古文辞学と祖棟学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶
相 原 耕 作
目 次
︽序︾
︽本論一︾﹃弁道﹄の概念構成
︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成
︵1︶道︵2︶徳︵3︶仁︵以上本号︶
︵4︶智︵5︶聖︵6︶礼︵7︶義︵8︶孝悌︵9︶忠信︵10︶恕︵11︶誠
︵12︶恭敬荘慎独 ︵13︶謙譲遜不伐 ︵14︶勇武剛強毅 ︵15︶清廉不欲 ︵16︶節倹
︵17︶公正直 ︵18︶中庸和衷 ︵19︶善良 ︵20︶元亨利貞 ︵21︶天命帝鬼神 ︵22︶性情才
︵32︶心志意 ︵24︶思謀慮 ︵25︶理気人欲 ︵26︶陰陽五行 ︵27︶五常 ︵28︶極
︵29︶学 ︵30︶文質体用本末 ︵31︶経権 ︵32︶物 ︵33︶君子小人 ︵34︶王覇
︽結び︾
古文辞学と祖裸学−荻生祖練﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八−二︶ 四九七
四九八
︽序︾
よく知られているように︑荻生狙棟は最初から祖棟学者であった訳ではない︒若い頃から言語と真摯に取り組ん
だ祖棟は︑明代古文辞派と出会ってその詩文制作の方法を導入すると︑やがて古文辞学の方法を経典解釈に応用 ︵1︶ し︑﹁六経﹂との格闘を経て︑﹃弁道﹄﹃弁名﹄に結実する狙篠学を確立させたと言われている︒では︑﹁古文辞学の
方法を経典解釈に応用することによって祖株学が成立した﹂とはどのような事態なのであろうか︒本稿は︑﹁経典
解釈の方法としての古文辞学﹂の具体的な姿を﹃弁道﹄﹃弁名﹄に即して明らかにすることを目的とし︑そのこと
を通じて︑言語との対決がもたらす方法的転換が思想的転換にもつながるような場面を描き出すことを目指す︒
﹁古文辞学の方法を経典解釈に応用することによって狙棟学が成立した﹂ということは︑祖棟自身が認め︑一般
にも是認されている︒しかし︑これが具体的にどのような事態であるのかについては︑必ずしも明らかではない︒
問題なのは︑詩文制作の方法として導入された古文辞学をどのように応用すれば経典解釈の方法となるのか︑とい
うことである︒しかも︑狙棟の古文辞学が依拠する明代古文辞派は︑﹁文は必ず秦漢︑詩は必ず盛唐﹂をスローガ
ンとし︑模範となる古典から語句を引きちぎってきて自己の詩文を制作した︒つまり︑古文辞派の詩文制作の方法 ︵2︶ の特徴は︑古文辞の語句の断章取義によるパッチワークなのである︒このような詩文制作の方法がどうしたら経典
解釈の方法に応用できるのだろう︒断章取義的な言語操作による経典解釈とは一体いかなるものなのか︑甚だ疑問 ︵3︶ であるが︑従来の研究は︑このような問題に十分に取り組んできたとは言えない︒
そこで︑本稿では︑狙裸学の代表的な著作である﹃弁道﹄﹃弁名﹄が取り上げる儒学の諸概念を逐一検討するこ
とを通じて︑この問題に答えたい︒﹃弁道﹄﹃弁名﹄の祖裸は︑﹁六経﹂を始めとする古文辞で書かれたテキストを
断章取義的に引用しながら︑儒学的な概念を︑古文辞学の方法に適うものとして︑断章取義的な言語操作に適うも
のとして︑再構成していく︒その意味で︑祖棟学の概念構成は﹁古文辞学的概念構成﹂といってよく︑﹁古文辞学
の経典解釈への応用﹂として祖裸学が成立していると考えることができる︒しかし︑この点を具体的に検討する前 ︵4︶ に︑祖棟の古文辞学について簡単に説明しておきたい︒
狙秣が漢文訓読を批判し漢文直読を主張したことはよく知られている︒若き狙裸は︑古代中国語で書かれた文献
を︑訓読という名の日本語訳を媒介としてではなく︑古代中国語として読むために︑言語の研究に打ち込んだ︒祖
禄の初期の言語研究は︑漢字の﹁字義﹂と﹁文理﹂︵文法︶を重視し︑文法的に重要な役割を果たす﹁助字﹂の研
究を積み重ね︑言語に対して分析的にアプローチすることを特徴としていた︒しかし︑やがて分析的な言語理解の
限界を悟り︑模倣と習熟による言語習得へと︑言語に対するアプローチを大きく転換させた︒これが古文辞学的ア
プローチである︒
古文辞学的アプローチの特徴は模倣・習熟だけではない︒祖棟は︑古文辞の特徴を︑﹁助字﹂が少なく﹁簡短﹂
であるが故に﹁含蓄﹂があると捉える︵﹃訳文笙蹄﹄﹁題言十則﹂第十則︑全集ニー二三︒つまり︑﹁助字﹂が少なく
﹁簡短﹂な古文辞は︑分析的には捉えがたいものを含んでいる訳であるが︑狙棟はこの分かりにくさを﹁含蓄﹂と
捉え直したのである︒そして︑これこそ︑引きちぎりのパッチワークという明代古文辞派の方法が有効に機能する
ための条件であった︒古文辞は︑﹁簡短﹂であるから切り取りやすく︵断章︶︑﹁含蓄﹂があるから多様な意味で利
用できるのである︵取義︶︒祖棟は︑﹁簡短﹂な古文辞の﹁含蓄﹂に対して﹁思慮﹂を働かせ︑断章取義的な言語操
作を自在に施すことを目指した︒つまり︑祖穣の古文辞学は︑古文辞を認識的に突き詰めることを断念し︑十全な
古文辞学と祖棟学−荻生祖練﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八⊥一︶ 四九九
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認識がなくとも﹁含蓄﹂を利用して古文辞を操作できるという発想の下に成立したのである︒
もちろん︑狙裸は一切の分析を放棄した訳ではない︒しかし︑いくら﹁字義﹂や﹁文理﹂を突き詰めても︑古文
辞には不可知の領域が残る︒その不可知の領域を認識的に窮め尽くすのではなく︑不可知であっても︑あるいは不
可知であるからこそ︑古文辞を自在に操作できると考えた︒そして︑﹃弁道﹄﹃弁名﹄の祖棟は︑儒学の概念に多彩
な﹁含蓄﹂を読み込むことを可能とするべく︑概念構成を行うのである︒
祖棟が古文辞学的概念構成を行うにあたっては︑﹃弁名﹄冒頭で展開される﹁聖人命名説﹂が方法的前提をなし
ていると考えられる︒﹁聖人命名説﹂は︑しばしば言語哲学的な観点から捉えられるが︑﹃弁名﹄には聖人の命名と
は思われない名辞が含まれているなど︑言語哲学としては多くの矛盾を抱えている︒むしろ︑﹁聖人命名説﹂は︑
古文辞学の方法を経典解釈において展開するための戦略の一環として捉えるべきではないか︒この点を簡単に説明 ︵5︶ しておこう︒
狙裸が儒学的概念を再構成するにあたっては︑﹁名﹂にまとわりつく二つの爽雑物を取り除く必要があった︒一
つは︑﹁名﹂をめぐる議論の集積であり︑とりわけ︑朱蕪や伊藤仁斎が設定した概念構成である︒祖裸はこれに対
抗して新たな概念構成を行う必要があった︒もう一つは︑﹁名﹂を構成する﹁字﹂即ち漢字である︒漢字は表意文
字・表語文字であり︑字形・字音に基づく本義とそこから派生する多様な字義をもつ︒そのような︿本義−派生﹀
関係からなる﹁字義﹂の体系が︑自由な概念構成を阻んでいた︒﹁聖人命名説﹂は︑聖人命名の画期性を強調する
ことで︑この二つの爽雑物を乗り越えるための足場を提供している︒祖穣は︑儒学の名辞について︑論争の産物と
も漢字の字義とも一線を画された﹁聖人命名の本義﹂を確定するとともに︑それとは異なる多種多様な意味を提示
することによって︑儒学的名辞のもつ含蓄を自在に操るための基礎を作り出す︒古文辞学的概念構成とはそのよう
なものであると考えられる︒本稿ではぺその具体的な様相を︑﹃弁道﹄﹃弁名﹄に即して検討する︒
﹃弁道﹄﹃弁名﹄は狙棟学の一つの達成であり︑とりわけ﹃弁名﹄は︑祖稼学辞典・祖練学用語集のように扱われ
ることが多い︒﹃弁名﹄を︑朱子学の立場に立つ﹃北渓字義︵性理字義︶﹄︑伊藤仁斎の﹃語孟字義﹄と同類の祖棟
学定義集と見なし︑儒学的概念の狙棟学的な解釈を説明するために適宜引用するというのが︑その一般的な利用法
であろう︒ これに対して︑﹃弁道﹄﹃弁名﹄に書かれているのは﹁概念規定﹂ではない︑という見解も見られるが︑本稿は︑
﹃弁道﹄﹃弁名﹄がある種の辞書であることは否定しない︒祖棟学の核心にあたる﹁聖人命名の本義﹂が示されてい
るという意味で︑祖棟学の概念規定が書かれていることを否定する必要はないように思われる︒しかし︑確かに奇
妙な辞書ではある︒﹃弁道﹄﹃弁名﹄には︑様々な名辞の用例・用法が︑古文辞のテキストから豊富に引用されてい
るにも関わらず︑聖人命名の本義は必ずしもそこから帰納的に導かれたものではない︒それどころか︑聖人命名の
本義とは無関係に用例・用法が提示されている場合も多い︒つまり︑﹃弁道﹄﹃弁名﹄が提示する各名辞の様々な用
例・用法は︑聖人命名の本義を帰納的に導出するためのものでもなければ︑聖人命名の本義からの派生義として各
名辞の緊密な意味の体系を構成するためのものでもなく︑言葉の意味の多様性を示すこと自体に一つの主眼がある
ようにすら見えるのである︒したがって︑﹃弁道﹄﹃弁名﹄を単純に﹁祖棟学辞典﹂として扱うのは無理がある︒そ
こで︑﹁古文辞学的概念構成﹂という観点に立つ本稿は︑﹃弁道﹄﹃弁名﹄をある種の辞書として認めつつも︑狙棟
学の辞書として祖棟学の再構成のために利用するのではなく︑辞書としてどのように構成されているのかを問うこ
とにしたい︒
古文辞学と狙棟学−荻生祖株﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八ー二︶ 五〇一
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祖棟は聖人命名の本義さえ分かればよしとはしない︒古文辞学的な観点からすれば︑それでは儒学の概念は却っ
て﹁含蓄﹂を喪失するであろう︒﹃訳文答蹄﹄﹁題言十則﹂第十則によれば︑﹁含蓄﹂ある古文辞は︑後世流のコ
条の路径﹂を見るだけの読み方では読めない︒古文辞の含みうる多様な﹁含蓄﹂︵﹁数十の路径﹂﹁数十の義趣﹂︶を
見通しつつ︑最終的には一つの道筋をつける︵﹁一路に帰宿す﹂︶必要がある︒そのためには︑﹁幾多の義理﹂を心
に保持しながら乱れのないようにしなければならないのである︵全集ニー享・したがって・﹁六経﹂を読むため
には︑儒学の概念の︑聖人命名の本義に止まらない多彩な﹁含蓄﹂を確保するとともに︑様々な含意を区別し使い
分ける能力を身につけることが肝要になるであろう︒
古文辞学を導入した祖棟は︑﹁六経﹂の不可知の領域の広がりを前提に︑﹁六経﹂の含み持つ多様な﹁含蓄﹂を
﹁思慮﹂を働かせて見極め︑﹁六経﹂に対して自在な断章取義を施した︒﹁六経﹂との格闘を経て﹃弁道﹄﹃弁名﹄に
結実する﹁疽棟学﹂は︑その概念構成自体が古文辞学の方法に適うものとなっているのである︒以下︑﹃弁道﹄﹃弁
名﹄に即して︑﹁古文辞学的概念構成﹂を具体的に検討していく︒﹁経典解釈の方法としての古文辞学﹂の一端が明
らかになるであろう︒
︽本論一︾﹃弁道﹄の概念構成
﹃弁道﹄冒頭の文章は︑古文辞学的概念構成の端的な表現になっている︒
道は知り難く︑また言ひ難し︒その大なるがための故なり︒後世の儒者は︑おのおの見る所を道とす︒みな一
端なり︒それ道は︑先王の道なり︒思・孟よりしてのち︑降りて儒家者流となり︑すなはち始めて百家と衡を
争ふ︒みつから小にすと謂ふべきのみ︒︵﹃弁道﹄1︑一〇頁.二〇〇頁︶
人知を超えた﹁道﹂の﹁大﹂きさが指摘されるとともに︑人知の限界に無自覚な者たちが︑各人の認識能力によつ
て知りえた﹁道﹂の=端﹂に過ぎないものを﹁道﹂と呼んでいることが批判される︒﹁道﹂は︑常人とは隔絶し
た能力をもつ先王が立てた﹁道﹂なのであって︑﹁道﹂の不可知性と己の認識能力の限界を自覚したうえで︑大い
なる﹁道﹂の﹁一端﹂を=端﹂として取り扱わなければ︑﹁道﹂の含蓄は失われ︑﹁小﹂さくなってしまうのであ
る︒
しかしながら︑﹁先王の道﹂はどのような意味で﹁大﹂なのであろうか︒﹁孔子の道は︑先王の道なり︒先王の道
は︑天下を安んずるの道なり﹂︵﹃弁道﹄2︑一二頁・二〇〇頁︶という表現は︑一見極めて限定的なものに見える︒
しかし︑﹁六経はすなはち先王の道なり﹂︵同上︶と﹁六経﹂と関連づけられることで︑その﹁大﹂が示唆される︒ なつ 大いなる﹁道﹂の含蓄は︑﹁道なる者は統名なり︒礼楽刑政凡そ先王の建つる所の者を挙げて︑合せてこれに命
くるなり﹂︵﹃弁道﹄3︑一三頁・二〇一頁︶という概念規定において具体化される︒﹁道﹂とは先王の制作した多種
多様な礼楽刑政を含みこんだ﹁統名﹂なのだ︒このことを忘れると︑例えば︑﹃中庸﹄⑳18の﹁天下の達道は五﹂ ユ メ を見て﹁五者以て先王の道を尽くすべし﹂と勘違いしたり︑﹃孟子﹂告子下2の﹁尭舜の道は︑孝弟のみ﹂を見て
﹁発舜の道︑孝弟に尽く﹂と勘違いしたりしてしまう︵同︑一三1一四頁.二〇一頁︶︒これらはいずれも﹁統名﹂た
る﹁道﹂の一局面を表現したに過ぎないのだ︒ ヨ このような﹁先王の道﹂の多彩な含蓄を保証するのは︑﹁先王﹂の﹁聡明容知の徳﹂である︒﹁道﹂とは︑﹁聡明
容知の徳﹂を備えた﹁先王﹂が︑﹁その心力を尽くし︑その知巧を極め﹂て﹁作為﹂したものであり︑しかも︑﹁数
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五〇四 へ 千年を更︑数聖人の心力知巧を更て成る者﹂なのである︵﹃弁道﹄4︑一四頁・二〇一頁︶︒そして︑﹁先王﹂は礼楽
制作のコ端﹂を根拠に﹁聖人﹂と呼ばれるが︑﹁聖﹂は﹁先王の聡明容知の徳﹂の=徳﹂に過ぎず︑﹁先王の徳
は衆美を兼備﹂している︵﹃弁道﹄5︑一五頁・二〇一頁︶︒このように︑含蓄ある﹁道﹂を制作した﹁先王﹂﹁聖人﹂
概念についても﹁含蓄﹂が確保されているのである︒
このような﹁道﹂の含蓄あるあり方は︑﹁文﹂としても示される︒﹁古者は道これを文と謂ふ︒礼楽の謂ひなり︒
あひまじ
物相雑るを文と日ふ︒あに一言の能く尽くす所ならんや﹂︵﹃弁道﹄η︑二六ー二七頁・二〇五頁︶︒しかしながら︑こ
のような多彩で言葉では言い尽くすことのできない﹁道﹂を前に︑我々はどう対処すればいいのだろうか︒
﹁道﹂の多彩な含蓄に溺れないためには︑まずその根本を押さえなければならない︒ここで重要な位置づけを与
えられるのが﹁仁﹂である︒
孔門の教へは︑仁を至大となす︒何となれば︑能く先王の道を挙げてこれを体する者は仁なればなり︒先王の
道は︑天下を安んずるの道なり︒その道は多端なりといへども︑要は天下を安んずるに帰す︒︵﹃弁道﹄7・一
七頁・二〇二頁︶
要するに︑先に挙げた﹁道﹂の一見極めて限定的な表現に帰るのであるが︑﹁道﹂の﹁多端﹂さに目を奪われて︑
﹁道﹂の本来の目的である﹁天下を安んずる﹂ことから離れてしまっては意味がないのである︒そして︑﹁先王の
道﹂を学ぶ者は︑この根本を押さえた上で︑各人の能力や性質に見合ったコ端﹂を得ることに勉める︒
士︑先王の道を学びて以て徳を我に成さんと欲するに︑しかも先王の道もまた多端なり︒人の性もまた多類な
り︒いやしくも能く︑先王の道︑要は天下を安んずるに帰することを識りて︑力を仁に用ひば︑すなはち人お
のおのその性の近き所に随ひて︑以て道の一端を得ん︒︵同︑一八頁・二〇二頁︶
ここでは︑﹁道﹂の﹁多端﹂と﹁人の性﹂の﹁多類﹂とが対応している︒朱子学的な﹁本然の性﹂が万人共通であ
るのと異なって︑人の﹁性﹂の多様な含蓄が確保されていることが重要である︒そして︑﹁先王の道﹂を学んで各
人の﹁性﹂に相応しい﹁徳﹂を完成させた者は︑今度は﹁天下を安んずるの用﹂を果たす︵同上︶︒このように︑ ︵2︶ 多様な人材は︑﹁道﹂を学ぶことによって﹁道﹂を支えることとなり︑いわば﹁道﹂の含蓄となるのである︒
そして︑=端﹂はあくまでもコ端﹂に過ぎないことの自覚を失ってはならない︒そもそも﹁先王・孔子の時﹂ ︵3︶ にはコ言以て道を尽くすことを求め﹂ることなどなかったのである︵﹃弁道﹄8︑二〇頁.二〇三頁︶︒そして︑
コ端﹂に過ぎないのは︑﹁道﹂の根幹に関わる﹁仁﹂の場合も同様である︒したがって︑例えば﹁先王の道︑仁以 くま てこれに尚ふることなきを見ることあり︑つひに仁は以て一切を尽くすに足ると謂ふ﹂墨子は厳しく批判される︒
確かに﹁仁﹂は﹁聖人の大徳﹂ではある︒しかし︑やはりあくまでも=徳﹂なのだ︵﹃弁道﹄7︑一八−一九頁.
二〇二頁︶︒
祖裸は︑一方で﹁仁﹂が﹁道﹂と同一視されて﹁道﹂の多彩な含蓄が見失われることを恐れつつ︑他方で﹁仁﹂ ︵4︶ が﹁道﹂との関連づけを失って倭小化されることをも恐れ︑執拗にこの問題を取り上げる︒例えば﹁愛を以て仁を
語る﹂だけでは﹁仁﹂は倭小化されてしまう︒いくら﹁人を愛するの心﹂があっても﹁天下を安んずる﹂のでなけ
れば﹁仁﹂とは言えないからだ︵同︑一八頁・二〇二頁︶︒しかし︑また逆に︑ いう 先王の道は多端なり︒しばらくその尤なる者を挙げてこれを言はば︑政は暴を禁じ︑兵刑は人を殺す︒これを
仁と謂ひて可ならんや︒然れども要は天下を安んずるに帰するのみ︒︵同︑一九頁.二〇三頁︶
﹁先王の道﹂は﹁仁﹂では尽くされないどころか︑およそ﹁仁﹂とは言えないようなものもある︒しかしそれもま
た﹁天下を安んずる﹂という根本に帰されるのである︒さらに︑
@古文辞学と纂学−荻生狙裸﹃弁道三弁名﹄の古竜学的概念構成﹁三 ︵都法四+八︑二︶五︒五
五〇六
先王の教へは多端なり︒智はおのつから智︑勇はおのつから勇︑義はおのつから義︑仁はおのつから仁にし
て︑あに混合すべけんや︒然れゼも必ず天下を安んずるの道と相惇らずして︑しかるのちこれを智・勇と義
と︑と謂はんのみ︒︵同上︶
このように︑﹁多端﹂のコ端﹂はそれぞれ区別されなければならない︒これらは﹁天下を安んずる道﹂の下に統
括されるが︑それぞれ別個のものなのである︒﹁性の徳は多端﹂であり人それぞれ異なるが︑﹁仁に依る﹂ことで
﹁天下を安んずる﹂ことができる︒逆に言えば︑﹁仁﹂のみで一切を尽くすことも到底できないのであり︑この無理 ゆ を冒すために﹁跳びて理に之かざるを得﹂なくなるのである︵同︑一九−二〇頁・二〇三頁︶︒
ここに見られるのは︑﹁道﹂の多様な含蓄を確保し︑その多様な含蓄を可能な限り区別し︑適切な仕方で含蓄の
=端﹂を使い分けるという発想である︒単に含蓄を確保するだけではなく︑含蓄を適切に区別し使い分けるとい
う点が重要であって︑そのような発想は︑例えば﹁先王の四術﹂である﹁詩書礼楽﹂の区別となって現れる︒
祖禄によれば︑﹁先王の道﹂は古には﹁道術﹂と言い︑﹁後儒﹂は﹁術の字﹂を忌避するけれども︑﹁先王の治は︑
天下の人をして日に善に遷りてみつから知らざらしめ︑その教へもまた学者をして日にその知を開き月にその徳を
成してみつから知らざらしむる﹂ものであって・これが﹁術﹂なのである︵﹃弁道﹄2・・二八−二九頁二︒⊥鎚︶・
そして︑°
先王の四術は︑詩書礼楽にして︑これ︑三代の︑士を造りし所以なり︒孔氏の伝ふる所はこれのみ︒然れども
其の以て教へとなす所の者は︑経ごとにおのおの殊なり︒後儒はすなはち一概の説を以てこれを解す︒すなは
ち癸ぞ四を以てなさんや︒︵﹃弁道﹂22︑三〇頁・二〇六頁︶
四つはそれぞれ異なるのであって︑コ概﹂していっしょくたにしてしまっては四つに分けた意味がないと言う︒
この四つは︑まず﹁詩書﹂は﹁義の府﹂︑﹁礼楽﹂は﹁徳の則﹂として二つに分けられ︑更にそれぞれの働きが区別
されるのである︒
ここで特に注意したいのは藷書Lの区別頴罷・﹁詩﹂と﹁書﹂は異なるのだから異なる読み方をしなければ
ならない︒ところが︑後世には両者を混同して︑﹁書を読むの法を以てして詩を読み︑これ勧善懲悪の設けなりと
謂ふ﹂ことになってしまったと言う︒しかし︑﹁書﹂が﹁先王の大訓.大法﹂﹁聖人の言﹂であり︑﹁後王.君子の
尊信する所︑学者の請読する所にして︑先王の天下を安んずるの道はこれに具れり﹂とされるようないわば政治的
なものであるのに対ピ・﹁詩﹂は訓戒の圭日Lではない・孔子が﹁詩三百﹂を融るは︑辞に取るのみLであり︑
﹁学者これを学ぶも︑また以て辞を修むるのみ﹂なのであって︑大切なのは言葉である︒そして︑それぞれの﹁詩﹂
に付された﹁詩序﹂は﹁古人一時その意を以て詩を解するの言﹂に過ぎず︑﹁詩はもと定義なし﹂であって︑﹁何ぞ
必ずしも序の言ふ所を守りて以て不易の説となさんや﹂︒したがって︑﹁その義たる︑典要とならざるも︑美刺みな
得︑ただ意の取る所のままなり︒引きてこれを伸し︑類に触れてこれを長ぜば︑窮り已むことあることなし﹂︵﹃弁
道﹄22︑三〇1三二頁・二〇六−二〇七頁︶︒ここでは﹁詩﹂の自由な断章取義が︑﹁先王の四術﹂の一環として正当 ︵8︶ 化され︑奨励されているのである︒
このように︑﹃弁道﹄は︑﹁道﹂を起点として︑諸事象がもつ多様な含蓄を適切に区別し︑切り分け︑必要に応じ
て自在に使いこなすような形で儒学の諸名辞を再構成しようとする︒そして︑このような作業を行うことは︑同時
に︑このような概念構成を阻む立場を解体することでもある︒例えば狙棟は︑周濠渓の﹃易経﹄の誤読を︑次のよ
うに批判する︒ まじま 後世の︑精を貴び粗を賎しむの見は︑濠渓に賄る︒濠渓はすなはち易の道.器の言に淵源す︒殊に知らず︑道
古文辞学と祖棟学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵一︶ ︵都法四十八ー二︶ 五〇七
五〇八
は易道を謂ふなり︑形は奇遇の象を謂ふなり︑器は制器を謂ふなり︑易はおのつからト笠の書にして︑官経と
一視すべからざることを︒︵﹃弁道﹄3︑一三頁・二〇一頁︶
﹃易経﹄繋辞上伝12の﹁形而上者謂之道︑形而下者謂之器﹂の﹁道﹂は﹁易道﹂を指すにもかかわらず︑周濠渓
は﹁道﹂一般と読み誤ったのである︒しかし︑祖穣が﹁易﹂の特殊性を強調し︑他の経典と区別すべきことを主張
するところを見ると︑﹁易﹂の読み方を誤ったというよりは使い方を誤ったという批判として捉えるべきかもしれ
ない︒狙裸は︑﹃弁名﹂においても﹁易﹂をしきりに他から区別し︑区別した上で存分に使おうとする︒ここにも︑
﹁道﹂の多様な含蓄を切り分けて利用するという発想が現れている︒混同されては自在な利用ができなくなるので
ある︑
また︑ここで周濾渓は﹁精を貴び粗を賎しむの見﹂の元祖として批判されているが︑ここに典型的に見られる朱
子学的な発想は︑儒学の諸概念を様々なレベルで区別し︑関連づけ︑体系化を図るものであって︑これを︑概念の
含蓄を操作するための手続きと見ることもできるかもしれない︒しかし︑これは古文辞学的概念構成とは異なり︑
含蓄を損なうものである︒祖棟によれば︑こういった発想は﹁ただ内を重んじ外を軽んじ︑精を貴び粗を賎しみ︑
簡を貴び要を貴び︑明白を貴び斉整を貴ぶのみ﹂であって︑これによって﹁先王の道﹂は﹁衰颯枯稿﹂し︑﹁粛殺
の気﹂が﹁宇宙に塞﹂り︑﹁その究は必ず戎荻の道に馴致してしかるのち已む﹂のである︵﹃弁道﹄17︑二七頁・二〇
五頁︶︒
︐ 祖棟は︑万物の﹁理﹂を一つ一つ分析的に追究していこうとする朱子学的な﹁窮理﹂を︑含蓄を破壊するものと
見なす︒﹁先王の道は︑その大なる者を立つれば︑小なる者おのつから至る﹂のであるが︑﹁後人の不賢なるは︑た はか だ小のみをこれ見る︒鉄錬にしてこれを称れば︑石に至りては必ず差ひ︑寸寸にしてこれを度れば︑丈に至りては
必ず過つ﹂︑一センチの物差しでは一メートルの長さを正確に測れないのと同じように︑分析を細かく積み上げる
さ さ 方法ではかえって大きなものを見失う︒﹁その論︑務めて精微の極を窮めんと欲し︑蚕糸を析き︑牛毛を剖けども︑ ︵9︶ その大なる者すでにまつこれを失へることを知らざるなり﹂︵﹃弁道﹄11︑二二頁・二〇四頁︶︒
そして︑こうした朱子学的発想の根底にあるのは︑人知の限界を自覚しない不遜な態度である︒﹁後世の儒者は︑
知を尚び︑理を窮むるを務めて︑先王・孔子の道壊れぬ﹂︵﹃弁道﹄別︑三〇頁・二〇六頁︶︒﹁天﹂の如き不可知の領
域をも認識しようとする態度が﹁道﹂を破壊してきたのである︒しかし︑﹁理はあに窮めてこれを尽くすべけんや﹂
︵同上︶︒人知には限界があるのであって︑﹁聖人はいまだかつて知を以て教へとなさず﹂︑﹃論語﹄でも﹁知を好む﹂
を教えとはしていないのである︵﹃弁道﹄8︑二〇1二一頁・二〇三頁︶︒
﹁道﹂の﹁大﹂と人知の限界を説くことから﹃弁道﹂の筆を起こした祖棟は︑最後に改めて人知の限界を確認す
る︒
六経残欠す︒たとひそれ完存すとも︑また古時の言なり︒いつくんぞ能く一一その義の謬らざるを得んや︒故
に後の六経を解する者は︑みな牽強のみ︒大氏︑後儒は一物識らざるを以て恥となす︒殊に知らず︑古のいは
ゆる知なる者は︑仁を知るを貴びしことを︒孔子はいまだかつて知を好むを以て教へとなさず︒︵﹃弁道﹄宏︑
︐ 三五頁・二〇八頁︶
狙裸は︑﹁道﹂を知るための手掛かりである﹁六経﹂の不完全性と不可知性を宣言することで﹁六経﹂の含蓄と操
作可能性を確保しつつ︑学者を古文辞の学へと誘う︒そして︑厳しく批判してきた﹁宋儒﹂をはじめとする﹁諸家
の説﹂や﹁老・仏の言﹂までも﹁みな吾が助けとなるに足る﹂と述べ︵同︑三六頁・二〇八頁︶︑儒学の諸名辞のあ ︵10∀ らゆる含蓄を確保することを表明して筆を欄くのである︒
古文辞学と祖棟学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十入ー二︶ 五〇九
五一〇
以上のように︑﹃弁道﹄の祖棟は︑あらゆるレベルで幾重にも﹁道﹂の含蓄を確保しつつ︑諸概念の含蓄を弁別
しながら︑儒学的概念を再構成していく︒このような概念構成は古文辞学の方法と合致するものであり︑その意味
で︑﹁古文辞学的概念構成﹂と表現できるのである︒
︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成
次に﹃弁名﹂を見よう︒﹃弁名﹄では多種多様な名辞が扱われ︑﹃弁道﹄では﹁道﹂を中核とするいくつかの概念
に止まっていた﹁古文辞学的概念構成﹂の幅が拡張される︒各名辞の記述の仕方においても︑﹁聖人命名の本義﹂
に続けて︑様々な用例・用法が検討される︒これらは︑命名の由来を帰納的に実証するために置かれている場合も
ないわけではないが︑基本的にはそのようなものではなく︑むしろ意味の多様性を示すために置かれている︒一見
すると︑聖人命名の本義と関連のないような用例・用法が列挙され︑しかもそれが緊密な体系を構成するわけでも
ないため︑記述が散漫になっているようにも見える︒朱子学の意を尽くした体系性とは凡そ異なる概念構成であ
る︒しかし︑祖棟の狙いは︑むしろそのような緊密であるが故に融通の利かない体系を解体すると同時に︑聖人命
名の本義を中核としながらもそれとは区別される多様な意義を提示することで︑各概念のもつ含蓄を拡張し︑か
つ︑様々な意味を区別し︑適宜切り取って︑操作可能なものとすることにあると思われる︒以下︑﹃弁名﹄が取り ︵1︶ 上げる三四組の名辞を逐一検討しながら︑具体的に見てゆこう︒
︵1︶道
﹃弁名﹄の道の条は︑冒頭で︑﹃弁道﹄では語られなかった﹁道﹂の命名の由来を語っている︒
道なる者は統名なり︒由る所あるを以てこれを言ふ︒けだし古先聖王の立つる所にして︑天下後世の人をして
これに由りて以て行はしめ︑しかうして己もまたこれに由りて以て行ふなり︒これを人の道路に由りて以て行
たと くに辟ふ︒故にこれを道と謂ふ︒孝悌仁義より︑以て礼楽刑政に至るまで︑合せて以てこれに名つく︒故に統
名と日ふなり︒︵﹃弁名﹄道1︑四一頁・二一〇頁︶
そして︑﹁道﹂の多様な用例・用法が︑﹁由る所ある﹂﹁人の道路に由りて以て行くに辟ふ﹂という﹁道﹂の命名の
由来と関連づけて示される︒
まず︑﹁先王の道﹂﹁聖人の道﹂﹁君子の道﹂﹁孔子の道﹂﹁儒者の道﹂が列挙される︒これらは︑﹁その実は一な
り﹂とされる一方で︑﹁然れども先王は代ごとに殊なり︒故に先王の道と日ふ者は︑夏は夏を以てし︑商は商を以
てし︑周は周を以てす︒みなその代に在るの辞なり︒孔子と称して以て官人に別ち︑儒者と称して以て百家に別
つ︒対あればここに小なり︒故に君子は時ありてかこれを言ふ︒恒言に非ざるなり﹂ともされる︵同︑四一1四二
頁・二一〇頁︶︒修飾語句がつくと他と区別することになるため︑無限定の﹁道﹂と比べると含蓄は﹁小﹂さくなる
のだ︒このように︑祖裸は︑多様な表現をとる﹁道﹂を︑﹁道﹂の中に統合しつつ︑同時に区別もする︒統合と区
別を同時に行う点が重要であって︑含蓄を確保すると同時に類似の表現の使い分けを指摘することによって︑含蓄
が利用できるように概念を構成していくのである︒﹁夏の道﹂﹁段の道﹂﹁周の道﹂に関連して︑﹁けだし道なる者
は︑尭舜の立つる所にして︑万世これに因る﹂という普遍的側面と︑﹁然れどもまた︑時に随ひて変易する者あり︒
故に一代の聖人は︑更定する所あり︑立てて以て道となし︑しかうして一代の君臣これに由りて以て行ふ﹂という
古文辞学と祖裸学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹂の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八ー二︶ 五=
●
五一二
相対的側面とに言及するのも︑統合と区別を同時に行うものと言える︒これによって︑先王の道に優劣を付けて ︵2︶ ﹁万世不易の制﹂を妄想する議論を否定するのである︵﹃弁名﹄道2︑四四−四五頁・二二頁︶︒
こうして既存の﹁道﹂の論とは異なる独自の﹁道﹂の論を展開してきた祖棟は︑ここで議論を転じる︒﹁先王の
道﹂について詳細に議論を展開するのではなく︑様々な﹁道﹂の用例・用法を取り上げていくのである︒まず︑
﹁天の道﹂と﹁地の道﹂︒これらは︑﹁静かにしてこれを観れば︑またその由る所の者あるに似たり︒故にこれを天
道と謂ふ﹂︑﹁徐うにしてこれを察せば︑またその由る所の者あるに似たり︒故にこれを地道と謂ふ﹂という形で
﹁道﹂の命名の由来に関連づけられてはいるが︑先王の道・聖人の道に含まれる訳ではなく︑﹁みな聖人の道あるに
因りて︑借りて以てこれを言ふのみ﹂である︵﹃弁名﹄道3︑四五−四六頁・二二頁︶︒それに続く﹁小人の道長ず﹂
﹁戎狭の道﹂︵﹃弁名﹄道4︑四⊥ハ頁・二二頁︶も﹁先王の道﹂ではなく︑﹁善人の道﹂﹁父の道を改むることなし﹂
も︑﹁必ずしも先王の道ならず︒凡そその意は︑これを以て道となしてこれに由る者﹂である︵﹃弁名﹄道5︑四六
頁二二一頁︶︒このように︑﹁先王の道﹂ではないものを組み込んで﹁道﹂概念を構成するのは︑﹁先王の道﹂とは
異なる意味の﹁道﹂の用例は経典中にも多々あるのであって︑それらの用例・用法と区別できなくては︑聖人が制
作した﹁道﹂という概念が理解できなくなるからであろう︒そして同時に︑﹁道﹂の含蓄を拡張し︑それに習熟す
ることで︑﹁道﹂という言葉を自在に使いこなすことをも目指しているのだと考えられる︒
以下︑﹃弁名﹄道12まで﹁道﹂の用例・用法研究が続く︒﹁先王の道﹂に関わる用例・用法も扱われるが︑﹁先王
の道﹂の概念そのものが追究されることはないまま﹁道﹂の項は終わる︒﹃弁名﹄道9では︑﹁有道の士﹂を﹁身に
道芸あるを以てこれを言ふ﹂と定義し︑﹁先王の道は外に在り︒六芸もまた先王の道なり︒故に古は︑道・芸を以
て並べ称す︒大小の分のみ︒その人徳ありといへども︑然れども先王の道を知らずんば︑すなはち有道の士と称す
ることを得ず︒後世︑道・徳の名混ぜり﹂として︑道と芸との関連づけを図る一方︑道と徳とを区別する︵四七
頁・二二頁︶︒﹃弁名﹄道Hでは︑﹁道﹂のいくつかの用例を挙げ︑﹁術﹂のこととし︑﹁術なる者は︑これに由りて
以て行はば︑自然にしてその至るを覚えざるを謂ふなり︒﹁民はこれに由らしむべし﹂のごときは︑この意あり︒
けだし先王の道は︑みな術なり︒これもまたただその別を以てこれを言ふ﹂とする︵四七頁・二=頁︶︒﹁これに
由りて以て行はば﹂と︑﹁道﹂の命名の由来と重ね合わせながら﹁道﹂と﹁術﹂との関連づけを図ると同時に︑﹁そ ︵3︶ の別を以てこれを言ふ﹂と区別もする︒これらも︑﹁道﹂の含蓄を拡張するとともに︑様々な用法を区別すること
で︑聖人の制作した﹁道﹂概念を擁護しつつ︑含蓄の利用を図るものである︒
このような論の展開の仕方は︑﹃北渓字義﹄や﹃語孟字義﹄と大きく異なる︒両者は自己の﹁道﹂の論を詳細に
展開し︑自己と異なる見解を反駁しながらますます自己の立場を明確にし︑概念を磨き上げていく︒しかし︑これ
は祖裸の古文辞学の立場からすれば︑概念の綾小化であり︑含蓄の喪失に他ならないであろう︒
もちろん︑祖禄も自己の立場と異なる見解を厳しく批判する︒しかし︑それはむしろ含蓄の確保につながる︒な
ぜなら︑祖裸は﹁道﹂の含蓄を喪失させるような議論を解体することを怠らないからである︒﹁道なる者は当行の
理﹂とする見解を﹁これ何ぞ以て道を尽くすに足らんや﹂と批判し︑﹃論語﹄の﹁吾が道は一以てこれを貫く﹂を︑
﹁何を以てこれを貫くかを言はず︒その言ふべからざるを以てなり﹂と解釈し︑﹁もし道をして一言に瞭然たらしめ
ば︑すなはち先王・孔子すでにこれを言ひしならん︒万万この理なし︒あに妄の甚だしきならずや﹂︵﹃弁名﹄道1︑
四ニー四三頁・二一〇頁︶として︑朱子学的な﹁理﹂に基づく﹁道﹂の定義を︑﹁道﹂の含蓄を喪失させるものとし
︵4︶
て批判する︒あるいは︑仁斎の﹁易の大伝の一陰一陽に拠りて︑往来する所以を以て﹂道を解する立場を批判し︑
﹁殊に知らず︑いはゆる一陰一陽なる者はもと易道を語れることを﹂として︑﹃弁道﹄の場合と同様︑﹁道﹂と﹁易
古文辞学と祖棟学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八ー二︶ 五二二
五一四
道﹂との切り離しを図り︑﹁何を以て先王の道を尽くさんや﹂﹁聖人の言ふこと能はざる所の者を以て一言に瞭然た ︵5︶ らしめんと欲す﹂と批判する︵﹃弁名﹄道1︑四三−四四頁・二一〇頁︶︒﹁道﹂の不可知性を主張して既存の﹁道﹂の ︵6︶ 論を批判しながら︑﹁道﹂の含蓄を確保するのである︒
以上のように︑﹁道﹂の中核にある聖人が制作した道から始まって︑それとほぼ同じであるけれども多様な表現
をとる道︑先王の道と何らかの形で関連する道︑さらには関係ない道まで︑幅広く道の用例・用法を取り上げ︑
誤った議論を批判する︒これによって︑一方では︑現実にある﹁道﹂の多様な用例・用法の中に﹁先王の道﹂が埋
没することを防ぎ︑﹁道﹂は聖人の制作によるのだという道の中核概念を救い出す︒他方では︑﹃弁道﹄で詳しく論
じられたような﹁先王の道﹂の含蓄だけでなく︑その外に広がる多様な道にまで道の含蓄を広げ︑それぞれをきち
んと区別して混乱させないようにする︒一見拡散して見える﹃弁名﹄の﹁道﹂の議論は︑実は多様な﹁道﹂の含意 ︵7︶ を﹁弁﹂別し︑様々な用例に習熟し︑使いこなすためのものであり︑古文辞学的概念構成が﹃弁道﹄に比べてより
用意周到なものになっていると言えるのである︒
︵2︶徳
﹁徳﹂の概念は︑まず︑﹁徳なる者は得なり﹂という字音の共通性に基づく字義解釈によって示される︒続けて︑
﹁得﹂との連関で︑﹁人おのおの道に得る所あるを謂ふなり︒或いはこれを性に得︑或いはこれを学に得﹂と展開さ
れる︵﹃弁名﹄徳1︑四八頁・二一二頁︶︒字義と聖人の命名とはどのような関係になっているのだろうか︒
このような字音に基づく字義解釈は︑文字学的な見地からのみならず︑経典上でもよく行われる︒﹃論語﹄顔淵
17 フ孔子の言葉︑﹁政は正なり﹂などはよく知られた例であろう︒﹁徳﹂と﹁得﹂とを結びつける解釈も︑祖棟自身
指摘するように︑﹃礼記﹄楽記や郷飲酒義に見える︒祖棟が批判する朱烹の解釈も同様で︑﹃論語集注﹄為政1に ︵8︶ ﹁徳の言たる得なり︑道を行ひて心に得ること有るなり﹂︵徳之為言得也︑行道而有得於心也︶とある︒このような音
義説的な発想を否定するのは仁斎の﹃語孟字義﹄である︒仁斎は︑﹁徳﹂や﹁仁義礼智﹂は︵﹁訓ずること能はざ
る﹂ものではなく︶﹁訓ずべからざる﹂ものとする︒なぜならば︑﹁学者の常に識る所にして︑字訓の能く尽くす所
に非ず﹂だからである︒そして︑朱子の﹁徳とは得なり︒道を行ふて心に得ること有り﹂を﹃礼記﹄に基づくと
し︑﹃礼記﹄の﹁徳とは得なり﹂を批判して︑これは︑﹁仁は人なり﹂﹁義は宜なり﹂﹁天は顛なり﹂﹁地は示なり﹂
と同様のもので︑﹁皆音近き者を仮つて︑以て其の義を発す︒本正訓に非ず﹂とするのである︵﹃語孟字義﹄徳2︶︒
これは︑祖徳は聖人の命名を忘れて字義に拘束され︑仁斎は字義からより自由になっているものと見るべきであろ
︵9︑︶°
︑つ・刀
そうではあるまい︒仁斎が言うように︑﹁字訓﹂がこれらの概念を尽くすことができないのは確かであろう︒だ
からこそ︑祖裸も︑一旦は﹁徳﹂を﹁得﹂と解釈したうえで︑﹁得﹂を展開させるのである︒そのポイントは﹁お
のおの﹂という個別性にあるだろう︒﹃弁名﹄の議論はさらに次のように展開する︒
みな性を以て殊なり︒性は人人殊なり︒故に徳もまた人人殊なり︒それ道は大なり︒聖人に非ざるよりは︑い
つくんぞ能く身道の大なるに合せんや︒故に先王︑徳の名を立てて︑学者をしておのおのその性の近き所を以
て︑拠りてこれを守り︑脩めてこれを崇くせしむ︒︵﹃弁名﹄徳−︑四八頁.二一二頁︶
各人は各人の﹁性﹂に応じた﹁徳﹂を獲得するのであるが︑各人がそれぞれに身につけるべき様々な﹁徳﹂の
﹁名﹂は︑聖人が﹁立て﹂たのである︒そもそも一人の人間があらゆる徳︵﹁衆徳﹂︶を身につけることは想定でき
ない︒﹁これ上古の聖人︑徳の名を立てて以て人を教へし所以なり﹂︵同︑四九頁・二一二頁︶︒字義からスタートし
古文辞学と祖裸学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八−二︶ 五一五
五一六
た﹁徳﹂は︑ここに聖人の命名が刻印されることになるのである︒
このように︑﹁徳﹂の個別性の重視は﹁徳﹂の全体性の否定と連動している︒コ徳﹂を完成させれば﹁成人﹂
(「 ソを成したる﹂人︶と呼ぶに十分であり︑﹁衆徳﹂を兼ねる必要はない︵同上︶︒これは﹁徳﹂の倭小化にも見え
るが︑そうではない︒﹁徳﹂の多様な含蓄を個別化し︑それぞれ﹁名﹂を立て︑各人が各人の﹁性﹂に応じて身に
つけるべき徳目を明らかにすることによって︑﹁徳﹂の含蓄の有効な運用を図るのである︒﹁徳﹂の﹁名﹂の個別化
が行われなければ︑各自の﹁性﹂に見合った﹁徳﹂が分からないから︑﹁徳を成す﹂こともできないであ玩迦︒ ︵11︶ ﹁徳﹂の個別化の有効性はこれに止まらない︒祖穣は︑﹁徳を以てす﹂﹁徳を尚ぶ﹂﹁徳を知る﹂﹁徳孤ならず﹂﹁徳
を懐ふ﹂﹁徳を好む﹂﹁徳を乱る﹂の﹁徳﹂を︑﹁みな有徳の人を指すなり﹂とする︵﹃弁名﹄徳2︑五一頁・二一ニー
二一三頁︶︒﹁徳﹂の一語だけで﹁有徳の人﹂を意味する場合があるということによって﹁徳﹂の含蓄が拡大される
とともに︑﹁徳﹂が個別化されているので﹁有徳の人﹂の含蓄も広がる︒つまり︑同じく﹁有徳の人﹂であっても︑
身につけている﹁徳﹂は各人で異なるから︑多様な﹁有徳の人﹂が存在することになる︒したがって︑﹁徳﹂の個
別化によってかえって多様な人材が得られることになり︑政治を行う人の総体としては豊かな含蓄が確保されるの
︵21︶
である︒
﹁徳﹂の個別化は︑﹁至徳﹂の解釈の際にも巧妙に生かされる︒まず﹁至徳なる者は︑徳の至れる者を謂ふなり﹂
という単純な定義が下され︵﹃弁名﹄徳5︑五一頁・二一三頁︶︑その用例が挙げられている︒﹁至徳﹂を﹁徳の至れる
者﹂とするのでは何の説明にもなっていないように見えるが︑この単純な定義は含蓄に富んでいる︒なぜならば︑
﹁徳﹂が個別化されているために︑﹁恭﹂﹁譲﹂という個別の﹁徳﹂が﹁至れる者﹂であることを指して︑﹁至徳﹂と
言うことが可能となるからである︒一方で祖裸は︑﹃周礼﹄地官・師氏の﹁至徳﹂を﹁聖人の徳︑万世の標準たる
を謂ふ﹂とする︵同︑五一−五二頁・二一三頁︶︒これはいかにも﹁至徳﹂の定義に相応しく見えるが︑含蓄に乏し
く使い勝手が悪い︒祖棟は︑これを﹁至徳﹂の定義ではなく一つの用例として扱い︑﹁徳の至れる者﹂という単純
な定義によって﹁徳﹂の個別性を生かすことで︑﹁至徳﹂の含蓄を確保しているのである︒
また︑﹃弁名﹄徳2以下は﹁徳﹂の用例・用法研究になっており︑徳3では﹁恩恵﹂を意味する﹁徳﹂が取り上 お げられる︒この説そのものは特異なものではなく︑朱蕪とも一致するが︑概念の中核とは全く関係のない﹁徳﹂に
言及するのが︑﹃北渓字義﹄や﹃語孟字義﹄と異なる点である︒また︑﹁至徳﹂の他に︑﹁達徳﹂﹁明徳﹂という修飾
語付きの﹁徳﹂の用例・用法も取り上げられている︒﹃北渓字義﹄が徳2で﹁明徳﹂﹁達徳﹂﹁酪徳﹂﹁徳性﹂﹁天徳﹂
を論じるのと似ているが︑﹃北渓字義﹄ではこれらの概念は全て﹁徳﹂の本義的な意味と関連づけられて体系的に
説明されるのに対し︑﹃弁名﹄では聖人命名の本義と関連づけられてはいない︒また︑﹃弁名﹄は﹃春秋左氏伝﹄か
ら﹁明徳﹂の用例を大量に引用し︑一見︑実証的に﹁明徳﹂の意味を明らかにしているように見えるが︑それは ひろ ﹁明徳﹂の概念を厳密に定義するためではない︒﹁みな淀く君徳を称するのみ︒必ずしも明の字に拘らず﹂︵﹃弁名﹄
徳6︑五二頁・二一三頁︶︑﹁みな汎く聖人の徳を称するのみ︒必ずしも明の字に拘らず﹂︵同︑五三頁.二一三頁︶と
いう単純で含蓄ある概念構成を行うためであり︑これによって︑朱嘉や仁斎の﹁求むること太だ深き﹂説は解体さ
れるのである︵同上︶︒
︵3︶仁
ここではまず項目の立て方に注目したい︒即ち︑﹃北渓字義﹄が﹁仁義礼智信﹂︑﹃語孟字義﹄が﹁仁義礼智﹂の
項目を立て︑義礼智︵信︶との関係の中で﹁仁﹂を説明していくのに対し︑﹃弁名﹄は﹁仁﹂を独立の項目として
古文辞学と祖裸学−荻生狙棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八ー二︶ 五一七
五一八
立てる︒﹁仁義礼智︵信︶﹂を一括することは︑祖棟の立場からすれば異なる範躊のものを同列に扱うものであっ む て︑概念の混同なのである︒したがって︑﹃弁名﹄が﹁仁﹂﹁義﹂﹁礼﹂﹁智﹂﹁忠信﹂を区別して別項目として立て
るところに︑古文辞学的な概念構成の特徴が現れている︒これによって︑﹁専言の仁﹂﹁偏言の仁﹂といった概念操
作を通じて作り出される朱子学の体系は切断される︒また︑﹃語孟字義﹄は︑﹁仁義礼智﹂について︑﹁学者当に之
を孟子に原づけて其の義理を察して︑而る後之を論語に会して其の全体を求むべし︑則ち藪に余藏無し﹂とし︑朱
子学者を﹁之を孟子に原つくることを知らずして︑而も徒に論語言詞の上に就いて仁義礼智の理を理会する﹂もの
として批判する︵﹃語孟字義﹄仁義礼智2︶︒﹁孟子によって論語を読む﹂という仁斎の古義学の方法の典型的な表現
であるが︑祖棟は︑﹁四端を拡充す﹂などといった﹃孟子﹄の﹁論説の言﹂によって仁義礼智を理解することを厳
しく批判しており︵﹃弁名﹄仁−︑五六頁・二一四頁︶︑古義学の方法が作り出す体系も解体されるので在酷︒
次に﹁仁﹂の概念構成を見ていこう︒﹃弁道﹄でもそうであったように︑﹁仁﹂の取り扱いに狙棟は慎重である︒
﹁大徳﹂である面と=徳﹂である面との両面に配慮するため︑議論は屈折する︒つまり︑﹁仁﹂は﹁人に長となり
民を安んずるの徳﹂︵﹃弁名﹄仁1︑五三頁・二一三頁︶であり︑﹁先王の道﹂と密接に関わるいわば政治的な徳であっ
て︑個人的な倫理ではないから︑その点を示すために﹁大徳﹂であることを強調するが︑﹁大徳﹂であることを強
調すると︑﹁仁﹂と﹁道﹂とを混同し︑﹁仁﹂を身につければ﹁聖人﹂になれると勘違いし︑他の多様な徳が﹁仁﹂
に塗りつぶされることになりかねないため︑コ徳﹂であることをも強調することになる︒
まず︑﹁人に長となり民を安んずるの徳﹂を﹁これ聖人の大徳なり﹂とする︒聖人は道徳的完成者ではなく︑﹁古
の︑天下に君たる者﹂であり︑﹁君の徳﹂としては﹁仁﹂を至上の者とするのである︒したがって︑﹁後の君子︑聖
人の道を学んで以てその徳を成す者は︑仁を至れりとなす﹂のであり︑﹁君子と命くる所以の者は︑仁を以てなり﹂
ということになる︵﹃弁名﹄仁1︑五三頁・一=三頁︶︒注意しなければならないのは︑﹁聖人の大徳﹂であるものを︑
その﹁君の徳﹂としての側面︑政治を統括する君主の徳としての側面に着目して﹁君子の徳﹂とするのであって︑
﹁仁﹂を身につけると﹁聖人﹂になれるわけではないということである︒﹁聖人なる者は得て学ぶべからず﹂︵同上︶ −
と祖棟は注意を喚起する︒しかし︑﹁仁﹂の重要性ゆえにさまざまな誤解が起こり得るし︑現に起こってきた︒そ
の点に配慮して︑狙棟は周到に議論を積み重ねる︒
けだし聖人の徳は︑備らざるはなし︒何ぞただ仁のみならん︒故に仁なる者は聖人の一徳なり︒然れども聖人
の聖人たる所以の者は︑その天下後世に仁なるを以てなり︒故に仁なる者は聖人の大徳なり︒聖人の道は︑衆
美の会革する所にして︑また何ぞただ仁のみならん︒人の︑聖人の道を学ぶ者は︑徳は性を以て殊なれば︑ま
た何ぞみな仁ならん︒然れども聖人の道は︑要は民を安んずるに帰するのみ︒衆美ありといへども︑みな仁を
輔けてこれを成す所以なり︒︵同︑五三ー五四頁.二一三頁︶
﹁仁﹂は聖人にとってはコ徳﹂に過ぎないが︑同時に﹁大徳﹂でもある︒この両面を把握しなければ︑儒学の概
念の含蓄を扱い損ねることになる︒まず︑コ徳﹂であるとすることによって︑聖人の徳の含蓄を確保し︑﹁聖人の
道﹂が﹁仁﹂では尽くせないことを指摘する︒また︑﹁聖人の道を学ぶ者﹂にとって獲得すべき﹁徳﹂も各人各様
であるとすることで︑﹁仁﹂とそれ以外の﹁徳﹂とを区別し︑コ徳﹂に過ぎない﹁仁﹂が﹁徳﹂を埋め尽くしてし
まうような理解を退ける︒他方で︑﹁仁﹂が﹁大徳﹂でもあるとすることによって︑﹁聖人の道﹂において﹁仁﹂を
中心に﹁衆美﹂が統合されることを指摘し︑政治における﹁仁﹂の役割の重要性を強調する︒したがって︑﹁仁﹂
なくして政治は出来ないが︑﹁仁﹂だけで政治が出来るということもありえないのであり︑この両面をおさえなけ
れば︑政治の﹁含蓄﹂が消滅するであろう︒人の多様な﹁性﹂に応じた多様な﹁徳﹂が﹁仁﹂を中心にしてまとま
古文辞学と祖棟学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八ー二︶ 五一九
五二〇
ることによって︑政治が可能となるのである︒
このように︑﹁道﹂﹁仁﹂﹁性﹂﹁徳﹂といった様々な概念の含蓄を周到に区別しつつ関連づけたうえで︑祖棟は︑
諸概念の含蓄をうまく読み解けない朱子学者を批判する︒最大の問題は︑﹁聖人の道﹂が﹁民を安んずるの道﹂で
あることを知らず︑聖人を道徳的完成者と勘違いしていることにあるのだが︑如上の祖棟の概念構成からして重要
なのは︑朱子学者が︑﹁仁なる者は愛の理︑心の徳なり﹂﹁仁は心の全徳たり﹂とし︑仁と義礼智信との関係につい
て﹁専言の仁﹂﹁偏言の仁﹂なる概念操作を行うことに対し︑祖棟が︑﹁仁以てこれを愛す﹂とは﹁ただその一端を
言ふのみ︒いつくんぞ仁を尽くすを得んや﹂︑﹁いやしくも仁を以て全徳となさば︑あにいはゆる衆徳あらんや﹂と
批判することである︵﹃弁名﹄仁1︑五五−五六頁・二一四頁︶︒祖棟は︑﹁愛﹂に尽きない﹁仁﹂の含蓄を倭小化し︑
﹁大徳﹂を﹁全徳﹂と勘違いし︑﹁衆徳﹂と﹁一徳﹂との関係をつかみ損ね︑概念の含蓄を操作し損ねるものとし
て︑朱子学者の姿を描き出していると考えられるのである︒
また︑﹃論語﹄に記録された︑﹁仁﹂をめぐる孔子と弟子の問答における孔子の答えは︑一見すると﹁仁とは○○
である﹂という﹁仁﹂の概念規定に見える︒しかし︑祖棟は︑﹁仁人を称して仁と日ふ者あり﹂︵﹃弁名﹄仁2︑五七
頁.二一四頁︶︑﹁仁政を称して仁と日ふ者あり﹂︵﹃弁名﹄仁3︑五七頁・二一四頁︶と︑﹁仁﹂を﹁仁人﹂﹁仁政﹂に読
み替えることによって︑孔子の言葉から﹁仁﹂の概念規定を導くことを拒否し︑﹁仁﹂の含蓄が損なわれることを
防ぐと同時に︑﹁仁﹂の含蓄を﹁仁人﹂﹁仁政﹂に広げ醸9・
その﹁仁人﹂自体も︑﹁仁﹂である所以を﹁徳を以てする﹂場合や﹁功を以てする﹂場合があるとすることに
よって︑幅が広げられている︒同時に﹁民を安んずる﹂という点も確保されており︑﹁仁﹂を﹁心﹂に求める宋
儒・仁斎が批判される︵﹃弁名﹄仁2︑五七頁・二一匹酷︶︒
﹁仁政﹂については︑﹁大氏︑政を問ふと仁を問ふとは相類す﹂とすることによって﹁仁﹂を﹁仁政﹂と読み替え
ることを正当化しつつ︑両者の区別も行う︒まず︑﹁政を問ふ者は︑一邑の政なり︒みなその人︑宰となりて︑今
日の行ふ所を問ふ﹂とし︑﹁政﹂をめぐる孔子と弟子の問答の背後に極めて限定的な文脈を設定することで︑﹁政﹂ をめぐる問答の不用意な一般化によって﹁仁政﹂概念が狭隆になり含蓄を失うことを避ける︒他方︑﹁仁﹂をめ
ぐって﹁仁を成すの方﹂を孔子が語っているかに見える問答に対して︑﹁仁を問ふ者は︑一国の政なり︒みなその
官日或いは一国の政をなすことを得るがためにして預め問ふ﹂という政治的な文脈を与え︑﹁仁政を行ふは︑身を
脩むるを以て本となす︒身いやしくも脩らずんば︑仁政を行ふといへども︑民これに従はず﹂とし︑孔子は︑個人
修養のために﹁仁を成すの方﹂を述べているのではなく︑﹁民を安ん﹂じ﹁仁を行ふ﹂ための﹁本﹂として﹁身を
脩むるの事﹂を述べているのだと捉え直される︵同︑五七−五八頁.二一五頁︶︒実に用意周到な概念構成であると
⇒⇒
禔Eズ⁝よ︑つ︒このように用意周到な議論を積み上げた上で︑最後にこれらと無関係な﹁道芸を論説してこれ仁なりと日ふ者﹂
に言及し︑さらに﹁仁﹂の含蓄を広げる︒これは﹁先王の徳を称する﹂のでもなければ﹁仁人と仁政とを称する﹂
のでもなく︑﹁道の徳を賛する者のみ﹂であって︑﹁混じてこれを一にす﹂る後儒は︑またしても﹁含蓄﹂を捉え損
ねているのである︵﹃弁名﹄仁4︑五八頁・二一五頁︶︒
︿注﹀
○﹃弁道﹄﹃弁名﹄は﹃日本思想大系36 荻生祖棟﹄︵岩波書店︑一九七三︶により︑頁数︵書き下しと漢文原文の頁数を併
古文辞学と祖棟学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵一︶ ︵都法四十八ー二︶ 五二一
五二二
記︶だけを示した︒節番号もこれによる︒引用は書き下しのみを示した︒ ○荻生祖棟のその他の著作はみすず版﹃荻生祖裸全集﹄により︑巻数と頁数︵原漢文の場合︑書き下しと漢文原文の頁数を併
記︶とで﹁全集三ー二〇.三八〇﹂のように表した︒﹃論語徴﹄の章数は全集の分章に従った︒引用は書き下しのみを示 した︒ ○﹃論語﹄の分章と引用︑﹃論語集注﹄の引用は﹃︵新編諸子集成︶四書章句集注﹄︵中華書局︑一九八三︶によった︒
○伊藤仁斎﹃語孟字義﹄については︑天理大学附属図書館古義堂文庫所蔵の林本︑﹃日本思想大系33 伊藤仁斎・伊藤東涯﹄
︵岩波書店︑一九七一︶︑﹃日本の思想H 伊藤仁斎集﹄︵筑摩書房︑一九七〇︶を参照した︒伊藤仁斎﹃論語古義﹄につ
いては︑林本︑﹃日本名家四書註釈全書 第三巻 論語部二︵東洋図書刊行会︑一九二八︶を参照した︒ ○陳淳﹃北渓字義︵性理字義︶﹄については︑﹃︵理学叢書︶北渓字義﹄︵中華書局︑一九八三︶︑﹃和刻影印近世漢籍叢刊 思想
初編 第一一巻 北渓先生字義詳講.朱子行状・朱子年譜﹄︵中文出版社︑一九八五︶を参照した︒また︑佐藤仁︵訳・ 解題︶﹃朱子学の基本用語 北渓字義訳解﹄︵研文出版︑一九九六︶を参照した︒節番号はこれによる︒ ○引用に当たって表記を適宜改めた︒
○拙稿に言及する際に以下の略称を用いる︒
.拙稿①⁚﹁助字と古文辞学 荻生祖棟政治論序説﹂︵﹃東京都立大学法学会雑誌﹄第四四巻第二号︑二〇〇四︶
.拙稿②⁚﹁古文辞学と狙裸学の政治思想−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄に即してー﹂︵﹃法学会雑誌﹄第四六巻第二号︑二〇〇
六︶ .拙稿③⁚﹁古文辞学から祖律学へー﹁聖人命名説﹂と荻生祖棟の言語戦略﹂︵政治思想学会編﹃政治思想研究﹄第七号︑二〇
〇七︶
︽序︾