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真宗研究26号 008村地哲明「善導の浄土教の展開について」

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議 日 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て 七 回

善導の浄土教の展開について

﹂ ﹂

哲三

大 谷

患明

t

t土 し カミ き 五部九巻の著書が現存していることは周知の通りである。しかもこの五部の著 ① 書の前後については、鎌倉時代の浄土宗の然阿良忠は、 中 国 浄 土 教 の 大 成 者 で あ る 善 導 に 、 可 観 経 疏 L は先出で、他の四部の著書は後であるといってい る。そしてかかる学説が、永い期間に亘って是認せられていたのである。がしかし近年になって、 ② ③ 達音師によって疑問視せられ、ついで藤原凌雪師の﹃念仏思想の研究﹄では、 かかる学説が今岡 ﹃観経疏﹄は教義的にも最も円熟して ﹃往生礼讃﹄は教義的には﹃観経疏 L の直前の著書であり、他の三部の著書の順序は不明と @ せられている。次に藤原幸章博士は﹁大谷学報﹂において、 い て 最 後 の 著 書 で あ り 、 守 観 念 法 門 ﹄ は 最 初 の 著 書 で あ る と 発 表 せ ら れ て い る 。 いま私は、未発表の﹃般舟讃﹄と﹃法事讃﹄との二部の順序は勿論、 五部の全部について、善導の浄土教の教義的 展開等を研究し、善導の著書の順序、及びその浄土教の教理史的展開について研究してみたいと思う。

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﹃観念法門﹄の万行往生是認の浄土教 ⑤ 善導は道宣の﹃続高僧伝﹄によると、道綜を尋ねてその浄土教に帰依した人である。したがって善導の浄土教は、 @ 玄忠寺の曇鰭・道紳の系統の浄土教である。しかし王古の﹃新修往生伝﹄の唐の往生の高僧善導伝には、道紳を E 日 陽 ち よ く に尋ねる以前に、﹁恵違法師の勝蹄を欣いて、遂に鹿山に往いて其の遺範を観て、いまし諮然として思を増す、それ よりのち名徳を歴訪して幽かに妙門を求む。功すくなくして理深きことは、いまだ般舟三味より出ずるものはあらず、 命を斯の道に畢えん﹂と記事されているように、鹿山の恵遠の﹃般舟三味経﹄による浄土教に魅力を感じたのである。 しかしいまだその鹿山の浄土教に満足すること能わず、前述の如く道稗からも授教されたのである。したがって最初 の著書である﹁観念法門﹄には、このように恵遠の浄土教と道稗の浄土教との、二種の浄土教が併説せられているこ @ とが、研究してみると明瞭に知り得る。そしてこのことを﹃観念法門﹄の実際についてみるに、始めの三味行相分で tま ﹃ 観 経 ﹄ と ﹃ 般 舟 三 味 経 ﹄ と に よ っ て 、 七日七夜の念仏三昧の修道法が詳細に説き示されている。また次の五縁 功徳分の第三見仏三味増上縁には、 ﹃ 観 経 ﹂ の 観 仏 義 と 、 ﹃般舟三味経﹄の付大誓願力と∞三味定力と同本功徳力と の、かかる三念願力が外部の方から観仏の衆生に加念することによって、見仏義が成就するという義が説示されてい る。しかもかかる阿弥陀仏の三念願力の加念ということが増上縁となって、見仏義が成就するということを、善導は 己下十回に亘って論述する、見仏三味増上縁の論証中において顕示することを、前持って断っている程、 ﹃ 般 舟 三 味 経﹄の見仏義を重要視せられているのである。 ﹃観念法門﹄のみに見られる特殊なる教学として、浄土六部経説を挙げることが出来る。 @ かる六部経説は五種増上縁義の始めに掲出されて、 善 導 の 著 書 中 、 し か も か ﹃ 大 ﹄ ・ ﹃ 観 ﹄ ・ ﹃ 小 ﹂ の 浄 土 三 部 経 に ﹃般舟三味経﹄と﹁十往生 善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て 七 五

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善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て 七 六 ⑨ 経 ﹄ と ﹃ 浄 土 三 味 経 ﹄ と の 三 部 を 加 え て 、 浄土六部経説を立説せられたものである。 そ し て 浄 土 三 部 経 以 外 で は 、 ﹃般舟三味経﹄を第四位に置いて重要視されていることは、前述せる如く恵遠の浄土教の強い影響によるものである るに、共に第二現生護念増上縁に依用されていて、 @ ﹃浄度三味経﹄は二十五善神が念仏の人を守護することを説く経説であって、これらは ことが察知せられる。また﹃十往生経﹄と﹁浄土三味経 L とを浄土六部経中に入れられているが、その引用状態をみ ⑪ ﹃十往生経﹄は中国において成立せる経典であって、二十五菩薩 の 影 護 説 を 採 用 さ れ て お り 、 共に現世の利益を強調する経典なのである。したがって﹁観念法門﹄の浄土六部経説は、要するに恵遠の浄土教に魅 力 を 感 じ て 、 ﹃般舟三昧経﹄等を重要視する初期の浄土教の立場であることを、示唆して余りあるものであろう。 善導の﹃観念法門﹄では六本願が採用されて、他の著書の本願論と相違する。それは﹃観念法門﹄の第四摂生増上 縁では、第十八願・第十九願・第二十願・第三十五願の四本願が、衆生の摂生増上縁の本願として引用され、また第 五証生増上縁では、第十一願・第十七願・第十八願の三願の成就文が引用されている。したがって都合六本願が、依 用されているのである。ところでこのように他の著書の本願論と相違する理由は、善導が出家以来諸処を巡歴して学 習せる教学を、すべて仏説として平等に肯定するという、万行往生の浄土教を﹃観念法門﹄に顕示されて、 い ま だ 念 仏と諸行との聞において優劣の義を立説する立場の浄土教ではなかった。したがって諸行の往生を誓える第十九願と 第二十願とを、摂生増上縁に引用されたのである。実にかかる本願論の依用の立場から研究してみても﹃観念法門﹄ が、念仏と万行との優劣を批判する﹃般舟讃﹄以前の著書であることは極めて明瞭である。

﹃般舟讃﹄と浄土三部経

善導は﹃観念法門﹄を著書せる後に、その浄土教がいかなる性格の浄土教であるかを、白から顧みて深く反省を加

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えられたに相違ない。そしてそこで気付かれたことは、鹿山の﹃般舟三昧経﹄を重要視する浄土教と、道緯の浄土三 部 経 を 中 心 と す る 浄 土 教 と の 、 かかる二種の教学的組織的構想を持って著書されていることについて、 ま ず 反 省 す ベ きことを痛感せられたに違いない。しかもかかる反省において、道紳の浄土教が勝れていることを確認せられて、著 書せられたものが今の﹃般舟讃﹄の浄土教なのである。したがって ﹃ 般 舟 讃 ﹄ で ト tま ﹃ 観 念 法 門 ﹄ に 説 か れ て い た 、 ﹃ 般 舟 三 味 経 ﹄ 等 の 説 示 も な く 、 また彼の現世的利益を強調する﹃十往生経﹄等の経説も見られなく、更に諸行往生 の浄土教と密接なる関係を有する方便の本願論の説示もなく、 ただ浄土三部経のみによる純粋なる浄土教を開顕せん と せ ら れ た の で あ る 。 ﹃ 般 舟 讃 ﹄ の 浄 土 教 を 研 究 し て み る に 、 とである。その第一は教判論であって、 まず注意せられることは、始めて真実と方便との批判が表明されているこ ⑪ 吋 般 舟 讃 ﹄ に は ﹃ 観 経 ﹄ ・ ﹃ 小 経 ﹄ 等 を 頓 教 ・ 菩 提 蔵 と し 、 ﹃ 理 務 経 ﹄ 中 の 説 を漸教とせられている。次は念仏と万行との批判であるが、これらの二行は倶に廻して浄土の願生を得るけれども、 ⑫ 一日七日の念仏に過ぎたるはない。ま その中で念仏の一行は最尊なのである。そして万行の廻生の雑善は力が弱く、 た弥陀の光明は十方の世界を照耀するが、余縁の人には照さず、唯念仏往生の人のみを照し覚むと讃偏せられている @ のがそれである。すなわち前著である﹃観念法門﹄には頓教と漸教との教判論もなく、念仏と諸行との明確なる優劣 論は見られなかったのである。それを今の﹃般舟讃﹄において明説せられていることは、善導の浄土教の教学的進展 で あ る と い わ ね ば な ら ぬ 。 善導は﹃般舟讃﹄を著書するについて、その浄土教の基本的立場をまず序説に表明して、浄土願生の正因は、身口 ⑬ 意の三業を清浄にすることであると表明せられている。しかもかかる観方が、後の﹃礼讃﹄や﹃観経疏﹄の至誠心釈 の教学の基礎ともなっているものである。また可般舟讃﹄では十数回に亘って本願論を説き示されているが、その内 善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て 七 七

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善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て 七 /¥ 容 を 分 類 し て み る に 、 ハ 円 、 衆 生 の 救 済 は 本 願 に よ る と い う 立 場 が 最 も 多 い 。 付 円 、 弥 陀 の 浄 土 は 本 願 の 所 成 で あ る 。 骨 、 衆生の見仏義も仏力の所成であると説示されているのである。 したがって﹃般舟讃﹄では、このような﹃大経﹄の本 願による見仏論が採用せられたことによって ﹁般舟三味経﹄の三念願力による見仏義は説かれなくなったのである。 なお﹃般舟讃﹂では﹁観経﹄の観方について、定善の一門十三観は章提の請により、散善の一行は釈迦の開説にして、 ⑬ 章提は貧願具足の凡夫とせられている。また善導自身は﹁七日・九・十日 L 聞の修道に、専念せられたのであった。 ﹃往生礼讃﹄の浄土教と三味発得について ⑮ ﹃般舟讃﹄を著書する頃には身命を顧みず専心に実践せられたのである。しかしいまだ 三味発得するに至らず、その三味発得は﹃往生礼讃﹄を著書する頃であって、﹃礼讃﹄の巻末には﹁此願此来大有−一現 善 導 は 般 舟 三 味 の 修 道 を 、 験こと説かれて、 その三味発得の体験を詳細に表明していられる。 実にこの三昧発得は善導にとっては重大なる出 来事であって、それは多年の修道の成果でもあったから、ここに心機一転があったと見えて、 ﹃ 礼 讃 ﹄ の 浄 土 教 は か かる三昧発得を基盤として展開されたものである。 まず﹃礼讃﹄で注意せなければならぬことは、布教伝道の宣言であって、 ジ ヘ テ 品 ゼ シ ム キ が テ ワ タ タ マ タ シ ヲ ヘ テ タ ス ル ユ ル ズ ル 品 ヲ 信教レ人信、難中転更難、大悲伝普化、真成レ報ニ仏思ごと表明していられる文であって、 こ れ は ﹃ 礼 讃 ﹄ の 第 二 倍 の 終 り に 、 自ラ かかる文は三味発得 の 自 信 と そ の 歓 喜 か ら 、 いかなる困難があっても、大いに布教伝道することを決意し宣言されたものである。次に撰 号であって、最初の﹃観念法門﹄では﹁比丘善導集記﹂とあり、次の﹃般舟讃﹄では﹁比丘僧善導撰﹂とあり、今の ﹁往生礼讃﹄では﹁沙門善導集記﹂とせられている。そしてこれ以後の﹃観経疏﹄や﹃法事讃﹄においても、それが そのまま継承せられているのである。すなわち撰号が、 ﹃礼讃﹄に至るまでは常に変更せられていたのであるが、以

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後 変 更 さ れ な か っ た こ と は 、 ﹃礼讃﹄以後は信仰的にも教学的にも安定したことを示唆しているものと推定せられる。 善導は三味発得の体験を基盤として、その教学を﹃礼讃﹄の前序において、安心・起行・作業の三義と、専雑得失 ⑮ の 義 と し て 、 こ れ を 教 学 的 組 織 的 に 表 明 し て い ら れ る 。 ま ず 安 心 は の 三 心 で あ っ て 、 ⑫ かかる義は三味発得の願文にも見出し得る。それから次の ﹃ 観 経 ﹄ 第一の至誠心は前の ﹃ 般 舟 讃 ﹄ に お け る 浄 土 願 生 の 正 因 説 を 継 承 さ れ て い て 、 深心釈の義も三味発得の願文に見出し得るものであり、 またかの善導的な作願門を中心とする五念門の起行の易行的 な義も、三味発得の願文に検出し得るものであり、 また作業の四修は三味発得に至る実践的経過を教学的組織的にま とめられたものと推定せられる。更に専雑得失の義も三味発得の願文に検出し得るものであるから、善導の﹃礼讃﹄ における浄土教教学は、三味発得の体験を基盤として、これを教学的組織的にまとめて表明せられたものと領解せら れ る 。 ﹁往生礼讃﹄における浄土教として、更に注意せなければならないことは、前序と後序とにおいて、第十八願の一 願該摂門の本願論を明示せられていることである。特に後序の本願論は、源空が親鷲へ付属せる寿像の銘文であって、 かかる意義においても、﹃礼讃﹄の本願論は日本浄土教に重大なる影響を与えているのである。第十八願加減文は ⑬ ⑬ ﹃観念法門﹄や﹃観経疏﹄にも見られるが、かかる第十八願加減文中において、衆生の往生に関して最も明瞭に説示 ⑬ 四十八願という語を使用するなど ﹃ 礼 讃 ﹄ の 加 減 文 な の で あ る 。 そ し て ﹃ 礼 讃 ﹄ 以 後 の 著 書 で は 、 さ れ て い る の は 、 して、その本願論を簡略にせられている。また﹁礼讃﹄の三昧発得の願文では、 ﹁ 若 し は 入 観 し 及 び 睡 眠 ぜ ん 時 ﹂ に とあって、睡眠して六時に勤行する易行なる修道法が表明されているが、これは﹃観念法門﹄以来の不眠不休にして 実践する困難なる三昧発得の行法から、易行なる三昧発得の実践法へと展開せられていることを表明するものである。 善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て 七 九

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善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て /\

四 ﹃観経疏﹄と善導浄土教の顕正 寸往生礼讃﹄において自信教人信の伝道の宣言をして、熱心に布教せられた結果、多数の共鳴者と多数の批判者と があったことが想定せられる。そしてかかる状況下において、善導はその批判者に対して、自己の浄土教が真実教で あることを、積極的に顕正せられたものが﹃観経疏﹄なのである。それは﹃般舟讃﹄に表明されたる﹃観経﹄観に基 盤して、浄影寺慧遠等の﹃観経﹄観の誤りを批判し、定善は十三観、散善は九日間にして、 かつ九品の人は皆凡夫であ り、弥陀の浄土は唯報非化であって、二乗種不生の大乗の浄土であることを力説せられたものである。しかも当時の 中国仏教界には、浄土教を方便教とする通論家の別時意説があって、 かかる学説に対しても、善導は始めて南無の六 字の解釈を表明して、積極的に浄土教の願行具足の念仏義を顕正せられている。 @ 善導の最初の著書である可観念法門﹄には、 ﹃ 観 経 ﹄ の 観 仏 三 味 と ﹃ 般 舟 三 味 経 ﹄ の 念 仏 三 昧 と の 、 かかる両三味 義を同一なる念仏義として取扱われている。しかし今の﹃観経疏玄義分﹄の宗旨門には、観仏三味と念仏三昧との両 義について区別する観方を展開せられている。すなわち﹁観経疏﹄の序題門には、 ﹃ 観 経 ﹄ は 要 門 と 弘 願 門 と の 一 一 門 を聞説する経典であることを顕示し、要門は同経の定散二門であり、弘願門は﹃大経﹄の善悪の凡夫人を得生する本 願義とせられている。しかもかかる義を第三の宗旨門には、要門の念仏義を﹁以ニ観仏三味一為レ宗﹂とせられ、 門 に つ い て は ﹁ 亦 以 ニ 念 仏 三 昧 一 為 レ 宗 ﹂ と 表 明 せ ら れ て い る 。 弘 願 実 に か か る 要 義 は 、 善導の﹃大経﹄と﹃観経﹄とに対 する観方と、念仏に対する観方とが深められて、両三味義を区別し、更に念仏義においても要門と弘願門との、 カ通 カミ る二門を立説する教学が展開せられたからである。 善導は前著に表明されたる教学を重説することは少ない。﹃観念法門﹄の修道法や、﹃往生礼讃﹄の起行の五念門・

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作業の四修・専雑得失の義などは重説されなかった。がしかし今の﹃観経疏﹄では、﹃般舟讃﹄の﹃観経﹄観と、﹃往 生礼讃﹄の三心説と、三味発得については詳細に顕示せられている。まず﹃観経﹄の三心の至誠心釈では、我等凡夫 は頭燃を払うが如くに修行するとも、それは雑毒の善・虚仮の行であって、真実心は阿弥陀仏の因位の時の修行の如 き真実心でなければならぬと顕示する。次に深心釈では機の深心と法の深心とを説き、前の﹃礼讃﹄では説かれなか った、第三から第七までの深心が説示されている。特にその第六深心と第七深心においては、通論家の学説に惑わさ ズ ル ノ ヲ れることなく、﹃観経﹄の仏説を深心することを繰り返し顕示されているが、これは﹃玄義分﹄四の﹁弁−一説人差別こ に、諸経の起説に五種ある中、第一の仏説を深心する義に呼応して、すなわち仏説を深心する就人立信説が展開され たのである。次の就行立信説には、初めて読詞・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五正行が顕示され、 しかもかかる五 正 行 以 外 を 雑 行 と し 、 また前三後一の四正行を助業とし、第四称名正行のみを正定業とする、称名中心の浄土教を展 開 せ ら れ た の で あ る 。 しかも善導は白からの浄土教が真実教であることを、三味発得中に諸仏の証明によってこれを 求められ、以て古今の諸師の誤りを棺定せられたのであった。

の三種往生義 ﹃法事讃﹂は或る法要のための著作であって、善導が白からの浄土教を組織的に表明せんとせられたものではない。 的 な も の は 少 な い 。 したがってその内容は、法要を勤修するについての、三宝の招請・行道・儲悔・転経等について論説せられて、教学 @ ﹃ 法 事 讃 ﹄ の 初 め に 、 ﹁三因五念畢命を期とし、正助四修則ち刺那も無闇ならしめん﹂と説き示 されているが、これは﹃礼讃﹄と﹃観経疏﹄の教学を継承せられているものであるから、この二著の後に製作せられ たものである。また﹃法事讃﹄の組織的形態を他の善導の著書と比較するに、本書は﹃般舟讃﹄と﹃礼讃﹄との組織 善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て /¥

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善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て /¥ かっそのうえにも工夫を加えられているから、これらの後に製作せられたものと推定される。また﹃法事 @ 讃 ﹄ の 終 り に 、 を 合 探 し 、 ﹁願わくは臨終に病い無く、正念堅強にして聖衆来迎し給え﹂と、論説せられていることは、晩年の 心 境 を 語 っ て い る よ う で あ る 。 守 法 事 讃 ﹄ を 披 閲 す る に 敬 語 が 非 常 に 多 く 、 カ ニ ﹁ 病 以 ﹂ が 二 回 、 イ J T S ν パ ﹁ 仰 惟 ﹂ が 二 回 、 ギ ハ グ パ ﹁ 仰 願 ﹂ が 二 回 、 テ ス ﹁ 敬 白 ﹂ が 回用いられ、しかも大衆が参詣し、多数の僧侶が勤行し行道する盛大なる法要であることが察知される。また巻末に ト N Y テ ジ テ ニ ナ ラ ン ﹁ 又 願 : : : 大 唐 皇 帝 : : : 聖 化 無 窮 。 又 願 皇 后 : : : 又 願 皇 太 子 : : : 福 命 唐 唐 類 一 一 槍 波 一 市 無 尽 。 ﹂ と 述 べ ら tま れて、唐の皇室の繁栄を願われであって、これは善導と唐の皇室との特殊なる関係を明示する資料である。また常盤 @ 大定博士によると、活陽龍門の鹿舎那大仏の銘に善導が検校僧とせられている。そこでこれらのことを総合的に研究 してみるに、善導は大仏竣工の上元二年︵六七五︶六十三歳の時、その供養会の導師として、その法要の勤行の次第を、 今の﹁法事讃﹄として著作されたものと推定せられる。 ﹃往生礼讃﹄において第十八願の一願該摂門の本願論が説示され、次の﹃観経疏散善義﹄の法の深心には、四十八 @ a ν テ 願による救済義が説示されている。ところで今の﹃法事讃﹄の本願論をみるに、前行道の倍領には、﹁弘誓多門四 @ 十八偏標ニ念仏一最為レ親﹂とあり、広請三宝には﹁弥陀は四十八願を以て五逆・十悪・語法闇提の罪を滅して得 生 せ し め る ︵ ﹃ 大 経 ﹄ 弘 願 ︶ 。 釈 迦 は 意 提 の 致 請 に よ っ て 定 散 両 門 を 説 い て 未 聞 の 人 を 益 す る ︵ ﹁ 観 経 ﹄ 要 門 ︶ 。 十 方 恒 沙 の 諸 仏 は そ の 往 生 を 証 誠 す ﹂ ︵ ﹃ 小 経 ﹄ ︶ と 説 示 さ れ て 、 浄 土 三 部 経 開 説 の 深 意 が 顕 示 せ ら れ て い る 。 す な わ ち 、 前 の 文 と 今の文とを対応して研究してみるに、弘誓多門の教法によって浄土三部経が開顕せられたのであって、それはみな仏 願中に誓われているものなのである。また善導は﹃観念法門﹄において、すでに、十八・十九・二十の三願を引用す る。したがってかかる三願の教法によって三経あり、そして三経に三機・三往生の義のあることをもその意中に確信

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し た う え で 、 @ ﹃ 法 事 讃 ﹄ の 略 請 三 宝 に は 、 ﹁ 難 思 議 往 生 楽 ・ 笠 樹 林 下 往 生 楽 ・ 難 思 往 生 楽 ﹂ の 、 種の往生義を八回に 亘って表明し、その浄土教を﹃観経疏﹄よりは進展せしめられている。そして親驚がこの﹃法事讃﹄の三種の往生義 を 説 く 教 学 を 、 ﹃教行信証﹄の教学の基本とせられたことは今更いうまでもない。 む び す るまでの浄土教は、常に勝れた浄土教へと展開し、 善導の五部の著書について、教理史的研究を試みた結果によると、最初の﹃観念法門﹂から最終の﹃法事讃﹄に至 しかも易行なる浄土教へと展開されていて、同一なる教学内容の 著書は見られなかった。特に五著書を通じて、そのことを明瞭に顕示するものは本願論であった。すなわち﹃観念法 ﹃礼讃﹄においては第十八願の一願該摂門の本願論が説かれ、 ﹃般舟讃﹄の衆生救済義と浄土荘厳の成就義と観仏成就の三義を有する本願論へと展開し、次に ﹃観経疏﹄においては第十八願と四十八願とについて 門 ﹄ の 六 本 願 か ら 、 は含蓄ある本願論が説示され、最終の﹃法事讃﹄では念仏と諸行は共に本願の仏意によることが顕示せられているの で あ る 。 ④ ③ ② ① 註 浄 土 宗 然 阿 良 忠 著 ﹃ 法 事 讃 私 記 ﹄ ﹃ 浄 全 ﹄ 四 ・ 一 二 一 一 一 頁 。 今 岡 達 音 師 論 文 ﹁ 導 師 の 観 経 疏 ﹄ ﹃ 浄 土 学 ﹄ 第 八 輯 。 藤 原 凌 雪 著 ﹃ 念 仏 思 想 の 研 究 ﹄ 二

O

五 頁 。 藤 原 幸 章 博 士 論 文 ﹃ 大 谷 学 報 ﹄ 第 三 十 八 巻 第 一 号 七

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七 = 貝 。 道 宣 ﹃ 続 高 僧 伝 ﹄ ハ ﹃ 浄 土 五 祖 伝 ﹄ 善 導 伝 ﹃ 真 聖 全 ﹄ 四 ・ ⑤ 善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て 四 八 九 頁 ﹀ 。 王 古 ﹃ 新 修 往 生 伝 ﹄ 善 導 伝 ﹃ 真 聖 全 ﹄ 四 ・ 四 九 二 頁 。 ﹃ 真 宗 教 学 研 究 ﹄ 第 二 号 、 拙 稿 ﹁ 主 盲 導 の 観 念 法 門 の 浄 土 教 ﹂ 参 照 。 ③ ﹃ 観 念 法 門 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 二 六 頁 。 ⑤ 浄 土 六 部 経 を 標 示 す る 処 ︵ ﹁ 真 由 主 全 ﹄ 一 ・ 六 二 六 頁 ︶ で は ﹁ 浄 土 三 味 経 ﹄ と し 、 後 に は 二 回 に 亘 っ て ﹃ 浄 度 三 味 ⑦ ⑤ /¥

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善 導 の 浄 土 教 の 展 開 に つ い て ⑮ 経 ﹄ ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 一 ニ

O

頁 ︶ と す る 。 ﹃ 十 往 生 経 ﹄ は ﹃ 観 念 法 門 ﹄ ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 二 九 頁 ︶ と 、 ﹃ 往 生 礼 讃 ﹄ ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 八 三 頁 ︶ と に 引 用 す る 。 な お 次 の ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ も 中 国 撰 述 の 経 で あ る 。 ﹃ 般 舟 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 八 七 頁 。 ﹃ 般 舟 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 八 八 頁 。 向 上 七 二 一 J 七 一 三 頁 。 ﹃ 般 舟 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 八 七 J 六 八 八 頁 。 ﹃真宗教学研究﹄第三号、拙稿﹁善導の般舟讃の浄土 教 ﹂ 五 八 頁 参 照 。 ジ テ マ ヲ ﹃ 般 舟 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 九 一 頁 ﹁ 不 レ 惜 − 一 身 命 一 往 − 一 西 ズ タ テ ν r 、ナリマ 方ご同上七五

O

頁﹁会是専行不レ惜レ身﹂向上七一九 テ ミ ヲ ズ メ g y ロ ト ヲ ジ タ ヲ ク テ レ パ マ ー七二

O

頁 ﹁ 不 レ 顧 ニ 身 命 一 要 求 レ 得 、 若 能 専 行 不 レ 惜 レ ム 叩 。 ﹂ 三味発得と﹃往生礼讃﹄の教学との密接なる関係につい ⑫ ⑬ ⑬ ⑬ ⑮ ⑮ /¥ 四 ⑫ て は 、 ﹃ 真 宗 教 学 研 究 ﹄ 第 五 号 に 発 表 の 予 定 。 三味発得の願文は﹃往生礼讃﹄︵﹁真聖全﹄一・六八二 頁 ﹀ に あ り 、 以 下 同 じ 。 ﹃ 真 宗 教 学 研 究 ﹄ 第 二 号 、 拙 稿 ﹁ 善 導 の 観 念 法 門 の 浄 土 教 ﹂ 四 五 J 四 六 頁 参 照 。 ﹃ 観 経 疏 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 五 三 四 頁 。 ﹁ 法 事 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 五 六 七 頁 。 五 七 五 頁 。 ﹁ 観 念 法 門 ﹄ 旦 具 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 一 八 頁 等 。 ﹃ 法 事 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 五 六 二 頁 。 司 法 事 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 六 一 六 頁 。 ﹁ 支 那 仏 教 の 研 究 ﹄ 第 一 巻 四 六 六 1 四 六 七 頁 。 ﹃ 法 事 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 五 七 五 頁 。 ﹁ 法 事 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 五 六 七 頁 。 紙 数 の 都 合 上 、 取 意 の 文 と し た 。 ﹁ 法 事 讃 ﹄ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 ・ 五 六 五 J 五 六 六 頁 。 ⑬ ⑮ ③ @ ③ @ @ @ @

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