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『宗教研究』新第9巻第1号(*67号)

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(1)

――目次――

1,

キリシタン宗教文学中の殉教文篇,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.1-24.

2,

円頓戒源流論,主として最澄渡支以前の奈良朝仏教を考察す,久野芳隆,Hōryū KUNO,pp.25-60.

3,

ユダヤ教徒パウロ,三枝義夫,Yoshio SAEGUSA,pp.61-78.

4,

我国における宗教と社会事業との関係,特にその歴史的考察,谷山恵林,Keirin TANIYAMA,pp.88-114.

5,

梵学験者行智を憶ふ,帝大池畔の碑を見て,中里龍雄,Tatsuo NAKAZATO,pp.115-122.

6,

教会法学研究序説,伊藤道学,Dōgaku ITŌ,pp.123-140.

7,

宗教経験の心理現象,上野隆誠,Ryūzyō UENO,pp.141-149.

8,

『日本神話の研究』を読む,松村武雄,Takeo MATSUMURA,pp.150-154.

9,

支那におけるキリスト教排斥運動,甘粕石介,Ishisuke AMAKASU,pp.155-164.

10,

仏教の社会性に関する一思考,「現代仏教の研究」号を読みて,西義雄,Yoshio NISHI,pp.165-181.

11,

新刊紹介,pp.182-196.

Posted in 1932

(昭和7)年

(2)

て殉教マルチリヨに射する態度の攣蓮

日東に於けるキリシタン停道史は、世界で有数の迫害史であり、その殉教者の数に於て、幽土年数の比例から

云はゞ、ロマ帝固の迫害で出来た殉教者よりも多いと見てよからう。その殉教の跡は、教師等の書簡報告で中々

多く俸はつて居るが、ロマ帝国に於ける殉教者の停詭の如くに文畢的に侍って屠ない。此の展に多くの殉教倖に

ある誇張修飾が少くて、却て史宴を得るには都合よいが、その跡を停へる文畢としては物足りない。然し、殉教

者個々の事跡の外に、殉教に虚する勒謙や注意審で、賓際の悪戦苦闘中に出来たものがやつと停はつた事は、賓

に珍重すべき事で.その昔煩は、先に﹁潜伏﹂に於て﹁マルチリヨの莱﹂として世に紹介した。其等は通常云ふ

意味での文拳的作品ではないが、血涙の産物として生死の間をくゞつた信仰と熱情との文字である。その﹁莱﹂と

して績めておいた三篇中二.マルチリヨの鑑﹂はサントス停の一種であり、他国の事例、苗代の模範として、まだ 概念だけの作︵又稲澤︶であるに謝して、第一一の﹁勧め﹂は目前に起る迫害について、その間に殉教の死を途ぐ べき螢悟を促し.それが第三の﹁心得﹂になつては、一屠切迫して、愈よ殉教の死を途げるについての賢際注意 キサシタン宗敦交華中の殉教文飾

キリシタン宗教文革中の殉教文篇

姉 崎 正 治

(3)

を苔きつらねた卦に於て、故に波を重ねる扱がある。

此の如く﹁勧め﹂と﹁心得﹂とは事寮生死の問に出入して出廉た作で.眞に血涙の産物であるが・それにして も.高専母なる軟骨む儀表とし模範としたキリシタン俸道の産物として、どれだけかは母数曾の典籍に基く併あ

ったと云ふ事は、容易に想像し得る。此等の文書の筆者が、外国人教師であつたか、日本人であつたかも不明で

ぁるが、何れにしても、多少は模表を持って、それを現前の事態に適用したと考へちれる。而して、迫害期以前

に出た日本文のキリシタン宗教文畢を調べて見ると、少くとも一部分は、その材料源泉を指摘し得る。

そこで此等の材料と共に他を合せて殉教文革の跡をたどつて見る。出版年代で云はゞ1信心録﹂よりは少しあ とで.妄九四年に出たと考へられる﹁臨終心得﹂︵﹁停学宗︶の中にある一成敗︵刑罰︶で死品む者に輿へる 教訓︵﹁樽邁﹂︼州荒頁l︶は一事素からまさかの時に虚する発情姦へ雷の、而かも具鰹的教訓の形で現荒て居

る。つま少キリシタンの信仰に於ては、死の発悟が重要の位置を占め、その死も如何なる形でくるか計られす、

信仰の食に刑に死する事は、特に平素に用意し魔悟すべき事であつた。然し、此の書の出た時には一日本でその

茸際の必要が甚だ迫って来るとは考へて居なかつたであらう。

きざく それから教理書、特に護教篇たる﹁信心叙﹂には、ヂウスの御奇特として慶ばマルチりヨの事を論じ・特に第

二巻の中には、ロマ軟骨が段々に異数を征服した事を、教の眞理たる許嫁とし、而してその膠利を得るに至った

カは殉教者の死にあるとして、殉教者を讃嘆してある。

その中に古口マ帝観で三有年迫害の間に多数のマルチルのあつた事盈祝いて日く、

キワシクン宗教文畢中の殉教文箱 ク

(4)

心線﹂には、過去の歴史、:帝国に於ける辛苦として叙して居るのみであり、評者も十数年後には、それが自分 等の頭上后加管管掌になるとは汲想しなかつ雲あらう。その他﹁信心録﹂︵墟鋸虻巴や、多くのマルチル

を停へた﹁サントスの御作業﹂などでは、諸殉教者が受けた苛貴の数々は、その持寄に多少の誇張もあるが、兎

以下 四頁 善人邁の中に於て.先づマルチレスに就て少し沙汰するに、その数限りなかりし也。何れも勇猛の心を以 て前代未聞の苦みをこらえ給ふ事は、ヒイデスに少しも誤サあるまじき焉な少。・⋮:此等の数を云へば、或

時には一度に盲人∵⋮︰萬人、・⋮︰或時は一在靡の人々、一人も残らずマルチレスになり給ひし事もありし

也。⋮⋮かほど人衆、すぐれたるマルチリヨの道を以てヂウスのゴロウリヤを崇め給ふ也。普代︵現在︶は、

ゼンチヨの団々に於てキワシタン一人マルチルになり給ふと聞く時は、大きに喜ぶ也。

︵信心鉄、一九九−二〇〇頁︶

此書の出版は一五九二年であるが、一人あつても喜ぶといつたその殉教者は、それから五年飴の後には、日本

で一時に二十六人出たのである。原著者が十六世紀の年頃に此書を書いた時には−壁地の停遺著が時々殺され・

それが殉教者として讃嘆せられたのであるが、それを和辞した人は、恐らく五年後に日本で殉教の先駆が出、そ

れから又二十年以後には緯出するといふ漁感は抱いて居なかつたであらう。マルチⅥ′ヨが信仰の花だと敦へて

も、まだ霞の奥の花を指すものであつた。

それと同じ様に、﹁信心線﹂は、又迫害者が吹捲を以て如何誉迫書の手段を表すかといふ書措いて居る︵ ︶。制札、追捕、没収など、何れも普段々日永セも事箕にな少、寛永年間にその頂鮎に遷した事算セあるが、﹁倍 キリシタン宗教文学中の殉教文薪 只

(5)

キリシタン宗教文型中の殉政文蔚

も角.過去の殉教者の忍受とヂウスの御加護を讃美する偏に描かれて居る。勿論、讃歎と共に、必要に應じてそ

の跡を畢ぶのが、キリシタンたる者の義務だと云ふ激励教訓をも含むで居るには遵ひないが・主要動は過去の諌

歎であり、ヂウスの舎崇忙ある。然るに、それ等の苛貴も、二十年後には虎々事案になり、日本の虜政者は今ま

でにない苛黄の手段を志すに至った。

拷問苛責を加へても野手が頑として之に屈しないに従って、追善者が新手段を諾するのは、人間の心理として

敢て不思議ではない。それにしても元和から軍水にかけての苛貴幸段は如何にも頻忍で一日本で生別後に殆ど例

のない位であつて、それが総て日本人の考からのみ湧き出たや否やと疑ひ得る位である○即ち、想像をめぐらせ

ぼ虔崎代官等、その他迫害の常局吏員には、ころび者も少くなかつたのであるから、彼等が信者であつた間に読

んだか聞いたか、此等の過去の苛責記録を幾分知って居て、今度はそれを質際に應椚したと考へられる。ころび

着たる代官末次平成の如きは、憶に此の如き事をなし得た酷薄の人吻であり、その他下級捕吏等には無名の牢戒

が渾山居たのであるから、此の想像は必ずしも峯とは云へまい。其を静明すべき的膝の材料はないが一日本で賓

行した苛貴方法とキリシタン文書にある記録とを比較して見る事も一材料にならうか。即ち極めて極端な︵又誇 張とも見られる︶苛貴方法、餌ちカテリナを茸めた花車やロマで多く周ひた猛駅︵此も日本にも一例はあるが︶を

除けば、方法は大抵両方豊ハ通である。焚殺、穴つるし、あぶりこ、手足切断等は勿論の事、竹鋸や、袋に入れ

て海に沈めるのでも、同様の事が西洋にはあり・只温泉岳の噴湯づけと賂印だけは−日本の新工夫といつてもよ からう。此鮎は.伶ほ詳しい比較と前後事情の節究とを要する事であるが・兎に角・迫害拷問が加はるに従って、

(6)

今までは概念的教訓であつた記鉄が、蟹際目前の激励となつた事は明かでありl而して又同じ材料が、迫書する

側に逆用せられたといふ事は、十分想像し得る。

兎も角.マルチリヨに関する文章は、キリシタン文拳書に現はれ、而してその大部の物竺五九七年の殉教前

に刊行せられた。即ちその内容は、概念的教訓又は追憶奇崇であつたのが、段々日本で事貰になるに應じて、終

に目前の激励又注意として、﹁勧め﹂が出来、命竺屠切迫した1心得﹂にな少、又賓際迫宰に苦しめられて居る

者の書簡にも現はれたのである。

そこで、マルチリヨ文篇の前後を通覧して、事前の訓誠と眼前の激励との費遷を戦察するのは一博通史の上に

も文畢の上にも重要の事項となる謬である。

二、マルチリヨの意義説明と諌歎

そこで﹁勧め﹂やr心得﹂の出るまでの教育は大抵骨都謬物であるから、その原著に‖本といふ特別の関心の

なかつたことは勿論、都評者も空般の教訓又は教理詭明として之を停へたに過ぎない。然し、キリシタンの敦

は、その大木がキリシト自らの死︵此もマルチリヨの一種・否原型︶から椚馨し、初三百年の致命史は大牢が殉

教史であり、且つ十た惟紀に僻道が世界に擁がるに際して、螢地で殉教の例も段々に出て来たのであるから、マル

チリヨといふ一事は、キリシタン信仰にとつては賢際雫火の一項目であつたっ且つキ”′シト自らの死は、萬人を

救ふ満と云ふ大字解約意ジがあり、アダムの堕落と相拝んで、ヂウスのポロビデンシヤの現れだ三宝事になり、

キリシタン焉秋文里中吟殉扱寸、欝 五 β

(7)

キワシタン宗教文斡中の殉教文節

従って又それは、世界の創造、人間の運命、別しては世界を支配すべき軟骨の天職と密接の聯絡ある事になる。

従って一般信者の殉教も皆此等世界的規模計劃の一部分一要素となる謬で.殉教の事箕は、葺際の教訓たるのみ

ならす、数理即ち宇宙説明の中に必然の位置を占める事になる。それ故、護敬意たる﹁信心録﹂には、此の如き

意味での教理詮明を施してあるが、その他の文書では、多くは教訓激励として殉教の事を詭いてある。

先づギヤドペカドルは絶てが退悪修善の箕際教訓であるから、殉教もその一面として教へてある。即ちキヮシ

タン道徳の中で冒邑eNp堅固強精の徳を勤める鰯に、一方には修道者の禁欲生活と、他方にはマルチルの苛貴

忍受を奉げて勅諭してある。即ち日く、

右の鏡︵山居の修道者︶をもても未だ遷せすと思ふに於ては、マルチレスの鏡を見よ。ニケレジャよりは

日としてマルチレスの上を顛し⋮:⋮・

其道を畢ぼせ給はんが属地。然るに貴きマルチレスの御身といふもー

今の我等が色身に替り給ふ事なし。マルチレスに御カを添へ給ふDSも今更替り給はす、人々の眼をかけ奉る けらく 天の快粟も古今かはる事なしといへども、如此の人々は/水き世の命を保ち給はん霧に、かほどの辛苦を堪

ぇ給へぼ、是を鑑みて我等も天の寿命を保つ褒に、いかでか骨肉の邪なる望みを捨てまじきや。善人澤、深

き飢渇を堪え給へば、いかでか汝一日のゼジュンをなすまじきや。クルスの上に打付けられ給へどもーオラ

ショをやめ給はぎるに、いかでか汝、膝を立て片時のオラショをなすまじきや。御身命を惜み給はず、悪

たヤ†し■むら 人共より害をなし奉る事をも鞭くうけ堪え給ふに、いかでか汝の妄りなる望みを裁らざらんや。肉村をば熊

ら●−ノ 手にてかきさかれ給ふに、いかでか汝御玉Ⅹに勤し奉りて少しの行醍をすまじきや。多くの善人−籠の内に β

(8)

︵ギヤ下巻七七、村岡版、下一三二束︶ に年月を透り給ふに、汝いかでか暫時の閑居をなすまじきや。 此書の出た一五九九年は、最初の大殉教のあつ空一年後であるから、此の勒読も既忙幾分は萱際的になつて居 た評であるが、昔時の状腰では、殉教が辟ほ績々出やうとは思はれなかつた時代であるから、此も先づ概念的教 訓に留まつ冤此と共に﹁コンテンてス﹂には、クルスの道として憾み辛労左堰画してあるが︵車一別︶、明に マルチサヨとは記してない。 ﹁信心録﹂と﹁サントスの御作業﹂とには.教理と歴史の上から見て殉教に関する章節が可なり多い。サントス とは一般に徳行の聖者ながら∵御作業篇に収めた大多数は殉教者であり.その模範は即ち又殉教の奨励であるが、 その後牢は、一々の列停ではなく.パシュンシャ、忍受忍耐、特にマルチりヨを説き、本文の章名にはないが、頁 毎に﹁マルチヮヨのことわり﹂と題を附してある。此書は一五九一年の刊行であるが、まだ葦際問題にはならす ヽ 詮の内容は大鰹に於て﹁信心録﹂と同一であるから一々之を叙する要なく、﹁信心録﹂の事を記せば、その中に合 心鉄﹂が教理説明を主とするに射して、絶てが算際的教訓的であるり然し、殉教の意義、殉教者の光柴など、所 だとその序言に記してあるが、文章は同一でない。叙詭の順序や.又その中に引用してある事例も大分蓮ひ、﹁信 とも、殉教奨励の意は強く報って居る。一際此の﹁マルチりヨのことわりLは、後にいふ﹁信心鈷﹂の原本と同一 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ まれる繹である。然し、本文を諌む汲備として、又比較参照の虜に、先づサントスの中の﹁マルチりヨのことわ り﹂の綱目を挙げて見る。 ︵原書の章節に基き、綱目に番兢を附し、真数を附して︶ キリシタン宗教文筆中の殉教文薦 七 ア

(9)

マルチレスに勤してはデウスの保純合力があり、その褒に台特を顔はされる。

拘第十七輩線詮︵霜折︶。 勒同 司 ︵t一 瑚同 伺

散骨の許嫁には軽々あるが、マルチりヨは眞理を澄明する血の茫操として最も貴く、又従って信者を感化し

激励するカである。その意義を捕へるには、肉眼でなく婁の限で見るべく、キヮシトの御パションはその原型

模範である。

竺節︵竜箭︶。 サンシビリヤノ︵S・Cヨ牒E.nO︶が殉教激励書簡、マルチりヨの功徳﹂使徒パウロの箕例、彼を繋いだ錦の事。 竺節︵㍍訂︶。

マルチりヨの意義、それはデウスの光発と人間の奥態との褒であり、又キりシト自らの一生忙見える如く、

肉鰹を粟て1、憲に人るが世界の目的。従ってマルチりヨの道も重の遣であつて、信者が肉牌を重んじて信 心に怠るを諌める桐をなすと共に、マルチル等自身はそれ忙依つて天hの螢冠を得る。 撃二節︵㌫折︶。 マルチりヨの道は..ヂウスに謝する忠節の鰯に悪魔と戟ふ密闘で、その辛労、強固、忍受、奮闘に依って天

上の位を得る。

詣節︵加減﹂︶。

キリシタン宗敬文政中の殉教文箱

十六草紙設︵童訂︶。 入 β

(10)

の同一節︵一

エケレジャを亡ぼさうとする悪魔の軍勢とその用ひる苛責の撹酷。

拘マルチレスの合戦︵二∞箭︶。

マルチレスは此の苦戦に際して天上の壌勢を得るが、又キワシトのパションを観念する事に依ってカを得、最

後の膠利を得る。

桝第十八草︵二認則︶。 ロマでヂコケレシヤノとマシミヤノ︵崇邑etiB。こIPHimi琶︶帝の迫害、その苛責とマルチレス。 岬第十九章︵二㌫則︶。 サンタオラリヤ︵∽・〇㌻l︼−p︶を始めマルチイナ、アナスタジャ等、婦人マルチレスの事。 刑竺十章︵

㈹第廿二又

9 パピロニヤとシェルサレンとの封照。悪魔に謝する戦闘に於て一書人達はデウスの司令の下に信愛望のカを張 めて勇戦し、その果報を得る。 サンケレメンテ︵S・Cleme旨︶の一生、その長期の苦難と殉教、それについての観念、特にヂウスの御合力を 頼むこと1御パションの搬念。

レヨンとビエナとに於ける迫害とそのマルチレス、迫害中からの書簡井にマルチレスの詐徳。

キリシタン宗教交野中の殉欧文持 〇二束 九人−/e 四六− 八八東 〇五災 八九1−ノ○

(11)

㈹普豊︵≡箭︶。

スミルナに於ける迫害.サンボヮカルポの殉教。 ㈹第廿喜︵二三一む。

右に記したマルチレスの作業についての観念、マルチリヨの不思議。人が天性に背き喜んで死に就くはデウ

スの力、特にあらゆる苦急に耐えるは自然の事でなく.特別の加護から出る不思議・又その人数の多いのも

不思議のカ。

㈹苧六章︵三監折︶。

迫害者の運命、但し罰は直に現世に於て加はるとは限らぬ。それでも迫害着たるロマの帝王は皆現罰を受

け、之に反してキサックンになつた帝王は皆昌へた。

右併設の内容は、﹁信心録﹂に於ても周じであるが、﹁サントス﹂では嘗際の教訓である粘を.信心簸では、絶て 数理説明の中に編入してある。マル言ヨに学芸の主要部は、第二警十九、二十、≠この三章︵二虻地引︶

にあるが、此もヒイデスの詮嬢として、その他の徳行や敦曾の膠刺や改言と相井んでの論定の一つになつて屠る。

っまり.ヒ‡丁スの眞理で、それで世界全鰹を感化する、その一面が天魔に謝する戦闘、肉身現世に謝する婁の 膠剰を示すマルチ¶′ヨとなるといふにある。然しーこの主要部以外に、教理詮明の中にもマルチりヨに言及して

キサシタン宗教文華中の殉教文箭

囲苧二及廿三尊︵ニ謡東l︶。 ペルシャでサボル︵S竜。r︶王の加へた迫害井にマルチレス。 rβ

(12)

あるから.それ等を絶て順に列聾する。 川第二巷第一章、ヒイデス線訣の中︵㌍則︶。

マルチサヨは信仰の澄擾の一つで、男女老若の別なく、信仰ある人が之に昔る。

囲同第十五章、異教滅亡の事に関して︵蒜針︶。

異数の偶像は天魔であゎ、キワシタンの信仰が之を亡ぼすので戦となり、三吉年間の嵐となり、無数のマル

チレスが出来た。

伺同第十六軍世界の改良関して︵

右と同意でキリシタン膠利の鰯にマルチレスが出来た、マルチレスの貴いといふ事。

以下三幸マルチヮヨ主要部。

㈱同第十九車線詮︵二義酎︶。

マルチりヨは信仰の許嫁であ少、デウスの光発と信者の果徳を登揚する虜に生じ、その苦急難難の多いほど、

それが顛書的経に顛はれる。

囲同輩第一節︵ マルチルが多けれぽそれだけ天の都城、即ち膠利の敦曾を飾るこ−とになるが.それだけ苦戦を必要とし、苦

戦を経ての膠利は散骨の光発となる。叉この苦戦にはキリシーの御パションを観念してカを得る必要があ

少、マルチルの光粂は又キワシト自らの光粂を顛彰する。

キリシタン宗敏文華中の殉教文篇 二三七−ノ0 四四東

〇一束 九九−ノ0

JJ

(13)

キワシトの御パションと死とは.マルチル忙射する感化合力ハ源泉であるから、マルチルの受けろ苦出けーそ

の合力で弧められ、希望のカで殉教のカを加へる。

閏同輩■窮≒節︵但し本文には第二︶︵二諾両︶。 此に勤して悪魔は悪をそ1のかして迫寄を加へ、あらゆる苛責の方法を巧み出すからー此に勤して甚溌の兜

悟を必要とする。

閏同輩第囲と五節︵本文竺と旦二相打︶。

マルチルの数の甚だ多い事、その苛責、苦患の探測な軍之に虚してマルチルの忍耐の強い軍此等は常御

パションの功捻の甚大なるを澄明し、キりシトと共にマルチレスの光焚を輸す。

仰向鷹三十真芯計︶。

マルチルの増例十七日、即ち殉教サントスの御作業。

㈹同第廿一章︵二折東︶。

マルチルの因級事情は種々あるが、結局は信仰のカ里芋。その数、その位、苛責の離烈、受難の勇気、ヂ

ゥスの合力等、前章の紙括。︵次の第廿二奪は奇特l如ち奇蹟の事を記すが、画接マルチルに勝れてない。︶ 甘廿三輩、世界をキリシタンk感化するカについての一節︵≡訂︶。

マルチルが苦忠を耐える力。

伸同葦第二節︵ キリシタン宗教文勢中の殉秋支倉 二四丘−ノ0 五C頁

(14)

囲同第廿七草、第二巷併設の総括の中第一節︵志箭︶。

マルチルの苫患に勤して迫害者の受ける現前。

岬第三巻第七草、キワシ去禦ションについての併読の中雷節中の一節︵開削訂︶。

キワシトの御パションを模範として力としマルチルの苦戦と名著。

㈹第三者第十二軍御パションとインカルナサンとについての併読の一節︵諾︶

マルチルの苦忠貰徹はヂウスの智憲合力の現れ。

此の如く同じ諭鮎が南方に出て居るのは自然の事であるが、その文章や引例は可なり逢ってゐる。例へばサン トスの㈹乃至叫に種々殉教者の話しがあり、信心蝕の桝には十七日もあるが、一つとして同じなのはなく、又何れ ︵ もサントス篇の前部にあるのとも違ってゐる。叉同じ信心録の中でも何と叫とは論鮎は同じで重複して居るが、 ︵ 云ひ方は違ってゐる。其他、詳細は略する。 三、マルチリヨの勧説激職 同じくマルチりヨを説くにしても、過去の事例を讃嘆し、又は教理として詮明するのと、目前の事賓として勒詭 するのとは、その怒度の達ひが文字に現はれるのは必然の勢である。而して日本で殉教が目前の事貨となつたの は一五九七年の二十六人殉教であるが、樽ふる併では、その翌年、天草で日本字で刊行したマルチリヨの一書が キリシタン宗教文拳中の殉教文箱 73

(15)

始ま少、寺を破壊し、信者を追放し、幾分殉教者も出た事であるから、有馬僚で働いて居た教師が、法難に應ず

る偏に信者に勤して勒誠又ぬ注意書を輿へたものと見える。此の一篇も葦物が出て来なければ的確の事峰云へな

いが、﹁静め﹂に似たもの、その前駆と見るべく.マルチサヨの讃歎よりも.迫害に廃する覚悟を壬としたもので あらう0 そこで命ほ一歩進めて、迫害が一般になり殉教者が段々槍すに及びて、慶長の未年に出たと思はれる1マルチ

サヨの勧め﹂に至っては、勒詭が具鰹的に又直接になつて居る。而して前代の文昔にない諭鮎もその中にあるが

それと共に前に書かれた書から材料を得たと思はれる鮎もある。俵て前二育と共に他の殉教文篤と共通の鮎を、

﹁潜伏﹂の頁数を基にして列聾する。

キサシタン宗教文撃中の殉教文照

一四

ぁったとレふ。此はブ云ヒレー︵−季ハ︶にべ一口ゴメス︵写。曾me芸作だとして音牒e胃−富口星 日当耳完︵マルチヮヨ釘功徳︶と名づけてゐる。現在までその賓吻は費見せられないが.最初の大殉教から生じた精

紳的昂奮を代表するものとして昔にあるべき作である。その内容は勿論不明であるが、その番目を見ればー信心

鉄等と同様に殉教の徳を讃嘆したものらしい。それでも目前の事例に鑑みて.激励の意味を包むで居た事は想像

し得る。

それからして一方停遣も進んだが、迫害も段々加はつて充た慶長の未には、段々葦際の勒詮が現はれて来た。

二三 頁 その;として、一六一二年に有馬讐、迫菩に虚してどうすべきかといふ事を敦へる書が出雲といふ︵ ︶。此年は、駿府で御豪人に射する歴通が始ま少−江戸では殉教者も出宗、それよりも有馬顔内で大に腰通が 7J

(16)

一九二﹁妻子、財軍嘉の三つに心引かれて信心や殉教精紳の慧る事。1シャシソトの書簡﹁噂道﹂︵㌫︶。 一志、妻子財驚には何れ完別すべ量、従って心引れるなといふ訓誠。−内藤釆女の蕎、﹁人物﹂︵正箪 シャシソトの書簡﹁停道﹂︵議︶。 二CO、身をのみ殺す者を恐れす、身をもア一一マをも亡ぼすヂウスを恐れよ。−・−シ.シソトの書簡、﹁俸道﹂ 一八二−一八八、迫害者が直に罰を受けぬ理由。・−−−此は右信心詠一三やサントス一六に現罰の例を渾山挙げて 一八〇、殉教竺は弱いキヮシタンを警る褒。−サン三、十六章二節︵転。 一七六、人壱金の如くに錬へる事。−内藤采女の書簡、﹁人物畠監︶。 一七四、殉教と。ハションの戟念との聯洛。−取部甚五郎とシャシソトの書簡、﹁人物﹂︵二謡︶。 一七三三つの悪徳に射して戟ふ三つの善徳。−信心蝕三春十八草、キヮシトの徳︵蒜︶。

ゐるのと封照して興味ある鮎で、後に詭く。

但しサントス︵二整には現罰の直に現れぬ書も詮いてある。 一八四、悪人に射する前基世に延す事。−サン三、廿六章の中数行︵二竪 一八五、アウグチイノの言。−一1⊥類似の引用文、サントス同右︵ニ守 一八六、悪寺冨が故に殉教のサン三が出来たといふ事。−サントス同右︵監守文章同じ。 一八七、彗等が罰を受けた賓例。−・サントス右同︵ 一七九、現前日本に歴然の事例。−シャシソトの書簡−﹁人物﹂︵⊥ キリシタン宗教文華中の殉教文薦 イ尺

(17)

二二二、マルチルは一。−の善力近あらず。−サント

二二三−マルチリヨに慧の必警事。・⊥ントスの中マルチリヨ廿壷/配腎但し㌃簑琶

二二三、殉教朋意の薦の善事信行。−1服部甚五郎の書簡、﹁人物﹂︵宗︶。 二二七、御恩と殉教との聯絡。−服部甚五郎の昔管、﹁人物﹂︵宗︶。 二C四、その中、迫害も一時の事だから、暫くその過ぎ行くを待たうといふかこつけ。・−−Iシャシソトの書簡、 二〇〇以下.一。ろぶ計のか。つけ貫種芸言分。・−1シ†シントの蕎、﹁停道L︵山歳計︶。 ﹁椿遥L︵山築釘︶。

二三マルチル彗ウスの光警警す。!信心錬二警九章︵二撃サントス十六章二節︵㌫︶。

三三、ヂウス墓敬する管してのマルチリヨ。−サントス十六章二節︵一前︶。 二蒜、聖母マりヤもマルチルに準ずる事。・・・・信心録.二巻i九草︵ニ等 三四.洗警ハネのマルチ三。−サントスの十六章二節︵鮎︶。 三六.使徒パウロの遺骨井に鎖の事。−サントス右同︵㌫︶。 二∵ハI二一九、マルチルに現れた諸の奇特。i信心錬二軍九章︵虹等サントス右同二姉針︶。 三九、サンケレメンテの棺の事。・−信心録右且 ニー九、サンタカテリナの死際の事。− 信心蝕右同

キ∴リシタン宗教文蝉中の殉教文茄

︵鉱︶。 二四 一1. ︵鮎︶。サントスの中・カチエの事︵臥五︶。 ︶。ギヤ︵群四︶。 TJ了

(18)

二二七、殉教とバションの朔念。・−−−上記一七三頁の分と同じ。 そこでこの﹁勧め﹂に於ても.マルチリヨはデウスの光粂と信仰の澄明の鰯であり、殉教者にとつては来世の

果報の鰯だといふに大淑目に於ては、前二番と同じであるが壷懇切迫の勧告としてぢつと痛切の助議を壬とし・

叉常時信徒等の間に起った疑義に謝しても解答を輿へんとしてゐる。

その要粘は、先づ第一にマルチリヨに射する疑義である。ヂウスが大緒ならば、何故に信者を嘗める様なマル

チサヨを行はせるか、何故直に迫害者を罰し、奇跡を以て信者を救はぬかなどいふ疑問に勤して解繹を輿へる。

ヽヽヽヽヽヽヽヽ

その秀一にマルチりヨの必要として五項を拳げてゐる。

一、迫害苛責によつて眞の信者と償の者とを陶汰する一郎ち穿と稜穿とを底別する展、文具金を鍛練する虜。

︵童箭︶。 二、ヂウスの光柴、教曾の勝利の焉に.天魔の強敵に打勝つ軍此事は今日本に眼前の事葦で、迫害のある馬 に蹄致する肴が苧︵蒜如む。

三、迫寄書にも打讐教。そ眞の警あるから、教の羞姦筆墨㌶則︶。

四、キワシタンでも異にヂウスの御恩を知らぬ者もあるから、之を折檻し又信心の轟い者を弊威し奮起せしめ

る墨梵天l︶。 五、迫音量ける宴等が、蒜の誠嘉す事によつて、天上聖果報を受け得る様にする償︵“竺射︶。

右五項の中夢二鱒前項の重複にな少、活着最も重要なのは第二のヂウスの光粂と第五の受難者の果報とになりー

キリシタン宗敏文撃中の殉教文眉 J7

(19)

此は他の諸寄にもある。其以外に注目すべきは、前二番には殆ど現れて屏ない第一の眞償陶汰と第四の折檻の事 である。聖書には穿と稜蓼との唇もあるに、前二書が此粘に解れないの.は寧ろ奇妙である。御折檻の事も、イス ラエル民族の流窺など背約にも多く出でゐる鮎であるに.此の亦二審に漏れてゐる。それと云ふのは、二書のマ ルチりヨ論は、目的とする靡讃歎棲蕩にあつて、朝食的であるに反して、﹁勧め﹂が痛切にその事箕に面してゐた 食であらう。第二項−ヂウスの光発といふ革も一倍心録の叫でマルチサヨの因縁五つを敦へた中、ヂウスの御加 ︵ 警して述べてゐる事︵二仙箭︶と同じ冨るが三者毘べると、﹁勤め﹂の方のカある論述文句に謝して、信 心録の方は峯に浮遊し孝言詮といふ感じがする。﹁勧め﹂が単に綴少合せでない事は此でも十分何ふに足る。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽ一 第二の問題は、何故に迫害を加へる悪王等が直に罰せられぬかといふ事で、答は、ヂウスの正義は犯すべから ざるものであるが、直に罰を加へるのみが正義でないといふ事に節する。此にも五項を分けてあるが、重複交差 してゐるから一々分け述べない。要するに封のないのでなくて罰の延期であ少.それは迫害者自身に悔悟の機曾 を輿へようとの慈悲の曹蕗であり.又一つは迫害者あるに依って、迫害せらる1もの1功徳を檜す膚であるとい ふに節し、特に来世インヘルノでの罰といふ事を主にしてある。此は先に述べた二書で悪王現罰の例を多く挙げ てある過去の追憶に比して、現前迫害者と封抗しっ1ある信者等の心にしつくり宛てはまる。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽtヽヽ 第lニにヂウスに背き信を棄てる事の重罪なるを強調してあるのも、前二書には飴り強く現れてゐない鮎で、迫 害と戟ひつ▲ある時の産物たる特色を能く表して 此には重罪たる併以を十項に分けてあるが︵福計︶一基げない。此等は、前二書マルチルの記鉄中に反面 キサシタン宗教文撃中の殉教文常 Jβ

(20)

から詭いた灘もあるが、此方では飴虚事でなく、直接問題として簡潔に十罪を数へてある鮎に特色がある。

ヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽヽヽ︳

弟四に、迫害に屈してころぶ者の動機を列挙して各自の瞥戒を促してあるも﹁勧め﹂の特色でそれに四條ある。

一、現世の財撃に懸念する事。■−Il此は朽ち果つべき財賓の虜にアユ ︵蒜箭︶。

二、妻子や友人に執着する事。靂此亦、何れは別離すべき現世の伴侶の焉に、天上不替の伴侶を失ふ者、天

上の伴侶はアンジョであぇ︵蒜畑則︶。 三.現世の主人に屈従する事。−1此れ同じ︿永遠の主君デウスを忘れ、特に我等の展に一死を敢てしたキワ シト姦てるもの︵蒜新︶。 四、迫害の苦痛、苛責を恐れる卑怯臆病。− 此に射しては、古来のマルチルが如何に強く苛貴を忍受して信 仰を貫いたかを観じて、自らの臆病を征服すべきである︵一一一流則︶。 此等も.二書−には始終詮いて雪が、此窄け組織的でなく、又簡荒切で漂。之に反して﹁慧﹂︵山㌫董

に出したジャシトのジョセフの殉教激励には正しく此の四粘を拳げて居る。

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

弟五尤、迫害に怯えて信を粟て、ころぴを言明する者のかこつけ。此は箕忙慶長の後年に起って充た迫害の嵐

の中で段々出たころび者の中に、賞際に現はれた辞解かこつけであつたので、前二書には放けてゐる。此こそ

書物や概念の上で得尭記事でなく、貰際の境遇から出た産物であり.それにlニ項ある。三項の内容は結着同じで ぁるが、賞際かこつ富のあつた跡を俸へ、而して﹁停学︵山襲釘︶に出しておいたジャシソよ濫にも同じか

キリシタン宗教文革中の殉教文篇

︼九

Jタ

(21)

此の如く信仰を貫いてマルチルになれぼ、その光螢は天上至高の任になるといふ雫此亦一々記述する要はな

く、その記述の材料は前二書と共通が多い︵二三副︶。

ヽヽヽヽヽヽヽ

最後に、マルチルの蒐悟、此亦簡で痛切に五項を拳げてある。

一、謙遜の必要、即ちマルチルになるとて誇りの心を以てしてはならぬ事。

二、マルチルの覚悟を定め進んで之に就くに雷って、心身を揮うすべき革。

三.オラショを申上げ二アサスの加被合力を頼むべき事。

四、妻子脊族その他現場の人々に信仰を勧める事。

による眞理の表彰など、此等窟二書にも同棲の鮎は多く現監て居る︵ 一、信仰を主張して遠方に流罪にでもなれば、親しく教師の数を受ける事も出来ず.又一時信仰を曲げても後

こつけ言を挙げて野戒して屠る。

に能く之を貫けばよいではないか。

二、心中さへよく信仰を保てば、表面には一時、ころぶと見せてもよからう。

lニ、迫害の嵐は今は激しくとも、暫くで過ぎ去らう.されば一時之を凌いで、その和ぐのを待サ霧竺時の便 法を講七てもよからう︵二∞霜︶。 此等に射する叱責厳戒は一々述べる要はなく.その中には、駿河の殉教者道帝の箕例をも引いてある。 ヽヽヽヽヽヽ︳ヽ︳ヽヽヽ そこで棒じて、右の反射に、勇気を以て信仰を貫く功徳については一天囲の果報−サキサヒショの意義、殉教 キサシタン宗教文型中の殉教文節 〇六 一〇 則︶。 β∂

(22)

五、絶て頼み聖アサスにかけて、身命を調つにも、その光桑の偏に捧ぐべき事︵二二訴︶。

而して此の最後の項について、特に殉教に際して心に概念すべき駄、ヂウスに身を捧げうとの心と共に、その

御恩忙封する感謝を、哲りの警して示して雪︵二㌫頁−︶。

此等も材料は多少、前二書にあるが、﹁勒め﹂の教訓は直接であり、又最後の所りには光とカとがある。

﹁潜伏﹂︵宗︶にも運べた如くー﹁心得﹂は﹁勧め﹂より一層切迫した迫害に面してー直に生死の分れ目になる行

動を決する鰯の適切な葦際的訓令で、讃歎の修辞もなく、又激励とか教訓とか言ふ粘をも飛び越えて直接の指導

である。逮捕に虚してどうするか、刑場に臨むで、如何の心を保つか、どうすれぼ罪になり、どうすれぼマルチ

ルになるかと云ふ様に一々心得をひしひしと示してゐる粘に於て.卒和時代の二審が追憶や讃欺を事として修辞

的に述べてゐる文章をして顔色なからしめるものがある。従つて聖書文句の引用は只一つ、古事の例は只二つ簡

単にあるだけである。その引例、セバスチャンの事はサントスに長物語があ少、てサショの事牲信心級︵毎

にあるものであるが、勿論文句の引用でなく、短く事柄を述べてある。然し、此等の草例に目前日本での革質を

穿てないのは物足りない感がする。例へぼ、:武士マウリショが武力を以て反抗し奈つた︵虻竪と同じ

く、高山右近や熊谷豊前の事が一宿適切である。同様に、教師たる者が逃げ隠れをする褒に信者が気を落として

はならぬから、此の如き場合には進むで名乗り出づべき事を詮き、その箕例としてセバスチャンの事を挙げてあ

るが︵二≡酎︶、此には目前に挑戦的殉警エルナンドとナバレテの事例があるにーそれ姦げないのは−物号

ない。

キリシタン宗教文華中の殉教文蔚 寧J

(23)

キクシクン宗教文華中の殉教文第

二二

ヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽ︳ヽヽ 第四項に殉教の難に虚して如何にすべきかと云ふ事項を十四列挙してあるがー婁復交叉の多いのは−蓋し沈思 して能く分類些理する飴裕なく.目前の必要に應じて思ひつき次第に書き連ねたしるしと見るべきである。然し 書き振は何れも緊切で力強く、此も血涙の産物たるしるしで、特に最後.刑場で他人に論法する場合の算例とし

て挙げた款行の文字の如ぎは、賓に死に臨んでの信仰の火花といふぺく、其他線て生死の巷に出入した魂を示す

粘に於て、血涙の費露である。されば彼の﹁助め﹂が慶長の未年−迫害の嵐が吹き始めた頃の産物たるに勤して− 此の﹁心得﹂は、元和年間︵或は軍永の初期︶.迫害の嵐の中に殉教の血の蓮少、而も信徒の熱心は寛永年間に於 ける如く萎靡し始めなかつた時代の産物と見るべく、多分元和八年︵−罠︶大殉教の迫りつ1ある時の産物かと考

へられる。

先にも述べた如く﹁勧め﹂の中には慶長十九年︵−≡︶駿府の殉教者ジフン道春の事を記してあるから、その 後の物らしい。その前からあつ売文吾に、怨だ事例孟ヘ音のと見られるが、その前︵鮎︶にも﹁此軍今日

本に於て眼前に歴然﹂云芸あるのを見れぼ、文章の凍きれら見ても、後に加へたとの璧昆竺厚躊躇する。

兎に角、右の如く﹁勧め﹂を慶長末.﹁心得﹂を元和年間と見てよからう。 此等と共に葦際迫害に虚し生死の間をくゞりつ∴或は他を激励し.或は自らの覚悟皇呂しー臨終のコンヒ

サンをもこめた書簡も多かつたに遵ひないが、現存すむ物は教は多くはない。而して此等は、今西洋例の繹文で

知れてゐるだけで、その原文たる日本文はどこかに潜むで居るかも知れぬが・兎も角今はない。それ等は崖道﹂

第二十七草と﹁人物﹂の虔々に蓬繹で出して置いたが、肥後の殉教者書簡の中には痛切の告白があゎ、叉ジ†シソ

β2

(24)

特に第三巻の中の二重︵第十九、廿、廿一︶が殉教論になつてゐる。 榊一五九四年︵?︶ ﹁臨終心得﹂の中。 作者不停。 二四菓、卸成敗に撮むで殉教に死ぬべきものに射する教訓。 ㈹l五九八年。 ﹁マルチりヨの功徳﹂ 作者、べドロゴメス。葦物不停。 同一五九九年。 ギヤドべカドル。下巻七七頁に殉教の讃嘆。 キワシタン宗教文華中の殉教文篇 トのジヲゼフの文は、先に比較引照に示した通ゎ﹁勤め﹂と似通ったものがあり、且もつと適切に目前日本の殉教 幻 者を手本促せよと勒諾してゐる。命ほ此の間に出た物でマルチヮヨ文拳申重要なのは二六二〇−二一年に有馬地 方初め各地の信徒がロマへ法った書簡で、その全文を﹁人吻﹂︵当節︶に出しておいた。何れも迫害の中に守 る覚悟と共に敦曾教皇の助力を乞ふてゐるが、そのヰでも有馬と長崎との分が、迫害打ついて最も悲痛の言を述 べ、且つその署名者の中にはその後殉教した青もある。何れも文章文句に於て他の殉教篤と似通つて居るのを見 れぼ.此等の文章が範を他に取った事も伺はれる。今此等絶てを年代順にして列聾する。 川一五九一年。 サントスの御作業。 評者、。ハウロ養方︵又は養甫︶父子。 全経としてサントスの多数が殉教者で其を模範とせよとの意味はあるが、特にその最後の盲七十頁﹁マルチ サヨのことわり﹂が殉教の讃嘆と奨励とになつてゐる。 拘一五九二年。 信心録。 胡浮出版主任.ペドロライモンド。 教理の上から、キリシタン宗教の眞理であるといふ琵接の一つとして殉教を詭明し、庭々に論述があるが、 二三

(25)

キサシタン宗教安寧中の殉教文節

二四

M〓ハ〇二土奉。内藤飛靡守とその子釆女との書簡、自己の殉教精神藍呂すると共に同信徒に封する激励。 雲不停.詳文からの諾は﹁人物﹂︵≡箭︶にあり。 の一六〇七−八年。ジョアン限部甚五郎の書簡。マルチザヨの螢悟と陳終用意のコンヒサン。 雲不俸、更からの遁辞は﹁人物﹂︵註箭︶。

阿一山ハ一二年。。ヘルセギサンに虞する心得。作者不停。長崎改で出来たと停へるが葉物不停。

桝一六一五年頃。マルチ三の勧め。作者不倖。﹁蒋伏﹂︵完箭︶。 ㈹三二〇−三年。日本各地信徒から教皇へ奉答書。 五通の中−特に有馬と長崎との二通に殉書悟の表白が強い。﹁人物﹂︵男針︶。 伸一六三年。ショセフヂシャシン去霊に讐た書に警る心得、殉億踊の蕃綺。﹁停道L︵山㌫酢︶。 ㈹一六二二年頃。マルチ=の心得。椎葉停。﹁潜伏﹂︵ニ宗則︶。 牌一六二六年。パウロ内堀装荷門の数彗何。﹁彗L︵山神㌶頁−︶、﹁潜伏﹂︵山還副︶。

此の如く併べて見てその内容を検査すると、姶に述べた過少、マルチりヨについての費悟の華遷と時勢の段々

に切迫する状態が歴々と見える。特にその後の﹁心得﹂が適切に又簡潔で力強い貼は、シ†シソトや内堀の旦那に

危難を置いての激励と互に照し合ふものがあつて.血涙の迂りの拓き′∼としたものがある。而してその以後、

寛永年間、迫害の赦しくなると共に、此だけの激励をする欝等者も段々亡くなつた事と考へられる。然しマルチ

サヨ篇の樺尾には此の如き痛切な血涙の文字が出たのである。

(26)

固 頓 戒、源 流 諭

1主として最澄渡支以前の奈良朝沸教を考察す −

久 野 芳 隆

\ノ︶ ↓序説1末法時代の新倫慧慧㌣−ヒ最澄の波支以後邁邁を通じて撹承ぜる支部天台の受菩薩戒儀ミ戒律軌−E渡文 ︵ 以前最澄lこ及ばぜる奈良朝彿致

初案良朝時代に薄茶ぜろ梵網霞ま梓書

㈲潰塘教畢の解剖−−光定の一心成文−顕戒論の南唐謹軽の批判 何首時敦界の状態古畳澄の事茸上の動機−蓉眞の梵胡戒ミ四分療−帝都学匠聖二釆挿戎論1最澄の一向大乗戒− −学風の解熱を推定す

園頓戒の問題は単に天台宗といふ限られたる二軍涯で問題にする事柄ではない。少くとも新興併教徒の賓鎮静

の根本基調の上に於て考察さるべき一研究たるを失はないと思ふ。

天台の粥稜的立場はその根本的理論より導き出される第二次的のものではない。賞授的立場を除いて天台敦畢

を知らうとするも不可能である。生活の全領域を賓珪修道とする彿数に於て天台教拳の占むる地位はその理論的

M頓戒源流論 息5

(27)

放て以下彿敦史の立場から考察することlする。

戟貼を何鹿に置くかといふことを究明すればよい。

諸法貧相はあるが優に白魔された経験界のすべてを意味する。それがあるが健に白魚されす、現象を歪んだ形

の王朝.客観の如き封立した固定概念を以て眺める曝その誤れる見方を番に復し、あるが倦の相に引き庚さんと する努力こそ修道であるb囲蝕三静によつて覚られ.一念二手の下に活きる経験の相を知らんとする生活活動が

修道である。歪める習慣的な現葦生活を葦相の下に救照せんとする努力の外修道はない。蓉心修行とは速くへ旋

立つことを目的とすることでなく、自らの源に選ることを意味する。

天台の倫理戟も個々の道徳行鰯を一々中道妊相に清かす生溝を主眼とする。言ひ凍れぼ生活そのものが道徳行

虜の横線ならぎるものなしと叙する。世界は崇高なるこの人間行慮の無蓋である。

之を彿敦の術語で言へぼ或は一々中道葦柏に非ざるなく、自性清浄戒の光は凡夫たると彿陀たると菩薩たると

に鎗なく常恒不要に輝いておるといふべきである。

斯く解辞する支那天台の戒律救を継承し、その葦填方法を授かれる最澄の園頓戒建立といふ思想運動の源流に

常盤博士が諸法案相閏敵三紆の哲拳は最澄の創喝したものでなく、支那に於て充分婁達しー戒律思想の背景を

なしたが、小乗戒即ち二百五十戎といふ固定した具足戒を受けることから超脱することが出来なかつたのに勤し

て最澄が充分徹底してその実捨を断行し、到る虚まで到らしめたと断ぜられたのは全く卓見である。

最澄の小誠実捨はやがて日蓮法然親漕の受戒に謝する潜度を導き出し親好の如きは徹底して愚禿と耕し出家形 が

観焼成源流論

(28)

を菓捨したのである。

顛戒論に於て最澄は山林偶数を高潮し出家より出家するの必要を力説しておる。彼は大集経月賦分.法減車経

等を引用し、正俊時過ぎ末法塑来の時に於て機に適する沸教の如何なるものなるかを問題としておる。

︵顕戒論下、開示知時任山明墟由十七.開示蘭著修単発一義諦六羅著明墟四十八、大音二間経七十匝瑳、六一四賀︶南都の

檜統は官許の借職であ少、檜官であつた。最澄が山林彿敦を高唱して出家の出家を必要とした時代相を知らねば

ならぬ。法は如何に完全でもその時代の磯に如何なるものが最も適するかを知らねぼならぬ。貴族と等しき檜官

に謝しての具足戒棄捨の宣言は昔時の融曾に於ける峯谷の発音であつた。南都六宗によつて蘭菊菜を競ふ敦拳研

究はあつたが箕接の駄は大に快けてゐたと見るべき鮎が多い。彼は来るべき時代の併教は僧侶の専有することを

避けて之を一切の人類に共有せしめんとした。その理想の賓現は彿敦制度上の改革にある。之は最澄の理想であ

ったがそこ迄徹底した賛際問題は貴報出来なかつた。

彼は人々が末法の世に立ちて如何に彿教を活かすべきか.如何に彿敦を経験すべきかを決定したものと言へ

る。如何なる劣悪の機も最上微妙の一乗法を経験し得るといふ理想が園噴戒である。

ともすると道徳修練の努力を弱める諸法賽相の軌跡論に立脚して而も如何に人類が道徳的賛域に努力せざるを

得ないかを最澄は敦へた。

有ゆる救ふ能はぎる程の重罪を犯せる末法悪業の磯にも絶て正しき戒を認めて人々に道徳的貰践を再忽念せし

むるのが圃清境港の一向大乗戎でなけねばならぬ。 画境戒源流脊 g7

(29)

闘頃成源流給

二八

一切の彿法を拳ぶといふこと竺切の人類を完成することに結きる。一衆挺官完成しないではゐられない。

世界は度を滝野掟件とする駿の舞宝である。二空軍中道貧相を開斯せざるものはない。即ち世界の何一つと

して道徳的行鰯の機振にならぬものはないっ庸てが縛相を表し、具醍的の経験の下に溶きて怠る。

鎌倉沸教の源泉たる叡山の中心人物最澄が従来行はれた四分律小戒を案捨して園頓一魂の大戒を持すべきこと

を宣言したことは印度小乗敦圏︵敢て輝舎の原始教団といはない︶成立以後未だ嘗って無かつたことである。

日本彿敦より見たる道徳の骨読は眞俗一貫の道徳得である。出世問の教国道徳によらず伶俗を一廿盲る一切人

類の普通妥常なる道徳律によつて有ゆる人間生活の秩序を錐拝せんとするにある。此鬼に嘗相園心に立脚せる新

倫理運動の展開が起ったのであつた。この新倫理運動を建設することは如何に悪戦苦闘しても悔のない生活であ

った。即ち虚峯不動戒の樹立は新日本倫理遊動と見てよい。

最澄の戒壇建立の運動も死後成立はしたが.しかしその偉大なる花は叡山の正系に果を結ばすして反って鎌倉

の平民沸教に新なる芽を生ぜしめた。最澄は次で来るべき無戒出の黎明時代の偉人であつ冤

園頓戒を貨際受ける場合に必要なものは受戒俵である。詳しくは愛書薩威儀と耕する。之は大乗戒を受ける賢

際上の儀式で、小乗の受戒儀式と封照比較せらるべきものである。その内容は主として大乗徒はその生活悪疫を

如何に慮すべきかを敦へ且つ道徳的規定を定めたものである。

最初その基礎となつたものは梵網経、地梓経︵壕伽師地論菩薩地︶・硬洛経の中の一でー他の経の内容を含まな gβ

(30)

かつたが、後世になると一つの受戒俄に各控の内容が併せ採用されておる。

最澄は湛然の受戒儀郎ち妙柴本を採用して自己の受戒鍋蓋琶た。湛然の受戒犠を普通妙柴本と幕するが、こ

の妙柴本はその形式を法相宗の憲沼に拳んでおる。暮沼の受戒儀は塊伽師地籍菩薩地中の戒品を中心とせる玄英

断倖の安立産威儀である。而してその内容は憲思造と倖へられる受戒儀を中心としておる。憲思本は元来意思の

眞撲でなく、八十撃巌辞出以後の天台系統の辱匠の作である。

之は表面梵納経老主としておる様であるが箕際は項洛経中心で、理路経の三相即ち溝律儀式、耗書法戒−塙衆

生戒を中心としておる。之は壌伽戒と相遺して硫律儀或憂十無蓋戒としておる。

意思本の戒鰹論に於ては準二鵜磨の時饗得する戒の無表︵A鼻茸ti︺の根底は中道賢相心が経であると述べてお る。この憲思本の戒鰐論は明療が踏習し.最澄が之を継承して、その園噴戒の根本基調となした。 故に最澄の継承した妙薬本は璃伽戒の形式を通過し.憲思本の項洛経中心で成立しておるものである。

又湛然の梵網経に射する見解は智鼓を全く組述しておる。智街は梵嗣経を別風音薩の受くる戒であると耕した。

叉梵網の教主度合那彿と華厳経の教王とを同位に考へておる。明蚊の躇習した意思本の戒鰹諭は智顔の中道の妙

観は戒の正隆なりといふ摩河血税の旬を基礎とするものである。智顔は定中の戒︵定共戒︶は白四弗磨に依らざる

根源的の戒と考へてゐたが、之を定中より平常心に引き下せば最澄の画境式になると思ふ。勿論大乗の受戒儀で

も白四掲磨の如き形式は用ふるが之を以て受戒の必須條件とはしてゐない。

以上述べた内容は常盤博士邁暦紀念論文集中拙稿﹁最澄を終鮎とする受菩薩威儀の成立過程﹂にその詳細を諭

圃頃成瀬流論 β9

(31)

述してあるから御参照を麒ひ度い。

これ迄述べた伊は主として渡支後最澄が継承せる天台教拳中の戒律に掬する問題を捉へて論じたのであるが、

以下主として最澄が青年時代日本に於て拳習せる敦拳の内で圃頓戒に謝儀のある問題に就て考察して行かうと思

ふ。

典籍の上からいふと奈良朝の悌敦は今の一切鰹節歳の教と殆んど費りない程多数になつており且つ今無い参集

も相嘗多い。即ち宋浮の経典を除くと奈良朝時代の方が今より多い。蕃眞和侍の東征停には囲十八部の典籍を賂

来したとあるがその中天台に掬するもの五部、四分律宗に膠するもの、菩薩戒に謝するものが見られる。之によ

って和鈴が四分律、天台、梵網戒の知識の優れたことの一の茫嬢が載取される。

それより以前来朝せる道痔、菩提倦那の典籍婿来は更に要眞以上であつたといふのが畢者の簸である。

奈良朝に於ては新藤系の撃巌挙が盛であつたことは注目すべきことである。元暁、義湘等の拳匠の華厳に園す

る研究が尊ぼれ、一面に於て蓮磨群の中心たる捗伽の疏も主として新羅系の畢匠のものが賂来されておる。

義湘は智厳に就て革んだ人で元暁は義湘と倶に支那に行き途中引返して猪拳で華厳を重んだといふこになつて

おる。従って元暁の著述を謹むといづれも猪創的などちらかといへぼ辟的な自然智的な憩度が見られる。彼の敦畢

は華厳三論法相︵法性宗といふ方が安富かも知れぬ︶に捗り四十除却の註辞書が我が奈良朝に藤森されておる。律

∬榎戚海流鈴

3ク

(32)

に節しては奈良朝時代は四分律と大乗戒の典籍が最も多く稔入されたが、その中大乗戒では梵親、攻伽.項洛の 釘 三部とも全く来てお力、その中殊に梵納の疏が他家す一宇しており約十部もあつた。その表面の名は梵納経の内 容の解輝であるが、精細に諌んで行くと皆、梵綱のみで終始せす寧ろ壌伽菩薩地を引用し、項洛を詮いておる場 ・ 合が多く、その中でも項洛を中心にしたものが相昔多いことは注意すべきである。 ヽノ︶ 現存しておるもので奈良朝時代に稔入されたものは次の七部である。即ち、ヒ苅暁の梵網菩薩戎本私記に義寂 ︶︶ の梵網菩薩戎本疏ヨ膠荘の連記四撲揚智周の疏五太賢の古遡記︵古跡記の中に大里の宗要を引用しておることは ′l ︵ ′t ︶ヽl一′′ 注目すべきことである︶六元暁の持犯安置世冗暁の硬洛経疏。 ︵ 今此等の典籍に就て簡単に注目すべき特色を挙げるならば元暁の私記はその特色の粘から言へば彼の持犯要記 に造に劣る。梵綱経の内容解鰐に就てはやはり有力な資料であるが菩薩戒に謝する彼の鮮梓は持犯要記に轟きる といつてよい。又彼の硬洛の疏は昔時あれ樺梵綱の疏が渾山あつたに狗はらす硬洛の誌群がないのに比して極め て参らしいといふ以外にそれ程内容的の牧獲はない。 私記に於て南門忙分ち第一に将題名字即ち序論。第二に人文解繹即ち一旬一旬の解繹を行っておる。 第一の序論で注目すべき貼はこの世界を以て法性より威すれぼ渾土に非ざるなしと見ておることである。眞を 以て俗を輸すれば一法として一如に非るものなしといつておる。而して第二人文解繹に於て有心音、有二種心. 謂一着眞細心⋮⋮二者心生彿心と述べておる貼は如来戒思想を有しておることを示すものである。 叉その戒健診は唯諸思想に同じで三業の中の意業を以て陛となし、その無作の卦に就ては掻大乗論の阿頼耶請 圃折戊蘇流論

(33)

弼頓戒源流誼

三二 中の薯睾鰹として考量萎誓つて警蓋としておる。而五之蓋の警萎れば非 有聾考量にして戎の自性は不可解で

あるといふのである。又心の上から言へば心は自性雷のもの であるから罪不罪不可怨と空。︵琴第垂九 十玉堂、弟二鼎︶

理路経の疏蜂谷上は逸奏して苧今墓下の繹墨畢慧十戟婁苧の輝から存して葺 この中苧べき鱒大乗受

轟品に於て菩薩地決揮中の還夢曇る警芸歴の受注あゎて捨法姦Lゐ

文と野比し∵野草竺二震による不完全嘉の撃し盛運夢二秦薮と判じておるととで雪。姦墓地 の文章と必ずし嘉のいふ様には解雷雲

義あるがー誓経の方が造かに進ん窄考を蓮べて書こ と聾、この警少し讐童謡

のいふ様にもきへる。︵臍横座基編、至奮、第義 弟三に持犯要記華

言へぼ持犯聖安に三門ありとし、第一軽重門垂洩琴芸究尭樺犯門と姦し て詭き明しておる。

第壷再の申その類別を論ヒて前蛸は小重富共通で雷といひJ後の軍票登と.いつて芸ら

この警遠戚の八重罪を中心として論じて書ことが制警。警忙他の這誓書撃ハ重量つ といふこと塵塞戒経嘉し、十重の内前

六に雷といふの蓋警撃て解辞してぎ見ねばなら ぬ。斯く種重震の雷の蕾聾

してその鮮貰紳嘉にすべきかを力警蓋猫時の撃 考へてよい、今戒曇る腰度華−例

として埼伽戎七最初鱒詑く飼重罪の中の自署華賢妻 即ち官して信心善しむ

る慧旨靂するならば癌セあろて犯ではないヒ若し無記心によらばこの ヽ1ノ 且9

(34)

際の自讃毀他は染汚でない。ヨ若し他人に勤して愛或は志の心を以て自訴毀化すれば染汚であるが重罪は犯して ︵ ︶ ない。聞苦し食求刑養の寓めであれば自訴毀他は正しく重であつて軽罪でない。 ︵ そ聖突中上の三晶の氾を論ずるに富って第三の上品の解繹の如きは極めて鎗く、彿教者を僻死せしむる底の気 慨が横溢しておる。即ち第一段は心拳を中心とする二額の虫があつて彿法を食滅し、琴一段は戒拳を甘心として 彿法を食滅する二類の虫あることを指摘しておる。一には邪戒正坐するものであり、二は正成に坐しながら而も その態度は単に身を正しくし威餓忙鉄鮎ない丈で、滑極的な防非止悪のみに終始し、積極的に菩をなす態度に鉄 くといふのである。彼は古の大賢の詮を引いて云く.慎んで菩を展すこと勿れと、然らば悪を偏すべきやといへ る子に答へて親の言く善命ほ虜す勿れ、況や悪をや。 第三斐は主として教理上の自讃毀他を論じ三性二諦の敦は無併有中條名を施設するものなりといふ唯誠的の思 想を以て眞資としておる。 第二持犯の洩探に就て上土は一隅を挙げて三隅を審にすといひ何句を以て自讃毀他を考察しておる。 ヽl/︶1−1′︶ ↑自毀讃他是両、自讃毀他是罪、ヒ自穀讃他是罪、自讃穀他是痛、三若毀讃若讃撃或罪或痛、潤非穀讃非讃 ︵ 毀或宿或罪。 第三究克持犯せ明にする併では故に即して戒妃非す線を離れて戒なし郎を除き離を除くも中間に得ず。是くの 如く戒を求むるも永く有ならすといひ、衆線に託すれぼ戒なしとせずといひ、二遽に堕せざることを本優として おる。 刷岐波源流論 33

(35)

次に義寂の菩薩戎本疏の内容を考察する。

青く受を排するに二ありとし初に順線荷受を明し次に蓮線失受を明しておる。而して得に四あれとし∵

ヽlノ︶ ↑賓券を簡ぶ、口師徳を簡ぶ、三受の方軌、即問答して疑を遣るの四に分類しておる。 ′一■lヽ︵

糞券に就て菩薩地、梵網、項洛の文を順次引用して説明しておる。師徳に就ては四徳をあげ叉羅什のいふ五徳

︶ を奉げておる。又此庭にも菩薩地を引用して説明しておる。第三受戒の方軌忙就て六門を設けておる。即ち一徳

︶︶︶︶︶ を顛し受を勒む亡寓線優劣巨七衆総則四大小鬼後伍正しく受法を明す伍校址膠を顕す。

第三に於て三種戒中擁書抜生は道俗の相多く同じ、旗律儀或は七衆儀各々異る。今律儀に就てその線則を餅ず

れば律儀戒を受くる方軌に二ありHは飴の二と絶して受け口は飴の二と別に受くといひ、地持の受法と優姿塞戒

経の受法とを拳げておる。

︶ 囲の大小先後に就て云く、一発に小.後に大といふの堅剛の小乗或は捨するのもあり継親するのもある、不殺 ′.■\

等は螢醜と同じく而も新しく得るが故に前戒忙即する。

卸頓戒源流論

三四 斯くして之を梵網鮭の文を引用して澄明しておる。彼の結論ともいふべきものは次の俗文であらう。 仰俵聖典丁衣文 聾烙法界燃一燈 四句三寒成風蒲 遠離二逸滅諸罪 粗沌戒森閑要門 併用停燈周十方 六意五修秀成耕 等金一味遊方外 ︵大正一切経、四十五巷、九一入頁︶ ∂4

(36)

若し娘心の時は小樽じて大を成する故に前の小戒も捨てすしてあれど小乗戒とは名けない。既に姐心後である からである。従って不共戒だけ新しく得する。或は斯うも言へる、娘心して新しく安くる時は前を捨てざるも期 ︶ 心の異りがあるから殺生なら殺生を二重に受けてもよいと。二先に大後に小といふのは若し大を過して小に入る ︵ 時は大乗戒を失ふが若し大を過せすして小を障って拳ば稟前の大を失はす聾聞戒を受くるも小乗人と名けない。 方軌に八あ少とし之を菩薩地厄依って立て1おるが、すぐ後で地時によると述べておるから、南方の意を基礎 としたと考へられる。即ち彼の受戒儀は次の如くである。 ︶︶︶︶︶︶ H講師亡求力仁乞戒邸長養野心伍問線六正受七啓白請託爪繰退文。 ︵︵︵ 第四の問答疑を造る中で注目すべきは有人が必ず先忙野間戒を受けて後菩薩戒壱受くると.いふがこの義如何と いふ靡である。答に日く未だ必ずしも然らず。何んぞ菩薩必ず先に小心を起して然る後大乗に入るとのみ限らん やといつておる。然し経の文を引用し普通には小を受けて後大を受くるのが順雷だと言つておる。 ︶︶︶︶︶︶︶ 大賢の古迩記では七門に分別しておる。一時些一機根亡戒旗個顧謬皇違休題名七本文︵績疏、一、六十、三︶

︵︵︵︵︵′llヽ︵

彼は宗更に於て些二門によつて詮明しておる。 ︶︶︶ ↑申経意門 二能併成門 亡修行差別門 ︵ 注目すべきは菩薩戒を啓開誠に望めて見るとその間三種の相違あ少といふ粘である。 第一受不同分相。菩薩或は七遽を具するを除き一切受得すといひ本業経、唸伽論にょつて説いておる。 第二犯不同分柏。 園長帆戒淑流論 3

(37)

冊慣戒源流諭

三六

性罪に就ては拝聞と共、遽罪に就ては響胤と不共・菩薩は身語心を具し、聾胤は身語二戒のみなりといつてお

る0 二癒不同分相。之に就ては長くなるから略さう。︵績蔵、第一編、第六十套、第二哲

膠荘の連記。

之は法相宗中心の解繹である。即ち、通じて諸経の宗を排する教判に於て一陪審顛有軍ヒ陀有顆空前、ヨ遽 lノ ︶ ′−、′t 離二遽宗盲いつておるのは正しく法相宗の拳匠たることを詮するものである。︵統裁、第一編、璽ハ十奮、第二哲 彼の目次に従ふと聖教興題目.第二緋鯉宗鰹、第三族数分弊−第四教肝被桟、第五判文解得である。

彼は第四に於てこの教を受くる機に就て論じ五種ある中即ち三乗定性及び不定性と第五の無般捏粂性との中に

於てこの数は但菩薩と不定性との馬めに説き他の三の薦めにせずと耕しておる。

その戒鰹諭に於ては法相宗の主張たる思の種を以て鰹としておる。︵績赦、﹁六十、二、首十大東右︶

最後に智周の菩薩戎本疏は最澄の蔚戒論に引用されておるから、今の場合相雷重要であるが簡畢に特色を挙げ

れぼ天台大師の揮討止観の六郎の数理を以て梵網戒を解繹しておることが最も重要成すぺき鮎であらう。

六郎を以て梵綱戒を解したのは撲蕩大師以外に一寸見普らないものである。

俵天台帥作六位秤戒光慈

一自性清浄光

二梓索学戒光

三親行戒光

∂β

(38)

彼によれば菩薩戒の木原である自性清浄心は終始一貫しておるといふのである。彼に之を木原清浄戒と搭してお る。 以上奈良朝の停禿たる贋網経の註繹書を全部最澄が讃んだが如何かは明かでないが、その中の若干は知ってお ったことは総軍であり、それより何より、此等の証繹が昔時の拳者に輿へた影響内容が今の問題では更に重要で 四相似戒光 五分荘戒光 六究東成光 ︵帝政経、第一輯、第六十套、第二那、官五十二束︶ ︶︶︶︶︶︶ ﹁俵天台帥搾併催眞子、一二理性俳位眞子二名学清浄平等俳位鼓子三親行心中 − 四相似法 − 五分荘 − 六究尭俳位打席俳 ︵︵︵′tヽ︵︵ 俊足子。︵同上、官五十七某︶ 今俵天台智者作六義持之、一理即、二名宇帥、三親行帥、四相似帥、五分正郎、六究尭帥。︵同上、首六十四真︶ − 之を判り易く蘭表すれぼ次の如くである。  ̄  ̄l 晰幌成源流論 ∂ア

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