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一神教 土着化 の合理性

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(1)

一神教 土着化 の合理性

〜 中 国 ム ス リム の信 仰 体 系 と宗 教 活 動 に基 づ い て 〜

明 潔

【要 旨 】

本 論 文 は 神 学 的 視 点,す な わ ち,一 神 教 の教 典 教 義 を テ キ ス トと し,「神 」 と一 神教 的 世 界 観 か ら一 神教 が もつ 本 来 の 背 景 や 形 式 に 関 して 考 察 す る も の で は な く,中 国政 府 に 「全 民 信 教 」 と規 定 され るイ ス ラー ム 教 を 信 仰 す る ム ス リム 民 族 集 団 の 信 仰 体 系 と実 際 的 宗 教 活 動 の 中 に 現 れ る 土 着 的 要 素 を 検 討 す る こ と通 して,一 神 教 が もつ 普 遍 的 適 応 性 ・土 着 化 の 合 理 性 に つ い て 考 察 す る 。

【キ ー ワ ー ド 】

一 神 教 一Monotheism・ 土 着 化 ・イ ス ラ ー ム 教 一a1‑Islamism・ 中 国 少 数

民 族 ・回 族 ・ ウ イ グ ル 族 ・ カ ザ フ 族 ・ タ ジ ク 族 ・厄 払 い ・呪 術 語 ・ シ ャ ー マ ニ ズ ム ーShamansm・ ゾ ロ ア ス タ ー 教 ‐Deyn‑e‑Zartoshti(Zoroastrianism)

問題提起

一 神 教 一Monotheismと ,多 くの 神 の 中 で 唯 一 の 神 しか 拝 ま な い 信 仰 体 系 で あ る。 ユ ダ ヤ 教(Judaism)や キ リ ス ト教(Christianity),イ ス ラー ム 教(a1‑Islam)は そ の 代 表 で あ る。 この 三 つ の 一 神 教 に 確 立 され 崇 拝 され て い る 「神 」 は,無 形 的 な 精 神 的 存 在 で あ る が,天 地 万 物 の創 出 者 で あ り支 配 者 で あ り,絶 対 的 ・永 遠 的 ・至 上的 ・排 他 的 に い た る と こ ろ に 存 在 す る とされ て い る。 ま た,「 神 」以 外 の 存 在 を崇 拝 す る こ とは 一 神 教 へ の 背 信 行 為 と断 罪 され る 。 も ち ろ ん,一 神教 は 「天 使 」 や 「悪 魔 」 とい うよ うな 存 在 も認 め る が,そ れ らは 「神 」 に よ っ て 作 り上 げ られ た もの で あ っ て,崇

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拝 の 対 象 に は な らな い とされ て い る。 筆 者 は,つ ま る とこ ろ 一 神 教 は 一 つ の 「神」 しか 崇 拝 しな い とい う原 点 に確 立 され る絶 対 的 精 神 的 信 仰 体 系 で あ る と認 識 して い る 。

しか しな が ら,す で に 人 類 社 会 の 文 化現 象 とな り,そ の 存 在 も多 様 に 現 わ れ て い る 一・神 教 にお け る 信 仰 活 動 に,そ れ ぞ れ の地 域 の 在 来 宗 教 や 在 来 社 会 的 要 素 が 含 ま れ る現 象 は,す で に 普 遍 的 とな っ て い る とい え る 。 そ こ

で,筆 者 が 課 題 とす る の は,一 つ の 精 神 的 存 在=神 しか 崇 拝 しな い とい う 絶 対 的 ・排 他 的 一 神 信 仰 は,果 た して 存 在 す る か,ま た そ の 土 着 化 の現 象

は,果 た して 合 理 的 で あ る か,と い うこ とで あ る。

本 論 文 で は 神 学 的 視 点,す な わ ち,一 神 教 の 教 典 教 義 を テ キ ス ト と し

神 」と一 神 教 的 世 界 観 か ら一 神 教 が もつ 本 来 の 背 景 や 形 式 に 関 して 考 察 す

(1)中 国 で は,宗 教 信 仰 の 自 由 を 認 め る とい う政 策 の も と に,公 民 に は 道 教 ・仏 教 ・イ ス ラ ー ム 教 ・キ リ ス ト教 と い う四 つ の 宗 教 に 対 す る 信 仰 の 自由 が あ り,こ の 四 つ の 宗 教 に 関 わ る 信 仰 活 動 は 正 当で あ る と 認 め られ て い る。 そ の う ち イ ス ラ ー ム 教 を信 仰 して い る 人 口 は2000万 あ ま り と統 計 され,そ れ は 「全 民 信 教 」や 民 族 宗 教 」 とい う規 定 に よ っ て 定 め られ て い る 十 数 の 少 数 民 族 集 団 の 人 口 に よ っ て統 計 され た もの で あ る。 十 数 の 少 数 民 族 集 団 の 名 称 と それ ぞれ の 宗 派 ・教 団 な ど に つ い て は,拙 論 『中 国 人 ム ス リ ム=回 族 の ダ ブ ル ・ア イ デ ンテ ィ テ ィ ー 回 族 の 生成 とそ の 現 状 に基 づ い て 〜 』 の 中 の 【表1:中 国 人 ム ス リム構 成 民 族 集 団 及 び そ の 宗 教 学 派 ・宗 派 構 成(人 口 順 位 に 拠 る)】(『文 明21』 第9号,愛 知 大 学 国 際 コ ミュ ニ ケ ー シ ョン 学 会

2002年10月)を ご 参 照 。

中 国 に お け る 「全 民 信 教 」 や 民 族 宗 教 」 とは,あ る民 族 集 団 に お い て そ の 民 族 集 団 全 員 が 宗 教 信 仰 を もつ こ と で あ る。 換 言 す れ ば,あ る 宗 教 は あ る民 族 集 団 に 特 定 の 宗 教 信 仰 と して 認 識 され て い る 。 そ の 代 表 的 な 規 定 は 下 記 の よ うな も の が あ る 。

建 国 初 期 の1950年 周 恩 来 氏 の 「我 が 国 で は,宗 教 に は 二 種 類 が あ る。 そ の ひ とつ は 民 族 宗 教 で,例 え ば 回 教,ラ マ 教 で あ る。 これ らの 宗 教 は 民 族 問 題 と絡 ん で い る の で,そ の宗 教 を 尊 重 す る の もそ の 民 族 を尊 重 す る の に 等 す る 」(『1949‑1999新 中 国 宗 教 工 作 大 事 概 覧 』1950年 部p6‑7に 拠 る)と い う説 。

また,「 それ ら民 族 全 体 が 宗 教 信 仰 を もつ 少 数 民 族(例 え ば,回,チ ベ ッ ト,ウ イ グル な ど の 民 族)中 の(共 産)党 員 に 対 して,彼 らを 宗 教 儀 式 や 生 活 習 慣 面 に お い て 本 民 族 の 大 多 数 の 民 衆 か ら脱 離 しな い よ うに 勧 めな さ い」(『1949‑1999新 中 国 民 族 工 作 大事 概 覧 』「関 於 過 去 幾 年 内 党 在 少 数 民 族 中 進 行 工 作 的 主 要経 験 総 結 」1953年 部p153に 拠 る)と い う規 定 。

1980年 代 で は,中 国 共 産 党 委 員 会 に 公 表 され る 『関 於 我 国 社 会 主 義 時 期 宗 教 問 題 的 基 本観 点 和 基 本 政 策 』 の 中 に 「我 が 党 は す で に何 回 で も明 確 に 規 定 す る。 つ ま り,共 産 党 員 が 宗 教 を 信 ず る こ とは で き ず,宗 教 活 動 に 参 加 で きず,長 期 に 渡 っ て も(宗 教 信 仰)を 放 棄 しな い メ ン バ ー に対 して,退 党 勧 告 を す る。 この 規 定 は 正 しい もの で あ る。 全 党 に とっ て 今 後 も 引 き続 い て 徹 底 的 に 執 行 す べ き 規 定 で あ る。 しか し,当 面 の 問 題 は,そ れ ら基 本 的 に 全 民 信 教 の 少 敷 民 族 に 対 して こ の 規 定 を執 行 す る あ た りに,そ の 実 情 に よ る必 要 が あ り,適 当 な 方 式 を採 り,簡 単 な や り方 を しな い 方 が 良 い」(『新 中 国 宗 教 工 作 大 事 概 覧 』1982年 部p303拠 る)と も規 定 され て い る。

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一 神教 土着 化 の合理 性

る もの で は な く,中 国 政 府 に 「全 民 信 教 」(Uと 規 定 され る イ ス ラ ー ム 教 を 信 仰 す る ム ス リム 民 族 集 団 の 信 仰 体 系,実 際 的 ・実 践 的 活 動 の 中 に現 れ て い る 土 着 的 要 素 を 検 討 す る こ とを 通 して,一 神 教 が もつ 普 遍 的 ・社 会 的 適 応 性 ・土 着 化 の 合 理 性 に つ い て 考 察 す る。

ま た,本 論 文 に 定 義 す る 「宗 教 信 仰 」 は,ユ ダ ヤ 教 や キ リス ト教 や イ ス ラ ー ム 教 とい っ た よ うな 一 神 教 と,そ れ らに 相 対 化 され て い る 在 来 宗 教 と 民 間 信 仰 と を含 ん で い る。 な お,筆 者 が 用 い る 「土 着 化 」 とい う表 現 は, お もに 「中国 化」 を 指 して い るが,そ の 中 に は 「漢 文 化 的 土 着 化 」 と 「 辺 文 化=少 数 民 族 的 土 着 化 」,お よび 聖(宗 教 的)俗(社 会 的 ・政 治 的)と い う多 重 範 疇 的 な 土 着 要 素 を 含 ん で い る 。

一.中 国 にお けるイス ラーム教 土着 化 の特徴

1.イ ス ラー ム 教 に 関 す る漢 語 表 記 〜 回 族 を 中心 に 〜 1‑1:イ ス ラー ム 教 を 「清 真 教 」 と定 義 す る 意 味 合 い

中 国 本 土 に お け るイ ス ラー ム の 漢 語 の表 記,お よ び イ ス ラー ム教 の 多 宗 教 的 解 釈 は,明 末 清 初 に 始 ま った 。 当 時,「 回 民 」 と呼 ば れ た ム ス リム の 知 識 人 が 漢 語 を使 い こな し,イ ス ラ ー ム 教 の真 諦 を 「東 土 」 す な わ ち 中 国 に 伝 え,イ ス ラ ー ム 教 な らび に ム ス リム に 対 す る 誤 解 を 解 き,純 化 す る とい う目標 の も と,儒 学 を 中心 と した 多 宗 教 の 要 素 を も っ て イ ス ラ ー ム教 に 対 す る解 釈 を 試 み 始 め た 。 イ ス ラー ム とい う名称 の 定 義 づ け は も っ と も代 表 的 で あ る と考 え る。

中 国 で は イ ス ラ ー ム 教 を そ の 音 節 に よ って 当 て 字 で 表 現 す る 「伊 斯 蘭 教 」 とい う呼 び 方 が あ る(2)。 しか しな が ら,イ ス ラ ー ム 教 に 関 す る解 釈,お び 中 国 語 に 翻 訳 され た イ ス ラ ー ム 教 典 の ほ とん どが イ ス ラ ー ム を 「清 真 」

とい う意 訳 的 用 語 で示 して い る。

清 真 」 とは,も と も と道 教 や 仏 教 な どす べ て の 修 業 場 所,さ らに は 一 般 的 に 静 寂 な場 所 を 広 く指 す 専 門 用 語 で あ っ た 。 明末 清 初 に な る と,次 第 に 回 族 ム ス リム の 礼 拝 寺(ア ラ ビア 語 のMasjid:メ ス ジ ド,中 国 語 表 記:麦 斯 吉 徳)を 指 す 用 語 に な っ た 。 これ を う けて,そ の 後,「 そ の 他 の 宗 教 は で き る 限 り清 真 とは 言 わ な い(則 力 避 清 真 的 説)」 とい うこ とに な っ て き た 。

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これ は,明 末 清 初 の 王 岱 輿(1570‑1660)の 翻 訳 ・注 釈 書 『正 教 真 詮(イ ス ラ ー ム 教 真 諦)』(明 崇 禎 十 五 年 ・1642年 出版)に よ る解 釈 で あ る 。 当 時,

学 通 四 教 」(仏 教 ・儒 教 ・道 教 ・イ ス ラ ー ム 教 に 精 通 す る)の 大 学 者 だ と 評 価 され る 回族 出 身 者 王 岱 興 は,「 四 教 」の 教 義 を 比 較 し,そ れ らの 共 通 的 要 素 を 取 り出す こ とに よ っ て,ア ラ ビア 語 や ペ ル シア 語 の イ ス ラ ー ム 原 典 を漢 語 に 翻 訳 し,解 釈 した 。そ して,「 イ ス ラ ー ム の 教 理 は 真 実 で 永 遠 に偏 らな い か ら正 しい 宗 教 とい う」(推 其 理 真 久 不 偏 謂 之 正);イ ス ラ ー ム 教 が

唯 精 独 一 謂 之 忠,清 潔 無 染 謂 之 誠 」(ア ッラ ー に しか 専 念 しな い こ とは 忠 実 とい う,清 潔 でCれ い こ とは 誠 実 とい う);「至 清 至 真 」(最 高 に 清 らか で 最 高 に 真 実);「 真 主 之 清 浄 」(ア ッ ラ ー の 清 らか さ);「 真 主 原 有 独 尊,謂 清 真 」(ア ッ ラ ーが 元 々 もつ 尊 厳 を清 真 と謂 う)の よ うに解 釈 され た(3)。こ う した 解 釈 は 回 族 の知 識 層 か ら広 く承 認 され,イ ス ラ ー ム 教 の 中 国 語 の 定 義 と して 「清 真 教 」 と い う用 語 も定 着 す る に 至 っ た 。 そ の 後,「 清 真 」 を

持 って 「イ ス ラー ム 」 を 示 す 訳 著 が 相 次 ぎ 登 場 した。

ま た,上 記 の 王 岱 輿 は 『正 教 真 詮 』 の ほ か,『 清 真 大 学(イ ス ラー ム に お け る 一 神 教 説)』 と 『希 真 正 答(イ ス ラー ム解 釈 へ の 答 弁 記 録)』 とい うイ ス ラー ム教 の 教 典 も翻 訳 出 版 し,民 国 時 代 に は,こ の 三 冊 を 合 わ せ て 一 冊 に ま とめ た 本 が 再 版 され,さ らに,1987年 寧 夏 人 民 出 版 社 か ら新 た な 標 点 版 が 出版 され る に 至 った 。

そ の ほ か,回 族 ム ス リム に 愛 読 され る 『清 真 指 南 』 も そ の 一 例 で あ る。

(2)イ ス ラ ー ム 教 の こ とを 「清 真 教 」と呼 び 始 め た の は 明 代(1368‑1644年)の 半 ば ご ろ で あ った 。 清 初 に な る と,そ の 呼 び 方 は 次 第 に 「伊 斯 蘭 教 一 イ ス ラ ー ム 教 」に 切 り替 わ っ た 。 中 華 人 民 共 和 国 建 国 後,1956年6月2日 に公 布 され た 『国務 院 関 子 伊 斯 蘭 教 名称 問題 的 通 知 』 で は,「 中 国 漢 民 族 の 地 域 で は,伊 斯 蘭 教 の こ と を 一般 回教 」 と呼 ん で お り,そ れ は 回族 が 信 仰 す る 宗 教 か ら で あ る 。 新 聞 や 雑 誌 に お い て も 回 教 とい う用 語 を 習 慣 的 に 用 い る よ うに な っ て き た が, そ れ は 不 適 切 で あ る 。 イ ス ラ ー ム 教 は 一一種 の 国 際的 な 宗 教 で,イ ス ラー ム 教 も 国 際 的 に 通 用 す る 名 称 で あ る。 中国 で は イ ス ラ ー ム 教 を信 仰 す る の は 回 族 以 外 に,ウ イ グル 族 ・・… ・約 九 の 民 族 が い る。 今 後,一 律 に イ ス ラ ー ム 教 を 「回 教 」 とは 呼 ば ず,イ ス ラ ー ム 教 と呼 ぶ べ き で あ る 」

(『1949‑1999新 中 国宗 教 工 作 大 事 概 覧 』1956年 部p119拠 り)と 規 定 され た 。

以 来,正 式 な 場 合 に は 「伊 斯 蘭 教 」 で イ ス ラ ー ム 教 を 示 す が,回 族 を含 む 一 般 民 衆 は,「 回 教 」 や 「回 教 徒 」 を用 い る こ と もあ る。 現 在,イ ス ラ ー ム を 「伊 斯 蘭 教 」 や 「回 教 」 お よび

清 真 教 」,ム ス リム を 「穆 斯 林 」,「回教 徒 」,「回 回 」,ム ス リム が 礼 拝 す るモ ス ク を 「清 真 寺 」

経 堂 」 「礼 拝 堂 」 な ど と表 記 して い る 。

(3)後 掲 参 考 書(明)王 岱 輿 著,余 振 貴 標 点 『正 教 真i全』 「清 真 大 学 』 『希 真 正答 』 「iE教」p72‑

75参 照;

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一 神教 土着 化 の合理 性

『清 真 指 南 』 は 清 代 の 著 名 な 回 族 学 者 で あ る 馬 注(1640‑1711)の 翻 訳 ・ 注 釈 書 で,儒 学 に よ っ て イ ス ラ ー ム の 教 義 や 教 理,哲 学 や 道 徳,礼 儀 と規 定 を 全 面 的 に 解 明 す る 名 作 とさ れ る。 馬 注 の 解 釈 は,イ ス ラ ー ム 教 が もつ 神 秘 主 義 的 な 色 彩,お よび イ ス ラー ム教 と儒 学 との 関 連 に つ い て 明 らか に した と評 価 され て い る 。

1‑2:イ ス ラ ー ム 教 を 「天 方 教 」 に 定 義 す る 意 味 合 い

イ ス ラ ー ム 教 を 「清 真 教 」 と定 義 づ け た こ と と同 様 に,「 天 方 教 」 とい う 用 語 も 中 国 とい う土 着 的 な 要 素 を 取 り入れ て い る 。 回 族 の ム ス リム は,イ

ス ラ ー ム 教 を 生 み 出 した メ ッカや ア ラ ビ ア を 示 す とき,そ の 固 有 名 称 の 当 て 字 を 持 た ず,い ず れ も 「天 方 」 とい う用 語 を用 い て い る 。 そ の た め,場 合 に よ って,イ ス ラ ー ム 教 は 「天 方 教 」 と も示 され る 。

回族 ム ス リム の 学 者 が イ ス ラ ー ム 教 を 「天 方 教 」 と示 さ した の は,「 天 」 は す な わ ち 「道 」,天 以 上 の 存 在(場)は な い とい う道 教 的 哲 学,お よび

天 者,理 也 」(天 は 理 で あ り,理 は す な わ ち 最 高 の 存 在=上 帝(神)で る)と い う儒 学 的 哲 学 の認 識 を 受 容 した か らで あ る。 そ の 代 表 的 な もの を 以 下 に取 り上 げ てみ よ う。

回 族 学 者 劉 智(約1662‑1730)が 翻 訳 ・編 纂 した 『天 方 性 理 』 は も っ と も代 表 的 で あ る。 劉 智 は 儒 学 が もつ 二 種 類 の理 性 学=人 の 性 命 と天 理 ・人 性 の 原 理 に よ っ て,ア ラ ビア=天 方 に 生 ま れ た イ ス ラ ー ム 哲 学 を 「性 理 」

と して 解 釈 し,天 方 性 理 と儒 学 の 理 性 学 の 一 致 性 に 関す る 説 明 を 重 点 と し た。 彼 はイ ス ラー ム に あ る 「天 人 性 命 」 とい う哲 学 を,中 国 哲 学 の 分 野 に 打 ち 立 て た 。 『天 方 性 理 』 は 「本 経 」 と 「図 伝 」 とい う二 部 に 分 か れ,「 本 経 」 に は 漢 語 とア ラ ビア 語 とで 注 釈 を付 した 。

ま た,劉 智 の 『天 方 典 礼 』 は,イ ス ラ ー ム 教 の 由 来 や 構 成 と特 徴,ア ラ ー 崇 拝 に つ い て,と りわ け 「信 仰 告 白 」 とい う 「典 礼 」 が ア ッ ラー を 理 解 す る プ ロセ ス で あ る と して,そ こ に重 点 を お い て 解 説 した 著 作 で あ る 。 そ の 一 部 は教 材 と して,現 在 中 国 各 地 の イ ス ラ ー ム経 学 院 で 使 わ れ て い る 。

劉 智 の も う一 つ 著 作 『天 方 至 聖 実 録 』。 「至 聖 」 は マ ホ メ ッ トを指 す 。 ペ ル シ ア語 の 原 著 を テ キ ス トと し,ア ラ ビ ア 語 の 資 料 を 参 考 と して,中 国 の 編 年 体 の 記 述 方 法 を 用 い て 劉 智 が ま とめ た マ ホ メ ッ トの 伝 記(実 録)で

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る 。 本 書 は 民 国 初 期 に 中国 に滞 在 して い た 英 国 の キ リス ト伝 教 師 に よ っ て 英 訳 され,ロ ン ドンや ニ ュ ー ヨー ク,上 海 で 出 版 され た 。 そ の 後,ロ シア 語 や フ ラ ン ス 語,日 本 語 の 翻 訳 版 も出 版 され た 。

な お,現 在 に 至 る ま で,上 記 の い ず れ の訳 書 や 著 書 は 中国 の 各 レベ ル の イ ス ラー ム経 学 院 の 基 本 教 典 と して 用 い られ て い る。そ れ ば か りで は な く, イ ス ラー ム世 界 に お い て も これ らの 訳 書 や 著 書 が イ ス ラ ー ム の 著 作 だ と認 知 され て い る14)

2.聖 俗 信 仰 体 系 の 並 存 〜 回 族 を 中 心 に 〜 2‑1:「 二 元 忠 貞 」 の構 築

明 末 清 初 以 来,回 族 ム ス リム が 漢 語 を使 い こな して イ ス ラ ー ム 教 を解 釈 した 段 階 に お い て,官 吏 選 抜 の た め に 設 け られ た 科 挙 に 及 第 して,天 子(皇 帝)に 仕 え る 朝 廷 の官 僚 とな る ケ ー ス も徐 々 に 増 え て い った 。

唯 一 の 神 ア ッ ラ ー に 対 す る 崇 拝 と天 子 に 対 す る 忠 実 とい う点 に つ い て, 前 述 の 馬 注 の 『清 真 指 南 』(5)には,以 下 の よ うに 記 され て い る。

天 の 子(皇 帝),民 の 父(皇 帝)は ア ッラ ー(真 主)の 本 来 の 姿 で,(民 の)痛 痒 の 由 来 に 関 わ る」("天 之 子,民 之 父,真 主 之 真 影,痛 痒 之 所 由 関 也"。 ま た,「 天 に は 一 時 と して 日が な くて は な らず,国 に は 一 日 と して 君 が な くて は な らな い。 天 下 とい い,国 家 とい い,一 つ で あ る。君 臣 とい い, 父 子 とい い,一 つ で あ る 」(「天 不 可 一 時 無 日,国 不 可 一 日無 君 。 天 下 也, 家 国 也,一 ・也;君 臣也,父 子 也,一 也 。」((6)『清 真 指 南 』巻 五"忠 孝"p214)

「この た め,ア ッ ラ ー は い う,"両 親 に 従 い 親 孝 行 せ よ,た とえ 両 親 は ム ス リム で は な く,真 主 を信 じな く と も,孝 行 を しな け れ ば な らな い"。(「故 真 主 喩 云,"順 二 親 着,総 二 親 是 個 外 道,的 実 我 的 恕 在 那"」((7}『清 真 指 南 』

(4)p48の2メ 真 の よ うに,こ れ ら の 諸 経 典 は 中 華 全 国 イ ス ラ ー ム 協 会 に 収 蔵 され て い る。 ま た 同 協 会 の 施 設 に 設 け て い る 中 国 イ ス ラー ム経 学 院 に 教 材 と して 使 用 され て い る 。

(5)『清 真 指 南(イ ス ラ ー ム 案 内)』 は 清 代 の 著 名 な 回 族 学 者 で あ る馬 注(1640‑1711)の 著 作 で あ る 。 イ ス ラ ー ム の教 義や 教 理,哲 学 や 道 徳,礼 儀 と規 定 を 全 面 的 に 解 明 した 名 著 と され る。

馬 注 の 解 釈 に よ っ て,イ ス ラ ー ム が もつ 神 秘 主 義 的 な 色 彩,お よ び イ ス ラー ム と 儒 学 との 関 連 が 明 らか に され た 。他 の 著 作 に 比 べ て 中国 ム ス リム に 愛 読 され て い る とい う。 本 文 に 引 用 され て い る 内 容 は 現 中華 全 国 イ ス ラー ム 協 会 副 協 会 長 ・余 振 貴 教 授 が標 点 した 『清 真 指 南 』(寧 夏 人民 出版 社,1988年)に よ る も の で あ る。

(6)後 掲 参 考 書(清)馬 注 著,余 振 貴 標 点:『 清 真 指 南 』 巻 五"忠 孝"p214に 参 照

(7)

一 神教 土 着化 の合 理性 巻 五"忠 孝"217p)と あ る。

現 中 国 イ ス ラ ー ム 協 会 副 協 会 長 の余 振 貴 教 授 は,こ の 馬 注 が 解 釈 した 「 主 」 と 「君 主 」 双 方 に 忠 実 で あ れ とい う思 想,す な わ ち,ム ス リ ム に と っ て,そ れ ら双 方 に 忠 実 で あ る とす る こ とは 矛 盾 しな い とい う聖 俗 並 存 的 信 仰 体 系 を,「 二 元 忠 貞」(二 元 忠 実)と 定 義 し,す な わ ち,そ れ は イ ス ラー ム 教 へ の 背 信 で は な い と位 置 づ け た 。

2‑2:「 愛 国 愛 教 」 の カ テ ゴ リー

近 代 以 来,回 族 ム ス リム の 「二 元 忠 貞 」 とい う信 仰 形 態 は 「愛 国 愛 教 」 とい うカ テ ゴ リー に 切 り替 わ った 。 そ の 二 重 的 信 仰 体 系 に変 わ りは な い 。

西 道 堂 」 を 例 に して み よ う。 「西 道 堂 」 は20世 紀 初 期 に 作 り出 され た イ ス ラー ム 教 の 宗 派 で あ り,ハ ナ フ ィ ー‑Hana丘一yah学 派(中 国 語 表 記 「Aq乃 斐 」な ど が あ る)に 属 し,「漢 学 派 」 と も言 う。 回 族 ム ス リム の 多 くは この 学 派 に属 して い る。 西 道 堂 の 「本 教 堂 は イ ス ラ ー ム教 義 に 基 づ き,正 統 的 イ ス ラ ー ム 教 を 述 べ て … 本 国(中 国)文 化 を 以 っ て イ ス ラ ー ム 教 義 を 高 め, 必 ず 本 国 の 同 胞(中 国 人)に イ ス ラ ー ム 教 教 義 を 理 解 させ る こ と を趣 旨 と す る 」(本道 堂 根 拠 清 真 教 義,並 祖 述 清 真 教 正 統 … …以 本 国 文 化 嚢 揚 清 真 教 学 理,務 使 本 国 同 胞 了 解 清 真 教 義 為 宗 旨)と い う理 念 は,「 二 元 忠 貞 」か ら 継 が れ て き た もの で あ る 。

ま た,1906年 に 北 京 で 創 刊 され た 『正 宗 愛 国 報 』 を 始 め,そ の 後 の 回 民 諸 団 体 に よ る 雑 誌 や 新 聞 の いず れ も,愛 国 愛 教 とい う信 仰 体 系 を 強 く主 張 して い た 。 例 え ば,『 醒 回篇 』(日 本 に 留 学 して い た 回 族 留 学 生 の 組 織 「 日清 真 会 」 の 雑 誌,1906発 行)と い う雑 誌 の 創 刊 号 で,「 第 一 に,救 国 の た め に 結 集,団 結 し… …,第 二 に 中 国 の イ ス ラ ー ム を 改 革 す る 」 とい っ た よ うに,そ の 理 念 も 「救 国 」 と 「イ ス ラー ム 改 革 」 に 集 約 して い た 。 そ の後,そ の メン バ ー の 多 くは 帰 国 し,辛 亥 革 命 に 参 加 し,民 国 革 命 の成 功 に 大 き な 役 割 を 果 た した 。

元 北 京 大 学 馬 堅 教 授 の 訳 著 活 動 も 「愛 国 愛 教 」 とい う信 仰 体 系 の 一 面 を 物 語 って い た。

(7)後 掲 参 考 書(清)馬 注 著,余 振 貴 標 点:『 清 真指 南 』 巻 五"忠 孝"p217に 参 照

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1931年 馬 堅 は エ ジ プ トの エ ズ ハ ル(lami'a1‑Azhar)大 学 に 留 学 し,『 コ ー ラ ン』の 中 国 語 翻 訳 を 開 始 す る と同 時 に,『論 語 』の ア ラ ビ ア 語 訳 を も行 っ た 。1935年 カ イ ロ で 出 版 され た ア ラ ビア 語 の 『論 語 』 の 前 書 き に は 「私 は 中 国 人 で あ り,ム ス リム で もあ る 。 私 は 二 重 的 な 義 務 を負 って い る。 つ ま り,公 民 的 な 義 務 と宗 教 的 な 義 務 で あ り,私 は 自 らの 最 大 限 の 努 力 を尽 く し,中 国 語 が 分 か らな い,そ の他 の 国 の 人 民 を 助 け て,中 国 の 哲 学 と文 学 を理 解 させ る べ く,同 様 に,イ ス ラ ー ム 教 の 経 典 と著 作 を 中 国 に 紹 介 して, 宗 教 内 外 の 同 胞 が,皆 イ ス ラ ー ム の 真 諦 を 理 解 で き る よ うに,自 ら の最 大 の 努 力 を尽 くす べ く」 とい う馬 堅 教 授 の翻 訳 動 機 が 記 され て い る ⑧。

1953年 に 設 立 され た 中 国 伊 斯 蘭 教 協 会 の 『中 国 伊 斯 蘭 教 協 会 簡 章 』 の 第 一 条 は 「本 会 を 中 国 伊 斯 蘭 教 協 会 とい う名 称 とす る」 と し,第 二 条 で は 「 会 の 主 旨 は,人 民 政 府 に 協 力 し,宗 教 信 仰 自由 の政 策 を 実 施 し,イ ス ラ ー ム の 優 れ た 伝 統 を 向 上 させ,祖 国 を 大 切 に 守 り,世 界 平 和 を保 護 す る こ と に あ る 」 と規 定 し(9)。こ の 規 定 は現 在 に 至 る ま で,回 族 ム ス リム に 引 き 継 が れ て い る。

明 清 時 代 の 回 回 の 「真 主 」 と 「君 主 」 と双 方 に 忠 実 で あ る とい う 「二 元 忠 貞 」 の カ テ ゴ リー と,馬 堅 が 述 べ た 近 代 以 来 の ム ス リム 回 族 の 「二 重 的 な 義 務 」 と,中 華 人 民 共 和 国 時 代 以 来 の 回 族 ム ス リム の 「愛 国 愛 教 」 は, イ ス ラー ム教 とい う一 神 教 に は,一 つ の 神 しか 崇 拝 しな い とい う絶 対 的 要 素 もあ れ ば,社 会 現 実 に 適 応 で き る 普 遍 的 要 素 も あ る こ とを語 って い る 。

3.教 団 組 織 の 土 着 化

3‑1.教 団 組 織 の 名 称 か らみ る 土 着 的 性 格

回 族 ム ス リム の 宗 派 とそ の 下 位 教 団 が 「坊 」や 「門 宙 」 「道 堂 」の よ うに 呼 ばれ て い る こ とは も う一 つ 土 着 化 的 特 徴 で あ る。

『故 訓rr纂 』 に よ る と,「 坊 」 は,元 来,主 に 「街 巷 」 「邑 」 な ど漢 民 族 社 会 の 社 会 的 居 住 単 位=団 地 を指 す 用 語 で あ る が,明 代 か ら は これ を以 っ て ム ス リム が 集 中 した 居 住 地 を 「回 坊 」 「教 坊 」示 す よ うに な っ た 。 こ の 名 称

(8)『 学 者 的 追 求 馬 堅 傳 』 李 振 中 著;寧 夏 人 民 出版 社2000年p68‑69に 拠 る。

(9)後 掲 参 考 図 書 『中 国 伊斯 蘭 教 史 』 第 二f章 中 国 伊 斯 蘭 教 協 会 的 答建 和 成 立及 中 国 伊斯 蘭 教 経 学 院 和 《中国 穆 斯 林 》 雑 誌 的 創 一・」(p816‑831)に 拠 る

(9)

一 神教 土着 化 の合理 性

は 未 だ に西 北 地 域 の 回 族 地 域 に 普 遍 的 用 い て い る 。 回 族 自体 が 自 らの モ ス ク を 中心 と した 居 住 区 は 「寺 坊 」(jamaat一 ジ ャ マ ー ア テ;ア ラ ビア 語,中 国語 表 記:哲 馬 璽 提)と 呼 ぶ こ と も あ る 。 ジ ャ マ ー ア テ は 元 々 の 意 味 は イ ス ラー ム 教 の 団 体 を 示 す が,回 族 ム ス リム は そ れ と漢 文 化 社 会 の 居 住 単 位 を 示 す 「坊 」 と合 わ せ て 自 らの 居 住 地 を,宗 教 的 ・社 会 的 に 表 現 され る こ

と 自体 は,坊 と い う呼 び 方 の 土 着 的 要 素 を は っ き り表 せ られ る('ω

門 富 」は 中 国 内 陸 西 北 地 域 にお け る ス ー フ ィ ズ ム の 別 称 と され て い る 。 この 極 め て 土 着 的 呼 び 方 の 由来 に つ い て,主 に 三 つ の 見 解 が あ る。そ の 一, 1940年 代 の 『回 回 民 族 問 題 』 に い う 「宙 門 」 は漢 族 社 会 の 政 治 的 経 済 的 な 勢 力 を 持 つ 家 族 集 団 で あ る 「宙 門 」 「門 閥 」 を 真 似 た もの とす る 見 解;そ の 二,白 寿 舞 主 編 の 『回 民 起 義 』 に よ る西 北 回 族 内 部 の 教 団 組 織 で あ る 「 門 八 宙 」 に 由来 す る とす る 見 解;そ の三,「 門 」 や 「堂 」,ま た は 「道 堂 」,

供 北(ゴ ンバ イ)」 な ど と呼 ば れ る 回 族 の 教 団 組 織,一 般 ム ス リム で は そ れ らを 「門 戸 家 」や 「門 喚 」と呼 ん で い た こ とに 関 連 づ け る見 解 で あ る('1)。

道 堂 」は 回 族 ム ス リムが 早 期 イ ス ラ ー ム の 「ム ス リム ・ウ ン マ(al‑muslim‑

umma一 ム ス リ ム公 社)」思 想 や そ の ス タイ ル を 基 盤 と して,儒 学 的 大 同 思 想 の影 響 を 受 け て 結 成 した 宗 教 組 織 で あ り,ム ス リム の 共 同 生 活 体 で もあ る。 この 宗 派 に 属 す る ム ス リム は,「 道 堂 」 を も って 「家 族 」 と して 集 団 で 生 活 し,商 売 を経 営 し,ま た,「 道 堂 」に 学 校 を 設 け て 漢 語 で イ ス ラ ー ム 経 典 を解 釈 す る とい うよ うな 「ウ ン マ 」で あ っ た 。そ の 土 着 的 特 徴 と して は, 回 族 ム ス リム が(修 道)=イ ス ラ ー ム 教 を 修 業 す る場 所 を 儒 学 的 に 「道 堂 」 と呼 び,そ の 修 業 も 「修 道 」 と称 す る こ とに な った こ とで あ る!12)。

西 道 堂 」 は,1950年 代 の末 期 に 次 第 に 崩 壊 した が,1980年 代 以 来 回 復 し て き た 。 現 在,甘 粛 省 に あ る 「Y71¥路提 大 房 子 」 と呼 ば れ て い る 「道 堂 」 を は じめ,各 地 の道 堂 は か つ て の よ うに集 団生 活 は して い な い が,「 ウ ンマ 」

(10)後 掲 参 考 図 書 『故 訓,i二編 』 「坊 」p415;『 イ ス ラ ー ム 世 界 事 典 』 「ジ ャ マ ー ア テ ・イ ス ラ ー ミー 」p218‑219;『 人 類 学 視 野 中的 回 族 社 会 』 周 佑 斌 著 西 海 固 伊 斯 蘭 教 的 宗 教 群 体 和 宗 教 組 織 」p226‑245;『 伊 斯 蘭 教 辞 典 』 「単 一教 坊 制 」p33,お よび 注11関 連 図 書 に 拠 る。

(11)『 中 国 伊 斯 蘭 教 派 与 門 宙 制 度 史 略 』 第 三 章 産 生 門RrL的社 会 基 礎 及歴 史 条 件 」p70‑87;『 中 国 回 族 伊 斯 蘭 教 宗 教 制 度 概 論 』 第 十 六 章 蘇 非 門 斬 教 権 和 経 済 結 構 」p320‑350;『 中 国 西 北 伊 斯 蘭 教 基 本 特 徴 』 第 二 章 「中 国 西 北 伊 斯 蘭 教 派 門 寛 与 研 究 方 法 」(p14‑22);(『 中 国 伊 斯 蘭 教 派 与 門 宣制 度 史 略 』 ド編 「四 大 ・J1・菲 及 其 円 宙 」p152‑391;『 伊 斯 蘭 教 辞 典 』(p198)な どに 拠 る)。

(12)出 所 同 注11他

(10)

の性 格 を持 つ 生計 上 にお い て の 互 助扶 助 機 能 が 依 然 と して維 持 され て い る(13)。

本 来 「聖 者 崇 拝 」 は,イ ス ラー ム教 の 定 義 で あ り,「聖 者 」 と な る 者 に 対 す る 崇 拝 を指 す 。 と くに 強 い 土 着 的 な 要 素 や 民 間信 仰 の 色 彩 を 帯 び て い る ス ン ニ ・ス ー フ ィ派(a1‑Su丘smu)の 聖 者 崇 拝 現 象 を 指 す 。 「聖 者 崇 拝 」 の

聖 者 」や そ の 崇 拝 の 形 式 は 地 域 に よ っ て 異 な る が,「聖 者 」は 主 に ス ー フ ィ 派 に お け る 教 団 の 指 導 者 を指 し,彼 らに 対 す る 信 仰 や 崇 拝 は 「聖 者 崇 拝 」

とい う。 また,そ の 指 導 者 を 「聖 潔 者 」 と し,病 気 の 治 療 や ヤ ガ イ 払 い ま た は 奇 跡 を行 う とい う非 人 間 的 な 力 を 持 つ と一 般 信 者 に 信 じ られ て い る 。 中 国 の ス ー フ ィ 派 の 指 導 者 に 対 す る 代 表 的 な 呼 び 方 に は 「ム ル シ ド」

(murid‐ 導 師 ・指 導 者)と そ の代 称 で あ る 「老 人 家 」 な どが あ る。 い ず れ の 「老 人 家 」 に お い て も,そ れ らは 系 統 的(世 襲 的 ・血 縁 的 の 場 合 が ほ と ん ど で あ る)に 確 立 し継 承 され て き て い る。 と くに そ れ らの 「老 人 家 」 は 生 前 彼 らの 教 派 に 属 す る ム ス リム に 信 奉 され る のみ な らず,彼 らが 亡 くな っ た 場 合,そ の 遺 品(生 前 の 服 装 や 使 用 品)の 一 部 が 厄 除 け の 護 符 と して ム ス リム に 大 切 に され る こ とは 普 通 に み られ る 。

と く に そ れ ら歴 代 の 「老 人 家 」 の た め に建 て る 「ゴ ン バ イ=聖 墓 」 は, 巡 礼 や 参 拝 さ らに は 宗 教 行 事 を 行 う聖 地 と して 大 切 に 保 護 され て い る 。「 ン バ イ 」 は 中 国 ム ス リム の 聖 者 信 仰 に お け る も っ と も象 徴 的 な 意 義 を もつ 存 在 とな っ て い る とい え る 。

3‑2.教 団 組 織 の カ テ ゴ リー か らみ る 土 着 的 性 格

回 族 ム ス リム の 宗 派 ・教 団 組 織 の カ テ ゴ リー は,漢 民 族 社 会 の 同族 集 団 の よ うに 構 築 さ れ て い た とい う点 は,何 よ り も特 徴 的 で あ ろ う。

回 族 ム ス リム の 教 団組 織 に 関す る 従 来 の指 摘 を踏 ま え,ま た 現 地 調 査 に よ っ て 得 た 資料 を 検 討 して,筆 者 は 「門 」 と呼 ば れ る 宗 教 組 織 は,同 族 出 身 者や 姻 戚 関係 者 に よ っ て 組 織 され た 親 族 集 団 で,世 襲 的 に継 が され て い て,漢 民 族 社 会 の カ テ ゴ リー の よ うな,す な わ ち,父 系 出 自 の 苗 字 に よ っ て 継 が れ た も の で あ る,と 考 え て い る 。 これ に つ い て,新 彊 ウイ グル 自治 区 吐 魯 番 市 に あ る 「東 大 寺 」 の 系 譜 を 例 に して み よ う(14)。

東 大 寺 」 は 「大 坊 」 と も呼 ば れ る カ デ ィ ー ム ー 派 の 清 真 寺 で あ り,「 紀

(13)『 人 類 学 視 野 中 的 回 族 社 会 』p50・87参 照 馬 平 執 筆 「中 国 回 族 的"普 埃 布 洛"一 甘 粛 臨 潭 西 道 堂 承 路 提 大 房 子 研 究 」 馬 平 主 編 寧 夏 人 民 出版 社2004年 に 参 照 。

(11)

一 神教 土着 化 の合理 性

門 」 と 「周 門 」 とい う二 つ の 系 譜 に よ っ て 継 が れ て き て い る。 文 献 資 料 に よ っ て そ の 二 つ の 系 譜 を ま とめ る と下 記 の よ うに な る。

〔表 東 大 寺 歴 代 イ マ ム に お け る 紀 門 」 と 「周 門 」 「馬 門 」 の 系 統 〕

紀 門の系譜 周門 の系譜

紀 門創 出者紀明新,陳西省西安の 出身の回族。

乾 隆 五 十 … 年(1786年)吐 魯 番 布 教 開 始 老城 の東郊外山西廟の付近 にある清真寺

紀 明新の息子紀恭全 創 出 者 周 満 海(1814‑1902年)陵 西 省 西 安 出

紀 門の二代イマム 身 の 回 族 。

同 治 十 一・年(1872年)吐 魯 番 布 教 開 始 亜郁郷で東大 寺を建設,東 大寺初代イマム 紀 門 の 三 代 イ マ ム 記 魁(1855‑1933年)紀 恭 全 周 門 二 代 イ マ ム 周 振 東(1864‑1941年)周 の 息 子 。 後 周 満 海 の 婿 とな り,周 満 海 と同 時 海 の 次 男,周 二 爺 と も呼 ぶ 。 布 教 活 動 の 拠 点 に 東 大 寺 の イ マ ム を 務 め た 。 を 吐 魯 番 の 「大 束 寺 」 か ら,ウ ル ム チ 市の 北 東 大 寺 三 代 イ マ ム は 渇 定 国 で,二 年 未 満 で ウ

ル ム チ に 移 転 。 そ の 後 周 満 海 の 孫 周 廣 林 が 1933年 まで 第 三 代 イ マ ム を 務 め た。

そ の 間,記 魁 が1933年 ま で イ マ ム 勤 め た。

部 に あ る 昌 吉 地 区 の 奇 台 に 移 した 。 そ の 後, 五 代 イ マ ム を も務 め た 。 そ の 同 時 期,記 魁 も イマ ム を 務 め た 。

1940年,盛 世 才 の宗 教 弾 圧 で 「陰 謀 暴 乱 」(暴 動 を 企 ん だ)と い う罪 名 を 着 せ られ,逮 捕 さ 1933年 周 門 二 代 イ マ ム 周 振 東 が 五 代 と して 務 れ,翌 年72歳 で 獄 中 に 亡 く な っ た 。 め る 。

記 魁 の 息 子 で あ る 紀 元 章(1896‑1945年)が 門 四 代 イ マ ム を継 ぎ,周 振 東 と 同時 に イ マ ム を 務 め た 。

紀 門四代イマム紀元章 が周廣林 と同時 に東大 周 門 三 代 イ マ ム 周 廣 林(1879‑1945),周 満 海

寺 イ マ ム を 務 め た 。 の 孫,周 振 東 の 姪 。

1940年 新 彊 回 族 文 化 促 進 会 総 会 」 を 成 立 し,紀 元 章 が 委 員 長 に選 出 され た 。 紀 元 章 が 1945年 残 。

紀元 章の長男であ る紀洪 芳が紀門五代イマ ム 周 門 四 代 周 明 泰(1902‑1978年)は 周 廣 林 の 息 継 承 。1945‑52年 周 廣 林 の 長 男 周 明 泰 が 周 門 子であ り,ウ ルムチや昌吉や 吐魯 番で布教活 四 代 イ マ ム 継 承 。 二 人 同時 に 東 大 寺 の イ マ ム 動 を 行 っ た 。 文 革 中 は 迫 害 を 受 け な が ら も,

を務 め た 。 布教活動 を続 けていた。

(14)東 大 寺 に 関 す る 資料 は2004年6月 に 新 弱 東 大 寺 を 訪 問 した と き得 た 資 料 で あ る 。 新 彊 東 大 寺 の 訪 問 は,平 成15年16年 度 文 部 科 学 省 科 学 研 究 費 補 助 金 『基 盤 研 究(c)「 イ ス ラ ー ム に お け る 中 国 一 現 代 イ ス ラ ー ム の 秩 序 認 識 とそ の 中 国 理 解 の複 合 的 構 造 研 究 一 」(代 表 者:鈴 木 規 夫 ・分 担 者 樋 口 義 治 ・高 明 潔)』 に よ る もの で あ っ た 。 新 彊 調 査 は 本 学 文 学 部 樋 口義 治 教 授 と 共 同 で 行 っ た。 本論 文 に 使 用 して い る 資 料 は,筆 者 執 筆 分 担 の 「中 国 に お け るイ ス ラ ー ム 教 の 空 間 構 築 と ム ス リム の 多 層 意 識 一 回族 清 真 寺 とイ ン タ ビ ュ ー を 中心 に 一」 とい う報 告 書 か ら 引 用 した も の で あ る。 詳 細 は 参 考 文 献 を 参 照 。

調 査 時 点 ま で,東 大 寺 は,平 日に は 毎 日100人 あ ま り,金 曜 日の 集 合 礼 で は300人 余 りが 礼 拝 に 来 る。 ま た,1995‑97年 の 間,東 大 寺 は 学 僧10人 を 養 成 した が,以 来 募 集 枠 を得 て な い の で,現 在 学 僧 は な い。 吐 魯 番 市 の 清 真 寺 の 学 僧 養成 は,市 宗 教 局 に よ っ て 分 配 され る定 額 に よ っ て 可 能 で あ る。

(12)

1953‑55年 ま で 著 名 な 回 族 宗 教 学 者 馬 良 駿(馬 門 の 創 出 者)が 東 大 寺第 八 代 イ マ ム を務 め た。

1945年 紀 元 章 の残 後,馬 良 駿 が 「新 彊 回 族 文 化促進会総会」 委員長に選出 され た。

1956‑57年 馬 門 の 馬 永 貞大 東 寺 九 代 イ マ ム 。 1958‑1962年 馬 門 の 舎 玉 林 大 東 寺 十 代 イ マ ム。

1963‑1983年 張 永 禄 が 大 束 寺 十 一 代 イ マ ム を 周 門 五 代 周 明 月 で,周 廣 林 の 息 子 。 務め

1983‑1985年 馬 順 真 が 大 東 寺 十 二 代 イ マ ム を 務め

現任イマムは紀門 第六代の紀洪秀,紀 元章 の 周 門 六 代 周 徳 新 で,周 明 月 の 息 子。 吐 魯 番 市

末 子 で あ る。 軽 工 業 化学 工 場 長 を も務 め て い る。

資 料 に 提 示 した よ うに,「 紀 門 」 と 「周 門 」 とい う両 宗 派 の 間 に は 一 世 代 の 差 が あ る が,両 宗 派 の 共 通 的 特 徴 は,第1に,ど ち ら の継 承 制 度 に お い て も,同 族 の 出 身 者 に よ っ て 世 襲 的 に継 承 され る こ とで あ る 。 第2に,両 宗 派 と もに 東 大 寺 の 阿 笥 〔(教長)akhondア ホ ン 〕 を 務 め て き た の は,両 宗 派 は 一 つ の 姻 戚 だ か らで あ る 。 た とえ ば,紀 門 の 三 代 阿 笥 の 記 魁 が 東 大 寺 創 設 者 の 周 門 の 周 満 海 の婿 とな っ て い て も,紀 門 の方 が 歴 史 が 長 い か ら, 紀 門 の地 位 が 低 め られ る こ とは な く,記 魁 が 周 門 の 一,二,三 代 の 阿 笥 同 時 に東 大 寺 を祭 っ た こ とは そ の 証 明 で あ る 。 第3に,東 大 寺 は 紀 ・周 両 門 の 婚 姻 関 係 に よ っ て 結 ば れ た 同 族 宗 教 連 合 で あ る とい え る 。

また,回 族 ム ス リム の 名 前 の漢 化 は15世 紀 か ら始 ま っ た の で あ る が,そ の 宗 教 組 織 と家 族 組 織 とが 同 一 化 され る に あ た っ て,漢 民 族 社 会 の カ テ ゴ

リー を 次 第 に 取 り入 れ た と言 え る。

4.多 神 崇 拝 と 多 元 的 宗 教 信 仰 との 並 存 様 相 〜新 彊 少 数 民 族 を中 心 に 〜 4‑1.多 神 崇 拝 の 様 相

新 彊 ウイ グル 族 ・カ ザ フ族 ・キ ル ギ ス 族 や タ ジ ク 族 等 の ム ス リム 民 族 の 場 合,現 在,イ ス ラ ー ム 教 を 信 仰 しな ら,そ の他 の 宗 教 信 仰 を も平 行 的 に 用 い て い る 。 これ に つ い て参 考 文 献 に 記 載 され て い る 関 連 内 容 を下 記 に 示

して お く。

世 界 各 地 の イ ス ラ ー ム 教 の 伝 播 の 事 情 と比 較 す る と,イ ス ラ ー ム 教 は 新 彊 各 民 族 で の 伝播 は 次 の 特 色 を持 つ 。 そ れ は 新 しい 宗 教 と伝 統 的 信 仰 を 相

(13)

一神 教土 着 化の 合理性

互 的 に 結 び つ け,(イ ス ラー ム教 を)異 化 す る 方 式 で イ ス ラ ー ム を拡 大 した こ とで あ る。 つ ま り,イ ス ラー ム 教 が 新 彊 に 伝 わ っ て き た 後,土 着 の 民 族 が そ れ に 異 化 され て しま うわ けで は な く,反 対 にイ ス ラー ム 文 化 を 自 らの 伝 統 文 化 の 中 に取 り入 れ た の で あ る 。

ま た,中 央 ア ジ ア に お け る 土 着 の 法 典 や 慣 習 法 な どは イ ス ラー ム教 と共 通 点 が あ る。 特 に カ ザ フ社 会 の 在 来 的 法 典 で あ る 『ハ ス モ ハ ン 法 典 』(『明 顕 法 』)『エ ス ムハ ン 慣 習 法 』『七 つ の法 典 』な ど は イ ス ラ ー ム 教 法 典 との 一 致 点 が と りわ け 多 い の で,カ ザ フ 社 会 が 容 易 に イ ス ラー ム教 に 改 宗 しな が

ら,元 の 法 典 もそ の ま ま残 る こ とに な った 。

新 彊 の ウイ グ ル 族 や カ ザ フ 族 や タ ジ ク族 な どイ ス ラ ー ム 教 を 信 仰 す る 少 数 民 族 は,「 ホ ダ ー 胡 達 一Khavand」(ペ ル シア 語 の 「造 物 主 」を意 味 す る, ア ッラ ー 以 前 の 神 と して 信 奉 され る)と い う呼 び 方 で,「 天 神 」 「火 神 」 「 神 」 「穀 神 」 な どの 存 在 を 表 現 して い る。 さ らに は 「ア ッ ラー 」 を 示 す の も この 「ホ ダ ー 」 に よ る もの で あ る。 す な わ ち,彼 ら は 「ア ッラ ー 」 を 崇 拝 す る と同 時 に 「ホ ダ ー 」 を も崇 拝 す る 。

カ ザ フ族(恰 離 克 と表 記 され;1,250,458人;新 彊 北 部 に 位 置 す るイ リカ ザ フ 自治 州 に 集 中)の 亜 奏 維 学 説 の 中 で は,「 真 主 」(ア ッ ラー)と い う呼 び 方 は,カ ザ フ族 が 崇 拝 して い た 「天 神 」 「火 神 」 「山 神 」 「太 陽 神 」 な ど の 自然 神 の 呼 び 方 と,つ ね に 切 り替 わ る よ うに使 用 され る 。 しか も 「万 神 殿 」 に お い て は 「真 主 」 とこ れ らの 神 々 の 位 置 は 同 様 に 重 要 視 され て い て,そ の地 位 も 同等 で あ る。こ の た め,新 彊 の カザ フ 族 地 域 で の清 真 寺 や イ ス ラ ー ム経 文 学 校 は,い ず れ も18世 紀 末19世 紀 の 初 期 に な っ て か ら登 場 し始 め た もの で あ リ,そ れ 以 前 は,カ ザ フ族 の イ ス ラー ム教 的 礼 拝 は 露 天 で 行 った 。

カ ザ フ 族 が と くに 重 要 な 行 事 を 行 う と き,「 火 神 」 を 供 した り,「 火 神 」 の 助 力 を も ら うた め の 儀 礼 を 行 っ た りす る 習 慣 が 未 だ に 残 っ て い る。 牧 畜 業 を 営 む カ ザ フ 族 の 牧 畜 民 が 古 い 牧 草 地 を 去 る 前,そ の 牧 場 の 中 で の 二 つ の 場 所 に,草 を積 み 重 ね て そ れ を燃 や す 。 そ れ は 「火 神 」 の 力 で そ の 牧 場 に 起 こ った す べ て の 災 害 や 不 吉 祥 な こ と を 消 除 す る儀 礼 で あ る 。 ま た,新

しい 牧 場 に た ど り着 い た 後,そ の 牧 場 に お い て も,二 ヶ所 で 草 を 積 み 重 ね て そ れ を燃 や し,燃 や して い る 火 の 間 を 家 畜 を 通 過 させ る。 これ も 「火 神 」 の 助 力 を 得 て 家 畜 の 安 全 を 保 証 す る た め の 儀 礼 で あ る 。 こ の 種 の 儀 礼 は,

(14)

牧 草 地 の豊 饒 や 家 畜 の 安 否 は 牧 畜 民 の 生 活 に 関 わ っ て い る た め,そ れ らを 担 当 で き る の は 「火 神 」 に ほか に な らな い とい う土 着 的 慣 習 の 具 体 的 表 現 で あ る。」

[「伊 斯 蘭 教 在 新 彊 的 伝 播 及 其 民 族 化」 『文 史 知 識 』p22‑26に 拠 る(15)]

4‑2.シ ャー マ ン ニ ズ ム 信 仰 との 共 存 す る 様 相

新 彊 の ム ス リム 少 数 民 族 の シ ャ ー マ ニ ズ ム 的 儀 礼 につ い て 下 記 の よ うな 記 載 が あ る 。 ま ず,キ ル ギ ス 族(何 禾 克 孜 族 と表 記 し,160,823人,新 西 南 部 に あ る 新 彊 克 孜 勒 芳 何 牢 克 孜 自治 州 に 集 中)の 例 を み る。

現 在,カ ザ フ 族 キ ル ギ ス 族 が イ ス ラ ー ム 教 を信 仰 して い る に も拘 らず, シャ ー マ ン 文 化 的 な要 素 は 依 然 存 在 して い る 。 シ ャ ー マ ンの 歌 で あ る 『バ トッ ク(巴 的 克)』 『コ ラ フ サ ン(古 拉 夫 善)』 『ア ル ポ(阿 ホ博)』 な ど は 依 然 と して イ リ川 とパ ミー ル 高 原 周 辺 に広 く伝 わ っ て い る 。 民 間 宗 教 の芸 人 一 巴 克 西(巫 師)は い まだ に こ う した 歌 を 用 い て種 々 の病 状 を 追 い 払 い, さ ま ざ ま な 歯 や 眼 の病 気,水 痘 な ど の病 気 を 治 療 す る 。 シ ャ ー マ ン の歌 は 原 始 時 代 の 産 物 で あ る 。 人 間や 家 畜 か ら蛇 の 毒 液 や 蜘 蛛 の毒 液 を取 り出 す た め に 歌 わ れ る呪 術 語 で あ り,古 代 民 俗 の 歌 の も っ と も典 型 的 部 分 で あ る。

これ らの 歌 は シ ャ ー マ ン(巴 克 西 ・巫 師)が 自 ら作詞 し 自 ら歌 うの で あ る 。 ま た,同 文 章 に は,「 関 連 研 究 の 資 料 に よれ ば,突 豚 語 諸 民 族 の いず れ に お い て も,そ の 古 代 伝 統 儀 式 で 使 用 した 言 葉 は歌 で あ る。 例 え ば,降 雨 術 は 突 豚 語 諸 民 族 の 中で も っ と も広 く伝 え て い た 古 い 巫 術 的 活 動 の 一 つ で, 祭 司 者 は そ れ を用 い て 空 に 雨 や 雪 を 降 らせ て,天 候 を温 暖 化 や 寒 冷 化 に 導

い て い くの で あ る 」 と述 べ て い る。

[「少 数 民 族 人 生 儀 礼 的 程 式 化民 俗 歌 謡 」 『文 史知 識 』p70‑73に 拠 る(16)]

(15)阿 合買 提 江(ウ イ グ ル 族)著 「イ ス ラ ー ム 教 の 新 彊 で の 伝 播 と そ の 民 族 化(伊 斯 蘭 教 在 新 彊 的 伝播 及 其 民 族 化)」 『文 史知 識 』2004年5期p22‑26;中 華 書 局 出 版 。

『文 史知 識 』 は 新 彊 師 範 大 学 人 文 学 院 社 会 文 化 人 類 学 所 を 訪 問 交 流 を 行 った と き,贈 与 され た 資 料 で あ る 。 本 論 文 へ の 引 用 は 筆 者 が 翻 訳 した も の な の で,文 責 は 筆 者 に あ る。

(16)曼 拝 特(キ ル ギ ス 族)著 少 数 民 族 人 生 儀 礼 的 程 式 化 民 俗 歌 謡 」(少 数 民 族 の 人 生 儀 礼 の格 式 化 的 民 俗 歌 謡)」 『文 史 知 識 』2004年5期p70‑73;中 華 書 局 出 版

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一 神 教土 着化 の合 理性

次 に,パ ミー ル 高 原 に 生 活 して い る タ ジ ク族(塔 吉 克 と表 記 され,41,028 人;新 彊 西 南 部 に 位 置 す る 塔 什1彰]く干 塔 吉 克 自治 具 に 集 中)の 例 を取 り上 げ て み よ う。

タ ジ ク 語 で 「モ ラ(中 国 語 表 記:毛 拉)」 と呼 ん で い る イ ス ラ ー ム教 の 教 長 は,イ ス ラー ム教 的 な 宗 教 機 能 者 で あ りな が ら,同 時 に,民 間 医 学 と認 識 され て い る シ ャ ー マ ニ ズ ム 的 医 療 術 を も施 して い る 人物=巫 師 で もあ る。

モ ラ の病 気 払 い の 様 子 に つ い て 下 記 の よ うに 記 され て い る。

呪 術 療 法 は タ ジ ク族 の 宗 教 的 医 療 術 の 一 つ で あ る 。病 人 が 病 気 を詳 し く モ ラ に教 え る 。 モ ラが そ れ を 診 断 した 後,薄 い 白紙 に イ ン ク(墨 水)で 方 を書 い て お く(此 れ は 神 に 祈 祷 し,厄 払 い,病 気 払 い す る 呪 術 語 に 類 似 す る=元 著 者 注)。 そ の 後,病 人 に 薬 を飲 む 方 法 を 教 え る。病 人 が 帰 宅 した 後,処 方 箋 を 清 い泉 水 に浸 す 。 処 方 箋 の イ ン ク が 溶 け た 後,そ の 処 方 箋 を 飲 む 。 モ ラ は 二 枚 の 処 方 箋 を 病 人 に渡 す 。 病 人 が も う一 枚 の処 方 箋 を 火 の 上 に 載 せ て,処 方 箋 か ら煙 が 出 て き た ら,病 人 は 体 を そ の 煙 に 当 て る。 こ の 治 療 法 は タ ジ ク族 の 中で は 非 常 に広 ま って い る 。 あ る病 気,た と え ば 夢 に うな され る こ とや 難 産,頭 痛,不 妊,麻 痺 ・吃 音 な ど,お よ び 精 神 方 面 の 病 気 に な る と,多 くの 人 々 が この 治 療 法 を用 い る 。 ま た,こ の よ うな療 法 は 家 畜 に 対 して も用 い られ る 。 厄 払 い あ る い は 羊 や 馬 が 順 調 に 生 まれ る た め の 祈 り と して 用 い る 。一 部 の 牧 畜 民 が 新 しい 牧 場 に 移 動 し定 着 した 後, 今 後 の 万 事 順 調 を 祈 る と き も,モ ラ に頼 ん で 「処 方 」 を書 い て も ら う。 そ れ か らそ の処 方 を 焼 く。 また は,畜 舎 周 囲 に 火 を 燃 や し,そ の 煙 に よ っ て

畜 舎 を 燃 す 。 この よ うな 方 法 で病 気 か ら家 畜 を 守 る 」

多 くの タ ジ ク族 が そ の 首 や 腰 の と こ ろ に,厄 払 い 用 の呪 術 語 が 書 い て あ る もの を か け て い る。 さ ら に は 馬 や 酪 駝,羊 な ど の 家 畜 の 首 に もか け て い る。 そ の 厄 払 い は 一 時 的 と永 久 的 と二 種 類 に 分 け て あ り,永 久 的 な も の は 死 ぬ ま で 体 か ら離 さ な い 」

『塔 吉 克 族 民 俗 文 化 』(タ ジ ク族 民 俗 文 化)p164‑165に 拠 る(17)〕

4‑3.ゾ ロア ス タ ー 教 的 信 仰 活 動 と の 共 存

タ ジ ク 族 は ア ー リア 人 イ ラ ン 系 の 民 族 で あ る 。 ア ー リア 人 の 在 来 宗 教 は

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ソ ロア ス ド教Deyn‑e‑Zartoshti(ペ ル シア 語 。 中 国 語 表 記 に は 「拝 火 教 」

妖 教 」 「火 教 」 が あ る 」 で あ る 。 ゾ ロア ス タ ー教 は 西 暦 前 六 頃 ペ ル シ ャ で 生 ま れ た 預 言 者 ゾ ロア ス タ ー に よ っ て 創 め られ た,世 界 最 古 の 神 秘 的 宗 教 と され て い る(18}。

タ ジ ク族 は イ ス ラ ー ム 教 を信 仰 して い る が,未 だ に そ の宗 教 活 動 の 中 に は,ソ ロヤ ス ド教 的 な 儀 礼 が 混 じ って い る と され る 。 そ の も っ とも代 表 的 な 事 例 は タ ジ ク族 の伝 統 的 な 宗 教 行 事 で あ る 「バ ラ ー トーbarat;中 国 語 表 記:巴 拉 提 ・巴拉 特)」 で あ る。 バ ラー トの語 意 は 「罪 よ りの解 放 。 無 実 」 の 意 で,イ ス ラ ー ム 教 歴 の8月15日 伝 統 的 に 行 わ れ る シ ー ア 派 ム ス リ ム の 「腰 罪 節 」 とい う。

タ ジ ク族 の バ ラ ー ト祭 につ い て,ま ず,佐 口透 氏 の 『新 彊 ム ス リム 研 究 』 の 関 連 記 載 を 下 に 引 用 して お く。(引用 文 の 中 の … は 本 論 文 の 執 筆 者 の 中略 の 表 記 で あ る:〔 〕 の 中 で の 内容 は 元 著 者 の解 釈 で あ る;文 中 の ゴ シ ッ ク 部 分 は 本 論 文 の執 筆 者 が 付 した も の で あ る 。)

次 に,第8月 に バ ラ ー トbarat祭 が 行 な わ れ る。 す な わ ち,「 大 年[ラ マ ダ ー ン月]の 前 月 の15日[第8月15日]は 教 主[こ こで は ア ッラ ー]

が こ の 日に 降 下 し,人 間 の 善 悪 を観 察 す る 日で あ る と伝 え られ て い る。 こ の 日の 前 夜 に …,.9‑:::[ひ ょ うた ん]を 樹 に掛 け,そ の な か に油 を 盛 り, 点 火 して 燈 明 とす る 。 油 が 尽 きて しま う と,こ れ を踏 ん で 破 り,こ れ で 一 切 の 災 い と罪 を破 り除 い た と見 な す とい う[『西 域 図 志 』巻 三 十 九]と 伝 え られ る。 『回 彊 志 』 巻 に よ る と,「 巴 拉 特baratと い う 日が あ り… 」 特 別 の 礼 拝 と祈 祷 が 行 わ れ た の で あ る。 別 の 観 察 に よれ ば,

(17)西 仁 ・庫 璽 班(タ ジ ク族);伊 明 江 ・木 拉 提(タ ジ ク 族)著:『 塔 吉 克 族 民 俗 文 化 』p164‑

165新 張 大 学 出 版 社2001年

また,同 書 に は,一 日に 五 回 の 礼 拝 を 行 う こ とは ム ス リム 必 須 義 務 と して 規 定 され て い る が, タ ジ ク 族 の 場 合,40歳 以 上 の 人 に 対 して は 礼 拝 を 求 め る が,40歳 未 満 の 人 に は 求 め な い とい う慣 習 が あ る 。 そ れ は40歳 未 満 の 人 は 白 己管 理 の 能 力 が 低 く,自 己 コ ン ト ロー ル で き な い か ら と い う記 載 もあ る 。

(18)ソ ロア ス ド教 的 宗 教 活 動 につ い て,武 藤 友 治 著 「混 合 を 嫌 う拝 火 教 徒 の 世 界 」 の 中 に,イ ドに お け る ソ ロア ス ド教 教 徒 の 現 状 に つ い て詳 細 な 記 載 が あ る 。 『ア ジ ア 遊 学 』 「特 集 少 数 民 族 と こ とば 表 現 世 界 」 「異 教 徒 集 団 の 増 蝸 現 実 の イ ン ドを 知 る 第 一 回 混 合 を嫌 う拝 火

教 徒 の 世 界p165‑177に 参 照 誠 勉 出 版2004年

参照

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