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マ ラ ル メ の 存 在 論 的 肖 像

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マラルメの存在論的肖像

〜︵不在の神︶ の道化師 六六

中 井 啓 之

ポエジー﹁誰も︑これほどの精確さ︑これほどの首尾一貫性とヒロイックな確信とをもって︑︵詩︶ の卓越した尊厳を表白

したものはいなかった︒彼は︵詩︶ の外にはただ偶然しかみとめていなかった⁚・﹂T︶ ポール・ヴァレリーは︑彼

の師マラルメの死の報せが︑青年期の自分にとって︑存在の奥底を打ちのめしわれとわが心に語いかける力さえ奪っ

てしまうような衝撃であったことから説き起した﹃ステファーヌ・マラルメ﹄と題する文章を︑このような言葉で結

んでいる︒マラルメが︵詩︶以外の世界つまりこの現実世界全体を︑偶然の支配する世界であると考えていたことに

ついては︑生前のマラルメに親睨する幸運を持ちあわせていた人びとによる一つならぬ証言がある︒たとえば︑マラ

ルメの晩年に︑例の︵火曜会︶に集う青年たちの一人であったベルギーの詩人アルベール・モッケルほ︑或る日のマ

ラルメの次のような言葉を伝えているI﹁われわれの外にあって︑宇宙とほ偶然の限りなく支配する世界である︒

一切の人間の行為ほ︑偶然性を否定しょうと希いながら︑かえって偶然を強化することになっている︒行為が実現さ

れているという正にそれだけの理由で︑その行為ほ偶然に手を貸すことになるのだ⁚・﹂︵2︶︒

われわれの外なる世界にはただ偶然があるという考えは︑或る時期以後のマラルメの世界像の核心をなしたのであ

って︑彼が︑その後の彼の生涯を貫ぬくこの世界像を︑死が彼をおそう寸前に︑﹃双賽の一跡ほ偶然を廃滅すること

なかるべし﹄のなかに︑荒れ狂う嵐の晦とそれにほんろうされる一そうの船のイメージによって︵詩︶として形象化

したことは︑周知の通りである︒

ところで︑存在界全体を偶然の世界とみるこのマラルメの世界像ほ︑おそらくサルトルの﹃嘔吐﹄の主人公ロカン

タソの実存的覚醒が見とどけたものと︑大してへだたるものではないであろう︒﹁=・本質的なものは偶然性である︒

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽという意味は︑存在とは定義によって︑必然でほないということだ︒存在するとは︑たんにそこにあるということだ︒

存在するものたちは︑あらわれて︵出会われる︶がままになるが︑しかし人は決してそれらのものを推論によって

みちびくことはできない︒⁚・いかなる必然的存在も存在を説明することほできない︒偶然性とは解消させることが

みかけ可能ないつぁりの外見や仮象ではない︒それは絶対的なものであり︑したがって完全な無益性である︒すべてが無益

だ︑この庭も︑この町も︑そして私自身も⁚・﹂︵3︶︒

わだかまるマロニエの木の根への凝視がひきおこす︵嘔吐感︶のなかに直感される一切のものの無益性gratuit

とは︑定義そのものによって偶然性cOntingencehasardと別のことでほなく︑今やすべての迷妄を去ったロカン

タソの限に映ずる外部世界と︑前に引用のアルベール・モッケルの伝えるマラルメの言葉が示す︑存在界はすべて偶

然の支配のもとにある︑とする世界像との問には︑ふかい類縁関係がみとめられる︒そして︑マラルメの場合には︑

この偶然性そのものの存在界︑外部世界に対立して︑そこでは﹁一語一語偶然が克服され﹂︵4︶︑﹁すべての偶然が払拭

されねばならない﹂︵5︶ 作品の世界︑つまり︵詩︶があったことは︑前に引用のヴァレリーの文章が明言する通りで

ある︒

ところで︑サルトルの場合にも︑一切が不条理でありそこにはただ偶然性と無益性のみが支配している存在界の埼

外に出る可能性はみとめられていないだろうか︒﹃嘔吐﹄ほたしかに︑﹁本質的なものとは偶然性であるLという存在

論的直感の記述をその中心的主題としているが︑しかしその全体の構成にほ︑その冒頭ちかくから︑すり切れたレコードの奏でるラグ・タイムの旋律に乗った黒人歌手の唄によって暗示される︵音楽︶の主題が︑もう一つの対部と

なっている︒そして︑この対部としての︵音楽︶の主題は︑﹃嘔吐﹄のクライマックスをなす︑存在界の不条理と偶

然性と無益性についての実存的覚醒の記述のなかにも︑周到に織りこまれている︒﹁存在することを止めることがで

マラルメの存在論的肖像六七

(2)

六八

きずL︑﹁たんにあまりにも弱すぎるために死ぬこともできず﹂︑﹁死は外部からのみ到来するがゆえに︑不承不承に存

在しっづける樹木たち﹂に対して︑﹁内的必然性として︑自分のうちに自分自身の死を誇らしく担っているものは音

楽の調べだけ﹂なのである︒黒人歌手の唄声が流れるとき︑﹁︵嘔吐感︶は消える﹂︵6︶ のである︒﹁この音楽の必然

性はきわめて強力で︑現実世界がそこに乗り上げている時間からやってくるものほ何一つ︑この必然性を妨げること

はできないL6︶︒﹁音楽のきびしい持続は︑われわれの日常的な時間をつらぬき︑これを拒否し︑引きさく︒⁚・そこ

には別の時間があるのだ﹂︒

こうして︑﹃嘔吐﹄において不条理︑偶然性︑無益性そのものの存在界と︑内面的必然性が一貫している︵音楽︶と

の対立関係として記述されているものは︑マラルメの世界像にみられる偶然性の支配する存在界︑外部世界と︵詩︶

との背反関係と︑別のことでほなさそうである︒マラルメの世界像と︑﹃嘔吐﹄の記述が示す存在構造との相似性は︑

マラルメにとって︵詩︶ の理想のモデルが︑つねに︵音楽︶の比喩をもって語られたという周知の事実を想起すれ

ば︑さらにそれは緊密性の度を加えることであろう︒

﹃嘔吐﹄ほ今日からみれば︑ヌーヴォー・ロマンの先駆ともみられる前衛的な性格をそなえたまぎれもない小説で

あるが︑﹁形而上学的な真理を文学的な形式のもとに表現する﹂意図をもって書かれたものであり︑特にマロニエの

樹の根の凝視を契機に︑不条理︑偶然性︑無益性を存在の本質として直感する体験の記述の部分が︑やがて来るべき

大著﹃存在と無﹄の構成的な現象学的存在論の記述の背後にある原体験の表現としての意味をもっていたことほまぎ

れもない事実である︒

一方マラルメは︑自分の思考を観念的な哲学体系にまとめ上げようとする興味も傾向ももたなかったが︑しかも彼

の愛弟子ヴァレリーがあらゆる場合に︵つくる人︶としての詩人の立場を一切の哲学に対抗して頑固に守りとおそう

としたのとは異って︑自分の生涯の探求が︑超越論的な観念の次元のものであることを自認していたようである︒彼

が親友リラダソを通じてヘーゲル哲学について或る程度の知識を有し︑つよい共感をおぼえていたことについては︑

カミーユ・モクレール︵7﹀その他の人びとの証言がある︒しかしこの超越論的な思考への傾向こそマラルメの本質で

あることを確信して︑そのことをくり返して語ったのは︑ポール・クローデルであった︒彼の﹃イジチュールの破局﹄

と超された文章ほ︑一九二六年十一月号の﹃NRF誌﹄のマラルメ特集号に発表されたが︑この文章はその前年にマ

ラルメの女婿エドモン・ボニオによって︑それまで未発表であった未定稿﹃イジチュール﹄が発刊されたことを契機

として書かれたものである︒﹃イジチュ︑1ル﹄こそ︑そこからマラルメの﹁全芸術が生れた母胎Lであると断言し︑ま

た︑﹃イジチュール﹄ を ﹁その耽美がすべて現金化されたあとに残る小切手帳の原符のようなもの﹂としたこの短文

は︑私見によれば︑素描であるとはいえ他に比類のない適確なマラルメの全体像を提示しているが︑そのなかでクロ

ーデルは次のように述べている︒

﹁⁚・マラルメに到るまで︑バルザック以来の丸一世紀の間︑文学はフローベールもゾラもロチもユイスマンスも︑

日録づくりと描写に身をやつしてきた︒マラルメこそ外部世界に対して︑一つの景観やフランス語の作文課題に対す

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽるごとくではなく︑一個のテキストを前にしての︵これは何を意味するか︶という問をたずさえて直面した最初の人であった﹂︵8︶︒

ヽ ヽ ヽ ヽクローデルが︑外部世界を前にしてのこうした問いかけの姿勢を︑マラルメの最も本質的なものであると考えてい

たらしいことは︑彼がマラルメに言及する場合︑ほとんど必ずと言ってよいほど︑この点についての指摘を欠かさな

かったことからも推察できる︒たとえば﹃或るラジオ放送のための前書﹄なる文章には次のような言葉もみられる︒

﹁ステファヌ・マラルメについての思い出を問われるとき︑私の答ほいつでもこうである︒つまり彼は私に︑私の

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ意識に入ってくる寓物を前にして︑これは何を意味するかという問をたずさえて真向うようにと教えてくれた人であ

る︒問題ほ描くことでなく︑解釈することなのだLす︶︒

ヴァレリーはマラルメについて多く語り︑それらの言稟は生涯の師に対する終生変らぬ敬愛の思いに発するすぐれ

た洞察に事欠かぬが︑しかもその論点はつねに美学的であり︑方法論的な立場をほなれることがなかった︒ボードレ

ールに発する広義のフランス象徴主義文学の正統的衣鉢継承者として︑ヴァレリーのマラルメ像は︑彼が二十歳のと

き︑ピエール・ルイスに伴われて︵火曜会︶の人となって以来︑プラトンにおけるソクラテスのように︑神格化され

マラルメの存在論的肖像六九

(3)

七〇

た理想の先達としての意味を変えることはなかったが︑ちょうど同じ時期︑つまり二十歳のヴァレリーにとって︑

﹃ユーレカ﹄との出逢いは︑マラルメとの出逢いにおとらず決定的な事件であったようにみえる︒ヴァレリーのマラ

ルメ像は︑マラルメにとってもまた詩人の理想像であったエドガー・ポーへの畏敬の思いと︑同じ根拠の上に成立っ

ている︒ポーがボードレールにはじまる一連のフランスの天才たちを魅了したのは︑その実的価値の独立︑つまり純

粋詩の主張と︑方法論的厳密さの主張とによる︑と言ってよい︒

しかし︵火曜会︶に一度ならず顔を見せ︑マラルメの温容に敬愛を覚えたとほいゝえ︑その詩人としての覚醒を︑結

局はランボーの﹃イリユ︑︑︑ナシヨソ﹄によってひらかれたクローデルは︑マラルメの本質を︑その美学と方法論のな

オータンティシテかでほなく︑﹁存在の意味の問い﹂という︑ハイデッガー的な意味における人間の原本性そのもののなかに見ていた

のである︒サルトルは﹃存在と無﹄をハイデッガーとフッサールの影響下に完成したが︑この雄偉な存在論の根底にある原体

験を︒嘔吐﹄の記述のなかにみとめ得るとすれば︑それが︑了フルメの詩的認識の奥底にあるその世界像ときわめて

親近な︑存在界の意味︵或いほ無意味︶の確認であったことほすでに見た︒ただしマラルメほ︑自分の思索の特質で

ある超越論的なものへの指向を体系的なものにまとめようとしたことは一度もなく︑彼はその青年期の危機的な一時

期︵おそらくほ︒イジチュール﹄執筆の前後︶に︑天才的な詩的直感によって見きわめた世界像を︑クローデルの比

喩を借りるなら︑いわば小切手帳の原符のようなものとして︑終生変らず保持しっづけ︑一方その原符の信用的根拠

のうえに︑小切手の現金化としての︑詩作の作業を継続したのであった︒

体験の原本性ほ︑それがそれぞれの人間の世界像を決定する点に確認されるほずであり︑逆にそれぞれの人間のい

だく世界像の相似性は︑それぞれの人の原体験の次元において︑原本的な意味をもつ暗合点が存在することを予想さ

せるだろう︒マラルメの仕事は︑体系とはおよそ縁遠い︑それぞれが完結した美的構築を目指しての詩作のつみ重ね

であり︑一方サルトルのそれは︑フランス精神史上かつて例をみなかった体系的存在論の構築であったとほいえ︑彼

らのいだく世界像が前に検討したような類縁性をもつ以上は︑マラルメとサルトルの問に︑原本的な意味をもつ暗合

点を探ろうとすることは︑見当はずれの作業とは思われない︒クローデルの証言ほ︑この暗合点の所在について︑き

わめて貴重な手がかりを捉供している︒彼がマラルメの本質と見ていた﹁萬物を前にしての問いかけ﹂は︑われわれ

をただちに︑﹃存在と無﹄第一部﹁無の問題﹂第一章﹁否定の起源﹂︵10︶の冒頭の一節﹁問いかけ﹂へとみちびくだろう︒

﹁私がそれであるところの人間︑それを私が︑いまこの時この世界にあるがままにとらえるならば︑私ほこの人問が

一つの問いかけ的な態度attitude inteROgatidで存在の前に立っていることを認める⁚・︒﹂

この言葉の意味するところが︑最も普遍的な人間存在一般の原本的在り方の確認であることほ明らかであるが︑こ

れは︑クローデルの指摘したマラルメの特質﹁萬物を前にしてのその意味の問いかけ﹂が︑じつは世に容れられず世

を容れぬ狛介奇矯の詩人の偏執などとほまったくちがう︑人間存在の原本性にかかわるものであることを証す言葉でもある︒

ネアン﹃存在と無﹄の第一部﹁無の問題﹂は二章に分れ︑第一章﹁否定の起源Lほ︑まず︵問いかけ的な態度︶を人間の

最も原本的︑先験的な在り方とみとめた上で︑︵問いかけ︶が当然含んでいる︵破壊︶と︵否定︶が﹁本質的に人

間的なことがら﹂であることを論証し︑︵否定︶を可能にする条件は︑︵非存在︶つまり︵無︶が﹁われわれのうち

における︑またわれわれの外における︑不断の現存である﹂ということである︑とする︒

人間は︵無︶を世界に到来させる存在であり︑そのことによって︑﹁存在は存在をしか生みだすことができない﹂存

在界の因果系列の外に出ている︒かくて﹁人間の存在と︑人間が︽自由である︾こととのあいだにほ︑差異がない︒﹂

かかる存在論的自由の意識が︵不安︶としてあらわれることは自明であろう︒それほ存在界のなかに何の根拠もも

たぬ自己の存在性についての意識であり︑﹁不安においてこそ︑自由ほ︑その存在において︑それ自身にとっての問題

となる︒﹂ ハイデッガーが不安を︵無︶ の把握と考えたのも別のことでほない︒不安は自由としての人間存在にとっ

て︑まさに内在的なものであり︑自己の本質の意識化に外ならない︒それゆえ﹁われわれは不安を抹殺することほできない︒﹂しかし不安を逃れようとすることは︑定義そのものによって︑意識の自然な動きである︒しかしかかる存

在論的不安は︑﹁︵無︶を分泌する﹂人間の本質にからむものであるから︑不安からの逃避は︑﹁私のおおい隠そうと

マラルメの存在論的肖像七一

(4)

七二

するものは私自身に外ならぬ﹂というような矛盾的な関係を生じ︑ここにいわゆる︵自己欺瞞︶maudise fOiの意

識態度が生れる︒﹃存在と無﹄第一部の第二章ほ﹁自己欺職﹂と題されて︑全体がこうした意識態度の記述に当てら

れている︒

﹃存在と無﹄第⊥部 ﹁無の問題﹂ の複雑精緻な現象学的存在論の記述を︑誤解は覚悟のうえで︑右のようにきわめ

て大ざっぱになぞった理由は︑この部分が﹃存在と無﹄の構成のなかで︑いわば︵人間存在︶の存在論的在り方の記

述として︑まとまった人間論のおもむきをそなえていて︑問いかけ1否定←非存在11自由1不安1日己欺瞞と展

ヽ ヽ ヽ閲されるその人間論の記述が本論文の主題であるマラルメの全体像の了解のために︑有効かつ精確なみちしるべを提供していると考えられるからである︒

前に述べたように︑﹃イジチュール﹄に︑そこからマラルメの全芸術が流出する原点的体験の表現をみとめる点で︑

筆者は全面的にクローデルの意見に同調するものであるが︑一八六九年から七〇年ごろにかけてその大部分が書かれ

たと推定されている﹃イジチュール﹄の諸断片を通じてうかがわれるほげしい内面のドラマは︑それに先立つかなり

長い青年期の歳月︑つまりマラルメが二十歳になった一八六二年ごろからほじまる︑実生活上の不遇とその不遇に耐

えながらの絶対的な詩作品をめざしての精進の結果として間断なくつづく︑内面の波潤の総決算として︑生れたもの

であった︒その内面の波瀾のあとは︑今日︑アンリ・モンドールの﹃マラルメの生涯﹄や︑特に︑同じくモンドール

の編さんによる﹃マラルメ書簡集﹄第一巻一八六二1一八七一︑のなかに跡づけることができる︒その内両の軌跡は︑

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ﹁存在の意味の問いかけ﹂という人間存在の本来的姿勢を決して見うしなうことのなかった︑いわば普遍性の天才と

もいうべき一人の青年が︑その本来の資質に忠実であることによって︑人間存在の本質としての否定見gatiOnと無nantの意味をきわめ︑存在論的自由の必然の結果である不安angOisseにくるしみ︑その不安との全存在をあげて

のたたかいのうちに︑存在論的意味における︵自己欺晒︶−a mauaisefOi の意識態度の必然性を証し立てる︑と

いう︑サルトルの存在論が規定した通りの人間存在の在り方を︑骨肉をそなえた生身の人間の次元︑つまり存在的

Ontique︑経験的次元において描きだしている︒ここでは︑このほとんど七︑八年にもおよぶ青年期のマラルメの内

面の軌跡を十分にあとづける余裕はもとよりないが︑論旨をすすめるうえに必要な最少限の解明をこころみょう︒次

に引用の文章ほ︑一八六三年六月三日︑ロソドンから親友アンリ・カザリスに送られた手紙の一節である︒当時マラルメは﹁主として︑遁れるために︑またこの国語を話せるようになって︑これを学校で教ゝえ︑世の片隅で静かに︑他

の生活の手段を強いられることを免れるため﹂にロンドンに来ていた︒彼ほ無理な結婚をしていたので︑﹁それは差

し迫っていた︒L マラルメの青年期において︑生活が最も危機的であった一時期の手紙である︒

﹁⁚・ぼくがどんなお役所づとめもしないだろうこと︑そうした自尊心をもっていることを信じてくれ︒中学の教

師の生活ほ単純で︑控え目で︑しずかなものだ︒ぼくたちはそこで平穏にくらせるだろう︒ぼくほそれをめざしてい

る︒

だが百スーの銀貨を何枚か手にするために書かれた文責よりも︑代訴人の文書を作製する方がまだしもましだ︒エ

マニ声エルは易きについて大きなあやまりを犯していると思う︒彼はあまりに安易に︑ああいった才気にみちてはい

るが無内容な文章を書きすぎる︒

彼ほ︵理想︶と︵現実︶とを混同している︒現代の詩人の愚かさは︵行動︶が︵夢︶ の姉妹でないことを遺憾

とするまでに到ったことだ︒エマニュエルはまさにこのことを遺憾とする連中なのだ︒ああ︑もしも反対に︑︵夢︶が純潔を汚され︑堕落させられるのであれば︑地上ほ嫌悪の的であり︵夢︶だけを避難所にしているぼくたち不幸

たこな人間たちは︑どこで救われるというのか︒現世の幸福ほけがらわしい︒現世の幸福を取りこむためには︑肝臆だら

けの手が必要なのだ︒﹃私は幸せだ!﹄ということほ︑﹃私は卑怯者だ﹄というにひとしいし︑それ以上に︑﹃私は阿呆

だ﹄と語るにひとしい︒なぜならその幸福の天井のうえに︵理想︶ の天空があることを見ないことが必要だし︑あ

るいはわざと眼をつぶる必要があるから⁚・﹂︵11︶︒

ここにあらわれている否定の調子には寸分の妥協もない︒︵理想︶ほ ︵現実︶とは相容れず︑︵夢︶ は ︵行動︶

とほ無縁であり︑無縁であることによってのみ︑現実世界に絶望しているものの避難所となりうる︒しかもこの徹底

した︵否定︶が浪漫派の激情とはまったく異質の︑中学教師として身を立てるという︑醒めた実生活上の見通しと

マラルメの存在論的肖像七三

(5)

七田

並列して語られていることほ︑注目に価する︒否定ほ全面的であり︑現世の幸福ほ痴呆性の証しであるとするまでに

破壊的だが︑その破壊性は行勤とほ無縁であり︑現実値界の全的否定として︑ただ人夢︶を企望するのみである︒マラルメはこの手紙に︑﹁ぼくはこうした観念にもとずいて一篇の.詩をつくった﹂との言葉をそえて﹃窓﹄を同封し

た︒﹃窓﹄はその後︑多少の重要な加筆を得て︑今日マラルメの初期詩篇中の傑作として一致した評価を受けている︒

私は逃れて窓という窓にすがりつき

人生には背を向ける⁚・

私は身を映してわが身を天使と見るー・そして死ぬ︑

がらす一 波璃は芸術か︑神秘なのだろうか ー

私は︑わが夢の王冠をいただいて︑︵美︶が花と咲く

前世の空に再生することを好む! ︹仮訳︺

このみごとな抒情詩の主題を︵否定︶という哲学用語でくくることは不可能ではあるまい︒総じてマラルメの詩篇

ほ︑この時期から︑︵否定︶︵不安︶︵無︶⁚・などの存在論的な主題に収赦される抽象性をおびてくる︑といえば︑

世のマラルミストたちのひんしゅくを買うだろうか︒だが︵理想︶も︵夢︶も︑結局ほ︵否定︶そのものを価値化

しょうとする努力のなかに生れる言葉でほないだろうか︒

ただし私はマラルメの詩兼がたんに抽象的だというのではない︒彼の洗練された抒情性ほ︑存在的なもの ︹経験的

なもの︺ と存在論的なもの ︹抽象的なもの︺ との緊密な相即によって成立っているというべきであろう︒したがって

彼の用語ほその存在的︑経験的な意味の側面と︑存在論的︑抽象的な意味の側面との二面構造をもつことが多い︒こ

のことほ︑彼の仕事の全体にわたって検証可能だと思うが︑ここでほマラルメの世界のキー・ワードの一つである

natという言葉について︑最少限の検証をこころみよう︒

﹃不安﹄AngOiq と﹃真の悲しみ﹄Tstee dtかとは︑一八六四年ごろ︑ほぼ同じ時期に書かれ︑ともに娼

y  ネ如の肉体にことよせて官能のむなしさとかなしみとを歌った︑ボードレールの影響のきわめて濃い十四行詩である︒

nantという言葉ほ︑そのいずれにもでてくるが︑まず﹃不安﹄の第二の四行節ほこうである!

Je demande 紗 tOn − it − e −○亡 rd sOmmei − san ∽筈 nge の

勺︼ ana ロ什∽ Ou ∽訂∽︻ ideauH incOnnuS du ︻ e ヨ○昆∽.

Et que tup 空−舛 gO 賢巧 ap ︻釘 te ∽ nOi 遼 menSOngeS −

TOi q ∈ S 弓− en か ant en sai00p − us q ∈わー es mO 具 s 一

︹下線筆者︺

お前の寝床に 夢も無い重い塵眠を 私は求める︑

後悔をまだ知らない窓掛の下に 飛び澄ましてゐる︑

其黒なお前の虚偽の後でお前が味ひ得る あの陳眠だ︑

ま﹁ウノン虚無についてほ 死者よりも遥かに深く知ってゐるお前が︒

︹鈴木信太郎訳︺

マラルメの存在論的裡円像七五

(6)

七六

テル.セ﹃夏の悲しみ﹄では同じnantという言葉がはじめの三行節に見られる︒

Mai ∽ ta Che く e − ure est une ユ≦.町 e ti か de −

OP nOyer ひ anS fri00SOnS −︸抄 me qu − nOuS Obs 監 e

Et tコ︶uくer・Ce Nかant que tu ne cOnnais pa00一

︹下線筆者︺

けれどもお前の髪ほあたたかな川の流れであり︑

そこに ︹私ほ︺ われわれに憑きまとう魂をおののきもせず溺らせ︑

ネ丁ンまたお前が知りもせぬあの︵無︶を見出すのだ!

︹仮訳︺

lネアン二つの詩篇において︑﹁お前﹂とほいずれも放徳無残の娼婦を指すが︑小文字で書かれた︵虚無︶については﹁死

ネアン者よりも遥かに深く知っているL同じ娼婦が︑大文字で書かれた︵無︶についてほまったく了解不可能なのだ︒マラ

ルメの注解者として著名なエミール・ヌーレーは︑ほぼ同じ時期に同じ素材について書かれた二つのソネのなかの︑

同一の用語についてみられるこの相反的な関係が気になったらしく︑﹃不安﹄の詩句に注をつけて︑次のように言っ

ている︑ − ﹁一見そうみえるにもかかわらず︑この詩句と﹃夏の悲しみ﹄の詩句との問には︑いかなる矛盾もない︒

なぜならネアンという言葉の意味が両者の問でほ正反対だからだ︒ここではそれはすべての彼岸的なものの全面的な

不在のことを暗示しているが︑あちらでほ︑きわめて強い絶対を意味している﹂︒

しかしこれでは︑ネアソをめぐる二つの詩句の矛盾をさけるためには︑そうした解釈が必要になってくる︑と言っ

ただけのことで︑このような注をあえて書く人間のマラルメへの了解の可能性さえうたがぁせる皮相の見解である︒

ネ丁ソこの二つの詩句において︑ネアンという言葉ほ︑決して正反対の意味を示しているのではない︒ただ小文字の︵虚無︶

ほ存在的︑経験的な次元でのこの言葉の意味であり︑娼婦がそのみじめな生活のなかで︑死者たちよりもふかく味い

知らねばならない︑現実世界の虚無︑むなしさ︑無価値性・無益性である︒娼婦はいわばその放徳の肉のなかに︑存

ま﹁丁ン       ネアン   ヽヽ在的︑経験的な︵虚無︶を体現しているが︑ただしこの︵虚無︶の意味を了解することは彼女の仕事でほない︒﹃夏

ネアンの悲しみ﹄の三行節にみられるように︑娼婦の髪に︑娼婦自身にほ了解不可能な大文字の︵ネアン︶︑つまり︵無︶

を抽象する作業こそ詩人の仕事である︒大文字の︵ネアン︶ほ︑詩人の意識の抽象作用によるこの単語の存在論的な次元への転位をあらわすものである︒

︵ネアン︶という言葉の︑こうした小文字から大文字への移りゆき︑存在的次元から存在論的次元への転位は︑こ

の二つの詩篇の制作につづく時期の︑マラルメの書簡のなかにも検証することができる︒次に引用の文字は︑一八六

五年一月ごろのものと推定されるトゥルノン発のカザリス宛の手紙の一節である︒当時マラルメはトゥルノン中学の教師として相変らず生活の不如意に悩んでいた︒

﹁⁚・ぼくは自己嫌悪を感じている︒ぼくほ自分のふやけた生気のない顔を見ると︑鏡の前で後ずさりする︒そし

て自分を空虚だと感じて涙をながし︑どうしようもなく空自な原稿の上にただの一語も投ずることができない︒

二十三歳にして︑老人で︑終ってしまっている︒ぼくが愛する人たちはみんな︑傑作を生む齢いにあって︑光と花々のなかに生きているというのに! そしてぼくが取るに足る人間であって︑何一つ残さないとしても︑ぼくを拉し

去った︵運命︶だけが責められねばならぬと︑君たちみんなに信じこませることもできたかも知れぬ死という手段さえ持っていないとほ!

たしかにすべてのことがぼくの虚無mOnnantに手を貸したのだ⁚・﹂︵ほ︶︒

︵ぼくの︶mOnという人称格によって規定されたこの︵ネアン︶は︑存在的︑経験的次元におけるこの言葉のも

つすべての意味をあらわしている︒生活の空虚感︑自己嫌悪からくる無気力︑不能性⁚・︒

さらに注目すべきことは︑この一節には︑存在的な自分の虚無を人目に対しておおいかくt︑自分の一生に﹁取る

マラルメの存在論的肖像七七

(7)

七八

にたるもの﹂という外見を与え得る唯一の可能性としての︵死︶を︑青年マラルメがすでに意識していることがはっ

きりと読みとれる︒これほ︵自己欺瞞︶ の意識態度の予兆である︒

しかし︵自己欺瞞︶は︑やや時をへだてて︑一八六六年四月に︑同じくカザリス宛に書かれた︑たびたび引用され

ネアンる有名な書簡のなかに︑その存在論的な構造を全面的にあらわにする︒そこでほ︵ネアソ︶ほ大文字の︵無︶とな

ってあらわれている︒

﹁⁚・不幸なことに︑詩句をここまで深く究めることによって︑ぼくは二つの深淵に出遭い︑絶望させられた︒その

ネアン一つほ︵無︶Nantであって︑ぼくほ仏教を知ることもなしにそれに到達したのだが︑いまなおあまりにも荒涼と

ポエジーした気持でいるために︑自分の詩を信ずることもふたたび仕事をはじめることもできないでいる︒その圧到的な想念

がぼくに仕事を放棄させてしまったのだ︒

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽそうだ︑ぼくほ知っている︑われわれが物質のとるむなしい形態にすぎないことを︑しかしそれほなかなか崇高な

形態であり︑︵神︶とわれわれの魂とをつくり出したのだ︒友よ︑それはきわめて崇高な形態なので︑存在の意識を

もちながら︑しかも存在しないことを承知している︵夢︶のなかへ何が何でも身をおどらせ︑︵魂︶を︑そして幼少

‖ノアン期以来われわれの内部に積みためられてきた同じく神聖な諸印象を唄い上げ︑それこそ真実である︵虚無︶を前にして︑あの栄光にみちた虚偽を宣言するという︑物質の演ずるあのお芝居を︑ぼくほ自分のために上演したい気持にな

っている︒

ぼくの抒情的な著書の計画とはこのようなものであり︑おそらくその表題は︑﹃︵虚偽︶の栄光﹄あるいは可栄光にみちた︵虚偽︶﹄とでもいうようなものになるだろう︒

十分に長生きできたとしての話だが⁚﹂︵誓︒

ネアンみられる通り︑ここでは︵ネアン︶は大文字の︵無︶とあり︑﹁仏教も知らずにそこに到達した﹂という言葉の明

示する通り︑その意味ほ存在論の次元のものである︒﹁詩句をここまで掘り下げることによって﹂とあるのほ︑直接

的にはこの手紙に先立つ三箇月の間︑かかりきっていた ﹃エロディアード﹄ のことであるが︑それ以上に︑︵理想︶

と︵夢︶とを非在の世界に追いもとめる過去数年の一貫した詩作の努力の果てに︑ここに到って︵ネアン︶が︑一

ネ丁ン八六五年一月の手紙に見らたような︑人称格に支配された存在的︑経験的な次元の︵虚無︶から︑存在論的次元の

ネアン︵無︶ へと一挙に転位したのだ︑と考えてよいだろう︒この次元的な転位を︑サルトルの言葉を借りていえばこうな

る︒﹁︹人は︺まず事実性から出発するが︑やがて突如として現在のかなたに︑人間の事実的条件のかなたに︑心理的な

もののかなたに︑要するに形而上学のただなかに立っている自己を見いだす︒﹂

ネアンたんに︵無︶という言葉のみならず︑上記に引用のカザリス宛書簡の一節は︑そのみじかい文言のうちに︑﹃存在

と無﹄第一部﹁無の問題﹂第一章﹁否定の起源﹂および第二茸﹁自己欺晒﹂におびただしい言葉をついやして記述さ

れている存在論的人間論の重要な構造をすべて包含していると言い得るだろう︒

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ天性の資質として﹁存在の意味の問いかけ﹂の原本性を見うしなうことのなかった普遍性の天才マラルメは︑存在

T∴/的︑経験的な実生活上の不遇に裏づけられた ︵否定︶ の経験を経て︑小文字の ︵虚無︶︑つまり生の無意味︑無気

︑ネアン       よ﹁アンカ︑不能性の果てに︑大文字の ︵無︶つまり人間存在の本質としての︵無︶に到りついた︒そのとき彼は︑﹁われわ

れが物質のとるむなしい形態にすぎないこと﹂ つまり物質の先在性を確認する︒この直感を﹃存在と無﹄第一部のサ

ルトルの言葉に置きかえると︑たとえば次のようになるだろう︒

﹁無ほ︑論理的にいって︑存在よりもよりあとにくるものである︒﹂

﹁存在は無に先行するものであり︑無を根拠づける︑ということである︒それによって理解しなければならないこ

とほ︑単に︑存在ほ無に対して一つの論理的な優位をもっている︑ということだけではなく︑無がその効力を具体的

にひきだしてくるのほ存在からである︑ということである︒﹂

﹁無ほ存在を根枕としてしか自らを無化することができない︒無が与えられうるのは︑存在の以前にでもなければ

以後にでもない︒また一般に存在の外においてでほない︒無が与えられうるのほ︑まさに存在のふところにおいてであり︑存在の核心においでであり︑一びきの虫としてである︒﹂.eC⁚・

マラルメの存在論的肖像七九

(8)

八〇

物質の一形態にすぎないが︑われわれ人間存在ほ﹁なかなか崇高な形態であって︑︵神︶とわれわれの魂をつくり

出す﹂というマラルメの書簡の条りを﹃存在と無﹄の言葉に置きかえれば次のようになるだろう︒

﹁人間を︽とりまく︾存在のただなかに︑人間が出現することによって︑はじめて一つの世界があらわになる︒け

れども人間のかかる出現の本質的で原初的な契機ほ︑否定である︒⁚・すなわち人間ほ︑無を世界に到来させる存在

である︑ということである︒﹂

‖リアンさらに︑︵夢︶のなかに身をおどらせ︑︵魂︶と神聖な諸印象を唄い上げること︑つまり︑真実に外ならぬ︵虚無︶

を前にして︑﹁あの栄光にみちた虚偽を宣言する﹂という条りは︑﹁栄光にみちた﹂という形容句が示す通り︑︵価値︶

にかかわる言表である︒ここに含まれた意味を︑サルトルの存在論の用語で解釈すれば次のようになる︒

﹁⁚・諸価値は一つの根拠をもとめる要求である︒しかしかかる根拠ほ︑いかなる場合にも︑存在ではありえない

だろう﹂︒

﹁⁚・価値ほ︑価値を価値として認めるという事実だけで︑それを価値として存在せしめるような︑一つの能動的

ヽ ヽ ヽ ヽな自由に対してしか︑開示されない︒したがって︑私の自由ほ諸価値の唯一の根拠である︒何ものも︑絶対に何もの

も︑私がこれこれの価値︑これこれの基準を採用するときに︑その正当であることを保証してはくれない︒諸価値を

存在せしめるのがこの私の存在であるかぎり︑私の正当性を保証してくれるものは何もない︒そこで私の自由は︑私

が諸価値の根拠なき根拠であることについて︑不安をおぼえる︒﹂

正当性の裏づけを存在界にもたぬ諸価値を価値として存在せしめる︑能動的自由とは︑たとえていえば︑預金の裏

づけをもたぬ小切手をふり出す虚業家のようなものだ︒それが不渡りになるかならぬかは︑その自由の能動性そのも

のにかかるだろう︒マラルメが言う﹁栄光にみちた虚偽﹂とは︑虚業家としてのこの人間の自由の栄光と悲惨の謂で

ある︒

ヽ ヽ諸価値の根拠がわれわれの外なる絶対の他者としての︵神︶に支えられた時代ほたしかにあった︒しかしマラルメ

はニーチェと同時代人であり︑神々の死の自覚こそ︑彼の精神に打たれた時代性の刻印であった︒彼は︵神︶とて所

詮物質の崇高な一形態であるわれわれ人間存在がつくり出した虚妄の価値の一つにすぎぬことを確信していた︒この

ように存在論的自覚の徹底した人間は︑人間の自由が諸価値の根拠なき根拠であることからくる存在論的不安を︑全面的に引受けねばならない︒無根拠の諸価値を支える自由存在としての人間の栄光とは︑護教神学の大家パスカルが

まさしく﹁人間の悲惨﹂とみたものと別のことではない︒このとき︑︵不安︶が人間の原本性の検証となることほ︑

自明でほないか︒サルトルほこのことを︑﹁不安は︑自由そのものによる自由の反省的把捉である﹂ と語っている︒

神の不在を引受けた人間にとっては︑この︵不安︶こそ人間存在の誇らしい栄光の証しである︒マラルメが︑自分の

やがて書き上げるはずの抒情的古物の表題が︑﹃虚偽の栄光﹄あるいは﹃栄光にみちた虚偽﹄となるだろうというと

き︑彼ほ人間存在の存在論的構造を︑確実に︑根概的に把捉していたはずであり︑この人問の存在論的構造のみを自

分の作品の主題とすることを約束しているのである︒マラルメほ自分の選択として︑存在論的不安を全面的に引受け

たことになる︒一八六六年から﹃イジチュール﹄執筆の六九1七〇年ごろまでの数年問の︑カザリス︑オーバネル︑

ルフェビュールその他の友人宛の書簡は︑不安と自情の交々する︑純粋に内面的な披潤の記録として稀有のものであ

る︒

しかしかかる不安ほ︑それが人間の存在論的原本性にかかわるものであるから︑﹁われわれは不安を抹殺すること

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽはできない︒﹂こうした不安を逃れようとすれば︑われわれ自身に外ならぬ不安をわれわれに対して蔽う︑という撞

着的な態度におちいらざるを得ない︒へ自己欺晒︶とは︑まさしくこの人問存在の存在論的構造にふかく根ざした人

間的意識態度である︒﹃存在と鱒﹄第一部第二章﹃自己欺瞞﹄は全面的にこの意識構造の記述にあてられている︒﹁問

テイカジスムいかけLの徹底性を︑その天性の資質として見うしなうことのなかったマラルメは︑このような存在論的構造にふか

く根ざした︵自己欺晒︶の意識態度を︑意識の基調としてもちつづけなければならなかった︒l八八六年四月のカザ

リス宛の書簡にもこのことほ明瞭にあらわれている︒マラルメの︵自己欺隅︶の構造は︑引用部分の最後の一行には

っきりと読みとれる︒﹁ただし十分に長生きできたとしての話だが⁚・﹂という一行である︒

手紙の文脈のなかで︑この一行の意味を辿り直せば︑自分の未来の仕事となるべき﹃虚偽の栄光﹄あるいほ︒栄光

マラルメの存在論的肖像八一

(9)

八二

にみちた虚偽﹄と題する ︵それが人間存在の壮大な存在論的ドラマをめざすものであることほすでにみた︶抒情的な

書物が︑書き上げられるかどうかは︑天がそれを成就するに足る寿命をわれに貸しあたえるか否かにかかる︑という

ことになる︒逆に言えば︑十分な天寿が与えられなければ︑書物ほ書き上げられないだろう︑というのだ︒しかしこ

ネアン       ネアンのような考え方ほ︑聾者が前に︑小文字の︵虚無︶︑つまり存在的︑経験的な次元でのマラルメの︵虚無︶を検証す

るために引用した︑l八六五年一月のカザリス宛の書簡の一節を想起させないだろうか︒あのときマラルメは自分の

生活を領している無気力︑無益性︑不能性をなげいたあとで︑﹁何一つ残さずとも︑友人たちに︑自分が取るに足るも

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽのであった﹂と信じさせる可能性をもつ︵死︶という想念のことを語っていた︒つまり天才の天折あるいほ早すぎる

死︑というイメージである︒彼ほこの想念につよい魅力をおぼえながら︑しかも︵死︶という手段を自分ほもち合せ

ていない︑となげいていた︒﹁ただし十分に長生きできたとしての話だが﹂という一年余りの後に書かれるこの言葉

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽが︑天才の天折というテーマのヴアリアントであることは見易い道理であろう︒ただし︑六五年一月の手紙でほ︑こ

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽの天才の天折というテーマに心を惹かれる自己の意識の欺瞞性を彼はきわめて明晰に自覚していた︒だからこそ︑

﹁死という手段﹂を彼は持たなかったのである︒しかし︑じつは︑人間存在にとって︑天折であろうと長命であろう

と︑︵死︶はいつか確実に人をおそうものである︒それで︑或る人間が生涯をかけても実現不可能なような大志をい

だき︑同時に︑その実現に向っての全存在をあげての努力を日々に怠らぬ場合︑たとい百歳の齢いを重ねるにしても︑

その人の死ほ夫折と似た哀惜の思いを人びとに残すであろう︒マラルメの場合︑その志の高さ︑大いさについてほ︑

彼自身にとっても︑また彼を知る知友たちの側にも︑疑念の余地はなかった︒その大志とは︑マラルメ白身の口を借

ヽ ヽりていえば︑﹁地上のオルフェウス的解明﹂に外ならぬ一冊の︵書物︶ の完成であった︒その志がこのように実現不

ヽ ヽ可能な高次のものであるかぎり︑そしてそれをいだくものの生活がその志の実現のためにいささかの妥協もなく賭け

ヽ ヽ ヽ ヽられていることについて疑念の余地のないかぎり︑︵死︶はいつその当の人物をおそうとも︑それはつねに早退ざる

死のイメージを残すであろう︒

﹁⁚ニ﹂の︵著作︶が構成される五巻の書物を作るにほ︑二十年の歳月が必要だろう︑と私は見越している︒﹂︹オ

ーバネル宛︑一八六六年七月二十八日消印︺

エスキス﹁⁚・︵著作︶と言えば︑私は今︑その全体的な粗描を書いているところだが︑これは︑もし私が生き永らえたら︑

すばらしく壮大なものとなり得るだろうか⁚・︒﹂︹オーバネル宛︑同年八月八目消印︺

﹁⁚・私にほ十年の歳月が必要だ︒その歳月が私に残されているだろうか⁚・︒L︹カザリス宛︑一八六七年五月十

四日︺︵以上の手紙の引用ほ松重三郎訳による︒︶

一八六六年以後のマラルメの書簡に散見するこうした言葉ほ︑一方に計画中の壮大な著作の︵夢︶を語り︑同時

に︑その︵夢︶の著作の実現のために必要な︑十年︑二十年︑あるいは不特定の永い未来の歳月を語る︑という共

通のパターンを示している︒このパターンは︑その後三十年に余る彼の生涯を通じてみられるだろう︒

一八九八年九月八日︑マラルメはヴァルヴァソの別荘で咽喉けいれんの発作におそわれた︒彼は結局︑翌朝︑同じ

発作のために息を引きとるのであるが︑その発作が小康を得た束の間を利用して︑彼はおびただしい未定稿の処理に関して︑妻および愛娘ジュヌヴィエーゲにあてて遺書をLたためた︒

彼は︑生涯かかって書きためたそれらのノートから何ごとかを引出せるのは︑自分ひとりのほずであり︑もし晩年

の幾年かが自分の思惑を裏切らなかったら︑その何ごとかを成就できたであろうに︑と語る︒そしてそれらの草稿を誰の眼にも触れさせてほいけない︑と言いおいた後に︑次のように告げる︒

﹁⁚・か弱い者たちよ︑一人の芸術家の誠実な全生涯に︑そこまでの敬意をほらうことができるかけがえのない人

である君たちだけは︑それがきわめて美しいものになるはずだったことを信じておくれ︒﹂︵14

ながいちゅうちょの後に︑エドモソ・ボニオは︑このおびただしいノートの中から一九二五年に ﹃イジチュール﹄

を発掘して発表し︑ジャック・シュレールは︑同じ文反古のなかに︑いわゆる︵著作︶︑︵書物︶ の構想をうかがぁ

せる未定稿を追跡して︑一九五七年に﹃マラルメの︵書物︶﹄なる仕事を世に送った︒それでわれわれは今日︑マラ

ルメの残した草稿が何であるかについて︑大体の概念をもつことができるのである︒それほ実現不可能な︵夢︶ の

亡骸︑といった趣きのものである︒

マラルメの存在論的肖像八三

(10)

八四

筆者がある時期以後のマラルメの意識の基調に︵自己欺瞞︶を見ることに︑世のマラルメ訂好宏はひんしゅくしな

いで欲しい︒それは︑じつほ︑存在的︑経験的次元における絶対の誠実と矛盾しないどころか︑むしろそれを前提と

しているのだから︒じじつ︑マラルメの生涯は︑人の子の父としても︑友人としても︑師としても誠実そのものであ

った︒とりわけ︑芸術家として︑詩人として︑彼よりも誠実な生活を貫徹させた人は考えられぬであろう︒︵自己欺

ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ肺︶とは︑あくまで存在論的次元の言葉である︒定義によって実現不可能な︵夢︶の実現に一生を賭ける人ほ︑そ

のことによって︵自己欺晒︶を引受ける︒よみその労を嘉して台座を下りてみずからの手で汗をぬぐい給う聖母マリアの前で︑演技をつづける老残の手品肺パル

ターザールほ︑苗劇役者であっても悲劇役者ではない︒しかし不在の︵神︶の前で︑つまり宇宙的な規校の︵不在

性︶ の前で︑永遠の演技をつづけるマラルメは︑悲劇の人である︒この悲劇ほ︑じつほ︑︵死︶を自覚していること

ヽ ヽ ヽによって他の凡ゆる諸存在とみずからを区別する人間存在に内在する︑普遍性のものである︒↓⁚フルメはこの天性の

ヽ ヽ ヽ資質にうながされて︑この普適性の悲劇を果てまで生きた︒︵自由︶を果てまで担い通すとき︑人間は︵不在の神︶

パションの道化師となるほかはない︒サルトルがあの雄渾な存在論的構築を︑﹁人間とは︑ついにむなしい受難である﹂とい

う言葉によって閉じたとき︑彼はこのこと以外のことを語ったのでほなかった︒

︵一九七五年秋︶

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﹃ヴァリュテ﹄Ⅱ所収﹃ステファヌ・マラルメ﹄︒

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︵7︶

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以下︑﹃存在と無﹄第一部﹃無の問題﹄第二革﹁否定の起源﹂および第二童﹁自己欺瞞﹂からの引用文はすべて︑人文書院刊﹁サルトル全集﹂所収の松浪信三郎氏の訳文を使用させていただいた︒

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マラルメの存在論的肖像八五

参照

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