著者 村上 和光
雑誌名 金沢大学経済学部論集 = Economic Review of Kanazawa University
巻 18
号 1
ページ 1‑32
発行年 1998‑01‑30
URL http://hdl.handle.net/2297/18297
不況期論の構成
一景気循環論の体系化(3)-
、. 村上和光
はじめに
前稿「恐慌期論の構成」')では「資本投資構造一労働力需給構造一信用構造」
という三位一体機構の中で「恐慌勃発メカニズム」の解明を試みた。そして その作業を通して,好況末期の「資本蓄潤と信用関係の相互連関的作用」が その論理必然的展開の中から恐慌勃発を現実化させるロジックを確定できた といってよく,まさにこの点に立脚してこそ資本制的生産の「内的矛盾」が 論理化可能だと結論しえた。その意味で,-いうまでもなく原理論レベル に限定するかぎり-この恐慌期こそ資本制的生産における「内的矛盾」累 積のいわば到達点を形成するとみてよいが,しかし資本制的生産がこの恐慌 の中で自ら消滅してしまうのでないことは言うまでもない。そうではなく資 本制的生産はこの恐慌期を経て不況期へとその景気循環過程を進む。
そこで本稿では,前稿で確認したこのような「恐慌期」論構成を前提とし て,論理的考察の射程を,景気循環過程の次の局面をなす「不況期」へと拡 大していこう。その場合,この不況期の検討は,恐慌期論などと比較すると
これまでの研究蓄積は著しく少ないうえに,その検討視点としても,例えば 不況期の「『底入れ」プロセス」や「失業者の生存方法」などに過度に限定さ れる傾向が強かったため,これまで,景気循環過程の独立した1局面として この不況期を考察する視角はやや弱かったように思われる2)。したがって本稿 では,以上のような反省に立って,不況期の論理構造を以下のような3つの 論点から「総合的・立体的」に体系化することを課題としたい。すなわちそ の「基本的考察論点」としては,①「資本蓄積様式と労働力市場」②「物価
1
水準と利潤率」③「信用機構と信用創造」の3論点が重要であり,この3論 点の総合的考察の上でこそ不況期論の体系的構築が可能になるように思われ る。
I不況期の資本蓄積様式と労働力市場
〔1〕最初に景気循環の最も基礎的構造を形成する資本蓄積様式パターン に関して,この不況期の特質から考察をスタートさせよう。さてすでに立ち 入って検討したように,この不況期に先立つ「恐慌期」にあっては,その到 達点として「一般的産業恐慌」勃発の結果「倒産の全面化」が帰結する他な かった3)。そしてこの「倒産の全面化」が招来させた基本的現象としては以下 の3点が決定的であり,これら3つの特質こそこの不況期景気循環過程の構 造をその最も深部で規定していくことになるといってよいが,恐慌勃発から 必然的に帰結した,不況期を条件づけるこの初期的3条件としては,①「恐 慌勃発一商品投げ売り一商品価格暴落」②「恐慌勃発一過剰投資暴鰯一生産 急縮」③「恐慌勃発一雇用削減一失業者激増」,が指摘できる。まさにこのよ うな「初期条件」を前提にしてこそこの不況期における個別資本の投資動向 も展開をみることになるから,まずこの「初期条件」に規制された不況期・
個別資本的投資パターンの特質から検討を開始していこう。そのように分析 の視座を確定すると,その特質としては以下の3点が特に重要である。
まず第1点は資本蓄積動機の内容についてであって,この不況期局面にお ける資本蓄積進行動機が好況期とはもちろん恐慌(直前)期とも大いに異な ることに注意が必要であろう。つまり,まず好況期では賃金・利子率の中位 安定水準を条件とした「利潤率増進」という「前向き」な刺激力がいうまで もなく資本蓄積推進の動機だったし,また恐慌(直前)期にあっては資本の 過剰生産に強制された,「コストの回収」と「債務返済の継続」という「後ろ 向き」な蓄積動機が支配的だったのに対して,不況期の資本蓄積動機はそれ らとはさらに区別される。というのも,いま確認した不況期の「初期条件」
に制約された「倒産一商品投げ売り-価格暴落一利潤率激減」という動向に 規定されて生産=資本投資へのコンフィデンスが決定的に喪失している以上,
2
不況期論の構成(村上)
この不況期においては,「前向き」であれ「後ろ向き」であれ積極的に資本蓄 積を展開しようとする動力はもはや明らかに枯渇している,から}こ他ならな い。したがって,この不況期には投資目的は,一定の確定した目標を基準に して積極的に押し進めるという点にはもはやなく,むしろ,恐慌勃発によっ て急収縮した資本制生産の「最小限規模」を維持するためだけに限定される といってよいことになろう。こうしてこの不況期局面一のちに立ち入って 検討するように「回復期」に至るまでは-では,資本蓄積動機はいわば「経 済原則」の最低限充足を課題としながらその最小レベルに賜踏せざるをえな
いと整理可能なのである。
ついで第2は資本蓄菰様式タイプに関する論点である。すでに別稿4)で検討 したように,好況期および恐慌(直前)期では「構成不変」の蓄積様式が拡 大進行していきそれが資本の過剰蓄積を招来させたが,この不況期の資本蓄 菰様式はどのようにタイプ化できるか。その場合この資本蓄積様式パターン については,同じ不況期とはいってもその前半の「恐慌直後期」とその後半 の「回復期」とでは様相が大きく相違するので,ここでは不況期をこの2つ の時期に小区分してみていこう。さて最初に①「前半期」から問題にすると ここではロジックは比較的簡単である。なぜなら,別の機会に何度もふれた ように,好況期全般と恐慌直前期にかけて「構成不変」の蓄積パターンが持 続しつつそれが重大な基本理由となって恐慌勃発に帰結したが,そうであれ ば,この恐慌勃発の直接的接続局面をなす当面の不況「前半期」が,その直 前期たる恐慌期の支配的蓄積パターンをさしあたりそのまま引き継がざるを えないのは当然であり,したがってその結果,この「前半期」にも資本蓄積 における「構成不変」様式が継続する以外にないのは明白だからである。さ らにそのうえに,先に提示した不況期の「初期条件」から1つの現象として 派生する「倒産一資本操業停止一設備遊休」の結果,固定資本設備の物理的・
価値的破壊が進行する以上,固定資本設備の生産性効率は一層の低下を余儀 なくされるから,実質的な内容としては資本櫛成は「不変」どころかむしろ
「低下」をさえ強制されるともいってよい。いずれにしてもこの①「前半期」
においては資本構成「不変(ないし低下)」パターンが当然の如く展開すると 結論できよう。
3
しかし②「回復期」に入ると状況は転換をとげる。すなわち,不況期の一 定の経過の中で「恐慌直後期」から「回復期」に入ると,以下の諸点に立脚 して資本蓄積様式パターンにおける「構成高度化」タイプへの移行が進行し ていく.そこでこのような「移行」を強制しつつそれを可能にする条件とし てはさしあたり次の諸論点が指摘可能であろう。つまり,(1)「固定資本の償 却進行水準」-前循環サイクル開始から一定の時間経過が進行しているこ
とによりその前循環サイクルにおいて導入された固定資本の償却水準がすで に更新可能期限に達しているため,新生産方法の採用(資本「構成高度化」)
に抵抗が小さいこと,(2)「固定攪本価値破壊の進行」-不況期の「初期条 件」からもあきらかなように恐慌勃発=「倒産の全面化」によって固定資本 の決定的な遊休化が帰結するが,この固定資本の遊休化がその「価値破壊」
を強制することによって,既存固定資本の廃棄を条件とする資本構成高度化 への着手を容易にすること,(3)「資本収益状況の悪化」-いうまでもなく
「恐慌勃発一商品投げ売り-価格暴落」という不況期の「初期条件」に制約 されて資本利潤率状況が極度に悪いことにより,その打開策として生産性上 昇=コスト削減を可能にする新生産方法導入=資本「構成高度化」への誘因 が死活問題として強まること,(4)「資本循環速度の低下」-過剰商品の累 租=価格暴落にともなう資本利潤率の極端な低水準に制約を受けた資本の活 動意欲=コンフイデンスの著しい収縮に起因してこの局面での「資本循環ス ピード」が極点にまで下落する以上,固定資本更新に必要とされる生産の「一 時的停止ロス」が個別資本にとってほとんど負担にならずに資本構成高度化
(新生産方法導入)への動きが加速されること,などの諸点に他ならないd 要するにこの不況後半期=「回復期」にあっては,その前半期=「恐慌直後 期」からは一転して,資本榊成「高度化」の資本蓄稲様式へと転換をとげて いくための,その「必要性」と「可能性」とが必然的に形成されることが確
認できよう。
そのうえで第3論点は資本投資の規模およびその内実に関してである。つ まり先にふれたように,この不況期には資本蓄繭の動機は特定の目的に刺激 されて積極的に展開する性質のものではなく,あくまでも恐慌によって急縮 した生産のいわば「最小限規模」を維持するという消極的なものに限定され
4
不況期論の構成(村上)
ざるをえないが,しかしその際にも注意が必要なのはこの恐慌勃発直後にお いても一定程度の生産=投資がそれでも継続されるという「冷厳」な事実で あろう。言い換えれば,恐慌勃発によって生産と投資が全面的にストップす ると想定されてはならないのであって,「回復期」はもちろんのこと不況期前 半の「恐慌直後」期にあってさえ,一定レベルで生産=投資が連続していく 点の確認がまず不可欠といってよい。そこで問題はこの「一定程度」の「内 実」と「根拠」の明確化だが,それは資本制生産と「経済原則」との特有な 構造的関連の在り方に関わる。すなわち,あらためて言うまでもなく,資本 制生産は超歴史的な「経済原則」を歴史規定的な「資本」という「形態」に よって運営している1つの特殊な経済システムに他ならないから,この「資 本」という形態規定は「経済原則」から要請される原則的な規制に制約され て展開する以外にはない。まさにそのような「経済原則」レベルの規制作用 に「根拠」づけられてこそ,この「経済原則」水準を充足する「最低規模」
の生産と投資は継続をみると考えられよう。その意味で,不況前半期にも遂 行される生産=投資の「一定程度」水準の,まずその「内実」は「資本制生 産の基礎基盤」を構成しているいわゆる「経済原則」であり,つぎにその「根 拠」は資本制生産という1つの「社会の維持」のために必須な「最低規模」
経済活動の維持であることが明白なのである。したがって以上のような点 からすると,この不況期にあっても,後半の「回復期」はもちろんのこと前 半の「恐慌直後期」をも含めて,資本投資と生産とは,その明確な目標は喪 失しているにしても,「一定程度」の規模と速度をもって進行していくことが 否定できないと結論可能であろう。
以上,不況期の資本投資パターンの特質として,①資本制生産の実体的基 礎充足に制限された「最小規模」維持への「投資目的」の転換②前半期にお ける「構成不変」蓄積様式の残存化と「回復期」における「構成高度化」蓄 薇パターンへの劇的転回③「経済原則」遂行にともなう資本投資規模および 速度における「一定程度」水準の確保,の3点が析出できた。そこでこれら を前提にして次に直ちに課題となるのは,このような資本蓄積パターンに対 応してどのような「労働力需給関係」が展開するかという論点であろう。
〔2〕そこで第2に以上のような資本蓄積パターンをふまえてこの不況期
5
における労働力市場の動向へと視点を移そう。その際,問題検討の着眼点は いうまでもなく以下のような2つのポイントから構成される。つまり,労働 力市場動向とは労働力に対する需給関係動向以外ではないから,そのポイン トのまず1つは(1)「労働力需要の水準」に他ならないが,この「労働力需要 レベル」を規定するさらなる具体的な要因は①「資本投資絶対量」と②「資 本構成内容」との2つになろう。この2つのうちまず①からみていくと,同 じ不況期でも「恐慌直後期」と「回復期」とではその状況は若干異なる。最 初に「恐慌直後期」では,恐慌のダメージがまだ極めて甚大であることから して,この「資本投資絶対量」が著しく収縮したまま「最低限ライン」に止 まるのは明白である。したがってまず「恐慌直後期」=不況前半期に①が極 小なのは明らかだが,それに対して「回復期」に入ると,生産規模における
「最低限ライン」からのある程度の上昇開始により「資本投資絶対量」も一 定程度の拡大を示そう。こうして「回復期」=不況「後半期」に至るとこの
①は中程度の量水準を確保するとみてよいのであり,その点でこの「資本投 資絶対童」に関しては,「恐慌直後期」=「最低限ライン」に限定一「回復期」=
中程度水準の確保,という推移を辿ると考えてよい。ついでもう一方の②「資 本構成内容」に目を転じると,この点についても「恐慌直後期」と「回復期」
とでは質的な相違が明瞭である。つまり,まず「前半期」では恐慌期の資本 投資パターンに直接的に接続しつつ固定資本の遊休化=価値破壊にも強制さ れて「構成不変(ないし低下)」蓄積様式が帰結するのに対し,「後半期」に は固定資本更新=新生産方法導入の「必然性」と「条件」の完備に立脚して
「構成高度化」蓄頓様式への転換が実現する。要するに,「資本構成内容」に 関して,「恐慌直後期」=資本構成「不変(低下)」パターンー「回復期」=
資本構成「高度化」パターンという変化がみてとれるが,そうであれば,-
あくまでも資本構成タイプの点からのみ個別的に性格づけると-「恐慌直 後期」には労働力「吸収型」の資本投資動向が進展するのに比較して,「回復 期」にあっては逆に労働力「反溌型」資本投資経路が設定されていくという 整理も可能であろう。
以上のように考えてよいとすれば,①②の両面からの考察の結果,この不 況期の(1)「労働力需要の動向」としては総合的にみて次のように設定できる。
6
不況期論の構成(村上)
すなわち,まず第1に「恐慌直後期」には,「構成不変(低下)」蓄積様式と いう労働力「吸収」型の「資本構成内容」の下で「最低限ライン」水準の「資 本投資絶対量」が遂行されていくが,そこでは,たとえ「パターン」として は「労働力吸収」型ではあっても投資「絶対量」が「最低限ライン」である かぎり,「労働力需要」の総合的水準としては「低レベル」に止まるというし かない。つぎに第2に「回復期」では,労働力「反溌」型を意味する「構成 高度化」蓄積という「資本構成内容」の前提の上で「一定程度」水準の「資 本投資絶対量」が進行していくが,ここでは-「恐慌直後期」とはちょう
ど逆に-たしかに投資「絶対童」は「一定程度」水準にまでは上昇し始め てきているとはいえその「パターン」が「労働力反擁」型である以上,総合 的にみた「労働力需要」はいぜんとして「低レベル」を脱しえないと結論す る他ないであろう。そうであれば,この不況期においては,その前半期と後 半期とでは原因の構成要因は逆関係を示しつつも,総合的結果としては,前 半・後半期を包含して,「労働力需要」は「低レベル」で終始すると判断可能
だと考えられる。
そのうえで労働力需給関係を規定するもう1つのポイントはいうまでもな く(2)「労働力供給の側面」である。その場合,この労働力供給水準を決定す る現実的ファクターとしては-いま人口全体や労働力率などの非「原理論」
的要因をさしあたり捨象すれば-「相対的過剰人口」の形成水準が中心を 構成するが,それはさらに,1つには①「失業者の現存状況」によってそし てもう1つには「資本構成内容」から帰結する②「労働力反援状況」によっ て具体的に左右されるであろう。そこでこの2つを立ち入って考えると,最 初に「過剰人口の現存状況」に関しては,まず「恐慌直後期」ではすでに確 認した「倒産全面化一失業者激増」という不況期の「初期条件」から当然の こととして分厚い「過剰人口の累積」が否定できない。それに比較すれば,「回 復期」には生産・投資のある程度の回復にともない遅々としてではあるが労 働力の吸収が進展するだろうから「過剰人口の現存状況」はその累積ピーク を一応は乗り越えよう。その点からすれば,この「過剰人口の現存状況」に ついては,同じ不況期においても,「恐慌直後期」一「回復期」という変化の 中で,「過剰人口累積ピークの形成」-「累稲ピークの克服」という推移を経
7
過することが明らかといえる。それに対して「労働力反擁状況」はいかなる 動きをみせるか。この点についてはすでに穂定した,この局面における資本 構成パターンの特質からして明瞭だといってよく,まず「恐慌直後期」には
「構成不変(低下)」蓄積様式の持続に対応してそれ自体としては「労働力吸 収」タイプが進行する。したがって不況期のうちでも最初の「恐慌直後期」
には「労働力反搬状況」は大きくはないが,次の「回復期」に入ると「構成 高度化」蓄積様式が出現していくから,このフェーズでは一転して「労働力 反機」タイプに転換しよう。そしてその結果ここでは「労働力反擦状況」は その水準を高めるとこそ性格づけ可能だといってよい。
そこで,以上で個別的に検討した「失業者の現存状況」と「労働力反嬢状 況」との2つの要因を総合化して総括すると-その位置関係はちょうど逆 だとはいえ-,以下のような理由で「恐慌直後期」および「回復期」の両 局面に共通して「労働力供給の過剰」動向が結論できる。すなわち,1つ目 に「恐慌直後期」では,たしかに-面で「労働力反擬状況」は決して大きく ないとはしても他方で「失業者の現存状況」は極めて甚大なレベルにあるか ぎり,総体的には「労働力の供給」圧力はかなり高水準だとみる他はない。
ついで2つ目として「回復期」においては,生産と投資の「一定水準」以上 への進行に条件づけられて失業者の生産過程へのある程度の吸収が進捗し,「失 業者の現存状況」がピークを越えて下降基調をとり始めることは事実だとし ても,他面では「構成高度化」蓄穂パターン出現に立脚して「労働力反擁状 況」が強化されるから,それらを総合すれば「労働力の供給」程度は依然と
して高いレベルに固定化されるとみる以外にはない。要するに,この不況期 の(2)「労働力供給の動向」としては,-その原因は逆方向だとはいえ「恐 慌直後期」および「回復期」の両局面を貫いて-「高レベル」の労働力供 給維持を余儀なくされ,したがってその帰結として極めて強い「過剰人口圧 力」が発生すると整理可能であろう。
そこで最後に(1)と(2)の相互関係をさらに全体的に考慮すると,この不況期 にあっては,「資本投資絶対量」「資本構成内容」「失業者現存状況」「労働力 反掻状況」という4つの「経済指標」の推移に規定されて,一方での「労働 力需要の停滞」と他方での「労働力供給の激増」が発生すると結論づける以
8
不況期論の榊成(村上)
外にはない。そうであれば結局,労働力需給関係における極度の「弱含み」=
「過剰人口圧力」の強大化とその進行という点にこそ,景気循環過程の他の 局面では決して検出しえない,この不況期・労働力市場の典型的な特質があ ると総括できるように考えられる。そしてそうであれば,このような労働力 需給関係における過剰人口圧力の強大化が,次に労賃水準の決定機構に対し て独自の反映関係において作用していかざるをえないのは自明のことといっ
てよい。
〔3〕ではこのような労働力市場の動向は賃金水準へどのように作用して いくのであろうか。その場合直ちに注意しておく必要があるのはこの「賃金 水準」という定義の内容であって,いうまでもなく「賃金水準」には賃金絶 対額としての「名目賃金」とそれに物価水準を考慮した「実質賃金」とがあ る。そして資本利潤率に質的影響を与えて景気動向を動かしていくのはこの 2つのうちの「実質賃金」に他ならないが,-次に考察を加える-商品 市場の帰趨とそれによって決定をみる「物価水準」動向をまだ考慮外に置か ざるをえないここでは,さしあたりまず賃金水準の基礎条件を構成するに止 まる「名目賃金」の基本的動向の確定に検討を限定しておく以外にはない。
こうして検討のポイントを一応「名目賃金」に集中させれば,すでに確認 できたこの不況期の労働力需給関係の特質からして,不況期における賃金水 準動向の基本的傾向はあまりにも明白であろう。つまり,立ち入って検討し たように「労働力需要の停滞」に対する「労働力供給の激増」によって労働 力需給関係の極度の「弱含み」=過剰人口圧力の強化が深刻化するかぎり,
名目賃金はこれまでの循環過程では経験したことのない低レベルにロ申吟する こととなり,その結果,この不況期における名目賃金水準はいまや未曾有の 下方極限値に達するに至る。そしてこのような(名目)賃金水準の破滅的下 落は,やがて利潤率回復の1つの要因となって景気回復=好況期への上方転 換に関する主要要因となっていくが,そのような具体的プロセスについては,
後に物価動向をも視野に入れた「実質賃金」の考察を加味して始めて明らか になることにも注意しておきたい。
以上までで,「資本蓄積パターンー労働力市場動向一賃金水準」という,不 況期における基本ラインを確定してきた。換言すれば,ここまでが「不況期
論」の最も中軸的骨格だといってよいが,ついでこの土台を前提としつつそ の上に,「不況期論」を内実的に構成していくヨリ現実的な運動過程がさらに 組み立てられていかねばならない。具体的にいえば,不況期における資本投 資活動を内容的に規定する,「商品市場」と「資本利潤率」の現実的展開を立
ち入って考察することが次の課題となろう。
Ⅱ不況期の物価水準と利潤率
〔1〕さてまず不況期における物価水準の基本的動向から考察を開始しよ う。すでに前稿で検討したように,この不況期に先立つ恐慌期においては「恐 慌勃発一倒産全面化一商品投げ売り一価格暴落」というプロセスを経過して 物価水準の極度の下落がすでに発生していた。したがって当面の不況期にお ける物価水準の検討に際してもこのような「物価下落」を不況期の「初期条 件」として前提する他なく,それをスタートラインにしてそこから,この物 価水準の超低水準値が徐々に上昇経路に乗り始めるという軌跡が描かれてい くことになろう。そしてその場合,資本の再生産過程との内的関連において この不況期の物価水準動向を解明する論点としては,さしあたり以下の3点 が特に重要だと思われる。
すなわち,まずその第1論点としては(1)不況期の「前半期」と「後半期」
との内容的相違を明確にする必要がある点に他ならない。まず「前半期」=
「恐慌直後期」では,すでにみた不況期の「初期条件」に接続して「商品投 げ売り」による「価格暴落」が全面化する以上,それを直接の前提として極 端な「物価低水準」が進行する以外にはない。その点をもう-歩立ち入って 考えると,一方で,恐慌勃発時における急激な資金需要の緊急性に切迫を受 けた市場への商品販売動機の激増=「投げ売り」を通して商品市場における
「商品供給量」は異常な膨張をみせる。そしてこの異常な商品供給壁の中で は,恐慌直前期まで「売り惜しみ」投機5〕というかたちで人為的に供給を制限 してきた商品群もその大きな比率を占めるのであろうが,いずれにしてもま ず「前半期」には商品供給量の圧倒的多壁さが否定できない。それに対して
「商品需要量」は著しく収縮したままであろう。いうまでもなく「倒産の全
-10-
不況期論の構成(村上)
面化」に制約されて生産・投資が「最小規模」にまで萎縮してしまうかぎり,
投資需要関連であれ消費関連であれ,商品市場における「商品需要」は決定 的に低迷するのは当然だからである。こうして不況期の中でもこの「恐慌直 後期」にあっては,「商品供給の異常な膨張」と「商品需要の極端な低迷」と の2つのベクトル関係の合成作用の結果として,極端な「物価低水準」が帰 結するとまとめられよう。
このような不況前半期での低水準物価の極端性に比較すれば,次の不況後 半期=「回復期」にはそこから一段階の物価水準回復が見てとれる。という のも,まず-面で,不況期における-「経済原則」充足限定型の生産・投 資ではあれ-生産と投資がそれなりに進行する以上,恐慌勃発にともなう
「商品投げ売り」によって累澗した商品滞貨(商品市場における商品の過剰 供給分)も徐々に少しづつ解消に向かって動こう。また他面では,「最低限レ ベル」での生産と投資の継続という,この同じ「経済原則」的状況は,それ が持続的に連結・更新されていくことを通して,商品需要の「極端な低迷」
という極限値を脱却せしめてそれを一定の上昇経路へと押し上げていく。し たがって,この不況・後半期にあっては,過剰商品の解消化の始動による「商 品供給」における「異常な膨張」の緩和が進むとともに,生産・投資の連結・
更新軌道の定着化による,「商品需要」における「極端な低迷」の克服に着手 されるため,全体として物価水準はそのボトムを乗り越えて回復基調へと転 じていくと整理可能なのである。こうして不況期の物価水準としては,-
もちろん総体的には「物価低水準」という基本傾向にあるのは当然だが-
「恐慌直後期」=「極端な低水準」-「回復期」=「上昇経路への進入」,と いう2つの局面に特有な状況において特徴づけられることが不可欠であろう。
そのうえで不況期の物価水準に関する第2論点としては(2)物価動向に及ぼ す商業資本の作用が指摘されねばならない。別の機会に立ち入って考察した ように,商品市場における物価水準動向は,産業資本によって生産された商 品が商業資本によって購入される際の「商業資本購買価格」を巡る,「産業資 本一商業資本」間の「力関係」によって現実的には決定をみる6)。つまり,産 業資本からする商業資本への商品販売「移誠」動機=要望のベクトルと,商 業資本による産業資本からの商品購買「引受け」動機のベクトルとの強弱関
-11-
係に規定されて「産業資本一商業資本」間の商品買付価格が変動し,その結 果物価水準がその具体的水準を形成すると考えてよい。そのようなセオリー を前提にしてこの不況期における「産業資本一商業資本」間の「力関係」を 確定していくが,まず-面として産業資本の商業資本への「売り込み需要」
の動向はどうか。この点に関しては,すでにしばしば確認した不況期の「初 期条件」からして事態は明白であろう。なぜなら,「恐慌勃発一倒産一商品投 げ売り」という不況期「初期条件」に規制されて産業資本は凄まじい商品販 売圧力(=「投げ売り」の不可避性)に曝されている以上,あらゆる方策を 駆使して商品販売の可能性を模索しているのだから,そこから「産業資本一 商業資本」への巨大な「商品売り込み需要」が発生・拡張していくのは当然 だからである。こうしてまず産業資本の側からして「売り込み需要」の激増 が帰結すると考える以外にはない。
そのうえで他面で商業資本の産業資本からの「買い付け需要」はどのよう な状況にあるか。しかしこの問題についても結論はすでに明らかであろう。
前稿7〕でやや詳しく検討した通り,恐慌勃発に際しては投機の破綻=価格暴落 が決定的要因をなし,しかもこの投機の展開・盛行については商業資本がそ の中枢的役割を演じていた。したがってこの恐慌勃発後の不況期においては まさしく商業資本こそが商品滞貨=過剰圧力に対して最も深刻にⅡ申吟してい るかぎり,商業資本の対産業資本商品「買い付け」需要・動機および能力が 極端に低迷していることに疑問の余地はありえない。むしろ,産業資本商品 の購買が低迷するどころか商業資本自体が-いうまでもなく投機目的で「積 み上げ」た-自らの過剰在庫を販売・処理することに忙殺されざるをえな いといってよく,いわんや商業資本による「買い付け需要」が広がる余地は 皆無であろう。いずれにしても「商業資本一産業資本」という「買い付け需 要」が極端に収縮する他ないことは明瞭なわけである。
そうとすれば,以上でフォローした「売り込み需要」と「買い付け需要」
との2つのベクトル状況からして,「産業資本一商業資本」間での商品売買価 格の水準についても,いまや次のように判定することが可能である。すなわ ち,一方で産業資本からする商業資本への「売り込み需要」が「激増」する にもかかわらず,他方で商業資本による産業資本に対する「買い付け需要」
-12-
不況期騰の榊成(村上)
が「激減」する以上,その両方向の力関係によって決定をみる「産業資本一 商業資本」間での商品取引価格はいうまでもなくかなりの「低水準」に張り 付くことになる,と。こうしてまずなによりもこの「産業資本一商業資本」
関連レベルにおいて物価水準低落の基礎構造が確定できるのであり,まさに それをふまえてこそ次にこの商業資本の相互的連関に即して,商品市場にお ける物価水準の低水準基調が現実の「市場価格」レベルにおいて具体化して
いくとまとめられよう。
そのうえで不況期の物価水準動向を解明するための第3論点は,(3)物価下 落運動における「いわゆる「底入れ」」についてどのように理解するかという 点に他ならない。さてこの「底入れ」問題に関しては代表的には馬場宏二氏 による問題提起があり,例えば次のようにいわれる。つまり,不況期を脱し て回復期へ向かう「拡大要因として挙げられるのは技術革新的合理化投資で あるが……問題はこの種の困難な投資が,いかに資本の価値破壊が行なわれ 固定資本の制約が軽減された時期のこととはいえ,先行き上昇の,少なくと も安定の見通しがないままに,赤字も覚悟でいわば死の飛鬮として盲目的に 行なわれうるだろうかということであ」る。そしてその場合,「そうした見通 しは,景気過程のなかでは沈滞状態つまり投げ売りを伴うパニックののちに 在庫整理が漸次進行する過程において成立してくるといってよい」が,「宇野 氏は,その底入れ過程を明示的に論じていないし,底支え要因についても充 分明瞭にしているとはいい難いのである」8)と。
こうして馬場氏によれば,結局この「底入れ」問題のポイントは「物価下 落」の「累積的下降」の歯止め=「底入れ」をどのように設定すべきかとい う点に集約されることになろう。このような問題提起を前提にして馬場氏は,
この価格下落の歯止め=「底入れ」に関する1つのアイデアを「金生産部門」
の特殊性に即して以下のように主張される。つまり,「不況の底を支えるもの は何か。結論を先にいえば,それは金であり,なかんづく金生産の拡大であ る」としたうえでその論理がこう設定されていく。まず「本来的貨幣である 金の需要はさしあたり無限大である」と前提しつつ,「従来の退蔵貨幣」が枯 渇するとやがて「ついに金生産の増大が要請されることになる」が,この不 況期には「もともと物価が大幅に下がっているのだから,金生産は極度に有
-13-
利になっているはずであ」りしたがって「高利潤を誘因として金生産は急速 に拡大される」から,「かくして,物価は金生産の増大によって下支えされる ことになるのである」9)と。要するに,不況期における一般物価の下落一金生 産部門の費用価格低下一金生産部門利潤率の相対的有利化一金生産の拡大一 生産手段・消費資料への需要拡大一一般的価格水準の回復,というロジック であり,まさに「金という使用価値の特殊性」を根拠として「底入れ」を解 明しようという試みに他ならない。しかしこのような「底入れ」論に対して は次のような疑問が直ちに指摘できよう。
つまり疑問の第1は,そもそも不況を馬場氏の把握の如く「下降の連鎖過 程」としてイメージしてよいかという点である。この「不況イメージ」につ いて,氏は例えば「沈滞期はひとつの悪循環の過程にある。物価は下落し,
利潤は保証されないのみならず,赤字の危険が目にみえている。……需要の 低下と物価の下落は互いに原因となり結果となっていて,そこから安定化,
均衡化の要素は出てこない」'0)といわれる。みられる通り馬場氏の「不況イメー ジ」は「悪循環の過程」といういわゆる「慢性不況」そのもののイメージだ がそう把握してよいだろうか。つまり,この馬場説にあっては不況期のある 段階までは過剰滞貨がますます増加すると理解され,だからこそ全能達に条 件づけられた「底入れ」が模索されるのであろうが,そもそもそのような作 業の前提をなす,(原理論的な)不況期の「慢性不況」としての把握こそ,「独 占による景気循環モデルの歴史的変容」という「段階論」レベルの事実に引 きずられた結果生じた1つのバイアスに他ならない。したがって「原理論」
次元で不況論を構成するかぎりでは,物価が「悪循環」的=スパイラル的に 下降を続けるという「不況イメージ」を設定する妥当性はまずもってないの であり,そうであれば結局,不況の「底入れ」を確定しようとする試み自体 がそもそも不必要だったという以外にないのである。次に第2の疑問は,こ のような「金生産部門」の特殊性に立脚した「底入れ」論は不可避的に-
周知のようにその学説論争上極めて難点の多い-いわゆる「部門間不均衡 説」に帰着してしまう点であろう。なぜなら,馬場氏の論理は,金のもつ貨 幣論的な(したがって「形態論」的な)特殊性を「金生産部門」といういわ ば「生産部門」次元にまで拡大させつつその「金生産部門」に対して他牛産
-14-
不況期論の榊成(村上)
部門とは「質的」に区別される特殊な役割を付与しようとするものであって,
原理論に生産部門間の質的差異を導入する一種の「部門間不均衡説」に結び つくからである。その点で馬場「底入れ」説は,「部門間不均衡」から景気循 環の展開を説明してしまう点で,問題の多い「商品過剰論」に落ち込む危険 性が高く,逆にいえば,「資本一賃労働関係」から景気循環過程を論理化しよ うとする「資本過剰論」的見地が不明確になりかねないという意味で疑問が 残ると考えられよう'1)。そのうえで疑問点の第3は,馬場氏による「底入れ」
論の論理構図においても次の点が依然として暖昧なままになっていることに 他ならない。すなわち,「金生産部門」拡大の結果増産されていく「商品とし ての金」は「誰によって」「何を目的として」購買されていくのか,が明確で はない点である。いうまでもなく「金」は「一般的等価物」としての貨幣と して利用可能だが,だからといってその特質から「自動的に」,金需要が無条 件で保証されるわけでは決してない。すでに指摘したように馬場氏は例えば
「本来的貨幣である金の需要はさしあたり無限大である」と断言するがそう ではあるまい。というのも,この不況期には貨幣(金)が不足・欠乏してい るわけではなく逆にその貨幣(金)を有効に投資できるための諸条件こそが 不足・欠乏しているのであって,むしろその意味では貨幣(金)は「過剰」
だとこそいうべきである,からである。そうであればこのような貨幣(金)「過 剰」の下で「誰が,何を目的として」貨幣(金)を購買しようとするのかが 全く理解不能となるのではないか。要するに馬場氏には,「「一般的等価物」
の資格で無条件に需要される」という「貨幣(金)の一般的特質」と「投資 可能諸条件の未整備に制約を受けた貨幣(金)の遊休」という「不況期局面 での貨幣(金)の役割」との間の混同があるといってよいが,この「増産さ れた金」に対する円滑な需要条件の確定が明確にならなければ,「金生産部門
拡大」Iを突破口とした馬場氏の「底入れ」論もその成立基盤を失うといわざ
るをえないであろう。
そこで以上のように考えてよければ,この「底入れ」論に関しては以下の ように整理することがさしあたり可能となる。つまりまず何よりも「不況イ メージ」としてはいわゆる「慢性的不況」イメージを採用しないことが基本 前提となろう.換言すれば,不況期進展後も市場へのさらなる新規過剰商品
-15-
供給が続き,その結果,物価の一層の下落が螺旋状に進行するという「悪循 環」過程は始めから排除されることが不可欠といってよい。そうではなく,「信 用供給の全面的停止一倒産の全面化」という恐慌勃発プロセスの中に,個別 資本間での「打撃の強弱」=「恐慌勃発必然性における不均衡」を讃極的に は論理化できない以上,その帰結として生じる「投げ売り」の展開状況につ いても稲極的な格差を設定することは困難である。したがって,この「投げ 売り」は,出来る限りでの現金回収という死活問題状況に迫られていわば「一 挙に」集中して実行されるとみる他ないから,産業資本・商業資本による市 場への商品供給は恐慌勃発後に「一挙に集中して」繰りひろげられるとみる べきだし,それにともなって物価水準も,「投げ売り」のこの集中的発生の結 果「一挙に」そのボトムへ下落するとイメージする以外にはない。一言でい えば,恐慌勃発直後の「-挙的」価格暴落到達点=ボトムが実は同時に不況 期の「底」なのであって,そこからさらに新規の過剰滞貨が出現して物価の 一層の低下が深化していくと理解してはならないのである。要するに,不況 期進行のある地点に「底入れ」を探し出そうとする発想自体が不適切なので あり,その意味では恐慌勃発直後以外に「底入れ」期は存在しないとこそ言 うべきであろう。そして不況期の物価動向が以上のように把握できれば,そ れを前提にしてさらに,この不況期の利潤率動向も続いてその視界に入って
くるといえよう。
〔2〕そこで次に不況期の資本利潤率動向に視点を転じるが,その場合こ の利潤率水準の確定にとって不可欠の条件をなすのはいうまでもなく「実質 賃金」レベルに他ならない。なぜなら,この「実質賃金」水準こそ,物価水 準をも考慮しつつ資本側の実質的な利潤増加分を規定しそれを通して資本利 潤率の現実的な位置関係を決定することになるからであるが,これまでの考 察過程では賃金水準はまだ「名目賃金」に限定されていた。このような見通 しをふまえて不況期における「実質賃金」の動きをフォローすると,その水 準を規定するのは-その両者とも低レベルに位置している中で-,「名目 賃金」と「物価」とのどちらが「ヨリ大きく」低下するかという点であろう。
この2つの「低下程度」の大小は,抽象的には確定し難いともいえるが,し かし例えば宇野氏がいわれるように以下のような特殊性はやはり無視できな
-16-
不況期論の構成(村上)
い。つまり宇野氏は「それにしても賃銀の切り下げだけは特別のものとして 考慮されなければならない。勿論それも再生産の停滞によって生じたもので あって,特に賃銀だけが低落するわけではないが,しかし他の商品と異って 需要が減退したからといって供給を減ずるわけにはゆかないし,商品として 販売しないからといって労働者は生活しないわけにもゆかないので,その低 落は特に激しく,永びくことにならざるを得ない。それは恰も好況期におけ る投機に対応したものといってよい」'2)と説明されて,「名目賃金」の方が「物 価」よりも一層大きく低下すると主張されている。そしてその説明の根拠と
しては,「需要が減退したからといって供給を減ずるわけにはゆかない」'3)こ とおよび「商品として販売しないからといって……生活しないわけにもゆか ない」という,「労働力商品」のもつ特殊性が強調されつつ,結局,物価下落 を上回る「名目賃金」の低下というこの不況期の特質が,物価上昇を越える
「名目賃金」の騰貴という好況期の特徴に「対応」するものである点が適切 に指摘されていくといってよい。そうであれば,このような妥当な論拠に立 脚した「賃金下落>物価下落」という宇野説が論理的には十分評価できるか ら,ここでも,「労働力商品特殊性」の決定的重要性に基づいて,「名目賃金 の物価水準以下への下落」傾向を確定可能だと結論できる。
こうして「名目賃金水準く物価水準」という関係が設定できれば,そのこ とから必然的に「実質賃金」水準に関する一定のランクづけが以下のように 導出できるのは当然であろう。つまり,いうまでもなく上記の不等号関係か らして,かなりの程度低い物価レベルに比較しても「名目賃金」がさらに低 水準に位置づけられるかぎり,労働者の内実的な生活程度を表現する「実質 賃金」は極めて大幅な下落を余儀なくされる点が論証できること,これであ
る。
以上のように考えてよければそのうえで最後に,この不況期の利潤率水準 はどのように位置づけられるだろうか。さていまみたように確かに「実質賃 金」は大きく低落しそれが資本利潤率にとっては有利に作用すること自体は 否定できないとしても,他方に以下のような諸条件が存在するかぎりやはり 利潤率の大幅な低落は決してまぬがれ得ない。すなわち,まず第1に恐慌勃 発による直接的被害としていわゆる「不良債権」の累積が顕著であろう。も
-17-
ちろん大部分の資本はこの一般的過剰生産恐慌の発生とその連鎖を通じて倒 産を余儀なくされるが,たとえ倒産そのものを回避できたとしても,「商品流 通・信用決済連鎖」の切断によって売買債権・貸付債権・預金債権の回収は 不能となるから,その結果多額の「不良債権」を抱え込むことになるのは必 定といってよい。こうしてこの不況期の資本収益状況としては,まずその最 も外枠的環境において「債務超過」=経常赤字という動向が支配的だと特徴 づけ可能なのである。次に第2として利潤率を構成する資本の「コストー利 潤」バランスの側面からも利潤率低落基調がみてとれる。いうまでもなくこ の不況期の資本蓄穣パターンは(その後半期をなす「回復期」に到達するま では)恐慌直前期の投資タイプを継続しているが,そうであれば恐慌直前期 での「投資効率」=「コスト効率」における低水準をこの不況期にもそのま ま踏襲していることになろう。換言すれば,恐慌直前期に目立った,構成不 変蓄薇様式に随伴する「原材料費・人件費コストの膨張=労働生産性の低下」
という傾向が当面の不況期にも基本的構造としては持ち越されていることに 他ならず,それが利潤率に対する下方圧力として作用していくのである。もっ とも,すでに検証したようにこの時期には「実質賃金」の大幅低下が生じて いる以上,上記諸コストのうち資本の「労務費」負担には改善の方向がみら れるから,それが利潤率低迷の1つの歯止め措置を形成していることは否定 できない。しかしそうだとしても,不況末期に至って新生産方法導入=固定 資本の稲極的更新が実現するまでは資本投資におけるこのいわば「高コスト」
体質は本質的には克服されないだけではなく,「労務費」負担と並ぶ「原材料 費」コストは,物価水準低下という一般的状況にあっても-他方で資本の
「販売価格」もその「購買価格」と同じ程度で下落している以上一相対的 には一向に好転してはいないかぎり,全体として利潤率の悪化趨勢は依然と して続く他はない。要するに,「実質賃金」水準の低下傾向にもかかわらず,
資本の「ニストー利潤」バランスからしても,この不況期には利潤率低迷基 調は決して回避できないとみるべきであろう。
そのうえで第3に商品販売の現実的状況からいってもこの不況期の利潤率 水準は低位に釘付けされざるをえない。この点はすでに商品市場の動向とし て確定した通りだが,恐慌勃発にともなう商品の投げ売りによって市場には
-18-
不況期論の榊成(村上)
過剰滞貨が充満しており,その結果としてまず商品の販売実績量は著しく停 滞しよう。しかも-たとえ販売されたにしても-その販売速度は極端に 鈍化するであろうから,それに制約されて資本の回転数は大きく落ち込む以 外にはない。こうしてこの2要因の作用から制限を受けつつ,-面での,商 品販売堂縮小による各「資本回転」ごとの「利潤堂」減少と,他面での,販 売期間の延長によるその「資本回転」自体の減少とによって,この「利潤量」
と「回転数」との「積」によって算出される資本の絶対的な「利潤総堂」は いずれにしても縮小に追い込まれることは自明なのである。したがって不況 期における商品市場のこの特殊性からしても不況期・利潤率の低迷化は否定 できないところであろう'4)。
〔3〕以上までで不況期の内容実質を構成する「物価一利潤率」構造をみ てきたが,それを前提として,不況期論の「難問」の1つをなすとされる「失 業者の生存問題」に対して一定の照明を当てておこう。その場合この問題は
「失業者はいかにして生活しうるかという難問」に他ならないが,そのそも そもの出発点は宇野氏による次のような問題提起にあった。つまり宇野氏は,
「原理的に資本主義の一般的法則を明らかにする場合には,労働者の賃銀は,
労働力の価値の価格化したものとして一定の生活水準を前提とせざるを得な いのであるが,それは……理論的考察にあっても経済循環の各段階において は,或るときは価値以上に上がると共に,或るときは価値以下に下がるもの である」という基本認識をふまえたうえで,「循環の全体を通じては大体労働 力の価値を支払われるものとして理解し,その内にかかる騰落を含蓄するも のとしなければならない」'5)とされる.こうして,「失業労働者はすべて餓死 しなければならないという風に理解すべきではない」ことのまず最も根底的 理由として,不況期における「価値以下に下がった」賃金は好況期における
「価値以上に上がった」賃金によって相殺されるという,「循環の全体を通じ た労働力価値の保障」関係が明確にされているといってよい。そして具体的 には,好況期での「労働力価値」超過分が-例えば「貯蓄」などの形態で 保留されると想定可能だが原理的にはその現実的形態を特定する必要も根拠 もない-何らかの形で「蓄え」られて不況期での「失業者の扶養」および
「労働力価値」以下分への補填に回される,という内容になるのであろう。
-19-
しかしそのうえで宇野氏は,以上のような基本把握と並べてそれとはやや異 なる説明をも提起されのであって,例えばこう指摘される。すなわち,「一般 的には失業人口は就業人口の負担において存続するものと想定しなければな ら」ないのであり,まさに「この関係を如実に示すもの」としては,「一日の 労働力の価値を支払われるのでなく,その一部を支払われて労働時間を短縮
される就業」である「所謂ハーフ・タイム」'6)労働が実施される,と。
さて,「失業者はいかにして生活しうるかという難問」に対する宇野氏の以 上のような回答に関しては,次のような点に注意が必要だと思われる。まず 第1に,「循環の全体を通じた労働力価値の保障」とその「循環内部での賃金 の騰落運動」という宇野氏の基本把握は十分に評価されてよい。というのも,
景気循環過程こそ,資本主義の「体制的法則」である「価値法則」を具体的 に貫徹させていくその現実的運動過程に他ならない'7)以上,利潤率・利子率・
物価などの諸経済量と同様にこの賃金もまた,この景気循環過程の内部で騰 落運動を展開しつつその「循環の全体」におけるいわば「平均値」としてこ そその客観的基準が決定をみる-という内容をもたざるをえないからで ある。そうであれば,好況期には,「労働力の価格」=賃金は「労働力の価値」
をあきらかに超過して支払われているから,「論理的」には,その超過分は何 らかの形態で「保留」されていると考える以外にはなく,したがってこの不 況期には,その「超過分」が「賃金の,労働力価値不足分」および失業者の 生活費分を賄っていると想定するのは極めて合理的だといえよう。要するに,
「循環内部における賃金騰落の相互相殺関係」という説明は,「景気循環を媒 介にした資本主義における価値法則の貫徹」という,価値法則論のまさに根 幹に関る重要問題に連結しているといってよいのである。このように論理化 できれば第2に,例えば次のような馬場氏の宇野説批判には疑問が残る。つ まり,馬場氏はこのような宇野氏の「景気循環内部賃金保障説」に対しては,
労働者に(好況時の)「仮にわずかの貯蓄があるとしたところで再貯蓄ができ ない以上は急速になくなってしまうだろう」'8)とか,「それは全体としてみれ ば,過去のわずかな貯蓄のくいつぶしないしは売り食いによるほかないが,
それを長期間続けうる保証はない」'0)などといわれて,否定的スタンスを示す。
しかしやや細かい議論に立ち入ると,氏がいわれるように,もし好況期での
-20-
不況期論の構成(村上)
「超過分」=「過去のわずかな貯蓄」が「急速になくなってしまう」程度の ものにすぎないとすれば,それに対応して,不況期での「不足分」もむしろ その程度に止まるとこそ考えられるべきであって,好況期における「超過分」
が不況期における「不足分」を「大きく」下回るにちがいない,とするのは 馬場氏の一方的な独断であろう。こうして,何ら根拠のないやや常識的な理 解に依存して,好況期での「貯蓄」は不況期における失業者扶養には不足す る,とする馬場氏の宇野批判にはむしろ逆に難点があるように思われる。
そのうえで第3として,宇野氏による「パート労働」などの指摘には問題 が多い。その場合,宇野氏による,「失業者の扶養」問題に対するこのような
「ハーフ・タイム労働」=パートタイム労働の主張には,「一般的には失業人 口は就業人口の負担において存続する」=「過剰人口も現役労働者の賃銀に よって生存する」20)という想定が前提になっているとみてよいが,その立ち入っ た内容がさらに次のように述べられる。つまり,「この点は,たしかに原理的 に規定しうることではない」が,「強いて考えれば,好況期中に動員された労 働者の家族員の中から不況期の失業者を出し,就業者の賃銀によって失業者 も生活するということになる」21〕と。しかし,「好況期中に動員された労働者」
と「不況期の失業者」とが論理的に対応する必然性は何らないだけでなく,「労 働者の家族員」の構成を具体的にイメージしつつその「家族員」を「従業者」
と「失業者」とに「振り分ける」論理的根拠も全くない。こうして-現実 の歴史過程の問題としてはともかく少なくとも論理的には-,「ハーフ・タ イム」=「パートタイム」労働を論理化しつつそれを「失業者の生存」問題 に対する解決アイデアにすることは,ロジックの原理的展開に未証明な現実 的想定を混入させることになるから,理論的には極めて不適切だといわざる をえない。しかしそれだけではない。さらに-眉間題なのは,宇野氏による このような「パート労働説」は,「循環の全体を通じた労働力価値の保障」と いう,評価すべき基本論理と背馳しむしろそれを消極化してしまいかねない22),
という点であり,その点で,「パート労働説」は問題解決に何ら効果がないだ けでなく問題把握の論理性を損なうという意味で,むしろ逆効果だとさえい うべきではないか。このように考えてよいとすれば第4に総括的にいって,
結局,この「失業者の生存問題」は問題解決が著しく困難ないわゆる「難問」
-21-
というわけではないことが見えてこよう。そうではなく,この問題は,宇野 氏がすでに適切に設定していた,「循環全体を通した労働力価値の保障」とい う基本的ラインに沿いながら,「不況期の失業者の生存分および労働力価値以 下分は好況期での労働力価値超過分の貯蓄によってこそ保障される」-と して理解されるべきだし,原理論の論理レベルではそのような処理でまた十 分だと結論できよう。
Ⅲ不況期の信用動向と信用創造
〔1〕以上までで不況期における資本蓄積の基本構造を検出してきたが,
そのうえで次の課題をなすのは,このような資本蓄積構造に立脚しつつ不況 期を具体的に展開させていく信用構造の現実的プロセスに他ならない。そこ で以下では,特に「信用需給動向」「利子率水準」「信用創造」に焦点を当て て不況期の信用過程を考察していきたい。
それではまず「信用需給」はいかなる動向を示すか。最初にこの局面での 信用需給動向を第1に(1)「個別資本一預金銀行」レベル23)に即してみていく
と,1つ目として,この信用需給バランスの一方を形成する「個別賓本一預 金銀行」への「信用需要」はいうまでもなく急減しよう。その点はもはや明 白であって,すでに繰り返し指摘してきたように,不況期の「初期条件」か ら帰結する「物価暴落」・「商品在庫増大」・「利潤率低落」などに強制さ れて,この時期の資本投資=生産は-「社会の維持」のための「最低規模」
水準に制約されて-ごく低レベルの「一定程度」水準に限定されざるをえ ない。そしてそうであれば個別資本からする預金銀行への「信用需要」が極 めて不活発なのは当然であろう。その内容へもう-歩立ち入ると,1つには いまふれたように投資動機の低迷によってそもそも手形振り出し自体が縮小 するし,そのうえ2つには,恐慌勃発時の信用連鎖の破壊と信頼度の欠乏に 影響されて手形流通は著しくその弾力性を欠く。したがってまずなによりも 個別資本段階で手形の発生と流通が極端に減少する(逆に現金流通しか通用 しなくなる)のであり,そうだからこそこの「手形流通量の縮小」の反映と して,「手形割引」という方式で発現する,「個別資本一預金銀行」への「信
-22-