資本制生産の成立と外国貿易の役割
− ス ミ ス の ば あ い
−
中 西 市 郎
一 序
外国貿易論︑ないし国際経済論とよばれる分野は︑経済学の他の諸部門に比べて︑古典学派いらいの自由貿易理論
がいまなお存在理由をもっていることを︑一つの特色としている︒換言すれば︑いわゆる近代経済学の立場よりする
国際経済理論の樹立は︑一九三〇年代にいたって漸く行われるのであり︑他方︑マルクス主義の立場よりする貿易理
論の確立は︑マルクスがそのプランを実現することなく授していらい︑ごく最近にいたるまで︑ほとんど等閑視され
てきたと見ることができる︒そして︑両者は︑それぞれの立場から古典派貿易理論を批判することを通じて︑みずか
らの体系をうち建てんとしているのである︒とすれば︑近代経済学よりするアプローチとマルクス経済学よりするそ
れとを対比しっつ考察せんとするばあい︑古典派貿易理論は両者の源流をなし︑したがって︑両者の理論的対決のた
めの共通の場を提供するものと思われる︒わが国﹁国際経済学会﹂の発足をかざった﹁国際価値論争﹂が︑本来︑マ
ルクス主義貿易理論確立のための一環として捏起されながらも︑古典派貿易理論の解釈をめぐって︑近代経済学の立
場に立つ人々の参加を見︑両者の間にはなばなしい応酬が行われたことを想起せよ︒
資本制生産と外国貿易二七
経 蛍 と 経 済
第三九年第三冊
二人と乙ろで︑古典派貿易理論というばあい︑通常は︑リカアドウの比較生産費原理と
J・
s・ミルの国際価値論によ
って構成されたものと解され︑ スミスはほとんど無視されてきた︒しかしながら︑ スミスに即して見るばあい︑後述
するように︑外国貿易の問題は︑重商主義批判の書としての﹁国富論﹂において結論的地位を占めるものという乙と
ができる︒資本制生産の成立︑発展にとって外国貿易はいかなる役割をはたすか︑ この課題に対する最初の解答を与
ま ず
︑
えたもの乙そスミスであった︒したがって︑古典派貿易理論の基本的性格を︑その本源に遡って理解するためには︑
スミスの外国貿易論の再検討が不可欠の作業となると思われるのである︒以下︑われわれは︑主としてスミス
における外国貿易把握の万法を吟味し︑その理論体系における外国貿易論の位置ずけと︑ゆたかな歴史認識にもとず
く外国貿易の現実的意義の指摘との聞のずれに︑
と と し た い ︒
ス ミ
ス の
︑
ひいては古典学派貿易論の問題点とその限界を見出すこ
外国貿易のザインとゾルレン
アダム・スミスの﹁国富論﹂が︑富は貨幣であるとの重商主義的俗見をくつがえして︑富は労働によって年々再生
産されるところの生活の必需品と便宜品よりなるとの観点から出発し︑その全篇を通じて経済の自律性の主張を基本
テーマとしたことは周知のとおりである︒ところで︑当時︑重商主義的見解は貿易差額論として体系化され︑
ないし貿易政策は︑
ヨlロ
ツパ諸国の経済政策の基盤をなすものであった︒とすれば︑ 乙れと対置さるべき外国貿易論︑
ス
ミスの体系において︑結論的地位を占めるものといわねばならない︒﹁国富論﹂の篇別構成に即していえばこうであ
噌i
る︒まず︑生産力の自然的 1 白律的発展はいかにして行われるか︑第一高と第二治とにおいて展開された経済理論 I
蓄積論こそは乙の問いに答えたものであり︑なお幾多の挟雑物をふくむとはいえ︑労働価値説をコーナー・ストーン
として︑資本主義発展の論理法則を解明せんとするものであったム 而して︑その結論として︑第二篇末尾の第五章に
﹁事物自然の進路﹂
(Z EE
‑g cE
命 ︒ h s z m v )
の思想が述べられ︑外国貿易の位置づけが行われていることに注
目きるべきである︒すなわち︑ スミスによれば︑生産力発展の原動力たる資本はすべて生産的労働の雇用にのみあて
らるべきであるが︑ ひとしく生産的労働というも︑ ﹁資本の種々の用途﹂すなわち︑農・工・商の諸部門の相違に応
じて生産される剰余価値の量は異る︒したがって︑まず︑もっとも生産的な農業に資本が投下され︑農業の発展の結
果おの︑すから生ずる剰余が︑都市の生活資料および工業の材料となり︑逆に都市からは農村に工業製品が供給され︑
両者相侯って国内市場を拡大深化し行くとき︑一国の進展は急テンポで行われる︒そして︑﹁この国内市場の発展の
おのずから溢れでる生産物の剰余が輸出され︑それと交換に国内での必要ロ聞が輸入される l 乙れがあるべき姿として
円L
の外国貿易なのである︒﹂かかる自然的発展のコ
lスを規範として︑ローマ帝国没落以降におけるヨーロッパの歴史を
批判的に検討するのが第三篇であり︑さらに︑それにもと"ついて︑第四篇の現状分析篇において重商主義の全面的批
判を行っているのである︒
き て
︑ 第 三 篇 の 回 目 頭
︑ 第 一 章 で
︑
﹁ 事 物 自 然 の 成 行 き に 従 え ば
︑ あ ら ゆ る 発 展 的 社 会 の 資 本 の 大 部 分 は
まず農業にむかい︑次に製造業に︑最後に外国貿易にむかうものといわねばならない︒乙の順序は︑きわめて自然的な
ものであるから︑いやしくも何程かの領地をもっ社会では︑程度の差こそあれ︑常に見られるところのものであると
qd
信じている﹂と︑前二篇の結論たる自然的発展のコ
lスを改めて要約し︑かっ︑普遍妥当的な規範法則として︑後に
つ Y く歴史分析の前提においている︒それは︑北アメリカのイギリス植民地において︑典型的に見出されるものであ
ス ミ
ス は
︑
一国における富裕の進行の基本型を示すものであった︒しかるに︑
的かつ逆行的な順序﹂を辿ったことを示している︒
り
ヨーロッパのばあいには︑歴史は︑
﹁ 不
自 然
﹁ヨーロッパの大部分を通じて︑都市の商業と製造業とが︑田舎
資本制生産と外国貿易
二 九
経 嘗 と 経 済
第三九年第三冊 4 の改良と耕作の結果ではなく︑それの原因および縁由となった
c﹂﹁この順序は事物自然の成行きに反しているため︑
得
︑
︑
︑
どうしても緩慢にして不安定である︒﹂と︒外国貿易に関して見れば︑そのあるべき位置は国内市場の展開の後にお
かれているにもかかわらず︑現実の歴史においては︑国内市場の発展に先行している訳である︒スミスは︑この二つ
の コ
l
スを直接的に対置し︑いうまでもなく前者の優位を強調する︒このように︑超暦史的︑普遍妥当的に適用され
る自然的発展のコ
lスを基準として現実の歴史を裁らんとするスミスの背後には︑啓蒙主義的歴史観が秘められてい
O
ることに注意されねばならないのである︒
スミスは︑生産力の発展の程度に応じて︑社会を︑狩猟(未聞社会)牧畜・農業・商業(文明社会)の四段階に分
け︑各段階を通じて︑無所有・無権力の状態から漸次所有の観念の拡大するにつれて政府が発生し︑その権力を拡張
するものと見ていた
c問題は︑各段階ともそれぞれの社会の基礎をなす生産が︑つねに私的な形態においてとらえら
れている点にある︒たとえば︑本来の所有はなく占有のみが存在する社会においてすら︑一ーもし︑私がある野生の果
円 ︒
実をあつめたならば︑私が欲するがままにそれを処分するのを︑傍観者は正当と思うであろう﹂というように︑生産
的基礎は個々人の孤立的な労働におかれている︒牧畜社会以降において展開される所有もまた︑つねに私的所有とさ
れていることはいうまでもない
c乙のように︑生産力の担い手を︑すべての時代に存在すると目される孤
π的個人に
求めるとき︑それは︑実は︑近代社会における自由な市民の投影に他ならないというべ︑きであろう︒とすれば︑スミ
スが自然的発展のコ
lスの出発点におく﹁農業﹂とは︑独立自営農民によって常まれるものであり︑独立自常農民は
﹁生活を維持してなお余った部分﹂を自ら所有し︑これをストックとして投下して行く
cこのような独文小商品生産
を起点とすることは︑労働力と生産手段との分離を特徴とする資本主義生産様式が成立しゅく論聞を明かにするにめ
には不可欠の前提をなすものといわねばならない この意味において︑資本主義生産様式に先行する封建的生産様式
ならびにその解体過程の分析が捨象されることは︑必ずしも誤りであるとはいいえないのである︒他方︑生産がつね
に私的性格においてとらえられていることから︑社会的生産は交換による分業としてのみ把握される︒したがって︑
孤立的な自給生産から出発して漸次社会的分業が拡大してゆくとき︑そこにあらわれる商品交換は︑農工分離
H同 一
地域内市場の拡張以外の何︑ものでもなく︑地域相互間の交換
H外国貿易が最初から発生する余地はないということに
注意すべきである︒
これを要するに︑超歴史的に妥当する規範法則として主張される自然的発展のコ
lスは︑実は︑資本主義成立の論
理法則に他ならず︑そのかぎりにおいて︑言葉の真の意味における歴史法則ということはできない︒現実の歴史に徴
するとき︑時代をさかのぼればさかのぼる程︑個人の姿は共同体の中に埋没してゆく︒そして︑資本主義生産様式は
歴
と 史 乙 的
ろ に で は
乙れに先行する封建的生産様式の崩壊を通じて出現してくるのである︒
ヨーロッパの現実の歴史を忠実にあと事つけたスミスは︑事実として︑このことを認めていた︒すなわち
すでに農業段階に到達していた古典古代世界の没落後において︑直ちに農←工←商という自然的順序がたどられなか
っ た
理 由
は ︑
﹃4
止﹂したことに求められている︒封建的大土地所有者は︑ ﹁長子相続法および各種の永代所有権が大土地財産の分解することを妨げ︑もって小所有者の増加を阻
﹁かれの土地の生産物のうち耕作者の生活を維持してなお
余った部分﹂を︑その家庭における田舎風の款待に消費した︒そして︑ これによって大土地所有者が︑その小作人な
らびに従者に対して必然的にもっていた権威こそ︑昔の諸侯の権力の基礎をなすものであったというのである︒とこ
このような純粋封建社会において︑自由が最初に芽生えたのは都市においてであった︒折しも︑
発見一がいわゆる﹁商業革命!一をひき起したとき︑共同体的紐憎が強固に存在している以上︑ここにいう商業とほ︑ ろ
で ︑
﹁地理上の新
端著的には共同体相互間の交換 1 仲介貿易として出現し︑都市の繁栄の基礎となるこさらに︑ かかる貿易のすすむに
資本制生産と外国貿易
経 営 と 経 済
第三九年第三冊
一漸次︑大土地所有者に︑かれ等がその土地の余剰生産物と交換しうるような︑そしてまた︑小作人や従者
QU
に分けてやらないで自分だけで消費することのできるようなある物を供給するに至った﹂とき︑大土地所有者は︑個
人的消費の増大につれて︑従者ならびに不要の小作人を解雇し︑さらに︑爾余の小作人に対して︑地代の引上げを代 つ
れ て
償として長期借地契約を認める乙ととなる︒このようにしてはじまった領主の権威の失墜と︑小作人の独立性の増大
が︑窮極的には︑ ﹁社会の幸福にとって最も重要なる革命﹂ 1 ブルジョア革命をもたらしたと述べるスミスは︑封建
的生産様式の解体に導き︑そのかぎりにおいて︑資本主義生産様式成立の歴史的前提をつくり出すという外国貿易の
役割を︑事実として認めていたという
ζとができる︒すなわち︑﹁外国貿易は︑一領主 l 農民﹄の基本的対抗関係を
激化させる外的条件として考えられているのである︒﹂まことに︑外国貿易乙そは︑資本主義の歴史的基礎をなすもの
で あ
っ た
︒
きて︑既述のように︑スミスのいわゆる﹁事物自然の進路﹂を資本主義成立の論理法則と解するとき︑それは︑す
でにブルジョア革命を経ていまや産業革命前夜の段階に到達していた当時のイングランドについてのみ︑具体的指針
として役立ち得るものであった︒スミスもいう︒ ﹁イングランドは全ヨーロッパでヨ
lマンリーが常にもっとち尊
敬を受けている国であるよ
﹁ ヨ
l
マンリーにとってかくの如く有利な法律︑ (不動産占有回牧訴訟法 ω
内 同
02即
︒ ]
﹃
と習慣とは︑今日のイギリスの大をなすに貢献したこと恐ら︿かの誇るべき商業に関する規則の全部に
勝るものがあるであろうこと︒ と
22
己
5)
ここに︑比較史的方法にもとれついて分析の重点を﹁農業﹂に志向した第三筒を去っ
て︑列強の相対立する現実世界の分析
u第四篇にすすむとき︑いちじるしく﹁国土的風貌﹂を示すといわれるスミス
の関心は︑主として工業︑ならびにそれとの関連において商業
U外国貿易にむけられているように思われる︒そして
この段階において乙そ︑自然的発展のコ
lスはすぐれて現実的意義をもってあらわれるのである︒
ブルジョア革命が産業や貿易に対する独占権の賦与をはじめとする絶対王政の諸特権の廃絶ないしば大幅な改革を
結果したことは確かであるつしかしながら︑そのことから直ちに︑いわゆる議会的重商主義の政策がすべて産業資本
の利益を目的とするという訳にはいかない︒産業革命にいたるまでの時期において︑工業の支配的な形態は依然とし
てマニュファクチュアであり︑その技術的基礎は手工業的段階にとどまっていた
cそこには︑まだ︑労働用具生産部
門(鉱山業や金属工業)が確立していない以上︑機械制工場を中核とする本来の産業資本は存在しない︒とすれば︑
絶対主義下に芽生えた事実上の資本日賃労働関係はますます発展しつつあるとはいえ︑なお問屋制の存続は不可欠の
条件であった︒問屋制資本は︑ひとり剰余労働部分だけではなく︑生産手段の前貸し︑製品の買占め等の流通過程を
通じて不等価交換にもとづく利潤をも入手していた︒したがって︑賃金は労働力の再生産に要する額よりはるかに低
く︑生活必需品獲得のためには一家をあげて生産に参加せざるを得ないという事情が一そう標準賃金の引下げに導く
という悪循環をくりかえしていた︒加之︑かれ等が労働力再生産の基礎を半ば農業におき︑その意味において完全に
自由な賃労働者化していなかったことは︑賃金下落を促したいま一つの条件であるとともに︑農・工分離の不完全日
圏内市場の狭きを物語るものであった︒このようなチ
lプ・レ
lバ
lの存在しているかぎり︑蓄積された資本は︑多
くのばあい問屋制支配のユニットを増すというかたちで行われ︑資本の有機的構成の向上日生産方法の革新にはあま
り役立たない︒他方︑資本は往々にして土地の購入にもあてられ︑したがって問屋制資本と寄生地主とはしばしば一
体化し︑相携えて特権的支配層
Hジエントリーを形成した︒ブルジョア革命以降産業革命にいたるまでの聞における
議会的重商主義は︑このような特権的支配層の為の保護政策というべきである︒ところで︑蓄積の進行に伴って労働
力需要がその供給を上廻るに至るならば︑賃金の昂騰は不可避となる︒議会的重商主義は︑最高賃金法の制定︑人口
増殖策等によって乙れが抑制ないし緩和につとめるとともに︑低賃金を武器とするフランス等との競争に対抗するた
資本制生産と外国貿易
経 営 と 経 済
第三九年第三冊
四
め︑外国貿易に保護もしくは奨励を加えたのである︒
しかしながら︑賃金の昂騰は︑手工業的基盤の打破日機械の導入による労働生産力の上昇を通じてのみ克服しうる
であろう︒このような気運は︑問屋制支配下において原料の前貸しをうける点では事実上の賃労働者であったにして
も︑労働用具を所有するが故に相対的独立性を保有していた﹁親方織布工﹂の経営を基礎として除々に成熟しながら 仰 やがて産業革命に突入せんとしていた︒スミスが直接的に対決しようとしたのは︑かれが﹁外国貿易の子孫﹂として
の工業とよぶところの︑問屋制支配下のマニュファクチュアを基礎とする重商主義的独占であり︑これに対置して︑
﹁農業の子孫﹂としての工業の成長を推進力とする自然的発展のコ
lスをいうとき︑それは︑いまや曙光をもらしは
じめた産業革命を通じて確立さるべき資本主義社会への展望を示すものということができるのである︒
スミスが︑産業革命の劃期的意義を明確に自覚していたとは思えない︒けだし︑時代的制約もさること
ながら︑その歴史観よりして︑単純商品生産から資本制生産への移行も︑質的な飛躍抜きの︑商品交換の単なる量的
拡大 1 全面的開花として考えられていたからである︒したがって︑スミスのばあい︑独立小商品生産者と︑産業資本
と は
い え
︑
家ないし賃労働者との範鴎的区別を欠き︑その故にまた︑資本家と労働者との対立の契機も明かにされていない︒ス
ミスの経済理論︑なかんずくその基底をなす価値論においてしばしば見られる混乱の原因は︑まさしくこの点に求め
らるべきであり︑周知のとおり︑資本主義生産様式を唯一絶対の体制と見なすリカァドウによって︑理論的には純化
修正されるのである︒同様のことは外国貿易論についてもいうことができる︒くりかえし述べてきたように︑スミス
のいわゆる自然的発展の論理法則の中には︑すぐれて歴世的な条件にかかわる問題であるところの外国貿易が入り込
む余地はない︒社会的分業の発展が現実の国境を越えて行われるとしても︑そこにあらわれる国外市場は︑少くとち
論理的には︑国内市場と異質的なものではありえない︒そこでは︑依然として農産物と工業製品との素材転換が行わ
れるだけであり︑単なる市場の量的拡大として把握されるにとどまる筈である︒スミスもいう︒ ﹁いやしくも思慮に
富んだ一家の主人は︑買うよりも高くつくものを自分のところで作ろうとしてはならぬという格言がある︒
( 中
略 )
乙れ等すべての人々は︑自分の全産業活動を隣人よりも何程か長じている道に使用し︑ そしてその生産物の一部を以
その一部の価格を以って︑すべて彼の必要とする物を買う万が︑自分達の利益
に合することを知っているからである︒一家を斉える上において思慮ある行為は一固にとってもまた愚かなことであ
る筈はない︒もしある商品を︑われわれが自分で製造するよりも安く︑外国がわれわれに供給してくれるならば︑わ って︑否︑それと同じことであるが︑
れわれは何等かの意味でわれわれが長じている道において産業活動をしてその生産物の一部を以てその商品を買った
万がよい(傍点中西
)
0
﹂と︒このような国際分業論は︑リカァドウに受けつがれ︑ ﹁比較生産費原理﹂として結実し
て行く︒資本による生産諸部門の支配が確立し︑市場が全面的に成立した産業革命進行期のリカァドウにとって︑資
本主義の成立
H市場形成の問題はもはや不聞に付せられる︒したがって︑ スミスが自然的発展のコ i スの起点に﹁農
業﹂をおくのは︑誤れる重農主義思想の残浮に他ならず︑すべての生産部門は一様に平均利潤率をもたらすものであ
り︑順序の差別をつけえない同列の諸投資部門として把握される︒そのかぎり︑﹁商人がその資本を外国貿易または
仲介貿易に用いるばあいには︑それは常に選択の結果であって︑決して必然の結果ではない︒(傍点中西)﹂という
スミスのいう自然的発展の論理よりする当然の帰結といわねばならない︒資本主義を唯一絶対の
体制とし︑資本主義一般にかんする理論としての蓄積日再生産論を樹立せんとするかぎり︑全商業世界は一国と見な のである︒乙れは︑
すべく︑したがって︑園内市場と国外市場との区別は消滅せ︑ざるをえないのである︒
しかしながら︑スミスのばあい︑事物自然の進路は︑個々の具体的な国の富裕の進行を規定する歴史的な条件と考
えられていた︒資本主義は︑歴史的︑具体的には各国における民族国家の形成と平行して出現する︒乙のような各国
資本制生産と外国貿易
一 五
経 営 と 経 済 三 六
資本主義の立場から外国貿易の意義を問うとき︑スミスは︑輸出の必然性を論じて次のようにいうのである︒
特定部分の生産物がその国の需要以上であるばあいには︑その剰余はこれを輸出し国内で需要のある何か他のものと
交換しなければならない︒そういう輸出をしなかったならば︑その国の生産的労働の一部は必らず中絶し︑その年々
の生産物の価値は減少する︒かくのととき輸出をおいては︑かかる剰余生産物を生産するに要した費用を充分に償う
に足るだけの価値を獲得しうる方法はないこと︒問題は︑いうと乙ろの﹁剰余﹂がいかにして発生するかにある︒ 第三九年第三冊
﹁ あ
る
乙こにおいて︑われわれは︑商品生産の量的拡大のみをいう自然的発展の法則を超えて︑本来の資本主義確立の物質
的基礎を与えた産業革命の劃期的意義が強調されねばならないと考えるのである︒すなわち︑産業革命を経過する乙
とによって成立する機械制大工業が︑生産力の累積的成長を可能ならしめるにいたったとき︑資本主義の飛躍的発展
がはじまる︒しかしながら︑このことは︑リカァドウの想定するように︑資本主義が唯一絶対の体制となることでは
ない︒いまや資本主義が支配的な経済制度の地位を占めるにいたったとはいえ︑土地所有およびその他の封建的生産
関係の残存物によって発展を妨げられている農業︑それと密接にむすびつきつったえず再生産される小商品生産が存
在する︒資本主義の発展はこれ等をたえず破壊し︑そのかぎりにおいて園内市場を拡大せしめるとはいえ︑ひたすら
利潤追求の衝動にかり立てられてはるかに急速なテンポで発展しゆく機械制工業の製品は︑園内市場に対して相対的
に過剰となり︑その反面︑自らの必要とする食料・原料の供給において不足をかこたざるをえない︒とこに︑工業製
品の販路と原料供給源を求めて外国貿易が必然化するとき︑その原動力をなすもの乙そ機械制工業であった︒と同時
に国際的に見て産業革命の先進性にもとずく生産力の優位において抜きん出ている以上︑イギリス産業資本は︑
由貿易﹂なる旗印をかかげて︑諸国を資本主義世界市場の中にまきこんで行くのである︒
自
以上を要するに︑ スミスは︑個々の具体的な資本主義の成立に際して︑外国貿易が︑まずその歴史的前提としての
役割を果したこと︑また︑資本主義が支配的な経済制度となるにつれて︑その必然の結果として︑外国貿易をそれ固
有の産物たらしめることを洞察していた︒それは︑あくまで一国資本主義発展の条件︑そのかぎりにおいて歴史的な
条件にかかわる問題である︒しかるに︑ スミスは︑超歴史的︑普遍妥当的な自然的発展のコ
lス i それはくりかえし
いうように︑資本主義一般に通ずる論理法則に他ならないーを以て︑外国貿易のあるべき位置ずけを一不さんとした︒
乙のばあい︑事実認識と論理法則︑ザインとしての外国貿易と︑ゾルレンとしての外国貿易を結びつけたものは啓蒙
主義史観であった︒そして︑資本主義の発生期日封建制の解体期における外国貿易の役割を論理の外に追いやり︑他
万︑資本主義発展の不可欠の帰結としての外国貿易の意義を論理の枠外においたのも啓蒙主義史観であった︒それは
理論的には歴史的省察を欠くリカァドウによって純化発展せしめられ︑資本主義一般に通ずる抽象的な蓄積
u再生産
論として昇華されて行く︒しかしながら︑実践的には︑ブルジョア革命を終え︑いまや産業革命の前夜にあるイギリ
スにおいてのみ︑具体的な指針 1 自由貿易を打出すに大きく役立ったのである︒乙の意味において︑ スミスの政策的
帰結仁る﹁自由貿易﹂は︑当時のイギリス資本主義の生産力段階を前提としてのみ現実的意義をもつものといわねば
この﹁白由貿易﹂が︑事物自然の進路に沿うものとして︑超歴史的︑普遍妥当的装いを以てか
ぎられるとき︑それは︑イギリス︑以外の後進諸国へ輸出するにふさわしい理論的体裁をもっ乙ととなるのである︒以 ならとい心しかるに︑
下︑次郎において︑諸外国における自由貿易の現実的意義を検討することにより︑スミス︑ひいては古典派貿易理論
全体に通ずる基本的な性格を明かにすることとしよう︒
ω﹁ 国 富 論 ﹂ の 篇 別 結 成 の 理 鮎 に つ い て は ︑ 内 田 義 彦 ﹁ 在 済 学 の 生 誕 ﹂ ( 一 九 五 三 年 ) に 負 う て い る ︒ そ の 他 ︑ 本 稿 そ 草 す る に
あ た っ て ︑ 同 じ く 内 田 氏 の ﹁ ス ミ ス と マ ル グ ス
l陪 史
認 識
の 問
題
l﹂ ( ﹁ 経 済 学 説 全 集 ﹂ 第 二 巻 ︑ ﹁ 古 典 学 派 の 成 立 ﹂ 第 五 章
河 出 書 房 版 ︑ 一 九 五 四 年 ) に 教 え ら れ る と こ ろ が 多 い
3付 記
し て
謝 意
を 表
し だ
い ︒
資 本 制 生 産 と 外 国 貿 易
七
経 営 と 得 格
第三九年第三冊
( 宮 犬 山 ド 消 論 集 ︑ 第 五 巻 第 一 号 ︑ 一 九 一 一 八 九 位 三 月 ) 壬
入
犬内訳(岩波文庫阪)第二分冊
同
右
淡 路 世 間 治 ﹁ 封 定 制 よ 付 資 本 ︑ 一 十 司 義 ヘ の 移 行 に お け る 商 業 の 役 割 に つ い て
1一
六ページ︒なお︑との論文止︑国宮論第三篇におけるスミスの見解の中に︑資本主義への移行に関する﹁二つの漬の理論﹂の
源流を求めんとする興味際いこ乙マ巧みである︒乙れと視角そ乙とにすると注いえ︑州棋に展開する上うな解釈ぽ︑当然︑淡路
氏の見解と相ふれざるそえない︒
ζの乙とな十分意設しながらもさしあたり問説な述べるにとどまり問患をあとにのこした︒
(2) (3)
乙の点︑淡路氏ばもと上り︑読者の御寛想そ得たい︒
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スミス﹁グラスプウ犬学謹義﹂高島善哉︑水田洋共訳
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淡路︑前掲論文
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ブルジョア革命以降産業革命にいたるきでの︑いわゆる﹁議会的重商主義﹂の理舶については河野健二侃﹁資本主義への芦﹂
刊斗(1
司
こ九五九年)に負っている︒
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EO
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Z小泉訳(砦波文庫服)下巻
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大内訳 第二分冊
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大内訳 第二分冊
大内訳 第三分冊
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犬内訳 第二分冊 一八八ページ 二四五ページ 二四四│主ベ
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二四五ページ
二三九ページ
六九ページ
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自由貿易論の現実的意義
スミス貿易論の政策的帰結たる一自由貿易ー一は︑まずイギリス自身に関するかぎり︑産業資本による商業資本の包
摂を意味するものであった︒外国貿易に従事する資本は︑産業資本の循環︑ の
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まれている二つの流通過程︑すなわち︑原料・食料等の購入︒│司と製品の販売君︑
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︑ との二局面に組み込ま
れ︑流通過程がそれ自体として存立することにより不等価交換にもとずく超過利潤の吸牧を許きれない︒軍‑商主義的
独占に対するスミスの痛烈な批判の園内的意義はこのように解さるべ︑きであろう︒
ところで︑既述のとおり︑外国貿易の意義を過剰商品の輸出に認めるスミスは︑諸外国をすべてイギリス産業の市 場としての観点から眺める︒当時︑全世界的規模におい相対立しつつあるフランスを念頭におきながら︑スミスはい
﹁隣国民の富は︑戦争や政治の上からいえば危険であるが︑貿易の上からいえば有利である︒そういう富は敵対
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の状態にあるときには︑わが敵国をしてわが国よりも強大な陸海軍を維持させうるが︑平和と通商の状態にあれば︑
彼らをしてわれわれとより多くの価値を交換せしめ︑われわれ自身の産業の直接の生産物または乙の生産物をもって
購入するすべての物に対して︑よりよき市場を提供きせうるに相違ない︒﹂(傍点中西)と︒また︑﹁アメリカの発見
はたしかにもっとも根本的な変革をもたらしばものであった︒それはヨーロッパのあらゆる商品に無尽蔵な新市場を
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開いて新しい分業と技術の進渉をもたらした︒﹂一植民地貿易が拓く新市場は︑ヨーロッパの粗生生産物のそれではな
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くむしろ製造ロ聞のそれである︒﹂と述べ︑さらには︑東インド l
支那︑インド︑日本
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貿易についても︑これらの地
域はアメリカに比してはるかに富み︑よく聞け︑ 一切の技術および製造法においてヨリ多く進歩している以上︑
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みかつ文明的な国民が相互に交換する価値の量は︑野蛮人との交換性よりもヨリ大きくありうるバ一と記しているので
﹁ 富
資本制生産と外国貿易
九
経 営 と 経 済
第三九年第三冊
四O
ある︒ところで︑普遍妥当的真理たるべき自由貿易は︑ ひとりイギリスのみならず︑ これらすべての諸国に適用され
ねばならない︒フランスに発生したコルベルテイズムは︑﹁事物自然の進路﹂を願倒せるがゆえに発生したものであ
り︑その故に重商主義イギリスと激しい対抗関係に立つが︑﹁自然にして自由な﹂貿易関係をとり結ぶならば︑両国
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は平和的に共存共栄しうるであろう︒また︑アメリカにおける﹁新植民地繁栄の原因﹂の一つは︑貿易においてすら
列挙品を除いて﹁組製状態﹂の商品に関しては自由であったからであり︑ヨリ高度の︑もしくは︑ヨリ精練を加えら
れた製造品の生産に対する禁止ないし制限は︑神聖なる権利の侵害ではあるにしても︑﹁今日までのところ︑植民地
にとってそれはあまり有害ではなかったのである︒けにし土地は依然として極めて低廉であり︑そしてその結果︑労
働はすこぶる高価であるから︑彼等は殆んどすべてのヨリ精巧なもしくはヨリ高級な製造品を︑彼等が自ら製造し得
(中略)彼等の改良が現状の如くであれば︑かく るよりはヨリ廉価に︑母国から輸入する乙とができるからである︒
( 中
略 )
向 ︒
が︑ヨリ進歩した状態ともなれば︑乙れ等の禁止は︑真実に抑圧的なまた忍ぶべからざるものとなり得るのである︒﹂
しかも︑自然的発展のコ
lスを典型的にたどるアメリカ植民地は︑いまやあらゆる抑制を経給と感ずるにいたってい
る︒乙こにおいてスミスは︑いわゆる﹁植民地放棄論﹂を提唱し︑﹁仮にもそれが採用せられるならば︑イギリス王 の如︑き禁止は︑思うに︑その産業活動を制肘して自ら赴かんとする職業に向わしめなくするものではない︒
国はその植民地の平時の設備の年々の全経費から即時に解放せられるのみではなく︑それ等の植民地と通商条約を結
び︑それによってこの国が現在もっている独占よりは︑商人には不利ではあるが︑国民多数にとっては︑ヨリ有利な
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白由貿易制度を有効に確保し得るであろう
c﹂というのである︒さらに︑コルベルテイズムに対する一反動として発生し
た﹁重農主義﹂批判の仁めに一章を割いたスミスー︑その延長線上において︑支那的重農主義のサ析を示しているヘ
﹁支那︑古代エジプト︑時代によりいろいろに分割されていたインドの諸王国の諸君主は︑常に︑被等の牧入の全部
または大部分を︑ある種の地租または地代からとりあげていた︒(中略)それ故に︑乙れ等の国の諸君主が農業の利
害に特別の注意を払ったのは当然であって︑彼自身の牧入の年々の増減は︑直接にこの農業の栄枯盛衰に依存したか
︒ ︒
らである
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と︒その結果︑生産農民の手に剰余が残されたいかぎり︑資本の蓄積はすすまない︒加之︑その萌芽を食
いつぶすものとして領主のまわりに附集する官僚や高利貸資本が存在する︒かくて︑ ﹁支那は久しく停滞状態にあっ
たように思われる︒支那は多分ずっと以前にその法規︑制度に一致する富の全量をあげて獲得してしまったのであろ
う︒さりながらこの富の全額たるや︑もし既存の法規制度を廃止して他の法規におきかえたならば︑同国の土地と気
口同U
候と地位とで以て達し得られるであろうと思われる富の程度より実にはるかに低劣なのであるごというとき︑アジア
印専制主義に対するするどい批判と︑その打倒が示唆されている点に注目すべきである︒しかしながら︑他方スミス
は︑かかる停滞状態を脱却すべき対策として︑自由貿易を提唱する︒外国貿易を開くならば︑価値大にして運搬に便
利な製造工業は自ら起る︒ ﹁支那の国内市場は︑その大いきにおいては︑恐らくヨーロッパの諸国を一緒にした市場
に劣るまい︒しかしながら︑今より一層外国貿易を拡張して︑ 乙の大市場に世界の残りの部分全部の外国市場を加え
るならば︑乙とにこの貿易の相当部分が支那自身の船舶を以て営まれでもするならば︑それは必ずや支那の製造業を
非常に発達させその製造業者の生産力を大いに改善するであろう︒航海がヨリ盛大となるならば︑支那人は当然他国
において使われているようないろいろの機械は勿論︑そめ外世界の各地で実用に供せられている技術および産業上の
右以上の改良をも自分で使用し︑かっ製作する術を学ぶにいたるであろう︒﹂というのである︒かくて︑自然的発展の
コ
lスから直ちに帰結される普遍妥当的な自由貿易は︑そのまま︑国際協調︑共存共栄を約束するものであった︒古
典学派ならびにその後においても永く存続したところの自由貿易論の調和的性格は︑ここにその淵源をもっているの
である︒しからば︑自由貿易が他の諸国において具体的に適用されたばゐい︑それはいかなる結果を生じたであろう
資本制生産と外国貿易
四
経 世 口 と 経 済
第三九年第三冊
四
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フ一ブシス︑アメリカ︑ドイツについて検討することにしよう士 ︑
一八世紀末のフランスは︑封建的生産様式 の矛盾が激化し︑まさしくブルジョア革命前夜の様相を呈していた
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ここに︑自由貿易を基調とする一七八六年の英
仏条約が締結せられたとき︑ この条約の結果を︑
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︑ それはイギリスのみを利益してフランス
を利益することはほとんどなく︑
これによって重大なる国内情勢さえもフランスに現われてきたとまでいわれている くらいである︒フランスのイギ
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スに対して輸出しうるドのはわずかに葡萄酒︑流行品︑小間物類にすぎず︑総金額 も少額であったのに反して︑イギサス側の輸出品はあらゆる日常必需品におよび価格もフランス品よりはるかに安価 であったし︑その総額も莫大な金額に上った︒フランスの旧式工業はイギリスの新式工業と競争すべくもなかった︒
(中略)パリ
lは輸入品をもって満されたが︑フランス織物業の中心地たるル
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アン︑アミアン︑ボ
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ヴエリール等
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は失業︑貧困︑革命の中心地となったよその後のフランスにおける資本主義の発展は︑
﹁大革命﹂によって道を切
り拓かれ︑国家権力(いわゆるポナパルテイズム)によって強力に育成されたものである乙とはいうまでもない︒な かんずく︑ナポレオンが対英戦争の一環として﹁大陸封鎖﹂を行い︑イギリス工業製品の締め出しをはかったことが フランスはもとより︑大陸諸国における工業の発展にはかり知れない影轡を与えたことを想起すべきである︒同じ頃 スミスによって自然的発展の典型と見られ︑遂に独立をかちとったアメリカ合衆国ですら︑独立直後の自由貿易時代 には︑優勢なイギリス工業製品の侵入の為に自国産業資本の停滞を余儀なくせしめられており︑而して自由貿易を歓 迎したのは﹁南部﹂において奴隷を駆使する棉花栽培業者であった︒アメリカにおける資本主義の全面的開花は︑奴 隷制の廃止と高率保護関税を結果した﹁南北戦争﹂における﹁北部﹂の勝利をまたねばならなかったのである︒最後 にドイツは︑国内的条件の成熟において前二者よりはるかにおくれつつも︑﹁大陸封鎖﹂それにつづく﹁関税同盟﹂
の成立により︑漸次国内市場統一の方向に向っていた︒乙のばあい︑関税同盟の貿易政策として自由貿易をとること
は︑形成せられつつある国内市場をイギサス工業製品の販路たらしめ︑
したがってドイツ産業資本の幼芽をつみとる ものといわねばならない
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ブルジョア革命を徹底的に遂行しないまま︑絶対主義権力によって資本主義の育成がはか
られるとき︑リストによって代表されるように︑保護貿易が強く要請される︒しかしながら︑現実においては︑
九
六
0年代を頂点としてむしろ自由貿易の方向にむかうとき︑それはイギリスにおいて農産物の販路を見出さんとする
ドイツ帝国の成丘と一八七
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年代の﹁大恐慌﹂
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の利益を反映したものであり︑貿易政策の転換は︑
階の端者をまたねばならなかったのである︒
以上を要するに︑普遍妥当的な装いをもって主張せられる自由貿易政策が︑
これ等諸国において現実的な担い手を
見出したとき︑ フランスにおける葡萄酒製造業者︑
アメリカ南部の棉花栽培業者
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奴隷所有者︑そしてドイツのユン
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いずれもイギリスに食料もしくは原料を供給し︑ イギリスからは工業製品を購入することによって︑ いわば
ているものの︑ イギリス産業資本の循環の中に組み込まれて存在する人々であった︒ひとしく自由貿易という一点において結びつい
イギリスにおける産業資本との対比において︑かれ等の社会的性格の顛倒性に注目すべきである︒自 由貿易がすべての国において生産力の発展を生ぜしめるとするのは明らかに虚構である︒それは︑さしあたり︑
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ンスやドイツにおいて激化しつつある封建的土地所有の危機を一層促進するであろう︒と同時に︑産業革命の先進性
にもとずく生産力のぼ倒的優位を誇るイギリス産業資本との競争にさらされるとき︑国によって程度の差乙そあれ︑
イギリスほど典型的な近代化のコ i
スをたどる余裕をもたないといわねばならない︒したが
生産力の育成において︑
って︑おくれた国ほど
lたとえばドイツ
l園内における変革は不徹底なものとならざるをえない︒そして︑上からの 必死の努力によって資本制工業を育成せんとするとき︑対外的には保護貿易政策の採用を強く要請することになるの
これら諸国における保護制度の採用
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競争的産業の出現に直面するとき︑より
である︒他万︑ イギリス産業資本は︑
資本制生産と外国貿易
四
経 営 と 経 済
第三九年第三船
四 回
後進的にしてより︑抵抗の少い諸地域への進出をはかり︑ スミスの否定した植民地支配の方向に発展してゆくのであ
すでに封建社会の危機が表面化していたヨーロッパや︑初発から封建的土地所有を欠如していた北アメリカを除く
る諸地域は︑商品流通にまき乙まれる程度に応じて商品生産の萌芽を示してはいるものの︑全般的には共同体的拘束を
脱しえない自給自足経済の状態にとどまっていたと考えても大過あるまい
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ζに︑イギリスが﹁開国﹂を強要し︑
普遍妥当的な真理としての﹁自由貿易﹂をおしつけてゆくと
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︑イギリス工業製品の流入は︑旧来の生産様式が強固
であり農・工未分離の状態にあればあるほど困難に直面するとはいえ︑窮極的には土着手工業の破滅を結果せざるを
えない︒植民地インドのばあい︑前期的商業資本たる東インド会杜による政治的支配︑ なかんずく地税制度による村
落共同体の崩壊
u農業と手工業との分離が︑産業資本浸透のための絶好の条件をなしたことは多くの人々によって指
摘されるところである︒こうして自給経済の基礎が破壊されるならば︑輸入品の対価をつくり出すために農産物の商
品化が余儀なくされる︒これをイギリス産業資本の立場から見ても︑その製品の販路を拡大するためには︑購買力
u.相手国の農産物輸出の育成に力をそそがざるをえないわけである︒
外国貿易への参加が︑乙れ等諸国においても商品生産の発達を促し︑輸出の急激な増加を来すことは否定しえない
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累積的発展︑ならびに単位労働者の時間あたりの生産性を引上げるような方法によって達成されたものでないという
のが正しいよすなわち︑往来の農産物が輸出されるぱあい︑生産の拡張は自給経済下における耕作万法をそのまま
継承し︑もっぱら耕作面積を拡張することによって行われたのであり︑新しく導入された農産物のばあいでも︑伝統
的な耕作方法と大差のない単純な方法が用いられたというのである︒問題は︑ このような状態がその後も永く存続し
たという事実にある︒それは︑それぞれの国における内部的諸要因の未成熟のみによって説明きるべ︑三であろうか
σわ れ わ れ は ︑ ここで︑イギリス資本主義による支配︑ なかんずく︑商品生産←農工分離の開始とともに芽生えるべ己
マニュファクチュアが︑イギリス機械制工業製品の流入によって︑萌芽のままでにえずつみとられる運命にあったこ
とを強調したいのである︒かくて︑農・工分離日国内市場展開の途がとざされているかぎり︑農業における生産力の 発展は望みえない︒とすれば︑不生産的労働が潜在化することは必至であり︑かれ等が耕作すべき土地を求めて競争
し︑その結果地代が引上げられるならば︑寄生地主は残存する共同体的諸規制を利用しつつ︑耕地の外延的拡張にの
み集中し行くであろう︒と同時に︑これ等不生産的労働は︑生活の基盤を半ば農村におくことによって︑チ
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lの豊富な供給源となる︒イギリスからの直接投資によって設立された鉱山や
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バーを利用し︑ したがって労働節約的な機械の採用︑ ないし生産万法の再組織を行わないのであ
植民地的経済構造はこのようにして形成せられる︒自由貿易を旗印とするイギリス資本主義にとって︑安価な原料 る
と食料が入手しうるかぎり︑政治的支配を通じてかかる植民地的経済構造を温存しこそすれ︑これが積極的解体を促 進するがとときことはありえない︒逆に︑乙れ等植民地諸国において︑部分的に解体せしめられながらもなお存続す る旧来の生産様式は︑もはやそれ独自で存続しうるものではなく︑イギリスを盟主とする世界資本主義体制の中に組
みこまれ︑その一環として適応しうるかぎりにおいて存在を許きれるにすぎないのである︒
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資本制生産と外国貿易
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(inThe Economic H. Myint
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"The Classical Theory" of International Trade and the Underdeveloped Countries,
Journal" June 1958. p 320) s