烈
明治四+年四月+六日護行㊥v
號四・斗《1匹1第 号彪五→一四第
刊合
一一>o〈 一一 ((品蜜非》
書置纂專蓼墓會
十︐全會雑誌第騨瑚號目次
O原著及實瞼
O互大ナ〃子宮粘液繊維性筋腫ノ實験
特別會員
特別国警
O新催眠藥﹁ウエロナー〃﹂<霞8覧及
﹁・4︐ソプラー川﹂HのOb円塑一.二就プ
特別會員O雑纂 小川勝陳閲入田智証論旨ロ 龍三
O媛灸法ニジキテ︵一種ノ消炎法︶⁝⁝⁝⁝⁝⁝題常會員林
O漫 録
O特別會員に答ふ⁝⁝⁝・・⁝⁝・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝八
O無題壕⁝⁝⁝⁝⁝⁝
O暮 .雲⁝⁝⁝⁝⁝⁝
O塵土集⁝⁝⁝・⁝⁝:
〇二雨會吟稿⁝⁝⁝⁝⁝⁝
O二雨會詠草・・⁝⁝⁝・⁝⁝ ・⁝⁝⁝⁝⁝・⁝・⁝・⁝⁝・⁝⁝⁝・春:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・:・⁝:・・::⁝⁝・吟:⁝・⁝:・⁝:⁝⁝・::⁝⁝⁝:⁝池oO■●︐●●●●●●●●●9●O●O●●●■●●●●・●●●●●●・■●O・O●●
●︐︐●●・ O●●.OO●●O●●.●●■G●●●●O・・● ●⁝●●●●●●O 秀 雄田雨雨
田 菱 生傘模
吉 O會報
O特別曾員動静O迎逡會O湯目先生逡別會O劔柔両道部彙報O劔道大會O
柔道大會O第三十八回十全會講話會通常會記事◎三年の級會O聲學科第二
年級々會記事O鳴呼關屋林之助氏0高澤清松氏の計O吊慰金O下平教授の
着報O訂正
O.通
O渡欧日記︵下︶
O民賢雑観
O飯森三太郎氏清息 信
O會 告
O寄贈及交換書目O會費領収
〇十歎件 O廣告
◆1ーー量?一ll−1塁■Ψ ーー
舞曝
廣
我が十全會雑誌は編輯兼螢
行人森島彦夫氏の名の下に
襲行し來り候ひしも咳唾よ
り山本兵三郎氏に憂更螢︐二
三候間此段廣告致薗候也
明治四十年四月 十全會雑誌部
1ーーも坐;爾墨一 和歌山縣ご奉職中逝去セラレタル學友關屋林之助君ノ爲メ余輩同窓崖下リ聯力資テ募⁝リ紀念ノ典籍テ購ヒ之チ十全會二寄贈致度
砂付有志ノ諸君ハ御賛助ノ上御出金チ乞フ
但シ出金額ハ金奏袷銭以上トシ明治四十年四丹三十
日迄二生沼曹六︵東京帝國大乱留科大學生理學教室内︶叉豊中三郎︵額 郷輔轡両名ノ内へ御携込アソタシ
明治四十年三月 登起人
在東京在金澤
在金澤在金澤
在金澤在東京
森北越田田生 田田川野中中沼
名 義一イ
エ齊健三家正曹 厘次三郎郎_六
塑
三二
廣告
謹啓豫テ諸君ノ御賛成ヲ仰キ計筆致候前本
校敷授︵現京都馨科大學敢授︶讐學博士鈴木
文太郎君ノ省像書今回出來相成候一一付則濟
々堂ご据付申候弱テ登起人ハ蝕ご監置報告
モ土ハニ此旨票告シ併テ賛成諸君ノ御芳志.チ
謝ヌ O三酉學博士鈴木文太郎君省像 寄付金決算報告
牧町之部
胴金参拾面懸墾拾⊥ハ銭也 牧 入 額 内 鐸
金武拾五圓五拾九銭也 寄付金受領高
金四拾銭四厘 銀行預金利子 金五圓墾捨六鏡⊥ハ厘 支出之部
一金参拾喜豆圓参拾山ハ銭也 内 繹
金事拾五圓也
金五圓也
金萱圓武拾銭也
金拾六銭也
右回通りニ三三
明治四十年一月廿⊥ハβ 登起人 金 子 三 本 機起人馬捲額支 出 額
像印南三省 刷信三豊 謝費幾代金
治郎 石川喜直三 郎 久 保 武
O讐學博士鈴木文太郎三省像寄付金
受領高︵第参回報告︶ 受領月日 金 額
明治卦九年十二月四日 金参拾銭
金参拾銭 廿七日 金滲拾銭 計金九拾銭也
累計金武拾五圓五拾九銭也
谷島田ロ田上氏
吉長=清
松郎貞名君君君
O下李先生留學紀念品囎呈寄附金 交名第一回報告 ︵遽命順序︶
藷
一斗壼圓 一金五拾鏡 一金言圓=金.五拾銭 一金入拾銭 一金五拾銭 U金五拾銭
・二雛魍
一 下金五拾銭 一金五拾銭
一金五拍銭
出金五拾.銭 罰金五拾銭 一金五拾銭 一理萱圓 一金五拾銭 一金五拾銭
一金五拾.銭 一山五拾銭 一丁五拾銭 倉重吉次郎君河合忠次君久津木勝作君谷中三次郎君岩崎勝次昌吉江粂太郎君鷲山謙吉君田代保二君上原秀三君加藤 寛君中野立次君濱地藤太郎君河野 勇君中村徳藏君岩砂鈴次郎君赤倉出暑久雄君山田信之君淺利義治君若尾隆吉君太皿長作君鴉根田信次君來問隆次君井上只次君山本軍親君 一金五拾銭一金五輪銭一金登圓一金五拾銭一金萱圓一金五捨銭一金萱圓一金萱圓一金戴圓一金壼圓一金萱圓一金壼圓一金山圓一金膏二一金萱圓一金五拾銭一悪五拾銭出金五拾銭一轍五拾銭一帯五拾銭一金五袷銭一金戴圓一金五拾銭一粒五拾銭 榊原 久君片山良作君舘 雲門君井原 悟君三股梅吉君田中野次君小島佐藏君杉山政長君中西島吉君城起吾老君高松多齊君渡邊十治君松︐田研吉君石橋西郎君諸角友季君上田 茂君安積 鼎君河野盆躬君清水秀夫三吉井康次郎君後藤義賢君榛葉左傳君窪美一久君一宮重之早霜 一直五拾銭 吉田幡誠君一両萱圓 野村亮吉君一金萱圓 高田文二君一金五拾銭 津田作季二一金面圓 松重激勇君臨金五拾銭山下専門君一金五拾銭森田信雄君下金五拾銭 田村圓四郎君一曹五拾銭小幡學雄山一金六拾銭小林茂樹君一撃五拾銭瀬谷︑義一君山金五拾銭 花岡佐太郎乙舳金五拾壷鑓佐々木辰實君端金壼圓 瓜生Mア重二一金五拾銭 飯森盆太郎乙甲金五拾銭田申正一君一金五拾鑓入田智証君指金五拾銭 鴨脚光榮君曲金五拾鏡 吉尾開道二一金五拾.銭 石坂直次郎君田金五拾銭 崎 達郎君下金五拾銭 島 誠郁君田金五拾年忌近郷重孝君一関五拾銭 齊藤義雄君田金壷圓 山屋林之助君一金緊急 橋本喜久三君右廣告候也明治四十年三月 目金登圓 都築熊藏君一歩五拾銭甘利 昇君一金萱圓 藤波 謙君一金五拾銭 高橋宇也君一金面血盛 ︑須貝璋太郎君デ金五拾銭 鎌田勘之助君一読五拾︑銭 安田三木君下金登圓 谷口長松君一世五拾銭 高畠=一三君一碧五拾銭 松井梅次郎君引金五拾銭 村上麻次郎君卸金膏圓 山本幹雄君一金五拾銭 谷澤一郎君下金壼圓 北川健三君↓金五拾鏡 三木三郎君一金五拾銭入室政孝君側金五拾銭 齊︐藤房吉君田金五拾銭渡邊甲介君一翼五拾銭 棘岡藤一郎門下金五拾銭熊西仲藏君一罪五二銭小西俊三君一金壼圓 野巖利七霜指金五拾銭林政雄君即金萱圓 増田貞吉君下金萱圓 牌坂勇治君計六拾九風九拾登鏡 登 起 人
前ミ
蝕昭
O迎迭會決算報告
佐々・木教授秘迎へ下奉教授三三・り︑新酒ぜられれる島一口 田中林三講師歓迎存も兼a☆サ 収入之部
総計金九拾壷圓四拾銭也
内 謬
金町画六拾銭
金儲圓四拾銭
金三富選入拾綴
金拾九圓八拾畿
金叫拾五圓入拾銭 特別會員八人分馨學科受験生十七人分會費全 四年級百〇四人分會費 太田君重富受取〃全 三年級九十九人分會費 小林受取ル全二︑一年級二百廿九人分會費 .太田山本二君野リ受取ル 支出之部
総計金八拾志野四拾七鏡五厘也
内 鐸 金参拾銭 茶 代 金参拝 菓子折詰六箱代
金煎拾七圓 菓子包五百四十人分代
金参圓 講談師へ謝儀 金壼圓金五拾五銭金壷圓○戴銭五厘金五捨銭金威圓六拾銭金参圖七拾銭金戴拾六圓金拾参個金七拾五銭金冠拾五銭 挿花 代捧書及西洋大板紙代
ハンカチーフ其他四点代 太田翼へ渡ス小使手丸五人舜
余興雑費鉾昌荷物蓮搬料
腐眞代バ原板料増増共︶
繍皿熕サメタ〃一罪代
︵下尋先生︵曝呈ノ分︶
銀制盛ニヅ組盃へ桐箱付︶代
︵松浦先生へ晦呈ノ分︶郵税︑爲替料及ビ小包料
便 利 屋 擁残金八卦九拾武銭五厘也磯之通ご有之候也
明治四.十年一月 日
︵屠三︶小林 進㊥
@
@ マ暑計掛︵留四︶野村義雄㊥
追而右残金ハ委員會ノ協賛ヲ纒テ腱分可仕置レマデ會
謹話二恩テ固ク保管可致候
一≒〜〜へ ≒
︵雑纂︶六二
﹁嗣口嗣燗嗣胴階嗣腿口偶輌噌﹂回幽幽嘲胴餌旧刷冒雌劇鴫爾口麟咀唱顧国署●麗崩輔幌口剛用醐齢國圖鱈鴨髄周薦廓牌国咀嶋隔扇嗣醐■璃賜鳳縄零
雑
纂
士 ○媛灸法ニッキテ︵一種ノ消炎法︶窯 通常貿9林秀雄
葦 兜 光榮ア〃本誌・上二士プ︑自分如キ小髭が彼此トキイト風 會…
墨 ヲス川ノハ︑諸賢が虎威ヲ冒ス繹デ︑恐⁝催二堪ヘナイガ︑
巽欝リト自分カー・辱 簗小供﹁ハ小供相擁藪鶯ノず嶋キ︑寛弘ナ川諸賢ガナンデ 演
覇羨零⁝ノニ撃包丁タニ︑四聖揃
叛ノ薯プ︑会故人トナッタ一老杢ッ多多︑ナン7會ラ學愚見ζζラヌヨゥナモノ多・ノレデ
モ其老人二取ッ7ハ中なノ誇デアッタ︑實際割合二効ガ
アツ・グ・媛灸ヲウケニクルモノモ少ナクハナカッタ︒
高歩セ〃裏芸上ヨリ見レバ︑輩純幼稚毫モ顧既二儂スペ キモノデハナイガ︑尾花が露⁝ニモ月ノ光ハヤザス讐︑フトシタ機輔が意外ノ結果ヲ來サザルニ毛アラズダヵラ︑コレ ユツイープタタ少研究︵ト一誤フ釦妊デ毛ナカロウガ︶シーブ見タラ或ハ意外ノ効カヲ認ムルコトガデキツカ屯知レヌ︑トニカク長口.上ハ抜トシテ本文二入ロウ︒ 一︑媛三法トハ如何ナルモノゾ︑媛灸・法ナド・立論ルコトモナイ極軍純ナモノヂアル湘實際老人モ別二名ヲッヶズ︑只﹁ダンズル﹂トイフ言葉ノ下
ニコ・レヲ行ッテヰタノダガ︑名前好ノ今ノ世ノ中へ︑凋
ヤゾレデナクトモ︑名前ナシデハ紹介スルニ.不都合ダカ
ラ︑﹁ダソズル﹂ナル三一詞ノ本禮ノグンノ當⁝掌・トシグ媛ノ
字ヲトリ︑又コレハ灸造ヨリイデタル攣法故二二ノ一字
ヲ與へプカク名ヅケタル繹デ︑命・名者ナ〃自分屯媛㍗灸
ドノ意味ノ矛盾ヲ知ッ7ハヰルが暫ラクカク名ヅケタノ
デアル︒拐テ心気ヲナスニハ一種ノ⁝器具ヲ要ス︑コレ壬極簡羅ナ
ル壬ノデ︑先ヅ鉄製ノ底アル而シテ蓋ナキ穫一寸高ず二
寸許ノ圓筒が必要ダ︑カリニ燧筒ト名ヅク︑而シタコノ
圓筒ノロニ適合スペキ木桿三寸許リノ毛ノヲ切ル︑コレ
ヲ柄梶トイフ︑コど=グ先ヅ器械ガソ貿ッタノデアル︒
裁ニゴレヲ用フ川目ハ︑先ヅ燧筒ノ申へ水ヲ⊥2許入レ 纏舘窮鎭濃灘圃識
警載講書ヲ塗布セル患部ヲ寒々蒋移シツ・サムル泡趣媛シ︑
箪再二二ノ媛灸ト取りカへ︑撒回磁力ヘスノデ其二三ニヨ
蹴 ソク一B歎回コレヲナスノデア川︒
鏑毅繍誘無難黒鴨ヲ 術署法トシテ︑︑緩筒ヲ要セズ只細筆許ノ木桿︵太サバ繭. 穏
ギへ 書キ落シタガ︑媛ノ鷹ハ︑少夢圓︑︑︑ヲモタシ二方が鷹.
心際上都合ガヨイヨウデアル︑
.
ウ老人ハ送気精ヲ用イズ轟︑聖意ヲ嶢酒ニトキテ用イタ
ヰタ︒ 二︑其ノ効用老人ハ打身二尤モ効アリ︑ソノ他︑躇ミチガヒヤ.︑腫物や偉⁝廉盾⁝斯等・二大緻佑効能アリト云ツタヰタ︑ツマリ︑其温熟的作用が密トシテ潰炎的・画ラキ加フルェ多少ノ器械的骨炎ヲナ庭・生物ノ吸牧ヲ促ブスノミナラ︑ズ︑樟胎丁︑幾叉濾炎∴野面ジ︑餐作用相連關シタ三徳大二消炎ノ目的ヲ蓬スルノデァロウ︑殊二・其吸牧ヲ促ガスカノ大ナル
ハ︑其温熟的作駕ノ弛ノ同誌曲方法二比シタ張方ナルト
且ッ覚ハ帽侃熟ノ輪罷ク遡休部ニ マ評プ徹到スルトニ ョリニプ幽知ル可M
シデア〃︑二二種々ノ炎症二⁝勤シデ効アルノミナラズ︑
殊二慢性炎二樹シグハ其作用著購ナルヲ信ズ︑老入デ打
身二極.﹁モ効アリトんツタノニ致スルノデアル︒
而シプ︑コレ︑9他ノ諸法二比シ見ル論ン.ノ一緊緊チラザル点
心於プ︑ソノ・種々ノ消炎目的ヲ空︑タル無二於プ.猫ヨ
ク出色アルヲ見ルノデアル︑況ンヤコレヲ實地二試・︑プ︑其事ノ甚大ナ㌻知りシ曉二於テヲヤダ︑コレ則窃小供
ノ身モ顧ミズニ﹁カク諸先輩ノ旨前へ出シヤバツタ次第デ
︵雑纂︶六三
︵漫録︶六四
號ヨ遣四十四第三志楽焦會簸十
アル︒ 三︑鷹用二就キテ
以上述ペタ廿日︑諸種ノ炎症廿日慢性炎症二効大ナリト
スレバコレヲ實際上二鷹用シテ其三鷹症及其程度ヲ知〃
ゴト必要トナル︑コレラ定ムルニハ多クノ實地ノ結果二
徴サナケレバチラヌ︑嘗テ見タ〃朧ナガラノ記臆ト︑以
上述ペタル慮識ヨリテ︑骨關節ノ諸炎症︑粘液嚢ノ炎症
ト︑儂降翻意薫り︑紬盟絶痛等二劃シ︑多少其適雁鱒︑三度等凱
就プ推測ナキニアラズト錐モ︑不幸・ニシテ︑未ダ學生ノ
身デ實地一;ゾヲ多ク試ス機會ヲモタヌ故二︑コレラ現
實二知〃コトガデキヌ︑仕方ガナイガゴレヲ下表スルコ
トガデキナイノデア〃︑杏自読ヲナスニアマソニ博識
ヂア川カラデアル︑︑呵々
痛論ノ⁝機會二富マ〃ル先輩諸賢が渦輪ノ一戯トシテ試メ
ラレ︑土ヲ採りタ金予ナスノ功ヲナシ給ハラハ︑幸甚コ
レニ如クモノナイノデアルO
ξ覧一 一1も 鴨噛剛嘱噌囎剛囎蝋顔嗣醐網顧剛一鱒繍劇断醐嗣岡嘲蘭嘱嘱咽糊14噸醐醐顧覇闘醐嘲繭姻旧唱欄口暉岡麗帽隅属剛一削網岬口欄刷欄鱈昌嘱唱綱暢帽麟
○特別団員に答ふ
私は難誌早々員にあらず亦部員だりしこともなく只一個
の特別會員だるに止まり雑誌部其物に取りては憂くの門
外漢である︑曾て小川敏授か雑誌部部長たりし賭何かものせよとの勘
に從ひ不二無性筆取り初めしか縁ごな転勤に誌上各位に
れ昌にか㌔るの榮を得だ寮でマある︑然るに思懸なくも十全會難詰は恩人科の難誌にあらずとの批難を蒙るに至
りしこざあむしを以て深く自ら潜越の鋸恕すべきにあら
すざ二二し一時全く筆を中絶せり︑而も斯る批難や冷評
的無責任の議ご戚ぜし故此頃に至り再ひ海外に在る先輩
ぬ へ も ら へ ゆ や ゆ へ ゆ も や へ も へ諸氏の滑息なざを投し廣く其人を揚くる巴共に三無各位
ぬ へ も ぬ て ヘ へ ぬ ヘ へ あ やに近況を御知らせ串す次第である︑此等の事の爲に或は
二一部員冠誤られセるものか自己の動静を會員移動欄に
紹介せよと串越さる︑\あり或は雑誌の登途を依托せらる
︑あ参或は名簿の訂正を乞ひ誤謬を指摘し其粗寮を鳴ら
さる\あう或獄十全會は甚力不都合である我々を蔑親し
_既無既庶周胎薫難貫傘、ナ_一 る︑故に今其信托を重んじ其者を致すに吝ならざると共 過さないと云ってよいのである︑其も他に皆それノ\鑑 ヘ ヘ へ ぬ へ ぬ や實に大に諦聴すべくまた大に顧るに足るものこ信牽 論及畜生を戴くざ等等として其任に服する者は二三子に 雑誌すら逡得し來らすご意氣憲き給ふあう㍉此等の注文 諸氏試に思へ︑難騒騒は部長に敏授を推し部員に他の職
へ ゆ へ や ぬ へ も ぬ ヘ へ も へ ぬ ヘ カ ぬ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ゐ め も ぬに私も之に因みて少しく苦言を呈し御注意申上け度いε すべ蓉書舗ある身の只其飴暇を見計らつて事に悟る片手 へ て な せ ヘ へ め思ふ 仕事汲過きないのである固より慰勢や報酬などのあるペ
へ ぬ め ぬ む や も ゆ へ ぬ ヘ ヘ へ も ヘ へ も へ や へ む全体私は力めて各位の満足を充かし御希望に背かぎらん きものではない︑云は望其佼薦せられたる義務を入一倍
ゐ ヘ へ ゆε欲する︑寝て其思ふ駈欲する所を遠慮なく思の儘に串 多くの礪域時とを費して成し暴けたる結晶がすなはち一
きる︑方に評しては満腔の喜を以て多大の謝意と敬意を 部の冊子εなるのである︑其入知れす費す勢ご時ざは中
表し且つ大に之を獣迎する者である︑何者蓄髪位置に上 々容易なものではなくまこざに想像以上と医して差支な下の差あも時に前後の別あうこするも嘉し綾庭に出入し.いのである︑幸に諸践の援助と學生の轟轟なる勇め年々
罪し講堂に學ひし竜のなれば日夕興母綾の状態を聞き擾 壇翻して此頃は印刷部数千三百鯨に達し露悪に附するも
友の濡息を知らんと欲するの情は山河を異にし地を隔つ の牢鍬に及ふの盛況である︑其磯鑑はいつも一入で名宛に從ぴ愈盆甥なるものあ勢ざ信ずるか爲である︑私の敢 武認むるにも随分手管である︑斯る手数を姑くし快く嚢
て其勢を惜ます一に其好意を報ゐんε欲するの微意は全 邊を青るに係らず封箋註にて返却し來るもの時ごして数く此よ存するのである .十部の多きに至るこεがある︑やくく登点して此仕末
凡て何事によらす事の誤解は極て些細のこごより盤じ眞 更に逡らんに軍議駈か勢らずよし勢つ控斯で重ねての勢
.相か舜って見れば一笑にすら指せぎるこごが多いのであ ご郵税の無駄εは厄介なるこε中な小ではない︑然るにる︑事情明ならす爲に思もよら謁樹脂を巻くるに至るは 却て意外のれ叱を蒙う御不満の御言葉を頂戴するは如何
や ヘ ヘ へ や へ も ぬ ヘ へ ぬ へ ぬ め ゆ ぬ ゐ慨しく悲しむべきことである︑故に可成其節の事情の閾 に齢員の不快に威する堺なるか︑チッとは部員の心中ξカ へ ぬ や セ へ も ゆ む ゆ や ぬ ヘ へ ゆ ヘ へ ぬ ゆ ぬ ヘ ヘ ヘ へ ぬ ぬ へ あ ぬ ぬ へ う ゆ ヘ ヘ へ明につεめ行違の依て來る筋を究むればこ︑に意志の疏 もなφ考一考するがよい︑入或は云はん玉露の係を概け
ぬ へ や や ゐ ぬ ゐ ゆ ゆ へ ぬ へ ぬ あ で ヘ ヘ へ で や へ ゐ や へ あ通ご融和を溢し互に手を打って大笑一番眞に春風に浴す ε︑而も十全曾はそう饒稚のあるものではない︑御承知
マ へ あ ヘ ヘ ヘ へ あ ぬ もるの思かするであちふ意思ふ の通り職員の醇金ご學生か授業料ご共に勤むる義務的會
︵漫 録︶六五
︵漫録︶宍六
費ご特別會員の會費よウ成るものであって経費の郡直上 其運に至りか臓るのである其にも係らず特別會真中往々 會費滞納時ざして盛年の久しきに及ふ方が少なくないの
である︑一々之を調べて串上げても出來ないこごはない〜が斯る邊にまで充分手か行届き知識るのでめる︑よし手+∵鷲聡夏篭憲婁欝寮か麹掌い懸絶
趣編んで納入すへき義務ある竜の巴信ずる
翻蜩蝠?u禰論難 マ
蕪れまい・而して多く冷語姦ち歪を云はる︑方に髭課麹靴騰鶴撚甥嚢媚鍵講鞭 灘醸旗幟樋蠣撫
⁝誌の薯せさる恐もな赤登浅に當り大に手数か省かれ 相方便宜を極め意志の疏通を敏き冷淡ごの議を受ける蛮
でもなしと思ふ︑其も煩鎖なる手筆を要するのでもなく
七面胴なる照會を要するのでもない︑タッタ一二五厘の ヘ へ め ヘ ヘ へ や モ へ も ヘ ヘ へ 端書一枚で濟むのである︑此僅に一銭五厘で凹む義務を カ へ た も ぬ へ も ヘ ヘ へ も ぬ ヘ へ も も も へ も も へ も ヘ へ あ自ら全ふせす他を責むることの酷なる少しは反省して頂へ へ もき飼いものである今本誌薮行に就ては其關係校︑院格別に径庭はない︑故に私は母綾に最近き病院に在って各位の態々ものせられだる御好意に幽して共々に満足を得んと思ふの回り︑失言をも省みす御答豪此の如く蕪僻を呈して溶く御願ひ致すのである︑希くは如意を諒こして幾重にも御寛容の上萬一各位中他に斯る方もあらば立って此旨御傳あらんこごを望むのである 入田生粋自
○無題 録
○
こ ゆきちらくの小雪やみて︑
たかね ξ〜︑ヒ
春 雨 傘
日は温かく照り出しぬO みち 高嶺の眞・臼なる︑大室の青く澄める︑道路の早く乾け や るなざ︑とりん\嬉しきが中に︑犀水の流れ速きは︑山
ふヨころ じぐかご ち懐に春や訪つれけむ︑蛇籠に花の浪ぽ散るなら︒ きぬきかね ビを 十ばかうなる娘の群れの︑れのく衣着換へたるが︑ くロ て なり美しき糸にて綴りだる手魍を持ちい5くε打ち語らひ なにがしてらっ\︑某寺の門に入り濾︒
門内幾十の世羅は︑既に麹つき嬉々εして遊.へり︑い
かなる日なるか○
鰭りて問へは今日はそれ遅漿會なればみ寺に詣で麹つ
きて女の兜の遊ぶなりと云ふ︒
あ︑誉れ如來喝仰の念なけれ共︑浬漿會ご聞けば奪着
帽
しな︑幼き昔の思い起さる鬼〇
十 今は世になき租母の手に引かれて︑心骨の寺町塞うあ
窯 るきしが︑この翻︑本堂の障子を左右に開きて︑紫の慢
言 幕さげ︑極彩色の淫盤像懸けて︑雛僑の経讃み罪しを︑
入角堂渋藏寺ε呼びしは︑物凄き殺人氣稀れなりき○灘 ものすご 朧に畳へはべるなり︒
和省様ご云はで活き佛蓬いひき︑ぢの聲さへ知る人あら藻
蕉 ねば︑参の面いかでかは見む︑青みどう池を鎖し︑苔は
青蠣の露を置きて冷たく︑寳庶物塔の法鈴︑風に鳴るさ四
乱 へ襟無論かりしが.この寺の混黎像の大にしで精巧なり
四… し事今に忘れ壷O
…
かなし かが 天女︑人問の泣むようも︑象虎などの牙を伏せ身を嘱
めて歎く緯像のまカなく面白く︑鳥蛇は更なり︑虫けら
吏でさめん\ご打ち書き居b︑一味悔凄の氣一幅の書圖 號…
に溢れて湘老ひたるは南無佛を唱へ︑あれを見よ︑兎も 艦も泣きて居るよ︑樹さへ枝を垂れ葉を落せり︑この絡 うづき もグ 蓉かく悲しけれど︑四月八日こそは百よろこびの懸物ξ はなみ おう うぶゆ かはウ︑花御堂の牟尼佛に産傷注ぎまみらせむε云ふに︑ 吾は階段飛んで降り︑衷だ手を引かれて次なる寺に寛行きし︒ こう 渥繋像には五十二類︑現俸︑人道︑地の三十六禽︑洪か うろくす ありさみ河の鱗魚︑天地の間に生を受胎るもの皆愁歎の容形を書 さく︑二月のわかれ︑佛のわかれ︑去りし佛など云ふ︑娚二天に言ふ如く浬雌の清澤不死不生之地︑一切脩業者腓依麟とあゆ註して超脆輪廻出離生死之地とせるを以て見れば死を云ふにあらざらむ︑如來御年七十九︑二月十五日大衆に示し已りて︑頭北面︑西右脇にして滅し給へるは入滅品に記されたむ︑ 中學にありて増鏡まなびける暁﹁かのきさらぎの中の五日は︑鶴の林a薪つきにし日なれば﹂穿つくも髪の婬の云ひだるも︑げk今爾のことなり蓬思へば︑さすが昔のなつかしく︑百に近かうし級友の︑如何に何腱にと回想の流れは鑑きす︑入は順流の寵見にて︑叢れ將疫館くる瀧津獺の︑長き一代を深廊がくれに終らむずらむ︑さ もとれご略自ら風月を塵外に 覚めて︑白眼に世上を見ぱ︑百年の知巳もあらむかご︑畳束なくも慰むるな蚕︒ けちゑん じ こう 面白や︑臓に迷ふて︑結縁の慈光に遇ひ漁︒
京ならね
ば
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矢や○
脊せ
小原女の風流はなくεも︑東山よ〉
︵漫 録︶六七
︵漫録︶六八
鷺麗誠四十四1第一霜蕪毎曾壷→一b
り花起りにくるは︑都の春の景物ならすや︑吾が幼かり
し程は花曇りする朝問より︑花召せとてよき聲に呼び認
るきしなり︒ 狭き庭には花紅葉の要もなし︑松は四時の緑にして月
雪にも見所あればご︑萬事忌味を楯に︑氣の毒な位叩き
つけて買ふほどに︑庭もせに針葉の枝さし騎さすやうに
なり鍛︒ 年を記せす︑一歳の昔︑木蓮の樹頻りに欲しがりしかば花責うを呼びて暴くに自きは高く︑歪なるも少し不足
せしが多年の松の御蔭にて首尾よく手に入れ︑萩と檜の
問に植へ置き磨り︑樹よく育ち︑入同じからざれ共年々
紫の蒼大きく︑花なき庭に驕れる色あり○ ひとユせ 春だち春行き︑花は一年に一度撞けど︑相見ざる幾年︑
客愁を窓前に繍く時︑郷里の花信は木鼻臭きぬ巴報じこ
しぬ︒ め︑険けりや○
われ病院の西に木蓮の大樹を見るこごに︑すなはち家
郷のそれを想ふo
○
時なれば春詩あさめて見るうちに︑昌齢か詩高潔を引
き紀る︑さらばこの措僻の巧ε︑景ε情蓬の調和を其の ま\移して︑さりながら原詩を遠く離れず︑まπ直繹の弊に隔らず︑七言五言の絶句も古詩も︑吾が普通の譜調を有せる詩形こせむに︑國語の意味のまっしきを威ず︒ 西宮春怨 みやる しづ ぱな よ 宮居静けき花の夜に たちすだれ もの 王簾潔くも物らしや び わ いだ うかあ 琵琶を抱いて窺へば きみこがく つき 醤木隠れのみぼろ月 なぽめ 果して珠は琵になり粗︑春恨鋤ける療詩の風昧は浮世絡の銅板摺ざなりし心地す︑第一句は﹁西宮七賢百花香﹂を謬しだれど︑静けさが形容詞になりては些か趣を異にしたう︑思ふに原詩は方夜之静其香夏扇の景致ならむ︑第二句は﹁塁壁珠簾春恨長﹂なう︑静かなに西宮の裡︑何者の青春の怨に沈める︑花光月影︑溶こして紳仙享樂のさと郷なるを︑青黛の峨眉打ち螢めては短樂の光まぶしく︑濁う長福を掲げて立ち︑殿外為究の夜景を観ぜむに︑あ︑春日凝粧上番縷の身ざは言へ頼裟れ臓人の36や︑閏怨の惜この承句に集る室に獺而不重留解し能ふ離し︑第三句は﹁斜抱雲和深見月﹂ご云ふ︑雲和は懸ならむ乎︑すだれ下せしま︑なれば︑一圏にうれど見難くて︑深くざこそ巧に言ひ廻しつれ︑即ち從簾中見の謂ひにあらすや︑ ふし のわが傷心の一飾を樂になして弾せば︑紛る︑事もあらむ
_孝ξ馨、無_殿=甑鳳簸嗣熱、竃趣v黒_
ざ︑取り上げたれど︑さても心は塞蝉の︑擾の手れうそ
かに︑思を惹くは簾外桃李の花なれば︑窺ひ透かせし心
弱さよ︑第四句は﹁朧朧樹色隠昭陽﹂を繹したり︑こは他
得幸者原論にして春怨の溜場なり︑うらみてわびて詠め
て見れば︑月は朧の薄曇う︑西宮の夜は寂ごして昭陽宮
の萬籟は絶へ糧︑かの塞懸明月待君王の詩も思ひ出され︑
轄だ君寵の偏衙を歎かすんば非ず︒
課詩がπ里百録の一︑題旨に適はマ幸也
︵謡︶ 春眠不畳曉︑夢香ばしき折からに 慮々聞哺鳥︑鳥こ多來鳴け朝日影
夜明風雨聲︑思へば夜嵐の雨風に
花落知多少︑散にし花も有べきを
この鐸更に拙し︑講む君試みたまへQ
孟㌔︑︑〜︑㌔〜一斐O暮
曇誠
吟 雨 縷
︵醐︶
笑ふべき友は多かれど︑泣くべき友は少し︒燈火消になむεする夜雫︑ひ鷲り︑離々たる︑強風の塞を渡るを聞
きては︑何とはしらす︑涙潜面ざして下る︑あ︑この時 だもに袖絞る人のみるならば︑我が終いかに慰安を畳ゆべきを︒ ︵醐糊︶我れは胸の思を筆にのぼさんごして︑幾度か紙をのべつ︒しかも孚ばならずして筆を投げ︑紙を裂き臓︒思徒らに長く心只哀しむbもしこの黙思を抱きて︑εこしねに眠りなば︑いつの世に入の知るあらむ︒ ︵醐温︶雲西に流れて量はまさに暮れなんとす︒我れ只一入遠き野末に立ちて天のひろきを仰ぐ︑冴々たる暮禽塞に書ける如きを見て︑我が心李かならず︒あ︑我れに一双の翼をあらしめよ︑高くかの雲外に飛揚して︑我が聲のあら−む限うこの風情を高唱せむかな︒ ︵醗︶去年の夏︑房州を卜しける時︑夕ぐれ自濱よう舘山への峠を越へ漁︑夕霜低く箪めて︑蒼然たる暮色地を愛し來ウしごき︑疲れし足を引きつ︑友ご只二人︑人なき山路を辿りき︑寂然控る思ひに泌みて︑友語らず吾れ云はす︑路傍の叢に済香を吐く自百合の花を見つ︑首を垂れて黙然として歩みき︒この時敬度の念油然こして胸に湧き︑我れ我を忘れじ去り沁︒其の何故πりしかは今爾知らすQ
︵蕊︶
︵測予州
︵漫録︶七〇
_蟹無黒烹頓、筆鰍細腰薫漁_
入あう來て我が胸に刃を當つるあらば︑我はまさにいか
にすべき︑重てその刃を受くべきか︑揺れは爾ほこの世になすべき事の多くを塾せり︑拳をあげて︑彼れの亘手
を彿はんか︑更しきエデンは夜毎の夢に入りて︑紳我れを招き陀まふこご切ウなり︒あ︑我れ如何にすべき○
︵商ハ︶
回路の朝霧に馬子が歌ふ追舜をき︑つ︑︑刀根の夜船に舟夫が欺乃の一曲をき㌔しも︑思へば過ぎし昔ごはなり
臓︒されば我が胸中の悲や︑薄鼠街ほその時と同じ︑あ
\かく町並永劫が胸中に悲のかげ溝ね去る折りはあらざ
るか○ ︵七︶
我れは夢に向て深き戚謝を捧げむご欲するなり︑一日の勤めに頭いたみ35疲れて︑冷たき裳の上に謡⁝かに身を横
ふるの時︑來りて我れを慰め導き︑量になき人に會はし
め︑あらゆる難術を霊くして︑我を樂ましめ︑我を慰む
るものは︑あ︑夢︑夢なりき︒夢よ︑ここしねに夜々の
我が眠りを守れ︒
︵八︶
晴れたる夜︑高きに上りて市街を望む︑戸々の紙障に映
れる火かげのいかに李和の相を現すを見ずや︑人は青書
の疲れを休めむごて︑今やたのしき臥戸に入らんとすら ん︒あるは若き妻が心づくしの夕餉に向ひ︑一杯の酒に快く酔ひて︑節面自きざれ歌をう泥ふもあらむ∂更に見よ︑黒き家の上にハ数多の星まπ︑きて︑彼等が眠りを守れるにあらずや︑あ︑牟和なる夜よ︒さるにこ㌧に一入︑此樂しき下和の境に入る能はすして︑悶え苦しむ若き子めるをあ\いかにせむ︒ ︵塊︶蓮命の神︑汝我に封て何今つらきや.されど我れは今汝に一片の謝欝を捧げむとす○汝が手の冷だき我か胸の上に遮る︑時︑我が血轟轟︑我か35昇る︑老馬せる我が意氣は勃然として勇めりき︒あ\これ皆獲怨なる汝が賜にあらすして何蓼や○つらき運命の脚︑願はくば汝が冷酷なる爪牙を盆々錐にして練れ︒ ︵十︶.宇宙の間人間ほざ︑罪あり汚れあり︑知悪あるものはめらざるべし︒ ︵完︶ ≦ ︑ 一︑駄〜〜︑毫 ○塵 土集 元旦試筆 池田菱吉 又見乾坤日月新 書窓不麿豊年塵落莫紅霞金城客 閑散還迎盆巌春 頸膝不屈馬面費 覇府激察眞赤貧
何時石面尾至上 趨捧壽膓祝老親
_茸塵.無.蟹、聴で、。蝉、.篤麟鳳塑無驚、奪、ミ黙_一
次池田霜韻 黙玄滋人
歳月日新日又新 不二彿拭萬古雨受中初作金城客
雪裏幾逢麗澤春 十年静坐観無字 百里遠遊忘赤貧
失笑先生不惑父 趨居省勢耳順親 購湯目激授 同
塵埃堪絶臥龍雪 名利暫忘餓六花 莫遊奮人須再顧
松杉高庭是吾家
逸 題 同三十飴年難彿塵何縁今日遇佳辰臥龍山上雪中垂
下得洗心庵裏春
歩劒愚生韻 生未見友在西藏 同
四十無聞吾將老 塞拳欲沸満身塵 朔風夢破書窓下
刷思遽征千里人
塵世有無申 歌論窮熟通 讐王頭省白 犀水渡春風
寄土肥鵯軒
波山蹟緑蘇 霞風守紅塵 画面曾遊跡 孤燈獲夢新
9ミも馬〜〜〜︑一 一ち−一〜 〇二雨會吟稿
在高岡三雪︑在須磨呼潮回詞兄より旧く三遍に玉吟葎寄ぜらる︑ 實に本曾の光榮となすところ︑謹んでその厚意に謝す︵雨︶松に伏す磯のわら家や初からす 鈎 雪元朝の雄松雌松や幼稚園 同
︵漫 録︶ 顧曳や景品嵩む小水引毛布着て懐奮談や君と我毛布着て斐たる君子の文を懐ふ書初の書院明るし寒椿このわたや佐渡に寒かる獄司の子このわだや糟糠の妻はでやかにこのわだに能登の泊りや海の重句を案ず浪をの身や春星忌 初秋須磨省句月や今登るこころを帆舟ゆく松の枝の相謬るところ月登る 月下釣舟二句先登第一月にかざし膿太刀の魚大聲に舟子相呼ぶ月下哉名月や遽くはなれて星一つ芋の月此村の檜尺八をよくす月及照る雲面自や野分の夜 病 含毛布きて濁り月見よ耽りけり初汐に下葉ぬれたり月見草初汐や新酒ふる綾ふ携の霊草餅に若かりし妻悼みけう
七
同二階同同同門同
同
門 .
同門同帯同
潮
爾同同同
馬
一一脱葬,」興烹,四第鱗難岡目.,琉㌦
︵漫︐躁︶
紅梅の里に訪ひよる日傘哉所作もなく牛曙く里の乱撃哉茱の花や泥にまみれし男の子晴嵐や笠か睦むけて渡月橋よしあしの芽や湖の春の色すみれ草昔の懸もなかりけう若鮎の群れや屈しく川底に桃の酒嫁ぎし姉を醇はせまく花の雲博覧會の上野かな若草の旧いたからむ東草履鰍纏に貴夫人めせり未開紅夕月や︾うすに惜しき紙鳶の風石∴を切る御影の里や燕飛ぶ舟近く燕飛ひゆく汐干哉女癖の名の札新らしく松の花石・門に馬車の客あり松の花
春の夜.を讃みつかれけり山家集蛙なくや遠き廓の薄灯そぼ降や蛙なく夜の物思ひ⁝︑︑妻
同同同同同同雨同岡圖同同冷雨同自同一同
星雨
橋
城
七二
〇二雨會詠草
池部雨橋
君ざせが手取川そひ春の夜の月は海路にうすくもりし
て
も 桃の花生垣越へて旧きこぼる丹塗の壁よ小格子の門 ゆ湧くれば一つになりて遠き野をさまよひ濃くか小村の
春に 和田門馬 うめ むすき漁π貝梅の花貝さくら貝結ばぬ髪よ眞砂の濱に ずみね川冷ひのこもし火二つほの見ねて墨絡に似力る朧夜の
朧ろ夜を束に落ちむ姫君のみ舟かくれし花吹雪かな ひめサみ 解きあまる五尺の髪にもつれては水際の梛君によき里 みぎぱ 野村雨城 路
さきつマく櫻三里の震ぼろ夜に友がすさびの落城の曲 むらさだ ほのね藤の里うす紫の三水にすがだ平して微笑む二入
* * 警 * *
静 勢 勢 契 鱒
塁=髭圏髭醤硝嘲鰯累賦謁咽瑚剛謁隅コ畠竃謬馳舞匿轟騒囑関幽謂画昌口引==諾謡霊凋瓜器旨
倉
華習
無・鯖實離 い
驚年譜に新なる最兵第二の春︑鮮瑞六合に沿くして熈々雍
難 々究り︑萬々歳翠重なる門松の邊︑輕風被を彿ふ軍艦旗 の下︑捷て兜の緒を締むる我稜詩評海軍醤官連︑屠蘇の
撫減やいかならん︑今次蹄省す三野申軍讐傳ふる所左の講
第
如し︑
庶興 興 無腰
へ
継噸殿難鰍徹獅禰職馨長 少監
韓國元由防備隊軍馨長 大軍讐
金剛繋比藏瀟瀟長︵在舞鶴︶大軍馨
継獺
b齢附封」源附 大軍讐
佐世保水雷翻第入漁逐隊附大軍馨
磐手艦乗組︵媚肝繊癩獺港︶ 申紫黒
南清艦隊伏見乗組︵上海︶ 申軍馨
海軍練炭新造所附ρ周防國︶中軍騰
佐世保海兵團附 中富馨
待命︵佐量保︶ 少軍馨
佐三越堀土・大武暑中鈴 々野田井田西田谷野木 木 久 寛 辰賢信告三瀬正義才六 白血吉李郎治壽一幸助
横須賀海軍⁝機關術練習所附少軍醤
横須賀海軍病院附 少軍馨海軍軍讐學総練習學生 候補生
静 憩 静 * *
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眞 次i運顯
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右の内鈴木少監には戦時申少しく不豫の欝あうしも一日
四回撮食療法の結果強肚肥大殆んご見違ふ斗なりざ云
ひ︑土田中軍馨には日本海々戦五日前急に輻任の命に接し頗る脾肉の嘆に堪ねさるものありしが先頃最手乗組ξ
なう派遣艦隊こして米國を訪問する所あるべし置云ひ︑三野中暑讐には戦後竹敷要港部より武藏艦乗組こなり久しく北海警備の任に在りしか昨秋横須賀急航の上佐世保
海兵團附εなりしもの︑叉佐々木少軍馨には紳経衰弱症
にて待命加療中と聞く︑
勢 * 勢 箭 鱒 *
◎笠霧吉郎氏 昨秋上京︑花柳病豫秘薬會第一回講習を
卒へらられしか︑更に今回落成移轄の傳染病研究所に入
學︑來る四月の候をトし郷里重岡縣糸島郡悟土村末永に
於て開業せらるべし
◎加藤寛氏 一昨春猫逸に留聾すべく金澤病院佐々木内
科を僻せられしも母堂大患の爲其意を果す能はさりしが來る二月いよく騒身渡鰍の途に上らるべしO猪木彦助氏 金澤病院婦人科馨員奉職中の庭新春早々
︵會 報︶七三
︵會 報︶七四
課戸四十圏第論難熱冷子征し奉天萱葺に多大の殊勲を奏せられたる移民には昨秋 ◎岡島敬治氏五畿歩兵第五十七聯隊附こして最遅く出 染病研究上に入學せらるべしと云ふ 院に入り上田馨長の下面\直鎖怠なき氏には陽春四月傳 ◎薦岡喜洋践召集解除後南画傳染病院なる飛地櫻木病 ◎堀大次郎氏 同しく廣島病院調測所長こして就職 縣立話島病院眼科部長に諭し合闘あり O筑紫季雄氏 縣石茸島病院眼科部長だうし氏には昨夏 陸軍倉庫附εして大連に赴任せられたり ◎谷澤一郎践 三等軍騰こして姫路在任中の灘奮臓關東 河合鷺氏を助けて勤務せらる︑と云ふ ◎宮越常次郎氏 召集解除後越前鯖江町土屋病院に入り 外科部にて.研立せらる ◎密田敦貴馬過般江沼郡大聖寺病院を僻し東上︑大學 院主任εして土砂鈴次郎氏各敏腕を振はれつ㌧あるなり に同院には既に外科圭任として關啓次郎氏︑附厨長濱病 下ノ關市小林病院婦人科主任として赴任せられ陀り︑因
京郡大面解剖學皇室を課し長崎讐學專門止綾敏授となり
激鞭を執らる
O島帯金氏 召集解除後直に上京︑三浦内科に入り勤務
せらる\傍ら三輪小面癖をも研習せられつ㌧あり︑聞く
か如くんぱ一両年の後璽震巴反甥なる犀川方面に於て別 旗を轟けらる\考の由なり◎村田譲氏 同しく田代馨整外科a勤務申なφ◎太田精一氏 島氏と前後して上京せられたる民鼠に其后A瀞閏を迎へ一佐藤豚外科 川勤務中な・りO松尾数男畏 ペスト豫防に醤する臨時検疫事務官として紳戸に在り◎關屋林之助氏 全しく槍疫官こして昨秋十踊和歌山に赴かれたる休職石川縣技手藁葺には恪勤の器高く精働人に絶するものありしも晒此人にして此疾あうとも云べき奮容与に重を加へ︑去十五B夜任他に於て溢焉易笹せられたり︑而して遺見術笹縁だ東西を辮せす︑まこεに痛惜の情に勝ねざるな・9◎澤田∵定信民 青森病一院外科部長なる氏には展墓の爲め去紀元節十年ぶウにて鉱業せられだるが年來高度の近視に俘ふ後臼内障を患ひられしこご\て直に金澤病院眼科部入院︑高安博士の手術を受けられたり︑二月平館日夕金谷舘に点て高安博士並に加藤慶三馬登起の下に款迎を兼ねたる懇親會あり︑謝する者山碕小川宮田高安の各数授噛三木兄弟田中︵一︶八田の病院連︾並に津川岡田森島大木沖野藤井山田︵孝︶島田生駒河村︵賢︶の開業諸氏︑即ち奮知あり先輩あり後進あり︑笑事獣聲堂に為れ圭客陶然興盤くるを知らず席上在濁の飯森敷波両畏に宛健康を
寵するの寄せ書なごありて散會せしが︑開會に二って加
藤登趨人の灸危篤の電報に接し倉皇辞去せられたるは一
同の講情に禁勲ざる所なりき
因云︑践は明治廿四年第四高等下宿綾馨學部首席卒業
ノして郷里石州郡戸板二字示野に開業せられたるも︑
講・都合姿 曳 辞職の上全市蜆貝町に於て外科病院を建て開業せらる てくへ も ヘ へ 鼠三年八月青森病院韓任・含に至εものにて盒 懲受け頗る得る震あ参︑三+年々舘桑原病院に赴き︑辮 + @廿七年金澤病院外科部に入り親しく木村博士の薫育を
第…
D馨難曲ら群鰍藩諜難罐礫眺輔劉鰯
四…
p覆病院外科部に赴任せられな漁◎高伊三郎久し壷+六師團歩丘ハ第五+六聯緊三等興軍騰εして北満州に在りしか今回在弘前三十一聯隊に轄
一より在大連聡慧陸軍倉庫誰誰に韓せられπるに今回更に 蟹寒崖饗三釜書して旛姫路歩兵笛+灘 五 Cせらる・に至讐
へ
高氏の後を襲ひ五十六聯隊︵公主嶺︶に補せられだり
◎清水秀夫民 二等軍留なる民には漸騰陸軍着工學稜を
卒へ復隊︵工兵第九大隊︶せられたり O瑚根田信次氏 全しく歩兵第三十五聯隊の氏も右全断 ◎吉井康次郎氏全しく歩兵第七聯隊附なる氏も右全断O小島茎蜂氏 全しく輕重兵第九大隊の氏には新年早舟軍馨學稜に入學せらる◎宮井勇氏 曾て金澤病院眼科部を辞し越中礪岡町に開業せられたる氏には︑豫備二等軍需こして召集解除後更に倉閨を携へ遠く安東縣に赴き開業せられだるに目術淺きに係らす頗る令聞あ蔭診を乞ふ者門前市をなすの盛況を呈する由にて昨夏族醸せられたる八田馬に甥して非常なる優遇ご便宜を與へられ控りと云ふ 清國安東縣右堂前街十三號地◎敷波重次郎馬 夙に本校を出て檎台留學專門學綾解剖學笹飴蓬して昨春渡欧せられセる氏には無異健康日夕研究に力められ左の所に寓せらる︑と云ふ ㍉ きQo︼鼠子営濃艶陣 ωoげα巳鉱ゆの貯Q◎山回回 均貯b・び弩αq U①飾冨Oげ貯p脅O北川光雄氏 昨年來東京帝大藩論大學整形外科激室に孜々研學中の由◎松原佐武郎民 昨秋卒業後新潟市新潟病院に奉職せられつ︑ある由O足立諒馬 目下金城療病院に奉職中
︵會 報︶霊
︵會 報︶芙
罐五四十四粥講難會壷十去月九日俄然驕充血にて逝去せらる︑痛惜の至に堪えず 功を建て凱⁝旋せられカる国名隠事ら予々たりし全民には ◎翻心雫氏 嚢に高岡市に病院を開かれ︑日露戦役に殊 ◎松愚民献呈 現役讐官ざして第四師團本部に勤務申 られカリ は以上秘薬の辱め去月十二日金谷舘に而て逸別の宴を張 末辞職の上郷里秋田縣に露らるべし︑而して病院職員に O菊池文算氏 全館人科官員には全じく開業のため去月 去月十四日露國の途に就かれだり ◎中島誠氏 今回全部麟員を辞し郷里信州に開業すべく 警せられたり 去月三臼補充輸卒こして服役すべぐ尊重兵第九大隊に入 0佐野爲明馬 金澤病院外科第二部醤員繋りし全民には 口﹁モンゴリヤ﹂號にて敦賀港出帆濁逸玉に向はれたり 本年三月に至り浦港を経て平造利亜を横断すべく山月十 内科を辞せられしも母堂大患のため其意を果さる能はす ◎加藤寛氏 一昨春濁逸國に留賦すべく金澤病院佐々木
O田村圓四郎︑高橋幸七郎︑鷲山⁝謙吉三唱は一年志願兵
ビして歩兵第三十五聯隊に入遷せられセリ
◎森義作︑岩佐兵藏両氏も全焼
︶ミ♂︾︑〜 Q迎途 會
醐 佐々木先生を迎ふ 明治三十七年七月吾等は佐舟木先生の西︐航を逸う候爾
來二春秋先生の温容に接する能はざウしかども絶にず趣
味深き有盆洒脱の通信を遠く叢雲の彼方より賜はう一同先生御健在の程を祝し居り候 今回期満ち︑萬軍の鵬鴻事なく故國の山河に接せられ
而して深くまだ新だなる研鑑の結果を以て後進指導の任に復せられ候は絶大なる吾等の幸輻に有之候 されば獣遡を本梗濟々堂に開き御滞欧雑談など拝鍛仕り候その日の祝館は吾等の希望を代表致すものに候へば
左に揚げ申候
恩師佐々木先生嚢キニ鵬鴻ノ志ヲ以タ欧洲二遊學セ
ラル・コト正二二年賦豊科學ノ叢淵ヲ以グ世界二冠
タリト幕セラル・悪事二或名盤邦讐學ノ進歩ヲ示シ
或親シク専門大家二接シテ臨機ノ濫奥ヲ究メラレ 今回學成り業途ゲテ鶴朝セラル生等ハ造次二三念頭
ヲ離レザル先生が温容ヲ葬スルノ一日モ早キヲ望ミ
ジ・アリシガムコ再ビ験心墨+ル㎝先生ノ薫陶二浴スルノ
榮ヲ得タリ生等ノ至幸何ン之二加カン︑翼クバ先生
獅タ轟研讃セヲレタル所ヲ以7我稜ノ爲メ晶稗盆セ
琴蝿五四十四第一議綿禽 聖:十
ラレン■ヲ︑難民蕪僻ヲ彌蔵タ祝詞トナス
金澤讐學專門學校學生総代
明治滑九年十月骨ご曰 佐 ロ
ニ 下挙先生を漏る
榮
由來︑會ふものは離る︑に定まれり︒吾人狸︶に婦女
子の麹に徽ふて︑纒綿の繰言を陳べずざ錐も︑るかも・
猶︑生等が敬愛慈父に比せる︑恩師下卒先生ご別る︑
に當りて︑豊一片止み⁝難き惜珊の情なからんや○
さはれ︑こπぴ先生ご叢雲る︑實に先生の榮轡の然らしむる駈︑吾人黙々︑只天の命に從ふのみ︑先生夙に
俊秀の聞にあ参︑暴に文部省の抜奏するこころごなり︑
遠く海外に留落せられんこす︑先生の榮轡亦極まれり
ε謂ふべし︑生面何ラ先生ビの別れを惜しむもの孜ら
ん○山水風土の異なる地︑幸に先生が斯道研學の爲めに自
愛せられんこざを所む︑高激に浴せし宇千の青年︑謹
んでこ\に先生を逡ウ奉る
別 辞
今や我邦讐學ノ進歩ハ日二月二精ヲ極メ巧ヲ究ム往
日不治ト認定セル沈瘤モ亦容易二治癒二野キ死生ヲ
箏フL贋魔ヲ・未ダ登記ザルニ救濟シ瞥見ヲ起シ死ヲ回シ
人々天折ノ渦ヲ防ギ萬戸黄考ノ慶ヲ來ス錐然之ヲ泰
︵會報︶ 西諸國ノ讐術工比スレバ猶未ダ彼二優レリトセズ故 二資力文部省二等グハ夙二鑑ミル所アリ以ナ年々歳 存斯道二働精ナ〃秀才ヲ撰ンデ海外二留學セシメ盆 々斯學ノ襲達ヲ浪々ントス今回生肝が恩師金澤署學 桑門學善様授下李先生ハ文部當局潜ノ抜繹スル所ト ナソ來ル十一月十・七日ヲ以テ留︷學ノ途二就カレント ス訥二慶賀曲芸エザルナヲ先生が敏才補導固ヨリ其 塵ナント雛モ今日鼓二先生ト四丁ル・亦遺械ナシト セズ希クバ先生讐術ノ精緻ヲ以テ世界二冠タリト稽 セラル・無二演二斯學ノ薄奥ヲ究メラレ期満チテ再 ピ瞬霜朝四セラ〃︑二瀞闘り大ニシタハ邦家ノタメ小ニシ テハ我綾ノ爲答申斎言敏導セラレン認トヲ︑謹ンデ ご言祝僻ヲ呈シ以テ別館二代ラ 圃晶松浦先生を邊る余天白露を滴れて虫干籠根に咽び︑雁陣斜に飛んで覇客の膓を愁殺す︑恩師松浦先生点心の激職に在み︑懇篤なる薫陶を垂れ玉ひしこご鼓に一年︑今や袖を東西に分ちて已に我綾を去らる\の悲運に際せり︑行路朝に魚層を迎へ夕に呉客を逸るも猶一廠の縁は以て惜別の穂を惹かむ︑況んや師弟の縁あるものに於てをや︑鳴瀬離合聚散は天地の藪︑吾入の得て如何こもなし能はざる断︑生等は今別る\に臨んで婦女子の餐に徽ふも
七七