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江馬修『山の民』研究序説〔四〕 : 改稿過程の検 討(四)・初稿から学会版へ(後の下)

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全文

(1)

江馬修『山の民』研究序説〔四〕 : 改稿過程の検 討(四)・初稿から学会版へ(後の下)

その他(別言語等)

のタイトル

An introductory study on Shu Ema Yama no Tami [4] : A research on the process of

rewriting(4)・From original version to Gakkai version (C‑y)

著者 柴口 順一

雑誌名 帯広畜産大学学術研究報告

巻 28

ページ 47‑65

発行年 2007‑10

URL http://id.nii.ac.jp/1588/00001813/

(2)

-1-

江 馬 修 『山 の 民』 研 究 序 説 〔四〕

――改稿過程 の検討 ( 四) ・初稿か ら学会版へ(後の下 ) ――

柴 口 順 一

( 帯 広 畜 産 大 学 文 学 研 究 二〇〇 七 年六 月二十二日受 理 二〇〇 七 年四月二十七 日受付

)

An introductory study on Shu Ema“Yama no Tami”[4] : A research on the process of rewriting(4)

From original version to Gakkai version (C-y) Jun’ichi SHIBAGUCHI

はじめに

前稿にひ き続き、 本稿で は 江 馬 修『山の 民』の 初 稿 ( 雑誌『ひ だびと 』 掲 載 )

から 学会 版(飛 驒 考古土 俗 学 会 発行) へ の 改 稿に関 す る補足 を 行な う。主 と し て

行なうのは、いわゆる単位内に お け る変更につい て の 検討 で あ る 。 改め て 確 認し

て お け ば 、各本文の 章 分け に 加 えて 、各章 中 に 行 なわ れる 一 行 あけ に よ る区 分を

併用し て 分け たもの が 各単位 で ある。前稿で は 、 初稿 第一編から 学 会 版 第一 部へ

の変更を 検討した。 本 稿 で は初稿第二編から学会版第 二部への変更を 検 討する。

加 え て、全 編 に わ た る 伏 せ 字 に つ い て、 ま た 誤 植 や誤 記 等 に つ い て も 検 討 す る 。

前稿と同様、第一稿におい て 作 成した各単位の内容をごく簡単に要約した一覧

に、単位内の変更を 書 き加えることで 、 まずは お およその変更を 整 理し て お く こ と か ら は じめる。変更は お およそ、構成の変更、新たに加えら れた部分、省かれ

た 部

の 三

つ に

分 け

そ れ

ぞ れ

△ 、

、 □

の 記

号 を

付 し

+ と

- 、

す な

わ ち

新 た

に加えら れた部分と 省 かれた部分につい て は その内容の簡 単な要約 を 行 なう。構

成の変更につい て はそれ を 簡潔に記す こ とは困難なため、△のみ を 記すにと どめ

ざるを 得 ない。それについ て は の ち に行なう検討の際に説明する。追加部分 に は

ページ並びに行数、省略部分には行数のみを 記す。追加部分に記すページ並 び に

行数は「/」をはさん で そ の順に記す。○ + 、□ - 、 及び△にはそれぞれ番号 を 付し

てお く 。

第二部

奔流

一 梅村 速 水

(3)

1

京都の旅宿 で 郡中会所総代ら 、 郡上藩退去・天朝直支配 を 喜び 祝宴。

1

+ 1

総代の 一 人、宿に三 味 線を 要 求 し弾く。 (

3~

4/

19 )

+ 2

歌。 (

5~

6/

5)

+ 3

総代ら の 会 話 (の 一部 )。 (

6~

8/

17 )

+ 4

総代ら の 会 話 と 彼 ら に 対する 評 。(

11 ~

13 /

35 )

- 1

歌。 (

4)

2

慶応二 年 、桜井誠 一を 名のり 飛 驒 を訪れた ときの梅村 速 水。

+ 5

水野弥太 郎との親交に つい て 。(

15 /

4)

+ 6

平松雪枝 と 城 山に登った と きの こと。 (

16 ~

19 /

52 )

+ 7

奥田金馬太郎と誠一 と の会話 。(

20 /

5)

3

(三 月 一 日 ) 梅 村 飛 驒 高山に入り、翌日竹 沢 と会見。

- 2

郡中会所の 策 動について 。(

9)

+ 8

梅村 ・竹沢の様子 と会 話(の一部 )。 (

23 ~

25 /

29 )

+ 9

梅村 と竹沢の会話(の一部) 。(

27 ~

30 /

41 )

- 3

郡中会所 と 地 役人の動き。 (

20 )

4

梅村、脇田よ り事情 を 聞 き 、竹沢、山 王 祭 を 直 前 にした飛 驒 を去 る 。

+ 10

梅村 と脇田の会談。 (

30 ~

33 /

34 )

+ 11

梅村 ・竹沢交替 の 挨拶と人 々の反応。 (

35 ~

41 /

82 )

5

(三月十四 日)梅村就 任 を 宣 言し、地役人二十ヶ条の伺書 を 提出し、返答

と同時 に 叱責 を受 ける。

+ 12

山王 祭前日 の 様子。 (

41 /

7)

+ 13

梅村 の地役人 に対 す る 叱責 。(

44 ~

46 /

27 )

6

(三 月 十 七日 )郡中 会 所総代 、 梅 村 に願 書を 提出する が怒りを 買 い 蟄

居を 命じ ら れ る。

+ 14

郡中 会所 での寄合い の 会話 。(

47 ~

48 /

7)

+ 15

梅村 の 考 え に つ い て。 (

51 /

9)

7

竹沢捕 縛 の知ら せ に動揺する 人 々。

+ 16

竹沢逮捕を 知 ら せ る信 書。 (

53 ~

54 /

10 )

+ 17

竹沢の家来 を かく まっ た川上屋善 右 衛門が謹 慎、 手鎖。 (

55 /

12 )

二 おつる

8

維新 が抱える様々な困難と 梅村の政策 。

9

梅村、役人た ち と 妻帯のこ とを 話し合う。

10

梅村、笠 松 の 役所 に出張する途中、番所 の役 人 の 屋敷 で お つるに出会う 。

11

梅村、お つ る を 陣 屋 に 連れ て帰り、結婚 を決意 。

三 労働 と諦念

12

石灰焼 場 の親子 と 通 り がかりのぼっか、世 を 語り合う。

+ 18

歌。 (

81 /

4)

+ 19

あたりの様 子 。(

83 ~

84 /

12 )

+ 20

親子と ぼ っ か の会 話( の一部 )。 (

87 ~

90 /

19 )

+ 21

歌。 (

94 /

4)

13

東本願 寺 の連 枝霊 樹院勝縁、 飛 驒 来訪の知 らせ。

+ 22

浄土真宗の信仰 に つい て。 (

95 /

5)

14

連枝 、飛 驒 を巡行。

+ 23

人々 の会 話 。(

102 /

7)

四 小さい 一 人

15

捨て 児 発 見 に 苦 悩 す る 梅 村 と お つ る 。

+ 24

梅村 と お つ る の様子。 (

105 /

7)

- 4

お つ ると梅村 の 会 話 。(

9)

+ 25

梅村 と吉 住礼助 の 会話( の一 部) 。(

106 ~

107 /

22 )

+ 26

梅村 とお つるの会話 。(

108 ~

110 /

31 )

16

狩りに 出 た梅村、雨宿りに入った一軒の 百姓家に一 人 泣く 赤 ん 坊を 発見 。

17

助右ェ門の田圃の 田植え。

2

+ 27

早乙女た ちの様子。 (

120 /

5

3

(4)

+ 28

歌。 (

121 /

4)

18

田植え の 最中弥助の嬶、梅村に呼び出さ れ、田植衆 、 梅 村 の 悪 口を いう 。

+ 29

おさよ婆、 弥 助の嬶 を 呼びに来る 。(

123 ~

124 /

21 )

4

- 5

歌と 、 田 植え の 様 子 。(

8)

5

+ 30

田植衆たち の 梅村に つ い て の会 話。 (

126 ~

128 /

34 )

19

田植え の 宴会 で ま た梅村の悪 口 。

五 旧弊一新

20

梅村、高山県知事に任命され 、(七月一日 ) 布告を発表、その第 一 。

- 6

梅村 の鎮撫使総督府に 宛 て た十 二ヶ条の伺書。 (

71 )

21

布告の 第 二・第三 に お い て 、 人 倫の 大道と 民 衆の教 化 を 説 く。

- 7

梅村 の改 革に対 す る評。 (

6)

22

布告の 第 四に おいて 、 勧農を 説 く。

- 8

梅村 の改 革に対 す る評。 (

4)

23

最後の 布 告第五に おい て 、 富国を 説 く。

24

梅村 が 行 なったその他の政策。

+ 31

梅村 の考 えとそれに対 す る 評。 (

149 ~

150 /

12 )

25

梅 村 と お つる 、 花 売りの 少 女から 花 を 買 い 、 みずから 建て た捨 て 児 の墓 に

詣で る 。

6

7

+ 32

花売り の 少女か ら 花 を 買う。 (

150 ~

154 /

56 )

+ 33

墓付近の様子。 (

154 ~

155 /

10 )

+ 34

梅村 と お つ る の会 話 。(

156 ~

157 /

15 )

- 9

百姓たちの会話 。(

16 )

六 弥平と 徳 兵 衛

26

百姓七兵衛 と 勧農方 五 郎左衛門のいい争い に 、勧農方徳兵 衛が来て 仲裁 。

27

江馬弥平、徳兵 衛 の家を訪れ、みずからの印籠 と 刀を自慢する。

28

弥平 の生いたち 。

- 10

商法局の設置につ い て 。(

6)

+ 35

野天風呂につかる弥平の様子。 (

180 ~

182 /

21 )

+ 36

弥平の父 親のことば 。(

182 ~

183 /

7)

+ 37

風 呂 につか り な が らこれま での こ と を想 う。 (

184 ~

186 /

23 )

- 11

梅村 の商法局 設置に 対 す る 評 。(

22 )

29

これか らの飛 驒 につい て お お いに語る 弥平と 徳 兵 衛 。

七 下々 の 下 国

30

飛 驒 に特別な年貢・買請 米 制度 とそれに対する梅 村 の 考え。

- 12

飛 驒 の国の貧困につい て 。(

11 )

+ 38

安石代、 人別米、山 方 米について 。(

201 ~

209 /

111 )

- 13

新田開発につい て 。(

34 )

31

梅村の行なった様 々な救恤政策。

+ 39

梅村 の『低声竊語』中の こ とば。 (

209 ~

210 /

9)

+ 40

梅村 の『低声竊語』中の こ とば。 (

211 /

3)

- 14

梅村 とおつ る の会話。 (

34 )

- 15

梅村 の救 民 政 策に対す る評 。(

7)

+ 41

張札。 (

212 /

2)

32

天保大 飢 饉死者のための大法要。

+ 42

郷倉 につい て 。(

213 ~

214 /

10 )

+ 43

法要 で の 鳥羽良映の 説 教 と その あ と の梅村の行動 。

215 ~

219 /

62 )

33

法要か ら 帰る途中の百姓たち。

- 16

梅村 の百姓批判 。(

12 )

+ 44

法要か ら 帰りの百姓た ちの様子。 (

219 ~

220 /

8)

+ 45

突然、猪が出現。 (

221 ~

222 /

16 )

八 神を 瀆 す る も の

(5)

34

(九 月八日)明治改元と( 十月)東京 行 幸。

35

秋祭り準備のな か 、梅村へ の不満を語 る 百姓た ち 。

+ 46

質素 を条件とし て 祭りが許される。 (

223 ~

224 /

8)

- 17

百姓た ち の不満。 (

12 )

- 18

梅村 の灌漑、 堤防 築造計 画 につい て 。(

14 )

47

百姓た ち の会話(の 一 部) 。(

224 ~

225 /

9)

+ 48

百姓た ち の会話(の 一 部) 。(

226 ~

228 /

12 )

36

祭り の準備中 、 役 人が お社の 御 神体を 調 べに来て 没 収 、 祭 りは中 止 になる。

+ 49

仁右衛門の様子。 (

231 /

8)

- 19

祭りばや しの練習を す る人々。 (

17 )

- 20

役人と五 郎 作 の会 話。 (

17 )

+ 50

仁右衛門と長作 の 会 話 。(

232 ~

233 /

16 )

+ 51

役人と 仁 右衛門ら の 会 話。 (

234 ~

235 /

20 )

- 21

役人たち の来 意の 説 明 。(

7)

- 22

百姓た ち 、役人た ち に 取 り すがる。 (

13 )

37

他 の 村々で も 御 神 体 調 べ が 行 な わ れ 、 多 く の 村々 で 祭 り が 中 止 と な る 。

38

郷兵 の 組 織につ い て 。

+ 52

僧兵 組織 につい て 。(

242 ~

243 /

12 )

- 23

兵士た ち の不満 と 傲慢ぶり。 (

7)

39

梅村、不 平分子を捕縛し、太 政 官 に 新たな進言。

+ 53

梅村、 『 低声竊語』 『 斐太 の墨 縄』を著す。 (

245 /

9)

九 堤防工事

40

梅村、 洪 水対 策のため に堤防工事 に 着手。

- 24

飛 驒 山々 の 自 然と 人 々 の 生 活。 (

9)

+ 54

灌漑 事業につい て 。(

248 /

9)

+ 55

梅村 と 組 頭の会話。 (

249 ~

250 /

7)

+ 56

堤防工事 の様子。 (

251 ~

252 /

11 )

41

梅村、 堤 防工事の現場 を訪れ工事 の遅れ に 対 処 。

+ 57

梅村 の、刑罰 に関 する政策。 (

254 ~

255 /

8)

42

堤防が完 成し、祝宴が催される。

8

9

+ 58

あたり の 様子。 (

260 ~

261 /

6)

43

祝宴に梅村・おつるが参加 。

+ 59

祝宴の様子。 (

261 ~

262 /

17 )

+ 60

人々 の 会 話(の 一 部 )。 (

264 ~

266 /

13 )

+ 61

祝宴 で の 梅村の様子。 (

267 ~

268 /

8)

44

梅 村 ・ お つる退 席 後も 祝宴は 続 く。

+ 62

人々 の会 話。 (

268 /

7)

+ 63

宮の八兵 衛に まつわ る 人々の会 話。 (

269 ~

275 /

82 )

- 25

人々 の会 話。 (

13 )

十 合羽屋お ら く

45

梅村、密通 を 厳 し く禁 止するとともに 、 遊女屋 を 設置。

- 26

梅村 と吉田 文 助 の 会 話 。(

10 )

+ 64

密通厳 禁 の布告と その徹底。 (

277 ~

279 /

29 )

46

六人の女 を 密 通の疑い で 取り調 べる。

47

村山 三郎 、お ら く と 吉 住弘 之進を 発 見 し 、お らく を お ど す 。

48

おら く と 下 女 お か ねを 尋 問 。

49

お ら く・お え いと、吉住弘 之進・礼助に対する処 罰の言い渡し。

+ 65

はじめ て お ら くを見る梅村の様子。 (

303 ~

304 /

17 )

+ 66

手鎖 をかけられたおらくと周囲の様子。 (

305 ~

307 /

29 )

- 27

吉住親子 に 対 する言 い 渡し。 (

20 )

+ 67

梅村、村上 に 会う。梅村 と お つ るの会話 。(

308 ~

311 /

53 )

50

(十二月 二日)おらく、制札 場 で 晒 しの 刑 に 処せ ら れ る。

+ 68

刑の延期 嘆願を 一 蹴 す る梅 村。 (

312 ~

314 /

31 )

+ 69

刑を 見に 来 た 人々 の 会 話(の 一 部 )。 (

316 /

8)

(6)

- 28

人々 のう わ さ 。(

10 )

51

梅村のお らくへの意趣返 し をうわさし、 戦 々 恐 々 とす る ひ と び と。

- 29

梅村 とおつ る につい て 。(

6)

+ 70

もうひと つの密通事件 で 連 行さ れる娘。 (

318 /

6)

52

藤兵 衛・五郎 作ら 百姓、居 酒屋 で お ら く ・梅村に つい て 語 り 合 う。

まずは 構 成 の 変更 から 検討す る 。 初 稿第 一 編 から 学会 版第 一部へ の 変更に 比 べ、

第二 編から第二部への変更は 全 体的にその程度がはなはだしい。構成の変更 もそ

の例 外 で はない が 、他の二つ に 比 べ れ ば 著しく少 ないことは以前と同様 で ある。

1は第二

部 の冒頭部 分 で ある。 飛 驒 の人 々の 念願 で あ った郡上藩退去、 天 朝

直 支 配がついに許されることになり、そのことを喜ぶ郡中会所総代らが京都 の 旅

宿で 祝 宴 を あ げ る と い う の が 、 最 初 の

1

の 主 な 内 容で ある 。 総 代ら は 当 然ながら

たいそ う な上機嫌 で 、 飲めや歌 えの大騒ぎ を し て いる場面なのだが、そ こでは 三

味線に合わせ て 歌 われる歌の一節が記され て いた。一行あ け 、 分か ち 書 き で 記 さ

れて い た そ の 歌は 引 用 と 見 るこ と も で き る が 、 学 会 版 で は そ れ が 記 さ れ た 部 分は

1

の ご く 最 初に おか れて い た 。 そ の あ と に 、「 こゝ は京 都の 、 三 条 の 橋に 近 い 、

あま り上等 で 無い旅 人 宿の裏二 階 で ある。 」 云 々 という 説 明がはじ め ら れ て いた の

であ る 。 初 稿 では そ れ ら が 逆 に な っ てお り 、「 京 都 三 条 通 の あ た り 、 あ ま り 上 等 で

ない旅 人 宿の裏二 階で 、……」と い う ほ ぼ 同 じこ と ば で は じ ま って いた。

要するに、学会版におい て 前後を 入 れ替えたの で ある。まずは歌の場面 をい き

なり持っ て き て 、 その あと から 状況の 説 明を 加えると いう 意図が あ ったとはい え

る で あ ろ うが、いずれが構成とし て すぐれ て い る かにはかに判断する こ とは でき

ない で あ ろう。ただ、学会版 で はそれ ら の記述の前に新たに加えられた部分 があ

った 。 ○+

1の部分で

あるが 、 総代の 一 人 が 宿の 女中 に三 味線を 要 求し 、 そ れを 受

け取 るとやが て 巧 妙な手つき で 三味線 を かな ではじめるとい う 記述 で あ る。歌 の

場面 をはじめに持っ て きたのはそのため で あ り、いわばその流れ で 記され て い た といえる で あ ろう。しかし、新たに加えられた部分を含め て そ れ ら をはじめ に持

っ て くる必然 があったか ど うかは、 やはり疑問 が 残るで あ ろう。

2と△

3は、いずれ

17

の部分にあ る。助右ェ 門 という百姓 家 で の 田植え

の場面 で あ る が、 △

2は先と同様な

田植え歌の 移 動 で ある 。 初 稿 で は冒 頭におか

れ て いたものが、学会版 で はなかばに移っ て い る 。単 純な前後の入れ替 え で は な

いが、先の 場 合と 反対のケースともいえる。いずれが構成と し て す ぐれ て い るか

判断しが たいのは先と同様 で あ る。

3は前後の入れ替えで

あ る。 田植えは夕立に よ っ て 一時中断される。 やが て

夕立 はあ が り 作業は再 開されるが 、 初 稿 ではそ の はじま り が、 「さア、 早 乙女衆 、

やら まいかよ。元気良うやつ て くれ。 お 前たち の 大好きな事じや 」 と い う鍬頭の

老爺のか け声 で あ り、それに促され て 働 き出す早乙女た ち の記述 で あった。そ の

あと に 、 田を 踏 み 均 し て 歩 く 「 大足 踏 」 の 男 たち や 、 苗 束 を 田 の な かに 放 っ て 歩

く 「 苗打 ち 」 の男たち の記述が続い て い た。学会 版 で は そ れが逆になっ て お り、

男た ち の 記述がはじめにき て い たの で あ る。順序か ら いえば学会版の方が自然 で

あり 、たぶん 変更したのも そのためで あ ろう が 、 初稿が 特 に 問題が あると は いえ

ない で あ ろう。むしろ、鍬頭の勢いよい声か らはじま ること で 、あ わただし く作

業が 再開される 様 子がよく 描かれ て いると も いえるで あろう 。 ち な みに いえば、

先の田植え歌は早乙 女 た ち が働き出す記述 の 直後に記され て い た 。

4と△

5も、

同じ く

18

の部分に存在 す る 。 前 の

17

に続き、

18

も田 植 え の

場面が中心にな っ て い る。 △

4は、

1や△

2と同様、歌

の 移動 で あ る。田植

え歌 とい うよ りは、一 般 に 労働歌 と い う べきもの で あ るが、 早 乙女 た ち や男 た ち

の歌う 歌 がはじめに記され て い た。学会版 で はそれが最後の部分に 移され て い る

ので ある 。ただ し 、男 たち の 歌 は 八 行に 分かち 書 きされて いたうち のう しろ半分

の四行が略され て いる。なぜ半分 を 省略したのかはよくわか ら ないが、歌 を 最 後

の部分に 移動したのは、おそ ら く新たに加えら れ た記述と 関わっ て おり、の ちに

その部分を 検 討する 際 に 考 える 。

5は鍬頭

の 老爺が三 味線 を 弾 き、 田植えの景 気 づけを す ると いう記述 で あ る

が、 これもなかばにあったものが最後の部分に移 され て い る。そ の 三味線 に 合 わ

(7)

せ て 先の早乙女た ち や 男た ちが 歌 う の で あり、 △

4の変更もむろんそれ

と 関 わ っ

て い る。だが、そ の こ とも含め て そ れ ら が最後の部分に移動 し たのは、 やは り 新

たに加えら れ た記述と 関わっ て いる。 こ れも また、 △

4と合

わ せ ての ちに そ の 部

分を 検討 する 際に 考 え る 。

6と△

7もま

た、同 じ

25

の部分にあ る。 ここは梅村 速 水がお つ るをともな

い、 みずか ら 建 て た捨て 児 の墓に 詣 で る 場面 で あ る。 「七月の初め、 愈 々棄 て 子 の

墓が出来 上つたと いふ 報告のあつた次の朝早く、 梅村は二挺の駕籠を仕立 て さ せ 、

お鶴を 伴 ふて 、 人 目を 避けるやう に 北ヶ洞の 墓地へ 行 つ た 。」 と い う記述が、 初 稿

で は かなりうしろの方 にあ る。学会版 で はそれ を 最初 に持っ て き て いるが、 そ れ

が△

6であ

る 。 ま た 、 そ の 記 述 に す ぐ 続 け て、 墓 と そ の 付 近 の様 子 が 記 さ れ て い

る 記 述 が ある が、 学会版で は そ れが なかばに 移されて いる 。それが△

7であ

る 。

7の方は

ひ とま ずお く と し て 、 △

6は

学 会 版 の 方 が 当 然の あり 方で あり 、 初

稿の方が奇異に見える で あ ろう。だが、初稿が特に変だというわけで は 実はな い

の で ある。それはやはり新たに加えら れ た記述、そし て 省 略された記述と 関 わっ

て い る。したがっ て 、 その こと も含め て それ らもまたの ち に検討する。

最後 にな るが、 △

8と△

9もま

た ど ち ら も

42

の部分に ある。梅村速水は 洪水

対策のための堤防工事に着手するが、その工事が完成し多くの人 々 が集ま る 完 成

記念の 祝 宴が描かれて いるのが

42

であ る 。 梅 村 は 村 々 に 対 し て 祝 宴 の 招 待 状 を 送

るが 、 初 稿で は冒頭に そのこ と が 記 され て お り 、 その あと に 、「長さ千間に 渡る 大

堤防は、 千四 百両 余の 大 金 と人民の賦役 によつ て つ ひ に 完 成した。 」 云 々とい う 記

述があった。学 会 版 で はそ れが逆 に なっ て い る。それが△

8であ

る 。 △

2の、

冒頭におかれ て い た歌詞の移動 と同様なやり方 と いえるが、いずれが構成とし て

すぐれ て い るか判断しがたいのも同様 で あ る 。ま た、初 稿 ではそれの記述のあ と

に、組 頭 を中心 と し て 宴席 を準備す る様子の記 述 があ り、続 け て 風 景描 写が 記 さ

れて い た 。 学 会 版 で は そ れ ら が 逆 に な り 、 風 景 描 写 が 先 に きて おり 、 そ れ が △

9

で あ る。これまた、いずれがすぐれ て い る か はにわかに判断しがたい で あ ろ う。

次 に 新たに加えられた部分を 検 討する。新たに加えられた部分はかなりの 箇 所

に の ぼる が 、 その 数は 以前 に も 増 し て 多 い。ひ と つひ と つ 取り あげて いく のは著 しく 効率性に欠けるの で 、 前稿と同様ま ずは大雑把に分類する形 で 見 て いき、特

に 問 題と なると 考 えら れる部分のみを の ち に 検討することにする。ただし、 これ

また前稿と同様省かれた部分をも見たあ とに で あ る。新たに加えられた部分 と省

かれた部 分は互いに 関 連性を持 っ て いる場合が少なく ないからで あ る。

新たに加えら れた部分 で ま ず目立つのはやはり会 話 の記述 で ある。第一編 か ら

第 一 部への変更に おい て は 全体の三分の一を 占め て い たが 、ここで も 全 体の三割

を占 め て い る 。 ○+

3、 ○ +

7、 ○ +

9、 ○ +

14 、

○ +

20 、

○ +

23 、

○ +

25 、

○ +

26 、

○ +

30 、

34 、

○ +

36 、

○ +

47 、

○ +

48 、

○ +

50 、

○ +

51 、

○ +

55 、

○ +

60 、

○ +

62 、

○ +

63 、

○ +

67 、

69 の二 十一箇所 で あ る。○ +

36 は 一 人 の 発 言 であ り 、 発 話 とい う べ き か も し れ

ないが、一応会話 とし て 扱 う。以前には、会話の記述にお けるひとつの特徴 とし

て 、 新たな会 話場面を 創出するので はなく 、 もともと あった会 話を いわばふく ら

ませるような形 で 加えられたもの で あった こ とを指摘したが、 ここで は 創出 され

てい る も の も 少 な く な い 。 た だ し 、 初 稿 に は 存 在 し な い 場 面 を 創 出 し た り 、 あ る

い は 既存場面 に新たな人 物 を登場 さ せたりした上 での創 出 ではない 。すな わ ち、

初 稿 では場 面 とし ては存 在 しま た 人 物 も 存 在 し て い た 、 な い し は当 然 存 在 し てい

た と 思 わ れる人物による会話 で あ る 。もともとあった会話 をふく ら ませ るよ うな

以前のやり 方 には、会話場面 を より豊かにしようと い う 意 図があった で あろう と

述べ たが、 こ こで の新 たな会 話 場 面 の 創 出も 、 作 品全体と し て 会 話 場 面 を増やし、

より豊かにしようと い う 意 図が あったと いっ て よ い で あろう。ただし、学会版 に

おい て 省 かれた会 話も あり 、それらについ て はのち に 述べる。ひと つ断わっ て お

けば、会 話の記述と し て あ げたこ れ ら の 記述にはむろん 、 一部地の文が含 ま れ て

いる。とりわけ 、 新たに 創 出された会 話 の記述には そ の部分が 少なく な いが、い

ずれも会 話 を 中心と し た記述 で あることは い う ま で も ない。

次は種 々 の場面に お け るあたりの様子の記述、あるいは人々の様子の記述 で あ

る。あたりの様子と 人 々の様子の記述はむろん性質は 異 なるが、しばしばそ れ ら

は 一 体化 して 記されて いるので まと め て 取 り あげるこ とに する。 ○+

8、 ○ +

12 、

○ +

19 、○ +

24 、○ +

27 、○ +

33 、○ +

35 、○ +

44 、○ +

49 、○ +

56 、○ +

58 、○ +

59 、○ +

61 、

65 、○ +

66 の十五箇所 で ある。 こ れ ら のなか に は一 部会話 の 記 述 を含ん で い る

(8)

ものがあるが、会話以外の記述を 多 く含み、内容とし て は こちらの範疇に入 れ る

べきと 考 え 、 先に あげた会 話の記述からは一応除外した。こ れ ら の 記述は お お む

ね一定の 効果 を あ げて いたといっ て よい で あ ろう。

次に 見る のは 、いく つ かのこ と がら に 関 する 説明とで も い うべ き 記 述で ある。

第一編か ら第一部への追加 で い えば、飛 驒 の地役 人 につい て 、藁 づかい 小 屋 と 夜

ばい につい て 、 そ し て うどん屋 を 装 う密淫売につい て の 説 明 と いった記述 で ある 。

すなわち 、 飛 驒 地方固 有 のというわけで は な い が、 いずれもが飛 驒 にお け る 制 度 、

慣習、風俗等に関する説明 で あ る。小説 を読み進める上 で はやはり理解 を 助 ける

説明として 有 効 で あり、 こ こで も そ のような 記述が○ +

22 、

○ +

38 、

○ +

42 、

○ +

52 と

四つある。○ +

22 は浄土真宗の信仰につい て 、○ +

38 は安 石 代 、人別 米 、 山 方 米 の

制度に つ い て 、○ +

42 は郷 倉 に つ い て、 ○+

52 は僧 兵 組 織 に つい ての説明 で あ る。

こ れ ら の なかにも 一部会 話 (発話)の記述を 含む ものが あ るが 、先の会 話の記述

から は 除 外 す べ き も の で あ るこ と は 付け 加 え る ま で も な い 。

次に あげるのは引用の記述 で あ る。前稿で は その他と したなかに そ のような記

述があることを指摘し、二例だけなの で 一項 とし て は 設けなかった。いずれ も が

い わ ゆ る 韻 文 で あ り、一つ は落 首、 もう ひとつ は 歌 の 一節 で あ った。そ れ と 同 様

なものが、 ○+

2、 ○ +

18 、

○ +

21 、

○ +

28 であ る 。 た だ し 、 い ず れ も が 歌 の 一 節 で あ

る。さ ら に別の引用 と し て 、 ○+

16 、○ +

39 、○ +

40 、○ +

41 をあ げ る ことが で き る 。

韻文に 対 して 散文と い っ て も よ いが 、 要 するに文 書 で ある。 ○+

16 が信 書、 ○+

39 及

び○ +

40 が手 記、そし て ○+

41 は張 札 で あ る 。初 稿 で も歌 の 引 用は少 な く な く、 ま

た文書 の 引用 も少 なくなかったが、 学 会 版 で はさ らにそれ らが加 わ った形 で ある 。

ただし、引用の記述も省かれた部分がないわけ で はない。

大雑把に分け れば以上の 四 種になり 、残りは その他と いう ほかはない。そ の 数

は二十 二 箇所、全体の三割 を占めるほ ど 多いのだが、いたしかたがない。た だ、

そのなか で あ えて 一項を た て る と す れば 、梅村速水の考えや政策と それに 対 す る

評と いうべき記述を あ げら れないこともない。だが、それは 特定の人物に 関 す る

記述で あ り 、 他とはやはり同列には 扱うべきで は ないと 考 え 、 その他と した。そ

のような記述も ま た省かれた部分が少なくなく、その点 を 含めの ち に検討す る こ とになる。

ところで 、以上見 て き た分類のなかには以前に あ ったものがひと つ だけ 欠 け て

いる。 風 景の記述 で あ る。 『江馬修論』 (おうふう 、

00 ・

2)に

おい て 永 平 和 雄

は 、 初稿から 学会 版への 改 稿に おい て 新 たに加えら れ た 重 要なもののひと つ とし

て 、 風景描写を あ げて いた。 だ が、 新たに加え ら れた 風景 の記述は 意外と 少 な く ,

永平がいうほ ど多かったわけで はない こ とを前稿 で は 指摘した。会話の記述 に比

べれば、 むしろ少ない といっ て もよいほ どだったの で あ る。それは、第二編 か ら

第二部への 改 稿に おい て も いえることで あることも述べて おいたが、むろんま っ

たくないと い うわけで はなかった。ここで 風 景の記述と し て 一 項を た て なかった

のは、それらの記述はすべて 他 の記述に付随する 形 で 記され て いたからで あ る。

すなわち 、風景の記述だけ がいわば 単独で 追 加されるような記述はなかった とい

うことで あり 、他の記述に含める 形 で 差 しつかえ ないよう な記述で しかなかった

と い うことで ある。 風 景の記述は、永平が 主 張し て い たほど 大 きなもの で は やは

りなかったの で あ る。

次 は 省かれた部分 で あ る。前稿 で は 、数も少なくまたあま り意味 は ない と考 え

られたの で 、 分類という 形 を 取 ら な かったが、 こ こで は先と同様、まずは大 雑 把

に分類す る形 で見 て い こうと思 う。ただあ ら か じ め断 わっ て お けば,省かれ た 部

分の多くは新たに加えら れ た部分と深く 関わ って いる 。も っと いえ ば 、 省かれた

部分のかわりに新たな部分が加わっ て い る、あるいは新たな部分が加わることに

よっ て 省 かれる部分が でて くるという 場 合が少なくな い こ とで ある。 で あるなら、

それはすなわち 差し替えと 呼 ぶべきもの で あろうが、とり あ え ず は新たに加 え ら

れた部分と 省 かれた部分の二つ で 処 理し て お くことにした。省かれた部分の分 類

もほぼ 新 た に 加 え ら れ た部分 と 同様 で あ る。

まずは 会 話の記述で ある 。 □-

4、□ -

9、□ -

14 、□ -

20 、□ -

25 、□ -

26 の六 つ が

それに あ たる。新たに加えら れ た部分とし て は会 話の記述が相当数を 占 め、作 品

全体と し て 会 話の記述 及び会 話 場面を 増 し、より 豊かにしようと い う 意 図があっ

た で あろうと述べたが、省かれた部分もわずか で はなかった。だが、そのほ とん

どは差し替 え と見なす べきもの で あ った。そ の意味 で 、 会 話 の 記述 をことさ らに

(9)

削 ろ うとい う 意 図 は認め 難 く、全 体 とし て会話 の 記 述 をよ り豊か に しよ うとい う

意 図 はや はり顕著 で あ るといえる。

次 は い わ ゆ る ことが ら に関す る 説 明 の記 述 で あ る が、 □-

12 、□ -

13 、□ -

24 がそ

れで ある 。こ れら も ま た 、 差 し 替え と 見 る べ き も の と い っ て よ い が 、 詳 し く はの

ちに見 る 。

引用の記述とし て は、 □-

1、 □ -

5の二つ

で 、 い ずれも歌の引用 で ある。 □-

1は

先に構成 の変更のところで 見た

1

の部分 で ある。 初 稿、 学 会 版 い ず れ もい くつ か

の 歌 が 引 用 さ れて い た が 、 初稿で は 最 後 の 部 分 に お か れて い た 歌 四 行 が 学 会 版 で

は省かれ て い た。 □-

5はす

でに 述 べ たよ う に 、 田 植 え で働 く 男 た ち の歌 八行 の う

しろ四行が省略され て いる部分 で あ る。いずれもなぜ ことさらに省く必要があ っ

たのかは 不明 で あ る 。

それ以外の残りは、先と同様その他とい うほ か は ない 。そ の数 は十八 箇 所 で 、

その 占める 割 合は先よりも またはる かに 大き いが 、こ れ ま た い たしかたが な い。

ただ 、そのなか で あえて 一 項を た て ると すれば 、 やはり梅 村の考えや政策とそれ

に対する評の記述 をあ げる ことが で きる。それ ら も差し替 えと見るべきもの が多

く、 他の部分もま た同様 で あ る 。

あたりの様子の記述あるいは人々の様子の 記述、そし て 風景の記述 で 省かれた

部分はなかった。少なくとも、そ の 部分だ け が切り取 られるよ うな記述はな く、

他の記述に含める形 で 差しつかえないよう な 記述 で し かなかった 。

以上、単位 内 にける変更 を 大雑把に見 て きた。次 に、特 に 問題 となると考 え ら

れる部分を 検 討する 。

まず は構成の変更のところ で 保 留し て お いたものか ら 検討する。

18

の部分 に あ

る、早乙女た ちや男た ちの歌 う 歌の移動 と、鍬頭の老爺が三味線 を 弾き田植 え の

景気づけをする記述の移動に つ い て で あ る。前の

17

からはじま り 、

19

まで 続 く

一連の 田 植えの 場 面の前には 、 初稿にはない新たな単位が加えら れ て い る。単位 番号の

16

で あ る。 それについ て は 単 位レヴェル の 変更を 検 討したとき に 詳しく述

べたが、 そ の 追 加 が こ の部分の変更に大 きく影響 を与 えて い る と考え ら れ る 。

16

は、 狩りに出た梅村 が 、雨宿 り に立 ち寄った一 軒 の百姓 家 に一人泣 く赤ん坊 を発

見し、家のものを 呼びにやるという記述 で あ る。そ こ か ら 場面は切りかわり、次

17

から 田植え の 場 面 はは じ ま る の だ が 、

18

で は 赤ん坊の親 を 呼びに来る老婆

が描かれ ていた。 「弥助 の 嬶 を らぬかよ ウ。 」という老婆の こ とば で は じまるその

部分は、

18

の冒頭に おかれ て いた。単位冒頭に、

17

をは さ ん でそ の 前 の

16

と呼

応する形 の記述 を いきなり持っ てくるとい う 工夫 で あ った とい える で あ ろう 。 も

ちろん、 こ の 部分 の記述は初 稿 にはな く 、 学 会版 で新た に 加 え られたもの で あ る 。

その他と して 分類し た ○+

29 がそ れ で あ る 。 老 婆 が 呼 び に来る記述のあ とには、 田

植えをし て い た人 々のあいだ で 当然その ことが話題 と なる で あ ろう。それが、 会

話の記述 と し て あ げ た ○+

30 の 追 加で ある 。 そ して 、 そ れ が ひ と し き り 続 い た あ と 、

それを 切 り あ げる かのように 鍬 頭の三 味 線が鳴り 出し、田植えは 再 開されるの で

ある 。 そ れに 合わ せて 、 早 乙 女 たち や 男 たち が 歌 う と いう 形で

18

は終 わ っ て い た。

初稿で は 冒頭に あ った 歌の記述や 、 作品なかばに あった鍬頭の三 味 線の記述が、

そのような形 で 最 後にま わ されたのは極め て 適切かつ有効な変更 で あったとい え

るで あろ う 。 その よう な 変 更 の も と もと の 原 因 が 、

16

の追 加 で あ っ た と い え る の

であ る 。

構成の変更の部分 で 保 留し て お いたものはもうひと つ ある。梅村が おつる を と

もない、 みずか ら 建 て た捨 て児の墓に詣 でる

25

の部分 で ある。 朝 早 く 墓詣 でに出

発した こ とを記す記述、及び墓と そ の付近の様子が記された記述が、それぞ れ 冒

頭及びなかばに移され て い る。初 稿 で は 、それ ら は並ん で 最後の方 にあった 。後

者はともかく、 前者の墓詣 で に出発した こ とを記す記述があ とにあ る のは奇 異 に

見える。だが、先にも述べたように、初 稿が特に変だというわけで は実はな い の

であ る 。 初 稿 では 、 冒 頭 に い き な り 捨 て 児 の 墓 を 建 て た こ と が 記 さ れ 、 続 け て 梅

村自身が草した墓碑銘が引用され て いた。そのあ とにはそのことをうわさし合 う

百姓た ち の会話 が 記され、それに続 け て 先の二つの記述が並 ん で い た。そ の あ と

に、 墓を 詣 で る二人の 様子がごく 簡 単に記さ れ

25

は終 わっ て い たの で あ る。 やや

(10)

拙速な感じは 否めないが、作者もやはり その拙速さが気になったので あ ろう。学

会 版 で は 墓を 詣 で る 際 の記述を 大きく加え た 。 花 売りの 少 女から 花 を 買 う 場 面や、

梅村 と お つ る の会 話 の 場面 を 付 け加えたの で あ る 。前者が○ +

32 、後 者が○ +

34 の

それぞれの 追 加 で ある。そのような記述を 入 れるからには 、墓詣 で への出発 の記

述ははじめに持っ てこざるを 得 ない で あ ろう。さらには、墓と付近の様子の記 述

も墓詣 で の場面へと 移 されることになるの で ある。 ち なみにいえば、墓や付近 の

様子につ い て は○ +

33 の新たな記述も加 わり、 よ りいっそ う詳しく記され、 そ の あ

とに初 稿 にもあった墓碑銘 が引用され て いた。そ のか わり、 う わさ をし合う 百 姓

たち の 会 話は 省 か れて い た 。 そ れ が □-

9であ

る。 墓 詣 で を 中 心 に 描 く こ とに し た

ため、それ ら は不要 と 考えたの で あ ろう。全体 と し て 、学会版の方がよりよ い 記

述になっ て い た と いえる こ とは い う ま で も な い。

はじめに 掲げ た一覧を 見ればわ かるように 、 各単位のなかには変更箇所が比較

的集中 し て い るところがある 。 構成の変 更のところで も触れた

1

17

、そし て

今先に 見 た

18

25

もそう で あ る 。そ こ で 、次に変更箇所が比較 的集中し て い る

部分を中 心に見 て いきたい と思う。

まずは

3

の部分 で あ る 。 こ こは、 梅 村速 水が 新 た な 飛 驒 取締 役 と し て 高 山 に入

り、前任者の竹沢寛三郎と会見をする場面 で ある。ここで 、梅村 と 竹沢の様 子 が

主と して 記 さ れて いる ○+

8や、

二人 の会話 の 記 述 ○+

9がかなり大

き く加えられ

てい る 。 初 稿 では そ れ ら は ご く あ っ さ り と し た 記 述 で 済 ま さ れ てい る が 、 こ と は

前任者と新任者の会見の場面 で ある。しかも、その交替はさま ざまないきさ つ の

のち に 急 転 回 で 決 定 さ れ た こ と で あ っ た 。 さ ら に は 、 こ れ は 学 会 版 で 新 たに加え

ら れ る部分だが、その会見に お ける 竹沢の発言をのち に梅村が問題にし、い わば

その言質を 取 ると い う 場面が出て く るので あ る。 ○+

11 が それだが、 そ れ ら の こと

を考 えるな ら ば、 前任者 と 新任者 の い わ ば心理 劇 を中心 と した 会話 の場面 を 詳 し

く描く必要があ る で あ ろう。作者もおそ らくはそ う考 えたの で あ ろ う。大 幅 にそ

れらが加えら れ て いることがそのことを 示 し て い ると いっ て よ いで あろう。 だが、

ここで は 省かれた部分もある 。 □-

2と□ -

3の二箇

所 だが、い ずれも郡中 会 所の

行動 につい て 記され て いる部分 で あ る。 これ らが省かれたのはおそ らく、時 間 的 にさかのぼる形 の 、しかもくりかえしと いっ て よ い記述 で あったからで あろう。

すなわち 、そ こで 記され て いたのは主 と し て 竹沢時代のこと で あり、それま での

郡中会所の行動がいわば 総 括的に記され て い たの で あ る。無駄とはいえない が、

少々 く ど い 感 じ は 否 め な い で あ ろ う 。

次は

12

の 部 分 で ある 。 石 灰焼 場 で 働く 親子と 、 そ こ に 通 り か かったぼ っかが世

を語り合う 場 面 で ある。ぼっかとは、徒歩 で 荷物を運 ぶ家業の人のことで あ る。

ここで は 、 石 灰焼場の ある山奥の 様 子がかなり詳細に描 か れ て いたが、 ○+

19 でさ

らに あたりの様子が加えら れ て いる。ただ 、 それは 初稿にはない焼 畑 作業を行な

う百姓た ちの様子 で あ った。山間部に生きる人 々 の生活 を より広く描 こ うとし た

の で あ ろ う。ぼっか を 登場させ て い たのも同じ意 図 で あった と いっ て よ い。そ し

て、 その記 述 の追 加 は も う ひとつの追 加 と関 わっ てい る。 ○+

21 の歌 の一節 で あ る 。

以 前 に も 見 た の と 同様 な 、 分か ち書 き四 行 の 歌 が 最 後 に記 さ れ てお り、 そ れ で

12

は終 わるの で あ る 。 こ れは焼畑作業 をし て い た百姓 の 歌 で あった。そし て 、 実 は

冒頭にも 同じく四行の歌が記され て いた。 そ れが○ +

18 であ る。 要 す る に 、 歌 では

じ ま り 、 歌 で 終わると いう 形に 学会 版は 改めら れ て い たのだが 、最 初の 歌は誰が

歌ったものかは記され て い なかった。だが、その 書き 方から す れば百姓た ち の歌

で あ った と見るべき で あ ろ う。 これ らの追 加によっ て 、 よ り す ぐ れた記 述 に な っ

て い た と いい切る ことは少 々ため ら わない で もないが、山間に こだます百姓 の 声

を喚起する記述 で あった こ とはま ち がいなく、ま たそ の余韻 が 残る終 わ り方 であ

ったとは いえる で あろう。 も う ひとつの追加は、 ○+

20 の親 子 と ぼっかの会 話 で あ

るが、 こ れは例の会話場面 をより豊かにする記述の ひ とつ で あ ったといっ て よ い

であ ろ う 。

15

は、 捨 て 児 が 発 見 され た こ と を 聞 き 苦 悩 す る 梅 村 とお つ る が 描 かれ てい る 部

分で ある 。 初 稿で は 、 こ の 部 分 に 相 当 す る 記 述 は ご く 短 か い も の に す ぎ な い 。 単

位レヴェルの変更を 検 討したときに述べ たが、初稿のその記述を含む 単 位は 二つ

に分断され、一 方 は他の部分と 合わ さり 学会 版の他の 単位を 形 成し 、もう 一 方 が

15

と し てい わ ば 独 立 した 形 に な っ てい た の で あ る 。 お そ ら く は そ の た め で あ ろ う 、

この部分もかなり大幅に書き加えられ て いる。だが、省かれた部分もあり、 むし

(11)

ろ全 体 を ほ ぼ 差 し 替えた と い っ た方 がよいか もしれない 。 ○+

24 は梅村 と おつるの

様子の記述 で あ り 、 ○+

25 は梅村 と 吉住 礼助の会話を中心 とした記述 で ある。 吉 住

は元地役人 で 、梅村の側近 とし て 仕 え て いた人物 で あ るが、その吉住が捨 て 児 が

発見されたことを 報告しに来たの で ある。 初 稿 で は そ のような設定にはなっ て お

ら ず 、おつるがうわさを 聞 き梅村に 話すと い う 形 になっ て いた。したがっ て 、そ

の部分 で ある□ -

4が省かれたの

で あ る。 そ の か わ りに、 吉 住が引きさがったあ と

にそ の こ とを話 題 にす る梅村 と お つ るの会 話 ○+

26 が加えら れ て いた。 た だ、 初 稿

で は おつる か ら 話 しを 聞いた梅 村が 、や はり 側 近 の 村 上 俊 介を 呼び 事情を 問 いた

だす とい う記述があ る 。そ の部分も むろん省かれ て い た わ けだが、そ こ での 簡単

なやりと りは 、吉住と 梅 村 の会 話の部分に 生 かされた 形に なっ て お り 、 あえ て 省

略された部分とはし な かった。

28

は、 江馬弥 平 の生いた ちについ て記され て い る部分 で あ る 。 こ こも、 初 稿の

単位が二 つに分断され、 こ の部分に相当する 記述が独立した形 で

28

にな っ た も の

で あ る。 大幅に書き加えられ て いた こと、 そ して 省かれた部分も少なくない こと、

その 結 果 む し ろ 差 し替えと いっ て も よいもので あ ったこ と も同じで ある。 初 稿 で

は、弥平の生いた ち に つい て は ごく簡単な記述 で 済まされ て い た。だが、学 会版

では弥 平 に大 き く スポ ッ ト をあ てた 記 述 に改 め ら れ て い る 。 実 は 二 つ 前 の単 位

26

からはじま り 次の

29

に 続 く 一 連 の 記述 が、 弥平を 中 心と した 記述 になって お り 、

26

27

29

は学 会版 で新た に 加え られ た単位 だ っ た の で あ る 。

26

から

29

まで

の四 つ が 、「 六 弥 平 と徳 兵衛 」 と い う 一章 を 形 づくっ て お り 、 そ の意味 で は こ こ

はほ ぼ章レヴェ ル の 追 加 で あ っ た と いっ て も よい の で あ る 。 件 の

28

は当然、

26

27

から の流 れ で 記されて いるが詳 しくは 追 わ な い。 弥平が 旧 知の 友人で あ る 徳 兵

衛の家を 訪れ 、 野 天 風 呂 で 一 風 呂 あ びる 場面 から

28

ははじ まる。 そ の風呂につか

る弥 平の様子が記され て い るのが○ +

35 であ る。 や が て弥 平 は 、 風 呂 に つ か り な が

ら来し方を回想する。 百姓 家の末っ子に生まれた弥平は 十 三の ときに家 を出 るが 、

そのと き に父 親に いわ れたこ と が強い想い出と し て 残 っ て いた。 そ の父 親の こと

ばが○ +

36 であ る 。 そ の 後 弥 平 は さ ま ざま な 苦 労 を 重 ね 、 や が て 苗 字 帯 刀 を許 さ れ

る身と な ったのだが 、 その来し方を 想いつつ 現在の心境が記され て いるのが○ +

37

であ っ た 。 だ が 、 先 に も 述 べ た よ う に 、 省 か れ た 部 分 も 存 在 す る 。 弥 平 が 局 長 を

務め て い た商法 局 に つ い て 記さ れた□ -

10 と、 そ の 商 法 局 設 置の 政 策 に 対 す る い わ

ば評 と で もい うべき□ -

11 であ る 。 そ れ が 省 か れ た の は 、 弥 平 の 生 い た ち に 関 す る

記述に集中させようとしたため で もあろうが、実は学会版第三部におい て 商 法 局

に関 す る ま と ま っ た記 述がな さ れ、そ れ をめ ぐっ てさま ざ ま な 出 来 事 が 記 さ れ る

ことになるか ら で あ ろ う。弥平もまたそ の際 に登場し て い た こ とはい う ま で もな

い。第三部に相当する第三 編 と で も いうべきものが初稿には存在しなかった こと

は改 め て 確 認 す る ま で もない 。

31

は、 梅 村 の 行 な っ たさ ま ざ ま な 救 恤 政 策 が記 さ れ てい る 部 分 で あ る 。 ○+

39 と

40 は、 先にも触 れた梅村の手記 『 低声竊語』 か らの引用 で あ る。 初 稿 におい て

も、 梅村 の考 えや政策につい て は記され、 ま た 『 低声竊語』 か らの引用もあった 。

学会版 に おい てはそ の 引用 を増やす ことによっ て 、梅村 の 考 え をよ り直接 的 に 示

そうと し たので あ ろ う 。 ○+

41 の張札の引用もまた同様 と いって よ い で あろう。 一

方、 省かれたのは梅村と お つるの 会 話□ -

14 であ る。 先 に

15

のとこ ろ で 述 べ た が 、

ここは初 稿の単位が二つに分断され、そ の一方 の部分 と 他の単位が合 わさっ て で

きた部分 で あ る。もう一方が、捨 て 児発見に苦悩する梅村 と お つるが描かれ た 記

述だったわけだが 、 初 稿 で は□ -

14 の記述はそのすぐ前におか れ て いた。 学 会版 で

は大 幅 に 変 わ っ て しま っ た が、 捨 て 児発 見 に 関 す る初 稿の記 述 は梅村 と お つ る の

会話か ら はじまっ て い た。したがっ て 、 会話の場面 と し て はそれらは連動し てい

たと いっ て よ いので あ る。だが 、それら が分断され新たな別々 の 記 述部分に分 け

られ る形になっ た こと で 、 □-

14 はい わば不要 になったの で ある。 つ ま り 、 □-

14 は

分断された新たな記述のいずれにも 属し得ない、ないしは 属しがたいような もの

だったので あ る。 □-

14 は、 一 言 でい えば夜 ば い に つ い ての 梅村 とお つ る の 会 話 で

あった。 それが、 梅 村 の救恤政策が 記され て いる

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の部分に 不要な こ と は 明 ら か

であ ろ う 。 ま た 、 捨 て 児 発 見 に 関 す る 記 述 と も 直 接 関 係 は な い であ ろ う 。 た だ 、

夜 ば い の 習慣と捨 て児の件はま ったくの無関係 と はい えない。初 稿 では、梅 村 と

お つ る の 会 話 と し てそ れ ら の 話 し が 連 続 し て い た の も そ の た め であ る が 、 学 会 版

で は あくま で も捨 て 児 に関する記述に集中させ て いたために、それ らは不要 と見

参照

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