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Vol.68 , No.1(2019)075中島 正淳「シュリーラータにおける次第生起説について」

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印度學佛敎學硏究第68巻第1号 令和元年12月 (106) ― 443 ―

シュリーラータにおける次第生起説について

中 島 正 淳

1

.問題の所在

現在,シュリーラータの次第生起説は,「第一刹那に根と境とがあり,第二刹 那に識(触)が生じ,第三刹那以降に受→想→思と次第に生起する」という解釈 が定説となっている(加藤1989, 202–214).シュリーラータは受・想・思の心所の 実在を認めたのに対し,譬喩者やハリヴァルマン等は一切の心所の実在を否定し た.加藤1989は,その差異を踏まえた上で,心・心所が一つずつ次第生起する という点では,シュリーラータも彼らと軌を同じくすると指摘する. では,氏が指摘するように,シュリーラータの次第生起説は,果たして彼らと 同じなのであろうか.その如何によっては,譬喩者・経部の次第生起説をひと括 りにすることはできない.そこで本稿では,『倶舎論』とその 釈書であるTA, AKVy,及び『順正理論』を援用して,シュリーラータの次第生起説を再考する. 2

.シュリーラータの次第生起説

まずは「眼と色とに縁って眼識が生ずる.三者の和合が触であり,受・想・思 が共に生ずる」1)という経文に対するシュリーラータの解釈から確認する. 「共に生ずる」と説かれており,「触と共に生ずる」とは〔説かれてい〕ないから,こ〔の 経〕について何を説明しなければならないのか.またこの「共に」という語は「直後に」 という意味で〔使用されるの〕も現に見られる.たとえば,「慈と共にある念覚支を修習す る」というごとくである.ゆえに,こ〔の経〕は証拠とはならない.(AKBh 146, 12–14) 加藤(1989, 213–214)は,この『倶舎論』の記述に基づき,シュリーラータは 「受・想・思が共に生ずる」という経文を「受・想・思が無間に生ずる」と解釈 したという.では,この氏の理解は正しいのであろうか.そこで,この「直後 に」という語の解釈について,まずはTAの 釈から確認する.

(2)

(107) ― 442 ― シュリーラータにおける次第生起説について(中 島) 「共に生ずる」と説かれており云々.その経には「受・想・思が共に生ずる」と説かれてお り,触と〔共に生ずるとは説かれてい〕ない.それら〔受・想・思〕は確かに共に生ずる と認められるとしても,こ〔の経〕について何を説明しなければならないのか.「受等が触 と共に生ずる」と説かれていることを認めるとしても,受と触とが同時に生ずるとは考え られない.なぜか.この「共に」という語は「直後に」という意味で〔使用されるの〕も 現に見られる.慈と共にあるという場合は,慈と念覚支との二つが一刹那に共に生ずると は考えられない.〔慈は〕有漏であり,〔念覚支は〕無漏だからである.では,どうかとい えば,「慈の直後に念覚支を修習する」と理解される.同様に,こ〔の経〕の場合も「触の 直後に受・想・思が生ずる」と考えられる.ゆえに,こ〔の経〕は触と受とが共に生ずる こと〔を示すため〕の証拠とはならない.(TA D. 390a4–391b1; P. 76a6–76b3) TAの 釈によれば,シュリーラータは,この経文に説かれる以上,受・想・ 思が共に生ずることを認めた.その上で,それら受・想・思が触の直後に生ずる という意味で解釈したとされる.そのため,この「直後に」という語の解釈は, 「受・想・思が無間に生ずる」という意味を示すのではない.そこで続けて, AKVyの 釈を確認する. 「共に生ずる」と説かれており,「触と共に生ずる」とは〔説かれてい〕ないとは,特に述 べられていないから,これら受等は互いに共に生ずるのであり,「触と〔共に生ずるとは説 かれてい〕ない」と意味を捉えることによって,経を説明しなければならないという意味 である.慈と共にあるとは,この「共に」という語は必ずしも「同時に生ずる」という意 味ではなく,「直後に」という意味で〔使用されるの〕も現に見られる.(AKVy 309, 20–23) AKVyの 釈からも,「受・想・思が無間に生ずる」と解釈した証拠は見られ ない.むしろAKVyの 釈によれば,受・想・思の心所は互いに共に生ずると される.そのため,「直後に」という語の解釈も,TAと同様に「触の直後に受・ 想・思が生ずる」という意味で理解すべきであろう.ゆえに,TA·AKVyに基づ けば,シュリーラータの次第生起説は,「第二刹那に触(識)が生じ,直後の第三 刹那に受・想・思が生ずる」と理解できるのである. その場合,シュリーラータは複数の心所の倶生を認めたことになる.それは 「眼と色の二つに縁って,諸々の心所法が生ずる.識である触と共に,受・想・ 諸行に摂せられる〔心所法〕には原因がある」2)という偈文に対するシュリー ラータの解釈からも証明できる. 上座釋此伽他義言.説心所者次第義故…無別有觸.次第義者據生次第.謂從眼色,生於識 觸,從此復生諸心所法.倶生受等名心所法,觸非心所.(『順正理論』T. 29, 385b15–18)

(3)

(108) ― 441 ― シュリーラータにおける次第生起説について(中 島) この『順正理論』の記述から,シュリーラータが複数の心所法の倶生を認めた ことがわかる.また,ここでの「諸心所法」とは,先の偈文にある「受・想・諸 行」を指すと思われるが,シュリーラータは,諸行に摂せられる心所法は「思」 のみであるという(加藤1989, 204–205).したがって,詰まるところ,シュリー ラータの次第生起説は,「第一刹那に根と境とがあり,第二刹那に識(触)が生 じ,第三刹那に受・想・諸行(思)が生ずる」という理解になる. この次第生起説は,先のTAとAKVyとも対応することから,シュリーラータ は複数の心所の倶生に関しては容認したのである. 3

.『順正理論』における譬喩者の次第生起説

一方で,シュリーラータの次第生起説は,受・想・思の心所を認めないかぎり 成立しない.そこで「受・想・思・識という,これら諸法は併存しており,離れ ているのではない」3)という経文に対する譬喩者の解釈を確認する. 若唯有識前識滅已後識方生,云何可言如是等法和雜不離.若言由此受想思識無間生故名和 雜者,此亦不然.理不成故,餘契經説倶生言故.或識無間有此法生,容可説言和雜不離. 非識無間有受等三,倶時而起.如何可説受想思等與識和雜.故彼所執理教相違.(『順正理 論』T. 29, 395c21–27) 譬喩者はここで,先の経文を受・想・思が識の直後に生ずるから「併存」と呼 ぶと解釈する.しかし,譬喩者は心所を認めないため,識の直後に受・想・思の 三つがあって,同時に起こるのではない.ゆえに,衆賢は,譬喩者の主張する次 第生起説と経典解釈法とが矛盾すると反 していると見られる.このように, 受・想・思の心所法を認めない以上,譬喩者の場合はシュリーラータと同じ次第 生起説の解釈をとることができないのである. 4

.『成実論』におけるハリヴァルマンの次第生起説

また,シュリーラータの次第生起説は,ハリヴァルマンにも成立しない.そこ で「触は即座に受・想・思と共に生ずる」4)という経文に対するハリヴァルマン の解釈を確認する. 凡夫識造縁時,四法必次第生.識次生想,想次生受,受次生思.思及憂喜等,從此生貪恚 癡.故説即生.(『成実論』T. 32, 277c13–c19) ハリヴァルマンは,次第生起説に関して,シュリーラータとは異なり,「識

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(109) ― 440 ― シュリーラータにおける次第生起説について(中 島) (触5)→想→受→思」という順序を想定する(荒井1998, 238–239.そのため,彼の 次第生起説は,シュリーラータの解釈とは全く異なるのである. 5

.おわりに

以上,本稿ではシュリーラータの次第生起説を再考した.その結果,彼の次第 生起説は,「第一刹那に根と境とがあり,第二刹那に識(触)が生じ,第三刹那 に受・想・思が生ずる」という理解であることが明らかになった.一方で,心所 を認めない以上,譬喩者やハリヴァルマン等は,シュリーラータと同じ解釈をと ることはできない.ゆえに,従来のように,彼らの次第生起説をひと括りにする こともできないと言えよう. 現在の経部研究では,『倶舎論』の世親を基準として,世親以前と世親以後と の「経部」を分けて考察する傾向にある6).しかし,今回の検討から,世親以前 の経部に共通するとされてきた次第生起説ですらも,内実は論師たちの間で一貫 していないことが明らかになった.このことから,今一度,新たな経部像を考え ていかねばならない. 1)AKBh 146, 11–12.   2)『順 正 理 論』T. 29, 385b13–14.   3)AKBh 146, 14.    4)『成実論』T. 32, 277b16.   5)『成実論』T. 32, 286c13.   6)加藤(1989, 86–93)に 端を発する. 〈略号表〉

AKBh: Abhidharmakośabhāṣya of Vasubandhu. Ed. P. Pradhan. Patna: Kashi Prasad Jayaswal Re-search Institute, 1967.   AKVy: Sphuṭārthā Abhidharmakośavyākhyā. Ed. Unrai Wogihara. Tokyo: Association of Abhidharmakośavyākhyā 1932–1936.   TA: Chos mngon pa i mdzod kyi

bshad pa i rgya cher grel pa don gyi de kho na nyid ces bya ba Abhidharmakośabhāṣyaṭīkā Tattvārthā). D no. 4094, P no. 5595.

〈参考文献〉

荒井裕明 1998 「『成実論』における五蘊の順序」『駒澤短期大學佛教論集』4: 29–38. 加藤純章 1989 『経量部の研究』春秋社.

〈キーワード〉 経部,経量部,シュリーラータ,世親,譬喩者,次第生起説

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