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(1)

19世紀の地理学思想史に関するいくつかの見解

著者

手塚 章

雑誌名

筑波大学人文地理学研究

13

ページ

95- 109

発行年

1989- 03- 25

(2)

人文地理学研究 xru YUセャPY@

1

9

8

9

19

世紀の地理学思想史に関ずるいくつかの見解

1 V土 じ め に

E ヘットナーとりとトホーフェン

直 レージーとハーツホーン

N シェーファーとハーツホーン

V むすび

I はじめに

{161々 の 学 者 の 地 理 学 思 想 を 地 理 学 史 の 中 で ど う 位 置 づ け る か . あ る い は , 地 理 学 思 想 の 全 体 的 な 流

れ を ど う 捉 え る か これらの│ 喝し、に対する回答は,いずれも論者の地理学観を不可避的に反映する.

地理学の歴史, とりわけ

1

9

世紀以降の近代地理学の

!?

f

v

i

, 異 な っ た 立 場 が 共 存 し 地 理 学 と い う 枠

組みの中で、多様な学期的伝統が生き続けてきた歴史でもある. それゆえ,地理学をめぐる過去の多様

な流れの仁!コで, { 司を肯定的に評価し,何を否定的に評

m

i

1

す る か は , 地 理 学 に 対 す る 論 者 の 見 方 と 深 く

結びついているのが普通である. これまで書かれた地理学忠、想史の多くにも,大なり小なり地理学に

対 す る 著 者 の 主 張 が 込 め ら れ て い る . し た が っ て , 地 理 学 思 想 史 に 関 す る 個 々 の 著 作 か ら は , 地 理 学

! たにかかわる倍々の事実とともに,それぞれの捉え方の背後にひそむ著者の価値判断の基準や,地理

学 の あ る べ き 姿 に 対 す る 著 者 の 基 本 理 念 を 読 み 取 る こ と が 重 要 で あ る .

1

9

i

: l l : 紀の地理学思想史をどう捉えるかという問題は, ￲セQ [N な ぜ な

ら,

19

世紀こそ,学問分野としての地理学が確立した時期で、あり,科学としての地理学の性格づけが

真剣に模索された最初の時期だからである. タタムは, 「今 iヨみられるような科学的地理学

( sci en

ti

fic

geogr aphy)

は,

19

世紀の産物, より正確には,

1750

年 頃 か ら 以 昨 の

150

i:1三日司の産物である. こ

の11寺

JV

H

こ( カントやフンボルト, リッター,ベシェノハ ラッツェノレらの) 偉大な体系家たちが地理学

の学問領域と研究内容を明確にし,また研: 究材料の収集,組立て,提示の方法を編み出した

J

1) と述

べている.

19

世 紀 の 地 理 学 史 に つ い て は , す で に 世 紀 末 の

1898

年 に ヘ ッ ト ナ } が

119

位紀における地浬学の発

達」という講演を行っているの. まずこ,

19

世紀のドイツ地〕主学で指導的役割を演じたリヒトホープェ

ンは,晩年の

1903

年 に

119t

! t 紀における地理学発達の方向と原動力j と題する講演を行つため. 両者

のテーマはほぼ同一で、あるが, QYQ Hイ ー QセiOY

し、が明らかに認められる.

観点の遠いがより鮮明に見られるのは,地理学思想の歴史的評価をめぐ、って論争がたたかわされる

場合である. 地理学本質論としてわが国で、も有名なハーツホーンの

T h e N

at ur e o

f G

eogr aphy

では,

(3)

理学における方法論をめぐ、る論争j というレーりーの論文であっため. ハーツホーンは, レーリー論

文 に み ら れ る 引 用 の 誤 り を 指 摘 す る と と も , 主 と し て

1

9

t

! t 紀のドイツ地理学思想史を, iセャ iャ

木 質 論 と か ら み あ わ せ て 評 価 し 捉 示 し た の で あ る .

zz iセセセ N シ ェ ー フ ァ ー と ハ ー ツ ホ

ーンの論争においても同様で、ある-

r

新 し い 地 理 学 」 の 発 端 の と し て 高 く 評 僻 さ れ て い る シ ェ ー ア ァ

ー の 論 文 「 地 理 学 に お け る 例 外 主 義 一 ー そ の 方 法 論 的11今味] ) vこ し て も , 従 来 の 地 を す べ て 否 定

しているわけで、はない. シ ェ ー フ ァ ー 論 文 の 前 半 部 分 は , 主 と し て カ ン ト 以 降 のj也 迎 学 思 想 史 を 論 じ

た も の で あ り , そ こ で の 解 釈 が , 後 半 部 分 に お け る 地 理 学 研 究 の 課 題 を め ぐ る 考 察 と 密 設 に 結 び つ い

ている.

このように,

1

9

世 紀 の 地 理 学 忠 想 史 を ど の よ う に 捉 え る か に つ い て は , 今 世 紀 を 通 じ て 長 い 論 争 の

歴 史 と , 基 本 的 見 解 の 対 立 が あ る8) そ し て , こ の 対 立 は , 今 日 に お い て も 完 全 に 解 消 さ れ た わ け で 、

は な い . 一 部 の 地 理 学 者

v

i

, 科 学 1[¥-学 に お け る パ ラ ダ イ ム 転 換 論 や 科 学 卒 命 論 を 援 用 し て , 伝 統 地 理

学 の 破 綻 と 「 新 し い 地 理 学j の 成 立 と い う 単 純 な 図 式 を 提 示 す る9) このような観点に立てば, 191止 紀 の 地 理 学 思 想 を 論 じ る こ と は 単 な る 回 顧 趣 味 に す ぎ な い . し か し 近 年 に お け る 地 理 学 の 潮 流 は ,

こ の よ う な 見 方 の 妥 当 性 に 疑 問 を 投 げ か け て い る よ う に 思 わ れ る10) む し ろ , 従 来 以 上 に さ ま ざ ま な

立 場 が , そ れ ぞ れ 積 極 的 に 自 己 主 張 を 繰 り 広 げ て い る の が , 現 在 の 地 理 学 の 状 況 で あ ろ う . 重 要 な こ と

は, こ の よ う な 立 場 の 違 い を 認 識 す る こ と で あ り , その上で、議論を深めていくことである. 地 理 学

史の記述は,論者の地理学観の表明という一部をもっている. とりわけ" ,

1

9

世 紀 は 学 問 分

n

と し て の 地

理学が成立した時期で、ある. リッターの地理学をどのように評価するか,まずこ, 19世 紀 末 に 主 張 さ れ た

さ ま ざ ま な 地 理 学 本 質 論 を ど う 見 る か と い う 問 題 は , 現 代 の 地 理 学 に と っ て も 決 し て 無 縁 で は な い .

以下では,上で、あげた

1

9

世 紀 地 理 学 思 想 史 に 関 す る い く つ か の 見 解 に つ い て , そ れ ぞ れ の 基 本 的 論

点 を , 栴 互 に 対 比 し つ つ 検 討 す る こ と に し た い . こ の よ う な 作 業 を 通 じ て , 地 理 学 の 本 質 を め ぐ る 基

本 理 念 の 対 立 の 国 式 が , そ の 姿 の 一 端 を 現 し て く る よ う に 忠 わ れ る

立 ヘ ッ ト ナ ー と り ヒ ト ホ ー プ ェ ン

チ ュ ー ピ ン ゲ ン 大 学 で の 地 理 学 教 授 就 任 演 説 と し て な さ れ た ヘ ッ ト ナ ー のihW演

1

1

9

i

. ! t 紀における地

理 学 の 発 達 」 はp 明 確 な 価 舘 判

Jf

Jr

に も と づ い て19世紀地理学の流れを概観しており, 自 己 の 地 理 学 観

を そ の ま ま 反 映 し て い る だ け に , ヘ ッ ト ナ ー の 地 理 学 思 想 を 理 解 す る た め に は 基 本 的 な 文 献 の 一 つ で

ある. ちなみに,マノレトンヌの

W

iセャ Q

史」は, 明 ら か に ヘ ッ ト ナ ー の 文 章 を 重 要 な 下 敷 き に し て い る11) また, 飯 塚 浩 二 『 人 文 地 理 学 説

史 』 の 冒 頭 に お さ め ら れ て い る 「 地 理 学 発 達 史 が , マ ノ レ ト ン ヌ の 文 章 を 下 敷 き に し た も の で あ る

ことは序文中に明記されており,直接的にせよ,

I

羽接的にせよ,

1

9

世 紀 の 地 理 学 思 想 史 に 関 す る ヘ ッ

ト ナ ー の 見 解 は , そ の 後 の 研 究 者 の 地 理 学 史 に 対 す る 克 方 に 大 き な 影 響 を 与 え て き た と 言 え よ う .

地 理 学 史 に 関 す る ヘ ッ ト ナ ー の 最 も 基 本 的 な 論 点 は , 地 理 学 の 長 い 歴 史 を 通 じ て , つ ね に 一 貫 し て

(4)

で、二度にわたって繰り返されている.

I

地理学思想は,細かいjえをみると多くの変遷があり,方法論

者 の 見 解 も か な り の111mを示しているが,基本理念は時代を通じてつねに一貫していた. 歴史学が,立

場 の 多 様 さ に も か か わ ら ず , 人 に ま つ わ る 事 象 を 時 間 の 流 れ に お い て 捉 え る よ う に , 地 理 学 は つ ね に

地去にみられる空間的多様性を問題十こしてきた. J 13)

I

地理学は, iiセェZ

きた. しかし, これらの変化は,一見して感じられる程には大きなものでなく,まずこ気まぐれなもの

でもない.

T

I

Jl

でっかちの方法論者による二三の恐意的な逸脱を加にすれば, 地理学の固有な対象は

古 代 か ら 現 代 に い た る ま で つ ね に 向 ー で あ っ た . す な わ ち , 地 表 の 諸 空 間 を そ の 多 様 性 に も と づ い て

認 識 す る こ と で あ る . J 14) シュルツは, ヘットナーの地理学思想の特徴の一部として, 正統性・回帰

・伝統の重視をあげているが15),ヘットナーが「伝統地理学」の代表者とみなされてきたのも,この

志ゾ床で、は

J

:!JIElj のないことではない.

ヘットナーによれば,

I

地理学の

I

TI t l 有の課題は,あらゆる時代を通じて,地表の諾空間の多様性を

認識することであった. 今日の地理学においても,

I

司様にこの課題が追究されねばならない. そして,

そ の た め に , 最 近 に な っ て 獲 得 さ れ た 自 然 科 学 的 な 方 法 と 知 識 が 十 分 に 活 用 さ れ ね ば な ら な い . J 16)ヘ ットナーにとって地理学の進歩とは,伝統的な研究課題の追究が,時代の進展につれて新たに獲得さ

れ た 方 法 や 知 識 を 導 入 す る こ と に よ っ て , 次 第 に 深 め ら れ る こ と に 地 な ら な か っ た . こ の よ う な 観 点

は,

1

9

世紀初頭における地理学の興隆や,その後のりッター学派に対する評価,さらには,

1

9

世紀末

の 地 理 学 の 多 燥 な 流 れ に 対 す る{illi値判断に捺しでも,同様に適用されていると見ることができる.

リッターに対する評価は7 ヘットナーの考え方をよく示している. リッターの地理学は,その掲げた

れ燥において近代地理学を新たに確立したものであった. リッターによって,

I

現在味乾燥であった従来

の地理学は,科学としての性格をもつようになった. それまで、の地理学が行政官や商人などの実用的

な目的に註接役立つ知識を念頭に置いてきたのに対して,今や地J i l l 学はそれ自身を目的にして研究さ

れるべき対象であった. 従来の地理学がし、わば応用地理学で、あったのに対して,純粋地理学( リッタ

ーの表現を岱ニりれば「一般」地理学) が成立したのである. (中III各) 従来の地理学が記述の段階にと

どまっていたのに対して,今や現象群の内的連関が追究されるようになり,

I

比較」地理学と11子ばれ

るようになった. (中111各) しかし,枠組は向じままであった. 数理地理学と一般自然地理学はリッター

の い う 地 理 学 か ら は 除 外 さ れ , 地 理 学 の 対 象 は 従 来 ど お り 地 表 の 空 間 的 多 様 性 に あ る と さ れ た . J 17)

し か し 「リッターが実際に行ったことは, み ず か ら 掲 げ た 目 標 に 遠 く 及 ば な か っ た . J 18) ヘット

ナーは, リッタ一地理学のこうした限界を, リッターの性格と学11守的背景にもとめた. ヘットナーに

よれば, リッターは科学的探検家でもなければ, 野 外 で の 研 究 者 で も な か っ た19) リ ッ タ ー の 主 著

H QY Iセ i ゥャゥ

さ れ , ま た , そ れ ら の 扱 わ れ 方 も 多 く の 場 合 は 単 な る 記 載 に と ど ま り , 現 象 の 原 因 に つ い て は 当 時 す

で、に可能で、あった水準にすら遠く達しない考察しかなされなかった. 巻ーが進むにつれて自然諾科学の

進 歩 を 反 映 し て 自 然 の 考 察 が 重 み を 増 し た か と い う と , 事実はまったくその逆であった.

J

20 )

I

リッ

ターは深く宗教的な性格をもち,世界のあらゆることにネ

l

q

の手を認めた. 仁( 1=1111各) フンポノレトの地理

(5)

(

仁I=l/ l l 各〉りッターの考察態度は自然哲学的であり,

E

l

的論的であった. ( 中/ 11各 ) し か し こ の の 目 的 論 的 考 察 態 度 は 科 学 的 に 不 毛 で あ り , 科 学 の 進 歩 に 貢 献 す る 能 力 を 欠 い て い た . J 21) 地 理 学 研 究 の

課題と方法の「即とみられるこのような不均衡が3 そ の 後 の 地 浬 学 のIJ鋲調な発展を妨げ, りッターの完

全 な 影 響 下 に あ っ た

19

世紀中葉のドイツ地理学を深い沈滞に導いた, とヘットナーは論じている.

リッターに対する上述の評価は,学問分野としての地理学の位位づけとその独自主I _ : に関して活発な

議 論 が か わ さ れ た

1

9

1

止紀末のドイツ地理学に対するヘットナーの( i I 1 日直判断に, そ の ま ま 反 映 し て い

る. "I

J

也理学の新しい流れは, ( 中111各 ) 一 般 地 理 学 と 並 ん で す で に 地 誌 学 を と ら え 始 め て い る . そ し て, 地 誌 学 が ふ た た び 地 理 学 のi二│ コ心核になりつつある. J 22) 1 "近年の地

J

虫学の発展方向は, あ る 意 味 で リ ッ タ ー へ の 回 帰 と し て 特 徴 づ け ら れ る か も し れ な い . し か し , そ れ は リ ッ タ ー が 掲 げ たJ1 E 念それ

iセi H QQQPI iiti N リッターが

地理学の課題として提示したのは, 11el々の地域の総合的な,すなわち! 当然と人娘を含む,あらゆる市

で 科 学 的 な 考 察 で あ り , 多 様 な 地 域 の 比 較 で あ り , ま た , 全 地 球 的 観 点 か ら の こ れ ら 多 様 性 の 説 明 で 、

あった. りッターはこの課題に対してきわめて不十分にしか応えることができず,また│ 時としては,

完全にこの課題を見失っていた. 近代地理学は, こ の 課 題 に 対 し て 新 た に 全 面 的 に 応 え よ う と す る も

のであり,現代のより豊富な道具立てを月札、てこの課題に取り組むのである. J 23)

このように,

19

世紀の地理学思想史に関するヘットナーの見解においては, リ ッ タ ー に 対 す る 評 価

が , 論 の 展 開 の 一 つ の 軌 を 形 成 し て い る . ヘ ッ ト ナ ー は , 一 方 で , リッタ一地理学の

- 1 m

的 な 性 格 を

厳 し く 批 判 し な が ら も , そ の 基 本 的 な 理 念 、 に つ い て は , 伝 統 を 踏 ま え た 正 統 な 地 理 学 観 と し て 容 認 し

たので、ある

これに対して, リヒトホーフェンの講演においては,地理学の発展が思I j の文脈で捉えられている

1

9

-1

士 紀 の ド イ ツ で は , 地 理 学 を 意 味 す る 語 と し て

G

eogr aphi e

E r dk unde

の二つが用いられた.

リ ッ タ ー の 大 著 『 地 理 学 ( 全

19

巻)J lは

E r dk unde

であり, この認が広く用し、られるようになったの

も リ ッ タ ー の 影 響 力 に よ る と こ ろ が 大 き い . リッターにおいて

E r dk unde

は 単 に

G

eogr aphi e

のド

イツ詩的な置き換えであったが, リヒトホープェンは二つの誌を多少異なった意味で、用いている24)

すなわち,

G

eogr aphi e

の 「 固 有 の 研 究 領 域 は 地 表

( Er dober i i ache)

であるJ 25) のに対して,

r Er

d-k unde

の 対 象 は 地 球

( Er de)

である

J

26

). それゆえ, リヒトホープェンの講演では,地質学や気象学,

さらには測地学,地球物理学などが,

E r dk unde

を 構 成 す る 分 野 と し て

G

eogr aphi e

と と も に 触 れ ら

れている.

19

世紀の地理学史に対するリヒトホーフェンの見解がヘットナーの見解と呉、なることは,

こ の よ う な 広 い 意 味 で の

E r dk unde

の 発 達 史 の な か に 地 理 学 を 位 置 づ 、 け た 点 に 明 ら か に 見 て と る こ

とができる.

このことは,講演のなかで, リヒトホーフェンが終始一貫ーしてフンボノレトの重要性を強調したこと

とi呼応している. フ ン ボ ル ト の 研 究 は , ま さ に 地 理 学 の 分 野 に 限 定 さ れ る こ と な く , 広 く 地 球 科 学 一 舵 に お よ ん だ か ら で あ る . QB ャセャ iセi 身 を 観 察 す る に と ど ま ら ず , 彼 自 身 が 何

も 述 べ て い る よ う に , そ の 因 果 的 な 連 関 を 解 明 す る こ と に あ っ た . そ の た め に な さ れ た 研 究 努 力 の

(6)

「その後に達成された巨大な進歩と,現在みられる専門分化にもかかわらず,

1

9

世紀末の地球科学は

全体としてフンボルトが構想したものに, 内容と方法の両面でほぼ対応している

r

まとめて言え

ば, 地 球 に 関 す る 諾 科 学 の 総 体 と し て の

Er dkunde

の広大な研究領域は, 途中で、の j号余

1

1

1

3

折はあっ たが,今やふたたび,相互的な因果関係にもとづいてフンボノレトが構築しようとしたものに,そして

ほぼ一つの体系にまとめあげたものに,基本的には結集しようとしている. 他方で,研究材料の! ヨざ

ましい増加と研究祝点の多様性は,分業の必要性をますます高め,個別分野への専門分化の進展をも た ら し7こJ . 29)

地 理 学 を 地 表 の 学 と し て 限 定 す る 一 方 で , 向11寺に,地球科学としての

Er dkunde

の一員として位置

づけるというリヒトホーフェンの地理学館は,先にみたヘットナーのそれと基本的な点で、異なってい

る と 言 わ ね ば な ら な い30) このような展望のもとで,自然地理学( とくに地形学) が地球科学の中心

Qセャェ

1

9

世紀における地理学発展の原動力として強調されたことは,いわば自然の成

り行きであった.

r

あらゆる地球の諸科学が,

g

,然地理学のなかに一つの結集の場をみいだす. 自然

地理学は,地表それ自身を研究の基本的対象にする学問分野であり,それゆえ,

Er dkunde

の他のど

の 分 野 よ り も 全 て の 方 向 に 向 か つ て 院 か れ て い る .

J

31)人文地理学は, リヒトホーフェンにとって,

その

I

)

F

j

かれた方向の一端として位置づけ“ られた.

r

人類のよってたつ大地や,その生活する環境につ

いての知識が,科学的な研究によって解明されることで,初めて, 仁(

l

コIII各〉人文地理学の発達する基

盤 が 篠 保 で き る . 同 じ く 科 学 的 方 法 に 向 か つ て 努 力 を 傾 け て き た 人 類 学 と

i

走族学が,ここで地理学と

出会うことになる. この接触を通じてもたらされた魅力的な研究の諸課題は,すでに多くの前途有望

な 取 組 み を 生 み 出 し て い る . とりわけ集落や交通, 生産, 交易などの現象を, 地理学で研究される

自 然 的 諸 条 件 と 結 び つ け て 考 察 す る こ と は , 近 年 急 速 に 発 展 し つ つ あ る 経 済 学 の 一 部 と の 連 係 を 通 じ

て , 実 り 豊 か な 研 究 説 点 を 提 供 し て い る .

J

32)

1

9

世紀の地理学史に関するリヒトホープェンの見解が, フンボノレトの意義を強調するようなかたち

で組み立てられているからといって, ワッターの役割が無祝されているわけではない. 地理学方法論

に言及した最初の著作このかた, リヒトホーフェンはリッターをきわめて高く評 {ifJ

i

してきた33) 講 演

のなかでリヒトホーフェンは,地誌学の動向を概観した部分でリッターにふれている.

i1

9

-llt

紀の初

頭においても,地誌学は表面的な特徴によって整理された寄木市

I

I

工にとどまっていた. カーノレ・リッ

ターは,彼のライフワークのなかで,地誌学を二つの点で、百科事典的な観点を越える高みにまで、向上

さ せ た . 第 一 は , 資 料 の 徹 底 的 な 収 集 と 利 用 , 組 心 な ま で の 資 料 の 明 示 , 慎 重 な 資 料 批 判 と い っ た 方

法 的 側 面 で あ り , 第 二 は , 大 地 と 人 類 の 因 果 的 な 関 係 を つ ね に 考 慮 し 哲 学 的 な 考 察 を 加 え る と い う

内容的な側面で、あった.

J3

4.)

しかし,ヘットナーが述べた意味でのリッター的理念が,

1

9

世紀の地理学にとって発展の主方向で

あったとは, 彼は考えなかった. 限定された地域空間のに

i

コ身を, 全体として科学的に考察すること

は, リ ヒ ト ホ ー フ ェ ン の 時 代 に お い て も 実 現 不 可 能 な 目 標 で あ っ た35) 地誌学と一般地理学の関係に

ついて, リヒトホープェンは別の著作のなかで,前者の科学的進歩は後者の発達に依存しており,障

(7)

うな見方は,

19

世 紀 の 地 理 学 史 に 関 す る リ ヒ ト ホ ー フ ェ ン の 見 解 に も 切 ら か に 反 映 し て い る と 言 わ ね

ばならない.

E レーリーとハーツホーン

レ ー リ ー と ハ ー ツ ホ ー ン の 論 争 は , 地 理 学 本 質 論 の 古 典 的 著 作 で 、 あ る

T he

N

at ur e o

f G

eogr aphy

を 生 みIJ¥したという点で, き わ め て 実 り 豊 か な も の で あ っ た . このぞ11喜j¥,、著作の成立過程について は , ハ ー ツ ホ ー ン 自 身 の 手 に な る 回 顧 録 が あ る37) ハ ー ツ ホ ー ン に よ れ ば , 方 法 論 に 関 す る 論 文 に 着 手する直接のきっかけは,

1937

年 の ア メ リ カ 地 理 学 会 に お け る 二 つ の 出 来 事 で あ り , し 、 ず れ も 地 理 学

観 の 相 違 に も と づ く 意 見 の 対 立 で あ っ た . 地 理 学 史 に 関 す る 部 分 は , す で 、 に 述 べ た よ う に , レーリー

の 論 文

119 1

f

t

紀 の ド イ ツ 地 理 学 に お け る 方 法 論 を め ぐ る 論 争 」 に 触 発 さ れ て , 最 終 段 階 で 書 き 足 さ れ

た も の で あ る . こ の よ う に , 地 理 学 木 質 論 か ら , や が て 地 理 学 史 の 評 価 に 議 論 が 飛 び 火 し た と い う 点

で , ハ ー ツ ホ ー ン の 著 作 は 両 者 の 街 接 な 結 び つ き を よ く 示 し て い る .

19

位 紀 の 地 理 学 思 想 史 に 関 す る レ ー リ ー と ハ ー ツ ホ ー ン の 見 解 は , リッターとフンボノレトをどう位

置 づ け る か と い う 点 で , 基 本 的 に 対 立 し て い る . レ ー リ ー に よ れ ば , 相 互 に ま っ た く 異 な る こ つ の 地

理 学 理 念 ( り ッ タ ー の 地 理 学 理 念 と フ ン ボ ル ト の 地 理 学 理 念 ) の 対 立 が ,

1

9

1

ft

紀 以 降 の 地 理 学 史 を 規

定している.

I

き わ め て 対 照 的 な フ ン ボ ル ト と り ッ タ ー の j詩想が,向じ時期に主張ーされ, ど ち ら も 地

理学という名称を用¥,、たので、あるから,両者が対立するにいたるのは不可避であった. (中UI各) 以下

に言及される論争は, ど れ も フ ン ポ ノ レ ト の 地 理 学 観 と り ッ タ ー の 地 理 学 観 の 不 可 避 的 な 対 立 を 受 け 継

い だ も の と し て 解 釈 す る こ と が で き る . そ れ ぞ れ の 見 解 の 擁 護 者 が た と え フ ン ボ ル ト と リ ッ タ ー を 引

き 合 い に 出 さ な く と も , こ の 長 年 に わ た る 対 立 の 連 続 性 は 明 ら か で あ る . J 38)

レーリーによれば, フ ン ボ ル ト の 構 想 し た 地 理 学 は , 科 学 的 探 検 を 通 じ て 蓄 積 さ れ た 観 察 事 実 に も

とづく位界の自然地理学であり, ワ レ ニ ウ ス や カ ン ト の 系 譜 に つ ら な る も の で あ っ た . こ れ に 対 し

て, リッターの地理学は, 自然: t ' ll学 と 結 び つ い て 独 特 な 目 的 論 的 色 彩 を 帯 び て は い る が , 基 本 的 に は

昔 な が ら の 伝 統 的 な 記 載 地 理 学 を 引 き 継 い だ も の と し て 解 釈 さ れ た . す な わ ち , ハ ー ツ ホ ー ン の 言 葉

を佑二りれば,

119

世紀におけるドイツ地理学思想の歴史を,レーリーは, 自 然 科 学 と し て 真 に 科 学 的 な

地 理 学 を め ざ す 一 派

ι

伝 統 的 な 見 解 に く み す る 一 派 の 絶 え ざ る 対 立J3めとみなしたので、ある. レー

リー論文の主たる目的は,後者に対ーするi W 者の批判をあとづけることであった

レーリーは,

19

世 紀 の ド イ ツ で 主 流 を 形 成 し た の は り ッ タ 一 地 理 学 で あ る と 指 摘 し , これに対する

フンボノレト的理念からの反撃の試みとして,

1830

年代におけるフレーベノレの議論と

1887

年 に 発 表 さ れ

たゲノレラントの地理学論を紹介している. 両者のうち, プレーベノレの議論がリッタ一地理学の誼接的

な批判であるのに対して,ゲ、ルラントのそれは, リッタ一地主里学を直接攻撃したものではない. しか

し,両者の論点、に, レ ー リ ー は 基 本 的 に 共 通 の 性 格 を 認 め て い る .

フレーベノレとゲノレラントの議論を細部にわたって検討することは,本稿の課題を越えている. ここ

では, レーリーが両者の主張の核心を, そ れ ぞ れ 次 の よ う に 捉 え た こ と を 指 摘 す る に と ど め た い .

(8)

ている. “ 地理学が何らか意味のある科学的成果を獲得できるとしたら, それは, 地形や河川[ ,大気

や気象現象,

l

n

!ii:

,Jミ 動物,人類( 集落や│翠家) などを, 地理学が個別に研究するときである.

"J

「ゲノレラントは,地理学について,空間を充填する地上の対象物に関する科学であるとする,長らく

通 用 し て き た 空 虚 な 定 義 を 葬 り 去 っ た . “ 空間を占める異質な対象物群に関する知識は確かに存在

ょう. しかし, その異質性のゆえに,それらに関する科学は不可能である. 勺41) フレーベルにせよ,

ゲノレラントにせよ,地理学の伝統にまどわされることなく, 自然科学の厳密な論理にしたがって彼ら

の論理を展開した. 彼らにとって,地理学は純粋に自然科学であった. 両者に共通してみられる主張

は,地域に関する総合科学としての地理学,すなわち地誌学に対ーする明確な拒絶であったと言える.

レーリーは, このような主張をフンボルトの地理学綴を受け継いだものとして, リッタ一地理学の流

れに対置したので、ある.

1

9

1

止紀の地理学思想史に対するレーリーのこのような捉え方に対して,ハーツホーンはほぼ全面的

に反論している. ハーツホーンの批判は,主としてリッターとフンボルトの地理学思想に対するレー

リーの解釈に向けられた. りッターの地理学思想を詳細に検討した部分で,ハーツホーンは,

r

リッ

ターとフンポノレトの性格の遠いや,そのために生じた研究部での相違を考えると,そして特に,両者

の 地 理 学 観 の

i

拐に想定されている対立関係のゆえに, ( りッタ一地理学に対する) フンボノレトの見解

を詳しく検討J 42) している. その結果, フンボルトがりッターの研究に対して称賛をおしまなかった

こと, そして, その称賛がリッタ一地理学の内容と方法の両面にわたるものであることを, ハーツ

ホーンは指摘した.

I

これらの点のすべてについて, ワッターとフンボルトの間には,地理学観の上

で, 木質的な違いはなかった. J 4わたしかに「気質や人生観の大きな違いは, 近代地理学の建設者で

あるこの二人の業績にきわめて異なった色彩を与えている. そして,彼らの後継者たちの研究活動に

おいて, この違いは基本的なものにまで拡大した. したがって, 後世の研究者が二人の差異を強調

しy さらには( 中I l 塔) 対立さえ見いだそうとすることも,無理のないことと言える. このような対照

( コントラスト) は,興味深くもあり印象的でもあるが,表面的でしかない相違を基木的な違いであ

るかのように誇張することは,歴史的な客観性からいって許されないことである.

J

ハーツホーンの批判の鉾先は,問時に, リッターの地理学観に対するレーワーの「誤った理解j に

も向け』られた. そこでの論点は,

I

単に歴史的な発展についての克解の相違ではなかった. それが,

過去の著作に警かれていることに対する誤解に基づいているので、あれば, そのことを証明するJ 45)

要があった. リッタ一地理学の根本にかかわる誤解として,ハーツホーンは,先にゲノレラントの地理

学 論 に 関 連 し て 引 用 さ れ た 「 空

l

習を充填する地上の対象物に関する科学j としての地理学というレー

リーの表現を槍玉にあげている. ハーツホーンによれば, iセセj

というドイツ誌を誤訳したものである.

r

たしかに, レーリーは, この言葉をj直接リッターと結びつ

けてはいない. ゲノレラントの主張を検討した文中で“ 長らく通用してきた空虚な定義" として述べた

だけである. ( レーリーの論文には) 参照ページが明示されていないが, ゲノレラントの論文を検討す

ると, ( 中III各) ゲノレラント自身は, リッターの言葉を正しく引用していたことがわかる46) もっとも,

(9)

ことは, ど の 読 者 も 知 っ て い る と 考 え た の で あ ろ う . 他 方 , 公 平 を き す た め に 付 け 加 え る と , ゲノレラ

ントも, こ の ( レ ー り ー の 〉 誤 解 に 対 し て 責 任 の 一 部 を お っ て い る . な ぜ な ら , ゲノレラントがリッタ

ー の 地 理 学 理 念 を “ 葬 り 去 っ た " と き , そ れ は レ ー リ ー の 翻 訳 が 示 し て い る よ う な 誤 解 に 基 づ い て い

たからである. すなわち, レーリーの翻訳は, リ ッ タ ー が 意 味 し よ う と し た も の に つ い て の , ゲノレラ

ントの誤解4を 正 し く 反 映 し て い る . J 47)

ハ ー ツ ホ ー ン が リ ッ タ ー の 地 理 学 理 念 を 要 約 し て ,

I

r

u

l

学 に お い て は , 地 表 に 存 在 す る 対 象 物 が

そ れ 自 体 と し て 考 察 さ れ る こ と は な い . そ う で は な く て , 地 域 を み た す 諸 現 象 が 相 互 に 関 連 し , ま た

大j地也と剖; 関芸羽j連 す る こ と で

述 ベ た と き , そ れ は , ハ ー ツ ホ ー ン に と っ て , 近 代 地 理 学 の 歴 史 で つ ね に 主 流 を 形 成 し た 基 本

Jm

念 に

他 な ら な か っ た . レ ー リ ー が 主 張 し て い る よ う に , 単 に 地 域 別 に 並 べ ら れ た 百 科 事 典 的 な 便 覧 で 、 は な

く) 18位 紀 こ の か た , カ ン ト や フ ン ボ ノ レ ト や リ ッ タ ー に よ っ て 確 立 さ れ た 新 し い 独 立 科 学 の 枠 組 み で

あ っ た49) このような展望のもとで, フレーベノレやゲノレラントの論は,歴史的発展の主流から逸脱し

た 罰 向 と し て 位 誼 づ け ら れ た50) ハ ー ツ ホ ー ン の 考 え 方 は ) 19世 紀 の 地 理 学 史 に ! 討 す る ヘ ッ ト ナ ー の 見 解 と 切 ら か に 共 通 し て い る . ちなみに, 前 節 で 検 討 し た

D 9

世紀における地翌日学の発達

J

の な か

で,ヘットナーは, フレーベノレについて本文で、は触れずに,脚注で「フレーベノレ氏の方法論的克解を

無 視 し た の は , 単 に そ れ が 何 の 影 響 力 も 及 ぼ さ な か っ た か ら で あ る 」 と 述 べ て い る51人 また, ゲノレラ

ン ト の 論 に つ い て ヘ ッ ト ナ ー は )

r

純 粋 自 然 科 学 と し て の 地 理 学 , さ ら に は 地 球 に │ 到 す る 物 理 科 学 と

しての地理学, も し く は 地 理 学 の 中 核 に 地 球 物 理 学 を 据 え る よ う な 考 え 方 は 問 題 に な ら な い . ( 中! 日告)

こ の よ う な 方 向 は , 歴 史 的 な 発 展 が 示 し て い る 地 理 学 の 役 割j を ま っ た く 念 頭 に 置 い て い な い 」 と 指 摘

している52)

日f シ ェ ー フ ァ ー と ハ ー ツ ホ ー ン

最 後 に と り あ げ る の は ) 1953年 に 発 表 さ れ た シ ェ ー フ ァ ー 論 文 と , こ れ に 対 す る ハ ー ツ ホ ー ン の 反 論である. よく知られているように, シ ェ ー フ ァ ー 論 文 の 直 接 の ね ら い は , 当 時 の ア メ リ カ で 最 も 有

力 だ っ た ノ ¥ ー ツ ホ ー ン の 地 理 学 本 質 論 を 批 判 す る こ と で あ っ た . し た が っ て , 地 理 学 思 想 史 の 考 察 は

論 文 の 直 接 の テ ー マ で は な く , ま た ) 19世 紀 の 地 理 学 史 に 対 す る シ ェ ー フ ァ ー の 見 解 も 整 理 さ れ た 形 で述べられているわけーで、はない. し か し , す で に 述 べ た よ う に , 論 文 の 前 半 部 分 で か な り の ス ペ ー ス

が 地 理 学 史 の 考 察 に さ か れ て お り , こ こ で も ま た , 地 理 学 本 質 論 と 地 理 学 史 の 街 接 な 関 係 が 示 さ れ て

いる.

シ ェ ー フ ァ ー の 議 論 は , ハ ー ツ ホ ー ン の 地 理 学 観 が 例 外 主 義

( except i onal i sm

)

の 立 場 に よ っ て い

ること, および, こ の よ う な 例 外 主 義 の 立 場 が 非 科 学 的 で あ る こ と , の2点 か ら 出 発 し て い る . そ れ ゆ え , 地 理 学j忍 想 史 に 関 す る シ ェ ー フ ァ ー の 考 察 は , 主 と し て , 地 理 学 に お け る 例 外 主 義 の 系 譜 を

たどり, こ れ を 批 判 す る こ と に 向 け ら れ た . 例 外 主 義 と は 》 地 理 学 を 「 他 の す べ て の 科 学 と ま っ た く

(10)

地 理 学 と 地 誌 学 の 別 が あ る の は , 経 済f学( 社会学) において,経済( 社会) 現象を系統的に考察する

場 合 と , 特 定 の 経 済 団 体 ( 社 会 集 団 〉 を 考 察 す る 場 合 が あ る の と 同 様 で あ る54) したがって,系統地

涯 学 と 地 誌 学 の 二 元 論 を 言 い 立 て て , そ の 相 対 的 重 要 性 を 論 じ る こ と な ど は 無 意 味 で あ る55) 物 理 学

との比I佼でいえば,系統地理学はいわば、避論物理学にあたり,

I

地誌学は,理論物理学者がなしたー

切 の 真 偽 を 検 証 す る 実 験 室 の よ う な も の で あ るJ 56) とシェーファーは主張した.

例 外 主 義 の 系 譜 をγ ェーファーは, カント, リッター, ヘットナー, ハーツホーンとたどってい

る. これに対対-してP この系譜に

l

属寓さなし、

J

F

カj ントによれば,

I

経験的知覚は,捌{ 念にしたがって整理するか,もしくは,それが実際にみられる

│ 時間と空間にしたがって整理することができる. ( 中111各) 後者によって自然、の地理学的記述がえられ

る. ( 中111各) 歴史学と地理学の両者は, し、わば記述と11子ぶことができょう. 前者はH寺! 聞にしたがって

の 記 述 で あ り , 後 者 は 空 間 に し た が っ て の 記 述 で あ る . H iii I QQ iセG|j iセi

報告であり, 地 理 学 は 空 間 的 に 並 起 す る 諸 事 象 の 報 告 で あ る . J 58) このような例外主義の立場に対し て, シ ェ ー フ ァ ー は , 概 念 に し た が っ て 整 理 す る 系 統 的 学 問 ム l時間/ 空間にしたがって整理する歴 史 学 / 地 理 学 を

i

亙 別 す る こ と は 誤 り で あ る と 論 じ , ま た , 地 理 学 の 内 容 を 狭 い 意 味 で の 記 述 に 限 定 す

る カ ン ト の 見 方 に 反 対 をi唱えた59)

シェーファーによれば,科学的な地理学の流れはフンボノレト( さらにはリッター) の地理学観に見

いだすことができる. フンポノレトとリッターにとって, [ 地 理 学 は , 少 な く も 潜 在 的 に 法 則 の 発 見

に 努 め る 科 学

J

60

)であった. どちらも, 系統地理学と地誌学の対立といった「見かけ僧上の「問題にかか

ずらうことはなかった. 系統地理学は法貝日の定式化に努め,そこで定式化された法則が地誌学に適用

イヲセ N ブンボノレトは,法則の定式化と検証こそが科学

者 の 目 指 し う る 最 高 の 目 標 で あ る と 感 じ て い た .

J

61

)リッタ} が地誌学を主要な関心事とし,それを純

粋 に 記 述 の 段 階 に と ど め た の は , 系 統 的 な 知 識 が 存 在 し な い と い う 時 代 の 制 約 の た め で あ っ た .

I

ッターは, ャセャ セ■ャ○

こともしなかった.

J

62

)シェーファーによオ- u

x

, フンボノレトの地理学観に例外主義の立場を見いだすの

は , 彼 の コ ス モ ロ ジ ー に 関 す る 議 論 を 地 理 学 方 法 論 と 混 同 し た 結 果 で あ る .

-

1

フンボノレト比 コスモ

ロ ジ ー が そ れ 自 身 の 正 当 な 位 置 づ け を も っ て い る と 考 え て は い た が , 地 理 科 学 と し て 彼 が 切 離 に 認 識

しているものとコスモロジーとを混同す』ることはなかった. J 63)

プJ ントの権威を利用して,地理学に例タト主義の立場を押し付けたのは, シェーファーによればヘッ

トナーである. カントが地理学と名づけ¥ フンポノレトがコスモロジーと名づけたものの原理が,ヘッ

トーによって近代地理学に押し付けられ犬二. [ このようにして, ( 中略〉一連の非科学的な理念が,地

ャセ ヲj ィ NI

ン 主 義 的 な 議 論 ; 諸 変 量 は 相 互 に 関 連 し あ っ て 反 分 析 的 な 全 体 を 形 成 す る は ず だ , と い う 論 証 不 能

な 事 実 の 実 在 視 ; こ れ と 関 連 し て , 地 理f学 特 有 の 統 合 的 役 割 に │ 認 す る 見 せ か け の 主 張 ; そ し て 最 後

に,科学的方法の冷静な客観性をさしおし、ての,研究者の直感と芸術的感覚への訴えかけ,などであ

(11)

理論の, こ の よ う に 非 科 学 的 な 性 絡 で あ っ た .

シ ェ ー フ ァ ー の 批 判 に 対 す る ハ ー ツ ホ ー ン の 反 論 は , 数 回 に わ た っ て 行 わ れ た . このうち,

1955

に 発 表 さ れ た 「 “ 地 理 学 に お け る 例 外 主 義 け の 検 討J 65) は, シ ェ ー フ ァ ー 論 文 に お け る 事 実 誤 認 と 解 釈の誤りを詳細に検討したもので, また,

1959

年 に 刊 行 さ れ た

Per spect i ve

o

f t he N

at ur e o

f G

eo-gr aph

y66) は , 地 理 学 の 本 質 に 関 す る ハ ー ツ ホ ー ン の 見 解 を あ ら た め て 提 示 し た も の で あ る . こ れ ら

の他に,

1958

年には「カント,フンボノレトからヘットナーにいたる空間科学としての地理学概念J 67) と

i[セ}

シ ェ ー フ ァ ー に 対 す る 反 論 の 一 環 と 考 え る こ と が で き る .

地 理 学 史 の 評 価 に 関 し て 言 え ば , カ ン ト / ヘ ッ ト ナ ー の 例 外 主 義 と フ ン ボ ノ レ ト / リ ッ タ ー の 科 学 的

地 理 学 説 を 対 置 し た ジ ェ ー フ ァ ー の 見 解 が , 基 本 的 な 事 実 誤 認 と し て 批 判 の 対 象 に な っ た . フンボノレ

ト と リ ッ タ ー の 地 理 学 観 と し て シ ェ ー フ ァ ー が 指 摘 し た3点 , す な わ ち 「 地 理 学 は , 少 な く も 潜 在 的 に , 法 則 の 発 見 に 努 め る 科 学 で あ る こ と ; そ れ は 地 表 に 限 定 さ れ て い る こ と ; ま た , そ れ は 本 質 的 に

コ ロ ロ ジ ー 的 (

chor ol ogi cal )

であることJ 68) は, こ の 記 述 の も と と な っ た ク ラ フ ト の

t

ilt

文によれば,

主としてヘットナーの地理学観を安約したものである, と ハ ー ツ ホ ー ン は 指 摘 し た69) この部分を,

もしそのように書き変えたならば, シェーファーの主張の大半が成立しなくなるだろう, とハーツホ

ーンは付け加えている.

コ ス モ ロ ジ ー の 方 法 論 と 地 理 学 の 方 法 論 が フ ン ボ ノ レ ト に お い て 明 確 に 区 別 さ れ て い た と い う シ ェ ー

フ ァ ー の 主 張 乱 事 実 誤 認 と し て 退 け ら れ た .

Kos m

os

や 「 他 の 数 多 く の 著 作 で な さ れ た 地 理 学 に 関

するフンボルトの言明は, (中III各) 生涯を通じて彼の地理学観がつねに一貫していたこと, コスモロ

ジ ー と 系 統 地 理 学 の 違 い は , 前 者 が 全 宇 宙 を あ つ か う の に 対 し て 後 者 が 地 球 を あ つ か う と い う 点 だ け 幽

で あ る こ と を 示 し て い る . J7のそれゆえ, フンボノレトにとって地理学は法則を追究する科学であり,

コ ス モ ロ ジ ー は 記 述 的 な も の で あ る と い う シ ェ ー フ ァ ー の 主 張 は 成 り 立 た な い .

このように, シ ェ ー フ ァ ー に よ っ て 例 外 主 義 と 名 づ け ら れ た 地 理 学 観 は , ハ ー ツ ホ ー ン に よ れ ば ,

「カント, フンボルトからヘットナーにいたる空間科学としての地理学概念」に{ むならず, これこそ

が , 地 理 学 と し づ 学 問 分 野 の 特 徴 を 適 切 に 捉 え た 地 理 学 観 な の で あ る .

I

地理学に固有の諸特徴は,

世界における諸現象! 習の結びつきを,地域的相互関係のかたちで捉えようとする人間努力の産物で、あ

る. したがって, こ れ ら の 諸 特 徴 は , 地 理 学 に 関 す る い か な る 理 念 か ら も 独 立 し て い る . む し ろ , こ

れ ら の 特 徴 を 経 験 的 な 事 実 と し て , そ れ に 立 脚 し て 地 理 学 理 念 を 構 築 す べ き で あ る . (中u洛〉カント と フ ン ボ ノ レ ト が 述 べ , ヘ ッ ト ナ ー が よ り 詳 し く 説 明 し た 地 理 学 理 念 は , 地 理 学 分 野 に 関 す る こ れ ら の

経 験 的 な 事 実 に , 一 つ の 妥 当 な 説 明 を 提 供 し て い る . そ れ ゆ え , こ の 地 理 学 理 念 を 特 定 の 誰 か や 少 数

の 学 者 が 発 明 し た も の と 考 え る の で は な く , む し ろ ヘ ッ ト ナ ー が 言 う よ う に , 研 究 の 共 通 の 枠 組 み を

も と め た 無 数 の 地 理 学 者 た ち が 大 な り 小 な り 自 覚 し て い た 認 識 と し て 理 解 す べ き で あ ろ う . J 71)

V

む す び

(12)

どのように性格づけるかという│ 笥題に対しては,地理主学という学問分野が制度的に確立し,専門家と

しての地浬学者集団がドイツやフランスをはじめ欧オその各国に形成された

19

世紀末このかた,さまざ

まな見解が主張され,対立と論争を繰り返してきた. 地理学史が,大なり小なり,自己の見解を歴史

的にあとづけ,過去の地理学者の見解を選択I :1'Jに整理主することで,地理学発展の[ 正しい道j を指し

示 そ う と す る も の で あ る 以 上 , そ こ に 見 解 の、

J

相j司

i

3

逮 と 対

(けげづチzた 5人の地理学者の地] 理型学史は, し寸」れも学説

a

の こ の よ う な 性 格 を 如 実 に 反i決していたと言え る.

かつてノミティソンは「地理学における四つの伝統 j という論文で,地球科学としての地理学,環境

論としての地理学,地域研究としての地理学,空間チ: ? r - 析としての地理学という 4種類の地理学説の系

訟 を 論 じ た72) 本稿で考察した 5人の:L 1 主理学者を, もしパティソンの分類にあてはめて考えるなら

ば, リヒトホーフェンとレーリーの地理学史は, まさに「地球科学としての地理学」の立場によって

いる. こ れ に 対 し て , ヘ ッ ト ナ ー と ハ ー ヅ ホ ー ン は 「 地 域 研 究 と し て の 地 理 学 」 の 立 場 を 代 表 し , シ

ェ ー フ ァ ー は 「 空 間 分 析 と し て の 地 理 学j という観j誌に立腕] していると言ってもよいであろう.

し か し ヘ ッ ト ナ 一 対 リ ヒ ト ホ ー フ ェ ン , レーリ一対ハーツホーン,シェーファ一対ハーツホーン

という形で, 地 理 学 史 の 捉 え 方 に 関 す る コ ン ト ラ ス ト を 比 較 し て み る と , そ こ に は 地 理 学 の 本 質 に つ

い て 二 つ の 基 本 的 に 異 な っ た 立 場 が 表 れ て い る よ う

t

j

3

われてならない.

3

組の対比を通じて,中心

的な論点は, ¥. ,、ずれの場合もコロロジ一的な視点

u

也域的な立場) を地理学の基本理念とするかどう

か, ということではなかったろうか. 地盟

1

学を

l

: l 也市勺に充填された諸空間の科学」と定義づけたリッ

ターの評価が, ど の 場 合 も 意 見 の 大 き な 分 か れ

i

ヨであったことは象徴的である. フンボノレトとリッタ

ーが強調した地域的総合の理念、や,地域的なものの見£方の重視を,

1

9

-ti

主紀における地理学発展の本流

として位置づけるかどうかが評価の分かま工る点で、あったと言ってもよかろう.

そ し て , こ の よ う な 基 本 的 立 場 の 違 い は , 現 在 のi也理学にとっても依然として本質的な論点である

N ョセj ェ S v

プ ロ ー チ が 存 在 す る と 指 摘 し て い る73) す な わ ち ,j M iセ Gi j iセi

側 面 を 分 析 し た り ( 人 口 地 理 学 ) ,社会巨杓属性を検討ーしたり ( 社会地理学) ,さまざまな行動を考察

す る こ と ( 食 の 地 理 学 や 選 挙 地 理 学 な ど 〉 が , 人 文j由理学固有の課題であるとする立場が一方に存在

する. これに対して, も う 一 方 の 立 場 で は , 人 間 社 会 が 場 所 と の 関 係 で 捉 え ら れ , 人 間 の 活 動 が 地 表

に も た ら し た 帰 結 が 考 察 さ れ る . も ち ろ ん , ど ち ら の 場 合 私 人 口 の 分 布 と そ の 窟J性が研究の出発点 で あ る . そ の 点 で , 二 つ の 立 場 は た が し 、 に 似 通 っ て し 、 る . し か し そ の 目 指 す と こ ろ は 異 な っ て い

る . 前 者 の 場 合 , 研 究 の 対 象 は あ く ま で も 人

l

詩 集 団 で あ る . 後 者 で は3 地域なり場所なりに主要な関

心 が あ り , 人

i

詩集団は地域の造形者として,あるし、はこ場所の性格を示す指標として捉えられることに

なる.

1

地理学は場所の科学であって,ノ寸前の科学で、はないj と述べたのは, フランス近代地理学の

父ヴィダノレ・ドク・ラ・ブラーシュだが7 4) ,その後の地理学の推移は, この問題をめぐる論争が現在

(13)

注- 参考文献

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/1171. Geogr.,69, WRセWSN@ は, リ ヒ ト ホ ー フ ェ ン 自 身 が 明 確 に の べ て い る

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QQセQSN@ なお, ュセ ワ グ ナ ー が

7) Schaef er, F. K. ( 1953) :Exc ept i onal i s m i ngeo・ 次 の よ う な 注 釈 を 加 え て い る . Iも と も と リ ッ タ

-gr aphy :amet hocl ol ogi cal exami nat i on. /1nn. Ass. は, Er dk unde と い う 言 葉 を , 現 象I1¥Jの 関 係 を 認 識 :

/1m. Geogr ., 43, RRVセRTYN@ ( 訳は! 日j渇 6),QTセTW す る さ い に , 単 な る Er dbes c hr ei bung よりもf¥-;fj次 の

月; 収〉 段 階 と し て , か つEr dwi s s ens c haf t のな

i

i

段 階 と し て

8) 戦 後 に │ 思 っ て も , 次 の よ う な も の が あ る 。 ) 一 j ] い よ う と し た. J

野間三自 1) If' 近代地理学の潮流,] . 1963年 , 大 明 堂 Wa g n e r,H ( 1912) :Lehr buc h der Geogr aPhi e. ( 第

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n

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J ahr hunder t. Pet ennanns Geogr aPhz目scheMi t t ei l un- 訳 は 筆 者 に よ る . 以 下 も 同 様 . )

gen, 101, 1,...._,.14. 26) 前 崎 3),p. 657

Schul t z, H. - D. ( 1980) :Di e deut schspr achi ge Geo- 27) 前 掲 3),p. 673.

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que cont emt or ai ne. Par i s, 17 セSXN@ 30) リ ヒ ト ホ ー プ ェ ン の 地 理 学 観 に つ い て は , さ ま ざ

9) 坂 本 英 夫 ・ 浜 谷 正 人 編 著 『 最 近 の 地 理 学jj. 1985 まな側面1が あ り , そ れ ゆ え 多 保 な 解 釈 が あ り う る

セZi S } QセSN@ こ の 点 に つ い て の 考 察 は 今 後 の 課 題 に し た い .

10) この点については,

手 塚 Tit ( 1988) 地 理 学 の 革 新 と 伝 統 . 中 村 和

郎 ・ 高 橋 伸 夫 編 『 地 理 学 へ の 招 待 j ] . 古 今 書

i

完.

168"' -"' 191.

11) Mar t onne, E. de ( 1929) Tr ai t e de geogr aPhi e

31) 前 掲 3),p. 689. 32) 前j:tJJ 3), p. 688.

33) Ri cht hof en, F. F. v on ( 1877) Cl zi na. ( 第l 巻)

Ber l i n, 731,...._,.732.

(14)

IjIセj ャt ケN

現象の総体を, リッターが行ったように,地表の諸

形 態 や 諸 特 性 と の12S! 架関係において考察するように

な っ た と きF す な わ ち , 地 理 学 的 な 方 法 が 用 い ら れ

たときに初めて, リッター的な意味での“ 比較地理

学. " は他の諸科学と異なる一つの( 独立〉科学とし

ての地{ 立を ii{II 保 で き た の で あ り , 地 理 学 そ れ 自 身 の

統 合iね な 領 域 を 形 成 す る こ と が で き た の で あ る . J

34) 前 掲 3),p. 677.

35) 前 掲 3),p. 678.

36) 前 掲 24),p. 38. (訳書 p. 29)

37) I市胞の, 63' ""' -' 76.

わが国では立問が,ハーツホーンの! 日謀長銀に基づ

いてこのおjの

J

I

叶育に触れている.

立│ 苅諮土 ( 1985) : 現代地理学史の分析枠の構築

に む け て . 人 文 地 理

L

37, 193' "' -' 214.

38) L ei ghl y,

J

.

( 1938) :iiiJJ'e) 5), p. 243

39) Har t s hor ne, R. ( 1979) 前掲 5),p. 72.

40) L ei ghl y,1. ( 1938) 前j13; 5), p. 244‘

41) L ei ghl y, J. ( 1938) 前掲 5),p. 25 1.

42) 前 J苦14), p. 53. (訳書 p. 43. ただし, ここでの

R

は 筆 者 に よ る . 以 下 も 同 様 . )

43) iiil掲 4),p. 58. (訳書 p. 48)

44) iiIJ掲 4),p. 58. H TXセTYI

45) Har t s hor ne, 1(. ( 1979) 前掲 5),p. 73. 46) Ger l and, G. ( 1887) : Vor wor t des Her aus geber s .

Bei t rage zur Geop!zysi k, 1, p. XVI.

47) 前 掲 4),p. 57. (訳書 47"' - 48)

48) 前 渇 4),p. 57. (訳書 47"' - 48)

49) 前 掲 4), 134' ""' -' 144. (訳書 140' "' - ' 152)

50) 前 掲 4),102"- ' 120. (訳書 101 ' "' -' 122)

51) 前 掲 2),p. 305.

52) 前 掲 2),SQUセSQVN@

53) 吉田昌 7), p. 231. (訳書 p. 22. ただし, ここで

の 訳 は 筆 者 に よ る . 以 下 もi司操. )

54) 前 掲 7),p. 231 (訳書 p. 21)

松三井ニ武敏 ( 1934) 地理学方法論一一ークラフトの

そh に就いて. 地理論議, 3, 324"' - ' 350.

シェーファーは, クラフトの地理学理論をフンボ

ノレト的伝統の継承として,ヘットナー/ ハーツホー

ンσコ そ れ と 対 置 し た . こ れ に 対 し て ハ ー ツ ホ ー ン

v',J: クラフトの地主

n

学理論について,むしろヘット

ナーの見解に近いと述べてし、る

S c ha e f e r, F. K. ( 1953) : 前掲7),p. 227.

I王ar t shor ne,R. ( 1955) “ Except i onal i s111 i ngeo・ gr al J hy " r e- exa立1i ned. Al l1Z. Ass. A m. Ge o gr,. 45,

p. 21 1.

58) f ] 訂掲 7),232"' - ' 233. (訳書 p. 23)

な お , こ れ は カ ン ト

u

l

当然地理学』序論からの引

用 で あ る . ( カント全集第 15巻 『 自 然 地 理 学J 1966

年, 理想社, SYセUR I

59) 吉官掲 7),p. 233. (訳書 p. 24)

ち な み に , ハ ー ツ ホ ー ン は , シ ェ ー フ ァ ー 出 身 の

j由J ll I 学館も例外主義の立場によっていると

J

t!fi 有j して

い る

「地理学は, も ろ も ろ の 現 象 そ れ 自 身 と い う よ り

も, 地域で、のそれら現象の空間的配列に注目せねば

な ら な い . (1:1コ目! 各) 空間的諮関係こそが,他のどの分

野で、もなく地理学で重要な意味をもっ. 地域での諸

imェ セiセ Qm}IGAG} (中111告) 他分野の専門家 が 品 っ か うj問題である. _j ( Schaef er , F. K. ( 1953)

前 掲 7),p. 228; 訳 書 P. 16)

シェーファーはここで, l ' 気づくことなく,諸科学

の7な か に お け る 地 理 学 の 地 位 を , 独 特 な , す な わ ち

鵠タト(:1守なものとして描いている. (ι1="11各) 他の科学

4

寺 定 の 種 額 の 現 象 を , そ の 非 空1M]的 諮 関 係 に つ い

て初旬ピするのにお

I

し て , 地 理 学 は あ ら ゆ る 極 鋲 の 現

象 の 空 II¥J 的 諮 問 保 を 研 究 す る

J

からである. ( Har t

s-h o r n e, R. ( 1955) : 前掲 57),p. 214)

ま た , カ ン ト の 地

m

t

学が狭い意味での記述である

とし、うシェーファーの批判に対しても,ハーツホー

γ む土, カントI fiセi HZQQU

55) iiii1君I 7), p. 230 (訳書 19"' - ' 20) ぽ, こ の よ う な 判 断 が 誤 り で あ る こ と は 明 ら か だ ろ

56) 前 掲 7),p. 230 (訳書 p. 20) う, としている. さらにハーツホーンは,

r

カントと

57) シ ェ ー フ ァ ー は , ク ラ フ 卜 の 地 理 学 論 を 明i断にし 時十芸の観点を主張した後世の学者で,このような科

て簡潔と称賛したが,三科、にして,われわれはこれ 学 分 類 の も と で 地 理 学 が “ 単 な る 記 述 " に 限 定 さ れ

を日本語で、読むことができる. る と 述 べ た も の は 一 人 と し て 存 在 し な し づ と 付 け

Kr af t , V. ( 1929) :Di e Geogr aphi e al s Wi s s en- 方はえている. ( Har t s hor ne , R. ( 1955) : 前掲 57),

s c haft. i n Ke nde, O. [ edJ :Enzykl opadi e der Er d- p_ 221)

(15)

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参照

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