﹃ 杜 若 七 重 の 染 衣
﹄ を め ぐ る 二 、 三 の 考 察
1神霊事と七変化‑
J神霊事の構造
(Ill かきつぱたななえそめぎぬ 寛政四年(一七九二)四月、江戸河原崎座初演﹃杜若七重の染衣﹄は'神霊が敵 役の悪事を翻弄する変化舞踊である。山名宗全の家来二人が、斯波家の重宝「七星の 鏡」を奪うために、細川の館に忍び込む。すると'四代目岩井半四郎扮する七星の鏡 の精が'小町・手習子・座頭・松風・浦島・おぼこ人形の姿になって妨げ'最後に石 橋の獅子の精となって現れる。そして「七星の神霊有がたやなア」と称えられて幕に なる神霊事の構造を持っている。
神霊事は「化身事」とも言い、元禄時代における江戸歌舞伎の中で成長した。﹃演 劇百科大事典﹄には「神仏が化身して出現する歌舞伎の局面または演出の一種。主と して元禄以後の江戸劇壇で発達したもので'大詰に神霊がその正体をあらわして、悪 人をと‑ひしぐといったシーンを演ずる。鍾櫨・仁王・不動・竜神・鳴神・毘沙門 天・文殊菩薩・牛頭天王・愛染明王などにふんしてあらわれるもので、主として初世 市川団十郎によって荒事と結びついて成立した」(郡司正勝氏執筆)と説明している。
I=]l郡司氏は「荒事の成立」で、「荒事を構成する要素のうちには、荒神の生身の出現と、
その示顕によって悪人を蹴散らす条‑と、さらに祝福を垂れる神としての部分に分け ることができるとおもう。」と'神霊事の演出は荒事の要素に含まれるもので、その 悪人退治の現世的で烈しいリアルな葛藤に、荒事の近世的意義を見出し、これは元禄 期の上方の「開帳物」の大切の場面が、総おど‑の形式であるのに対する江戸の形式 で、それらの多‑が神仏の示顕という形で表わされることを「元禄歌舞伎における開
\1,・l 帳物」中で論じている。
\・
1\
佐藤恵里氏は'「大切の神霊事における鬼の存在」で'こうした神霊の出現の局面 を'「上演形式からは最終の四・五番目、また、あと、うち出しとなるいわゆる幕切 れとしての大切という、一日の興行の最終部分だけでは必ずしもないが、特に大切に 顕著な演出であ‑、しかも、この以前に行われる場合'傾向としては各番の切である こと、次いで'江戸では、郡司の論考にあるように上方と較べて開帳あてこみが少な
阿 部 さ と み
‑、開帳の場以外にも大切において神霊事の行われているのが絵入狂言本からたしか
められた。」と述べ、元禄期以降も切に神霊事は行われ'切・話といった語であらわ
される幕切れの局面に神霊事は演出されていったとしている。さらに'神仏の出現す
る場を筋の上から捉えると、「神仏の存在によって家・国が納まる、すなわち、いわ
ゆる家の再興がここに確定するのと'悪人退治して家の再興がいったん詣われたのち
\l・/この祝の席になる」 ことを論じ'悪霊'悪人退治が、大切に行なうべき定式の演出の一
としてあったことの意味を見ている。そして'神仏の祝福のしかたを、Ⅲ所領安堵に
ょって守護を約束するもの、佃悪人・悪霊を降伏するもの'刷善悪の対立を平定する
ものt の三つに分類し、回と佃をその典型としている。
式亭三馬が享和三年(一八〇三) に刊行した﹃戯場訓蒙図嚢﹄ の巻末には'大詰に
示現する神仏として、不動明王・布袋・竜女(1名クリカラ)・弁財天・役小角・鐘
旭・毘沙門天王を図示し'その他に「天満宮・稲荷・八幡宮・観世音・孔雀明王・大
威徳明王・愛染明王・閣魔王・鬼子母神・こんがら・せいたか・その外神仏のつかは
しめなど数へ尽きず」をあげて'「右の神仏は狂言の大詰な‑。△序開きの精霊とも
に大詰の神仏は吉例なるがゆゑに、以てこの書の大尾にあらはすといふ。ドロン/\
ドロくノ\くく」と記され、これによって神霊事の神仏の例と'神霊事が大詰
に行われていた演出であることがわかる。この大詰の神霊事とは具体的にどのような
ものだったであろうか。文化十年(1八二二)刊、式亭三馬作の滑稽本﹃浮世臥配﹄の中に、肝右衛門、古
左衛門という二人の老人が昔を回想して'神霊事について次のように述べている。
こ つ と ら に せ へ こ ど も じ で い お ほ づ め あ つ ち か こ ろ
きも「此方等が二才子供の時代にヤア'大詰といふものが有たが'近頃はさつば
お
ほ
づ
め
い
,
も
の
さ
う
ぎ
ち
う
‑やめた。古「さやうく。ア'大詰といふものははなやかな能物さ。惣座中の
や‑しや で りやうたいLやう むま のつ さ ゆう さいくわい
役者がのこらず出て、両大将が馬に騎て左右に立ならぶ。きも「再会くとか
‑やうほう あ やみ ふいどう おしだいふ事をいって両方がにらみ合ふネ。古「さやうく。止なん/\で不動
う
が
り
や う
つ
ち
ぐ
も お
し
だ
Lや'字賀龍とか土蜘妹とかいふものゝ押出し。イヤハヤ、はな
やう棟
がな
かっ
た。
37 m ご ひ い き か ん じ ん ち よ う
安永二年(一七七三) 十一月'江戸中村座初演の ﹃御摂勧進帳﹄ の第一番目七建
目大詰に神霊事の局面がある。
団十郎
雄次郎 やみなん︿。
門之助
なが
ト 是 よ り 流 し に な
‑
ふどう へ
め
ん
ひ
ま
正面の山幕を引き上ると真ん中に、団十郎、石
こ ん が ら へ
の不動の見得。左右に雄次郎・門之助'金伽羅・制晦迦の見得にて
浴押し出し、太鼓打上る
(中
略)
団十郎 やみなんく、われは是、
ぞう不動明王の霊像な‑。
よ し つ ね し ん ぐ い わ く ら あ ん ぢ
義経日ごろ信心なす、岩倉山に安置なす所の
ト ビ ろ /
\ く く
(中
略)
ありがた
少長 ア,ラ、有難やなア。
(中
略)
よろいト是よ‑太鼓、寄せにて、広次・又太郎、鎧を引合て、まん中に立つ。
( わ か い し ゆ ) つ か さ し も う へ の ち い
雷蔵、若衆を積み重ねて、下の方に、その上に乗り'小さき三升の
あ
ふ
ぎ
ひ
ら
あ
を
か
み
か
た
へ
な
ら
紋の扇を開き、煽ぐ。少長、上の方へ直る。いづれも見得よ‑並ぶ
団十郎
g&
31
雄次郎 なをノ\、行末、守るべし。
門之助
と う が く
つ てうちん‑是よ‑唐楽にな‑、上よ‑三升の付いたる大提灯'両方へ下る。花
ふ と う が
‑ う あ
降る。唐楽'打ち上げる‑‑
古井戸秀夫氏が、
「やみなんノ\」といい、「なおく行末守るべし」と誓う。この誓いのパターン が古き好き時代の顔見世を象徴するものだった。(中略)一番目の大詰で、神霊となって出現した役者が「やみなんく」「なおく行末守るべし」と誓った。その神霊は能の五番目の切能の系譜を引‑もので'いわゆる祝言として右のきまりゼリフをいったのである。
:c3乃と述べたように、神霊登場の際の決ま‑文句である「止みなんく」 のセリフ、「有
難やなア」と人々に称えられること'「行末、守るべし」と、神霊が未来を守護する誓Innを言うこと,「乱撃の鳴物を使用すること、敵勢の演出が行われることなどが
神霊事の特色としてあげられる。
l\本稿で論じようとする ﹃杜若七重の染衣﹄ の場合は'幕切れになって、敵方の悪人
(:I:I)が宝蔵へ入‑込もうとすると、花道から七星の鏡の精が出る。「獅子の座にこそなをれ
けれ」と石橋の所作事が納まると、荒若衆の太郎(雷助)が奥よ‑出て幕切れとなる。
ト‑るひの内鉄五郎勘蔵を相手に立廻‑よろしく有てとゞ半四郎まん
中の岩茎の上にしゃんと兄へ鉄五郎勘蔵は左右に引はりよろし‑牡丹
のいせう六人のと‑手は前へさほいならぶおくよ‑雷助いぜんのなり
にて出て上の方へたちかゝ‑
雷助一 七星の鏡の神霊'有がたやなア
(中
略)
半四郎一行‑末長‑守るべし。
ト唐が‑にな‑こ‑ふよ‑花ふつて来‑半四郎何レも引は‑よろし‑
此の見へにて⁚‑・
ここには先に掲げた特色のすべてが見られるとともに'筋の上からは佐藤恵里氏の
分類の川所領安堵によって守護を約束するものt であることが確かめられ、七変化で
あると同時に伝統的な神霊事の局面に所作事を伴った例であることがわかる。つま‑
﹃杜若七重の染衣﹄は、七変化の中に神霊事を取り込んで成立している'特色ある舞
踊と言える。
これよ‑以前、四代目半四郎が天明五年(一七八五) 正月に大坂'中の芝居で上演
しちへんげな,くさびやうし (S3) けいせい む つさ
した﹃七変化七押拍子﹄もこれと同様の構成をとっていた。この作は﹃傾城睦月の
じんだて陣立﹄という天草騒動に取材した二の替狂言の一幕で、半四郎の扮する傾城大矢野が、
「茶屋場」 で浪島家の若殿甲次郎(助十郎) の帰参のために浪島家の重宝「先鉾の御
旗」を取‑返そうとして敵役に殺される。そして「室町館の場」に'その一念が掛け
軸の妻乞の猫と変じてあらわれ、若殿を殺そうとする敵役を'自拍子・春駒・傾城・
老女・座頭・切禿の姿になって翻弄し、最後に石橋の獅子の姿になる。
半四
郎、
石橋
の形
にて
出る
(
中略
)
トこの間に舞台先へ牡丹の花見事に出る組子を相手に半四郎大立この
中へ兵部をれん‑引の心にて引付ける。蔦右衛門いろくなやまさ るゝもやうのうち半四郎はたを取とゞ組子みなく引き付ける‑み子
みな‑/\山のかたちに成‑、此上へ半四郎上が‑獅子の見得宣敷あっ
て、
兵部
が御
旗を
ばい
かへ
す。
半四郎 先鉾の御旗、おわたし申しませふ。
助十郎 エ、添い。大矢野が亡魂猫と化してうばわれし御旗をと‑かへすそのうへ
ま
半 四 郎 目 出 た い く
若殿甲次郎が'猫の正体が大矢野の亡魂であることを、観客の前で明らかにし、亡
魂が祝言を述べて幕になるという筋である。先の﹃杜若七重の染衣﹄の神霊とは違い'
ここでは亡魂が変化して敵方の悪の計略を妨げるというものであるが'最後に石橋の
獅子の精になり、その家の宝を守る働きをするという内容から、この作もまた神霊事
の構造をもった所作事であることがわかる。大坂での上演では、神霊ではな‑怨霊で
t V2 )
あったのが特色であろう。
この大矢野のように非業の死を遂げた亡魂が殺した相手に崇らずに、かえって思い
人のために活躍するという趣向は'女形の怨霊事の特色で、怨霊事は怨念の表出よ‑
も、むしろその人間ばなれした動き'活躍を描いてきた。それがこの ﹃七変化七州拍
子﹄ では、さらに神霊事の構造を取‑込んで'七変化の中に仕組んでいる。こうした
七変化の流れの中で神霊事の構造はどのように形成されてい‑のだろうか。
二 怨霊事から神霊事へ
変化舞踊は'単なるレビュー式の組合せの舞踊ではな‑、本体をもったものが幾つ
I zL i
にも変わる姿を見せるものである。服部幸雄氏は ﹃変化論﹄ で 「一般に変化舞踊とい
う時、④1⑧1⑥1⑤1⑥のように、役柄'道具、扮装'振‑のトーン、地の音楽な
どを、次から次へと変化させる舞踊組曲のことであると理解されている。この理解は 必ずしも誤っていないけれども'それは展開の過程で普遍化した外面的な姿であり、変化舞踊の担った本質ではなかった。変化舞踊は左に図示した構造によって成‑立っていた。すなわち、あらゆる変化身の根元となる「念」 (思い) が底に在り、その怨念な‑霊の力な‑が、それぞれ④となりと⑧と化現し⑥⑤⑥と顕われるtという構造」であることを述べ'変化舞踊の概念を「人間の怨念が'動物(妖怪を含む) の姿を借りて現れ、その威力を借‑て特定の相手を苦しめたり、と‑殺した‑する」という形を基とし、日本の芸能では'従来この「人間の怨念が凝って動物の姿とな‑'その威を借‑て報復する」パターンを持つことはほとんどなかったのが、女方による「怨霊事」 の芸能の中に、このパターンが成立する様を見ている。
変化舞踊の晴夫は'元禄十年(一六九七)京都万太夫座で水木辰之助の演じた﹃七
化﹄とされ'その内容は、元禄十一年(一六九八)正月'都万太夫座の興行の狂言﹃上(B京の謡始﹄中のセリフから伺い知れる。
「此ちいさい子が.おどつてゐるはなんぞ.」「七ぼけでござんす.」「七ぼけと
は.」「それは水木辰之介と云女がたが.万太夫がしぼいへ上‑まして.かほみせ
のきゃうげんに.大和屋甚兵衛にころされ1念が.則ぽんなふのいぬと成.又姿
をかへ‑げと成.ぢいに成子と成.おんれうと成ついにふうふと成ました」
「むゝ甚兵衛はおんれうとめうとに成たか⊥「いや甚兵衛がおやにがてんさせふ
ために.水木としぐみて.わざとおんれうに成ました.」
詳しい筋はわからないが、大和屋甚兵衛に殺された女の怨霊が'煩悩の犬、冠装束
姿の公家、爺、禿'若衆'藤壷の怨霊'遅々と姿を変えて現われ、踊るものであった。
この「﹃七化け﹄は'元禄期の上方歌舞伎において、女方の基本芸の一つとさえ考
えられて流行した、﹃怨霊事﹄ のパターンの中で発想され、表象された」と服部氏が
前出「変化論」 で述べているように'﹃七化﹄以前、延宝五年(一六七七)、都万太夫
座、近松門左衛門作「藤壷の怨霊」 では'藤壷の女御の怨霊が、藤の花から大蛇にな
るという趣向や'元禄三年(1六九〇)都万太夫座'﹃水木辰之助助鰻振舞﹄での「有
馬の湯女お藤、悪人九太夫に殺され、その死霊、悪人を苦しめて仇を報ず」というも
の、
元禄
八年
(1
六九
五)
正月
、京
早雲
座﹃
今源
氏六
十帖
﹄
で辰
之助
が、
女の
情念
が
凝って猫と化し、庭前の胡蝶と戯れる狂乱の所作事を見せる等'怨霊事の系譜の中で、
変化ものが成立していったと考えられる例が数多‑みられる。
郡司正勝氏が 「元禄かぶきの多‑が神仏の霊験を売‑ものにした社寺の開帳レジャ
ーとタイアップするのも、この怨霊事が華やかに所作事化し'また多‑綱渡‑や蜘昧
系の軽業芸が入って'ケレン芸をみせるのは、真夏の夜の夢の妖精のごと‑明る‑て
陰惨さがない。名高い浅間森などむしろ反魂香の古典をふまえて、恋文をたいた煙の
なかから'傾城があらわれるといった優艶とでもいうべき美を形成している。この怨
霊事の系譜は'さらにのちに変化物といった'1人で何役もかわるレビュー式舞踊となって展開する」(「死への臥御」)と論じたように、「おんりようとなって地赤にうろ
こかたのは‑Lやうぞ‑きてかるわざのはたらきずいゑんふしきの妙をゑ給ふ」 (上
村吉弥評﹃野良立役舞台大鏡﹄貞享四年)'「扇の手まひぶ‑.至っておんれうしれう.
やつしけいせい事めいじん.ことさらむかしから.女がたにも立役にも.つゐにいた
さぬ
七ぼ
け.
功を
へず
ば成
まい
事」
(
水木
辰之
助評
﹃役
者口
三味
線﹄
元禄
十二
年)
、「
獅
子の所作.身のかろきゆへ.しなやかにしてげいにはゞ有三点‑‑女房.せいがいは
とな‑.井戸の内よりおんりやうと成出る」 (小嶋平七評﹃役者舞扇子﹄元禄十七
年)'「次にみだいの執心ねこと成左京に取付.てふとの所作事.此狂言のたゞなか.
かるわざのお上手」 (山下又四郎評﹃役者舞扇子﹄元禄十七年)‑‑等、役者評判記
からうかがえる怨霊事や軽業芸からは暗さは感じられず、むしろ'怨念が味や青海波
( S)
になる等'華やかさを伴っていた。さらに、﹃傾城仏の原﹄ (元禄十二年正月'都万太(3夫座) で竹姫が奥州に恨みごとをいう件や'﹃傾城壬生大念仏﹄ (元禄十五年正月'都
万太夫座)での、おみよがかつ姫と民弥に恨み言をいう件等には、小唄が挿入されて'
怨霊事が所作事として'優美なものとして展開してきたことがわかる。
享保
十九
年(
l七
三E
l)
春中
村座
、初
代瀬
川菊
之丞
が踊
った
﹃相
生獅
子﹄
は、
﹃浅
間森﹄ の後日講で、悪人に殺された傾城奥州の亡霊は、恋人の京の次郎がかつて交わ
した起請を火にくべて焼いてしまうのを恨み'その煙の中から出現して恨み事を述べ
るが、かえって男の真心を知ることになる。そして再び男の見る夢に現われて踊‑を
見せるのが﹃相生獅子﹄で、相手に崇るのではない点に当時の怨霊事の特色があった。
こうして怨霊事が傾城などの人間の女性やその怨念を本体としてきた中、江戸で、
初代中村富十郎が、宝暦八年1月'「あは島ひなの神れい本ぢふげんばさつ」(「番付
の役
人替
名」
)、
明和
八年
秋、
「草
売‑
おい
ろ実
は平
親王
将門
の霊
」
(﹃
菊八
重七
人化
粧﹄
、
「番
付の
役人
替名
」)
、安
永四
年一
月'
「勅
使大
伴道
主実
ハ平
親王
将門
神霊
」
(﹃
其彩
色七
'‑ 'I
折扇子﹄「番付の役人替名」) の変化舞踊で'普賢菩薩'平親王将門の神霊と'その本
体を神霊とするものを踊った。
そ の さ い し き な
、 お り あ う ぎ
このうち内容が確かめられるのは、安永四年﹃其彩色七折扇子﹄ (演劇博物館所蔵)
で、正本の写本によって劇構成がわかる。工藤祐経の館で'曽我十郎と鹿島三郎が宿
直をしていると、そこへ富十郎が白拍子姿であらわれる。三人で廓遊びの口舌の振‑
になったのち、隙をみて白拍子が寝所に入ろうとして立過‑にな‑'白拍子は姿を消
す。次いで富十郎が仙台座頭の姿であらわれ'嬢の女に化けた信田千寿の前(岩井半
四郎)と所作にな‑'寝所を窺う立廻‑となる。そのうちに座頭も姿を消し、早替‑ で勅使になって'小野お通との所作がある。最後には乎親王将門の神霊という正体を顕わしへ悪人の謀計から工藤祐経を救おうとした旨を明かすといった展開で'これも神霊事の構造を持った所作事になっている。
宿直の館に自拍子や座頭、勅使といった変化が姿をあらわしては消え、宿直の侍等
を慰めた‑、翻弄したりして、最後は神霊の本体を顕わすというこの設定は、明和二
年に市村羽左衛門の踊った﹃蜘昧糸梓弦﹄以降'類型化された趣向である。﹃蜘昧練
梓弦﹄ では、羽左衛門の扮する土蜘妹の精が頼光に障碑をしようとするのに対し'女
みこ形の芳沢崎之助は神子になって頼光の寝所を訪れる。崎之助の神子は中国の弓の名人
養由基の娘研花女の化身で、頼光に弓矢を授け、病気を本復させる働きをする。
これは 「七変化をはじめとする変化物の構成にならうもので'羽左衛門の方が酒呑
童子や鶴による実悪、敵役の七変化で、崎之助が水木辰之助の ﹃七化﹄以来の伝統をひくものである」と、古井戸秀夫氏が「顔見世と蜘妹の敷野中で指摘しているよう
に'富十郎以前の立役系の変化ものには、「美女丸と成て。本性は酒天どうじにて。
七へ
んげ
の趣
向。
」
(享
保八
年十
一月
'江
戸'
市村
竹之
丞﹃
役者
辰暦
芸品
走﹄
)、
「ひ
ゑ
い山大天狗と成。高時を魔道に入レんと七化の所作」 (寛保三年十一月'江戸、市山
伝五
郎'
﹃役
者子
住算
﹄)
'「
鶴の
正体
を顕
すま
で七
変化
の仕
内」
(
宝暦
十一
年十
一月
、
大坂
'中
村歌
右衛
門﹃
役者
年越
草﹄
)
など
、酒
呑童
子、
比叡
山の
大天
狗、
鶴等
とう
悪
役の本体を持つものが見え、障椿をしようとする悪霊を主体としていたことがわか
る。その一方で女形系は'悪から守る神霊を本体とした変化ものとして展開してきた。
﹃杜若七重染衣﹄は'これに連なるものである。
しかし'富十郎以降、立役系の変化舞踊も次第に実悪、敵役の役者から離れて'立役が演じるようになると、「北斗名玉の霊形(番付の役人敷a)」(坂東三津五郎﹃倭
仮名
色七
文字
﹄文
化五
年十
一月
、江
戸)
、「
鎮宅
霊府
北斗
の精
(
番付
の役
人替
名)
」
(坂
東三津五郎﹃七枚続花の姿絵﹄文化八年三月、江戸)、「宋鐘櫨の神霊七変化所作事中
村歌右衛門相勤申侯(正本)」 (中村歌右衛門﹃遅桜手爾菓七文字﹄文化八年三月、江
戸)
、「
宋鐘
櫨の
神霊
(絵
本番
付)
」
(関
三十
郎﹃
夏咲
似山
桜﹄
文化
十年
三月
'江
戸)
'「
信
田の社稲荷の神霊(番付の役人替名)」 (沢村田之助﹃御名残尾花留袖﹄文化十年九月、
江戸) と、以前の実悪'敵役系の酒呑童子、比叡山の大天狗'鶴等は姿を消し、北斗
名玉の霊、北斗の精、宋鐘堰の神霊、稲荷の神霊と'神霊を本体としたものになって
いく
文化文政の変化もの流行のきっかけとなった文化八年の三津五郎と歌右衛門の競演 。
では
、≡
津五
郎の
﹃
七枚
続花
の姿
絵﹄
に
「鎮
宅霊
府北
斗」
(
番付
の役
人替
名)
と
いう
役が
あ‑
、歌
右衛
門の
﹃
遅桜
手爾
葉七
文字
﹄
では
、「
宋鐘
櫨の
神霊
」
(正
本の
表紙
)
と
いう本体があることが知れ'この段階では、まだ神霊事の枠組みが存在していること
がわ
かる
。
∴∵古井戸秀夫氏は「七変化と変化物」で'初期の変化物にあった「変化の枠組」や「仕
組」が'文化文政期の変化物の流行に至‑解体してい‑様を追い、本来'変化身とい
う本性を基盤に'次々と姿を変じていたものが、単なる組合せの踊になってい‑過程
を考察した。そして'その踊‑を統括すると思われる役が普通の人間でない'いわゆ
る「妖怪変化」 の範晴にある場合が圧倒的に多いことを指摘している。そして、それがなくなるのが文化文政期で、
団十郎の「四変化」があらわれてから、文政末年までに上演された八つの 「七変
化」「七化」には、すべて「変化」 の主体となる役がな‑な‑、そのことが大当
‑した歌右衛門の ﹃遅桜手爾葉七文字﹄ の正本に明瞭にあらわれた。かつて表紙
に「宋鍾櫨神霊七変化所作事中村歌右衛門相勤申候」とされた正本が、文政四年
に再版された際「七へんげ所作事中村歌右衛門相つとめ申候」に変わ‑'「変化」
の構図がなくなった。
・小 rこ
と述べたとおり、変化舞踊は、神霊という本体、変化の主体となる役を失ってい‑。
変化の構造がな‑なるのである。この時期には、先にあげた﹃浮世風呂﹄ の老人が語
っているように、大詰の神霊事そのものが過去のものとなっている。このように変化
ものの中に神霊事の構造を取‑込む趣向が発生し'解体してい‑という時期の中間に
残さ
れた
のが
﹃杜
若七
重の
染衣
﹄
であ
る。
三 ﹃杜若七重の染衣﹄
﹃杜若七重の染衣﹄(国立国会図書駁撃は、歌舞伎台本の中で文化文政以前の「変
化もの」が見られる数少ない例である。ここで、その内容を分析し、神霊事以外の特
徴をみてゆ‑。資料①は (国立国会図書館蔵)を参照して作成した。s
﹃杜
若七
重の
染衣
﹄は
'寛
政四
年(
1七
九二
)四
月'
河原
崎座
上演
の﹃
傾城
金秤
目﹄
の第二番目大詰に演じられた変化舞踊である。作者は増山金八、作詞作曲・初代杵屋
正次郎'振付・西川扇蔵。﹃傾城金秤目﹄ の大名題は、足利頼兼が傾城高尾を秤にか
けて、その重量相当の金で身請けをしたという伝説を取り入れた筋から名付けられた
もので、一番目には﹃伽羅先代萩﹄ の「御殿」「床下」'高尾太夫殺し等の局面が盛‑
込まれ'伊達騒動を室町時代に移して描いている。
二番目には斯波家のお家騒動を仕組み、ここで半四郎は、斯波主計頭義春の弟釆女
之助に扮している。
序幕「斯波館の場」、早魅の雨乞いのために斯波家の重宝「七星の鏡」が必要とさ れ、将軍義政公よ‑禁庭へ差上げるようにとの命が下る。早速、釆女之助が使いに立ち、管領へ持参しようとする途中'盗賊に奪われる。釆女之助は切腹、それを申し訳に五十日の日延べを許される。釆女之助の魂は'死後'掛け軸の姿絵に乗‑移り、毒酒を呑まされた兄、主計頭の危機を救う。
中幕「恋衣縁初桜」は'女鳴神の趣向で展開する。先の掛け軸を火に‑べると、釆
女之助が反魂香の趣向で、若衆姿で現われる。釆女之助は鳴神比丘尼に言い寄‑、七
星の鏡のために死んだこと'そのため苦息から逃れられないことを物語‑、鳴神比丘
尼の兄'菊池次郎武図が隠した七星の鏡を取‑戻し、将軍へ差上げることを頼む。以
前から釆女之助に恋慕していた鳴神比丘尼は、滝壷に隠された七星の鏡を取返し、細
川勝元妻真弓(半四郎) に届ける役目をする。
これに続‑のが﹃杜若七重の染衣﹄で'半四郎は七星の鏡の精とな‑'小町・手習
子・座頭・桧風・浦島・おぼこ人形・石橋と変化して'斯波家を守ることを約束す
る。舞
台は
'細
川勝
元館
の場
'山
名宗
全の
家来
'源
吾(
勘蔵
)、
権藤
(鉄
五郎
)
が斯
波
家の重宝七星の鏡を奪うために細川勝元の館へ忍び込む。この鏡は、斯波家の重宝で'
細川勝元は武将足利義政に七星の鏡を献上Lt 斯波家の再興を願い出ようとしてい
る。勝元と敵対している山名宗全は、七星の鏡を手に入れ、天皇へ差上げて、勝元の
鼻をあかそうとしているという前提である。
斯波家の塀外でこれらのことが語られた後'源吾と権藤が館の塀を莱‑越えようと
する。するとドロドロにな‑'皆々め‑るめいて'二人は下座の方へ入る。御簾屋台
が現われ、簾が上がると 「小町」が出る。振‑が終り、源吾が切りかかると、上の方
にあるぶん廻しで小町は消える。またドロドロにな‑、源吾が下座の方に入ると、花
道から「手習子」 が出る。所作が納まると、権藤が出るが、ドロドロで倒れているう
ちに'手習子もぶん廻しで消える。源吾が出て、倒れている権藤を呼び起こし、今起
こった出来事は化生の仕業に違いないと話す。そのうち、肩が張‑'腕が痛むという
ので'按摩が欲しいというやりと‑をしていると、ドロドロになり、「座頭」がセリ
上がる。置、出端がすみ'座頭が本舞台に‑ると'権藤が按摩をとってやる等のセリ
フがあり、また所作になる。二人がこの座頭を曲者と判断し、切‑かかるが'権藤が
倒れて下座の方へ入‑'その間に座頭はぶん廻しで消えている。残った源吾が宝蔵へ
行こうとすると、七曜の星が現われ、花道からは荒若衆姿の熊川太郎文時 (雷蔵) が出る。七曜の星について、太郎と源吾の渡‑ゼリフにな‑、二人は本舞台で出会い、
早‑と‑のうちに源吾が懐から一巻を落とす。それを見た太郎は源吾を曲者と悟り、追いかけて入る。
ここで舞台は須磨の浦辺に転換'「松風」が汐汲の形で花道よ‑出て所作になる。
振‑が終ると太郎が奥から出て、松風を曲者と見てたちかかると'松風はぶん廻しで
消える。これを見た太郎は'山名の一味が様々の姿になって入‑込んだものと判断し'
宿直を厳重にしようと言って下座の方へ入る。次に「浦島」が花道から出、所作が納
まると権藤が出て切りかかり、浦島は玉手箱を落として、ぶん廻しで消える。権藤が
玉手箱を持って行こうとするのを'太郎が出て止める。玉手箱を間に立ち廻‑するう
ちに蓋が開くと、大ドロドロになり、自気があがって、京人形の箱がセリ下がる。こ
こから「おぼこ人形」 の振りにな‑、馬月の所作があって納まると、源吾'権藤が出
て'切ってかかる。おぼこ人形はぶん廻しで消える。源吾'権藤が'忍びの侍をひき
つれ強引に宝蔵へ入‑込もうとする。
花道から七星の鏡の精が出て'「石橋」になる。所作の後、太郎が奥よ‑出て、神
霊事の幕切れとなる。
この作品の基盤は'山名と細川の対立で、これは歴史的事実にも見られる。細川と
山名の対立のきっかけを﹃日本王代1覧﹄では、「勝元ハ宗全が婿こテシタシキウへ。
勝元子ナキユへ。宗全ガ子ヲ養ケルガ勝元章子出来シケレハ。其養子ヲ僧トス。コレ
ヨリ細川山名。中アシク。権ヲ争フキザシアリ」とし'両者は幕府の実権を握ろうと
して長年対立してい‑。そこに幕府の管領家畠山・斯波両氏の家督をめぐる争いと将
軍家家督相続争い (八代将軍義政の弟義視と日野富子の子義尚の争い) が起こ‑'山
名が義尚を、細川が義視を'それぞれ支援した結果が応仁の乱となった。
また'山名宗全は'嘉吉の乱に際し、幕府方の赤松追討の主力となり'赤松満祐ら
を自害させた。その後、赤松一族の則尚が'細川勝元らを頼‑、赤松家の家督として
幕府への出仕を求め'将軍義政がこれを許した。これに対し宗全は反対の態度を固持
しっづけたために'義政と隙を生じて'義政が宗全追討を諸大名に命ずる事態が起こ
る等、宗全は赤桧家再興の企を次々と紛糾した。l方の勝元は、赤松家再興を強く支援し,復権に貢献した。﹃応仁撃によると、
南朝勢力に奪われていた神器(神璽) を赤松の遺臣が取‑もどし'これによってに赤
松政則が復権したという。
これら歴史的事実を据えた設定で'赤松家が神器にまつわる逸話を、応仁の乱の一
因でもある斯波家に置き換え'そのお家騒動を平行して盛‑込んで展開している。
場面
は
(参
照⁚
資料
①)
「
Ⅰ塀
外の
場」
「Ⅱ
御簾
御殿
」「
Ⅲ浜
辺の
桧原
」「
Ⅳ清
涼山
の
場」
の四
場面
、「
小町
」「
手習
子」
「座
頭」
「松
風」
「浦
島」
「お
ぼこ
人形
」「
石橋
」の
七
曲から成る。
本舞台1面に誹えの筋塀の 「Ⅰ塀外の場」から、塀を引いてとると、真申に御簾屋
体、後ろ二段に長唄磯子連中が居並ぶ「=御簾御殿」にな‑、「小町」「手習子」「座
頭」を踊る。次の「Ⅲ浜辺の松原」は、花道本舞台の付際迄波板を押出し'舞台先も 波の打かった景色になる。上の方の見付柱へ振り出しで桧の枝一面に出て'柱は松の幹になる。「松風」「浦島」「おぼこ人形」の舞台面になる。「Ⅳ清涼山の場」は、登場
人物が花道へ行っている間に石橋の道具立に転換する。
それぞれの役の登退場の方法を見てみると、「小町」では、(也)は、御簾が上がる
と板付でいると考えられる。(退場)は'上の方に有る衝立のぶん廻しを使って消え
る。「手習子」の(也)は花道からで'(退場)は同じ‑ぶん廻しで消える。「座頭」
は'花道中程のセリ上げからの(也)で'入退場)はぶん廻し。「松風」は、(出)は
花道から出て、(退場)はぶん廻し。.「浦島」は入出)が花道からで、(退場)はぶん
廻しで消える。「おぼこ人形」 の(也)は'上よ‑京人形と書いた白木の箱をセリ下
げ'舞台へ落付‑ときっかけで前側の蓋を仕掛けで引き上げると'箱の中に半四郎が
いるという形である。入退場)はここでもぶん廻しで消える。「石橋」は'入出)が花
道からで'神霊事の演出で幕になる。
渥美清太郎が'「変化物の掃らへのツナギは、誰れLも注目する所であるが、この
( K)
脚本で先ず見当がつ‑。随分踊と蹄の間は下らないものである」と記したように、退
場はすべてぶん廻しで消える単純な設定になっており、とりたてて人目をひくよう
( ES )
な'奇抜な方法ではない。これについて、古井戸秀夫氏が「七変化と変化物」で
もっとも大きな興味は'その一つ一つの踊りの出来ぶりで'踊‑と踊りの間に'
渥美のいう下らないセリフが挿入され、劇的な局面の展開が著し‑遅れても、そ
れで十分機能することになる。化政期に流行する怪談狂言の怪異の見世物的趣向
とは違い、「七変化」「七化」は'むしろ、その「変化」「化」 の構造自体の持つ
怪奇性を拒否し、たわいのない滑稽に終始していることは、一連の台本・浄る‑
を読めば明白で'ただ「七変化」 「七化」という約束のもとに、い‑つにも姿を
替えて踊り抜‑ことに主眼があったこともいうまでもない。
と述べ、また
浄瑠璃と唄との相違は、浄る‑では、観客の目の前で変化の正体をみせるのに対
し'唄にはその見顕しがな‑、いったん消えて'変化の姿になってあらわれるこ
とが一つ。もう一つは'浄る‑では踊‑の相手を大立者の役者も勤めるのに対し
て、唄では中通‑クラスの連中が相手になっていることで'これは本来複数の出
来事を客観的に叙述する性格の浄る‑と'一方的な心情を主観的に歌う唄との基
本的な性格の相違に根ざしている。
と論じているように、踊りそのものを見せることが主体で、権藤'源吾の二人の敵
役はそのセリフや行動から、端敵程度の軽い役で、到底悪の企てを達成できそうにな
い人物であることが判明する。つまり'神霊が相手とするような巨大な悪人ではない
ため、その行動を阻止するのにそう大仕掛けな驚かしも必要な‑、むしろ滑稽さを見
せて、踊りの彩‑として観客を喜ばせたものであろう。前出'佐藤恵里氏の「大切の
a神霊事における鬼の存在」 で指摘されているような元禄期の神霊事が'鬼や悪霊を敵
i s? .
;
として'人々がそれに対抗して打ち勝つために求めた強力な神を示現させたこととの
大きな違いが見られる。
﹃杜若七重の染衣﹄中の曲で、最も特徴的なのは﹃手習子﹄ で、振袖姿に草紙を持
った江戸の市井の少女を描いた点が新しかった。服部幸雄氏が「これ以前の女方の舞
踊は、傾城か'さもなければ﹃時代﹄ の姫がほとんどであった。何でもないことのよ
うに思われるけれども、当時としてはこれは大胆な、そして画期的なできごとであっ
たと思われる。それは時代の流れに添って'歌舞伎狂言においての世話の領域が拡が
っていくことと軌を一にした傾向であり、やがて‑る文化文政期の舞踊を予見するも
( 55 )
のであった」と「変化論」中で述べたように'﹃手習子﹄以前の女形舞踊には、圧倒
的に傾城が多‑、娘の踊‑は﹃鷺娘﹄と﹃羽根の禿﹄が見られるにすぎない。﹃鷺
\㍗∵娘﹄は恋の妄執をテーマにしており、娘は恋を知った女で'地獄の責めを見せるものだったから,それ以前の女形舞踊の系譜からはずれたものではない。﹃羽根の(撃で
は菊之丞は、廓の見世先で羽根を突‑愛らしい禿の役で、小さい幼気な少女の踊‑が
新鮮だった。この﹃羽根の禿﹄に対して作られたのが半四郎の﹃手習子﹄ で、あどけ
ない小さい女の子の寺子屋帰‑の様子を措写した。﹃羽根の禿﹄が廓の女の子である
のに対して'﹃手習子﹄は町の1股の少女であるのがさらに新しい魅力となったO
半四郎は、地髪の娘を売‑物にLtお染、八百屋お七、お半'この三役が地髪の
娘の定番になった。いずれも娘たちの中でも年若の役ばか‑で、大和屋岩井半四
郎家の家の芸となって伝承されることになった。岩井半四郎家のお染、お七は、
前髪を赤い切れで結ぶのが特徴であった。﹃近世風俗誌(守貞謹稿)﹄では、この
風俗を'「京坂の少女'十三、四歳以下の者は必ず図のごと‑緋縮緬裁をもつて
前髪を結ぶな‑。江戸も文政以前は同然」としている。四代目半四郎は'長唄の
「手習子」で'まだ肩上げのとれない少女の役を踊る。これも菊之丞の「羽根の
禿」 に対抗するもので、もちろん地髪であった。
古井戸秀夫氏が「女形の草炭‑帽子羽二軍江戸かづ(SJで述べたように,辛
四郎は'紫の帽子に包まれた艶やかな黒髪の女形に対して、幼い娘を象徴する前髪を 晒す地髪の娘役を得意としていた。﹃手習子﹄ の詞章に「肩縫いあげのしどけなく‑‑」とあるとお‑'肩上げがとれないほどの小さい子という点が新しく、恋を知らない、まだ恋に憧れている段階の少女であることが強調されている。初演時の辻番付や、正本の絵表紙(臥撃にも,この肩縫いあげが描かれている。
.甘 S: 八で
図① 寛政四年四月「杜若七重の染衣」初演時の正本
曲自体も'
一段
・置
唄
(三
下‑
)
二段
・出
端
三段・直り‑
四段・直り2
五段・口説き
六段・本歌取りの挿入
日日2
3
七段
・踊
‑地
(今
を盛
りの
花の
山・
・・
‑
(遅桜 まだ膏なり花娘‑‑
三味
線合
方(
燦々
おさ
え)
(肩縫いあげのしどけな‑‑‑
(二つ文字から書きそめて‑‑
(二
上り
)
(娘
々と
沢山
そう
に・
・・
‑
(言わず語らぬわが心‑‑
「恋のいろは‑‑
(夫
のた
めと
て天
神様
へ‑
・・
・
八段・チラシ
(諸
鳥の
噸り
梢
々の
・・
・‑
という軋蘭で,短いながらも複雑で変化に富んでいる。五段の終‑から六段にかけ
て、
﹃娘
道成
寺﹄
や﹃
傾城
道成
寺﹄
の
歌詞
や曲
が流
用さ
れ、
(ふっつ‑惰気せまいぞとたしなんでみても情けなや」﹃娘道成寺﹄
(娘々とた‑さんそうに」﹃傾城道成寺﹄
⊃言わず語らぬ我が心 乱れし髪の乱るるもつれないはただ移‑気な どうでも男は
悪性
者」
(桜々とうたわれて ゆうて枚のわけ二つ 勤めさえ ただうかうかと どうでも女
子は悪性者 東育ちは蓬莱なものじゃえ」 ﹃娘道成寺﹄
大人の女の恋の詞章や旋律を'少女がなぞらえる点に'背伸びをした可愛らしさを
映し出すという技巧を用いている。
あどけない'ませた娘の描写が主題ですから'娘さんが踊る場合には'特にそん
な点に留意する必要もあ‑ますまいが'大人が踊るときは表現がむずかしくなり
ます。(中略) クドキも、子供衆の踊るほうがむしろ本当に見えるので大人が踊
るととか‑二十歳ぐらいになってしまいます。ここへ道成寺を入れたのは大変面
白いと思いますけれど'大人が道成寺を踊る気持でやると、手習子にはならないでしょう・ (藤陰静樹「手習子(踊る、j轡」)
大人が演ずるにはかな‑難し‑、子供が踊るのに相応しい演目とされていることか
らも'﹃手習子﹄をはじめ'あどけない娘役を得意とした半四郎の芸風が浮びあがっ
てくる。振りの中にも幼い可愛らしさを見せる部分が多‑、特に「三段・直‑‑」 の三味線
合方で'蝶々と戯れるしぐさにあどけなさが表出される。
現行の演出では'ここで差し金の蝶々を使う場合と、使わない場合とがあり、後者
には'三種類の振‑がある。「第1は'娘の子らし‑味を殺さないように、そっと草
紙で押えて、それを.見ようと静かに草紙をあげると、蝶が飛んで行‑振‑。第二は味
を草紙でふせたつもりで、草紙をあけると、蝶はいないで、娘の周囲を飛んでいると
いう振‑。第三は、草紙で蝶を伏せるが、その前に蝶は飛んで逃げて行‑という振‑
3 柑E
です。」というように、表現の方法は様々であるが'それまでの女形舞踊が女の思い や恨みを訴えるという主題をもって展開してきたのに対し'蝶々を追う様子などの少女の日常風景を切‑と‑、恨みに至らない、恋への素朴な憧れを見せる点が目新しい。細川勝元館に'突如としてそんな少女がやってきて'道草の様子を踊るのだから'不思議に違いな‑、それに翻弄される悪役に面白味が加わるのであろう。
こうした市井の風俗を写したリアルな踊‑が'文化文政の新しい踊りに受け継が
れ、また、変化舞踊のうちの一曲が独立して伝承されてい‑契機ともなったのであろ
う。神霊事が壊れてい‑中で、この﹃手習子﹄ のような作品、元が変化舞踊の一曲で
あったものが独立した舞踊として受け継がれてい‑。神霊事という構造の中からこう
いう作品が何故生まれたのか、神霊事が壊れてい‑中で'何故独立して伝えられたの
か、次の時代にどう引きつがれてゆ‑のかを考えるのが今後の課題である。
また
、こ
の作
品の
特色
の一
つは
'﹃
歌舞
伎年
表﹄
(
寛政
四年
)
に'
半四郎の七変化。古今の大昔り也。此の所作事の時'初て振付上下にて後見に出
づ。又是迄の出唄は'一段にて、嚇子は平舞墓に居並び、之を「雛段」といふ。
此時'着付上下を半四郎より出す。此所作事、花やかにて大評判な‑しかバ‑‑
(傍
線‑
阿部
)
と'雛段がはじめて使われたとされていることで、この時から、長唄の立分れが生じ
た。﹃手習子﹄の正本(資料②)のうち'その唄い分けが記されているのが、A‑‑
A‑2、A‑3t Bllの正本で、それらを比較したのが(資料③)である。
初演
で'
立唄
の二
人
(松
永忠
五郎
、松
永鉄
五郎
)
で唄
い分
けた
形式
が'
変化
して
い
‑様子がわかる。従来、立唄が一人で唄っていた部分を'数人で唄い分けることによって、劇的な展開が可能になったのであろう.現代演奏されたもの(表中‑乱撃と
比べてみても、唄方の唄い分けや磯子に異動があ‑'伝承過程で新しい流れを生んでいるようである。「曲の心‑手散華」には,歌舞伎役者が演ずる場合と舞踊のお夜い
会で上演される場合における出磯子との関係のうちに、少しずつや‑方が変化してき
た旨が述べられている。
このように'怨霊事のなかに神霊事の構造が入‑込むなかで、変化物の曲のなかに
も変化がみられた。それがやがて文化文政期に新しい変化物の時代を生むことになる
ので
ある
。
注(‑)台本(国立国会図書館蔵) のふ‑がなに拠る。初演時の正本(早稲田大学演劇博物館、旧六合新三郎旧蔵) では「かほよはななゝゑのそめざぬ」とある。(2) ﹃かぶき1様式と伝承‑﹄学芸書林'昭和四十四年七月(3) ﹃歌舞伎の発想﹄名著刊行会'昭和五十三年三月。これらの江戸の神仏の示顕という
5 4 8 7 6
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13 12 ll 24232221 2019 1817 16 1514
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演出は、のちの歌舞伎十八番に残った不破・関羽・あるいは鍾櫨・竜神などの神仏の像を、生身で見せるというところに興味があったのだという。
﹃歌
舞伎
・俄
研究
﹄新
典社
'平
成十
四年
二月
佐藤恵里氏は、この論考で'悪霊を討つこと、または鎮めることによって、古い家が新し‑立ち返るという構造は、悪霊の存在によって果されるもので'「四・五番目
ないし大切の悪霊鎮めは、家の乱の解決を見せるのではなくて、家がもとに若く立ち返るその契機としてあった」とし、神霊事の本幹を「鬼やらいの鬼走‑と各地の
神楽にみる荒神や鬼神の荒舞い」 であることを論じている。日本古典文学大系的﹃浮世風呂﹄岩波書店'一九五七年九月
新日本古典文学大系﹃江戸歌舞伎集﹄岩波書店t l九九七年十1月
﹃文
化二
年十
一月
江
戸三
芝居
顔見
世狂
言集
﹄
(国
書刊
行会
'一
九八
九年
1月
)
「解
題」
﹃清
和源
氏二
代将
軍﹄
の
項。
「二
番目
浄瑠
璃﹃
母育
雪間
鷺﹄
の
切に
'座
頭の
三津
五郎が白髪の山姥にな‑、雲に乗って振‑出し「やみなん/(\」といい、「なお‑行
末守るべLと誓うパターンがある。大詰の神霊事に使われる下座の鳴物。法会で行う散華。舞台に紙の蓮華の花びらを降らす。仏や菩薩の来迎のとき、天よ
り花が降るさまを示したもの。(注1の脚注よ‑引用)国立国会図書館蔵
国立国会図書館蔵'演劇台帳服部幸雄氏が「上方で怨霊事が盛んに行われた元禄期に、江戸では神霊事を底に持つ荒事が興隆を極め(中略)江戸の神霊事は「人間ぼなれ」に、上方の怨霊事は「人
間‑ささ」にそれぞれの文化を反映している」ことを「変化論」 (﹃変化論﹄、平凡社'昭和五十年六月) 中で述べている。
注‑
T)
﹃
変化
論﹄
、平
凡社
、昭
和五
十年
六月
﹃近松全集 第十五巻﹄近松全集刊行会﹃かぶきの美学﹄演劇出版社'昭和四十七年七月
﹃近松歌舞伎狂言集 上﹄臨川書店、昭和四八年'六合館昭和二年刊の複製'所収﹃歌舞伎脚本集 上﹄古典文学大系、岩波書店、昭和三十五年二月
将門は人間であるが御霊になった人物で、神霊たる資格を持ち合わせている。「国立劇場第206回歌舞伎公演筋書」、平成九年十二月正本の表紙には 「北斗名玉の美形坂東三津五郎七変化相つとめ申候」とある。
﹃歌舞伎 問いかけの文学﹄ぺりかん社、一九九八年七月「七変化と変化物」では'「六歌仙」 の枠組みの解体についても述べられている。国立国会図書館蔵の台本と、日本戯曲全集﹃舞踊劇集﹄ に所収のものを比較したと
ころ、役者名が役名に替っている他は大きな相違が見られなかった。国立国会図書館蔵、徳川文芸類衆6「脚本上」所収
﹃群
書類
従﹄
第輯
(合
戦V
t続
群書
類従
完成
会、
一九
五九
年八
月
¥<
sl
)
日本
戯曲
全集
﹃舞
踊劇
集﹄
﹃杜
若七
重の
染衣
﹄解
説
注1
03
;
﹃歌
舞伎
問
いか
けの
文学
﹄
(8
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(4
)、
(5
)参
照
S3
)服
部幸
雄氏
は「
歌舞
伎と
仏教
」
(﹃
江戸
歌舞
伎文
化論
﹄平
凡社
'二
〇〇
三年
六月
)で
、
414039383736 3534333231
荒事
は「
荒い
事」
「荒
武者
事」
で
ある
一面
'「
現人
神事
」
の性
格を
担い
、「
天災
や疫
病
流行によって起こる災厄をもっとも恐れていた都市大衆の共通願望を、信仰の形で
受け止めたことの反映である。猛‑恐ろしいものが'大衆の畏敬'尊崇の対象となった。よほど恐ろしい神でなければ'巨大な疫病神や災厄鬼に立ち向かい、これら
を倣死すことなど期待できるはずがないという世俗的な常識が存在していて'それが荒事の人気を支えた。」と述べ'強大な悪霊に対する巨大な神としての荒事の存在を見ている。
注蝣
^1
﹃
変化
論﹄
﹃柳雛諸鳥噸﹄宝暦十二年四月、市村座'二代目瀬川菊之丞所演。﹃春昔由縁英﹄天明五年二月'桐座'瀬川菊之丞所演
「浮
世絵
芸術
MO
Of
)」
No
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46
国
際浮
世絵
学会
会誌
資料②のA‑2、正本絵表紙
「踊りの心‑手習子」「邦楽と舞踊」一九九六年四月号
﹃手習子﹄﹃日本舞踊全集Ⅳ﹄日本舞踊社香取仙之助「解説」﹃手習子﹄﹃日本舞踊全集Ⅳ﹄日本舞踊社七代目芳村伊十郎長唄名曲選﹃手習子﹄日本コロムビア㈱
稀音家祐介'田中佐幸談、丸茂祐佳著「邦楽と舞踊」一九九六年三月、四月号吉野雪子「江戸音曲正本出版のメカニズム」 (国立音楽大学研究所年報第九集、平成四年三月)を参照して'出版年代順に並べた。
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( 3)
資料
②﹃
手習
子﹄
正本
≡見
A 寛政四年四月初演の台本・正本 「杜若七重の染衣」河原崎座'四代目岩井半四郎。
A‑
1「
杜若
七重
の染
衣」
台本
、
「小
町」
「手
習子
」「
座頭
」「
松風
」「
浦島
」「
おぼ
こ人
形」
「石
橋」
'国
会I
A‑
2「
杜若
七重
の染
衣」
絵表
紙、
上一
冊、
「手
習子
」、
はせ
川町
小
川半
助、
早漬
I
A〜3「杜若七重の染衣」絵表紙、上丁冊
「小
町」
「手
習子
」「
座頭
」「
松風
」、
はせ
川町
小
川半
助'
聖。
I
A‑4「手ならひ子」絵表紙、上下一冊'抜本「手ならひ子」'田所町 小川半助、国音Ⅱ
A‑
5「
手な
らひ
子」
字表
紙'
上下
1冊
'長
唄稽
古本
'抜
本、
「手ならひ子」'田所町 小川半助、芸大I
B寛政九年八月上演の正本 「姿花秋七種」都座、四代目岩井半四郎。
BI
1「
姿花
秋七
種」
絵表
紙'
一冊
「小
町」
「手
習子
」「
座頭
」「
けい
せい
」「
木賊
刈」
「面
かぶ
り」
「石
橋」
D 嘉永一年五月の正本 「手向杜若四季咲」三代目岩井粂三郎(‑八代目岩井半四郎)
D l l D
‑ 2
「手向草杜若四季咲」絵表紙八重春画)一冊、抜本
「手ならひ子」沢村利兵衛 国音Ⅴ
「手
向草
杜若
四季
咲」
絵表
紙へ
種春
画)
一冊
、抜
本
「手ならひ子」田所町 小川半助 正
D‑
3「
手向
草杜
若四
季咲
」絵
表紙
、1
冊'
抜本
芸大Ⅲ
「手 なら ひ子
」、
・所蔵略称及び請求番号
略号 所蔵先 丸屋鉄次郎'芸大Ⅳ
請求番号
B
‑ 2
ち‑ 3
nZ
¥‑
‑‑
‑‑
?
ち‑ 5 桐屋伝左衛門 売所さかい丁 沢村屋利兵衛 早漬Ⅱ
「姿花秋七種 手ならい子」字表紙、上三冊'長唄稽古本、「手習子」さかい町 沢むら'国音Ⅲ
「姿
花秋
七種
芋
なら
い子
」絵
表紙
(豊
久画
)上
下一
冊、
抜本
、
「手ならひ子」、沢村屋利兵衛 さかい丁 早演Ⅳ
「姿
花秋
七種
手
なら
い子
」絵
表紙
(豊
久画
)上
下1
冊、
抜本
'
「手ならひ子」沢村屋利兵衛 早演Ⅲ
「姿
花秋
七種
」絵
表紙
'一
冊、
抜本
「手ならひ子」さかい丁 沢村屋利兵衛 芸大Ⅱ
C文化三年二月上演の正本 「七字花在姿絵」中村座、五代冒岩井半四郎
早早早早早早国国国国国国芸芸芸芸 演演演演演演音音音音音会大大大大 vi v iv ni n i vi m i i i w m n i
東京芸術大学
東京芸術大学東京芸術大学東京芸術大学
国立国会図書館国立音楽大学
国立音楽大学国立音楽大学国立音楽大学
国立音楽大学早大演劇博物館早大演劇博物館
早大演劇博物館早大演劇博物館
早大演劇博物館早大演劇博物館 竹内道敬寄託文庫竹内道敬寄託文庫竹内道敬寄託文庫竹内道敬寄託文庫竹内道敬寄託文庫六合新三郎旧蔵安田文庫六合新三郎旧蔵六合新三郎旧蔵六合新三郎旧蔵
W 76 8
. 52 .
N 20
W 76 8
. 52 .
N 4
W 76 8
. 52 .
N 25
W 7 6 8
. 5 2 .
N 4 . 9
11 4‑ 25 07
‑2 11 0 07
‑0 28 4 07
‑0 74 0 07
‑6 26 ,0 7‑ 62 7 07
‑8 66 2: 26
‑7 ー1 3‑ 28 5 イ1 1‑ 12 12
‑2 8 8: 10 9‑ α 3: 34
‑1
8
⁚ t t 2
‑ 3
C I 1 C
1 2 C
‑ 3
「七
字花
在姿
絵」
絵表
紙、
上一
冊、
下一
冊、
「小
町」
「手
なら
ひ子
」「
ざと
う」
「い
なか
神子
」「
人丸
」「
草刈
」「
石橋
」、
さかい町 沢村崖利兵衛 北がわ、国昔Ⅳ
「七
字花
在姿
絵」
絵表
紙'
上一
冊、
下一
冊、
「小
町」
「手
なら
ひ子
」「
ざと
う」
「い
なか
神子
」「
人丸
」「
草刈
」「
石橋
」、
さかい町 沢村屋利兵衛 北がわ、早演Ⅴ
「七
字の
花在
姿絵
」絵
表紙
'上
下一
冊、
「小
町」
「手
なら
ひ子
」「
ざと
う」
「い
なか
神子
」「
人丸
」「
草刈
」「
石橋
」、
さかい町 沢村屋利兵衛 北がわ'早演Ⅵ