九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
第21回北アジア調査研究報告会発表要旨
http://hdl.handle.net/2324/2740930
出版情報:2020-02-15. 北アジア調査研究報告会実行委員会 バージョン:
権利関係:
北アジア調査研究報告会
第 2 1 回
21 th Annual meeting of the RANA
北アジア調査研究報告会実行委員会
Re sea rch As so ci ati on o f th e N or th A sia
査調 北
年
i
第 21 回 北アジア調査研究報告会
日 時:
2020
年2
月15
日(土)12:30
~18:15
受付開始12:00 2
月16
日(日)9:30
~16:00
受付開始9:00
会 場:九州大学伊都キャンパス イースト1
号館E-A-239
会議室主 催:北アジア調査研究報告会実行委員会
プログラムおよび要旨集目次
【研究発表】(下線は報告者)
2
月15
日(土)12:30
~13:00
佐藤 宏之「台湾八仙洞遺跡群における更新世石器群の調査」
……… 1 13:00
~13:30
加藤 真二「東アジアにおける細石刃石器群の出現と拡散―西山頭・西沙河の衝撃-」
……… 5
13:30
~14:00
国武 貞克、フジャゲリディエフ・トゥーラ、佐藤 宏之「タジキスタン南部ザラフシャン山脈南麓のフッジ遺跡発掘調査速報」
……… 9
14:00
~14:30
萩野 はな、福田 正宏、熊木 俊朗、斉藤 譲一、夏木 大吾、張 恩恵、西村 広経、太田 圭、國木田 大、佐藤 宏之
「北海道宗谷地方における縄文遺跡群の実態調査(
2019
年度)」……… 13 14:30
~15:00
中村 亜希子「資料調査における三次元計測と取得データを用いた紋様復元の手法
-渤海都城出土塼による試み-」
……… 17 15:00
~15:30
上條 信彦「モンゴル地域の磨棒・磨盤」
……… 21 15:30
~15:45
休憩15:45
~16:15
臼杵 勲、内田 宏美、木山 克彦、佐川 正敏、柳本 照男、Ch.
アマルトゥフシン「2019 年ホスティン・ボラグ遺跡群 (KBS3・KBS4) 発掘調査概要報告」
……… 25 16:15
~16:45
佐川 正敏、臼杵 勲「モンゴル国ホスティン・ボラグ
3
遺跡の匈奴窯跡等出土軒丸瓦とその比較研究」……… 29 16:45
~17:15
村上 恭通、東 憲章、Dean Goodman
、栗林 誠治、Amarutuvshin Chunag
、Lochin Ishtseren
、Galdan Ganbaatar
「モンゴル・ウブス県グング遺跡製鉄遺跡第 3
次調査成果」……… 33 17:15
~17:45
坂川 幸祐、T.
イデルハンガイ「
Х ө х Ү з үү рийн дугуй
Ⅱ遺跡出土鉄製長剣とその意義について」……… 39
ii
17:45
~18:15
武田 和哉、町田 吉隆、中尾 幸一「中国内蒙古自治区赤峰市管内におる金界壕遺跡の調査と研究」
……… 43 18:30
~ 懇親会(Big Orange Restaurant
)2
月16
日(日)9:30
~10:00
榊田 朋広「擦文文化の雑穀利用の展開と地域間交流」
……… 47 10:00
~10:30
大澤 孝、ツォグトバータルB.
、大谷 育恵、ルンデフG.
「イフ・ボラギーン・ウンドゥル・ドブジョーの調査
(2019
年度試掘調査)
」……… 51
10:30
~11:00
木山 克彦、笹田 朋孝、佐川 正敏、臼杵 勲、正司 哲朗、L.
イシツェレン「
2019
年モンゴル国オルズ川流域の考古学調査」……… 54 11:00
~11:30
白石 典之、三宅 俊彦、覚張 隆史、B.Tsogtbaatar
、G.Batbold
、Ts.Amgalantugs
、E.Amarbold
、L.Burentugs
「モンゴル国ゴルバンドブ遺跡
1
号マウンドの調査」……… 58
11:30
~12:00
三好 佑佳、正司 哲朗、佐川 正敏、木山 克彦、L.
イシツェレン「ウイグル時代前期の瓦を対象にした三次元計測に基づく同笵判定手法に関す る考察」
……… 62 12:00
~12:30
鈴木 舞、飯塚 義之、鶴間 和幸「契丹金工品の製作技法と金属化学分析―個人蔵木村コレクションの例―」
……… 66
昼 食13:30
~14:00
宮本 一夫、松本 圭太、福永 将大、T. Amgalantugs
、D.Bazargur
、L.Delgermaa
「モンゴル国ザブハン県アブダライ遺跡の発掘調査」
……… 70 14:00
~14:30
中村 大介、本澤 航、正司 哲朗、Galdan Ganbaatar
「
2019
年度ホスティン・ボラグ青銅器時代遺跡の調査」……… 74 14:30
~15:00
米元 史織、足立 達朗、岡崎 健治、T. Amgalantugs
、中野 伸彦、小山内 康人「ストロンチウム同位体比分析からみるモンゴル青銅器時代墓地の構成とヒト の移動」
……… 78 15:00
~15:30
岡崎 健治、米元 史織、Amgalantugs Tsend
、宮本 一夫「人骨の形態からみたモンゴル先匈奴期の人々」
……… 82 15:30
~16:00
松本 圭太「蝶形金具再考」
……… 86
閉 会【紙上報告】 熊木 俊朗、夏木 大吾、中村 雄紀
「
2019
年度北海道北見市大島遺跡群発掘調査報告」……… 90
台湾八仙洞遺跡群における更新世石器群の調査
佐藤 宏之(東京大学)
1. はじめに
台湾の旧石器時代(更新世)石器群についてはこれまでいくつかの遺跡の存在が指摘・報告されて きたが、何と言っても著名なのは、台湾東部の海岸に面した八仙洞遺跡群である(宋 1969、 1980)。
台湾大学の宋文薫は、 1968 年八仙洞と総称されている海蝕洞窟群にある潮音洞・海雷洞・乾元洞・
崑崙洞の発掘調査を実施し、それらから出土した石器群の一部を更新世(旧石器時代)と認定して
「長浜文化」(「先土器文化」)と命名した 1) 。この成果に注目した加藤晋平は、台湾や東南アジア に分布する剥片石器群を「不定形剥片石器群」と呼び、このうち「古期・不定形剥片石器群」は更 新世に属し、南西諸島まで北上・拡散したと理解した(加
藤 1996a、 b)。小田静夫は加藤の仮説を支持し、さらに積
極的に解釈した(小田 2003)。
しかしながらその根拠となった乾元洞および潮音洞の 14C 年代測定値の多くは 5,000BP 前後を示しており、唯一
15,000BP の測定値(乾元洞)がひとつ知られているだけで
ある。台湾大学に所蔵されている調査資料を確認したと ころ、長浜文化を代表する剥片削器 2) は豊富にみられた が、剥片石器類はごく少数に止まり、東南アジアや南中国 に広く分布する更新世ホアビニアンに見られるチョッパ ー等の大型礫器は確認されなかった。打製石斧等の新石
器時代的な特徴を有する石器が含まれており、こうしたことから筆者は更新世石器群であることに 疑問をもっていた(佐藤 2008)。
ところが、最近中央研究院歴史語言研究所の臧振華等によって八仙洞遺跡群の再調査が実施さ れ、多くの注目すべき成果を挙げている(臧 2009、2011、2015、臧他 2016)。本発表では、この新 しい調査成果を中心に台湾旧石器研究の現状を紹介したい。
2. 八仙洞遺跡群
八仙洞は台東県長浜郷三間村に所在する(図 1)。台湾島は西部に平野が広がる一方、東部には南
北に急峻な山岳が伸び、東海岸の多くは背後に山地を抱え、太平洋との間に狭小な低地が所々に 点在する。八仙洞は海岸に面した急崖に見られる洞窟・岩陰の総称で、臧振華等は 2008 年から 2015 年にかけて、これら遺跡群の総合的な調査を行った。既存の洞窟・岩陰以外に新たに 19 の 洞窟・岩陰を発見し、都合 37 洞窟・岩陰と 14 の小平坦地を数えた。このうち 18 の洞窟・岩陰・
小平坦地を試掘し、87 の年代測定値(14C は 54 件)を得ている。主要な調査成果は、以下の通りで ある(臧他 2016)。
図 1 八仙洞の位置
1
図 2 八仙洞遺跡群における洞窟・岩陰の立地と海岸段丘
図 3 八仙洞における 14C 年代測定値一覧
➀旧石器時代に属する文化層を有する洞窟・岩陰は 7 つあり、最古の年代は 30,975-30,730BP( 無
名洞 11) となる。年代測定値を検討すると 30 〜 16ka のグループと 7 〜 3ka のグループの二つに
分かれ、この間に非居住期間が介在した可能性が高い 3) 。前者は旧石器時代に、後者は先土器
時代( 7 〜 5ka )・新石器時代( 5ka 以降)に属する。さらに興味深いのは、古い年代を示す洞窟・
岩陰ほど急崖上部に分布し、新しい年代の遺跡は相対的に標高が低い場所に所在する顕著な傾 向を持つ点である(図 2・3)。台湾はユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界に位置 し、台湾の脊梁山脈はこの二つのプレートの潜り込み運動によって急速に隆起したと考えられ ている。八仙洞遺跡群の形成もこの地殻活動の影響を強く受けたため、古期の洞窟・岩陰ほど 標高が高い位置に所在していると考えられる 4) 。
➁出土した遺物の多くは石器で、動物骨・魚骨等の出土は非常に少ないが、出土した動物骨はシ カ・イノシシ・齧歯類が主体を占める。堆積土壌や層序の岩石学的・微細形態学分析、出土石 器の使用痕分析等を実施している。正式報告書は今後刊行予定である。
➂旧石器時代石器群は、大型の side chopper 、 pointed chopper 等を含む chopper 類が多く、長浜技 法によって生産された剥片を素材とする各種の scraper や drill 、 discoid 等の剥片石器から構成 される礫器・剥片石器群である。3 ステージ程度に分かれそうだが、石器群の内容は共通す る。小型剥片石器は少ないが、石英製の小型剥片石器が少量認められる。先土器時代以降も石 器群の主要な構成は継続するが、局部磨製石斧等が共伴するようになる。ベトナムの Late
Hoabihnian によく似る。全時期を通じて石材は現在の海岸で採集可能な砂岩の扁平円礫が主体
で、これを長浜技法により素材生産を行なっている。小型の石英礫が少量搬入されており、こ れらは両極技法が利用されている。他の細粒石材はほとんどない。
➃特に扁平円礫を中心から二つに分割する長浜技法 2) は、すでに最古の年代を有する無名洞 11 の 文化層に存在することは重要で、洞窟が当時低標高部で形成されていたことを暗示する。また 長浜技法は旧石器時代文化層の主体的な石器生産技術をなしており、その後の先土器、新石器 文化層にも継続して存在する。このことは八仙洞に居住した先史集団が、一貫して海岸部付近 に居住していたことをよく示している。
八仙洞の旧石器文化層の石器群は、更新世東南アジアに広く見られる大型の chopper と剥片石器 の二者からなる礫器・剥片石器群(いわゆる Hoabihnian )(佐藤 2018、2019)とよく共通した特徴を 有する。長浜技法は東南アジアでは少ないが組成に確実に入っており、南中国でも分布が確認され ている。かつて宋文薫が発掘した潮音洞・海雷洞・乾元洞・崑崙洞の資料のほとんどは、先土器な いし新石器時代の所産であることが確実となった 5) 。
本発表は、科研基盤 B(19H01336) の成果の一部である。末筆であるが、資料の見学を許可してい ただいた臧振華教授と曾丁宣研究員のお二人に記して謝意を呈したい。
註
(1) ただし台湾における一般的な時代区分では、土器が出現する以前を全て旧石器時代と呼んで いることに注意が必要である。つまり旧石器時代=更新世ではなく、土器出現以前の完新世初頭・
前期も旧石器時代に含まれている。
(2) 現在の海岸で容易に採集可能な扁平円礫を素材として、側縁からの両極剥離によって二つの 剥片に分割することにより製作している。実験製作では block on block 技法(長浜技法と仮称、
3
南中国では鋭稜技法と呼ぶ)によって容易に製作することが可能で、その際に生じる特徴的な打 痕も出土石器に広く認められる。この生産技術によれば、調整剥片はほとんど生じない。
(3) このヒアタスは、石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で認められた非居住期間( 16 〜 9ka )とよく共 通することは興味深い。白保から出土した化石人骨の mt-DNA 分析では、更新世集団は東南ア ジア等の南方起源であるが、中期完新世以降の集団は列島の基層集団と共通するハブロ・タイ プを持つことがわかっている。ちなみに臧振華教授も人類集団の交代を想定しており、先土器
を Late Hoabihnian と考え、南方からのネグロイドの拡散を想定している。
(4) 八仙洞遺跡群では 3 段の海岸段丘が発達し、最古の年代値を測定した無名洞 11 は最上部の
「第三大平台」上に立地する。測定年代から計算すると 5-7mm /年の隆起速度となる。
(5) 臧振華は、旧石器時代文化層を長浜文化、先土器時代文化層を潮音文化と呼称することを提 案している。
引用参考文献
小田静夫 2003 『日本の旧石器文化』同成社
加藤晋平 1996a 「南西諸島への旧石器文化の拡散」 『地学雑誌』105 巻 3 号、259-280 頁 加藤晋平 1996b 「南西諸島における土器以前の石器文化」 『月刊地球』206 号、510-515 頁 佐藤宏之 2008 「東アジアにおける後期旧石器時代の形成」 『異貌』26号、2-15頁
佐藤宏之 2018 「旧石器時代における境界と地域性の形成」 『境界の考古学』日本考古学協会静岡 大会研究発表資料集、3-12頁
佐藤宏之 2019 『旧石器時代: 日本文化のはじまり』敬文舎
宋文薫 1969 「長濱文化-台湾首次発現的先陶文化(簡報) 」 『中国民族学通訊』9 期、1-27 頁 宋文薫 1980 「由考古学看台湾」 『中国的台湾』93-220 頁、中央文物供応社
臧振華編 2009 『台東県長浜郷八仙洞遺址調査研究計画(第一年)研究報告』中央研究院歴史語言 研究所
臧振華編 2011 『台東県長浜郷八仙洞遺址調査研究計画(第二年)研究報告』中央研究院歴史語言 研究所
臧振華編 2015 『台東県長浜郷八仙洞遺址調査研究計画(第四年)成果報告』中央研究院歴史語言 研究所
臧振華・陳文山・李匡悌・曾丁宣・陳文連 2016 「八仙洞遺址的考古進展及保存現況」 『2015年台
湾考古工作会報論文集(上)』1-15頁
東アジアにおける細石刃石器群の出現と拡散―西山頭・西沙河の衝撃―
加藤 真二(奈良文化財研究所)
はじめに
筆者は、これまで、中国北半部(中国東北部・華北)における細石刃石器群の出現について、
「華北の出現期の細石刃石器群に北方系細石刃石器群と共通する新出の技術的要素(著者注:
楔形細石核、周縁調整横
-
斜刃型彫器、石刃技術を組み込んだ石器製作技術などのこと)がみら れることを鑑みると、華北での細石刃出現期ca.26-27ka
には、北方系細石刃石器群の荷担集団 が中国東北部に拡散、隣接する華北の集団との間で細石刃技術などの外的接触伝播(山田2008
) がなされ、華北での細石刃石器群の出現を惹起したというシナリオを提示できる(Kato2014
)」 と考えてきた(加藤2018 p.19
)。つまり、この地域における最古の細石刃石器群は、周辺地域 から中国東北部に拡散してきた北方系細石刃石器群であり、その荷担集団が華北の集団と接触 したことから、華北の細石刃石器群が出現したと想定していた。しかし、最近、黒龍江省西山頭、河北省西沙河の発掘調査の概要が報告され、このシナリオ を撤回、新たなものを提示する必要に迫られることになった。今回、たたき台として、初歩的 な検討過程にある新たなシナリオ試案を提示したい。
1.西山頭と西沙河の石器群
西山頭石器群(吉林大学辺彊考古研究中心・黒龍江省文物考古研究所
2019
図1) 黒龍 江省西部、嫩江流域の龍江県杏山郷西山頭村に所在する(123°00′40.32″E
,46°43′46.25″N
)。嫩 江支流綽尓河左岸の第2
段丘上に位置する。第3
層の(黄色シルト礫層)より、炉跡を中心と して、少数の動物骨とともに石器類10231
点が出土した。石器石材は主に珪質岩。5513
点が珪 質岩の礫片。幅2
~3
㎝程度の中型石刃とその石核1点、細石刃、角錐状細石核ならびに細石核 のブランクとみられるもの各1点、一側縁加工の斜刃型彫器1点ならびに彫器スポール1点、削器、ノッチ1点、ドリル、扁平礫器1点などが出土した。
細石核は、厚みのある剥片を素材としたもので、三角形を呈する側面は、
1
面のみ器体調整 のためと思われるが施され、もう1面には剥離痕はなく、石核の素材となった剥片の主剥離面 となっている。細石刃剥離は2つの小口面でなされている。打面は平坦な1枚剥離面で、調整 は見られない。また、細石刃には、長さ3
㎝程度のものと長さ5
㎝程度のものがあるが、前者 には、細石刃には細かな剥離によって側縁が調整され、背付き尖頭器に加工されているものが みられる。一方、後者に対応するような細石核は検出されていない。2
点の動物骨についてAMS
による年代測定がなされ、23,680±170 14 CBP
(25,546-26,162calBC
, 加藤によるCalib Rev.7.0.4
による校正によれば27,493-28,097calBP,
中央値27,778calBP
)、23,610±80 14 CBP
(25,937-25,610calBC
,加藤によるCalib Rev.7.0.4
による校正によれば27,559- 27,885calBP,
中央値27,725calBP
)。西沙河石器群(
Guan et al.2019
図2
)河北省北西部の泥河湾盆地、桑乾河支流である壺流河 流域の陽原県化稍営鎮西沙河村に所在する(
39°55′15.8″N, 114°47′6.2″E
)。遺跡は壺流河の河岸 段丘上に形成され、第3
層(黄褐色粘土層:黄土層?)から石器ならびに動物化石が出土した。今回の対象は、そのうちの上半部である
3a
層から出土した石器878
点などである。なお、下半 部の3b
層からも削器、ノッチからなる石器群(鋸歯縁石器群か?:123
点)と少数の動物骨が 出土している。石器類は、火山角礫岩(
76.4
%)、チャート(12.1
%)、石灰岩(6.5
%)などを石材としている。石核
6
点、剥片273
点、削器11
点、掻器12
点、尖頭石器2
点、ドリル2
点、彫器1点、細石 核18
点、細石刃107
点、破片その他445
点、ハンマーストーン2点。幅1.5
~2
㎝程度の小型5
石刃ならびに、それらを剥離した石刃石核がみられる。小型石刃は主に掻器などの素材となっ ている。彫器は一側縁加工の斜刃型。細石刃は幅
1.0
㎝以下のものが多い。細石核は比較的大 型の角錐状細石核で、厚みのある剥片を素材とし、狭長な小口面から細石刃を剥離しているも のが多い。器体調整は見られないものが多いが、打面調整は顕著だという。また、打面再生を した資料もみられた。少数ながら小礫を打割した舟形を呈するものもみられる。このほか、ダ チョウの卵殻製のビーズ1点が出土している。3a
層では、4点の試料が年代測定され、22,680±80 14 CBP
(炭化物:27,312-26,669calBP
,加藤 による中央値27,046calBP
)、22,800±90 14 CBP
(動物骨:27,335-27,035calBP
,加藤による中央値27,181calBP
)、22,690±90 14 CBP
(動物骨:27,250-26,845calBP
,加藤による中央値27,055calBP
)、23,070±90 14 CBP
(動物骨:27,505-27,270calBP
,加藤による中央値27,386calBP
)という年代測定 値が出されている。2.東アジアにおける細石刃石器群の出現と拡散
中国東北部 今のところ、東アジアにおける最古の細石刃石器群は西山頭の石器群であり、
年代的には
27.7calka
を前後する時期といえる。その石器群は、中型石刃を生産する石刃技術を 中核としたもので、それに角錐状細石核を用いる細石刃技術が付け加わっている。この時期(約
3.9
万~2.4
万年前の間)、ユーラシア東部の広い範囲には、石刃技術を中核と したEUP
石器群(Zwyns 2012)
あるいはMUP
石器群(Rybin et al. 2016, Terry et al. 2016
など)を みることができる。西山頭の石器群は、これらと類似する。また、EUP
╱MUP
石器群の特徴と して、直接打撃による小石刃剥離技術並びに剥離した小石刃を素材とした背付き石器が挙げら れるが、西山頭の押圧剥離による細石刃技術と二次加工された細石刃は、これに対応し、置換 したものとみることができる。また、西山頭にみられる扁平礫器は、北方地域に広くみられる スクレイブロと称される大型の削器の一部や礫器に対応する石器といえる。さらに、西山頭の 直前に位置づけられる内蒙古チンスタイ洞中文化層の石器群は、基本的には中国北半部に盛行 している鋸歯縁石器群であり、大型石刃を持つとはいえ、中型石刃を中核にする西山頭とは、石器群の構造が異なっている。このため、西山頭の石器群は、西方のモンゴル高原もしくは北 方のシベリア・極東地域の
EUP
╱MUP
石器群に起源をもち、小石刃技術が細石刃技術に置換し たものと考えられる。細石刃技術については、周辺地域において西山頭と同等の古さのものが 知られていないことから、中国東北部で発明されたと考えたい。中国東北部内に細石刃石器群が拡散・普及する過程で、おそらく東部の長白山西麓の黒曜石 地帯において楔形細石核を用い、周縁調整斜
-
横刃型彫器をもつ、いわゆる「北方系細石刃石器 群」が成立する。現在、知られている最古の北方系細石刃石器群は、吉林省和龍大洞石器群で、21,350±120 14 CBP
(25,405-25,921calBP
、中央値:25,687calBP
)。この地区の楔形細石核には、北 海道の一部の峠下型や広郷型の細石核同様、多面体彫器を思わせる片面調整のものが多く、彫 器の製作技術に押圧剥離が導入され、彫器から楔形細石核に転化したことが想定される。そこ には、黒曜石が押圧剥離での細石刃剥離に適している点(Gomez Coutouly 2018
)が関連してい るとみることができる。この北方系細石刃石器群は、北東アジアに広く拡散することになる。長白山西麓は、その起源地の1つといえる。特に、朝鮮半島については、その北方系細石刃石 器群が長白山(白頭山)産黒曜石とともに流入、拡散したと考えられる。
華北 西山頭と西沙河は、石刃技術を中核とする石器製作技術、小口面型の角錐状細石核を 用いる細石刃技術、一側縁加工の斜刃型彫器などの類似点も多い。また、西沙河の年代も西山 頭(
ca.27.7calka
)よりも若干新しいca.27.2calka
なので、このころまでに中国東北部で形成され た細石刃石器群は、その荷担集団の移動に伴って、中国東北部と華北地域の接点まで拡散した とみることができる。陝西省龍王辿5層上部(
ca.26calka
~)、山西省柿子灘S29
地点第7文化層(ca.26calka
~)、同省下川(
ca.26calka
~)、河南省西施(ca.25calka
)、同省東施(ca.25calka
?)などの華北の出現期 の細石刃石器群の年代からみて、華北では、ca.25calka
前後には、細石刃石器群が普及、この地 域に盛行していた鋸歯縁石器群(D
群)、後期旧石器的な石器群(UP
群)、台形石器・背付き尖 頭器をもつ石器群(TB
群)と置換していたと考えられる。これら華北の出現期の細石刃石器群 は、船底形細石核の比率が高く、小型の剥片を素材とした多数の爪型掻器を保持するなどの地 域性を帯びながらも、小口面型の角錐状細石核や小型石刃を剥離する石刃技術をもっており、西山頭や西沙河などの最初期の細石刃石器群の影響を受けて成立したものと考えられる。と同 時に、龍王辿、河北省油房(
ca.27calka
?)、下川小白樺圪梁地点第2
層(ca.26
~25calka
前後)では、楔形細石核や周縁調整斜
-
横刃型彫器をみることができる。かつて考えたように北方系細 石刃石器群の影響を受けたのかもしれない。この後、
ca.20calka
に、古本州島西南部で角錐状細石核石器群が出現する。これについては、華北の角錐状細石核石器群の荷担集団が、最終氷期の海退期にひろがった三海平原(陸地化し た渤海湾、黄海、東シナ海)に進出、北部九州を中心とする古本州島西南部の集団と接触した ことにより、その細石刃技術が古本州島西南部に伝播したという仮説をもつ(加藤・李
2012
)。 おわりに以上、粗々ながら、西山頭、西沙河両石器群を踏まえた東アジアにおける細石刃石器群の出 現と拡散に関する新シナリオを提示した。今後、さらに分析を加え、仮説の証明に努めたい。
謝辞:西沙河の資料については、
2015
年7
月15
日、中国科学院古脊椎動物与古人類研究所に て、関瑩研究員のもと観察をおこなった。西山頭の資料については、2018
年8
月17
日、黒龍 江省文物考古研究所にて、李有騫研究員のもと観察をおこなった。両研究員に厚く御礼申し上 げます。参考文献
加藤真二・李占揚
2012
「河南省許昌市霊井遺跡の細石刃技術―
華北地域における角錐状細石核石器群―
」『旧石 器研究』(
8) 31-44
。加藤真二
2018
「中国における"
北方系細石刃石器群"
の拡散について」『日本旧石器学会第16
回研究発表・シン ポジウム予稿集』19-22
。山田哲
2008
「北海道の細石刃石器群をめぐる伝播現象」『伝播を巡る構造変動-国府石器群と細石刃石器群-』東京大学公開シンポジウム予稿集,
60-77
。吉林大学辺彊考古研究中心・黒龍江省文物考古研究所
2019
「黒龍江省龍江県西山頭遺址旧石器時代遺存発掘 簡報」『考古』2019
(11
)3-13
。Gomez Coutouly Y.A. 2018 The Emergence of Pressure Knapping Microblade Technology in Northeast Asia. Radiocarbon 60(3), 821-855.
Guan Y., et al. 2019Microblade remains from the Xishahe site, North China and their implications for the origin of microblade technology in Northeast Asia. Quaternary International in press (https://doi.org/10.1016/j.quaint.2019.03.029).
Kato S. 2014 Human dispersal and interaction during the spread of microblade industries in East Asia. Quaternary International 347, 105-112.
Zwyns, N. 2012 Laminar technology and the onset of the Upper Paleolithic in the Altai, Siberia. 413p.
leiden University Press.
Rybin, E. P. et al. 2016, The impact of the LGM on the development of the Upper Paleolithic in Mongolia. Quaternary International 425, 69-87.
Terry, K. et al. 2016 Emergence of a microlithic complex in the Transbaikal Region of southern Siberia. Quaternary International 425, 88-99.
7
図1 西山頭の石器群(吉林大学辺彊考古研究中心ほか2019)
図2 西沙河の石器群(Guan et al. 2019)
タジキスタン南部ザラフシャン山脈南麓のフッジ遺跡発掘調査速報
国武貞克
1
・フジャゲリディエフ トゥーラ2
・佐藤宏之3
(1:奈良文化財研究所,2:タジキスタン共和国科学アカデミー歴史学考古学民族学研究所,3:東京大学)
1. はじめに
中央アジア西部における後期旧石器時代初頭(IUP期)の様相は不明である。唯一その候補に挙げら れてきたウズベキスタンのオビ-ラフマート洞窟は、近年新たに実施された洞窟堆積物の炭酸カルシウ ムのウランシリーズ年代測定分析により最上層が約
9
万8
千年前と報告され全層が中期旧石器時代の可 能性が指摘されており(Asmerom.Y, Polyak.V.J, Wagner.J.D.M, Patchett.P. J 2018 Hominin expansion into Central Asia during the last interglacial Earth and Planetary Science Letters 494:148-152
)、従来の前提が揺らぎつつある。発表者 は、カザフスタン、キルギス、タジキスタンのこれまでの発掘及び採集資料を調査して、その可能性の ある遺跡を探してきたが、十分な層位差をもって一括性が担保された出土状況で、かつ石器群の技術的 な内容が中期旧石器時代から後期旧石器時代への移行を示す資料は、いまだ確認できていない。そこ で、既存資料からIUP
期に該当する可能性がある遺跡を候補に挙げ、これらのうち層位的な堆積が期待 できる遺跡を対象として、一括性の担保された良好な考古資料を獲得することを目的とした本格的な発 掘調査を企画した。2019年度はそのなかでも有望な遺跡と考えるタジキスタン南部のフッジ遺跡につい て発掘調査を実施したため、本発表ではその概要を報告する。2. フッジ遺跡の調査略史
フッジ遺跡は、タジキスタン南部のタジク-アフガン盆地の北縁をなすザラフシャン山脈南麓のギッ サール山地の南斜面に位置している(図
1)。ドシャンベから西に約 40km
で、共和国直轄地シャハリ ナフ郡のフッジボロ集落の北西部に位置している。ウズベキスタンの著名な中期旧石器時代の洞窟遺跡 であるテシク・タシュ洞窟は、フッジ遺跡から約90km
西の同じくギッサール山地の山麓に立地する。フッジ遺跡はその約
100m
北の岩山の岩の裂け目から湧出する大規模な湧水から流れ出る小川の右岸を 南北方向に走る尾根の海抜1,095m
の東斜面に立地している。フッジ遺跡は
1953
年にA.P.オクラドニコフにより石器が採集されて、その存在が知られるようにな
った。1978年に道路工事により多量の遺物が露出して、V.A.ラノフにより遺物回収と補足的な発掘調査 が実施された。1997年には、ラノフにより組織的な試掘調査が実施された。その後2003
年にもラノフ により補足的な試掘調査が行われている。タジキスタンにおける旧石器時代遺跡の野外調査はこの2003
年の試掘調査が最後であった。2019年に発表者らが実施した発掘調査は、フッジ遺跡ではじめて実施さ れた本格的な発掘調査となった。3 発掘調査の方法
2019
年6
月に奈良文化財研究所とタジキスタン共和国科学アカデミー歴史学考古学民族学研究所との 間で「学術交流についての合意書」を締結した。この合意書に基づき、中央アジア更新世人類遺跡日本 調査団(団長:佐藤宏之)と同研究所との間で、「タジキスタン共和国における石器時代遺跡の共同調 査と学術研究についての協定書」を締結した。この協定書に基づき、日本-タジキスタン共同遠征調査 として、2019年10
月から11
月にフッジ遺跡の発掘調査を実施した。調査期間は、2019年10
月13
日か ら11
月4
日の23
日間である。発掘調査の参加者は、日本側から国武、タジク側からフジャゲリディエ フ他2
名の合計4
名である。近隣のフッジボロ集落から8
名、ドシャンベから1
名の合計9
名の作業員 を雇用した。9
タジキスタン南部ザラフシャン山脈南麓のフッジ遺跡発掘調査速報
国武貞克
1
・フジャゲリディエフ トゥーラ2
・佐藤宏之3
(1:奈良文化財研究所,2:タジキスタン共和国科学アカデミー歴史学考古学民族学研究所,3:東京大学)
1. はじめに
中央アジア西部における後期旧石器時代初頭(IUP期)の様相は不明である。唯一その候補に挙げら れてきたウズベキスタンのオビ-ラフマート洞窟は、近年新たに実施された洞窟堆積物の炭酸カルシウ ムのウランシリーズ年代測定分析により最上層が約
9
万8
千年前と報告され全層が中期旧石器時代の可 能性が指摘されており(Asmerom.Y, Polyak.V.J, Wagner.J.D.M, Patchett.P. J 2018 Hominin expansion into Central Asia during the last interglacial Earth and Planetary Science Letters 494:148-152
)、従来の前提が揺らぎつつある。発表者 は、カザフスタン、キルギス、タジキスタンのこれまでの発掘及び採集資料を調査して、その可能性の ある遺跡を探してきたが、十分な層位差をもって一括性が担保された出土状況で、かつ石器群の技術的 な内容が中期旧石器時代から後期旧石器時代への移行を示す資料は、いまだ確認できていない。そこ で、既存資料からIUP
期に該当する可能性がある遺跡を候補に挙げ、これらのうち層位的な堆積が期待 できる遺跡を対象として、一括性の担保された良好な考古資料を獲得することを目的とした本格的な発 掘調査を企画した。2019年度はそのなかでも有望な遺跡と考えるタジキスタン南部のフッジ遺跡につい て発掘調査を実施したため、本発表ではその概要を報告する。2. フッジ遺跡の調査略史
フッジ遺跡は、タジキスタン南部のタジク-アフガン盆地の北縁をなすザラフシャン山脈南麓のギッ サール山地の南斜面に位置している(図
1)。ドシャンベから西に約 40km
で、共和国直轄地シャハリ ナフ郡のフッジボロ集落の北西部に位置している。ウズベキスタンの著名な中期旧石器時代の洞窟遺跡 であるテシク・タシュ洞窟は、フッジ遺跡から約90km
西の同じくギッサール山地の山麓に立地する。フッジ遺跡はその約
100m
北の岩山の岩の裂け目から湧出する大規模な湧水から流れ出る小川の右岸を 南北方向に走る尾根の海抜1,095m
の東斜面に立地している。フッジ遺跡は
1953
年にA.P.オクラドニコフにより石器が採集されて、その存在が知られるようにな
った。1978年に道路工事により多量の遺物が露出して、V.A.ラノフにより遺物回収と補足的な発掘調査 が実施された。1997年には、ラノフにより組織的な試掘調査が実施された。その後2003
年にもラノフ により補足的な試掘調査が行われている。タジキスタンにおける旧石器時代遺跡の野外調査はこの2003
年の試掘調査が最後であった。2019年に発表者らが実施した発掘調査は、フッジ遺跡ではじめて実施さ れた本格的な発掘調査となった。3 発掘調査の方法
2019
年6
月に奈良文化財研究所とタジキスタン共和国科学アカデミー歴史学考古学民族学研究所との 間で「学術交流についての合意書」を締結した。この合意書に基づき、中央アジア更新世人類遺跡日本 調査団(団長:佐藤宏之)と同研究所との間で、「タジキスタン共和国における石器時代遺跡の共同調 査と学術研究についての協定書」を締結した。この協定書に基づき、日本-タジキスタン共同遠征調査 として、2019年10
月から11
月にフッジ遺跡の発掘調査を実施した。調査期間は、2019年10
月13
日か ら11
月4
日の23
日間である。発掘調査の参加者は、日本側から国武、タジク側からフジャゲリディエ フ他2
名の合計4
名である。近隣のフッジボロ集落から8
名、ドシャンベから1
名の合計9
名の作業員 を雇用した。9
発掘調査の地点は
1997
年のラノフによる試掘成果を参照して選定した。この試掘調査により遺物分 布密度が最も高かったため遺跡の中心部とみなされた1997
年2
号試掘坑と同3
号試掘坑の間の9m
の範 囲において、3mの幅で合計27
㎡の範囲を発掘調査区として設定した。掘削方法は、石器包含層に至るまでは、スコップで垂直方向に少しずつ掘り下げ、石器包含層に至る と草刈鎌で水平方向に少しずつ削りながら遺物を検出し、平面位置と標高を記録しながら、層位別に取 り上げた。石器包含層では、記録と検出の都合から概ね
5
㎝前後の厚さを一度の掘削単位(検出面)と した。その結果、総計27
面の取り上げとなった。石器包含層の発掘廃土はすべて水洗し、微細遺物の 回収に努めた。4.発掘調査成果の概要
タジキスタンでは、2003年のフッジ遺跡の試掘調査以降に実施された初めての旧石器時代遺跡の発掘 調査となった。また外国隊による旧石器時代遺跡の発掘調査としては、2000年のドイツのシェーファー によるホナコⅢ遺跡の発掘調査以来の
2
か国目となった。地表から約
3.1m
は無遺物層で、地表下約3.1m
から約6.4m
の深さまで遺物の出土がみられた。約5
㎝ 程度の層厚を一度の掘削単位として遺物を検出し、連続して遺物が出土している間は一連の文化層とし て認識し、無遺物の掘削単位を挟むとそれ以下を次の文化層として認識した。その結果、約4,000
点の 遺物が4
枚の文化層に区分されて取り上げられた。ただし文化層区分については発掘調査終了時点の暫 定的な所見であり、今後の整理分析により変更することもあり得る。包含されている土壌は、再堆積の レスである。遺物を包含しない地表下約3.1m
までは、斜面上方から流されてきた様々な大きさの礫が ガリー状に堆積し、その隙間を砂粒が混じるレスが堆積していた。それ以下は、砂粒をあまり含まない レスがローム化した堆積土が、北西から南東に向かう傾斜を保って安定して堆積していた(図2)。
第
1
文化層は地表下約3.1m~約 4.0m
の間で、それ以下と比べて北西-南東方向の傾きが約4
度と大 きかった。しかし地床炉が面的に検出され、その周辺に遺物がまとまって出土するため、遺物分布は概 ね原位置を保っているようにみえた。地床炉は合計8
基が6
面に分かれて検出された。第1
文化層では 石器及び焼礫、炭化物が合計約1,000
点出土し、焼けていない骨は出土しなかった。第
2
文化層は、地表下約4.3m~約 5.2m
の間で、第1
文化層と比べて、分布密度が低く、地床炉は検 出されなかった。おそらく、調査区外に分布の中心があり、その周辺部が調査区内において検出された と考えられた。第2
文化層では石器及び焼礫、炭化物で約500
点出土し、焼けていない骨は出土しなか った。第
3
文化層は、地表下約5.3m~約 6.0m
の間で、約2,500
点の遺物が出土し、最も濃密な分布を示した(図
2)。北西-南東方向に傾斜していたが、約 2
度であり第1、第 2
文化層よりも傾きは小さかった。3
基の地床炉が2
面に分かれてレベルを違えて検出され、遺物分布は原位置を保っているようにみえ た。遺物は、調査区外の西に濃密な分布が続くと思われるが、川に面した東側では分布は途切れていた ため、分布の境界を検出したものと考えられる。石器、焼礫、炭化物のほかに、動物骨も多数出土した。大型哺乳類の四肢骨や下顎骨がみられ、人為 的に破砕されているものも多く認められた。骨は新鮮で遺存状態は非常に良好であった。これは第3文 化層のレベルが地下水位に近いため上層に比べて包含層に水分が多く含まれていたためではないかと考 えられる。
第4文化層は、地表下約
6.1m~約 6.4m
の間で、石器、炭化物が約20
点出土し、最も散漫な分布を示 した。地床炉は検出されず、焼けていない骨は出土しなかった。第4
文化層を包含する土壌は、第1~3
発掘調査の地点は1997
年のラノフによる試掘成果を参照して選定した。この試掘調査により遺物分 布密度が最も高かったため遺跡の中心部とみなされた1997
年2
号試掘坑と同3
号試掘坑の間の9m
の範 囲において、3mの幅で合計27
㎡の範囲を発掘調査区として設定した。掘削方法は、石器包含層に至るまでは、スコップで垂直方向に少しずつ掘り下げ、石器包含層に至る と草刈鎌で水平方向に少しずつ削りながら遺物を検出し、平面位置と標高を記録しながら、層位別に取 り上げた。石器包含層では、記録と検出の都合から概ね
5
㎝前後の厚さを一度の掘削単位(検出面)と した。その結果、総計27
面の取り上げとなった。石器包含層の発掘廃土はすべて水洗し、微細遺物の 回収に努めた。4.発掘調査成果の概要
タジキスタンでは、2003年のフッジ遺跡の試掘調査以降に実施された初めての旧石器時代遺跡の発掘 調査となった。また外国隊による旧石器時代遺跡の発掘調査としては、2000年のドイツのシェーファー によるホナコⅢ遺跡の発掘調査以来の
2
か国目となった。地表から約
3.1m
は無遺物層で、地表下約3.1m
から約6.4m
の深さまで遺物の出土がみられた。約5
㎝ 程度の層厚を一度の掘削単位として遺物を検出し、連続して遺物が出土している間は一連の文化層とし て認識し、無遺物の掘削単位を挟むとそれ以下を次の文化層として認識した。その結果、約4,000
点の 遺物が4
枚の文化層に区分されて取り上げられた。ただし文化層区分については発掘調査終了時点の暫 定的な所見であり、今後の整理分析により変更することもあり得る。包含されている土壌は、再堆積の レスである。遺物を包含しない地表下約3.1m
までは、斜面上方から流されてきた様々な大きさの礫が ガリー状に堆積し、その隙間を砂粒が混じるレスが堆積していた。それ以下は、砂粒をあまり含まない レスがローム化した堆積土が、北西から南東に向かう傾斜を保って安定して堆積していた(図2)。
第
1
文化層は地表下約3.1m~約 4.0m
の間で、それ以下と比べて北西-南東方向の傾きが約4
度と大 きかった。しかし地床炉が面的に検出され、その周辺に遺物がまとまって出土するため、遺物分布は概 ね原位置を保っているようにみえた。地床炉は合計8
基が6
面に分かれて検出された。第1
文化層では 石器及び焼礫、炭化物が合計約1,000
点出土し、焼けていない骨は出土しなかった。第
2
文化層は、地表下約4.3m~約 5.2m
の間で、第1
文化層と比べて、分布密度が低く、地床炉は検 出されなかった。おそらく、調査区外に分布の中心があり、その周辺部が調査区内において検出された と考えられた。第2
文化層では石器及び焼礫、炭化物で約500
点出土し、焼けていない骨は出土しなか った。第
3
文化層は、地表下約5.3m~約 6.0m
の間で、約2,500
点の遺物が出土し、最も濃密な分布を示した(図
2)。北西-南東方向に傾斜していたが、約 2
度であり第1、第 2
文化層よりも傾きは小さかった。3
基の地床炉が2
面に分かれてレベルを違えて検出され、遺物分布は原位置を保っているようにみえ た。遺物は、調査区外の西に濃密な分布が続くと思われるが、川に面した東側では分布は途切れていた ため、分布の境界を検出したものと考えられる。石器、焼礫、炭化物のほかに、動物骨も多数出土した。大型哺乳類の四肢骨や下顎骨がみられ、人為 的に破砕されているものも多く認められた。骨は新鮮で遺存状態は非常に良好であった。これは第3文 化層のレベルが地下水位に近いため上層に比べて包含層に水分が多く含まれていたためではないかと考 えられる。
第4文化層は、地表下約
6.1m~約 6.4m
の間で、石器、炭化物が約20
点出土し、最も散漫な分布を示 した。地床炉は検出されず、焼けていない骨は出土しなかった。第4
文化層を包含する土壌は、第1~3
文化層と異なりグライ化して脱色しており、包含層堆積後に地下もしくは東に面する川からの水の影響 を受けたと推定された。
5.出土石器の概要
出土石器について、ここでは発掘調査終了時点で気が付いた点のみ述べる。誤認があるかもしれない ため、今後整理分析をすすめて詳細を明らかにしていく過程で、より正確な所見へと変更していく予定 である。
第
1
文化層から第3文化層まで、石刃とルヴァロワ尖頭器が目立つ器種である。石刃は先細りする形 態が多い。打面調整はあまり認められず、頭部調整が顕著であるようにみえる。石刃の大きさは下層ほ ど大型で部厚い傾向があるようにみえる。石核は、第1
文化層から第3
文化層まで、ルヴァロワ石核、ルヴァロワ石刃石核、求心剥離石核など、中期旧石器的な技術が主体である。ただし、現在のところル ヴァロワ尖頭器石核は認められないようである。第
3
文化層ではこれらに加えて、角錐形の石刃核、剥 片素材の小口面石刃石核や、石刃素材の小石刃石核など後期旧石器的な技術を示す石核も少量みられ た。石刃が多く出土したが、石刃を素材とした製品としては、尖頭形の削器が第3
文化層で少量認めら れたのみで石刃製掻器は認められなかった。第4
文化層では鋸歯縁形石器が出土した。6.まとめ
本遺跡の発掘調査では、石刃生産とルヴァロワ尖頭器を特徴とする約
4,000
点の石器群を、十分な層 位差をもって4
枚の文化層に区分して層位的に検出することができた。特に第1
文化層と第3
文化層で は合計11
基の地床炉を検出しており、資料の一括性が担保される出土状況であった。第3
文化層は最も 濃密に検出され、動物骨も豊富に出土したことから、分析がすすめば狩猟対象獣や周辺環境が判明する 可能性が高い。現在、各地床炉から採取した炭化物試料の放射性炭素年代測定分析を進めている。さら にOSL
年代測定分析及び、焼礫を利用した熱ルミネッセンス法による年代測定分析も予定している。本 資料の帰属時期については、後期旧石器時代初頭(IUP期)となるのか、中期旧石器時代の石刃石器群 となるのか、複数の方法による年代測定分析結果と出土資料の詳細な考古学的な分析を踏まえて結論を 導きたいと考えている。前者であれば、中央アジアでは初めての確実なIUP
期の資料となり、後者であ れば近東地域のタブーンD
タイプ石器群との関係が浮上し、新人の北回りルートにおける初期拡散の議 論に大きな一石を投じることになる。いずれにしても中央アジアでは、中期旧石器時代から後期旧石器 時代にかけての時期で、これほどまとまった内容と点数の資料は他に例がない。とくに開地遺跡のシン プルで分厚いレス堆積中に包含された一括性の高い出土状況は明快で説得力が高い。本発掘調査資料の 評価がユーラシア旧石器研究に与える影響は計り知れない。本遺跡の発掘調査は令和元年度科学研究費補助金新学術領域公募研究「中央アジアにおける後期旧石 器時代初頭(IUP)石器群の探求」(研究代表:国武貞克 課題番号
19H04527)及び令和元年度科学研
究費補助金基盤研究(B)「中央アジア 天山-パミール地域における後期旧石器文化成立過程の研究」(研究代表:国武貞克 課題番号
19H01354)によりすべての経費を賄った。
11
文化層と異なりグライ化して脱色しており、包含層堆積後に地下もしくは東に面する川からの水の影響 を受けたと推定された。
5.出土石器の概要
出土石器について、ここでは発掘調査終了時点で気が付いた点のみ述べる。誤認があるかもしれない ため、今後整理分析をすすめて詳細を明らかにしていく過程で、より正確な所見へと変更していく予定 である。
第
1
文化層から第3文化層まで、石刃とルヴァロワ尖頭器が目立つ器種である。石刃は先細りする形 態が多い。打面調整はあまり認められず、頭部調整が顕著であるようにみえる。石刃の大きさは下層ほ ど大型で部厚い傾向があるようにみえる。石核は、第1
文化層から第3
文化層まで、ルヴァロワ石核、ルヴァロワ石刃石核、求心剥離石核など、中期旧石器的な技術が主体である。ただし、現在のところル ヴァロワ尖頭器石核は認められないようである。第
3
文化層ではこれらに加えて、角錐形の石刃核、剥 片素材の小口面石刃石核や、石刃素材の小石刃石核など後期旧石器的な技術を示す石核も少量みられ た。石刃が多く出土したが、石刃を素材とした製品としては、尖頭形の削器が第3
文化層で少量認めら れたのみで石刃製掻器は認められなかった。第4
文化層では鋸歯縁形石器が出土した。6.まとめ
本遺跡の発掘調査では、石刃生産とルヴァロワ尖頭器を特徴とする約
4,000
点の石器群を、十分な層 位差をもって4
枚の文化層に区分して層位的に検出することができた。特に第1
文化層と第3
文化層で は合計11
基の地床炉を検出しており、資料の一括性が担保される出土状況であった。第3
文化層は最も 濃密に検出され、動物骨も豊富に出土したことから、分析がすすめば狩猟対象獣や周辺環境が判明する 可能性が高い。現在、各地床炉から採取した炭化物試料の放射性炭素年代測定分析を進めている。さら にOSL
年代測定分析及び、焼礫を利用した熱ルミネッセンス法による年代測定分析も予定している。本 資料の帰属時期については、後期旧石器時代初頭(IUP期)となるのか、中期旧石器時代の石刃石器群 となるのか、複数の方法による年代測定分析結果と出土資料の詳細な考古学的な分析を踏まえて結論を 導きたいと考えている。前者であれば、中央アジアでは初めての確実なIUP
期の資料となり、後者であ れば近東地域のタブーンD
タイプ石器群との関係が浮上し、新人の北回りルートにおける初期拡散の議 論に大きな一石を投じることになる。いずれにしても中央アジアでは、中期旧石器時代から後期旧石器 時代にかけての時期で、これほどまとまった内容と点数の資料は他に例がない。とくに開地遺跡のシン プルで分厚いレス堆積中に包含された一括性の高い出土状況は明快で説得力が高い。本発掘調査資料の 評価がユーラシア旧石器研究に与える影響は計り知れない。本遺跡の発掘調査は令和元年度科学研究費補助金新学術領域公募研究「中央アジアにおける後期旧石 器時代初頭(IUP)石器群の探求」(研究代表:国武貞克 課題番号
19H04527)及び令和元年度科学研
究費補助金基盤研究(B)「中央アジア 天山-パミール地域における後期旧石器文化成立過程の研究」(研究代表:国武貞克 課題番号
19H01354)によりすべての経費を賄った。
11
図 1 中央アジア西部の主要旧石器時代遺跡の分布とフッジ遺跡の位置
図 1 中央アジア西部の主要旧石器時代遺跡の分布とフッジ遺跡の位置
北海道宗谷地方における縄文遺跡群の実態調査(2019年度)
萩野 はな
1
・福田 正宏1
・熊木 俊朗1
・斉藤 譲一2
・夏木 大吾1
・ 張 恩恵1
・西村 広経1
・太田 圭1
・國木田 大1
・佐藤 宏之1
(
1
:東京大学、2
:稚内市教育委員会)1. 調査の目的と経緯
北海道北端部に位置する稚内市は、道東とサハリン島の中間に位置し、旧石器時代~アイヌ 文化期の北海道-サハリン間における文化交流史を考える上で重要な位置を占める。日露二国 における調査研究を進めるなか、旧来の学問的枠組みでは解決することの難しい考古学的諸問 題が浮き彫りになってきた。宗谷海峡周辺における考古学的現象を、日露国境線を跨ぐかたち で再調査する必要がある。そこで、サハリン島における新石器時代遺跡群の調査と並行して、
サハリン島に最も接近する位置にある稚内市内で、縄文時代を主たる調査対象とした遺跡群の 実態調査を開始した。周知遺跡の範囲確認調査とともに、宗谷海峡形成後の遺跡分布・堆積環 境を広域的に調査し、本地域における遺跡形成史と生活環境の変化を長期的に再現したい。
2019
年10
月9日~10
月16
日に、稚内市内の恵北1遺跡、声問大沼丘陵第10
遺跡、シュプ ントー5遺跡、シュプントー6遺跡で発掘調査を実施した。これらの遺跡では縄文時代遺物が 出土したと報告されている。しかし断片的な情報のみしかなく、詳細は不明である。そのため、まずは試掘調査を行い、各遺跡の時期や性格を把握することにした。現地調査は、稚内市教育 委員会の協力を受け、東京大学考古学研究室と東京大学常呂実習施設が共同で実施した。調査 主体と調査担当は、福田正宏(東京大学考古学研究室)である。
13
2.遺跡群の立地と保存状況
調査対象となる遺跡群は、稚内市声問地区の大沼周辺に分布する(図1参照)。大沼は完新世 の海跡湖であり、その周辺低地には、主として縄文海進以降の相対的海水準変動によって発達 した泥炭層が広く分布している。現在、軟弱地盤の大部分は造成されているが、一部の湿原堆 積物はメグマ沼周辺で表面観察することができる。大沼は海岸砂丘列を挟んで、宗谷湾を北に 臨む。南は、大沼に流れ込むサラキトマナイ川と声問川が沖積低地(幕別平野)を形成し、そ の周囲を更新世段丘が取り囲む景観にある。大平・海津(
1999
)によれば、縄文海進最盛期(ca.
6000 BP
:未較正年代、以下同じ)の大沼と幕別平野が含まれる大沼周辺は内湾環境にあった。その後、
ca. 3600-2600 BP
とca.1600 BP
以後の相対的海水準低下期などを経て、徐々に陸地化 していった。恵北1遺跡とシュプントー遺跡群は、礫・砂・粘土からなる更新世段丘(小山内ほか
1959
参 照)の縁辺部に位置している。両遺跡とも、河川や湿原を眼下に見下ろす位置にある。一方、声問大沼丘陵第
10
遺跡は、声問地区の南にある更新世段丘の北側直下となる低い平坦面に位 置しており、他とは立地が異なる。包蔵地となる社会福祉法人緑ヶ岡学園の敷地内では、同学 園の職員や生徒たちが縄文時代と目される遺物を採集している。また、園内で大規模造成が行 われた際にも遺物が出土したという。そのため、同学園職員と協議を行い、周知の包蔵地範囲 内に計7カ所のテストピット(各1m×1m
)を設定し、包含層の有無を調査した。その結果、調 査対象全域において、標高6.0-5.6m
の造成土下に泥炭もしくは河川堆積物(円礫主体)が堆積 することを確認した。基本は、完新世の沖積層である。遺物包含層の存在は確認されていない。また、同学園裏の段丘は調査区域に延長しないことを確認した。採集遺物は、段丘から供給さ れた土砂中に含まれていた可能性がある。
3.恵北1遺跡の調査結果(概要)
恵北1遺跡は、稚内市大字声問村字下声問
1465-1
・6
に所在する。幕別丘陵(「恵北層」:更 別グループほか1966
)が北西方向へ舌状に張り出した先端部に位置する。眼下には湿原がひろ がり、北に1.67km
離れて宗谷湾を臨む。1967
・1968
年に、擦文時代の竪穴住居3軒の発掘調 査が実施されている(大場・菅1972
)。この調査の結果、段丘先端頂部(標高ca. 30-38m
)が周 知の包蔵地範囲内となり、その北西部となる相対的に高い地点(標高ca.34-38m
)に、宇田川編 年による擦文中期~後期に形成された集落址がひろがることが判明している。本遺跡ではほか に、少量の北筒式土器も出土したと報告されている。擦文集落とは別の地点に縄文時代の包含 層が残る可能性がある。そこで、集落から40-100m
南東方向に離れた相対的に低い地点(標高>30m
)に計7カ所のテストピット(各1m×1m
)を設定した。調査の結果、
TP-
1で北筒式土器(トコロ6類)の破片(図2-1
)と黒曜石の石器類をとも なう小ピット(柱穴?)が検出された(図2参照)。縄文中/後期の遺構である。細粒砂主体の 包含層の下を深部まで掘り下げたが、他時期のものと判断できる遺物は出土しなかった。一方、TP-
3では小型の地床炉が検出されたが、時期を特定することのできる遺物はともなっていな い。TP-
1とTP-
3の遺構検出面はほぼ同レベルにあるが、同一時期の遺構群であるか否かは不 明である。調査区域は樹木や背丈以上の下草が密生し、立ち入りが極めて困難な現況にある。そのため、包含層の分布範囲や遺構の性格などの詳細については、追跡調査することができて いない。
4.シュプントー5・6遺跡の調査結果(概要)
シュプントー5遺跡・同6遺跡は、稚内市大字声問村字声問
6899-1
に所在する。大沼の北西 側に接する段丘(「声問層」:更別グループほか1966
)の湖岸に面した南東斜面にあり、目前には大沼の湿地帯がひろがる。丘陵頂部にあるミルクロード展望台駐車場から大沼湖岸に向かっ て段丘傾斜面を下る散策路が敷設されている。周知の包蔵地範囲は、その散策路付近となる段 丘下部(標高
ca.10-20m
)の緩斜面にひろがっている。1998
年に本遺跡の周辺で植林事業があった。その際に笹地の抜根が行われ、立会調査により、剥片石器や石器製作残滓の散布が確認された。段丘下部は、二つの深い谷地形によって分断さ れ、西から順にシュプントー4遺跡、同5遺跡、同6遺跡として登録されている。今回は、シ ュプントー5遺跡と同6遺跡の包蔵地範囲内とその周辺において試掘調査を行った。
シュプントー5遺跡では、標高
ca.10-30m
の斜面上を調査した。遺跡をほぼ縦断する散策路 の周辺に点在するテラス状地形に計10
カ所のテストピット(各1m×1m
)を設定した。調査の 結果、標高ca.8-14m
となる緩斜面に設定したTP-
1とTP-
2で遺物包含層を発見した。斜面傾 斜に直交するようにTP-
1を1m×4m
に拡張したところ、多量の黒曜石製の石器製作残滓が平面 分布することを確認した(図3参照)。包含層は樹木痕由来の植物攪拌の影響を受けており、全 体的に焼けていた。石器製作後に樹木痕が発達し、その後、火を受けた可能性がある。周囲の テストピットで焼土などの存在は確認されていない。TP-
1は散策路に接するため、調査区をそ れ以上拡張していない。そのため、この被熱痕が人為によるものか否かは不明である。TP-
2で は、数点の剥片石器(図4-1・2)と多数の石器製作残滓(ともに黒曜石製)が出土し、また、接合可能な数点の北筒式土器胴部片も出土した(図4-3)。
TP-
2はTP-
1より一段低い平坦 面にあり、ともに明確な遺構プランは確認されていない。現状で、両地点の包含層を直接関連 づける根拠はない。そのほかTP-
9では、黒曜石製製作残滓1点が出土した。原位置にはなく、斜面上部から流れ込んできたものである可能性が高い。
シュプントー6遺跡では、標高
ca.17-18m
のテラス状地形で計2カ所のテストピット(各1m×1m
)の調査を行ったが、包含層の存在は確認されていない。5.まとめ
稚内大沼周辺の縄文中/後期の遺跡群は、河川や湖沼に面した更新世段丘縁辺部の比較的平 坦な位置に立地する、という傾向がある。居住または陸域活動拠点に適した地点が選択されて いる。類似した地形はほかにも存在する。だが本地区では、掘削をともなう開発事業が少なく、
また、段丘表面の大部分にクマザサが密生するため、地表面の露出箇所が限られている。宗谷 湾周辺の縄文遺跡群の分布を適切に理解するためには、遺跡発見を困難にしている、そうした 現況に関しても考慮する必要がある。
参考文献
右代啓視
1999
「第一章 先史文化の時代」『稚内市史 第二巻』59-107
頁 稚内市 大場利夫・菅 正敏1972
『稚内・宗谷の遺跡(続)』稚内市教育委員会大平明夫・海津正倫
1999
「北海道北部、大沼周辺低地における完新世の相対的海水準変動と地形発達」『地理学評論』
72A-8
、536-555
頁。小山内 煕・三谷勝利・北川芳男
1959
『宗谷および宗谷海岬(旭川-第4号・第1号)』北海道立地下 資源調査所更別グループ・藤 則雄・朝比奈正二郎