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索の時代の大学生協運動

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(1)

索の時代の大学生協運動

著者 井上 史

雑誌名 社会科学

号 84

ページ 1‑19

発行年 2009‑07‑31

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011767

(2)

はじめに

大学生協運動にとって、一九七〇年代、八〇年代とはどのような時代だったのか。本稿は、先に発表した拙稿「一九六〇年代の同志社生協

-

機関誌『東と西と』を通して」(『社会科学』第八一号、二〇〇八年七月)に続いて、一九六〇年代末から一九八〇年代前半の同志社生活協同組合(以下、同志社生協と略)

《研究ノート》

一九七〇年代、八〇年代の同志社生協 変化と模索の時代の大学生協運動

井上 史

先に発表した拙稿「一九六〇年代の同志社生協機関誌『東と西と』を通して」(『社会科学』第八一号、二〇〇八年七月)に続き、一九六〇年代末から一九八〇年代前半の同志社生協の足跡を整理し、大学生協運動史の一斑を考察する。資料とするのは、同志社生協の機関誌『東と西と』一九六七年一一月号から一九八六年一月号までの一九年分であり、これらは設立五〇年発祥一一〇年を記念して発行された『同志社生協史料集Ⅱ「東と西と」第二期(一九六七~一九八五)』(発行・同志社生協、編集監修・同志社生協五〇年史編纂委員会、二〇〇九年二月)に復刻されている。一九七〇年代、八〇年代は、九〇年代以降の現代の目から見れば、中間的な移行期であり、かつ現代の種が蒔かれた時代といえる。同志社生協の事業と運動も、七〇年代末に提起され、今日の大学生協運動の基本路線とされる「学園に広く深く根ざした大学生協」へと歩み出す変化と模索の渦中にあった。一九六七年六月の第一八回総代会を契機に運動偏重型・闘争型からの脱却に踏み切ったものの、大学、地域、職域を含むオール生協運動の民主的発展・強化に重点が置かれ、その結果、大学当局とも、また学内自治組織とも根深い緊張関係が続いた。日本経済は高度経済成長の最高潮から終焉期を迎えて、「狂乱物 価」、インフレが学生生活を直撃し、産業構造・生活意識のすべての局面で「重厚長大から軽薄短小へ」「消費社会化」「情報化」が進むなかで、同志社生協は時代の変化の即応に苦しみ、経営的には停滞を余儀なくされた。一九八六年四月の田辺校地開校に至る、そしてその後も続く、長い模索の始まりでもあった。その変化と模索の中から今日的な意義や希望を見出すことができるか。本稿の狙いであり、課題である。

(3)

の足跡を整理し、大学生協運動史の一斑を考察しようというも のである。 用いる史料は、同志社生協機関誌 『 東と西と』の一九六七年 一一月号から一九八六年一月号を中心にしながら、二〇〇七年 五月に同志社生協から同志社大学人文科学研究所に寄贈された 「 同志社生協資料」を適宜参照する。 『 東と西と』の一九六七年 一一月号から一九八六年一月号は、 『 同 志社生協史料集Ⅱ「 東 と西と」第二期 ( 一九六七~一九八五) 』( 同 志社生活協同組合、 編集監修・同志社生協五〇年史編纂委員会、二〇〇九年二月二 八日)に復刻されており、先の 『 同志社生協史料集Ⅰ 「 東と西 と」 第一期』 ( 同 編纂委員会、 二 〇〇八年四月二八日) とを合 わせて二八年分の 『 東と西と』 が 通読できるようになった。 「 同 志社生協資料」 は、 二 〇〇九年六月に資料目録が完成して いる。 本稿では『 東と西と』五〇年の歩みをその誌面の版形から次 の三期に分け、一九六七年から八五年までの第二期を対象にし ている。後述するように、誌面変更はそれぞれ理由があっての ことであり、この区分は同志社生協の足跡を考察する場合にも 有効である。

第一期=一九五七年一一月創刊号~一九六六年一二月一二日号 ( Vo l. 10N o. 8 ) B5判冊子 発行者

編集責任者 同志社大学消費生活協同組合 ( 理事会)

印刷 組織部

発行者 タブロイド判 ) 1 o. 30N l. Vo ( 二〇日号 2 一九八六年一月 ~ ) o. 12N l. Vo ( 八年五月一〇日 一九六 、 表記ナシ) l. Vo 六七年一一月二九日号( 第二期=一九 正文堂 編集 同志社大学消費生活協同組合 組織部編集委員会 (

68 年5月号~

理事会組織部( 69 年5月号) 、

69 年6月号~

生委員会 ( 81 年1月号) 、 組織部学

81 年4月号~

85 年

( 10 月号) 、 編集委員会 85 年 11 月号~

印刷 85 年1月号)

発行者 B5判冊子 第三期=一九八六年四月号 ( Vo l. 30N o. 2 )~現在 日本機関誌協会京滋支部 同志社大学消費生活協同組合 (

編集 生活協同組合に名称変更) 97 年に同志社

と」編集部 『 東 と西と』 編集委員会、 学生委員会「 東と西

(4)

印刷

Cコーポレーション)二〇〇〇年四月~現在 日本機関誌協会京滋支部、ナニワ印刷 ( 現NP

前稿同様、 本 稿も同志社生協五〇年史編纂委員会ならびに 「 京 都の大学生協史編纂委員会 ( 二〇〇六年六月発足、 事務局・ 同志社生協) と 同志社大学人文科学研究所第一六期第四研究 「 京都地域における大学生協の総合的研究」 ( 二〇〇七年四月ス タート)での定例共同研究の討議・成果の恩恵に浴している。 特に二〇〇七年六月の今岡徹氏の報告 「 同志社生協食堂の歴史 と京都事業連合及び大学生協連食堂政策の推移

(1

」と、二〇〇八 年四月の庄司俊作・同志社大学人文科学研究所教授の報告 「 大 学生協の高度経済成長と学生生活―同志社生協経営諸資料の統 計分析を通して

(2

」に負うところが大きい。今岡報告が同志社生 協の食堂政策の変遷を中心に考察しながら、大学生協京都事業 連合 ( 以下、事業連合と略)の食堂政策との共同事業を整理し ているように、七〇年代以降の大学生協単協史を俯瞰するには、 連合史との双方向の視点を抜きには語れなくなっている。本稿 では、今岡報告をベースにしながら、事業連合のみならず、上 部団体である全国大学生協連合会や全国大学生協連関西地連の 方針や政策、さらに府下の生活協同組合を会員とする京都府生 活協同組合連合会 ( 以下、京都府連と略)の方針・政策との関 連を探り、同志社生協史の構築を手掛かりに大学生協運動の特 徴を考察したい。 同志社生協の事業と活動の経営諸表を分析した庄司論文は、 六〇年代の特徴を 「 運 動の過剰」と 「 経営の過小」ととらえ、 七〇年代から八〇年前半の特徴を、 「 学 生の消費生活も格段に 拡大したにも関わらず、一人当たり生協利用高 ( 実質)がほと んど伸びていない」という 「 構造的赤字体質」が今日にまで続 くことになった「 経営不安定な時代」 と抽出している

(3

。「協 同 組合の基本的性格」として 「 事業体と運動体の矛盾的統合」と する理解の上で、大学とその構成員に対して大学生協の活動と 役割をアピー ル し、生協組 織 としての 主 体

成はどのようにな されたのかを、経営分析と

絡め

て、

体的実

の中で

検証

され る

けている

。庄司論文では、この

検証

は今

課題

とされているが、本稿は 「 事業体と運動体の矛盾的統合」 との

点を

まえて、七〇年代、八〇年代の同志社生協の事業 と運動の在り方を考察する。 以下、一

六七年から一

八五年までの同志社生協の足

を 整理する前に、この第二期の時代

背景

概観

しておくと、総代 会で

示せば

、一

六七年六月

〇日、七月一日

開催

の第一八

総代会から、一

八五年一二月七日第五四

総代会ま での一八年

、全国の

注目

集め

た一

年一月

大安

(5)

講堂が機動隊に封鎖解除され 「 大学紛争」が終息した時期から はじまる。同志社大学においては、六九年六月から一二月まで 七カ月間学費値上げ反対封鎖休講、七二年年頭の 「 バリケード ストライキ」で卒業式中止、七四年年末、さらに一九八〇年年 末の全学休講措置という断続的な不安定状態がつづき、生協は その度に深刻な経営苦難を強いられ、以後もその負債に苦しむ ことになった。 日本経済は、 「 高度経済成長期」 後 半、 一九七一年のドル・ ショック、一九七三年の石油ショック後のマイナス成長に転じ、 「 重厚長大から軽薄短小へ」 「 消費社会化」 「 経済大国化」 「情 報 化」 が進む一方、 「 狂 乱物価」 やインフレが続き、 財 政赤字と 構造不況に見舞われた八〇年代前半を経て、 八七年一〇月の 「 ブ ラック・マンデー」 以 後一転してバブル経済に突入する前 夜にあたる。 またこの時期の特徴として、同志社大学の 「 田辺校地移転計 画」を含む教育研究条件整備計画 (

77 年6月 ている。第二期の生協の活動及び関連事項の年表を【表1】に、 から第三期のB5判に変更されたのも、この環境変化に起因し において多大の影響をもたらし、機関誌が第二期のタブロイド 志社生協の活動、事業、組織、対大学との関係などすべての面 八六年四月の田辺キャンパス開校にいたるまでの道のりは、同 13 日号)がある。

【表1】同志社生協略年表(1967~1986

年号 同志社生協の歩み 関連事項

1967 昭和42年 6月第18回総代会。西村豁通理事長から天野宏理事

長に交代 公害対策基本法

1968 昭和43 『東と西と』タブロイド判になる。受験生向けに旅 行斡旋業務開始。書籍の現金還元開始。生協ベトナ

ム人民支援委員会カンパ活動 パリ5月革命 1969 昭和44年 5月『東と西と』学生集会特集号を発行。6月~12

月200日の全学封鎖で職員による教職員家庭訪問

東大安田講堂の封鎖解除。大学立法成立。

大学生協連第12回総会「大学生協運動の到 達点と当面する任務」

1970 昭和45年 会館購買部、新町にゼロックス設置。『2万人組合員のための3大基本政策」 大阪万博。日航よど号ハイジャック事件。

大学生協九州地連暴力事件 1971 昭和46 同志社中学食堂、生協による営業開始。市電を守る

会同志社連絡会に参加。大学冬季休暇繰り上げによ り明徳館・新町事業所の閉鎖(72年2月まで)

大学生協京都事業連合の法人取得、高野玉 岡町へ。ドル・ショック。円為替変動制へ 1972 昭和47 文化事業部(現プレイガイド、旅行カウンター)設

置。創立20周年記念事業。島弘理事長に交代。洛南 生協創立へ3名出向。京都消団連に加盟

札幌冬季オリンピック。浅間山荘事件。沖 縄復帰。日中国交回復。「日本列島改造」。

京都消団連結成。洛南生協創立 1973 昭和48 20周年記念誌『同志社生協の歩み』完成。『同志社

の思想家たち 下巻』出版 同志社大学図書館竣工。第1次石油ショッ

1974 昭和49 狂乱物価の影響で教育用ザラ紙を緊急放出。明徳館 地下の理容部閉鎖、会館「ヘレナ」閉店し理容部に 変更。「基本献立政策」発表

ウォーターゲート事件。蜷川虎三京都府知 事7選当選。京都洛北生協から京都生協へ 名称変更。奈良市民生協創立

(6)

年号 同志社生協の歩み 関連事項 1975 昭和50年 明徳館地下にコピーセンター。栄養相談(現食生活相談)開始。

大学生協連『大学生協の歩み:25周年史』

発行。国会「大学生協育成」決議。ベトナ ム戦争終結。戦後最大の不況。国際婦人年 第33回通常総代会を5年ぶりに学内で開催。大学創

立100周年記念生協祭(真下信一氏講演)を6年ぶ りに学内で開催

同志社大学「田辺移転等教育研究条件改善 基本方針」決定

1976 昭和51 業務改善1000人アンケート実施。全国大学生協連提 唱の「大学生協米」要求署名運動。基本献立政策の 再確認と食堂・喫茶価格改訂

ロッキード事件発覚。全国大学生協連第19 回総会で嶋田啓一郎会長退任し福武直会長 就任。関西地連編『施設闘争ハンドブック』

1977 昭和52 第38回通常総代会が1週間延期開催。近藤公一理事 長に交代。80年代を展望する『3ケ年中期計画案』

決定

大学生協連第20回総会「学園に広く深く根 ざした大学生協づくり」。 京都府生協連

『第2次中期計画』

1978 昭和53 創立25周年企画(杉田二郎コンサート)。書籍10 割引実現。書籍委員会編集『書評誌 邂逅』創刊。

コープ牛乳取扱い開始

「大学生協をめぐる諸問題(福武会長所感)」

発表。京都生協と洛南生協合併。京都市電 全面廃止

1979 昭和54年 新町地下食堂全面改装し『エルベ』と命名。『生協施設の現状と施設拡充運動の前進のために』 共通一次試験実施。京都府生協連『京都に おける連帯の発展をめざして』

1980 昭和55 食堂基本政策に『選ぶ楽しさ、コミュニケーション を作る食堂、文化としての食堂」明示。食堂卓上講 座「すぱいす」登場

光州事件。モスクワオリンピックに日米中 不参加。大学生協連第24回総会『大学生協 の役割と当面の課題」

明徳館購買部にレコードショップオープン。明徳館 食堂大改装しエリカが現行位置に移設、レジのチケッ

ト制、配膳・下膳ベルトコンベヤーを設置 初の衆参同時選挙で自民圧勝 第43、44回通常総代会を学外で開催

1981 昭和56

前年末からの全学休講措置により2万人組合員に葉 書郵送。「同志社大学生協の“灯”を消すな」44 連名アピール発表。教職員家庭訪問。学生総合共済 取扱い開始。オーディオ・ビッグ・フェスティバル

(産業会館)。太田裕美コンサート

財政赤字で第2次臨調発足。京都市営地下 鉄烏丸線(京都―北大路)開通

1982 昭和57 明徳館地下購買部、文化事業部改装。POSシステ ムの導入。「一声大運動」に19000通。国連軍縮会議

(SSDⅡ)のカンパ活動 SSDⅡ反核運動。コープイン渋谷オープン 1983 昭和58 明徳館購買部の冷暖房設備実現。食堂禁煙に関する

組合員アンケート実施(84年から禁煙)。「一言カー ド」本格化。「経営再建基本計画」策定

京都事業連合「第1次中期計画」。立命館 大学生協不祥事事件と再建。大韓航空機撃

1984 昭和59

「田辺新キャンパス福利厚生事業施設提案」。食堂 第1次選考で生協はB区分、500席。「生協運営一 元化」組合員署名運動で9,200筆。ユニセフ募金活

グリコ・森永事件

1985 昭和60

合格者名簿の借用が不可能に。新学期事業(受験宿 泊、生活相談コーナー、合格袋手渡しなど)大運動。

太田進理事長に交代。田辺事業計画案『食・学・楽・

寛 だから生協』発表。10円コピーを実現

日航ジャンボ機墜落。G5プラザ合意

太田進理事長に交代、常勤役員の交代。第54回通常 総代会で総代会を年1回とする定款変更

11月29日同志社創立記念日、1月23日新島襄命日の 早天祈祷会でぜんざい、うどんの提供開始 1986 昭和61 田辺校地生協施設オープン。4月号から『東と西と』

B5判冊子になる。旅行斡旋事業の取扱い。関西の 大学初の全日空代理店登録

円高、ドル安(バブル景気)。男女雇用機 会均等法施行。チェルノブイリ事故

(7)

経営推移を【表2】にまとめた。 なお、 『 東 と西と』の引用には巻号を用いずに (

00 年

と記述する。 00 月号)

一、施設闘争と府連第二次中期計画の「総力戦」

第一期の六〇年代から第二期の七〇年代へ、 『 東 と西と』 が 誌面改革された背景は、同誌の編集方針が組合員の意見や要求 に立脚したものとはいえず、 「 組 合員にとって存在するのかし ないのかわからないという状態」 で あり、 「 し かもその内容は 生協を大衆的・民主的に発展させていくための機関誌とはとう ていいえないもの

(6)

」との理事会の批判があった。一九六七年六 月三〇日、七月一日の第一八回通常総代会における理事交代や 「 左 右の偏向の克服

(7)

」 と の総括は、 六〇年代の運動偏重型・闘 争型からの方針転換であった。第一八回総代会の民主化は、法 人化前の事業連合の前身的同盟組織である 「 京都ブロック」 (京大生協、 同志社生協、 府 立医科大・府立大生協、 立命館生 協)内にあった 「 単一・同盟化」構想 (京都地域の大学生協の 事業統一)を否定し、同構想と水光費撤廃闘争のもとに大学生 協運動に 「 政治的ひきまわし

(8)

」を持ち込んだ一派を追放したも のであった

(9)

。この総括は同志社生協では 『 東と西と』一八六八

【表2】同志社生協経営推移(1967~1986 年度 総供給高

(百万円) 当期剰余

(千円) 組合員数 一人当り

利用高 出資金

1967 729 144 28,873,000 明徳館地下改装

1968 777 21,008 36,985 34,943,300 大学紛争『東と西と』タブロイド判 1969 711 ▲3,250 17,611 40,356 32,237,100 7ケ月封鎖休講、水道料一律8円(t

1970 697 1,193 37,866,800

1971 691 ▲1,221 20,250 34,100 46,381,060 事業連合法人化 1972 871 543 20,487 48,714,000 洛南生協支援

1973 1,086 239 47,690,100 水トン当16円→8円負担 1974 1,180 ▲14,990 47,415,900

1975 1,398 5,904 47,415,900 総代会5年ぶり学内開催

1976 1,540 1,581 51,138,000

1977 1,737 39 21,388 57,033,900 中期3ケ年計画 1978 1,740 ▲20,431 21,350 81,476 81,598,800 「福武所感」

1979 1,889 2,591 土地売却

1980 1,956 7,910 20,384 95,950 94,088,100 長期スト 明徳館食堂改装 1981 1,956 ▲6,770 20,821 93,947 105,383,700 共済開始

1982 2,067 ▲36,897 21,284 97,109 126,054,600

1983 2,113 30,247 17,679 119,501 150,684,900 経営再建計画 1984 2,002 34,674 18,841 106,261 163,784,100

1985 2,126 49,261 19,079 111,412 168,927,000 競合決定 1986 2,082 ▲49,345 20,546 101,326 202,656,100 田辺移転

出所:年次総代会議案書、『東と西と』、『2万人組合のための3大基本政策』(1970)をもとに作成。空欄は不明

(8)

年六月三日号外で報じられ、また同構想の拠点とされた京都ブ ロックの大学生協会館を解散し、七一年四月大学生協京都事業 連合が結成された。 ここでは、 第一八回総代会を境界に、 『東 と西と』第一期から第二期への転換は、それ以前の同志社生協 理事会方針に対する新理事会の総括であったことを押さえてお く。 しかし、その後の理事会でも、生協が費やす電気・ガス・水 道費は学生組合員からすれば授業料の二重搾取であるとして、 大学が全額負担すべきだと要求する方針は踏襲された。一九七 〇年七月に発表された 『 二万人組合員のための三大基本政策』 においても、建設計画中の新中央図書館内への生協施設要求と 並んで、七三年秋頃までの大きなテーマであった ( 同 年

10 月 17 日号) 。 七 三年秋から七四年の一年分の『 東 と西と』 は現存し ないため不明だが、一九七三年一二月に図書館が竣工後は、水 光費撤廃闘争に換わって既存の生協施設の拡充要求運動にシフ トしてゆくことが 『 東と西と』の記事からうかがえる。特に一 九七六年一〇月六日号に見られるような、五政党に対してロッ キード疑獄事件の徹底糾明や革新統一戦線の実現についての質 問状

たない、貧困な厚生福祉施設が改善されないのは、憲法二五条 を押し進めながら、 文部省学生課基準にも満 「 産 学協同路線」 を出すという強い政治色は、 政府・文部省の 「 中教審路線」

任務

する 面

点と

到達

運動の

大学生協 「

採択

大学生協連第一二回総会

だ。一九六九年の全 へとすすん

運動との連

地域住民

は社会運動や

認識

こうした ク』 ( 一九七六年五月)が

いられた。

地国

大学生協連合会発

西

監修

連 の 『 施設闘争

ハン

ドブッ 全

( 書として、

九七九年一二月)にうかがえ、運動のための 一

生協施設の現状と施設拡充運動の前進のために』 『 や 定)

を計画 にした『 同志社生協中期三

目標

年計画』 ( 一九七七年 八〇年

は一九七八年

認識

が生まれることになった。この

関係

、大学

認識

立ち

う 、

当然深当局

とも学内

治組織とも い

緊張

態による生協の組織・経 営両面

であるとい 撃も同 にわたる

革新統一戦線」への攻撃でもあり、大学の不安定状 「 にそれは を妨げ、大学生協運動に対する敵視・規制・攻撃であり、同時 の定める生活権や教育基本法の教育権、教育の機会均等の保障

)では、

一年に大学生協京都事業連合として法人 七 ( ロック

立支援

先駆的割

を発

してきた同志社生協およ

京都ブ )の

七四年に京都生協と改 ( 生協

洛北

すでに六四年に京都 いた。 て

呼び

と組織拡大を

主的民

し、生協運動の

生協と連

集的諸

組織との連

する や日本生活協同組合連合会に結

くの

主民

を組合員に組織し、大学の

くすべての人

めに、大学で 」は、組合員の要求を実現するた

(9)

洛南生協 ( 一九七二年創立、七八年京都生協と合併)と奈良市 民生協 ( 一九七四年創立)の設立を支援し、地域住民の意思を 主体としていくことを前提に京都府連

協運動の 合い、府連 『 第二次中期計画』 ( 一九七七年)では、 「 オール生 との政策的連動を確認し

総力戦

おける大学生協の民主的発展と組織・経営強化」をすすめてい 連組織の強化」 に 本 日 「西 府 「 新自治体の発展」 革 「 実・拡大」 」として、 地域、学園、職域での組織の充 「

。同志社生協が市電を守る運動 (

71 年 10 月 15 日号。

72 年9月 27 日号)や国鉄運賃値上げ反対運動 (

72 年6月5日号、

月5日号、 73 年4

77 年 11 月 に力点が置かれていたことがわかる

八年七月、第三九回総代会)と並んで、府連第二次中計の実現 以上、一九七 ( 一般消費税導入反対」 、「 国鉄運賃値上げ反対」 「 以上、一九七二年三月、第二六回総代会)や ( 佐藤内閣打倒」 「 、 学費値上げ反対」 「 決議の内容を追ってみると、新施設要求、 添ってのことである。この時期の通常総代会で採択される特別 や京都府連の方針に 学生協運動の到達点と当面する任務」 大 「 住民運動との連携に取り組むことになったのは、 費者運動、 参加、一般消費税導入反対運動、府知事選への応援など地域消 24 日号) 都消費者団体連絡協議会への 京 、

学生協をめぐる諸問題 大 での講演「

の確認であり、 七九年の福武直会長理事の全国専務理事セミナー 「 学 園に広く深く根ざした大学生協づくり」 第二〇回総会での た。活動の後押しとなったのは、一九七七年の全国大学生協連 七〇年代後半、同志社生協では、新たな組合員活動が前進し 業活動の転換 と事 「学園に広く深く根ざした大学生協づくり」 二、

の発展をめざして

京都における連 『 京都事業連合の方針 の『 の

西地連

編集

設 施

闘争ハンドブック

』や府連に

あった。福武所感が

にされたおな 時期に発 された、前

述行

し、

職員 に

浸透層具映

するには時間

が 体的な事業活動に反 ら

め 導者 れたが、京都地域の

指層

に ー

スム

には

よび

れる大学生協にな ろ う」と かけた 「 福武所感」は、学生

う もつ」 こ とを強調した。 「 りにさ るさい厄介な存在か ら 、 頼 の組織であるが、自主的民主的な人間形成という教育的機能を れが大学生協」 厚生事業を運営する、 そ 「 生 であり、 活のため ちがって生活では、学生教職員が対等の立場で、民主的に福利 究教育と 研 「 あること、 で 自主的民主的経済組織」 るための「 生 「 大学生協はこの生活の場を守り豊かにす 活の場」 であり、 ばれる)である。福武は、大学は教育研究の場であると同時に、 」( 呼 と 福武所感」 ち「 の

(10)

事業連合の改革のために』 には、 福武が指摘したような大 学生協独自の教育的機能や特殊性に配慮した視点はまったく見 受けられない。 その一方で、同志社生協では学生委員による新たな組合員活 動が興っていた。七八年秋、書籍部全書籍の一割引実現にむけ ての 「 決意書」活動で一一〇〇名の署名を集め、書籍委員会の 書評誌 『 邂逅』を創刊して、今までにないスタイルの組合員活 動が盛り上がった(

78 年6月

26 日号、 同年9月

学 生生協から大学生協へ」 学生協が自 大 「 や 学生協づくり」 「 園に広く深く根ざした大 学 「 しかし、 れるのが当然であろう。 の消費動向に対する事業活動としての対応、考え方は、区別さ 性が尊重されることと、購買部で取扱う商品群のように、学生 機関誌づくりや組合員活動において組合員の嗜好や流行の感 であることが明記されるようになる。 東と西と』は組織部学生委員会の編集 る。八一年四月号から 『 の新入生歓迎イベントも、この頃から活発になる恒例行事であ であった。学生委員会主催のコープ・ティ・パーティー、今日 イプの学生委員会による、組合員のための誌面づくりの始まり 「 などは従来にはなかった新しいタ コーナー、 コープクイズ」 東も西も」 「 ひと口ポスト」設置、組合員の声を紹介する 「 や こおぷネコ」 「 七七年一一月二四日号に誕生した四コママンガ 21 日号) 九 。一 生協の最新のレコード・ショップが誕生した ( 八〇年四月、今出川キャンパスの明徳館地下購買部に同志社 を問う必要がある。 活動と後者の事業活動とが総合的な脚力になっているかどうか 生協運動に貫徹されているかどうかは、前者、すなわち組合員 力でやれることを( 自立) 」 と いう福武所感の主張する路線が

でスタートするのは一九八

関西地連京

の一二大学生協 (

ブ滋ロ

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・七 生協あ たという。 一九八一年の『 東 と西と 生

(新 入 ない』 産 ビッグ・フ ェ スティ バ ル(

長蛇

業会館)は学生の の

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化製品の占める比重が増し、京都事業連合主催のオーディオ・ これが象徴するように、この頃より購買部ではオーディオ・電 80 。 年4月5日号)

・事 京区 京都事業連合は、一九

七年に

左高野玉岡町

倉庫 ブ世代

の大学

学は バ であった。 ル

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人類

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言葉

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になったの 。 し

消費社会の

かな大

(11)

務棟を建設して以来、取り扱い商品の大型化、物流コストの増 加に努力を重ねていたが、やがて限界に達して、七八年九月、 南区吉祥院に 「 京都事業センター」を建設した。総事業費五億 円は京都生協と大学生協が折半で負担し、施設は京都府連第二 次中期計画にそって、 「 京 都における大学・地域・職域の各生 協の全体の力を集めて、生協運動の飛躍的発展の実現に向けて 諸計画が決定され」 、「 大学生協、地域生協、職域生協の共同の 集配センターを前提にした倉庫を建設し、事業連合としては同 時に数年来懸案であったコンピューターの導入問題も併せて解 決する

ル生協運動の総力戦」という考え方は大きく転換されることに ー 「オ 経営組織の抜本的改善が火急課題となったとき、 強化、 り、大学生協でも事業の成長が鈍化しはじめ、事業連合の機能 その後、八〇年代に入り社会全体の構造的な不況が顕著とな 総力戦というバックアップのもとで進展した。 た事業連合ならではの活動は、大学・地域・職域の協同組合の プ、オーディオ・フェスティバルなど時代の消費動向をふまえ 協の書籍一割引実現運動など新しい組合員活動と、 レコードショッ 志社生 同 で解決しようと考えた。 ール生協運動の総力戦」 オ 「 地域・職域生協との統一的業務連携、 単協は、 各 事業連合、 活の消費動向が大きく様変わりしたとき、その対応に迫られた 」とされた。七〇年代後半から八〇年代初め頃に学生生

【表3】京都府連の会員構成と事業高(1975年、1983年)

1975 1983

組合員数(人) 事業高(億円) 組合員数(人) 事業高(億円)

京都生協 42,490 59.3

152,886 269.7 洛南生協(注1) 5,565 5.7

地域生協 小計 48,055 65 京大生協

83,589

24 19,563 38.8 同志社大学生協 14.1 20,602 20.1 立命館大学生協 17.9 19,524 25.9

府立医大生協 4.1 4,092 6.7

龍谷大学生協 5.4 7,704 8.3

教育大生協 1.6 1,872 2.2

工繊大生協 1.9 3,164 3.3

大学生協 小計 69 76,521 105.3

総合計 131,644 134 229,407 375 京都府連第2次中期計画(1977)、京都事業連合第1次中期計画(1983)、関西地連京滋ブ ロック第1次中期計画(1988)、京都生協『頼もしき隣人たらん(京都生協の30年)』

(1996)記載データをもとに作成。

(注1)洛南生協は1972年創立、1978年に京都生協と合同。

(12)

なる。一九八〇年一二月、全国大学生協連第二四回総会は 「 大 学生協の役割と当面の課題」 として三つの 「 役割」 と六つの 「 課 題」 を決定した

の といわれる) 情報」 人・物・金、 「 一般に ( すなわちコンピューター・システムによる経営資源 ン機能、 商品力を向上させるために大学生協独自の統一的オペレーショ 加を活動の根幹にすえることを中計の基本とし、自ら店舗力・ その商品の強化ということであった。組合員の生活・要求・参 る事業活動の存在であり、事業活動の拠点としての生協店舗と 会活動一般、労働組合運動、政党運動、消費者運動と区別され 第一次中計でもっとも強調されたのは、大学生協運動が他の社 第一次中期計画』を策定した。 『 京都事業連合は一九八三年 学生協の位置づけに転換があったことがうかがえる。 の事業規模が京都の大学生協の供給規模を超えて、府連内の大 【表3】に整理した。七〇年代末から八〇年代初めに地域生協 一九八三年度の京都府連の会員構成と事業高について、 年度、 支援や府県連レベルの連帯についての記述が消えた。一九七五 学生協の教育的観点が盛り込まれて、大学生協による地域生協 としての大 きた民主主義の学校としての協同組合」 生 「 かれ、 としての大学内での事業活動に力点が置 活の場」 生 「 は、 題」 詳細を伝えている。 月二九日号で「 役 割と課題」 「役 の 割 と課 。 九八一年一 一 と西と』 東 志社生協は『 同

集中と再配 分

決定している

祥院

に再 移 転し、

地・

物を京都生協に

賃貸

することを する」とした。事業連合の本

野玉岡町

機能を高

移行 間 協同に の協定による協同組合 間 みとし、地域・職域生協との独立法人 下の会員関係を再整備し、 員は大学生協の 会 「 傘 あわせて、 るマーケットリサーチという表現で語られるようになった。 イジングやチェーンストア理論の導入、学生生活実態調査によ 学生協づくり」への本格化は、組合員の立場でのマーチャンダ 学園に広く深く根ざした大 「 の能力強化へと舵を切った。

三、 食堂 政策の転換

「 学園に広く深く根ざした大学生協づくり」への

路線

浸透過程

として

着目

されるのは、八〇年に入り

められた

食堂

政策

及び食堂

運営の基本システムの

進展

である。 全国大学生協連では、一九七三年に

食堂

政策

員会で 「 基 本

立政策の

立」を

提起

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けて同志社生協では、

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立によって組合員の生活と

健康

(13)

守るとしてきた (

76 年 12 月 を決定するという メニュー 用対象者の実態から価格設定、 利 であったのに対して、 原価積み上げ方式」 「 ドサービス業界が仕入れ価格を基準にした これは、 時の外食産業やフー 当 を決めてゆくというものである。 昼、夕の三食の価格設定から生協食堂のメニューの内容・価格 査などのデータにより一日の食事にかける支出を割り出し、朝、 キログラムカロリー以上)を保証し、学生の消費生活の食費調 三〇〇〇 ( のとれた栄養と二〇歳前後の若者に必要なカロリー 基本献立政策」とは、朝食、昼食、夕食の三食でバランス 「 13 日号) 。

逆転 り八円三〇銭の赤字が七九年には二四円に拡大していた

労働集約型作業からの脱却がはかれず、一九七五年に一食当た の嗜好やニーズの多様化、変化に対応しきれず利用食数の後退、 グ手法)を先取りした画期的なものであった。しかし、組合員 の商品化手法 ( マーチャンダイジン

念と大学生協食堂の診断にもとづく評価と改善要点

「 学生協連食堂セミナーでの宮川宗明講演 給食事業の新しい理 方が登場したのが七〇年代末から八〇年であった。七七年、大 経営的な必要性から 「 フードサービス」に対する新しい考え 。

への転換がはかられた。 具体的には、 l ea dm te ien or 従来の定 r me sto cu 「 選択性のある給食」 利用者のニーズを尊重した l ea dm ize or th au 管理された食事」 「 それまでの けに、 から 」をきっか

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徳館地下

生協では八〇年に明

同志社

され、

各々 意味

められることとなった。 生協食堂の

教育

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の場としても

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生と大学生協の

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福武所感

を まえ、 基調には た。

活の場」 「 生 である大学に

が出され 提案』 大学食堂の充実についての要望と 『 学生協連の カフェテリア」方式への改革が進んだ。八〇年には全国大 「 像 創る食堂」という視点で、個性と豊かさを表現する新しい食堂 選ぶ楽しさ」や 「 「 コミュニケーションを 「 文化としての食事」 食スタイルの給食から脱して、個性化した組合員ニーズに応え、

80 年 9 月

15 日号、

11 月

化されてきている現

会社

代です。また、生活そのものが 『 で生活の『 豊かさ 』 を

享受

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が利用対象とする組合員は た

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中 書

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理事が

飯村治専 新について、当時の 刷 食堂事業の 号) 。 13 日

(14)

自律的で自覚的な個人として成長する、 その過程にいる人々 です。私たちはこのような組合員のための食事施設として 生協食堂を実現しなければなりません。それは管理された おしきせの献立を提供する場所ではなく、組合員の人格と ニーズを尊重して、個性あふれる豊かな気分や自由な交流 の場として提供され、食事や生活主体として組合員が成長 するための情報提供等を通じて、肉体的・精神的満足を促 す、そのような場として生協食堂を位置づけなければなり ません。 」( 『 学 協運動』 第一一〇号、 一 九八〇年一一月二 五日) 食堂ではプライスメニューに栄養表示を掲げ、管理栄養士に よる栄養相談や『 すぱいす』 『 卓上講座』 といった食生活提案 活動がいっそう重要となり、 ま たパンフレット 『 自炊のすすめ』 を提供するようになったのもこの時期である。定食型食堂から カフェテリア食堂への転換やチェーンストア理論による食堂経 営の専門化・単純化・標準化は、食材の仕入れやメニュー開発、 コストコントロールのコンピュータ・システム化を加速した。 このことは、八三年のPOS導入、八七年の各単協を事業連合 下におく統一的経営情報システム 「 UKシステム」開発につな がる。 しかし経営面で七〇年八〇年代は、現代につながる問題を提 起している。 六〇年代順調に伸びていた総供給高は一転して六九年に落ち 込み、七三年に六八年水準に戻したのちも六〇年代の到達水準 を超えることなく、八七年まで 「 長い停滞期

( と』で報じることになった

西

と『

累積

える

赤字を の

千万 いられ、八〇年度末には六 強 苦戦を 投資が続き、さらに八〇年年末の大学の長期休講で店舗経営は 九年の新町食堂の全面改装、八〇年の明徳館食堂改装など施設 なる。そして、七八年度以来五年連続して赤字決算となり、七 」にはいることに

で、

員の仕事のあり

で店舗や事業のすすめ

換してきた

低構造

問題」と、高度成長から

環境

成長時代へ経営 が大きく転 の

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物件費

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性としての

費用増 済

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そして、

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している」 ・事業・運営の全てを通して組合員の生活・

、「組 められ」

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済環境

やライフスタイルの 的転換の でいつにも

さ、生協運動を とした全ての活動

中心

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的に

原則

〇年代を通して ここで、 「 七 しきれなかった

克服費用構造

の重 経営 生協は 『 一九八三年、

再建基本計画

』を

定した。

同志社

81 。 月号)

(15)

組合員との総合的諸関係を強めることと店の成長が 「 分離」し ている弱点があったとする 「 現代性としての体質問題」を総括 することになった。 「 大 学生協連の進めている『 大学生協の役 割と課題』を基本に置いた活動をすすめている積りが、日常的 に広く組合員の議論や参加で運動をすすめることに不充分さが あることもあって、極めて跛行的な活動となる弱点を残した」 との総括は、その後の具体的な実践のなかで検証されなければ ならない。経営構造の大転換にむけて、最大の課題は、三年後 に迫った「 田 辺移転問題」 であり、 『 東と西と』 では八四年五 月一七日号で田辺新キャンパスでの福利厚生事業施設の提案を 提示した。 「 田辺での福利厚生事業は生協の運営で」 署 名活動 では、 九 二〇〇筆を集めたが(

84 年7月

は生協の優位性を試す機会」と捉えた職員座談会 ( 「田 で生協食堂はB区分五〇〇席を担当することになった。 辺 16 日号) 、 第 一次選考

86 年1月

20

日号)の決意をもって田辺キャンパス開校を前に 『 東 と西と』 は第二期の時代を終えて、新たな誌面改革を迎えることになる のである。 『 経営再建基本計画』 の総括は田辺移転問題を含む 第三期の取り組みの中で生かされることになる。 おわりに

一九六九年の 「 大学生協運動の到達点と当面する任務」から、 そして一九八〇年の 「 大学生協の役割と当面の課題」へと至る 経過を同志社生協および京都事業連合の事業と組合員活動に即 して俯瞰するためには、更に時系軸をすすめる必要がある。一 九八五年、京都事業連合は 「 第二次中期計画」を発表し、新し い情報システムの開発を決定し、八七年全国に先駆けて統一的 経営情報システム 「 UKシステム」を開発導入し、翌年には食 堂メニュー・システム、サービス事業システムが始動した。こ れらによって共通の定番商品管理が可能となり、会員共通シス テムにもとづく本部と店舗業務は 「 標準化」と 「 効 率 化」を 飛 躍 さ

た。も

ちろん

、八六年から

今出川

、田辺校

の二

点業 務となった同志社生協にとっても、新システム導入とその

ノウハウ

い組合員

支持

ることになったが、 「

歴史

性として の

費用

構造問題」が

本的に

決されることはなかった。これ らは第三期の同志社生協の経営動

と組合員活動の分

ゆだねざ

るをえない。あえて先

みすれば、九〇年代の京都事業連 合の「 第 三次中期計画」 ( 一 九九一年

一九九六年) ですすめ られた情報化と

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理論は、七七年の

連第二次中 計や八三年の事業連合第一次中期計画

以来

の連合

/単

協の機能

(16)

集中と再配分

転換

固有の個性の実態との軋轢を招いて、九八年総会において方針 を本部、会員店舗を支部とした運営によって組合員要求や大学 ( 西 日本連帯) や多様な新規事業の開発をすすめる一方、 連合 ない。しかし、その後第三次中計の路線が、事業連合の広域化 深く根ざした大学生協づくり」を実現したといえるのかもしれ 論の一定の完成形態として、 「 学園に広く

あった。同志社生協にとっては、新しい組合員活動としての機 連帯、提携の在り方と大学生協独自の自立を模索した足跡でも あった。生活協同組合運動全体からみれば、府連傘下の生協の りわけ食堂政策の進化のなかで明確に打ち出されてゆく過程で 生協とは質的に区別された大学生協固有の教育的特殊性が、と 運動による統一的業務提携模索の時期を経て、地域生協や職域 が浸透、進展してゆく実相を明らかにした。それはオール生協 れた

希望

の活動でもある。 みから生ま 性を育てる

生協づくり」 「 学 生生協から大学生協へ」 の 総路線スローガン り組みであり、同志社生協の模索の

主 の組合員活動としても、事業体としても、生活協同組合の の変遷をたどることによって、 体 「 学 園に広く深く根ざした大学 の分析や、同志社生協の組合員活動と事業活動、特に食堂政策 を育ててきたのである。それは運動体 公 人 主 学生協づくり」の 志社生協の学生委員会の活動が、 学園に広く深く根ざした大 「 本稿では、六〇年代末から八〇年代半ばまでの と西と』 東 『 趨向を定めていたことは見逃せない。 にする同 た。一人一人の組合員との出会い、仲間づくりを大 切 増やして楽しい大学生活がスタートできるよう工夫を重ねてき られるものではなく、九〇年代末以降の今日の大学生協運動の である。職員と学生委員がいっしょに、一人でも多くの仲間を さまざまな模索と転換は、けっして中間的な移行とだけ片付け による新入生を温かく迎える歓迎行事、新入生歓迎パーティー されたことを考え合わせると、一九七〇年代、八〇年代の

していることを紹介してこの稿を終えたい。それは春、在校生 り、二〇〇九年現在にいたるまで変わらない組合員活動が継続 事業活動は時代に応じて変化してゆくが、七〇年代にはじま に田辺移転後の事業と活動を見極めて行く課題が残る。 営不安定状態から抜け出せない模索のはじまりでもあり、さら 関誌づくりや書籍、食堂改革、購買事業の進展する一方で、経

注(1)今岡徹報告は『京都の大学生協史編纂委員会会報』第六号(二〇〇八年四月二四日)に掲載。報告のアウトラインは小見弘(当時、全国大学生協連合会企画室)の「大学生協の食堂経営戦略」によるものである。

(17)

(2)庄司俊作(二〇〇八)「大学生協の高度経済成長と学生生活同志社生協経営諸資料の統計分析を通して」、同志社大学人文研『社会科学』第八二号、二〇〇八年一一月。(3)前掲注2、庄司論文、一〇五~一〇六ページ。(4)前掲注2、庄司論文、一〇六ページ。(5)第二期の理事長、専務理事は以下の通りである。理事長=天野宏(一九六七年六月~一八七二年一月)、島弘(同~一九七七年一二月)、近藤公一(同~一九八五年六月)専務理事=黒澤良一(一九六八年一二月~一九七三年一二月)、伊藤博(同~一九八一年六月)、飯村治(同~一九八五年六月)(6)一九六七年九月六日付『総代通信特別号』。(7)『同志社生協の歩み』年表(一九七三年)の第一八回総代会についての記述。(8)全国大学生協連合会『大学生協の歩み

( 年七月、二〇~二一ページ。 通して」、同志社大学人文研『社会科学』第八一号、二〇〇八 (9)拙稿「一九六〇年代の同志社生協機関誌『東と西と』を 以降、大学生協連の歴史編纂はなされていない。 周年記念』一九七五年、二二四~二三三ページ。この二五年史 大学生協連創立二五

て。⑤(社会党・共産党のみに質問)革新統一戦線についてな 決議」について。④「ロッキード疑獄事件」に徹底糾明につい 議会の評価。③衆議院社労委員会で採択された「大学生協育成 破壊につながる公共料金値上げについて。②京都消費者団体協 別決議にもとづく申入書の質問概要は以下の通り。①国民生活 10)『東と西と』一九七六年一〇月六日号「三五回総代会での特 ( 京都府委員会。 ど。政党からの回答は、民社党、社会党、共産党、公明党の各

( 。担うを翼いの一闘な の発展させ、日本の真向独立・平和・生活上をめざす全国的 守り、育を教決するために民主解本的に根組合員の要求を④ 民主的強化と組織拡大にめる。努 ③日生協に結集する多くの生協と連帯し、日本の生協運動の 員組織の民主的強化と経営の健全な発展をめざす。 組合員の自主的運動と事業活動の充実をはかるため、組合② 大学生協相互の団結を強化する。 人々を組合員に組織し、大学の民主的諸組織との連帯を強め、 組合員の要求を実現するために、大学に働き学ぶすべての① の通り。 11)「大学生協運動の到達点と当面する任務」の四つの柱は以下

( 庁平安学院生協(以上、大学生協)、府女生協ほか一六単組。 大学生協、谷大学生協、大工芸繊維育大学生協、教学生協、京都 大龍谷医大学生協、府立命館生協、立科大学・府立大学生協、 生協)都生協、同志社大学大生協、京、地域(以上、生協南洛 12の主な組合は以下の通り。京加盟)京都府生活協同組合連合会 学生協の民主的発展協、④「大学生織との連帯」設立支援、大 整備のために運動を強めること」、③「府連の強化と各府県組 行の民主的構通機流政と民主的消費者「革新自治体のもとで、 、②的発展を実現すること」飛躍をあげて生協戦線の力協の総 「大学・においては、①域地域・職目標全生』(一九七七年) 13る生協運動の任務とおけ『京都府に画期計次中)京都府連第二

(18)

と組織、経営の強化」が掲げられた。府連『京都における連帯の発展をめざして事業連合の改革のために』(一九七九年)によれば、大学生協京都事業連合第八回総会方針として「大学・地域・職域の統一的業務連帯は全国的にも初めてのとりくみであり、とくに日常業務と深くかかわることであるだけに、組織的、理論的な整備による意思統一と、具体化にむけての道筋を明確にしておくことが特に必要である。そして、①京都生協との共同事業センターの建設、②コープ牛乳の導入、コープ冷菓の共同開発など京都生協との事業連帯の着手、③地域・職域をふくむ事業としての展望をもった「文化事業センター」(株)の設立などの実施、④京都生協との統一的運用を展望したコンピューター導入の準備など」、大学・地域・職域の連帯活動の積極的意義を述べている。(

一九七八年七月、第三九回総会の「特別決議」=「地域・大 に学びがいのある学園を築こう」 真「学園から暴力を一掃し、民生活本位の政治を実現しよう」 国民生活は会を辞めさせ国「政府・自民党の公共料金値上げ、 言論・表現の自由と議会制民主主義を守り抜こう」糾弾し、 三党による反動的反民主主義的な公職選挙法改悪の可決成立を 出資金の増口、増強で生協をつよめよう」「自民・社会・民社 (一九七五年七月、第三三回総代会の「特別決議」=「組合員 善条用利、衛件改の運動をさらに前進させよう」反対し、佐藤内閣打倒の闘いをおしすすめよう」 「特別決議」「公共料金の大幅値上げに央図書館に生協施設を実現しよう」防生活「組合員出資金の増強で生協を強化し、= 功く成き新入生を事を大させ、入生暖かく迎え入れよう」。で無責任な学費値上げを糾弾し白紙撤回をかちとろう」「新中歓迎行 14)一九七二年三月、第二六回総代会の「特別決議」=「一方的「新連帯活動を強めよう」し、支援め生協設立運動を積極的に 同ひろげよう」「大学生協連に結集社し、志女子大学をはじを かす動るみの運動きに主義をおびや処機敏ぐし、組合員総に対 「組合員の生活、と民主平和めよう」進し推運動を善に施設改 をめざして、「生協施設の抜本的立しよう」組合員ととも拡充 組織を確基礎心としたーを中パーを選出し、総代・コーパコー 目指多方面要求の実現をを中そう」「新入生の基礎クラス心に を求「組合員の要集約し、組合員による事業活動の発展、参加 =「組織活動方針」回総代会の四四第年一二月、〇一九八 えて、後期一〇月から書の全籍一割引を実施しよう」点 「生協によせられた多数の決意書に応る運動を一層強めよう」 導入に反対し、円高差益を国民に還元させ、組合員の生活を守 般消費税一「国鉄運賃値上げ、次中期計画を実現しましょう」 学・職域の生協がちからをあわせ組合員の暮しを守る府連第二

務理専、長であり、理事存在・大学生協は、大学と協力し合う よう。重ね力を努ざす ーのミュニティく、深く重要な組織として、大学の中に広根 生事業を運営する大学生協は、大学コ厚利福で、民主的に場 等の立員が対では、学生・面・大学における「生活」という教 り。通の (学生協論』以下から整理すると一九八五)会、版京大学出東 15『大福武著をトンポイ』の諸問題るぐ『大学生協をめ福武直)

(19)

事、役職員は大学の生協観を変えさせる努力を重ねなければならない。・大学生協は自主的民主的な経済団体であり、自力でやれること、大学の援助が必要なことを区別して考えなければならない。・大学生協は「生活」協同組合であるという原点にたち、大学における「生活」を健全で楽しいものにしてゆくような努力を強めよう。・大学生協は政治活動においても経済団体という特殊性を充分に自覚しなければならない。・より多くの大学に生協を。そして大学生協連の強化を。(

( 時、同志社生協購買部)のご教示による。 16)新入学商品カタログの企画開発にかかわった井崎宏子氏(当

( 電化製品、家具などの「カタログ供給」がスタートする。 生協でも同センターを拠点に、一九八一年から中型家庭用品や 17)京都事業センター竣工記念祝賀会の経過報告書による。京都

としての協同組合の役割を発揮すること。 ③自治と民主主義をになう力を育み、生きた民主主義の学校 むこと。 真に豊かな生活文化を形成してゆく生活主体へと成長を育② 通して学生・教職員に貢献すること。 ①「生活の場」としての大学に事業を軸とし、事業の充実を 「三つの役割」 の役割と当面の課題」の「役割」と「課題」は以下のとおり。 18)一九八〇年全国大学生協連合会第二四回総会採択「大学生協 ( 生協設立への支援を強め、全国の学園に大学生協を広める。⑥ 帯活動を発展させる。 ⑤組合員の要求を実現し、大学生協の社会的地位を高める連 動を発展させる。 ④生活への圧迫に反対し、平和と民主主義を守る組合員の運 協施設を実現する。 ③生活機能の充実と生協の意義を全学の合意とし、豊かな生 現する。 ②全学全階層にねざし、組合員を主人公とする組織運営を実 立する。 組合員の生活と広く深く結びついた事業と健全な経営を確① 「六つの課題」

( けて」 19)事業連合理事会「事業連合のコスト構造の転換と効率化へ向

( 20)前掲注1。

( 21)前掲注1。

( 22)前掲注2、庄司論文(二〇〇八)、九九ページ。

」方針会、二〇〇〇年、「京都事業連合九八年小池の内容と背景 修ガバナンス』所収、山本・・小池恒男編著、家の光協吉田忠 農ンスー大学生協・地域生協・協同組合のコー協」『ポレート・ 「協同組合の連合組織におけるコーバナガート・ポレ小池恒男 詳細に転換された。方針とした基本員生協の主体的な活動をは、 から九〇年にかけての事業政年代代・機策関運営を総括し、会 最ント(最高経営責任者、ま高執行役員)の交代、た八〇ジメ 23ップマネ総会においてト常、京都事業連合通月五)一九九八年

(20)

『京都の大学生協史編纂委員会会報』第八号所収、二〇〇八年一一月二〇日参照。

(21)

参照

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