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我が国の投資信託と投信委託会社

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我が国の投資信託と投信委託会社

高橋元

はじめに

我が国の投資信託を長期的な視点から顧みると,日本経済の成長と歩調を 合わせながら,基本的には拡大・発展の道を歩んできた。併し,その歴史の 背後には,幾つもの試練に見舞われた過去があり,その都度,制度改革等が 実施されている。運用会社として,戦後における投資信託制度の中核を成す 投信委託会社も,そうした流れに応じた組織改革や経営戦略の組替えを積極 的に行ってきた。

翻って,バブル崩壊後の我が国では,外圧や制度疲労など様々な理由によ り,多様な領域において構造的な改革が求められている。それら一連の改革 は,相互に連関し複雑に進行しているが,投資信託の世界においても,金融 自由化,金融機関の再編成,年金制度の見直し,税制改革などに絡んで,自 律的にも他律的にも改革の必要性が高まっているものと認識される。

1,200兆円に及ぶ個人金融資産を背景に,投資信託が21世紀に向けた高齢 化社会における旗手として,沈滞している証券界で期待通りの役割を演じら れるかどうかは,偏えに今日的な課題解決への姿勢に依存していよう。投信 委託各社も競争が激化する環境の中,各様に生き残り策を模索しているのが

実情である。

本稿では,先ず第1部において我が国における投資信託と投信委託会社の 歴史的変遷を通覧した上で,第2部では現在我が国に存在している投信委託

各社の概要を眺めることとする。第2部の概要執筆に際しては,各投信委託

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会社から基礎となる資料類をお寄せ戴き,それらをベースに取り纏めた。但 し,諸般の事情で回答をお寄せ願えなかった投信委託会社については,判る 範囲内での紹介文を掲げた。なお,掲載順序は原則として設立年次に従って いる。

1部我が国の投資信託と投信委託会社の歴史

1.我が国の投資信託の歴史 (1)  繁明期の投資専門機関

投資信託の基本的な成立要件は,①専門家による運用(分散投資),②共 同投資,③大衆資金の統合,の3点である。

察明期においては,これら要件が投資社会におけるコンセンサスとして確 立している訳ではないこともあって,その全てを充足する形態での存立は困 難である。その意味で,専門家による運用と共同投資という 2点を満たした 我が国初の投資機関として, 1930 (昭和5)年10月に設立された「生保証券 株式会社」を挙げることが出来る。これは,前年の1024日に米国株式市場 で発生した「暗黒の木曜日」後の世界恐慌に伴う,我が国株価の暴落過程に おいて,大打撃を被った生命保険会社32社が共同で設立した株式買い支え機 関であった。

1931(昭和6)年には,東京海上,明治生命, 日本郵船,三菱信託の4 社が共同出資し, Iイースタン・トラスティーズ・リミテッド」という投資 会社を設立している。これは,ロンドン市場において有価証券運用を行なう

ことを企図した会社であった。

上記の2社は,何れも専門家による運用と共同投資という要件を備えては いるものの,その設立目的は特定企業のための利潤追求組織という機能しか なく,投資信託におけるもうひとつの重要な要件である大衆資金の統合とい

う理念とは全く無縁の存在でしかなかった。

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(2)  投資組合の発足

投資信託の3つの要件を全て満たした,今日の投資信託制度に最も近い存 在としては, 1937 (昭和12)年に「藤本ビル・ブローカー(今日の大和証券)J が設立した「藤本有価証券投資組合」を指摘し得る。これは,英国のユニッ

ト・トラストの制度を参考にし,中小投資家の出資金を統合して有価証券に 投資し,安全・有利に資産増加を図ることが設立目的として標傍されていた。

その仕組みとしては,先ず1=500円で, 200(=10万円)をl組合(ユ ニット)として募集が行われた。募集に応じた投資家(組合員)に対しては,

出資証券が手渡された。集められた資金は有価証券に分散投資され,その収 益は年2回組合員ヘ分配された。運用期間は 3年と定められていたが,状況 次第で期間延長や繰上解散も認められるなど,比較的弾力的であった。運営 に際しては,ひとつのユニット毎に組合員総会を設けて3人の幹事を選出し,

彼らに資金運用を委ねる形態が採られた。藤本ピル・ブローカーは,代表幹 事(組合員でもあった)として,同制度の主導的役割を演じていた。

同制度は,先駆者として相応の役割は果たしたものの,その後に類似組合 の林立を招いたこともあり,やがて大蔵省や信託協会からの批判に晒される

こととなる。それは,同組合が民法上の任意組合として,信託関係の明示も ないままに,藤本ビル・ブローカーが組合結成を斡旋し且つ運用を主導する ことが信託類似行為として『信託業法』に抵触する,という論拠に基くもの であった。大蔵省は,信託会社と連携した運営体制の確立を求めたものの,

この時点では信託会社の協力・合意が得られず,結局発足後約3年を経た 1940 (昭和15)6月に同制度は終震を迎えることとなる。

この間,組合結成回数は54回,ユニット数は127本に達し,組合員数は延1万人超,資金総額も1270万円に達している。しかも平均解散価格は 550円近くという実績を残している。つまり,この投資組合は,決して運用 成果が投資家から否定された訳ではなく,制度的未成熟さなどが解散の主因 であったと言えよう。

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(3)  初めての投資信託

藤本ビル・ブローカーによる投資組合は,結果的には投資信託制度を整備 する契機となった。すなわち,投資組合が中止された翌年の1941(昭和16) 年,野村証券により我が国初の投資信託が誕生することになるのである。

この時代は戦時経済体制の下,株式市場も国策に沿って株価安定や軍需産 業育成を企図した戦時資金調達などの機能が求められていた。その一環とし て,野村証券は太平洋戦争突入直前の同年10月に募集要綱を提示, 11月に大 蔵省の認可を受けて,我が国では初めて投資信託という名称を冠した商品の 募集が開始された。受託者業務は,野村信託が行っている。

野村証券が大蔵省に提出した「投資信託承認申請書」には,設立目的とし て,①大衆の中小資金の集積,②浮動購買力吸収と国民貯蓄増強によるイン フレ抑制,①証券民主化,④証券市場安定化と証券投資安全化,⑤証券引受 会社の救済,という 5項目が謡われていた。その仕組みは,投資組合の経験 と英国のユニット・トラストのメカニズムを活かしたもので,受益証券は1 =500円であった。

野村証券に追随して,翌1942(昭和17)8月には,藤本ビ、ル・ブローカー,

山一,小池(後に山ーに合併),川島屋,共同(川島屋と共同は後に合併し て日興証券となる)の証券5社が,日本投資信託(信託業協会に加盟する信 託会社が共同出資して設立した株式会社)を受託者として,投資信託業務に 進出している(設定は同年 9月)

これらの商品は,証券会社を委託者,信託会社を受託者とし,契約型の投 資信託としての体裁を整えており,先の投資組合に比べると近代的な形態へ と脱皮している。ただ,欧米の投資信託が自然発生的に誕生したのに対して,

我が国では国策という枠組みの中で発足しているのが特徴的である。また,

当時は現在の『証券投資信託法』のような形での法的整備もなく, ~信託法』

や『信託業法』などにより関連的に規定されるだけであった。

投資信託運営に関する今日との相違点は,概ね以下の3点に集約される。

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1に,厳しい運用制限が設けられていたこと,第2に,受益証券の中途解 約が認められておらず,換金性が劣ったこと,第3に,償還時点で元本割れ の場合には委託者が損失額の2割を補償する規定があったこと,などである。

なお,これら一連の投資信託は,国民貯蓄増強の国策を映じて順調に拡大 し,終戦により募集中止となる1945(昭和20)8月までの累計ユニット数 135本,設定総額は52850万円に達している。ただ,当時の投資信託は 信託期間が3"'5年であったが,終戦によって多くの証券の価値が喪失した こともあり,上記の2割補償の負担などから,終戦後2年間の償還延長措置 が講じられた。その後,戦後インフレの昂進を背景とした株式市場の活況な どもあり,戦後の1949(昭和24)年から1950(昭和25)年にかけて各社は全 ユニットの償還を行った。 3割近くのユニットは元本割れとなったが,平均 償還価格は541円(最高774円,最低404円)であった。

(4)  戦後の投資信託

戦前の投資信託が償還される以前, 1948 (昭和23)年には,早くも『証券 投資会社法案』が起草され,投資信託の再開を目指す動きが認められた。こ の中には,会社型と契約型の並立など,画期的な内容が盛り込まれていたが,

GHQからは時期尚早との指摘を受け,結局廃案となっている。

戦後,投資信託の復活は, 1951 (昭和26)64日の『証券投資信託法』

の公布・施行を契機としている。ただ,同法制定の背景には, ドッジ不況と それに伴う株価暴落などがあり,政策的な要請に基く点,戦前の投資信託と 共通している。また,同法制定に向けてはGHQの正式承認は得られず,① 運用内容に関するディスクロージャーの徹底,②将来証券会社から投資信託 業務を分離させること,などを紳士協定の形で約束したことで漸く黙認され,

参議院議員立法の形で国会へ提出されたという経緯があった。それでもなお,

従来のような『信託法』や『信託業法』を基に『民法』規定で補う形態から,

投資信託の根拠法として独立した特別法が制定された意義は極めて大きい。

因みに,戦前の制度と比較した同法の主な相違点は,①受益証券は無記

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名式でも可,②部分解約の制度化,③運用制限緩和と損失補填規定撤廃,な どである。

同法制定当時,投資信託業務を営む上での資本金要件 (5千万円以上)を 満たす証券会社は 7社あり, ~投信法』施行 2 日後には大手 4 社(野村,日 興,山一,大和)が一斉に登録申請を行い,残りの3社についても,大阪商 事(後に大商証券と改称),大阪屋証券(現在のコスモ証券),大井証券(現 在の和光証券)が同年6月下旬から8月にかけて登録申請を行っている。

また,投資信託業務は, 1953 (昭和28)年の法律改正に伴い,それまでの 登録制から免許制に改められている。

2.投信委託会社の変遷

(1)  投信委託会社の分離・独立

『投信法』施行直後, 7社体制で開始された我が国の投資信託業界は, 1958  (昭和33)9月から11月にかけて新規参入を見ることとなる。新たに投信 業務に進出したのは,日本勧業(後に角丸証券と合併し,現在は勧角証券), 

玉塚,岡三,角丸,山崎,江口,山叶の証券7社であり, 14社体制となった。

なお,これらのうち,江口証券は後に他の証券2社と合併して日東証券と なり,その後称号変更して今日の三洋証券となっている。また,玉塚,山叶 は,先に記した大商証券と合併して今日の新日本証券となっている。

ところで,既に見たように,戦後の投資信託発足に際してはG H Qとの紳 士協定で,将来的に投信業務を証券会社本体から分離・独立させることが約 束されていた。しかも,戦後の証券・投信業界の発展は,証券会社自身と投 信受益者との聞の利害対立をより一層懸念させるレベルにまで急拡大してい った。同時に,信託財産の規模的拡大は,投信の単独経営を可能と評価させ るだけの規模に達してもいた。そうした環境の中, 1959 (昭和34)3月の 国会審議において,証券業者が投信における委託者を兼務するのは『民法』

108条に定める「双方代理禁止の法則」に抵触するのではないかと指摘さ

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れたことが直接的な契機となり,投信分離が促進されることとなった。同年 12月に大手4社が,その他は1961(昭和36)6月に投信委託会社を設立し,

各々1960(昭和35)4月,同年8月から分離された投信委託会社での営業 がスタートした。

(2)  証券不況と業界再編

投資信託の規模は株式市場の拡大ピッチを凌ぐ速度で増大し,次第に株式 市場における投信の売買が価格形成に与える影響力も高まっていく。この結 果,投信は「池の中の鯨」と警えられ, 1961 (昭和36)718日の高値(日 経平均株価182974銭)へ至る株価上昇局面の牽引役を演じた。その後の 株式市場は証券不況へと突入し, 1965 (昭和40)712日の安値(日経平 均株価102049銭)を記す。

こうした市況を背景に,投信の資金流出拡大に伴う経営基盤の脆弱化を防 ぐ目的で,大蔵省の指導によって投信業界の再編が実施された。先ず, 1964 

(昭和39)5月には,日本勧業,山崎,山叶の3投信委託会社が合併して 朝日投信が設立された。次いで,同年10月には大阪屋,玉塚,岡三の3投信 委託会社が合併し,日本投信へと生まれ変わった。さらに, 1967 (昭和42) 年には,前述の日本勧業と角丸両証券会社の合併に伴い,角丸投信が朝日投 信に合併された。

この結果,戦後14社存在していた我が国の投信委託会社は 9社体制とな り,その後長期間にわたって安定的な状況を迎える。

(3)  バブル形成期にかけての新規参入

1980年代の我が国では,後半にかけて資産インフレが進行するなど,経済

・社会風潮など全般にバブル現象が看取されたが,その一方の主役を演じた のが証券市場であった。

債券発行市場では1970年代後半から規制緩和が進み, 1977 (昭和52)年の 割引国債, 1978 (昭和53)年の中期国債, 1983 (昭和52)年の変動利付国債,

1986 (昭和61)年の短期国債・ 20年超長期国債など償還年限の多様化が認め

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られた。同時に,国債発行額も急増し, 1977 (昭和52)年からは毎年の国債 発行額が10兆円を超えるなど,拡大傾向が続いた。

株式市場では, 1980年代中葉以降エクイティ・ファイナンスが活発化し,

株価面でも①国際化・自由化の流れの中で収益性選好が高まり,直接金融市 場とりわけ株式市場が注目されたこと,②1981(昭和56)年度以降,経常収 支の黒字が定着し, Iカネ余り」の源泉になったこと,③1987(昭和62) 2月のルーブル合意を受けて,公定歩合が年2.5%まで引き下げられ,その 水準が1989(平成1)年5月まで維持されたこと,などを背景に上昇傾向を 示した。すなわち日経平均株価は,世界同時不況後の安値である1982(昭和 57)101日の684978銭を基点に, 1989 (平成1)年1228日の38 915 円 87銭まで,年率26%~こ及ぶ急騰場面を演じている。

こうした証券市場の活況と自由化の流れを背景に,この時期,投資信託業 界においても新規参入時代の幕開けとも言うべき動きが見られた。先ず,

1980 (昭和55)12月には,第一証券系列の第一投信が設立され,長く続い 9社体制に終止符を打った。その後は, 1983 (昭和58)3月の国際投信 委託, 1986 (昭和61)年11月のコスモ投信, 1987 (昭和62)11月の東京投 1988 (昭和63)10月のユニバーサル投信, 1989 (平成1)年10月の太 平洋投信と,証券系の投信委託会社の設立が相次いだ。

(4)  自由化と国際化による投信会社の急増

1990年代に入ると,国際化・自由化が一段と進展し,外資系,銀行系,保 険系の投信会社が急増しているのが特徴である。また,投信会社と投資顧問 会社の合併も目立つようになった。

そうした流れの先鞭を付けたのは, 1990 (平成2)年10月に設立されたマー キュリー投信(当初はウオーバーグ投信として発足し, 19959月に現社名 に改称)であり,同月にはジャーデインフレミング投信(同社は199511 に投資顧問会社と合併し,ジャーデインフレミング投信・投資顧問と改称) が設立されている。同年11月にはインベスコ投信 (19967月に投資顧問会

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社と合併し,インベスコ投信投資顧問と改称)が発足している。また, 1991  (平成3)年11月には東洋投信, 12月にはシュローダー投信が設立された。

1993 (平成5)年9月は,銀行系を含めた投信会社の設立ラッシュとなっ 16日にはクレディ・スイス投信, 27日にはSBIM投信,さくら投信,

三和投信,富士投信(199511月に投資顧問会社と合併して富士投信投資顧 問に改称), 28日には農中投信(199610月にエヌケイユー投資顧問と合併

して農中投信投資顧問に改称)と,僅かの間に6社の参入を見ている。

1994 (平成6)年7月には日本興業投信,同年9月にはセントラル投信が 設立されている。さらに, 1995 (平成7)年には,ニッセイ投信 (4月), 

LGT投信・投資顧問,モルガン・スタンレー・アセット・マネジメント投 信,フィデリティ投信,ベアリング投信, ドイチェ・モルガン・グレンフェ ル投信投資顧問(以上何れも11) 1996年にはゴールドマン・サックス投 信 (2) NCG投信,ロスチャイルド投信投資顧問(9月)などが相次 いで設立されている。

この結果, 1996 (平成8)年末現在での我が国の投信会社数は, 37社に達 している。我が国の金融資本市場は「日本版ビッグ・バン」を迎えており,

今後も投信業界への活発な参入が続こう。低金利水準の持続,経済成長率の 鈍化,高齢化社会の到来などの環境は,投信に対する社会ニーズを一層高め る形で作用しよう。その半面,自由化と背中合わせで進展している護送船団 方式の終駕,バブル期に肥大化した企業社会全体のリストラ思想などは,近 未来における金融機関の再編‑統廃合を示唆しており,急増している投信会 社群もそうした流れと無縁の存在ではないであろう。競争激化は不可避であ り,生き残りを目指した個別企業やグループ内で、の効率化努力(例えば,投 信会社と投資顧問会社の合併)などは,さらに加速化しよう。

誤解を怖れずに言えば, 21世紀に向けた投信業界の未来は他に比べて明る いであろうが,個別投信会社にとっては採用する企業戦略次第で明暗を分け るものと展望される。

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2部我が国の投信会社

1.野村詮券投資信託委託株式会社 (1)  投信業界の首位

野村詮券投資信託委託株式会社(野村投信)は,投信業務の証券会社から の分離・独立に伴い1959121日に設立され,翌6041日から営業を 開始した。野村詮券から投信委託業務の営業譲渡を受けてのスタートであっ た。当初の資本金は5億円,役職員数は47名,運用純資産は1,443億円であ ったが,その後は常に業界の先駆者として業界をリードし,現在では我が国 最大且つ世界的にも有数の規模に成長している。因みに, 19963月末にお ける資本金は1568034万円,役職員数は416人,信託財産純資産は104 115億円に達している。

野村投信は,委託会社としての本質的サービスである優れた商品の開発,

パフォーマンスの向上,ディスクロージャーの充実に注力しているのに加え,

グローバル投資時代の到来に先駆けて「グ、ローバル・アセット・マネジメン ト・ハウス」をも指向している。このため,海外拠点の整備や人材教育を活 発に行い,高度なレベルの調査・運用体制の確立を図っている。

(2)  充実した商品構成

我が国の金融革命の引き金になったとも言われる「中期国債ファンド」は,

1980年に野村投信によって開発された商品である。これに象徴されるように,

同社はその後も多様な商品を産み出し,商品開発の分野でも常に業界をリー ドしてきた。

最近では,一般の個人投資家には困難を伴う,海外証券投資を行うファン ド等も活発に開発されている。そのために求められる内外投資環境の把握や 運用手法・ノウハウの蓄積も,随時行われている。また,ハイテク化する投 資技術に鑑み,クウォンツ・チームが企画部門の中に設けられている。その 協力を得ながら,商品開発室が商品開発を行っている。

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こうした開発体制の下,多様な投資家ニーズと先端的運用技術を結合した 新商品の開発に努めている。その商品構成としては,安定重視型の fMMF

(ひまわり )J等の各種公社債投信から,値上がり益追求型の各種株式オー プン,マーケット・タイミングを捉えた各種スポット投信など,極めて広範 囲をカバーしたものとなっている。

(3)  グローバルな調査・運用体制

野村投信では,調査体制の一層の充実を図るため,野村グループのシンク タンクである野村総合研究所と連携を密にする傍ら,海外現地法人の人材拡 充を行い,地域的・人的な情報ネットワークの構築に努めている。また,個 別銘柄については,企業調査部のアナリストに加えてファンド運用者自らも 会社訪問を行うなど情報収集に努め,肌理細かい調査・分析が行われている。

運用能力の強化については,企業としての組織力を活用する一方,個々の ファンド・マネジャーの能力や適性が発揮出来る運用体制作りを行ってい る。例えば,株式投信では,成長型,安定型・安定成長型,システム型・イ ンデクス型といった商品性格別の運用体制を敷いている。こうした効率的な 体制により,ファンド・マネジャー各々が,より高いパフォーマンス獲得を 狙えるように配慮されているのである。

野村投信では,近年,グローバル・タイプの商品が増加傾向にある。これ らの運用には,同社の海外拠点のアナリストによる調査レポートや,海外主 要拠点を結んでの定例電話会議などを基に投資戦略を決定している。また,

各地域の組み入れ銘柄については,現地のC 1 0 (チーフ・インベストメン ト・オフィサー)がアドバイスを行うなど,グローパルなチーム・ワークが 活用されている。

さらに,ファンド・マネジャーの運用意思決定に関わるサポート・システ ムとして, FMS (ファンド・マネジャー・システム)の存在を挙げること が出来る。 FMSは,ファンド・マネジャーにl台づっ配備されており,運 用計画立案に際しては投資環境判断支援の各種データを提供し,実際の運用

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の際には銘柄選択やタイミング論判断の支援を行っている。なお, FMSには,

パフォーマンス評価やポートフォリオ管理機能も備わっており,ファンド・

マネジャーが複眼的に情報等を把握・分析することを可能にしている。

(4)  TQCとリスク管理の徹底

野村投信では,各ファンド毎にTQC(総合的品質管理)の理念を導入し ている。 TQCにより,商品設計に基づいた品質管理を徹底させ,ファンド 販売後も商品性の維持に努めている。

また,最近における投信の運用対象拡大を受けて,デリバティブ取引に伴 うリスクを総合的に管理する体制作りにも着手している。すなわち,運用関 係者によるリスク管理を徹底させると共に,信用リスク等に関しては運用部 門とは別に独立した専門セクションを設け,そこで一元的なリスク管理を行 っている。

以上のような管理体制を確立することで,ファンドの品質向上が図られて いるのである。

2.日興詮券投資信託委託株式会社 (1)  生き残りに向けて

日興詮券投資信託委託株式会社(日興投信)は,他の大手3社と同様, 1959  12月に設立され,翌年の41日から営業を開始した。当初の資本金は5 億円,役職員数60名,運用資産791億円でのスタートであったが, 19963 月末現在では資本金1517千万円,役職員数375名,運用純資産93879 億円に達している。

日興投信は,競争激化の流れの中で,生き残りを図るため「時代の一歩先 を見ながら最高の金融サービスを提供する」経営基盤の確立に注力している。

現在の激動期を21世紀に向けた飛躍への足掛かりとして捉え,同社の経営理 念である「顧客の信頼に応える日興投信」をより高いレベルで、実現するため,

以下の諸項目を経営の重点施策に据え,目標達成に向けて全力を注いでいる。

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(2)  顧客の納得するパフォーマンス構築

運用専門会社にとり,パフォーマンス及び残高動向は,社会的評価や信頼 性を表すバロメーターと言えよう。日興投信の信託財産(純資産残高)は1993 年末に 9兆2,568億円と過去最高記録を更新した。しかも,投信業界全体 では1989年末のピークを未だ抜けずにいる中で, 947月末には10兆円の大 台を超えている。これには,証券会社の販売努力も大いに与かっているもの の,何よりもファンドの良好なパフォーマンスが寄与していよう。同社の残 高の大半を占める公社債投信は,ここ数年の株式市況の低迷を余所に,金利 低下局面を的確に捉え好パフォーマンスを実現し,残高の拡大をもたらした。

一方,株式投信の残高は減少傾向が続いており,今後はこの面での改善が重 要な課題となっている。

(3)  顧客ニーズにマッチした商品開発と納得性のある商品提供

同社の商品構成の7割強が公社債投信であり,その中心的存在が「チャン ス」である。チャンスは実績分配型の短期公社債投信で,短期金利が長期金 利を上回る逆イールド状況のタイミングを巧みに掴んで開発された商品であ る。当時は年未満の決算ファンドは殆どなく,チャンスが投信業界への 短期金融商品の先鞭を付けたものと評価される。チャンスは設定直後から,

その安定したパフォーマンスと顧客ニーズに合致した商品性により,順調に 残高を拡大している。新設された1991年には,日経金融新聞の最優秀賞を獲 得している。

こうした実績を挺子に,同社は株式投信においても,チャンスに匹敵する ような商品の開発を目指している。

(4)  運用・管理・販売体制の充実・強化

日興投信は,インベストメント・テクノロジーの活用に先駆的な役割を演 じ,運用支援システムも整備されるなど,拡大する運用対象に備えると共に,

デリパティフ.の高度活用へ向け,運用手法の開発・充実を図っている。

投資家ニーズが多様化し,海外投資を行うファンドも増加する中で,海外

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拠点の充実を進め,ニューヨーク,ロンドン,香港,シンガポールに現地法 人を有する。また,日興リサーチセンターや日興投信独自の調査により,内 外の経済状況や企業業績の徽密な分析を行っている。

さらに,リスク管理の面では,運用部門から独立した管理部門を設け,厳 しいチェック体制を敷いている。

なお,日興投信の販売指定証券会社は現在60社を超え,さらに販売網の拡 大を図っている。販売証券会社へは,肌理細かなサービスやフォローアップ 活動を行い,販売基盤の強化・充実を図っている。

(5)  人材の確保・育成

投信業界は,他業態からの新規参入を迎え,一段の競争激化が予想される が,その中で生き残るためには,優秀な人材の確保が不可欠である。日興投 信では,充実した研修制度を設け,社員による日米アナリスト資格取得の促 進を図っている。また,世界的視野で活躍する人材育成のため,海外留学‑

研修,語学研修にも力を注いでいる。

3.山一詮券投資信託委託株式会社 (1)  進む内外活動拠点の充実

山一誼券投資信託委託株式会社(山一投信)は, 1959年12月に設立され,

山一詮券の兼業であった投資信託委託業務を継承して,翌604月に業務を 開始した。その後,順調な発展を重ね, 19963月現在の業容は資本金151 億円,役職員数300名,運用純資産は4兆5126億円に達している。

東京日本橋本社を中軸に,活動拠点として大阪支庖,名古屋支庖を擁する。

さらに,グローバルな視点による高度な情報ネットワーク構築の必要性に鑑 み,ニューヨーク,ロンドン,香港に現地法人を設置している。

(2)  企業活力の維持を図る経営理念

一般に,企業設立から年数を経るに従い,創業当時の活力が失われ,次第 に守旧を旨とする傾向が強くなりがちである。こうした弊害を防ぐため,山

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一投信では以下のような目標で経営にあたってきた。①常に若々しい会社を 目指す,②社員ひとりひとりの能力アップを図る,③コミュニケーションを 良くする,④行動において野性的で、あっても,志は常に高く,の4つの理念 である。

同社の19947月現在での社員構成は,全体で20歳代が61%(男子社員で 50%)を占めている。こうした若手社員の潜在能力を引出し,業務に反映 させることの重要性から,社員研修(社内外・国内外)に注力すると共に各 種資格検定試験への受験を奨励している。また,テーマに応じて組織横断的 な勉強会等を行っているほか,比較的社員が交流し易い企業規模を活かして,

レクリエーション活動等を通じた社内コミュニケーションの向上にも努めて いる。

(3)  バランスのとれた強力な業務組織

企業経営はプラン・ドゥ・チェックの過程から成立しているが,これを委 託会社に当て朕めれば,①商品開発力の強化,②運用能力の向上,①運用結 果の審査及びディスクロージャーの充実,と捉えることが出来よう。

山一投信でも,これらの業務に力点を置くと同時に,そのパックアップを 目指して,システム構築や募集取扱い先の拡大等にも注力している。

①  開発部門

山一投信は.19827月に,満期一括受取型国債ファンド「ジャンボJ 開発した。高い安全性と好利回りは爆発的人気を呼び,新たな投資家層の取 り込みに成功した(1982年度日経最優秀製品賞受賞)。この他,ファミリー ファンドにおける「国債型」の新設(19834月).ユニークな「名証25 ンデクスJの設定(19931月)など,多様な商品開発を行っている。

同社は,理工系出身者を含む若手中心に16名の商品開発部員を擁するほか,

最近の規制緩和措置に伴う運用対象の拡大に備えて,同部内に新投資対象研 究チームを設置している。

② 運 用 部 門

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特に中小型株への投資に際しては,調査部員の他,ファンド・マネジャー も直接企業訪問を行い,財務諸表には顕れない成長性等の把握に努めている。

また,アジア等の発展性の高い地域への投資機会増加に備えて,現地視察も 活発に行われている。

運用方針については,運用会議を経て運用役員会で決定されるが,運用担 当者の個性が活かされるように極力ボトムアップ方式による意思決定を行っ ている。

一方,運用手法の開発は,運用開発課が専門に研究し,システム運用型の 商品が数多く提供されている。

① 運 用 広 報 部 門

山一投信では,運用広報部を設け,取扱い証券会社向けに運用状況をP R しているほか,受益者や販売員からの質問等に対応している。また,受益者 に判り易い運用報告書を作成するため,業界に先駆けてグラフ表記を多用す る手法を取り入れた。

④  システム部門

主として機敏な運用指図を行う目的で, iファンド・マネジャー・サポー ト・システム」が構築されている。このシステムは,各ファンドのポートフ ォリオ分析結果を担当者のディスプレーに表示するなど,多様な機能を備え ている。

⑤ 公 開 販 売 部 門

同社は, 19826月に公開販売専用ファンド第l号を設定し,販売ルート の多様化に先鞭を付けた。その後, 19946月までに47本を設定,参加証券 会社は212社に達している。

4.大和証券投資信託委託株式会社 (1)  投資信託のパイオニア

大和証券投資信託委託株式会社(大和投信)は,我が国に初めて投資信託

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を導入した伝統を継承している。その歴史は遠く1937年までに遡り,大和証 券の前身であった藤本ビルフローカーが,初の投資信託組合として藤本有価 証券投資組合を結成している。藤本ビルブローカーは後に大和証券となり,

大和投信は大和証券を母体として, 195912月に設立された。我が国投資信 託のパイオニアであり,投信業界のサラブレッド的存在である。

19963月現在,資本金151億円,役職員数316名,運用純資産額は75 298億円に達する。

(2)  高いパフォーマンスを目指す経営理念

大和投信は, r実践する頭脳集団」を社訓とし,社員各人の意欲,能力,

行動力などを磨き上げることに努めてきた。また,経営方針として rL. T. 

(ザ・ラダー・トゥー・トップ・パフォーマンス)運動」を掲げ, r運用 実績のTPj, r企業としてのTPjの達成を目標に定めている。 LTPとは,

トップ・パフォーマンスに向かつて,梯子を登るイメージを込めた標語であ り,そこには過程を重視しながら努力を積み重ね,いつでもトップになれる 体質を築いていく意思が箆められている。

(3)  脈打つフロンティア・スピリッ卜

藤本ビルブローカー以来のフロンティア・スピリットは,数々の新商品の 企画・開発にも表れている。 1952年に,我が国で初めて追加型投資信託を発 売したのも大和投信であった。近年でも,国内初のポートフォリオ選択型商 品である「スーパー・セレクト・ファンド(1983年)j, rインデクス‑ファ ンド(1985年)j,期間20年の長期追加年金型の「ドリーム21(1986年)j,給 与天引き式追加型投資信託「ミリオン(1987年)j,年金型ファンドの「ステ ップ(1988年)jなどで業界をリードしている。さらに, 1990年には「ジャ ンボ・アルファjrジャンボ・プラス」などの新商品を相次いで発売し,投 資家や業界から注目を集めた。因みに, 1986年には「ドリーム2lj87年に は「ミリオンj88年には「ステップ」が 3年連続で日本経済新聞社の日 経優秀製品・サービス賞を受賞, 90年には「ジャンボ・アルファJが日経金

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融新聞優秀賞を受賞している。

なお, 19941月には,設定・解約に伴う組入証券の売買コストの受益者 負担平準化を企図して「フロンティア・オープン」が発売された。この商品 は,投資家がファンド購入や解約の際に基準価額の0.3%を負担し,これを 信託財産に繰り入れることで購入・解約する投資家自身が売買コスト相当額 を負担するスキームとなっており,投資家の立場に立った商品と言える。こ のファンドの運用には,大和投信が独自に開発した資産配分モデ、ルを活用し,

株式ポートフォリオ組成にはハリー・マーコヴィッツ博士(1990年ノーベル 経済学賞受賞者)を中心に開発したモデルを参考にしている。

以上のように創意溢れる企画力は,投資家ニーズを先取りし,顧客満足度 を重視する姿勢を反映したものと言えよう。

(4)  組織化された運用体制

大和投信固有の運用体制に IAAC (アセット・アロケーション委員会)J IPS (ポートフォリオ・ストラテジー委員会)Jがある。これら委員 会での討議は,運用担当役員等で構成される投資政策委員会で決定された,

基本的な投資方針に基づいて行われる。 AACは,運用担当の役員・部長等 で構成され,内外で収集・分析された諸情報をもとに標準的な資産配分比率 の決定を行う。実際の運用では,この標準的な資産配分比率に基づき,各運 用担当者が各ファンド毎のアセット・アロケーションを決定する。一方,

S Cは,情報部スタッフ,ファンド・マネジャーから構成され,ポートフォ リオ構築に必要なd情報提供に当たる。各運用担当者は, Cで吟味された 情報を参考に組入銘柄を決定していく。

(5)  ゲ口ーバル運用の推進

大和投信は海外拠点として,ニューヨーク,ロンドン,香港,シンガポール に現地法人を置き,情報収集を行う傍ら投資顧問業務など幅広い活動を行っ ている。例えば,香港現地法人は, 19947月に「タイワン・エクイティ・フ ァンド(米国籍の会社型投信)Jを設立し,ニューヨーク証券取引所に上場さ

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せた。同ファンドは,日系運用会社が運用する台湾ファンドの第 l号である。

5.太陽投信委託株式会社

(1)  国際的に通用する運用会社を目指す

太陽投信委託株式会社(太陽投信)は, 19616月に大商証券投資信託委 託として設立, 67年の大商,玉塚,山叶各証券の合併による新日本証券設立 に伴い, 687月に現社名に変更し現在に至っている。 19963月現在で資 本金は30億円,役職員数156名,運用資金(純資産総額)は14948億円と なっている。

同社は,投資信託が本来持っている安定性,収益性,利便性の3つの要素 について,投資家の信頼を得られる商品の開発・運用を行うことを社会的使 命に掲げ,競争が激化する環境の中で「国際的に通用する運用会社」を目指

している。

(2)  特徴ある運用方針で安定性と収益性を追求

① 株 式 運 用

株式運用では,リサーチ運用を徹底的に実践している。 40名程(管理職を 含む)のファンド・マネジャーが,自ら訪問して調査レポートを纏めた投資 対象企業数は国内で500社を超え,アジア各国の訪問企業数も200社に上る。

企業の成長性の発見に力点を置く,こうした地道な調査活動を,株式投信に おけるアクティブ運用の基盤に据えている。

19933月募集の長期保有型株式投信「太陽LL Jは,こうしたリサー チ運用の実践の結果,他社の同種ファンドに比して優位なパフォーマンスを 実現している。

②  海外活動

アジア・オセアニア地域の潜在的な成長性に逸速く着目した同社は,追加 型株式投信「香港オープン」を1993年に設定,香港市場進出の第一歩を記し た。当初24億円でのスタートであったが, 19945月には420億円にまで増

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加し,第一期の分配金込み基準価額の騰落率は40%の高率に達した。

947月には,アジア地域の調査活動の拠点として香港駐在員事務所を開 設し,アジア戦略の一層の推進を図っている。

③  公社債運用

公社債投信の運用では,他の競合する商品との比較優位を確保することを 重視している。追加型の「サンライズ(3カ月 6カ月)Jや長期国際ファ ンド「トップ」のパフォーマンスには,国内外の経済,金利,為替動向分析 を軸とした,同社の総合的な債券運用能力が反映されている。

今後は,リスク管理や効率的運用に有益な限り,新たな投資手法や派生商 品の活用も積極的に行う方針であり,一層のパフォーマンス向上を目指して いる。

(3)  環境変化に対する機動的な商品提供

委託会社にとっては新商品の開発・設計の重要性が高いことから,投資環 境や投資家ニーズの変化に応じて,機動的な商品提供を行っている。太陽投 信の個性ある商品としては,先に紹介した他に,以下のようなものがある0

・ニューフォーミュラ・オープン一日経300指数の構成銘柄を対象に,変 率リバランス・システムに従って運用を行い,効率的な銘柄入替えを行う 追加型株式投信.

・ファンド・ファミリ一一対象ファンド聞の乗換手数料をゼロにして,投 資家自身の相場観に応じた機動的な資産シフト機会を提供する追加型株式 投信.

・庖頭銘柄や地方上場銘柄を投資対象とした単位型株式投信一成長性溢れ る銘柄群を対象に良好なパフォーマンスを追求する一方,地方市場の活性 化にも貢献することを意図した成長型スポット.

6.新和光投信委託株式会社

(1)  経営理念は「投資家の信頼に応える」

新和光投信委託株式会社(新和光投信)は,大井証券(現和光証券)が1951

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