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乃e γaf ncJeガfGnBeCe 』

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(1)

ギ リーズ 『 古代 ギ リシアの歴 史 』 にお けるク レオ ンの描 き方 堀 井 健 一

CleoninJ.GilliesT

乃e

γa f A nc J e ガfGn B e C e

Ken‑ichiHORII

はじめに

ジ ョン =ギ リーズ

( 1 7 4 7‑1 8 3 6

年 ) は全

8

巻 の 『古代 ギ リシアの歴 史』(

乃e

γ

a f A

n血

tGr i e e r e ,J ' t sco / U n J b s ,md

a

nq ue s

ts) を著 した。最初 は

1 7 8 6

年 に ロン ドンで

2

巻本 と して刊行 され たが ,その後

8

巻本 にな った(1)。 この著作 は ,かつ て人気 があった し, 読み物 的で あるが幾 分仰 々 しい文体 で書 かれた と評 され てい る(2)

本稿 は ,近代西洋 人 が古代 アテネの民主制 をどの よ うに理解 して きたか を探 る研究の一 部 と してギ リーズの 『古代 ギ リシアの歴 史J を題材 と して取 り上 げ ,手始 めに彼 が古代 ア テネの民主制時代 の政治家 ク レオ ンをどの よ うに描 いたか を追求す る試みで あ る。

西洋近代 人 が古代 アテネ民主制 をどの よ うに理解 して きたか を探 る研究 には ロバ ーツの 近著 で古代 ギ リシアの時代 か ら現代 まで通 史の形 で論 じた先行研究 が あ るが ,ギ リーズの 著作 に関す る彼 女の言 及 は 1ペ ージに も満 たない(3)。 ロバ ーツはギ リーズの著作 につ い て ,古代 アテネ民主制 が野蛮で気 ま ぐれ ,揮猛 でみだ ら,民衆 によ る貴族 に対す る借主制 の性 質 を有す ることを彼 が繰 り返 し述 べ ,自国 イギ リスの世襲の王 たちによる統治 の優位 をジ ョ‑ ジ3世 に説 くことを狙 って い る と概 説 す る(4). ギ リーズの著作 に関す るロバ ー ツの言 及は短 い もので あ るので ,彼の ク レオ ン観 につ いては まった く言及 がない。

古代 ギ リシアの政治家 ク レオ ンは ,これ まで しば しば民主制期 アテ ネのデマゴーグの一 人 と評 されて きた。 ク レオ ンは ,彼 と同時代 の代表 的政治家のペ リク レスやニキアズが貴 族 の 出で あったの に対 して ,非上層民 出身で あ りなが らペ リク レスやニキアス らを公然 と 非難 した り して彼 らに対抗 しよ うと し,時 にはニ キアスに代 わ って将軍 と して軍事遠征 に 出かけ るな ど した。彼の その よ うな無鉄砲 さと民衆寄 りの指導者 と して振 る舞 っては上層 市民 を苦 しめ た行動 は ,同時代 の喜劇詩 人 ア リス トフ ァネスによって しば しば喜劇作 品中 の噸笑の的 に され た。 さらにはスパル タの常勝将軍 ブ ラシダス と張 り合 い ,ついにはア ン フ イポ リスの戦 いで彼 の軍 によって敗北 し戦死 したO ク レオ ンのデマ ゴーグぶ りは ,周知 の とお り,従来 ,アテネ民主制 の欠点 と して近代西洋人 たちによって しば しば指摘 されて きた。近代西洋人 たちが古代 アテネの民主制 をどの よ うに理解 して きたか を探 る際 ,しば しばデマ ゴーグ と して評 されて きたク レオ ンの人物像 が近代西洋 人 によって どの よ うに形 成 されて きたか を把握 す る必要 があろ う。近代 人 によ って描 かれ た ク レオ ンの人物像の形 成 過程 を把握す ることによって彼 の実像 と描写 され た人物 像 との違 いが明 らかにな る可能 性 が あ る し,そ して もしかか る違 いが明 らかになれば ,彼 の人物 像 と関連性の あるアテネ 民主制観 も改 めて検討 し直す必要 が生 じて くる可能性 があろ う。 この よ うな問題意識 を持 ちなが ら,ギ リーズがかか るク レオ ンをどの よ うに彼 の r古代 ギ リシアの歴 史Jの中で描

(2)

2 ギ リーズ 『古代 ギ リシアの歴史』におけるクレオ ンの描 き方 いたかを探 る試みは ,有益ではなかろうか。

以上の点 を考察す るために ,本稿 では先ず初 めにギ リーズの生涯について簡単 に紹介 し, 次 に彼 がクレオ ンをどの ように描 いたかを具体的に彼の記述 に沿 って明 らかにす る。

第 1葺 ギ リースの生涯

ギ リーズの生涯について以下では物 afNadomdBkg 2y

Z h v

に従 って述べ る。彼 は,1747年 にフ ォーフ ァーシャーの ブ レチ ンで生れ ,グ ラスゴー大学では病気のギ リシ ア語教授 に代わ りギ リシア語 を教 えた経験 がある。大学時代 に 「古典文学研究の擁護」 を 執筆 し,それが定期刊行物 らしい ものに印刷 された。その後 ,ロン ドンで文学研究 に努め るなど した後,1784年 に法学博士 の学位 を得 た。1793年 にスコ ッ トラン ドの王室歴 史編 纂宮 に任命 され た。 それ以前の1786年 に 『古代 ギ リシアの歴 史

J

2巻 を刊行 し,その書 は以後 ,巻数 が増 して版 を重ね ただけでな く,フランス語訳や ドイツ語訳 も刊行 され た。

他 に ,ア レクサ ン ドロス大王 か らア ウダス トウス までの r世界 史

1

2巻 (1807年) と, 訳書 と して Fリュシアスとイソクラテスの弁論

J

(1778年)

,

Fア リス トテ レスの倫理学お

よび政治学

(1797年)

, r

ア リス トテ レスの弁論術

j

(1823年)がある (5)0

ギ リーズの 『古代 ギ リシアの歴 史jには同時代の書 としてウ イリアム ‑ミ トフォー ドの rギ リシア史』 (乃e物 afGJlea]e)全10巻があるが ,後者 は1784年 に第1巻 が刊行 されたに もかかわ らず1810年 まで完結 しなかったので (6),このギ リーズの著作 は , ミ ト フォー ドの ものほ どではないか もしれないが ,読 まれ たと思われ る。

2

章 ギ リーズ 『舌代ギ リシアの歴史』 におけるク レオ ンの描き方 第 1飾 ミュテ ィレネ人処遇時のク レオ ン

レスボス島の ミュテ ィレネ人の処遇問題 はペ ロボネソス戦争の最 中の前427年7月の出 来事であったo歴 史家 トウキュデ ィデスの r歴 史』 (Th

uc ydi de s

,HJbtuJZb'〔以下 nuc.と 略す

〕 )

の第3巻36‑ 49章の中で詳述 されてい る。前年の6月に元 はアテネ陣営であっ た ミュテ ィレネを含む レスボス島の諸ポ リスがアテネか ら離反 したが ,アテネはその鎮圧 のために軍 を派遣 し,前427年6月に ミュテ ィレネを降伏 させ た (7)。 その直後に ミュテ ィ

レネ人 をどの よ うに処罰す るかがアテネの民会で審議 され ,い ったんは ミュテ ィレネ人男 性市民の全員の処刑 と婦女子の奴隷化が決議 されたが ,翌 日になって再び民会 が開催 され 再審議 された上 ,前 日の決議 を覆 して ミュテ ィレネ人の命 を救 うことになった。

この ミュテ ィレネ人処遇問題の一件 は ,アテネ民衆 が民会で前 日の決議 とはまった く正 反対の決議 を行 なったことか ら,アテネ民衆の気 まぐれ さを示唆す る例 として しば しば歴 史家たちによって指摘 されて きた。 この結果的に

2

日続いた民会で クレオ ンは一貫 して他 の同盟諸国に対す る見せ しめ として ミュテ ィレネ人男性市民の処刑 をアテネ民衆 に要請 し た。

2

日目の審議の 中でデ ィオ ドトスがクレオ ンの意見に反対す る意見 を説いて前 日の決 定 を覆 し,その結果 ,ミュテ ィレネ人は命 を救われ た。 この一件 は ,クレオ ンの無慈悲 さ

(3)

を示唆す る例 と して もしば しば歴 史家 たちによって指摘 されて きた。

ギ リーズは , ミュテ ィレネ人処遇問題の時の クレオ ンをどの よ うに描 いたか。彼 は ,そ の間題 を審議 したアテネ民会 につ いて

2

日目の話 か ら述べてい る。 そ してギ リーズ(8)は , ク レオ ンがその前 日の民会で は 「ミテ ユ レネ 〔ママ〕 (9)に対す る血 な ま ぐさい条令 を提 案 して通過 させ た」と記 してい るが ,その箇所 ではその ク レオ ンについて 「乱暴 なデマゴー グ」で あ り 「横柄 なず うず うしさ」 を持つ と説明す るだけでな く,彼 とアテネ民衆 との関 係 につ いて次 の よ うな説 明 を行 な ってい る す なわち ,「騒 々 しくて猛烈 な雄弁 さが厚 か ま しい不品行の クレオ ンを生活の最低の地位 か らアテネ人の民会の 中の高い程度の権威者 へ と萱 らせ た。大衆 は彼の巧み さによってだ まされ ,彼の厚顔無恥の生意気 さを喜んだ し,

また彼 らはその生意気 さをごまか しのない大胆 さと,そ して男 らしい率直 な性格 と呼 んだ。

彼の態度 に大衆 は ,その態度 が自分たち自身の ものに似 てい るの に比例 して賛成 した。 そ して彼の不徳の最悪 の ものが ,彼の うわべ だけの愛国心のお先棒 たちの間で支持者 たちを 見出 した」とで ある(10)。要す るにギ リーズは ,ク レオ ンの人 とな りにつ いて乱暴 なデマ ゴーグ ,生れの卑 しい成 り上が り者 ,横柄 で図々 しい ,厚顔無恥 で生意気 ,不徳の最悪の もの を持つ者で あ り,アテネ民衆 にはかか る彼の性格 が大胆 で男 らしい率直 さを持つ者 と して好意的に映 った と述べ る。続 いてギ リーズ(ll)は ,クレオ ンが前 日に自身が提案 した「残 虐 な法案」 を支持 し通 そ うと し,デ ロス同盟の運営 に必要 な安定 さを持 ちえない自国民の 弱気 な勧告 をとがめたと述べ る。

他方 , ミュテ ィレネ人の処遇問題 を討論す るアテネ民会 につ いて記述す る トウキュデ ィ デスは ,前述 のギ リーズの記述 に相 当す る箇所の 中で クレオ ンが市民の 中で最 も乱暴で あ るが民衆派の 中で最 も説得力の ある人物 で あると述べてい るが ,彼 によるクレオ ンの人物 評 はただそれだけにす ぎない (n uc.,3.36.6)。従 って ,前述の ギ リーズの クレオ ン評 は トゥ

キュデ ィデス史料 か らはなはだ逸脱 してい ると言 わ ざるをえない。

ところで , トウキュデ ィデスは2日目の民会 につ いて ,クレオ ンの演説 とそれに対す る デ ィオ ドトスの反論 を伝 えるが ,彼 がデ ィオ ドトスの反論 を引用 しよ うとす る際 に彼 をど の よ うに紹介 したか と言 えば ,彼 が前回の民会で ミュテ ィレネ人への死刑 申 し渡 しに特 に 反論 した と紹 介す るに過 ぎない (Thuc.,3.41)。 それ に対 して ,ギ リーズ は ,デ ィオ ド ト スの反論 につ いて言及す る際 ,それに先立 って行 なわれ たク レオ ンの演説 を 「血 に飢 えた 演説

と述べ る し,他方でデ ィオ ドトスにつ いては 「適切 な節度 ある心 ,加 えて政治 につ いて深 い造詣 ,人間性 に対 して深 い洞察 力 を生 まれ なが らに持 った男」 で あ り

,

「立派 な 弁論家」 で あ り,彼 が 「あえて ミテユレネ人 〔ママ〕 たちの大義 を弁護 して人間の諸権刺 を主張 した」 と紹介す る(12)O ここでギ リーズは明 らかに , トウキュデ ィデスによって引 用 され たデ ィオ ドトスの演説 を読 んだ後の印象 を添 えて記述 してい るo また ,ギ リーズは , 人名のデ ィオ ドトス (Diodotos)をデオ ダ トス (Deodahs)と誤記 してい る(13)

また ,デ ィオ ド トスの演 説 が行 なわれ た後 に採 決 が行 なわれ ,彼 の主張 がわず かの差 で ク レオ ンの主張 よ り得票 を得 て ,前 日の ミュテ ィレネ人へ の死刑 申 し渡 しが破棄 され た (Thuc.,3.49.1) これ に関 して トウキ ュデ ィデ スは ,ク レオ ンの論 とデ ィオ ド トスの 論 が最 も相反 した もので あった ことと採決の結果 が僅少差 で あった ことを伝 える (Thuc., 3.49.1).他方 ,ギ リーズ(14)

,

「デオ ダ トス 〔ママ〕の節度 と良識 (それ は ク レオ ンの 影響 で あった)が単 なるわずかの過半数の表決 によって承認 され た」 と述べ ,デ ィオ ドト

(4)

4 ギ リーズ 『古代 ギ リシアの歴史Jにおけるクレオ ンの描 き方

スが節度 と良識の ある演説 を行 なったのはクレオ ンの演説 に反応 したことに起 因す るもの であることを示唆 して ,デ イオ ドトスの良識 とクレオ ンの非常識 を対比 させ ることを試み てい るかの ごとくで ある。

第2節

スフアクテリアの戦いのクレオン

前425年夏のスフアクテ リアの戦いに至 ったのはその直前の ピュロスでの戦 い とその休 戦協定の破棄によるもので あったが ,アテネとスパル タの休戦協定が破棄 され たのは ,トウ

キュデ ィデスの記述 によればクレオ ンのせいであった (1nuc.,4.21.3,22.2)0Th

uc .

,4.21.3 の中で トウキュデ ィデスは ,クレオ ンの ことを民衆指導者 (demag6gos)であ りその時 に は大衆 に対 して最 も説得 力がある (pithan6tatos)人物 と表現 してい る. これ に関連 して ギ リーズ(15)は ,結果的にアテネ とスパル タの休戦協定の破棄 に至 る両国の アテネでの交 渉時 につ いて 「クレオ ンの激 しさによってそそのか されて ,彼 ら 〔アテネ人 たちの こと, 引用者注〕 は使節 たちに大 いに倣憎 な態度 で もって返答 した」 と解説す る。 この箇所の ギ リーズによる叙述 は ,「アテネ人 たちの横柄 な要求」 (16)と副題 が付 いてい る。 そ して アテネ人たちのスパル タ使節 に対す る要求が結局 アテネとスパル タの休戦協定の破棄 に至 る過程 については , トウキュデ ィデスが n

uc .

,4.21.3‑23.1の中で比較的詳述 しているのに 対 して ,ギ リーズ(17)は ,n uc.,4.21.3の 中で伝 えられているアテネ人側の要求の内容 に ついて単 に簡潔 に述べた後 ,この件 についてはアテネ人側 には正義の証左 としてスパル タ 軍船の返還 が期待 されたの に様 々な口実 を理由に彼 らがそれ を拒否 したので ,両国の間の 関係 が再び敵対的 となったと述べ る。その際 ,ギ リーズ(18)は ,脚注の中でその口実 につ いて トウキュデ ィデスの一節 をその まま,一部 は英訳 して一部は原典のギ リシア語の まま に して ,引用 して示す とともに ,その口実 を理由に してアテネ人たちが軍船の返還 に反対

したと 「トウキュデ ィデスは ,彼のいつ もの不偏不党 さで もって ,語 る」 と解説す る。 こ の箇所でギ リーズはあたか も,問題の事件 についてのアテネ人の要求の横柄 なことは トウ キュデ ィデスの指摘す るとお りであると言お うとしてい るかの ごとくで ある。

次 に ,クレオ ンがスフアクテ リアへ遠征す ることを決議す る民会の件 について検討す る。

スフアクテ リアのスパル タ軍の情勢 がアテネ軍勢 に不利 になったのではないか とい う懸念 がアテネ本国に伝 えられ ると,先 にスパル タの使節団を追い返 したク レオ ンの立場 が悪 く なった (nuc.,4.27.2‑3)O この後の ク レオ ンの一連の行動 は ,最初 は現地視察団の派遣の 要請 を行ない ,その視察団の‑貝に自分が選ばれ ると,次 に視察団ではな く将軍 と増援軍 の派遣の要請 を行ない ,将軍のニキアスがそれ を固辞す ると,最終的には民衆の声 に応 じ て自身が軍 を率いて遠征 に出かけ (nuc.,4.27.3‑29.1),最終 的にはス ファクテ リアの戦い に勝利 して本国に凱旋す ることになる。

ところで ,ピュロスの戦況の良 くない ことがアテネに報 じられた時の件 につ いてギ リー ズ(19)は ,その報告 がアテネ民会 に動揺 をもた ら し

,

「多 くの者 がデモステネスに対 して やかましく反対 した。幾人かはクレオ ンを責めた」 と述べ る。他方 ,この件 について トエ キュデ ィデスは ,アテネ民衆 によるデモステネスへの抗議 については言及がない し,また 幾人かの アテネ市民 がクレオ ンを責 めた とは記述せず ,彼 に疑念 が向け られた と述べ るに とどまっている (Th

uc .

,4.27.3)。 また ,プル タル コスは ,この件のい きさつ に言 及す る中

(5)

でアテネ人たちがクレオ ンに対 して怒 りを抱いたと述べ るもののデモステネスに対す る反 対 については何 も述べていない (Plutarchos〔以下Plut.と略す〕,

肋 7. 2)

0

さて ,ピュロスの戦況報告 を受 けた後の クレオ ンの対処の仕方 をギ リーズはどの ように 述べてい るのか。ギ リーズ(20)によれば

,

「その絞滑 なデマゴーグは ,自分の反対行為 が 主 としてスパル タとの有利 な和平 を妨 げて きたので ,その知 らせ を信 じないふ りを し,そ してその誤報 を検証す るために折 り紙付 きの信頼のある男たちをピュロスに派遣す ること を勧告 した」。 この箇所でギ リ‑ズによってクレオンには 「毅滑 なデマゴーグ」とい うレッ テルが貼 られている。 また ,この件 を伝 える トウキュデ ィデスは ,クレオ ンが ピュロスの 戦況 を伝 える報告 を信 じよ うとしなか ったと述べ るものの ,その報告の検証のために使節 の派遣 を勧告 したのはクレオ ンその人ではな くピュロスか らの使者 たちであったと述べ る (nuc.,4.27.3)。なぜ な らば , トウキュデ ィデスによれば ,その使者 たちは ,アテネ人た ちに対 して自分 たちの報告が信 じられないな らば確認のために現地へ行 くことを勧 めたか らである (Thuc.,4,27.3)し,また現地への視察 が行 なわれ るな らば ,ピュロスの戦況の 不利 が確認 されて ます ます クレオ ンの立場 が悪 くなるか らである (Thuc.,4.27.4)。 この よ うにクレオ ンが現地への視察団派遣 を勧告すれば自身の立場 を危 うくす ることになること は,ギ リーズ自身 もnuc.,4.27.3の叙述か ら知 り得てお り,後の方の箇所の中で 「その と ぼけた奴 〔クレオ ンの こと,引用者注〕は自分 自身の術策のお先棒 になることを恐れた。

彼 は ,もし自分が ピュロスに行 くな らば帰国時にその知 らせの異であることを認 め ,次 に 目前の恥 じに甘ん じなければな らないか ,あるいは うその知 らせ をでっち上げて ,次に将 来の刑罰に さらされなければな らない ことに気づいた」と述べている(21)。従 って ,ギ リー ズがなぜ初 めの方の箇所で クレオ ンがいずれ 自身が困 ることに至 る現地視察団の派遣 を勧 告 したと記 したのかは理解 に苦 しむ ところである。

ところで ,ギ リーズ(22)は ,その後 クレオ ンが現地視察団の派遣 を回避す るためにその 代わ りに将軍が男であるな らば数 日の うちにスファクテ リアを奪取で きる し,自分が将軍 で あるな らば最初の攻撃で奪 えると公言 した し

,

「これ らのいやみな意見は主 としてニキ アス,現に民会に出席 していた将軍 たちのひ とり,に対 して向け られた」 と述べ る。 この 箇所のギ リ‑ズの記述 は大筋ではThuc.,4.27.4‑5の中の記述 に沿 ったものであるとい える。

だが , トゥキュデ ィデスの記述 が この箇所以降 で淡 々 と事の成 り行 きを述べ るのに対 し て ,ギ リーズはその後

,

「ニキアスの性格」 とい う副題 を添 えてニキアズの人柄 を解説す

る。す なわち ,ニキアスは

,

「有徳 であるが臆病な気質の持 ち主であ り,並みの能力 ,そ して過度の富 を持 っていた」人物 であり,また 「貴族制の熱心 な支持者で ,クレオ ンの敵 と公言 した人で あ り,彼 を自国の中で最悪の敵 と見な していた」 とで ある(23)。 この箇所 でのギ リーズの狙いは ,ニキアスなる人物 がそれ まではほ とんどアテネの政泊の面では表 舞台に登場 しなかったけれ ども,ここではクレオ ンの敵対者 として重要 な役割 を演 じるの で ,また,周知の とお り,彼 が後にシケ リア遠征の敗北 を招 く将軍 としてアテネの政治史 の中で肝要な役割 を演 じることになるので ,読者の便 を図 って彼の人柄の紹介 を行 なお う としたことであろう。そのために彼 は , トウキュデ ィデスの淡 々 と事件 を伝 える記述 を離 れて ,クレオ ンの人柄の紹介に話 を転 じたと思われ る。なお ,ギ リーズによる 「ニキアス の性格」 と窟す る叙述の内容 は ,トウキュデ ィデス r歴史J とプル タル コス rニキアズ伝J によって描 かれ るニキアズの請行為などを知れば一般 に得 ることので きる事柄であり,珍

(6)

6 ギ リーズ 『古代 ギ リシアの歴 史Jにおけるクレオ ンの描 き方 奇 な ものではない と思われ る。

さて ,次 に ク レオ ン とニ キ ア スの 間 で責任 の押 しつ け合 い が始 ま るの で あ るが , こ の件 につ いての ギ リーズの叙述 (24)は ,アテ ネ人 たちが

いつ もの放縦 さを民会 に章延 させ なが ら」 ク レオ ンに対 して ス フ アクテ リア攻 撃 の企 て がそれほ ど容 易で あ るな らば 彼 に似 合 いで あ る と大声 で叫 ん だ と述 べ て い る。 この件 につ いて トウキ ュデ ィデ スは , ア テ ネ人 た ちが ク レオ ンに対 して遠征 が容 易 なの に まだ出航 して い ない と怒 り始 め た (hypothorybein)と述 べ る (n uc.,4.28.1)し,プル タル コス も,アテ ネ民衆 が ク レオ ン に対 してなぜ 出航 しないのか と言 った (eipein)と述べ る (Plut.,Nkxbs7.3).ギ リーズの 叙述 と彼 に とって史料 となる トウキュデ ィデスお よび プル タル コスの叙述 を比較す るな ら ば ,ギ リーズがアテネ民衆の放縦 さを明言 してい ることが際立つ。

また ,ギ リーズ(25)は ,その件 に続 いて 「ニキアスは立 ち上 が って ,す ぐさま彼 に指揮 権 を譲 ることを申 し出 た

と述 べ る。 この言 い回 しは見 た ところPlut.,Nkxbs7.3の とお りで あ り,nuc.,4.28.1が ,ニキアスが クレオ ンに欲 しい分 だけ軍勢 を率 いて企 ててみ る よ うに言 うだけで あるの とは表現の仕方 が異 なってい る。従 って ,かか るニキアス とクレ オ ンの議論の応酬の件 は ,ギ リーズが トウキュデ ィデス とプル タル コスの両者の叙述 を念 頭 において描 いてい ることが分か るので ,彼 が この件 を比 較的丁寧 に描 き出 そ うと試み た

と考 え られ る。

さて ,クレオ ンとニキアスのや り取 りの その後 は ,ニ キアスがスフアクテ リア攻撃の指 揮権 をクレオ ンに譲 ると申 し出 たので ,クレオ ンは事態 がその よ うに進 む とは思わなか っ た もので あるか ら攻撃の ための出航 を拒否 しよ うとした (Tbuc.,4.28.2‑3). この件 につ い てギ リーズ(26)は ,大筋では トウキュデ ィデスとプル タル コスの叙述 と同 じで あるものの , ク レオ ンが出航 を引 き受 けた くないので 「後 ろへ退

いた し

,

「アテネ人 たちが ,大衆 に ふ さわ しい意地 の悪いか らかいで もって ,ク レオ ンに間近 に押 し寄せれば押 し寄せ るほ ど, ます ます熱心 に彼 は退いた」 と述べてお り,この点で2人の古代著述家 とは言 い回 しが異 な る。 そ してギ リーズ(27)は ,ク レオ ンが 「つ いに彼 ら 〔アテネ民衆 の こと,引用者注 〕 の しつ こ さに負 けた」 が ,次 に彼 が厚 か ま しさを表 に出 して

,

民会の真 ん中に進み

,r

分 は ラケダイモ ン人 たちを恐 れ ていない。20日以 内で ,スパル タ人 た ちを囚人 と して ア テネに連れて くるか ,あるいは試みて死 ぬか を約束す るj と宣言 した」 と叙述す る。従 っ て ,ギ リ・‑ズは ,ク レオ ンに まず は少 しずつ後退 させ ,次 には彼 を 「民会 の真 ん中に進

ませてい るので ,彼 の厚 か ま しさを強調す ることと読者の ために叙述場面の劇的効果 を高 め ることを試み た と思われ る。 さらに ,ギ リーズ(28)は ,かか るクレオ ンの発言 に関連 し て

,

「この英雄 の よ うな言 い回 しは大衆 の間で笑 い を誘 った」 と述べ る。 アテネ市民 たち が クレオ ンの発言 に応 えて笑 ったことはそれ だけで読者の クレオ ン観 を悪 くす るもので あ るが ,n uc.,4.28.5の 中には 「空疎 な大言壮語 による笑

い」

がアテ ネ人 たちの間 に起 こっ た と,そ してPlut.,他

7

.4の 中には 「大笑 い した」(gelanmega)とい う記述 がある。従 っ て ,この件 につ いてはギ リーズが クレオ ンの評判 を落 とす ために しっか りと トウキュデ ィ デスおよび プル タル コスの叙述 に沿 って叙述 を進 めた と考 えられ る。

ところで ,ク レオ ンによ るス フ アクテ リア攻撃 の事件 につ いてで あ るが ,この件 につ いてギ リーズ (29)は ,その地 での スパル タ人の捕獲の 「出来事が偶然 によって急 に起 こっ た」 と述 べ る。つ ま り,それ まで戦地 を覆 ってい た森林 が偶然 の火事 に よって大部分 が

(7)

焼失 して しまい ,ギ リーズ(30)によれば 「この予想 され なか った惨 事 に よってスパル タ人 たちの兵力 と位置 が白 日の下 に晒 され た」ので ,その戦地 にいた将軍 デモステネスの アテ ネ軍 に とって戦況 が有利 となったのである。 この森林火災がアテ ネ軍 に有利 に働 いたこと は Thuc.,4.29.2‑4& 30.213の 中で指摘 されてい る。ギ リーズは ,かか る トウキュデ ィデス の記述 に基づ いて ,クレオ ンの望 んでいたスパル タ人の捕獲 が 「偶然 によって急 に起 こっ た」 と述べ たので あろ う。だが

,Pl u

t.

, 他 8 . 1

は ,クレオ ンがス フアクテ リアの戦 いで

「運の良い巡 り合 わせ を享受 してデモステ ネス とともに最 もうまく将軍職 を務 めた」 と述 べてい る。他方 では ,

Thuc .

,4.29.2は ,当時の クレオ ンがアテネを出国す る前 に ,森林火 災によって有利 になったデモステネスの アテネ軍 がスパル タ軍 に まさに攻撃 を仕掛 けよ う と していた情況 をすでに知 っていたので ,彼 を僚将 に選んだ ことを述べ る。かか る トゥキュ デ ィデスの記述 は ,ク レオ ンがアテ ネ民会の席 で20日以内 にスパル タ人 を敗北 させ て本 国に連れ帰 ると公言 したことがあながち彼の大言壮語 ではなか った ことを読者 に気づかせ る ものではなか ろ うか。 もしその よ うに当時の諸事 が進ん だので あれば ,その時の クレオ ンは ,冒険の要素 が大であることに変 わ りがない ものの一部 は利 口な決断 を下 したことに な りは しないか。 さすれば ,ギ リーズの叙述 が ,前述のプル タル コスによるクレオ ンへの 良い評価 はおろか ,クレオ ンが前述の理由か らデモステネスを僚将 に選 んだ ことを伝 える トウキュデ ィデスの叙述 に も一切言 及 していない ことは,彼 が自分の読者 に対 して クレオ ンの評判 を落 とす よ う誘導す ることに腐心 して彼の良 さを示唆 す る記述 を故意 に記 そ うと しなか ったことを示唆す るで あろう

なお ,スフ ァクテ リアの戦 いの後 ,スパル タ人はアテネに和平 を申 し入れ たが ,アテネ 人は これ を退 けた。 この件 につ いてギ リーズ(31)は ,アテ ネ人 がスフ アクテ リアの戦いの 勝利 とい う幸運 によって野心 が助長 され ,ク レオ ンの煽動 もあ り,スパル タ人使節 を 「以 前 よ りも横柄 に追 い返 した」 ことと,そ うい うふ うに 「尊大 なデマゴーグの意見に従 った」

ことを述 べ る。

3

アリス トフアネスによって描かれたクレオン

クレオ ンは ,ア リス トプ アネスの書劇作 品の 中で笑いの種 と して登場 す る。主 に前425 年の レナ イア祭で上演 され た『アカルナ イの人々

,前424年の レナ イア祭で上演 され た『騎 士 』,前422年の レナ イア祭 で上演 され た 『蜂』 が これ にあた る。 この ア リス トフ ァネス によるクレオ ン攻撃 についてギ リーズは ,題材 と して F騎士』 を取 り上 げて言及す る。初 めにギ リーズ(32)は ,ア リス トプ アネスの喜劇 にお けるクレオ ンにつ いての描写 について

「クレオ ンの性格 と政治 を最 も大胆 な厳 しさを もち, しか も最 も辛錬 な噸笑の刃先 によっ て鋭 くなった試刺で もってや り込 めた」 と総括的 な言 及 をす る。

続 いて ,ギ リーズ(33)は ,スフ アクテ リアの戦 いに勝利 したクレオ ンについて 「悪名高 い臆 病者 が運の気 まぐれ に よって勇敢 で成功 を得 た指揮官 に変身 した こと」 が ア リス ト フ アネスの書劇作家気質 に適 した話題 であ るとともに ,この 「倣悼 なデマゴーグ」 が劇作 家の憤 りを招 いたので ,劇作家 が 「ク レオ ンの無能 さと横柄 さを,共和国の国事 を混乱 さ せ る不誠実 な身勝手 さとともに ,非難」した と述べ る。 そ してギ リーズは ,その劇作家の『騎 士』の 中にみ られ るクレオ ン攻撃 について説明す る。彼 によるその喜劇 につ いての説明(34)

(8)

8 ギ リーズ r古代ギ リシアの歴史]におけるクレオ ンの描 き方

は ,その劇の あら崩の紹介 とい うよ りも,前半 はクレオ ン,ニキアズ,デモステネスのや り取 り,後半 はニキアズとデモステネスが豚肉屋のアゴラク リ トスを担 ぎ上げてクレオ ン と張 り合わせ ることを簡潔 に報告す るのみである。その報告の特徴 として筆者が注 目した いことは ,ギ リーズが,その喜劇の中で 「アテネの民衆 は ,気 まぐれな老いぼれにたとえ て描かれ」てお り,その民衆 が 「軽信 さ」 を有す ると指摘す る し(35),さらには別の箇所 で 「老いぼれ ,あるいはむ しろ彼が代表 となっているアテネ人たち,が ,最後 には自分 た ちの過去の誤 りを認める」 と述べてアテネ民衆の気 まぐれ と軽薄 さを明 らかに指摘 してい る (36)ことである。かかるギ リーズの叙述の仕方 は,ア リス トファネスの喜劇作品 を通 し て クレオ ンを非難す るだけでな く彼 によって煽動 されたアテネ民衆の愚 か さを指摘 しよう

と試みているように思われ る。

なお,ア リス トプアネスによるクレオ ンへの攻撃 は ,他に rアカルナイの人々」 と r蛙 l の中で もみ られ るが ,ギ リーズはこれ らの2作品については言及 していない。

第4瀬

アンフイボリスの戦いのクレオン

休戦条約の期限が切れ るとまもな く,前422年夏にクレオ ンは トラキア遠征 をアテネ民 衆 に説いて遠征 に出かけたo彼 が トラキア遠征 に出かけた時の様子 は n

uc .

,5.2.1によっ て報告 され るが ,その報告 は 「さて休戦 が終 わ ると,クレオ ンはアテナ イ人 を説得 して ,

トラキア方面の諸地方へ向けて ,遠征のために出航 した」 (藤縄謙三訳)(37)と述べた後 , その軍勢の各種兵力の規模 を付言 しているだけであ り,まさに事件の経過 を淡 々と伝 える のみである。

他方 ,ギ リ‑ズ(38)は Th

uc .

,5.2.1の中の記述 に該 当す る個所で

,

「ブラシダスの積極的

な勇猛 さが和平の確認 を妨 げ るの に対 して ,他方 でク レオ ンの故意の卑劣 さが戦争の再 開 ,あるいはむ しろ継続 ,を促 した。 アテネの栄光が彼の演説の永遠の主題であった。彼 は ,自分の同国人たちにスパル タの不誠実 さを罰す るよ うに熱心 に説 き,メンダ 〔ママ〕

とスキオネの倣慢 な離反 をそそのか して させ た。 さらにはかつてペ ロボネソスの海岸で用 いて非常 に成功 した彼 自身の技術 と勇敢 さを使 って ,マケ ドニアでの彼 らの落 ち目の将来 を修復す るようにと説いた。アテネ人たちは この乱暴 な熱弁家の まことしやかな忠告に耳 を傾 けたので ,彼 は ,次の春に ,マケ ドニアの海岸 に向けて30隻の軍船,1,200 人の垂装 歩兵市民,300頭の騎馬隊 ,軽装兵の援軍のた くさんの集団 とともに出航 した」 と述べ る。

彼の記述の特徴 を挙 げると,(1)前置 きとしてのブラシダスとクレオ ンの対比の記述∴(2) クレオ ンによる トラキア遠征の提案の狙 いの詳述,(3)クレオ ンの提案 に対す るアテネ民 衆の反応 についての説明 ,の

3

点がある。以下で この

3

点について検討す る。

(1)前置 きとしてのブラシダスとクレオ ンの対比の記述 については,先ず初 めに トウキュ デ ィデスの記述の面か ら検討す る。確 かに nuc.,5.2.1の 中の記述 は,前述の とお り,辛 件の経過 を淡 々と伝 えるのみであるけれ ども,本来 クレオンが トラキア遠征 に出かけるこ とになった原因は ,前424年晩夏か らスパル タ人の将軍 ブラシダスがテ ッサ リアに入 って アカン トスをデ ロス同盟か ら離反 させ (Thuc.,4.78‑88),晩秋 にアテネ人ハ グ ノンの建設 ポ リスであるア ンプイポ リスを攻略 し (

Tbuc .

,4.102‑106),冬か ら翌年の春 にかけて アク テ半島 と トロネを攻略 して (Th

uc .

,4.109‑116)エーゲ海の北岸のアテネ陣営の要所 を奪取

(9)

したので ,戦争の形勢がアテネ側 に不利 になっただけでな く,その後の前423年夏に一年 間の休戦条約 が締結 され た ものの (nuc.,4.117‑119),ブラシダスの活躍 に刺激 され たス キオネとメンデが ,スキオネに至 ってはブラシダスを招 き入れて ,アテネ側 か ら離反 して ブラシダス側 につ き (Thuc.,4.120‑123),他方でアテネがそれ を奪還 しよ うとす る (¶ luC., 4.129‑131)な ど,スパ ル タとアテネの間の関係 が非常 に熱 い戦闘状態 に陥 った ことにあ

る。従 って ,かか る事態の下で クレオ ンとブラシダスが激突す るアンフ イポ リスの戦いが 起 こったのであるか ら,それに関連 してギ リーズがブラシダスについて 「ブラシダスの積 極的な勇猛 さが和平の確認 を妨 げる」 と評 したのは納得で きよう。だが ,ギ リーズによる

「クレオ ンの故意の卑劣 さが戦争の再開 ,あるいはむ しろ継続 ,を促 した」 とい う叙述 は , 先のブラシダスとの対比の記述 としては彼 に対す る評価 とあまりに も遠い過 ぎるので ,か かるギ リーズの叙述の違いについて検討す る必要が生 じる

ところで ,ギ リーズによるブラシダスとクレオ ンの対比の記述 には先行す る例 が

2

つ あ る。 1つは , トウキュデ ィデスがアンプイポ リスの戦いでブラシダスとクレオ ンが戦死 し たことを述べ た後 に 「更 にアテナイ人がアンピポ リスにおいて も敗北 し,しか も両陣営で 最 も頑固に和平に反対 していたクレオ ンとブラシダスが戦死 した。ブラシダスが和平 に反 対 したのは ,戦争 によって幸運 と名誉が得 られたか らであ り,クレオ ンの方は平和になる と,悪事が露見 し,他人 を中傷 して も信用 されな くなると考 えたか らであった」(藤縄訳)(39)

と述べ る箇所である (Thuc.,5.16.1)。 もう1つは ,プル タル コスが 「ギ リシャ全土の平和 に最 も反対 していたのはクレオ‑ンとブラ‑シダースであって ,戦争 はその一人の邪悪 を 暴露 し,もう一人の勇気 を発揮 させ た。その一人には甚 しい不正の きっかけを,もう一人 には勲功の きっかけを与 えたか らである」 (河野与‑釈 ,一部新字 ・現代仮名遣いに訂正)

(40)と述べ る箇所である (Plut.,他 9.2). もし近代人が トウキュデ ィデスの記述の順序 に忠実に古代史を描 くな らば ,アンプイポ リスの戦いについて記述す る前にブラシダスと クレオ ンの比較 をす る記述 を挿入 しないはずであるのに対 して ,ギ リーズはそれ を行なっ たが ,その理由は ,彼が前述の

2

人の古代史家の記述 を知 っていたか らであろう。ただ し, その際 にギ リーズは , トウキュデ ィデスの記述の順序 を無視 したわけである。 また, トウ キュデ ィデスとプル タルコスの両者 がブラシダスの勇敢 さを好意的に捉 えてクレオ ンの邪 悪 さと対比 させてい ることにギ リーズがな らったことは明白である。従 って ,ギ リーズは , いわば トウキュデ ィデスとプル タル コスによってお墨付 きをもらってい るブラシダスとク

レオ ンの対比の記述 を自分の読者のためにわ ざわ ざアンプイポ リスの戦いについての叙述 の前置 きの箇所 に据 えたわけである。

次 に,(2)クレオ ンによる トラキア遠征の提案の狙いの詳述 について検討す る。 この件 についてのギ リーズによる叙述 は ,クレオ ンがスパル タの不誠実 さを罰す ること,メンデ とスキオネに対 してスパル タ人将軍 ブラシダス側 か ら離反 させ ること,マケ ドニアでの ア テネの勢力の修復 をアテネ民会で捷唱 したことを指摘す る。問題のギ リーズによる叙述の 主旨は ,確 かに nuc.,5.2.1の中の記述 には見当た らない。けれ ども,¶一uC.,4.122.6の中 では休戦協定締結直後 にスキオネがブラシダス側 に寝返 った後にアテネ民会がクレオ ンの 提案 に従 ってスキオネの攻略 とスキオネ市民の処刑 を決議 したことが伝 えられている。か かるアテネ市民の決議がブラシダス側 によるスキオネの離反に対抗す る措置であったこと は トウキュデ ィデスの記述 を読めば明白であるので ,それゆえにギ リーズは ,クレオ ンが

(10)

1 0

ギ リーズ 『古代ギ リシアの歴 史』におけるクレオ ンの描 き方

スパル タの不誠実 さを罰す ることを民会の場 で説いた と憶測 したと思われ る。 さらに ,こ の民会決議の後 に実際にアテネ人は軍 を派遣 してメンデ とスキオネを奪還 したが ,これ を 指揮 したのはク レオ ンではな くニキアス とこ コス トラ トスで あった

( n uc. ,4. 1 2 9. 2)

.加 えて ,メンデの奪還 に際 しては ,前述の T

huc . ,4. 1 2 2. 6

の中の ク レオ ンの提案 が災い して 影響 したのであろうか ,クレオ ンではな くニキアスの指揮下であ りなが らアテネ軍 がメン デの城門か ら進入 して略奪 を始めたので ,将軍 たちがメンデの人々を全滅 させ ないよ うに や っとの ことで抑止 したことが

n uc . ,4. 1 3 0. 6

の中で記述 されてい る.かか る状況 での メ ンデ とスキオネの奪還後 にクレオ ンが トラキア遠征 に出かけたわけであるので ,ギ リーズ は ,

n uc . ,4. 1 2 2. 6

以降の記述 を参照 しつつ ,前述 の よ うに ,クレオ ンが スパル タの不誠 実 さを罰す ること,メンデ とスキオネに対 してスパル タ人将軍 ブラシダス側か ら離反 させ ること,マケ ドニアでのアテネの勢力の修復 をアテネ民会で捷唱 したと憶測 を交 えなが ら 述べたのではなかろうか。

次 に,(3)クレオ ンの提案 に対す るアテネ民衆の反応 につ いての説明 を検討す る。ギ リー ズは ,前述の とお り,クレオ ンの提案 に対 して 「アテネ人 たちはこの乱暴 な熱弁家の まこ と しやかな忠告 に耳 を傾 けた」と述べ るが ,かか るアテネ民衆の反応 について トウキュデ ィ デスは言及 していない。従 って ,このギ リーズによる叙述 は彼の憶測 に過 ぎない と思われ る。ただ し,クレオ ンの乱暴 な熱弁家ぶ りは ,ア リス トフアネスの請書劇作品 をその人 を 笑いの種 にす る制作意図か ら論外 とす るに して も,

n uc. , 3. 3 6 . 6

の中で示唆 されているし,

またPlut.

, 倣 8 . 3

がス フアクテ リアの勝利後 にニキアズがクレオ ンに勢 い を付 け る結 果になったので 「そのためにクレオ‑ンはえらい気位 と手のつ け られない勢 を恋に し,国 家 にい ろい ろな不幸 を招いて自分 も少なか らずひ どい 目に会 いなが ら国家 に非常な害 をお よぼ した他 ,演壇 の上の行儀 を破 って初 めて民衆 に対す る演説で大声 を揚 げ着物 をまくり 腿 を叩 き演説 を しなが ら走 り廻 る例 を開 き,政治家の間にその後間 もな く国事 を悉 くひ っ くり返す よ うな造作 な さと程合 を無視す る癖 とをつ けた」 (河野訳 ,一部新字 ・現代仮名 遣 いに訂正)(41)と述べてい るので ,ギ リーズは叙述の際 に これ らの記述 をも念頭 に入れ ていた可能性 がある。

ところで ,クレオ ンが軍勢 を引 き連れて トラキアに向かった後についてギ リーズ(42)は ,

「メンダ 〔ママ〕 と トロナ 〔ママ〕の降伏 は ,それ らの住民がそれぞれ過剰な残酷 さで もっ て扱われ たが ,彼 〔クレオ ンの こと,引用者注〕にア ンフイポ リスを攻撃す るように勇気 づ けた」 と述べ る。 だが ,前述の ように ,メンデへの攻撃ではクレオ ンではな くニキアス の指揮下の アテネ軍 が城門か ら進入 して略奪 を始めたので ,将軍 たちがメンデの人々を全 滅 させ ない よ うにや っとの ことで抑止 した とT

huc . ,4. 1 3 0. 6

が語 ってい る。従 って ,ニキ アズの指揮下の アテネ軍 がメンデ人 を降伏 させ た上 に彼 らを過剰 な残酷 さで もって扱 った ことがア ンプイポ リス攻撃へ向か うクレオ ンを勇気づけた とい うギ リーズの記述 には少 し 難がある。他方 , トロネの降伏 は ,クレオ ンによる攻撃のせいであ り,その際 にはアテネ 軍 がスパル タ人将軍のパ シテ リダスを捕 らえるほどの完勝であ り,直後 に トロネの女子供 を奴隷 に した (

Thuc . ,5 . 3. 1 ‑ 4)

ので ,ギ リーズが この ことを,住民 を過剰 な残酷 さで扱 っ たと表現す ることはそれほ ど的外れではない と思われ る。

次 に ,ア ンフイポ リスの郊外 に陣 を張 ったアテネ軍が援軍の到着 を待 っていた時 ,兵士 の中でブラシダスに比 しての クレオ ンの無能 と臆病 に不満 を述べ る者 が出て きた。それに

(11)

対 して ,クレオ ンは ,そ もそ も自身 がマ ケ ドニア王ベルデ ィッカス

2

世 と トラキアのオ ド マ ン トイ人の王 ポ レスに援軍 を要請 していた (

n u

c

.

,5.6.2)ので あるが ,兵士の不満 に気 づ き,さらに 「兵士 が同 じ場所 に居座 って重苦 しい気分 になるのは好 ま しくない と考 えた ので」 (藤縄訳)(43)軍 を動 かす ことに した (

n uc .

,5.7.2)。他方 ,ギ リーズ (44)は ,ク レ オ ンが兵士の不満 に気づ いた後

,

「横柄 なデマ ゴーグの我憎 で きない気質 が ,こ うい う扇 動的な不平不満 に耐 えるの には適 していなか った。彼 は急 いで自軍 をふ さわ しい場所の前 に導 いたが ,それ は前 もって城壁の強度 ,土地の状況 ,敵の人数 または配置 を吟味す るこ とをせずにで あった」 と述べ る。 この箇所でギ リーズによって クレオ ンの我慢 の無 さが指 摘 されてい るが ,この件 につ いて は トウキュデ ィデスは言 及 していないので ,その記述 は ギ リーズによる創作 で ある。 また ,ギ リーズによれ ば ク レオ ンは 「前 もって城壁の強度 , 土地の状況 ,敵の人数 または配置 を吟味す ることをせず に」 いた ことになってい るが ,他 方 で は

Thuc .

,5.7.ゝ5が ,ク レオ ンが敵軍 のい るア ンプ イポ リス とその周辺 を視察す るた め にア ンプ イポ リスの 中心市 を見渡す ことので きる山 に登 りに行 くと述べ ,実際 にそ こ か ら視察 した ことを報告 してい る。確 かに トゥキュデ ィデ スの記述 にあるよ うに (Thuc., 5.7.3),ク レオ ンの視察 の際 に彼 がブ ラシダス側 が攻撃 を しかけ るとは予想 してい なか っ たことは明白で ある。けれ ども,前述の よ うに ,ギ リーズが ,クレオ ンが前 もって土地の 状況 や敵の人数 または配置 を吟味 す ることをせず にいた と述べ ることは ,曲解 とは言 えな い まで も言 い過 ぎと見なす ことはで きまいか。

ところで ,ク レオ ンが山に登 って視察 を しよ うと したことがブラシダスの察知す るとこ ろとな り,ア ンプ イポ リスの戦いに至 る。 この戦いにつ いて トウキュデ ィデスは ,ブラシ ダスの出撃前の演説 を交 えて (

Thuc .

,5.9‑10)詳述す るが ,他方 ,ギ リーズ(45)は ,彼の記 述 とは異 な り簡潔 に叙述 を試み る。ギ リーズは ,ブラシダスの交戦直前の様子 につ いて「そ の間 ,ブラシダスは ,自分の敵が厚 か ま しい ことで よ く知 られてい ることを利用す る適切 な策 を講 じた。かな りの人数の男 がケルデュ リオ ンの木々の 多い山の 中に隠 され たが ,そ こはア ンプ イポ リスに突 き出 していた。軍隊の大半 が ,その都市のい くつ かの門 の所 に , 行動 に備 えて整列 させ られた。 クレア リダスは ,その地で指揮 をとったが ,所定の合図で 前へ急 いでい くよ う命令 を出 した し,他方 ,ブラシダスは ,自 ら,恐れ を知 らない従者の 選 りす ぐ り部隊 を指挿 し,最初の攻撃の機 会 を うかが った。その計画 は ,非常 に多 くの技 で もって考案 され たが ,同様の巧妙 さで もって実行 され た」 と述べ る。ギ リーズによる叙 述 を読 んだ読者 は ,あたか もブラシダス指揮下の軍勢 がケルデ ュ リオ ンの山林 に身 を潜 め , 他方で ク レア リダス指揮下の軍勢 がア ンプ イポ リスの城壁の門の所 で待機 し,合図で もっ て攻撃 に出 る手 はずになっていた と思 うで あろう。だが , トゥキュデ ィデスの読者 は ,ク レオ ンの動 きを察知 したブラシダスがケルデュ リオ ンの山林 か ら下 りてア ンプ イポ リスに 入城 し (

n uc .

,5.8.1),自軍 を自身 とクレア リダスの指揮下の二手 に分 け (n uc.,5.8.4), 出撃前の演説 を行 ない (

n uc .

,5.9110), トウキュデ ィデスは語 っていないが再び ケルデ ュ

リオ ンの山林 に向かい ,そ こか ら再び下 りて アンプ イポ リス中心市の アテナ神殿 で出撃前 の犠牲 を捧 げた (

n uc .

,5.10.2)し,これ に対 して ク レオ ンがブ ラシダスの犠牲式 や敵軍 の配置 されてい ることの知 らせ を受 けて退却 を命 じたけれ ども (n uc.,5.10.2‑3),この ク レオ ン軍の動 きを見て ブラシダス軍 が好機 と見てア ンプ イポ リス中心市 か ら出て攻撃 を仕 掛 け た こと (

n uc .

,5.10.5‑6)を知 るで あろ うO従 って ,ブ ラシダス軍 は ,ギ リーズが述

(12)

12 ギ リーズ r古代ギ リシアの歴 史Jにおけるクレオ ンの描 き方

べ るように身 を潜めて出撃の好機 を窺 ったわけではない し,その ような戦法 をブラシダス が計画 したわけではない。む しろ,ブラシダスが考案 したことは ,自軍が人数 と質の面で 劣勢で あるので (n

uc .

,5.6.3

&

8.2)(46),

Thuc .

,5.8.24 が語 るように ,クレオ ン軍に援軍 が到着す る前 に策略 を用いて自軍か ら急襲 しよ うとす ることであった。従 って ,かかるブ ラシダス側の様子 を伝 えるギ リーズの記述 は ,クレオ ンの評判 を落 としてブラシダスの勇 猛 さと貿明 さを描 くことを狙 っていた と考 えてよい。

ア ンプ イポ リスの掛 、の戦闘の様子 について ,ギ リーズ(47)は ,クレオ ンの アテネ軍が ブラシダス側 の 「そのよ うな予期せぬ複雑 な攻撃の迅速 さと正確 さに当惑 して ,大急 ぎで 逃 げ出 し,自分の盾 を放 り出 し,自分のむ き出 しの背 中を追手の剣 や槍 に さらした」 し,

「6

百人の アテネ人たちがクレオ ンの愚行の犠牲 と して倒れ」,クレオ ンが 「その敗走時 に 真先であったけれ ども, ミュル キノス人の盾兵の手 によって捕 らわれ」て戦死 したと述べ る。他方 , トウキュデ ィデスは ,アテネ軍 が敵の急襲 を受 けて混乱 して敗走 した ものの , 逃 げ後れ た右翼の一部はクレア リダスの攻撃 を数回撃退 した後 に包 囲 されたので槍 を授 げ て滑走 したと報告す る (

n u

c

.

,5.10.9‑10)。従 って ,アテネ軍 は ,全軍がギ リーズの記述 に あるよ うに 「大急 ぎで逃 げ出 し,自分の盾 を放 り出 し,自分のむ き出 しの背 中を追手の剣 や槍 に さらした」 わけではない。 また ,ギ リーズによる 「自分のむ き出 しの背 中を追手の 剣 や槍 に さらした」 とい う記述 に関連す るもの を強 いて挙げるな らば ,

n uc .

,5.10.4の中 でアテネ軍の右翼 がクレオ ンの指示 に従 って敵軍に無防備 な方 を向けたままで撤退 したと 記述 されてい る箇所 がある。だが ,これは,アテネ軍 が西側の アンプイポ リス在留の敵軍 に対 して南 に位置す るエイオ ンへ向けて撤退 したので ,槍 を持つ が盾 では防 げない右手側 を敵軍に向 け ざるをえなかったことを示唆す る。従 って ,ギ リーズの 「自分のむ き出 しの 背 中を追手の剣や槍 に さらした」 とい う記述 は ,彼の勘違いかあるいは創作 と見なす こと がで きよ う。

さらに ,アンプ イポ リスの戦いの叙述の最後 にギ リーズ(48)は ,クレオ ンの 「死は彼の 不連 な同国人 たちの死者の霊魂 をなだめたことであろ う」と述べ る。かかる表現 は ,ギ リー ズによるクレオ ンへの皮肉 を表現 した もので あろ う。そ して この文言 は

,

「ブラシダスの 死 と葬礼」 と副題の付 く段落の最初の文章の中にあ り,その段落の中では続 いてブラシダ スの戦死の様子が ,そ してその戦勝の英雄 としての葬儀 および アンプイポ リス人の彼 を讃 える諸行為 が トウキュデ ィデスの記述 (n

uc .

,5.ll.1)に沿 う形 で ,記載 されてい る. ブ ラシダスの戦死 は , トウキュデ ィデスによれば ,クレオ ンの戦死の直前 に受 けた負傷 によ るもので ,前線 か ら救 い出 された (

Thu

c

.

,5.10.9)後 にアンプ イポ リスのポ リス内で戦勝 の知 らせ を受 けてか ら死んだ (

n uc .

,5.10.ll)ことになってい る。従 って ,クレオ ンの戦 死 とブラシダスの負傷の記述の仕方 が トウキュデ ィデスとギ リーズの間で異 なるわけであ るが ,その理由は ,上記の ように ,ギ リーズがブラシダスの件 を 「ブラシダスの死 と葬礼」

と副題の付 く段落の中で述べ ることによってクレオ ンの死 とブラシダスの死 を明 らかに対 比 させ ることを試みたせいであろう。

結び

これ までギ リーズが古代 アテネの政治家 クレオ ンを描 く仕方 を考察 して きたが ,彼の叙

(13)

述 の 中にはデマゴーグであるクレオ ンを明 らかに軽蔑 して非難す る口調 が見て取れ ると思 われ る。他方 で ,ギ リーズによるク レオ ンにつ いての叙述の仕方の面で筆者 が注 目 したい ことは次 の2点で ある。 (1)一般 にはク レオ ンに関連す る事件 につ いて近代の歴 史家 が叙 述す る際 には一方では トウキュデ ィデスの記述 にな らって彼 を描 くだけでな く他方ではア リス トプアネスの諸喜劇の 中で描 かれ たクレオ ンのデマゴーグぶ りが追記 され ると予想 さ れ るが ,ア リス トフ ァネスが3作品の 中で ク レオ ンに言 及 してい るに もかかわ らずギ リ‑

ズがそれ らの うちの r騎士lのみ しか挙 げていないので ,ギ リーズによるクレオ ンの描写 の中では彼のデマゴーグぶ りがそれほ ど描写 されていない よ うに見受 け られ る。(2)ギ リー ズがク レオ ンにつ いての叙述 を通 じて アテネ民衆 の放縦 さや愚 か さにたびたび言及 してい る。

(1)の点 に関連 して ,ギ リーズは r騎士』の 中の ク レオ ン描写 を説明す る中で ,アゴ ラ ク リ トス とク レオ ンとが張 り合 う場面 を 「最低 のおどけ ,しか も常 に滑稽で しば しば下品 なそれ ,の ス タイルで続 け られてい る」 と述 べ る し,またギ リーズの書 が もともとは国王 ジ ョージ3世 に献呈 され るもので あった(49)ことか ら,彼 が執筆 に際 して ア リス トプ アネ スの下品な喜劇作品か ら得 た知見 を進 んで盛 り込 もうとは しなか った可能性 がある。

(2)の点 につ いては ,上記ですで に述べ てい る諸点 で あるが ,例 えば ,彼 が , ミュテ ィ レネ人処遇 問題 の件 につ いての叙述 の 中で はアテ ネ民衆 には ク レオ ンの デマ ゴーグぶ り が 「大胆 で男 ら しい率直 さを持つ者 と して好意 的 に映 った」 と述 べ た り,ピュ ロスの戦 況 の良 くない ことが報告 され た時 に アテネ民衆 がデモ ステ ネスに対 して抗議 した と トウ キュデ ィデスが言及 していない ことを述 べた り,スフ ァクテ リア遠征直前の ク レオ ンとニ キアスとの民会でのや り取 りの叙述の 中では彼 がアテネ民衆の放縦 さを明言 してい る点 が 際立 っていた り,彼 がア リス トフ アネス r騎士Jの喜劇作品にみ られ るク レオ ンを描 きな が ら彼 に煽動 され たアテネ民衆の愚 か さを指摘 した り,クレオ ンの トラキア遠征 に関す る 提案 に対す るアテネ民衆の反応 につ いてわ ざわ ざ言及 した りしてい る。 この よ うにギ リー ズがクレオ ンを描 く際 にアテ ネ民衆 の放縦 さや愚か さにたび たび言及 してい ることは ,彼 が序文の中で ジ ョージ3世 に充 てて書 いた献上の辞 を思い起 こさせ る。なぜ な らば ,その 箇所 でギ リーズ (50)は

,

「ギ リシアの歴 史は民主制の危険 な騒乱 を暴露 し,借主 たち 〔民 衆の こと,引用者注〕の専制主義 を非難す る。 あ らゆ る形態の共和制的政策 に本来備 わ っ てい る治療不能の諸悪 を叙述す ることによって」 イギ リスの王制 によって うまく統 治 され た安定 した政治 とそれか ら得 られ る自由が明 らかにな ることを語 ってい るか らで ある。ギ リーズによるク レオ ン描写 の仕方 は ,かか る 「治療不能の諸悪」 を有す る民主制 を描 きた い彼の執筆意図に沿 った もので あった と考 えられ る。

(1) G.Smi t h

,

L St e p he na ndS.L eee ds .

,物 afNadandmagqJZLL

V7( ox f or d

, 1921‑1922)

, p.

1247

S . V .

GILLIES,JOHN.

(2)hvd

(3) J . T.Ro be r t s

,ALhensonTmu・LACAnh'democJlaLl'cTJ;ady'don血 Westem ZuLLght

(14)

14 ギ リーズ r古代 ギ リシアの歴 史」 におけ るク レオ ンの描 き方

(Princeton,1994),p.200.

(4) hn

(5) Smith etal.,ap

̲ at .

,p.1247.

(6)

hL Z d.

(7) 年 代 につ い て は , トウ‑キ ュデ ィデ ー ス (久 保 正 彰 訳 )

r

戦 史 中」 (岩 波 書 店 , 1966/ 1975年)366‑368頁 を参照せ よ.

(8)

J .

Gillies,

乃e

ya f

A

n

ck

ntGr i Z

We

,hs

C

a kde s ,md anque s l s

〔以下

EA G.

と 略す〕2

(

b ndon,1820),p.244.

(9) ギ リーズ は ミュテ ィレネ (Mytilen合)の ポ リス名 を 「ミテ ユ レネ」 (Mitylene)と 記す が ,その別称 は しば しば誤用 され た ことに由来 す る ら しく, ミュテ ィレネが正式 の名 称 で ある。

( 1 0) Gi l l i e s ,

EA.a.2,p.244.

(ll)

hn.

,p.244‑245.

(12)

hM.

,p.246.

(13)

p.246&249.

(14)

hM.

,p.249.

(15)

hM.

,p.280.

(16)

hn.

,p.280.

(17)

hM.

,p.280.

(18)

hM.

,p.280n.ll. (19)

hM.

,p.281. (20)

hM.

,p.281. (21)

hM.

,p.281‑282.

(22)

hM.

,p.282.

( 2 3) hM.

,p.282.

(24)

hL f d.

,p.282.

(25)

hn.

,p.282.

(26)

hM.

,p.2821283.

(27)

hn.

,p.283.

(28)

hM.

,p.283.

(29)

hM.

,p.283.

(30)

hM.

,p.283.

(31)

hi 1.

,p.286.なお ,アテ ネ人 がスパル タ人使節 を追 い返 した ことは ,

n u

c

.

,4.41.3 の 中で記 され てい るが ,ギ リーズは ,注 の 中で 「Adstoph.Equit.V.794」,す なわ ちア リス

トフ アネス r騎 士」の 中で ク レオ ンがスパ ル タ人使節 を追 い払 った ことを示唆す る箇所 を 挙 げ る。

( 3 2) Gi l l i e s , HA G.

2,p.286.

(33)

hM.

,p.286‑287.

(34)

hM.

,p.2871289.

( 3 5 ) hM.

,p.287.

(15)

( 3 6) hM.

,p.288‑289.

(37) 藤縄謙三訳 『トウキュデ ィデス 歴史1』 (京都大学学術出版会,2000年)486頁。

(38) Gillies,HA G.2,p.301.

(39) 藤縄訳 ,前掲書,511頁。

(40) 河野与‑訳 『プル ターク英雄伝 (7)』 (岩波書店,1955/ 1976年 )116頁。

(41) 河野訳 ,前掲書 ,115頁。

(42) Gillies,HA G.2,p.302.

(43) 藤縄訳 ,前掲書,502頁。

(44) Gillies,HA G.2

, p.

302.

(45)

hd.

,p.302‑303.

(46) nuc.,5.8.2の 中で ク レオ ン軍 とブラシダス軍 が人数の面で互 角で あった と記述 さ れてい るが ,これ はn uc.,5.6.3の中の記述 と矛盾す ることが知 られてい る (小西晴雄訳

『トウ‑キュデ ィデース〜世界古典文学全集 11』〔筑摩書房,1971/ 1986年〕175貢 ,注3)。

(47) Gillies,HA G.2,p.303.

(48)

hM.

,p.303.

(49) J.Gillies,EA.a 1(London,1820),p.iii‑iv.

(50)

hv ' d.

,p.iii.

〔付記〕

本稿 は ,平成12‑ 13年度科学研究費補助金基盤研究 (C)(2)「古代 アテネ民主制は衆愚 政治 で あったのか‑ 古代 と近代 か らの考察」 (課題番号 :12610407)の研究成果の一部 で あ る。

参照

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