日 本 最 初 の ﹃ ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト ﹄ ‑ 雑 誌 ﹃喜 楽 の 友 ﹄ と 小 栗 貞 雄 ‑
TheFirstAda
pt a ti. n .
fRomeoandJ
uliet in
Japan:K i nd ku ・n o To m o M a ga Zi ne an d O gu ri Sa d ao
近 藤 弘 幸
要 旨
本論の目的はふたつある。ひとつは、鶴屋南北の﹃心謎解色錬﹄を﹃ロミオとジュリエット﹄の翻案であるとする主張を退
け、一八七九年の春から夏にかけて刊行された﹃遊戯雑談喜楽の友﹄という雑誌に連載された「ロミオとジュリエットの話」
を、日本最初の﹃ロミオとジユリエッー﹄として位置づけることである。そしてもうひとつの目的は、この無署名の連載の作
者を、小栗貞雄と推定することである。小栗貞雄は、現在では消毒剤アルボースの発明によって財を築いた経済人としてその
名を記憶されているが、その前半生においでは、兄の矢野文雄とともに﹃郵便報知新聞﹄を支えた新聞人であり、朝案悲恋小
説﹃色是空﹄を上梓した文人でもあったOそして「ロミオとジユリエッ‑の箭」をめぐるさまざまな断片をつなぎ合わせる
と'この小栗貞雄がその作者として浮かび上がって‑るのである。
キーワードシェイクスピア'明治、翻案'心謎解色麻'花月情話
はじめに
日本におけるシェイクスピア上演は'一八八五年五月一六日に大阪道頓堀の戎座で初日を迎えた﹃ヴェニスの商
さくらどきぜにのよのなか
人﹄の翻案、﹃何桜彼桜銭世中﹄を噂矢とするのが定説である。しかしながら'竹村覚はこれに異を唱え、「それよりはるかに早い徳川十一代将軍家斉の時代に、既にRo
meo an
dJulietが上演せられ、非常な好評を博した事実が存してゐる」と主張す(射.竹村は、l八l
〇
年に江戸市村座の舞台に掛けられた、鶴屋南北作lfJJ・情離碗鮎縦﹄を、﹃ロミオとジュリエット﹄の翻案とみなしているのである。
本論の目的はふたつある。ひとつは、この竹村の主張を再検討してその問題点を指摘し、一八七九年の春から夏
にかけて刊行された﹃舶細喜楽の友﹄(以下、﹃喜楽の友﹄と略記)という雑誌に連載された「ロミオとジュリエット
の話」を、日本最初の﹃ロミオとジュリエット﹄として位置づけることである。そしてもうひとつの目的は'この
無署名の連載の作者を、小栗貞雄と推定することである。小栗貞雄は'現在では消毒剤アルボースの発明によって
財を築いた経済人としてその名を記憶されているが、その前半生においては、兄の矢野文雄とともに﹃郵便報知新しきぜくう(2)聞﹄を支えた新聞人であ‑、翻案悲恋小説﹃色是空﹄を上梓した文人でもあった。そして「ロミオとジュリエット
日本最初の 『 ロミオとジュリエ ッ ト』
の話」をめぐるさまざまな断片をつなぎ合わせると、この小乗貞雄がその作者として浮かび上がってくるのである。
﹃心 註 解 色 練 ﹄
﹃心謎解色練﹄を﹃ロミオとジュリエット﹄の翻案と考える竹村覚は'両者を比較して次のように述べている。
Sh ak es
peareの傑作は翻案者よ‑その人を得て'換骨奪胎の妙は、原作の価値を少しも傷つけてゐない。ただ原作は、強烈な南国の夏の夜を恩はせる、息詰まる様な恋愛悲劇であるに反し、翻案の方は、めでたしめでた
しで打出しとなる喜劇に終ってゐるのが、その相違である。即ち前者に於ては、主人公
Ro m eo
は、恋人Julietが死んだと開いて'その墓前で毒を仰いで死し'ついで蘇生したluliet
も、この事実を知ると恋人のヒ首を以て自殺し、もって恋人の後を遣ふのであるが'後者に於てはう死んだ筈の恋人お房は'網五郎の拾った
解毒剤で蘇生Lへ大詰では、紛失してゐた定家卿の色紙も手に入り、恋人同志が夫婦になる段で終ってゐる。(3)その他の内容に於ては'小異こそあれ、筋に於ては両者とも全く一致してゐる。
43
しかしながら、ここで竹村が紹介している﹃心謎解色練﹄の概要は'必ずしも正確ではない。﹃心謎解色麻﹄は、
お祭り佐七と芸者お線の恋物語をはじめとするさまざまな副筋が絡み合って成り立っているが、﹃ロミオとジュリ
エ
ッ ト
﹄との比較を念頭にその梗概をまとめると、以下のようになる。石塚弥三兵衛は'主君の家宝の色紙を紛失した容によ‑、謹慎を申しつけられる。本庄綱五郎は、足軽の家柄に
生まれた自分を近習にまで取‑立てて‑れた弥三兵衛の罪を庇い、追放を命じられる。すべては、ふたりの失脚を
目論んだ山住五平太の悪企みであった。芸者お練に執心の五平太は、弥三兵衛から盗んだ色紙を質に入れ、彼女を
身請けするための二
〇 〇
両を用立てる。追放を命じられた綱五郎は易者に変装し、一軒の練屋の店先で商いつつ'色紙の行方を探っている。練屋の店
主、佐右衛門は三年前に亡‑な‑、今は後家のおりつが店を切‑盛‑していた。娘のお房に急な縁談が持ち上がる
が、店先の易者に恋心を抱いているお房は、それに同意しようとしない。一方、店を乗っ取‑、お房を妻にしようのさいごすけたちまわうと企んでいた番頭の佐五兵衛もまた、思わぬ事態の展開に慌てる。彼は、医者から「服ませるが最後の助'忽ち往じやうだぶつてんすゐもつのどくけめうやく(4)
生かんまみ陀仏」の毒薬と、「天水を以て服ませた毒を消す妙薬」を手に入れる手筈を整える。
さかづきすまをあともらひきこと婚礼の席。いやがるお房だが、佐五兵衛は「お杯が済んだと申しまして、後で貰ひ引は、いくらもある事でござ(5)りまする」と、強引に毒を盛った酒を飲ませる。お房は息を引き取‑'婚礼は中止となる。佐五兵衛は'お房の持
参金となるはずだった一
〇 〇
両を、お房とともに埋葬するよう、おりつを説き伏せる。佐五兵衛に届けられるはずだった気つけ薬は、行き違いがあって偶然'綱五郎のものとなる。
綱五郎は、色紙が質入れされていることを突き止めるが、それを請け出す金がない。練屋の娘が一
〇 〇
両とともに埋葬されると聞いた綱五郎は'その金を盗み出す決意を固め、墓所に出向く。綱五郎が死人の襟に入れられた金
あまぐるまおとあまみづのどいおもいふさを取‑出そうとすると、「雨草の音はげし‑'雨水咽喉へ入‑し思ひ入れにて、お房「ウム」とうめく」‑「こ
そうみあたゝよみがへ(6)‑やコレ惣身の温ま‑、蘇生つたか」。綱五郎は達巡するが、結局お房を助けることにし、持っていた気つけ薬を
日本最初 の 『ロ ミオ とジェ リエ ツ ト
』飲ませる。意識を取り戻したお房は、かねてからの恋心を打ち明け、綱五郎もそれを受け入れる。
お練の見、葛飾十右衛門には、お房の姉で綱五郎の許嫁だった小練と深い伸になり、駆け落ちした過去がある。
十右衛門と小森は、今では半時九郎兵衛、お時と名を変え、町人暮らしをしながら夫婦で悪事を重ねていた。この
九郎兵衛もまた、お房とともに埋葬された一
〇 〇
両の話を聞きつけ'墓所にやって‑る。暗闇のなかでもみ合いが起こり、九郎兵衛はお房の片袖を手に入れる。
九郎兵衛とお時は、死んだはずのお房をかくまって暮らしている綱五郎を脅迫し、証拠の片袖と交換に一
〇 〇
両を手に入れようとするが'綱五郎に正体を見破られる。ふたりは改心し、悪事を働いて貯めた一
〇 〇
両を差し出す。こうして二
〇 〇
両の金を手に入れた綱五郎は、質請けして無事盗まれた色紙を取‑戻す。以上が﹃心謎解色練﹄のあらすじである。「死んだ筈の恋人お房」が、「綱五郎の拾った解毒剤で蘇生」するとい
う竹村の要約が、かなり不正確なものであることは明らかだろう。お房は確かに綱五郎に想いを寄せているが'綱
五郎はお房のことを知らない。彼は金目当てに知らない女の墓を暴‑のであ‑、その時偶然お房を蘇生させるの
は'彼の持っていた解毒剤ではな‑雨粒なのであるo生き返ったお房から恋心を打ち明けられた綱五郎は、一連のふしぎいんねん(7)出来事に「不思議の因縁」を感じてお房を妻とする。こうしてみると、﹃ロミオとジュリエット﹄と﹃心謎解色麻﹄
は、「小異こそあれ、筋に於ては両者とも全‑一致してゐる」とは言い難い。墓場における蘇生という共通点が強
い印象を残すのは確かであるが、逆に言うと、両者の類似性はほぼその一点に絞られるのである。
トンプソンとトンプソンは、ある作品を別の作品の翻案
‑
ふたりは「翻案adaptation」という言葉ではな‑「ヴァ
ー
ジョンve rSi on 」
という言葉を使っているが〜とみなすための基準として'「関連性の強い類似性pertr45
n en t tik en es s
」と「証言された類似性attes te d lik en es s
」という概念を捷示している。私たちの提案は'原典テクストSour
cc tex t
とヴァージョンエアクストve rsi on te
xtの類似と差異が、双方向の(原典からヴァージョンへ、ヴァージョンから原典へ)興味深い思考を生み出しtかつ原作のテクストがなければヽヽヽヽヽヽヽヽヽヴァージョン・テクストのい‑つもの特徴が存在しないであろうと直感できる場合'関連性の強い類似性が存
在する、というものである。後者を論証するのほ、前者を論証するよりも困難である。ふたつの作品を比較/
対照することで、何らかの新しい考察を引きだすことは、往々にして可能であるが、ヴァージョンから得られヽ,(8)る新しい考察は'単なる類似/差異から得られる新しい考察とは、その程度において異なるものなのである。
﹃ロミオとジュリエット﹄と﹃心謎解色練﹄の「類似/差異」を「比較/対照することで、何らかの新しい考察を
引きだす」ことは、もちろん可能である。しかしながら、両者の間に「関連性の強い類似性」があるとは言えない
だろうO
トンプソンとトンプソンは、もうひとつの尺度として「証言された類似性」を挙げているo「関連性の強い類似
性がテクスチエアリティの問題であるのに対し'証言された類似性は実生活の考証reaifedo
cu m en ta
tion
の問題(9)である。証言された類似性は、作者による直接および間接の発言によ っ て
証言される」。﹃心註解 色 麻 ﹄
を﹃ロミオとジュリエット﹄の翻案であるとする作者の証言は、直接にも間接にも残されていないo「証言された類似性」の
観点からすると'最低限、鶴屋南北が﹃ロミオとジュリエット﹄を知っていた、ということが立証される必要があ
日本食初の 『ロミオとジュリエ ッ ト
』るだろう。これについて竹村は、オランダ人が出島で上演した素人芝居の演
目
に冒ミオとジュリエット﹄が含ま(10)れていた可能性を指摘しているが、竹村自身が認めているとおり、これはあくまで「想像説」の域を出るものではないOさらに「長崎で上演せられたRomeo
an
dJulietが、どういふ様にして江戸に伝へられ'そして南北の耳に入\」ったか。これについては全‑手掛‑はない」のである。竹 村 の 議 論 は 、 墓
場における蘇生という一点のみから﹃心謎解色練﹄を﹃ロミオとジュリエット﹄の翻案と断定し、その結論からさかのぼる形で鶴屋南北が﹃ロミオとジュリエット﹄を知‑得た経路を「想像説」によって再構(12)築したものに過ぎず'説得力に富むものであるとは言い難い。仮に竹村の「想像説」が正しかったとしてもうそう
した経路から鶴屋南北が知り得た情報は'「墓場で女が蘇生する芝居がある」という程度のものであっただろう。
それをもって、﹃心謎解色麻﹄は﹃ロミオとジュリエット﹄の翻案であるとするのは、いささか無理があるのでは
ないだろうか。
47
﹃喜楽の友﹄
﹃心謎解色練﹄が﹃ロミオとジュリエット﹄の翻案でないとすると、日本で最初の﹃ロミオとジュリエット﹄
は、雑誌﹃喜楽の友﹄に連載された「ロミオとジユリエッ・Lの話」ということになる。この雑誌は、竹村正路なる
入物が一八七九年四月一
〇 日
に創刊したもので、第一号から第八号までが現存し、東京大学の明治新開雑誌文庫に収蔵されている。発行元は、本所区両国元町1番地の喜楽社で、すべて表紙とその裏の「目録」(目次)、本文一四
ページという体裁になっている。四月二五日出版の第二号からは表紙に「毎月二号ツ、」という記載があり'以
下、第三号が五月一四日、第四号が五月二九日、第五号が六月一六日、第六号が七月一五日、第七号が八月九日、
第八号が八月二九日の刊行となっている。六月と七月はともに一号だけの発行にとどまっているが、その理由につつがうきよげっすみだつつみかたほと‑へいLやうつおもひほかはつだきすご‑わんか‑おもたまいては第六号に「都合により去月墨陀堤の片辺に弊社を移せしよ‑恩の外に発覚の期を過し看客のいかに思ひ玉ふはかしいままでかわうちつゞうりだしきふらほどかならずあしおもたまはゆ‑すへにぎわきぷんようしようお‑たまはらんも測‑知れざれど今迄に変らず打
続
きて売出候ハん程に必悪ふ恩ひ玉ず往来かけて賑し‑奇文揺章を飴‑玉ことねが(13)ん事を願ふにこそ」という説明があ‑'この号から喜楽社の住所は向島須崎村六五番地となっている。
篠田鉱道は、この雑誌について、「桜田助作翁から﹃愛読の雑誌だった﹄と聞かされ」たとの証言を記録してい(14)る。第八号の「目録」の下に掲載された「次号社題」(投稿募集)にある「諸君よ‑の御投書数多にして何分一時に
載せきれ升せぬ故追々順に載せ升からあしからず思召下さい升し」という言葉も'同誌の人気のほどをうかがわせ
る。しかしながら「迫々順に載せ升」という約束もむなしく、刊行はここで途絶えたらし‑'一八八三年に内務省(15)図書局が編纂した﹃図書局書目
‑
新聞雑誌之部﹄には、第八号までの記載しかない。この雑誌は、今でいうところの総合文芸雑誌のようなもので'さまざまな情報を伝える「雑談」、読者からの投
稿を掲載した「詩」(漢詩)、「歌」(短歌)、「俳譜」、「雑俳」(三題話)、「雑記」の各コーナー、劇場のスケジュール(「座名」、「狂言名題」、「出勤俳優」、「興業月日」)をまとめた「劇場新表」、連載ものの「続物語」などで構成されてい
る。「編輯兼印刷人」を務めた竹村正路については、詳細が分からないが、創刊にあたって「銀座寓染花仙史」の
署名で寄せられた「竹村氏喜楽の友ヲ発覚スルニ贈ル」という「祝詞」のなかに、以下のような描写がある。
日本最初 の 『ロ ミオ とジュ リエ ッ ト』
カツヌマヅグウワレソノイへトヤプカキクズザチョウブツビヨウショウホネミアラワレゲイ先生ハ喜楽ノ人ナリ嘗テ沼津二寓ス僕一日其居ヲ訪フ門破レ聴壊レ座二長物ナク罪障骨皆ナ露ハル僕脱シテア、カジカマハナハニツコリイロリサケドクリサシワセイタ、ノミ日ク鳴呼先生ノ家事二構ハザルモ亦夕甚イ哉先生莞爾トシテ櫨間ノ一酒陶ヲ指テ日ク我ガ生唯是レ而巳央卜其フダンサキニトツゼンキコノゴロザツシウリダダイキミタメノ平生ノ喜楽ナル知ル可シ裏目先生突然来テ日ク吾頃日一新誌ヲ発覚セリ題ヲ喜楽の友卜云フ子夫為二三一ロヲオクダイモクスコプキノスマジメコトキミアヤマリオドケナナカタツゾクワレワラツ
贈レ且ツ其題目ハ頗ル奇ナリト雄モ戟ル所ハ皆ナ真面目ノ事子誤テ戯誰ノモノト為ス勿レ敢テ嘱スト僕笑テマジメアモクキメウダイスデ日ク先生ノ真面目トナス事ハ豊二世人ノ日シテ奇トシ妙トスル処ナラザルヲ知ランヤ而シ題ヲ喜楽卜云フ既ニ
メウコ、オモイワクラクハタヒ‑ツムカシプツヘキユキヨウ‑イタトへバナホゴトシミツヒトミテナシミツガ
妙且ツ言二恩へ世間ノ謂ユル苦楽ハ果シテ疋物ナル乎在昔仏誓愉経ヲ説テ日ク讐猶如レ水人見為レ水'餓キミテナスヒエへタカホセンクバンククセカイイミュウクドイマシカジブン
鬼見為レ火卜故二高尾ハ千若万苦ノ苦ノ世界卜言フ是レ身ヲ以テ憂苦ノ奴トナスモノナリ今先生ハ然ラズ自家オシヒロセケンフキウムユウクドシンダウシノ喜楽ヲ拡メテ満天下ノ人二普及セントス豊二先生ハ無憂苦ヲ以テ世ヲ度スル真ノ大書楽ノ大導師ニアラズ乎
シカウリダシシザツシマキブンヨキミスナハヲク
然ラバ其発覚スル新誌モ亦夕大書楽ノ奇文タル知ルベキノミ先生日ク善シ子コレヲ書セト便チ書シテ贈ル而シワレスデナカマテ僕モ亦夕既二喜楽党中ノ人トナリシヲ知ラズ(第二号一‑二頁)
せ う が い く ら う
きた創刊にあたって掲げられた竹村の手になると思われる「社告」は、「 生 涯 苦 労
を為さんとて我々は此世に生まれ来かぎかんらくねが ゆ う か
ん‑Lにあらず力の有らん限
り歓 楽
を為さんとこそ願
ふなれ」と歓楽を人間の本性として位置づけ、「我々ハ今遊 歓
ごら く
しゆしんしそ う せ つ
しんせい
ろう
えき
きんくへん
いふせかね ち
かころしんしせいろんじよ う む
へんいすく
娯 楽
を主
とする新 紙
を創 設
して以て人 生
の労 役 勤 苦
二偏 倍
するを防
ぎ兼
て又近 来 新 紙
の政 論 常 務
に偏 倍
するを敦
ほつはんと欲するな‑」と、同誌刊行の目的を謡いあげている(第l号一頁)0この﹃喜楽の友﹄に「続物語」として無署名で達哉されたのが、「ロミオとジュリエットの話」である。作品の
タイトル表記には'連載中で揺れが見られる。第言亨では、「(ロミオ)ト(ジュリエット)ノ話」となってお‑'
以下「(ロミオ)と(ジュリエット)の話」(第二号)、「ロミオとジュリエットの話」(第三号)、「ロミオとジユリ
エットの話」(第四号、第五号)、タイトルなし(第六号)、「ロミオとジュリエットの話」(第七号、第八号)となって
いる。タイトルの表記の揺れは、本文にも反映されている。第一号掲載分では仮名にカタカナが用いられている
が、第二号以降は平仮名となっている。第一号'第二号では外国の固有名詞が括弧書きになっているのに対し'第
三号以降は傍線を付されている。第四号'第五号のタイトルの「ロミオ」と「ジュリエット」からは傍線が脱落し
ているが、本文中では一貫して傍線が用いられている。
外国の人名や地名を何らかの方法で区別する表記法は、当時広‑用いられていた。これは'そうした固有名詞が
今以上になじみの薄いものであったということもあるが、文語体において仮名としてカタカナが用いられたこと(16)や、平仮名を用いたいわゆる「俗談平話」においても主格の助詞「は」に「ハ」が用いられたことが大きな理由で
ある。その場合、もっとも一般的なのが傍線を付すや‑方であった。括弧書きから傍線への変更'カタカナから平
仮名への変更は、いずれも読者の読みやすさを配慮してのものと思われる。本論では、こうした変更を反映させ、
「ロミオとジュリエットの話」という表記を採用する。
日本最初の 『 ロミオとジュリエ ッ ト
』エ イ コ ク オ イ イ ウ メ イ キ ヤ ウ ゲ ン サ ク シ ャ
「ロミオとジュリエットの話」は'連載初回に添えられた「 英 国
二於
テ有 名
ナル 狂 言 作 者 シ
(セ‑キビー
ル)氏
ガシ パ イ チ ヨ
ジエ
ツシ ヨ
モツ
ウチモ ツ
ーモ オ モ
シロ
ハナ
シドゥ
コク
ジン
ツウ
ゾク
ブン ツ
、チン シヨ エ
芝 居
ガ、リニ著 述 セ
ル書 物
ノ中 最 面 白 キ 話 ヲ 同 国 人
(チャーレスラム)氏ガ通 俗
ノ文
ニテ綴
りタル珍 書
ヲ得
ケレマイ
ゴウ
ヤクプンヒトクダリ
ノゴウ
コドウコウ シ ヨ
ユウ
シメ
ホツ
ハ毎 号 訳 文 一 俵 ヲ 載
せ江 湖 同 好
ノ諸 友
二示
サント欲
ス」(第一号二一頁)という言葉が示しているように、シェイクスピアの戯曲ではな‑'ラム姉弟の﹃シェイクスピア物語﹄(「ロミオとジュリエット」の執筆は弟のチャールズ・ラム)
を下敷きにしたものである。幕開きを例に確認しておこう。ラムの物語は、次のように始まる。
Th
e
tw
ochie
ffam itie s in
Veronawer e
therichCa
pute ts a
ndtheMontagu es .
Ther e ha d be e
nanotd
quar re t be tw ee n th es
efam itie s
}which w a
sgrow n to su
chaheigh t. an
ds
ode ad ty w
astheen m ity be tw ee n
them
.thatitextended
to th e
remotestki
ndred.to th e fo tto
wers an d re ta in er s
ofb
othsid es .in so m u
ch th
ata se rv a
ntoftheho us
eofMontague co
utdnotm ee
tase rv a
ntofthe h
ous
eofCapulet.nora
Caputet en co un
terwitha
Mon・ta g u e by
chance. b
utfier ce w or ds
andso m
etimes bt
oods
hedensu e
d・.andfreq ue n
twerethebr a
wts fr om su ch
a
ccid e
nta t m ee
tings, w hi
chdisturbedthehappyqu ie t
ofVerona・s st
reets ,17)
「ロミオとジュリエットの話」の冒頭は、以下のとお‑である。
イ タ リ ‑ コ ク ミ ヤ コ フ ゴ ウ キ コ タ カ カ イ イ リ ヤ ウ
伊 太 利 国
(ウエロト)ノ 都 二 富 豪
ノ聞
こ高
キ二家
アリーヲ(モンテ‑グ)ト云
ヒーヲ(カビレッ・L)ト云 フ 両
ケキ ヨ マ
ンザ イ
サンイウ
マオトシンダイ ム カ
シリ ヤ
ウケマジ ハ リ
トカ ク ウ
ーヤ , モ フ ウ
ハオ
コ家
共二巨 万
ノ財 産
ヲ有
シ負
ケズ劣
ラヌ身 代
ニテアリシカバ 昔 ヨ リ 両 家
ノ交 際 兎 角
二疎
マシク 動 ス
レハ風 波 起
リサ ウ ロ ン タ へ マ カ ク ー シ フ ホ ド ゥ ラ マ ス ・′‑ 1 フ カ イ マ エ ン ツ ナ ガ シ ン ゾ ク を チ ロ ン コ 、 ロ メ シ ツ カ ヒ ア ヒ タ ガ ヒ イ "T il ク
テ争 論 絶 間
ナカリシ斯
テ年
ヲ経
ル程
二怨 益 深
クナリテ今
ハ縁 二 繋 ル 親 族
ハ勿 論 心 ナ キ 奴 姫 マ
デモ相 互 二 忌 憎
ア
ダカ
タキオモ
ナイタ リ
ヤウ ケ
ヌヒラタマ
‑トジヤ
ウイデ ア オ
ノ、
、ク
チキ
ハパリハテチミテ仇 敵 ノ 思
ヒヲ為
スこ至 リ
スサレハ 両 家
ノ奴 嫁 等 偶 塗 上 二 出 会
フコトアレハ 各 ロ
ヲ極
メテ罵 署
シ果
ハ血
ミホ
ドト
ウア
ウーフ
サウドウヒキオコタビ/.㌔ヲ見ル程
ノ闘 殴
ヲナシテ 都 府
ノ騒動ヲ惹起セシコーモ度々ナリシ(第山号 一
二頁)こうして始まる第一号掲載分は、ロミオとベンヴオリオがマ
‑
キユシオをともなってキヤビレット家の仮面舞踏会に出かけるまでを措く。以下、仮面舞踏会でのロミオとジュリエットの出会い(第二号)、ふた‑の結婚の約束(第
三 号 )
'ロレンスへの相談とふた‑の結婚rその後のロミオによるティボルト殺害(第四号)、ロミオの追放とそれを知ったジュリエットの反応(第五号)'ふた‑で過ごす表とロミオのマントヴアへの出立(第六号)、パリスとの結婚話とジュリエットの服毒(第七号)、ロミオとパリスの墓場での遭遇(第八号)までが措かれ、﹃喜楽の友﹄刊行
終了とともに物語も中絶している。もし刊行が続いていれば,おそら‑あと一回か,多‑でも二回の連載で,結末
までたどり着いていたことだろう。
「花 月 情 話 」 「笥 刺 と 頭 目 の 話 」 と の 類 似 性
先述のように'「ロミオとジュリエットの話」は無署名で連載されている。シェイクスピアの戯曲ではな‑ラム
の翻案を下敷きにしたものとはいえ'この日本最初の﹃ロミオとジュリエット﹄を「江湖同好ノ諸友ニ」提供した
入物は、いったい誰だったのだろうか。それを推測する手がか‑になるのが'「ロミオとジュリエットの話」から
日本最 初 の 『ロ ミオ とジュ リエ ッ ト
』
か ん ゆ う
五年後の1人八四年二月、静岡の地方紙﹃ 函 右
日報﹄に連載された﹃ロミオとジュリエット﹄の翻案'「甜馴花月情話」(以下、「花月情話」と略記)である。掲載に先立って同紙は、「頃日社友佐藤蔵太郎氏(矢野文雄君ノ纂訳補述セ
ル経国美談ヲ筆記シタル人ナリ戯号ヲ菊亭香水卜云フ)ハシ
ュ ー
キスピアノ‑著作こ係ル小説基音ヲ訳述シテ之ヲ本社(18)ニ投寄サレタリ依テ将サこ本日ヨリ続々之ヲ掲出シ以テ諸 君
ノ観覧二供セントス」と述べ、それがシェイクスピアの「著作二係ル小説基音」すなわち﹃シェイクスピア物語﹄によるものであることを明かしているo
作者の菊亭香水こと佐藤蔵太郎は'一八五五年に佐伯藩の下士の子として生まれ、明治の新聞界で活躍した文筆
家である。大分での教員生活ののち'一八八一年九月に同郷の先輩、矢野文雄の誘いを受けて上京するo柳田泉が
書き写した佐藤の未刊行の自叙伝﹃文士佐藤鶴谷伝﹄は、ふた‑の出会いについて、「九月太政官大書記官矢野文
雄'報知新聞社長藤田茂吉ノ両氏相前後シテ佐伯二帰省シ、旧城三ノ丸二於テ演説会ヲ開キ、本邦現下ノ状勢ヲ説(19)キ、大こ郷入ノ政治思想ヲ鼓舞ス、矢野氏ハ県下諸郡ヲ巡廻シテ帰京ノ時、鶴谷ヲ東京二伴フ」と述べている。
矢野文雄は、一八五一年に佐伯藩の中土の子として生まれた。一八七
〇
年に父光儀が下総国葛飾県(現在の千葉県北西部、埼玉県東都、茨城県西部にまたがる地域)の知事に任命され'一家
は
上京する。慶鷹義塾に学んだ矢野は、一八七七年、﹃郵便報知新聞﹄の発行元であった報知社に入社する。報知社はその後'大隈重信との結びつきを深(20)め、「矢野文雄は抜かれて役人となり、大蔵省の少書記官から'太政官の大書記官に歴任した」。佐藤蔵太郎の自叙
伝が回想しているのは、この太政官大書記官時代の出来事である。その翌月'いわゆる「明治一四年の政変」に
よって大隈重信が政府を追われるとともに矢野も官職を辞し、報知社に復帰する。翌年'佐藤蔵太郎も報知社に入(21)社するo﹃函右日報﹄の紹介にあるように、佐藤は勤務のかたわら矢野の政治小説﹃踊蛸経国美談前篇﹄の完成に
53
貢献するが、一八八四年九月には同社を去って大阪毎朝新聞社に入社する。「花月情話」の連載は一八八四年二月九日に始ま‑、「第二回」(一〇日)'「第三回」(一五日)'「第三回ノ続キ」
(一六日)、「第四回」(一七日)、「第五回」(一九日)、「第五回ノ続キ」(二〇日)と続き'「第六回」(二一日)はロミオ
とジュリエットの結婚の約束までを描いている。その翌日の紙面では、「秋轡情仙」なる読者が、この作品を絶賛
して「賦一律以呈菊亭先生案下」と述べ'「刻翠栽紅筆有華。満腔錦繍吐天龍。多情居易琴中涙。薄命江掩夢裡(22)花。芸海元来生恨種。情天畢克易参差。三生椅累真無礎。何譲妙詞温八又。」という詩を献呈している。しかしな
がら、こうした好評にもかかわらず'その四日後には「記者日ク欧州奇聞花月情話ハ訳者菊亭氏ガ病気ニテ其ノ続
稿ヲ起ス能ハズ依テ全快ノ日マデ一時中絶ス看官幸二之ヲ領セラレヨ」との告知が掲載され、その後連載が再開さ(23)れることはなかった。
こうして中絶したままとなった「花月情話」であるが、その掲載分を読んでみると、登場人物名の表記、言葉遣
い、ラムの原典からの逸脱などに'「ロミオとジュリエットの話」との明らかな類似が認められる。登場人物名
は、それぞれ次のように表記されている。
キヤビレット
モンタギユー
ロザリン 「叫とTS.の話」
カビレット
モンテ‑グ
ロザリン
「花
月情話」カ
ミレット加美列戸モンデータ門泥具ロザリン魯坐倫日本最初 の 『ロ ミオ とジュ リエ ッ ト
』ロミオ
ペンヴオリオ
マ‑キユシオ
ティボルト
ジュリエット ロミオ
ベンブリヲ
モルキウショウ
タイボルト
ジュリエット ロミヲロミヲ(24)露美雄/魯美雄ペンプ
リ
ヲ弁板
雄rLJ﹀1
小宅留字ダヒルト陀非留土ジュリエット寿挙咲散ティボルトをタイボルト/ダヒルトとしている点に相違は見られるが'総じて類似していると言えるだろう0モン
タギユーをモンテ
‑
グ/モンデー
ク'ベンヴオリオをともにベンブリヲ、マ‑キユシオをモルキウショウ/モルウとしている点は、特に注目に値する。
次に言葉遣いの類似を確認するために'物語の幕開きを取り上げてみよう。「花月情話」連載初回は'前口上の
あと次のように始まっている。
イ タ リ ー コ ク ウ エ ロ ナ ミ ヤ コ
サイキヨ マ ン リ ヤ ウ カ
モンデータ カ ミ レ ッ ト
伊 太 利 国 威 呂 那
ノ都 府
こ財巨 万 ヲ 有
セル 両 家
ノ家族アリテ其ガ一ヲ門泥臭ト 音 ヒ
今一ヲ加 美 列 戸
‑ゾ称へケルヨア マ タ ザ
イサ ン
マオーイ カ シ ユ
クヱンガ両族共こ祖先ノ代
ヨリ彩 多
ノ財 産
ヲ所有シテ負
ケズ劣
ラズノ身代ナリシガ如 何
ナル 宿 怨
ノアリモヤシツル此モン
デ‑
クカミレツ
トソノ
アイ
ダカラム
ツマ
ノ門 泥 具
ノ家卜加 美 列 戸
ノ家トハ先代ノ時ヨリモ其 間 柄 睦 カ
ラデ互ニスレズレノ中トナリ動モスレバ両家ノフウハニ ラ
ミア
フヱ
ニシ
ツナ
シンセキ
サラ
間ダニ風 波
ヲ生ジ白 眼 合
テゾ幾多ノ歳月ヲ送リケルガ今日二至リテハ両家ノ 縁 二 繋
ガル、ノ親 戚
ハ言フモ更
ナメ
シツ カ ヌ
ヒラソ ウ ホ ウ
アイ
テキシタ
マタ ミ チ
デア イ
クチキワ ノ 、
シリ其ノ召 仕
ハル、奴 埠 等
ガ如キ輩二重ルマデ互ヒこ隻 方
ヨリ相 敵 視
シテ 遇 マ 途
二出 逢
フ時ナドハロ
ヲ極
メテ 罵
ツカミアヒケンクワヒトカタソウドゥヒキオコタビ‑(25)リ合フノミカ果テハ聞合ノ喧嘩トナリテ一方ナラス騒動ヲサヘ惹起スコト度々ナリシト
これを先に引用した「ロミオとジュリエットの話」の冒頭と比較すると'「動スレハ風波起リテ」/「動モスレバ
両家ノ間ダニ風波ヲ生ジ」、「今ハ緑二繋ル親族ハ勿論心ナキ奴牌マデモ相互二忌憎ミテ仇敵ノ恩ヒヲ為スニ至リス
サレハ」/「今日二至リテハ両家ノ縁二繋ガル、ノ親戚ハ言フモ更ナリ其ノ召仕ハル、奴牌等ガ如キ輩二重ルマデ
互ヒこ隻方ヨリ相敵視シテ」、「騒動ヲ惹起セシコトモ度々ナリシ」/「騒動ヲサへ惹起スコト度々ナリシト」など
に表現の類似が認められる。またこの冒頭部は、ラムの原文からの逸脱においても共通点が見られる。原文では.therichC
apu tets an
dthe
Monta gu es 。
という順序になっているのに対し'「ロミオとジュリエットの話」および「花月情話」では、そろってモンテ‑グ/門泥具が前、カビレット/加美列戸が後ろと、逆になっているのである。(2
6)
ラムがキヤビレット家の宴会を.andattco m er s
werem a
dew
etco m e
iftheywer e no t
oftheho
us
eofMonta g u e .
ソノタマネ
と説明している部分については、さらなる逸脱の共有が確認できる。「ロミオとジュリエットの話」は、「其他招カキヤクキタモノコバモテナシソノヤウイー、ノモシカヒトマギイメモノミマチカマザルノ客モ来ル者ハ拒マデ饗応セント其準備マデ整ヒシガ若(モンテ
‑
グ)家ノ人紛レ入ラハ目二物見セント待構へクリ」(第一号二一頁)と語‑、モンタギユー家の人間が紛れ込むことに対するキヤビレット側の警戒を付け加えカ、サイコンザツマギモンデ
‑
クシノている。「花月情話」は、それを受け継ぐように、「若シ斯ル際ノ混雑こ紛レテ彼レ門泥具ノ一族等潜ビ入ンモ知レサチジヨクヒゴロウラノコトシ難ケレバ万一然ル事ノ有ランニハ痛ク彼等二恥辱ヲ与へテ日頃ノ怨ミヲモ晴ラサンモノト其ガ事ノ用意マテ為ツラ
マチカヘイ(27)ヒツ待構テゾ居タリケル」と述べる。
ロミオの人物像の紹介にも、同様のことが言える。ラムの描写は'彼のロザリンへの恋愛感情に関わるものに限
日本最 初 の
『 ロミオとジュリエ ッ ト』
「{ 7
)走されてい る
。これに対し、「ロミオとジュリエットの話」の語‑手は、ロミオの容貌と資質についてもコメントする。
カ シ ソ ク ヤ ウ ポ ウ ク ワ ン ギ ヨ ク ゴ ト プ ン プ ケ ン ビ サ ウ シ イ カ ア ク エ ン ド ウ フ ナ ウ フ ジ ン
(モンテ‑
グ)家
ノ子 息
(ロミオ)ハ容 貌 冠 玉 ノ 如
ク文 武 兼 備
ノ壮 士
ナリシガ如 何
ナル悪 縁
こヤ同 府 中
ノ婦 人
フカ
ケサウ
イカ
ワタ
フネ
エカ
ノヒ
トコ、 ロ タ
ケク
ドカヒ
トシオ
モコ
カ(ロザリン)ニ探
ク掛 想
シ争
デ捗
りこ舟
ヲ得
テ彼 人 こ 心 ノ 丈
ヲカキ口 説
ンモノヲト人 知
レズ思
ヒヲ焦
シ又(豆シンユ
ウヒト
リシミオ)ノ親 友 (
ベンブリヲ) 独 コ
レヲ知
り(第1L号
.i
二百)「花月情話」もまた、ロミオの「天資才美」に言及する。
モ ン デ ー ク シ ソ タ ロ ミ ヲ テ ン シ サ イ ビ グ ピ ヨ ウ ポ ウ タ ン レ イ タ マ ア ザ ム フ ウ シ イ タ ケ タ ウ
彼ノ門 泥 具
ノ子 息
二露 美 雄
卜呼ベルハ天 資 才 美
ノニッヲ具 備
シテ容 貌 端 麗 玉 ヲ 欺 キ 風 姿 威
アツテ猛
カラザル当
ジエガタシユ ク
セ又
ニシ
ロザリン イ ツ シ カ オ を
時二得難キ少年ナリシガ如何ナル宿 世 ノ 縁 ヤ
アリケン同都府二住ム者ニテ魯 坐 倫 ・
Lイヘル少女二深クモ冒 外 想
カキタケウチアナ
サケ ウ
ヒゴロムネコ
ガヒヲ懸
ケテアハレ好キ機
ヲ得ルノ時シモアラバ我ガ心ノ丈
ヲ打 明
ケテ彼レガ 情 ヲ 受
ケナンモノト 曾 胸
ヲゾ焦
シオベ
ンブリ
ヲヒ
トス イ
イ(2
9)屠ル テ バ 其
ガ親友ナル弁 振 雄
ノミ独
り心こ推
シ居
シト ゾ
ここでは、ロミオのロザリンへの報われない恋心を、「如何ナル悪縁こヤ」/「如何ナル宿世ノ線ヤアリケン」と
表現していることも両者に共通している。ベンヴオリオだけがロミオの片思いを知っていたという、ラムにはない
記述が付け加えられている点も'同様である。
「花月情話」は、「ロミオとジュリエットの話」に見られる誤訳も継承している。ラムは、ロミオがキヤビレット
家の宴会に潜入していることに気づいたときのティボルトの反応を.Andhestormedand
rag ed ex cee din
gty.andw
ou td h
avestru ck yo ung R o me o d
eiS)・と語る。言うまでもなくこれは仮定法の表現‑「(老キヤビレットの制止がなければ)ティボルトはロミオを殴‑殺していたことであろう」Iであ‑、現実には暴行は行われない。このl
し
ゆゑ
んせ
きはばかた い
くち
いひのゝ
しはて ほ う
こう
およ
節を、「 ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト の
話」は「 酒 宴
の席
をも 慣 ら
ず、(ロミオ)に対
し、口
さかし‑言 罵 ‑ 果
ハ暴 行
に及
う
ちこ
ろいき
ほひ
びて、あわや打 殺
さん 勢 な
り」(第二号頁)とし、「花月情話」はさらに別室に連れ込んでの集団暴行にまで発展させている。
タチマロミヲヒキトラツネナカアモンデ
‑
クケマネギカ"(レツーヨ忽チ魯美雄ヲ引揃へツ汝ハ常ヨリ中悪シキ門
泥
具家ノ子ニアリナガラ招キモセラレデ加美列戸ノ夜会二能クモイリキタカ、バアヒヤウイナイコナタコロミヲムリハナヒーマツ
入来リシヨナ斯ル場合モアランカトテ兼テ用意ヲ為シ居タリ此方二来ヨトテ魯美雄ヲバ無理二離レシ一室二連ユヒゴロウラオモシイノチタへオホゼイキクテウチヤク(31)レ行キ日比ノ怨ミ思ヒ知レ下命モ絶ヘナンバカリニマデ大勢来ツテ打榔シケルヲ
「ロミオとジュリエットの話」における記述は、「誤訳」とまでは言えないかもしれない。ラムの表現は確かに暖昧
さを含んでお‑、「そもそも暴行はなかった」とも解釈できるLt「暴行はあったが殺害には至らなかった」とも受
け取れる。シェイクスピアの戯曲と照合すれば、前者の意味であることが確認できるが、「ロミオとジュリエット
の話」の作者はラムの表現を後者の意味に受け取ったのであろう。「花月情話」における記述は、その解釈を受け
継ぎ'さらに膨らませたものと考えられる。
日本最初 の 『ロ ミオ とジュ リエ ッ ト
』「ロミオとジュリエットの話」と「花月情話」には、いずれも西洋の慣習になじみの薄い明治の読者に配慮した
注が加えられているが、そこにも明白なつなが‑が認められる。キヤビレット家で催される仮面舞踏会について、
前者は「仮面を冠‑て宴席へ立入る事我邦にては曾てなき事なれども西洋にては伎踊会杯へ貴人達の仮面を冠‑て
行‑は間々あることな‑」(第二号頁)と説明し、後者もまた「仮面ヲ被テ宴席へ入ルナド本邦ニハ無キ事ナレ(32)ドモ西洋ニテハ斯ル踏舞ノ庸二貴人達ノ仮面ヲ被テ行クコトハ往々アルコトナリ」としている。
また、バルコニー・シーンでロミオが名乗り出る場面を、ラムは.hebade
he r ca tt him L o v e.
orbywhatev er ( 3 3)
oth er na
mesh e ple as
ed.forhewasnotonge r
Rom eo
.ifthatna m e w a s d is p te as in g to h e r 、
と語る。この箇所は、「叫おんみなさけ
しりさ い は わ が み ̲ よ び た ま
ミ オ
とジ ュ リ エ ッ ト
の話」では「 御 身 の 情 ハ
と‑に知
た‑左
までに言
るゝならば吾 身
をラ ブ
と呼 給
へ(可愛人といこの ま わ
ためよきな え
らい
まわがな
!ふ意な‑)もし 好 し
からぬとならば我
が為
に佳 名
を撰
ばれよ今
よ‑我 名
ハロミオならじ」(第三号頁)となってオンミアツナサワトササイマイコーハタコ,ロいる。「花月情話」は'「御身ガ厚キ情ケノ程ヲバ我レ疾クヨリモ之ヲ知レリ然ハ然リナガラ今言フ詞ノ呆シテ真意タガラプヨタベコノヨエラニ違ハスナラバ此身ヲ(Love')
ト呼ビテ給其ガ好マナシカラヌトナラバ我ガ為メニ宜キ名ヲ撰バレヨ我ガ身ハ今ロミヲゲンゴアイコイミフクヨリ露英雄ナラズ」としたうえで、「筆者日本文中原語(ラブ)ハ愛スル又ハ恋フト云フガ如キ意味ヲ含メル文字ナイロ(34)こシテ猶ホ我国ノ情郎卜解シテ可ナルベシ」との注を付けている。この部分は、注だけでなく、.t h
atnam e、
を「ロミオという名前」ではなく「
L ov
eという名前」と誤って解釈している点も共通している。「 m J斗 刺 と ジ ュ リ エ ッ ト の 話 」 の 作 者 の 推 定
「ロミオとジュリエットの話」と「花月情話」に見られる、こうした明らかな類似性(「関連性の強い類似性」)か
ら考えて、両者には何らかの結びつきがあるものと考えて間違いない。ここで興味深いのが、柳田泉の以下の記述
(「証言された類似性」)である。
訳者と署名している菊事に、英語の知識が皆無という程ではないとはいえ、シェークスピアを原典で読むまで
の知識は無かろうと思ったので'この点確かめたところ、まさにその過‑、これの原話は矢野文雄氏の弟小栗
貞雄氏から聞いて書いたものだとの返事であった。それで、小栗氏は︹シェイクスピアとラムの︺どちらを読ん(35)だか、それを今一応突き止めるべきであるが、まだ小栗氏には伺っていない。
つま‑'佐藤蔵太郎の「花月情話」は、小栗貞雄がシェイクスピア/ラムの﹃ロミオとジュリエット﹄を翻訳/翻
案したものを再翻案したものだというのである。
きお‑‑よくきやうけんもつつねけうし一八六一年生まれの小栗貞雄は、兄の矢野文雄と同じ‑慶庵義塾に学んだが、「記憶力の強健を以て常に教師を
きやうたんいうとうせいがくきふてうしんことさいとゞ
驚嘆せしめ'優等生とな‑て学級を超進せられし辛一再にして止まらず」という秀才ぶ‑であったという。その
後、大学予備門に入るが、学生の政治演説を禁止するという方針に反発Lt退学する。