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学校における健康診断とインフォームド・コンセント大谷 尚 子*・水野 有武*

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(1)

学校における健康診断とインフォームド・コンセント

大谷 尚 子*・水野 有武*

(1996年11月1日受理)

Health Examination in the Schools and Informed Consent

Hisako OTANI*and Aritake MlzuNo*

(Received November 1,1996)

Abstract

Now we are practicing health examinations to school child including the periodical health examination besed叩on the low of school health. The purpose of thjs health examination is inclusive of early diagnosis of desorders or diseases that is connected closely to medical treatments. In recent medical field, the discussions on the necessity of so called informed consent between patient and medical staffs are widely accepted。

Therefore, the concept of informed consent must be applied to school health

examinations in the educational field. It should be besed on low of patient s rights or the treaty of child right. In future, the educational staff might face the task on coudition that it would be approval of informed choice by children or their protctor about the information of practicing health examinations or of the results of examinations(for example in writing).

はじめに

学校は教育の場であり,医療の場ではない。それと呼応して,養護教諭は教育職員の一員であっ

て,医療職として位置つくものではない。学校では種々の保健活動(学校保健活動)が行われている

が,それも学校で行われているということから,医療面からのアプローチという視点のみならず,

教育活動の一環としての意味を一層もたせるよう,問い直しが迫られる現状である。

健康診断についても同様であり,従前は地域や職場の健康診断と同じに『疾病の早期発見,とりわ

け無自覚症状を有する疾病の発見』を目的に実施されてきたのが,今日では教育診断の一環として 捉えられるようになり,「教育としての健康診断」を探っている状況にある。すなわち,学校にお

いては,教育の現場として,医療界とは異なる独自の健康診断の運営(内容)があるということであ

る。

*茨城大学教育学部教育保健講座(〒310−8512水戸市文京2丁目1番地;Laboratory of Educational Hea監th,Faculty of Education,lbamki University,MIto,lbafaki 310−8512 Japan).

(2)

一方,医療界では旧来は医師(医療者)は患者にr知らしむべからず,依らしむべし』を基本姿勢 にして,患者の医療情報を全てr専門家』の所有物のように扱ってきたが,今日では,そのあり方

が問われ,インフォームド・コンセントという考え方を取り入れるようになってきた。

ところで,医療現場における医師と患者の関係は,学校現場における教師と児童生徒(およびその 保護者)の関係に似ている面をもつ。本来はそうであってはならないにもかかわらず,専門知識をも

つ者とそうでない者の間に一線が引かれ,両者のうちの片方が片方に依存せざるを得ない関係が築

かれており,強い者と弱い者という上下関係になりがちということが共通である。

そこで,医療界において行われ始めているインフォームド・コンセントという概念を,教育の場に も取り入れていくことが必要と思われる。特に,学校における保健活動は保健・医療という専門知識

を有するということから,児童生徒一教師という関係のほか,患者一医療者関係という関係も合わ せ持つ二重の上下関係を介在させてしまう危険性を伴うものである。今日ようやく,患者の権利や 子どもの権利が,脚光を浴びるようになってはきたが,まだまだその理念が実践化されているとは

言いがたい。より一層の普及が望まれる。

本研究は,医療現場で志向しているインフォームド・コンセントの思想に学び,それを学校現場に

おける定期健康診断にあてはめて考えてみたい。そして,その実践化をはかりつつ,本来の教育の

現場における教育としての健康診断とどう結び付くのかも考えていきたい。

インフォームド・コンセントについて

インフォームド・コンセントに関する経緯(概略)を,表1にまとめた。

表1インフォームド・コンセント(略称IC)にかかわる経緯

年度 法律など 関 連 す る 条 項 (内容) 備       考

1947 日本国憲法25条 「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」 健康に生きることが権利として認められた。

1948

世界保険機構

「最高水準の健康を享受することは基本的権利...」 この理念は第二次大戦中に草案された。

(WHO)憲章前文

1947 ニュールンベルグ綱 医学的研究においては,対象となる者の自由な意志による同意が絶対 ナチスの戦争責任を裁くニュールンベルグ裁判で人

必要である。 体実験にっいての倫理規定をまとめた。

1950 医療過誤裁判 医療行為に対して傷害罪の違法性を阻却する前提条提条件がIC。 初めてICという用語が使われた。

年代 (アメリカ)

1964 ヘルシンキ宣言 新しい医学技術を患者に応用する際のICを規定。 医学の進歩よりは被験者の安全と人権を優先。

1970 バイオエシックス 医学・医療の問題を医師だけでなく法律,倫理宗教,経済,社会など ベトナム戦争の枯れ葉作戦・人種差別への反対運動,

年代 (アメリカ) も参与し解決。患者中心の医療を原則とする。 ウーマン。リブ,消費者運動,学生運動などの権利意 識と運動する患者の権利。

1973 患者の権利章典 全米病院協会が公表。病院が自らの役割を患者の擁護者として自覚 入院患者の権利を念頭に消費者代表も参加して研究

(アメリカ) し始め,患者を主体として遇することこそ良き医療であると捉えた。 した成果。州法として立案する州もある。

1984 患者の権利宣言 個人の尊厳平等な医療を受ける権利,最善の医療を受ける権利,知 富士見病院(産婦人科)宇都宮病院(精神科)スモン

(日本) る権利,目己決定権プライバシーの権利 薬害などの事件を背景に患者が大会を組織。

1989 医薬品の臨床試験の 新薬開発におけるIC(厚生省が公表)。 国(厚生省)がICを公式に認める。

実験に関する基準

1990 日本医師会/生命倫 ICを『説明と同意』という日本語に置き換えて,その重要性を述べた。 ICを医師側が認めた。

理懇談会

1994 『ご来院の皆様へ』 「必要な医療を受けることができます。理解できる言葉で説明を受け 病院(有志)が患者にICの姿勢を示し,患者の権利 日本病院会 ..,B医療の内容について希望を申し出る...。個人上の医療情報は保 を認める宣言をした。

護,研究途上の治療_十分な説明など。」

(3)

1 「インフォームド・コンセント」の出現

インフォームド・コンセントという言葉は医療界で用いられているものであるが,その用語そのも

のは法律用語であるという。すなわち,医療は患者の身体に対して触れ,薬を投与し,あるいはメ スをふるって直接的に身体に侵襲を与えるというような,一般の人間関係においては認められない 行為を法的に認められるようにするための措置として,患者と医療者との特別な関係を提示したも

のである。患者は,医療者から十分な説明を受け,納得・理解し,自分の身体に侵襲が引き起こるこ とを医師に認めた(同意した)ということになる。

このインフォームド・コンセントの用語は1950年代に入ってから,アメリカでの医療裁判におい

て使用されたのであるが,この理念そのものは,それより以前から認められるところである。その最 初は,ナチスの戦争責任を裁くために開かれたニュールンベルグ裁判(1945−1946年)であると言われ

ている。このことから人体実験に関する厳しい倫理規定がまとめられ,ニュールンベルグ綱領と呼 ばれている。またさらに言えば,第二次大戦の後,わが国における日本国憲法の制定(GHQの指導の

もと)やWHO憲章にもあるように,基本的人権として一人ひとりの健康権が認められるようになっ たという時代背景があって,その思想が受け入れられる素地ができてきたということでもある。

2 わが国の普及状況

わが国においてインフォームド・コンセントという理念あるいは用語が普及したのは,つい最近の ことである。普及するにはそれを受け入れる条件が必要と言えよう。インフォームド・コンセントに

関する先進国はアメリカであるが,アメリカと比べてわが国の場合は,個人主義というものが未確 立なこと,患者と医療者の間にある契約関係になじみがないこと,および医療におけるパターナリ ズムが強く患者は医療者に全てを委ねるべきと思い込んでいることなどがあって,その思想を開花 させることが困難な状況であった。また,国全体が「全て同じであること」を善しとして,少数者

(マイノリティー)を無視したり,排除したりする傾向があり,真剣に少数者や社会的な弱者の権利 について議論することがなかったことがある(アメリカの場合は多種多様な人種によって構成されて

おり,同一ではないことから出発している。また少数者からの主張を取り上げざるを得ない状況が

明瞭であった。)。

しかし,わが国の状況も医療訴訟を起こすような病院の事件が相次ぎ発生し,その患者無視の医療

者側の姿勢に憤りを抱いた人達が結成し,患者の権利を宣言するような状況に至った。アメリカの 病院には玄関に『患者の権利』を譲った掲示物を配置しているという紹介がなされ,患者の権利を

尊重する病院の姿勢がうらやましがられたりもした。

そのうち,医薬品開発に関する人体実験に関する基準において,開発よりも人間を優先するべきと することが厚生省からも指示されるようになり,インフォームド・コンセントの理念が少しつつ浸透

してきた。

今日では,患者の権利を認める医療を推進することを宣言したとも受けとれる『患者の皆様へ』と

いうPRがなされるようになってきた。これを発行した団体に所属する病院の数はまだほんの一部に は過ぎないことではあるが,医療者側の患者の権利を保証しようとする姿勢に,新しい息吹を感じ

ることができる。

(4)

3インフォームド・コンセントの言葉と意味

インフォームド・コンセントという英語は,医師会によってr説明と同意』という日本語に訳され

た(1990)。しかしその日本語は,インフォームド・コンセントの原義を十分に込められてはいない。

医師会訳は,日本語特有のものではあるが,主語が明確ではない。説明するのは医師側であり,同 意するのは誰なのかが不明である。説明するのは医師だから,同意も医師という見方もあれば,医 師と患者の両者を示そうとしたものであって,前者は医師,後者は患者が主語になるという見方も

できる。つまり,いずれであっても,患者側が主体的にはなっていない。英語では,Informed Consent ということであり,informationされたという受け身型で示しているので,主体(主語)は患者である ことが明確である。

以上のことから,日本語訳で状況を解釈しようとすると,医師側がr説明』をすればそれでインフ

オームド・コンセントの状態になったと思い込んでしまう危険が出てくる。英語で解釈すれば,主体

は患者側であるから,患者自身がインフォメーションを受けたと思えるかどうかが重要な判断根拠 になる。幾ら時間をかけ医師が説明したとしても,患者本人が自分の知りたいことを,理解しやす

いように説明をしてくれたと思わない限り,インフォームド・コンセントという状況として認知され ないことになる。

医療人権センターCOML(Consumer Organization for Medicine&Low)代表の辻本氏1)は,患者・家族 の立場からインフォームド・コンセントを言い表す日本語として,『説明と同意&理解と選択』を提

言している。氏の言わんとするところの前半部分については,判り易い言葉で十分に説明し,患者 が納得をした上の同意を得る「説明と同意」を得ることであり,後半部分は,患者が自分が選んだ 治療法に責任と義務を感じながら,自らの病と共存するための「理解と選択」を意味する。医療者 側と患者側が,それぞれの立場の義務と責任を遂行できるよう,それぞれが主語の翻訳をもつこと

が大切だとしているのである。

これにさらに説明を加えるとすると,r選択』ということに注目すべきだということである。患者

が選択するためには,医療者は複数の選択肢を患者に示し,しかもそれぞれの特徴(利点とリスクな

ど)を詳しく説明し,患者が選択できる材料を提示することを前提にしていることなのである。近藤 誠氏2)によれば,「検査をしないこと」「治療をしないこと」も治療の一方法として位置づけられ,

患者が治療法を選択する際に,治療しないことを選択する権利が患者にあるということである。 こ の患者が選択する権利があることを強調して,インフォームド・チョイス(lnformed Choice)という表 現を用いることも近年,多くなってきた。

4 同意に伴う意志決定能力

インフォームド・コンセントにおける当事者は,医療者側の説明を聞いて,自分のことに関するこ とを判断し決定(選択)していく能力がある個人であることを前提にしている。

治療を受け,その身体に侵襲を受けるその人本人の判断と選択を尊重するというのが,インフォー ムド・コンセントであるが,それでは,判断し選択するという能力は,子どもや精神障害者にもある と認められるのかということが問題になる。

この年齢に関しては,法的に一定の見解はないようである。わが国においては,選挙権や刑法に関

しては20歳が区切りになるが,18歳という区切りや16歳という区切り(結婚ができる年齢),さら

には義務教育修了段階(15歳)での区切りなど,多様な区分がある。そして子どもの権利条約(1989

(5)

年国連総会で採択,日本は1990年に署名,1994年に批准)においては,子ども(18歳未満)の権利と して第12条において意見表明権を認めている。

r国は,自己の見解をまとめる力のある子どもに対して,その子どもに影響を与えるすべての事柄 について自由に自己の見解を表明する権利を保障する。その際子どもの見解が,その年齢および成

熟に従い,正当に重視される。』

現在,医療場面においては,子どもの意志・意見を確かめることもなく,その保護者の依頼や意志

・意見で子どもの治療がなされていることが多いようであるが,これからは,子ども本人の意志を確 認することが必要と思われる。

小児科の医療現場で子どもの患者に対応している医師の意見としては,「患児が周囲の子どもたち

への配慮気配りができるようになる10歳ぐらいを目安にしている」という見解(聖路加国際病院小

児科医,細谷亮太氏3)),「相手は言葉でのやり取りがある程度できる年齢であれば,その子どもが 困っていること,心配していることは,その子どもがどれほど表現が乏しくても,その子どもなりの 言い回しで伝えてもらうようにしている」という見解(国立小児病院精神科医,崎尾英子氏4))は,さ

らに低学年をも想定していると思われる。さらに極端に年齢が低下するが,「乳児が予防接種の際に 泣いたりするのは,意見表明と捉え,納得してもらえるように乳児に対応する」という見解(小児科 開業医,毛利子来氏5))もある。

以上のように,子どもの年齢や精神障害の程度によって一律に決められるものではなさそうだ。

また,それは単に子どもや障害を有する患者側の条件によるのではなく,医療者側の対応(質問の仕 方など)に依拠する要因を含むものであるので,一層その規定は難しい。

学校における健康診断

1健康診断の意義・内容の変遷

学校における健康診断の位置づけの変化を知るために,関連するトピックスを表2にまとめた。

表2 学校における健康診断の推移(トピックスを中心に)

年代 おもな事項 内     容 (健康診断にかかわることがら) 備    考

{lll「活力検査」の初め P令「活力検査」

体操の効果判定として附属学校児童を対象に実施

S国の学校に活力検査を実施することを規定体重体長。胸慰握力,力量肺量視力等

il器戦前学生生徒身体検査規定

g体検査規定の改正 博氓ノわたる検査項目 フ見直し

医師によって実施される 脊柱・体格,眼疾,聴力,耳痴歯牙,その他 繩w面充実(貧血頭痛,鼻血肺結核,神経衰弱等追加)学校医による身体検査

@       座高を追加(1936)身体検査が次第に身長・体重等の体格検査的なものに 甲乙丙の評価G920)

走ッ体力法(1940)視力,聴力,結核性疾患に絞った検査(1944)

文部省に学校衛生課設置 垬I戦争(1904−05)。

アの頃学校看護婦登場。

桴B事変,第二次大戦養 護訓導の誕生(1941)憲 一f泌3終戦一一璽,一一一一冒棒一一一 ___一一__一_一一_口_____曹一一一一一一一一一一一一一一一一一一尊一一一一一一一一一一■一一,騨一一一一一一一一一一一一一一一一

迭塾鳶碁杢法∫12の一_

1949 『健康診断』という名 称に

1958学校保健法の制定。 体格検査的傾向の是正健康状態を評価するものとして位置づけられた 1975 学校保健法の改訂 尿検査,心臓病検診,肥満児検査が追加

1979 日本学校保健学会シンポジウム『健康診断一現行規定の中で健康診断を効率的に進めるために一』

(「教育としての健康診 「教育活動としての健康診断」「健康診断の限界」

断」を問う)

1983 健康診断の見直し,問い直しが盛んになされる

・日教組・養護教諭研究大会の分科会『生存権保障のための健康管理のあり方健康診断にっいて一』

(保護者からの提言) ・雑誌『子どもと健康』特集:健康診断を問い直す心臓病児の父親による寄稿(1985) 患者の権利宣言(1984)

(生徒からの問題提起) 都立定時制高校生とのビラ事件

1986 山田真『子どもの健康診断』で健康診断の問題提起 1989 (マスコミでとりあげ

轤黷驕j

朝日新聞記事:「性格テスト」ってなんだっけ 健康教室/高田公子『健康調査とプライバシー』

f載

国連:子どもの権利条約

1990 朝日新聞(声の欄):『裸の健康診断』(子どもの投稿)

};ll(検診の安全性論議)

i子どもの権利を尊重

X線問題を考えるための資料集(岡山県養護教員部)

w学校保健と子どもの人権』に関する研究盛んに(日教組養護教員支部の研究ほか)

した健診を考える)

1993 毛利子来『子どもの健康診断』で一般市民の問題提起

1994 朝日福祉賞は色覚異常者の社会生活改善推進医師に(学校における色覚検査の問題を指摘してい 子どもの権利条約日本が 1995 学校保健法施行規則の

る)

注N診断項目の削減ほか,プライバシーの保護事後措置保健調査,検査項目(ICの理念)等留 採択

一部改訂 意事項あり

(6)

健康診断というものの起源は,師範学校の附属学校において,体操を担当している外国教師がその 効果を判定するために,身体部位の測定をしたのが始まりのようである。

その後,明治政府の中央集権化の流れの中で,全国の児童生徒の身体状況を把握するための「活力 検査」「身体検査」として義務づけられていった。さらに戦争とあいまって,健民健兵を育成する国 家政策や頑強な身体保持者をスクリーニングするという手段としての身体検査が実施された。また,

座高の項目が新設された(1936年)のは,戦地における錘壕作りに必要であったからと言われている。

第二次大戦の敗戦により,新しい教育体制が敷かれ,学校保健法の成立となったが,そこでは,「活

力」とか「身体」に限定しないでより総合的な「健康」に注目するという趣旨からr健康診断』と

いう呼称で位置付けられた。

その後,定期健康診断は学校保健活動の重大事業として位置づけられ運営されてきたが,その成果 に疑問がもたれる状況の中,日本学校保健学会のシンポジウムに取り上げられることとなった(1979 年)。そこでは,文部省教科調査官からは「教育活動としての健康診断」の提案がなされ,学校医か

らは「健康診断の限界」という題で,一人の学校医,一人の養護教諭の力ではもういかんともしが たい,という訴えがあった。旧来の身体検査とは,全く別の教育活動として,また学校での組織活

動として展開する転機であったと言えよう。

その後,子ども理解や保健指導の機会として,教育活動としての健康診断は運営されてきたが,ま

た,新たな問題に養護教諭は気がつき始めた。それは,子どもの人権とのかかわりである。果たし て,この健康診断は子どもたちのためになっているのか,健康診断によって,新たな健康問題を引 き起こしていないかなどの問い直しがなされるようになった。そこには,病気を抱えている子ども

の保護者からの訴え6)や,子ども自身が新聞の投稿欄で訴えるというような,子ども側からの問題提 起7)があった。当時の社会状況は,患者の権利宣言や子どもの権利条約の国連での成立など,社会的 弱者・マイノリティーの人権を保障しようという動きが活発となり,そのような機運が背後にあった のである。

2現在,定期健康診断が問われていること

現在の学校における健康診断を運営するにあたっては,種々の問題を抱えている。教育活動として の健康診断をどう充実させるかという問題,学校5日制の中での行事縮小化という視点からの在り方,

および教育という機能を学校に集中化させてきた反省に立ってこれまで学校が担当してきたことの

見直しとそれに伴う家庭への機能委譲(戻す)という問題などである。そしてまた,実際の運営が子

どもの権利を尊重した運営にしていくことの問題がある。健康診断を受けた本人である子どもたち の声に耳を傾けてみれば,子どもたちからは健康診断を受けてよかったという回答よりは,嫌だっ

たという回答の方が多くなっている8)。その嫌だった理由には,「パンツ姿を見られて恥ずかしかっ

た」「体重を笑われた」などプライバシーへの配慮がないものが多い。このようなプライバシー保 護の問題は,現在子どもやその保護者からの声も多く出されるようになり,学校現場での対応も進

められつつあると言えよう。しかし,健康診断(検査)を受ける側に対するインフォームド・コンセ

ントという視点では,子ども・保護者側も含めて学校側の問題意識はあまり多くないように思われる。

(7)

3インフォームド・コンセントを志向した定期健康診断

(1)健康診断を受けることは子ども・保護者の「義務」なのか

通常,学校では春に定期健康診断を実施する計画を作成し,その日程が決まるとその内容について 保護者(子ども)に通知・連絡をしている。通常多くの子どもと保護者は,その連絡のもと,健康診

断を受けている。しかし中には,学校の健康診断を受けたくないという者もいるはずである。例え ば上記の嫌な理由にあがったような「裸になること」や「大声で体重を言われること」が嫌で受け たくないという場合もあるであろうし,既に自分の主治医がいて継続して受診し医療を受けている 場合もあろう。また,学校で実施している検診の項目に疑義を抱き(例えばX線間接撮影一被爆量が

多いので)それを受診したくないという意思をもっている場合もあろう。このような種々の理由で,

学校の健康診断を受けたくないという子ども・保護者の存在は十分考えられることである。そのよ うな受けたくない子ども・保護者に対して,学校側はr健康診断は受けなくてはなりません。子ど もと保護者の義務です。」と言えるのであろうか。健康診断の日に欠席して難をのがれようとして も,学校側からは執拗に受診することが義務であると言われてしまうという子ども・保護者側の声 も聞く。また,それを推進する養護教諭の側では,100%受診させて統計しなければいけない,教育

委員会へは受診もれのまま報告できないという思いもあるようである。

そこで,学校における健康診断を規定している学校保健法をみてみると,第6条には「学校におい ては,毎学年定期に,児童,生徒,学生又は幼児の健康診断を行わなくてはならない。」と記載さ

れている。「一行わなくてはならない」という義務を負うのは誰かということに注目してみれば,自

ずと判明されることであろう。前述の「健康診断は受けなくてはなりません」という説明は義務を 保護者や子どもに負わせていることになるが,第6条の条文解釈では,義務を負うのは学校側であっ

て,サービスの一環として整備することを義務づけているのであって,この条文から子ども・保護者 を義務づけることはできない(大谷恭子弁護士9))。

子どもたちの中には,なんのための検査・検診かは不明のまま,先生に「保健室に行け。裸になれ」

と言われたから,考えもなく列に並んだという状況もみられる。このことは,自分の体を他人に明

け渡し,誰か(専門家など)に言われるまま,されるままにしていればトラブルは起こらないであろ

うという意識の現れとも言えよう。そして,このようなことを毎年繰り返しているということは,

子どもたちに『主体的になれ,自立的になれ』という教育目標と全く逆の教育を行っていることで

あり,また, r自分の体の主人公になれ』という健康教育の指導目標からも離反することになる。

学校の健康診断によって子どもたちの健康・発達に関するデータは収集できても,子どもたちに対

して反教育的な作用を及ぽしていては,学校で行うことに疑問を抱きたくなってくる。

ここにおいて,定期健康診断という機会を活用したインフォームド・コンセントを推進することの

意味がある。学校が教育の場であるなら,この健康診断の内容が自分の体にどんな意味をもつのか を十分に説明をしていくこと,そしてその意味を理解してもらい,同意したものが受診するという

制度にすることが大切である。あくまでも,選ぶのは子ども(そして保護者)という基本姿勢をもと

に,それを選べるような情報を提供していくこと,そして選べるような(断ること,受けないという

選択も含めて)条件を整備していくことが教育という学校に求められている。極論になるが,データ

を収集することを優先しそのことにあせるよりも,子どもが選べる力を育てること,その発揮する 体験の場を提供することが学校の役割であり,学校における定期健康診断の意義であると言える。

(8)

(2)学校は必ず「治療」を勧め,その確認をしなければならないのか

健康診断を終えた後,学校側はその結果を保護者(子ども)に通知している。これは,学校保健法

第7条の「学校においては,前条の健康診断の結果に基づき,疾病の予防処置を行い,又は治療を指 示し,並びに運動及び作業を軽減する等適切な措置をとらなければならない。」という条文に基づ

く行為である。この事後措置に関しても,学校側が家庭(子ども・保護者)に一方的に指示し,介入 しすぎてしまう恐れがあることに留意する必要がある。

例えば,保健活動に熱心な学校に往々にしてみられることであるが,学校側としては病気を発見し

たからすぐに治療してもらいたい,そして直したのかどうかわからないと困るので,その治療した という証明書を学校に提出するように,という指示を出していることである。熱心な学校ほど,何

ども督促し,証明書(「治療済み書」などの呼称)の回収100%をめざしているのが現状である。

保護者に対して一方的に治療することを指示(命令)することは,どうなのだろうか。この際も,

インフォームド・コンセントの理念を導入していかなければならないであろう。学校における健康診

断はあくまでもスクリーニング検診であり,その結果を保護者に通知することは学校の責任である

が,その結果を受け,受診するかどうかを決める(選択する)のは,保護者・子どもの側にある。そ

して,受診したかどうか,どんな治療を受けたかどうかを学校に知らせる義務は法的には全くない のである。身体医事というプライバーにかかわることがらでありながらも,子ども。保護者があえ

て学校側に知らせるということは,子どもの教育を進める上で必要だと思ったからにほかならず,

学校に対する信頼があってのことと理解して受け止める必要があろう。

学校側が発行する健康診断の結果通知(「健康診断結果のお知らせ」あるいは「受診のお勧め」)

の文章表現においても,「疾病を放置すると支障が生じるを思わせる表現」は「受診するかどうか

は保護者の判断に任せるような表現」よりは多いのが現状である10)。このような脅し文句をもとに 連絡することは,インフォームド・コンセントの精神に反することになる。学校側が,子どもの教育

を進めていく上で子どもの健康情報を把握したいのであれば,そのような思いを併せて保護者に伝

えていき,信頼を得る努力が必要であろう。

まとめ

地域の中,社会の中で学校が担えるもの,担うべきものは何かが,今問われ探り出そうとされてい

る今日,学校における定期健康診断のあり方も問われている。そのような中で,学校における健康

診断の位置づけも揺れ動いていると言えよう。

医療界から普及してきたインフォームド・コンセントの理念を明らかにしてみると,自分の体の主 体者として,自分の生き方(行き方)を選択する能力を育てようとする,健康教育そして教育そのも

のの目標に通じるものであることがわかった。学校における健康診断が,たとえどんな状況になっ

たとしても,そこにはインフォームド・コンセントの理念が貫かれていなければならないであろう。

そのことが,学校という教育の場でなされる健康診断をより一層有効なものにし,かつ教育的なも

のとして位置づけられることになろう。

(9)

1)辻本好子rrインフォームド・コンセント』患者・家族の立場から」r教育と医学』(1994)42巻

9号.PP.852−856。

2)近藤誠「インフォームド・コンセントとは何か」患者の権利法をつくる会編r患者の権利法をつ

くる』明石書店(1992),pp.63−72.

3)細谷亮太「小児の病気とインフォームド・コンセント」r教育と医学』(1994)42巻9号.pp.812

一817.

4)崎尾英子「論壇子どもの輝きを発見する」朝日新聞社(1994.1.8)

5)毛利子来r子どもの健康診断』岩波ブックレット.(1993)

6) 『子どもと健康』(特集健康診断を問いなおす)(1985)において畦地豊彦が「息子にとってそ れは呪縛であった(心臓病管理指導表について)」と親の立場から健康診断の問題を言及している。

また同号で,小学校教諭の立場からr子どもの人権と定期健康診断」という題で森谷憲光が問題

を提起している。

7)新聞の投稿は1990年12月5日に掲載されたrr裸の測定』に今後も抵抗を」などがある。その ほか,1980年代初期に東京都定時制高校生徒によるr山猫通信』なるビラ(生徒を半強制的にモ

ルモットとして利用することを正当化する学校管理者たち...r健康診断』に対して抗議しこれを

ボイコットしよう,の文言あり)が配布され,当時の高校養護教諭にも健康診断のあり方を問う

契機をつくっている。

8) 日本教職員組合『健康白書No,9子どもの学校生活と養護教員』(1996)

9)大谷恭子「健康診断とプライバシー」福岡県教職員組合養護教員部での講演より。(1993)

10)大谷尚子・仁平朋子による歯科検診結果の家庭通知に関する調査による(1993年11月)。

参照

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