複式簿記の起源論
1
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会計 史 方 法 論 に よ せ て
│
│
茂 木 虎 雄
五 四 三
複式簿起源論再考
ー1
1リトルトンの方法について│‑
複式簿記の起源論の伝統
││古代ロl
マ記 と中 世イ タリ ア説
││
複式簿記体系化の筋書き
複式簿記の起源論の遇説についての問題
むす
びに
かえ
はじめに
て簿記が歩んできたと思われる発展過程を考察するにあたって︑最初にぶつかる一つの根本的な疑問は︑い
ったい︑複式簿記はいつごろ完成したか︑また︑複式簿記の完成ということは如何なる軌範によって認識さ
れるべきものかということである︒
複式簿記の起源論
四
立教
経済
学研
究第
三九
巻一
号(
一九
八五
年)
回 目
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トルトン﹃会計発達史﹄
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発生史は︑構造を決定する︒今日︑複式簿記の機能目的は損益計算に重点をおいて理解されている︒財貨
の管理の計算手段としての役割を歴史は証明している︒これが﹁人名勘定﹂の出現からもうかがえるが︑管
理計算と損益計算の統合体系として複式簿記は体系化されたが︑その端緒を問うことをここで目的とする
が︑複式簿記の計算構造は発生史に規定されてくる︒
複 式 簿 記 起 源 論 再 考
│
│ リ ト ル ト ン の 方 法 に つ い
て
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複式簿記の起源論は会計史学の第一の問題である︒複式簿記がどのような経路をたどっていっ︑どこで成立したか
という問題が起源論となづけられているが︑これは会計史という学問の︑まず最初に出会う問題であるし︑また会計
史が複式簿記史として発展してきた研究史的経緯からみて最も基本的な問題でもある︒これが﹁第一の問題﹂という
意味である︒ここには複式簿記とは何かというそれぞれの論者の規定もからまる︒
今日︑複式簿記の起源論というとき︑これは二大別されて︑古代ロlマ説と中世イタリア説となる︒ところでこれ
は起源論として︑いっ︑どこで複式簿記は確立したかという議論で︑地域問題をふくんで完成時点をさぐろうとする
ものであった︒完成時点探求論として起源論が語られていた︒紀元前一・二世紀の古代ロlマで複式簿記は成立した
という説と︑中世末期の北イタリアで複式簿記は成立したという説である︒複式簿記が成立したのは古代ロl
マか
︑
中世イタリアか︒
複式簿記の方法を知ることが会計史の問題であるが︑その方法は帳簿記録という行為であって︑その行為は帳簿記
録として残る︒この帳簿が史料となって会計史は展開する︒
ある行為とか事象をおぼえておくために記録がなされるが︑記録行為は直ちに簿記行為ではない︒またある記録行
為のなかから複記式記入による簿記が形成されてくるが︑どういう要因と目的によって複式簿記は体系化するか︒
リトルトンは複式簿記の先行要因の検討を行う
1
1
これは複式簿記の概念規定を今日の理解によってなし︑これから遡及するように時間的に形成の最も古い時点をさぐろうとしている︒今日の規定を基準として最も古い時点の簿記
を吟味し︑ここに形成時点を規定しようとしている︒
先行諸要因が結合することによって複式簿記は体系化︑構成されてくるが︑これらの諸要因は複式簿記を唯一のも
のとしてつくり出したのであろうか︒別の記録・計算法もつくることもできたであろう︒複式簿記はこれらが体系化
するもろもろのもののうちのたまたま形成された一個のものである(と考えられる)︒リトルトンは︑これから勉強す
るいろいろな要因について︑これらが一挙にあらわれたとしても複式簿記というものに必ずなるというものではなか
﹁これらのすべてが古代史の時代を通じて︑何んらかの形をとるが︑初期の文化においては複式記入と
(l )
いう今日理解するがごとき用語での記入行為とか形式を必ずしも生み出すものではなかった﹂︒ っ
たと
いう
︒
リトルトンの説くところにしたがって複式簿記の形成要因のそれぞれについて考えてゆくこととする︒簿記法は一
つの記録・計算体系であって対象の行動を数量的につかまえる手段である︒この手段ができあがる筋書きの分析がこ
こでの課題であるが︑対象も生長し︑行動様式も発展してゆくもので︑との相互関係のうちに簿記主体もその運用︑
複式
簿記
の起
源論
四五
立教経済学研究第三九巻一号(一九八五年)四六
把握能力が発展してゆく︒主体と対象の動態の展開として複式簿記の発生・発達史がえがかれる︒
備忘的記録はさまざまな様式をとっている︒書法
dJ 可
門戸
片山
口問
は文明の歴史とともに古いが︑これは直ちに複式簿記
の記録ではない︒複式簿記は一つの書法ではあるが︑書法以上のものである︒数量的記録であって︑算法kr
門 戸
S
B O
門 戸口
が基礎にある︒数字による記録であって︑算数がなされる︒算数は加減の操作を可能として︑計算記録となる︒この
加減の方法が簿記の記録へと展開してゆく︒ここにさらに簿記の前提として貨幣価値的評価が加えられるが︑貨幣と
いう要因が加わる︒リトルトンは﹁私有財産や書法に貨幣という要因が追加されたとしても複式簿記を生み出すこと
はできない︒これら三つの要因は共通の尺度︹単位名称︺としての貨幣であらわすことができる私有財産の書かれた
( 2 )
記録の存在を可能にする﹂というが︑﹁しかし︑︹まだ︺可能性を現実性に転化する刺激をかいていた﹂といっている︒
このための環境門あるいは条件︺が必要となってくる︒
これらは記録するための方式として記録主体にかかわるが︑この記録が行われるための対象(把握対象)が存在し
てこそ簿記が機能する︒環境がなければならないが︑これはリトルトンは私有財産︑信用︑利潤性商業︑そして資本
の存在︑機能であって︑やがて資本主義の成立となって︑そのなかにおける商業活動が簿記の対象となってくる︒こ
れが複式簿記の計算記録の基盤となるものであった︒
リトルトンの会計発達史(﹀・︒・ロ
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を片野一郎教授は昭和
二十七年に邦訳した︒この訳書は極めて名著であって︑わが国会計史の研究史にさん然と輝くのみならず︑全世界の
うえにかがやく︒これは片野教授の会計史論でもある︒訳書一一三ページ︑二四ページに生成要国を整理して簿記出現
の筋書きを立てる︒簿記の生産要素をリトルトンはつぎのように整理している︒
第一は﹁資料﹂で︑簿記で整理せらるべきものとする︒私有財産
1
1これは所有関係を変更する力︑資本ーーー生産
に用いられる富︑商業
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財貨の交換︑そして信用
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将来対貨の現在使沼という四要因をあげる︒つぎに﹁表現手
段﹂であるが︑資料を表現する手段として︑書法
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永久記録の手段︑貨幣
1
1交換の手段・計算の共通尺度︑そし
て算術
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計算の手段の三要因をあげる︒ここに手陵とその対象が整理せられたのであるが︑
済的社会的環境によって綜合的な力を与えられたときに︑これから産みだされてくるもの﹂が︑ ﹁これらの諸要素が経
﹁方法﹂であるとい
うが︑資料を体系的に表現する方法と説明されて︑﹁この方法がすなわち簿記である﹂という︒ここに簿記が体系化
されることとなるが︑経済的社会的環境がととのわなければならなかった︒対象が手段の存十代を規定する︒
﹁結
合的
な力﹂は記録・計算人の簿記能力である︒これは技術を運用︑騒使することとなるが︑環境に対して対応的(受動
的)であるし︑またこれに対して能動的に働くこともあるが︑これが技術の進歩となるのであワた︒
いまここまでみてきたところでは複記式簿記という特殊な技術的形態をとる理由は何かということは問題にはなっ
てい
ない
︒
複式簿記︒これをどう解するか︒
複式簿記は記録であるが︑記録一般のなかから複式簿記になる質はなんであろうか︒単なる叙述的な備忘録でな
く︑財貨数量の増減記録であった︒貨幣(計算単位)とか︑算術の存在が簿記の先行要因となる︒財貨の増減記録と
しての簿記が存在する︒簿記一般というべきか︒この簿記から複式簿記が生成してくる︒いままでリトルトンによっ
て学んだところでは複式簿記
1
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複記式簿記機構の形成という一段の飛躍をする一歩手前までであった︒すなわち︑記録←簿記←複式簿記
複式簿記の起源論
四 七
立教経済学研究第三九巻一号(一九八五年)
四 /¥
という発展図式をえがいて︑簿記より複式簿記へという展開論理を考察してみたい︒問題は二重記録︑また二回記入
がとういう筋道をたどって出てきたかという問題である︒複式簿記の本質の出現のプロセスを探ることである︒
記録のうちから簿記が出てくるが︑記録一般の展開・発展で簿記とならない記録の発展もあろう︒これは叙述記録
のうちからたとえば詩歌のある形式(韻文とか散文形式)への発展もあろうが︑一つの形式的展開として簿記となっ
てくるものがある︒
簿記から複式簿記への発展を考えるとき︑今日のわれわれは複式簿記というものを知っており︑学問的な規定もな
されて一般的に承認されている︒この複式議記が簿記の発展であると前岨促したうえでの試論として起源論をみようと
して
いる
︒
簿記のすべては複式簿記に発展するものではない︒言葉を換えるならば︑簿記の発展は複式簿記以外の高次元の簿
記に展開してゆくということも考えられよう︒ここでわれわれはそのなかの一つの複式簿記への発展をみようとして
いるのである︒複式簿記への発展をみようとする思考の基底に﹁勝利者史観﹂がみられる︒
会計史における勝利者史観の具体化としての複式簿記生成史となるが︑会計史はまず複式簿記生成史のみを追求し
てゆけばよいのか︒複式簿記発達史における和式帳合法とか朝鮮・韓国簿記の地位づけを考えよう︒
起源論において︑記録から簿記への道程は会計史におけるプレ・ヒィストリIの問題であるか︑歴史論として簿記
から複式簿記への過程のみが問題であるか︒会計史論の把握範囲︒ヒィストリ!の領域についてが問題となってく
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片野一郎訳﹃リトルトン会計発達史﹄(同文館)二四ページ
複式簿記の起源論の伝統 ll
古代ロi
マ 説 と 中 世 イ タ リ ア 説 1 1
複式簿記起源論は︑いっ︑どこで(そしてどのようにしてということは殆んと論じられていないが)︑複式簿記が
確立したかという議論である︒起源論は確立時点論でもあった︒確立時点論として今日︑古代ロ!?説と中世イタリ
ア説とに二大別される︒
古代ロ!?説は紀元前二世紀︑一世紀の奴隷制経済の最盛期のラティファンデュムを基盤とした奴隷制経営のなか
で複式簿記は成立したというものである︒
奴隷制経営における主人と奴隷の関係(マスター‑スレーブ・リレーションシップ﹀を基礎とするが︑奴隷が主人
より委託された財貨を運用することになる営利経営の委託と受託︑委任と解任の記録として複式簿記は生れてきたと
いうものである︒チャージ・ディスチャージ・リレ!シ百ンシップ︑その記録としての複式記入︑ここに複式簿記の
確立をみようとする考え方である︒複式記入は経営主体である受託者︑奴隷の立場において取引事象をとらえられた
もの
であ
った
︒
交換取引的記録が主であって︑ここに複記式記入の成立をみるというものであるが︑史料にとぽしく︑また環境論
複式簿記の起源論
四
九
立教
経済
学研
究第
三一
九巻
一号
(一
九八
五年
)
五
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的にみて︑起源論の少数派となっているが︑戦前の
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・カッツゃ︑わが国においては江村稔教授によってとられているところである︒複式簿記の起源論には複式簿記本質論が深くかかわっていることを知るが技術的体系として﹁古
代ロ
lマ﹂において成立していると主張するものである︒
古代
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マと
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年頃におよぶほぼ一二OO
年程の極めて長い期間をいうが︑
﹁古
代ロ
lマ説﹂ははたしてどの時期に複式簿記ができたというのであろうか︒時点確定論としてみるときまことに
漠然としているが︑複式簿記は中世末期の北イタリアでのみ起ったものでないという主張でもあった︒
起源論におけるもう一つの議論は中世イタリア説である︒昭和初期においては十五世紀初頭にヴェニスで複式簿記
は確立したという議論となるが︑戦前における主流であって︑黒沢清教授の﹁複式簿記の発生史的考察﹂に一不された
考え方で︑戦後では河合信雄教授によって示されたものである︒ここでは勘定体系に資本勘定なる範曙が出現したと
きに複式簿記は確立したとするものであった︒乙こに損益勘定の貸惜の差額が最終的に帰属する体系の完成︒
十五世紀初頭のソランツオ兄弟商会やアンドレア・パルパリゴ商会の帳簿を史料とするが︑完成された複式簿記法
がここに存在しているとするものであるが︑さらに一四九四年のルカ・パチョlリの簿記書の確立をよりどころとす
る議論もある︒しかし︑これは実践史料ではない︒
一二一一年
のフローレンスにおける銀行帳簿に複式簿記が存在しているとするものである︒ここに筆者は起源説を示すが︑泉谷
勝美教授は一コ一世紀末期説を唱えている︒ 戦後︑イタリアにおける原史料分析の研究がめざましい発展をとげるなかで︑十三世紀説が進展する︒
貸付けとその回収記録としての一一一一一年史料︑これは叙述体によるもので戸田義郎教授は記録第一主義によるも
のとして︑簿記が計算であるとするとき︑まだ計算記録ではないとする︒これは両替商の貸付とその回収の記録であ
ったが︑債権の発生と消滅の記録で︑債権の発生記録︑その貸金回収による消滅の﹁人名勘定﹂のみがあったとする
ものである︒ただ回収においては利子分を合む︒ここには損益勘定内容がこめられているのではないか
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す な わ ち
﹁名目勘定﹂部分がここにすでに形成されるとして筆者は複式簿記の存在を主張するが︑多くは︑単なる振替記入
のみとしている︒ここでは貸付︑回収における﹁現金勘定﹂の側面は問題となっていない︒
戦後になると︑小島男佐夫教授は一四世紀説を唱えたが︑ここでは商品勘定の存在に注目した︒これは二ニ四
O
年のゼノアの財務官帳簿といわれ︑ここに胡披勘定とか絹糸勘定という商品名商品勘定がみられる︒
商品勘定は単なる物財の増減を記録︑計算するものではない︒商品は売られることによって商品売買益を生み出す
もので︑この計算が行われる仕組みを内容していた︒名目勘定的性格の存在︒
一四世紀説は前期的資本の商品取引資本における簿記法
1
1
いうならば商業簿記としての複式簿記の形成を問題としているものであった︒このゼノア起源説は複式簿記形成史における有力な学説であった︒十四世紀に複式簿記は形
成されたとする説である︒
いまここに中世イタリア説についてみているが︑これらは利潤計算の仕組みを問題としていることがわかる︒
方︑古代ロlマ説においては複記式簿記の仕組みについて︑複式簿記の技術的側面の形成を問題としていることを知
る︒利潤計算体系と複記式計算体系の対応関係をどうみるか︑損益計算の体系と複記式簿記機構の結合関係をとうみ
るかという議論であるが︑これはまた複式簿記とは何かという本質論に関連してこよう︒
古代ロlマ説では複式簿記を﹁代理人簿記﹂としてとらえ︑中世イタリア説においては﹁資本主簿記﹂として問題
複式
簿記
の起
源論
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年﹀
五
にしているものであった︒複式簿記を代理人簿記としてとらえるか︑資本主簿記とするのか︒
資本主簿記とは︒リトルトンは︑その著﹃会計発達史﹄において︑代理人簿記より資本主簿記への発展的転回によ
ワて複式簿記は完成するという︒﹁完全な複式簿記が成立するがためには︑均衡性と二重性以外にさらに別の要素が
加わらなければならない︒この追加さるべき要素とは︑いうまでもなく︑資本主関係rーーすなわち︑所属財貨に対す
る直接的所有権と発生した収益に対する直接的要求権
tl
ーで
ある
﹂︒
このように言うリトルトンは﹁利潤計算こそが
完全な体系的な簿記の職分であった﹂として︑﹁完全簿記の形式は初期における記録手続から由来するニ重性と均衡
性にあるが︑その実質は授下資本に生じた損益の資本主的計算にあるといわねばならぬ﹂という︒ここに損益関係勘
定(名目勘定)の存在が極めて重要となる︒企業資本の利潤計算体系としての複式簿記︒勘定体系の形式と実質の統
一関係という論理による複式簿記生成史を説くのであった︒
このようにいうリトルトンにおける複式簿記の完成認識は勘定体系に資本主勘定が出現するということであった︒
﹁債権債務勘定(人名勘定)に商品勘定(物的勘定)が加わり︑債権債務勘定と商品勘定にさらに資本主勘定(資本
と費用勘定)が加わった︒こうして複式拝記の骨粗が完成された︒その後︑基本的要素は一つも加えられてきていな
(4 )
い ﹂ ︒
このよう考なえ方が後︑黒沢清教授︑木村和三郎教授また小島男佐夫教授による人名勘定︑物財勘定︑名目勘
定の三勘定系統による体系化論理の基本となった︒まず人名勘定が出現することが第一歩であワて︑対人関係の信用
記録が複式記入としてなされることであワて︑起源論の主流となっている︒ここには対人関係の信用記録が勘定科目
として複記式計算体系の第一歩となるという前提があった︒
これに対して現金勘定による収入・支出関係の成立に第一歩をみようとする考え方を馬場克一一一教授は昭和三十年代
に展開された︒現金の収支計算それ自体は現金という財貨の管理計算であった︒馬場教授においては複式簿記の体系
化︑完成を﹁数量計算から価値計算への移行﹂としてとらえられる︒価値計算は損益計算であって︑この体系化には
収支計算が前提となヲているとする考え方である︒これは収支計算への注目という起源論争に一石を投じたものであ
った︒人名勘定か︑現金勘定かという問題にはともに管理問題が基礎にあるが︑これが損益計算への転化を勘定体系
の増すなかで︑これがどのように体系化されたかに問題がある︒すなわち名目勘定の出現の問題である︒
現金収支計算は銀行簿記における現金勘定の璽視となる︒現金の増減に利潤部分(利子部分)が加わってこない
か︒これが出てくるところに名目勘定の存在が想定される︒また代理人簿記における財貨の委託・受注関係も現金の
授受として︑現金収支にからませて理解できるのではなかろうか︒
中世イタリア説による理解においては︑人名勘定に加わるに物財勘定が︑そしてこれが商品売買の勘定となって︑
利潤部分が把握されるという筋書きである︒
人名勘定の出現を重視するか︑物財勘定の形成を往目ずべきであるか︒物財勘定︑その展開としての商品勘定の形
成を注目して中世イタリア説は展開してきたが︑改めて人名勘定の形成史のうちに複記性の成立を認めようとする考
え方が起源論で問題となっている︒複式簿記の教育における対象をサービス業簿記をとるか︑商品売買業簿記をとる
かという問題に関連する︒
起源論︑発生史論︑確立史論(成立時点確定論)が﹁起源論﹂として一緒になって論じられているが︑起源論は︑
今嗣︑成立時点確定論としてとかれているのが一般的であるuこれが古代ロ1
マ説とか中世イタリア説となってい
る︒ところで︑古代ロlマでおこったといい︑中世末期の北イタリアで確立したといった場合︑そこには論者の複式
複式
簿記
め起
源論
五
立教
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号(
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年)
五四
簿記観があってのことではあるが︑その場合の複式簿記観はまさに今日の(一般にうけいれられている)複式簿記の
概念規定によることが一般的であった︒これによって過去の史料を切って行くという必要を通じて︑
一三
世紀
か︑
四世紀か︑それとも一五世紀に複式簿記は確立したのかという議論でもあった︒
確立するためには︑先行詰要因が体系化されてゆく過程がある︒乙の過程をおうことが本来︑発生史論である︒
いっ︑どこで成立したかということと︑どのようにして成立するかということとはなれがたく結びつくものではあ
ったが︑後者は殆んど会計史学においては問題とされてこなかった︒
すでにふれたが木村和三郎・小島男佐夫教授の﹃簿記学入門﹄において複式簿記の成立史にふれている︒複式簿記
は勘定群の組みあわせかちなるが︑﹁入門﹂においては人名勘定︑物財勘定そして名目勘定という三つの勘定系統の
出現において複式簿記が体系化されるという論理をとっている︒これによる﹁仕訳の法則﹂の説明もなしている︒昭
和二十八年頃において簿記学にこれを持ち込んだ意義は大きい︒簿記教育の方法としても︒
われわれは複式簿記の体系化史の史料として一一一一一年のフローレンスの銀行帳簿︑
一一
二回
O
年のゼノアにおける財務官帳簿!ーその胡板勘定︑さらに十五世紀初頭におけるヴェニスのソランツオ兄弟商会帳簿をあげることが一般
的︑伝統的である︒黒沢清教授の複式簿記発生史研究が古典的であり︑今日においても複式簿記史の骨組みとして承
認されている︒ところで︑十五世紀初頭の成立説をとるならば
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黒沢説を典型としているがi i
一二
一一
年史
料︑
一三
四
O
年史料には複式簿記は未成立ということになろう︒黒沢教授は複式簿記生成史の第一歩としてであるが︑二一一年帳簿は単に信用取引の債権︑債務の記録であるにすぎないという︒そこにあるものは﹁人名勘定﹂のみであ
るというものである︒筆者はここに複式簿記の成立をみている︒筆者は損益勘定(名目勘定)部分にあたる利潤分を
含めて示す勘定記入が回収記入に存在すると考えている︒黒沢教授はさらに一三四
O
年史料に﹁物
財勘
定﹂
がある
が︑これは有形財貨の増減記録であるという︒ここにはまだ複式簿記は存在していないとするものであった︒
一三
四
O
年史料に複式簿記の成立をみる論者に小島男佐夫教授がいる︒これを単なる物財勘定ではなく︑商品勘定であるとして︑勘定体系に商品勘定が合まれることによって複式簿記が成立すると考えるものである︒商品勘定は商
品売買益を計算する︒ここに名目勘定分の計算がなされるところから複式簿記の成立を考えるものであった︒
一一
一一
一年
史料
︑
一三
四
O
年史料に複式簿記の存在をみるとき︑起源論としては十五世紀初頭の問題はもう論ずる必要
はな
い︒
一一一一一年史料に﹁銀行簿記﹂という形態における複式簿記︑
一三
四
O
年史料に﹁商業簿記﹂という形態の複式簿記の存在を知る︒複式簿記は一一一一一年史料にすでに成立しているとしてもよいであろう︒このような論
理の基底には木村・小島両教授の三勘定系統の体系化論理が︑会計史(複式簿記史)において基底にあることを知る
ので
ある
︒
このような展開史において︑人名勘定の理解が問題となるが︑人名勘定から問題を出発させて体系化の完成史をみ
ているのが起源論の通説であった︒しかし︑この人名勘定がどのようにして葬記のなかに地位してくるかという筋道
が発生史論の問題ではなかろうかと考えるものである︒
従来の起源論は︑古代ロlマ説にしても︑中世イタリア説にしても︑複式簿記についての今日的概念規定が前提さ
れていて︑これによって古代に存在したとか︑また中世末期にその存在がはじめて認められるとかいう議論であっ
た︒遡及論といえよう︒
複式簿記の起源というとき︑複式簿記という概念的前提が先にあってそれがいかなる歴史的な先行要因によって準
複式
簿記
の起
源論
五五
立教経済学研究第三九巻一号(一九八王年)
五六
偏されてくるかという枠組の問題であった︒今日的な解釈で当時の簿記法を切ることの意味が間われねばならない︒
古代簿記にしても中世簿記にしても︑今目的にみて不完全なものであろうとも︑存在したことには意味(存在意義)
があったればこそで︑現代人のわれわれの解釈をこえて存在意義があったということも考えられる︒
村上陽一郎はいう︒﹁歴史を書こうとする人間ならば︑誰れしもそうであるが︑ある歴史的時代に立ち入るに当つ
ては︑今日的な解釈は可能な限り抑制し︑できる限りその時代そのものに肉薄しようとする︒もとより私どもは︑決
(6
﹀して︑過去のある時代の﹃同時代人﹄たり得ないのである以上︑そうした努力に限界があることはたしかである﹂︒
しかし︑歴史論としては時代そのものの精神に肉薄する必要がある︒当時の状況から生成の因子をつかみとろうとす
ヲ ︒ ︒
複式簿記の起源論は多く勝利者史観によって語られている︒村上教授は﹁今日的な科学の発展状態を前提とした上
で︑そこに向ってすべての歴史が流れ込んでくるという歴史観﹂といっているが︑今日的状態を到達点として(これ
を﹁正しい﹂︑あるいは﹁あるべき姿﹂という理解が前提となる場合があるが﹀︑これに向って複式簿記形成史が展開
するというものであった︒
先行要因の結合関係によっては複式簿記ではない簿記に結実することも充分にありえたのであった︒なりえない条
件となりうる条件︒
従来の起源論は遡及主義的思考によワた︒これは今日的理解を前提として︑この理解によりて援式簿記といわれる
ものの祖先を避にさがしてゆき︑その最も古いもの︑古いところに起源(確立時点)を求めるという方法でもあった︒
起源論は遡及論により︑発生史論は歴史展開論によるが︑これは用語としては同じものであろうが︑科学史的にみ
ていかがなものであろうか︒
記録から簿記へ︑簿記から複式簿記へ︒簿記が企業の損益計算手段となるとしても︑リトルトンの示す七つの要因
は同列に論じられるものであろうか︒
算法と私有財産が簿記を生み出す︒この背景には所有権の概念の成立︒これは財貨の増減計算手段として︑簿記が
複式簿記に昇華するところが発生史論として問題であるが︑複式簿記は単なる簿記と異なって︑
﹁科
学革
命の
精神
﹂
があって形成される︒均衡怯と勘定思想︒簿記と複式簿記は中世科学と近代科学の関係にも似ている︒
複式簿記は貸借平均法則にうらづけられた損益計算の記録・計算法である︒貸借の二面記入︑その均衡性を特色と
するが︑そもそも一つの取引をなぜニ面的に︑ニ重性記録する必要があるのかが問題であった︒体系化の完成がそう
させたか︑そうなるように体系化していワたか︒
起源論を問題とするとき︑古代ロ
i
マ説でも中世イタリア説にしても︑地理的にみればイタリアの地で︑大きく言えば西洋であった︒西洋ということで︑東洋は問題となってこなかった︒
会計史研究が複式簿記を西洋に固有に発生した︑そしてこれが一般化しているという前提によっていることは事実
であって︑さらに起糠論は西欧の学者が問題としたことからはじまったのであるゆえか︑西欧のみが問題とされマい
て︑東洋との比較史的研究などは全くなされていない︒
これは起源論のみならず︑会計史全体がこのような発想のうえに立って展開してきた︒会計史は西洋の会計史のみ
であった︒勿論︑日本会計良も今回研究されてきているが︑この対象ははたして複式簿記であるかどうかが問題とな
って会計史の世界史的体系のなかにどう組み込んでゆくかという問題があった︒
複式
簿記
め起
源論
主七
立教経済学研究第三九巻一号(一九八五年)
五八
会計学とはそもそも西洋の学問であるのだろうか︒企業会計の西欧的な思考︒これのみか︒
起源論を問題とするなかで︑複式簿記は西欧のみに起ったものであるかという問題が出てきた︒複式簿記はイタリ
アの地において起った︑そしてリトルトンの主張をはじめとして中世末期であるといわれている︒われわれ日本人に
とフては複式辞記は西洋式簿記であった︒複式簿記は西洋簿記であるとととさらに強調するとき︑和式帳合は︑朝鮮
固有簿記は︑中国の簿記は何んであるかが問われてくる︒
リトルトンは起源論においては中世説をとっている︒これは﹃会計発達史﹄において︑
︿7﹀る商業は利潤性商業でなければならない﹂として︑先行要因のうちの﹁資料﹂のなかで︑と︿に﹁商業﹂をとりあげ ﹁複式簿記の形成を刺激す
さらにそれが﹁利潤性商業﹂を問題とするのであった︒
﹁複式簿記の生成要素としてわれわれいかいうところの商業公︒
B5 2n ou は 交 易
公
32
ロ ぬ
OM
nr
gm
o)
と同じでは
ない︒それは大量の売買を生ぜしむるべき広大な商業でなければならない︒この種の商業は古代史の時代には見られ
なかった﹂とリトルトンはいう︒古代の商業︿また商業的状︑侃﹀では複式簿記を発生させえないという︒
﹁利
潤性
商
業こそ資本蓄積の最'長手段であり︑これによって資本はふたたび生産的に用いられ︑こうして資本が殖えてゆくから
である﹂︑﹁利潤性商業のなかったことこそ︑古代社会が{元全な簿記を産みださなかった主な理由であろう﹂という︒
一 二
OO
年から一五OO
年にわたり︑資本は一路生産方面に騒りたてら向か﹂というし︑それ﹁中
世イ
タリ
ーで
は︑
と並
んで
この
一一
一
OO
年の
問︑
﹁算術は他の簿記生成要素とともにおもむろにその使命をはたしつつあった﹂とする︒
﹂のような環境のなかで簿記は組織化されたのであった︒
中世商業の発展が簿記をうみ出してくるが︑それがとくに複式簿記︑被記式計算機構をとるようになることが問題
であった︒いよいよ複式簿記成立史が問題となる︒
ここに先史という次元で把握がなされるがなんらかの記録・計算の方式が出てくるが︑これは客観的存在となるに は 至 ら な か ワ た
︒ こ れ が 顕 在 化 の な か で
︑ 客 観 性 を も ち 簿 記 が 形 成 さ れ て く る
︒ こ こ で は 叙 述 体 形 式 の 簿 記 で あ っ た
( l )
茂木虎雄﹃近代会計成立史論﹄(未来社・昭四四﹀第三章複式簿記の形成論理参照
( 2 )
泉谷勝美﹃複式簿記生成史論﹄(森山書唐・昭五三)参照
( 3 )
片野一郎訳﹃リトルトン会計発達﹄(同文館﹀四五ページ︒ここでは代理人による簿記は均衡性と二重性という複記式体系
は形成させうるとしている@複記式計算機構を直ちに複式簿記といえるかどうかという問題が本質論に関連して重要である@
(4
﹀リトルトンのこの所説は複式簿記発展史において新しい問題をおこす︒複式簿記の生成は同時に確立であって︑十五世紀
の生成は会計史における注目の時点と事実となってくるが︑以後十九世紀にいたるまで︑会計史の両期的問題は出てこないと
いう論理の一端がここに一不されているのである@﹁会計における光は十五世紀と十九世紀にきしたのである﹂︒
( 5 )
馬場克三教授は内川菊義教授との共著﹃基本簿記概論﹄(春秋社・昭三五)第一章簿記原理においてこの考え方を展開さ
れた︒教授は何をもって複式簿記成立の要件とするかと問うているQこれがさらに展開して﹃会計理論の基本問題﹄(森山書
庖・一九七五年)の第七章の﹁複式簿記発達史と現金収支記録﹂となるが︑﹁現金に関しては何か︑人名勘定成立以前から︑
ある種の記録慣行が存在し︑ぞれが人名勘定の定型化に影響を与えるとともに︑なおその後もしばらく従来の慣行を持続した
のではないかと推論されるのである﹂(一二ハペ
i
ジ)という︒第四章は﹁数量計算から価値計算への展開﹂であって複式簿記生成の基本的論理を展開している︒馬場教授の問題提起は伝統的な起源論に一石を投じたものである@
( 6 )
村上陽一郎吋科学史の逆遠近法﹄(中央公論社自然選室田)一一一一ページ
(7
﹀ 片 野 一 郎 訳 前 掲 書 二 七 ペ ー ジ
( 8 )
片 野 一 郎 訳 前 掲 書 ニ 六 ペ ー ジ
(9
﹀ 片 野 一 郎 訳 前 掲 書 三 二 ペ ー ジ
複式簿記の起源論
五 九
立教
経済
学研
究第
三九
巻一
号(
一九
八五
年)
六
O
複式簿記体系化の筋書き
複式簿記を形成する詩要因ほ種々あるが︑このもろもろの要因の機能はそれ独自のものがあったろう︒しかしこれ
らが利潤性商業の経営活動のなかで複式簿記という記録・計算法に結果したが︑それぞれがあたえられた状況のなか
で機能がこれに結果するように作用した︒それぞれの要因の独自の展開・発展もあったであろう︒
複式簿記は企業資本の利潤増殖過程の追跡的記録と︑企業活動目的である利潤の獲得状況の計算を行うものであ
る︒これが複記式簿記機構として具体化するのであるが︑この形式的な特徴である記録の三重性と記録結果の均衡性
は企業資本の簿記となる以前において成立している︒これは奴隷制経営における主人と奴隷の財債の委託・受託によ
る関係記録としても︑代理人経営ともいえる中世のコンメンダにおける業務執行組合員の行う簿記としても存在し
﹁初期における計算技術が技術の所有者と直接結合した不可分のものとしてみとめられる﹂と戸田教授はいい︑ た
﹁計算技術においては個々の計算段階における技術の成果が︑現実には具体的な記録として残るという点が︑この技
( 1 )
術の特有の性質として指摘することができるところに問題がある﹂とされる︒この書き︑かぞえるということもその
始めにおいては記憶によって捕われることが多かった︒やがて文字(書法)や数字(算法)の発達︑記録用具(筆記
具ゃ︑文字とか数字を記すもの)の進歩によってその特性が発揮される︒このようにして﹁文書的記録﹂が生れてく
﹁文書的記録は帳簿を連想させるが︑その間の移行道程は決して短いものでは向山﹂︒
ると
一戸
田教
授は
いう
︒
人類の
文明史の初期のながい聞における蓄積として︑文書的記録のなかに︑記録・計算に関する技術が客観的自立をとげて
くる︒これは数学に向うこともあれば︑簿記に展開することもある︒
個々的な叙述的記録は書法があるかぎり成立する︒企業資本の活動の記録が計算指向をするとき勘定記録の性格を
もってくる︒営業取引の記録となってからのことで︑当然にそれは財貨の収支(増減)記録とか︑債権・債務の発生
‑消滅の記録を合むものであるが︑これがさらに利潤追求の記録︑計算として体系的記録となって複式簿記が成立す
ると考えるものであった︒
このような筋書きでは第一に︑単なる記録から︹
T
字型︺勘定記録へ︑第二にこの勘定記録が体系的組織的な簿記記録へという二段階がある︒これは︑記録v簿記
ll
複式簿記へという画式であるが︑会計史においては勘定系統論として﹁簿記から複式簿記へ﹂のところが問題とされて︑人名勘定︑物財勘定︑名目勘定の諸系統が出揃う乙とで
複式簿記が成立したとするものであった︒リトルトン然り︑木村和三郎・小島男佐夫然りである︒
記録であるところの簿記は数量計算の記録であるということ︑すなわち計算の記録であった︒簿記においては記録
と計算が離れがたく結びついているが計量ということが中心になっている︒この記録として財貨の増減記録︑己れは
収支記録という性格からはじまる︒狩りょう生活における獲物の数量一計算のようなものから始まる︒ここにおいては
穴ぐらの壁面に絵とも字ともつかないものが書かれている︒これは保管記録の役割りをもち︑収支計算は財貨の増減
計算としてあらわれる︒簿記記録への第一歩が計量記録であった︒
記録事象(取引﹀に時間差要因が入ってくる︒これが債権︑債務の発生と消滅の関係を記録するということとなる
が︑この背景には商業の発達︑とくに金融業の発展が問題となる︒前期的資本である貨幣取引資本の簿記の形成︒
二一一年のフローレンスの銀行業の簿記記録といわれるものが︑これにあたる︒これを勘定記録の成立とみるか︑複
複式
簿記
の起
源論
ムノ、
立教経済学研究第三九巻一号(一九八五年)
ム / "
式簿記の確立とみるか︒
一二一一年の史料をみて︑銀行業者の現金の貸付と回収の単なる勘定記録︑しかもこれは簿記技術的にみて精練さ
れておらない叙述体の文章記録という面を強調して︑簿記記録ではあっても︑それは計算記録ではないという主張
が︑黒沢教授︑また戸田教授によってなされている︒
T{
子型勘定形式と二重性記入が複式記入成立の具体化となるが︑二重性が均衡性と結ぶことで勘定形式と勘定思考
(加法的減算思考)が確立した︒これは計算機構の自己管理機能の成立であって︑試算表の根本思想である︒貸借平
均の原則というものが存在することでもある︒簿記では増減計算のみがある︒これで充分であるが︑まだ資本の利潤
計算までも含むものではなかった︒
利潤計算︹損益計算︺を二重性︑均衡性計算体系が行うようになる︒利潤計算を簿記計算が勘定形成によって行お
うとすることは︑複式簿記の企業経営者への奉仕性があってのことであるが︑ここでは指示された責任の遂行記録と
その計算をこえて︑単なる等しい価格交換の二重・二面的取引でなく︑利潤を求めて危険を官す過程の記録計算とな
ってくることでもあった︒現金取引をこえて信用取引も加わるなかでの利潤計算には抽象的計算も加わらざるを得な
ぃ︒また商品売買取引︑貸付金の回収取引においては原価と売価︑貸付金と回収金の差額は抽象的数値であった︒こ
れは現金の増加で把握されることができるが︑増加分は必ずしも現金のみの増加である必要はなかった︒抽象的名目
的勘定が登場してくる︒これは実在勘定と対応的な反対の記入がなされる︒名目勘定の対応記入であった︒この名目
勘定の出現が複式簿記の体系的完成のめやすとなる︒
今日の仕訳原理の説明には取引八要素説によることが多い︒多くは物的二勘定学説に基礎をおいているが︑費用
費︑収益の実現は資産︑負債の増減によるものという考え方である︒
路間1蹄前日浦サという等式(資本方程式)において︑資本を大きくするむのが収益であって︑小さくするものが
費用であるとされているが︑これが実現は資産と負債の増減で実在勘定によっている︒対するに名目勘定として費用
勘定︑収益勘定が位置づけられている︒この関係を図示しよう︒
取引の関連において︑費用・収益の発生は対応する関連要因はそれぞれ二つしかない︒二本の手しか持たない点に
特色がある︒取引八要素の関連図式において︑四本の手でなく︑二本である︒
簿記原理の基本問題また会計学の基本概念の性格に関連することであるが︑名目勘定と呼ばれる費用勘定︑収益勘
定はそれ自体では自己を体現せず実在勘定︑とくに資産勘定の増減によって自己を映し出すと考えられる︒これは貸
(貸 方)
ブj)
l u
t
i
(/資産のil,お少
資産の増加
負イ責の明力11
f l
債 の 減 少複式簿記の起源論 借対照表︑損益計算書の性格までを規定する︒今日︑勘定理論の展開はワルプの
収益の発生
収支・損益二勘定系統説に及び︑さらにその後のゴジオlル理論の展開ともなっ
ているが︑ここでも損益は収支に自己をうっすものであった︒
議論が先走ったかもしれないが︑簿記は財貨の管理計算の次元のもので︑実在
勘定系統の存在のみであった︒これが投下資本の利潤計算を行う必要のなかで名
目勘定が認識されてきた︒名目勘定の存在を認め︑これを勘定体系のなかに組み
w
用の発生入れるところに複式簿記の体系化がなされるのであるが︑複式簿記は商業資本の
活動のなかで︑銀行簿記であろうと︑商業簿記の姿態であろうと形成されてき
た
ムノ、
立教経済学研究第三九巻一号(一九八五年﹀六回
簿記から複式簿記へ︒簿記は簿記としての使いみちも役立ちもあろう︒たとえば現金出納帳︑これは現金といわれ
る貨幣そのものの増減管理計算簿である︒これはこれとして役立っている︒複式簿記となるととうであろうか︒そこ
には企業の利潤計算が行われる簿記体系である必要があった︒
﹁原初的イタリヤ式商人簿記の中から複式簿記が生れる﹂道程について︑戸田教授は簿記機構構成要素として︑
(1)
記録・計算目的の発達として記録万能主義から計算合併主義への進歩︑川同対象の増加と組織化として人
名勘定より物的勘定へ︑実在勘定より名目勘定へ︒川同場所の整備勘定口座の成立そして帳簿組織の整備を戸田
教授はあげ︑ここに組織的簿記が方向づけられてくる︒凶同様式の定型化日記帳︑仕訳帳︑一見帳などの形式が出
来︑記帳順序が整備されること︒これらが成長してくるなかで複式簿記︑勘定簿記としての複式簿記の形成の論理を
展開
され
る︒
戸田教授は複式簿記の勘定体系化過程における一一一一一年のフローレンスの銀行帳簿︑
一三
四年のゼノアの財務ー
O
官帳
簿︑
一五世紀はじめのヴェニスの商人帳簿の評価を︑記録万能主義のもの︑記録第一主義のもの︑そして計算第
一主義のものとしている︒戸田教授は複式簿記の確立時点を一五世紀初頭に求めている︒これは教授の論文が学位論
文として昭和三十六年にまとめられたという時代的背景があるが︑昭和初頭の黒沢清教授の考え方と軌を一つにし
てい
る︒
一二
一一
年段
階ゃ
︑
一三
年段階において︑この簿記記録には計算手順が客観化した客観的な計算機構が存在し四
O
ているかという問いから戸田教授の議論は始まる︒教授は十五世紀初頭の複式簿記成立説をとるうえからこれらに否
定的であるが﹁記録万能主義が後退して︑出入・決済計算的性格を持つ計算が記録の中に加わるにいたって︑記録の
中に客観的な秩序が徐々に形成されてゆく手がかりが生れる﹂という︒発展過程をえがき出されている︒
戸田教授はジェノアの一三四
O
年帳簿を記録第一主義と規定しているとのべたが︑﹁ジェノア簿記によって記録せられた商業簿記には左右対照的記入が行われるとともに︑記録資料の種類の増加と︑それについての整理された記入
法の導入がみとめられる︒換言すれば︑それは勘定の成立とその増加を意味するものであって︑この事実によって︑
今や帳簿は日記帳から元帳に進化片が﹂とされる︒この帳簿においてはT字型形式による分類記入がなされる勘定が
﹁勘定は勘定口座が縄
然たる記録中心の分類用具から︑反対要素の記入による残高計算用式として使用されるにいたって生誕した﹂とし 存在している︒単なる計算場所である以上に︑体系性・組織性を保証する形式も備ってきた︒
て︑形式面から複式簿記形成史における大きな画期をみているのであった︒しかしまだここでは成立したとはみてお
られ
ない
︒
﹁計算﹂記録としての問題︑名目勘定体系化の問題が加わらねばならぬ︒
損益計算体系を複記式計算機構が含むことで複式簿記は確立するのであって︑その筋道をみてきた︒リトルトンほ
ぃ ︑ っ
︒
﹁そのむかし︑人が複式簿記を構成するそれぞれの要素をあつめて一つの体系化した記録方法を形成しはじめ
てから今日におよぶまでには︑ずいぶん長い時日を経過してきたことであるが︑しかも︑現代の事情のもとにおいて
︿7
)
も︑複式簿記はなお︑おどろくべき適応性をもった記録方法なのである﹂︒複式簿記という記録・計算方法の体系化
の過程をふりかえるということが起源論の課題であるが︑勝利者史観によっているといえば︑まことにその通りであ
るが
︑
﹁形式のニ重性﹂と﹁結果の均衡性﹂という方法の出現の歴史的分析に第一の課題があった︒
リトルトンは﹁形式としてのニ貫性は︑おそらくは簿記特有のものであろう﹂として︑T字型的勘定形式に特色を
求め
てい
る︒
﹁勤定式計算は︑反対記入による減算(加法的減算)の作用をいとなむ︒すなわち残高に向つてはたら
複式
簿記
の起
源論
六五
立教経済学研究第三九巻一号(一九八五年)
六六
くのでほなく平均に向つてはたらく﹂とされるが︑﹁このようた形式の二重性は︑簿記の不可欠な要件ではなくて︑
さらに深い︑さらに根本的なその特質からよってくるところのたんなる反映あるいは結果にほかならないであろう︒
おもうに︑複式簿記の茎調は︑形式の二重性のうちにこれを見出そうとするよりも︑むしろ結果の均衡性のうちにこ
︹8
)
れを求める方が妥当なのではあるまいか﹂という︒結果の均衡性︒そしてリトルトンは均衡性は今日の複式簿記にお
ける重要な一つの要素とされ︑簿記が他の計算方法と区別されるところというが︑
︿9﹀する軌範であるとは︑かならずしもいえない﹂とする︒複式簿記の方法によって得られる結果は︑これと凪じものを ﹁均衡性が複式簿記の存否を決定
他の方法によっても得られるのではなかろうかという︒行列簿記︑一二式簿記またコンピュータ簿記の方法を予見して
いた
とい
える
︒
複式簿記法は︑取引の仕訳記入のはじめから二重性をもっている︒これを複式記入というが︑簿記一巡の過程が貸
借均衡的な一一面的対応記入が続く︒そして︑損益計算書と貸借対照表という二つの財務表が結果として得られる仕組
みで
あっ
た︒
このような計算機構をもっ簿記法としての複式簿記︒﹁複式簿記を産み出すにいたったところの生成要因︑もっと
適確にいえば︑社会進化の道程において複式簿記を不可避的に生成するにいたつ一たところの諸要素は︑いヲたい何で
あっ
たろ
うか
﹂︒
二重性はなぜ必要とされたか︑この二重性が複式簿記を特長づけるし︑複式簿記は計算手段であるかぎり︑数学的
均衡原理に規定される︒二重性は意識して作り出したというよりも結果としてそうなったのであろうが︑一一重性に結
果するような記録がなぜなされたかということが問題である︒ではどういう記入関係をニ重性記入関係というのか︒
リトルトンの出した会計史の永遠の課題ともいえるこの問題は︑複式簿記の方法それ自体が合理化してゆくなかで
の筋道ちと︑それ以上に複式簿記を役立てようとする環境︑それは利潤性商業の展開する環境といえるが︑資本主義
を形成させる経済体制発展の歩みとの二面から解きあかされるものであろう︒ゾンバルトは複式簿記と資本主義を同
次元において把握しようとしており︑形式と内容との関係だともいっている︒基本的にはこの考え方が妥当であろ
︑﹁
ノ︒
リトルトンは先行的諸要因を結合して複式簿記としての体系を完成させる時期は中世であるとされるが︑
おける富は生産的︹利潤創出的︺ではなかったのであって資本ではなかった﹂という︒十字軍の遠征期以降のことで
﹁古
代に
あっ
たが
︑
﹁中世商業の初期の記録は単に代理人簿記といわれるもので︑
( ロ)
の活動を手︑ぎわよく報告することを可能にした記録であった﹂︒ 一定の取引の代理人や活動的組合員に︑そ
これは複記式記録でありえたが︑人名勘定を中心と
したものであった︒リトルトンは代理人簿記というとき利潤計算体系としての摸式簿記と区別して考えているが︑
﹁多分に︑代理人簿記は物的(商品)勘定の若干の事例ゃ︑主人勘定を用いる帳簿記帳を体系化することをうながし
た﹂という︒このにょうして﹁継続的合本関係が一回限りの取引や臨時の営業勘定にとって代ったときに︑記録問題
というものは代理人による不定期︑不規則の記録を連想することから︑様々に採用され︑定期的にまとめあげられる
ところの資本の継続的投資を引きおこしたところのものに変化した︒この新しい義務が代理人簿記の会計手続を資本
( M )
主簿記に発展した﹂のであるとリトルトンはいうが︑資本主簿記において複式簿記が完成したとする︒
﹁簿
記は
統
体としての企業への役立ちが要求せられるまではその可能性が完全に達成せられたことにはならない﹂という︒資本
主関係が商業的資本主関係として︑これが複記式の勘定記入をとるときに複式簿記の体系化が完成したのであった︒
複式簿記の起源論
六七
立教経済学研究第三九巻一号(一九八豆年)
ノ ¥
;i、
リトルトンは代理人簿記と資本主簿記を概念的に区別する︒代理人簿記を形成する諸要因のみでは複式簿記ではな
く︑複記式簿記機構という技術的側面の形成︑進化過程として︑二重性記入とか勘定の均衡性に注目される︒ここで
は収支の記録としての体系であった︒これは実在勘定のみによる財貨の増減計算であって主人勘定を設けて最終的均
衡を
なし
た︒
現金勘定とか︑具体的財貨の勘定による体系として代理人簿記は成立し︑管理計算の簿記であるであると考えられ
たが︑そこに名目勘定というものが出てこざるを得ない状況として商業簿記の問題があった︒複式簿記は何よりも営
利経済の利潤追求の計算体系であった︒これがまず商業活動の萌芽のなかでの管理記録︑そして債権・債務の振替記
録として人名勘定といわれるものとなって︑さらに完成体系として資本主簿記となった︒代理人簿記より資本主簿記
へというのがリトルトン論理である︒
複式簿記を体系化させる第一歩を︑現金勘定をおくか︑人名勘定におくか︒
逆遠近法によって発生史をみるならば︑複式記入と利潤計算がいかにして結びつくかということが問題である︒こ
れは単に財貨の増減計算ではない︒消費経済における財貨の保管・管理計算をこえて︑営利経済における利潤増殖を
目的とする利潤計算が出てくるなかで︑第二段階として利潤計算にふさわしい勘定が出てくることによって複式簿記
が体系化される︒これを名目勘定(損益勘定)というが︑抽象的性格をもつものであって︑リトルトンは﹁債権債務
勘定(人名勘定)に商品勘定(非人名勘定)が加わり︑債権債務勘定と商品勘定にさらに資本主勘定(資本と費用勘
定)が加わった︒こうして複式簿記の骨組が完成された︒その後︑基本的要素は一つも加えられてきていない﹂とい
︑ つ ノ
︒
木村和三郎︑小島男佐夫教授は複式簿記の体系化を勘定の体系化としてとらえ︑八人名勘定︑物財勘定そして名目
勘定
V
の重畳的一ニ勘定系統の出現としているが︑この原理をリトルトンは説いた︒商品勘定としての物財勘定を想定すれば商業簿記としての複式簿記法の体系化となる︒リトルトンの考えはこれである︒小島男佐夫教授もそうである
カt
一三
四
O
年のゼノアの財務官帳簿における胡椴勘定(商品名商品勘定)に注目するものであった︒物財勘定を現金勘定としてみるとき金融業の簿記︑すなわち銀行簿記としての複式簿記が考えられる︒これは二一
一一年史料にすでに示されているとして筆者は形成論理を展開しているが︑馬場克三教授がつとにこの考え方を展開
している︒なお馬場教授は﹁周知のように︑今日︑複式簿記の通説は︑簿記の出発点を債権債務の記録においてお
り︑当時の商慣習では現金収支の記録はその要をみなかったものとして完全にこれを問題外においている︒しかし私
にはこのことがどうも鵬に落ちなかった﹂とされて論文﹁複式簿記生成発達史と現金収支記録﹂(馬場克三著﹃会計
理論の基本問題﹄第七章)を展開している︒そこにおいては複式記入の成立に際して現金収支記録が何らかの役割を
果したものとの想定のもとに論理を構成している︒馬場教授は複式簿記は数量計算から展開したが︑それを基底とし
た価値計算の体系としている︒価値計算が問題である︒数量計算としての複式簿記が︑いかにして価値計算の体系を
とり込んだか︒そこには対象のもつ論理が大きく影響しているとする︒
リトルトン説の検討に︑馬場克三理論を参照して考察しているが︑その出発点として現金勘定それ自体も︑人名勘
定もまた数量管理のための勘定であった︒馬場教授ほ﹁現金に関しては何か︑人名勘定成立以前から︑ある種の記録
慣行が存在し︑それが人名勘定の定型化に影響を与えるとともに︑なおその後もしばらく従来の慣行を持続したので
はないか﹂と推測されるが︑重要な指摘である︒
複式
簿記
の起
源論
六九
立教経済学研究第三九巻一号(一九八五年)
七0
簿記の形式と記録内容が今日のように定式化されることが発生史論の問題点であり︑起源論として会計史学の第一
歩をなすが︑定式化過程分析の困難さについて︑馬場教授は人名勘定の記入で﹁リトルトンの権威をもってしてもな
ぉ︑借方が憤権の発生となり貸方が債務発生となった経路は不明である﹂とされつつも︑現金収支記録の記録慣行に
一つの方向性(法則性)があって︑これの反映(謄写)ではないかといわれているのである︒管理記録から簿記は始
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( 1 )
戸田義郎﹁勘定理論の簿記理論的再検討﹂
系の成立﹂である9
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﹀ 戸 田 義 郎 前 掲 論 文 九 八 ペ ー ジ
( 3 )
戸 田 義 郎 前 掲 論 方 一
O二ページなお拙稿﹁簿記の任務と勘定理論│{戸田義郎教授の所説によせて111﹂﹃立教経
済学研究﹄第三八巻第一号(一九八四年七月)において︑第五節戸田教授の複式簿記体系化史論
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﹁記録﹂と﹁計算﹂の
問題によせて││で本論文の検討をしている@
( 4 )
戸 田 義 郎 前 掲 論 文 一 一 二 ペ ー ジ
( 5 )
戸 田 義 郎 前 掲 論 文 一 一 七 ペ ー ジ
(6﹀
戸 田 義 郎 前 掲 論 文 一
O六ページ
( 7 )
片野一郎訳﹃リトルトン会計発達史﹄(同文館﹀三七ページ
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) 片 野 一 郎 訳 前 掲 訳 書 四 三 ペ ー ジ
(9
﹀片野一郎訳同上回コ一ページ ( 刊 ) 片 野 一 郎 訳 向 上 二 二 ペ ー ジ ( 日
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ピ丘 町仲
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・ 九七ページ本論文の第四章は﹁簿記機構の確立﹂︑第五章は﹁組織的勘定体