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元照の観仏思想

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Academic year: 2022

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(1)元照 の観仏 思想. 一︑ は じ め に. 吉. 水. 岳. 彦. 中 国 宋 代 に 活 躍 し た 律 宗 系 浄 土 教 者 霊 芝 元 照 律 師 (一〇 四 八 1 一 一 一六 ) は ︑ そ の著 書 ﹃観 無 量 寿 仏 経 義 疏 ﹄. (以 下 ︑ ﹃観 経 新 疏 ﹄ と 略 す ) や ﹁ 上 櫨 苓 法 師 論 十 六 観 経 所 用 観 法 書 ﹂ (以 下 ︑ ﹁ 上 櫨 苓 書 ﹂) に お い て︑ 四 明 知 礼. (一〇 四 五‑ 一〇 九 九 ) と 共 に 天 台 の 教 観 を 学 ん で お り ︑ そ の影 響 を. (九 六 〇‑ 一〇 二 八) 等 天 台 諸 師 の ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 の解 釈 に 批 判 を加 え て い る︒ 元 照 は 知 礼 の法 孫 にあ た る 神 悟 処 謙 (一〇 一一‑ 一〇 七 五 ) のも と で桐 江択 瑛. 多 分 に 受 け て い る︒ し か し な が ら ︑ 弥 陀 浄 土 の観 法 に 関 し て は ︑ 知 礼 系 天 台諸 師 の解 釈 で は浄 土 に 往 生 でき な いと. 批 判 し ︑ 自 説 を 展 開 す る の であ る ︒ 本 論 文 で は ︑ そ の批 判 の内 容 を 整 理 し ︑何 故 に 元 照 が 知 礼 系 天 台 諸 師 に よ る弥. 陀 浄 土 の 観 法 を 批 判 しな く ては な ら な か った か を 考 察 す る こと で ︑ 元 照 の観 仏 思 想 を 明 ら か に し て いき た い︒. 元照 の観 法 に 関 す る 批 判 は︑ 大 き く 二 つに 分 け ら れ る ︒ 一つに は ︑ ﹃観 経 ﹄ の観 法 を 事 理 二観 のど ち ら に 属 せ し. め る か の問 題 ︑ 二 つに は ︑ ﹃観 経 ﹄ の 観 法 の所 観 の境 を 心 法 と 仏 法 のど ち ら に定 め る べき か の 問 題 で あ る ︒ こ こ で. 平成 二十年 一月. 六五. は そ の問 題 を 考 察 し て元 照 と 諸 師 の 見 解 の相 違 を 明瞭 に し︑ 最 後 に観 法 に 関 す る 問 答 を 取 り 上 げ て︑ 元照 の観 仏 思. 第 十六 号. 想 にお け る 特 色 を み て いき た い︒. 佛 教 文化 学 会 紀要.

(2) 二︑ 事 理 二 観 の 問 題 は じ め に事 理 二 観 の問 題 に つい て ﹃観 経 新 疏 ﹄ に は 次 の よ う に あ る ︒. 六六. 次 解 則 抑 彼 上 根︑ 後 説 兩 分 最 非 通 論 一︒ 夫 達 理 者 則 諸 法 皆 理 ︒ 安 有 二此 是 而 彼. 然 古 今 判 繹 互 説 不 同 ︒ 一云 十 六 妙 境 無 非 ・ 理 観 ﹁︒ 一云 據 經 始 末 皆 是 事 想 ︒ 一云 前 後 十 五是 事 唯 第 九 佛 觀 爲 レ理 ︒ 今 謂 初 繹 則 遺 於 中 下. 非 乎︒. こ こ で元 照 は ︑ 古 今 の事 理 の判 釈 と し て 三者 を 挙げ ︑ そ れ ぞ れ に 批 判 を 加 え て いる ︒ こ の 三者 は ︑ こ こ に直 接 名. 前 は 挙 げ ら れ て いな いも の の ︑ 宋 代 に成 立 し た ﹃観経 新 疏 ﹄ の 注 釈 書 ﹃正観 記 ﹄ に よ れ ば ︑ 知 礼 ︑ 択 瑛 ︑ 智 円 の解. 釈 であ る と いう ︒ 元 照 は ︑ 知 礼 ﹃妙 宗 砂 ﹄ の十 六 観 す べ てが 理 観 であ る と いう 解 釈 で は ︑ 中 下 根 の者 が も れ て し ま. い︑ 択 瑛 ﹃修 証義 ﹄ の十 六 観 す べ て を 事 観 と す る解 釈 では ︑ 上 根 の者 を 抑 え てし ま う ︒ ま た ︑ 智 円 は ﹃刊 正 記 ﹄ に. 任 其 分 量︑ 皆 可 趣 入. お い て第 八観 の み を 理 観 と し て︑ そ の 他 十 五 観 を 事 観 と す るが ︑ こ のよ う に 二 つに 分 け る 考 え は 通 説 で は な いと述 べ て いる ︒ そ し て︑. 嘗 考 經 文︑ 但 出 所 觀 之 境 不 分 理 事 之 殊︒ 得 非 能 觀 之 人 根 有 利 鈍 見有 通 塞 乎 ︒. と ︑ そ も そ も ﹃観 経 ﹄ は 所 観 の境 を 出 す のみ で事 理 を 分 け て いな い こと を 指 摘 し て い る︒ 元 照 は ︑能 観 人 の機 根 に. 利 鈍 が あ れ ば ︑ そ れ ぞ れ 観 ず る 内 容 も 異 な る こ と に な る た め ︑ 各 人 の機 根 に 合 った 観 に お も む く べ き であ る と す る ︒. 元 照 は 経 文 に直 接 所 観 に 事 理 を 分 け て説 い て いな い の で︑ 先 の 三者 と 異 な り ︑ 所 観 の境 に 関 係 な く 能 観 の機 根 の側 から事理を解 釈した のである︒. 本 来 ︑ 事 理 二観 は 不 二 で あ って分 け る べき も の では な いと いう 原 則 のも と ︑ 諸 師 に よ っ て展 開 さ れ て いる ︒ 当 然 ︑. 智 円 ・知 礼 ・択 瑛 の 三者 に お い て ﹃観 経 ﹄ 十 六観 を 判 ず る こと も ︑ そ も そ も 各 人 の ﹁ 事 観 ﹂ と ﹁理観 ﹂ の定 義 に基.

(3) つ いた も の であ る ︒ 択 瑛 の 場 合 ︑ ﹃辮 横 竪 二出 ﹄ な ど の 現存 す る 資 料 か ら こ の内 容 を 確 認 で き な い が ︑ 智 円 等 山 外. 派 の場 合 ︑ ﹁理 観 ﹂ は内 心 ( 心 性 ・真 心 ) を 所 観 と す る も の で あ り ︑ ﹁ 事 観 ﹂ は外 色 を 所 觀 と す る も の であ る ︒ 知 礼. の場 合 ︑ ﹁理 観 ﹂ は 現 前 の 一念 陰 心 の上 に直 ち に 円 融 三諦 の 理法 を 観 ず る も の であ り ︑ ﹁ 事 観 ﹂ は 現 前 の 一念 陰 心 に. 生 起 す る諸 相 に お い て︑ 事 相 が 理 法 に 即 し て成 じ て いる こと を 観 ず る も の であ る ︒ いわ ゆ る 理 具 三千 を観 ず る こと. が 理 観 であ り ︑ 事 造 三千 を 観 ず る こ と が 事 観 であ る と し て い る︒ こ のよ う な 諸 師 の事 理 二 観 の見 解 を 考 え れ ば ︑ 所. 観 の境 に 関係 な く 能 観 の 側 の機 根 に よ り 事 理 二観 を 分 け る 元照 の解 釈 が ︑ 当 時 いか に特 殊 な も の であ った か が う か が い知 れ よ う ︒ 続 い て ︑ 元 照 に お け る 事 理 二觀 の 詳 し い内 容 を み て いき た い︒ ﹃觀 經 新 疏 ﹄ に は ︑. 理 是 虚 寂 之 強 名 事 乃 施 爲 之 総 目 ︒ 名 錐 兩 立 髄 實 一如 ︒ 其 猶 水 動 爲 波 墨 書 成 字 ︒ 波 錐 萬 状 一 水濃何 殊︒字 有 千 差 墨色 無 二︒. と あ る と お り ︑ 理 と 事 は 名 に よ って 二 つと し て いる が ︑ 水 と 波 ︑ 墨 と 字 の よ う に そ の本 体 は 一如 無 二な も のと 捉 え. 不 達 此 理 横相是 非︑ 幾許 謬哉 ︒是 知︑達 事 即 理 理非 事. 今 依 天台 十 疑 論 云 ︑ 智 者 熾 然 求 生 淨 土 達 生 體 不 可 得︒ 此 乃 眞 無 生 ︒ 愚 者 爲 生 所 縛 ︑ 聞 生 作 生 解 聞. ている︒また︑. 無 生 作 無生解︒ 而不 知 生即 無生無 生即 生. 外︒ 是眞無生︒故 稱 妙觀 ﹄ 又準 二 南山 理事 二懺 須 分 兩根︒利 根達 理則 一切唯 心︒鈍根未 達則專依 事行︒. 餘 經理觀唯被 ・ 上 根︒今 經觀法 通攝 利鈍︒ 利根修者莫 非 理觀 ︒鈍根 修者皆歸 事 想︒ 利鈍 雖 異皆得 往生︒ 但 生 彼 巳階 位 淺 深 ︑ 進 道 遲 速 耳 ︒. と あ る 中 ︑ ﹃十 疑 論 ﹄ 所 説 の智 者 が 真 の無 生 にあ り な が ら 浄 土 を 求 め る よ う に ︑ 能 觀 人 に よ って は事 觀 も そ のま ま. 理観 と な る の であ る ︒ そ のた め ︑ 南 山道 宣 の ﹁理事 二 俄 ﹂ に 準 じ て事 理 に 利 根 と鈍 根 を 配 当 し て考 え た 時 に は ︑ 利. 六七. 根 人 の修 観 は 必 ず 理 観 と な り ︑ 鈍 根 人 の修 観 は す べ て 事 想 と な る ︒ た だ し ︑ ﹃観 経 ﹄ の観 法 は 両 者 を 共 に摂 す る た. 元 照 の観 仏 思想.

(4) 六八. め ︑ 理 に 達 し て 一切 唯 心 と 了 知 す る利 根 人 も ︑ 理 に 達 せ ず 専 ら 事 行 によ る 鈍 根 人 も ︑ 極 楽 で の修 道 の階 位 や 進 み 具. 合 に 差 異 が あ る の み で︑ み な 往 生 が でき る と し て いる の であ る ︒ こ こ で注 目 さ れ る の は ︑ ﹁ 利 ・鈍 の 両 者 が 共 に そ. よ う に ︑ ﹁利 根 人 も 事 観 を 即 理 観 と 了 知 し て浄 土 の 観 を 行 う べ き こ と を 示 し た 点 ﹂ で あ る ︒ 特 に 前 者 は ︑ 知 礼 が. れ ぞ れ に あ った 観 で往 生 可 能 であ る と した 点 ﹂ と ︑ ﹃十 疑 論 ﹄ 所 説 の智 者 が 真 の無 生 に 通 達 し ても 浄 土 を 求 生 す る. ﹃妙 宗 紗 ﹄ に. 良以愍 物情 深適 時智 巧︒故多談 事相︒ 少示 觀門︒務在 ・ 下凡 普鋸 縁 種︒ 方今嘉 運︒盛 演 圓乗 慕 學之徒 ︒. 皆欲 得 旨 而修證矣 ︒故 竭 鄙志︒鈔數 千言︒上順 妙宗︒ 略消 此疏︒適レ時之 巧︒非 我所 能 ︒願共 有情︒ 即 心 念 佛 ︒ 乃 此 鈔 所 以作 也 ︒. と ︑ 当 時 ︑ 下 凡 の人 々 を憐 れ み ︑ 彼 ら を 対 象 と し て事 相 を 談 ず る こと が 多 か った こ と を 嘆 き ︑ 心 に 即 し て仏 を 念 ず. る天台 止観 の観門実践 を示そうと考 え て ﹃ 妙宗紗 ﹄を著 した姿勢 とは大き く異なる も のである︒ま た後者 に ついて は︑ これ に続 く理観 に関する問答 の中 にも. 問︑起 心取 境那名 理觀︒ 答︑ 了 此 心境 皆 因縁生︒縁生無 生體 非 生滅 即無 生理︒十 疑論 云夫 不生 不滅. 者於 縁生中 諸法 和合不 守 自 性︒求 於生體 了 不可得︒此 生生時無 所 從 來 故名 不生︒此滅散時去 無 所. 至 故言 不滅︒ 非 謂 因縁生 外別有 不生 不滅 也 ︒今 明 理觀一 準 論文︒ 以 縁生心 觀 縁生境︒ 心境 雖 殊 縁生 不 異︒能觀 是心所觀 即佛︒ 心法佛法 皆不思議 ︒華嚴 云心佛衆 生 三無差 別即其義 也︒故 諸行者先 開 智 解. 通達無 疑︒然 後農夕念念 繋 想 彼方依正勝境 熾然求 生 不 妨 心 境︒體自 無生︒非 謂 造 作使 之然 也︒是知. 世出世 間諸所有法 出處 語默莫 非 妙 理︒非 唯此觀一 代大乗 所立觀法莫 不 皆爾︒. と あ る よ う に︑ ﹃十 疑 論 ﹄ 所 説 の縁 生 無 生 の 理 に 順 じ て ︑ 能 觀 の 心 も 所 観 の境 (仏 ) も 共 に 因 縁 生 起 す る 点 で 異 な. ら ず ︑ 不 可 思 議 であ る と いう 智 解 を 開 い て後 に︑ 念 々に 勝 境 た る 西 方 浄 土 に想 いを 繋 け ︑ さ か ん に浄 土 を 求 生 す る. こと を 説 い て いる ︒ つま り ︑ 事 相 を 観 じ て い て も 理 に 達 し た 者 で あ れ ば お の ず か ら 理 観 と な る の であ る か ら ︑ 阿弥.

(5) 陀 仏 や 西 方 浄 土 の事 相 を 観 ず る こと は 理 観 で はな いと い って これ を 避 け て はな ら ず ︑ 利 根 人 も 鈍 根 人 も 共 に 西 方 の 事 相 を 観 ず べき こと を 説 く の であ る︒. 以 上 ︑ 元 照 に おけ る事 理 二観 の考 察 か ら ︑ 元 照 が ﹃観 経 ﹄ の觀 法 を 知 礼 の よ う に 上 根 を 対 象 と した 理観 に 限 定 す. る の でも な く ︑ 択 瑛 の よ う に 下根 にあ わ せ てす べ て事 觀 と も 規 定 せ ず ︑ 能 観 の 側 の機 根 に応 じ て事 想 で あ り な が ら. 理 観 と も な る こと を 示 す こと で︑ こ の ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 が 修 す る 行 者 の機 根 を え ら ば な い観 法 であ る と 説 示 し よ う と. し た こと が 推 察 さ れ る ︒ 元 照 にお け る 事 理 二観 は ︑ 利 根 ・鈍 根 の衆 生 が 共 に 西 方 浄 土 の事 相 を 観 ず る 中 で︑ 能 観 人. そ れ ぞ れ の分 際 に よ って異 な るも の で あ る ︒ そ し て︑ 結 果 的 に事 理 の観 の異 な り にか か わ ら ず ︑ 両 者 同 じ く 浄 土 へ. 往 生 でき る と す る も のな の であ る︒ 元 照 の こ のよ う な 解 釈 は ︑ 天台 ﹃観 経 疏 ﹄ に は 一切触 れ ず に ﹃十 疑 論 ﹄ の み に. 深 く 依 った 結 果 であ ろ う ︒ ﹃十 疑 論 ﹄ の説 示 に 依 る か ら こそ ︑ 浄 土 の 事 相 を 観 じ ても 縁 生 無 生 の理 法 に達 す る こ と. が 可 能 であ ると 示 し得 た の であ り ︑ そ のよ う に 西 方 浄 土 の事 相 を 観 ず る こと の正 当 性 を 示 し た か ら こそ ︑ そ の結 果. と し て機 根 に も事 理 二観 に も左 右 さ れ ず に み な 浄 土 へ往 生 でき る と い いえ た の であ る ︒. 三︑観 法 の問題 次 に 観 法 の 問 題 に つ い て み て い き た い︒ ﹁ 上櫨菴 書﹂ には︑. 一而 所 觀 境 隨 レ機 不 同. 大抵諸師章 記並 以 十 六妙觀 混 同止觀觀 法﹄故有 二 觀心觀佛 之諍︑約心觀佛 之漫 耳︒甞考 諸大乗觀法︑ 能觀 心雖. と ︑ 一応 ﹁諸 師 ﹂ と は し て いる が ︑ ﹃観 経 ﹄ の ﹁ 観 仏 ﹂ に つい て ﹁ 摂 心帰 仏 ﹂ と 解 釈 し た 広 智 尚 賢 と ︑ ﹁ 摂仏 帰心﹂. 六九. と 解 釈 した 浄 覚 仁 岳 の諍 い を ﹁観 心 観 仏 の諍 ﹂ と い い︑ そ の決 裁 に あ た った 知 礼 の観 法 を ﹁ 約 心観仏 の漫﹂である. と い い︑ ど ち ら の解 釈 も ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 を 止 観 と 混 同 し て いる と 批 判 し て い る︒ ま た ︑. 元照 の観 仏 思 想.

(6) 今 人説 十六觀 反令 觀 心︒乃是攝 想︒豈 名 送 想 耶︒ と いい︑. 七〇. 諸 師 反 以 十 六 觀 為 陰 境︒ 故 云二是 心 作 佛 是 心 是 佛 等 ︒ 且 彌 陀 願 力 積 劫 修 成 清 淨 境 界 ︒ 豈 得 反 同 凧 生 生 死. 一思 及︑ 不 レ覺 潸 然 ︒ 自 二諸 師 章 鈔 行 世 ︑ 學 教 者 多 不 生 淨 土︒ 郷 中 諸 老 講 員 ︑講 却 多. 陰 邪 ︒ 又 云 ︑ 攬 彼 依 正 歸 心 觀 之 ︒ 此 由 不 辮 兩 土 觀 法 各 異︒ 但 見 本 宗 多 贊 唯 心︑ 遂 一混 鐸 之 ︒ 鳴 呼 ︑ 誤 却 多 少人 邪︒毎. 少 彌 陀 觀 經︑ 臨 終 只在 人 家 託 生 ︒ 是 為 苦 事︒ 却 是 行 翁 行 婆 不 知 教 相︑ 直 信 而 生 者 多矣 ︒. と いう よ う に ︑ 諸 師 達 が ﹃観 経 ﹄ ﹁ 是 心作 佛 是 心 是 佛 ﹂ の 文 を も って極 楽 の依 正 を 自 己 の 陰 妄 心 に 帰 し ︑ これ を 所. 観 の境 と す る こ と は ︑ 娑 婆 と 極 楽 の観 法 が そ れ ぞ れ 異 な る こと を 知 ら ず ︑ 唯 心 を 讃 ず るあ ま り 混 同 し てし ま って い. る と 指 摘 し て い る ︒ ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 を 自 ら の陰 妄 心 を 観 ず る 観 心 と す るな ら ば ︑ 阿 弥 陀 仏 が 本 願 力 と 積 劫 の修 行 に. よ って つく り だ し た 清 浄 な 境 界 と 衆 生 の も つ迷 い の 生 死 の陰 と を 混 同 す る ︑ ま った く 誤 った 見 解 と な る と いう ︒ そ. し て︑ こ の見 解 は多 く 他 人 を 誤 ら せ る も ので あ り ︑ 元 照 に お い て は ﹁ そ の こ と に 思 いが 及 ぶ た び に思 わ ず 涙 す る ﹂ ほど 大 き な 問 題 で あ り ︑ 学 ぶ者 は 多 いが浄 土 に 往 生 で き な いと も 述 べ て い る︒. こ こ で の 元照 の批 判 は ﹁諸 師 ﹂ に 向 け ら れ て い る ︒ 一応 ︑ 実 名 は 出 さ な い で い る も の の︑ そ の内 容 か ら ︑ こ の. ﹁ 諸 師 ﹂ が 知 礼 や そ の門 人 を 指 す こ と は 間違 いな い で あ ろ う ︒ 知 礼 は ︑ 天 台 ﹃観 経 疏 ﹄ が ﹃観 経 ﹄ の経 宗 に つい て. ﹁ 此 經 心 觀 爲 宗 ︑ 實 相爲 體 ﹂︑ ﹁ 以 修 心 妙 觀︑ 能 感 淨 土︑ 爲 經 宗 也 ﹂ と し て い る こと を 受 け て︑ ﹃妙 宗 鈔 ﹄ に. 觀 者 總 擧 能 觀 ︑ 即 十 六觀 也 ︒ 無 量 壽 佛者 畢 所 觀 要 ︑ 攝 十 五境 也 ︒ 且 置 能 説 略 明 所 説 ︒ 能 觀 皆 是 一心 三 觀 ︑ 所 觀. お い て次 の よう に ﹃観 経 ﹄ の観 法 を 解 釈 す る ︒. 皆 是 三諦 一境 ︒. ﹃観 無 量 寿 仏 経 ﹄ の經 題 を 釈 し て︑ ﹁觀 ﹂ を 能 観 の十 六 観 と し ︑ ﹁ 無 量 壽 佛 ﹂ を 他 の十 五境 を 包 摂 す る 所観 の要 であ. る と し て い る ︒ こ の能 観 の 十 六 観 は 一心 三 観 であ り ︑ 所 観 の無 量 寿 仏 他 十 五境 は 三諦 一境 で あ ると し ︑ ま さ し く 天.

(7) 台 の止 観 で こ の ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 を 解 釈 し て いる ︒ ま た ︑ 同 じ く ﹃妙 宗 鈔 ﹄ に. 二此 經 下叙 二經 宗 體︒ 心 觀 者 ︑ 經 以 二觀 佛 而爲 題 目︑ 疏 今 乃 以 二心 觀 爲 宗 ︒ 此 二無 殊 ︒ 方 是 今 觀 ︒ 良 以 圓 解. 全 異 小乗︒ 小 昧 唯 心 佛 從 外 有 ︒ 是 故 ︑ 心 佛 其 體 不 同 ︒ 大 乗 行 人 ︑ 知 我 一心 具 諸 佛 性︒ 託 境 修 觀 佛 相. 乃彰 ︒今觀 彌陀依 正 云 爲 縁 薫 乎 心 性︒ 心 性 所 具 極 樂 依 正 由 薫發 生 ︒ 心 具 而 生 ︒ 豈 離 心 性 ︒ 全 心 是 佛 全. 佛︒是 心 ︒ 終 日觀 心 終 日觀 佛 ︒ 是 故 ︑ 經 目 與 疏 立 宗 語 雖 不 同 其 義 無 別 ︒ 又應 須 了︒ 若 觀 佛 者 必 須 照. 心 ︒ 若 專 觀 心 未 必 託 佛 ︒ 如一 行 三昧 直 觀 一念︒ 不 託 他 佛 而爲 所 縁︒ 若 彼 般 舟 及 此 觀 法 發 軫 即觀 二 安 養 依 正 ︒ 而 觀 依 正 不 離 心 性︒ 故 日 心觀 ︒ 須 知 此 觀 不 專 觀 心内 外 分 之 ︒ 此 當 外 觀︑ 以 由 託 彼 依. 正 觀 故 ︒ 是 以經 題 稱 爲 觀 佛︒ 若 論 難 易 今 須 從 易 ︒ 法 華 玄 云 ︑ 佛 法 太 高 衆 生 太 廣 初 心 爲 難 ︒ 心佛 衆 生 三. 無 差 別︒ 觀 心 則 易 ︒ 今 此 觀 法 非 但 觀 佛 乃據 心 觀 ︒ 就 下 顯 高 ︒ 雖 修 佛 觀 不 名 爲 難 ︒ 是 知 今 經 心觀 爲. 宗 ︑ 意 在 見 佛 ︒ 故 得 二説 義 匪 殊 途︒ と あ る よ う に︑ 阿 弥 陀 仏 の依 正 荘 厳 を 縁 と し て︑ 自 ら の ﹁心 性 本 具 の 理 ﹂ を薫 習 す れ ば ︑ ﹁心 性 所 具 の極 楽 ﹂ が 生. ず る の で あ り ︑ 仏 と い って も 心 性 を 離 れ る も の で はな い︒ そ れ 故 に ︑ 心 を 観 じ る こと は 仏 を 観 じ る こ と にな る の で. あ り ︑ ﹃観 経 ﹄ が そ の経 題 と す る ﹁ 観 仏 ﹂ と ︑ 天 台 ﹃観 経 疏 ﹄ が 経 宗 と す る ﹁心 観 ﹂ は 同 じ も の で あ る と 説 い て い. る ︒ た だ し ︑ 観 仏 と 観 心 は 同 じ で あ る と は いえ ︑ ﹃法 華 玄 義 ﹄ 所 説 の行 の難 易 に 順 じ ︑ 修 す る 側 の 利 便 性 か ら 観 心. を 易 修 と し ︑ こ の ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 を た だ 仏 を 観 ず る の では な く ︑ 心 に よ って観 ず る も の と 解 釈 す る の で あ る ︒. 元 照 の 批判 は ︑ こ の よ う な 知 礼 の ﹃観 経 ﹄ 十 六観 を 止 観 と 同 様 に 観 心 と 捉 え る 見 解 に向 け ら れ て い る ので あ る ︒ そ も そ も 元 照 は ﹃観 経 新 疏 ﹄ に お いて ︑. 宗 是 主 義 ︒ 一經 之 主 義 須 辮 示︒ 天 台 云︑ 此 經 以 二心 觀 爲 宗 ︒ 此 則 單 就 能 觀 爲 言 也 ︒ 觀 佛 依 正 得 非 心. 七一. 觀 乎︒遠 師善導 並云︑諸 經所 辨宗趣 各異︒此 經以 觀佛 三昧 爲 宗︒此 則通就 能所 而立也 ︒觀雖 十 六 依. 正不 同 而主在 觀 佛. 元 照 の観 仏 思想.

(8) 七二. と い って ︑ 天 台 ﹃観 経 疏 ﹄ の ﹁心 觀 爲 宗 ﹂ を た だ 能 観 に つ い て 語 った も の であ り ︑ ﹁心 観 ﹂ は 仏 の依 正 荘 厳 を 観 ず. る 能 観 の 心を 挙 げ た に過 ぎ な いと し て いる ︒ そ し て︑ 能 観 と 所 観 に 通 じ て ﹃観 経 ﹄ の経 宗 を 立 て た 慧 遠 と 善 導 に準. じ︑経宗を ﹁ 観 仏 三昧 ﹂ と す る の で あ る ︒ つま り ︑ 天 台 の法 門 を か つて学 ん だ 元照 で あ る が ︑ 天 台 ﹃観 経 疏 ﹄ の説. に し た が って単 純 に ﹃観 經 ﹄ 十 六観 を ﹁ 心 観 ﹂ と せ ず ︑ あ く ま でも 能 所 に 通 じ て経 宗 を 立 て る こ と に な る ﹁観 仏 ﹂. でな く て はな ら な いと し た の であ る ︒ ま た ︑ 元 照 は ﹃観 経 ﹄ の経 宗 を ﹁ 観 仏﹂と断定 した直後 に︑. 觀佛 三昧經 云︑佛告 阿難︑ 此觀 佛 三昧 是 一切衆 生犯罪者藥 ︑破戒 者護 ︑失道者導 ︑盲 冥者 眼︑ 愚癡者慧 ︑黒. 暗中 燈︑煩悩 賊中是勇 猛將諸 佛世尊 之所 遊戯︒ 首榜嚴等 諸大 三昧 始出 生處︒ 又云︑若能觀 佛 云毛孔 是 人名. 爲 行 念 佛定︒ 以 念佛 故十方 諸佛常在 其前 爲説 正法︒此 人即能出 生 三世諸如 來種︒何 況具足念 佛色身︒. 又云︑若 四部弟 子謗 方等 經 作 五逆罪︑犯 四重禁 偸 僧祇物訓汚 比丘尼 破 八戒齊︑ 作 諸悪事種種 邪見︒. 若能 至 心 一日 一夜 繋念在 前 觀 佛 一相好 者 諸惡罪障 皆盡滅等 ︒準知觀 佛功徳 難 思︒良由 攝 虚妄 心 冥 眞. 實 境︒ 假 彼 福 慧 濟 我 貧 窮︒ 籍 彼 慈 悲 抵 我 沈 溺︒ 是 卸 惡 之 前 陳 爲 入道 之 初 門︒. と ︑ ﹃観 仏 三昧 経 ﹄ 中 で観 仏 三昧 の功 徳 を 宣 説 す る箇 所 を 引 用 し ︑ 言 及 し て いる ︒ ﹃観 仏 三昧 経 ﹄ に は ︑ 観 仏 三 昧 を. 一切 衆 生中 の犯 罪 の者 ︑ 破 戒 の者 ︑ 失 道 の者 ︑ 盲 冥 の者 ︑ 愚 療 の者 等 ひ ろ く 利 益 を 施 す も の であ り ︑ 諸 々 の 大 三昧. の生 処 で あ る と し て いる ︒ そ の功 徳 は ︑ 仏 の 一毛 孔 を 観 ず る のみ でも 念 仏 定 を 行 ず る こと にな り ︑ そ の念 仏 に よ っ. て諸 仏 が 現 前 し て法 を 説 く ほ ど で あ り ︑ た と え 五 逆 罪 な ど の種 々 の悪 事 を 作 っても ︑ 一日 一夜 繋 念 し て仏 の 一相 好. を 観 ぜ ば 罪 障 は 滅 す る と さ れ る ︒ そ し て︑ 元 照 は ︑ 観 仏 三昧 の功 徳 は は か り 知 れ ず ︑虚 妄 な 自 心 を 真 実 の境 た る 仏. に 冥合 す る 観 仏 三昧 に よ って こ そ ︑ 仏 の福 慧 や 慈 悲 を か り て 生 死 の苦 に沈 溺 す る 自 身 を救 う こと が で き る と 説 く の. であ る ︒ これ ら の内 容 か ら 察 す る に ︑ 元照 は 罪 障 を 重 ね て し ま う 衆 生 に と って観 仏 こそ が 仏 の慈 悲 や 福 慧 を 直 接 受. け る こ と が でき る法 門 で あ る点 を 重 視 し︑ ﹁ 観 仏 ﹂ を ﹃観 経 ﹄ の經 宗 に 据 え た こと が 考 え ら れ る の であ る ︒. ﹁ 観 仏 ﹂ を 経 宗 と す る 元 照 は ︑ 次 に 示す 観 法 の分 類 に お い ても し っか り と ﹁ 心 観 ﹂ と 区 別 し て いる ︒ 釈 尊 一代 の.

(9) 甞考 諸大乗觀法 能觀 心雖. 観法 に ついて ﹁ 上擅菴書﹂ には. 一而所觀境隨 機 不同︒且説 二種︒一 以 心為 所 觀︒如 天台 止觀 賢首法界觀還源. 觀南 山淨 心觀 以至少林壁觀 等︒並指 現 前覺 心體 性 為 淨土︒如 淨名 心淨土淨 圓覺地獄 天宮 皆為淨土︒誌公六. 祖等皆 云︑即心是淨土 ︑不 須 求 西方 等︒此 指 理體 為 土︒唯 佛 一人居 之 ︒繩生雖 不 離 ︑而未心 能 顯︒. 圓覺楞 嚴占察等諸 大乗 經所詮觀 法︑皆 是此方破惑 入道無生 理觀 ︒ 二以 諸佛 菩薩修 成功徳 依正色像 為 所觀︒. 如 觀佛相海 經普賢 行法經觀 彌勒 上生經觀無 量壽佛經等︒ 題中標定 能所分 明︒此 又 三別 ︒ 一者 ︑觀 佛相海經即. 此 二者 不︒ 三者︑觀無 量壽佛 經十六種觀 ︑並 以送 ﹂出娑婆. 想 西方十萬 億刹之外彌. 觀 鐸迦︒普賢行法 經即觀 普賢︒ 皆不 離 此 界 而觀︒亦為破 障滅 罪助 成 理觀︒ 非 求 生也︒ 二者︑上生經 即 以 心想 天界彌勒内 院 求 生 彼天 陀依 正荘 嚴︑求 生 淨 土︒. と ︑ (1) 心 を も って 所 観 と す る も の (2) 諸 仏 菩 薩 の修 成 の功 徳 ・依 正 の色 像 を も って 所 観 と す る も の の 二種 に. 分 類 し て いる ︒ く わ え て (1 ) を 現前 の覚 心 の体 性 を 指 し て浄 土 と す る 観 と ︑ 理体 を 指 し て 土 と な す 観 に 二分 し ︑. (2) を(1 こ)の界 を 離 せず に 観 じ て破 障 滅 罪 し て 理 観 を 助 成 す る観 と ︑(2 心) を 以 て天 界 の弥 勒 の内 院 を 想 し て彼 天. 如 止觀還源觀法 界觀 淨心觀. を 求 生 す る観 ︑ そ し て︑(3 想)を 西 方 十 万 億 刹 の 外 ︑ 弥 陀 の荘 厳 に送 って浄 土 を 求 生 す る 観 に 三 分 し て いる︒ また ︑. 一代時教 所心明觀 法略爲 五例︒ 一總觀 諸法の︑如 二 經觀 一切法空等︒ 二別觀 自 心. ﹃観 経 新 疏 ﹄ に お い て は ︑. 等﹄ 三或但觀 色 ︑經 云觀 身 實相 觀 佛亦然 ︒及 不淨白骨等︒ 四兼 觀 色 心︑ 經 云照 見五蘊 空十 二入十八界. 即觀二 菩薩行願色相. 数息等 ︒五封 觀 勝境︑ 即如 諸經觀 佛 菩薩 等︒今此觀經 即當 第 五︒就 觀 勝 境 復有 五別︒ 一觀 佛 相海︑. 即觀 二 諸佛 三十 二相 也 ︒ 二觀 普賢 行法︑即觀六 牙白象菩薩身 相 也 ︒ 三観 藥 王藥 上. 也︒ 四觀 彌勒上 生︑即觀 兜 率 天宮 求 生 内院 也 ︒五即今經觀 彌陀依 正 求 生 淨土 也 ︒上 三滅 業破 障. 七三. 下 二析 願 求 生 ︒ 又 下 二 中 第 四是 娑 婆 天 界 第 五 即 極 樂 淨 方 ︒ 然 此 方 入 道 要 在 觀 心 ︒ 淨 土 往 生 義 須 想 佛 ︒. 元照 の観 仏 思想.

(10) 七四. と ︑ (1 ) 総 じ て諸 法 を 觀 ず (2 ) 別 し て自 心 を 觀 ず (3 ) 但 だ 色 を 觀 ず (4 ) 兼 ね て色 と 心 を 觀 ず (5) 勝 境 を. 対 觀 す る の 五例 に 分 類 し︑ さ ら に そ の (5 ) 勝 境 を 対 観 す る を ︑(1 仏) 相 海 を 観 ず(2 普)賢 の行 法 を観 ず(3 薬)王 薬 上 を. 観 ず(4 弥)勒 上 生 を 觀 ず(5 弥)陀 の依 正を 觀 ず に わ け る な ど ︑ と ても 細 か く 整 理 し て い る ︒ 今 これ を 図 示 す れ ば 次 のと お り であ る ︒. 図 1 ︑ 元 照 に よ る 観 法 分 類 の図.

(11) そ し て︑ こ の 図 の ﹁ 上 櫨 菴 書 ﹂ の (1) 心 を も っ て所 観 と す る も のと ︑ ﹃観 経 新 疏 ﹄ の (2) 別 し て自 心 を 観 ず る. も のを ﹁ 此 方 破 惑 入道 無 生 の理 觀 ﹂ と し ︑ 此 方 (娑 婆 世 界 ) で断 惑 証 理 し て悟 り を 得 る た め の観 心 と 位 置 づ け て い. る︒ そ れ に対 し て︑ ﹁上 櫨 菴 書 ﹂ の (2 ) 諸 仏 菩 薩 の 修 成 の功 徳 ・依 正 の色 像 を も って 所 観 と す る も の のな か の(3). 想 を 西 方 十 万億 刹 の外 ︑ 弥 陀 の荘 厳 に 送 って浄 土 を 求 生 す る と ︑ ﹃観 経 新 疏 ﹄ の (5) 勝 境 を 対 観 す るな か の(5 弥). 陀 の 依 正 を 観 ず と いう のが ﹃観 経 ﹄ の観 法 であ り ︑ 仏 を 想 し て浄 土 往 生 を 求 め る 観 と 位 置 づ け て いる ︒ 先 ほど の批. 拘 方 所︑此 經則定須 西向︒ 四觀 心則不 簡 餘 時︑此經則. 經 云 一心繋 念諦觀 彼佛 天台︒ 二觀 一疏 云落 日懸 鞍用標 送想之方. 判 に あ った 止 観 は こ のう ち の ﹁ 此 方 破 惑 入 道 無 生 の理 観 ﹂ で あ り ︑ 浄 土 往 生 のた め の 観 法 と は ま った く 異 な る 観 門 であ る こと を こ こ に強 調 し て い る ︒ そ し てさ ら に ︑. 義 通︒ 一餘儀 三觀 心則不. 今 擧 此 方 觀 心 一種 對 二校 今 經 一 略 爲 二六 別 ︒ 一觀 心 則 攝 想 歸 心 ︑ 今 經 則 送 心 他 境. 心不 局 四儀︑ 此經則要須 正坐. ハ異 ( 則 知 ︑ 淨 土 觀 門 廻 然 天 別 ︒. 觀佛 經云除便 轄時 ︒ 五 觀 心 則 斷 惑 證 理 ︑ 此 經 則 成 業 感 生 ︒ 六 觀 心 則 魔 業 發 現 ︑ 此 經 則 聖 徳 護 持 ︒ 須 除 便 食 一地 觀 云唯除食 時等. 略明. 七五. と ︑娑 婆 で行 う 観 心 と 往 生 浄 土 の た め の ﹃観 経 ﹄ の ﹁ 行 相 ﹂ と の相 違 を 六 つ挙 げ て いる ︒ 図 示 す れ ば 次 のと お り で. 元 照 の観 仏 思想.

(12) あ る ︒. 七六. (一) から (四) ま で は 観 法 の行 相 の相 違 で あ り ︑ (五 ) は 観 法 の 目 的 の相 違 で あ り ︑ (六 ) は観 法 に お け る 仏 の護. 念 の有 無 であ る ︒ 一見 す る と ︑ 観 心 の方 が 制 約 も 少 な く 良 いよ う に 感 じ る が ︑ (五 ) のよ う に 目 的 が 往 生 にあ り ︑. ( 六 ) の よ う に 観 法 を 修 す に あ た って仏 の護 念 を 直 接 得 ら れ る 点 が 重 要 な 相 違 点 で あ り ︑ 同 時 に 大 き な 利 益 と し て. いる の で あ ろ う ︒ 例 え ば ︑ ( 六 ) の よ う に観 の最 中 で 魔 業 が 現 じ て し ま え ば ︑ 観 そ の も の の意 味 が な く な って し ま. う ︒ し か し ︑ 諸 仏 の護 念 が あ れ ば 魔 を 近 づ け ず ︑ 観 が 成 じや す い の であ る ︒ 十 六 観 を ﹁観 心 ﹂ と す る 知 礼 の ﹃妙 宗. 鈔 ﹄ に は行 者 に 諸 仏 の護 念 が あ る 等 の言 葉 は み ら れ な い︒ そ れ に 対 し て ︑ 元 照 は 釈 尊 が 仏 の他 力 を た のむ 往 生浄 土. の教 え を 説 い て お り ︑ そ の 往 生 浄 土 の教 え を 行 ず る 念 仏 の人 が みな 仏 の護 念 を 受 け ら れ る こと を 明 か し︑ そ の他 に. も 種 々 の仏 力 の利 益 が あ る こと を 述 べ て い る ︒ 以 上 の こ と を 勘 案 す れ ば ︑ 元 照 が ﹁観 心 ﹂ に対 す る ﹁ 観 仏 ﹂ の利 益 の 一つと し て︑ こ のよ う な 仏 の護 念 等 を あ げ て いる こと が 予 想 さ れ る の であ る ︒. 以 上 ︑ 観 法 の問 題 に つい てみ てき た が ︑ 元 照 は 知 礼 が ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 を 止 観 と 混 同 し て ﹁ 観 心﹂ と す る こ と に 対.

(13) 観←. 陰 妄 の 一念 心 を 所 観 の境 と し て 三諦 円 融 の 理 を悟 る. し て 極 め て 強 い 反論 を 試 み てお り ︑ ﹁ 観 心﹂と ﹁ 観 仏 ﹂ の異 な り に つ い て事 細 か に説 明 を 加 え る の であ る ︒ な か で も 何 度 も 繰 り 返 し 説 明 さ れ る のは ︑ ) (此 1 方 入道 の た め の ﹁ 観 心 ﹂= 止. 2 ) (往 生 浄 土 の た め の ﹁ 観 仏 ﹂= 十 六観 ← 阿 弥 陀 仏 と 極 楽 の荘 厳 を 観 じ て往 生 を 得 る と︑﹁ 観 心 ﹂ と ﹁観 仏 ﹂ で は観 法 の目 的 が 異 な る と いう こと で あ る ︒ 元 照 か ら す れ ば ︑ 知 礼 が 混 同 し て いる 止 観 は. ﹁ 此 方 破 惑 入道 無 生 の 理観 ﹂ であ 旗 ︑ 娑 婆 世 界 で断 惑 証 理 し て悟 り を 得 る た め の ﹁観 心 ﹂ であ る ︒ し か し ︑ ﹃観 経 ﹄. の観 法 は ﹁ 往 生 浄 土 の観 ﹂ で あ り ︑ 自 ら の心想 を 西 方 十 万億 土 先 に あ る 阿 弥 陀 仏 の依 正 荘 厳 に 送 って︑ 浄 土 に 往 生. す る こ と を 求 め る ﹁観 仏 ﹂ であ る と 分 類 す る の であ る ︒ そ し て︑ こ の ﹁ 観 心 ﹂ と ﹁観 仏 ﹂ を 比較 す れ ば 行 相 ・目. 的 ・諸 仏 護 念 の 有 無 に相 違 が あ る と 指 摘 し ︑ 知 礼 の いう 止 観 では 得 ら れ な い諸 仏 護 念 の利 益 を そ の相 違 の最 後 に挙. げ て ︑ 浄 土 の観 門 と 観 心 と は ︑ は る か に 異 な る も の であ る こと を 主 張 す る の であ る ︒. 四︑ 元照 の観 仏 思想 に ついて. 元 照 は︑ 詳 細 な ﹁ 観 心﹂と ﹁ 観 仏 ﹂ の異 な り を 論 じ た 後 に ︑ さ ら に こ の観 法 に 関 す る 問 答 を 設 け て いる ︒ こ こ で. 則盡. は ︑ そ の観 法 に 関 す る 種 々 の問 答 を 考 察 す る こと で ︑ 元 照 の観 仏 思 想 に お け る 特 色 を み て いき た い︒ 四問 答 あ るう ち のは じ め に は ︑. ︒. 問 ︑ 今 十 六 観 可 名觀 心 否 ︒ 答 ︑ 若 乃達 境 唯 心 則 彼 彌 陀 身 土 敦 非 心 乎 ︒ 但 恐 反 求 本 陰 局 認點靈︑ 属 他經︒ 非 今 正觀矣. と あ り ︑ 十 六 観 を 心觀 と 名 づ け る べ き か 否 かと い う 問 いに 対 し て ︑ も し唯 心 に 達 す る ︑ つま り 阿弥 陀 仏 も自 己 の自. 七七. 性 であ って 他 仏 では な いと 了知 す れ ば ︑ 阿弥 陀 仏 の身 土 も 心 と い え る であ ろう ︒ た だ ︑ 観 心 と 名 づ け れ ば お そ ら く. 元照 の観 仏 思想.

(14) 七八. 自 己 の 現 前 の 五陰 心 に求 め て し ま う 他 経 の観 法 と な って し ま い ︑ ﹃観 経 ﹄ の正 観 で は な く な る と し て い る ︒ 元照 は. 唯 心 に達 し た 者 に お い ては 対 境 と な る 仏 を 心 と 受 け 取 れ る であ ろ う が ︑ お そら く は多 く の 人 が た だ 自 己 の五 陰 心 を. 観 ず る 別 経 の観 法 と な ってし ま う こと を 指 摘 し て い る ︒ こ の よ う に 元 照 は 教 理 に お い て ﹁ 唯 心浄土﹂ ﹁ 自 性弥陀 ﹂. を認め ︑心と仏は同体 であると しながらも︑ あくま で ﹁ 観 仏 ﹂ でな く ては な ら な いと いう ので あ る ︒ こ の 一見 矛盾 と も と れ る 問 題 に関 連 す る 問 答 が あ る ︒ それ は 次 のと お り であ る︒. 群 機︒ 但 有 虚 言 何 由 造 入 ︒. 有 人云︑心若清淨 即是自性 西方何必求 生 他方淨土︒今 謂︑非 無 此 理︒斯 乃教中法性 理土而非 今経所 明淨. 土 也 ︒ 然 具 縛 凡 夫 未 登 忍 地︒ 假 令 頓 悟 自 心孰 能 恒 守 清淨︒ 法雖 高 妙 不攝. 心 が 清 浄 で あ れ ば そ のま ま 自 性 が 西 方 浄 土 で あ る のだ か ら ︑ ど う し て 他 方 の浄 土 を 求 め る 必 要 が あ ろ う か と いう 問. い に対 し ︑ そ の 理解 は 一応 間 違 い では な い が ︑ 今 いう 浄 土 は 法 性 理土 の こと であ り ︑ こ の ﹃観 経 ﹄ に 説 く 浄 土 と は. 別 のも の であ る と 答 え て い る︒ 加 え て︑ 具 縛 の凡 夫 は い ま だ 無 生 法 忍 を 得 て お ら ず ︑ た と え頓 速 に 自 心 を 悟 った と. し ても ︑ そ の清 浄 な 状 態 を 誰 が よ く 守 って いら れ よ う か︒ ど ん な に教 え が 高 妙 な も の であ っても 機 根 に合 わ な け れ. ば ︑ 多 く の人 々を す く い取 る こ と な ど でき な い虚 言 であ る と し て い る ︒ こ のな か で 元 照 は ︑ 一時 的 に唯 心 を 悟 る こ. と も あ る か も 知 れ な いが ︑ 無 生 法 忍 を 得 て い な い者 に それ を 維 持 す る こと は難 し く ︑ 高 妙 な 教 え であ って も 機 根 が. つい て いか な け れ ば 大 勢 の人 を す く い取 る に は いた ら な いと ︑ 自 性 西 方 説 に対 す る 見 解 を 述 べ て い る︒ つま り ︑ 心. と 仏 と が 同 一であ る と 達 観 す る のは ︑ 無 生 法 忍 を 得 て 以 後 の菩 薩 であ れ ば 可能 で あ る が ︑ 具 縛 の凡 夫 に は 到 底 難 し. いも の で あ る こと を 指 摘 し て いる の であ る︒ 元 照 は 知 礼 の観 法 を ﹁ 約 心 観 仏 の漫 ﹂ と し て いる が ︑ 元照 に と って往. 生 浄 土 の観 を 観 念 的 理 解 か ら ﹁観 心 ﹂ に 属さ せ る こと は慢 心 のな せ る こと と 映 った の であ ろ う ︒ と も か く ︑ 元 照 は. 無 生 法 忍 を ま だ 得 て いな い者 に ︑ 唯 心 を 悟 ってそ れ を 維持 す る こ と は 難 し いた め ︑ み な ﹁ 観 仏 ﹂ に よ って 往 生 浄 土 を 求 め る べき であ る と し て いた の で はな か ろ う か ︒ 続 く第 二問 答 で は ︑. 問 ︑ 或 謂 佛 法 太 高 衆 生 法 太 廣 唯觀 心 爲 要 ︒ 今經觀 佛 量 不 相 違︒ 答 ︑ 観 法 被 機 各 有 所 主 ︒ 若 此 方 入 道斷 惑.

(15) 證 眞則觀 心至要︒若往 生浄土 修 因感 報則觀 佛最優︒ 彼明 斷證 正取 觀 心 不 通 觀 ︒觀 佛 三昧 皆 被 未 來 義 非 徒 設︒. 故有 此 語︒非 謂下生佛 二法永. と あ る ︒ 観 ず る こと が 難 し い仏 法 や 衆 生 法 では な く 一番身 近 な 心 法 を 観 ず る こと を 勧 め て い る ﹃法 華 玄 義 ﹄ の説 に. ﹃観 経 ﹄ の観 仏 は 相 違 し な い か と いう 問 い に対 し て ︑ 観 法 は 修 す る 人 に 利 益 を 被 る も の であ り ︑ そ れ ぞれ の観 法 に. 各 々 の 目的 が あ る ︒ 此 方 で断 惑 し て悟 り を 得 るた め に は 観 心 を 肝 要 と す べき であ る し ︑ 往 生浄 土 のた め に は観 仏 こ. そ が 最 優 な の であ る と 答 え て い る ︒ ﹃法 華 玄 義 ﹄ の言 葉 は 前 者 を 目的 と した も の であ り ︑ 決 し て仏 法 や 衆 生 法 を 観. じ る こと が で き な いと いう 意 味 で はな い︒ ま た ︑ 観 仏 三 昧 は 未 来 の衆 生 に 益 を 被 る も の で ︑ そ の意 義 は い い加 減 な. も の で は な いと し て いる ︒ こ こ で 元 照 は ﹁観 仏 ﹂ と ﹁観 心 ﹂ と いう 観 法 の目 的 を 明 確 化 す る こ と で︑ ﹃法 華 玄 義 ﹄. の行 の難 易 説 を会 通 し ︑ や は り ︑ 知 礼 の説 を 斥 け て いる の であ る︒ そ し て︑ 第 三問 答 で は ︑. 問 ︑ 心 佛 無 差 上 乗 了義 ︒ 今 明 觀 法 一 何 必 強 分 ︒答 ︑ 理本雖 融 行 相 宜 別 ︒ 將 使 造 修 有 下託 必 須 境 智 相應︒ 古. 徳 有 言 ︑ 觀 佛 有 二︒ 一者 自 心 三 昧 所 見 佛 ︒ 二者 西 方 從 因感 果 佛 ︒ 諸 經 觀 心 即 觀 自 心 所 見 佛 一 也 ︒今十六觀正. 今經 觀 佛 斯爲 明據︒. 觀 西 方 感 果 佛 也 ︒據 此兩 分 求 無 疑 濫 ︒ 故 天 台 十 疑 論 云 ︑ 凡 求 生 者 希 心起 想 縁 阿 彌 陀 佛 相 好 光 明︒ 又 觀 彼土七寳荘 嚴 備如 無 量壽十六觀 等. と ︑ 心 と仏 と は 差 別 な し と す る 教 え は 大 乗 了義 の教 え であ る のに ︑ 観 心 と 観 仏 を 強 い て 分 別 す る の は な ぜ な のか と. いう 問 いに 対 し ︑ 本 来 ︑ 理体 と し ては 心 と 仏 は 融 通 す る も の で あ る と は いえ ︑ 行 相 と し ては 分 別 す べき であ る ︒ 修. し て仏 に 心 を 託 す な ら ば ︑ 所 観 の 境 と 能 観 の智 が 必 ず 相 応 す る と 答 え て いる ︒ 加 え て ︑ 湛 然 の ﹃止 観 輔 行 伝 弘 決 ﹄. に ﹁ 仏 を 観 ず る に 二種 あ って︑ 一つは 自 心 三 昧 所 見 の仏 ︑ 二 つは 西 方 従 因感 果 の仏 であ る ﹂ と いう 説 示 を 用 い︑ 自. 心 所 見 の 仏 を 観 ず る のが 観 心 であ り ︑ 西方 感 果 の仏 を 観 ず る のが ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 であ る と ︑ 二種 の観 法 所 観 の仏 に. つい て も 明 確 に 分 け る の であ る ︒ 元 照 は こ こに 自 心 所 見 の 仏 と は 別 に 西方 の阿 弥 陀 仏 を 認 め る の であ る ︒ ﹃十 疑 論 ﹄. 七 九. 第 十 疑 に ﹁﹃無 量 寿 経 ﹄ や ﹃観 経 ﹄ の よ う に ︑ 心 想 を も って 阿 弥 陀 仏 の相 好 ・光 明 を 縁 じ ︑ 極 楽 の 七宝 荘 厳 を 観 ぜ. 元 照 の 観 仏 思 想.

(16) 八〇. よ﹂ と あ る こ と を も って ︑ そ の西 方 浄 土 の阿 弥 陀 仏 の相 好 や 光 明 ︑ 及 び 国土 の荘 厳 を観 ず る こ と が ﹃觀 經 ﹄ 十 六 観 であ り ︑ ﹁観 仏 ﹂ であ る と 断 定 し て いる ︒ 続 く第 四 問 答 で は ︑. 側 聞 於 妙 法︒ 故 華 嚴 云 ︑色 相 不 是 佛 音 聲. 四辮 八 音 若 三清 響發 於 幽 谷 一︒ 然 有 下披 潭 捉 月 入 谷 尋 古聲 ︒ 不 了 性 空 故 不 見. 問日︑經 云︑若以 色 見 我以 音聲 求 我 是人行 邪道 不 能 見 如來︒今 觀 佛境 豊 非 色 見聲求 耶︒答 曰︑ 三 十 二相 猶 咬 月 落 於 百 川. 佛 ︒ 達 士 不 爾 ︒ 了 色 非 色 何 妨 端 想 於 聖 容︒ 達 聲 非 聲豈礙 亦 復 然 ︒ 亦 不 離 色 聲 見 佛 神 通 力覿茲 妙論 寧復疑乎. と 述 べ︑ ﹃観 經 ﹄ の観 仏 が 西 方 阿 弥 陀 仏 の依 正 を 観 ず る も の であ れ ば ︑ ﹃金 剛般 若 経 ﹄ に色 相 や 音 声 を も って仏 を 求. め る こと は 邪道 であ り︑ 仏 を 見 る こと が でき な いと いわ れ て いる こと に 反 し て いな いか と いう 問 いを 出 し て いる ︒. これ に 対 し 元 照 は ︑ 仏 の 三 十 二相 や 説 法 の音 声 の あ り か た は ︑ あ た か も 白 く輝 く 月 が 百 川 に 姿 を 映 し ︑ 清 ら かな 声. を暗 く し ず か な 谷 に響 か せ る よ う な も の であ ると 説 明 す る ︒ 物 の道 理 を 知 ら ず ︑ 水 面 の 月 を 捉 え ︑ 谷 に 声 を 尋ね る. 者 のよ う に ︑ 一切 諸 法 の本 性 が 空 で あ る と 理 解 しな いか ら 仏 を 見 な い の であ り ︑ 仏 の色 相 と 音 声 に つ い ても 正 し く. 性 空 であ る こと を 理 解 す れ ば ︑ ﹃華 厳 經 ﹄ に ﹁ 色 相 も 音 声 も 仏 で は な いが ︑ 色 相 と 音 声 を 離 れ る こと な く 仏 の神 通. ﹃観 經 ﹄ の觀 法 が 色 相 を 観 ず る と は い っても ︑ 決 し て邪 道 で はな い こと を 示 し て い る の で あ る ︒. 力 を 見 る ﹂ と あ る よ う に ︑ 見 聞 でき る と す る の で あ る ︒ つま り ︑ 先 ほ ど 論 じ た 理 観 の内 容 を 取 り 上 げ る こ と で ︑. 以 上 ︑ 觀 法 に 関 す る種 々 の問 答 を 考 察 す る こと で ︑ 元 照 の ﹃觀 經 ﹄ にお け る 観 仏 思 想 を み てき た ︒ こ れ ら の問 答. は 当 時 当 然 周 囲 か ら 受 け る であ ろ う 批 判 を 想 定 し て いる 内 容 であ り ︑ 心 と 仏 が 本 来 無 差 別 であ る の にあ え て仏 を 観. じ る こ と に 対 す る 疑 義 や ︑ ﹃法 華 玄 義 ﹄ の所 説 と の会 通 ︑ 仏 の色 相 を 觀 ず る こ と の 正当 性 を 論 ず る こと は ︑ 元照 が. 考 え る ﹃観 經 ﹄ 所 説 の 十 六 観 を 説 くた め に 越 え な く ては な ら な い問 題 であ った こと が 推 察 さ れ る の で あ る ︒ そ し て. そ の越 え よ う と した 内 容 こそ が ︑ 元 照 の觀 仏 思 想 の特 殊 性 を 表 す も のと い え る の で はな か ろ う か ︒ いま ︑ これ ら の. 内 容 を 勘 案 す る に ︑ 元照 に お け る ﹁ 觀 仏 一と は ︑ ﹃観 径 ﹂ や ﹃十 疑 論 ﹄ の説 示 に し た が って︑ 往 生 浄 土 の た め に 西.

(17) 方感 果 の 阿弥 陀 仏 と そ の浄 土 の色 相 を 観 じ る こ と であ る ︒ た と え ︑ 心 と仏 が 本 来 無 差 別 な も の であ る と い っても ︑. 行 相 と し て は 必 ず 分 け る べ き であ り ︑ ま し てや 無 生 法 忍 を 得 て いな い具 縛 の 凡 夫 であ れ ば ︑ 色 相 を 観 じ る 観 仏 に. よ って往 生 浄 土 を 求 め な く て は な ら な か った の で あ る ︒ ま た ︑ 天 台 の教 観 を 学 び ︑ 周 囲 に も 天 台 僧 が 多 か った 元 照. が ︑ 師 匠 筋 にあ た る 知 礼 説 を 否 定 し ︑ ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 を ﹁ 観 心﹂ ではなく ﹁ 観 仏﹂ であると強 く主張しな ければな ら な か った 理 由 の 一端 も ︑ こ こ にう かが え る ので あ る︒. 五︑ おわ り に. 本 論 文 では ︑ 天台 諸 師 に お け る 弥 陀 浄 土 の観 法 に 対 す る 元照 の批 判 内 容 を 取 り 上 げ て整 理 し ︑諸 師 の見 解 と の相. 違 よ り 元 照 の観 仏 思 想 を 考 察 し て き た ︒ ﹃観 経 ﹄ の観 法 に 関 す る 元 照 の 天 台 諸 師 批判 の内 容 を 整 理 す れ ば ︑ 所 観 に. よ る 事 理 二観 の判 定 と ︑ 十 六 観 を 止 観 と 混 同 し て観 心 と し た こと に あ る ︒ 元 照 に お け る 事 理 二観 は ︑ ﹃観 経 ﹄ 十 六. 観 を 修 す る 能 観 の 心 の利 鈍 に よ って異 な る も の であ り ︑ ど ち ら も 所 観 の境 を 西 方 浄 土 の依 正荘 厳 と す る の であ る ︒. 往 生 浄 土 のた め に は ︑ 利 根 ・鈍 根 の差 別 に か か わ ら ず ﹁ 観 仏 ﹂ す べき であ り ︑ そ れ は 阿弥 陀 仏 を 自 己 の自 性 と 了 知. する ﹁ 唯 心 の境 ﹂ に達 し ても 観 ず る べ き であ る と し て いる ︒ そ し て︑ 事 理 二 観 のど ち ら で あ っても 往 生 でき る と 説. く の で あ る ︒ 元照 は ﹃観 経 ﹄ の観 法 を 知 礼 のよ う に 上 根 を 対 象 と し た 理 観 に 限 定 す る の で も な く ︑ 択 瑛 の よ う に 下. 根 にあ わ せ て す べ て事 観 と 規 定 せ ず ︑ ﹃十 疑 論 ﹄ 所 説 の理 の概 念 や 道 宣 の事 理 二懺 説 を も って︑ 能 観 の側 の機 根 に. 応 じ て 事 想 であ りな が ら 理 観 と も な る こと を 示す こと で︑ こ の ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 が 機 根 を え ら ば な い観 法 であ る と 説. い て いる ︒ さ ら に ︑ 知 礼 のよ う に ﹃観 経 ﹄ 十 六 観 を 止 観 と 混 同 し て観 の対 境 を 心 と す る こと に つい て は ︑ 強 く 否 定. し︑ 十六観 は ﹁ 観 仏 ﹂ に他 な ら な い こと を 主 張 す る ︒ 元照 は ﹃観 経 ﹄ の経 宗 を ﹁ 観仏﹂ とし︑止観等 ﹁ 観 心﹂は釈. 八 一. 尊 が 此 方 入道 のた め に 説 いた 観 法 であ り ︑ ﹃観 経 ﹄ は こ の ﹁観 仏 ﹂ に よ って浄 土 に往 生 す る た め の観 法 であ る と し. 元 照 の観 仏 思 想.

(18) 八二. い っても ︑ 無 生 法 忍 を 得 た 菩 薩 で な い具 縛 の 凡 夫 であ れ ば ︑ や は り行 相 と し て は ﹁ 観 心﹂ ではなく ﹁ 観 仏 ﹂ を と り︑. て いる ︒ ま た ︑ こ の ﹁観 仏 ﹂ は他 力 を た の む教 え であ り ︑ 諸 経 にあ る と お り ︑ 本 来 心 と 仏 が無 差 別 な も の であ る と. これ に よ って往 生 浄 土 を 求 め る べ き であ る と 説 い て い る︒ そ し て︑ こ の時 観 ず る対 境 は ︑ た だ 往 生 浄 土 のた め 西 方 感 果 の 阿弥 陀 仏 と そ の浄 土 の色 相 を 観 じ な けれ ば な ら な いと す る の であ る ︒. こ の よう な 元 照 に お け る 観 仏 説 は ︑ た だ いた ず ら に 天 台 諸 師 を 批 判 す る た め のも の では な く ︑ あ く ま で も 群 機 が. 救 わ れ る べ き 法 を 求 め ︑ 機 根 の差 異 な く 成 仏 可能 な 法 門 を 探 そ う と した 元 照 自 身 の信 念 か ら で き た も の と考 え ら れ. る ︒ だ か ら こそ ︑ 釈 尊 が 生 死 に沈 溺 す る 衆 生 のた め に特 別 に 開 いた 往 生浄 土 の法 門 た る ﹃観 経 ﹄ の観 法 を ︑ 修 行 中. に 魔 業 が 発 現 しう る よ う な ﹁ 観 心 ﹂ では な く ︑ だ れ も がさ ま ざ ま な 仏 の他 力 ・功 徳 を 受 け る こ と が でき る ﹁観 仏 ﹂ でな く て は な ら な いと し た と 推 察 さ れ る の で あ る ︒. た だ し ︑ 元 照 は事 理 二観 に つ い て自 説 を 展 開 し て機 根 の 高 下 に か かわ ら ず 往 生 でき る 教 え で あ る こと を 示 し な が. ら ︑ 一方 で ﹁ 細 詳 此 説 深 會徑 宗 ︒ 但 未 悉 此徑 通收 中 下耳 ﹂ と ︑ 自 説 は ﹃観 経 ﹄ の経 宗 に 深 く かな う が ︑ それ で も こ. の経 は ︑ いま だ 中 下 の機 根 の者 を 収 め 尽 くす こと は でき な いと も 述 べ て いる ︒ た と え ﹁観 心 ﹂ で は な く ﹁ 観仏 ﹂ の. こと を 問 題 と し て い る の で あ る ︒ これ に 類 す る 言 及 は 他 に み ら れ な い︒ そ のた め これ 以 上 の考 察 は で き な い が ︑. 行 であ り ︑ 西 方 浄 土 の事 相 を 観 ず る ﹃観 経 ﹄ の ﹁ 妙 観 ﹂ で あ っても ︑ いま だ す べ て の機 根 を 収 め 尽 く す 行 で は な い. ﹃観 経 新 疏 ﹄ の 下 々品 解 釈 な ど を 見 る 限 り ︑ こう した 行 相 に つい て の 課 題 は ﹃阿弥 陀 経 義 疏 ﹄ に お い て宣 説 さ れ る. ﹁ 持 名 ﹂ の行 へ持 ち 越 さ れ て いる よ う に 見 受 け ら れ る の で あ る ︒ 元照 に お け る こう した 行 相 の 問 題 は ︑ それ を修 す. る 衆 生 の捉 え 方 や ︑ 加 被 ・護 念 す る 仏 身 の捉 え 方 な ど と も 重 ね 合 わ せ て考 え な け れ ば な ら な い も の であ ろ う ︒ こ れ ら の問 題 に つい て は 今 後 の課 題 と し た い︒. ( 大 正大学綜合佛 教研究所研究 生).

(19) ( 1) 元照 の観 仏 思 想 ︑な ら び に 天台 批 判 に つい ての先 行 研究 に は︑ 望 月 信亨 氏 ﹁ 元照 の 二土 教 観併 に称 名多 善 根 説﹂ ( ﹃中国 浄 土教 理. 七五 )︑佐 藤 成 順 氏 ﹁元照 の ﹃ 観 無 量寿 仏 経義 疏 ﹄ に つい て﹂ (﹃ 宋 代 仏教 の研 究‑ 元照 の浄 土教‑ ﹄ 第九 章 ︑ 山喜 房 ︑ 二〇 〇 一). 史 ﹄ 第 二十 八章 ︑ 法 蔵 館 ︑ 一九 四 二)︑福 島 光哉 氏 ﹁ 元 照 の 天台 浄 土教 批判 ﹂ ( ﹃宋 代 天 台 浄土 教 の研 究﹄ 第 七 章 ︑ 文栄 堂 ︑ 一九. ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 六 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八〇 下‑ 二 八 一上 )︒. 等 が あ る︒ (2 ) 元 照. 云 云︒ 次説 即 桐 江修證 儀 ︒ 彼 文問 曰︑般 舟 観 佛與 今 何殊 ︒ 答 彼是 先觀 事境 後 修 理觀 此經 直觀 事境 而 取往 生 等 ︒ 後説 即 孤山 刊 正 記︒. ( 3 ) 戒度 ﹃正 観 記 ﹄ に は︑ ﹁ 初 説 即 四 明妙 宗 砂 ︒彼 云 ︑ 以法 界 心 観法 界 境 ︑ 生 於法 界依 正色 心 ︒ 故 十 六境豈 不一一 皆 是 圓妙 三諦 三観. 彼亦 問 曰 ︑佛 身觀 云是 法 界 身 入 心想 中豈 非 理觀 耶︒答 此 一雖理餘 皆 是 事︒ 從 多 以 判 倶事觀 也 ( ﹃ 浄 全 ﹄ 五 ・四四 七上‑ 下)﹂ とあ. る︒ こ の三 者 の著 作 のう ち ︑ 択瑛 ﹃修 証義 ﹄ と 智 円 ﹃刊 正 記 ﹄ は散佚 し てお り ︑ ﹃ 妙 宗鈔 ﹄ のみ 現存 し ︑内 容 を 確 認す る こと が でき る ︒. ﹃正蔵 ﹄ 三 七 ・一= 七中 ) で︑. (4)知 円 が 所 観 の対 境 の事 理 によ って行 者 の観 ず る 心意 を事 理に 分 け て いる こと に対 し て︑ 知 礼 は ﹃ 妙 宗鈔 ﹄ (﹃ 浄 全﹄ 五 ・二八 九 上︑. 今 依 大 師用 三妙 観 観 十 六 境 ︑量 是 行 人自 用 観意 ︒ 磨 知 ︑ 四 種 三昧 無 不 於 事観 三諦 理 ︒ ︽中 略︾ 今 経 観 法量 可異 於 四 三昧 邪 ︒ 故 知 ︑ 十六 正 是 從 行歴 事 観 理也 ︒應 知 十 六皆 用 三觀 爲 想 相 之法 ︒. いる︒ 知 礼 と し ては ︑ 十 六観 を た だ単 純 に ﹁ 理観 ﹂ と 位 置 づけ た わけ では な いと し て いる こと が うか が え る︒. と︑ 十 六 観 は行 者 に お け る事 観 ︑ 理観 と い った 心意 を 用 いず ︑ た だ 一心 三観 に よ って事を 歴 て三諦 円 融 の 理を 観 ず るも のと し て. (5) ﹃ 観 経 新 疏﹄ 南 宋 版 ・明暦 版 ・寛 文版 ・天 和版 のす べ てが智 円 説 の理観 を ﹁ 第 九観 ﹂ と し て いる が ︑﹃正 観 記﹄ に 引 用さ れ て いる. ﹃ 刊 正記 ﹄ の内 容 か ら 考 えれ ば ︑智 円 が ﹁ 第 八観 ﹂ の ことを ﹁ 仏身 観 ﹂ と し ︑ こ の第 八観 を 理 観 と し て いた こと は 明ら か であ る ︒ (6 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 六 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 一上 )︒. 然 念 佛 三昧 並 無 漏 善 根所 起 ︑ 有漏 凡 夫随 分 得 見佛 身 鹿相 也 ︒ 菩薩 見微 細 相 ︒浮 土 亦 爾 ︒錐 是 無 漏善 根 所起 ︑ 有 漏凡 夫 獲無 上. (7) こ の機 根 の 分際 によ って観 ず る内 容が 異 な る こと は︑ ﹃十 疑論 ﹄ に. 菩 提 心 求 生浮 土 ︑ 常念 佛 故 伏 滅煩 悩 ︑ 得生 浮 土︒隨 分 得 見鹿 相 ︒菩 薩 見 微 妙相 ︒ 此 何 所疑 ︒. とあ るな か ︑有 漏 の凡 夫 は そ の分 際 に した が って仏身 の粗 相 を見 ︑ 菩薩 は微 細 の相 を 見 る と説 かれ る こと に依 った のであ ろう ︒. 八三. ( 8) 福 田尭 頴 氏 ﹃天 台学 概 論 ﹄ ( 誠 光 社 ︑ 一九 五 四)︑ 安藤 俊 雄 氏 ﹃天台 学‑ 根 本 思 想 と そ の展 開‑ ﹄ ( 平楽 寺 書 店 ︑ 一九 六 八)︑林 鳴. 元照 の観 仏 思想.

(20) 八四. 宇 氏 ﹃宋 代 天台 教 学 の研 究‑ ﹃金光 明 経 ﹄ の研 究 史 を中 心 と し て‑ ﹄ ( 山喜 房 ︑ 二〇〇 三)等 の事 理 二観 に関 す る 言 及を 参 照 ︒. あ るた め ︑ こ こ では 先学 の研 究 を参 考 と し た簡 潔 な 言 及に と ど めた い︒福 田尭 頴 氏前 掲 書 二二 三‑ 二 二七︑ 安 藤俊 雄 氏 前 掲 書 三. (9) この事 理 二観 の内 容 に つい ては ︑ 山家 山 外 の論 争 に 関わ る 煩瑣 な 議 論 とな りか ね ず︑ 加 え て本 論 文 の趣 旨 と 離 れ て しま う 恐 れ も. 二三‑ 三 二八︑ 林 鳴 宇 氏前 掲 書 三 七 五‑ 三 九六 等 を参 照 ︒. (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 六 上 ‑ 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 ○ 下 )︒. (10 ) ﹃観 經 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 六 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 ○ 下 )︒ (11 ) 同 右. 今懺 悔 之法 ︒ 大略 有 二︒ 初 則 理懺 ︒ 二則 事懺 ︒ 此 之 二懺 通道 含 俗 ︒若 論 律懺 唯 局 道 衆 ︒由 犯 託受 生汚 本 須淨 ︒ 還 依 初 受 次第. (12 ) 道宣 ﹃四分律刪 繁 補闕 行 事鈔 ﹄ に は. 治 之 ︒篇 聚 立 儀悔 法 準 此 ︒ 並如 後 列 ︒若據 通懺 ︒ 理事 二別︒ 理懺 智 利 觀 彼 罪性 ︒ 由 妄覆 心便 結妄 業 ︒ 還 須 識妄 本 性 無 生︒ 念. 止得 嚴淨 道 場 ︒ 稱歎虔 仰 ︒或 因禮拜 ︒或 假誦 持 旋繞 ︒竭 誠 心縁 勝境 ︒ 則 業有 輕 重 ︒ 定 不定 別 ︒或 有轉 報 ︒或 有 輕 受 ︒並 如 佛. 念 分 心業隨 迷 遣 ︒若 論 事懺屬 彼 愚 鈍 ︒由 未 見 理︒ 我 倒 常行 妄 業 ︒翳 心隨 境 纒附 ︒ 動 必起 行 ︒ 行 纒 三有 ︒ 爲 説眞 觀 心 昏智 迷 ︒. 思 ︒ 分 除 分 滅 ︒ 如 人 醒覺 則 不 眠醉 ︒ (﹃正 蔵 ﹄ 四 〇 ・九 六 上 ‑ 中 ). 名 方 等諸 經 所 明 ︒ 言 理懺 者 ︒既 在智 人︒ 則 多方 便隨 所施 ︒ 爲 恒 觀無 性 ︒ 以無 性 故 ︒妄 我無 託 ︒事 非 我 生 ︒ 罪福 無 主 ︒ 分 見分. とあ り︑ 事懺 は愚 鈍な 者 ︑ 理懺 は智 人 を 対象 と し て いる ︒ (13 ) 知 礼 ﹃妙 宗 紗 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・二 四 〇 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・ 一九 五 上 )︒. る も の で︑ 本 来 上根 人 の往 生 のみ 承認 し よ うと し た こと が︑ ﹁四明 付 門 人矩 法 師 書 ﹂ ( ﹃四明 教 行 録﹄︑ ﹃正蔵 ﹄ 四 六 ・九 〇 五中 ). (14) 福島 氏 前 掲書 七 五 に よ ると ︑ 知 礼 ﹃ 観 経 融心 解 ﹄第 九 問 答 に 下根 人 の浄 業 に関 す る言 及 があ る も ︑ それ は 弟 子 の崇 矩 の進 言 によ. に 記録 さ れ て いる よ う であ る ︒. ﹁上 櫨菴 書 ﹂ に も. (15 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 二 二五 七 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 一上 )︒ (16 ) 元 照. ﹃卍 続 蔵 ﹄ 五 九 ・六 四 六 上 )︒. 當 知 ︑ 能 觀 心 ︑ 所觀 境 ︑ 修 成淨 業 ︑ 蓮 胎淨 報 ︑ 皆 是 因 縁 生 法 ︒ 縁 生無 生︑ 即 空 假 中 ︒ 何妨 理觀 ︒ (﹃ 芝苑遺編﹄下巻所収︑. と あ り︑ 観法 に関 わ るす べ てが縁 生 無 生 であ り ︑ 三諦 円 融す るも のであ る と 説 い て いる ︒. (17) ﹃浄土 十 疑 論﹄ は 佐藤 哲英 氏 ﹃天 台大 師 の研 究 ﹄ (一九 六 一年 三月 ) 六 四 三頁 に指 摘 さ れ る通 り ︑智類 の名 を かり た 偽 撰 であ る が.

(21) 天台 教 学的 な 要 素 が 見ら れな いも の であ り ︑ 内容 的 には道 緯 ﹃安楽 集 ﹄ に依 る と ころが 多 い書 物 であ る︒ 初 出 は唐 代 に活 躍 した. 飛錫 の ﹃ 念 仏 三昧宝 王論 ﹄ であ り ︑ そ の中 に す で に ﹁ 天 台十 疑 論 (﹃ 大 正蔵 ﹄ 四七 ・ 一四 一 a)﹂ と あ る こと か ら︑ ﹃ 浄土 十 疑 論 ﹄. は作 成 後 の かな り 早 い段 階 で 天台智 頻 の書 物 とさ れ て いた こと が わ かる ︒ こ こで は ︑当 時 ︑ 天台 智 頻 の著 作 とさ れ た ﹃十疑 論 ﹄ を根 拠 と す る こと で︑ 天 台系 の浄 土教 者 達 に 自説 の正 当 性を 示 す意 味 も あ った のであ ろう ︒ (18) ﹁ 上櫨 菴 書 ﹂ ( ﹃卍 続蔵 ﹄ 五 九 ・六 四五 下)︒ (1) 9宗 暁 ﹃四明教 行 録 ﹄巻 六 の浄覚 の伝 に ︑. 六 ・九 一六 中 ). 師 後 與 廣智 ︒辨 觀 心觀 佛 ︒ 求 決 於 四 明 ︒ 四 明 以約 心觀 佛 ︒據 乎 心性 ︒ 觀 彼 依 正 ︒雙 牧 二家 ︒ 師 聞 之 且 不 悦也 ︒ ( ﹃正蔵 ﹄ 四. と あ り︑ また 懐 則 ﹃ 浄 土 境 観 要門 ﹄ に ︑. 今 當 先引 菖 説 評 之而 後 正出 其 意 ︒ 淨覺 法 即 謂 ︑攝 佛 歸 心然 後 用觀 名 爲 觀佛 ︒ 今 謂 送想 西 方境 在 東 土 境觀 既 差 ︒何 由 生彼 亦 濫. 直 觀 於 心也 ︒ 廣智 法 師 謂 ︑攝 心 歸 佛名 爲 觀 佛 ︒此 乃直觀 於 佛 ︒祖 師 何 名 心觀 爲 宗 耶︒ 若據 二師 所 見 必須 先 了萬 法 唯 心︒ 方 可. 云也 ︒ 不是 攝 佛 歸心 也 ︒ 不是 攝 心 歸 佛︒ 乃是 約 心觀 佛 ︒何 者 彌 陀 淨土 既是 我 心 本 具︒ 是 故 託彼 果 佛 三 十 二相 ︒熏 我 自 心本 具. 觀 心 先 了萬 法 唯佛 ︒ 方 可觀 佛 ︒ 此 同常 坐 等 直觀 三道 ︒ 是爲 直 觀 心直 觀 佛也 ︒ 二師 執諍 不 已遂 求 決 於 四 明祖 師 ︒祖 師雙 牧 二家. 法身 性體 ︒ 觀 智 若成 自 然 發 現︒ 故 妙 宗 云︒ 託 彼依 正蕪 乎 心性 ︒ 心 性易 發 即此 義 也 ︒. (21 ) 同 右. (20 ) 同 右. (﹃浄 全 ﹄ 五 ・二 〇 四 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・ 一八 八 中 )︒. ﹃観 経 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・二 〇 〇 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・ 一八 六 下 )︒. (﹃卍 続 蔵 ﹄ 五 九 ・六 四 六 上 )︒. (﹃卍 続 蔵 ﹄ 五 九 ・六 四 六 上 )︒. ﹁観 心 と 心 観 ﹂ (﹃天 台 学 報 ﹄ 一二 ︑ 一九 七 〇 ) に. 八五. ﹁ 観 心は 能 観 の照 用 に 約. と あ ると お り︑ 広 智尚 賢 ・浄覚 仁 岳 の 二師 が ﹃ 観 経 ﹄ の観 法 に つい ての解 釈 をめ ぐ って諍 いと な り︑ そ の決 裁 を 両者 の師 であ る. (22 ) 天 台. 四明知 礼 が 行 った ことが 伝 え られ て いる ︒. (23 ) 同 右. ﹁心 観 ﹂ と 二 つ の 表 現 が あ る が ︑ 平 了 照 氏. ﹃観 経 疏 妙 宗 鈔 講 義 ﹄ ( 東 叡 山 蔵 版 ︑ 嘉 永 三 年 ) 巻 上 ︑ 十 ﹂丁 を 参 照 ︒. (﹃浄 全 ﹄ 五 ・二 四 五 下 ‑ 二 四 六 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・ 一九 七 下 )︒. (24 ) ﹃妙 宗 鈔 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・二 四 〇 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・ 云九 五 上 )︒ (25 ) 同 右. (26 ) 慧 澄 痴 空 (2) 7 ﹁観 心 ﹂ と. 元照 の観仏思想.

(22) 八六. し て論 じ ︑ 心観 は 所用 の観法 に約 し て論 ぜ ら れた も の﹂ であ る と 述 べら れ る と おり ︑ 表 現は 相 違 す るが 不 異 であ り ︑ 実質 的 に は 両者 と も に 一心 三觀 を 指 す も の であ る︒. (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 五 下‑ 三 五 六 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八〇 中 )︒. (28 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 五 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八〇 中 )︒ (29 ) 同 右 (30 ) ﹁上 櫨菴 書 ﹂ (﹃卍 続 蔵 ﹄ 五 九 ・六 四 五 下 ‑ 六 四 六 上 )︒. (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 八 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 一中 ‑ 下 )︒. (31 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 七 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 一中 )︒ (32 ) 同 右. 但 以衆 生無 明癡 暗熏 習 因縁 妄 現境 界 ︒ 令 生念 著 計 我 我所 ︒ 没 溺生 死 不 自知覺 ︒ 我佛 如 來 先覺 此 心憫 諸 未悟 ︒ 慈悲 方 便 演 説 諸. (33 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ に は ︑. 經 ︒華 嚴 頓 示鹿 園 漸誘 ︑歸 源 無 二方 便 多 門︒ 經 云 ︑ 小智 樂 小法 不自 信 作佛 ︒ 又 云︑雖 説 種 種道 其 實 爲 佛乘 ︒ 或 於此 土 破 惑證. 眞 ︑ 則 運自 力故 談 大 小 諸經 ︒ 或往 他 方 聞 法悟 道 ︑ 須憑 他 力 故 説往 生淨 土 ︒ ( ﹃浄 全﹄ 五 ・三 五 三上 ︑ ﹃正蔵 ﹄ 三 七 ・二七 九中 ). とあ り ︑衆 生 は無 明痴 暗 に よ って真如 を 重 習 し て迷 い の世界 を 現 し︑ 我 に執 着 し て生 死 の苦 海 に 没溺 し な がら そ れ に気 が つ いて. いな いと いう 衆 生 の認 識 の もと に ︑釈 尊 が ︑ 大乗 小 乗 の諸 経 に お い て娑 婆 世界 で の断惑證 理 を 説 いた のが自 力 の教 え であ り ︑往. 生浄 土 を 説 い て他方 世 界 に往 生 し てから 悟 り を得 る こと を説 いた のが 他 力を た のむ教 え であ る と し て いる ︒ こ のよ う に ﹁ 自 力﹂. と ﹁ 他 力 ﹂を 説 く こと は ︑曇鸞 ﹃往 生論 註 ﹄ が散佚 し て いるた め ︑交 流 のあ った櫨菴 有 厳 が ﹁ 浄 土 修 因 惑 対﹂ ( ﹃浄 全﹄ 六 ・ 一〇. 四 六下 ︑ ﹃正蔵 ﹄ 四 七 ・二〇 六上 ) に引 用 し て いる ﹃安 楽集 ﹄︑ も しく は 元照 自 身 よ く引 用 す る ﹃十疑 論 ﹄第 五疑 の影響 と 考 え ら. ﹁解 魔 説 ﹂ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 六 三 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 三 下 ) と いう 段 落 に お い て ︑ 楊 傑. れ る︒ た だ し ︑ 元照 の諸著 作 に ﹃安楽 集 ﹄ の直 接 引 用 は見 ら れ な いこと か ら ︑ ﹃十疑 論 ﹄ の説 示 に依 った と み て間 違 いな いであ ろ う ︒. (34 ) 仏 の 護 念 に つ い て は ︑ ﹃観 経 新 疏 ﹄ 中 の. よ って魔 事 がな いと し て いる︒ ま た ︑心 と 境 が相 応 せ ず とも 正 し い境 界 が 現前 す る念 仏 に 対 し て︑ 余 観 は 心と 境 が相 応 し な いと. や 択 瑛 ︑慶 文 な ど の説 を 用 い て詳 細 に論 じ られ て いる ︒ そ こ で元照 は ︑念 仏 や 浄 業 を修 す 者 は仏 の功 徳 や威 神 力 と い った 他力 に. が現 じ る と考 え て いると ころ は注 目す べき 点 であ る︒ 拙稿 ﹁ 霊 芝 元照 に おけ る臨 終 来迎 思 想 に つい て﹂ ( ﹃ 印 仏 研﹄ 五五‑ 一︑ 二. 魔 に陥 ってしま う こと を 指摘 す る な ど︑ 自 力余 観 の修 習 は魔 に陥 りや す く ︑他 力 念仏 の修 習 は行 者 の心 の如 何 を 問わ ず 仏 の境 界. 〇〇 七 ).

(23) (35) ﹁ 入道 ﹂ は 一般 的 に仏 門 に 入 ると いう 意味 で用 いられ る が ︑ こ こで は ﹁ 此 方 破 惑 入道 ﹂ と あ るよ う に ︑ こ の娑 婆 世界 で惑 業 を破. 二四 下参 照 ︒. ﹁點 霊 ﹂ は. し て 入道 す るた め ︑ ﹁ 入道 ﹂ の原 意 であ る ﹁ 無 漏 の聖道 に證 入 す る こと ﹂ と いう 意 味 で用 いられ て いる︒ ﹃望 月仏 教 大辞 典 ﹄ 四 一. ﹁達 彼 彌 陀 即 我 自 性 非 他 佛 ﹂ の こ と で あ り ︑ ﹁本 陰 ﹂ と. (36 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 八 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 一下 )︒. ﹁ 現前 赤 肉 團 心﹂ を 指 すも のと解 釈 さ れ て いる︒. (37 ) ﹃正 観 記 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・四 五 二 上 ) に よ る と ︑ ﹁達 境 唯 心 ﹂ は. (38 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 六 四 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 四 中 )︒. (39) 元 照 ﹁ 浄 業 禮懺 儀 序 ﹂ ( ﹃ 楽 邦 文類 ﹄ 所 収︑ ﹃浄 全﹄ 六 ・九 六七 下 ︑ ﹃正蔵 ﹄ 四七 ・ 一七 〇上 ‑ 中) に は ︑ 元照 の浄 土 門 帰 入 に関 す. る エピ ソー ド が綴 ら れ ている ︒ それ は ︑慧 布 法師 の伝 記 の ﹁ 方 土 浄 しと雖 も 吾 が所 願 に非 ず ︒も し 十 二劫 を し て蓮 華 中 に楽 し み. を 受 け しむ る とも ︑ 何 ぞ 三途 極苦 の処 に衆 生 を救 う に し か んや ﹂ と いう 言 葉 に感 動 し ︑浄 土 教を 軽 ん じ て いた が︑ 大 病 の後 に 自. 分 の無 力を 反 省 し︑ ま た ﹃ 十 疑論 ﹄ の ﹁ 初 心 の菩 薩 いま だ無 生 忍 を得 ず ︒ 要 ず常 に仏 を離 れ ざ る べし ︒ ﹃ 智 度 論 ﹄を 引 いて 云く ︑. 具 縛 の 凡夫 ︑ 大悲 心あ って願 じ て悪 世 に 生じ ︑苦 の衆 生 を救 う こと ︑ こ の こと わ りあ る こと な し︒譬 えば ︑ 嬰 児 の母 を離 るる こ. と を 得ざ るが ご と し︒ 又 弱 羽た だ枝 を 伝う べき がご と し ﹂ とあ る のを読 ん でよ り︑ 専 ら浄 土 門 に帰 入 し たと あ る ︒ こ の エピ ソー. ド を 踏 ま え るな ら ば ︑ 元照 が ﹃十疑 論 ﹄ 第 一疑 に準 じ ︑ ﹁ 無 生法 忍 ﹂ を 得 て いな いう ち は みな 往 生浄 土 を 求 め る べき であ ると 考 え て いたと 推 察さ れ る ︒. (﹃浄 全 ﹄ 六 ・五 七 八 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 四 七 ・八 一中 )︒. ﹃止 観 輔 行 伝 弘 決 ﹄ (﹃正 蔵 ﹄ 四 六 ・ 一八 七 中 )︒. (40 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 八 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 一下 )︒ (41 ) 湛 然. (42 ) ﹃十 疑 論 ﹄ 第 十 疑 の 取 意 文. (43 ) ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 八 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 一下‑ 二 八 二 上 )︒. ら せ る ことを 目 的 と し て いる こと を説 い てお り︑ 往 生浄 土 も 衆 生 の成 仏 を 目的 と す ると 捉 え て いる︒. ( 44) 元 照 は ﹃ 観 経 新 疏 ﹄や ﹃阿 弥陀 経義 疏 ﹄ 等 の著 書 に お い て︑ 釈尊 の教 え は 断惑 証 理 の教 え も往 生浄 土 の教 えも 最 終的 に自 心 を悟. 而 況我 佛 大 慈 開 示淨 土 ︑慇懃 觀囑 遍 諸 大 乗︒ 目 見 耳聞 特 生 疑謗 ︑ 自 甘沈 弱 不慕 超昇 ︒ 如來 説爲 可憐愍 者 ︒良 由 不知 此 法 特 異. (45 ) ﹃観 經 新 疏 ﹄ に は ︑. 八七. 常 途 ︑ 不澤 賢 愚 ︑ 不 簡緇 素 ︑ 不論 修 行 久 近 ︑ 不問 造 罪 重 輕 ︑但 令 決 定 信 心 即是 往 生 因 種︒ ( ﹃浄 全 ﹄ 五 ・三六 六 下︑ ﹃正 蔵 ﹄. 元 照 の観 仏 思 想.

(24) 三 七 ・二 八 五 中 ). 八八. とあ り ︑ 元照 は 往 生浄 土 の教 え が︑ 生 死 に沈 溺 す る者 のた め に釈 尊 が 大慈 悲 の心 より 特 別 に開 か れ た も の であ り ︑ こ の教 え の み︑. (﹃浄 全 ﹄ 五 ・三 五 六 下 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・二 八 一上 )︒. 機 根 の賢 愚や 出 家在 家 ︑ 修 行 の長短 ︑ 造 罪 の軽 重 に かか わ りな く ︑ 決定 の信 心を 往 生 の因と す る も のであ ると 説 いて いる ︒ (46 ) 同 右. 示す 行 法 を ﹁三福 妙観 ﹂ と 捉 え て いる ︒. ( 47 ) 元 照 ﹃ 阿 弥 陀経 義 疏 ﹄ ( ﹃正蔵 ﹄ 三 七 ・三五 七 上) には ﹁ 就淨 業 中 復 有多 種 ︒諸經 所 示行 法 各 殊 ︒ 觀 經 三福 妙 觀 ﹂ と ︑ ﹃ 観経﹄ の. ( 48 ) 元照 は ﹃観経 ﹄ 下 々 品 の. 如 此 愚 人臨 命 終 時遇 善 知 識 種種 安 慰爲 説 妙 法教 令 念 佛 ︒此 人 苦 逼 不遑 念 佛︒ 善 友 告 日︑ 汝 若 不能 念 彼 佛 者 應稱 無 量 壽佛 ︒ 如 是 至 心令 聲 不 絶 具 足十 念 稱南 無 阿 彌陀 佛 ︒ 稱 佛名 故 於 念念 中 除 八 十億 劫 生 死之 罪 ︒. 説 妙 法者 讃淨 土 也︒ 令 念 佛者 作 觀 想也 ︒ 二病 苦 不能 ︒ 遑 暇也 ︒ 三教 修 十念 ︒ 心 觀 爲念 ︑ 口誦 爲 稱︒ 十 念 謂 十聲 也 ︒ 四滅 罪數 ︒. と い う 文 に つ い て ︑ ﹃観 経 新 疏 ﹄ (﹃浄 全 ﹄ 五 ・四 二 四 下‑ 四 二 五 上 ︑ ﹃正 蔵 ﹄ 三 七 ・三 〇 四 中 ) に ︑. 念 念 即約 佛 聲 ︒. と︑ 臨 終 を迎 え よ う とす る 愚 人 が はじ め に善 知 識 から 勧 め られ る念仏 を ﹁ 観想 ﹂ と し ︑次 に苦 し く て念 仏 できな い愚 人 に勧 め た. 十念 を ﹁ 十 声﹂ と 解 釈 し て いる ︒ こ の こと から 元照 が ︑ ﹃ 観 経 新 疏 ﹄執 筆 時 す でに ﹃ 観 経 ﹄ の経 宗 とす る ﹁ 妙 観 ﹂ が 下根 の者 に 通 じな い場合 が あ る こ とを 認 識 し て いた こと が 考 えら れ る ︒.

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