1
■
Ⅲ 出土遺物 の報告
瓦 類
57年 度の調査 によって
,軒
丸瓦644点,軒
平瓦384点,面
戸瓦12点,英
斗瓦4点 ,鬼
瓦46点,鴎尾
4点 ,お
よび丸瓦 ・平瓦・ナ専が多数 出土 した。軒瓦 の内訳 は巻末 に一 覧表 で示 した。出 土瓦類の年代 は飛鳥時代か ら近世 にわたるが,こ
こで は, 7世
紀前半 に属 す る2つの遺構 か ら出土 した瓦類 と,法
隆寺 で は じめて出土 をみ た新型式 の軒丸瓦2種 ,軒
平瓦1種
に限 って紹介 す る。
A ttS D3560出
土瓦類西 院地 区の第 250ト レンチで検 出 した溝 S D 3560の 埋土 か ら
,多
量 の瓦類が出土 した。埋 上 の うち下層 の褐灰粘土層 と青灰粘土層 で出土 した瓦 は,層
位 を異 に して18cm離 れた破片 が 接 合 す るなど同一個体 を包含 している こと,同
絶 軒瓦 が両層 で発見 され た ことか ら,こ
れ らの
2層
か ら出土 した瓦類 を一括 して扱 うことにす る。軒丸瓦8点 ,軒
平瓦1点 ,丸
瓦・平瓦 多数,お
よび鴎尾2点
が ある。1)
軒 丸瓦
2型
式3種
ある (第64図 1〜 3)。 (1)は4A型
式 の単弁8弁
蓮華文軒丸瓦 で,四
天王 寺 に同範 記がある。
3点
出土 した。いずれ も硬 質 で,青
灰色 を呈 す。(2)は4C型
式 の単弁 10弁 蓮華文軒丸瓦 で, 1点
出土 した。 この資料 に よって,中
房 の蓮子 が 二十4で
ある ことが は じめて明 らか になった。比較的軟質で,淡
褐色 を呈 す。(3)は3B型
式 の単弁9弁
蓮華文軒 丸瓦 で,4点
出土 した。丸瓦 の接合位置 が図示 した例 よ り時計方 向 に90度 ずれ た ものが ある。いずれ も硬質 で
,灰
色 か青灰色 を呈 す。軒平瓦
114A型
式 が1点
出土 した。33A型
式 の尖端5葉
パ ル メ ッ トを配 した軒丸瓦 の掩 を 瓦 当面 に押捺 した もので,本
例 は少 な くとも4度
押捺 して いる。硬 質 で,青
灰色 を呈 す。丸瓦
行基丸瓦 と玉縁 丸瓦 の
2種
が ある。種別 を決定 できた破片 につ いて,各
部位 の最終調 整 別 に点数 を表 わ した(第2表 ,110ペ
ー ジ)。 また,玉
緑 の凸・ 凹面 に横 方 向のナ デ調整 を 施 した実例 が多 いなかで,玉緑 凹面 に布 目がつ くものが1点
だけある。なお,凸 面 の調整法 で,ハ ケメ調整 とすデ調整 を識別 できない例 が多いので
,表
においては両者 をあわせてすデツケ 調整 と総称 す る。平瓦
各部位 の最終調整 の組合 せ に よって
, 3群
に分類 できる。(A)側
面 は不調整 で分割萩 線 を残 す。端面 は横方 向のナデ調整,凸
面 は縦方 向の条線 の細 か いナ デツケ調整 を施 す。側3)
面 に
,分
割 す る際 目安 に したと思 われ る分割突起 の圧痕 をとどめる例 が ある。(B)側
面 はヘ ラケズ リ調整 ,端 面 は横方向のナデ調整,凸 面 は縦方 向,または横方 向のナデ ツケ調整 を施す。凸面 の叩 き目には格子 叩 き目 (第65図
1)と
花形 叩 き目 (第65図3)が
ある。また,凸
面 に 条線 の きわめて粗 い横 方 向のハ ケメ調整 をお こな うものが ある。(C)側
面 と端面 にヘ ラケズ3
器 、 抑 4 1 m
第64図 S D 3560出土 の軒瓦
り調整 による面取 り
,凸
面 に横方 向のナ デ ツケ調整 をおこなう。凹面 は各群 ともに,布
目を 部分的 に消去 した程度 の調整 が多い。完形 の資料 がないので
, 1つ
の破片で狽」面 と端面 を もつ もの,お
よび側面 だけをもつ もの を加 えて,各
群 ごとに点数 を示 せ ば,第 2表
になる。当溝 においてはA群
が主体 を占める。なお
,こ
の他 に凸面がハ ケメ調整 で,凹
面 に同心 円叩 き目をもつ例 (第65図4)が
ある。側 面 ・端面 の調整法 は明 らかでない。鶴尾
段型 を もつ
2点
が出土 した (第65図 5・ 6)。 色調か ら別個体 と思 われ る。(5)は左側 頭部 か ら胴部 にかか る破片 である。胴部外面 にのみ,正
段型 をけず り出す。頭部外面 と内面 はナデ調整。硬質で,灰
色 を呈 す。(6)は左側面鰭部 と腹部 にかか る頂部 にちかい部分の破片 で ある。外面 と鰭部内面 にのみけず り出 した正段型 をもつ。端面 は斜 めで,ヘ
ラケズ リ調整 を施 す。硬質で,暗
灰色 を呈 す。B
土娠 S K 3565出 土瓦第254ト レンチ は
,第
250ト レンチの西辺 で北 にのば した拡張 区であ り,土
媛S K3565はその北東の壁 にかか っている。切 りあい関係 か らみて,S D 3560よ り新 しい。 この土壊か ら,
軒丸瓦
4点 ,丸
瓦1点
が一括 して出土 した (第66図)。(1)は
4C型
式 の単弁蓮華文軒丸瓦 で,行
基丸瓦が と りつ く。瓦当部下半 を欠 く。裏面 は回 転 を利用 したす デ調整 を施 す。側面 は丁寧 にヘ ラケズ リを し,凹
面狽1に面取 りをお こな う。端面 に も凹面側 に面取 りをす る。凸面 は縦方向のナデツケ調整 があるが
,凹
面 は粘土板接合 痕 ,布 目痕 をとどめ,調 整 していない。瓦当面か ら19 3cmの 位置 に釘穴が あ く。比較的軟質で,淡褐 色 を呈 す。(2)は
3B型
式 の単弁9弁
蓮華文軒丸瓦 である。丸瓦部 は玉縁式 である。側面 は丁寧 にヘ ラケズ リをお こなった後,凹
面側 に面取 りをす る。凸面 は縦方 向にナデツケ調整 を し,横
方 向のす デツケ調整 をか さね る。凹面 は縦方向の粗 いナデツケ調整 で布 目を部分的 に消 し去 る。玉縁 には丁寧 な横方向のナデ調整 をお こない,凹
面基部 に横 方 向のヘ ラケズ リI:密
…
珍 l中
5m
l ・ i l
第65図
S D 3560埋
土 出上 の平瓦 と鴎尾調 整 をお こな う。釘穴 が瓦 当面 か ら26 5cmの 位置 にあ る。硬質で
,灰
色 を呈 す。(3)は3C型
式 の単弁
9弁
蓮華文軒丸瓦 で,玉
縁 丸瓦 が と りつ く。丸瓦部 の調整法 は(2)とほぼ同 じである。瓦 当部 から27.3cmの 位 置 に釘穴 が あく。比較 的軟 質で
,灰
色 を呈 す。なお,他
の軒 丸瓦1点
は玉縁 丸瓦 が と りつ くが
,瓦
当面 が欠落 して い る。九瓦 は玉縁 をもつ もので ある。C
法隆寺新型式 (第67図 1〜 3)(1)は単 弁
8弁
蓮華文軒丸瓦 である。突出 した中房 に小振 りの蓮子 を1+6配
す。中房 の ま わ りに濤 がめ ぐる。弁端 は丸み をもち,珠
点 をお く。 文様構 成 は4C型
式 に近似 す るので,4型
式 の 新種 と認 め た い。4型
式 の年代 か ら7世
紀 前 半 に属 す とみ られ る。第213ト レ ンチ と第214ト レンチで各1点
ず つ 出土 した。(2)は単 弁
8弁
遵華 文軒 丸瓦で ある。中ぶ くらみの突 出 した中房 に蓮 子 を1+8配
す。中房第66図
S K 3565出
上 の軒丸瓦か ら蓮弁 にむ かって,針状 の子葉 が走 る。
間弁 は大 きく
,外
区 内縁 に線 鋸歯 文 をめ ぐらす。22A型
式 に ちかい特 徴 を有す る ので,22型
式 の新種 とす る。22A型
式 の 年代 から7世
糸己後 半 に属 す とみ られる。第 214ト レ ンチで
1点
出 土 した。(3)は左偏 向の変形忍冬唐草文軒平瓦 で ある。外区に珠文 を配す。平城宮
6625A
型式 にあた り,同
籠資料 が奈良市押熊 町5)
押 熊 瓦 窯 で出土 した。窯 の操 業 年 代 か ら み て
, 8世
紀 後 半 に属 す と思 わ れ る。第 225ト レンチ で1点
出土 した。注
1)奈
良国立文化財研究所 『南都七大寺出土 軒瓦型式一覧(1)法隆寺』昭和58年。2)四
天王寺 『四天王寺図録古瓦編』昭和
H年
。3)滝
本正志氏の御教示による。4)石
田茂作 「法隆寺の古瓦」『秘賓法隆寺下』口召和45年
5)奈
良県教育委員会 『奈良山一一平城ニュー タウン予定地内遺跡調査概報』昭和48年。占︹ 数
比 率
%
倶
J
面 端面 凸
面 凹
面 不
調 整
ヘラケズリ 面 取 り
横ナデツケ ヘ ラ ケ ズ リ
面 取 り
縦ナデツケ
横 ナ デ ツケ
ヘ ラ ケ ズ リ
不 調 整
縦ナデツケ ヘ ラ ケ ズ リ 丸
瓦 行 基 5 l 4 4 1 1 4
玉 緑 6 1 8 6
平
瓦
A 群 65
(145)
75 6 (784)
65 145)
65 145)
3 11)
59 (127
3 (4)
B 群
9 (24)
10.4 (13.0)
9 (24)
9 5
12) 4 (11)
8 (19)
1 (2)
C 辞
12 (16)
ユ4.0 (86)
12 (16)
12 (16)
5 (7)
7 (9)
第
2表
S D 3560出 土 の丸瓦 と平瓦( )内
は側面のみの破片 を加 えた数値2.土 器類
昭和57年度 の調査 で出土 した土器類 の量 は さほど多いもので はない。 しか しなが ら
,東
大 門 と西大 門 を結 ぶ参道上,鏡
池南方 の第250ト レンチ を主 と して,法
隆寺 の創建期 に関 わ る6世
紀 末 〜7世
紀 前半期 の良好 な資料 を得 るな ど,重
要 な成果 をあ げる ことがで きた。第 250ト レンチで検 出 した2条
の南北大溝S D 2140・3560,及
び西狽」の大溝 S D 3560内 で検出 した土壊 S K 3565の 出土土器 は,既
に遺構 の項 で も述べたように,若
車伽藍 の北 。西辺 を画 す る掘立柱柵S A4850,3555と
の関連か ら,若
草伽藍 の造営時期 につ いての有力 な手 がか り を与 える ものである。今回 は,こ
の第250ト レンチ出土 の土器 を中心 に, 6世
紀 末 〜7世
紀 前半期 の資料 をまとめて報告 し,あ
わせ て,小
形木彫仏像 を伴 出 した。東 院回廊 の束 の第 2036ト レンチの井戸 S E 2590の 出土土器の概要 を報告する。なお
,鏡
池西南 の第251ト レンチ区で発見 され た和 同銭 。金箔 などの地鎮具 を収 めた土師 器椀(2個
体)に
つ いては別項 を参照 されたい。A S K 3561出
土土器 (第68図 第1・2, 4〜
9。 17・ 24〜26・ 28)土渡 S K 3561は 第250ト レンチの南北大溝 S D 3560の 溝内西岸寄 りの堆積土 中で検 出 した 堕芥処理用の土壊 である。灰色粘上 の埋土中か ら
,完
形 の土師器杯 C(1)や ほぼ完形 に復原 で きる土師器鉢B(5)。 甕C(8。
9)を始 め とす る多量 の土器 が出土 した。出土土器 は,土 師器・須恵器 と もに
7世
紀前半期 (第2四半期 頃)に限 られている。土師器杯CⅡ(1)は口径 11.7cm, 器高3.9伽 。底部外面不調整 で,内 面 にラセ ン状暗文・方射状暗文(以下 ラセ ン文 。方射状文)を もつ。ttC I(2)は 口径16.7cHl,器 高4.9cm。 底部外面ヘ ラ削 り
,回
縁 部外面 ヘ ラ磨 き。 ラ セ ン文 ・方射状文 をもつ。ttA(6)は 口径20.7cm,器
高10 6cm。 底部外面ヘ ラ削 りで,回
縁部 外面 を丁寧 にヘ ラ磨 き し,ラ
セ ン文 。2段
方射状文 をもつ。tt B(4。 5)は
口径34.4卿,器 高
10.5cm,及
び口径29.2cm,器
高9.2cm。 いずれ も底部外面 ヘ ラ削 りで,口
縁 吉卜外面 をヘ ラ磨 き し,内
面 に ラセ ン文 ・方射状文 をもつ。5は口縁部内面 を横方 向にヘ ラ磨 きす るが,4の
国縁部内面 は器面の風化が著 しく暗文 ・ヘ ラ磨 きの存否不 明。tt C(1)から鉢A(6)ま で色 調 は赤帽色,胎
土 は精良で,平
城宮I群
土器 に共通 する。甕C(8・
9)は口径24.4cal,器 高38.4cm,及
び口径23.4cm,器
高38.5cllで,ほ
ぼ同形 同大。体部外面縦ハ ケロ,内
面横ハ ケ ロ 調整 で,国
縁部 内外面 を ヨコナ デ して仕上 げるが, 8は
体部 内面下端 か ら底部 内面 のハ ケ ロ 調整 を省略 して,成
形 時の凹凸 を残 す。 また口縁部の形態 にもわずかな差 があ り, 8は
国縁 部端面 に沈線1条
をめ ぐら し, 9は
ヨコナデによ り口縁端部 を上方 に突 出 させてお さめる。黄灰色 の特徴 ある胎土 。色調 は
8'9と
一致 する。鍔甕(7)は口径22.Ocm。 同個体 とみ られる 体部 〜底部 の破片 が多数 あ り, 8,9同
様 ほぼその原形 に復原 できるもの と考 え られ るが,破面 の磨耗 の ため実際の復原 は困難 であ り
,口
縁 吉Б〜頸部のみ図示 した ものである。体部外 面縦 ハ ケロ調整 で,内
面 は成形 時の凹凸 をそのまま残 す。口縁部内面 を横ハ ケロ調整 の後,内外面 を ヨヨナ デ して仕上 げる。色調 は暗茶褐色 。胎土 に多量の黒雲母 を含 む。いわゆる「生 駒西麓」 の土器 である。
須 恵器 には杯
G蓋
・平瓶 。L・ 細頸壺・広 口壷 の他,甕
類 の体部破 片 が ある。杯G蓋
住前よ 径10 6cm,口
径7.8cm,器
高3.5cm。 頂部上面 カキ メ調整 で,宝
珠形 の銀 をもつα小形 の平瓶 99は 体部径15,7cm。 底部外面ヘ ラ削 り調整。平瓶90は 体部径14.6cm。 底部外面ヘ ラ削 りで,体部外面 はほぼ全 面 をカキ メ調整 し
,口
頸部 を接合する。甦99は 体部径8.7cm。 肩部 に1条
,頸部 中位 に
2条
の凹線 をめ ぐらす。細頸壺90は 体部径14.3cm。 底部外面ヘ ラ削 りで,体
部上 半 に凹線2条
と櫛描波状文 をめ ぐらす。24。 25。 26の 3個体 いずれ も体部 〜頸部 内面全体 に 漆 が附着 してお り,体
部 の破面 に も漆の附着 が認 め られ る。恐 らく漆容器 と して使用中,破
損 し廃棄 され た もので あろ う。広 口壺99は 体部径17.6cHl。 底著Б外面ヘ ラ削 りで
,頸
部 に凹線1条
をめ ぐらす。体部 内外面 はロクロナデ調整。体部 には径3〜 6 cmのブ クが ある。B S D2140出
土土器 (第68図 ,10。 12・ 13・ 27)大溝 S D 2140は 第250ト レンチで検 出 した
2条
の南北河道 の中,東
側 の河道 で ある。若草 伽蓋西辺 の掘立柱塀S A3555の造営 に先立 って埋 め立 て られ,排
水路 の役割 を西側 に新 たに 掘 られ た大溝 S D 3560に ゆず ることとな った。出土遺物 の大半 は造営工事 に伴 うとみ られ る 木材 の削 り屑 であ り,土
器 の出土量 は極 くわずかである。須恵器杯 Htの は青灰粘土層 出土。径 16.4卿
;口
径13 8cmで 底部外面 はヘ ラ削 り調整 。飛鳥寺下層出上 の杯Hに
近似 し, 6世
紀 後半 〜末頃の もの と考 え られ る。ttHtttは 溝底 の出土 。径13.3cul,口 径11.1伽,器
高3.7cm, 底部外面 はヘ ラ削 り調整。小墾田宮推定地 の溝 S D050・ 124出 土例 に近似 す る。6世
紀 末 〜7世
紀 初頭頃か。杯H10は
灰褐粘土層 出土。径12.9cm,国
径10.3釦,底
部外面 はヘ ラキ リの ままで,不
調整 。ttA?分 は S D 3560の 上 を覆 う褐灰粘土層 (埋土)か
ら出土 したもの。口径23.2cm,器
高12.9cHl。 底部外面ヘ ラ削 り,口
縁部外面 カキロ調整 で,口
縁部外面 と底部外面 に2条 1組
の凹線文3条
をめ ぐらす。内面 は底部か ら口縁部下半 までの広 い範囲 に及ぶ仕上 げナ デで平滑 に仕上 げている。C S D 3560出
土土器 (第68図, 3,14・
16・ 20〜22)大溝 S D 3560は 若草伽藍の造営 に伴 って埋 めたて られた河道 S D 2140に 代 って
,そ
の西狽1 に新 たに掘 られた南北方 向の大規模 な排水溝である。溝内堆積土,及
び堆積土中に掘 られた 土墳 S K 3561か ら7世
紀前半代 を中心 とす る多量 の土器 が出土 した。土 師器杯 C(3)は 国径
17.4cm,復
原 高約6.4釦,底
部 外面 ヘ ラ削 りで,回
縁 部外面 を粗 くヘ ラ磨 き し,内面 に方射状文 を もつ。内面 と口縁部外面上端 には薄 く茶褐色の漆 を塗 っている。炭混 り粘土層 出土 。図示 しなか ったが
,炭
混 り灰色粘土層か らはこの他 に も器面 に漆 を塗 っ た土師器杯 C・ 鉢Bな
どの小破片が多数出土 している。須 恵器杯
H10は
灰褐砂質土層 出土。径11.3cm,口
径9 3cm,器
高3.Ocm。 底 部外面 中央部 の0 20cln
第68図
出土 の土師器 ・須恵器・陶硯(ア ミロは漆塗)
11
獲 簑
<≧
≧ ゝ 172
ピ董 正 墾 ≧ ≧ 当 18
19
14 20
0 20clt
第69図
出土 の土師器 と須恵器 。陶硯
み をヘ ラ削 り し
,外
周 に はヘ ラキ リま まの粗 面 が残 る。受部 に上下 に貫通 す る径0.4cmの 円 孔 が ある。約%周
の破 片であ り,孔
の総数 は不明。その用途 につ いて も不 明である。上層 の 茶褐色砂質土層か らもほぼ同形態の杯Hl点
が出土 している。杯 H tt00と 平瓶¢かは下層の灰 握色粘土層 の出土品。14は 回径9.6cm,器
高3.Ocmで 頂部外面 はヘ ラキ リの ままの不調整。22 は回径6.7cm。 体部 の大半 を欠 く。tt BCO,杯 G蓋
9Cは 上層 の茶褐 色砂 質土層の出土品。21 は高台径9,7cm。 底部外面 をヘ ラ削 り して外方 へ心、ん ば った高台 をつ ける。仕上 げナデで平 滑 に調整 され た底部内面 と口縁部 内面 には全面朱 が附着 し,朱
の容器 と して用い られ たこと がわかる。20は 径12.4cm。 頂部上面 をヘ ラ削 りして仕上 げる。D S K 3570出
土土器 (第64区,18,19)
土壊 s K 3570は S K 3561と 同 じく西側の大溝 S D 3560の 堆積土中 に掘 られた墓芥処理用 の 土壊 である。出土土器 には
2点
の須恵器杯G蓋
(18。 19)が ある。18は 径10,8cHl,19は径11.6cll。頂部上面ヘ ラ削 り調整 。19は 頂部内面 〜口縁部 内面 の全面 に朱 が附着 する。
E S A 4850北
瓦落 ち出土土器 (第64肛,11・ 15)鏡 池東方 で検 出 した若草伽藍の北辺 を画 す掘立柱塀S A4850北側 の瓦落 ちで
, 8弁
蓮華文 軒丸瓦 ・凸部 を板状器具 でナデツケ調整洗濯板状整形瓦 した平瓦 と伴 出 した須恵器 である。杯
Hと
杯H蓋
が ある。tt H tttいは復原 口径約12 5cm。 頂 吉Б上 面ヘ ラ削 り調整。頂部 中央部 に わずか にヘ ラキ リのままの粗面 を残 す。杯H1511よ口縁部 〜受部 を欠 くため径 ・口径 ともに不 明で あるが,底
部径 か ら径 11 0cm前 後 に復原 で きる。底部外面ヘ ラ削 り調整。F
獣脚 円面硯 (第64図,29)
大宝蔵殿東辺 の第213ト レンチ南端 の瓦敷 き面 S X 4560で 検 出 した もの。獣脚1個を残 す 小破 片 で あ る。硯面の径 と脚部 の取 りつ き痕跡 か ら
9脚
に復原 できる。硯部の径28.4cmの 大 形品 であ る。幅3.Ocm,高さ3.Ocmの 方柱状 の脚部側面 と前面 の一部 にヘ ラ描 きの沈線 が残 り,第70図
S E 2590の
埋 土 出土 の土師器い̲̲̲̲̲̲̲̲̲― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
← ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 一 ― ― 一
︱ ︲
第71図
S D 3560埋
土 出上 の埴輪欠損 した脚部前面 の獣脚 の表 現 が推定 で きる。暗青灰色
,焼
成堅緻 で,硯
面 は使用 による磨 耗 が著 しい。G
円筒埴輪 (第71図)第250ト レンチ区 の南北 大 溝 S D 3560下 層 の灰 色粘土層及 び灰褐色粘土層 よ り
, 2個
体 分 の 円筒埴輪片 が出土 した。1は
上端 か ら2段
ロタガ部分の直上 まで を残 す約%周
の破片 で,上端 の径25.Ocm。 外面 を縦 ハ ケ ロで調整後
,断
面 台形 の扁平 なタガをめ ぐ らす。内面 はナデ 調整 のみ。器壁 は1.2〜 1.7cmで か な り厚 い。茶褐色・焼成堅緻 で,黒
斑 はみ られな い。内面 に煤状 の ものが附着 してお り,後
世 に何 らか の用途 に転用 された可能性 が ある。2・3は
同 一個体 。 1と 同 じく外面縦 ハ ケロ調整,内
面 ナ デ調整 であるが,最
上段 の内面 のみ横ハ ケロ 調整 を行 う。胴部 中位 の復原径約33cmで,1に
較 べ やや大形 である。胎土・焼成 は淡黄 白色で,堅 くやや もろい。
H S E 2590出
土土器 (第 72図)井 戸 S E 2590は 東院 回廊 東側 の第204ト レンチで検 出 した井戸。瓦 質井戸枠 の上 か ら
2段
目の内部埋土か ら大量 の土師器皿 と瓦質鉢 の破片数点が出土 した。土師器皿 はいずれ も内面 と口縁部外面上端 を ヨコナ デ,底
部外面不調整 の 「か わ らけ」様 の もので,胎
土 ・色調 は黄 褐 色 〜淡黄褐色,緻
密 。焼 成 もおおむね良好 である。平底 の もの一 a群(4)〜00と底部が上方 へ突 出す る特徴 を もつ もの一 b群(1)〜 (3)の2形
態 が あ り,ま
た第1表
に も明 らかな ように法 量 の ま とま りか ら,国
径 12.6〜 12.9伽 (平 均12.8cm),器高42〜 4.4cm(平
均4.3cm)の
al群,国径 10.6〜
11,9cm(11.4cm),器
高3.7〜4.8cm(4.3cHl)の a2群,回
径8.4〜9.8cm(8.9cm), 器高2.9〜4.2cm(3.5cm)の
a3群,口
径 6.8〜6 9cm(6.9cm),器
高 1.9〜2.3cm(2.lcm)の
a4群 と
,国
径 7.1〜8.lcm(7.8cHl),器
高3.2〜4.Ocm(3.5cm)の
b群 の5群
に分 ける ことが で きる。出土個体数 は 仙群4個
体,a2群
12個 体,a3群
21個 体,a4群 2個
体,b群
9個体 で,合
計 48個 体 が確認 で きる。 この中,最
も個体数の多いa3群の6割
強,ま
た次 に個 体数の多いa2群 の約2割
が灯 火器 と して用 い られてお り,b群
には灯火器 と して使用 され た ものが全 く認 め られない。 この ことは形態 の差 がまだその用途 とも深 い関わ りを持 っていた ことを示す もの で あろう。時期的 には,形
態 の特徴 ・法量 か ら,瓦
器椀 の終 末期 あるいは瓦 器椀終 末後 の室 町時代 の もの と推 定 され る。a群 中 に多数 の灯 火器 と して使用 され た もの を含 む こと,ま
た第72図
S E 2590埋
土 出土 の土師器7 J V8
‑9
窃
1 4
ヤ
2 く要≡≡≡]玉三三『 7'30 1 5cln
第
1表
出土 土 師 皿 法 量 表5 10
1 5cm出土土器 の半 数以上 が完全 な姿 の まま井 戸 内 に埋 没 してい ることを考 え合 わせ ると
,こ
れ ら一群 の土師器皿 は, S E 2590の 所属す る子 院 において灯火器 あるいは供養具 と して使用 され た後
,井
戸 の埋 没 に際 し一括 して廃棄 され た もの である可能性 が高 い。3.木 製品・金属器・地鎮具 ほか
A S E 2590出
土 品東 院東面 回廊 東側 で検 出 され た室 町時代 の井戸S E2590か らは
,仏
像,仏
像納入容器,塗
香器蓋
,銅
銭 が出土 した。仏 像 (第73図
)檀
像 の如 意輪 観音座像 で ある。頭頂部 に髪 を結 び,髪
目はな く墨 で塗 る。前面額 に宝冠 をいただ く。顔 面 は作 らない。体著Бには条 吊。裳 を纏 う。本来六背であるが,
左第一手・左第二手 。右第二手 は肩 か ら先 を欠失 する。左第二手 は台座上下垂下 し手指 を作 る。上膊 には衣 がかか り襲 を刻 む。右 第一手 は肘 を膝頭 につ け掌 を頼 に当 てるが
,肘
か ら手首 まで を欠失 す る。右 第二手 は第一手前面 に取 り付 き屈腎 し宝珠 を捧 げた もの と思 われるが, 肘 か ら先 を欠失 す る。右第 二手 は第一手 背面 に取 りつ き台座上 に垂 下 す る。右足 は膝 を立 て やや外 に傾 ける。左足 は欧座 す る。光背 は現存 しないが
,肩
部背面 に小孔 が あ り針金 を丸 め た円光背 をさ しこんだ もの と思 われ る。蓮華座 は六弁 の蓮弁 にそれぞれ間弁 の付 くもので, いずれ も一重 の隅取 りが ある。岩座 は全体 を荒 く削 り正面のみに細 かい削 りを入 れる。枢座 は木製八角形 で,底
面 中央 に径 3.5mmの 穴 が あ く。全高3.45cm,像
高1.80cm,台
座 高1.65cm, 室 町時代。ω l̲̲´
園 鰯
第73図 S E 2590出 上 の仏像納入容器 と仏像
仏像納入容器 (第73図
)
円筒形 で蓋 と身 に分かれる。いずれ も金銅製容器 のなかに木製 容器 をはめ こみ,内
側 に漆 を塗布す る。蓋 は側面 に右流れの唐草文,上
面 に八 弁 の蓮華文 を 毛彫 す る。内面の木製容器 は残 りが良 く,漆
を厚 く塗 リー部木屎漆 を用 いていると思 われ る。身 の側面 に も唐草文 を毛彫 す る。金銅製容器 の底面 はほとんど欠失 し木製容器 の底板 が露 出 す る。身 と蓋の接合部 は破損のため不明である。金銅製容器 は法量・文様構成 よ りみて
,一
対 の軸頭金具 を転用 したものであろう。蓋径
2.29cm,蓋
高1.47cm,身径2.25cm,身高1,35cm。塗 香器蓋 (第74図
12)青
銅製武ョ 受の半分 を欠失 する。銀 は切子面取。銀孔 は両方向か ら穿孔 す るが貫通 しない。銀座 は二重 の菊座 とな り,鉦
座 か ら0.5cm離 れ て突帯がめ ぐる。身受 に二重 の沈線 を刻 む。塗香器 の蓋 と思われ る。塗香器 は密教法具 の一種 で,漏水器 とセ ッ トを組 み二器 と呼 ばれ る。銃 。蓋・皿 よりな り
,外
面 に蓮弁飾 を施 す もの も多い。栃木県輪2)
王寺 に類品がある。鎌倉時代末。径
7.70cm,高
さ2.21釦 。第74図
出上の塗香器蓋 と木製品
叶 幹 TI:::一 ∇
0第75図 S E 2590出 土 の銅銭
銅銭 (第75図
)不
明銭1点
を除いていずれ も中国銭 で, 5種
10枚 出土 している。景徳元 宝 (初鋳年1004年 ),元
祐通宝 (1086年),淳
熙元宝 (1174年),聖宋元宝 (1101年)各 1枚
,大観通宝 (1107年
)5枚 ,銭
文不 明の銅銭1枚
。5B2630出
土品東 院西狽1の善住 院跡 で検 出 された平安時代初頭の井戸 S E 2630か らは横櫛
,曲
物底板 な ど が出土 した。横櫛 (第74照
)鋸
で細 い歯 を挽 き出 した挽歯の横櫛 である。平面形 は長方形 で肩部 が丸 くなる。上縁 (ムネ)の
断面形 は丸 く半 円形 を呈 する。切通 し線 はムネにほぼ平行す る。歯 数 はl cm当 り9本
で あ%。 全高3.2cm,歯
長2.5cm。 イス ノキ。曲物底板 (第74図11・
14)11は
側面の 2ヶ 所 に木釘痕 をとどめる。内面 を黒色 に塗 る。長 さ
15.6cm,幅 4.5cm,厚
さ0.85cm,復
元径19.8cm。 14はほぼ完形 であるが破損 が著 しい。平面形 はいびつ な円形 を呈 す る。本来 3ヶ 所 にあった木釘痕 の うち 2ヶ 所 をとどめる。最大 径14.Ocm〕 厚 さ0.7cm。 ヒノキ。
S E 2590出 上 の仏 像納入容器 と仏像 (実大)
S A 3555の
柱 根(高さ44釦)
第78図 S K 3600出土 の地鎮具
(X線
写真)付札状木製 品 (第74図
9)細
長 い柾 目材 の一端 に両側 よ り切 り欠 きを施 して いる。表面 は平滑 に削 る。形態的 には木 簡 で い う付 札 と同 じで あ るが墨 書 は無 い。付札 と して使用するために用意 した3)
未使用木簡 の可能性 が ある。長 さ21.7cm, 中冨1.35cm。 ヒノキ。
C S K 3600出
土 品 (口絵 カ ラー ペ ー ジ・第78・ 79図)地鎮具
土師器椀
Cの
なか に和銅開称 と金箔 をおき,別
の土師器椀Cで
蓋 を し ている。身 となる椀 の口縁部外面 に「大」の墨書がある。和 同開称 と金箔 は大部分 が身 となる椀 内部 に流入 した土 とともに 取 り上 げ られて いる。底部 に も lヶ 所和 同開称 の小片 が付着 す る。第79図 は和 同 開称 などの配置 を見上 げた状態 で図化 し ている。
和 同開称 は少 な くと も
2個
体 の存在 が 確認 され,内
1個体 は取 り上 げた土 の表 面 に付着 し,町 日同」「称」の字 をとどめる。その他
X線
写真 に よって土 中 に小破片 が 散在 してい ることがわか る。椀底部 に付Ocn
第79図 S K 3600出 上 の地 着 す る小破片 には「開」の字 をとどめる。
鎮具
金箔 が
2枚
ある。上記椀底部内面の和 同開称 か ら1.0〜 1.5cm離 れて,同
じく椀底部 内面 には りつ いた状態 で発見 された。 この他 に1枚 ,X線
写真 によって金箔の存在が推定 され る。土 器 の なか に銭貨 を入 れ る もので,何
らかの祭戸日的な意 図が うかがわれ る類例 と しては,東
京 都 多摩蘭坂 遺跡 出野 の須恵器椀・和 同開称 ・万年通宝 をあ げる ことが で きる 。 この場合 は 蔵骨器 と して報告 されているが,今
回の例 は寺院境内か らの出土 であ り,地
鎮 の ための もの と考 え られ る。奈良時代前半。D S A 3555出
土品柱根 (第77図
)若
車伽藍 の西 を画 す る掘立柱柵S A3555の柱 である。遺存状況 が悪 く,本来 の大 さをとどめない。下端近 くに幅約1lcmに わたって
,え
ぐれ た ように寓蝕 した部分が ある。筏穴の痕跡 と思 われ る。 コウヤマキ。木材 の削 り屑
S A 3555造
営以前 の河道 S D 2140か ら木材加工 の際の削 り屑 が多量 に出土 した。おおむね,手
斧 の ような大形 の工具 ではつ った際の削 り屑 である。E
その他 の出土品その他 の遺構 や包合層か らも
,漆
器 ・曲物底板 ・桶・銅銭・鉄釘・輔羽 口,動
物遺体 など が出土 した。漆器 (第74図
13)高
台付 小椀 。黒 色の下地 を施 した上 に黒 漆 を塗 りさらに朱漆 を重 ね る。復元径
9.2cm,高
さ2.5cm(第
207ト レンチ出土)銅銭 (第75図 1〜
8)天
聖通宝 (初鋳年1023年 ,第
222ト レンチ出土),治平元宝 (1064 年,第
230ト レンチ出土),熙
寧元宝 (1018,同左)各
1点,寛
永通宝 12点 が ある。輔 羽 口 (第80照
)第
213・ 240ト レンチか ら輪羽 口が出土 した。 この他,第
238・ 247・250ト レンチか ら鉱滓が出土 している。
動物遺体
いずれ も四肢骨の破片 で
,関
節部 の残存 す る もの はない。骨 の リン分 と地下水 が化 合 した ビ ビア ンナ イ トの結 晶 を析 出 して お り保存 は悪 い。同定 で きた もの は,ウ
マ(曼ηクd ωttJ″ク
dL力
ηθクd)の
左狽!上椀骨体部破片 である。他 に悦骨 。怪骨の破片 があるが種 の同定 はできない。(S D 2140出 土)。注
1)仏
像・仏像納入容器 。塗香器蓋については,奈
良国立博物館光森正士氏の御教示による。
2)奈
良国立博物館『密教法具』(H召和40年
講談社
) P130
3)奈
良国立文化財研究所『平城宮発堀調査報告
XI』
(Π召和57年)P104,P lll,P■
24)国
分寺市教育委員会恋ケ窪遺跡調査会
『多摩蘭坂遺跡』(H召和55年)P l16〜 P121
第80図
第213。 240ト レンチ出土の輔 口
氣 鷲
鶴
4 建築部材
善住 院か ら発見 され た平安 時代 と見 られ る
1辺
約lmの
井戸 の遺構 は,内
側 に横桟 を四角 に組 み合せ,そ
の外側 に厚 さ4〜
5 cmの板 を隙間 な く縦 に並べ,四
隅 に柱 を立 てた形 の井戸 枠 で,上
方 は寅朽 して いた。この井戸枠組 を解体 して見 ると
,横
桟 と隅柱 は,材
の断面が人角形 で,対
辺 間の寸法 は平均10.6cm程 度 の桧材 を使用 し
,チ
ョウナ仕上 げと していた。 これ らの人本の材 を総合 して考 察 す ると,化
粧垂木 と推定 され る痕跡 が三箇所 につ いて考 え られた。 しか し何本かの材 を切 使 いに していたの で,も
との長 さについては究明することが出来 なか った。重木 と推定 した第1の痕跡 は
,南
西 隅柱 と北東隅柱 に使用 されていた部材 に残 る,垂
木の先端 の茅 負 と見 られ る止 釘穴痕 の痕 跡 で あ り
,特
に北東 隅柱材 は,先
端 よ り上端 14cm程 を 0.5cm程 削取 って均 らし,木
口 よ り4 cm位 の ところに茅負の当 りと見 られ る圧痕 があ り,茅
負幅 はほぼ9 cm程度 と推定 され
,止
釘穴の痕跡 もあ り,周
皿 には風化のあとも窺 えた。その 他 の部分 の上端 につ いて は腐朽 のため判然 と しなか った。 しか しこの二本 の材 は,化
粧垂木 の先端部 と しか考 え られないものである。第2の痕跡 は,「エ ツ リ」穴 で,東 南隅柱材 と横桟材
4丁
のすべてに残存 していた。「エ ツ リ」穴 と云 うの は
,縄
や藤蔓の類 で他材 と しば り合 わせ るための穴 で,木
材 を筏 に して運 ぶ時 し ば りつ ける穴 とも同 じである。中央 に畔 を残 し両狽1よ り穴 をあけ,畔
下 を穿 ち通 す もので,上代建築 の垂木 などには良 く見 られ
,木
舞 な どを編 みつ けるための穴 である。この「エ ツ リ」穴の残存材
5丁
の内,北
側横桟材 の「エ ツ リ」穴 の大 きさは畔 を挟 んで幅 は4.5〜6.2cm,長
さは3.2〜 4.6cmあ り,穴
の間隔は一定ではないが,25cm前
後 で,南
と東の 横桟材 も,穴
の間隔 をのば し,北
横桟材 の 2コ マ分 と した もので,ほ
ゞ同 じ間隔 となる。 し か し南東隅柱材 につ いては間隔 は約22cm,西
横桟材 は29cm,33cmと 変則的 であるが,垂
木 を 打 ってか ら木舞 に合 わせ臨機 に穿 ったと見れば,こ
の穴の間隔の不 同 も差支えない。第3の痕跡 は
,上
記西横桟材 の端部 の痕跡 で,そ
れ には垂木拝 みの3枚
納の組手 の雌 の部 分 の半分が残存 し,栓
穴 と見 られる痕跡 もわずかに見 られ,同
納組 の痕跡 によると勾配 は%
勾配 と推定 され る。
以上
3点
の根拠 によって,垂
木 と考 えるほかないが,法
隆寺 には八 角形 の垂木 の建物 がな く,記
録 に もない。現在東室 に使用 されている丸垂木 中,当
初垂木 と見 られ る垂木 の径 は12〜15帥 と大 きい。出土 したノ\角重木 には風化の跡 も見 られ
,丸
垂木 を作 る途中の段階 とは考 え難 い。 その ほか八角材 で は,東
院伝 法堂 の天蓋釣 木等 が見 られ るが,「 エ ツ リ」穴 はな く また不用 で もある。平安時代以前 に於て八角形 の垂木の使用 されていた類例 は極 めて稀 であ ると思 われ,い
づ れの建物 に使用 されていたか は見当がつかないが,先
端 の風化程度 よ リー 軒 で はないか と見 られ る。先端部 よ り後方上端 がかな り寓朽 していたので,軒
先 が板張 りで南
側
第81図
善 住 院 出土 の井 戸枠 材 実 測 図1
あ ったが,「 エ ツ リ」 穴 が あって木舞絡 みで
,大
講堂 の様 に軒裏 を塗上 げていたか判然 と し ないが,上
方 は「エ ツ リ」穴が残存 しているので,屋
根 野地 兼用 と して使 用 していた と推 定 され る。南 西 隅 柱
第82図
善住院出土の井戸枠材実沢J蜃 2
第83図
実相 院表 門前 の石列 と瓦 溜 (東南 か ら)第 224ト レンチ
遷 奎
釘 穴 通 る
南 東 隅 柱