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創成期における植芝合気道思想

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創成期における植芝合気道思想

著者 パイエ 由美子

雑誌名 同志社大学日本語・日本文化研究

号 12

ページ 131‑161

発行年 2014‑03

権利 同志社大学日本語・日本文化教育センター

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013489

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要 旨

植芝盛平の創始した現代武道、合気道の思想について、その創始の時期から、

合気神社建立を経て、終戦に至るまでの期間を合気道の創成期と捉え、その背景 となる思想について明らかにした。創成期において、植芝が大本の出口王仁三郎 に出会ってその思想を吸収し、変容させ、どのように自身の武道理念と技法を構 築して合気道を創成していったのか、この時期の合気道思想とはいかなるもので あったのかを検討した。植芝盛平、出口王仁三郎、そして戦前の直弟子たちの言 説といったテクストを取り上げて、身体観(技法観も含む)、修行観、心法、とい う三つの観点に着目し、内容を抽出して、その思想とどのようにかかわっている のかを確認した。

特徴的な身体観としては、①自らの身体は自らのものではなく、神より、また は天皇より授かったものである、②言霊の働きは、呼吸と合わさり、一つの身体 技法として組み入れられた、③衝突することのない力の使い方、であった。修行 観では、①霊体一致、または神人合一のための修行、②修行は型の反復稽古では なく、常に新たなる技法を生み出す、不断の進歩向上でなければならない、とい うことが明らかになった。さらに、心法は、①心が身体よりも先に動く、心の先 導性、優先性、②「気」の捉え方は、過去の武道伝書と出口王仁三郎の思想との 混在が見られ、創成期においては、気の概念はまだ変化の途上であり、確立して いない。

以上の点が、合気道の創成期における主な思想として明らかになった。

キーワード

日本文化 武道 合気道 植芝盛平

1 はじめに

本稿で取り上げる植芝盛平(1883-1969)は、日本の現代武道として世界的に愛好者が 多い合気道の創始者である。合気道は、1948(昭和 23)年に旧文部省から正式に財団法 人として認可を受けた財団法人合気会を母体とし、順調に発展を続け、2010 年におい ては、日本国内ではもちろんのこと世界 95 カ国で稽古されている。2012(平成 24)年よ

創成期における植芝合気道思想

Ueshibaʼs Aikido ideology: the early period

パイエ 由美子

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り公益財団法人となり1、開祖植芝盛平(以下植芝と略す)亡き後、その三男である植 芝吉祥丸2(以下吉祥丸と略す)が後を継ぎ、現在は三代目の植芝守央3が道主となっ ている。

筆者も担当する「日本の文化A(日本文化の諸相)」(通年開講)の授業においても、

神道の文化の授業の一貫として合気道実習を白峯神宮にて行っており、毎回学生が日 本の現代武道を意欲的に実践している。

植芝と同様に起倒流柔術を習得した後に、自らの武道を創始した武道家としては、

講道館柔道創始者として著名な嘉納治五郎(1860-1938)がいるが、これまでの嘉納治 五郎と柔道の学術的研究の多さは自明である。一方、同じく柔術各流派を研鑽した後、

自らの武道合気道を打ち立てた植芝及び合気道そのものについての学術的研究は、こ れまでのところあまりなされていないと言っても過言ではない4

本稿では、植芝の合気道思想とはどのようなものであるかを、植芝が綾部に移住し て植芝道場を開設した 1920(大正 9)年から 1945(昭和 20)年までを区切りとして検 討する。植芝は、1944(昭和 19)年に合気神社を茨城県岩間市(現笠間市)に建立し、

活動の拠点を移して、この地で合気道の理念と技法を完成させたとされ、この合気神 社建立と第二次世界大戦終結を境として合気道思想の相違が見られると考えるからで ある5

特に合気道の創成期において、植芝が大本6の出口王仁三郎(以下、王仁三郎と略 す)7に出会ってその思想を吸収し、または変容させ、どのように自身の武道思想を構 築して合気道を創成していったのか、創成期における合気道思想とはいかなるもので あったのかを明らかにしようとするものである。

合気道は植芝が日本の伝統的な柔術・剣術・槍術等のエッセンスを集め、独自の武 道観や技法観をもとにして、あるいは取捨選択することによって、戦前から戦後にか けて変容し、または新たに創造され、戦後日本社会において広く認知されるに至った 現代武道である8

基本的には武具を用いず、身体そのものを武具として活用するため、当然のことな がらその身体についての捉え方と技法としての現れ方が重要である。また、その身体 と技法を鍛錬するために行う修行、さらには修行とは切り離せない心法についても検 討する必要がある。ゆえに、本稿では、これらの三つの点について着目する。これによっ て、植芝が北海道時代に武田惣角(大東流柔術の中興の祖と言われる)から大東流柔 術を学んだ後、王仁三郎との出会いによって新たに自らの武道を創成していく過程に おいて、どのような思想を基として合気道を創成していったのかを明らかにする。

分析の方法は、植芝自身の言説、戦前の直弟子たちの言説、さらには王仁三郎の言 説といったテクストが中心である。これらのテクストから、植芝自ら、または直弟子、

さらには王仁三郎が語った身体観・技法観、修行観、さらに心法についてのテクスト に注目し、そこから見られる植芝のこの時代に共通した上記の三点に関する思想や捉

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え方について分析、検討するものである。

なぜこの三つの観点に注目するのかであるが、前林(2006)は、武芸9とは「高度な 技法論」、「深遠な心法論」を備え、さらには殺傷技術としての存在を超えた、「人倫の 道としても理論化」10された身体運動文化としている。合気道も植芝の信仰の深化とと もに展開される独自の心身観や技法観を備えている。合気道は基本的には他の武道の ように媒体となる武具を使用しない相対身体運動であり、技法は勿論のこと、その技 法を施す者の身体も重要なものである。また、その技法を実現させ、植芝の理想に到 達するための修行、さらには修行を支える心法がある。

合気道の場合は、王仁三郎の「霊主体従」や「言霊」の思想の影響を受け、その心 身観にはこれまでの日本古来の伝統的武道に見られる心身観11とは異なっている点が 見られる。したがって、上記三つの観点に注目することは、合気道の本来的な特徴を 捉えることであり、それらの背景となった思想を把握するために有効であると考えら れるからである。

植芝自身のテクストとして、この時期に刊行されたものはあまり多くはないが、当 時の技法解説書として自家版であった 1934(昭和 9)年の『武道練習』(筆者注:植芝 守高という筆名で書かれている)、1938(昭和 13)年の『武道』(筆者注:植芝守高と いう筆名で書かれている)、さらに大本の機関誌であった『真如の光』、大日本武道宣 揚会12の機関誌であった『武道』を用いる。

考察の方法であるが、補足の表に示すように、これらのテクストの中から植芝の合 気道思想に対する言説やメッセージを 1、身体観・技法観、2、修行観、3、心法という 三つの枠組みに分類し、さらにそれぞれの枠組みの中で抽出されたものを共通する小 テーマに分類した。上記三つの観点は、それぞれに関係しており分類は困難であったが、

その内容から分類した。例えば、気は身体・技法観にも分類が可能であるが、植芝は、

気は心に導かれるものとしているため、心法に組み入れた。また、言霊・呼吸に関す るものは、身体動作と考えられるので身体観・技法観へ組み入れた。

手続きとしては、本文中に上記の観点について述べられていると考えられる箇所が あれば、それを各枠組みに分類、次にその枠組みの中で、共通のテーマで述べられて いるものを小テーマとしてまとめた。同様の内容が繰り返し述べられている場合には、

その内容が掲載されていた冊子名のみを記した。これらの作業の結果によって、当該 時期の植芝の思想がどのようなものであったのかがより理解しやすくなったと考えら れる。

植芝の言説について吉祥丸は、「その論旨、あるいは内容の展開の仕方から話ぶりに いたるまで、極めて超俗的」13であるとし、また直弟子であった塩田剛三も植芝の教え 方について、「その日の雰囲気や状態に応じて先生は好きにやる」14としており、言説 にしても、指導法にしても、植芝の「ひらめき」によるものが中心であって、体系的、

あるいは論理的であるとは言えないものであったと考えられる。

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突然、神道の神々の名前や王仁三郎の言霊学の一部が述べられたりするなど、文脈 が突如変わることも多々あり、その言説は極めて難解である。したがって、上記のよ うに、その言説を分類することは、植芝の思想を体系的に理解する上において非常に 有効であったと考えられる。これらの作業の結果を踏まえて、戦前の合気道思想がど のようなものであったのかを検討、考察するものとする。

また、王仁三郎のテクストとしては、同じく大日本武道宣揚会の『武道』と、『霊界 物語』15の「天祥地瑞」などを用いる。『霊界物語』については、直弟子たちの証言に も見られるように、植芝が愛読していたという「天祥地瑞」の巻(第七十三巻−第 八十一巻)を主に参照し、上記のそれぞれの観点に関わると考えられる王仁三郎の思 想や言説に注目したい。

植芝は「出口王仁三郎先生ぐらい偉い人は知らんね。」16と後に雑誌のインタビュー で答えており、また、つねづね王仁三郎に対する自らの姿勢について「弟子というも のは、師のなさることは何でも真似び(学び)そしてやらなければならんものだ。」17 と述べていたように、王仁三郎に対する師としての尊敬は絶対的なものであったと考 えられる。

植芝は合気道の思想的、技法的な基礎固めの時期であった、植芝塾時代を大本の信 徒として綾部で過ごしている。したがって、合気道思想を明らかにするためには、王 仁三郎との関係性やその思想を抜きにして考えることは不可能であり、王仁三郎のテ クストに注目することは必須であろう。王仁三郎の思想がどのように合気道思想の形 成過程に関わっているか、王仁三郎の思想との異同についても検討する必要があると 考えられる。

さらには、補足として戦前に入門した植芝の直弟子たちのインタビュー記事も参照 し、当時、植芝のもっとも身近にいた弟子たちが捉えた植芝の言説についても検討す ることとする18

また、植芝の合気道思想を捉える際に、その思想構造に多重性があるという点も忘 れてはならない。吉祥丸も述べているように植芝は起倒流柔術も研鑽し、その思想的 影響を受けている19。これらの点にも留意しつつ、合気道創成過程である 1945 年まで の合気道思想とはどのようなものであったのかを検討する。

2 身体観・技法観

2.1 合気道技法の基本的特性

前述のように合気道は媒体となる武具を使用しないため、技法を施す者そのものの 身体が重要なものとなる。その身体を用いた合気道の技法の基本的特性をまず整理し ておくことにする。

合気道の技法の主なる基本となったものは大東流柔術であるが、『秘伝日本柔術』に よると柔術の定義は以下の通りである。

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狭義に解釈すれば打つ、突く、当る、蹴る、投げる、締める、固める、ねじる、抑える、

などの攻撃法と、受ける、はずす、かわす、などの防禦方法を協調させて「素手を以て、

素手の敵を制する」技法をいい、広義に解釈すれば「素手を以て武器を持った敵を制 圧する」「小武器(十手、短刀、隠し武器など)を利して、素手あるいは武器を持った 敵を制圧する」となり」(後略)20

柔術は、もともと戦場において、地上での組討ちとなった場合に、勝ち残るための 殺傷技術であった。しかし、江戸時代になり、その技法は護身や、捕獲のための技法 として変容し、さまざまな日常の生活での場面を設定した技法として発展していった と考えられる。

合気道では投げ技以外に関節技を主体とする押え(極め)、さらに相手のバランスを 崩すための打ち、突きなどの技法が組み合わされ体系化されている。柔術に一般的に 見られる蹴りや締めなどの脚を使用した技法は、植芝が「汚い」と言って加えられて はおらず、それは植芝の武道、または身体に対する思想の一つの特徴を示すものであ ると言える。

2.2 身体観

それでは、植芝の合気道における身体及び技法の捉え方について、補足にある表を 参考にしつつ、そこにみられる特徴的な身体観・技法観について考察する。さらに王 仁三郎の思想の影響についても言及する。

第一に、植芝のこの時期における特徴的な身体観とは、自らの肉体は自らのもので はない、神のもの、天皇のものであるという点である。さらに、それは神の生き宮で あり、生きた城であり、また神の心と美しい精神の国を建設する場所としても捉えら れている。

神より来る武という神武の概念は、すでに江戸時代の『猫之妙術』21において見られ るが、神より頂いた身体という概念は植芝独特のものであろう。例えば『武道練習』

には、植芝の身体の捉え方について以下のように記されている。

古言ニ武ハ神ヨリ天皇ニ傳ハリ更ニ武将ニ及ブト實ニ至言ナリ22

日本では自分の体は自分のものであって自分のものではない。神より頂いたもので即 ち天皇のものである。天皇のものである以上自分勝手に其身を殺すことは出来ぬ。(中 略)手一本でもそれが手の役を為すものである以上これを傷つけない様にせねばなら ぬ23

また、『武道』においても同様に以下のように述べられている。

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自己モ自己ノモノモ更ニナシ皆御稜威ニ依リテ武ノ道ヲ頂キ(後略)24 道ハ魂モ身モ物モ皆主神ノモノナリ25

神ノ生宮トシテ現幽両界ヲ経綸ニ奉仕(後略)26

このように、身体は自分自身のものではなく、神より授かったもの、または、天皇 より授かったものであるという。当時の神社神道と、皇室神道を合体させた国家神道 体制下の中での天皇であり、植芝が意としたのはこの国家神道体制の枠組みにおいて 奉じられる「万世一系の天皇」であると考えられる。また、この時期の王仁三郎の天 皇観とも共通すると考えられる。以下の王仁三郎の『神霊界』(1918 年 3 月号)の言葉 を見てみよう。

天地万物一切は大神の領有たまふ所にして、地上一切の物は万世一系の天皇の知食す 所なり。然れば人は何事を為すにも、万世一系の天皇の支配を受けつゝ、大神の御許 しを得ざる可らず27

天地万物すべては神のものであり、この地上のすべては万世一系の天皇の統治する ものであるから、人は天皇の支配を受けつつ、何事においても神の許しなしでは行え ない、としており、上記の植芝の言説と共通するものである。さらに、王仁三郎の身 体についての捉え方を見ていくこととする。

人は大神の珍の御子なれば、人を罵るは神を罵るに等し。(「神霊界」1918 年 3 月号)28

人の身体も魂も皆神のものなり、故に神に仕へんと思ふものは、其身も魂も残らず神 に捧げて、世の為道の為に祈るべし。(「道の栞」第 1 巻中)29

人の体も、魂も、残らず神よりの借り物なり。神は高天原に坐しまして、現世 幽 世共に、

一つに守り玉へり。(「神の国」1925 年 11 月 8 日号)30

このように「人間神の子観」が見られるが、当然のことながら後に続く大本系の世 界救世教や生長の家にも見られ、さらには金光教、黒住教等にもあらわれるものであ る31。植芝の「自らの身体は神のもの」であるという捉え方は、やはり王仁三郎から学 んだものであると考えられる。このような人間は、宇宙的根源的生命の一部であると いう考え方は、戦後植芝が合気道は「宇宙を和する道」や「宇宙の仕組みを守る」といっ た意識を持つに至った背景になったと考えられる。

このような植芝の身体に対する捉え方は、身体は自らのものではないゆえ、自分勝 手に扱うことは許されない。神それ自身が生きる宮であるゆえ、たとえ指一本であろ

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うとむやみに傷つけることは避けるべきなのだ、という身体観を形成している。

また、身体を生きた城や、神の心と美しい精神の国を建設する場所であるとしており、

人間の身体は清廉潔白で堅固なものであるべき、という捉え方も窺える。このような 捉え方も、戦後において植芝が強調した合気道の「禊」の理念につながっていると考 えられる。

さらに、植芝は、これまでの伝統的な武道の身体の捉え方とも比較し、その相違を 述べており、「昔剣法に皮を切らして肉を切り肉を切らして骨を切るという戦法があっ た」とし、これについては以下のように述べている。

(前略)今日では皮を切らすさへ惜しむ。たとへ皮でも切らすことはつまり自身を傷け 又は危くすることになるからそれではならぬ、自己の身をそこなはぬ様にして敵を倒 さねばならぬ。即ち心で導けば肉体を傷けずして敵を倒すことが出来る(中略)皮を 切らして肉を切る法は名人の法であるが非常に危険な方法で日本人の為すべき武術で はない(後略)32

このようにこれまでの武道のような、自身の身体をわずかでも損なう技法を嫌って いるのが窺われる。

例えば 柳生宗矩が著した『兵法家伝書』の「殺人刀」においては、「打にうたれよ、

うたれて勝つ心持の事」33と勝利のためには自らの身体を切られることもよしとしてい るのがみられる。さらに『五輪書』の「兵法心持の事」において、心の持ち様の重要 性を説いているが、「静なる時も心は静かならず、何とはやき時も心は少もはやからず、

心は体につれず、体は心につれず、心に用心して、身には用心せず0 0 0 0 0 0 0

(傍点、筆者)」34 とあり、敵と相対する際、身体には注意が向けられていないことがわかる。また、合 気道の技術的基盤と考えられる柔術においても、植芝の強調するところの自身を傷つ けないという身体観はみられない。

植芝は、自らの身体でもって相手の動きを誘うのでは自身を傷つける可能性がある ゆえ、身体ではなく、自らの心で相手の動きを誘い、相手を導けば自らを危うくする ことはないとしている。ここでは、心の働きが身体の動きよりも先であると捉えられ ていることが理解できる(この点については次節の心法において論じる)。

さらに、「自分の軍は一人も損せずして敵を倒すのが真の武術である」35としており、

つねに自らを安全な位置において、身体を損なうことなく相手を制する、という点を いかに重要視しているかが理解できる。すなはち、「神の生き宮」である自身の身体を 損ねてはならないのである。

また、この身体観が合気道の極意とも呼ぶべき身体の使い方である「体の変化」36に もつながっている。この動きは、相手の動きを誘って、相手が動いたなら、その身体 に触れることなく、自身が回転することによって相手の力をそらす。植芝が戦前戦後

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を通じて変わらずに、合気道の根本的な動きであると説いてきたものである。『武道』

の「技法真髄」においては、以下のように述べられている。

戦法体ノ変化ハ極リナキ栄ノ道ニシテ一ヲ以テ万ニ当ルノ道ナレバ一ヨリ万法ヲ生ミ 開キ万剣ヲ練リ其ノ遂ゲ達成セシムルニアリ(後略)37

戦法としての体の変化は限りのない栄の道であり、一を以て万にあたる道であり、

万法を生むとしている。つまり、これは合気道技法の根幹をなす技法として考えられ、

この「体ノ変化」という動きから万の技法を生むことができるという極意なのである。

「体ノ変化」に続いて、「入身ニ於テ」、「体ノ左右ノ変化」、「入身転化」という三つの 体の使い方に分けて解説されている。これらの動きを基に、発展した技法「入り身」

が加えられ、「入身(転換)」(攻撃してくる相手の真正面に身を入れ、方向を変え、相 手を自分の円運動に取り入れる)という技法が作られている。

『武道練習』には、この「入身(転換)」という技法は「敵の真正面に立って突いて 来る槍の真中心に入身転換の法に依って無事にその囲みを破って安全地帯へ出る」と いうように、たとえ大勢の敵に囲まれたとしても、自らを安全地帯へ導く極意として 解説されている。

このような身体の動きが実際に示されているのが、『霊界物語』の霊主体従の巻にお いて発見できる。

手 力 男 はヒラリと体を躱したる途端に、高杉別は狙い外れて勢い余り七八間も前方 にトントントントンと走って抜刀のままピタリと倒れた38

これは、「手力男神」が正面から襲ってくる敵「高杉別」と闘うことなしに、「ヒラ リと体を躱したる」技法によって相手が倒れ勝利を得た、という描写である。このヒ ラリと身体をかわすという動き(入り身と体の転換)を、植芝は現実の合気道の技法 として現したのだと考えられる。

2.3 言霊の働き

第二に身体観及び技法観の特徴として挙げられることは、言霊の働きの捉え方につ いてである。再度『武道練習』の序文と『武道』の道文において見ておこう。

武ハ神ノ御姿御心ヨリ出デ真善美ナル我建国ノ一大精神ナリ。夫レ武術ハ皇国ノ道ニ 起リ百事神ト人トノ合気ヨリ言霊表現ノ誠ヲ以テ基準トナシ誠ノ心即チ大和魂ヲ更ニ 体ニ練及シ誠魂練磨統一ト其ノ魂ヲ以テ肉身ノ統一ヲ計リ心身ニ寸隙ナキ心魂一如ノ 統一ヲ以テ誠ノ人ヲ作ルヲ以テ目的トス。(以上『武道練習』序文)

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武道は神の立てたる神の道にして真善美なる無限絶対の全大世界御創造御經綸の精神 の道也と思考す(『武道』道文)

ここにおいては、植芝は、王仁三郎の「武道は神より来たる悪を滅ぼす術であり、

地上に神の御心を実現する道である」39という大日本武道宣揚会設立の折に示した思想 を踏襲し、さらに発展させて、合気と言霊表現を身体に練磨することによって心身統 一を計り、その結果として誠の人を作ることを目的とする、としている。

まず、ここで言われている言霊表現というものについて整理しておきたい。金田一 京助は以下の三つに分けて言霊を解説している。

一、「言うことそのままが即ち実現する」と考えた言霊(言語活動の神霊観)

二、言い表された詩華の霊妙を讃した言霊(言語表現の神霊観)

三、祖先伝来の一語一語に宿ると考えられた言霊(言語機構の神霊観)40

一は、「言うことに神霊があって働くという思想に於ける言霊」であって、「言語表 出の霊力を信じたこと」であった。このような意味が、平安時代になり、二の「詩歌 に表現される言葉の妙用を讃えたもの」となり、古義において「言」は「物をいうこと」

の意味であったのが、その「表現」の意味に変化したとしている。さらに、三では「表 現すること」から「表現されたもの」へ変化したと述べられている。現在の認識では「言 葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされる と信じられた」『広辞苑』(第五版、岩波書店)(1999)とされている。

次に王仁三郎の言霊論を『神霊界』と『霊界物語』の「天祥地瑞」においてみてお きたい。

まず 1918(大正 7)年の『神霊界』では以下のように述べている。

言葉は総ての物の始なり。故に人は第一に言語に注意すべし。口より歓こびと栄えと 平和を出し、又苦しみ衰え争論を出し、其身を亡ぼす事あり。言葉ほど恐る可きもの は無し。剣も悪魔も滅びも皆口より出づ。(『神霊界』1918 年 3 月号)41

言葉はすべてのものの始まりである。我々が発する言葉は恐ろしく霊力を持つもの であり、喜びも平和も苦しみも争いもすべて発せられた言葉通りに現れる。したがって、

人は特に自身の発する言葉に注意を払わなければならないというのである。このよう な言霊観が基になった宇宙観が「天祥地瑞」には展開されている。

そもそも紫微の天界は、ス0の言霊の水火によりて鳴り出でませるがゆえに、天地万有 一切のものいづれも稚々しく、やわらかく、現在の地球のごとく山川草木修理固成の

(11)

域に達しをらず(「天祥地瑞」『霊界物語第七十五巻』42

『霊界物語』によると、太虚中にスの言霊が発し、それは主神とも呼ばれる。この主 神の働きは、火と水に分かれ、その働きの一つが火水(カミ)であり、もう一つが火 水(イキ)という。そのイキによって言霊が生じ、その霊の働きが現れたものが言霊 である。さらに、この火と水が結びつくことよって動きが生まれ、その働きによって この宇宙万有が創造された、という宇宙観である。この王仁三郎の言霊に対する説は、

金田一の説いた言霊の第一の働きに当たる、「言う」という言語活動に現れる神霊観に 近いと言える。「言う」ことはイキを伴う言語活動であり、それによって顕現されたも のがこの宇宙の現象であると考えられている。植芝の言霊に対する思想は、このよう な王仁三郎の思想を背景として出来上がっていると考えられる。

その特徴的な点は「天地の呼吸と合し聲と心と拍子が一致して言霊となり一つの武 器となって飛び出す」43や、「人間に與へられた所の言葉の魂を肉身と一つにして日々 稽古して天地の呼吸と合致させねばならぬ」44、さらに、真理と合した呼吸を修めるこ とによって「智、仁、勇自ら出て来たり眞一つの大和魂となり全身剣ともなり」45とい うように、言霊の活動を声として捉えて、それが呼吸と合わさり、一つの身体技法となっ て働くと捉えている点であろう。呼吸という活動も、言霊と合致させることによって 働くと考えられており、呼吸

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ではあるが、その内容は言霊の元である水火(イキ)で あると考えられている。

剣術や柔術では、心静かな不動の状態に自身を導くために数息観や内観法など、坐 禅で行われる呼吸法が取り入れている。例えば、近世中期に武術家の間で広く読まれ ていたとされる『天狗芸術論』46においても、「収気の術」として呼吸法が説かれており、

気の滞り、つまり心の滞りをなくす重要な方法として取り上げられている。この場合 は自身の内面に集中し、普段は認識することのない心の深層に入って行くための手段 として行われる。

植芝がいう呼吸の意味するものは、このような捉え方ではなく、言霊の水火(イキ)

によって創造された宇宙(つまり大自然とも呼べる)と自らの呼吸(イキ)を合わせ ることだと考えられる。この呼吸によって自らと宇宙の一体観を高め、自らを大宇宙 へと拡大していくために行われるのが呼吸である。このような大宇宙、または大自然 と一体化した意識となった「我」が言霊を発するのである。そして、それが「全身剣 となる」とあるように一つの武器と化すのである。

では、具体的にどのような言霊が発せられるのであろうか。

王仁三郎は大日本武道宣揚会の機関誌に「今の剣術は『ヤートー』と計りやって居 て『エト』がありません。幸いに植芝氏の心得て居るのは『ヤエト』になって居る。

之でなければ本當の武ではない」47と言霊について述べている。これを受けるように植 芝は、武術の掛け声について以下のように記している。

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武術にはエイ、ヤー、トー、ハッ、等の掛声がある。この四つに限らず日本人が言葉 に出せるだけの掛声がある筈である48

また、『武道』の道文には「己が身にひそめる敵をエイと切りヤアト物皆イエイと導け」

と記しており、武術における掛け声を言霊の働きとして、技法に組み入れていたこと がわかる。

次に、『霊界物語』において、言霊の働きはどのように描かれているかをみておきたい。

「一嶋攻撃」(十二巻二十二章)に、「言霊を以て言向け和す」という描写がある。

武器を以てこれに敵対すべからず、善言美詞の言霊を以て0 0 0 0 0曲を言向け和す0 0 0 0 0は神須佐之 男の命の大御心、この館には数多くの武器、兵士、充ち備えありといえども、決して 敵を殺戮する目的に非ず、(中略)弓は袋に、剣は鞘に納まり返って、総ての敵に臨む べく(後略)(傍点、筆者)

このように、武をもって武に対するのではなく、「言向け和す」つまり言葉でもって 相手を説得し、和するとしている。この言葉は、もともとは『古事記』に出てくる言 葉であるが、「天祥地瑞」の神々が戦う場合において使われていたりするなど、王仁三 郎によって多く使われていた言葉である。言霊の働きによって敵と和するという意味 で使われており、言霊の働きを一つの武器として捉えていたことが理解できる。これは、

武には武で対抗せず、つまり戦わないという王仁三郎の武道観を現すものであろう。

合気道の「戦わない」という根本的理念の創成には、この王仁三郎の武道観も一つの 重要な背景となっていたと考えられる。

さらに、植芝の直弟子たちが「(植芝は)言霊が合気道の神髄と語っていた」49、また は「言霊ということが出てきた時点で、急に稽古の方法も変わってきて、神がかりの ような状態になってきた」50と語っているように、合気道の思想には、王仁三郎の言霊 の思想が大きく影響していると考えられる。

2.4 力について

第三にみられるのが、「力」についてであり、しかもそれは、衝突することのない力 の使い方である。この力については、『武道練習』に以下のように解説されている。

凡て力は動、静、解凝、引弛、分合とより成立つ所の道理を神習ひ日々の稽古に身体 に魂こめて描き出し肉体を練磨して始めて武道になる51

また、王仁三郎は天帝(天之御中主神、世界万有を創造したとされる唯一神)には、

以下のような八つの力があるとしている。

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天帝の力は八力と云つて八つの力がある之を天帝の全力と云ふ。

一、動力 二、静力 三、解力 四、凝力 五、引力 六、弛力 七、合力

八、分力 52(『道の栞』第一巻中)

このように、植芝は、王仁三郎が天帝の全力とした八つの力を合気道の力の使い方 として解説している。これらの力はすべて相反する力であり、衝突することはない。

また、大自然における力であり、相対する力があって初めて一つの活動を為すものと いえる。

合気道は、相対動作であり、相手と一つの技法を作り上げるものである。つまり、

相手と力が衝突することなく、うまく調和されて技法ができる。例えば、押されれば 引き、引かれれば押す、固く握られれば、柔らかく力を抜く、というように相反する 力で技法を施す。合気道の場合は、相反する力を、前述した円転する(体の変化)動 きにのせることによって、これらの技法を可能としていると言え、合気道における力 の使い方を、王仁三郎により解説された八つの力を使って解釈したと言えるであろう。

また、「力」については、柔能制剛の考え方もみられる。これは身体と身体の直接の 接触による相対的身体運動である武道に共通するものであり、互いに接触する箇所に 力が加わらなければ技法が施しやすくなり、相手を制しやすいと考えられるからであ る。以下は、植芝が当時の直弟子に語ったことである。

七十代になってこれから本当の技が出るんだよ」といわれたことがある。「自分が体力 があるあいだは力が出るから、本物の技は七十からだろう」といわれた53

力はなければないようにすればよい。無理してとめようとするから、力が入ったり怪 我をするんだ(国越孝子 1932(昭和 7)年入門)54

大先生は一ヶ条から四ヶ条までの技をやりながら、「これは全部カストリの技だ」とい われたのです。「つまり粕(カス)を取る(トリ)つまり関節の技というのは、固い関 節を柔らかくしてやることだ」55

上記のように、植芝は力を使う技法は本物ではないと考えていた。つまり体力があ

(14)

れば、その力に頼り、相手を力でねじ伏せてしまうことが可能であるからである。力 と力の衝突であり、調和のない力を本物とはしなかったのである。

柔能制剛の考え方は柔術に由来する武道に共通して見られるものであるが、合気道 の場合は、特に力の衝突を避けなければならない。さらに関節技(一ヶ条から四ヶ条 までの技)には、上記の粕取り(関節を刺激し柔らかくすることにより、血行を促し 老廃物が排出される)という理念も含まれており、したがって従来の武術の柔能制剛 とは異なっていると言えよう。この粕取りという概念は、戦後の合気道の「禊」とい う役割に発展する極めて重要な要素であり、この時期に既に「禊」の概念の基礎とも 呼べる粕取りという捉え方があったということも理解できる。

2.5 王仁三郎思想との相違

以上みてきたように、植芝の身体観及び技法観には王仁三郎の思想に依拠したもの が多くみられたが、それでは両者には相違があるのであろうか。

それは、植芝は身体にも極めて多大なる価値を置いているという点である。もちろ ん「神の生き宮」であるという身体の捉え方は、王仁三郎の思想に依拠するものであ るが、王仁三郎には身体は「ただの器」という表現も見られ、植芝のようには身体に 大きな価値を見出してはいないと考えられる。この相違は植芝が武道家たるゆえんの ものであろう。

3 修行観

次に、身体観や技法観と密接な関わりがある修行観についてであるが、合気道の修 行観に入る前に、まず、武道における修行観について確認しておきたい。

合気道のみならず日本における伝統武道の身体鍛錬は、仏教の修行観の影響を受け て、精神と身体を共にした「修行」によって行われるものである。

岸本(1975)は、修行について、広狭さまざまの意味があるがより純粋な意味で、

という前置きで「宗教がその究竟の理想とする深い体験の境地に心を導きいれるため の身体的な営み一般」56としている。もともと武道は、生死をかけた戦闘の場で使用さ れる技術であったのであり、その修羅場を克服するためには、当然のことながら精神 の安寧を追及する宗教的な要素が必要とされた。ゆえに、岸本の説くように武道の最 終の到達点が宗教の究極の目的と重なっていても不自然なことではない。

また、前林(2006)は、修行とは一般的な言い方をするならば「身体の訓練を通じて、

『悟りを目指すこと』」57であると述べている。そのもっとも端的な例が、坐ることと呼 吸法によって身心一如を目指す坐禅であろう。

さらに永木(2008)は、修行とは「長期に及ぶ練習プロセスを前提としてはじめて 成立する方法的観念」であり、「一過性」のものでは決してなく、「継続性を核とする 観念」であり、その「修行に値する活動とは、それを継続するに耐えうるだけの中味

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をもっていることが必須」58であると説明している。

このような修行についての定義をまとめると、武道における修行とは、ある価値を 持った身体訓練を長期にわたり継続して、精神的能力を発展させ、最終的には悟りに 至らしめるものである、ということになる。

3.1 霊体一致(神人合一)の修行

それでは、植芝合気道の修行観とは、このような武道における修行観と一致するも のなのであろうか。補足の表から抽出されたその内容をみていくと、第一に霊体一致(植 芝は霊体の統一ということばも使っている)を目的にする修行である。次に、修行と は不断の進歩向上でなければならないものであり、さらには王仁三郎の教えの示す通 り、言霊を体現するための修行である、という三点に絞られる。

まず、第一の霊体一致の修行であるが、植芝が合気道修行の第一義としているのが 霊体一致、または神人合一のための修行であり、これにつきると言っても過言ではな いであろう。霊体一致の意味であるが、これは王仁三郎の思想の一つの基をなす「霊 主体従」に付随するものであると考えられる。したがって、王仁三郎の言説からその 示すところをみておくこととする。

大本の根本的な教義に「三千世界一度に開く梅の花」という開祖出口なおの言葉が あるが、これを王仁三郎が解釈し、三千世界の形の一つとして「霊・体・力」が挙げ られている。

霊とは即ち神の事也。吾人の霊魂亦之に属す。力とは即ち運動の力也。太陽の日々運 転して昼夜を為し亦春夏秋冬を為す皆力なり。体とは即ち物体にして化学に所謂元素 之れなり。」59

これらの三つにより世界は創造されたのであり、霊とは、神であり、また人間の霊 魂を指し、体とは物質であり、身体も示すということがわかる。さらに、王仁三郎は「我 が御霊守る我の体なり我の体守る我の御霊」としているように、霊と体という両者は 不可分なものとして捉えている。つまり、霊体一致とは、神、または人間の霊魂と、

身体を合致させることであり、神人合一ともいえ、身心一如とも捉えられるであろう。

このような意味を踏まえて、植芝の言説をみてみると、「霊体の統一が出来て偉大な る力を猶更に固め磨き上げるのが武術の稽古」60や「声・肉体・心の統一が出来て始め て技が成り立つ」61、また「この武術に於いて時に注意を要すことは心と体及び力が全 く一致して統一しなければならぬ、力は体と心の合致でこれらが共に働かねばなら ぬ」62とあり、霊(または心)と身体、さらには声とを統一することが力に結びつくと している。つまり、力を発動させ、技法を成立させるには、霊(または心)と身体が 一致していなければならず、それらを一致させるための鍛錬が植芝の言う合気道にお

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ける修行と考えられる。

この霊体一致の重要性は、後ろから敵に攻撃される場合を想定した「後ろの鍛錬」

においても以下のように解説されている。

いつ後から捕りに来ても後に目をつけて居て心の窓が全身に開かれて不意の敵襲に 逢っても早速後が霊体一致して敏感な働きをなさねばならぬ63

特に「肉体の魂に五体を具備せる一人格の働きをなす」64ように武術の稽古をせねば ならないとしている。つまり魂が五体を具備すると思われるほど、魂(心)の動きと 身体の動きにズレがなく、両者の一体化、全くの一致が重要であると説かれているの である。このような身心の一体化を目指す修行観は、「身心一如」を目指す武道に多く みられるものであり、この点はこれまでの武道の修行観65と同様のものあると考えら れる。

次に、大本の『真如の光』に掲載された、植芝が霊体一致の修行について述べたも のをみておきたい。植芝はここにおいて、まず、当時の各地の道場を見たときに、た だ体を動かし、体を鍛えることに重きを置き、それによって武道が体得できると思い、

汗を流し稽古に励む人々に対し、「一種云ふ事の出来ない哀愁と重大なる責任を感ずる」

とし、身体のみの稽古に終わっていることを嘆いている。さらに、これに続けて「人 は刀に依つて切られる前に先づ切尖より迸る殺気に依つて切られる」66と述べ、以下の ように続けている。

例へば少し剣道に達して来ると刀を振り下して来る敵の意志想念は時間空間を超越し てこちらへ直観出来るものであります。私が両三度経験したことは、ピストルの弾丸 等も実弾が発射される前に約一寸位の白色の想念の弾丸がシュウと音を発して飛んで 来るのであります67

というように自身の経験と考えられる内容が述べられており、最後に以下のように結 ばれている。

今日の武術家にして神を敬ひ、霊体一致の修行を必要とする点に覚醒されたならば、

その進境は自ら驚嘆されるものがあらうと思ふのであります68

このように植芝は、身体重視の武道の修行を否定し、自身の経験を踏まえて、武道 家に霊体一致の修行をするべきであると説いている。霊と体の一致によって、相手の 動きの予見ができるとしているのである。

(17)

3.2.1 具体的な修行法

では、具体的に霊と体、または心と身体を一致させるための修行とは、どのような ものと考えられるであろうか。植芝は武道家であるゆえ、合気道の修行を通して心身 の練磨をし、その心身を以て「経綸に奉仕する」のが人の使命であるとした。したがっ てその修行とは、当然のことながら合気道の技法の鍛錬であると考えられる。

修行と言えば、坐禅のような静止的な身体動作をともなった瞑想を思い浮かべるが、

これは「坐す」ことと「呼吸に集中する」ことという静止的な身体動作を通して「身 心一如」を体験するものである。しかし、合気道やその他の武道においては、つねに 身体を動かす技法鍛錬であり、果たしてそれは修行となり得るのであろうか。

湯浅(1986)は、「身心一如」に達する方法として、運動的瞑想も挙げている69。た ゆまず身体を動かすことにより、「身心一如」に達するもので、一遍上人(1239-1289)

の念仏踊りがその例として挙げられている。さらに、前林(2006)も「武芸の技その ものの修行、主に「型」修行の過程が、瞑想という心理状態の中で行われてきた」70と して、武道における型の稽古は運動的瞑想に当るとしている。つまり、型による修行 方法が、瞑想という特別な心理状態において行われるとき、身体と心が一つになると いうのである。

型とは「武道・芸能・スポーツなどで、規範となる方式」『広辞苑』(第五版、岩波 書店)(1999)であり、規範となる動作とは、流儀開祖の創造した技法であると考えら れる。その技法を限りなく復元すること―開祖による技をまねること―が開祖の技法 に近づく一番の近道であり、その反復が重要なものと考えられている。

例えば、武道に限らず様々な芸道においては、初めまず型が示され、それを覚えな ければならない。頭でその型を理解し記憶していても、身体が思うようには動かず、

身体と心はまったく別々であるように働く。しかし、時間をかけて型を繰り返して行 ううちに、身体は心の命ずるままに動くようになり、さらには、無意識状態において も自由に身体をコントロールできるようになる。このような理想的状態に至ることが、

身心一如であると考えられる。『兵法家伝書』の冒頭には「三学」として以下のように 述べられている。

一 身構 一 手足 一 太刀

右の三个を以て、初学の門として、是より学び入るべし71

上記の三つの型からまず学ぶべきとされており、このように新陰柳生流に代表され る伝統武道の修行は型の習得から始まり、さらに、茶道や能楽といった芸道も同様に 型の習得からその修行が始められる。そして、型が習得されたら、さらにそれを身体

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に浸み込ませ、無意識下においても、その型が示せるまで、修行は継続されるのである。

それでは合気道の場合、その技法の鍛錬のあり方は、どのように捉えられているの であろうか。

植芝は、合気道の技法を施すにあたって「自分の心に敵を包むような雄大な気持ち で対す」や「敵を自分の心に抱き込む」、または「敵を自分の意志通りに動かす力即ち 一切を自己の内に包含する力が備わってこそ」とあるように、常に相手を自分の心の 中に抱き込み一体化するよう説いていた72

型の反復稽古により、型を身体に浸み込ませるという修行ではなく、型を行う際の 自身の心の拡がりと、相手とのつながりを強調しており、そのような心を養う、心気 を練ることが修行であると捉えているのである。後に示すように、合気道において鍛 錬すべき基本の型はある。しかし、植芝が型による反復稽古を推奨したかと言えば、

そうではなかったのだ。当時の直弟子の言説をみてみると、植芝が型や同一の技法に よる鍛錬をあまり行っていなかったことが窺える。

「我々は系統だったものは教わっていない。その日の雰囲気や状態に応じて先生は好き にやる。だから昨日と今日との間に連係はない」73(塩田剛三 1932〔昭和 7〕年入門)

「技を習ったら十も二十も生み出せ」ということをいわれた74。(田中万川 1936〔昭和 11〕年入門)

戦前の稽古は、今みたいに順序だてて稽古したようなことは、少しもありませんでし た75。(白田林二郎 1933〔昭和 8〕年入門)

このように植芝は、その時その時のひらめきで技法を教授しており、直弟子たちに は同様の技法を繰り返し行うのではなく、新たなる技法を生み出すように説いていた のである。このような植芝の言説の背景は、大日本武道宣揚会の『武道』にある植芝 の寄稿文にみることができる。

 武術に就いて申しましても、その進歩向上は不断にして無限でなければなりません。

(中略)私等が日々の工夫と修練に依つて新しき術を教へられたる其の瞬間に、神界に 於ては既にその奥の術が生まれて居るのであります。私等の努力は直ちに神界に反映 し、又現界は神界よりの御導きによりて育まれ斯くて現神のマツリ合ひに依つて宇宙 は絶えず進歩して行くのであります76

宇宙は絶えず進歩しており、それに合わせ我々も常に進歩して行かねばならず、武 術も同様に日々新しくなければならないとしているのである。植芝が直弟子たちより も稽古をしていた、また、突然夜中に起こされて、新しい技法を施された、また、つ

(19)

ねに新しい技を研究していた等77の直弟子の証言にもあるように、植芝自身がつねに 進歩向上すべく、新たなる技法を研究していたと考えられる。植芝自身、道場で教え ながらも自らの理想とする武道を研究し、新たな技法を創造していたと言える。

したがって、合気道において、修行の目指すところは他の武道と同様であったが、

その手段として技法や型の反復稽古は、特に推奨されてはいなかったと言える。これは、

前節においても述べたが、王仁三郎の言霊による宇宙観から来るものであろうと考え られる。この宇宙万有は、主神の働きの一つである言霊の水火(イキ)によって創造 され、その働きは休むことがない。その宇宙(つまり大自然とも呼べる)に充満する イキと自らの呼吸(イキ)は同一のものであり、つながっている。この共通の呼吸を 通じて自らと宇宙の一体観を高め、心と身体の境界が取り払われて、一体となってい く過程において、相手を抱き込み、包含し、相手とも統一するのである。従来の武道 における、身体からのアプローチによる修行とは異なっているといえる。

3.2.2 修行の型

では、このような宇宙観の基での修行の具体的な中味とは、どのようなものであろ うか。

まず、植芝自身が著した技法解説書において、この時期の合気道の型をみておこう。

植芝は 1934(昭和 9)年に『武道練習』、1938(昭和 13)年に『武道』を私家版として 弟子に配布している。前者は、立業、後業、後襟という順に文章で技法が解説されて おり、それに続いて絵付きで坐り業、立業、後業という順で、当時皇武館道場で稽古 されていた技法が載せられている。

後者は、前者と比較するとより体系的にまとめられており、「道文」に始まり、続く「技 法真髄」においてそれぞれの型の解説がなされている。その後に、植芝の演武写真と 共により詳細に解説されている「技法図解竝解説」が続いている。ここにおいて初め て練習上の心得、準備動作があり、後に型が解説され、最後に終末動作が解説され、「武 道奥義」と題された歌で終わっている。

前節においても述べたが、「修業ノ方法」の冒頭に「戦法体ノ変化ハ極リナキ栄ノ道 ニシテ一ヲ以テ万ニ當ルノ道ナレバ一ヨリ万法ヲ生ミ開キ(後略)」とされている。つ まり、植芝合気道にとってまず第一に修行すべき型は「体ノ変化」であり、これを修 めればすべてに通ずると述べているのである。この「体ノ変化」と「入身」と呼ばれ る型が合気道のもっとも基本的な型であり、『武道』には「体ノ変化」、「入身ニ於テ」、「体 ノ左右ノ変化」、「入身転化」と続けて解説されている。前者の『武道練習』では、文 章の中には出てくるが技法の一つとしては見られなかったものである。

この「体ノ変化」と「入身」という型は、現在でも合気道のもっとも基本的な身体 の動きであり、原理とも言える動きである78。体を回転させることにより、相手の力と ぶつかることを避けて、相手の懐に自ら飛び込み、または相手を自らの懐に受け入れ

(20)

て行う技法とも言え、この型は合気道の理念を現しているとも言えるであろう。この ような根本となる型を身に修め、それを反復することではなく、この型を基に新たな る技法を次々に生み出していくことが修行なのである。以下に、『武道練習』に掲載さ れた皇武館道場時代の修行すべき型を記しておく。

技法真髄:一 正面、二 横面、三 肩、四 胸元取り、五 手首を掴む事。

技法解説(絵付き):坐り業:正面、横面、肩、袖、両袖、胸、首締。

半身半立(正坐中に、立った相手があらゆる角度からこれを攻撃してきても、立技で 動くのと全く同様に相手を捌く技)79

立業:正面、横面、肩(片手で持たれた場合)、袖、肩(両手で持たれた場合)、手(片 手)、合気投げ、胸、胸と手、首締。

後業:後襟、腕、手首80

また、『武道』に掲載された型は以下である。

技法真髄: 第一 心身変化ノ理、第二 修業ノ方法、第三 正面ノ鍛錬、第四 横面 ノ鍛錬、第五 手ノ業、第六 後ノ鍛錬。

技法図解竝解説:

第一 練習上ノ心得。

第二 準備動作(構、入身、体ノ左右ノ変化、入身転化)。

第三 徒手対徒手、正面、横面、投ノ鍛錬、合気ノ鍛錬、後ノ鍛錬。

第四 徒手対刀 正面、横面、胴、短剣。

第五 刀対刀 籠手、面、突。

第六 銃剣。

第七 終末動作 体ノ変化、気力ノ養成、臂力ノ養成、背ノ運動。

武道奥義81

上記のように立ち業と坐り技の技法が、順番に列挙されており、これらは合気道の 技法の基本となる型である。ここから新しい技法を生みだしていくのが合気道の修行 であり、植芝はこの基本的型から自由無碍に技法を生み出していったのである。

嘉納治五郎は『柔道実技』82の修行の項において、乱捕りや投技、固技の形(型)を 記した後、階級として免許や段位について触れている。柔道では、「修行の成果」を評 価するために「段位制」が設けられた。しかし、合気道では、前述したように伝統的 柔術や柔道のような段階的修行のあり方ではなかった。したがって、修行の評価にこ だわっていたとはあまり考えられない。植芝は、習得し蓄積されたものに価値をおく というよりも、日々新しく生み出されることに重きを置いたからであると考えられる。

(21)

4 心法

まず初めに、心法とは何を指すのかということを確認しておきたい。『広辞苑』(第 五版、岩波書店)(1999)によると、「心を修める法」や「心の修養」を指す。この心 のあり方にも二通りの側面があると考えられ、前林(2006)は、「敵と立ち合った時の 心の持ち様」と「道の実現のための具体的な精神的側面の問題」という二つの面から 心法論を展開している83。一つ目の心の持ち様とは、相手と立ち会った場合に、自らを より有利に導く身体能力を高めるための心のあり方であり、二つ目は、身体鍛錬を通 して自らを悟りに導くための心のあり方であると考えられる。本節では、これらの心 法論の二つの側面を考慮しつつ、植芝自身、王仁三郎、さらには直弟子の言説を取り 上げて、この時期の合気道の心法を明らかにしていく。

また、本稿では、これまで身体観、修行観、と分けてみてきたが、合気道のみなら ず武道は本来、身体、技法、心が一体となって行われるものであり、特に心法は、前 節までの身体観、技法観、さらに修行観と密接に関わっているものである。したがって、

本節の心法においても、前述までの身体観、修行観の考察と重なる部分があると考え られる。

また、本節の中で取り上げられる合気道の「気」の問題についても、身体と修行と 不可分なものであるが、本稿では、気については、合気道の特徴的な心法と捉えて、

本節において考察するものとする。

4.1 合気道の心法

嘉納治五郎は、「江戸期柔術の儒教徳育主義や禅的な心法」84を支えとして柔道思想 を構築したとされているが、植芝はどのような心法の上に合気道を立てたのであろう か。

沢庵禅師の影響を受けた新陰柳生流の『兵法家伝書』には「兵法の、仏法にかなひ、

禅に通ずる事多し」85と記されている。王仁三郎を師と仰いでいた植芝の言説にも、王 仁三郎の言葉や大本の専門語彙が多くみられ、これまでみてきたように、合気道には 一貫してそれらの思想が流れていると考えられる。特に心のあり方である心法は、そ の傾向が強く、植芝の理想とする道の実現のための精神的背景は、王仁三郎の思想に よるところが多いと考えられる。

それでは、補足の表を参考にしつつ、合気道の心の背景を考察していく。

第一に、植芝は「すべて心の動きでなす」86としており、心が元であると捉えている 点である。心が身体よりも先に動くという心の先導性、または優先性でもある。

武術は心の表現である。心を体に画きだすから心の通りにゆく。体を練るのであるが、

実は心を練る87

(22)

武術は(上記の場合は合気道を指すと考えられる)自身の心がそのまま表れるもの であり、それはつまり、心と身体が一体となっていることを現す。心と身体の一体化 がなされていれば、心に念じた通りに技法が行える。これを目指すために身体の鍛錬 を行うのであるが、それは実は心の鍛錬を行っているのである。心が練られていなけ れば、それは身体には現されないのである。合気道は「もともと形がない、心のままの、

体の動きが技である」88とされている。心が元であるという捉え方である。直弟子も「心 が元で体の動きが手、手が杖になる、つまり心の延長だと教えられた」89と述べている。

また、「心で導けば肉体を傷つけず敵を倒すことができる」90としており、心が身体 よりも先に動き、相手の身体を導くという。

例えば「敵の心中に相手の肩を引くという心が起った時に既にその心が当方に分る のが肝要であ」り、しかし、それは「心で分かるだけでは何にもならず、この道理を 体の上に分り実現しなければならぬ」91と説いている。つまり、最初に相手の心の動き を読み取り、それに身体が即呼応できるようにしなければならない。そのためには、

まず元である心を鍛錬し、それに従って身体が練られるのである。

前節においても触れたが、これまでの武道の概念では型、つまり型(身体)を固め ることから入り、その固めた身体、つまり器に心(中身)を入れていくという順序であっ た。長期にわたる「型」の反復稽古をすることによって、身体がその動きを覚え込み、

無意識のうちに身体を思うままに動かせるようになり、身体と心にズレがなくなり、

身体→心という順序で「身心一如」がもたらされるのである。沢庵禅師に師事して、

その兵法の思想を完成させた柳生宗矩に代表される剣術や、その他の武芸においても、

長年にわたって型の修行を行い、型に自らの身体を適合させて行くことが重要である とされている。

また、道元は「身心脱落」という言葉を使い、その悟りの境地を現したが、唐木順 三はこれについて「ここで注意すべきことは、道は心をもって得るのではなく、むし ろ身をもって得る、正しく身をもって得る、といはれてゐることである」92としており、

「身心脱落」において「身」の正しいあり方から悟りの境地へ入っていくことが示され ている。

合気道の場合は、前述したように心に従って身体が動くのであり、正しい身のあり 方は強調されてはおらず、これまでの武道の概念とは異なっていると言える。では、

このような合気道の心のあり方の背景は、どこにあるのであろうか。

植芝の愛読書の一つとは、直弟子たちも証言していた通り王仁三郎の『霊界物語』

である。この『霊界物語』には、「霊主体従」という「神霊の世界が主で現界(物質界)

が従であるという原則がつらぬかれて」93おり、霊・精神が主であり、体・物質が従で あるということでもある。この原則について王仁三郎は、「人間の躯殻は精霊の居宅に 過ぎないのである。この原理を霊主体従という」94とも述べており、身体は精霊、つま り神の入れ物に過ぎないと説明している。さらに、以下のようにも述べている。

(23)

総て宇宙は霊が本で、体がと末となって居る。(中略)故に、宇宙一切は霊界が主であり、

現界が従であるから、之を称して霊主体従というのである。(『霊界物語』第一巻)95

霊主体従とは、人間の内分が神に向かって開け、ただ神を愛し、神を理解し、善徳を 積み、真の智慧を輝かし、信の神徳を居り、外的の事物に少しも拘泥せざる状態を云 うのである。(『霊界物語』第五十二巻第十七章)96

このように説かれており、「霊主体従」とは、霊、心、精神が主で、体、身体を従と する理念であり、心が優先されるという考えである。このような王仁三郎の霊主体従、

または、人間の心は本元の神の分霊であるという教えが、植芝の「すべては心の動き でなす」、「体は心によって導かれるものである」という武道理念の背景となっている と考えられる。

次に、心によって相手を導く際に、どのような心でもって導くのか。それは次のよ うに説かれている。

自分の心に敵を包む様な雄大な気持ちで対すれば敵の動作を見抜く事が出来る。其処 でそれに合して右或は左にかはす事も出来る。又敵を自分の心に抱き込んだら自分が 天地より受けた処の道に敵を導くことが出来る97

斯ク打込ンデ来ル敵ニ向カツテハ何時モ、楽天ニ自分ノ心ヲ宇宙ノ大精神ニ神習ヒ心 魂ヲ鎮メ落付キ雄大ナル気持ノ中ニ敵又物皆ヲ包ミ(後略)98

ここでは、自分の心で相手を包み込む、または抱き込む、つまり相手と一体となる という心で相手を導くとされている。前節において、合気道の修行として霊体一致の 修行を挙げたが、これは自身の霊(心)と体(身体)の一体化であった。しかし、さ らに自身と他者との境界線をなくし、自他の合一を目指すことが心法として説かれて いる。霊体一致した「我」が、さらに「他者」との一致を目指すのである。このよう な境地で相手を導けば、相手の動作の予見も可能であるとしている。しかし、植芝は それでは充分ではないとしている。

真の武道から云いますと敵の行動を単に予見するのはまだ至らざるものでありまして、

敵を自分の意志通りに動かす力即ち一切を自己の内に包含する力量が備わって来てこ そ誠の神の道を宣揚する事が出来るのであります99

自己ノ思フ通リニ敵ヲ導ク之武道也100

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