多弁 な女性に変わっていっ た。高校時代は,女子ばか りのなかで,比較的安定 した生活を送 ることができ たという。卒業後就職を したが,いずれ も長続 きせず , 2, 3 カ月で職を変わ り,落ち着かない生活が繰 り返 された。家庭内では,非常に反抗的 とな り,塞 力をふるった り,窓か ら物を外へ投げつけた り, 自殺未遂 も何度かあり,非常 に不安定でおちつかない生活であった 。B 子の姉の依頼で,
過 1回位のカウン セ リングを行 うが,精神科 との連けいをとり,興奮状態や抑 うつ状態が激 しい ときには投薬や入院治療を併用 した。
母親は今 まで養育を祖母に任せ, ほとんど関与 していないこともあ り,我が 子なが ら半ば,拒否的であり,勝手 に言わせたり,や らせた りしていれば,そ のうちなんとかなるだろうと考えていて,傍観者的であった。子 どものために 真剣 になんとか しなければとか, 自分の育て方に問題があったのではないだろ
うか といった反省は,母親の口か らほとんど聞かれなか った。
面接後 しば らくは安定するが,内面か ら湧 き出るエネルギーを上手に水路づ けできず,激 しい力に押 し流 されるように抑制の効かない行動が生 じ,社会や 周囲 との トラブルは絶え間な く続 き,精神的にも,身体的に も,疲労困燈 して, 死にたいとよ く口走 り,飛び降 りようとしたり,睡眠薬を飲んだり,手首を切っ たりする自傷行為が頻回になった。
状態が激 しいときには,病院に入院 し,落ち着けば,外出 した り,帰宅 して
生活す るとい うパ ターンが続いたが,入院中 も男性患者 に興味を示 した り,医 師を追いかけたりと,集団生活を維持す ることが困難なことが多か った。優 し
くこえをかけて くれる人 は,すべていい人で, 自分 に好意を もって くれている 人にちがいないという判断基準で,男性に対 しては恋心 となり,女性に対 して は,母親 に代わる相談相手 として頼 ってい く行動がみ られた。 しか し,状況に 関係 な く常 にやさしくあることは不可能なために,優 しいと思 っていた人が, その うち怖い人 になったり,そ っけない人 になった りして変 ってい くと,裏切 られたという気持ちを もち,絶望 して死にたいという頗望を もつようになって いった り,人 は信 じられないという不信感を強めていったように推察 される。
結局,最後 まで, 自分をそのまま認めて くれる祖母のような人を捜 し求めな が ら,淡 い期待 と絶望を繰 り返 し,舶黙ではない,話 しをする自分を一人前の 女性 として受 け入れて くれる家庭 もな く,社会 もないまま,病院で不慮の死を 遂げて短 い人生 に幕を引いていったのである。
4.
ことばと自我の成熟
症例
2は,臨宋家にとって繊黙を考える上で大 きな示唆を与えて くれた.荒 木
(1974)は,心因性誠黙の心性 として,二つの要因を提唱 している。一つは, 話 さないといけないけれど話せないという神経症的な レベルでの繊紫であり,
もう一つ は,話 さない方が得だという疾病利得的な繊勲であるO
第一の方の槻黙 は,症例の 1がそのメカニズムに近 いと考え られる。就学な
どの対人緊張が強まる場面で緊張を解決す る防衛の方法 として,械黙 という場
面逃避をすることでかろうじて適応 していこうとする姿にみ られる鋸黙の状態
像である。第二のパ ター ンは,話 さないことによって,かまって もらえる,撹
切にして もらえる, 自分の存在に注目 して もらえるといった,利得があること
を知 ったときか う,話そうとするより,話 さない方がいいことを発見 して,そ
れが有効な手段 として,強化 されてい くという考え方である。症例
2は,生活
史か ら,乳幼児期に満足な母親 との依存関係が形成されてお らず,情緒的にも
社会性獲得の上にも未成熟な自我を引 きず ったまま,話 さないことに固執して, 自我 は開放 されず精神的な成長が停止 させ られたままになっていったのであろ う。荒木の症例で も明 らかにされているように
, 5年間一言 も話 さなかった心 因性械黙の患者が,話せるようになったあとで も,初対面や患者の過去を知 ら ない人はどうまく話 しがで きて,情緒交流を必要とされる人間関係では,かえっ てことばが出ず, 日常生活の道具 として ことばはつかえて も,外国語を話すよ うな何か借 り物の感覚が強 く,真の意味の情緒交流や人間理解を深めるはた ら さをするための言語機能 としては使われていないことを示唆 している。人間に はことばを超えた,人間理解が可能であるといって もそこにはおのず と限界が あるO ことばを話さなか った槻黙の子 どもが,思春期を過 ぎ,大人 として社会 に出てゆ くためには, ことばを通 して しか獲得できない多 くの精神的な所産を どのようにして もう一度獲得 し直すかが,大 きな課題 となろう。 ことばは知的 概念の形成上不可欠な要素 として,教育的にも重要視されてきた。確かに教育 を促進 させるためにことばは必要であるが,それにもまして,人間の成長過程 における自我の形成上必要不可欠 な機能を果た していると痛感せざるを得ない。
症例
1は,比較的早期に治療をお こない,親 も真剣に子どもの問題にとりくみ, 親子関係を改善 してい く試みを して,効を奏 したが,症例 2 は,心理治療 に対
して姉を除いて親や家族が不信感 を抱いた り,懐疑的になったりで.子 どもだ
けの問題 としてとらえ,家族全休の力動的な変化が生 じず,だんだん厄介者 と
して拒否 され,家庭か らも社会か らも見放 されたと感 じる状況 に追いっめ られ
ていった。 ことばを話すようになって も,つまり,問題 とする症状は治 ったに
もかかわ らず,悲劇的な結末をたどっていった背景には,親が親の責任を放棄
し,養育のすべてを祖母 に任せ,母親 自身 も祖母に任せることで親 との依存関
係を保ち,問題を もった子の母親 という意識か ら逃れ ることができあが って し
まっていた。子 どものことを真剣 に考えたり,何 とか していこうという試み も
な く,問題に対 して,無神経で,共感的能力に欠 ける親子関係があったのでは
ないだろうか。
5.
誠黙 とことばの意義
長期 にわたる繊黙の症例は,文献を調べて も極めて少 ないが,症例の性別で
は,女子が多いように恩われる。おとな しく,内向的で,人見知 りが強 く,恥
ずか しが りといった性格傾向の子 どもが, 繊黙 にな りやす いといわれている
( 藤本他
,1992)。 しか し,男子の長期 にわたる心因性械黙が少ないという現象
を考え るとき,女子の方が繊黙であって も社会的に認容 されやすいことが,紘
黙を長引かせる原因 となっているのではないだろうか。家庭では,おとな しい
子だか ら良 いという肯定的な見方がされて,喋 らないこと自体 にさほど心配を
されないことや,む しろ喋 らないか ら女の子 として良い評価を与え られ,話さ
ないことの有益性が,話すことによる不利益を上回 っているような場合には,
繊黙であることの疾病利得は,ますます強化 され,長期 にわたる可能性がでて
くるo学校集団に入 って, はじめて話す必要性に迫 られるが,それ も一時期で
話 さない子 というイメージが定着すれば,教師は話 さない子だか ら指名 しても
仕方がないという態度をとったり,周 りの友達がかまって くれたり,面倒みて
くれた りして,話 さな くて もいい状況ができあが って くると,わざわざ今まで
のパ ター ンを変えて話 して適応す るはどの必要性に迫 られず,槻黙のまま何年
間を過 ごす ことも可能になって くるのであろう。 このような状態がつづいた場
令,繊黙でない自分を仮 に出 したとした ら,周囲にどのような受 け止め方をさ
れるか,非常に不安になるであろう。その不安を破 って,話す 自分を外 に出す
ことは, よほどの事情がない限 り考え られないだろうし,たとえ意識ではもっ
と友達や仲間関係 と交わ りたいという願望を もったとして も,話 さないことで
安定 している防衛パ ターンを崩す ことには無意識的な抵抗が生 じてさまざまな
身体症状 による反応がでて くるのではないだろうか。 したが って,集団のなか
で話す ことが白弓表現の手段ではな く, 自己の存在 自体を脅かす危機体験 とし
て感 じられ, 自己の存在を話さないことで維持 しているのが繊黙のメカニズム
といえるのではないだろうか.械黙 という手段で しか自己主張す ることができ
ない自分,話す ことが自己崩壊 にもなりかねない危機感を招 き,集団の与える 威圧感や不安感におぴえる自分。械黙のままで受け入れて もらえる集団は現実 には存在 しないゆえに,集団にはいるためには,話 さないといけないという葛 藤。 さもな くば孤立 したまま安定 して生 きてゆけるかという課題 に直面 させ ら れる。人間は孤立 したまま生 きてゆけないことを考えると,すでに述べてきた ように,話す ことによって他者の考え方,感 じ方や欲求の理解をすると同時に, 自己の考えや感 じ方,欲求の持ち方 との違いや共通点を知 り,互 いに意志疎通 をす ることで仲間意識や友達関係が深まり,情緒的にも安定すると同時に自我 の拡大 と,共感能力の発達が促 され, 自我の成熟の助 けとなる。
他者を受 け入れてい く過程 は, 自己を他者 とは異 なる独 自の存在 として位置 づけなが ら他者 と共存 してい くことであるともいえ る。 自己と他者 との人間理 解をより的確に,より深 く促す媒体 として, ことばがあると思 う。 ことばを使 わない世界 に閉 じ込 もっている繊黙の状態では,他者の受 け入れ もで きない代 わりに, 自己自身に対す る存在感 も不安定にな らざるをえないだろう。 自分が 何を したいと感 じているか,何 にな りたいと思 っているか自分で も不確かで, 常に自己不全感につ きまとわれているように思われ る。症例 2 は, 自己の社会 での位置づけが培われる基礎 となる土壌が幼児期か らなか った点で,特 に致命 的な障害が もたらされたのではなか ったかと推察 される。
ことばは他者を知 り, 自己を知 るためにある。また,将来社会の中で自己を
明確に位置づけてい くための不可欠な媒体で もある。 はなす ことが苦痛ではな
い,楽 しい体験 として子 どもにことばの環境を与えていくことの大切 さや,教
育の中で知的発達の指標 としてのみ ことばを捉えないで,情緒的交流に根ざ し
た自我の成熟の指標 として も重要な役割を担 っているということを改めて考え
てみたい。
参考文 献
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vol.34,No.
9,1017‑1019,1992.3)畠瀬直子 :心因性繊黙症児のための心理療法仮説.児童精神医学 とその近 接領域,vol.19
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