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日本の製造業企業における賃金率の決定要因

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著者 中尾 武雄, 中嶌 剛

雑誌名 經濟學論叢

巻 61

号 4

ページ 697‑728

発行年 2010‑03‑20

権利 同志社大學經濟學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012512

(2)

【論 説】

日本の製造業企業における賃金率の決定要因

中 尾 武 雄   中 嶌   剛  

1 は じ め に

 『有価証券報告書』で従業員の平均年収を調べると,たとえば伊藤忠1,280 万円,トヨタ自動車800万円,富士重工623万円,キャノン862万円,三井 鉱山578万円,高島屋681万円,武田薬品1,013万円,森永製菓666万円(以 上すべて2007年単独決算より収集)と,企業によって大きな差があることが分 かる.本稿の目的は,この企業間の賃金率のばらつきの原因を実証的に解明 することにある.分析対象は2001年〜2007年の期間で分析に必要なデータ を収集できる1,194社で,被説明変数に2007年決算の従業員平均年収を用い,

これに影響を与えると思われる約20程度の変数を説明変数として通常の最小 自乗法で回帰分析を行う.

 日本の賃金格差の原因を実証的に分析した研究は多くある1).たとえば,

Mosk and Nakata (1985),Clark and Ogawa (1992),Hashimoto and Raisian (1992), Tachibanaki (1996),都 留・ 阿 部・ 久 保(2003),井 川(2004),Kambayashi, Kawaguchi and Yokoyama (2008)などがあるが,これらの研究では特定の仮説が 強調されている.特に,教育と経験が賃金格差に与える影響に焦点を当てて 分析しているものが多い2).しかし,教育と経験で伊藤忠1,280万円,トヨタ

1) 諸外国における賃金格差の原因を分析した研究は枚挙にいとまがないほどある.アメリカに ついては,その一部は中尾武雄(1992)で展望されている.

2) 賃金プロファイルの理論で年齢や勤続年数の強い影響を主張するものとして,Medoff and Abraham (1980),Baker, Gibbs and Holmstrom (1994),Ohashi and Teruyama (1998)等がある.

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自動車800万円,三井鉱山578万円といった賃金のばらつきを説明するには 無理がある.このような企業間の大きい賃金格差を単一の単純な理論モデル で説明することはできないと思われる3)

 賃金決定の理論モデルには異なった側面をとらえたさまざまな仮説がある.

たとえばBecker (1964)やMincer (1974)を嚆矢とする人的資本理論を発展さ せた考え方がある.その典型的なものは,良質な労働者を採用し生産性を高 めるために高い賃金を支払うという仮説で,Shapiro and Stiglitz (1984),Yellen (1984),Sparks (1986),Stiglitz (1987),Krueger and Summers (1988)などによっ て展開されたEfficiency-賃金仮説である4).これに対して超過利潤の適正配 分が労働者の士気や努力インセンティブに関わるとするギフト・エクスチェ ンジ仮説(Akerlof,1982)や,企業の高生産性が高賃金に結びつくというプ ロフィット・シェアリングの考え方がある(Weitzman, 1985)5).また,価格支 配力や支払い能力のような企業の特性が賃金に与える影響の重要性を強調し た考え方もある.例えば,Nakao (1980),Currie and McConnell (1992),Brown

and Medoff (2003)がその例である6).その他にも企業の収益性や生産性の高さ

あるいは安定性が良質な労働者を引きつけるとする高生産性労働者仮説や労 働市場の需給状況が賃金率に影響を与えるとする考え方などがある.

 そこで,本稿では日本企業の賃金率を決定する要因の全体像を解明するた めに,これらの理論モデルに基づいたさまざまな趣旨の説明変数を導入して

3) これらの研究の多くでは,企業規模が追加的な説明変数として使われているが,これだけで は企業の特性が賃金格差に与える影響の重要性を把握することはできない.また,赤羽・中村

(2004)では,企業特性として企業規模,経常利益,企業規模変化率を用いて従業員の属性とマッ チングさせて分析しているが,本稿の理論モデルで示されるように,これら3変数でも賃金率 に影響を与える企業の特性としては十分ではない.

4) Efficiency-賃金仮説についてはAkerlof and Yellen (1986)の論文を参照されたい.

5) 労働者の努力インセンティブは企業の生産性を決定する重要な要因であるが,努力インセン ティブを高めるためには職務遂行能力をいかに適切に処遇に反映するかを重視する考え方もあ る.例えば,内部昇進制等の査定問題が努力インセンティブと関連が強いとするAlchian and Demsetz (1972)の指摘がある.

6)人的資源以外の要因,特に企業の特性が賃金率に与える影響の重要性を強調した研究として Groshen (1991)がある.

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実証分析を行う.このような総合的な分析によって,賃金に関するさまざま な仮説の賃金水準決定における相対的な重要性を明らかにできると思われる.

特に,主としてデータ制約により,これまでの研究で軽視されてきた企業の 特性,たとえば利潤獲得力や成長力が賃金に与える影響の相対的な重要性を 明らかにできると期待される.

 第2章では実証分析で利用する推定モデルを導出する基礎となる理論モデ ルや仮説を紹介する.具体的には2. 1では簡単な理論モデルで熟練度の高 い労働者の賃金率が高くなることを説明する.2. 2では,労働者行動のモニ ターの困難さが賃金率に影響を与えるメカニズムを明らかにし,2. 3ではギ フト・エクスチェンジ仮説に基づいて賃金率に影響を与える変数について分 析し,2. 4では生産性の高い労働者がより高い賃金を得ることを説明する.2.

5では新しい産業のような成長率の高い産業では賃金率が高くなることを,2.

6では不確実性が賃金率に与える影響を分析する.3. 1では,前章での理論モ デルより一般的な推定モデルを導出したのち説明変数の特性を分析する.3.

2では使用データの作成方法とサンプル企業の選択方法を説明し,3. 3では,

説明変数の特性を配慮して変更した具体的な推定モデルを説明する.続く第 4章では賃金率決定に関する回帰分析の推定結果を提示し,各変数の賃金引 上げ効果の推定値に基づいて企業の賃金率決定に寄与する要因を明らかにす る.最後に第5章では本論文で得られた主要な分析結果を要約する.

2 理論モデル

 企業の賃金率でばらつきが生じる原因はさまざまであるが,基本的には  (1)労働者の年齢や経験に差があるために生じる賃金格差,

(2)賃金引き上げが労働者の努力度や生産性に与える効果に差があるため に生じる賃金格差,

(3)企業の価格支配力に差があるため支払い能力にも差が生まれ,その結 果生じる賃金格差,

(5)

 (4)労働者の先天的な能力に差があるために生じる賃金格差7)

(5)労働市場の需給状況で生じる賃金引き上げ圧力に差があるために生じ る賃金格差,

 (6)企業の将来や労働条件などリスクに差があるために生じる賃金格差,

に分類できる.この章では,これらの要因が賃金格差を生むメカニズムを理 論的に分析するが,これらはいずれも周知の理論であるため分析は簡単なも のにする.

2. 1 基本モデル

 この基本モデルでは,労働者の年齢や経験に差があって熟練度にも差があ るために賃金格差が生じるメカニズムを分析する.まず,労働者の効用すな わち実質所得U

    U=we

とする.ただし,wは賃金率でeは(単位時間の)努力に伴う苦痛を金額表示 したもので,e≧0である.一方,利潤πは

    π=P f(e;H)−w

と表される.簡単化のために企業の労働者数を1としている(以下のモデルで も同様である).またPは価格で一定,f(・)は生産関数,Hはパラメータで労 働者の年齢や勤続年数に依存する熟練度の高さを表し,f′(・)>0,df / dH(・)

>0である.wが一定であれば効用を最大化する労働者はe=0を選択するから,

f(0 ;H)=0と想定すると利潤は負となる.そこで,成果主義的な賃金体系と して以下のような出来高払い賃金システムを導入すると想定する.

    w=ω+αf(e;H)

ただし,ωは一定の基礎的な賃金である基本給で8),αf(・)は労働者が生産 する財の量に応じて支払われる賃金である.αは企業が決定するパラメータ

7) この仮説は主として新卒労働者に関わっている.

8) 基本給ωは企業が決定するのではなく労働市場で決定されると想定する.

(6)

で,条件1>α>0を満たす.以下ではαは賃金分配率と呼ぶ.出来高払い賃 金システムのもとでは労働者の効用最大化問題は

    Max U=ω+αf(e;H)−e となり,1階の条件は

    αf′(e;H)=1

となる.これをeについて解けば努力関数     ee(α;H)

が得られる.最大化の2階の条件f′′<0が満たされるものとすると条件     de/dα=−f′(・) /f′′>0

が満たされ,労働分配率が高いほど労働者の努力度が高くなる.また,

feHd2f(・)/dedHとおけば,

    de/dH=−αfeH(・)/f′′

となるから,熟練度が高いほど最適努力度が高くなるかどうかはfeH(・)の符 号に依存する.熟練度が高いほど努力増加による生産増加の効果が大きいの であればfeH(・)はプラスで,de/dHもプラスとなって,熟練度が高い労働者 ほど努力度が高く賃金率も高くなる.

 一方,企業は

    π=Pf(e(α;H);H)−[ω+αf(e(α;H);H)]

が最大化されるように賃金分配率αを決定する.1階の条件はαに関する限 界収入と限界費用の均等化条件

    Pf′′(・)e′(・)=[f(・)+αf′(・)e′(・)]

で,これをαについて解けば     α=α(H)

が得られる.したがって,賃金分配率は熟練度に依存している.αが高いほ ど賃金率も高くなるから,α′(H)>0であれば,熟練度と賃金率にプラスの関 係が生じるが,追加的な条件なしにはα′(H)の符号は確定できない.

 簡単な理論モデルであるが,年齢や勤続年数で表される熟練度が賃金率に

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影響を与えるメカニズムは確認できた.

2. 2 Efficiency-賃金仮説:利潤最大化のための賃金引き上げ

 Efficiency-賃金仮説は,労働者の生産性を高めるために高賃金を支払うこ とが利潤最大化に繋がるとする考えで,既述のように多くの関連論文がある.

この仮説には4種の考え方がある.手抜き防止説(Shirking Model),転職防止 説(Turnover Model),人集め説(Adverse Selection Model),ギフト・エクスチェ ンジ仮説(Gift Exchange Model)である.ただし,ギフト・エクスチェンジ仮説 は,超過利潤の存在が前提となっているため,他のモデルとは性格が異なる.

そこで,ギフト・エクスチェンジ仮説については次節で分析する.また,日 本の場合には転職が一般的ではないので転職防止説については考慮しない.

 手抜き防止説は,高い賃金を支払うと同時に労働者を監視し,手抜き(Shirk)

労働者を解雇することによって,労働者の努力度を高めるとする考え方であ る(Shapiro and Stiglitz, 1984).この場合には,賃金が高いほど解雇されたとき に失うものが大きいので,高賃金ほど労働者は熱心に働くことになる.この 仮説を簡単なモデルで表すと,以下のようになる.他の職場で得られる賃金 をゼロとし,失業しない確率をρとすると労働者の期待効用は

    U=ρ(e;m)w−e

と表される.ただし,ρ′(・)>0で,mは労働者行動のモニター投入量である.

この最大化問題の1階の条件ρ′(・)w=1から努力関数     ee(w;m)

が得られる.最大化問題の2階の条件が満たされればde/dw>0となる.ま た,労働モニター量が増加すると努力増加による在職確率上昇効果が増加す る(d2ρ/dedm>0)とすればde/dm>0となって,労働モニター量が増加すれば 努力度が増加する.モニター投入物の価格を1とすると企業の利潤最大化問 題は

    Maxπ=Pf[e(w,ψm)]−wm

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と表され,企業は賃金率とモニター量を決定する.ψは労働モニターの効率 性を表すパラメータである.この最大化問題の1階の条件を解くと最適賃金 関数ww(ψ)が得られ,適当な追加的条件を仮定すれば,労働モニターの効 率性ψが小さいほど賃金率は高くなるという結果が得られるから,労働のモ ニターが困難なケースほど賃金率が高くなると予想される.

 求職者の能力を知ることができない場合には,賃金率を引き上げて求職者 の平均能力を高くすることで,利潤を増加できるとするのが人集め説である

(Weiss, 1980).Weissのモデルでは,企業の利潤最大化は    Maxπ=G[J(w)]−w

となる.ただし,G(・)は財の生産量が採用される労働者の能力に依存するこ とを示す関数でG′(・)>0である.J(w)は採用される労働者の能力でJ′(w)>0 の条件より賃金を高くすれば採用される労働者の能力は上昇する.最大化の

1階条件はF′(・)J′(w)=1で,この説によれば高い能力の労働者が生産性の

上昇に重要なほど賃金率は高くなるから,人的資源が重要な企業で賃金率が 高くなると考えられる.

2. 3 独占利得の配分:ギフト・エクスチェンジ仮説

 経営者が高賃金というギフトを贈るのに対して,労働者は熱心な労働で応 えるとする考え方である.これは,労働者は公平(Fair)な賃金が支払われた と感じるときに熱心に働くとする説に基づいている.大きい利潤があるとき には賃金も高くしないと,労働者によって公正と判断されず,労働者の努力 度が低下すると考える.この仮説では,独占力があって超過利潤が大きく,チー ムワークや労働者の協力が重要な産業で賃金が高くなる(Akerlof, 1982, 1984,

Solow, 1979).この仮説を表す簡単なモデルでは,企業利潤最大化は

    Maxπ=PF[δ(w)]−w

と表される.但し,δ(w)は雇用した労働者の労働意欲の高さを示す関数で,

条件δ′(w)>0より賃金を高くすれば,労働者の労働意欲が高まることを表し

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ている.この最大化問題の1階条件を解けば     w=w(P)

が得られる.この仮説では,最適賃金率が財価格に依存していることが重要 なポイントとなる.高賃金を支払うためには企業に財の価格を吊り上げる力 が必要となるからである.財の価格は同質財で同規模の企業が存在するクー ルノー寡占を仮定すれば企業数や集中度に依存するし,企業規模に差がある シュタッケルベルグ寡占を仮定すれば,企業のマーケット・シェアが重要と なる.財が製品差別化されているケースでは,企業の生産する財に対する需 要の弾力性や参入障壁の高さが重要となる.需要が非弾力的で参入障壁が高 いほど価格が高くなって賃金率も高くなると予想される.国内市場で需要の 弾力性や参入障壁の高さに重要な影響を与える要因としては研究開発と広告 が考えられるが,グローバリゼーションが進んだ現在では企業の国際競争力 の強さも重要であろう.

 ギフト・エクスチェンジ仮説では,利潤の一部を労働者に分配するのであ るから企業統治の在り方も影響を与える可能性がある.労働意欲関数 δ(w) の形状に関する情報が経営者と株主で異なり,経営者は株主よりも安易に賃 金引き上げを認める可能性がある.また,株主と経営者の時間割引率の差が 最適賃金率に差をもたらす可能性もある.たとえば簡単化のために2期間モ デルを考えると利潤の現在価値V

    Vt=πt(wt)−wt+(1−r)πt+1(wt)

と定義される.ただしπtは賃金を差し引く前のt期の利潤を表す.またrは 割引率で,t期の賃金率はt期とt+1期の利潤に影響を与えると想定している.

この現在価値最大化問題の1階条件は     πt′(wt)−1+(1−r)πt+1′(wt)=0

であるが,割引率rが異なれば最適賃金率も異なる.たとえば,t期しか株を 保有しない株主はr=1で,賃金引き上げがt+1期の利潤に与える効果を無視 するから,2期間を考慮した賃金引き上げには反対することになる.以上の

(10)

分析よりギフト・エクスチェンジ・モデルにおける賃金率の引き上げは株主 の意向の影響も受けることが分かる.

2. 4 高生産性労働者仮説

 まずは,労働者の先天的能力に差がある場合に賃金格差が生じることを明 らかにする.ただし,この分析は基本モデルと実質的には同一であるので簡 単にする.労働者の効用はUwe,企業の利潤は

    π=Pf(e;I)−w

と表される.Iはパラメータで労働者の先天的能力の高さを示す.企業が出来 高払い賃金システム

    w=ω+αf(e;I)

を採用すると労働者の効用最大化問題は     Max U=ω+αf(e;I)−e

となって1階の条件から努力関数     ee(α;I)

が得られる.最大化2階の条件f′′<0が満たされるものとし,feId2f(・)/dedI とおけば,

    de/dI=−αfeI(・)/f′′

となるから,先天的能力が高い労働者ほど努力増加による生産増加効果が大 きいとすればde/dIがプラスとなって,先天的な能力が高い労働者ほど賃金率 が高くなる.

 どんな企業に先天的な能力が高い労働者,特に新卒労働者が集まるかとい う問題もある.これはどのような条件の企業に新卒労働者が就職を希望する かを分析すれば明らかになる.日本の場合には現在でも終身雇用制がある程 度存在していると考えられる.そこで労働者は予想される生涯賃金が高い企 業に就職することを希望すると想定する.労働者のt期の予想生涯賃金の現 在価値W

(11)

    Wtwt+(1−r)wt+1+(1−r)2wt+2+...

と表される.賃金率の増加率を一定でgと予想すれば     Wtwt/ (r−g)

となる.将来賃金率の増加率の予想には直近過去の企業の成長率は重要な情 報になる.しかし,終身雇用制のもとでの就職は40年程度も続くが,直近 過去の成長率がその長い期間で維持される可能性は低く,この超長期の予想 は困難である.ところが,市場の将来を予想する能力を信頼するのであれば,

企業規模を表す一つの指標である企業価値が重要な情報となる.企業価値V の定義は

    Vt=πt+(1−r)πt+1+(1−r)2πt+2+...

であるが,理論的にはこれと株価に株式数を乗じた値が等しくなるように市 場は株価を決定する.すなわち市場は企業の将来利潤を予想して企業価値を 決定しているため,企業価値は労働者が企業の将来像を予想するための重要 な手がかりとなるはずである.

2. 5 労働市場需給逼迫仮説

 急速に成長している産業で,しかもその産業に特有の能力を持った労働者 が必要な場合には,労働市場で需給が逼迫して賃金率が上昇するという仮説 である9).例えば,IT産業が急成長している場合には,IT技術者に対する需 要が急増するが,供給は簡単には増加しないためIT産業で平均的賃金率が上 昇するようなケースである.産業成長率と賃金率上昇率の関係を分析するた めに労働需要Ndが一定の成長率gで増加し,労働の賃金弾力性 β も一定の 労働需要関数

    Ndt=(1+g)twt−β

を想定する.ただし,tは時間を表す.労働供給量Nsも一定の率ηで増加す

9) 労働市場の需給条件が賃金率に与える影響を分析している研究としては三谷(2005)や赤羽・

中村(2004)がある.

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ると想定すると労働市場の均衡条件NstNdtより     (1+η)t=(1+g)twt−β

を得る.この関係より近似的に     賃金上昇率=(g−η)/β

という関係が得られる.これより労働供給量の増加率が小さく,労働需要の上 昇率が高いほど賃金率の上昇率は大きくなることが分かる.したがって,需要 が急成長しているような新しい産業では賃金率は高くなっている可能性がある.

2. 6 不確実性モデル:危険プレミアム仮説

 企業が倒産して失業する確率をτとし,失業後の賃金をゼロと想定すれば,

労働者のt期の予想生涯賃金の現在価値W

    Wt=wt+(1−r)(1−τ)wt+1+(1−r)2(1−τ)2wt+2+...

と表されるから,賃金率の増加率を一定でgと想定すれば     Wt=wt/ (r+τ−g)

となる.したがって,倒産確率が高い企業では,能力が高い労働者を集める ためには危険プレミアムとしてより高い賃金率が必要となる.言い換えれば,

企業が将来得ると予想される利潤の安定性が低い産業や企業では賃金率が高 くなる可能性がある.

3 推定モデルとデータ

 この章では第2章の理論モデルより,推定モデルを導出し,分析対象とな るサンプル企業や説明変数として利用するデータについて説明する.

3. 1 説明変数

 推定モデルでは,被説明変数は個々の企業の労働者の平均年収で,説明変 数は,この平均年収に影響を与える変数である.そこで,以下では,理論モ デルに基づきさまざまな説明変数を導出する.まず,基本モデルとの関連で

(13)

は労働者の熟練度を反映する変数を考える必要がある.そこで,企業の労働 者の平均年齢AGと平均勤続年数YRを説明変数とする.平均勤続年数は,労 働者の平均的な熟練度を表すから賃金率とはプラスの関係が予想されるが,

平均年齢と賃金率の予想される関係は若干複雑である.単純に考えれば年功 賃金制度の存在は年齢と賃金率の間にプラスの関係をもたらすはずである.

しかし労働者の熟練度は勤続年数によってほぼ正確に把握されるであろうか ら,説明変数としての年齢は同一勤続年数における年齢による生産性格差を 反映することになる.勤続年数が同一で熟練度もほぼ同一であれば年齢が若 いほど生産性が高い可能性があるため,年齢と賃金率にはマイナスの関係が 表れる可能性もある10)

 Efficiency-賃金仮説で賃金率に影響を与える要因としては,労働者の質が 企業の業績に与える影響の重要性と労働者の行動をモニターすることの困難 さが考えられる.前者は人的資源の重要性,後者はモニター費用の大きさと 言い表すことができる.これらの要因を反映する説明変数としては,販売費 と管理費が売上高に占める比率(以下では販売 ・ 管理比率HOKと呼ぶ),販売 ・ 管理部門の人件費が賃金支払額総額に占める比率(人的資源比率HR)および企 業規模を考える11).製造部門に比較して販売・管理部門の労働は個々の労働 者の生産性を測定することが困難であるからモニター費用がかさむ可能性が 高い.また,製造部門の生産性は基本的には機械設備によって決定されるの に対して,販売 ・ 管理部門の生産性は労働者の能力,すなわち人的資源に依 存する可能性が高い.したがって,Efficiency-賃金仮説によれば,販売 ・ 管 理比率も人的資源比率も賃金率とプラスの関係が存在するはずである.また,

企業規模の拡大は労働者のモニターをより困難にするから,モニター費用の

10) Miyoshi (2008)で分析されているように男女間で生産性格差が存在すれば,企業間で賃金格

差をもたらす要因として総労働者数に占める男性労働者の比率が考えられ,これを説明変数と することが望ましい.しかし,近年では企業は労働者の正確な男女比率を公表していないため,

男女比率は本稿では説明変数として採用されていない.

11) 後述するように,分析対象となるサンプル企業はすべて製造業企業であるため,販売 ・ 管理 比率も人的資源比率も企業における人的資源の相対的な重要性を反映すると考えられる.

(14)

増大をもたらして賃金率を高めると予想される.

 ギフト・エクスチェンジ仮説では,価格支配力をもつ企業は超過利潤を得る が,労働者側にもその一部を配分することで,労働者の生産性を高めようとす る.したがって,この仮説との関連では,超過利潤を得る能力の大きさと超過 利潤の分配に影響を与える要因が重要となる.利潤を得る能力(以下では利潤 獲得力)ではなく,利潤そのものを説明変数とすることも考えられる.しかし,

利潤獲得力が高い企業ほど利潤が大きくなるわけではない.企業の利潤獲得力 は利潤と賃金とX-非効率に配分されるからである.たとえば利潤獲得力が高 い企業でもX-非効率が非常に大きくなれば,利潤や賃金の増加分は小さくな るし,利潤獲得力の成果が主として賃金引き上げに配分されれば少なくとも短 期的には超過利潤は小さくなる12).このように利潤と賃金率の関係は単純では なく,説明変数としては超過利潤を得る能力を直接用いることが望ましい.日 本企業の利潤獲得力に関しては,中尾(2008),(2009)において実証的に解明 されている.これらの研究によれば,企業が将来得ると予想される利潤の現在 価値である企業価値は,世界市場での比較優位を反映する輸出が最も強い影 響を与えるが,技術力の高さを示す研究開発と市場ブランド力を表す広告も重 要な影響を与えることが示されている.そこで,本稿でも,輸出額EX,研究

開発支出R&D,広告支出ADを説明変数とする.これらの要因は個々の企業

の競争力の強さを表す変数であるが,理論モデルで示唆されたように企業が属 する産業の構造やその産業における地位も企業の利潤獲得力に影響を与える 可能性がある.そこで本稿では,集中度CRとマーケット・シェアMSを追加 的な説明変数として採用する.クールノー・モデルによれば集中度が高いほど 利潤は大きくなるし,実際にも企業の協調的な行動が可能になって利潤獲得力 も高まると予想される.一方,マーケット・シェアと企業の利潤獲得力の関係 は複雑であるため,マーケット・シェアと賃金率の関係も複雑になる.もし,

産業構造がガリバー型寡占であればシュタッケルベルグ・モデルが応用でき,

12) ただし,賃金引き上げは長期的には生産性上昇を通じて利潤増加をもたらす効果がある.

(15)

マーケット・シェアと賃金率の間にはプラスの関係が存在する可能性がある.

ところが,企業のマーケット・シェアはその企業の効率性や戦略を反映してい るとする考え方もある.たとえば,企業がマーケット・シェアの拡大を目指し て低価格政策を取っていれば,利潤も賃金も犠牲にされる.このような場合に は短期的にはマーケット・シェアと賃金率の間にはマイナスの関係が生まれる.

 既述のようにギフト・エクスチェンジ仮説では,独占的利得が配当などで株主 に分配される部分と賃金に分配される部分の割合を決定する要因も重要である.

株主と労働者の間の分配問題であるから,株主の影響力の強さと労働者側の影 響の強さを表す変数を採用することが望ましいが,後者については数値データが 収集できないため,前者に関連する変数のみを用いる.具体的には,企業統治関 連の変数として外国持株比率FORと個人持株比率KJNを考えるが,これらの 変数が企業の賃金率に与える影響を理論的に予測するのは困難である.ギフト・

エクスチェンジ仮説もEfficiency-賃金仮説の一種で,労働者に利潤を分配する ことで生産性を長期的に高めることが目的であるが,外国株主や個人株主がこの ような長期的な視野に立った利潤分配に理解を示すかどうかであり,その結果し だいで経営者が決定する利潤の分配方法が異なると思われる.例えば,長期的 な生産性上昇のための賃金引き上げに外国株主は理解を示すが,個人株主は示 さないのであれば,賃金率と外国持株比率はプラス,個人持株比率はマイナスの 関係となるが,外国株主が無理解で個人株主が理解があれば符号は反対になる.

外国株主と個人株主が賃金率に与える影響については推定結果を見て判断する.

 高生産性労働者仮説のもとでは,優秀な新卒労働者を引きつけるような企 業の属性が重要になる.たとえば,企業規模が大きいことや収益性が高いこ と,あるいは労働生産性が高いことは労働者にとって魅力となる.そこで,

高生産性労働者仮説関連の説明変数として収益性を表す利潤率RJR,労働生 産性の高さを示す資本労働比率KNを採用する13).これらは労働者から見た

13) 利潤率はギフト・エクスチェンジ説を反映する可能性もあるが,本稿では,輸出額,研究開 発支出,広告支出,集中度,マーケット・シェアを企業の利潤獲得力を反映する説明変数とし て導入している.

(16)

現在の企業の魅力を表す変数であるが,終身雇用制度のもとでは労働者は生 涯所得の大きさを重要視する.したがって,企業選択では,企業の将来を予 測する必要がある.企業の将来予測で重要な要因は成長性と安定性が考えら れる14).企業の成長力を予想する最も単純な方法は直近過去の成長率を見る ことであろう.そこで,労働者が予測する企業の将来を反映する説明変数と して企業の売上高成長率GRUを用いる.企業の安定性を反映する変数として は企業規模が有効と思われるが,さらに起業後年数OLDも用いる.起業後の 年数が長いほど企業の将来の安定性が高く評価されると思われるからである.

利潤率,資本労働比率,企業の売上高成長率(企業成長率),企業規模,起業 後年数はいずれも賃金率とプラスの関係が予想される.

 労働市場需給逼迫仮説によれば成長産業の賃金率が高くなるはずである.

そこで,説明変数として産業の売上高成長率(産業成長率)GRIUを考える.

産業の売上高増加率が高いケースでは,当然企業の売上高増加率も高いから 企業の売上高成長率も労働市場需給逼迫仮説を反映する可能性がある.した がって,労働市場需給逼迫仮説のもとでは,産業と企業の売上高成長率が賃 金率とプラスの関係が表れるはずである.

 不確実性が大きい企業は賃金率を高くするという仮説を検証するための説 明変数としては直近過去の利益の標準偏差(利潤変動SE)を用いる.理論モデ ルによれば,これは賃金率とプラスの関係があるはずである.

3. 2 サンプル企業とデータ

 本稿の分析には被説明変数として企業の賃金率データが必要である.各企 業の『有価証券報告書』には,従業員の平均年収のデータが含まれているが,

このデータは日本経済新聞社のNEEDS-CD ROM『企業基本ファイルⅡ』に 収録されているため簡単に収集可能である.そこで,2008年版のNEEDS-CD

14) 理論モデルで分析したように,企業規模を表す1つの指標である企業価値も企業の将来を反

映している.

(17)

ROM『企業基本ファイルⅡ』を用いて2007年決算における従業員の平均年 収を収集し,このデータを被説明変数としてクロスセクション分析を行う15). 説明変数は前節の推定モデルにある変数であるが,以下ではこれらのデータ の作成方法や出所について説明する.

 平均年齢AGと平均勤続年数YR

 これらのデータは既述のNEEDS-CD ROM『企業基本ファイルⅡ』を使っ て収集する.

 販売 ・ 管理比率HOKと人的資源比率HR

 販売 ・ 管理比率は,各社の『有価証券報告書』の販売費および一般管理費 を売上高で割った値を用いる.これらのデータは日本経済新聞社のNEEDS-

CD ROM『日経財務データ』を使って収集する.ただし,売上高はNEEDS-

CD ROM『日経財務データ』では項目名は売上高 ・ 営業収益となっている.

人的資源比率は,損益計算書の人件費 ・ 福利厚生費をこれと製造原価明細の 労務費 ・ 福利厚生費の合計で割った値を用いる.これらのデータもNEEDS- CD ROM『日経財務データ』より収集する.

 財務データの収集では連結決算か単独決算かという選択がある.連結決算 では親会社のデータと子会社のデータが合算されているが,親会社と子会社 では通常は賃金体系も賃金決定メカニズムも異なるため,賃金決定モデルも 不明確なものとなる.また,連結決算では分析に必要なデータが収集できな い制約がある16).そこで,本稿では単独決算データを用いる.

 企業規模と資本労働比率KN

 企業規模を表す変数としては,従業員数,売上高,資本,総資産,企業価 値というようなデータが考えられる.理論的な仮説の分析では企業規模はモ ニター費用の大きさを表すと同時に優秀な労働者を引きつける要因でもあっ

15) 一般的には複数年を分析対象とするパネルデータ分析の方がクロスセクションデータ分析よ り信頼性が高いと思われる.しかし,異常なインフレ期でもないかぎり賃金率は短期的には安 定しているため,単年度データの分析でも信頼度は高い.

16) 持株比率に必要なデータおよび製造原価明細の労務費データがまったく収集できない.

(18)

17) 総資産ではなく償却対象有形固定資産を用いたケースも推定したが,総資産の方がよりよい 推定結果が得られた.

18) 輸出額,研究開発支出,広告支出のすべてのデータが収集できる企業424社を分析対象とし

て同様な回帰分析を行った.その推定結果では推定係数の符号はすべて同一で,統計的に有意 になった説明変数もほぼ同じである.ただし,年齢が10%水準で統計的に有意になり,広告支 出,起業後年数,マーケット・シェアが有意でなくなる.また,産業成長率のp値は0.17となる.

た.モニター費用の側面からは企業規模の変数として従業員数NINを用いる のが適当と思われる.従業員数が多いほどモニターが困難になるからである.

一方,労働者から評価される企業の特性としての企業規模を表す変数として は企業価値FVが適当と思われる.理論モデルで明らかにしたように企業価値 は市場が評価する企業の将来像を示すからである.資本労働比率については,

総資産を従業員数で割った値を用いる17).データは全てNEEDS-CD ROM『日 経財務データ』より収集する(以下ではデータをNEEDS-CD ROM『日経財務デー タ』より収集する場合には,出所の表記を省略する).企業価値の算出には,株価デー タが必要である.そこで東洋経済新報社『株価CD-ROM』を用いて各企業の 年初データを収集し,これに同年決算における総株式数を掛けた値を用いる.

 輸出額EX,研究開発支出R&Dと広告支出AD

 輸出額は,輸出売上高 ・ 営業収益,研究開発支出は研究開発費,広告支出は,

広告 ・ 宣伝費を用いる.これら3つのデータについては,NEEDS-CD ROM『日 経財務データ』でデータが入手できない企業が多くある.本稿のサンプル企

業数は1,194社であるが,そのうち輸出額データがない企業は592社,研究

開発支出は393社,広告支出は258社である.これらのケースでは企業がデー タを公表する規模でないと判断したため『有価証券報告書』に掲載されてい ないと推察して値をゼロとした18)

 マーケット・シェアMSと集中度CR

 マーケット・シェアはNEEDS-CD ROM『日経財務データ』の市場(業種)

分類と売上高データを使って算出する.この方法には幾つかの問題がある.

NEEDS の市場分類では,製造業を89産業に分けているが,日本標準産業分

類では,製造業は3桁分類で162産業に分けられているから,NEEDSの分類

(19)

は3桁分類の約2倍のカバレッジがある.NEEDSを用いるもう1つの問題は,

財務データを公表しないような小規模な企業の存在を無視している点である.

これらの問題に関する分析は中尾(2007)で行われている.集中度は,このマー ケット・シェアを用いて4社集中度を算出する.

 外国持株比率FORと個人持株比率KJN

 外国持株比率は外国法人等所有株数を総株式数で割った値であり,個人持 株比率は個人・その他株主所有株数を総株式数で割った値である.

 利潤率RJRと利潤変動SE

 当期利益を用いて算出する自己資本利潤率を用いることが考えられるが,

当期利益は,企業が保有する証券の価格変動などの企業の本業以外の要因の 影響を受ける.株価変動などによる損益は一時的なものであり,労働者が企 業を選択する場合に参考にするには適当とは思えない.一方,営業利益は企 業が本業で得る利益であるから,企業の収益力を反映している.したがって,

利潤率を表す説明変数としては営業利益を総資産で割った値を用いる.同様 にして,利潤変動も営業利益における変動の大きさを表すことが望ましいか ら営業利益の標準偏差を用いる.具体的には2001年から2007年の7年間の 営業利益データを用いて算出する.

 企業成長率GRU,産業成長率GRIUと起業後年数OLD

 企業成長率は直近過去3年前の売上高の変化率を算出する.たとえば,

2007年であれば,2007年の売上高を2004年の売上高で割ることになる.産 業成長率については,サンプル企業の所属する業種を決定する必要がある が,本稿では,マーケット・シェアなどの定義と整合性を持たせ,NEEDS-

CD ROM『日経財務データ』の業種分類を用いて,89産業の売上高を計算し,

これらの値で直近過去3年前の変化率を算出する.起業後年数は,2007から 企業が上場した年を差し引いた値とする.企業が上場した年はNEEDS-CD

ROM『日経財務データ』で財務データが収集できる年とする19).上場した年

19) ただし,NEEDS-CD ROM『日経財務データ』のデータ制約で1965年以前に上場していた

企業については1965年としている.

(20)

は厳密には起業した年ではないが,企業として本格的に活動し始めた時期を より正確に反映すると思われる.

 サンプル企業の選択方法

 分析の対象となるサンプル企業は,日本の製造業企業である.利潤変動の 算出で営業利益データが2001年から必要であることを考慮して,2001年か ら2007年の7年間,いずれかの証券取引市場に上場していて20),決算月の 変更もしていない企業1,368社から,以下のような条件を満たす企業1,194社 を選択した.

 (1)純資産がマイナスとなった企業を除去した.この結果1,366社となる.

 (2)従業員数データがない企業を除去した.この結果1,364社となる.

(3)損益計算書の人件費か製造原価明細の労務費のデータがない企業を除 去した.1,282社となる.

(4)企業合併や分離に関係していた企業を除去した.利潤変動の計算の関 係で,この条件は2001年から2007年の7年間で満たす必要がある.こ れで1,204社となる.

(5)上記で定義された利潤率がマイナスで10%以上でないという条件を設 定した.これは,負の大きい利潤率は短期の異常な状態と思われるから である.この条件で1,194社となったが,これが最終的なサンプル企業 数である.

3. 3 推定モデル

 推定モデルを一般的な関数で表せば

    WGF(AG, YR, HOK, HR, NIN, EX, R&D, AD, MS, CR,

       FOR, KJN, KN, RJR, FV, GRU, OLD, GRIU, SE) となるから,推定式はこれを線形化したものとなる.被説明変数は対数を取

20) 利用したNEEDS-CD ROM『日経財務データ』が上場・店頭会社版であるため,本稿での上

場企業の定義には店頭企業も含まれる.

(21)

るが,説明変数では利潤率や売上高成長率のような比率とデータにゼロを含 む変数は対数はとらない.したがって,対数値にするのはAG, YR, NIN, KN,

FV, OLD, SEの7変数となるはずであるが,マーケット・シェアと集中度に

ついては,推定結果が著しく改善するため,これらも対数値にする.また,

平均年齢,勤続年数,利潤変動を除く説明変数については1年間のラグを導 入する.これは利潤率のような財務データが賃金に主要な影響を与えるには 1年程度の遅れが存在するからである.例えば,今年度に利潤が増加すれば,

春闘などを通じて次年度の賃上げに繋がってゆくのが一般的である.また,

ラグの導入によって推定モデルにおける同時性の問題もある程度軽減できる と期待される.

4 推定結果とその分析

 最小自乗法で推定したところ,不均一分散の存在が否定できなかったので,

標準誤差はWhiteなどによる方法で推定した.その結果,販売 ・ 管理比率は

p値が0.84,従業員数は0.62,集中度は0.47と非常に高かったため説明変数

から除去した.その推定結果が第 1 表に示されている.

 年齢,広告支出,起業後年数以外は1%水準あるいは10%水準で統計的に 有意である.年齢のp値は0.25,広告支出は0.19,起業後年数は0.14である が,これらの説明変数を含めたモデルの方が自由度修正済決定係数は高く,

Schwarz BICは小さくなる.したがって,これらの説明変数も賃金率に影響

を与えている可能性が相当高いと判断し,推定モデルから除去していない21). また,第 2 表には各説明変数が賃金に与えた影響の相対的な大きさが示され ている.ただし,賃金に与えた影響の相対的な大きさは以下の式によって定 義されている.

21) 異常なデータoutliersの影響を分析するために,Davidson and MacKinnon (1993), p.36にした がってハット行列の対角要素が,説明変数の数をサンプル数で割った値の2倍以上のサンプル を除く作業を2回行って推定してみた.その推定結果によれば年齢のp値は0.73,広告支出は

0.24,起業後年数は0.15となった.また,外国持株比率のp値も0.28となったが,その他の

説明変数についてはすべて1%水準で統計的に有意であった.

(22)

説明変数 推定係数 tp

定数項 1365.39 45.83 0.00

年齢 9.93 1.15 0.25

勤続年数 17.78 7.69 0.00

人的資源比率 0.14 7.44 0.00 輸出額 −0.11 −3.57 0.00 研究開発支出 0.74 3.55 0.00 広告支出 1.69 1.32 0.19 マーケット・シェア −1.04 −3.46 0.00 外国持株比率 0.07 1.70 0.09 個人持株比率 −0.12 −4.39 0.00 資本労働比率 4.32 5.84 0.00 利潤率 0.36 3.68 0.00 企業価値 3.63 6.72 0.00 企業成長率 7.54 5.05 0.00 起業後年数 −1.88 −1.48 0.14 産業成長率 7.70 3.04 0.00 利潤変動 1.91 3.90 0.00

第 1 表 賃金率決定要因の推定結果

説明変数 貢献度

年齢 4.1

勤続年数 34.8

人的資源比率 10.1

輸出額 −56.0

研究開発支出 39.5

広告支出 13.3

マーケット・シェア −6.7 外国持株比率 4.0 個人持株比率 −8.9 資本労働比率 20.5

利潤率 12.6

企業価値 27.4

企業成長率 16.1 起業後年数 −2.2 産業成長率 10.4

利潤変動 13.2

第 2 表 各変数の賃金引き上げ効果(%)

(23)

 説明変数Aの賃金引き上げ(引き下げ)効果=

   100×{推定係数×(説明変数Aの最大値−説明変数Aの最小値)}/

    (最大の賃金率−最小の賃金率)

 第1表の回帰分析の自由度修正済決定係数は0.59であるから,本稿の推定 モデルは日本の製造業企業における賃金率のばらつきの約60%を説明できる ことになる.符号を見ると,輸出額,マーケット・シェア,個人持株比率と 起業後年数がマイナスで,その他はプラスである.これらの符号では,輸出 額と起業後年数が理論的な予測と矛盾するが,これらの点については以下の 推定結果の分析で理由を考える.

 基本モデルの説明変数:年齢と勤続年数

 勤続年数は当然プラスで統計的に有意で,その賃金引き上げ効果は約35%

であるから,企業間賃金格差の最大値の約35%に相当する大きさの賃金格差 をもたらしている可能性がある.勤続年数は経験度や熟練度を反映するから,

この結果は当然と言える.一方,年齢も符号がプラスであるから,勤続年数 などのその他の条件が同一であれば,年齢が高いほど賃金率が高いという結 果であり,現在でも日本製造業では年功賃金制度が存在していると推察され る.ただし,その賃金引き上げ効果の大きさは最大でも約4%でほとんど無 視できる程度であり,年功賃金制度は存在していたとしても重要な役割を果 たしているとは言えない.

 Efficiency- 賃金仮説:販売 ・ 管理比率,人的資源比率と従業員数

 従業員数は統計的に有意でない.ところが従業員数の増加がモニター費用 を増加させるという仮説は信頼性が高いと思われるため,労働者のモニター の困難さが賃金率を高めるという仮説は日本では妥当性を持たないと結論で きる.次に販売 ・ 管理比率は統計的に有意にならなかったが,人的資源比率 は有意になった.これらの説明変数はともに人的資源の重要性と労働者行動 のモニター費用の高さを示すことが期待されたが,人的資源比率の方がより 正確にこれらの属性を反映しているためこのような結果になったと思われる.

(24)

人的資源比率が統計的に有意で従業員数が有意でないという結果を合わせる と人的資源比率が賃金率に影響を与えているのは,販売 ・ 管理部門のモニター の困難さのためでなく,この部門が企業にとっての人的資源の重要性を反映 しているためという結論が出てくる.

 製造部門に比較して販売 ・ 管理部門は大卒労働者の比率が高いのが普通で あるから,人的資源比率が統計的に有意になったのは,高卒労働者より大卒 労働者の賃金率が高いという学歴格差を反映しているだけとも考えられる.

しかし,企業が人的資源の重要な部門で大卒労働者を採用するのは,大卒労 働者が人的資源としてより優秀であるケースが多いからであり,より高い賃 金を支払うのも大学を卒業しているからでなく,より優れた人的資源である からである.人的資源として優秀でない大卒労働者に高い賃金を支払い続け るのは利潤最大化を目指す企業の行動と矛盾している.

 人的資源比率が統計的に有意になったことは,大卒労働者と高卒労働者の 賃金格差の存在を反映しているが,人的資源比率の賃金引き上げ効果を見る と最大でも賃金格差の約10%程度であるから,学歴は日本企業における賃金 格差の最も重要な要因とは言えない.

  ギフト・エクスチェンジ仮説 1:輸出額,研究開発支出,広告支出,マーケッ ト・シェアと集中度

 中尾(2008)では,企業価値の決定要因をパネル・データで分析し,輸出額,

研究開発支出,広告支出の3要因が企業価値を高めることを明らかにしてい る.そのうち研究開発支出は統計的に有意で符号はプラスである.また,そ の引き上げ効果は約40%で,賃金格差をもたらす最大の引き上げ要因である.

広告支出の引き上げ効果は10%強で単独では賃金引き上げ要因として重要で はないが,研究開発支出と合わせれば賃金引き上げ効果は合計約53%で,最 大賃金格差の半分以上の大きさとなる.研究開発は企業の技術力の高さ,広 告は市場ブランド力を表すから,これらの両側面で優れている企業では賃金 率も高くなっている.問題は輸出額である.中尾(2008)では,輸出の影響が

(25)

大きく,この変数だけで企業価値のばらつきの30%から40%を説明している.

したがって,本稿でも輸出額は賃金率にプラスの影響を与えると予想したが,

推定結果は予想に反してマイナスの符号である.輸出額が大きいことは世界 市場での比較優位を反映するが,同時に外国企業との間で厳しい競争にさら されていることをも意味している22).このため輸出は企業価値を高めている が,賃金率は低めていると思われる.ところが,(輸出額がプラスで)輸出し ている企業602社と(輸出額がゼロで)輸出をしていない企業592社の平均賃 金を比較すると,輸出をしている企業が約621万円で輸出していない企業が 577万円と輸出している企業の方が高い.すなわち国際競争力があって輸出 している企業では,研究開発支出や広告支出などその他の影響で賃金率が高 くなっているが,輸出自体は賃金率を引き下げているという結果なのである.

しかも,その影響度は56%であるから,最大賃金格差の約半分の賃金低下を もたらしている.既述のように,研究開発支出と広告支出の賃金引き上げ効 果の合計は約53%であったから,輸出額の引き下げ効果とほぼ等しい.輸出 している企業は研究開発支出も広告支出も大きいから23),輸出は研究開発支 出と広告支出の賃金引き上げ効果をほぼ相殺していることになる.マーケッ ト・シェアはマイナスで統計的に有意となった.理論的分析で明らかなように,

これはマーケット・シェアの高さが価格支配力を反映するという仮説よりは,

企業の効率性の高さやコストの低さを反映しているとする仮説を支持してい ると思われる.集中度が統計的に有意にならなかったという推定結果も,マー ケット・シェア支配力仮説を否定している可能性がある.しかし,マーケット・

シェアの賃金引き上げ効果は10%未満で,賃金格差に与える影響は軽微であ る.

 ギフト・エクスチェンジ仮説 2:外国持株比率と個人持株比率

 外国株主持株比率も個人持株比率も統計的に有意になったが,符号は前者

22) 外国との競争が労働市場に与える影響の重要性についてはSakurai (2004)で分析されている.

23) 輸出額と研究開発支出の相関係数は0.83,広告支出とは0.78であり,輸出している企業は

研究開発支出も広告支出も大きい.

(26)

がプラスで後者がマイナスであった.これらの結果は,外国株主は長期的な 生産性上昇のための賃金引き上げに好意的であるが,個人株主は賃金率引き 上げには好意的でないという結果を示唆している.しかし,これらの変数の 賃金引き上げ(引き下げ)効果はいずれも絶対値で10%未満で賃金格差に与え る影響は大きくない.

  高生産性労働者仮説:資本装備率,利潤率,企業価値,企業成長率と起業 後年数

 資本装備率,利潤率,企業価値,企業成長率は1%水準で統計的に有意で あるが,起業後年数は10%水準でぎりぎり有意でないという結果である.こ れらの賃金引き上げ効果を比較すると企業価値が最も大きく30%近い値であ る.利潤率と企業価値と企業成長率の引き上げ効果を合計すると最大賃金格

差の約56%になるから,企業規模も利益も大きく成長もしているという条件

は優秀な労働者を引き寄せる効果が非常に大きいと推察される.起業後年数 は予想に反して符号がマイナスで,起業後の年数が小さい企業ほど賃金が高 いという結果である.これは相対的に新しい企業は優秀な人材を確保するた めに高い賃金率を設定しているためではないかと思われる.ただし,賃金引 き上げ効果は約2%であるから,その影響は無視できる程度である.

 労働市場需給逼迫仮説:産業成長率と企業成長率

 産業成長率は1%水準でプラスで統計的に有意である.企業成長率も同じ 結果であったから,急速に成長している産業では,労働市場で需給が逼迫し て賃金率が上昇するという仮説に肯定的な結果である.産業成長率の賃金引 き上げ効果を見ると,労働市場の需給逼迫が賃金に与えた影響を推測するこ とができ,それは賃金格差の約10%である.既述のように,企業成長率は,

高生産性労働者仮説と労働市場需給逼迫仮説の両方を表す説明変数であるか ら,企業成長率が賃金引き上げる効果の一部は労働市場での需給逼迫の影響 を反映している.企業成長率の引き上げ効果は約16%であるから,これらの 効果を合わせれば,労働市場の需給逼迫による賃金引き上げ効果は相当な大

(27)

きさとなる.

 不確実性モデル:利潤変動

 利潤変動も1%水準で統計的に有意で,符号はプラスである.したがって,

利潤が不安定で不確実性が高い企業では賃金率は高くなっている.また,そ の賃金引き上げ効果は10%を超えており,賃金格差に無視できない影響を与 えていると結論できる.

5 お わ り に

 本稿の前半では賃金率決定に関する理論モデルを構築し,後半では理論モ デルより導出した推定モデルを用いて統計的に分析した.理論分析は包括的 で賃金決定の基本的モデル,Efficiency-賃金仮説,ギフト・エクスチェンジ 仮説,高生産性労働者仮説,労働市場需給逼迫仮説,不確実性仮説について 簡単な理論モデルを構築した.実証分析の対象は日本製造業企業で必要なデー タが収集できた1,194社,分析対象年は2007年である.被説明変数は,各社 の『有価証券報告書』に記載の従業員の平均年収で,説明変数としては賃金 率決定の基本的な変数である平均年齢と平均勤続年数,Efficiency-賃金仮説 検証用の販売 ・ 管理比率,人的資源比率と企業規模,ギフト・エクスチェン ジ仮説の利潤獲得力を表す輸出額,研究開発支出,広告支出,マーケット・シェ アと集中度,ギフト・エクスチェンジ仮説の企業統治に関連する外国持株比 率と個人持株比率,高生産性労働者仮説を検証するための企業規模,利潤率,

資本労働比率,企業成長率と起業後年数,労働市場需給逼迫仮説のための産 業と企業の成長率,不確実性仮説を検証するための利潤変動を採用した.また,

被説明変数を始め多くの説明変数は対数を取っている.この推定モデルを用 いて回帰分析を行ったが,販売 ・ 管理比率,企業規模を表す従業員数と集中 度は統計的にまったく有意でなかったため説明変数から除去した.残った説 明変数のほとんどは1%水準で統計的に有意で,輸出額 、 起業後年数以外は 推定係数の符号も理論的な予測と矛盾しなかった.また,各説明変数が賃金

(28)

率に与えた影響の相対的な重要度を調べるために,賃金格差最大値に対する 各説明変数の賃金引き上げ(引き下げ)効果の最大値の比率を算出した.この ような分析より以下のような暫定的な結論を得た.

1) 勤続年数は当然プラスで統計的に有意で,企業間賃金格差の最大値の

約35%程度の賃金格差をもたらしている.年齢は統計的に有意ではなく,

年功賃金制度が存在していたとしてもそれが賃金率に与える効果は無視 できる程度である.

2) 企業規模を表す従業員数は統計的に有意にならなかった.これは企業 規模が増加すればモニター費用が増加して賃金率が高くなるという仮説 に対して否定的な結果である.一方,人的資源比率は統計的に有意となっ たが,これは人的資源が重要な企業すなわち優秀な人材が必要な企業で は賃金率は高くなるという当然の結果を示唆している.人的資源比率は 大卒労働者と高卒労働者の賃金格差を反映しているが,その賃金引き上 げ効果を見ると最大でも約10%程度であるから,学歴は日本企業におけ る賃金格差の重要な要因とは言えない.

3) 企業の技術力の高さを示す研究開発支出と市場ブランド力を表す広告 支出の賃金引き上げ効果を合計すれば約53%で,現実の最大賃金格差の 半分以上の大きさとなった.

4) 輸出の推定係数の符号は予想に反してマイナスである.大きい輸出額 は世界市場で比較優位があることを意味するが,同時に外国企業との間 で厳しい競争にさらされていることが,このような結果をもたらしたと 思われる.また,その賃金引き下げ効果は約56%で,研究開発支出と広 告支出による賃金引き上げ効果をほぼ相殺している.

5) 集中度は統計的に有意にならなかった.また,統計的に有意となった マーケット・シェアの推定係数の符号はマイナスであり,この結果はマー ケット・シェアが企業の効率性やコストの低さを反映しているとする仮 説を支持している.

(29)

6) 外国株主持株比率と個人持株比率も統計的に有意であったが,推定係 数の符号によれば,外国株主は賃金引き上げに好意的で,個人株主は好 意的でないという結果である.

7) 統計的に有意になった利潤率,企業価値,企業成長率の賃金引き上げ 効果を合計すると最大賃金格差の約56%で,利潤を享受し成長している 大企業は優秀な新卒労働者を引き寄せることが明らかになった.

8) 企業成長率も産業成長率も統計的に有意で,急速に成長している産業 では,労働市場の需給逼迫が賃金率を引き上げるという仮説に肯定的で あった.また,利潤変動も統計的に有意で符号もプラスであり,不確実 性が高い企業では賃金率は高くなるという結論であった.

以上のように本稿では多くの興味深い分析結果が得られた.しかし分析対象 となった年2007年は2002年から始まった長い好況が終わる年で,ほとんど の企業は非常に良い財務状況にあったはずである.したがって,本稿での分 析結果が異なった経済状況でも成立するかどうかは,今後の分析を待つ必要 がある.

謝辞

 本稿の執筆に当たっては,著者の1人である中尾武雄は平成21年度私立大 学等経常費補助金特別補助高度化推進特別経費大学院重点特別経費(研究科分)

の助成をうけた.

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参照

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