実践報告
E S D 教 育 の 試 み 「 復 興 子 ど も 教 室 」 の 実 践
全 煩徳(長崎大学教職大学院)
1 .はじめに
高 村 昇(長崎大学医歯薬学総合研究科) 下回杏奈(長崎大学教育学部)
2011年 3月 11日、東日本大震災によりもたらされた甚大な被害は、今もなお 続 く 津 波 の 爪 痕 に よ り 厳 し い 現 実 が 待 ち 受 け て い る 。 福 島 県 双 葉 郡 川 内 村 は 東 京 電力福島第一原子力発電所事故によって、全村避難を余儀なくされた村である。
村の復興を含む新しい村づくりには、放射線問題、人口減少による急速な高齢化、
新 た な 産 業 創 出 、 地 域 コ ミ ュ ニ テ ィ の 維 持 な ど 、 様 々 な 課 題 を 抱 え て い る 。 一 部 の課題は将来の子どもたちに託せざるを得ない状況にある。この中、川│内村と著 者 等 は 「 復 興 子 ど も 教 室 」 を 考 案 し 、 こ の 被 災 を 乗 り 越 え 、 将 来 地 域 の 復 興 に か かわり、社会に貢献できる「強さ」と「いのち」の大切さを兼ね備えた「子ども 育成事業」を立ち上げた。
本報告は 2013年 12月 2日に、川│内村立川内小学校で実施された「復興子ども 教 室 」 の う ち 、 事 前 学 習 と し て 計 画 さ れ 実 施 さ れ た 実 践 内 容 を ま と め た も の で あ る 。 本 実 践 で は 持 続 発 展 教 育
( E S D: Education f o r Sustainab1e D e v e l o p m e n t )
1)を試みており、復興のための
E S D
教育の可能性を打診したものである。2. E S D
教 育 と は震災からの復興には、「持続可能な開発・発展」が前提となるべきである。この ような教育理念を含ませたもので、
E S D
教 育 が 新 た な 枠 組 み と し て 国 際 的 な 場 で 提 案 さ れ て い る 叱 日 本 が 提 唱 し 、 活 発 な 議 論 が 交 わ さ れ る 新 し い 教 育 の 在 り 方として、多くの関連書籍や様々な学習教材等が出版されている 3)‑ 5)。
これらの参考書や指導書から読み取れる「持続可能な開発」とは、将来の世代 の ニ ー ズ を 満 た す 能 力 を 損 な う こ と な く 、 現 在 の 世 代 の ニ ー ズ を 満 た す た め の 社 会づくり活動、または教育カリキュラムのことである。
す べ て の 人 が 健 康 で 文 化 的 な 生 活 を 営 む た め に は 、 例 え ば 貧 困 を 克 服 し 、 保 健 衛 生 を 確 保 し 、 環 境 を 保 全 す る こ と が 求 め ら れ る 。 そ の た め に は 、 性 別 や 人 種 に よる差別をなくし、資源を有効に活用し、将来世代が暮らせる社会の構築を目指 した取り組みが必要となる。ましてや、安全で平和な社会の実現は持続可能な発 展や開発にとって重要なテーマのひとつである。
更 に 、 世 代 聞 の 公 平 、 地 域 間 の 公 平 、 男 女 聞 の 平 等 、 環 境 の 保 全 と 回 復 、 天 然 資 源 の 保 全 、 公 平 で 平 和 な 社 会 な ど の 実 現 に は 、 そ の 担 い 手 を 育 成 す る こ と が 必
要 で あ る 。 そ の た め の 教 育 の 新 し い 概 念 が ESD教 育 で あ る 。 持 続 可 能 な 社 会 の 実 現 に 向 け て 、 さ ま ざ ま な 立 場 の 人 々 が 持 っ て い る 知 恵 や 力 を 出 し 合 い 、 試 行 錯 誤 を 重 ね な が ら 持 続 可 能 な 未 来 を 作 り 上 げ て い く 、 そ の た め の 「 学 び の 枠 組 み 」 と して ESDが注目されている。
この ESDは 、 日 本 の 提 案 に よ っ て 2005年から 2014年 ま で 「 国 連 ESDの 10年」 と し て 世 界 的 に 取 り 組 ま れ る こ と に な っ た 経 緯 か ら 、 日 本 は ESDの フ ロ ン ト ラ ン ナーとして期待されている。また、文部科学省は 2006年 に 教 育 基 本 法 を 改 正 す る とともに、 2008年に小・中学校、 2009年 に 高 等 学 校 の 新 学 習 指 導 要 領 を 告 示 し て い る 。 こ れ に よ る と 、 各 教 科 に お い て 、 基 礎 的 ・ 基 本 的 な 知 識 ・ 技 能 の 習 得 を 重 視するとともに、これらの活用を図る学習活動を充実することが求められている。
ま た 、 各 教 科 等 の 枠 を 越 え た 横 断 的 ・ 総 合 的 な 課 題 に つ い て は 、 各 教 科 等 で 習 得 し た 知 識 ・ 技 能 を 相 互 に 関 連 付 け な が ら 、 解 決 す る と い っ た 探 究 活 動 の 質 的 な 充 実を図ることなどを改善点として示している。
特に、社会や理科、家庭科などの教科で、「持続可能な社会の実現に関わる学習 の 充 実 」 な ど の 教 育 内 容 が 盛 り 込 ま れ て い る 。 こ の よ う な 考 え 方 は 今 、 広 島 市 に よ る 「 平 和 教 育 プ ロ グ ラ ム 」 に も 反 映 さ れ る な ど 広 が り を 見 せ て い る 。 ま す ま す 複 雑 化 、 国 際 化 、 情 報 化 が 進 む 中 、 今 後 、 様 々 な 教 育 分 野 に お い て ESD教 育 が 大
きな柱となると考えられる。
3. ESD教 育 と 復 興 子 ど も 教 室
福 島 に と っ て 「 持 続 可 能 な 社 会 」 を 築 い て い く 第 一 歩 は 「 復 興 」 を す る こ と で あ り 、 復 興 が 第 一 課 題 と な っ て い る 川 内 村 の 子 ど も た ち に と っ て も 同 じ こ と が 言 え る 。 そ の 意 味 で 、 持 続 可 能 な 発 展 教 育 で あ る ESDを、復興に関わる子どもたち の中に取り入れることは妥当な選択肢の一つである。その意味で、「復興を通して の持続可能な社会づくりの形成」という目標は本実践の重要な部分を占める。
ま た 、 長 崎 の 被 爆 経 験 ・ 復 興 経 験 か ら 福 島 の 復 興 、 持 続 可 能 な 社 会 を 築 く た め のヒントが得られるのではないだろうか。本実践ではこのような想いを、 2011年 3月11日 に 起 き た 東 日 本 大 震 災 の 復 興 と 被 爆 地 長 崎 の 被 災 地 と し て の 復 興 史 を 結 び つ け 、 新 し い 場 ・ 対 象 に 即 し た ESD教育を試みたものである。
3 . 1
東 日 本 大 震 災 の 概 略東 日 本 大 震 災 の 復 興 を 考 え る 時 に 、 一 般 的 に は 阪 神 ・ 淡 路 大 震 災 時 の 経 験 を 念 頭 に お い て 考 え る だ ろ う 。 し か し 、 双 方 の 本 質 的 ・ 原 理 的 な 部 分 は か な り 共 通 す る が 、 具 体 的 な 個 々 の 局 面 を 見 る と 、 東 日 本 大 震 災 は 阪 神 ・ 淡 路 大 震 災 と は か な り 異 な る 、 未 曾 有 の 出 来 事 な の で あ る 。 そ の 違 い は 大 き く 分 け て 5点ある。
( 1 )被害の範囲
阪神の断層の長さは 20~30 キロの範囲であるが、福島の場合は 500 キロと
‑312ー
かなり広範囲に被害が広がっているという点。
( 2 ) 被 災 自 治 体 の 機 能 の 崩 壊
震 災 を 受 け て 本 来 は 市 町 村 が 防 災 を 担 う べ き で あ る が 、 そ の 担 う べ き も の が完全に機能できていなかったという点。
( 3 )津波による被害
津 波 に よ っ て 家 族 も 家 も 財 産 も 失 わ れ て し ま っ た と い う 点 。 た と え ば 阪 神 の時であれば、つぶれた家の中から毛布などを持ち出すことや、備蓄して い た ベ ッ ト ボ ト ル な ど が 利 用 で き た が 、 今 回 は 一 切 の も の を 失 う と い う 過 酷な状況が生まれてしまった点。
( 4 ) 情 報 の 完 全 な 断 絶
地 震 と 津 波 に よ っ て 広 範 囲 に 停 電 し 、 圃 定 電 話 ・ 携 帯 電 話 が 切 断 さ れ 、 情 報 が 完 全 に 寸 断 さ れ て し ま っ た 。 そ の た め 、 多 く の 被 災 地 ・ 自 治 体 に お い て長い期間、情報の断絶事態が続いた点。
( 5 )原発事故による被害
複 数 の 原 発 に よ る 炉 心 冷 却 機 能 の 喪 失 か ら 炉 心 の 損 壊 ・ 溶 解 の 危 機 が 長 期 に進行する中で大気中や海水中への放射性物質の放出という事態が起き ている点。政府において、原発では重大事故が起きないという「安全神話」
にとらわれて、炉心冷却機能の喪失という事態に対する緊急時対策がまっ たく用意されていない等、対応能力の限界の問題がいくつも同時に起きた
という点、などが挙げられる。
以 上 の よ う に 、 東 日 本 大 震 災 は 被 害 の 重 大 性 や 深 刻 性 が 問 題 で あ り 、 阪 神 の 経 験 か ら の 教 訓 で は 補 え な い 部 分 が あ る 。 そ の 重 大 性 や 深 刻 性 に つ い て 言 え ば 、 長 崎 ・ 広 島 の 被 爆 経 験 が 生 か せ ら れ る の で は な い か 。 更 に は 東 日 本 大 震 災 の 復 興 に 対するニーズを、 ESD教 育 の 可 能 性 と 結 び 付 け 、 従 来 の 復 興 関 連 教 育 の 弱 点 を 補
うことも可能ではないかと考えた。
表 1に、東日本大震災の中でも、今回の教育実践の対象である、福島県全体の
被 害 状 況 、 更 に は 実 践 現 場 と な っ た 川 内 村 、 ま た 川 内 村 の 人 々 か ら し て 生 活 圏 内 となる富岡町を例に、被災状況をまとめた。福島県内の行方不明者と死者数のみ を集計したものである。
表 1 福島県内の行方不明者数と死者数(人数)
直接死 関連死 死亡届等 死者合計 行 方 不 明 者 川 内 村
富 岡 町 18
64
203 5
64
226 1
福 島 県 全 体 1,599 1,585 221 3,405 207 (平成 25年 12月 2日付 福島民報より)
3.2 長 崎 の 復 興 史 の 概 略
表 2 長 崎 市 の 復 興 年 表
西 暦 元 号 復 興 計 画 国 ・ 政 府
1945 昭和 20 ‑復興を迅速に行うために ‑戦災復興対策対象都市として長崎 県 緊 急 本 部 を 設 置 を含む 119都 市 が 閣 議 決 定 さ れ
(8/22) る 。 被 爆 地 で あ る 長 崎 は 、 他 の 戦 災地と同じ扱いにすぎなかった。
(11/22)
1946 昭和 21 ‑長崎県長崎復興工事事務 ‑復興計画や緑地地域等に関して都 所 が 五 島 町 の 九 州 電 力 市 計 画 法 な ど の 特 例 を 定 め た 特 株 式 会 社 内 の 玄 関 ロ ピ 別 都 市 計 画 法 が 公 布 さ れ る ー を 借 り て 設 置 (3月) (9/11)
‑中町公園地内に移転戦前 の 3000分の lの 図 面 を 唯 一 の 頼 り に 、 被 災 地 の 測量、設計、換地処分、
仮 住 宅 、 強 制 執 行 な ど 区 画 整 理 事 業 を 行 う (9 月)
‑復興計画や緑地地域等に 関 し て 都 市 計 画 法 な ど の 特 例 を 定 め た 特 別 都 市 計 画 法 が 公 布 さ れ る
(9/11)
1948 昭和 23 ‑建設院が 1947年 12月 ま で の 戦 災 復 興 の 実 施 状 況 を 発 表 ※ 表 3 1949 昭和 24 • i長 崎 国 際 文 化 都 市 建 設 法 」 公 布
‑復興計画の基本的な都市像は、軍 需 都 市 的 色 彩 を 拭 い 去 り 、 海 外 貿 易 、 造 船 業 、 水 産 業 を 基 盤 に 、 人 口20万人を想定し、行政・文化・
経 済 地 方 中 心 都 市 と し て 復 興 発 展 を 目 指 す も の (8/9)
1950 昭和 25 ‑平和公園開設(8/1) 1951 昭和 26 ‑長崎国際文化都市建設計
画 が 決 定
‑既定の戦災復興事業は長 崎 国 際 文 化 都 市 建 設 事 業 に 切 り 替 え ら れ 、 長 崎 は 国 際 文 化 都 市 と し て 復興・発展していった。
現 在 で も こ の 事 業 は 継 続 し て お り 、 発 展 を 続 け ている。
1955 昭和 30 ‑平和祈念像の建設
‑314‑
長 崎 の 復 興 史 に つ い て は 幾 つ か の 参 考 資 料 を も と に 、 表 2と表 3のような 概 略 を 取 り ま と め た 6).7)。 そ れ ぞ れ の 項 目 説 明 は 省 略 す る が 、 復 興 に 至 る ま で の 経 過 の 中 に は 、 被 爆 者 一 人 一 人 の 意 識 が 強 く 関 わ っ て お り 、 被 爆 者 か ら 見 た 被 爆 の 現 実 か ら 復 興 を 問 う と い う 作 業 が 必 要 で あ る 。 被 爆 し た 一 人 一 人 の 人 聞 が 何 を 思 い 描 い て い た の か 、 そ し て 共 通 の 認 識 が あ る ま で の 過 程 を 明 らかにすることが重要である。
今 回 の 実 践 で 「 長 崎 の 復 興 史 」 に つ い て 注 目 し た の は 、 長 崎 の 一 般 的 な 復 興 史 を 語 る こ と で は な い こ と 。 そ の 語 り の 内 容 は 物 理 的 な 街 全 体 の 復 興 に つ い て だ け で な く 、 被 爆 者 の 一 人 一 人 の 人 聞 と し て の 復 興 、 人 間 の も つ 強 さ に 焦 点 を 当 て る
ことであった。
表 3 被 災 復 興 の 実 施 状 況 都 市 名 復興率(覧) 全国順位(位) 熊 本 51. 1 4
大牟田 37.7 14
福 岡 36.5 15
鹿 児 島 35.5 19
長 崎 16.2 32
八 幡 10.9 42
佐 世 保 10.7 43
4. 実 践 授 業 の 内 容
4 . 1
実 践 者 の 事 前 学 習本 実 践 の た め に ま ず 、 授 業 者 は 川 内 村 に つ い て 事 前 学 習 を 行 っ た 。 川 内 村 は 福 島 県 の 浜 通 り 地 方 、 阿 武 隈 高 地 の 中 部 に 位 置 し 、 総 面 積 は 197.38困である。この 阿武隈高地の分水嶺、大滝根山をはじめ 700阻"'900皿 級 の 起 伏 の 多 い 山 岳 に 固 ま れ た 高 原 性 盆 地 で 、 総 面 積 の 87.9%が山林で占められている。東日本大震災では、
死亡者はなく、震度6弱 を 観 測 し な が ら ほ と ん ど 被 害 が な く 、 標 高 的 に 400m以 上 あ る の で 津 波 の 影 響 も な か っ た 。 つ ま り 原 発 災 害 の み の 影 響 を 受 け て い る 。 川 内 村 の 東 日 本 大 震 災 の 影 響 と し て は 、 以 下 の 5点 に 大 別 さ れ る。
表 4 川 内 村 の 東 日 本 大 震 災 の 影 響
放 射 能 の 影 響 乳 用 牛 、 肉 用 牛 、 鶏 札 処 分 や し い た け の 出 荷 制 限 、 稲 作 な ど の 生産意欲の低下。
失 業 者 の 増 加 就 業 者 の 多 く が 原 発 立 地 地 域 ( 郡 内 ) の 事 業 所 に 勤 務 し て い て いた。その多くが休業や廃業になる。
事 業 所 等 の 商届や川内村内事業所の休業と廃業。
廃 業 ・ 休 業
生 活 圏 の 喪 失 村 の 主 な 生 活 圏 ( 買 い 物 ・ 病 院 ・ 福 祉 ・ 高 校 な ど ) は 原 発 立 地 地域に依存し、村内には代替施設がほとんどない。
家 族 の 崩 壊 震災後は、家族が離れ離れに生活している。過去に就業のため、
首都圏に云った子どもや孫の帰省が少なくなった。
4 . 2
実 践 捜 業 の 実 施2013年 12月 2日 の 月 曜 日 、 三 校 時 目 に 対 象 児 童 の 川 内 村 立 川 内 小 学 校 6年 生 5名 に 対 し て 実 践 授 業 を 実 施 し た 。 こ の 授 業 を 受 け る 児 童 観 と 授 業 観 に つ い て 簡 潔に述べておこう。
まず、児童観である。震災後、川│内小学校の全体の児童数は約 5分の lとなり、
帰村して来た子どもたちは震災後の村の変化を日々実感していたであろう。また、
震 災 以 前 か ら 川 内 村 内 に は 高 校 も な く 、 以 前 か ら 村 全 体 の 子 ど も の 数 も 少 な か っ た 。 そ の た め 、 憧 れ の 存 在 が 近 く に な く 高 校 や 大 学 と い っ た 近 未 来 像 を 描 く こ と が 難 し い と い う 課 題 が あ っ た 。 学 習 面 か ら 見 る と 、 こ れ ま で に 、 子 ど も た ち は 総 合 的 な 学 習 の 時 間 に お い て 原 子 力 発 電 所 や 放 射 能 、 村 の 復 興 に つ い て な ど 、 個 人 で 研 究 テ ー マ を も ち 調 べ 学 習 を 行 っ て き た 。 そ の た め 、 本 授 業 へ の 関 心 は や や 高 いことが予想されていた。
次 に 、 本 授 業 を の 授 業 観 で あ る 。 本 授 業 は 、 二 校 時 目 に 長 崎 大 学 医 学 部 保 健 学 科の学生たちが放射線についての授業を行った直後に続いて行われた。授業は「長 崎 の 復 興 」 を テ ー マ と し た も の で 設 計 し た 。 被 爆 地 長 崎 の 被 爆 前 後 の 様 子 を 対 照 的 に 見 て 理 解 す る よ う に し た 。 ま た 被 爆 後 か ら 現 在 の 長 崎 に 至 る ま で の 復 興 の 過 程 を 紹 介 し 、 児 童 の 疑 問 を 解 決 す る こ と で 長 崎 の 復 興 史 に つ い て 理 解 す る こ と が で き る 配 慮 し た 。 も う 一 つ 工 夫 し た 点 と し て は 、 被 爆 者 の 方 ( 深 堀 好 敏 さ ん ) の 証 言 を 用 意 し 、 そ の 方 の 現 在 に 至 る ま で の 思 い を 語 っ て も ら っ た 。 こ の 証 言 を 聞 き な が ら 児 童 自 ら が 被 爆 者 に 恩 い を 寄 せ て い く こ と で 、 人 の 持 つ 強 さ に つ い て 考 え さ せ る よ う に し た 。 更 に 、 一 人 一 人 の 被 爆 者 に つ い て 考 え 、 物 理 的 な 復 興 だ け でなく「人間の復興」についても考える契機を与えることにした。
最後に、子ども達は長崎の復興史を教訓として、原発事故後のふるさと)1[内村 の 復 興 に つ い て 思 い 描 く 「 ま ち づ く り 体 験 活 動 」 の 時 聞 を 設 け た 。 長 崎 の 復 興 か ら 福 島 ・ 川 内 村 の 復 興 へ と 、 思 い や 関 心 を 寄 せ る こ と が で き る よ う に 計 画 し た。
4.3 事 後 ア ン ケ ー ト 調 査 結 果
事 後 ア ン ケ ー ト の 調 査 結 果 は 授 業 参 加 者 の 12名から得た集計結果である。
表 5 五段階評価の集計結果(数字は%、 50%以上を反転表示)
ア ン ケ ー ト の 回 答 授業参加者(全体) 子ども(大人を除く)
非常に良い 良い 非常に良い 良い
授 業 の 満 足 度 固図 4 2
授業の分かり易さ 4 2
長 崎 復 興 の 様 子 3 3 復 興 へ の 興 味 度 4 0
村の将来を考える 4 4
‑316‑
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(8)全 体 意 見 (
1 2
名)( b )
子どもの意見( 5
名) 園1
授業の中で一番印象深かった教材前項の集計した表
5
は、主段階評価(非常に良かった、良かった、普通、悪か った、非常に悪かった)から得られたアンケート調査結果である。アンケートか らは評価の三段目の「普通j以下 I悪いJr
非常に悪いj等は意見が無かった。そ こで、表5
には『非常に良いJr
良い」とされる評価のみを示した。結果から、授業参加者のおおむねの満足度・理解度は得ることができたものの、
「復興j についての学習、またその満足度・理解度を上げることへの改善が必要 である結果となった。また、児童の感想の中には、「長崎の復興についてもっと知 りたい』という意見が強く表れており、今回の授業実践、 1回45分の中では全て を補うことができなかった反省点がある。教育関係者からの意見として、『長崎の 原爆からの復興』と『福島の原発からの復興』は本質的には違うのではないか、
「違和感を覚えるJという厳しい意見も出されたことを付言しておく。
図 1の授業中の印象深い教材については、全体的に、被爆者の方からのピデオ メッセージが最も印象深い、という結果であった。しかし、児童の中では村の未 来を考えていた「まちづくりの体験活動』が最も印象に残ったようである。「まち づくりj がこの授業の中の唯一の子どもたちの参加体験型の内容であったため、
児童たちに最も印象的であったのではないか、という点に留意する必要がある。
まちづくり活動を除くと、全体・小学6年生双方で『朗読j と『ピデオメッセー ジJが上位にランク付けされており、個人に焦点を当てたものがより身近に感じ
られ、印象深く残る結果となった。
5.
おわりに今回の授業実践において『長崎の原爆復興から福島の原発事故からの復興を考 えるj との主題を設定し、事前学習から授業実施までの実践を行って。本実践を 遂行した著者等にとって幾つかの問題点を残した実践となったが、これらの問題 点はESD教育の試みとして貴重な結果であると思う。
本実践授業の改善策としては、原爆当時の長崎市民の復興構想を題材として、
長崎の復興について理解をより深める授業が効果的ではないだろうかと思った。
長 崎 県 外 の 児 童 を 対 象 に 、 長 崎 原 爆 の 基 礎 知 識 な し に 長 崎 復 興 史 の 授 業 を す る こ と は や や 難 し い テ ー マ で あ っ た 。 今 回 は 単 発 の 授 業 で あ っ た か 、 数 回 に わ た り 時 聞かかけて「基礎知識の理解」から「被爆当時の様子」、「現在の復興状況」など を 理 解 す る よ う な 授 業 構 成 、 カ リ キ ュ ラ ム 構 成 が で き る と よ り 効 果 的 な 授 業 に な るのではないかと感じた。
今回、単発の授業ではあったものの、「復興」という同じテーマをもとに長崎の 原 爆 か ら 教 訓 を 見 出 す こ と が で き た こ と は 貴 重 な
E S D
教育の試みであった。また、未曾有の被災から復活・復興ができる、「人のもつ強さ」を伝えることはできる、
と い う 思 い は 確 固 と し て 得 ら れ た 。 こ れ ら の
E S D
教 育 の 手 法 を 上 手 く 活 用 す る こ と で 、 長 崎 の 原 爆 被 災 か ら 学 ぶ 「 持 続 可 能 な 開 発 や 復 興 」 の 教 材 作 り が 可 能 で は な い だ ろ う か 。 長 崎 の 原 爆 被 災 か ら 福 島 の 復 興 へ と テ ー マ を 広 げ たE S D
教材作り を今後の課題にして行きたい。最 後 に 、 長 崎 の 原 爆 被 害 の 経 験 は 児 童 に と っ て 重 要 な 教 材 と な り 得 る こ と を 改 め て 実 感 す る こ と が で き た 。 ま た 、 同 じ 事 実 を 教 材 化 す る に し て も 、 授 業 を 受 け る 子 ど も た ち の 児 童 観 や そ の 地 域 の 特 色 な ど 様 々 な 背 景 を し っ か り と 理 解 し た う え で 教 材 化 し な け れ ば な ら な い 、 と い う こ と も 理 解 を 深 め た 。 子 ど も 達 に 学 ん で もらうだけでなく、教師側も学ぶという姿勢、そして授業を型にはめることなく、
常 に ニ ー ズ に 即 し て 変 化 さ せ る 「 柔 軟 な 教 師 の 姿 勢 」 は 重 要 で あ る 。 こ れ ら の 点 は
E S D
教育が持つ大きな特徴である。本実践を遂行するにあたり、川│内村の遠藤雄幸村長、秋元正教育長、塙広治校 長には多大なご指導を頂いた。ここに記し、感謝の意を表す次第である。
参 考 文 献
1 . 中 山 修 一 、 和 田 文 雄 、 高 田 準 一 郎 : 持 続 発 展 教 育
( E S D )
としての地理教育、E ‑j o r n a 1 G E O
,V o
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2 .
佐 藤 真 久 、 阿 部 治 監 訳 :D E S D
国 際 実 施 計 画f E S D ‑ J 2 0 0 5
活動報告書」、持続可 能 な 開 発 の た め の 教 育 の1 0
年 推 進 会 議( E S D ‑J )
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教 材 活 用 ガ イ ド ー 持 続 可 能 な 未 来 へ の 希 望 一 、 ユ ネ ス コ ・ ア ジ ア 文 化 セ ンタ一、 pp.