古代ギリシアの技術概念 : プロメテウス神話の変 容とプラトン
その他のタイトル The Concept of Technology in Ancient Greece : Transformation of the Promethean Myth and Plato
著者 中澤 務
雑誌名 関西大学哲学
巻 25
ページ 143‑164
発行年 2005‑10‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/991
古代ギリシアの技術概念
—プロメテウス神話の変容とプラトン
本論考の目的は︑プラトンの特徴的な技術概念が持つ意味を︑古代ギリシアの技術観の変遷の流れの中で理解す
ることにある︒プラトンの技術概念の中核には︑技術の本質に関わる二つの特徴的な観点が存している︒すなわち︑
︱つは︑技術を単なる手先の巧みさといったものではなく︑体系性を有する知的営みと理解する観点であり︑もう
︱つは︑技術と善の概念とが密接に連関していると考える観点である︒これら二つのうち︑第一の︑技術を知のモ
デルとして捉えようとする観点が︑ホメロスにおいてすでに現われる古代ギリシアの伝統的技術観の流れの中に位
置づけうるものであるのに対して︑第二の︑善との結びつきの強調という観点は︑プラトン以前には見られなかっ
たものであるように思われる︒プラトンにとって︑技術とは何よりもまず善を目指す活動であり︑善と密接に結び
ついた営みであった︒この技術と善の結び付きこそプラトンの技術哲学の核心であり︑それまでには見られないプ
ラトン独自の視点であるとともに︑その後のアリストテレスの技術哲学との決定的な相違を作り出している視点な
ので
ある
︒
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトン
I
︱四
三
中 澤
務
1.1
ヘシオドスにおけるプロメテウス神話
の変容
古代
ギリ
シア
の技
術概
念ー
'プ
ロメ
テウ
ス神
話の
変容
とプ
ラト
ン│
'
つ︑プラトンの﹃カルミデス﹂と﹃ゴルギアス﹄ それでは︑技術と善が密接に結びついていなければならないという考え方は︑どうして生まれたのであろうか︒この問題を考えるために︑我々は︑古代ギリシアの神話伝説の︱つである﹁プロメテウス神話﹂に注目し︑その歴史的変容の姿を見ていくことにしたい︒人間にとっての技術の意味を神話的に表現した﹁プロメテウス神話﹂は︑ヘシオドス︑アイスキュロス︑そしてプロタゴラスという三人の人物によって取り上げられ︑それぞれ異なった物語が作られている︒そこに見られる技術観の変化の中に︑問題を解く︱つの鍵があるように思われるのである︒第一章では︑彼らの語るプロメテウス神話の内容的変化とその意味について考察し︑プラトン以前の段階においてどのような技術観が形成されていたかを確認しよう︒そして︑第二章では︑こうした技術観との関係を念頭に置きつ
における技術論の意味を考えていくことにしたい︒
﹁プ ロメ テウ ス神 話﹂
ヘシオドスにおけるプロメテウス神話は︑プロメテウスを父イーアペトスと母クリュメネーの息子とする古い神
話に立脚したものであり︑プロメテウス神話の原型を伝えていると考えられるが︑それと同時に︑ヘシオドス自身
のペシミスティックな世界観が強く反映していると考えられる︒一般に︑プロメテウスは人類に火と技術をもたら
した英雄的な神というイメージが強いが︑このヘシオドスの神話においては︑こうしたイメージを読み取ることは
︱四
四
︱四 五
ヘシ
オド
スの
﹃神
統紀
﹂︵
五一
0
上ハ一六行︶において語られるプロメテウス神話の概略は次のようなものである︒•あるとき、聖地メコネにおいて、神々と人間の間で犠牲獣の分け前の取り決めがなされた。プロメテウスは牡牛
を解体し︑一方は骨を旨そうな脂肪で包み込み︑他方は肉と内臓を胃袋で包んで︑ゼウスの前に置いた︵五三五
ー五
四九
行︶
︒
・ゼウスは︑プロメテウスの策略に気づきつつも︑敢えて︑脂肪で包んだ骨を選ぶ︒その理由は︑これを口実にし
て︑人間たちに禍をもたらすためであった︵五五
O
ー五
五七
行︶
︒
・ゼウスは︑報復として︑人間たちから火を取り上げてしまう︒そこで︑プロメテウスは︑ゼウスの目を欺いて︑
酋香の中空の茎の中に火を隠して持ち出し︑人間たちに与える︵五五八ー五六九行︶︒
・ゼウスはこれに激怒し︑カロン︵善きもの
I I 火︶の代わりに︑カロン・カコン︵美しい禍
I I 女性︶を人間たちに
送り込む︵五七
0
上ハ
一六
行︶
︒︵
この
女性
は﹃
仕事
と日
﹄︵
四ニ
ー一
0
五行︶の中ではパンドーレーと呼ばれており︑弟のエピメテウスが兄の忠告にも関わらず受け取ってしまったとされている︒︶•プロメテウスは、一連のゼウスヘの反抗に対する罰として、カウカソス山の頂きに縛り付けられ、昼間は鷲に肝
臓をついばまれ︑夜になると回復することの繰り返しという受難を受けることになるが︑その鷲を射落としたゼ
ウスの息子ヘラクレスの功績によって許される︵五ニ︱I
五三
四行
︶
c
以上のプロメテウス神話の特徴を考察してみよう︒
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトンー'
できないのである︒
①第
一に
︑
る英雄として描き出されてはいない︒確かに︑プロメテウスは︑人間と関わりの深いティタン
オリンポスの神々よりも人間の側に立とうとする︒しかし︑彼の目的は︑あくまでもゼウスを欺くことであり︑そ
の欺きの結果が︑人間にとっての恩恵となるにすぎない︒人間への恩恵が生じるのは︑ゼウスが人間に敵対的であ
り︑人間を滅ぼそうとしていることの結果であるように思われる︒
しかも︑恩恵にみえるものは︑実際には禍である︒なぜなら︑犠牲獣の分配は︑火を取り上げられるという不幸
を招き︑火を取り戻した代償として︑人間は更なる禍を与えられてしまうからである︒物語は︑プロメテウスがゼ
ウスに反抗すればするほど︑人間がそのとばっちりを受けて︑より不幸になるという構造になっている
(1 )0
③第二に︑プロメテウスは︑必然的にゼウスに敗れざるをえない神として描かれている︒実際︑ヘシオドスは︑
プロメテウスを狡知に長けた神とするが︑むしろ目立つのは︑ゼウスの狡知との格差である︒ヘシオドスは︑ゼウ
スに対しては︑しばしば︑﹁不滅の智わきまえる
( a
p h
i t
m a
e d
e a
e i d
e s )
﹂という修飾語をつけて呼ぶが︑プロメテウ
スに対しては﹁曲がった思慮をもつ
( a
n k
y l
o m
e t
e s
)
﹂という修飾語を付加している︒以上のように︑ヘシオドスの描くプロメテウスにおいては︑人類を愛する知恵に長けた英雄神というイメージは
薄い︒プロメテウスは︑ゼウスに対して無益に反抗する神であり︑人間にとって必ずしも救い主ではない︒
以上のようなヘシオドスのプロメテウス神話を下敷きにして︑
1.2
アイスキュロスにおけるプロメテウス神話 ヘシオドスにおいては︑プロメテウスは︑ 古代ギリシアの技術概念ー•プロメテウス神話の変容とプラトン|'
一般にイメージされるような︑人間の利益のために献身す
︵巨
人神
︶と
して
︑
アイスキュロスは︑悲劇﹃縛られたプロメテウス﹄
︱四 六
を作ったと考えられる︒だがそこには︑表面的な筋の類似にも関わらず︑本質的な変化を見ることができる︒
アイスキュロスの﹃縛られたプロメテウス﹂は三部作の︱つであり︑他の二作品は失われているので︑アイスキュ
ロスの構想したプロメテウス神話の全体像を完全に知ることはできない︒しかし︑﹃縛られたプロメテウス﹄から大
体の筋をつかむことが出来る︒そして︑そこには︑ヘシオドスと比べた場合の大きな変更を見て取ることができる
ので
ある
︒
︱四
七
︱つの大きな変更点は︑プロメテウスの知的な力が︑ゼウスに匹敵するものにまで高められている点である︒こ
のために︑アイスキュロスは︑敢えてプロメテウスの母についての設定を変更する︒ヘシオドスでは︑その母はオ
ケアノスの娘の一人であるクリュメネーであるが︑アイスキュロスは︑これを意図的にテミス女神に変更している
のである︒予言の神である母親の力によって︑プロメテウスはゼウスを凌ぐ予知能力を手にすることになる︒テミ
スはガイアの娘で︑神託の神である︒この母の力により︑プロメテウスはゼウスを凌ぐ予知能力の持ち主となる︒
彼は︑オリンポスの神々とティタン族の戦いの際には︑みずからはティタンであるにも関わらずゼウスに味方し︑
予知能力を利用して勝利に貢献する︵二
0
九ー
ニニ
︱行
︶︒
また︑彼はその予知能力によって︑ゼウスがテティス女神と結婚したときには︑生まれた子はゼウスを倒して新
たな王になるという︑ゼウスも知りえないことを知っていた︵七六一I
七七
0
行︶︒このプロメテウスの知は︑真の意味でゼウスを凌ぐものであり︑その秘密を聞き出すために︑ゼウスはプロメテウスを拷問にかけるという暴挙に
出ざるをえなかったのである︒
アイスキュロスの悲劇においては︑プロメテウスが山上に縛り付けられ拷問を受ける理由は︑このプロメテウス
の予知能力と密接に関係づけられている︒ヘシオドスに比べて︑プロメテウスが責め苦を受ける理由は複雑である︒
古代ギリシアの技術概念—'プロメテウス神話の変容とプラトンー
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトンー'
公式の理由は︑ヘシオドスの場合と同様に︑火を盗み出した罰である︒しかし︑ゼウスにとってそれは口実に過ぎ
ず︑本当の目的は︑プロメテウスだけが知っている秘密を聞き出すことなのである︒
第二の変更点は︑プロメテウスと人間との関係である︒
アイスキュロスは︑人間に対するゼウス神の非情さを描き︑それに対照させるかたちで︑プロメテウスが人間に
与えてくれた恩恵の大きさを強調している︒実際︑アイスキュロスにおいては︑プロメテウスは本当に人間を愛し
ており(︱二三行︶︑その愛ゆえに火を盗み出して与える︒アイスキュロスの描き出すプロメテウスは︑ゼウスに匹
敵する力を持ちながら︑人間を愛し︑人間に火と技術を与えたがゆえに︑不当な苦難に遭う英雄なのである
(2 )0
第三の変更点は︑プロメテウスが人間に何を与えたかという点を巡る強調点の変化である︒ヘシオドス﹃神統記﹄
においては︑プロメテウスがゼウスのもとから盗み出したのは火だけである︒しかし︑アイスキュロスにおいては︑
重要なのは火ではなく︑それに付帯した技術の方なのである︒悲劇の冒頭において︑プロメテウスの罪状は︑﹁この
者が盗んで人間どもに与えたのは︑さまざまな技術のもとになる燃えさかる火︵七ー八行︶﹂と表現される︒ここで
は︑プロメテウスの盗み出した火は︑﹁あらゆる技術の教師(︱
‑ 0
l
一︱一行︶﹂であり︑またその﹁大いなる手段︵一︱一行︶﹂なのであり︑そうしたものとしてのみ意味を持つのである︒
プロメテウスは︑人間に対する自分の功績を︑火の供与ではなく︑それによってもたらされた技術の有益さのほ
うに求めている︵四四二I五
0
六行︶︒劇中の長い独白の中で︑プロメテウスは︑自分が諸技術を教える前の人間たちの生活がいかに悲惨なものであったかを強調し︑自分が教えてやった諸技術︵建築︑計算︑読み書き︑造船︑医
術︑占い等々︶が人間にいかに大きな利益を与えたかを細かく説く︒そして︑最後に︑﹁手短に一切をまとめてみる
ならば︑こう心得ておくのだ︑人間のもつ技術は︑すべてプロメテウスの授けたものと﹂と述べるのである︒
︱四
八
以上のように︑アイスキュロスの神話におけるプロメテウスは︑ゼウスに匹敵する知者であり︑人間に様々な技
術を与えた英雄である︒そこでは︑諸技術は人間にとって善いものとして捉えられており︑プロメテウスは︑人間
への愛ゆえに︑それを人間に与えている︒
こうしたプロメテウスの姿は︑ヘシオドスとは大きく異なるものであり︑アイスキュロスは︑意図的にこうした
プロメテウス像を作り出していると考えられる︒この変化の背後にあるのは︑諸技術の進歩と︑それに伴う社会の
発展であろう︒啓蒙主義の到来の中で︑アイスキュロスは︑新しい人間中心的社会を肯定するための︱つのイデオ
ロギー的な神話として︑新しいプロメテウス神話を創造したのだと考えられる︒
我々は次に︑プロタゴラスによって提示されたプロメテウス神話を分析することにしたい︒というのも︑ここに
は︑前5世紀後半におけるアテナイ啓蒙運動の担い手であったソフィストが抱いていた技術観が如実に示されてい
ると考えられるからである
(3 )0
プラトンの対話篇﹃プロタゴラス﹄において︑ソクラテスはプロタゴラスが教育すると標榜する事柄の内容を問
いただす︒プロタゴラスは︑それは政治に携わる能力︵徳︶であり︑自分の使命は政治の技術を教え︑優れた市民
を作り出すことであると認める︒これに対して︑ソクラテスは︑政治能力を本当に教育することができるのかと疑
義を提示する︒なぜなら︑当時のアテナイの民会においては︑すべての人間が等しく政治に参加しており︑徳は専
門的技術とは考えられていないからである︒
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトン
I
1.3
プロタゴラスにおけるプロメテウス神話
︱四
九
古代ギリシアの技術概念ー上ノロメテウス神話の変容とプラトン
I
プロタゴラスは︑この疑義に対して︑まずは﹁お話︵ミュトス︶﹂のかたちで︑政治能力が万人に付与されている
ことの理由を説明しようとする︒プロタゴラスの語るプロメテウス神話の概略を示せば︑次のようにまとめられる︒
( i
)
人類の誕生とプロメテウス・エピメテウスによる能力分配
(3 20 d' 32 2a )
•神々により、死すべき生き物たちの世界が作られたとき、神々はプロメテウスとエピメテウスの兄弟神を呼び、
種族が滅びないよう︑それぞれの種族に固有の能力を分け与えるよう命じる︒•弟のエピメテウスがこの役目を買って出、能力分配を行うが、最期に残された人間の種族にはもはや能力が残さ
れていなかった︒
•憂慮した兄プロメテウスは、ヘパイストスとアテナのもとから技術的知恵
(entechnos
s o
p h
i a
)
を火とともに盗み
出して人間に与える︒しかし︑政治的知恵はゼウスのもとにあり︑盗み出すことはできなかった︒プロメテウス
は︑火と技術を盗み出した罪により︑罰せられる︒
( i i l l )
ゼウスによる政治能力の授与
(3 22 a‑ 32 3a )
•技術の付与により人間は神を崇拝し、言葉を発明して、衣食住を確保する。•しかし、政治的技術を付与されていなかったために、自然との戦いに敗れ、再び滅びかかる。•そこでゼウスは、ヘルメスを遣わして、人間が国を形成できるように、「つつしみ(aidos)」と「いましめ(dike)」
を分け与えようとする︒その際︑ヘルメスは︑これらを︑他の諸技術同様に一部の人間のみに与えるか︑全ての
人間に分け与えるか相談するが︑ゼウスは︑全ての人間に与えるように指示する︒
一五
〇
•以上のような理由で、政治に関わる徳は万人に分け与えられているのであり、
ヽ~゜>
以上のプロメテウス神話には︑
いるように思われる︒ アイスキュロスによる神話に見られる技術観とは異なる︑新しい見方が含まれて
日プロタゴラスのプロメテウス神話の第一の革新点は︑ゼウス神が持つ役割の変化である︒
は︑ゼウスは人間に対して極めて敵対的な存在であり︑人類を滅ぼそうと画策している︒プロメテウスの策略を口
実にして︑人間から火を取り上げたり︑様々な禍を送りつけたりするのは︑そのためである︒
これに対して︑プロタゴラスにおけるゼウスは︑人間を憐れみ︑人間に政治技術という最も重要な技術を授けて
くれる存在である︒この変化に対応して︑プロメテウスは︑もはやゼウスの強力な敵対者ではなくなる︒そこには︑
狡知によってゼウスを出し抜こうとするプロメテウスの姿は見られない︒犠牲獣の分け前を巡る話は最初から排除
され︑物語には登場しない︒また︑火を巡る逸話も︑本質的な変化を被っている︒プロタゴラスの神話においては︑
火が復讐のために人間から取り上げられるというエピソードが消滅し︑人間に新しく与えられるという筋に変化し
ている︒そして︑プロメテウスは︑技術的知恵と火を︑ゼウスではなく︑ヘパイストスとアテナのもとから盗み出
すの
であ
る︒
このとき︑プロメテウスは︑政治的技術がゼウスのもとにあり︑それをも人間に与えるべきであることに気づい
ている︒しかし︑ゼウスの力の強さの前に︑プロメテウスは為すすべを持たない︒そして︑それが人間に分配され
るとき︑その役割を担うのはヘルメスであり︑プロメテウスではないのである︒
古代ギリシアの技術概念│'プロメテウス神話の変容とプラトンー
一 五 ヘシオドスにおいて
そうでなければ国家は存立できな
口こうしたゼウスの役割の変化に伴い︑プロメテウスとゼウスの関係も大きく変化している︒先ほど指摘したよ
うに︑プロメテウスは︑もはやゼウスの敵ではない︒ヘシオドスにおいても︑アイスキュロスにおいても︑ゼウス
とプロメテウスの間の対立は深刻であり︑この対立を軸にして物語は展開していた︒しかし︑プロタゴラスにおい
ては︑そうした対立関係は完全に消滅している︒
そもそも︑プロメテウスがゼウスに捕えられ︑山上で受難を被らねばならない理由は︑ゼウスとの敵対関係に存
している︒そこには︑ゼウスとプロメテウスという起源の異なる二人の神の確執と力の対立しか存在しなかったは
ずであり︑実際︑ヘシオドスはそうしたものとして両者の対立を描き出している︒しかし︑プロタゴラスの神話に
おいては︑プロメテウスが火を盗んだ廉で裁かれるのは︑ゼウスを欺いたがゆえではなく︑窃盗という罪を犯した
がゆえなのである︒
曰火の役割の変化︒﹁火﹂は︑ここにおいても象徴的に持ち出されているが︑実際にはその役割を失っている︒プ
ロタゴラスは︑技術知とともに火が盗み出された理由として︑﹁火がなければ︑誰も技術知を獲得したり有効に使用
したりできないから
(3 21 d2
‑3
﹂と述べている︒アイスキュロス同様︑プロタゴラスにおいて重要なのは﹁技術的)
知恵﹂であり︑火は技術的知恵が機能するための基本的な条件にすぎないのである︒
四技術の二分︒プロタゴラスのプロメテウス神話独自の特徴は︑知恵を二種類に区別し︑それぞれをプロメテウ
スとゼウスという神に結び付けている点である︒これは︑
点で
ある
︒
プロメテウスが象徴する知恵は︑諸々の技術的な知恵である︒これは︑すべての人間が所有すべきものではなく︑
特殊技能として少数の専門家によって所有される知恵であり︑それだけで十分なものである︒彼はこれを︑職人の ヘシオドスにもアイスキュロスにも見られない新しい論
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトンー'
一 五
神プロメテウスに代表させることによって表現しようとしている︒
これに対して︑ゼウスが象徴する知恵は︑プロメテウス的知恵︵職人的技術︶とは全く異なる種類の知恵︑すな
わち政治的技術である︒この技術は︑専門的技術者ではなく︑万人に配分される︒
この二つの技術の区別を導入することによって︑プロタゴラスは︑善を担う技術と︑その技術によって見いださ
れた善に従う他の多くの諸技術の間に︑明確な区別を設けている︒彼は︑諸技術を価値中立的なものにしようとし
ていると見なすことができる︒この手続きは︑プロタゴラスにとって︑善をみずからの側に確保するために︑どう
しても必要なものであったと考えられる︒
だが︑これによって政治術は︑他の技術とは本質的に異なる特殊な技術となっていく︒この︑いわば︿メタ技術﹀
としての政治術を︑プロタゴラスは万人に開放しようとする︒そうすることにより︑彼は民主制のイデオロギーを
神話的に正当化しようとするのである︒
しかし︑それは重大な問題を卒んでいたのであり︑それがプラトンによって自覚されることによって︑彼独自の
技術哲学が形成されていったのだと考えられる︒以下では︑こうした技術観が︑どのような帰結をもたらしたのか︑
そして︑それに対してプラトンがいかに対処しようとしたのかについて考えることにしたい︒
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトン│'
一五
三
2.1
﹃ カ
ル ミ
デ ス
﹄
における技術と支配
古代ギリシアの技術概念—·プロメテウス神話の変容とプラトンIプラトンの技術観
まず我々は︑﹃カルミデス﹄という初期対話篇を取り上げることにしたい︒この対話篇は︑プラトンの技術理解と
いう観点から取り上げられることは少ないが︑重要な問題を提示しているように思われるからである︒
この対話篇は︑﹁節度
( s o p h r o s y n e )
﹂という徳の定義をテーマとしている︒最初は常識的な定義が議論されていく
が︑クリティアスが対話相手になると︑議論は︑にわかに難解な哲学的議論に変貌する
(4 )0
彼はまず︑節度とは﹁自分のことをすること﹂であると主張するが︑それが論駁されると︑今度は﹁汝自身を知
れ﹂というデルフォイ神殿の標語を持ち出して︑節度とは﹁自分自身を知ること﹂にほかならないと主張する︒こ
の自己知という反省的な知は︑さらに︑﹁知識の知識﹂として規定し直される
(1 66 c)
︒すなわち︑自己知とは︑クリ
ティアスの考えでは︑自分自身を対象とした知であるだけではなく︑他のあらゆる知も含みこむ︑超越的なメタ知
識なのである︒
だが︑ソクラテスは︑そうした知に疑義を提示する︒もしそうした知が存在するとしたら︑その知は︑知ってい
るか知らないかを知る万能の知であることになる︒しかし︑自らは何の具体的内容にも関わらず︑ひたすら知って
いるか知っていないかという︑知の働きだけを対象とするような知などありうるのであろうか︒また︑そうした知
が存立しうるとして︑一体それが何の役に立つというのであろうか︒たとえば︑医術は健康についての知であるが︑
﹁知識の知識﹂は︑その内容︵健康︶には一切関わることなく︑単にその者が知を持っているか否かを判定できる
一五 四
とし
たら
︑
だけであるから︑その者が医術という特定の知を持つかどうかを判定することはできない
(1 70 b
ー
17 1c
) ︒
ソクラテスは最初は︑我々が﹁知識の知識﹂から何らかの利益を手にすることが出来るのではないかと期待する︒
というのも︑仮に﹁知識の知識﹂が︑単に知の判定役に留まるとしても︑知っているか否かを判定できるならば︑
少なくとも︑我々の生からは過失が取り除かれるからである
(1 71 d
ー
17 2c
) ︒
しかし︑ソクラテスは︑この望みも放棄してしまう︒なぜなら︑単に知っているか否かだけを判定し︑知ってい
る専門家に従うというだけでは︑我々は︑本当に﹁善くやっている﹂ことにはならないからである︒我々の行為が
善いものとなるために必要なのは︑善と悪を対象とする知識なのである
(1 74 b)
︒ここからソクラテスは︑我々の幸
福のために本当に必要なのはこうした知であって︑単に無内容に他の知︵諸技術︶に関わるだけの﹁知識の知識﹂
にはいかなる有益性もないとして︑クリティアスの定義を却下する︒
以上のようなアポリアとともに対話は終わるが︑我々は︑この一連の議論から何を読み取るべきであろうか︒﹃カ
ルミデス﹄という対話篇の執筆意図については︑様々な解釈がありえよう︒しかし私は︑プラトンはこの対話篇に
おいて︑クリティアスのソフィスト的技術思想に対して厳しい批判を加えようとしているのだと考えたい︒クリティ
アスは︑様々な技術を統括する︱つの高級な支配技術を構想し︑それによる社会支配を夢想しているのである︒
我々はクリティアスの中に︑諸技術を価値的に低いものとみなす技術蔑視の態度を見てとることができる︒この
ことを明確に示している箇所を取り上げよう(163a
ff
.)
︒ク
リテ
ィア
スは
最初
︑節
度と
は﹁
自分
のこ
とを
する
こと
﹂
だと主張していた︒ソクラテスは︑この考え方に対して疑義を提示する︒一般に技術者は︑他人のために何かを作
るのであって︑自分の物ばかりを作るわけではない︒もし︑各人が自分の物をすべて自分で作らなければならない
その社会は︑よく︵節度をもって︶治められているとはいえない︒だとしたら︑﹁自分のことをする﹂人
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトン│
一五 五
次に我々は︑﹃ゴルギアス﹄の議論を検討することにしたい︒﹃ゴルギアス﹄において︑プラトンは厳しい弁論術
批判を展開する︒この弁論術批判の議論は︑プラトンの技術理解を浮き彫りにするとともに︑どうして彼が弁論術
的な技術理解を批判しなければならなかったのかという理由を我々に明らかにしてくれる︒
対話は︑まず著名なソフィストにして弁論家であるゴルギアスを相手に開始される︒そこでソクラテスが問題に
しようとするのは︑弁論術とはどのような技術であるかということである︒
2.2
﹃ ゴ ル ギ ア ス
﹄
における弁論術と技術 し︑支配下におさめるだけでよいのである 古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトン
I
は︑節度があるといえるだろうか︒クリティアスはこれに対して︑特徴的な仕方で反発する︒彼は︑自分が主張し
た定義は︑﹁自分のことをする﹂ことであって︑﹁自分のものを作る﹂ことではないと主張し︑﹁する
( p r a t t e i p n , r a x i s )
﹂と﹁
作る
( p o i e i n , p o i e s i s )
﹂の間に差別を設けようとする︒彼の主張では︑職業の中には卑しいものがあり︑すべて
が立派なものとは限らない︒そして︑技術の生産物は︑ときには美しさを欠き︑不名誉なものとなることがあるが︑
しかし︑行為の結果である﹁はたらき
( e r g o n
)
﹂は常に美しくて有益なのである︒クリティアスの考えでは︑支配的立場に立つ者は︑諸技術の内容に関わる必要はない︒単にそれらを上から監視
( 1 7 4 d e
)
︒こうした︑クリティアスの︿メタ技術﹀による技術支配というユートピア構想が︑結局︑無意味なものとして否定されることになるのである︒
﹃カルミデス﹄では︑こうした抽象的な支配知に代わり︑善を対象とする知の可能性がほのめかされている︒そ
れは︑善を中核としたプラトン自身の政治技術思想の芽生えであったともいえよう︒
一五
六
2.2.1
ゴルギアスとの対話ゴルギアスはまず︑弁論術が︱つの技術であることを認める
( 4 4 9 d ‑
)
︒先ほどのクリティアスとは異なり︑彼は︑少なくとも表面的には︑弁論術を他の諸技術と同列に捉え︑弁論術が一個の技術として存立するためには︑他の技
術と同じ特性を備えなければならないと考えている︒
ソクラテスはまず︑弁論術が何を目的とする技術であるのかを問う︒ゴルギアスはそれを︑﹁人間にかかわりのあ
る事柄のなかでも︑一番重要で︑一番善いもの
( 4 5 1 d )
﹂と述べるが︑さらにその内容を問われ︑それは﹁自分自身
には自由をもたらすことができるとともに︑同時にまた︑めいめい自分の住んでいる国において︑他人を支配する
ことができるようになるもの
( 4 5 2 d )
﹂だと述べ︑それを﹁言論によって人びとを説得する能力があること﹂と言い
ここで︑﹁説得﹂が議論の焦点に浮かび上がることになる︒ソクラテスは次に︑その説得の内実を問う︒ゴルギア
スによれば︑それは︑法廷や議会においてなされる︑正しいことや不正なことを巡る説得である
( 4 5 4 b )
︒だが︑事
柄を学び知識を持つに至る者も︑知識を持たずに単に信じているだけの者も︑説得されていることには変りない︒
では︑この説得は︑説得される者に対して知識を作り出すのか︑それとも信念しか作り出さないのか︒ゴルギアス
は︑弁論術が作り出す状態は︑知識を伴わない信念であるということを認める︒
ここからソクラテスは︑議論を転回させ︑様々な専門的技術を持ち出して︑疑義を提示する︒すなわち︑城壁や
港の建築においても︑戦争においても︑もっとも的確な意見を述べることができるのは︑それぞれの分野において
知識を持った専門的技術者であろう︒しかし︑弁論家はそうした専門的知識を持たずに︑どうして専門技術の関わ 換
える
︒
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトンー
一五 七
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトンー
(4 55 a
ーd
)る事柄に関しても発言することができるのだろうかと
︒
ゴルギアスは偉大な政治家テミストクレスとペリクレスを例に挙げて︑こうした不思議な力を持つ弁論術の偉大
さを強調する
(4 55 d
ー4
56 a)
︒だが︑ソクラテスはさらに︑この弁論術の力の秘密を明らかにしようとする
(4 58
f f . ) e
︒
議論の結果明らかになるのは︑弁論術は︑大衆の前で説得する時に限り︑強い説得力を持ちうるということである︒
大衆とは︑専門的事柄に対して知識を持たない人々である︒このとき︑弁論家は︑知識を持たないにも関わらず︑
知識を持つ専門家よりも知識を持っていると見えるように装うことによって︑説得に成功するのである︒
しかし︑ここでゴルギアスはソクラテスの罠にはまる︒ゴルギアスは︑一方では弁論術を学んだ者がそれを悪用
する可能性を認めながら︑他方では︑弁論家が正・不正の知識を持ち︑それを教えることができると言うのである︒
しかし︑弁論術が技術であることを認めるゴルギアスは︑正しい事柄を教えられたら正しい者になるという帰結を
受け入れざるをえない︒かくして︑ゴルギアスは敗れ去ることになる︒
(4 56 c
ー4
61 b)
以上のように︑ゴルギアスは︑弁論術という︑他の専門的諸技術とは全く異なる︿メタ技術﹀を提唱しながら︑
その︿メタ技術﹀の技術性については︑他の諸技術と同様の基準を保持しようとする︒すなわち︑ゴルギアスは︑
弁論術が正・不正を対象とし︑それに対する知識を持つ技術であるということに固執する︒そして︑この固執ゆえ
に︑ゴルギアスは論駁されることになるのである︒
ここで︑ゴルギアスとの対話から浮かび上がる弁論術の特徴をまとめておこう︒
第一の特徴は︑弁論術の無内容さである︒弁論術は︑他の諸技術が持つ知識をそれ自身では全く所有しないが︑
にもかかわらず︑専門的な議論に介入し︑他の技術に打ち勝つことができる︒それは︑弁論術が︑技術的な事柄に
ついて何も知らない大衆を相手にし︑彼らに対して︑自分の話が正しいと信じ込ませる技術だからである︒
一五 八
第二の特徴は︑弁論術が︑正と不正についてもまた︑知識の伴わない信念を作り出すということである︒これは︑
第一の特徴と密接に関わると思われる︒というのも︑大衆が専門的技術者ではなく弁論家の説得の方をもっともらしく感じる理由は、弁論家の話の内容が、専門的技術の内容そのものよりは、それを巡る正・不正や善•悪を巡っ
てなされるという点にあるからである︒
第三の特徴は︑弁論術は︑まさにそうした技術であるからこそ︑他のすべての専門的諸技術を管理・支配できる
支配知として存立しうるということである︒
こうしたゴルギアスの弁論術は︑ある意味において︑クリティアスの夢の現実化とはいえないであろうか︒確か
に︑ゴルギアスは︑クリティアスとは異なり︑メタ技術としての支配術が持つ技術性を否定することはない︒しか
し︑実際には︑ゴルギアスの内部にはこうしたクリティアス的な支配思想が混入しているのであり︑それゆえに彼
は論駁されたのだと思われる︒
2.2.2
ポロスとの対話さて︑ゴルギアスが論駁されると︑その後を受けて︑弟子のポロスが弁論術の擁護に乗り出し︑議論は新しい局
面を迎えることになる︒そして︑その中で︑弁論術の本質に対するプラトンの見方が浮き彫りにされることになる︒
ソクラテスによれば︑弁論術は︑そもそも技術であるとはいえず︑むしろある種の﹁経験
( e m p e i r i a )
﹂で
ある
( 4 6 2 c )
︒
そして︑それが為す仕事は︑﹁迎合
( k o l a k e i a )
﹂なのである︒
ソクラテスは︑技術と経験の違いを︑次のように説明しようとする︒それによれば︑人間の身体と魂において︑
それぞれ配慮の技術が存在している︒︵身体における技術には名前が与えられず︑魂に対する技術は政治術であると
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトン—'
一五 九
魂
身 体
古代ギリシアの技術概念ー・プロメテウス神話の変容とプラトンー'
される︒︶これら二つの技術は︑さらにそれぞれ二つの下位区分を持つ︒すなわち︑身体においては医術と体育術︑
魂においては司法術と立法術である︒この二つの技術は︑それぞれ︑悪い状態を健全な状態に回復させる技術︵医 術︑司法術︶と︑健全な状態を更によい状態に向上させる技術︵体育術︑立法術︶である︒
さて︑ソクラテスによれば︑こうした身体と魂の状態に関わる四つの技術に対応するかたちで︑その影ともいう べき四つの似非技術
( 1 1
経験・迎合︶が存在している︒すなわち︑身体においては︑料理法と化粧法︑魂において は︑弁論術とソフィスト術である︒これら四つの術は︑それぞれに対応する四つの技術の中に潜り込み︑自分こそ が本当の技術であるかのようなふりをしている︒すなわち︑医術には料理法が潜り込み︑身体によいものを知って いるふりをして︑実は単に快いだけの食事を与える︒また︑体育術には化粧法が潜り込み︑いかにも健康的な外見 を作り出す︒そして︑それらに対応するかたちで︑魂においては︑司法術に弁論術が︑立法術にはソフィスト術が 潜り込み︑相手の無知に乗じて︑快くて表面的には正しいが︑しかし実際には誤った事柄を説得するのである
(5 )0
配慮の対象
医術ぶ杓理法II司法術~弁論術
体 育 術 ば 化 粧 法
II立 法 術 竺 ソ
フ ィ ス ト 術
政 話 身
治
の 体術
技 の術 世
. 1
r.L 司
体 医法 法
‑;目b;;術
術 術 術
ソ 互日11B
化 料
フ 粧
理
ィ
術 法 法
ス
卜 術
技術
( I I
善であるもの︶
経験・迎合
( I I
善と思われるもの︶
一六
〇
ここで重要なのは︑こうした政治術およびその影は必然的に魂の善悪に関わらざるをえないという︑プラトン独
自の発想である︒その背後には︑技術的な営みはすべて︑本質的に善の概念と結びついているという見方がある︒
こうした発想は︑プラトンがソクラテスから引き継いだ倫理的直観︑すなわち︑人間の魂は﹁正しいことによって
益され︑不正によって害される﹂︵﹃クリトン﹄
4 7 d )
という直観に由来するものであろう︒
プラトン的政治術と︑似非政治術︵弁論術とソフィスト術︶は︑同じように正・不正に関わる︒プラトン的政治
術は︑正・不正の知識に基づいて人びとを説得する︒正しさによって益され︑不正によって害される人間の魂は︑
その説得を通してより善いものとなる︒しかし︑後者の似非政治術は︑正・不正の知識を持たず︑正・不正と﹁思
われる﹂ことを知識なしに説得する︒それによって︑人々の魂はより害されていくことになる︒
以上のように︑プラトンの政治術理解と︑弁論術およびソフィスト術における政治術理解は︑鋭い対照をなすも
のであるが︑我々は︑その対照の背後に︑政治術という支配技術に対する根本的なスタンスの違いを見ることがで
きる︒プラトンにおいては︑政治術という技術は︑確かに他の専門的諸技術の上に立つ特別な技術であるが︑それ
によって技術としての特質が失われるわけではない︒すなわち︑それは︑正・不正という独自の対象を持ち︑それ
に対する知識に基づいてなされる営みである︒そして︑それは︑支配される者の善を目指すのである︒
これに対して︑弁論術およびソフィスト術における政治は︑正・不正に対する知識は持たずに︑単に︑正・不正
と思われるものだけを問題にし︑それを人びとに思い込ませる営みである︒これによって︑知識を持たない人々は︑
正・不正についての誤った思い込みを持たされ︑それゆえに︑自らの魂の状態を悪化させてしまうことになるので
ある
このような本質的な相違は︑他の専門諸技術との関係を巡っても︑大きな相違を生み出している︒﹃ゴルギアス﹄ ︒
古代ギリシアの技術概念ー'プロメテウス神話の変容とプラトン—'
一 六
以上のように︑プラトンの主張した技術概念は︑当時一般的になりつつあった技術観へのアンチテーゼとして構
想されていると見ることができる︒プラトンの技術観の背後にあるのは︑当時主流になりつつあった技術観が持つ
危険性への懸念である︒そして︑その懸念の根幹にあるのは︑技術と善の乖離という現象なのである︒
我々は︑プロメテウス神話の変容の中に︑こうした技術観の勃興を見て取ることができる︒プロメテウス神話は︑
そもそもは︑技術の恩恵を賞賛するような物語ではなかった︒しかし︑それはアイスキュロスによって︑人類賞賛
の賛歌として改作された︒また︑他方で︑プロタゴラスは︑この神話を自分のソフィストとしての役割を正当化す
るための装置として利用し︑その中で︑政治技術という︿メタ技術﹀を提唱した︒
そして︑プロタゴラスのプロメテウス神話において提示されているような技術観こそ︑プラトンにとって最も危
.
,,.. . , ● , .
̲ ̲
,̲,.結論 において︑弁論術は︑無知な大衆に対する説得を通して︑専門的諸技術の知識を無力化する︒その結果として︑弁論術は︑専門的諸技術と協調的に働くことはできない︒弁論術は常に最も快い状態に向かおうとし︑最も善い状態に向かおうとはしないからである︒
これと同様のことは︑ソフィスト術についてもいえるように思われる︒プロタゴラスは︑プロメテウス神話にお
いて︑政治的知恵という特権的な技術を唱えた︒しかし︑それを無条件に万人に開放しようとするプロタゴラスの
目論見は︑最終的には︑単なる大衆操作の技術しか生み出さないという点で︑失敗に終わらざるをえないのである︒
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトンー'
一 六
古代ギリシアの技術概念ープロメテウス神話の変容とプラトン
I
一 六
険 な 要 素 を 学 ん で い た の で あ る
︒ 改 作 さ れ た プ ロ メ テ ウ ス 神 話 を 通 し て 表 明 さ れ る 新 し い 技 術 観 は
︑ タ ゴ ラ ス の 政 治 技 術 や ゴ ル ギ ア ス の 法 廷 技 術 を 作 り 出 し て い く
︒
﹃ ゴ ル ギ ア ス
﹄ を は じ め と す る
︑ プ ラ ト ン の 一 連 の ソ フ ィ ス ト や 弁 論 家 達 へ の 批 判
︑ そ し て
︑ そ う し た 批 判 の 背 後 に 浮 か び 出 る プ ラ ト ン 自 身 の 技 術 概 念 は
︑ 歴 史 的 な 流 れ を 背 景 に し て は じ め て 理 解 で き る の で は な い だ ろ う か
︒
こ う し た
註
(1)J.P ・ヴェルナン•吉田敦彦著、『プロメテウスとオイデイプスーギリシァ的人間観の構造』、みすず書房、一九七八年、 二九頁を参照︒なお︑同書一ー=︱̲三三ページで述べられているように︑ヘシオドスにおいては︑プロメテウスとエピメテウス
という兄弟神は表裏一体であり︑プロメテウスもエピメテウス的側面を持っている︒カール・ケレーニイ著︑辻村誠三訳︑﹃プ ロメテウスーギリシア人の解した人間存在﹂︑法政大学出版局︑一九七二年︑六一
I六 四
頁 を
参 照
︒
( 2
)
その姿は︑人類の罪を償うためにみずから十字架にかけられたキリストと重ね合わせることができよう︒実際︑テルトゥ
リアヌスは︑プロメテウスの中にキリストの姿を読み取ろうとしている︒﹃ギリシア悲劇全集﹂第二巻︑岩波書店︑一九九一 年︑解説︑二八九ページを参照︒
( 3
)
﹃プロタゴラス﹄における演説の内容は︑彼の著作に準拠して書かれたと推定される︒
c f . C . C .
W .
T a
y l o r P , l a t o P r o
t a g o r a s , R e v i
s &
E d i t i o n , O x f o r d , 1 9 9 1 , p . 7 8
. この箇所を巡る研究文献については︑
M .
C . N u s s b a u m
̀ T
h e F r a g i l i t y o f G o o d n e s s , C a m b r i d g e , 9 1 8 6
̀
p . 4 4 n . 6 2 7 を参照︒ただし︑プロタゴラスのプロメテウス神話の意味を︑それ以前の神話との内容的な比較
を通して考察した研究は少ない︒
( 4
)
クリティアスは︑プラトンの親戚に当たる人物であるが︑ペロポネソス戦争終結後のいわゆる三十人独裁政権の主要メン
バーとして︑アテナイの政治を混乱させた人物である︒ソクラテスの弟子で︑かなりのインテリであり︑ソフィストの一人と
見なされることも多い︒
や が て
︑
プ
ロ
( 5 )
プ ラ
ト ン
は ︑
ち︑法の執行と 古代ギリシアの技術概念ー'プロメテウス神話の変容とプラトン│'
弁論術とソフィスト術とを︑基本的に同じものとして取り扱っている︒
制定という局面の相違にすぎない︒
両 者 の 違 い は
︑
司法と立法︑すなわ
一六
四