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国語方言の発想法(一)

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国語方言の発想法(一)

八郎康隆

 はじめに

 本題は﹁国語方言の発想法﹂であるが︑かかわることとして︑は

じめに︑一日本人︑一北陸人としての︑わたくしの︑国語意識の推

移について記すことを許されたい︒

 わたくしは︑昭和二年︑福井市東下町︵現在松本町︶に生まれた︒

宝永小学校在学の六年の一学期末までは︑ずっぷり︑福井弁︵福井

方言に浸り切りであった︒かの︑特異なセンテンス抑揚︵﹁中止的

抑揚﹂︑ ﹁ゆすりアクセント﹂と藤原先生御命名︶の福井弁も︑まったく︑少年のわたくしの生活語であった︒

 今︑はるかに福井弁をかえりみるに︑ただ︑晴れやかな遊びの充

実感がよみがえるばかりである︒ 当時︑小学校で学ぶ教科書ことばは︑学校というところで習うこ

とばという︑一種︑割り切りの意識があったように思う︒生活語︵方

言︶とのかかわりあいなど︑意識の視野に入ってはこなかった︒

 昭和十五年の夏︑家庭の事情で︑嶺北︑勝山町︵現在︑市︶の小学校に転校した︒そこで︑わたくしは︑手痛いことばの事件に出会

った︒ 福井弁を〃僕のことば〃としていたわたくしに︑級友たちは︑容

赦なき嘲笑の言辞を浴びせかけてきたのである︒まったく虚をつか

れた思いであった︒ 福井弁の︑ あの特異な抑揚の口まねから始ま

り︑やがて︑わたくしの学用品を隠匿するいたずらとなり︑数人が

かりで組み伏せ殴打する乱暴となって︑よく泣かされた︒

国語・万言の発想法 e︵愛宕︶  福井弁へのさげずみと攻撃は︑その場合︑ ﹁わたくし﹂へのさげずみとなり︑攻撃となる︑ その奇妙で理不尽な論理に︑ わたくしは︑どこへも持って行きようのないくやしさと︑はげしい怒りを覚えた︒ わたくしの︑福井弁自覚は︑このような不幸な体験に支えられたものであった︒ わたくしは︑ここに︑もう一つの︑わりときびしい体験を紹介しなければならない︒ わたくしの両親は︑加賀の白山麓︵旧石川県能美郡白峰村︶の産      うしくびである︒その白峰︵かつて︑牛首と呼ばれた︶は︑谷間の寒村で豪雪の地である︒長い冬の経済は︑昔から︑ことに不如意であった︒村民は︑貧しさを背負って他所に出て︑過酷な労働や︑時には物乞いさえもしなければならなかったのである︒そこに﹁牛飼乞食﹂のことばが生まれた︒ わたくしは︑勝山の小学校へ転校して日の浅い頃︑このことばを決定的な場面で聞いてしまった︒ 冬のある日︑下級生の某君︵白峰出身︶が︑雪深い町角で︑数名・の級友の雪のつぶての攻撃を受けて︑立ちすくんだまま︑大声で泣いているのを見た︒ 級友たちは図にのって︑ ﹁牛首乞食︑ 牛首乞      のみしらみ食︑⁝⁝⁝﹂とはやし立てた︒能美郡白峰村を﹁特認亜村﹂と言ってなじったり︑さも憎々しく︑白峰ことばの口まねをしたりもしていた︒ただ泣くばかりの涙で︑くしゃくしゃになった少年の顔のろ

(2)

長崎大学教育学部人文科学砥究報告 第二一号

うそくばなが︑ひどくあわれであった︒悲しい体験であった︒ わたくしの両親は︑日頃︑よく白峰ことばを使っていた︒変った

ことばだとは思ったが︑それは︑両親にとっては︑自然なことばだ

と思っていた︒それは︑わが家を訪れる素朴な白峰人とともに︑な

つかしいことばにさえ思えた︒

 そんなわけで﹁牛首乞食﹂の一件は︑少年の︑わたくしの心に︑

消えがたいものを刻んでしまった︒

 実のところ︑わたくしは︑その頃︑学校とはなんと奇妙なところ

だろうと思った︒〃僕が痛切に体験しているようなことは︑問題にはならないのだろうか︒あるいは︑知らないのだろうか︒これはい

ったいどうしたことだろう︒〃とただもどかしくてならなかった︒

 学校の内と外とは︑ まるで無関係の別世界であり︑ 先生の教え

は︑むなしく︑はかなく思えた︒これは︑まじめな僕にとっては驚

きであった︒

 わたくしにも︑先の雪のつぶてを浴びた少年にも︑攻撃をいどん

できたことばは︑勝山弁︵﹁チャマ弁﹂︶であった︒そのこともあ

って︑わたくしは︑勝山弁になじめないことにもなった︒

 申学校は︑大野町︵現︑大野市︶にあって︑四年間電車で通学し

た︒大野と勝山は︑数粁の距離ということもあって︑ことばも︑そ

れほどには違わなかったが︑ここでも︑西谷村や穴馬村︑石徹白村

出の級友の地ことばを異として︑大野町出身者は︑折にふれ︑これ  さいごを﹁在郷ことば﹂とあげつらい︑あざ笑った︒そこに︑かつての自

分を見る思いがした︒

 当時︑美しい標準語︵当時の用語︶を話すのは︑国語と英語の先

生だった︒福井弁をかえりみさせられ︑白峰ことば︑勝山弁︑大野

弁を経験してきたわたくしの耳目には︑なんとも上品なことば︑上

品な先生と映った︒ そのことばは︑ 放送局のアナウンサーのこと

ばを思わせもして︑かすかなあこがれさえ感じた︒ ︵当のわたくし

は︑当時︑おそらく︑福井弁でも︑大野︑勝山弁でもない混態の日

常語を口にしていたのだろうと思う︒︶

 いわゆる標準語の権威といったようなものを︑少年のわたくしは

感じていたのでもあろう︒

 四年生のなかばにして︑我々は︑名古屋の軍需工場へ勤労学徒と

して赴いた︒北陸の言語環境から一歩も出たことのなかった者が︑

初めて経験する︑新しい︑風変りな言語環境であった︒いわゆる﹁オ

キャーセ﹂ことばで知られる名古屋弁の中に置かれたのである︒

 このようなことばの海原に出てきて感じたことは︑名古屋の人々

は︑いかにも名古屋弁のように動いている︑くらしている︵戦時中

ではあったが︶ということであった︒不思議な体験であった︒ 全国から集まってきた学徒集団の中に︑新潟県の長岡中学校があ

って︑その寮が近かったので︑彼等の長岡弁を︑しょっちゅう耳に

した︒そのヅーヅ二尊は︑ねちねちと土臭く︑ 粗野で︑ それでい

て︑なにがなしおかしがたいようなものを感じさせた︒そのことば

の風貌は︑そのまま︑彼等人間の風貌そのものに思えた︒

 広島高師入学と同時に被爆︑敗戦︒以後︑広島生活は︑十数年に

も及んだ︒広島弁は︑福井生活を別にすれば︑最も長く︑しかも生

活的に体験した言語であった︒

 広島湾の潮の香や喉の渇くような山肌︑それをおおう思惟植物︑

潮風と陽がしみたような色黒な人々︑七つの川の河口で楽しむはぜ

釣り︑広島湾のかきいかだ︑冬を知らぬ顔の虚空︑とうかさん・え

べす講など祭礼︵セァーレー︶を楽しむ市民︑広島弁は︑それらと

不可分に︑わたくしの記憶に根を下ろしている︒それは︑十数年か

かって築いた︑地道な記憶とでも言えよう︒

 在広十数年の間に︑方言の勉強を始めたこともあって︑当地での

(3)

言語体験は︑かなり︑自覚︑反省を伴ったものとなった︒

 昭和四十一年七月以降︑長崎の地であらたに︑長崎弁を体験しつ

つ今に至っている︒

 なお︑昭和二十九年以降は︑瀬戸内海島喚方言︵藤原先生のおは

からいによって︶と︑わたくしの当面の研究対象としての奥能登方

言を体験してきていることを添えておきたい︒

 両懸方言の体験によって得たものは︑相当に大きかったと思う︒

 右に︑一日本人としての︑わたくしみずからの国語意識の推移に

ついて︑その素描を試みた︒そこから得られた内省のピ部として︑

わたくしは︑次のようなことを指摘してみたい︒

 1﹁方言﹂は︑まさしく﹁国語﹂の素顔であること︒

 2中央ではもとより︑地方の場合も含めて︑現今︑ ﹁方言﹂サイ

  ドから国語を観︑考えることが︑きわめて微弱であること︒

 7﹁共通語﹂ ︵﹁教育言語﹂とも呼べる︶に対する内省が微弱で

  あること︒

 3﹁方言﹂は︑いつも︑共通語教育に立ちはだかる壁としてしか

  遇せられないこと︒ ︵学校教育に︑ ﹁方言﹂そのものについて

  の扱いがない︒︶

 4﹁方言﹂に生きる地方人は︑中央語に対して︑常に受身的な立

  場に立たされること︒ ︵地方人の好むと好まざるとにかかわら

  ず︑中央語を受け入れていかなければならない状況におかれ

  る︒そこで︑多くの場合︑中央語そのもの︑あるいは︑中央語

  に乗・つかってやってくるものを教えることだけが︑教育のよう

  に考えられやすい︒言語の中央集権化は︑教育の中央集権化に

  対応しやすくはないか︒︶

 5中央から地方におりてくる言語中央語は︑地方人側から言え

  ば︑生活遊離︵生活の土壌に根ざさない︶のもどかしい言語で

国語方言の発想法 e︵愛宕︶   あり︑一種の﹁抽象言語﹂ということができること︒ 6中央人が︑田舎ことば︵方言︶を笑うことがある︑その︑こと  ばを笑うことが︑その人を笑うことに結びつくこと︒   地方人間にも︑異域の地方人同士が︑相互に︑判ことばを異  とし︑人をも異とすることのあること︒   また︑地方の若者が︑共通語を身につけると︑身辺の古老た  ちのことばを笑ったりすること︒ ︵これは︑決して侮蔑には至  らないが︶ ここに記した六項のことは︑本題の﹁国語方言の発想法﹂を︑すなおに観ようとしての内省とでもいう気持のものである︒ の 日本人の国語観︑方言観 ︹ わたくしは︑ ﹁国語﹂のなかみに︑長く︑中央語︑教科書ことばを描いてきた︒事実︑学校教育では︑そのようにしか教わることがなかった︒これは︑わたくし一個のうえの事実ではなく︑等しく日本人全体にわたることがらではなかろうか︒ 日本人一般の︑ ﹁国語﹂のなかみについての︑右のような思い描きかたは︑そのまま︑ ﹁方言﹂についての観かたを︑よく示している︒ 〃﹁方言﹂は︑ ﹁国語﹂そのものである︒〃を︑まことに自明のことと受けとめる向きは意外に少ない︒ 中央語を正統な言語とする意識は︑明治以降︑百年に及ぶ学校教育によって︑まったく強固なものとなった︒中央語が︑比較的早く徹底をみた﹁文章共通語﹂ ︵教科書言語︶を︑裏うちの形で従えていることは︑いっそう︑方言︵無文字語︶を価値の低いことば︑卑しい︑排除すべきことばとする勢いを強めた︒方言コンプレックスも︑このような状況下に生まれた意識と言えよう︒

(4)

   長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二一号

 今日までのわたくしの臨地調査の範囲に限っても︑多くの地方人

は︑自己の生活語︵方言︶について︑大なり小なり不幸な体験を持

っているのである︒

 このような事態が︑ ﹁方言﹂をすなおに観る目や心を︑どれほど

ゆがめてしまったことであろうか︒

 中央を除けば︑すべてこれ地方である︒広域な地方のうえに生き

ついている方言は︑音声の日本語の相当な部分であり︑地方人にと

っては︑生活語という正統な言語ということができる︒

 世に共通語教育が行なわれている︒その目ざすところは︑たしか

に︑ 〃必要な場合には共通語で話すこと︒〃 ︵小学校学習指導要

領︑第六学年︶ができるようにであろう︒が︑次のような傾向にお

ちいってはいないだろうか︒

 ①﹁方言﹂︵生活語︶を︑﹁国語﹂としてよく観つめ︑考えるこ

  とに結びつかない︒一←機械的な共通語教育の推進︒

 ②結果的に︑方言のはずかしさを心に植えつけてしまう︒一単

  純な︑共通語権威づけの教育︒

 事実︑地方人の共通語運用の意識は︑公的な場で︑話しの通じを

よくする︵相手によく理解してもらう︶ためにというよりは︑〃は

ずかしいから〃というのが︑むしろ本音であって︵実は︑共通語で

話しても︑はずかしさは残るのだが︶︑そこには︑いわれなき由来

のはずかしさの負い目が見られるのである︒そのような︑はずかし

さの負い目が︑意図に反して︑教育の中ででも醸成されるとしたな

らば︑罪なことである︒

 近年︑テレビドラマに︑よく︑地方語まがいのことば︵方言では

ない︶が登場するが︑fたとえば︑九州弁まがい︑東北弁まがい

のことば一これらは︑決して言語上︑地方人を勇気づけたり︑励

ましたりなどはしない︒しょせん︑中央のドラマであり︑娯楽︑鑑 一〇

賞用であり︑地方人は視聴して︑やはり︑気はずかしさを催すので

ある︒ 中央人︑都会人は︑地方に旅して︑田舎の人は素朴である︑親切

で思いやりがある︑人ずれしていない︑などの感想をもらす︒ここ

で注意すべきことは︑地方人が示すそのような人間性は︑彼等の生

活語︵方言︶と一如の形においてあることである︒そこでは︑方言

は︑彼等の二世にかかわって存在しているのである︒素朴と感じ︑

親切と感じるのは︑実は︑多くことば的に感じてのはずである︒

 ここに︑奥能登珠洲地方での︑わたくしの︑ささやかな一つの言

語体験︵方言調査での︶を記してみたい︒         うかい 嬉々︑宝立町下の鵜飼部落に出むいた︒そこで︑十年も前にお世

話になったことのある農家の老夫婦を訪ねた︒すでに︑つれあいを

なくした老婆︵88才︶が迎えてくれたが︑わたくしをよくは覚えて

いなかった︒わたくしは︑ 前回︑ 老夫婦に習った﹁虫送りの歌﹂

︵﹁オンカモシ オクレ オンカモシ オクレ サドガシマエ オ

クレ︒うんか虫送れ︑うんか虫送れ︑佐渡が島へ送れ︒﹂︶を歌っ

て︑わたくしを想い出してくれるよすがとした︒

 老婆は︑

 ○オレ オボエモ ナケネドk アンタサン ソー イワスリヤ       む  一 ホンナ コト アッタカニ オモインス ワケi︒

  わたし記憶もないけれどもあなたさんがそうおっしゃるとそんなことが

  あったように思いますわねえ︒

と︑かすかに思いついたという風情であった︒

 〃おじいさんもお元気でおられたら︑どんなによかったでしょう

にね︒〃と言うと︑老婆は先立たれたさびしさを飲みこむように︑

かつ︑老いぼれの身を家族に相すまないと︑

 ○フタリドモ オッタラ アンタサマ ドー ヘヨーヤラー︒

(5)

  二人とも生きながらえていたらあなたさんどうしましょうか︒

こう言うのであった︒

 また︑若い頃をしのび︑今のくらしを思いして︑

 ○ロクロク ネント ハタライタ コトモ アッタレドk イマ

  イツモ イツモ カドノ クサ ムスットリンス ワケー︒

  ホシテ タテサシテ モロートリンス ワケー︒ モッタイナ

  イト オモトリンス ワケー︒ ︵若い頃は︶ろくに寝ないで働いた

  こともあったけれども今はいつも家の前の草をむしっていますわね︒そ

  のようにして日送りさせてもらっていますわね︒長生きしてありがたい

  と思っていますわねえ︒

とも述懐した︒この老婆にとってテレビなどは︑

 ○コエヤ スレド ワキャ ワカランナケー︒音声は聞えるけれど

  も意味がわからないわねえ︒

というぐあいで︑テレビ無縁の生活である︒

 〃日々の楽しみは?・〃ときくと︑

 ○ソノ シノ タノシミ ナンモ ゴジンセンナケー︒ ナンモ

  ハヤ コノ シャバニ ゴジンセンナケー︒日々の楽しみはなに

  とてございませんわねえ︒もうこの世に楽しみはございませんわねえ︒

と︑さらりとしている︒

 半日︑老婆としみじみ語りあって︑帰りのきわに︑老婆は︑

 ○アンタサン オレニ アンタサマノ ナマエ チョッコ カイ

  テ クダッシン ケー︒あなたさんわたくしにあなたの名前をちょ

  つと書いて下さらないかねえ︒

と言う︒老婆は目もうすく文盲である︒わたくしは︑家族にでもし

たためてもらう便りの宛名にという心づもりでのことと察して︑気

の毒でこれを制した︒ところが老婆は︑名前だけでよいからぜひに

と言う︒解せないままに︑一枚のカードに氏名をしたためて手渡し

国語方言の発想法 e︵愛宕︶ ながら︑〃どうなさいます︒〃とたずねた︒すると︑老婆はすまなさそうに︑        ○オレ ナニカゴアイサツ イチマイ ァケマサレルンジャ  ナシー コノ カミオ アンタサント オモーテ ダイテワ  ミルガヤー︒わたしは︵文字を知らないので︶これといって礼状一枚  さしあげられるのではないしこの紙︵氏名を記した︶をあなたさんだと  思って取り出しては見るのです︒と言うのであった︒ なんといういじらしい︑一途で純粋なことばであろうか︒心根であろうか︒八十数年にも及ぶ長い世渡りの果に︑なお︑このような純粋をさりげなく発揮できる人間力に︑ただただ打たれるのであった︒ 世をあきらめたような老婆が︑こんなにもわたくしに擁して下さる思い︑わたくしは涙した︒無学な︵世に言う︶老婆の魂が︑わたくしをこんなにも純化する不思議を思い︑わたくしは自己を恥じるのであった︒ 今︑こうしている時も︑老婆の祈りにも似た︑一途な思いが届いてくるようでならない︒わたくしは︑老婆に会ったのであるが︑それは︑老婆の人間に会ったのであり︑老婆のことば︵方言表現︶︑発想に会ったのである︒老婆の純粋は︑そのことばの純粋でもあった︒ 地方人の生活語︵方言︶を蔑視して︑その素朴さや親切さのみを切り取るのは︑地方人側からは︑まことに迷惑な話と言うのほかはない︒ ちなみに︑ ﹁言語能力﹂ということばがある︒ 一般に︑ 読み書き︑話し聞く力だと言われる︒読み書きのできない者は︑それのできる者にくらべて言語能力は低いとされる︒が︑多くの方言人に会

(6)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第一二号

ってみると︑にわかにそうとばかりは言えないように思える︒その

ことはまた︑地方人と中央人との言語能力の比較についても言えよ

︾つ︒ わたくしは︑ ﹁言語能力﹂を︑基本的には人間として純粋とか真

実を表現しうる力−表現しうる前提として︑そのような発想を宿

しうる心の能力をも含めてfというふうに考えるからである︒

 戦後︑話しことばの教育への関心が強まるとともに︑表現能力と

か表現技術ということが︑やかましく言われるようになった︒ため

に︑〃いかに表現すれば相手によく通じるか〃の︑対他雪面︵伝達︶

偏重の傾向が強くなり︑ 表現の倫理とも言える対我工面の自己凝

視︑思いのあたためがおろそかにされがちに思える︒このような構⁝

図での表現技術の優劣のことは︑先に言う言語能力の高低とは︑別

のこととしなくてはならない︒

 ﹁言語能力﹂のことを考える時︑地方人の人間ぐるみの方言表現

に教えられるところは多い︒

 の 国語方言の発想法 ︹

 わたくしたちは︑申央語︑教育言語側から︑それを一種の権威の

ものさしとして︑方言を観ることにならされてきた︒

 方言を方言として観︑方言の側から︑中央語︑教育言語を見返る

ことはほとんどなされなかった︒

 わたくしは︑今ここに︑このような見返りの大切なことを思う︒

 ここには︑ その見返りの一つの実践として︑ ﹁国語方言の発想

法﹂を取りあげてみたいと思う︒

 ﹁国語方言の発想法﹂は︑ ﹁地方人の方言表現に観られる発想法﹂

ということができる︒

 ﹁発想法﹂ということばは︑どう説明できるであろうか︒藤原先 =一

生は︑次のように説いておられる︒

 〃心に思うこと考えることがおこって︑それをことばにする︒

  その思いわけよう一︵一口に言って﹁思いかた﹂︶が︑ま

  ず文字どおりの発想法であろう︒ ︵中略︶ここで私どもは︑

  発想法を︑ ﹁思いかた述べかた﹂と考えることができる︒〃       ら   ︹国文学敬第28号﹁方言の発想法﹂圏Ψ

 今︑このお説に従うことにしたい︒

 〃﹁国語方言の発想法﹂を観ていく〃は︑〃方言ということばに

言語化された︑日本人の思いかた︑考えかたを︑その表現に即して

観ていく〃ということである︒とは言っても対象はまことに彪大で

あり︑その発想法も︑これまた多彩をきわめるということで︑簡単

に分類整序できるようなものではない︒

 そこで︑今回は︑次のような限定を設けることにする︒

 ①資料は︑西日本域の各地︵主に臨地調査地︶のものを使用する︒

 ②語詞資料のもの中心に︑文資料のもの若午例を取りあげる︒

釦 国語方言の発想法の諸相 ︹

 今︑発想法の記述にあたって︑      ※  A文次元の発想法一造文発想法      ジ  B語次元の発想法一造語発想法

の二分野に大別し︑その各々について諸相を観たいと思う︒      ろ ※藤原先生は︑﹁方言の発想法﹂︵国文学清汁28号・59︶で︑﹁造文発想﹂︑      P  ﹁造語発想﹂の術語を用いておられる︒

A 造文発想法の諸相

文次元の発想法は︑造文発想法と呼ぶことができる︒ ﹁文﹂は︑

(7)

ことばの生活の︑生きた単位である︒方言人の発想は︑この方言文

のうえに︑もっともよく打ち出される︒

   ωあいさつの発想法

 はじめに︑戸口で言う︑親しい︑訪問・のあいさつを取りあげる︒

10ゲンジロノ シュー︒源次郎の家の者よ︒ ︵奥能登珠洲市︶

20コンノ モーン︒この家の人よ︒︵福井県大野郡西谷村︶

30オッジャ コー︒いるか︒ ︵石川県石川郡白峰村︶

40ゴメンナへ一︒ごめん下さい︒︵岩国市尾津︶

1︑2は︑ともに簡潔な体言文で︑名ざしの︑呼びかけの発想法として類似している︒1の声高な高音の連続に︑つつまない︑親しみ

の傾けが感得される︒3は︑在否を直接に問いかける︵親しみの文

末詞﹁コー﹂に注意︶発想のものであるが︑ ﹁オッジャ﹂の促・拗

音の随伴は︑ ﹁コー﹂とともに︑この表現のくだけた気分の醸成にあずかっている︒4は︑許し乞いの発想法とでも言えようか︒ ﹁〜

ナンヘー﹂ ︵﹁〜ナサイマセ﹂︶の縮音︑音託は︑やはり︑このあ

いさつのくだけた気分を醸成している︒加えて︑ ﹁〜ナンヘー﹂の

強調下降の抑揚は︑文末詞にかわる︑相手への呼びかけ効果を発揮

している︒

 このように︑四者には︑それぞれあいさつの文表現として︑独自

の発想法が観て取られるが︑その独自性は︑文脈︵文表現のすじ﹀

にあるのはもとよりのこと︑一文の抑揚やテンポ︑音の長短呼︑託

音などのすべてかかわってあると言えよう︒ ︵より厳密には︑これ

らの諸要素を含めた全体を文脈と呼ぶこともできる︒︶

 次に︑来客を送る女性のあいさつのいくらかを示そう︒

10オアブノー ゴザンス ゾイネー︒ ︵道中︶御用心なきって下さ

  いねえ︒ ︵奥能登珠洲市︶

20オシズカンネンセ︒︿オシズカニナサイマセ︒の転かと思われる︒﹀

国語方言の発想法 e︵愛宕︶   どうかお静かに︒ ︵福井県勝山市︶50タメラッチ イカッシャレ︒お気をつけてお帰りなさい︒ ︵岐阜県  高山市︶       し40キョツケテ オイニンサイ ヨ︒用心してお帰りなさいよ︒︵岩国  市門前︶いずれも︑相手の道中を気づかう式の表現になっているが︑個々それぞれに︑その発想法を異にしている︒ 1の﹁オアブノー﹂︑2の﹁オシズカ一こは状態を︑3﹁タメラッチ﹂︑4﹁キヨツケテ﹂は︑動作を主軸にした発想法である︒ 送りのあいさつも︑つまりは︑別れのあいさつである︒国語方言の場合︑ 再会を約する別れのあいさつ表現は︑ 各地で栄えているが︑奥能登では︑老婆の○ゴエンナ ァラシタラk マタ イラシテ クダッシi︒  御玉がありましたらまたおいで下さい︒の別れのあいさつ表現を︑よく耳にする︒ 遠来の︑どちらかというと六下の客人にする別れのあいさつである︒ ﹁ゴエンナ アラシタラー﹂という条件法の発想が目をひく︒

︵その表現語末に︑特異な中止的抑揚の高まりのあることが︑この

発想の訴えを強めていて︑一文の表現は︑そこで屈折してテンポを

早めがちに終結するのである︒︶これは︑〃ぜひに〃と懇願する形

ではない︒そんなところを越えた思いの深さがしのばれる︒すでに

高齢のわが身であり︑相手もまた現身である︒彼我ともに無常であ

る︒再びは生きて会うことはないかもしれない︒別れ行く目の前の

﹁人﹂と﹁我﹂に︑そのような思いをひそめてのあいさつである︒

 もの悲しく︑きびしいあいさつである︒これは︑信仰にあつい土

地柄から生まれたものであろうか︒

=二

(8)

長崎大学教育学部入文科学研究報告 第二一号

 出会いのあいさつにも︑発想法の諸相が︑よく観て取られる︒ ここには︑広島県︵佐伯郡中心︶地方での︑日中の出会いのあい

さつを取りあげてみたい︒ ︿用例は︑さる昭和三十年︑山陽女子高校国

語研究班員と協力して得たものである︒文アクセントは省く︒>

10ナゴー ミダッタ ノー︒長い聞会わなかったねえ︒ ︵佐伯郡友和

  村︶20オマメニャー ガンス カ︒お達者ですか︒︵佐伯郡五日市町︶

50ドー ショリンサリャi︒どうしておられますか︒︵佐伯郡平良村︶

40マー コナイダワ エットモナイ オイシー モノオ アリガ

  ト アリマシタ︒ まあこの間はたくさんおいしいものをありがとう

  ございました︒ ︵佐伯郡五日市町︶

50コナイダワ オゴッソーデ ガシタ ノ!︒この間は御馳走にな

  りましたねえ︒ ︵大竹市玖波町︶

60ドコエ イキヨン ナー︒どこへ行きますか︒︵佐伯郡観音村︶

70チート ブリャー ヨガンス ガノー︒少し雨が降るといいです

  がねえ︒ ︵佐伯郡乙御前村︶

80エー シメリデ ガンス ノー︒ いい雨ですねえ︒ ︵佐伯郡友和

  村︶90ウズロンシュー アリマス ノ⁝︒ うっとうしゅうございますね

  え︒ ︵佐伯郡平良村︶

10Oイナゲナ ヒヨリニ ナリマシタ ナー︒変なお天気になりまし

  たねえ︒ ︵佐伯郡地御前村︶

110キビシーデス ノー︒ たいへんな暑さですねえ︒ ︵大竹市玖波町︶

12Oオコト 年三 アリマショー︒お忙しゅうございましょう︒ ︵佐伯

  郡廿日市町︶

共通語では︑ 等しく﹁コンニチワ︒﹂と実現するところを︑ 当言

︵佐伯郡は農業主体の地域︶の人々は︑このようにも︑思いわけ︑ 一四

言いわけているのである︒

 1〜12まで︑それぞれ発想の趣を異にしている︒1〜5は︑隣人

としての相手への気づかい︵健康が主︶を︑4︑5は︑過日のほど

こしについての感謝を︑6は︑相手の出向きへの関心を−変化の

少ない社会の中では︑常とは︑わずかに違った隣人の行動や服装に

も関心を及ぼすi︑7〜11は︑日和︵言いわけようの細かさに注意︶をf農業社会では作物に直接影響を及ぼす天候のことは︑生

活上︑共通の大きな関心事となるi︑12は︑相手の多忙な生活へ

の思いやりを︑それぞれ軸にした発想を見せている︒

 このように︑ 隣人との︑ 日中の出会いという生活の一つの節目

に︑多彩な発想法が観て取られるのである︒そこに我々は︑日本庶

民の心のくらしの姿の一班を観ることができる︒

   ㈲比喩の発想法

 方言の比喩文は︑発想法上︑なかでも注目される︒

 先のあいさつことばは︑その形態をはじめとして︑慣用化︑固定

化の強い表現であるが︑比喩表現は︑それにくらべて︑かなりの自

在さを志向しているように見える︒

 造語法の場合はあとにゆずるとして︑造文法のなかでは︑自由奔

放なパロール化の︑よく観られる局面だと思う︒それだけに︑比喩

文の発想法は︑方言人の思いわけよう︑ 考えわけようを観るのに

は︑まことに興味ある︑注目の対象ということができる︒10ツキョニセナヵアブリスルヨナキモチデヤラニャダ

  チャカン︒月夜に︵月光で︶背中をあたためるような気持︵辛抱強さ︶

  でやらなけれぼだめだ︒︿父がわたくしに勉強の心がけを説いた表現﹀

  ︵石川県石川郡白峰村︶

  ロ       に20テンジクガ ナベノ ケチュミタイニ ナッテキテ︒

  空が鍋の尻のようにまつ黒に曇ってきて︒︿↓天にわかにかき曇りの

(9)

  意﹀︵福井県丹生郡梅浦︶

30マメノ サンレンモ カカルグライ ツラ ハライトル︒

  豆の三束もかかるくらい口をとがらせてふくれっ面している︒︿女の人

  のふくれっ面を言うV︵奥能登珠洲市︶

40オコゼガ グンカンニ ドシシャゲタヨナ カオ シテ︒

  おこぜ︿魚名﹀が軍艦にぶつかったような顔をして︒︿女の人のふくれ

  っ面を言う﹀︵岡山県日生町︶

50カヵエテ ァルクヨナ タンボシカ ネーンニャ︒

  抱えて歩くくらいせまい田しかないのです︒ ︵福井県勝山市︶

60オンボロ サンボロ アラメノ ギョーレツジャー︒      しけ  ぼろぼろになってまるで荒布の行列だ︒︿仕かけた壺綱が時化で破れて

  ぼろぼろになったのをたとえて﹀︵岡山県日生町︶

いずれも︑単純素朴としか言いようのない比喩表現ではあるが︑そ

のたとえの思い及びかたには︑単純素朴のゆえに︑知識人などの思

い及ばない角度があると言えよう︒ 女性の面はらしを︑奥能登の山村では3のように︑瀬戸内海の漁

師町では4のように︑それぞれ生活の環境にふさわしく発想してい

る︒ 6も漁師のくらしをよく思わせる︒ 壷網漁法は︑ 沿岸に仕かけ

る︑一種の定置網漁法である︒漁獲の多寡は運まかせ︑そのうえ天

       し け候のよみがはずれれば︑一夜の時化で元も子もなくなってしまう︒

きびしい賭けのようなものである︒それに敗れてがっくりくる︒ど

こへとて持って行けない恨みである︒6は︑そんなめにあって︑破

れ網を手にした漁師の︑独白めいた︑なかば投げやりな表現なので

ある︒ ﹁オンボロ サンボロ﹂のたたみかけに︑その風情がよく出

ている︒ ﹁〜ジャ︒﹂は︑わが身に聞かせるような表現である︒

70オの ネグソ ナッタ オボッケサンミタイシ モンデ︒

国語方言の発想法 e︵愛宕︶   わたくしは痛みかけたお仏飯のようなもので︒ ︵奥能登珠洲市︶山深い農部落で︑80才の老婆から聞いた表現である︒この表現の文意は︑〃痛みかけたお仏飯は捨てようとすればもったいないし︑さりとて食べるわけにもいかない︒それと同じように︑役に立たなくなった老いの身︑時に︑命を絶とうと思ってはみるが︑やはり身を捨て切れない︒さりとて生き長らえば︑また身を捨てたくもなる︒迷うばかりである︒〃というところである︒ この比喩の発想法は︑まことに見事である︒老いの身の︑いつわりのない嘆きが迫ってくる︒ この老婆は︑ ﹁リョーチボ﹂ ︵両杖のこと︒両杖を使うことは︑全く働けなくなったことを示すものとして︑当地では︑これを格別にはずかしいとする意識が強い︒︶姿を︑いかにもはずかしいと口にしていた︒ 八十年間︑農業一本に打ちこんで︑ほとんど奥地部落から出たことはなく︑教育もこれまたほとんど受けず︑文字にはまったく縁のない老婆が︑このような発想法をよくし得るのは︑わたくしにとっては︑ほとんど驚きである︒ ︵先の言語能力のことを︑ここにも思うことである︒︶ ﹁広島大学方言研究会会報第14号﹂には︑ ○トンボノ シリ ヒヤスヨーナ ヒト ︵あっちへ行ったりこっち  へ来たりおちつきのない人iトンボは飛びながら︑そのシッポをチョ  ンチョンとリズミカルに水面につけて産卵する︒その時は同じ所にとど  まっていながらも︑やがてほかへ飛んでいっては︑また同じように繰り  返す︒︶ ︻福井県大野市七二方言の性向語彙 吉田則夫︼ ○キツネオ ウマニ ノセタ心隔ナ ヒト︵ようきょうしておちつ  きのない人︶ ︻大阪府茨木市目垣方言の性向語彙 山本俊治︼などの比喩発想の表現例が見られる︒これらは︑人の性向について

一五

(10)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第一二号

のあげつらいの表現法として甘い出されるものであるが︑前者は︑

とんぼの生態についての鋭い視線が︑後者は︑劉軽な空想︵狐と馬

とのとりあわせ︶が︑比喩の角度を作っている︒

 ちなみに︑ ﹁砺波民俗語彙﹂ ︵佐伯安一著 高志人民 昭和36・       むノ5.10刊︶の﹁技ことば﹂㈲たとえ︵KU KU−〜−PP︶のくだりの比喩発想

の豊富な例文は︑まことにおもしろい︒

 一方言社会の生活語記述には︑このような比喩発想の文表現が︑

もっと積極的に取りあげられてよいと思う︒

   ㈹﹁かまわない﹂相当の発想法

 ここには︑共通語の﹁かまわない︒﹂︑ ﹁結構です︒﹂相当の︑

地方語表現法︵発想法︶を観てみよう︒

10ダンナイ ワネー︒かまわないわねえ︒ ︵福井県勝山市︶

﹁ダンナイ﹂は﹁大事ない﹂であろう︒

20ジャンマイ ワー︒かまわないわ︒︵石川県石川郡白峰村︶

﹁ジャンマイ﹂は︑ ﹁どうもない﹂の﹁ジャーモナイ﹂からのもの

であろう︒

30ナツトモナイ ワケー︒かまわないわねえ︒ ︵奥能登珠洲市︶

40ツカエマセン︒かまいません︒︵富山県氷見市︶       つか﹁ツヵエマセン﹂は︑ ﹁閾えません﹂ ︵さしつかえません︶であろ

.つ︒50セヤーナイ︒かまわない︒︵広島市︶

これは﹁世話はない﹂のものであろう︒

60ラクデス︒結構です︒ ︵かまいません︒︶︵岡山市︶

﹁ラクデス﹂は﹁楽です﹂と考えられる︒ 2︑3には発想上の似通いが観られるが︑1︑4︑5︑6それぞ

れは︑大きく発想を異にするものである︒ 一六

 地方人の︑ものごとに処しての思いわけよう︑言いわけようは︑

右に観てきたように︑地方によってさまざまな姿を示している︒こ

れは︑国語本体の地方現象とでも言えようか︒

 わたくしは︑共通語によりは︑このような地方語表現法︵発想法︶

の現実のうえに︑国語表現法︵←日本人の発想法︶の潜在力︑可能

性のようなものを感じるのである︒

 大局観で言えば︑今日の方言の地方分化相の存在は︑むしろ︑日

本語︑日本人のためには︑幸せなことと言うべきであろう︒

      ︵以下・次号︶

参照

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