舎利弗の外道調伏謂に関する試論
岡 本 健 資
序
仏典においては.同じ筋書を持つ説話が複数伝承される場合が少なくない。 それらは.筋書を等しくしながらも,編纂された時代や地域そして伝承した 剖I?,恨の違いなどに影響を受けつつ,少しずつ相互に異なる説話になっていく。 仏教説話が.その伝承の過程でいかなる変容を引き起こし得るのか。それを 考える手がかりとして.本稿では, W~岡精舎の建立をめぐる説話に注目した L。
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一般に,自民│事l
車内合建立誠としてよく知られるのは下記であろう。 ある11札鋼連(スダッタ)すなわち給孤独(アナータピンダダ)長者が, マガダ[Iijで釈尊と出会い帰依するにいたった。給孤独長者は.自らの恨拠地 であるコーサラ[Ji[合衛城(シュラーヴァスティー)に釈尊を招くために.合 術減に将i
舎を建立することを釈尊に宣言して帰国した。帰国した長者は,コ ーサラl
刊のジェータ王子の岡林(ジェータヴァナ)が精舎建立に相応しいと 判断し.鵡ってくれるよう請願する。しかし,王子はその願いを聞き入れな かった。様々ないきさつで.T:子は.金貨を敷き詰める分だけの土地を長者 に謙るニとを成諾する。長者は自らの金貨を次々に運び込み.ジェータヴア ナに敷き詰めはじめる。この話を聞いたジェータ王子は.長者の行動から釈 尊の俄大さを推し量り,長者と協力し,ともに釈尊にジェータヴァナを布施 することをけ1しm
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己は. r甑l
剖布施』とも呼ばれる仏伝中の有名な事績であり.パーリ・-
55-舎利弗の外進調伏揮に関する試論 ヴィナヤやジャータカ・ニダーナカター,阿合経などの文献資料に現れるだ けでなく,古代初期美術ではパールフットのストゥーパ欄楯浮彫(前l世紀 頃)にも見出される。しかし,給孤独長者とジェータ王子の協力関係が確定 した時から実際に紙
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判精舎が建立されるまでの聞に何が起こったかを説明す る訴も存在する。祇園精舎の建立の是非をめぐる,合衡織の外道たちと仏弟 子シャーリプトラ(以下,舎利弗と記す)との闘争を語る話である。この話 を本稿では便宜的に「舎利弗の外道調伏謂J と呼ぶことにする。 この「舎利弗の外道調伏諦」は,6
世紀以降.特に9
世紀から1
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世紀に造 営された敦蝿石窟の壁画の題材として頻繁に採用されることから.秋山光利 氏の『平安時代世俗幽の研究JI(東京:古川弘文館.
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など,主に敦憧美術を対象とした研究において関心を集め てきた。I".n
己の研究者たちは,これらの壁画群を描くための素材となった文 献資料として,敦飽文献『降魔変文J(
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世紀後半(?
)
)とその基礎となっ たとされる『賢政経IJr
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年訳;以下,r
起精舎品」と略 す)を挙げ, 11キに漢訳r
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本説一切有部毘奈耶破僧事』や『衆許摩剖帝経』 までを'"いて検討してきた。しかし,それら有部系律文献群と内容的に一致 す る サ ン ス ク リ ッ ト 文 献 (Sanghabhedavastu[以下,SBhv
と略す].!
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an伽 navastu[以下,SAv
と略す])まで遡った詳細な検討は,管見の及 ぶ限りなされていない。 そニで本稿では,この「舎利弗の外道調伏諦」を記載する「起精舎品」の 記述と,上記サンスクリット文献との聞に存在する異同を明らかにしその 差異について考えてみたい。 使用する資料 「舎利弗の外道調伏諏』を扱う敦埠壁画とその素材となった r起精舎品」-
56-合利殉の外進調伏諏ι関する試論 は,敦娘を合めた中央アジアという地域に属する資料である。従って,地域 差に官
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怠し.インド成立の可能性が高いものをまとめて資料群とI
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ぴ,「起精舎品」と区別する。 舎利弗の外道調伏聞を記す資料• r
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経』巻第十r
須達起精舎品J[慧覚等訳4
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.舎利弗の外道調伏請の比較
ここでは,まず「合平JI弗の外道調伏謂」の筋書の中で.[
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]
と『起草待合 品」との大きく相違する部分を取り出しその違いを確認することで,「起 梢合品」の特徴を見る。 ① 敵対者 ri
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剥布施」の話に見られる通り.給孤独長者はジェータ七子の協力を得 て.ジェータヴァナを精舎建立予定地とするが,このことを知った合術城の 外道たちは梢舎建立に反対の意思を示す。彼らの「反対の意思表明」につい-
57-合事j弗の外遊調伏謂lニ1測する IA諭 ては.資料群
[
A
]
と「起精舎品』の記述にさほどの違いはない。そこで.5λv
を引用し筋書を確認する。 SAv: 激しい怒りで心を満たした彼ら外道(
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此hya)たちは,大挙し て給孤独長者のとニろに近づいた。近づくと. (彼らは〕言った.r
長者 よ,お前は沙門ガウタマのために.ここに精舎を建立すべきではない。 なぜなら,私たちによって〔それらジェータヴァナにある〕諸々の村務 は分配済みだからだ。沙門ガウタマには王合械がある。合t
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城は私たち のものだ。」 これに対して,給孤狐長者は「あなた方によって, ~r.々の村治は分配i斉み でしょうが. (この土地は〕私自身の所有物です (madiyar!
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svapateyam)。 私は. (白らが〕帰依した御方の法の基盤〔となる建物) (dharmaskandha) を建立したいのです。」と反論する。そこで,外道Jたちは王のもとに行くが, そこでも給孤独に負けてしまう。外道たちは精舎建立に反対する姿勢を変え ず,次のように,舎利弗に闘いを挑むことから舎利弗と外道たちの闘争が始 まる。S
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無礼な外道たちは,主張を制さず言った。「長者・よ.お前の思い 通りにはさせない。沙門ガウタマの高弟がやって米ているな.彼がもしm
我々を論戦によって {vadena}うち負かしたなら.梢合を建てるがい い。」と。 以上.外道たちが舎利弗に闘いを挑む場面までを[
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しつつ見てきた。次に,「起精舎品」における表現を見る。 「起精舎品J : 六附i 問之。往白岡王。長者組述。 j~Nì.民陀|判。欲為担曇 沙門輿立精舎。聴我徒衆奥共t
角術。沙1
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一舎利弗の外遊調伏却に測する試論 得起也。樫曇徒衆。住王合城。我等徒衆。哲住於此。 (T.4.pp.419c27・ 420a3)※下線は筆者。 以上のように.r起精舎品』では外道たちを「六師J
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4, p.419c27)と 表現している。[
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諸)外道」と記していた。 「起精舎品」での外道たちの初登場筒所が,上記引用文目頭である。そのた め.r起精舎品」の敵対者は全般にE
って「六師」であることが解る。似し, この「六師」各人の固有名詞が記きれないことには注意が必要で・ある。 ② 「七日後』の開催 給孤独長者は,外道たちから舎利弗に対してなされた挑戦の言葉を1
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き, 合利弗のもとへ行ってその可否を尋ねると舎利弗は,外i
且たちの挑戦を受け る,と返拝する。ここまでは.資料群[
A
]
と『起精舎品」の記述は概ね一 致する。その後,外道たちとの対決が七日後に決定されるが,七H
後開催を 合利弗が指示するのか,外道たちが指示するのか,という点で資料群[
A
]
と「起精舎品」とに違いが見られる。 『衆許摩詞帝経』を除<[
A
]
は.舎利弗が「教化されるべき人々が参集 するのに七日を要する』と考え.七日後の決定を行う。『衆消・康調帝経』も 舎利弗が「棋縁成熟有幾時分。(機が熟するのがいつなのか〔観察して ))J と記し七日後の会見を指示したとする。一方 r起梢合品」では六師が七 日後を宣言したことになっている。しかし六師が七日 後とした理山につい ては記述が無い。S
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彼ら(教化されるべき人々)は集まってく るだろうかJ(と考え.) r七日後である」と知った。〔以上の械に〕心を 集中し終えて,彼(舎利弗)は「長者よ,そのようにせよ。しかし じ1
1
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においてである」と語った。 Q U合利弗の外進調伏諌に関する試論 「起精舎品J:是時六師。宣語国人。初後七日。常於城外寛博之嘩.奥 沙門技。
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1) ⑤ 協 力 者 探 索[
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では.七日後の会見の理由を不審にt思った外道たちは.舎利弗が味 方を探していると考え.自分たちも味方の探索を始める。一方, r起梢合品」"
はこの記述を欠<0 r衆許摩詞帝経』を含め[
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]
では,外道たちが味方探 しを行った結果.ラクタークシャ(
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6) 彼ら(=外道たち)は思案した。「この〔期日〕に〔会見が行われるこ とは),二つの理由によりなされたに違いない。この者が逃げようとす るか.あるいは,昧方を探そうとするか,である。〔そうでなければ.) この〔期I-J)における〔会見が〕時機を得たものであろうか。私たちも 昧おを探そう」と。〔そして〕彼らは昧方を探し始めた。SA
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6-11) 味方を探しつつある彼ら(外道たち)は,ラクタークシャという名の托 鉢行者を見つけた。彼らは,彼(ラクタークシャ)に告げた。「あなた は.私たちと同じ党行者である。沙門ガウタマの高弟が.私たちとの論- 6
0
ー舎利弗の外遊調伏調t二関する総論 戦のために呼び寄せられたが.彼(舎利弗)は昧 }jを探している。あな たは私たちの仲間であると考えより〔ラクタークシャは答えた。) r如何 ほどの時が過ぎてからか?J (外道たちは答えた。) r今から七日日であ る。J(ラクタークシャは語った。)rよろしい。そのようにしよう。あな たがたの集合時に私を呼べoJ 「起精舎品」でもラクタークシャにあたる「勢度差J
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明。))が 現れるが,詳しい経緯は記述されず,闘争の場において外遊の弟子の1
人と して登場し.唐突の感がある。 『起車内合品J:六師衆中。有一弟子。名参事度差。普,?;U幻術。 (T.4, p.420b14-1
5
)
④ 神通力対決の内容 外道たちと舎利弗の双方が座につくと,神通力示現による対決が始まる。[
A
]
と「起精舎品」ともにこの対戦を記す。しかし[
A
]
が凹l般のみを 記すのに対し. r起精舎品」はその回戦にさらに二戦を加えた合計「六戦」 が行われたとする。その順番と示現したものを列挙すると下記となる。なお, 全ての対戦において.舎利弗が勝利する。 [A]:問職 [ラクタークシャ] 第1
戦:花をつけた樹木 第2戦:蓮池 第3
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被:ナーガ(七頭) 第41機:ヴェーターラ 「起梢合品J:六!~l [舎利弗] 暴 風 雨 若象 ガルダ マントラ- 6
1
-舎利婚の外遊軍司伏舗にl期する試論 [参事度差] [舎利弗] 第
1
戦 : 樹 旋嵐風 第2戦 : 池 大六牙白象 .第3戦 : 山 金剛力士 第4
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龍 ( 十 頭 ) 一 金 麹 鳥 王 .第511吸: 牛 師子王 第6
戦:夜叉鬼 毘沙門王 ⑤ 舎利弗の神変[
A
]
には見出せず「起精舎品」のみの記述である。「起精舎品」では. 舎利弗が勢度差に勝利した直後.舎利弗はさらに以下の神変を行ったと記し ている。 「起車内合品J : 時舎利弗。身昇虚空。現四威儀。行住坐臥。身上出水。 身下出火。*~支西師。西泣東踊。北浪商踊。南波北蹄。或現大身。 l商虚 ~lllo Jfii1~羽小。或分一身。作百千高億身。還合為一身。於虚空中。忽 然治i地。 j低地主n
*
。履水如地。作是幾巳。還掃神足。坐其本座。<T.4
, p.420c14・20) ⑥ 外道たちの結末[
A
]
では,ラクタークシャは対戦後,舎利弗へ帰依して出家受戒し阿羅 漢となる。その他の外道たちは精舎の労働者 (bhrtika)となったが,内心. 舎利弗のl暗殺を企てていた。しかし,その企ては,舎利弗の化作した「鞭を 携えた人物J(latavarika)によって妨げられ未遂におわる。後に,彼ら外 道たちも舎利弗のもとで出家受成した後,阿羅漢となる (SAv.p. 23, 11. 18 -32; SBhv. p. 176,1
.
22-p. 17
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13)。
SAv: ayu寺mataSariputrel}a sa pravrajita1}. upasaJ1lPadit功;avavado -
62-舎や10ftの外道調伏調にl掬する試翁
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醤闘をし統ける彼(=ラクタークシャ)は,あ らゆる煩悩を肱棄して阿羅漢性を現証し,阿総漢となった。 「起精舎品」では,敗北した「勢度差」について「即時屈伏。五桂投地。 求哀脱命.辱心己生。」と記すだけで.仏教に帰依したことまでは記きれな い。六師とこれに従う者たち.三億人の弟子たちについても.出家学道した とされるのみである。 「起精舎品J: 11:年合大衆。見其神力。戚懐敵喜。 1時合利~。即為説法。 随其本行宿制川締。各得道跡。或得須陀m
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衆便罷。各還所 止。(
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起梢合,'ltrJ)との二つに分 類して表現が比較的大きく相違する点を①から⑥において見てきた。結果. 対戦者である外進たちを「六師」と呼ぶなど. r起梢舎品」のみに見られる 表現が含まれるニとを確認した。これら表現の違いの発生理由について以下 に考察を行う。2.舎衛城神変との比較
前節では[
A
]
と「起精舎品」との相違について確認したが.ここではそ れらの相違が生じた.fIJHJIについて考えてみる。その足がかりとして.仏伝中-
63-合事l 婦の外通詞 1~1tに関する鼠鎗 の事績「合衛誠神変」に注口してみたい。その内容は.プーラナを始めとす る「六師外道」に闘いを挑まれた釈載が,コーサラ国の合衛城において神通 力に基づく奇蹟を示現して彼らを調伏したとするものである。これまで見て きた「舎利弗の外道調伏調』と共通する点が多いため. r舎衛城神変Jの要 素が「舎利弗の外道調伏諌Jに紛れ込んでいる可能性も考えられる。また, 仏伝の構成から考えても,合衡城にてこ度も外道調伏が繰り返される点から は,不自然きが否めず.そこから. ÌlI~ 話になんらかの関係が存在することを 推測させる。なお,両話の時系列としては,
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守利弗による外道調伏」が 「舎衛城神変」に先行する。「合術城t
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には,慨に建立された紙園 精舎に釈尊が逗留する記述が見られるからである。 両話は舞台と文脈がほぽ同じである.まず,「舎利弗の外道調伏謂」と 「舎衛城神変」は,同じく外道調伏をテーマにしており,その発端も状況が 類似する。例えば,「舎利弗の外道調伏線」における外道たちの目的は紙同 精舎建立の阻止,すなわち舎衛城への仏教教団の教線拡大を阻止することで ある。これに対して『舎衛城神変」の外道たちも.失った尊敬や施与を回復 するために釈尊へ勝負を挑む。いずれも.仏教教団の勢力伸長を防ぐことが 目的である点で一致している。 前節で見た「起精舎品」が[
A
]
と相違する点について. r舎衛誠神変J の要素が入り込んでいる可能性を視野に入れて,それら相違点が「舎衛城神 変」を記す資料において見つかるか否か舵認する。 「舎衛城神変」を記す文献資料の内,主要なものは下記である。これらを 資料群 [B]と呼ぶことにする。 資料群【B】舎衛城神変を詳述する資料 . 11'賢愚経』巻ニr
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〈① 敵対者〉 まず.前節で検討した「敵対者」について.[
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起納舎品」では『六師」と表現する点が異なっていた。ただし「起精舎 品」では外道たちの回イ1
名は記されず単 lこ「六日JjiJとされるのみであった。 [B]は全て,釈尊の敵対有をプーラナをはじめとする│国有名詞をもっ 「六師外道」あるいは彼らの内のいずれかとする。「起桁i
合品」の「六師」 が プ ー ラ ナ た ち を 指 し て い な い と し て も , 「 六 師 外 道 」 を 対 戦 者 と す る[
B
]
の記述から影響を受けた可能性は否定できない。[
B
]
の事例として.D
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その時,都市ラージャグ1)ハには一切智者に非ずして一切智者という思 い上がりを有する,プーラナを初めとする六人の指導者たちが住んでい た。すなわち,プーラナ・カーシュヤノf. マスカリン・プーシャーリー65-合判帰の外温調伏認に関する議論 プトラ.サンジャイン・ヴァイラッティープトラ.アジタ・ケーシャカ ンノfラ,カクダ・カーティヤーヤナ,ニルグランタ・ジュニャーティプ トラである。 〈② 「七日後」の開催〉 (A)では「舎利弗」が七日 後開催を指示する理由が明示されていた。こ れに対し「起精舎品」では七日後に開催する理由が記されず.さらに r六 自iliJが七日後開催を人々に斡げる点で相違していた。 (B)には「起精舎品』 と同じく「六師」が七日後
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削躍を決めたとする資料がある (r賢愚経.!r降六 自i
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降六師品」と略す)。r
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その一方で.(B)の『法111醤l喰経.1.'
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その時.世尊は以下のように考えた。「これは如米による必須の責務で ある」と。〔そのように〕知って.コーサラ国王プラセーナジットに告 げた。『大王よ,あなたは行くがよい。今日より七日日に,生類に対す る利益のために,如来は大衆の両前で,上人法州通神変を示現するであ ろう。」-
66-合利弗の外.ilI:調伏縄に関する試論
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世尊は「過去の正等覚者ーたちのl時代.偉大な神変はどこにおいて示現さ れたか」と考えた。〔そして) r合衡械においてである」と知った。主主 に,「人々の大集団がいつ集まるか」と考え,七Hに至って後であるこ とを知ったので.コーサラJ
:
プラセーナジットに以ドのようにを語った。 「…大E
よ。七日日においてである」と。 〈③協力者探索〉 [A]では.舎利弗が闘いに備えて協力者を探索していると推測した外道 たちが.自分たちの味方を探そうとする。結果,ラクタークシャ(あるいは 勢度差)を見出し,味方に引き入れる。しかし, r起精舎,',,'IJではその経締 は一切ボされず.勢度差を見出したことを簡潔に記述するのみである。 この項日については.[
B
]
の中の有部系の資料(
D
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・漢訳雑事) は『起精舎品」ではなく,[
A
]
との類似性をよく示す。[
A
]
で出てきた外 道たちが協力行を探腐をする場l自i
が[
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とTib
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節③で引用したSλv
の文章とほぼ一致する簡所には下線を付 した。D
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きて,異教徒たちは以下のように考えた。「沙門ガウタマは.七日の内 に,未だ獲得していなかったものを獲得しようとするのか。あるいは. 逃げようとしているのか,あるいは,昧方を求めようとするのか。」彼 らは以下のように考えた。「沙門えfウタマは逃げようとしているのでも なければ,獲得していなかったものを獲得しようとするのでもない。き っと,沙門ガウタマは味方を探そうとしている。私たちも,その間,味 方を探そう。Jと考えて, ...Tib
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A
]
と「起精舎品」の主人公の一人であり,舎利弗と術比べを するラクタークシャ(勢度差)と同名の人物が.[
B
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に登場する。しかしD
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と内容的に殆ど一致するT
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の当該簡所にはニの人物は登場しない。また.D
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のように闘争に参加することはなく,他の異教徒(五百人の 仙人・スパドラ)を勧誘する役割l
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…
(p.151
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1
25-p.152,1
.
4) 幻術に精通した.かのラクタークシャという名の托鉢行者が呼び寄せら れた。〔異教徒たちは}托鉢行者ラクタークシャに対して,この出米事 を仔細に告げて.以ドのように語った。「実にラクタークシャよ.お聞 きなさい。沙門ガウタマが,神通力に閲して,我々により呼び寄せられ た。彼(ガウタマ)は語った。 F今日よりじ11目に.上人法神通神変を 示現するであろう』と。きっと沙門ガウタマは味方の探索を行おうとし ている。あなたも.その間.同じ党行者に対する味方の探索を行ってく れ。」彼(ラクタークシャ)は「そのようにしよう」と約束した。 〈④神通力対決の内容〉[
A
]
では四戦,「起桁合品」は六戦を記す。すなわち,下記の二戦(第 31械と第5戦)だけが「起精舎品」にだけ見られる要素である。.
第
3
戦 : 山 ・第5
戦 : 牛 金剛力士 師子王 一方,この二戦において示現される内の幾つかが。「合術城神変」をi
l
己す [B]の内に,釈尊や方11勢に現れる者たちが示呪するものとして見出される。 完全に一致するわけではないが,これらの点も. r起精舎品」の要素と [B]の要素との聞の影響関係を予想させる。- 6
9
ー合利掃の外遊調伏鐸に関する試詣 ω 『法句醤轍経.1:金剛力士 「降六師品J:宝 111/金I~II密跡
ω
Tib-漢訳雑事:金│削子 〈⑤舎利弗の神変〉[
A
]
に見られず「起精舎品」のみに見られるものとして,舎利弗が勢度 差に勝利した直後に神変を示すことが挙げられる。この記述の幾つかの要素 も資料群 [B]の内の釈尊による神変に見出せる。なお,「起精舎品」内の j'J該筒所を再度引用するが,資料僻 [B]に合致する附所が見出せた部分lこ は下線がづ│いである。 r起精舎品J : 時舎利弗。身昇虚空。現四威能。行住坐臥。身上出水。 身下出火。東浪商踊.四i
支束踊。北浸南踊。南波北踊。或現大身。揃虚 空中。而復現小。或分一身。作百千高億身。還作為一身。於虚空中。忽 然:(E地。履地如水。盟主些些。作是鍵巳。還掘和II~。坐其本座。 (T.4.p
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[
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r法句嘗轍経.1:於是世尊即於座上霊然不現。盟丑皇室奮大光明。 東泣西現四方亦爾。身出水火上下交易。坐臥空中十二隻化。浸身不現還 在庫上。天龍鬼神事香供養。讃善之聾震動天地。(
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[B]11'四分律.1:於第十一日。世尊於大衆中現神足轡化。一身為多身多 皇室=皇於近現嘩若逮不見慮若近山障石壁身過無問。遊行空中如鳥飛期。 出浸於地猶若水波。服水而行加地遊歩。身出煙焔猶若大火。手柄摸日月 身至党天。(
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r仏本行経』:
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仰1
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光明 照雌十方 身成/1',水 -70-合判婦の外jlU瑚伏揮にl測する試論 如雲中J:I:j 或復鍵現 涌虚空中 化現知是 如是神唆 至二十八 水火fH/J'r 1時{裕奮現 無結愛天 (T.4,
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86b18 -21) さらに.Tib・1英訳雑事とDiv・Psは.如来の弟子に共通する神通力として 釈尊が下記のことを述べたとしその内容は「起梢合r'II"Jにおける舎利弗の 神変と下線部において一致する。 Div.Ps:0
東方の空中に昇り│川威儀の姿勢をとる。@火界定に入り六 色の光を欣つ。@身体の下から火焔を上からは水流を出す。@四方位に QQ おいて以上のような四種を行う。 (Div.Ps.p.161
.
ll. }-11) また.同じく [B]のDhammapada.A!!hakalha(以下.Dhp.aと略す)に も類似する表現が見出せる。 Dhp.a: 上半身と下半身から交互に火と水がm
る。身体の前面と背而か ら交互に火と水が出る。左右の眼・耳・鼻・同・子・脇・足・手足の指 とその指の間から,全てのも穴から火と水が〔交互に〕出る。それら (火と水)は六種の光(肯・此・赤・臼・車1
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き)を持つ。仏が歩行 すると.化身は住するか,併すか.臥す。…1
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峨…化身が臥すと.-
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尊は歩行するか,住するか.~す。 (Dhp-a, p. 213, . 1l6-p. 214, . 2l0) 但し.同じ『賢,愚経』の「降六附A
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」には r何l
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'1J化身高至党天J(
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, p. 363aI6-17)として大身になったことを記し, r起制合品」の「或現大身」 と対応する可能性もあるが.それ以外には一致点を見出せず r起精合Ilits」 と「降六師品」の記述との直接的な繋がりの薄さをIJミす。-71-舎利弗の外iJl綱伏線伝聞する試論
結
外道たちと舎利弗の闘いを記す r賢愚経Jr須達起精合品」には.同じ説 話を記すインド成立の可能性が高い有部律群・『衆許H
控訴I
情経.1 (=[
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とは異なる記述が存有:している。それら相違点を,I
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じく合衛械を舞台にし た外道調伏調「合衛城神変」からの影響と考えることはできないか.その可 能性を探った。結果, r須達起梢合品」と『舎衛城神変」資料の聞には.記 述の一致や類似するものが後数合まれていた。ここから.r
賢愚経Jr
須達起 精舎品」が.「合衛城神変」からの影響を受けている可能性が出てきた。も ちろん,「須述起精舎品」に見られる特色が,同じく『賢晶、経』において 「舎衛城神変」を記す「降六師品」とは完全に合致するとは言い難いため, 『賢愚経』編纂時点での相互影響というより,それ以前の段階の影響関係を 想定すべきであろう。そのことは.インド成立の「舎利殉の外道調伏謂Jに. 既に「合衡城神変」との共通要素が見出せる点からも想定できる。インドに おける両話の影響関係についてさらなる検討が必要である。 [付記]本稿は平・成2
4
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2
5
年度科学研究費補助金(若手研究(
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)
rインドに おける釈迦の一代記を描く仏伝と図像の比較研究J)を受けた研究成果の一 部である。 註及ぴ文献 〈略号一覧〉D
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Jwbhedavastu T:r大正新術大蔵経』合平H~の外遊捌 I)\j~ ぃ I'!I する試論 Tib維事:'Dul白 thratltshegs伽igshi P : Peking Edition 漢 訳 維 事 : r根本説一切有部毘奈耶維事』 r起精舎品J: r賢愚経Jr須達起精舎品」 「降六師品
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r賢
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r降六師品」 『衆詐J
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r衆許摩許可常経』 r破 僧 事.
J
:
r根本説一切有部毘奈耶破WI'J~J 註 (1) 合利弗についての研究としては, 1954年に発表されたA,Migot氏による“Un grand disciple1cu Buddha: 5ariputra"(Bulletin de /'Ecole Francaise d' Ext,"伽te・Orient 46)をはじめ, '1'村元氏のr
仏弟子の生涯J(東京: 春秋社. 1991年k
最近ではし Ray氏にJ:るBuddhislS
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inls in lndia(Oxford.New York: Oxford University Press, 1994) などが存在する。また,最近ではおITI 朋 子 氏 も 舎 利 弗 と 給 孤 独 長 者 の 関 係 を 記 す 資 料 に つ い て 検 討 を 行 っ て い る (r 舎利弗と給孤~!ll 録者J r印度学仏教学研究』第56巻第2J,j', pp. 212-217)。 (2) [A]に属する阿資料は,いずれも「恨本説一切有部」を冠する律文献それ 自体か.あるいはそれと深〈関係する文献であることも間意すべきであろう。 (3)r
桜本説一切有都民奈耶破僧事J(以下,r
破僧事』と略す)の当該箇所では 「至。己便作是言。;長者。汝不感為喬答!摩沙門造立守合。何以故。我等先己分界。 彼 王 合 城 可 喬 答 燈 居11'.。 此 室 緩 筏 械i
而我等住。是放不l
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造寺。J (T.24, p. 140a) とされる。また, r衆計,*調市総J(以下 r衆前・』と略す)の当該・1m所 では「謂長者目。'
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曇沙門今在摩溺陀l
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合城居。此合術城地貴名高非彼所1
'1:。 勿立精舎勿得迎議。J(T. 3, p.96Th)とされる。(4) tivradv~aparyãkulikrtamanasas tirthyas te回JTlbhiiya yen五nathapil)Q・ ado grhapatis tenopasailkrant功;upasailkramya kathayanti: ma tvaf!l gr・
hapate !kamal)asya gautamasya arthayatra viharaf!l karaya; kiJTI karaりam? asmabhir nagarat;ti bhajitani;昼間mal)asyagautamasya rajagrham; asma. kaJTI!iravasti (5λv. p. 20, 11.15-20) 以ド, 5瓦vの制訳にあたってはー次の研 究を参考にした。宕1:11朋子「出家者の修行場所.
r
桜本説一切有部毘奈耶臥坐 共 事JSayanasanavastuの和訳(1)J rインド学チペ・yト 学 研 究J15 (2011ll'.) , pp. 97-133;11 rm家者の修行場所. ø'棋本説一切J イi 部毘奈耶臥坐具'~~J
Sayanasanavastuの利│訳 (2)J rイ ン ド 学 チ ベ ッ ト 学 研 究J16 (2012年), pp. 88-123; Gregory Schopen,“Hierarchy and Housing in a Buddhist Monastic Code: A Translation of the Sanskrit T側 ofthe
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an伽 加 附tuof theMa胸 柚tivada-vi附 'a- P制 One[from the SanskritJ
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,BuddhおtLitera. ture, Volume 2 (2000), pp. 92.196.73-合利婚の外遊調1;1¥'"二附する拭総 (5) sa kathayati: bhajitaniyu~mãbhir nagaral)i, na tu madiyarp svapateyam; yasyabhipretarp tasya dharmaskandharp karayamiti
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瓦v.p. 20. 11. 20・22) また.r破僧事』の当該筒所は『長者報目。汝等紙可分自圃境。不1
1
共分我園。 我所造功徳皆由自心。J(T. 24, p. 140a)と記し.r衆許』の当該箇所では「長 者附l 怒報外遊目。此合術城非汝所有。fPI刷 U~ 事。 J (T.3. p. 967b)とする。 dharmaskandhaの訳にあたっては,U
己正1:(4)のSchopen氏の,論文における 指摘 (p.176, noteI
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6)を参照した。 (6) te rajna}Jsakasarp gat劫;tatrapy anathapil)c;ladena凹rãjitã~(
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瓦v.p. 20, 1 21.2・23) (7) r破僧事』では「奥我等主担董輩。若能勝我随意造寺。」とド線郎のように訳 される。岡と [A] の『衆許』も「…可輿論義問l縛勝劣。知彼~!ト勝精舎可為。』 (T.3, p. 967b)とする。「起精舎品」では「術比べ」とされている。外道から の陳情を受けた王が.給鍬独長者を呼び寄せて告げる。「今此六削i云。卿買祇 陀l
制。欲為樫曇沙門起立総合。共沙門弟子検其伎術。若得勝者。得立精舎不如。 使不得起。J(T.4, p. 420a) (8) dhvank弱stirthya avikrtavadanal)kathayanti: grhapate na te kamakar. am anuprayacchamal);i!ramal)asya gautamasyagrasravakal)agatal);sayady asman vadena parajayate, karaya viharam iti
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5
瓦v.p. 20, 11. 23-26; SBhv. p. 173, 11.16-19) (9) r賢d
経Jr須逮起梢合品」に影響を受けたとされる「降魔変文J(秋山光和 '平安時代世俗画の研究Jp. 429).そして.同じく敦鰻変文ではあるが r賢 愚経」とは若干内容を興にする「祇園悶由記』にも閉じ文脈の中で.舎利弗の 対立析として「六師」の紙を見出し得る(王市民枝録『敦飽変文集J(上集, 北京:1957{f)p. 372, 1.16, p. 40,ヴ.114)。 (10) Sλv: ayu号man !iariputral) saIplak担yati: kim e号亙rp santi kanicit
ku!ialamulani uta na回ntiti;pasyati, santi; kasyantike pratibaddhani;
mamaiva; puna~ sarplak担yati:kim etavanta eva mama pratibaddha vineya
ahosvid anye'pi vadena viney
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瓦v.p. 20, 11.33-37; SBhv. p. 173, 11. 26・30) J~ んもシャーリプトラは『これらの者たちには普般はあるのか.それとも無い のだろうか』と考えた。彼は「存在する」と知った。〔また.)r維のもとに結 ばれているのかJ(と考え.) r他ならぬ私のもとにであるJ(と知った〕。さら に「この者たちだけが私により導かれるべきものとして結ぼれているのか,そ れとも.他にも争いによって導かれるべき者たちがいるのか」と考えた。彼は 「存在する」と知った。 『破frl4~J :又復観察。幾時 H~ 来集舎。観見似格。御後七日可能111<合。作観察己 告長者lコl。可随汝意。者11後七日:我嘗論議。 (T.24, p. 140b) - 74ー合利仰の外i量調iR諏lζ!則する試論 (11) r衆詐J 尊者於是入定観察。諸外道輩及合術凶人。棋縁成熟有幾時分。見彼 人衆唯絵七日。尊者
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定告長者日。請諸外遊。過七日巳可来論義。 (T.3, p. 967c) (Il1 )<iyaccirena sannipatisyanti: pasyat.
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saptahasyatyayad iti; samanvahrtya kathayati: grhapate evarl1bhavatu: ki'11 tu saptame divase(
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p. 20,1. 37 -p. 2,11. 2; SBhv. p. 173, 11.30-32) (13) r衆許J:由是諸慮親,'1;坊尋乃得一人。t.生l
監婆羅門。而告之日。彼翠曇沙門 有大揚子索我論義。汝境線門謄宜相助。何以故。者自得勝利養循千子。彼或勝時 ~!t等何往。彼即問言。何時論義。報目。後常七日宅待相報~.来肋汝。(T.3.p. 967c)一方 r破僧司王』は赤限が「普能幻化J(T. 24. p. 140b13)だとするが, それ以外はほぼ阿様。 (1.0 r破似事J:彼外道衆l川j祈語巳。共抑制 H 。有二種岡縁。 1I1In.:t~ニ。主主型ヰ 必膳逃走。二者目撃覚伴{日以此之繰延期七11。外道復相謂目。等1);可寛嘗宗知友 (T.24, p. 140b) 『衆前・J:外道思惟。立七日限斯有二事。者知1己非勝設計私逃。二者或求本朋 宝生直豊如是思巳。今云何不求朋侶 (T.3, p. 967c) 同サンスクり・y卜文献で原語を確認すると次の.I!fl1)。第11峨:supu甲pita与 sa・ hakarapadapo (みごとに花の咲いたマンゴー樹)対tumulovatavar:;;a(恭 風 雨 入 第2戦 :padmini(蓮池)対kalabhahasti(若々しい集)。第 3戦 : saptasir:;;o nago (七つの頭を持つナーガ}対garu<;lo(ガルダ}。第4戦 : veta<;la (屍鬼)対mantraii)(マントラ)。 (16) r1守衛城神変」説話-を倹討するに際しては.同像学の研究成巣までを合む砂f 究現:を締めた次の研究が存在するので.ミれを参照した。 cf.自治昭 rr舎衛城 神変」と大釆仏教美術の起源: 研究史と展望Jr美学美術史研究論集』第20号 (2002年).pp.l・27. 間 『世:~事は (bhagavãn) は.…合衛織における (srãvastyãf!1)ジェータヴア ナ (]etavane)すなわち給孤独の僧圃に (anathapil)<;ladasyarame)逗留した (viharatil0 J (Divyavndana, edited by Cowell and Neil. 1886, p. 148,11.7-27) 以ド.Diりava帰加に合まれる第121主Pratiharyasutraの布l以に際しては下記 の研究を参照した。 cf.宮 治 昭 rDivyavadana第12章“Pratiharyasutra"税l 訳Jr文化紀要』第13号 (1979!
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pp.117・141;平岡聡『ブ . ,ダが謎解く三世. の物JlfJ東京:大歳出版,2007年 pp.265・301. (l1{I [B]の内.固有名制を持つ r六師外遊」を記す筒所は下記。『四分律』 [T. 22, p. 949b26-29) ; r仏本行経J[1'.4.p.84c9-11] : r賢必経JJ[T. 4. p. 360c29] : r法句醤除経JJ[
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4, p. 598c2-9] 。功 『法もJ嘗喰経J : ~晶君大f1l。結期七 WliIi州鍵化。(1'.4, p. 598c). 側 漢訳雑事:爾時世藤復作是念。古普請悌皆於何慮現大神i画。見在室緩伐滅。 -75-合判明1の外進凋{北部に関する拭織 復念何時大衆芸集。見七11後。如是知己告勝光玉目。王今聴去観機廊曾我賞作 之。王
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欲在何時。側言。待七日後。 (T.24, p. 330a). 削減訳維事:外道問巳鹿嶋共議。沙門喬答摩.成可逃鼠。或寛己I
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我等諸人 欲何所作。共相議目。沙門必定求覚己朋。我等亦可覚相知者。 (T.24, p. 330a) 回平!踊l
聡氏もこの点を指摘している。 cf.平岡聡『プッダカ犠解〈三世の物語』 {東京:大蔵出版,2007JI'-)p. 293, note 24. 側 『法令J~嘗喰経JI :於是金剛力士号基金剛杵。杵~rt火山以擬迦葉。何以不現卿礎化 乎。 (T.4. p. 599a) 側 「降六師品J(宝山:p. 362b20:金剛密跡:p. 363a6)内容は『四分律』と類 似. 倒時金剛手大薬叉主{何日赴念。此六援物久情世尊。須作方便令其改往。更不敢 然悉符逃蹴。作是念己即J
産量旦盟重交注。彼神通合随感崩拙 (T.24,
p. 332c) 側 athabhagavarps tadruparp samadhirp samapmillo yatha samahite citte svasminn asane 'ntarhital)purvasyお11disy uparivihayasam abhyudgamya0
c~turvidham iryapathalTlkalpayati tadyatha cankramyate tisthati niSid出iti SayyalTlkalpayati / 8tejodhatum api sarpp唱dyate/ tejodhatusamapannasya buddhasya bhagavato vividhany arcil1l事i kayan ni~aranti tadyatha nilapitani lohitany avadatani ma尚i軍thanispha~ikavarQ五ni/ anekany apipratiharyal)
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in凶】甘idar活'say問at日i/.a剖.dhahk置h訂yampr悶.司a吋j柑v冨lay抑at旬y'upar吋ima討tk亘訂y亘kccch詞批I託talav泊2勧r姐ha勧r畠劫1)s抑yan吋tdan】t匂怠/Oy問at白hapu刊asyarpdis曾yevarpdak平~i~り~asyãrp
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11);Tib・漢訳雑事:de nas bcom ldan 'das kyis ji Itar thugs mnyam par bzhag na nyid kyi gdan las mi snang bar gyur nas /Osha
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phyogs kyi!1tenlZ lZi namTnkha'la mruzon oar 'oha民 teSDvod lam bzhi00
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diIta ste/邸heg;sDa danlt / 'greng;ba daM: / bzhug;s Da daJU!' /ltzims Da mdzad oar'2YUI' ba de Ita bu'jting nge'也inla snyoms par zhugs田// 8me'i khams la snyoms par zhugs te回ngsrgyas bcom Idan 'das meI khams la snyoms par zhugs pa'i sku las
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bar/ sku'i smad nas ni chu gang mo'jrgyun 'bab pa dag kyang sto仰Darmdzad d() / / shar phyogs su jiIta bar Iho dang / nub dang / byang phyogs su yang de dang 'dra(P. 'du) ste / Ophyogs bzhir rdzu 'phrul gyi cho 'phrul mam pa bzhi bstan nas rdzu 'phrul mngon par 'du mdzad pa btang ste seng ge'i khri la bzhugs so / / (P47a5-bl; D49b7・50a4);爾時世尊他人如是勝三摩地。使於股上隠而不現。@日1[於東方皐
76-合事l 兆円外j直訴W~.ì1:I ::I~1する lltぬ 空中/1\0 現凹威自主行 :ú:1~臥。@入火光定出種事R光。所論古賀赤白及以主f_色。@ 身下