尾上柴舟の実践的古筆学−高野切と類筆の和漢朗詠 集について−
著者 村山 美恵子
雑誌名 國文學
巻 97
ページ 35‑51
発行年 2013‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/9213
序 尾上柴舟の実践的古筆学
l高野切と類筆の和漢朗詠集についてI
ほとんど差異のない書体のものとして︑御物桂宮旧蔵万葉集と
巻子本和漢朗詠集︵雲紙本和漢朗詠集.または伝行成筆御物雲
紙朗詠集︶及び関戸氏和漢朗詠集︵関戸家色紙朗詠集︶︑更に︑
宇治平等院鳳風堂の扉の色紙形︑前田家蔵の伝藤原公任筆の北
山抄を挙げている︒
残る古今集巻十八︑巻十九の高野切第三種の群と酷似のもの
として︑帝室御物︵粘葉本和漢朗詠集︶及び近衛家蔵の和漢朗
詠集︑その他諸鹿に法輪寺切と言われている類と︑元暦校本万
葉集の巻一と巻二︑ことに巻一に於いて多くの類似を発見する︑
とし︑次に松浦家蔵の五首一紙を挙げている︒
ここで注目すべきことは︑第一︑第二︑第三種すべての商野
切と類似の筆跡に︑各種和漢朗詠集が挙げられていることであ
る︒
村山美恵子
35
尾上柴舟は︑﹁水斐﹂大正十年七月号に﹁古今和歌集の古写
本﹂と題して︑伝貫之筆高野切古今和歌集が︑三人の手によっ
て書かれていることと︑そのそれぞれの高野切と類似の華跡で︑
且つ書写の時期推定可能な古写本を挙げることに依って︑高野
切は貫之より後の時代に書かれたものであり︑貫之筆でないこ
とを立証している︒
即ち︑古今集巻一︑巻九︑巻二十の高野切第一種は︑原氏蔵
の和漢朗詠集︵大字和漢朗詠集︶︑と筆致が全く同一であり︑同
人の華と見倣されるとする︒類似の兼跡として︑本願寺旧蔵の
深窓秘抄を挙げている︒
次に古今集巻二︑巻三︑巻五︑巻八の高野切第二種の群と︑
そこで︑ここでは︑和漢朗詠集と高野切の双方に所収の古今
和歌集歌を抄出し︑同一歌について︑その筆跡の類似性につい
ての確認をしてみることにしたい︒
H
Aこれらの中から高野切第一種︑即ち古今集巻一︑巻九︑巻
二十に該当する歌は次の十七首であるが︑この中で高野切に現
存は七首︑大字和漢朗詠集に現存は一首のみであった︒
歌番号と初句の間に大字和漢朗詠集に現存は②︑高野切に現
存は③を記しておく︒三1⑨としのうちに七2⑥袖ひちて
四 八 五 4 9 5 六 二 三 2 6 0 三 二 6 7 一
一 L 一 、 四 、 ○ 、 一
ノ、
− 9 0 5 八 七 ○ 3 2 5 六 三 1 9 6 六 一 三
、 八 、 四 、 七
low堂852六387三297四三169三53
, 八 、 一 、 、
、一、
=九七61'二三三265四モ'31三 空 蝿 七 七 一 五一 、 五 = 、337七二207一
八 4 0 6 』 七 、 五
lW7嘉卿八上呈312二一蝿五55ノ 、 ノ 、 、 、
耐尚'1W耐黒''8三1鮒室、 一
言蝦塑維幽;z;、
孟闇蝿螺孟蝿鑑雌J − 鴬−確、幽−明,型1,1m1
1063些1,元351X211窪'61画
36
さて︑上下二巻からなる和漢朗詠集は︑漢詩文凡そ五八七首︑
和歌凡そ二百十七首を収録しているのであるが︑その和歌の中
で古今和歌集からの収録は六十二首である︒但し︑﹁六六四難
波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花﹂の一首
は︑古今和歌集序にあり︑歌番号は付されていないためにここ
では対象外とし︑六十一首の中で︑三種の高野切と類似筆跡と
される同一作品を探る為に︑国家大観による和漢朗詠集六十一
首の歌番号とそれぞれの古今集の歌番号を挙げると︑次の一覧
のようになる︒和漢朗詠集中の歌番号を漢数字︑当該古今和歌
集歌番号を算用数字で示した︒
また︑これらを高野切三種に分類する都合上︑作品は古今和
歌集の歌帯号順に並べておくことにする︒
三1︑七2︑七八3︑一六岨︑四二七型︑一一
○妬︑三二六皿︑一○○詔︑二八似︑五一九︑
七八一一ハ
四二七一一○
一一一一一一ハ
一○○二八
五一九一一一一一一
一二五六三○
一ハ一一一二四
六四七
三九二
10774096761565553444138312624123
①
⑨ ⑨ ⑧ ⑧ ⑨ み ほ わ さ み 見 世 年 春 君 I ま あ と 谷 春 u I の が く わ て 中 を の な る を き 風 霞 に ぼ や ら た の へ 夜 ら が や l ま に は の ど 花 せ み て の で す ぎ な
と の ば や へ み の る︵年ごとに︶
②︑を初句の上に記す︒
一七三剛⑬⑳さっきまつ
一五五剛⑳⑳夏の夜の
一八一筋⑳②はちすぱの
二九九W③⑳③ちりをだに
三○五畑③⑬⑳しらつゆも
三四四施③⑳②たがための
二七二湖⑨⑳⑳久方の雲の
五五三油⑧⑭⑳ぬれてほす
二七三⑧⑳心あてに
三一六剛③⑳②見る人も
三三七池③⑲⑳ゆふづく夜
六四○獅⑧⑳③いのちだに
C和漢朗詠集中の高野切第三種︑即ち古今集巻十八︑十九に
該当する歌は次の五首であった︒最後に並べた古今集蝿番歌は
法輪寺切和漢朗詠集歌であるが︑粘葉本和漢朗詠集を底本とす
る国歌大観には未収録の為︑朗詠集の歌番号はない︒
高野切に現存は⑨︑近衛家本和漢朗詠集に現存は⑰︑粘葉本
和漢朗詠集に現存は⑱︑法輪寺切には⑳を初句の上に記したが︑
37
B高野切第二種︑即ち古今集巻二︑巻三︑巻五︑巻八に該当
する歌は次の十二首であり︑関戸本和漢朗詠集はすべて現存す
るが︑雲紙本朗詠集は十一首︑高野切は九首であった︒高野切
に現存は⑧︑関戸本朗詠集に現存は⑳︑雲紙本朗詠集に現存は
歌を挙げて︑筆跡にっ
高 野 四 七 二 五 切
* 六 六 三 六 ( ま 二 九 三 三 首 M2106710631015州、
斗岨︾極地係迄世は汎陀
では︑順次吉回野切と和漢朗詠集の同一
いて見ていくことにする︒
大字和漢朗詠集三二六番歌︑荷耶作児僻叩桶
えが畑
はるかすみたつをみすて︑ゆくかりの花なきさとにすみやな
徴らへるいせ 鰯ならへる
ロ
粘葉本は四首︑法輪寺切は一首であった︒
⑰⑱山里は
③⑱むつごとも
⑨⑱なにをして
⑰⑱わびしらに
⑨⑬世中は
A高野切第一種と大字和漢朗詠集の同一歌は次の一首のみの
比較である︒
高野切古今和歌集三一番歌
かへるかりをよめるいせ
肘可作多
娩又が#はるかすみたつをみすて︑ゆくかりははな︑きさとにすみや B高野切第二種については︑HBに於いて調べた高野切現存九首につき︑順次︑和漢朗詠集の同一歌を並べて比較することにする︒
①高野切古今和歌集一六七番歌
図
1 は酷似し特に﹁ゆ﹂の運筆が全く同一である︒ ﹁ゆくかりの﹂と助詞も異なっている︒しかし︑﹁ゆく﹂︵図2︶ 名が混じり︑三句は高野切の﹁ゆくかりは﹂に対して朗詠集は 同様であり︑筆跡も酷似している︒二句以降は字母の異なる仮 両者を見比べると︑初句﹁はるがすみ﹂︵図1︶は字母も全く
多作
E典刊毛可
ちりをたにすゑじとぞおもふさき︲しよりいもとわかぬると
鰯こなつの花
関戸本朗詠集二九九番歌
j i
;
は〆恢I
災みつね
M i
》
人 ,
38
多作L棚心可ちりをたにすゑじとぞおもふうゑしよりいもとわかぬると
肘躯こなつのはな蛎恒
雲紙本朗詠集二九九番歌多作E柳毛可ちhソをたにすゑじとぞおもふうゑしよりいもとわかぬると罪荷こなつのはな鰐恒
まず︑高野切と雲紙本の初句の連綿体が酷似している︒三首
共︑二句の﹁おもふ﹂︵図3︶の﹁も﹂を﹁お﹂にかけて長く斜
めに引いた筆跡に特徴を見出せる︒三句は古今集が﹁さきしよ
り﹂であり︑朗詠集はいずれも﹁うゑしより﹂と表現が異なっ
ているものの︑﹁より﹂︵図4︶の錐跡は同一で︑﹁り﹂に特徴が
ある︒又︑﹁いもとわかぬる﹂も酷似している︒ ②高野切古今和歌集二六○番歌
史つらゆき
瞳巴多E多耽しらつゆもしぐれもいたくもるやまはしたばのこらずいる
堂がづきにけり
関戸本朗詠集三○五番歌
唾LL鯵散しらつゆもしぐれもいたくもるやまはしたぱのこらずいる
史鯨
づきにけり貰之
雲紙本朗詠集三○五番歌
EEE淀移しらつゆもしぐれもいたくもるやまはしたばのこらずいる
又鉱
づきにけり貫之
それぞれを比べると︑高野切の初句﹁し﹂は独立しているよ
うであるが︑﹁らつゆ﹂︵図5︶の連綿体は三種酷似している︒
また︑関戸本和漢朗詠集と雲紙本和漢朗詠集の﹁いたくもるや﹂
迄の連綿体は︑全く同一であり︑﹁い﹂︵図6︶に特徴があり︑
高野切では﹁いろづきにけり﹂の﹁い﹂︵図6︶に用いられてい
る︒﹁のこらず﹂︵図7︶は3首共酷似している︒
ここでは︑字母の異なる部分のあることと︑関戸本和漢朗詠
集は︑行間が狭いことで一見別誰のような印象を受けたが︑共
通点を見出し得た︒
39
磁
為澱
、 図
し16. , 宍
v
〉
図7 図5
('(
童 差
叩釧ちかくすらむ
関戸本朗詠集三四四番歌 図8
b
③高野切古今和歌集二六五番歌
値能きのとものり多可姥永荷吋支多たがためのににしきなればかあき︑りのさほのやまべをた
v
〉
7謎息 静可麓が
稀町奥敗保界りたがためのににしきなれぱかあき︑恥ソのさほのやまべをた可#ちかくすらん
雲紙本朗詠集三四四番歌可砂永堂肘町支
脈診
たがためのににしきなれぱかあき︑hソのさほのやまべをた叩蝋ちかノ︑すらん友則
高野切と関戸本の初句﹁たがため﹂︵図8︶の筆跡は同一であ
るが︑雲紙本は﹁たがた﹂の﹁た﹂の文字の前後を入れ替える
と︑同一筆跡となる︒作者が楽しんで入れ替えて普いたのかも
しれない︒﹁あき鼠りの﹂︵図9︶の連綿体は関戸本の﹁り﹂が
やや短いが筆致は類似している︒初句の字形は高野切と関戸本
が同一であり︑結句の﹁らん﹂は関戸本と雲紙本が同一字形の
関連性を持つ錐跡である︒
御趣殉
40
の
図9
関戸本朗詠集二七二番歌恋叩多錐毛が匙処ひさかたのくものうへにてみるきぐはあまつほしとぞあや
介葡またれける敏行
雲紙本朗詠集二七二番歌懇叫妙麓睡が災ひさかたのくものうへにてみるきぐはあまつほしとぞあや夢介罰またれける敏行
これらの三首を見るとき︑関戸本の行間が詰まり︑それぞれ
字母の異なる部分があるが︑初句の﹁ひさかた﹂︵図皿︶と四句
の﹁ほしとぞあやま﹂は三首共に酷似している︒特に﹁ほし﹂
i
具⑤高野切二七三番歌
散能
窓耶職
ぬれてほすやまちのきくのつゆのまにいつかちとせをわれ例かはへにけむ
関戸本朗詠集五五三番歌
戟
姥が叩叩折
ぬれてほすやまちのきくのつゆのまにいかてかわれはちよ
をへぬらむ素性
雲紙本朗詠集五五三番歌
慨敦雌能加叩咽ぬれてほすやまちのきくのつゆのまにいかてかわれはちよ 図灯
砺珂︲も
〃
④高野切古今和歌集二六九番歌継可多毛能が災ひさかたのくものうへにてみるきぐはあまつほしとぞあや秒.介倒またれける ︵図︑︶﹂の﹁ほ﹂には三首に共通の特徴が見られる︒又︑雲紙本と高野切との結句﹁あやまたれける﹂は筆継ぎの位置が異なるが筆跡は同一と見倣されよう︒
11
〆 一 〆 一 ・
: ' 1(1
差ラー
︑
弓
41
図側
一 ナ ー 図F
i 1 2 B︶の﹁ゆ﹂の筆法に︑三首共通の特徴を見出せる︒ まち﹂︵図廻︶の﹁や﹂と﹁ま﹂の位置︑及び三句の﹁つゆ﹂︵図 に﹁いかでかわれはちよを﹂と表現が異っているが︑二句の﹁や 高野切の下句﹁いつかちとせをわれは﹂に対し︑朗詠集は共 をへぬらん素性
琴 言
卿
︒卜L︸︽皿咽/ノノ︽︾・︲︲﹃︲
一・一》図
.。13
〈>Z〉
⑥高野切古今和歌集二七七番歌
7℃於其慨こ︑ろあてにをらばやをらんはつしものおきまどはせるし
何鮒らぎくのはなみつね
関戸本朗詠集二七三番歌
守谷毛於又憐制こ︑ろあてにをらぱやをらんはつしものおきまどはせるし
荷脇らぎくのはなみつね 雲紙本歌は見当たらず︑二首の比較となるが︑関戸本は︑行間が詰まっていることと︑冒頭︑初句の﹁こころあてに﹂の﹁ろ﹂の形が異なることと︑墨の含ませ方がやや多く︑別筆のような感じを受けるが︑よく見ると︑﹁あてに﹂﹁をらぱ﹂﹁をらん﹂﹁はつしもの﹂の連綿体は全く同一である︒又︑﹁しらきく﹂︵図u︶の﹁き﹂の下部を大きく離して描きその間に﹁く﹂を挟み込むように描く筆法に特徴があり︑和漢朗詠集未収録ではあるが︑古今和歌集歌では⑥に続く二七八番歌﹁いるかはるあきのきぐをば﹂の﹁きく﹂も同様錐法である︒
また︑ここでは字形の異なる関戸本歌初句﹁こころ﹂の﹁ろ﹂
︵図賜︶の文字は︑高野切古今和歌集二五九番歌﹁あきのつゆい
ること/︑に﹂の﹁ろ﹂︵図巧参考︶と全く同形にて響かれてい
る︒筆者は時に応じて書き分けていたのであろう︒
一︾ 図帽
燕
42
49
図拓参考:.
■勺
一︵心咋心/︵ぬ
⑥高野切古今和歌集三一二番歌道久雄耳郎久必可龍が父ゆふづくよ坐哲ぐらのやまになくしかのこゑのうちにやあき肌詞はくるらむ
関戸本朗詠集三三七番歌
術7
か蝋ゥり
ふゆふづくよをぐらのやまになくしかのこゑのうちにやあき
はくるらん賀之
雲紙本朗詠集三三七番歌
不示ゆふづくよをぐらのやまになくしかのこゑのうちにやあき
はくるらん貫之
雲紙本和漢朗詠集の料紙の墨色に文字が隠れて判読し難く︑
高野切と関戸本のみを比較すると︑初句の﹁ゆふつくよ﹂の﹁つ
くよ﹂︵図略︶の連綿体と︑二句の後半﹁のやま﹂︵図⑲︶の 図一柏
jj⑦高野切古今和歌集二九七番歌
出つらゆき
笈必毛邸唱脈
みるひともなくてちりぬるおくやまのもみぢはよるのにし
きなりけり
関戸本朗詠集三一六番歌
災退
於E波雌か
みるひともなくてちりぬるおくやまのもみぢはよるのにし翼刊里
きなりけりつらゆき
雲紙本朗詠集三一六番歌
毛於
能喧涜臆が
みるひともなくてちりぬるおくやまのもみぢはよるのにし
蟻判
きなりけり貫之
関戸本和漢朗詠集歌は︑改行した文字が前の行の文字と重な
っている部分があり︑一首の姿が異なるような印象を受けるが︑
﹁みる﹂は高野切の筆致と類似している︒又︑﹁ちりぬる﹂︵図
恥︶は全く同一である︒結句の﹁なりけり﹂は雲紙本の﹁な﹂
の字母が異なるが︑﹁りけり﹂︵図〃︶は同一である︒
図一打
瓢
『 I
jM/1
﹁の﹂の字は異なるものの﹁や﹂に移る筆法に特徴がある︒
両
脇ボボ
C高野切古今和歌集第三種に於いて高野切現存は三首である︒
依って︑その三首を以下に見ていくこととする︒
①高野切古今和歌集九四二番歌い鰯叩可徒じじ畑よのなかはゆめかうつつかうつ︑ともゆめともしらずあり
棚てなければ
法輪寺切和漢朗詠集の歌番号なし可祉作よのなかはゆめかうつつかうつ︑ともゆめともしらずあり ⑨高野切古今和歌集三八七番歌夢小
川f駆
叫叩可糸いのちだにこ︑ろにかなふものならばなにかわかれのかな
心しからまし
関戸本朗詠集六四二番歌
惨か叩那唾祁恥叩叩奈いのちだにこ︑ろにかなふものならばなにかわかれのかな叩としからまし
雲紙本朗詠集六四二番歌
紗
氷叫蛎L
が叩叩町いのちだに︸﹂衝ろにかなふものならばなにかわかれのかな
しからまし遊女白目
字母が異なる為に共通性を見出し難い︒初句︑高野切は一息
郡に書いていて︑﹁に﹂が﹁に﹂であるが︑朗詠集はどちらも﹁い﹂
を離し︑﹁のちだに﹂が連綿体となっている︒そこで﹁のちた﹂ ︵図別︶は酷似している︒﹁わかれ﹂は︑高野切と雲紙本は似ているが︑関戸本の﹁れ﹂のはねが少し長い︒結句の末尾﹁からまし﹂は﹁か﹂と﹁し﹂の字形が異なるが︑﹁ま﹂に特徴を見出せる為に﹁らま﹂︵図創︶を挙げておく︒
鋼
# 篭,
44
③商野切一○六三番歌 図翠 介盤てなければ
字母がかなり異なっているが︑この歌には︑﹁ゆめ﹂と﹁うつ
っ﹂の文字が二度書かれている︒その二度の﹁ゆめ﹂︑特に四句
目の﹁ゆめ﹂︵図塑︶︑と︑﹁しらず﹂の﹁しら﹂︵図鎚︶の﹁し﹂
から﹁ら﹂へ移る筆跡に同華と思われる特徴がある︒
,敏一 一 一 一 一 一
図鎚
!!
②高野切一○一五番歌
大河内鴫恒従Eが介切皇可むつごともまだつきなくにあけにけりいづらはあきのなが
荷してふよは
粘葉本朗詠集二三九番歌
徒厩久永介恥介
荷x能町
むつごともまだつきなくにあけにけりいづらはあきのなが
錠しといふよは鰐恒
字母が異なり︑結句は高野切が﹁ながしてふ﹂であり︑粘葉 本は﹁ながしといふ﹂と表記が異なっているものの︑﹁いづら﹂︵図塑︶︑﹁ながし﹂︵図弱︶等に筆跡の共通性を認める︒
;し>(〉24
*多 爾
齢能毛
なにをしてみのいたづらにおいぬらむと︲しのおもはむこと
えぞやさしき
粘葉本朗詠集七六二番歌
即聯が船雌般なにをしてみのいたづらにおいぬらむとしのおJもはむこと
もやさしく
高野切の方が普き出しの筆がやや太いが︑形の上からは初句
の﹁をして﹂︵図妬︶の連綿体が同形である︒結句は高野切の
﹁ことぞやさしき﹂に対して粘葉本は﹁こともやさしく﹂と︑表
記が異なっているが︑﹁やきし﹂︵図訂︶が同形であり︑﹁や﹂に 図溺浸丞︾︾︾︵︿部︾諮弔︾︾●︒.︲︐︲︽w皿ノーマノー︑JJjJ︐〃IIll91I小叱が︒︾︒〃.・〃舎︲・rジ・﹄︾︒..↑?γ・〆.....︾評露
純よみひとしらす
45
幸 ヤ
0 q以上︑第一種から第三種迄の高野切古今和歌集十三首と︑五
種類の和漢朗詠集からの同一歌をそれぞれ併記して比較して見
ると︑参考図の如く︑いくつかの文字について︑明らかに同筆
の特徴を見出し得たし︑その特徴は他種の同一文字と字形が異 図弱 特徴を見る︒
i I J j i
っている︒
例えば﹁ゆ﹂の筆順は第一種︵図2︶と第二︵図⑬︶︑第三種
︵図犯︶とで異なり︑二種と三種は形が異なる︒﹁し﹂の長さ及
び次の語への移し方も第二種︵図5︶と第三種︵図認︑妬︶は
異なる︒
但し︑当然ながら同一歌であろうとも高野切と和漢朗詠集で
は︑字母の異なる語の組み合わせにより総て同一筆跡の和歌を
見出すことは不可能であった︒このことから︑柴舟が特定の一 まず︑﹁国文学﹂第九十六号に掲載の拙稿﹁尾上柴舟の高野切
︵2︶の研究﹂に於いて引用したが︑﹁和様概説﹂中の﹁尾上柴舟略
歴﹂に︑柴舟は︑高等学校に入学後︑仮名に興味を持ち︑版本
の﹁高野切﹂などの真似を始め︑大学入学後︑﹁桂宮万葉集﹂の
写真を師︑大口鯛二に貰ってその臨模をすることで木版との相
違を知り︑以後﹁関戸本古今集﹂や︑﹁朗詠集﹂等の古筆の臨摸
をしたり︑大口鯛二に伴われ諸家所蔵の実物を見せて貰ったり 首についての一宇一字の比較をしたのではなく︑全体からの異同を見たのであろうことが知られよう︒
高野切の種別と各種和漢朗詠集との同筆関係は今日では︑通
説となっている事実であり︑小松茂美の﹁光学的方法による筆
︵1︶跡個性の発見﹂によると︑顕微鏡や拡大撮影によって科学的に
筆跡の同一性を鑑定しているのであるが︑大正期に︑柴舟が如
何様にしてその識別をなし得たのであろうか︒
その原因についての考察を︑次に並べてみることにする︒
I古筆の臨模
日
46
大正七年より柴舟没の昭和三十二年迄︑柴舟が主宰した短歌
︵5︶誌﹁水斐﹂の表紙に︑古筆切の透写の写真を掲裁した︒大正七
年には高野切一穂二回︑二種一一回︑三首一回褐戦し︑﹁古今和歌
集の古写本﹂発表の﹁水斐﹂大正十年七月号迄に︑高野切と類
筆の和漢朗詠集歌や万葉集歌︑三十六人集よりの抄出歌も褐戦
している︒掲赦に際し︑柴舟は高野切や類似の古写本を度々手
にして掲載歌の選択をしたに違いない︒
柴舟は大正六年に﹃柴舟かな帖﹄を発行しているが︑これは ︵4︶Ⅱ﹁柴舟かな帖﹄の刊行 ︵6︶柴舟は﹁口卿本名華全集古今集﹄の解説に於いて︑第一種高野切については︑
三種の中で︑各字の線僚にも︑形態にも配合にも変化が して︑各種古筆の特徴ともいうべきものを思った︑とある︒
︵3︶更に︑﹁大口周魚先生﹂には
私が先生から教へられましたのは﹁今の字を習ふな︑平
安朝の字を習へ﹂といふことでありましたから︑前に申し
ました桂宮万葉集をかなり稽古しました︒それから色々な
古筆類は写真で先生にみせて頂いたり︑貰ったりしました︒
l略l山脚礼にといって︑三十六人災の写真が来ました︒l
略lこれで色々の流を見て︑急に目が広く開いた気がしま
した︒
とある︒かようにして柴舟は︑大学時代以来平安朝の様々な古
筆写本の臨模をしたり︑実物を見ることによって︑各種古筆の
特徴を知り得たのであろう︒引用文中の﹁三十六人集﹂は︑明
治二十九年に大口鯛二が西本願寺の蔵から発見したのであるが︑
柴舟は︑英詩翻訳の功によりその写真を貰い︑﹁古今和歌集の古
写本﹂に於いて高野切三種と類錐写本の書写年代を探る手だて
ル︶もしている︒ 古今和歌集より新古今和歌集に至るまで八代集︑及び万葉集︑伊勢物語︑山家集から百二十首を選び︑仮名書の手本としたものである︒百二十首のうち五十首は古今和歌集であり︑その手本として高野切も臨模したことであろう︒
Ⅳ各古写本の筆跡等への詳述 Ⅲ﹁水斐﹂の表紙への古筆切掲戦
47
あるかの如く見える︒﹂に柴舟の第一種高野切への傾倒ぶりが見
えるようである︒
又︑第一種と類似の原氏蔵の和漢朗詠集︵大字和漢朗詠集︶
については︑先の﹁日本名筆全集古今集﹂の解説に漢字の字
形が大きいために第一種高野切とは別人の筆のようではあるが︑
﹁漢字を取って第一種のと比べると︑筆劃が同様で殆どその間に
差異を認めることが出来ない﹂とし︑草仮名に関しては︑両者
の字形の大小はあるものの︑﹁各字の連続︑大小の配合濃淡の度
合ひ等も同一で区別は実にむづかしい﹂と記している︒
第二種高野切については︑先に挙げた﹁日本名筆全集古今
集﹂の解説に
各字の線候︑形態︑連続及び配合に於いて︑比較的変化
の少ない一体である︒線候は︑大体一様で︑細大も少ない
が︑沈著の風が満ちて居る︒形態は︑よく整頓して間隔が
なく︑収尾には︑放膳なところが著しく見える︒
と︑線僚︑形態︑連続に変化の少なさを特徴付けとしている︒
先の﹁和様概説﹂の解説にも﹁流麗の趣を含んで線候の変化が
少なく︑沈著の風が著しい﹂と同様表現をしている︒
第三種高野切については同解説に
線牒にほとんど細大がなく︑形態連続及び配合に︑変転
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殿も多く︑墨色の濃淡の程度も極めて巧みなものである︒
と評し︑その特徴を具体的に
各字の線峰は繊細ではあるが︑気力に満ちてゐて︑その
上に変化がある︒形態は︑扇平に傾いたものもあるが︑全
体は豊満で︑端麗である︒連続の字数は︑多くて五字︑少
なくて二字であって︑極めて自然である︒各字の配合もま
た自然であるが︑各字は︑一字を右に傾かしめれば︑他字
を左に歌たしめ︑或いは二字或いは三字を合せて一字の意
をもたせて釣合を保たせてゐる︒墨色の濃淡も自然で︑濃
淡が適虚にあると共に︑淡虚もまた適虚にある︒
と︑全体の形態が豊満︑淡麗としつつ︑文字を右︑左と傾けて
一字づつを目立たせ︑二字︑三字を纏めて意味を持たせて釣合
を保たせていること︑墨の濃淡に変化のあること等を述べてい
る︒また︑運筆の速度は﹁比較的遅い﹂としている︒
︵7︶また︑﹁和様概説﹂の解説には︑この第一種高野切につき
これは各字の形態も︑線牒も︑連続も︑配合も︑変化が
多く︑墨色も適度に濃く︑適度に薄く︑自然であって作為
の跡がなく︑全罷に巧妙な一樋であるが︑全体豊麗で︑優
美で︑仮名の極致は︑こ︑にあるかの如く見える︒
と︑先述の特徴をより簡潔に記している︒﹁仮名の極致はこ︑に
伝行成筆の倭漢朗詠集は二冊で︑いはゆる粘葉本である︒
上下巻の初には︑﹁倭漢朗詠集巻上﹂及び﹁巻下﹂とある
が︑各巻の終には﹁倭漢抄﹂と略して書いてある︒その形
は竪六寸七分︑横四寸である︒料紙はいはゆる唐紙で︑種々
の色をもってゐる︒それは︑白︑薄茶︑薄赤︑薄聡︑草等
であるが︑全体に淡色で︑濃厚なものは一つもない︒︵中
略︶紙の雲母は白雲母︑菰雲母で︑紋様は雲鶴︑鳳風九︑
菱︑野菊︑亀甲︑唐草等であって︑これもまた︑云ふくか
らざる美しさ︑華やかさを見せてゐる︒
この記述による︑﹁粘葉本和漢朗詠集巻上﹂︑﹁粘葉本和漢朗詠
集巻下﹂は︑今日の︑﹁伝行成鋪御物倭漢朗詠集﹄のことである
︑っ︒
この帖の外装について︑柴舟は
この帖は︑紋散しの蒔絵を施してある黒塗の箱に収まっ
てゐる︒それを錦の嚢が被ってゐる︒その外に桐箱がある︒
それを白い吊紗が被ってゐる︒その外に︑蓋の前後に錠の
ある桐箱が被ってゐる︒
と︑三並の箱に納められていることを詳細に記述しているが︑
︵帥︶︿Ⅱ︶岡本晋介は︑﹁御物本和漢朗詠集﹂の解説に︑﹁歌と草仮名﹂よ
りこの記述を引用し︑柴舟が実物を見ることによってのみ書き
49
の趣の極めて少ないのであるが︑気力は満ち︑典麗であり︑
端正であり︑高雅幽遠の趣は他のものの及び得ないものが
ある︒l中略l古繁中︑気品のことに高いものである︒
と︑三種の中で簸も形態連続及び配合に変転は少なく︑それゆ
えに高雅幽遠の趣は︑他のものの及び得ないことを特徴として
述べている︒
これらは普家としての柴舟が︑幾度も自身で古錐の臨瞥︑棋
写を繰り返すことに依って発見し︑国文学者としての柴舟の文
錐力を以て表現なし得た各種尚野切古今和歌集と和漢朗詠集の
筆跡の特徴であろう︒
︵8︶例えば小松茂美の﹁古筆替手大成﹂の当該項目を紐解いても︑
各々の古筆の保管場所︑料紙の形態︑装飾等は詳しく解説され
ているものの︑柴舟のかような筆致についての細述はない︒
︵9︶更に︑尾上柴舟は︑﹁日本名筆全集・倭漢朗詠集﹄に於ける解
説に︑倭漢朗詠集の古写本は少なくないが︑撰述当時に近く︑
完全なものは多くない︑として︑伝藤原行成筆の冊子本と巻子
本︑伝藤原公任筆の二巻︑伝源俊頼筆の一巻の四種の御物が︑
帝室に蔵せられ︑伝源俊頼筆の一巻は完全でないが︑他の三種
は殆ど一の欠字もないことを記している︒そして︑伝行成筆の
冊子本を具体的に次のように詳述している︒
口に於いては︑高野切と各種和漢朗詠集との同筆関係のみを
確認したが︑臼に於いて見てきた如く︑柴舟は︑学生時代より
古写本の臨書や模写を繰り返すことによって︑それぞれの古筆
の遅速や墨の濃淡等︑筆者の運簸法を会得して︑高野切の三兼
とそれぞれの同筆或いは類筆の和漢朗詠集や他の古写本を見出
し︑それらの普写年代から類推し︑高野切が賀之兼でないこと
を確信したのであろう︒
序に挙げた﹁古今和歌集の古写本﹂は︑大正十二年の学位論
文﹁平安朝時代の草仮名の研究﹂中にも含まれているが︑柴舟
は︑論文発表後も古写本の臨模を繰り返し︑その結果︑行成筆
和漢朗詠集︑元暦校本万葉集から抄出しての模写の書︑﹁調和体
︵肥︶の研究﹂や︑高野切︑伊予切︑法輪寺切等の断簡の写真と︑そ
︵脇︶の臨書を見開きにした﹁友鏡﹂を発行している︒
更に﹁水斐﹂の表紙︑昭和十四年三月号の解題に︑ ら手にとって見ている事実を知り得て︑高野切古今和歌集と倭漢朗詠集の︑筆跡についての識別を為し得た証左となるである︑っ○
結論
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得たことであると︑特記している︒
外装につき︑柴舟は︑続けて︑
この三重の中箱の表に﹁朗詠集全部権跡﹂と近衛基牒の
筆があり︑また内箱に﹁和漢朗詠集行成卿填鎖﹂といふ同
じく家畷の筆がある︒
と記し︑いつの時代かこのものが近衛家の所有になり︑後︑同
家から帝室に進献したことを明記している︒
この件に関して︑先述の岡本晋介の解説には
この帖子本は明治四十一年︑畏くも明治天皇の思召によ
って︑内親王殿下のお手として︑写真に搬影し宮内庁から
発行され︑其後大正十三年女子学習院の手本のためにと更
に撮影出版された︒
と︑今日の流布本となった経過が記されているが︑柴舟の先の
﹁日本名兼全集・倭漢朗詠集﹂の巻末には︑同様に︑明治四十一
年内親王の手本として写真に撮影し︑宮内庁から発行され︑大
正十三年には学習院の手本の為に撮影されたことを記した上で︑
更に﹁名筆全集﹂の﹁和漢朗詠集﹂は流布本ではなく︑昭和二
年に佐佐木信綱が改めて撮影した本を使用していることを断っ
ている︒
これらの記述からは︑柴舟が各種和漢朗詠集の一冊ずつを自
︹函圧︺
︵1︶小松茂美﹁光学的方法による錐跡個性の発見﹂﹃古筆学大
成第釦巻﹂︵一九九三・二講談社︶
︵2︶尾上柴舟﹁和様概説﹂︵昭和六年二月雄山閣︶
︵3︶尾上柴舟﹁大口周魚先生﹂︵﹁書の友﹂昭和一四年六月号︶
︵4︶尾上柴舟﹁柴舟かな帖﹂︵大正六年一二月啓成社︶
︵5︶﹁水尭﹂大正一二年一一月号﹁編集後記﹂に関東大震災に
披災の印刷所の都合で一○︑一一月号の表紙の体裁変更を記
し︑﹁従来の表紙は尾上先生が古書の文字そのままに透写せら
れたものを写真で縮めて石版刷りしたのであるが﹂と記され
ている︒ ︵6︶尾上柴舟著﹁日本名繁全集古今集﹄︵昭和六年二月雄
山閣︶
︵7︶︵2︶に同
︵8︶小松茂美︒古今和歌集﹂の古筆﹂﹁﹃和漢朗詠災﹂の古
筆﹂﹁古華学大成第釦巻﹂︵一九九三・一一講談社︶
︵9︶尾上柴舟著﹁日本名錐全集倭和漢朗詠集﹄︵昭和五年一
一月雄山閣︶
︵皿︶岡本晋介﹁解題﹂﹁伝藤原行成華御物和漢朗詠集﹂︵昭
和一一年一月興文社︶
︵u︶尾上柴舟﹁歌と草仮名﹄︵大正一四年四月雄山闇︶
︵皿︶尾上柴舟﹁調和体の研究﹄︵昭和七年四月雄山間︶
︵喝︶尾上柴舟﹁友鏡﹂︵昭和一六年一二月騒々堂︶
︵むらやまみえこ/本学大学院生︶
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高野切の第一種は変化を以て︑第二種は力を以て︑第三
種は品位を以て優るべし︒第三種の優越は到底人間の企及
すべからざるところか︒
と︑筋潔に三種の特徴を述べている︒
かような実績により﹁古今和歌集の古写本﹂及び﹁平安朝時
代の草仮名の研究﹂発表後も識別に関する確認操作を怠らなか
ったことが知られよう︒
本論を﹁尾上柴舟の実践的古兼学﹂と題した所以である︒