信仰の 「 成熟」 と 「 深化」
ある青年期女性の自己実現プロセスを通 して
は じめに
明治以降,本格的 に 日本 にキ リス ト教が入 っ て きて,お よそ140年経つが,従来か ら日本 に はキ リス ト教 が根付 きに くい とい うことが多 く 指摘 されて きた。様 々な要因の中で も, もとも とキ リス ト教が中近東で生 まれたオ リエ ン トの 宗教であ りなが ら, 日本 に主 に入 って きた大方 のキ リス ト教 は,西欧 を通 って西欧化 されたキ リス ト教 であった ことは大 きい。 なぜ な ら日本 土着 の宗教性 は,多元主義的,習合的であるの に対 して,西欧化 されたキ リス ト教 は,あ ま り に も一神教的排他的であ り, 日本人 に広 く受 け 入 れ られ る には,逸 脱 しす ぎてい たか らで あ る。
しか し,逆 に意識や理性 によるアプローチが しやす く, 日本 的で唆味 な精神文化 の弊害の中 で もが き苦 しんでいた人間に とっては,苦 しみ の意識化 を促 し, 日本 的な呪縛か ら自由になっ て,新 た な救 いや希望 を得 られたであ ろ う し, 信仰 を自覚的 ・能動的に受 け入れやすい ところ があったのではないか。少数 なが らもキ リス ト 教 の真髄 に触 れ,帰依 してそこに とどまった ク リスチ ャンたちは,千 ,孫へ と信仰 を継承 して 行 った。 もともと西欧化 されたキ リス ト教 も, 長 い年 月 をかけて西欧で土着化 された もの なの であ り,だ とすれば, 日本 で も, こうした代 を 重 ね継承 された信仰 は,次 第 に深化 ・成熟 し, 土着化 して 日本人の宗教性 と溶 け合 い,そ こか
ら新 たな精神性 を創造 してい く力 となるはずで
三浦 亜子
ある。
本論文では,学生相談室 に訪 れた,代 々の ク リスチ ャンの家庭 に生 まれ育 った,青年期女性 のた どった実際のプロセス をもとに,引 き継が れた信仰 が,今 に生 きる個人の精神 に,実際 に は どの ような変化 や力 をもた らし,影響 を及 ぼ
しているのか,具体的に考察す る。
事例 の概要
○ クライア ン ト
:K
さん (以下C
l),2 1
才 ,大 学3年生,女性,○主訴 :無気力 ,大学へ行 け ない, (後 か ら異 性の問題,信仰 の問題)
○問題の経過 :不本意入学。大学 に入 ってか ら 自分 自身が うま く立 ち回れない変 な感 じがず っ とあ った。1年 の後期 あた りか ら,大学へ 行 くのが面倒 になって,現在 はほ とん ど行 っ ていない。 クラスに何 人か心 を許せ る友人が お り,その友人の助 け を借 りて,テス トや レ ポー トをこな し,何 とか単位 は ぎりぎ りの状 況。教会活動 やバ イ トはやれているが,それ で疲 れ切 って しまい,その他 の 日はアパー ト にこ もってい る。生活 の リズム も乱 れが ち。
心配 した友人の勧 めで来談。家族 は今のC1の 状況 について知 らない。
○家族 :サ ラ リーマ ンの父 ,パ ー ト勤務 の母 , 社会人の兄の四人。現在 は実家 か ら離 れて, アパー トで一人暮 らし。
○生育暦 :生育的な問題 ,病歴等 な し。末 っ子 で可愛が られて育 った。幼い頃か ら自我の は
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第27号 (2008年3月31日)
っ きりした子 と言 われていた。明 る く活発 な 部分 と,一人遊 びや空想好 きの部分 と両方あ る子 だった。家族 関係 は良好。 プロテス タン ト系の クリスチ ャンホームで,幼少時 よ り家 族 そろって教会‑通 っていた。高2時 に受洗。
親元 を離れた現在 も,同 じ教派の教会 に通い, 奉仕活動 を熱心 に している。
○印象 ・所見 ;中肉中背,大学生 らしい清楚 な 服装,上品で美人。外見 はいかに もクリスチ ャンとい う固い感 じだが,話 し出す と表情が 豊 かでチ ャー ミング。知 的能力 も高 そ うで, 言語化 してい く力 もあ りそ う。
面接経過 ×年10月〜×+ 3年3月 #1‑ 52 (「 」 はClの発言,thは筆者)
Ⅰ期 (#1‑ 7
)
「蹟 き」 の中へ,無意識 への 下降厳格 なクリスチ ャンとして固 く生 きて きたCl が,異性 との関わ りで 「信仰 に置 き」, これ ま での一面的 な生 き方が内側 か ら揺 さぶ られてい た時期。
段 々状態が悪 くなってい る と友 人 に言 われ, 1回 目は しぶ しぶ来談。「もともと入 りたか った 大学ではない。‑・しか し,本当は受験す る とき か ら自分の進路 をどう決めていいか,分 か らな か った。あい まいに していたつけが,回って き たのだ と思 う
。
」 (#1) この時点でthは,だいた いの情 報 か らClが アパ シー状態 にあ る と考 え た。バ イ トや,教会活動 も熱心 に してお り,大 学で も最低 限の友人関係があ り,単位 もぎ りぎりなが ら取 れているこ とか らも, 自我 は基本的 には健康 と思 われたが,抱 えている問題 は大 き そ うで,時 間のかかる人か もしれない と予想 し た。 (数 カ月後改 めて 自ら来談。今 まで一人胸 に しまって きた こ とが語 られ出す) 「この頃は 教会 も休 みが ち。実は‑ 1年の時 に恋愛で トラ ブルがあ って‑。相手 (丈) は派手 で軽 くて, 全 く好みで もな く, 自分 は乗 り気 で もなか った の に,あい まいに していた ら,引 っ張 られるよ うに して付 き合 うことに。複雑 な生い立 ちの人。
一時期楽 しか った こともあるが,価値観 も合 わ ず,合 わせ ていることが段 々苦痛 に。そんな時 に突然丈か ら 『お前が悪 い』 と振 って きた。だ めになる時は,私 か ら振 る時 だ と思 っていただ けに, まさか と,正直先手 を打 たれてシ ョック だった。 同 じサ ークルで,その後 もず っ と顔 を 合 わせて しまうので,大学‑来 るのが苦痛 にな って行 った
。
」 (#2) 「付 き合 う人 は結婚 を前提 とした人 と決めていたか ら処女 を貫 くつ もりで いた。 しか し強引 な丈 との付 き合 いで, ぐらつ き始 めた。彼 の部屋 に行 った ときに求め られ, 最後 まで行かなか った ものの,妙 な気持 ちに・‑。アパ ー トに戻 って冷静 になって考 えたが, 自分 は固す ぎるのか悩 んだ。それか らしば ら くして 丈か ら別れ を告 げ られた。 自分が固す ぎる,変 わろ う,彼 のため努力 してみ ようか と感 じ始め ていた ときだけに,一体何 だったのか。 プライ ド傷 つけ られ悔 しい
。
」 (#4) 「丈 との こ とで は 傷 つ いたが, (体 を最後 まで許 さず) 自分 を守 り通せ たことは救 いだった。その後 自分 を挽 回 した くて,大学 院進学 を考 え出 し, (同 じよう に進学 を目指す人の集 まる)研 究会 に入 って勉 強 に励 みかけた頃,その集 ま りを通 じて,南米 か らの留学生 (セ ト) と出会 う。異文化への興 味 と英語 を身につ けた くて, また何 とな く付 き 合 うことに。セ トはク リスチ ャンで もあ り, 自 国にフィア ンセ もい ると聞いていて安心 してい たの に,誘 われ る まま彼 の部屋 に行 った時 に, キス されて しまう。その場 で は驚いて,何 も言 えず。後 日辞 めて欲 しい と伝 えたの に,何 だか また部屋 に行 くこ とにな り,結局丈の ときと同 じ状況 に。で もセ トは丈 よ りも落 ち着いていて, ず っと包容力のある人で, リー ドされ守 られて い る感 じだ った。 いけない こ ととは感 じつつ, 礼拝 のたびに, またセ トと会 う前 には 『止 め ら れる ように して くだ さい !』 と必死で強 く祈 っ たのだが,逆 に抗 えない (性 の)魅力 に負 けて しまって,会 うことを重ねて行 った。一人 にな る と,汚れてい く罪深い弱 い 自分 に苦 しみ,礼 拝 に出る と,汚 れている自分 をさらに強 く意識して しまい,いたた まれない気持 ちで辛 くなっ てい った。幼い頃か ら教 え られて きたように祈 って も,神 は全 く助 けて くれず,神 も教会 もク リスチ ャンも 『うそ っぽちだ !』 と感 じるよう になっていった。苦 しか った,その時は自分 に とって真 っ暗い時。神 に対す るイメージがが ら っ と変 わって しまった
。 」
「セ トと会 うことの喜 び と苦 しみが ピークに達 した頃, ち ょうど彼 の 帰 国が決 ま り,別れることに した。正直ほっ と したが,数 ヵ月後,彼 の筆跡でサ ンタクロース か らの暖かい クリスマスカー ドが届 く。セ トは 本 当 にい い人 だ った。Clが 固す ぎてだめだ っ た。
」 (#6)「教 会 には行 か な くなった ものの, 悩 みは深 まった。聖書 を読 んで も,女性 に村す るパ ウロの言葉 など,突 き刺 さって苦 しくなる。ク リスチ ャンで無 い周 りの人間は,恋愛 を当た り前の こととして楽 しんでいるのに, 自分 は一 体何 なのか。"清 い付 き合 い" を貫 いて, 良い クリスチ ャンホームを築 くとい うことがいつ も 頭 にあ った。そのため に私 は もてるほ うだった が,いつ もどうして よいか分 か らず,気づかぬ ふ りや,鈍感 なふ りを して きた。 よ く友人か ら
「シス ターみたい
」
「盃女 さんの よう」 といわれ るようになってた。Clか ら見 れば,俗世のみん なのほ うがおか しい,堕落 している,間違 って い る と感 じて きたが,C1のほ うが宇宙人の よう だ った と今 は思 う。 」「 (
教会批判)教 会 こそ罪 人の集 ま り。牧師は特 にひどい。お金や地位 に さもしく,難 しい説教 を して 自分 に酔 い しれて いる。他人 を批判 し,弱い優 しい人,本当 に求 めている人 を下 に見 て傷 つけている。教会員 も 教会ではお酒 もタバ コもや りませ ん, と済 ま し た顔 を して,見 えない ところでこそ こそや って る。特 に教会 を出て行 った人 に対 しては,
『信 仰 が足 りない弱い人』 と手厳 しい。 キ リス トの 本当の教 えか ら隔たって しまっている。Clも教 会の中にいた ときは,出て行 く人 を同 じように 批判的 に見 ていた。 まさか 自分が出て行 くこと になる とは。今Clも同 じように思われているだ ろうし,辛い。
」 (#7)信仰の 「成熟」 と 「深化」
Ⅱ期 (#8‑ 15)「殻」 を破 って ・ク リスチ ャ ンと して ・日本人 と して ・女性 と して 一面的で固かった信仰 の 「殻」が破 れ,眠っ ていた新 たな内的なエ ネルギーや "自分"が動 き始める時期。 ク リスチ ャンとして育 て られる 中で, 日本 的な宗教性 か ら切 り離 されて きたこ と,女性 として も 「良 き婦人像」 に縛 られて き たことに意識の光 を当てて行 く。母教会,教派 の抱 えていた見 えないゆがみや問題 もさらに意 識化 されて くる。 日常的 にはバ イ トや研 究会へ の参加 な ど最小 限の ことはこな しつつ も,それ 以外 は大学 に も行 かず,ほ とん どアパー トに引 きこもって,昼夜逆転の状態が続 き,面接 も定 期 的にこれない ことが しば しば続 く。ニューエ イジ心理学や仏教 の本 を読みふ けるな ど,宗教 と性 との問題 を追及 し続 ける。 また,所属 して いた教会,派以外 の神学の研究者やいわゆるア ウ トローの ク リスチ ャンとも出会 い
,
「ク リス チ ャンと言 って もいろんな人がいる。 自分 は本 当 に純 粋 培 養 だ った し,井 の 中の蛙 だ った」
(#10)ことが分かってい く。
「夢 1‑舗装 された ような固い地面が割れて, 噴水 の ように何 かが噴出 している。それはよ く 見 る と,キ リス ト教 の象徴や,その他 のいろん な象徴 の ようだがす ごい勢いで噴出 しているの で よ く分 か らない。 (連想 ) よ く分 か らない。
尽 きることな くどん どん噴 き出て きていたのが 印象的
。
」 (#8)哲学や人類学,宗教学への興味 が出て くる。その中で,ユ ングを知 り 『ユ ング 自伝』 を読 む。 「他 の本 は難 しくて よ く分 か ら なかったが, これは よ く分か った。ユ ングもク リスチ ャンとしてClとよ く似 た体験 を した人。結 局Clの母教 会 も
,
『体験 の ない信仰』が一番 の問題 だったのだ と思 う。
」 (#11)「両親 は特別 厳 しく教育 したわけではなか った と思 う。で もどう してClは こん な に固 くな って しまったの か。両親 とも性 を強 く抑圧 してた こ とは確 か。
それ と神道や仏教 を強 く否定 していた。子供 の 頃楽 しい はずのお祭 りも, 『本 当 は行 ってはな らない』 ところ とい う後 ろめた さをいつ も感 じ
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第 27号 (2008年 3月31日)
なが ら行 っていた。七五三 もして もらえなか っ た。近所の子が きれいにお化粧 して着物 を着 て 嬉 しそ うに してい る姿 を見 てす ご く驚 いた し, 悔 しかった。その 日かな り長い時間家でごねて, 泣いたことを覚 えている。親 には 『間違 った神 様 に御参 りを して,子供 にあんな格好 をさせ る のはおか しい』 と怖 い顔で叱 られた。先 日街で ち ょう七五 三 の子供 の姿 を見 てい て思 い出 し た。着飾 った子供 たちは道行 く人 に,見 られて, 祝福 されて。 自分 にはこうい う体験が無 い。 日 本 人 と して根 無 し草 の 自分
。
」 (#14)「夢 2‑(声)創世記 の ア ダム とエバの物語 は女性 に と ってはの ろいであ る。 (連想 )英語 の文章 もで ていた ような。"curse"とい う発音が印象 に残 っている。 自分が理想 としていたク リスチ ャン 像 ,婦人像 は一体何 だったのか。キ リス トはす ご く女性 を尊重 して大切 に した し,本来 キ リス ト教では男女は平等 なはず。 しか も西洋か ら伝 わって,来 た ものなのに,教会では依然 として, 日本的男尊女卑。 ほ とん どの牧師 は男性。大事 な運営 は男性。女性達 は陰に回 り,お茶出 しや, その他雑用。男性 たちを支 える とい う役 回 り。
貞節で控 えめで賢 くて優 しくて,受容的である こ とが女性 に求め られ る。 しか も 『神 に従 う』
『信仰』 とい う大義名分が振 りか ざされ,反論 や有無 を言 わ さず,当た り前の ように強要 され て きた ように思 う。で もこれを鵜呑 みに して生 きる とした ら,人形の ような女性 になって しま う。 これは現代 の女性 の生 き方 に合 っていない し,女性 の 『人間性』 を抑圧 し否定 し,現実の 生 きる問題 や人間の苦 しみ に答 えるはずのキ リ ス ト教 のあ り方か らずれている。今思い返す と 無性 に腹が立つ。パ ウロの言葉 も追 い討 ちをか ける。 しか し反発 しように も,聖書の言葉 だか ら絶対 なのだ,とい う感覚が,自分 を苦 しめる。
これが本 当にキ リス トが 目指 していたことなの か
。
」 (#15)Ⅲ期 (#16‑ 34) 偶像 か らの解放,象徴 を 生 きる
さらに無意識の深 い層‑ 内的作業が進 むにつ れ,Clの内奥の宗教性 に触 れ られるようにな り, 外 的 に も新 たな信仰 の導 き手 (カ トリックの神 父) と出会 う。そ して 自分 の中に植 え込 まれて きた,造 り物の神 の イメージ,偶像 を意識化で きるようになる時期 。 日常的 にはカウンセ リン グ以外大学へ は全 く出て来れな くな り,卒業延 期 となる。
「ご く幼 か った頃,私 は神 ととて も近 しか った と思 う。神 と言 って もキ リス ト教 の神 だったの か, もしか した らいわゆる 日本 の八百万 の神 だ ったのか も知れない。 日本人 としての当た り前 の宗教性の中で,で もあ る意味 自分 はそこで生 き生 きと生 きていたのか もしれない。それが気 づいた らいつの間にか遠 くに切 り離 されて しま っていた。宗教教育 によって ?だ とした らとて も恐 ろ しい。で も一方で,私 は家庭の中で,教 会の中で確 か に大切 にされていた。育 てて もら
って きた。だか ら余計 に入 り組 んでお り,複雑。
反論 した り,拒否 した りしに くか ったのだ と思 う。 こんなこと今更牧師や教会の人たちに伝 え た ところで,全 く通 じない と思 う
。
」 (#17)知 人の勧 めでカ トリックの信仰講座 に参加。そ こ であ る老神父 と出会 う。 「一見 して厳 しくてそ っけないのに,温かい。理屈 でな く,私の苦 し み を打 ち明けた くなる。 この人 の前 に出る と, 泣 きた くなる。 こうい う聖職者 とは出会 ったことが なか った。信仰 的な苦 しみ を,今少 しずつ 聞いて もらっている
。
」 (#21)「神父の勧 めで ミ サ に出るようになった。 しか し, どうして もバ タ臭 い感 じが強 く, またプロテス タン ト育 ちの 自分 には,儀式的な ものが馴染 めない。何 よ り も教 会員 との濃 密 な関係 に縛 られ る こ とが怖 い。ただ,お御堂 は祈 りの空間 と して機能 して お り, ミサ以外 の時間開放 されていて,必ず数 人の信者が静か に祈 っている。その姿 に励 まさ れる。それに比べ プロテス タン ト教会の礼拝所 は,単 なる集会所 で しかなか った。
」 (#26)「カトリック も同 じように多 くの問題 を抱 えてはい るが,地神祭 を した り,七五三 を した り,お守 りを持 った り,教 会式 の仏壇 の ような もの を許 容 した り。 日本 的 な信仰心 を否定 しないで,浴 け合 お うと している ように感 じる。外側 か ら見 てい る ときは, きらびやか なシンボルで飾 り立 てた り,派手 な衣装 を着 た外 国人神父がいた り, いかが わ しい集団 に しか見 えなか ったが,それ は全 くの偏見 で,知 らないだけだった。難 しい こ とは言 わず ,未信者 の結婚式 を積極 的 に受 け 入 れた り,山谷へ の炊 き出 しに出た り,発 展途 上 国 にボ ラ ンテ ィアに出かけた り,実社会 のニ ー ドに しなやか にそ って,多 くの人 に門戸 を開 き,具体 的 に活動 していてる。宗教改革で はプ ロテス タン トが,信仰 の本質 に立 ち戻 る役 目を 果 た したのか もしれないが,今 ではプロテス タ ン トのほ うが,ず っ と保守的で,現実か らずれ て しまってい る
。
」 (#29)「夢3‑母教会の礼拝 に出てい る。聖餐式が始 まる。いつ もの ように ぶ どう酒が配 られ,み んなで一斉 に飲 もうとす るそ の時,
『私 は これ を飲 む こ とはで きない。ここは私 のい る ところで はない』 と強 く感 じ, 苦 し くな って,その ままそ こを出て行 く。 (逮 想 ) カ トリックの ミサで は,毎 回聖餐式が執 り 行 われ る。ぶ どう酒 もパ ン (御聖体) もキ リス
トの体 として象徴化 され,神 父の手 か ら渡 され る。私が育 ったプロテス タン トの教 会では, イ ース ターや ク リスマス等特別 な ときだけ,最後 の晩餐 の聖書 の箇所 を牧 師が読 んで,みんなで 一斉 に飲 み,食べ るだけだ った。 シ ンボルは, 聖書 と十字架 だけ しか認 め ない。それが当た り 前 だったが,今 は もうそれで は立 ち行 か ない 自 分 になってい るのか も。 カ トリックの ミサ に馴 染 め ない けれ ど, シ ンボル を大切 にす るあ り方 が ,今 の 自分 には必 要 なんだ と思 う
。
」 (#30)「夢
4‑
中東 の どこかのキ リス ト教 の集 団の中で 住 んでい る。近 くで内戦 か何 か危 険 な状況が生 まれてお り,住 んでいる場所 を遠 く離 れて非難 しなければな らな くなる。避難場所 には, ドー ム型 の大 きな廃屋 が あ り,そ この2階が あてが信仰 の 「成熟」 と 「深化」
われ る。1階 にはす で にイス ラム教徒 の よ うな 集団が入 ってお り,彼 らは危険 に対 して敏感 に, 柔軟 に察知 して,す ばや く移動 して きた様 子 。 (連 想) キ リス ト教 の集 団 は本 当 に危 険が迫 っ てい る に もか か わ らず ,必 死 で誘 導 して い る 人 々に対 し,難 しい理屈 をこねて, なか なか住 んでい る場所 を離 れ ようとしない。 や っ と避難 場所 にた ど り着 くが,不平不満 ばか り漏 らして ぐず ぐず してい る。 その姿 を見 ている 自分 はす ご くい らい らしてい る。それ とは対 照的 にイス ラム教徒 の集 団は,柔軟 で対 照 的だ った。大 き な廃屋 の天井 は,何 かルネ ッサ ンスの宗教画の ような壁 画が剥 がれた ような後 があ った。 まさ に 自分 の持 っていた神 のイメー ジが剥が れたん だ と思 う。神 父 とのや り取 りの中で,かつ てB との関係 が これ以上進 まない ように必死 で祈 っ たのは, この 『造 られ た神 の イメー ジ』 に対 し てだ った と思 う。怖 くて神 経 質で,厳 しい神 。 要求 して くる神 。自分 はその イメージに緊張 し, おびえていた。 これ は一種 の偶像 だ った。偶像 をあれほ ど強 く否定 してるはずの, ク リスチ ャ ンとして, シ ョックだ った。 で も剥が れた後 ど うなるのか,苦痛,不安 を感 じている
。
」 (#33)Ⅳ期 (#35‑42) 回心
生 まれて初 めて生 まれ育 ったプロテス タン ト 教 会 の堅 固 な "城 " を出
,
「活 きた神 の イメージ」 に触 れ るこ とがで きる ようになる。 その体 験 を通 して, カ トリックへ改宗す るこ とを決意 した時期 。 日常 的 には,夢4を報告後 , しば ら く心 身 ともに不安 定 な 日々が続 く。最低 限のバ イ トは出 る ものの,異常 に神 経 過敏 にな って, バ イ ト先 で 『この頃顔 つ きが おか しい』 と指摘
された り,電車 の中で他 人の視線 が突 き刺 さる ように感 じて しまった り,急 に涙が 出て きて し まう等 の状態が続 いた。 さらに信頼 す る神父 の 主催 す る黙想会 に参加 す る直前 ,腰 を抜 か した ような心 身の状況 にな り, まさに現実 的 に身動 きがで きない状況 になる。
「夢
5‑
自分 は ラス トエ ンペ ラー にな って,神奈川大学心理 ・教育研 究論集 第27号 (2008年3月31日)
紫禁城 を出る ところ。 門の外 に出て, タクシー の中か ら生 まれて初 めて紫禁城 を外側 か ら眺 め てい る。 (連想)映画 『ラス トエ ンペ ラー』の1 シー ンと同 じ。 自分 は生 まれて初 めてプロテス タ ン ト的 キ リス ト教 世 界 か ら出 た んだ と感 じ た
。 」
「ふ らふ らの中黙想会 に参加。神父 との面 接 で,夢5の こ と,丈やセ トとの赤裸 々 な体験 をや っ との こ とで話す と,座 ってい るのがや っ との私 を神 父 が抱 き しめ,お んぶ して くれ た。気恥ずか しか ったが
,
『造 られた神 の イメージ』
『教 え られて きた神 』 とは全 く違 う,本 来 の血 の通 った活 きた神 を体験 させ たいその一心 な気 持 ちが伝 わって きて,おいおい泣 いて しまった。
黙想会 の帰 り道, 自分が最 も底 に沈 んだ と思 っ た瞬 間, キ リス トが私 を抱 きかか えるイメー ジ が浮か んだ。 ち ょうどピェ タの よう。神 は外側 にいて厳 しく常 に監視 してい るので はな く, 自 分 の心 の奥 の底の底 ,暗 くて,醜 くて,惨 めで, 弱 い,最 底 辺 にい る こ とを実感 した
。
」 (#38) その黙想 会が契機 とな り, カ トリックに改宗す る (つ ま り洗礼 を受 け なお す ) 決 意 をす る。「(洗礼式 の時)額 にか け られた聖水 の冷 た さが 印象 に残 ってい る。象徴 的 に死 んで,生 まれ変 わ ったのだ と実感
。
」 (#42)V期 (#43‑52) あ らたな生の創造へ これ までの プロセス を振 り返 り,仕上 げ を し てゆ くとともに,信仰 をさ らに深 めてい くため の,C1な りの歩 む道 を模索 し,歩み始 める時期。
大学 は3年留 年 の後 ,取 り残 して きた単位 を取 得 し,卒論完成へ こぎつ ける。他大学の院‑ の 進学 を希望す る も,受験 には失敗 。卒後 は しば ら くその大学 の研 究生 としてゼ ミ (宗教 史) に 所属 す る ことに決め,無事卒業 を迎 えた ところ で,学生相談 としての関わ りも終了 となる。
「久 しぶ りに実家 に戻 った とき,両親 に事後 報 告 だが,改宗 した 旨を告 白。今 までの こ とをう
ま く説 明す るこ ともで きなか った し,両親 は以 前 のClの ようにカ トリックに対 して強 い偏見 を 持 ってい るので, この事実 を受 け入 れ る こ とは
困難 だ ったが, キ リス ト教 に留 まった とい うこ ととで何 とか理解 し,受 け とめ ようとは して く れた
。
」 (#43)「現実的 にはカ トリックの教会生 活 に馴染 め ない ままで はあ るが,内的 には神 と の関わ りは全 くOK
と感 じる。
」 (#45)「夢6‑
自分 は故郷 を追 い 出 された難民 にな ってい る。 たった一人で,あた りは もう暗 闇。 どこへ行 っ た らよいか方 向 もわか らない。気がつ くと横 に ユ ニセ フ親善大使 の黒柳徹子 が いて,手 を引い てい くつかあ る難民 キ ャンプのい り口へ連 れて って くれ る。 (連想 ) ア フ リカ系 の難民 が い る 感 じ。 キ ャンプではいたる ところで焚 き火 をた いてお り,子供 たちが た くさんいて, どこへ い って も子供 たちに取 り囲 まれ る。歓迎 して くれ てい る よ う。 改 宗 は したが ,生 まれ て初 め て
"城" を出たので,す ぐには どう した らいいの か方 向喪失感 で苦 しい。夢5の続 きの よう。 ど こに行 った らよいのか迷 ってい る 自分 の姿。黒 柳徹子 に連 れて行 って もらって, 自分 に合 うキ ャンプを探 している感 じ
。
」 (#48)「自分が経験 して きた こ とは何 だ ったのか。パ ウロ も,マル コ以外 の福 音書家達 も実 は女性 に対 してア ンビ バ レン トだった と知 った。そ こには当時の社会 事情 な ども複雑 に絡 んでいた ようだ。 」
「どうし てキ リス ト教 と父性 的男性優位 の価値観 とが こ んなに強 く結 びついて しまったのか。 なぜ女性 が こんなに抑圧 され,苦 しまなければな らな く なったのか。私 の育 った教会 のあ り方 は,現実 に生 きる人間の苦 しみ,魂 の問題 に応 え られて いなか った と思 う。 そ してたぶ ん 日本 的 な変 な 精神文化 と西洋 キ リス ト教 の父性 的 な もの とが 操 れ合 って,み なそれ に無意識 でいたため, 自 分 は本来 あ ったはず の神 との結 びつ きさえ断た れ , この よ うに苦 しみ を背負 わ され て しまっ た。
」 (#49)「洗礼式 の前夜 , (会 った こ との無 い) 曽祖 父の イメー ジが沸 いて きた。 きっ と曽 祖 父 は何 か に絶望 し苦 しんで い た に違 い ない。キ リス ト教 と出会 って救 われた に違 い ない。 け れ ども遣 り残 した もの もた くさんあ って,それ を私 た ちに託 したんだ と感 じた。今 か ら新 た な
別の宗教 に入 って,一歩 を進めるよ り,曽祖父, 祖父,そ して両親 と歩み進めた道か らさらに先 へ進 む こ とが,私 に与 え られた運命 だ と思 う。
ただ,私 にはかつての様 に素直 に丸呑みす るの ではな く,ある程度距離 を保 って,批判 的に見 てい く姿勢 もどうして も必要。それが ない と苦 しくなって きて しまう。信仰者 として,一方で 聖書 やキ リス ト教史 について,学問的に追求 し て行 く姿勢 を貫 きたい
。
」(#51)「日本人 として, 仏教 や神道 な どの宗教性 も否定 しないで生 きて 行 きたい。外面 的 には以前 の ような教会生活 , 信仰生活 を送 ることはないか もしれない。それを堕落や背教行為 と取 る人 もいるか もしれない が,む しろ曽祖父か らの思い,代 々継承 して き た信仰 を受 け継 ぐために形 を変 えざるを得 なか ったんだ と思 っている
。
」 (#51)「初めはこんな ところ (相談室) は来 た くなかった。で も来 な いでいた らどうなっていたか。 自分 の ことここ まで話せ たのは初めて。性の問題 についてはこ こで話せ ていたか ら,神父 とも話す勇気が出た。神父 は 『性 とい う字 は,心 と生 とい う字か らで きている。心 で生 きる,心が生かす とい う意味 がある美 しい文字 だ。性 は裏腹 な ものの入 り混 じった複合的な存在であ り,一つの奥義 と弱 き, 苦 しみ と喜 び,肉 と霊 の交錯 してる ところ。心
も体 もすべ てに共鳴す る ような全体 的な喜 びが 感 じられ る場。 肉の中にある霊的な もの,人間 の 中の神 秘 的 な もの です。』 と話 して くれ た。
まさに性 の ことを通 して初めて 自分の弱 き,倣 慢 さ,無力 さを身を もって分か った し,底の底 に落 ち込 んだ とき,神 を感 じるこ とがで きた。
(大学での7年 間は)ずいぶん長 くかか って しま った し,簡単 にいい とか悪 い とか言 えない し, 今 も気持 ち的 には複雑 だけ ど,意味のある期 間
だった。以前 のClとは明 らか に違 う。何 よ りも 今 の 自分が好 き。異性 とは相変わ らず距離感が 難 しか った り,変 な固い癖が出た りぎこちない が,以前 よ りず っと関係 を楽 しめるようになっ て きている
。
」 (#52)信仰の 「成熟」 と 「深化」
考察
1.家族の歴史 ,プロテスタン ト系 ク リスチ ャ ンであること
Clは明治時代 に外 国人宣教 師の導 きで入信 し た母方 曽祖父か ら4代続 く, ク リスチ ャンの一 家の中で,通常 の 日本人 とはか な り異 なる精神 的な土壌 を背景 に生 まれ育 っている。
C1の所属 していた教派 は,明治初期 に西洋か ら入 って きたプロテス タン ト系 キ リス ト教 を源 に持 ち, ドイツ系 の神学 を強 く信奉 していた と の こと。 プロテス タン ト信仰 の特徴 として特 に 顕著 なのは,合理化,知性化であろ う。 プロテ ス タン トは宗教改革 に よって
,
「世界 の呪術 か らの解放」 を目指 した結果,中世 カ トリシズム の神秘 と魔術 ,不可視 の世界か ら信仰 を切 り離 し,
「かつてみない内面的な孤独化」(Weber,Mリ 1905)を もた らして しまった。そ してこの よう な孤独 な個人が,聖職者や聖人 とい った慰めの 源泉 を持 たない まま, 自分の運命 に対 して責任 を担 わ なければな らな くなった。 (Mullins,M, 1998)これは心理学的 に言 えば,無意識や象徴 悼,元型的 イメージ との制度化 された,安全 で 密 な関わ りやルー トが絶 たれて しまうことを意 味 している。そ して心 の一部分 で しかない小 さ な自我 は,知性化 による防護壁が崩 れた ときに は,莫大 な領域 と力 を湛 えた無意識 に直接立 ち 向 か う危 険 に晒 され や す い こ と も意 味 す る。Dung,C.G,1938,高橋2005)
加 えて明治初期 に入 って きた外 国人宣教 師た ちは,キ リス ト教 を布教す るに当た り, 日本 的 な宗教 的土壌 を低 く見 て否定 し,そ こにキ リス ト教 を入れ込 もうとした歴史がある。それ に対 して意義 を唱 えて,欧米のキ リス ト教か ら離 れ て,背教徒 となった り,土着化 したキ リス ト教 の一派 を立 ち上 げる 日本人 も現 れた ものの,今 も 「正統派」 にはこの傾 向は根 強 く残 っている と思 われ る。 (武 田,1967,1973/ Mullins,M, 1998)Clの両親 や教会 も,信仰 を守 るため に,
日本的な宗教性 を否定 して きた との こと。
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第27号 (2008年 3月31日)
この ことが,Clの内面生活 に どの ような苦 し み をもた らしたのであろ うか。#14でC1は七五 三のエ ピソー ドが語 られ られた際, 自分 の こと を 「日本 人 として根無 し草」 と表現 していた。
ここで着物が 日本人 としてのアイデ ンテ ィテ ィ を象徴す る もの として,Clに深 く捉 え られてい たことは,印象的である。C1の母親 も当時 とし ては通常 よ りも西欧化 された文化 に育 っていた 人の ようだが,それで も今 よ りもまだ,着物 を 日常生活の中で身につける機会がある時代 であ った。それは 日本 的な生活習慣 と密接 なつなが りが まだ保 たれていた ことも意味 していたので はないか。 日本 人の宗教性 は,多元主義的,習 合 的であ り,何 らかの中心 に向か うのでは く, 神仏 習合 的空 間に拡散 して行 くあ りよ うが強 い。 よって特定の宗教 にのめ りこんだ り,何 ら かの中心 に向か うのではな く,伝統的 に 日本人 は 日常生活や生活習慣,文化の中に,宗教性 を 上手 に織 り込 んで生 きて きた。(河合
e t a l ,1 9 9 7 )
す なわち,こうした 日常生活の積み重ねの中で, 母親の世代 では特別 に意識す ることも無 く, クリスチ ャンであ りなが らも日本人 としての 自然 な信仰心や感覚か ら切 り離 されず に,アイデ ン テ ィテ ィが養 われていたのではないだろ うか。
しか しC1の世代 になる とだいぶ事情 は異 なって くる。 日常生活の西欧化が一段 と進み,着物 を 日常 的に身につけるような習慣 も激減 し, もは や七五三 と成人式以外 で身に着 ける機会 はほぼ な くなって しまった。成人式 は特 に宗教 との結 びつ きも無 く,単 なるイベ ン トと化 して,儀式 と しての象徴 的 な力 は失 われて しまってい る。
しか し,少 な くともまだ七五三 には子供 の成長 と健康 を感謝 して,神社へ詣で る とい う, 日本 的 な宗教性 に触 れる儀式 としての機能 を残 して いる。 しか もこの時 に子供 (特 に女の子) に民 族衣装 と しての着物 を着せ るのである。Clが七 五三の体験 を欠いた ことで,意識せ ざるを得 な か った問題 か ら,女性 にとって,生 まれ育 った 土地 (祖霊) ・文化 との深 いつ なが りを持つ こ との意味 と,民族衣装 としての着物 の もつ 日本
人固有の精神性 ,アイデ ンテ ィテ ィとの深 いか か わ りを,筆者 も改 めて考 え させ られた。 「根 無 し草」 とい う表現 に,七五三 をは じめ,それ に集約 された 日本 的 な祭 事 や宗教 性 を否 定 さ れ,根源的な土壌か ら切 り離 されて生 きること を余儀 な くされて きた,Clの精神 的な状況が見 事 に言い表 されている。
2.起爆剤 としての性,ヌ ミノース と しての性 Clに とって性 は何 を意味 してい たの だ ろ う か。Clによれば,両親 は意識的 にはことさら厳 しく宗教教育や,倫理的な教育 を施 した とい う わけで もない とのこと。母親 は朗 らかで明る く, 父親 も穏 やかで受容 的 な, どち らか とい うと, 母性的 な人柄 だ との ことであ る。両親 とも性的
な抑圧 の強い人であ ったことい うことではある が,Clの場合 は, プロテス タン ト信仰 に よる, 知性化 ・合理化傾 向の強い精神文化 に晒 されて, 日本人であ りなが ら,かな り西洋的なアニムス 的な父性 を取 り入れて成長 した と思 われる。 こ のアニムス的 な父性 を内面化 し,強 く自分 を抑 圧 ・コン トロール して,内外 ともに 「固い」殻 を作 って生 きていた ようである。高校時代 まで Clに とって このアニムス的な力 は,多少窮屈 な 部分 はあ りなが らも,思春期 の混乱 か ら身 を守 る堅い殻 として機能 していた と思 われる。 しか し一方で,Cl本来の内的なバ イタリテ ィーやエ ネルギーか らも切 り離 されることとな り, 自分 は何 を したいのか
,
「進路 をどう決めていいか, 分か らない」 ような意識の枯渇 と無気力の状況 が,大学進学 を考 える,高校 の段 階で始 まって いた と考 えられる。大学生 になって親元 を離れ, 心 身 ともに自立 の時 を迎 えて, まさに 「自分 らしさ」 をどう見 出 し,育 ててい くかが問題 とな って きた時 に,それは さらに否定的 な形 を取 っ て,主体 的な生命力 を強 く抑圧 し,Clの内面 を 苦 しめていた と想像 される。
新 たに大学生活が始 ま り,実家 を離 れて外側 の枠組みが緩み始めた頃,丈 との出会い と別れ の トラブルが起 こるべ くして起 こっている。そ
れはClに とっては一方 的 に始 ま り, しか も相手 か ら振 られ終 わ りを告 げるよ うな大 きな挫折 の 経験 であ り, 自尊心が傷 つ き,本格 的 な無気力 が始 まる きっか け となった。Clはそれ まで,哩 想 的 なク リスチ ャンホームを築 くため 「信仰 に 従順 に従 い」,清 く,結婚 まで は処 女 を守 り抜 く態度 を何 とか貫 こうと生 きて きた。 おそ ら く 母親 の代 まで は, この ような固い殻 は守 りと し て うま く機 能 して きた もの と考 え られ るが,時 代 の変化 の影響 や,何 よ りもClの中で, 自分 の 家 の文化 にはない新 しい可能性 が芽生 え始 めて い たため,C1の無意識下 では, この可能性 を生 かすべ く,出口 を求めて,殻 を打破 しようとす るエ ネルギーが渦巻 いていたので はないだ ろ う か。
最初 に付 き合 うこ とになった丈 は 「派手 で軽 くて,全 く好 みで もな」 い, しか も 「家庭 的 に 複雑」 な人物 であ った との こ とだが,Clの これ までの文化 ,価値観 とは異 なる異性 の との出会 い に,Clの無意識 , と りわけ抑圧 され,生 きて 来 れ なか った可能性が まだ粗 野 な影 となって投 影 され
,
「引 っ張 られ る ように」 惹 きつ け られ て行 った もの と思 われ る。 この関係 は長 くは続 か なか った とは言 え,性 的 な関係 の入 り口に立 ち 「妙 な気持 ち」 を味 わい,Clの内面 は大 い に 揺 さぶ られるこ とになる。次 に現 れ たセ トが南米 の人であ るこ とも象徴 的であ る。Clの さらに深 い未知 の内面 的 な部分 が投 影 され る相 手 を選 んで い る。 人 間的 には
「丈 よ りも落 ち着 いてい て,ず っ と包容 力 のあ る人 で, リー ドされ守 られてい る感 じ」 の持 て る, よ り成 熟 した男性 セ トと
,
「性 に対 す る抗 えない魅 力」 に引 きず られて, さらに深 い関わ りの中に入 ってい くことになる。一方で これは, 自分 自身の コン トロール を失 う無力感 ,罪悪感 を伴 い,Clを さ らに打 ちの めす 体 験 とな る。Qua l l s ‑ c o r be t , N.
(2002)は,聖 なる もの は,性 的 な もの と互 い に関係 し合 っている こと,聖 な る もの, 身体 の 中 に閉 じ込 め られた 「神 の力」は,知 的 にのみ理解 され る ものではな く,身体
信仰の 「成熟」 と 「深化」
の中で感 じ,遭遇 しなければな らない こ と,そ してその体験 は, まさにOtt,R (1917)の言 う, ヌ ミノース との出会 いその ものであ る と指摘 し てい る。丈 やセ トとの出会 い を通 じ,引 き込 ま れてい った性 の体験 は,Clの アニムスの否定 的 な力,知性化 の固い殻 を破 る起爆剤 として働 き, その後 の神 の イメージや,Cl自身 に対 す る考 え 方 を 決 定 的 に 変 え て し ま っ た
。Jung, C. G
(1938,1964)は, ヌ ミノースの体 験が, その人 間に何 らかの意識 や態度 の変化 を もた らす こ と を指摘 してい る。最終 回#52で,神 父 か ら与 え たれた言葉 と して集約 され る形 で,性 について の神秘性 が,非常 に美 しい象徴 的 な表現 を取 っ て語 られていた ように, まさにC1に とって,初 めの うちは 「信仰 の蹟 き」 と しか捉 え られ なか った性 の体験 は,無意識 との出会 い を もた ら し
( Hi l l ma n
,J.1967),
「神 の力」 との遭遇 ,聖性‑通 じるヌ ミノースの体験 を導 くもの と しての豊 かな意味 をもつ ものであった と言 えよう。
3.
夢 と全体の プロセス との関わ り性 の体験 に よって,破 られ た固い殻 は,その 後 に見 た夢 1の 「舗装 され た よ うな固い地面」
に象徴 され,割 れた地面か ら様 々な象徴 が 「す ごい勢 いで噴出」す る。 これはClの内奥深 くに 閉 じ込 め られて きたエ ネルギーや,Cl本来 の感 性 な どが様 々な象徴 の形 を取 って,噴 出 してい るこ とも指 し示 してい るかの ようであ る。 しか しこの時 は噴出す る勢 いが早す ぎて, まだ一つ 一つが何 を表 し,意味 してい るのか もつか む こ
とがで きない。
そ して夢
2
へ と続 いて, まず女性性 の問題 に 取 り組 む こ と となる。 この夢 を通 じ,初 め て, 女性 と していか に,大切 なエ ロス (血 の通 った 関係性 を結 ぶ ための力)が抑圧 されて来 ざるを 得 なか ったか を,意識化 で きる ようになって行 く。" c u r s e "
とい う発 音 は, 聞いてい て非常 に 生 々 しく迫 って くる もので,Clのみ な らず,多 くの女性 が代 々背負 わ され,苦 しんで きた思 い その ものが代 表 されて,叫 び となって表現 され神奈川大学心理 ・教育研究論集 第27号 (2008年3月31日)
ている ような迫力 を, この夢の報告 を聞いてい て,筆者 も女性の一人 として強 く感 じたことを 覚 えている。
この夢 を契機 として さらにClは,育 って きた 教 会 の抱 えてい る問題 へ 意識化 が促 され てゆ く。特 に 「信仰」 の大儀名文の もと,習慣 的に 理不尽 に押 し付 け られ,抑圧 されて きた女性へ の人間性否定の根強い傾向 に,意識の光 を当て, その ことに対す る怒 りの感情 を体験で きるよう になる。
そ してこれは,本来の信仰 の本質的 な事柄で はな く,む しろ長 い歴史の中で,人間的 な限界 や弱 さ,偏見,慣習,そこか ら来 るゆがみか ら 形作 られて きた ものであることに,鋭 く気づい てい く。 しか もそれがあたか も本質であるかの ような,巧妙 な仕掛 けで,素直で無 防備 であっ たClの内面 に植 え込 み, 「愛情」 や 「隣人愛
」
「宗教教育」 とい う名の縄 目で縛 り,反論 も否 定 も許 さない二重拘束 によるゆがんだ関係 に絡 み取 られて きた ことにまで意識のメス を入れて ゆ く。そ う して初めてこれ らの呪縛か ら自由に なって, 日本人 と して当た り前 に持 っていた 自 然 な宗教性 との関係 を回復 してゆ く。
この ようなプロセス を経 て後, カ トリックの 信仰講座 に参加 し,そ こで新 たな信仰 の導 き手 となる神父 に出会 うの も象徴的である。Clは生 まれ育 った教会 を離 れて,一時仏教や,その他 の宗教 に,道 を見 出そ うと試行錯誤 した時期 も あ ったが,それ らには満足 で きず に,やは りキ リス ト教 に強い必然性 を感 じている ところがあ った。無意識の象徴 的 なエ ネルギーが生 き始め る と同時 に, 日本人 としてのアイデ ンテ ィテ ィ をも取 り戻 しつつあった時 に, プロテス タン ト に比べ てはるかに 日本人の土着の宗教性 に親和 性 を持つ カ トリックは,Clにとって新 たな居場 所 としての吸引力持 っていたのではないだろう か。そ して夢3で,それの内面 の動 きを確認す るかの ような夢が報告 されるのである。 しか し 続 く夢4では,難民 としてのClが登場す る。難 民 の象徴 性 につ い てQualls‑corbet
( 2 0 0 2)
は「これ までの安全 な避難所 を去 り,慣 れ親 しん だ安楽や社会的地位 も持 たず に,未知の道 を進 み始 め るこ と」 を意味 してお り
,
「これは個性 化の道 と似 ている」 と述べ ている。 カ トリック の儀式 に馴染 めない ことな どか ら,Clに も少 し 意識化 されてはいたが, どうや らカ トリック教 会 も,C1の一時的 な居場所 とはな り得 て も,安 住 の地 とはな りえず, さらにClな りの内面的な 居場所 を求めて,道 を歩み進 めなければな らな い ことを暗示 しているようである。一時的 に身 を寄せ た避難所 の天井 に,「ルネサ ンスの宗教 画が剥が された ような後があ った」 とい う非常 に重要 なイメージ も, この夢 の後半の中で報告 されている。カ トリックの神父の導 きと助 けで, 自分 自身の中にあ って, 自分 を脅か し続 けて き た偶像 に気づ く機 会が与 え らるこ とになった。その 「造 られた神 のイメージ」 の正体 に気づい て,距離 を取 れるようになることは,新 たな解 放 をClにもた らすのだが,同時 に,慣 れ親 しん で きた,期待通 りの
,
「神 の イメー ジが剥 が さ れ」 る体験 を も味 わ うことを意味 し,その苦痛 と, これ までの支 えを失 うとい う不安 も語 られ る。 (#33), ヌ ミノース体験 の もた らす,す ぎ ま じさ,聖性 の もつ恐 ろ しさ,それ に遭遇 した 人間の味 わわ ざるを得 ない痛 ま しさ, まさにそ の二律背反 を,筆者 も痛感 させ られた。そ して夢5でC1はつい にラス トエ ンペ ラー と なって,生 まれて初 めて紫禁城 を,完全 に出る 決定的なイメージが報告 される。紫禁城 はClが 語 っていた ように, プロテス タン ト的 な信仰 , 強い知性化の象徴 である。 この城がいかに大 き
くて,堅固な ものであ ったか,出ることによっ ては じめて気づか される。 ここを出て行 くこと が どれほ ど大変 なことであったか,それは映画 の ラス トエ ンペ ラーのその後 の姿 さなが らであ った。夢4か ら5に至 る時期 は, 日常 的に も非 常 に大変 な時期 であ り,一見す るとpsychoticな レベルにまで,落 ち込 んだかの ような,心 身の 状態 に見舞 われ,筆者 として も非常 に心配で緊 張 を強 い られ た。 ク リニ ック受診 も勧 めたが,
Clは 「自分 は病気ではない」 ことを理 由に, こ れ をかた くなに拒否 し続 けていた。今か ら考 え る と,C1も語 っているように, これは 「象徴 的 な死」 を体験 し尽 くしていた時期 であ った。そ こか ら新 た に再生 し始 めた ときに,黙想会 で, 神父 に 「おんぶ して もらい」,体 ご と抱 きとめ, 受 け とめて もらえたことが,新生児が母親の腕 に抱 かれるような体験 となったに違 いない。そ してこれ までの プロテス タン ト信仰 に最 も欠け ていた,母性的な側面,関係 をつな ぐエ ロス的 な側面へClの内的エ ネルギーがつなが り,その 帰 り道でC1の内面 に浮かんだ ミケランジェロの
「ピェ タ」 のマ リアの ように
,C
lを抱 くキ リス トのイメージへ と結実す る。つ ま り丈やセ トに 投影 されて きたイメー ジが, ここでキ リス トと い う元型的イメージへ と変容するのである。もちろん
C
lはキ リス トについて,幼い頃か ら 教 え られ,理解 してはいたはずである。 しか し それは知的な ものにとどま り,生 き生 きとClに 働 きかけて くる生 きたイメージとして体験 され て来 なか ったのではないか。元型 は人間の生 を 基礎付 けている ものであるが,ただ存在 してい るだけでは,生 きた もの とはな らない。人間の 自我 とうま く呼応 し合 い,関わ り合 うことによ って,初 めてその力が生 き生 きと我 々 に働 き, その関係 の中で我 々人 間の生 き方が決定 されてくる。 (織 田,1989)
C
lはこの決定的な体験 を経 て,カ トリックへ の改宗 を決意す るこ ととなった。C1に とって,これは
C
lを抱 きとめるキ リス トのイメージに結 実 した,元型的イメージ,活 きた神 との関わ り の中に入 ってい く道‑ と,方 向転換 してい く,「回心」 の 自己表明であ り, また, カ トリック へ と 「形 を変 え」 るこ とで
,
「曽祖 父か ら代 々 継承 して きた信仰 を受 け継 ぎ」, さ らにこの信 仰 を深化 させ る道 を選ぶ決意表明の儀式 で もあった。
この後C1が どの ような道 をた どることになる のか,その後夢6では また難民のイメージが報 告 され,今後 もまだ先が見 えない 自己実現 の道
信仰 の 「成熟」 と 「深化」
が続いてい くことを暗示 しているかの ようであ る。 まだまたプロセス途上の感 は否めなか った が, ここで
C
lは大学卒業の時 を迎 え,学生相談 の枠組み としては, ここまでの時点で面接 も終 結 を迎 えることとなった。しか し,新 たな歩み に備 え,現実的にはプロ テス タン ト教育 によって育 まjlた知性化の力 を 生 か して
,
「距離 を保 って学問的 に追求 してい く姿勢」 と,
「信仰 者 と して」 の姿勢 とのバ ラ ンス を取 るス タンス を保 ちなが ら進 んでい くこ とを選択 し,その歩み も 「ユニセ フ親善大使 の 黒柳徹子」がついて きて くれ るイメージが報告 されていることか ら (現実的 に も神父 との関わ りは卒後 も継続 され る こ とが大 きい だ ろ う), プロテス タン ト時代 の 「内面 的な孤独」 とは明 らか に違 うものになってい きそ うな可能性 を見 届 けての終結 となった。4.
まとめ‑ 日本人 とキ リス ト教一以上, 日本 人 に とってのキ リス ト教信仰 の継 承 と,深化 ,成熟 とい う視点か ら
,C
lの プロセ ス を詳細 に振 り返 り,検討 して きた。異 なる文 化 で生 まれた宗教 を受 け入れ, 自分 の ものに血 肉化 してい くこと,その中か ら新 たな自我 を育 み,生み出 して行 くことの豊か さと,す ぎま じ さを教 え られたケースであった。C
lの力 をひた す ら信 じてついて行 くのみであ ったが,途上で は非常 に危険 を感 じる時期 もあ り (特 にⅢ期 の 後半 か らⅣ期 ),筆 者 の力量 で大丈 夫 なのか, 悩 むことも多々あ った。 しか しC1
が基本的には 健康 な自我 の持 ち主あ った こと,適切 な時期 に 神父 との関わ りを持 ち,信仰 的 に太いパ イプが つなが っていたために,筆者 としては非常 に心 強か った。 (逆 に言 えば, この ようなパ イプが で きたか らこそ,C1
は思 い切 って さらに内奥‑と歩み を進めて行 ったのか もしれないが) そ し て何 よ りも自分の プロセス を信頼 して,進み続 けようとした
,C
lの姿勢 と力 こそが,筆者 に と っての大 きな支 えであ った と思 う。今振 り返 る と, これ こそが代 々引 き継がれて,育 まれ蓄 え神奈川大学心理 ・教育研究論集 第27号 (2008年3月31日)
られて きた信仰 の力 であ り,Clを して元型 との 生 きた交流 を新 たに可能 にさせ,元型 的イメー ジの守 りの中で,危 険 なイニ シエ ーシ ョンを乗 り越 え させ る こ とを可 能 に して くれ たの だ ろ う。洗礼式 の前夜 ,曽祖父の イメージが立 ち現 れ て きた時 ,その こ とをClは初 め て意識化 し, 洗礼式 に臨 んで, 自分 の こ とと して選 びなお し て, これか らもこの信仰 を継承 してい くこ とを 決意す るのである。
本来 キ リス ト教 の信仰 とは,所属 してい る民 族 や文化 か ら個 人 を引 き離すので はな く,民族 文化 の個別性 ・特殊性 に深 く根 ざ し,その精神 構造 を内側 か ら新 しくしてい く価値観 ,エ ネル ギー,生命力 を生 み出 してい くものであ り,ユ ニ ー クな文化 を よ り個性 的 に創 造 ・発展 させ な が ら,普遍性 に向か って開花 させ てい くこ とを 可能 にす る もので なければな らない。 日本 人が キ リス ト教信者 になる とい うことは,つ ま り独 自に個性 的 な 日本 人であるク リスチ ャンになる とい うこ とである。 このため には正統 的,伝統 的 な宗教感覚 の枠組みか らは,一見 ,非宗教 的 の ように見 えるが,実 は真 に宗教 的である もの を探 ってい こうとす る信仰 の斬新 な把握 と, 自 分 自身の内面深 くに降 りてキ リス トと出会 う道 を探 り求 め るこ と (武 田,1973)が求 め られて い るの だが,既存 の正統派 キ リス ト教教会 の中 で,それ を実現 させ るには, まだ まだ困難 な状 況があるのだろ う。 だか らこそClは, カウンセ リング とい う新 たな枠 組み を必 要 と し, カ トリ ックの神 父 との個 人的 な関わ りは持 てる ように なって も, カ トリックの教 会 コ ミュニテ ィへ入 ってい くことには消極 的であったのだろ う。
Clが抱 えねばな らなか った問題 と,それ を乗 り越 えるため にた どったプロセス は,既成 の宗 教 が力 を失 い,西欧合理主義 と古来 の 日本 的精 神 文化 との相 克 に晒 され, 「内面 的 な孤独 」 の 中で生 きる現代 の我 々 日本 人 に とって も,いか に して 自分 の内奥 にあ る宗教性 に触 れ,元型的 イメージ との生 きた関わ りを回復 して行 った ら よいのか とい う問題 に通 じる,多 くの示唆 を与
えて くれる ものの ように思 えてな らない。
以上今 だ考察 し尽 せ ない,豊 か なマ テ リアル が た くさん残 ってい るこ とを痛感 しなが ら,そ れ は今後 の課題 と して, ここで本論分 を閉 じる
こととす る。
最後 に本論分作成 を了承 して くだ さったC1の Kさん に,心 よ りの敬 意 と感 謝 を表 したい。 ち なみ にKさんは現在結婚 されて,お子 さんに も 恵 まれて,元気 に暮 ら してお られ る との ことで ある。
文献
HillmanJ.1967:Inserch:PsychologyandReligion, 樋 口和彦 ・武 田憲道訳,1990:内的世界への 探求,創元社
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合隼雄訳1975:無意識の接近,河合隼雄監訳, 人間と象徴,河出書房
河合隼雄,村上陽一郎共同編集,1997:内なる ものとしての宗教,岩波書店
Otto,R.1917:DasHeilige,山谷省吾訳,1968:聖 なるもの,岩波書店
高橋 原,2005:ユ ングの宗教論‑ キ リス ト教 神話の再生‑,専修大学出版局
武田清子,1967:土着 と背教,新教出版社 武田清子,1973:背教者の系譜,岩波新書 Mullins,M,R,1998:ChristianitymadeinJapan
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高橋恵訳 2005:メイ ド ・イ ン・ジャパ ンの キリス ト教 トランス ビュー
織 田尚生,1989年3月3日,山王教育研究所,理 論 と技 法 Ⅲ 「元型 について」 の 中で語 られ た。
Qualls‑corbet,N, 2002 :AwakeningWoman, Dreamsandindividuation
LLl愛美 ・岸本寛史訳,2003:「女性」の目覚め, 新 曜社
Weber,Max,1905:DieprotestantischeEthikund der̀Geist'desKapitalismus
大塚久雄訳 :プロテスタンティズムの倫理 と資本 主義の精神,1993,岩波文庫