レーマン「原価理論」についての一考察(一)
その他のタイトル Cost Theory of M. R. Lehmann (I)
著者 山上 達人
雑誌名 關西大學商學論集
巻 4
号 5
ページ 406‑421
発行年 1959‑12‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00021751
目
次
レーマン
. ‑
/ 恣万本号
﹁原 価理 論﹂
『•……・・国民経済論と経営経済論が並存するという従来の考え方は、
原則として︑全体経済的なしかも個別経済的な理論が︑矛盾のない成果を導き出し得る︒⁝⁝⁝⁝⁝⁝﹄
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or
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は し が き 第一章原価発生の基盤としての経営経済
︹一︺国民経済と経営経済
ー経
営経
済の
国民
経済
的機
能
︹二︺国民経済価格と経営経済価格
ー経
営経
済価
格の
特徴
︹三︺原価発生の基盤としての経営経済
ー経
営経
済概
念の
考察
第二章原価概念の規定と原価の分類
︹一︺原価概念の規定
︹二︺原価の分類と捕捉
︹三︺操業度・注文と原価分類
ー原
価の
決定
基礎
レーマソ﹁原価理論﹂についての一考察
H
︵山
上︶
レーマンの原価理論は︑彼の経営経済学体系にあってどのよ
ま し
i
が
き
︹四︺計算価格の種類ー原
価計
算に
おけ
る評
価
︹五︺原価理論と国民経済
第一一一章原価理論と価値創造計算
︹一︺産出国民経済所得の測定と価値創造計算
︹二︺価値創造計算における経営概念と減価償
却費の取扱い
︹︱
︱︱
︺レ
ーマ
ソ原
価理
論の
展開
ー 結 語 付表ー計算例ならびに図表
についての
もはや本来的には︑
山
上
一考 察
H
逹
妥当しないで︑
人
五四
次々号
レーマン﹁原価理論﹂についての一考察
H
︵山
上︶
念認識の基盤たる個別経営実践の場として考えられるというこ
とが︑レーマソの経営概念の考察と経営経済価格の吟味により れる︒すなわち︑国民経済の細胞としての経営経済が︑原価概 うな地位をしめ︑どのような構造を持っているのであろうか︒また彼の原価理論的思考は︑国民経済所得を問題とする場合︑どのような方向へ展開しようとするのであろうか︒
われわれは本稿において右のような分析視角から︑レーマソ
原価理論の紹介と︑その特微の指摘を︑主として彼の﹁原価計
算論
第四
版﹂
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︵ 注 1)
︵ 注 2)
A u f l .
1 9 5 1 " )
をよりどころとして究明してみよう︒原価概念認識の場として考えられている経営経済は︑国民経
済に対してどのような関係にあるか︒経営経済価格として考え
られている原価は︑国民経済価格と如何に異なっているか︒す
なわち︑経営経済は国民経済の一環としての機能をもち︑国民経
済の目的と関連すると同時に︑経営経済は︑経営経済価格によっ
て個別経営計算遂行の場として一応の相対的独立性をもつ︒こ
こにすぐれて個別経営的な原価概念の認識の基盤が登場する︒
第一章においては︑このような観点から︑国民経済と経営経
済の関係が論ぜられ︑経営経済価格の導入によって個別経営計
算の場としての経営経済が前面におし出される過程が述べら 跡づけられるであろう︒
五五 第二章においては︑前章の思考をうけて︑個別経営内において成立する原価とその分類について論ぜられる︒原価とはどのようなものであるか︵原価概念について︶︑原価はどのように区分・捕捉されるか︑また操業度および注文等の関係の下にどのような原価が認識されるか︑そして原価認識の基礎となる原価計算的評価の基準として種々の計算価格がどのように評価され分類されるか︵計算価格論︶︑ということがレーマソの論述に即して紹介される︒
しかし︑一応は経営経済の諸々の取引過程において発生する
と考えられる原価も︑一たび国民経済所得の関係を問題とする
場合︑異なった認識に発展せざるを得ない︒個別経営の立場に
たってしかも国民経済との関係をみる場合に︑その原価概念は
多くの変容を示すのであり︑またそうでなければ︑もはや国民
経済所得への貢献分を個別企業の立場からですら把握すること
が出来ないのである︒もちろん︑個別経営的立場と国民経済的
観点は︑如何なる意味においても同じ平面において論ぜられる
ものではないが︑それほともあれ︑個別経営的観点から国民経
済所得への貢献分というような国民経済的な関係を問題とする
場合︑レーマンの原価理論は︑国民経済的観点に一歩近づかざ
るを得ない必然性が生ずる︒このような観点の下に第三章にお
いては︑レーマンの原価理論がどのような方向を志向するであ
ろうかということを︑彼の原価理論の発展方向として価値創造
︵ 注 8) 計算に見出さんとしたものである︒すなわち︑価値創造とは
﹁国民経済の所得︵あるいは社会生産物︶に対する︑個別経営
の貢献分﹂であり︑このような国民経済関係を問題とする場合
の価値創造の計算にあって︑レーマソは︱つの示唆を原価性の
問題について与えているように思われるからである︒
︵ 注 ︶
1レーマンの原価理論研究にあたっての主著には原価計算論一
阪︵ 一九 二五 年︶
︑二 阪(
‑九 四一 年︶ 三阪
︵一 九四 三年
︶四 阪(
‑九
五一
年︶
︑経
営学
総論
一版
︵一
九二
八年
︶二
版︵
一九
四九
年︶
三阪
︵一
九五六年)、経営統計論、(^•Grundfragen
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1 9 5 3
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︑細四店阻釧忠造
計算論、経営比較論(-•lndustrielleB e
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1 9 5 8
")等がある︵レーマンの著書論文の詳細については︑
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Schulz;,•Der
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`の奉
1末
目録 参照
︶︒ ちな み に︑ 原価 計算 論二 阪・ 一二 阪は 最後 の章
﹁組 織論
﹂を 除い て殆 ん ど四 阪の 内容 と同 じで ある
︒
レーマンの原価計算論を直接とり上げたものとして︑一版に関
しては山辺六郎訳﹁レーマソ原価計算﹂をはじめ若干の論文が
みられるが︑四阪に関しては︑同﹁レーマン原価計算形態論﹂
︵産 業経 理第
︱二 巻第 三号
︶︑ 同﹁ 原価 計算 精説
﹂︵ 自桃 書房
︶以
レーマソ﹁原価理論﹂についての一考察日
︵山
上︶
営者によっても否定されてはならない⁝⁝ということは︑レー
︵ 注 1)
マンの経営経済観を特徴づける﹂︒このレッヘルホルツの端的︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑な表現をまつまでもなく︑レーマンの経営経済的思考は常に国
︑︑︑̀︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
民経済︵全体経済︶との関連の下に取り上げられて来た︒すな
わち︑﹁国民経済の所得に対する︵個別︶経営の貢献分としての
価値創造﹂計算を頂点とする彼の半世紀になんなんとする経営 ﹁個別経営は全体経済の細胞であるということは如何なる経 ー経営経済の国民経済的機能ー
[ l ]
第一章
外に余りみられないので本稿においては四阪の内容の紹介を中︑ ︑
心として論述する︒︵なお本稿においてはレーマンの原価理論
のみ を直 接の 対象 とし てと りあ げる
︒︶
2紙巾の都合で解説的説明は注記の形で︑具体的計算例につい
ては 付表
︵章 末︶ にお いて 述べ るこ とと する
︒
3
レー マソ の価 値創 造計 算論 (, ,
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1 9 5 4
"
)に つい ては
︑拙 稿﹁ レ
ーマソ価値創造計算についての一考察﹂︵関西大学商学論集第
三巻 第二 号︶
︑拙 稿﹁ 経営 経済 性の 測定 につ いて の一 考察
﹂︵ 同 第三 巻第 四号
︶参 照︒ 原
価 発 生 の 基 盤 と し て の 経 営 経 済 国 民 経 済 と 経 営 経 済
X
x
X
五六
レーマン﹁原価理論﹂についての一考察
H
︵山
上︶
に国民経済と結合し︑国民経済の生産に寄与するかという根本
的理念に支えられて来たのである︒
今︑レーマンの原価理論の究明に入るにあたって︑われわれ
はまずそのよりどころとなっている彼の﹁経済に対する基本的
思考﹂をみ︑次いでこのような経済生活において重要な役割を
占める経営経済を国民経済との関連の下に取り上げよう︒
﹁経
済は
人間
生活
の必
然的
な随
伴現
象(
Be
gl
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ch
ei
nu
ng
)
︵ 注 2)
であるばかりでなく︑また役に立つ随伴現象である︒﹂人間活動
は経済的基礎なしには不可能であるから︑経済は凡ゆる生活領
域の活動の必然的な随伴現象であり︑人間生活の遂行という目
的ー
レー
マン
のい
う存
在可
能化
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gl
ic
hu
ng
)ー
に
従属する現象である︒また﹁凡ゆる特殊な経済は︑計画・選択
︵ 注 3)
および比較の︑ある種類の純粋な精神的性質のものである﹂︒
すぺての経済活動は計画にしたがって遂行されるが︑この経済
計画の設定にあたってはしばしば実際与件と一致しない仮定か
ら出発せねばならない︒したがって実際と前提の間に差が生ず
ることから経済生活は危険として特徴づけられる︒かくて﹁経
済計画はかかる可能性の恒常的な比較とそれらの間の選択を前
︵ 注 4)
提とする﹂のである︒ 経済学の遍歴は︑常に国民経済の細胞としての個別経営が如何
五七
このレーマソの人間生活の遂行を究極目的とし︑それに経済
が随伴するという経済観から﹁凡ゆる経済の最後の目的は消費
︵ 注 5)
の可能化である﹂という思考が導かれる︒すべての生活の本質
は運動であり︑運動のあるところ必ずこの運動をひきおこすカ
が存在する︒そして経済生活の第一次的な力は消費力︵需要︶
であるという︒だが彼自らもいうように﹁凡ゆる経済の究極目
的は消費であったが︑消費がなされるためには生産されねばな
︵ 注 6)
らない」。そして第二の力として、生産要因•生産要素である
︵ 注 7)
﹁経済の生産力﹂があげられ︑この両者が経済生活を推進せし
︵ 注 8)
める力であるという︒
経済の発展につれて︑分業の進行︑商品交換・市場の成立︑
貨幣の出現をみる︒そこで﹁現代の経済関係に対して︑財貨面
︵ 注 9)
および貨幣面が区別されねばならない事情が生ずる﹂︒たとえ
ば国民所得ーある期間における国民の経済活動の成果ーについ
てみると︑それは産出された財貨の総体
1 1
国民経済の財貨所得
と支払の総体
1 1
国民経済の貨幣所得として把握される︒また国民財産についてみても︑一方に財貨国民財産︵財貨面︶︑他方
︵注 10 )
に法的請求権の総体である財産所得︵貨幣面︶が区別される︒
すなわち︑レーマンにあっては︑経済は絶えず財貨および貨幣
の二側面から把握され︑この両面は経済関係の表裏をなすもの
1浙
蔦
泰 囲
蕊 湾
国 レーマソ﹁原価理論﹂についての一考察
︑︑
︑︑
︑︑
︑
として同じウェイトでみられるのである︒
しかし︑レーマンは更につづけていう︒﹁経済生活の財貨面
および貨幣面の区別のみでは十分ではない︒⁝⁝いわゆる信用
経済への経済の発展に伴って︑経済内における財貨面および貨
幣面の区別のみでなく︑更にそのほかに経済生治の三つの面も
しくは領域の間が区別されねばならなくなった︒経済の生産領
︵ 注 1 1)
域︑消費領域および財務領域これである⁝⁝﹂︒そしてこの両
者を組合せて一表を示し︑経済の財務領域は如何なる場合にも
一 舟 滞 蒐 苺 一 翠 漆 慈 描 一 華 海 癒 萬
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一篇 麿望 曇鯰 嗜
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畠一塁 甕澱 冒
経済生活の財貨面とは関係することなく︑貨幣面の中核領域と
して特徴づけられるものであり︑またこれは生産および消費に
役立つものであるといっている︒
では以上の経済観から経営経済はどのように把握され︑国民
経済と如何に関係づけられるであろうか︒前に述ぺたように︑
経済生活は消費力と生産力とから成るが︑経営経済は生産に役
︵ 注 1 2)
立ち家計は消費に役立つ︒すなわち︑﹁経営経済は生産経済の
︵ 注 1 3)
性格を︑家計は消費経済の性格をもっ﹂︒そして今︑経営経済
H
︵山
上︶
人間労働力と物的財産︵設備・手持品︶が役立つ経済生活の生
2.
燥ヰ
0
蕊濡浬寧釜濤11
際疎際埓
0
蕊濡涛寧碗圧1
.際疎際埓a濡苺浬寧函目11
幽
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H ・
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鳶泰浬寧湘要 ーおよび貨幣所得概念と結びつけると深い洞察が生ずるとし と家計とを理想形体として対立せしめる場合︑国民経済的財貨﹁経営経済は所得産出に役立つ個別経済の生産経済として︑家
計はかかる個別経済の消費経済として認識され⁝⁝国民経済関
︵ 注 1 4)
係が経営経済の全体の間の所得の現象に関して存在する﹂とい
い︑二表を示し次の等式を与えて国民経済所得と経営経済・家
計の関係を述べている︒すなわち︑
2泄
際 聴 際 埓 海 津 ヰ 凜
: 琺 二 [ . ー 一
← 唇 唸 塁 悪 竺 唇 翌 塁 塁
︸ ・
← 翌 翌 奉 墨 海 一 塁 塁 塁 塁 昌 ︶ 一 ︵ 靡 ︶
次に物的生産力とよばれる生産経済的物的財産︑消費経済的
財産所有および財務経済的資本は︑如何なる役割を全体あるい
は国民経済の経営経済面および家計面において演ずるか︒実際
上経営経済内には更に二つの種類が区別され︑したがって三つ
の種類の個別経済が区別される︒直接生産的経営経済は直接に
国民経済の所得産出に参加するものであり︑所得産出において
燥
翌
五八
2.
1 .
レーマン﹁原価理論﹂についての一考察
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苓湘喰沖︵棗ヰ8
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閉藩悪沌雑やA )
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︵山
上︶
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恙菩蕊商I I
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岡滞併隊菩際晦際菜亘滞舟蹄寄際聴際菜
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蒔玉棗ゴ
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`炉罷叫釘一ー一ー杷似上↓唸料言響ぎ—
一 翫 一 翫
. . . . .
. . . . .
. . . .
併 諦 蒐 苺
︱
︱ 茸 澤 蒐 気
る︒この三つの個別経済の物的生産力が国民経済的に如何に関
係するかは︑三表から次の等式︵国民経済的等式︶によって説
明される︒すなわち︑
淀 漆 癒
苺
産領域である︒またこの物的財産調達のためには資本が必要と
なりこれは経済の財務領域として表現される︒すなわち︑直接
生産的経営経済は生産ーおよび財務経済を結合せるものであ
︵注 15 )
る。次に家計(いわゆる消費機能としての)は、消費—および
財務経済の結合せるものであり︑最後に間接生産的経営経済
︵ティピカルなものは銀行︶は︑全体経済の財務領域に属しそれ
故に純粋財務経済の特質をもち生産に間接に役立つものであ
五九
以上述べたように︑レーマソにあっては︑個別経済としての
経営経済は国民経済関係において生産領域と財務領域を包含す
るものとして把握され︑国民経済の細胞として国民経済の所得
︵注 16 )
産出に役立つ機能を果すのである︒すなわち︑国民経済所得の
流れを基軸として︑経営経済は絶えず国民経済に結びつきその
一環を担うものとしての機能を持つのである︒
︵ 注 ︶
1J.
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M.R•Lehmann
ー70.
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ZfB•Nr
9 .2 6 . Jahrgang.
9 5 1
6 .
S . 5 3
2 .
~おこの吟叩文でレーマンの江i
歴の簡単な説明がなされ︑価値創造的思考が彼の経営学の中核
であ ると 述ぺ られ てい る︒
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三版
に限
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と略
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︒な
お本 稿で は︑ 長文 の引 用句 は要 約し て原 書の 頁を 示し た︒ 3"
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"
S . 9 .
また︑この場合︑経営計算制度と国
民経 済統 計が 重要 であ ると いう
︒ ( " , a .
a .O .
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S . 1 0
. )
4"
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"
S.11.55
疇Al
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ei
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"
S . 1 2
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"
S . 1 3
.
7
経済 の生 産力 は四 表の よう に要 約さ れる
︒
( . " a
. a . O
. ` "
S . 1 5
. )
8ここでレーマソの充足性と経済性についてふれておこう︒充
足性概念は充足と需要の分割商であり︑経済性概念は費消︵原
価︶と給付︵収益︶の分割商である°経済生活においてはこの
二つの思考が乎行し︑あるいは経済はこの二つの原則によって
支配されるのである︒流動性概念は前者に︑収益性概念は後者
に属
する
︒
( , , a
. a . O
. "
S S. 2
9 ー3 2 . )
先ず︑レーマソの価値と価格に対する基本的思考をみ︑次い で彼のいう経営経済価格の性質を国民経済価格との関連の下に
考察してみよう︒
レーマンは価値を定義して次のようにいう︒すなわち︑﹁経 済生活の領域について考察を限定すると︑価値の下では他の諸
U ‑ ]
国 民 経 済 価 格 と 経 営 経 済 価 格ー経営経済価格の特徴
4 茫~図
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S .1 9 . 1 0
この経済関係の二面性は複式商業簿記において︑照応する計
算形 式を もっ とい う︒ ( , , a . : i . 0 . "
SS .2
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2 1. )
11
,,
Al
lg
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ei
ne
"
S. 21 .
12レーマンは公共財政について一節を割いて説明しているが︑
これは究極には経営経済および家計的機能に分解されるので理
想形体としてみる湯合に割愛することとした︒
13
.,
Al
lg
em
ei
ne
."
S.34.14,.
Al
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S. 35 .
1 5
︑ ︑ A
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e"
S. 3 9.
1 6
経営経済の国民経済的生産目的は国民経済の所得産出への参
加で ある
︒︵ も
. a . O
. "
S. 54 .)
レーマソ﹁原価理論﹂についての一考察
H
︵山
上︶
値 値価
価の
ー的
︵ 経仰 済倫 外理
上︵ 注︶
2
ので ある
︒
5 表 経済生活の価値ー及び価格種類
単なる価値
I
主観価値 I
│ 経営経済価格
(=主観価格)
経済価値 I
客観価値=価格 I
│
国民経済価格 「
l │
現実価格 I
理想価格
(=市湯価格) (=自然価格)
が必然的となる︒すな
ヽ
わち価値の客観化は価 格として呼ばれるとこ ろの価値であり︑客観
ヽ的価値の性格をもつも いうことにより客観化 において商品となると 価値は物財が交換過程 ゆる使用価値と理解されており︑この主観的 る︒主観的価値はいわ ︵価格︶に区別され
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
物財に対する関係においてある物財に与えられるであろうとこ
︑︑
︑︑
︑ ろの相対的意義と理解すべきであり︑且つこの相対的意義は一 方において個々の場合に物財に期待されるであろうところの効
︵ 注 1)
用の評価に︑他方においてその時々の稀少性に依存する﹂と︒
価値は効用の評価と稀少性によって規定される物財間の相対的 な意義を示すものであり︑更に五表のように︑経済的価値は主
観的価値と客観的価値
六〇
レーマン﹁原価理論﹂についての一考察
H
価格概念の﹁形式的性質﹂について︑
︵山
上︶
って規定される物財の相互関係としての価値﹂が︑市場交換に よって﹁客観的な価格﹂として表現されるということである︒
すなわち︑物財の価値ほ効用の評価によって他の物財に比べ最 も高いと選択されたものが大なのであり︑それは物財自体に根
︑ ︑ ざす客観的な価値ではなく︑人間が他の物財との比較において 選択するところの相対的な有意義性である︒このレーマンの価
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
値観はまた彼の経営経済価格概念の理解にとっての︱つの出発
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
点を形成するものである︒価格は価値の客観化であり︑その限 りにおいて客観的価値であるといわれるが︑レーマソの考えを みると︑価格は単に価値が貨幣によって表現されたものであ り︑人間の選択可能性において︑すなわち他財との効用の比較 において認識される価値︵これはいわゆる主観的価値であるが︶
の貨幣的表現に過ぎないものである︒
以上はレーマンのいう﹁実質的観点
(s ac hl ic he r Hi ns ic ht ) からする価値および価格種類の区分であるが︑更に価値および
﹁任意の大きさの物財量
の価格︵実質的意味の︶に注意する時価値が述べられ︑また価 格概念は物財数量単位の価格に対して代表されないしは特殊
︵ 注
3)
価値の意味で用いられるのである﹂といい︑したがって次の
レーマソの価値と価格の区別︑それは﹁効用性と稀少性によ
六
すなわち︑価値はある物財量と価格の相乗積として︑価格は物
︑
︑
︑
︑
︵ 注
5)
︵ 注
6)
財数量単位の特殊価値として考えられるのである︒
︵ 注
7)
それでは価格は如何にして決定されるか︒価格の決定基礎に ついてレーマソは次の五つの種類をあげている︒その第一の要 因は市場における供給および需要の大きさ︑すなわち室苓""
であり︑第二に価格の高さは供給および需
覗涸
0
汁 喝 儀
荒溶
0
汁 喝 屈
f 1
要の緊急性
(D ri ng li ch ke it )
に依存する︒すなわち室苓""
てある︒以上の二つの要因はレーマンによれ
乖淵
0
源斡
寄︑
定 翌 源 函 溶
f 2
ば国民経済の充足性︵市場充足性︶としての価格の高さである が︑更に価格の高さは国民経済の生産過程の経済性の観点から みなければならないという︒すなわち価格は長期的には製造原 価以下とはなり得ないものであるから︑価格の第一︱一の決定基礎 に製造原価の高さがあげられる︒室苓
1 1 f 3
︵荒
官
0
棄咳︶
︒そ し てこれら三つの決定基礎は実質的性質のもの︑つまり価格形成 要因であったが︑今︑所与の経済秩序の下では市場状態︵自由 経済下︶︑ならびに公共官庁の影響︵社会主義経済下︶が第四
•第五の決定基礎としてあげられる。
価格が主観的評価価値の市場における客観化であるというレ ーマンの考え方からは︑当然︑価格は需要と供給の関係におい
︵ 注
4)
等式を示している︒﹁茸茜
1 1 蓉翠檸
x
誼洛
甫︷
岡
1 1 巻淀陶
X
甫苓
﹂
述べる︒すなわち︑国民経済価格は前に述べたような全体国民 経済に関係する価格であり︑﹁経営経済価格︵計算価格︶は︑
それで経営者が仕事をし計算し且つ経営経済計算制度論におい
︵ 注 8)
︵ 注 9)
て個々に取扱われる価格である﹂︒そしてこの経営経済価格は
︑︑
︑︑
主観価格の特性をもつものであると︒経営経済価格の詳細につ いては後述されるが︑国民経済価格は全体国民経済で成立する
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
本来の価格であり︑これに反して経営経済価格は経営経済内に
︑︑︑︑︑︑︑︑︑̀︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
おいて成立する経営者の主観的価格であるとされる︒この区別 は重要である︒経営経済価格はここではもはや国民経済的に成 立する価格の成立基盤をもたず︑経営経済において経営者の効 用の評価により選択・比較される主観的なものとみられる︒し かし経営経済内における主観的価格といっても︑それは製品お よび原材料の阪売・仕入に際して国民経済市場とは無関係で
︑ ︑ はあり得ない︒国民経済価格を離れては経営経済価格はあり得 ず︑その成立の基礎を失うのである︒このことについてレーマ
レーマソは国民経済価格と経営経済価格について次のように
て決定されるという論理が禅き出されるのであるが︑製造原価 の高さによって究極的に価格が形成されるとみるのは︑製造原 価が国民経済価格の規定要因であり︑したがって国民経済価格 に結節するという考えを示しているとみることが出来よう︒
レーマン﹁原価理論﹂についての一考察
H
︵山
上︶
つき︶かによって計算され︑したがって経営経済価格には原価価 格・収益価格が区別される︒また経営経済価格は物財の三種の 単位量に関係し︑すなわち︑原価財の特性をもつ財は原価財価 格︑中間財の特性をもつ財は中間財価格︑収益財の特性をもっ 財は収益財価格として把握される︒そして最後に経営経済価格
︵ 注 1 2)
の凡ゆる種類は経営取引過程の種々なる場所において確定され るのであると︒ここで注意せねばならないことは﹁国民経済価 格の領域に対して如何なる照応する問題もない経営経済価格問
︵ 注 1 3)
題が存在する﹂のであり︑したがって経営経済においては種々 場の価格との結びつき︶か︑収益面︵売上市場の価格との結び 経営経済価格︵計算価格︶も究極的に国民経済価格によって規 市場と結合し︵客観価格面︶︑また主観価格として考えられる ンも経営経済価格は原価財および収益財の調達・阪売において
︵ 注 1 0)
定されるといっている︒これを要するに︑経営経済価格はレー マンにあっては購買・販売市場における原価財・収益財の価格 を所与とし︑経営経済的観点からこれらを如何に評価すれば最 も合理的な計算が行われるかということ︑換言すれば経営経済 の内部取引を管理しその経済性を測定考量するメルクマールと
︵ 注 1 1)
しての意義をもつものであるといえよう︒
更にレーマンはいう︒経営者が取扱う価格は原価面︵購買市
—
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