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︽ コ ロ ン ナ ・ ピ エ タ ︾ の 図 像 学 と そ の コ ピ ー の 問

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(1)

ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ 作

︽ コ ロ ン ナ ・ ピ エ タ ︾ の 図 像 学 と そ の コ ピ ー の 問

嶋 谷 昭 彦

は じ め に ヴァ

ザー リや コン ディ ヴィ の伝 える とこ ろに よる と︑ ミケ ラン ジェ ロは その 女友 達で あっ たヴ ィッ トー リア

・コ ロ ン ナ︵ 以下 コロ ンナ と略

︶の ため に幾 つか の素 描を 作っ て贈 った とさ れる

︒こ れら はミ ケラ ンジ ェロ が同 じく 友人 で あ った トン マー ゾ・ デ・ カヴ ァリ エリ のた めに 作っ て贈 った 素描 群と 同様 に愛 情深 い配 慮を 持っ て丁 寧に 作ら れた も の で︑ いわ ば贈 り物 素描 とも 言う べき もの であ る︒ これ は大 作の 準備 段階 で作 られ る下 書き デッ サン とは 性質 を異 に し

︑入 念に 描か れた その 画面 には それ 自体 完成 され た一 個の 作品 と呼 んで も良 いよ うな 風格 さえ 漂っ てい る︒ ちょ う ど この 頃素 描が 単な る下 書き から それ 自体 完成 した 一作 品と して 価値 をも つよ うに なり

︑収 集の 対象 とも なり つつ あ っ たと いう 社会 背景 がこ こで 想起 され るが

︵こ れは フィ レン ツェ

︑ロ ーマ など トス カナ 派に おけ るデ ィセ ーニ ョの 価 値 付け とも 連動 して いよ う︶

︑ 本論 では そこ には 立ち 入ら ず

︑上 述 のコ ロ ン ナの た め に ミケ ラ ン ジェ ロ が 作っ た 素 描 群

︵︽ 井 戸辺 の サマ リ ア 女︾

︑︽ 磔 刑︾

︑︽ ピ エ タ︾

︶ のう ち

︑︽ コ ロ ンナ

・ピ エ タ︾ と 通称 さ れ る︽ ピエ タ

︾素 描

︵一 五

― 249 ―

(2)

三 八│ 四〇 年頃

︑ボ スト ン︑ イザ ベラ

・ス テュ ア ー ト

・ガ ー ド ナ ー 美 術 館

︶︵ 図 1︶ に 焦 点 を 当 て る

︒ この

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ は︑ その 形態 の独 自 性 や後 世へ の影 響力 にお いて ミケ ラン ジェ ロの 他 の 三つ の︽ ピエ タ︾ に勝 ると も劣 らな いも ので あ る と言 える

︒形 式的 に言 って

︽サ ン・ ピエ トロ の ピ エタ

︾が ミケ ラン ジェ ロ独 自の 改変 が若 干な さ れ ては いる もの の基 本的 に北 方の 晩課 像︵

Vesper-

bild

︶ を踏 襲す るも ので ある のに 対し て︑ 本作 品は その 形態 の独 自 性の 点 で 他に は な い ミケ ラ ン ジェ ロ 独 自の ピ エ タ 表 現の 一定 型︵

︽ フィ レン ツェ のピ エタ

︾や

︽ロ ンダ ニ ー ニの ピ エ タ︾ とも ま た 違 う︶ を作 り 出 した と 言 って も 過 言 で はな い︒ また 同時 代や 後世 への 影響 力の 点で は︑

︽ フィ レン ツェ のピ エタ

︾が 作者 自身 によ って 完成 前に 破壊 され

︑ ま た 制 作途 中 の 作品 を 人 に 見せ な か った ミ ケ ラン ジ ェ ロ の秘 密 主 義も あ っ て制 作 中 も ほと ん ど 人目 に 触 れな か っ た り

︑最 晩年 の︽ ロン ダニ ーニ のピ エタ

︾に 至っ ては 制作 途上 の作 者の 死去 のた め︑ 度重 なる 計画 変更 の痕 跡は 見ら れ る もの のそ れが いか なる 完成 形態 を目 指し てい たの か︑ また そも そも 一個 の完 成作 品を 目指 して 制作 され てい たも の な のか

︵ミ ケラ ンジ ェロ は健 康の ため に毎 日大 理石 を 彫っ て い たと の 記 述が ヴ ァ ザ ーリ に あ る︶

︑残 念 な がら 今 で は 推 測す る他 はな いの に対 して

︑︽ コ ロン ナ・ ピエ タ︾ は︑ 現在 も残 って いる 無数 の版 画や 絵画

︑レ リー フ︵ 石︑ 金属

︶ に よっ てそ の類 型が コピ ーさ れて 世間 に流 布さ れて おり

︑例 えば エル

・グ レコ など 多く の芸 術家 達に イン スピ レー シ

図1 ミケランジェロ《コロン ナ・ピエ タ》

ボストン,イザベラ・ステュアート・ガ ードナー美術館

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 250 ―

(3)

ョ ンを 与え 続け たそ の影 響力 は計 り知 れな い!

︒ 本作 品の 内容 につ いて トル ナイ やヒ バー ドは

︑少 し後 にミ ケラ ンジ ェロ によ って 作ら れる こと にな る︽ フィ レン ツ ェ の ピ エタ

︾と 同 様︑ 本 作品 が 当 時 ヨー ロ ッ パ中 を 席 捲し て い た 宗教 改 革 運動 の 中 心思 想 で あ る ソ ラ・ フ ィ デ 主 義

sola fide

﹁ 信仰 のみ

﹂の 意︒ プロ テス タン トの 基本 信条

︒カ トリ ック が救 済の ため に善 行の 価値 も認 めて いた のに 対 し て︑ 信仰 のみ によ る救 済を 唱え た︶ の視 覚的 等価 物︵

visual equivalent

︶ とな って いた 事を 指摘 して いる

︒第 1章 で は

︑主 とし てト ルナ イ︵ 一九 六〇 年︶ に沿 って 本作 品の 思想 的背 景と なっ たイ タリ ア宗 教改 革に つい て簡 単に 述べ る と 共に

︑ミ ケラ ンジ ェロ が︑ コロ ンナ を通 して 間接 的に とは いえ この 運動 から どの よう な思 想的 影響 を受 けて いた か に つい て︑ 彼の 詩や 手紙 から 跡付 ける

"

︒次 に第 2章 では

︽コ ロン ナ・ ピエ タ

︾の コ ピ ー群 を 微 妙に 違 う 二つ の ヴ ァ ー ジョ ンに 分類 する トル ナイ

︵一 九五 三年

︶の 見解 を紹 介す ると 共に

︑そ の分 類に 再検 討を 加え て新 たな 説を 提示 す る

︒そ して 第3 章で は本 ピエ タ作 品の

︑他 には ない 図像 タイ プの 由来 につ いて 推定 する と共 に︑

︽ コロ ンナ

・ピ エタ

︾ が イタ リア 宗教 改革 にお いて いか なる 意味 や機 能を もっ てい たか につ いて 述べ る︒ 最後 に付 加的 考察 とし て︑ 本作 品 が もと もと 宗教 改革 思想 の視 覚的 等価 物と して 作ら れた にも かか わら ず︑ 祈念 像と して の定 型的 表現 の故 に反 対陣 営 で ある カト リッ ク側 に取 り込 まれ て接 吻牌 とし て︑ 本来 作者 の意 図し たの とは 逆の 意味 や機 能を 担わ され てい った 事 に つい て独 自の 考察 を加 える

︒ 第1

章 ヴィ ッ ト ーリ ア

・ コロ ン ナ とミ ケ ラ ンジ ェ ロ ミケ

ラン ジェ ロと コロ ンナ の交 際は

︑ミ ケラ ンジ ェロ がシ ステ ィー ナの

︽最 後の 審判

︾に 取り 掛か った 頃︵ 一五 三

― 251 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

(4)

四 年︶ に既 に始 まっ てい たが

︑一 五三 八年 ごろ から 急速 に親 密に なっ た︒ 一五 三八 年当 時︑ ミケ ラン ジェ ロは 六十 三 歳

︑コ ロン ナは 四十 六歳 であ った が︑ その とき ロー マに 住ん でい たコ ロン ナは ドミ ニコ 会の サン

・シ ルヴ ェス トロ

・ ア ル・ モン テ・ カヴ ァッ ロ聖 堂で 毎日 曜日 にミ ケラ ンジ ェロ と会 い︑ 信仰 や芸 術の 問題 につ いて 対話 した とさ れ︑ こ の 対話 はそ の十 年ほ ど後 にポ ルト ガル の画 家フ ラン シス コ・ デ・ オラ ンダ によ って 幾分 創作 をま じえ て記 録さ れて い る!

︒彼 女は ナ ヴ ァ ラの マ ル グリ ッ ト 公妃 の 言 う 所で は

︑﹁ 信 仰の 確 固 たる 基 盤

﹂を 示 すこ と に よっ て 周 りの 人 々 を 敬 虔な 信仰 へと 導い た︒ また ジベ ルテ ィ枢 機卿 によ ると

﹁彼 女は 救済 の港 への 導き とな るよ うな 光を 示し てい るよ う に 思え る︒

﹂ 社会 的に 高名 であ ると 言う だけ の尊 大な 人物 の前 で は 決し て 頭 を下 げ な か った プ ラ イド の 高 いミ ケ ラ ン ジ ェロ が︑ 彼女 に対 して は﹁ 神的 な婦 人﹂ と呼 び︑ その 手紙 は謙 虚で 恭し い調 子で 書か れて いる

︒彼 女は 高貴 で古 い 家 柄の 出で 詩人 とし ても 有名 であ った が"

︑ それ 以上 に人 間的 完全 さの 具現

︑と い う よ りほ と ん ど超 越 的 な諸 性 質 の 受 肉化 であ るよ うに ミケ ラン ジェ ロに は思 えた

︒ミ ケラ ンジ ェロ のと って のベ アト リー チェ であ りラ ウラ であ った 彼 女 は︑ 神の 恩寵 の授 与者

︑神 との 間の 仲介 者で あり

︑そ の美 しさ は神 のよ う で あ った

#

︒実 際 の 言葉 や 手 紙だ け で は な く︑ その 様々 な美 徳が 醸し 出す 神的 オー ラに よっ ても 彼女 はミ ケラ ンジ ェロ を霊 的に 指導 し︑ 道徳 的完 成へ と導 い て いっ たと 言え るか もし れな い︒ その 頃北 方で は一 五一 七│ 一八 年に ルタ ーら によ って 口火 を切 られ た宗 教改 革運 動が 激し さを 増し てい たが

︑イ タ リ アで は教 皇の お膝 元と いう 政治 的事 情も あっ て発 展せ ず︑ 宗教 改革 の動 きは ある には あっ たが あく まで 教会 内部 の 改 革運 動に とど まっ てい た$

︒ イタ リア 宗教 改革 が本 格化 する のは

︑一 五三 四 年 に ナポ リ に 移住 し た ホア ン

・ヴ ァ ル デ スの 周り に教 養あ る人 々が 集ま って サー クル を成 して 以降 のこ とで あ る%

︒ス ペ イン か ら やっ て 来 て︑ 一五 三 一 年 ご ろか ら一 五三 四年 まで ロー マに 住み

︑一 五三 四年 から 一五 四一 年の 死ま でナ ポリ に住 んだ ヴァ ルデ スが コロ ンナ と

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 252 ―

(5)

直 接面 識が あっ たか どう かは 定か では ない

!

︒し かし 一五 四一 年の ヴァ ル デ ス の死 後

︑枢 機 卿レ ジ ナ ルド

・ポ ー レ の 支 配下 にあ った ヴィ テル ボの サン タ・ カテ リー ナ修 道院 に移 った その サー クル のメ ンバ ーの 中に コロ ンナ も入 って い た"

︒こ のサ ーク ルは

︑パ ウロ の教 えに 基づ いて 善行 や礼 拝 か ら独 立 し た﹁ 信仰 の み によ る 救 済︵ 義 認︶

﹂︵ ソ ラ・ フ ィ デ︶ を基 本的 信条 とし

︑教 会の 儀式 では なく キリ スト の犠 牲に 対す る信 者個 人の 魂の 態度

︵信 仰︶ に強 調点 を置 い た#

︒神 の恩 寵は 信仰 のみ に依 存し

︑信 仰の ない 善行 は無 価値 であ ると いう この 考 え は コロ ン ナ の詩 の 幾 つか に も 現 れ てい るが

︑し かし 彼女 のこ の教 説に 対す る立 場は

︑一 五六 六年 に異 端尋 問官 の前 で尋 問さ れた カル ネゼ ッキ の証 言 に よる と︑

﹁ 信仰 のみ によ って 救わ れる かの よう に考 えね ば な らな い が︑ そ の救 済 は 善 行に 依 存 する か の よう に 行 動 せ ねば なら ない

﹂と いう

︑善 行の 価値 も認 める 幾分 妥協 的な もの であ った

$

︒ ミケ ラン ジェ ロが この

﹁信 仰の みに よる 救済

︵義 認︶

﹂︵ ソ ラ・ フィ デ︶ の思 想を 知っ てい ただ ろう 事は

︑彼 の詩 や 手 紙か ら証 明で きる

︒多 分一 五四

〇年 のコ ロン ナへ の手 紙に おい て︑ ミケ ラン ジェ ロは

﹁神 の恩 寵は 購う こと は出 来 な い︒ 神の 恩寵 を軽 視す るこ とは 大き な罪 であ る︒

﹂ と書 いて いる

︒ま た彼 女に 捧げ たソ ネッ トの 一つ にお いて

︑﹁ 天 上 にお いて

︑至 高の 善は つま らぬ 罪よ り価 値が ある のか どう か︒ 高貴 で神 聖な 婦人 よ︑ あな たに 尋ね たい

﹂と 善行 の 価 値へ の疑 念を 表明 して いる

︒更 にミ ケラ ンジ ェロ の晩 年の 詩の 多く にお いて

︑救 済の 原理 とし ての キリ スト の犠 牲 の 強 調 が見 出 さ れる

︒﹁ 肉 よ︑ 血 よ︑ 十 字架 の 木 よ︑ 究極 の 苦 しみ よ

︒あ な た によ っ て 私 の 罪 は 義 と さ れ る だ ろ う

︵フ ライ 165︶﹂﹁

あ なた の血 だけ が私 の罪 に 触れ

︑洗 い 流 すだ ろ う︒

﹂﹁ 主 よ

︑あ な た の血 を 持 って

︑あ な た は無 限 の 罪 と 人間 の行 いか ら︑ 魂を 純化 し︑ 癒す

︒﹂ ま た善 行が 個人 の 功 績で は な く︑ 人間 の 魂 を 通し て の 神の 行 為 の表 明 で あ る に過 ぎな いと いう ヴァ ルデ スの 考え が表 明さ れる

︒﹁ 主 よ︑ あな ただ けが

︑慈 愛と 敬虔 な行 為の 種子 であ る︒

﹂ま た ト ルナ イは ミケ ラン ジェ ロの

︽最 後の 審判

︾の 最終 案に おい ても この 教説 が影 を落 とし てい ると 主張 して いる

%

― 253 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

(6)

ヴィ ット リア がミ ケラ ンジ ェロ に教 唆し たと 思わ れる 宗教 改革 思想 は︑ 北方 での それ のよ うに カト リッ ク教 会に 反 対

︑離 脱し て新 たな 教会 を創 始す ると いっ た過 激な もの では なく

︑あ くま でカ トリ ック 教会 内部 での 改革 を目 指す と い う穏 健な もの であ った

︒し かし 一五 四二 年に 異端 尋問 所設 立と 共に 対抗 宗教 改革 が始 まり

︑異 端宣 告さ れる こと を 恐 れた 彼女 は︑ 仲間 のオ キー ノや カル ネゼ ッキ

︵プ ロテ スタ ント に改 宗し た︶ と決 別し

︑オ キー ノの 手紙 を異 端尋 問 所 に渡 しさ えし た︒ 彼女 は人 生の 終わ りに おい てイ エズ ス会 やカ プチ ン会 と関 係を 持ち

︑敬 虔な カト リッ クと して 死 ん だ︒ 一方 ミケ ラン ジェ ロは 異端 尋問 所開 設後 も彼 女と の初 期の 関係 で形 成さ れた 宗教 的性 格を 維持 しつ づけ た︒ ヴ ァ ルデ スの サー クル の著 名人 達の 中で 唯一 ミケ ラン ジェ ロだ けが 異端 尋問 所に よっ て邪 魔さ れた り︑ カト リッ クと プ ロ テス タン トの 間で 二者 択一 を迫 られ たり する こと はな かっ た!

︒ 第2

︽コ ロ ン ナ・ ピ エ タ︾ と そ のコ ピ ー 群 コン

ディ ヴィ の﹃ ミケ ラン ジェ ロ伝

﹄に よる と︽ コロ ンナ

・ピ エタ

︾の 人物 達の 背後 には 珍し いタ イプ の十 字架 が そ びえ てお り︑ そこ には

︑明 らか に聖 母に 帰さ れる 銘文

﹁ど れほ どの 血が 流さ れた か︑ あな た方 は知 らな い﹂ があ る と い う︵ 現 在素 描 の 上部 が 切 り 取ら れ て いる の で 十字 架 の 上 半分 は 見 えな い が︑ コ ピー か ら そ の形 が 推 測 で き る

︶︒ こ の銘 文は ダン テ神 曲天 国篇

29 :9 1

︶に 由来 する が︑ トル ナイ によ ると ここ では 福音 の普 及 に 言及 し て いる と 思 わ れ る︵ 銘文 も最 初の 部分 が切 れて いる が︑ コピ ー から 全 文 が推 測 で きる

︶︒ ま た こ の十 字 架 は︑ 一三 四 八 年の ペ ス ト の とき にビ アン キ︵ 鞭打 ち苦 行者 の宗 教運 動︶ の十 字架

︵サ ンタ

・ク ロ ー チ ェに 置 か れた

︶に 似 て いる と い う"

︒ ま た ヴァ ザー リの

﹃列 伝﹄ は︑ コン ディ ヴィ の記 述を 手短 に繰 り返 し︑ マル カン トニ オ伝 の中 でベ アト リツ ェに よっ て

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 254 ―

(7)

制 作さ れ︑ ラフ レリ によ って 出版 され た本 作の 銅 板 画コ ピ ー に言 及 し て いる

︵図 2︶

︒ これ ら コ ンデ ィ ヴ ィと ヴ ァ ザ ー リの 同時 代の 記述 は間 違い なく 本作 品に つい ての もの であ ると 同定 でき る︒ トル ナイ は︑ 現存 する 本作 品の コピ ー群 が形 式的 にや や異 なる 二つ のグ ルー プに 分類 され る事 と︑ ファ ーノ の司 教 の 手紙 を根 拠と して

︑︽ コ ロン ナ・ ピエ タ︾ に二 つの ヴァ ー ジ ョン が 存 在し た と 推 測す る

︒一 五 四六 年 の ファ ー ノ の 司 教の 手紙

︵枢 機卿 エル コー レ・ ゴン ザー ガ宛

︶か ら知 れる のは

︑当 時ヴ ィッ トリ アの 霊的 助言 者で あっ た枢 機卿 レ ジ ナ ル ド

・ポ ー レ が︑ こ の ピ エ タ 素 描 を 欲 し が っ て い た エ ル コ ー レ に よ ろ こ ん で 与 え る つ も り で あ っ た こ と で あ る!

︒こ の 手 紙中 で

︑﹁ 体 全体 が 見 え るが ピ エ タの 形 を して い る﹂ と の 記述 が あ る事 か ら︑ こ の手 紙 で 言 われ て い る 作 品が

︽磔 刑︾

︵ 図3

︶の 方で はな く︑

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ の方 であ るこ とが わか る︒ そし てそ のフ ァー ノの 司教 の 手 紙に よる とポ ーレ はミ ケラ ンジ ェロ によ る﹁ 別の もの

﹂を また ヴィ ット リア から 入手 でき るの で︑ この 贈り 物を 損

図2 N.ベアトリツェ《コロンナ・ピ

エタのコピー》銅版

図3 ミケランジェロ《磔刑》

ロンドン,大英博物館

― 255 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

(8)

失 では ない と言 って いた とい う︒ トル ナイ はこ の手 紙か ら︑ 最初 に描 かれ てミ ケラ ンジ ェロ から ヴィ ット リア へそ し て ポー レの 手に 渡り エル コー レに 贈ら れた だろ うと

︑ま た新 たに ミケ ラン ジェ ロに よっ てそ の代 わり に作 られ

︑ヴ ィ ッ トリ アか らポ ーレ に渡 され ただ ろう もの の二 つの ヴァ ージ ョン が︽ コロ ンナ

・ピ エタ

︾に 存在 して いた ので はな い か と推 測し てい る!

︒ そし てト ルナ イに よる と第 一の ヴァ ージ ョン のオ リジ ナル は︑ 多分 ボス トン のイ ザベ ラ・ ステ ュア ート

・ガ ード ナ ー 美術 館に ある 傷み の激 しい 素描 であ ると いう

"

︒そ れは 黄色 に変 色し た紙 に 描 か れた 黒 チ ョー ク 素 描で あ り

︑上 辺 と 下辺 を切 り取 られ てい るが

︑コ ンデ ィヴ ィが 述べ るよ うに

︑も とも と十 字架 全体 が上 辺部 にお いて 見え たは ずで あ る

︒こ れは 愛情 深い 注意 をも って 制作 され た贈 り物 素描 であ り︑ ソフ トな スフ マー トは カヴ ァリ エリ やヴ ィッ トリ ア の ため に作 られ たミ ケラ ンジ ェロ の素 描群 に特 有の もの であ る︒ また 背景 なし に孤 立し て現 れる 群像

︵前 景に 台座 と し ての 岩だ けが 見ら れ︑ いか なる 地平 線も ない

︶や 肉体 の流 れる よう なモ デリ ング

︑最 小の 衣襞 にも 見ら れる 内的 論 理

︑広 く て しっ か り した 鼻 を 持 つキ リ ス トの 表 情 豊か な 顔

︑半 開 きの 目 を した プ ッ トた ち の 夢 見る よ う な 悲 し い 表 情

︑演 劇的 な誇 張な しに 悲劇 的な 苦痛 を表 す聖 母の 顔は コピ ーに は見 られ ない ミケ ラン ジェ ロの 特徴 であ り︑ 本作 が ミ ケラ ンジ ェロ のオ リジ ナル であ るこ とを 示し てい ると トル ナイ は言

#

︒と は い えト ル ナ イ自 身 一 九七 五

│八

〇 年 の 著書

$

にお いて 紹介 して いる よう に︑ この 素描 がミ ケラ ンジ ェロ のオ リジ ナル で あ る かど う か につ い て は様 々 な 異 論 があ リ︑ いま だ解 決を 見て いな い

︒こ の 素描 に 基 づい た 版 画 コピ ー と して

︑ボ ナ ソ ーネ

︵一 五 四 六 年︶

︵図 4︶ や ベ ア ト リツ ェ

︵一 五 四七 年

︶︑ G・ B・ デ・ カ ヴ ァリ エ リ︑ A・ カ ラッ チ

︵一 五 七 九 年

︶に よ る も の が あ る%

︒ ま た 絵 画コ ピー とし てM

・ヴ ェヌ ステ ィに よる もの

︵図 5︶ やミ ュン ヘン のバ イエ ルン 州立 絵画 館や カー サ・ ブオ ナロ ッ テ ィに ある もの など があ る&

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 256 ―

(9)

また トル ナイ によ ると 第二 のヴ ァー ジ ョ ンの オリ ジナ ルは 失わ れて いる が︑ ミ ケ ラン ジェ ロの 工房 で作 られ たと 思わ れ る 未完 の大 理石 レリ ーフ

︵ヴ ァテ ィカ ン の キ リ ス ト 教 美 術 館 に あ る︶

︵図 6︶ の 手 本と して 用い られ たに 違い なく

︑そ の 歯 のつ いた 鑿を 用い たク ロス ハッ チン グ は ミケ ラン ジェ ロの 特徴 であ るが その モ デ リン グは 弱弱 しく

︑お そら く助 手が 荒

図4 G.ボナソーネ《コロンナ・ピエタ のコピー》

銅版,ローマ,国立版画館 図5 M. ヴェヌスティ《コロンナ・ピ

エタのコピー》

油彩,ローマ,ガレリア・ボルゲーゼ

図6 作 者 不 明《ヴ ァ テ ィ カ ン の コ ピ ー》

レリーフ,ヴァティカン,キリスト教美 術館

― 257 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

(10)

彫 りし

︑ミ ケラ ンジ ェロ が完 成し たも ので ある と言 う!

︒ とは いえ トル ナイ 自 身

︑後 の 著書 で は これ が ミ ケラ ン ジ ェ ロ によ って 荒彫 りさ れ助 手が 完成 した と全 く逆 の事 を言 って いる

"

︒こ の第 二ヴ ァ ー ジ ョン に 基 づい た 他 のコ ピ ー と し て︑ サッ シア のサ ント

・ス ピリ トに あ る大 理 石 レリ ー フ︵ 一 五五 一 年

︶や 幾 つか の プ ラッ ク

︵飾 り 板︶

︵プ リ ン ス ト ン大 学付 属美 術館

︑ベ ルリ ン︑ カー サ・ ブオ ナロ ッテ ィ等

︶が ある

#

︒ トル ナイ によ ると 第一 と第 二の ヴァ ージ ョン の違 いは わず かで ある が明 白で ある

︒即 ちボ スト ン素 描の ほう でキ リ ス トの 両手 は力 なく 丸ま って いる のに 対し て︑ ヴァ ティ カン のレ リー フで は両 手の 指は 力が 入っ て伸 び︑ 右手 は祝 福 の 仕草 をし てい るよ うに 見え る︒ また ボス トン の方 でキ リス トの 右足 は左 足の 背後 に見 るこ とが 出来 るが

︑ヴ ァテ ィ カ ンの 方で 右足 はほ とん ど見 られ ない

︒そ して 前者 では 覆わ れて いる 聖母 の足 は後 者の ほう では 剥き 出し であ る︒ ま た 前者 では 横顔 であ る向 かっ て右 側の 天使

︵プ ット ー︶ は︑ 後者 では 正面 観で あり

︑そ の衣 襞も 違っ てい る$

︒ とは いえ 本当 にト ルナ イの 言う 通り だろ うか

︒例 え ば トル ナイ が祝 福の 仕草 をし てい ると 言う ヴァ ティ カ ン のレ リー フに おけ るキ リス トの 両手 の指 は︑ 現在 摩 滅 して ほと んど 見え ない

︵ト ルナ イの 論文 に掲 載さ れ て い る 写真 で も 同様 で あ る︶

︒ また 両 ヴ ァ ー ジ ョ ン の キ リス トの 足に つい ても それ ほど 違っ てい るよ うに は 思 えな い︒ そし て聖 母の 足に つい ても トル ナイ が第 一 ヴ ァー ジョ ンに 入れ てい るカ ーサ

・ブ オナ ロッ ティ の 絵 画︵ 図7

︶で は剥 き出 しで ある

︒確 かに プッ トー の

図7 作者不明《カーサ・ヴォナロッテ ィのコピー》

カーサ・ブオナロッティ,フィレンツェ

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 258 ―

(11)

顔 の向 きや 衣襞 は異 なっ てい るが

︑こ の程 度の 翻案 は背 景や 十字 架の 解釈 がト ルナ イの 言う 第一

︑第 二の グル ープ の 中 でも 様々 であ るよ うに

︑コ ピー では よく ある こと であ る︒ 結局 トル ナイ が挙 げて いる 両ヴ ァー ジョ ンの 違い は︑ 二 つ のグ ルー プ間 の違 いと いう には あま りに も各 々の グル ープ 内部 で統 一が 取れ てい ない

︒よ り厳 密に 言う なら コピ ー 群 をそ の違 いで 二つ のグ ルー プに 分け るこ とは 困難 であ りや や無 理が ある ので ある

︒ま た別 のミ ケラ ンジ ェロ 宛て の 日 付の ない 手紙

!

にお いて

︑コ ロン ナは

﹁マ ント ヴァ の枢 機卿 の配 下の 貴 紳 達 に︽ 磔刑 に さ れた キ リ スト

︾を お 見 せ し たい

︒﹂ と 書い てお り︑ この 枢機 卿と いう のが マン トヴ ァ の ゴン ザ ー ガ家 出 身 の エル コ ー レ・ ゴン ザ ー ガの こ と で あ ろう と推 測さ れる ので

︑そ うす ると 先の ファ ーノ の司 教の 手紙 中の

﹁別 のも の﹂ とは

︑な にも

︽ピ エタ

︾で ある 必 要 はな く︑ 同時 期に ミケ ラン ジェ ロに よっ て描 かれ てコ ロン ナに 贈ら れた

︽磔 刑像

︾で あっ た可 能性 があ る︒ おそ ら く エル コー レは 自分 がも らう 前に その

︽磔 刑像

︾が どの よう なも のか 家来 達に 下見 させ たの だろ う︒ 結局 エル コー レ が

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ と︽ 磔刑 像︾ のど ちら を気 に入 って ポー レか らも らっ たの かは わか らな いが

︑先 のフ ァー ノ の 司教 の手 紙で 問題 とな って いた

﹁ピ エタ 素描

﹂が

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ であ り﹁ 別の もの

﹂が

︽磔 刑像

︾で ある と す る と︑

︽ コロ ン ナ・ ピ エタ

︾に 二 つ の ヴァ ー ジ ョン を 想 定す る 必 要 はな い こ とに な る︒ こ れ ら の こ と か ら 筆 者 は

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ に第 二ヴ ァー ジョ ンは 存在 しな かっ たと 推定 した い︒ 第3

︽コ ロ ン ナ・ ピ エ タ︾ の 図 像学 トル

ナイ の言 う第 一ヴ ァー ジョ ンに せよ

︑こ の構 成の コピ ー間 の違 いは 図像 学的 には ほと んど 問題 にな らな いほ ど わ ずか であ り︑ ミケ ラン ジェ ロの オリ ジナ ルの 図像 形式 はほ ぼ忠 実に 保存 され てい ると 言え る︒ また トル ナイ によ る

― 259 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

(12)

と ピエ タに は珍 しい この 構成 の起 源は

︑多 分二 つの 図像 タイ プの 融合 とし て説 明さ れる とい う︒ 即ち マリ アの 膝の 間 に 幼児 キリ スト を置 いた

﹁聖 母子

﹂と

︑北 イタ リア の伝 統に 由来 する

︑二 体の 天使 プッ トー によ って 支え られ 墓の 中 に 立 つ﹁ 苦 しみ の 人﹂

︵ ドナ テ ッ ロ︑ マ ンテ ー ニ ャ︑ G・ ベッ リ ー ニ等 に 見 ら れる

︶で あ る!

︒ 成 人 キ リ ス ト の 死 体 を 表す

﹁ピ エタ

﹂と 生き てい る幼 児キ リス トを 表す

﹁聖 母子

﹂が なぜ 結び つく のか とい うと

︑聖 母が キリ スト を膝 に 乗 せる とい う同 じ形 であ って もキ リス トが 幼児 であ る場 合は

﹁聖 母子

﹂で あり

︑キ リス トが 成人 であ る場 合は

﹁ピ エ タ

﹂と なる が︑ 両者 を形 式的 かつ 内容 的に 結び 付け ると いう 思考 法が 中世 にお いて 普及 して いた から であ る︵ 例え ば

﹁聖 母子

﹂の 側で は将 来の 受難 を予 兆し て既 に大 人の 顔を した 小さ いキ リス トを 抱く

﹁聖 母子

﹂が あり

︑﹁ ピエ タ﹂ の 側 では 過去 を回 想し たマ リア が幼 児の よう に 小さ い 大 人の キ リ スト を 抱 く﹁ ピ エタ

﹂が あ る︶

︒ この よ う なこ と を 考 え ると

︑マ リア が膝 の間 にキ リス トを 置く

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ も単 に形 式的 にで はな く意 味的 にも

﹁聖 母子

﹂を 踏 ま えて いる と言 え︑ トル ナイ の主 張も 頷け る︒ 更に トル ナイ によ ると

︑︽ コ ロン ナ・ ピエ タ︾ は︑ 聖母 と 父 なる 神 の 違い は あ れ︑ デ ュー ラ ー の一 五 一 一年 の 木 版 画 に見 られ るよ うな 三位 一体 の恩 寵の 玉座 タイ プや

︑そ の木 版に 影響 を受 けた アン ドレ ア・ デル

・サ ルト の絵 画に 従 っ たア ゴス ティ ーノ

・ヴ ェネ トの 一五 一六 年の 版画 を想 起さ せる が︑ ミケ ラン ジェ ロが

︑後 に︽ フィ レン ツェ のピ エ タ

︾に おい て人 物構 成を この 三位 一体 のタ イプ に適 合さ せて いる 事か ら︑ 彼自 身も この 類似 に気 付い てい ただ ろう こ と が推 測で きる とい う"

︒ また フォ ン・ アイ ネム によ ると

︑﹁ 恩 寵の 玉 座

﹂も こ こで 重 要 であ る が︑

︽ コロ ン ナ

・ピ エ タ

︾の 真の 源泉 は﹁ ピエ タ﹂

︵﹁ 恩 寵の 玉座

﹂を 含む

︶に では なく

﹁苦 し み の 人﹂ にあ る と 言う

#

そ し て ペリ ッ ヒ に よ ると

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ は︑ ミケ ラン ジェ ロが

﹁ピ エタ

﹂主 題の 原理 的に 新し い理 解の 視覚 化を しよ うと して 作 っ たも ので あり

︑救 済の 出来 事の 原理 的に 新し い経 験を うち に含 んで いる と い う$

︒ 彼 らの 意 見 には 多 少 の異 同 は あ

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 260 ―

(13)

る もの の︑ ミケ ラン ジェ ロが

︽フ ィレ ンツ ェの ピエ タ︾ や本

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ を︑ 単に 形式 的に では なく 意味 的 に も﹁ ピエ タ﹂

︵﹁ 恩 寵の 玉座

﹂含 む︶ や﹁ 苦し みの 人﹂ の図 像伝 統に 繋が らせ よう と考 えて いた と筆 者も 考え る!

︽ コロ ンナ

・ピ エタ

︾の 一種 の祈 念像 とも いえ る厳 格で 幾 分 堅苦 し い 左右 対 称 の 構成 は 全 体と し て︑ 人 間の 体 か ら 作 られ た十 字架 を示 し︑ 上に ある 十字 架の 形を 繰り 返し てい る︒ これ はキ リス トの 犠牲 の死 によ る救 済の 教義 を否 応 も なく 強調 する もの とな って いる

︒ま たミ ケラ ンジ ェロ が青 年期 に作 った

︽サ ン・ ピエ トロ のピ エタ

︾の よう な従 来 の 伝統 的ピ エタ 構成 では 聖母 に強 調が 置か れて いる のに 対し て︑ ここ では 構成 の中 心は 死せ るキ リス トで ある

︒こ れ も 救 済 にお い て 神と 信 者 の 間を と り なす 聖 母 の間 接 的 な 役割 よ り も︑ キリ ス ト の直 接 的 役 割を 強 調 した 結 果 で あ ろ う

︒幾 分人 工的 で抽 象的 な左 右対 称性 と幾 何学 的規 則性 を持 って いる

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ は︑ もは や具 体的 な物 語 図 像と いう より

︑宗 教的 教義 を象 徴的 図形 へ変 容し たも のと 言っ てよ い︒ ミケ ラン ジェ ロは

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ に お いて

︑プ ロテ スタ ント の﹁ 信仰 のみ によ る義 認﹂ の教 説の 視覚 的等 価物 を創 造す るた めに

︑そ の教 説の 要で ある 犠 牲 のキ リス トの 体を 画面 中央 に正 面観 で置 いた と考 えら れる

"

︒ ヒバ ード やヒ ュー ズは

︑こ の︽ コロ ンナ

・ピ エタ

︾や 生き て天 を仰 ぐキ リス トを 描く

︽磔 刑図

︾が これ まで あま り 描 かれ なか った 新た な類 型の もの であ り︑ コロ ンナ の指 示に 従っ て描 かれ た 可 能 性を 指 摘 して い る#

︒ そ れが コ ロ ン ナ の指 示に よる もの であ れ︑ ミケ ラン ジェ ロ の創 意 に よる も の であ れ

︑︽ コ ロ ンナ

・ピ エ タ︾ は 信仰 の み によ る 救 済 を 信じ る集 団に 特に 捧げ られ た図 像で あっ たと 考え られ よう

︒物 語図 像で ある

﹁十 字架 降下

﹂や

﹁哀 悼﹂

︑﹁ 埋 葬﹂ の よ うな 外的

︑物 質的 な図 像で はな く︑ また 聖母 の悲 しみ を強 調す る従 来の 伝統 的﹁ ピエ タ﹂ 図像 でも なく

︑こ の︽ コ ロ ン ナ・ ピ エタ

︾や

︽磔 刑 図︾ こ そが

︑キ リ ス ト の犠 牲 の 死に よ る 救済 の 教 義 をよ り 直 截 に 信 者 の 魂 に 喚 起 し︑ 内 的

︑霊 的な 祈り へと 導く もの であ った こと は疑 いな い$

― 261 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

(14)

おわ り に 図 像 の 運命 とこ

ろで 前述 の︽ コロ ンナ

・ピ エタ

︾の コピ ー群 のう ち︑ 金属 製の プラ ック

︵飾 り板

︶の 幾つ かは 見慣 れな い形 の 取 っ手 や台 座の 付い た額 の中 に収 まっ てい る︵ プリ ンス トン 大学 付属 美術 館︑ ヴィ クト リア

・ア ンド

・ア ルバ ート 美 術 館︑ カー サ・ ブオ ナロ ッテ ィ等 にあ る︶

︵ 図8

︶︒ 実際 これ らは カト リッ ク教 会に おい て接 吻牌

pax, Kusstafel

︶ と し て使 われ たも ので ある

!

︒接 吻牌 とは ミサ 聖祭 にお いて

︑会 衆へ の親 睦の 接吻

Friedenskuss

︶の 伝達 の ため に 用 い ら れた 道具 であ り︑ ミサ の後

︑会 衆に よっ て順 に接 吻さ れる ため に司 祭や 助祭 によ って 差し 出さ れる

︒親 睦の 接吻 と は 使徒 時代 以来 の慣 習で

︑特 に聖 体拝 領に おい て主 と一 致す ると とも に︑ 他人 であ る兄 弟同 志と も一 致す るこ とを 表 し たが

︑十 三世 紀以 降実 際に は接 吻せ ず︑ 抱擁 や︑ 象 徴 的な 挨拶

︑身 振り

︑ま た信 者に 対し ては 接吻 牌を 使 用 する こと で 代 用 され

"

︒接 吻 牌の 導 入 は最 初 一 二 五

〇年 ごろ イギ リス で行 われ

︑そ の後 ヨー ロッ パに 広 く 普及 した が︑ トリ エン ト公 会議

︵一 五四 五│ 一五 六 三

︶以 降

︑徐 々 にそ の 使 用は 衰 え た#

︒ 図 像の 内 容 と し ては 最初 の十 三│ 十四 世紀 には 磔刑 図が 主流 であ っ た が

︑十 五 世紀 末 に はキ リ ス ト 受 難 の 諸 主 題

︵﹁ ピ エ タ

﹂︑

﹁ エッ ケ・ ホモ

﹂︑

﹁ 苦し みの 人﹂ など

︶に も拡 大

図8 作者不明《接吻碑(コロンナ・ピ エタのコピー)》

16世紀,ブロンズ,17×10 cm,カーサ

・ヴォナロッティ,フィレンツェ

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 262 ―

(15)

し た︒ この よう なキ リス トの 受難 図が 主に 接吻 牌の 主題 とし て選 ばれ たの はキ リス トの 受難 を再 現す るミ サ聖 祭で 使 わ れる 道具 にふ さわ しい 主題 であ った ため であ ろう

#

︒ 前述 にお いて

︽コ ロン ナ・ ピエ タ︾ は︑ 当初 イ タリ ア 宗 教改 革 に おけ る 中 心 思想 で あ る信 仰 の み︵ ソ ラ・ フィ デ

︶ に よる 義認 の教 説の 視覚 的等 価物 とし てミ ケラ ンジ ェロ によ って 作ら れた もの であ る事 を確 認し た︒ しか しそ れが 多 く の人 々の 手に よっ て複 製さ れる うち に最 初担 わさ れて いた 意味 や機 能と いっ た図 像内 容が 忘れ られ

︑そ の定 型的 な 表 現形 式の 故に

︑プ ロテ スタ ント とは 反対 陣営 のカ トリ ック 側に 取り 込ま れて 接吻 牌と して 使わ れる こと にな った の は 興味 深い

︒ミ サ聖 祭に おい てパ ンと ブド ウ酒 がキ リス ト の肉 と 血 へ全 質 変 化す る と い う教 義 を 迷信 と し て 認め ず

︑ ミ サ聖 祭も 行わ ない プロ テス タン トの 基本 信条 を表 した 図像 が何 度も のコ ピー を経 るう ちに

︑図 像形 式は ほぼ 忠実 に 保 存さ れて いな がら もそ の内 容が 忘れ 去ら れカ トリ ック のミ サ聖 祭で 使わ れる よう にな ると は原 作者 のミ ケラ ンジ ェ ロ も夢 想だ にし なか った に相 違な い︒ ここ に図 像の 形式 は伝 えら れて も︑ その 内容 とい うも のが 年月 を経 るう ちに 忘 れ 去ら れて いく 一例 が観 察さ れて 興味 深い

$

! 註 ト ル ナ イ に よ る と エ ル

・ グ レ コ は

︽ コ ロ ン ナ

・ ピ エ タ

︾ の 構 成 だ け で は な く

︑ 精 神 性 や 宗 教 的 深 遠 さ ま で 最 も よ く 理 解 し た

︒ 全 て の 他 の コ ピ イ ス ト 達 が

︑ 聖 母 を 感 傷 的 な 女 優 と し て 解 釈 し た の に 対 し て

︑ グ レ コ は 彼 女 の 寂 し い 涙 の な い 苦 し み の 美 し さ を 理 解 し た

︒ グ レ コ の 絵 画

︵ フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 美 術 館

︑ ニ ュ ー ヨ ー ク の ア メ リ カ

・ ス ペ イ ン 協 会

︶ は ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ の

︽ フ ィ レ ン ツ ェ の ピ エ タ

︾ と

︽ コ ロ ン ナ

・ ピ エ タ

︾ を 融 合 し て い る

︒ 前 者 か ら は 全 体 の 三 角 構 成 や キ リ ス ト を 支 え る 三 人 物 の ポ ー ズ を 取 り 入 れ

︑ 後 者 か ら は 悲 し み の 表 情 で 天 を 仰 ぎ 見 る 頂 点 の 寂 し い 聖 母 を 借 り て い る

︒C.deTolnay,“Michelan-

gelo’s

︿Pieta

Mus−pp.441953,v.,UnitonceinProfeumrtCompositionAethofrdcoReolonna,”CVittoriafor62.

"

C.deTolnay,Michelangelo

︿TheFinalPeriod

,Princeton,1960,pp.51−69.

そ の 他 イ タ リ ア 宗 教 改 革 自 体 に つ い て は

︑ 拙 論

﹃ 聖

― 263 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

(16)

像 破 壊 と し て の ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ の

︽ フ ィ レ ン ツ ェ の ピ エ タ

︾ 破 壊

│ イ タ リ ア 宗 教 改 革 と の 関 連 か ら 見 た 解 釈

﹄ と そ の 参 考 文 献 も 参 照

!PiigntAaurntDaFran,daolanHdeciscoa

part2:DialogosdeRoma

︶,Lisbon,1548

DialogueswithMichelangelo,London,

2007

︶.Tolnay

︵1960

taotBuonarloelangechMidiVi.La,viondiC.Ati

chdeionidazrelleneloelangeMiinditaViLaasari,V.G:l

1550edel1568

︿curataecommentatadaPaolaBarocchi

﹀,vol.2,1962

︶ A

・ コ ン デ ィ ヴ ィ

︑ 高 田 博 厚 訳

﹃ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ 伝

﹄︑ 一 九 七 七 年

︑ 二 一 八 頁

"

彼 女 は 決 し て 幸 福 で は な か っ た 結 婚 生 活 の 間

︑ カ ス テ ィ リ ョ ー ネ や タ ッ ソ ー の よ う な 当 時 の 傑 出 し た 人 文 主 義 者

︑ 詩 人 達 と 交 友 し

︑ オ ヴ ィ デ ィ ウ ス な ど の 古 典 詩 人 に よ っ て イ ン ス パ イ ア さ れ た 詩 を 書 い て い た が

︑ 一 五 二 五 年 の 夫 の 死 後

︑﹁ よ り す ば や く 神 に 奉 仕 で き る よ う に

﹂ 世 俗 を 放 棄 し て 修 道 院 に 隠 居 し た

︒ そ し て そ の 後 も 宗 教 詩 な ど を 書 き 続 け た

︒ し か し 彼 女 の 詩 は 同 時 代 人 た ち か ら の 賞 賛 に は 満 ち て は い る も の の

︑ ペ ト ラ ル カ に 由 来 す る 当 時 の 詩 の 平 均 値 を 決 し て 越 え る も の で は な く

︑ 彼 女 の 使 う 隠 喩 は 個 性 が な く や や 人 工 的 で あ る こ と は 認 め ざ る を 得 な い

︒Tolnay

︵1960

︶︒ そ の 他 コ ロ ン ナ に つ い て は

Eva-MariaJung,“VittoriaColonna:BetweenReformationandCounter-Reformation,”ReviewofReligion,15,pp.144−159.

を 参 照

# こ の よ う な 感 覚 的 要 素 か ら 昇 華 さ れ た 霊 的

︑ 精 神 的 愛 は

︑ 神 へ の 崇 拝 的 愛 を 反 映 し て お り 十 三

︑ 十 四 世 紀 の 清 新 体 の 詩 に も 見 ら れ る も の で あ っ た が

︑ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ は 確 か に 彼 女 の 内 に 自 ら の 霊 的 指 導 者

︑ 純 化 者 を 見 出 し て い た

︒ と は い え ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ は 彼 女 の 諸 性 質 を い さ さ か 誇 張 し て い る よ う に 思 え る

︒ 彼 女 の

﹁ 神 的 美

﹂ に し て も 彼 女 の 最 も 信 頼 で き る 肖 像 画 は

︑ ど ち ら か と い う と 男 性 的 で 精 力 的 な 容 貌 を 示 し い る

︒ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ は そ の マ ド リ ガ ル の 一 つ で

﹁ 婦 人 の 姿 を し た 男

︑ い や 神 が

︑ そ の 口 を 通 し て 語 る

︒﹂ と 言 っ て い る が

︑ 彼 女 の

﹁ 神 的 な

﹂ 美 し さ と は 決 し て 女 性 的 な も の で は な く 男 性 的 な も の で あ っ た よ う だ

︒ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ は ヴ ィ ッ ト リ ア の 死 に つ い て 述 べ る 手 紙 で

︑ シ モ ン ズ が 考 察 し た 様 に 彼 女 の こ と を

﹁ 一 人 の 偉 大 な 友 人

︵unograndeamico

︶﹂ と 男 性 形 で 呼 ん で お り

︑ 彼 ら の 関 係 が 男 女 の も の で は な く

︑ む し ろ 男 同 士 に 近 い も の で あ っ た こ と を 窺 わ せ る

︒Tolnay

︵1960

$ サ ヴ ォ ナ ロ ー ラ

︵ 一 四 五 一

│ 九 八

︶ の 死 後 も 教 会 の 内 部 改 革 を 目 指 し て 闘 い 続 け た 熱 烈 な 宗 教 感 情 を 持 つ 人 々 が

︑﹁ 神 の 愛 の オ ラ ト リ オ 会

﹂ を 設 立 し た が

︑ そ の メ ン バ ー 達 の 中 に は サ ド レ ト

︑ ジ ベ ル テ ィ

︑ コ ン タ リ ー ニ

︑ カ ラ フ ァ

︵ 後 に 教 皇 パ ウ ロ 四 世 と な っ て イ タ リ ア 宗 教 改 革 を 弾 圧 す る

︶ な ど 後 に 重 要 な 役 割 を 演 じ る 人 々 が い た

︒ そ の 会 は 一 五 二 七 年

︵ サ ッ コ

・ デ ィ

・ ロ ー マ の 年 で あ る

︶ に 解 散 し

︑ そ の メ ン バ ー の 大 部 分 は ヴ ェ ネ ツ ィ ア に 亡 命 し

︑ そ こ で コ ル テ ー ジ や プ リ ウ リ

︑ ポ ー レ

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 264 ―

(17)

に 出 会 っ た

︒ 一 五 三 五 年 に こ の 会 の 幾 人 か の メ ン バ ー が 教 皇 パ ウ ロ 三 世 の 下 で 枢 機 卿 に 任 じ ら れ

︑﹁ 教 会 改 革 会 議

﹂ を 結 成 し た

︒Tolnay

︵1960

! こ の 運 動 は 一 五 三 二

│ 一 五 四 二 年 の た っ た 十 年 間 を 最 盛 期 と す る に 過 ぎ な い

︒ 教 会 の 変 革 に 至 ら ず 未 遂 に 終 わ っ た 改 革 運 動 な の で イ タ リ ア 宗 教 改 革 で は な く イ タ リ ア 福 音 主 義 の 語 を と る 向 き も あ る

︒ そ の 他 ス ピ リ チ ュ ア ー リ や ニ コ デ ミ ス ト と い う 呼 び 方 も あ る

ofnturyItaly,”JournalThethHistoryofIdeas,CeenEvaNa-MariaJung,“OnThetutereofEvangelisminSix14,

1953,pp.511−527.

エ ラ ス ム ス の 影 響 を 受 け て い た ヴ ァ ル デ ス の 信 仰 は

︑ パ ウ ロ の 教 え

﹁ あ な た は 信 仰 を 通 し て の 恩 寵 に よ っ て 救 わ れ る

︒ 救 済 は あ な た 自 身 の で は な く

︑ 神 の 贈 り 物 で あ る

︒﹂

︵﹃ エ フ ェ ソ 人 へ の 手 紙

﹄︑2:8

︶ や

﹁ 人 は 律 法 の 行 い な し に

︑ 信 仰 に よ っ て 義 と さ れ る

﹂︵

﹃ ロ ー マ 人 へ の 手 紙

﹄︑3:28

︶ に 基 づ い て い た

︒ サ ヴ ォ ナ ロ ー ラ に よ っ て も 表 明 さ れ た こ の 考 え は

︑ 信 仰 の み に よ る 義 認 の 教 説 の 出 発 点 で あ っ た

︒ ト ル ナ イ

︵ 一 九 六

︶︒ そ の 他 ヴ ァ ル デ ス に つ い て はMassimoFirpo,

“TheItalianReformationandJuandeValdes,”SixteenthCenturyjournal,27/2,1996,pp.353−364.

を 参 照

"

ヴ ァ ル デ ス が 一 五 三 四 年 に ナ ポ リ に 移 っ た 時

︑ ヴ ィ ッ ト リ ア は 領 地 で あ っ た ナ ポ リ の イ ス キ ア 島 を 出 立 し た の で

︑ 彼 女 と ヴ ァ ル デ ス が 個 人 的 に 会 う 機 会 が あ っ た か ど う か は 定 か で は な い

︒ も し 会 っ て い な い の な ら

︑ 一 五 三 四

│ 四 一 年 当 時 彼 女 の 精 神 的 指 導 者 で あ っ た オ キ ー ノ を 通 し て か

︑ あ る い は 彼 女 の 友 人 で あ り

︑ ヴ ァ ル デ ス の 忠 実 な 弟 子 で あ っ た ジ ュ リ ア

・ ゴ ン ザ ー ガ を 通 し て ヴ ァ ル デ ス の 思 想 を 知 っ た と 思 わ れ る

︒Tolnay

︵1960

# こ の ヴ ィ テ ル ボ の サ ー ク ル の メ ン バ ー に は

︑ フ ラ ミ ニ オ や カ ル ネ ゼ ッ キ

︑ ヴ ィ ッ ト リ オ

・ ソ ラ ン ツ ォ

︑ ア ル ヴ ィ ー ゼ

︑ プ リ ウ リ

︑ そ し て ヴ ィ ッ ト リ ア

・ コ ロ ン ナ ら が い た

︒Tolnay

︵1960

$ ヴ ァ ル デ ス の 広 め た こ の 急 進 的 な 教 説 は

︑ 当 時 広 く 読 ま れ て い た

﹃ 磔 刑 に さ れ た イ エ ス

・ キ リ ス ト の 恩 寵 に つ い て

﹄︵ ア ウ グ ス テ ィ ン 会 士 フ ラ

・ ベ ネ デ ッ ト

・ ダ

・ マ ン ト ヴ ァ に よ っ て 書 か れ 匿 名 で 出 版 さ れ た

︶ と い う 小 冊 子 に 具 体 化 さ れ た

︒ 即 ち

﹁ キ リ ス ト の 正 義 は

︑ 我 々 の 側 で の 何 ら か の 善 行 な し に

︑ 我 々 を 恩 寵 の 子 に す る に 充 分 で あ る

︒ ま た も し 我 々 が 善 行 を す る 前 に

︑ 前 も っ て 信 仰 に よ っ て 我 々 自 身 を 良 く て 正 し い も の に す る こ と が な け れ ば

︑ そ の 善 行 は 良 い も の で は あ り え な い

︒ 聖 ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス が 主 張 す る よ う に

︒﹂ ト ル ナ イ

︵ 一 九 六

︶︒ そ の 他 イ タ リ ア 宗 教 改 革 に つ い て はTheOxfordEncyclopedia

oftheReformation,vol.2

︵ed.H.J.Hillerbrand

︶ の

︿Italy

﹀ の 項

︵pp.324−329

︶ を 参 照

% 彼 女 の こ の 考 え 方 は ポ ー レ の ア ド ヴ ァ イ ス に よ る も の で あ る

︒ こ の 善 行 の 価 値 を も 排 除 し な い

︑ 妥 協 的 な 考 え

︵ 北 方 の 宗 教 改 革 思 想 で は

︑ 善 行 の 価 値 を 完 全 に 排 除 し 信 仰 の み に よ る 救 済 を 説 い た

︶ は 前 記 の 小 冊 子 や イ タ リ ア 宗 教 改 革 者 達 に 共 通 し

― 265 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

(18)

て み ら れ る 特 徴 で あ る が

︑ そ れ は そ の 最 初 の 主 唱 者 で あ る ヴ ァ ル デ ス か ら 発 し て い る

︒ ヴ ァ ル デ ス に よ る と

﹁ 善 行 は 義 認 の 原 因 で は な く 結 果 で あ る

︒﹂Eva-MariaJung

︵1953

!

︽ 最 後 の 審 判

︾ の 初 期 の 構 想

︵ カ ー サ

・ ブ オ ナ ロ ッ テ ィ や ウ フ ィ ツ ィ の 素 描 に 見 ら れ る

︶ に お い て 聖 母 は も が く 人 間 達 を と り な す 仕 草 を し て い る が

︑ 最 終 案 で は も は や と り な し を し て い な い

︒ ま た 聖 人 た ち も と り な し を し て い な い

︒ ヴ ィ ッ ト リ ア が

﹁ 聖 人 た ち は と り な し を し な い

﹂ と 信 じ て い た 事 が

︑ 先 の カ ル ネ ゼ ッ キ の 裁 判 記 録 か ら 知 れ る が

︑ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ も 同 じ 考 え だ っ た と 思 わ れ る

︒Tolnay

︵1960

"

ア レ テ ィ ー ノ の 手 紙 や 一 五 四 九 年 三 月 十 九 日 の 匿 名 の 手 紙 が ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ を ル タ ー 派 プ ロ テ ス タ ン ト

︑ 異 端 と し て 非 難 し て い る が

︑ 教 会 は こ れ ら の 非 難 を 無 視 し た

︒ こ れ は お そ ら く 彼 の 芸 術 に 対 す る 尊 敬 と

︑ 彼 の 年 齢 や 孤 独 な 生 活 が 教 会 に と っ て 比 較 的 害 に な ら な い と 考 え ら れ た せ い で あ ろ う

︒Tolnay

︵1960

︶︒ ま た 他 の 芸 術 家 に 対 す る 異 端 尋 問 と し て パ オ ロ

・ ヴ ェ ロ ネ ー ゼ の も の が 有 名 で あ る

M−pp.2091958,,XIr,teünsDasE.eronese,”VPaologegensitionsprozessInqui“DerSchaffran,212.

#A.Condivi,LaVitadiMichelangeloBuonarotti,1553.

lleldee1550ldeionidazreneinloelangechMiditaViLaVasari,G.1568

︿curataecommentatadaPaolaBarocchi

﹀,vol.2,1962

︶ と は い え ト ル ナ イ に よ る と

︑ こ の 年 代 一 三 四 八 年 は 誤 っ て い る

︒ と い う の は ビ ア ン キ は 一 三 九 九 年 春

︑ 北 イ タ リ ア で ペ ス ト の 別 の 流 行 が あ っ た 時 に 現 れ た か ら で あ る

︒ ビ ア ン キ は 行 列 の 先 頭 に 十 字 架 を 掲 げ て 町 々 を 練 り 歩 き

︑﹁ 平 和 と 慈 悲

﹂ と 叫 び な が ら 男 性 メ ン バ ー は 自 分 自 身 を 鞭 打 っ た

︒ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ が 当 時 罪 と 償 い

︵ ビ ア ン キ に も 深 い 関 わ り が あ っ た

︶ の 問 題 に 大 き な 関 心 を 寄 せ て い た こ と や

︑ サ ン タ

・ ク ロ ー チ ェ が ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ 一 族 の 教 区 教 会 で あ っ た こ と を 考 え る と

︑ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ が こ こ に あ っ た 十 字 架 に イ ン ス パ イ ア さ れ た こ と は あ り う る

Tolnay

︵1960

︶︒

$Tolnay

︵1953

︶ に 原 文 引 用 あ り

︒︿odimanodiMiclahengelo,ethammeimistunCrrMonsignorPolohapenotraizia,chelladeside-

posto,cheiointendasecretamentelaveritadicotalsuodesiderio:percheessendoineffetto,eglinehaunadimanopropriadeldetto,chevolentieriglielomanderebbe;maeinformadiPieta,pureseglivedetuttoilcorpo.Dice,chequestononsarebbeunprivarsene,

perciochedallamarchesadiPescaranepuohavereunaltro.

%Tolnay

︵1953

︶︒

&

ト ル ナ イ が こ の 素 描 を 多 分 ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ の オ リ ジ ナ ル で あ ろ う と 考 え て い る の に 対 し て

︑ ド ゥ ス ラ ー は 異 を 唱 え て お り

︑ フ ォ ン

・ ア イ ネ ム は ド ゥ ス ラ ー の 見 解 に 説 得 力 が あ る と 言 っ て い る

deBerlin,loelangechmisnL.hnungeeicZeDissler,Dü,

ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題 ― 266 ―

(19)

1959.H.vonEinem,Michelangelo:Bildhauer/Maler/Baumeister,Berlin,1973.

!Tolnay

︵1960

"

Corpusdeidisegnidimichelangelo,Novara,1975−1980.

# 一 五 四 六 年 の ボ ナ ソ ー ネ の 版 画 は

︑ オ リ ジ ナ ル の 持 つ ソ フ ト な 明 暗 法 を 幾 分 と ど め て お り

︑ 十 字 架 は コ ン デ ィ ヴ ィ の 言 及 す る 形 態 を も っ て い る

︒ 一 五 四 七 年 の ベ ア ト リ ツ ェ の 版 画 は

︑ 様 式 の 違 い に も か か わ ら ず

︑ 右 側 の プ ッ ト は ボ ナ ソ ー ネ の も の よ り オ リ ジ ナ ル に 近 く

︑ ジ ョ ヴ ァ ン ニ

・ バ ッ テ ィ ス タ

・ デ

・ カ ヴ ァ リ エ リ の 版 画 の た め の 手 本 と し て 使 わ れ た

︒ 一 五 七 九 年 の ア ゴ ス テ ィ ー ノ

・ カ ラ ッ チ の 銅 板 で は 聖 母 の ド レ ス の 細 部 が 正 確 に コ ピ ー さ れ

︑ 背 景 の 風 景 が ア ゴ ス テ ィ ー ノ に よ っ て 付 加 さ れ て い る

︒Tolnay

︵1953

$ ミ ュ ン ヘ ン の バ イ エ ル 州 立 絵 画 館 に あ る 板 絵 の み が ボ ス ト ン 素 描 に 由 来 す る よ う に 思 え

︑ ヴ ェ ヌ ス テ ィ の 絵 画 の 手 本 と し て 用 い ら れ た か も し れ な い

︒ ま た カ ー サ

・ ブ オ ナ ロ ッ テ ィ の 板 絵 は ボ ナ ソ ー ネ の 版 画 に 由 来 す る よ う に 思 え る

︒Tolnay

︵1953

%Tolnay

︵1960

︶︒

&

Tolnay

︵1975−80

︶︒ 'Tolnay

︵1953

︶︒ サ ッ シ ア の サ ン ト

・ ス ピ リ ト に あ る 一 五 五 一 年 ご ろ の 大 理 石 レ リ ー フ は

︑ そ の 絵 画 的 テ ク ニ ッ ク や ス レ ン ダ ー な 人 物 タ イ プ に よ っ て ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ か ら 遠 く

︑ 前 景 の 岩 は 雲 と し て 解 釈 さ れ

︑ 背 景 も 付 加 さ れ て い る

︒ ま た プ リ ン ス ト ン 美 術 館 に あ る ブ ロ ン ズ

・ プ ラ ッ ク

︵ 飾 り 板

︶ や ベ ル リ ン の プ ラ ッ ク は 多 分 ヴ ァ テ ィ カ ン の レ リ ー フ に 由 来 し

︑ カ ー サ

・ ブ オ ナ ロ ッ テ ィ に あ る プ ラ ッ ク は コ ピ ー の コ ピ ー で あ ろ う

︒ こ れ ら は や や 解 釈 が ぎ こ ち な く

︑ 最 も 第 二 ヴ ァ ー ジ ョ ン の オ リ ジ ナ ル に 近 い の は 前 述 の ヴ ァ テ ィ カ ン の レ リ ー フ で あ る

︒ (tolnay

︵1953

︶︒ ) 多 数 交 わ さ れ た と 思 わ れ る ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ と コ ロ ン ナ の 往 復 書 簡 の な か で

︑ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ の 物 二 通 と コ ロ ン ナ の 物 5 通 の み が 残 さ れ て い る が

︑ こ れ ら 全 て の 物 に 日 付 が な い た め

︑ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ の 物 二 通 の 年 代 に つ い て は 諸 説 が あ る

︒ ミ ラ ネ ー ジ は 一 五 四 五 年 と し

︑ ラ ム ズ デ ン や ミ ュ ー ラ ー ら は 一 五 四

〇 年 頃 と す る

︒ こ こ で 挙 げ た コ ロ ン ナ の 手 紙 は こ の 二 通 の ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ の 手 紙 と 内 容 的 に 関 連 し て い る 物 な の で 日 付 も 同 じ 頃 と 思 わ れ る

TheLettersofMichelangelo

︵TranslatedbyE.H.

Ramsden

︶,Vol.2,1963,London,pp.238−240.

ま た 高 田 博 厚 氏 は 一 五 四 五 年 の 説 を と っ て い る

︒ 高 田 博 厚 訳

﹃ ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ の 詩 と 手 紙

﹄︑ 一 九 七 七 年

︑ 一 二 五

│ 一 二 八 頁

― 267 ― ミケランジェロ作《コロンナ・ピエタ》の図像学とそのコピーの問題

参照

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