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加害展示の撤去をねらう

ピースおおさか「展示リニューアル構想」に反対の声を!

伊賀正浩 (子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会) 4 月 9日 、 財 団 法 人大 阪 国 際平 和 セ ンタ ー ( 以 下、 ピ ー ス お おさ か ) から 「 展 示リ ニ ュ ー ア ル 構 想 」( 以 下 、「 リ ニ ュ ー ア ル 構 想 」) が 公 表 さ れ ま し た 。「 リ ニ ュ ー ア ル 構 想 」は 、 橋 下 ・ 維新 の 会 によ る 激 しい 「 偏 向 」「 自 虐 的 」 と の 攻 撃 に 対 し て 、 加 害 展 示 を大 幅 に 削 除 し、 大 阪 大空 襲 を アジ ア 太 平 洋戦 争 か ら 切 り離 し 、 その 被 害 だけ に 特 化 する 展 示 に 転 換し よ う とす る も ので す 。 こ れは 、 ピ ー ス おお さ か が2 0 年 以上 に わ た って 掲 げ て き た「 基 本 理念 」 を 自ら 投 げ 捨 てる こ と に 他 なり ま せ ん。 大 阪 で進 め ら れ てき た 反 戦 平 和教 育 や 全国 の 戦 争資 料 館 の あ り 方 に 大 き な 影 響 を 与 え る も の で 、強い 危機感 を持って います 。 「 リ ニュ ー ア ル 構 想」 は 、 急速 に 具 体化 し つ つ あ り ま す 。 こ の 4 月 1日 か ら 館 長 、 事 務 局 長、 事 業 課 長 、資 料 係 、専 門 職 員の 全 て が 入れ 替 え ら れ まし た 。 これ ま で ピー ス おお さ か の 展示 を 支 えて き た 研 究者 や 運 動 との 関 係 が 断ち 切 ら れて し ま い まし た 。 そ して 、 ピ ー スお お さ か展 示 リ ニ ュー ア ル 設 計業 務 の 委 託事 業 者 の公 募 が 始 まり 、 5 月 中旬 に は 事 業者 が 決 定さ れ ま し た。 事 業 者 は展 示 テ ー マの 構 成 ・展 示 項 目 ・展 示 シ ナ リオ の 検 討 をす る 基 本設 計 業 務 と展 示 内 容 ・演 出 方 法 ・設 備 計 画の 確 定 を 行う 実 施 設 計事 務 を 請 け負 い ま す。 す な わ ち、 大 阪 府・市 の意向 を受け て「展 示リニ ューア ル」 の中で 大きな 位置を 占めて います 。 大阪 府 ・ 市 、ピ ー ス おお さ か は 、来 年 度 予 算に 「 リ ニ ュー ア ル 構想 」 を 予 算化 す る た めに 、 今 年 の8 月 頃 まで に 展 示 内容 の 大 枠 を固 め る つ もり で す 。時 間 的 余 裕は あ ま り あり ま せ ん 。様 々 な 団体 ・ 個 人 から 早 急 に ピー ス お お さか に 対 して 「 展 示 リニ ュ ー ア ル構 想 」 に 反対 の 声 を届 け て く ださ い 。

ピースおおさかの歴史的意義と右派からの攻撃

(1)ピ ー ス お お さ か は 、 1981年 に 平 和 祈 念 戦 争 資料 室 を 大 阪 府が 開 設 した こ と を出 発 点 と して い ま す 。 そこ に は ベト ナ ム 戦争 を き っ かけ に し て 広 がっ た 大 阪大 空 襲 の記 録 化 を 進め る 体 験 者 と研 究 者 の地 道 な 運動 が あ り まし た 。 大 阪 大空 襲 の 記憶 を 語 り継 ぎ 二 度 と戦 禍 を 繰 り 返さ な い とい う こ と、 大 阪 大 空襲 被 害 者 に は在 阪 朝 鮮人 が お り、 そ れ は 日本 の 朝 鮮 植 民地 化 に 起因 す る こと が 確 認 され て い ま す 。そ し て 、大 阪 空 襲被 害 者の 記 録 化 と国 家 補 償を 求 め る 運動 、 朝 鮮 人中 国 人 強 制連 行 と 強制 労 働 の 真相 調 査 の 運動 、 そ れ らを 子 ど もた ち に 継 承し よ う と する 教 育 現 場で の 反 戦平 和 教 育 等と 結 び つ き 、 1991年 ピ ー ス お お さ か の 設 立 と な っ たの で し た 。つ ま り 、ピ ー ス お おさ か の 存 在は 、 こ れ らの 運 動 の成 果 と 大 阪府 ・ 市 民 の二 度 と 戦 争を 起 こ して は な ら ない 決 意 の結晶 でした 。 さ ら に は 、 1980年 代 ま で 全 国 の 平 和 資

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料 館 が 被害 展 示 中 心 だっ た 中 で、 ピ ー スお お さ か の誕 生 は 、 加 害と 被 害 を総 合 的 に展 示 し よ うと す る 新 た な取 り 組 みの 先 駆 けと な り ま した 。 立 命 館 大学 国 際 平和 ミ ュ ージ ア ム ( 1992)、 川 崎 平 和 館 ( 1992)、 埼 玉 県 立 平 和 資 料 館 (1993)、 軍 都 広 島 を 展 示 に 加 え た 広 島 平 和 祈 念 資 料 館 の 改 築 ( 1 994)、 沖 縄 戦 で の 国 内 外 を 問 わ ず 全 て の 犠 牲者を 刻む平 和の礎( 1995) 等々。 こ れ らの 資 料 館 も 現在 、 右 派か ら 加 害展 示 に つ いて 「 偏 向 」 等の 厳 し い攻 撃 を 受け て い ま す。 ピ ー ス お おさ か の 加害 展 示 を守 る こ と は、 全 国 の 平 和資 料 館 のあ り 方 を左 右 す る 極め て 重 要 な 意義 を 持 って い ま す。 (2)1996年 自 民 党 は 「 全 国 の 戦 争 博 物 館 に 関 す る調 査 報 告 書 」で 、 ピ ース お お さか が 「 特 定の イ デ オ ロ ギー の 宣 伝活 動 拠 点と な っ て い る 」 な ど と 批 判 を 開 始 し 、「 新 し い 歴史教 科書を つくる会 」等 の右派 団体は、 ピ ー ス おお さ か の 加 害展 示 に 対し て 攻 撃を 集 中して きまし た。2000年に右 派は、「2 0 世 紀 最 大 の ウ ソ ・ 南 京 大 虐 殺 の 徹 底 検 証 」 を ピー ス お お さ かで 開 催 する と こ ろま で いきま した。 し か し、 ピ ー ス お おさ か の 最大 の 危 機を 立 て 直 した の は 、 大 阪で の 地 道な 大 阪 大空 襲 を 記 録化 す る 広 範 な運 動 で した 。 ア メリ カ のアフ ガニス タンへの 侵攻(2001年)、 ピースおおさか「刻の庭」 イ ラ ク 侵 攻 ( 2003年 ) で の 無 差 別 爆 撃 へ の 怒 り と 危 機 感 が 背 景 に あ り ま し た 。 20 0 5 年 8 月 、 ピ ー ス お お さ か は 「 大 阪 空 襲 死 没者 を 追 悼 し平 和 を 祈念 す る 場 」と し て 「 刻 の 庭 」 を 設 置 し 、 8980名 (2009年 3 月 31日 時 点 ) の 大 阪 空 襲 戦 没 者 名 が 「 と き 」 の 証 言 と し て 刻 ま れ ま し た 。 2009年 に は「 刻 の 庭 」の 壁 面 に大 阪 大 空 襲犠 牲 者 と 同 じ 数 (約 15000個) の 色 と りど り の タ イ ルが 子 ど も たち の 手 によ っ て 張 り巡 ら さ れ ま し た 。「 刻 の 庭 」 は 空 襲 犠 牲 者 を 追 悼 す る場 と し て 確固 た る 位置 を 占 め 、い ま や 博 物館 的 活 動 にと ど ま らず 、 反 戦 平和 教 育 の ため の 施 設 とし て な くて は な ら ない 存 在 と なっ た の で す。 現 在 、小 中 学 生 の来 館 は 全体の 6~7割に 達して います 。 さら に 加 害 と被 害 を 総合 的 に 展 示す る ピ ー スお お さ か の姿 勢 は 、世 界 各 地 、と り わ け 中国 や 韓 国 など 東 ア ジア の 人 々 から 支 持 さ れ、 ア ジ ア との 友 好 関係 を 深 め てい く 上 で も 重 要 な 役 割 を 果 す も の と な っ て い ま す 。 外 国 人 来 館 者 は 開 館 当 時 と 比 べ て 8倍 となっ ていま す。 (3)橋 下 知 事 ( 当 時 ) の 登 場 に よ っ て 、 ピ ー スお お さ か の危 機 は 新た な 段 階 に入 り ま し た 。 2008年 橋 下 知 事 は 、 大 阪 府 財 政 再 建 のた め の 府 施設 の 見 直し の 典 型 とし て ピ ースお おさか を取り 上げま した。その結 果、 「 財政 再 建 プ ログ ラ ム 」に お い て 、府 市 か ら 出し て い る 職員 を 全 廃し 非 常 勤 再任 用 と し 、 2010年 度 か ら は 事 業 費 を 全 額 カ ッ ト し まし た 。 そ れ以 降 、 ピー ス お お さか の 平 和 記念 集 会 や 様々 な 事 業は 、 ピ ー スお お さ か を支 え る 有 志に よ る 個人 的 努 力 にも 支 え られて きたの です。 2011年 大 阪 維 新 の 会 は 、 ピ ー ス お お さ か プロ ジ ェ ク トチ ー ム を設 置 し 視 察と 称 し

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て ピ ー スお お さ か に 何度 も 足 を運 び 、 加害 展 示 を 問題 視 し て き まし た 。 同時 期 、 大阪 市 議 会 ・府 議 会 に お いて も 、 維新 の 会 議員 や 自 民 党議 員 が 「 ピ ース お お さか を 西 の遊 就 館 ( * ) に す る 」「 偏 向 展 示 で の 反 日 教 育 、 歴 史を ね つ 造 し た責 任 は 重い 」 等 、の 批 判 を 浴び せ か け 、 ピー ス お おさ か の 「展 示 室 B (1 5 年 戦 争 )」 の 廃 止 を 要 求 し ま し た 。 大 阪 府知 事 ・ 市 長 のダ ブ ル 選で 維 新 の会 が 勝 利 して か ら は 、 ピー ス お おさ か 独 自で 進 め ら れて き た 展 示 リニ ュ ー アル 計 画 は棚 上 げさ れ 、 大 阪府 市 統 合本 部 に 設 置さ れ た 都 市 魅 力 戦 略 会 義 (部 会 長 : 橋 爪 紳 也 ) に よ って 展 示 内 容を 「 ゼ ロベ ー ス 」 から 検 討 す るこ と に な りま し た 。こ れ 以 降 、展 示 リ ニ ュー ア ル 案 は、 橋 下 市長 と 松 井 知事 、 都 市 魅力 戦 略 会 義と 大 阪 府市 人 権 室 主導 で 行 わ れ、 4 月 に 公表 さ れ た「 展 示 リ ニュ ー ア ル構想 」とな ったの です。 (* )靖 国 神 社 境 内 に あ る 「 国 防 思 想 の 普 及 」 を 目 指 し た 軍 事 博 物 館

「展示リニューアル構想」の問題点と展示充実のための提案

(1)「 リ ニ ュ ー ア ル 構 想 」 に は 、 そ の 方 向 性 と し て「 大 阪 空 襲 の犠 牲 者 を追 悼 し 、平 和 を 祈 念 」 し 、「 大 阪 空 襲 を 中 心 」 と し た 展 示 に する こ と が 明 記さ れ て いま す 。 しか し 、 実 際に は 大 阪 大 空襲 を こ れま で 以 上に よ り 詳 しく 、 よ り 深 く展 示 し よう と す る姿 勢 は 全 くみ ら れ ま せ ん。 ピ ー スお お さ かに 日 の 目 を見 ず に 保 管 され て い る膨 大 な 戦争 遺 物 を どう 展 示 化 す るか 、 国 家補 償 を 求め る 空 襲 被害 者 の 思 い をど う 生 かし て い くか 等 々 、 緊急 の 課 題 に つい て 全 く明 ら か にさ れ ていま せん。 大 阪 大 空 襲 と は 、 1945年 3月 13 日 、 14 日 の 大 空 襲 に 始 ま り 、 6月 1日 、 7日 、 15日 の 4 次 に わ た る 大 阪 市 街 地 を ね ら い 打 ち に し た 無 差 別 焼 夷 弾 攻 撃 と 7 月 1 0 日 の 堺 市 街 地 へ の 焼 夷 弾 攻 撃 、 6月 26日 ・ 7 月 24日 の 住 友 金 属 桜 島 工 場 と 大 阪 砲 兵 工 廠 を 目 標 と す る 爆 撃 、 8 月 1 4 日 の 大 阪 砲 兵 工 廠 と京 橋 へ の 大 空襲 に 至 る計 8 回 の大 空 襲 の こと で す 。 そ の結 果 、 大阪 府 内 の家 屋 約34万戸が 全焼し、罹災者 約122万人、 死 者 約 1万 2600人 、 行 方 不 明 約 2000人 も の犠 牲 を 出 しま し た 。こ れ ら の 被害 を 生 み 出し た 大 阪 大空 襲 を 歴史 に 刻 み 、被 害 者 を 追悼 し 続 け るこ と は 今後 も 大 切 なこ と で す。 在日 朝 鮮 人 は、 大 阪 市街 地 に 木 造住 宅 に 密 集し て 住 ん でい た た めに 、 極 め て大 き な 被 害を 受 け ま した 。 大 阪に お け る 被害 者 総 数 の 約 8.2% 。 そ れ は 大 阪 在 住 朝 鮮 人 の 4 人 に1 人 に あ たり 、 空 襲の 被 害 を 受け た 全 国の朝 鮮人の 35%に及 びまし た( 「特 高 月報 」 : 1 9 4 5 年 6 月 の 大 阪 の 朝 鮮 人 戦 災 者 数 は 8 3 9 0 0 人 よ り 計 算 )。これ まで の 展 示 の中 で も 在 日 朝鮮 人 ・ 中 国人 の 被 害に つ い て ほと ん ど 触 れら れ て い ませ ん 。 ピー ス お お さか が 全 て の被 害 者 の 追悼 の 場 とな る よ う 、一 層 実 ピースおおさか「展示室A」

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相 に 迫 る展 示 に し て いく 必 要 があ る の では な いでし ょうか 。 (2)大 阪 大 空 襲 は 、 ア メ リ カ に よ る 住 民 と 市 街 地 を直 接 標 的 と した 無 差 別爆 撃 = 戦略 爆 撃 で した 。 無 差 別 爆撃 は ア メリ カ 軍 に固 有 の も の で は な く 、 第 2次 世 界 大 戦 前 夜 の 1937年 ド イ ツ 軍 に よ る 「 ゲ ル ニ カ 爆 撃 」 に 始 ま りま す 。 ド イ ツ軍 は 、 焼夷 弾 を 大量 投 下 (1 .8 人 当 た り 1 発 )し 都 市 を 焼 き 尽 く し ま し た。 こ の 「 ゲ ルニ カ 爆 撃」 を 直 接受 け 継 ぎ 、大 規 模 化 さ せた の が 日本 軍 に よる 中 国 都 市へ の 無 差 別 爆撃 で し た。 日 本 軍は 日 中 戦 争の 当 初 か ら その 残 虐 性を 強 め てい っ た の で す 。 1937年 か ら 45年 ま で に 日 本 軍 が 中国 の 上 海 ・ 南京 等 に 投下 し た 爆弾 は 24万 発 ( う ち 焼 夷 弾 は 約 20万 発 ) を 越 え ま し た( 「空 爆 の 歴 史 」( 岩 波 新 書 ) p 5 3 )。 中 で も 日本 軍 が 最 も 組織 的 ・ 意図 的 に 行っ た の が 首 都 重 慶 へ の 戦 略 爆 撃 で し た 。 5年 間 に わ た り 2 1 8 次 の 空 爆 回 数 を 数 え 、 空 爆 に よ る 直 接 の 死 者 だ け で 約 1万 2000名 に の ぼ って い ま す 。 日本 軍 の 重慶 爆 撃 こそ 「戦 略 爆 撃 」を 掲 げ て おこ な っ た 最初 の 無差 別 爆 撃 でし た 。 ア メ リカ 軍 に よる 日 本 への 空 襲 は 、都 市 そ の も のを 直 接 の標 的 に した 点 で も 、対 人 殺 傷 爆 弾( 焼 夷 弾) を 多 用し 「 空 か らの 大 虐 殺 」 をお こ な った 点 で も、 日本軍による重慶爆撃 日 本軍 の 戦 略 爆撃 と 本 質は 同 じ で した 。 そ の 延長 線 上 に 広島 ・ 長 崎の 原 爆 投 下が 行 わ れたの です。 戦 略 爆 撃 は 、 第 2時 世 界 大 戦 以 降 も ア メ リ カに よ っ て 朝鮮 戦 争 とベ ト ナ ム 戦争 、 最 近 では 湾 岸 戦 争と ア フ ガン 戦 争 、 イラ ク 戦 争 へと 引 き 継 がれ て い ます 。 兵 器 も焼 夷 弾 か ら細 菌 ・ 毒 ガス 兵 器 や枯 れ 葉 剤 、ナ パ ー ム 弾や 劣 化 ウ ラン 弾 、 そし て ク ラ スタ ー 爆 弾 へと そ の 残 虐性 を 拡 大再 生 産 さ せて き た のです 。 「展 示 リ ニ ュー ア ル 」で は 、 大 阪大 空 襲 の 歴史 的 意 義 とし て 「 米軍 調 査 団 の見 解 」 や 「他 都 市 の 空襲 と の 違い 」 し か 項目 と し て あが っ て い ませ ん 。 大阪 大 空 襲 の歴 史 的 意 義は 、 過 去 から 現 在 にわ た り 絶 えず 繰 り 返 され て き た 戦略 爆 撃 の非 人 道 性 を断 罪 す る 歴史 的 展 示 の中 に 位 置づ け る 必 要が あ る のでは ないで しょう か。 (3)「 リニ ュ ー アル 構 想 」 は、「 大阪 中心 」 を 強調 し て い ます が 、 かつ て の 戦 争に お け る 大阪 の 特 殊 性を 浮 き 彫り に は し てい ま せ ん 。「 大 阪 に は 『 軍 都 』 と い う 側 面 が あ っ た こと 」 は 指 摘し て い ます が 、 展 示内 容 は 「 別立 て で 詳 しく 」 と ある だ け で 、全 く 具 体性の ないも のとな ってい ます。 当 時 大 阪 は、 日 本 の 経 済 を 支 え る 最 大 の 産 業都 市 で あ った だ け でな く 、 日 本最 大 の 兵 器工 場 = 大 阪砲 兵 工 廠が あ り 、 大阪 の 産 業 が砲 兵 工 廠 下に 系 列 化さ れ ( 大 阪砲 兵 工 廠 の兵 器 製 造 はそ の 7 7% を 大 阪 民間 企 業 に 外注 ) 一 大 軍需 工 業 地帯 で あ っ たこ と を 忘 れる こ と は 出来 ま せ ん。 現 在 も それ ら は 展 示 さ れ て お り 、 「軍 都 」 大 阪 の 姿 を 来 館 者に明 らかに しよう として います。しか し、 武 器は 製 造 し て終 わ り では あ り ま せん 。 今 後 、大 阪 砲 兵 工廠 が 製 造し た 大 砲 や砲 弾 、

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戦 車 が 中国 や ア ジ ア 太平 洋 地 域で の 侵 略戦 争 で ど のよ う な 役 割 を果 た し てき た の か、 明 ら か にす る こ と が 重要 に な って い ま す。 大 阪 砲兵 工 廠 は 、 日清 ・ 日 露戦 争 か らア ジ ア 太 平洋 戦 争 全 体 にわ た り 火砲 と 弾 薬を 製 造 し 、侵 略 の 最 前 線に 送 り 続け ま し た。 1936年 の 陸 軍 「 軍 需 整 備 5 カ 年 計 画 」 に よ っ て 大 阪 砲 兵 工 廠 ( 3製 造 所 ) は 7 製 造 所 に 拡 張さ れ 、 砲 弾 、野 戦 級 の焼 夷 弾 、照 明 弾 の 増産 に 全 力 を あげ ま し た。 こ れ によ っ て 日 本全 体 の 兵 器 生産 の 3 6% を 担 う、 名 実 と もに 日 本 最 大 の軍 需 工 場に の し 上が っ た の です 。 日 本 軍 が上 海 か ら南 京 に 侵攻 し て い た 1937年 10月 の 「 支 那 事 変 業 務 実 施 報 告 」( 陸 軍 造 兵 工 廠 長 官 作 成 ) に よ る と 、 陸軍 は 兵 器 代 とし て 大 阪砲 兵 工 廠に 兵 器 支 払額 全 体 の 4 1. 6 % を支 払 っ てい た こ と が記 載 さ れ て いま す 。 大阪 砲 兵 工廠 な く し て日 本 の 中 国 侵略 は 遂 行で き ま せん で した。 日 本 軍が 中 国 各 地 に侵 攻 し 、占 領 地 を拡 大 す る たび に 大 阪 の 軍需 経 済 は沸 き 、 中で も 南 京 占領 時 に は 府 民に よ る 「提 灯 行 列」 も お こ な わ れ ま し た 。 日 本 軍 の 南 京 占 領 2 日 前 の 11 日 に は 祝 賀行 事 の トッ プ を 切っ て 大 阪 市内 全 小 学 校 児童 3 7 万人 が 「 日の 丸 」 の 小旗 を 持 ち 市 内を 練 り 歩き 、 1 3日 以 降は全 市をあ げて祝賀 大会と「提 灯行列」 当時の大阪砲兵工廠 が 行わ れ ま し た。 1 1 日か ら 1 4 日ま で に 大 阪 市 内 だ け で の べ 約 7 0 万 人 、 人 口 の 4 人に1人 が参加 したこ とにな ります 。 大阪 砲 兵 工 廠で の 兵 器製 造 と 中 国大 陸 で の 殺戮 、 そ の 都度 沸 い た大 阪 経 済 、こ れ ら を 空間 的 に 結 びつ け て 展示 し 、 そ の教 訓 を 新しい 世代に 継承す る必要 があり ます。 (4)近 代 大 阪 の 都 市 基 盤 の 整 備 、 大 阪 砲 兵 工 廠に 連 な る 軍事 施 設 建設 と 「 本 土決 戦 」 を 想定 し た 地 下軍 事 施 設の 建 設 な どに は 、 多 くの 在 日 朝 鮮人 ・ 中 国人 の 労 働 があ り ま し た。 こ れ ら の事 実 は 、粘 り 強 い 戦争 遺 跡 を 掘り 起 こ す 市民 運 動 によ っ て 徐 々に 明 ら か にさ れ て き まし た 。 生駒 ト ン ネ ル建 設 ・ 新 平野 川 改 修 ・光 明 池 堤防 建 設 ・ 淀川 改 修 等 の都 市 基 盤 のを 形 成 する 労 働 、 紡績 業 で の 労働 と 阪 神 工業 地 帯 の形 成 、 大 正飛 行 場 ・ 多奈 川 の 呉 海軍 建 築 部な ど の 軍 事施 設 へ の 動員 、 生 玉 公園 地 下 防空 壕 ・ 池 田市 海 軍 五 月山 魚 雷 格 納庫 ・ 陸 軍高 槻 地 下 倉庫 ( タ チ ソ) と 周 辺 の地 下 工 場地 帯 ・ 羽 曳野 市 の 陸 軍 航 空 廠 駒 ヶ 谷 地 下 工 場 地 帯 ・「 ど ん ず る ぼう 」 な ど 地下 軍 事 施設 建 設 で の労 働 、 安 治川 ・ 川 口 ・大 阪 港 等で の 中 国 人の 港 湾 労働等 々。 し か し 、「 リ ニ ュ ー ア ル 構 想 」 に は 、 こ れ らの 視 点 は 全く な い ばか り か 、 空襲 に よ っ て多 大 な 被 害を 受 け たこ と に つ いて も 触 れ てい ま せ ん し、 貴 重 な歴 史 を 掘 り起 こ し た 市民 運 動 と の結 び つ きを 完 全 に 絶と う と し てい ま す 。 展示 内 容 のリ ア リ ズ ムは 、 現 実 の歴 史 を 掘 り起 こ す 運動 と の 結 びつ き な くして はあり えませ ん。 (5)こ れま で み てき た よ う に、「 リニ ュー ア ル 構想 」 は 大 阪大 空 襲 を充 実 化 さ せる も の で も、 大 阪 大 空襲 の 歴 史的 意 義 を 明ら か に

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す る も の で も 、「 大 阪 中 心 」 を 徹 底 さ せ る も の で もあ り ま せ ん 。橋 下 ・ 維新 の 会 の真 の 狙 い は 、「 リ ニ ュ ー ア ル 構 想 」 で 「 大 阪 空 襲 中 心 」 に す る こ と に よ っ て 、「 展 示 室 B (15年 戦 争 )」 の 加 害 展 示 を 全 面 的 に 撤 去 す る こと に あ り ま す。 ピ ー スお お さ かの 設 置 理 念 に は 、「 第 2 次 大 戦 に お い て 、 大 阪 で は 50回 を こ え る 空 襲 に よ り 、 市 街 地 の 主 要 部分 が 廃 墟 と 化し ま し た。 … … 数多 く の日 本 国 民 が尊 い 命 を失 い 、 傷 つき 、 病 に 倒 れ ま し た 。 同 時 に 8月 15日 に 至 る 15 年 戦争 に お い て、 戦 場 とな っ た 中 国は じ め ア ジア ・ 太 平 洋地 域 の 人々 、 ま た 植民 地 下 の 朝鮮 ・ 台 湾 の人 々 に も多 大 な 危 害を 与 え た こ と を 、 私 た ち は 忘 れ ま せ ん 。」 と あ り ます。この 設置理 念を何と しても 守りぬ き、 加 害展 示 の 継 続を 求 め てい き た い と思 い ま す。

「近現代史を学ぶ施設」構想と連動した「リニューアル構想」

(1 ) 橋 下 市 長 は 、 昨 年 5 月 に 「 両 論 併 記 」 の 「 近 現代 史 を 学 ぶ 施設 」 構 想を ぶ ち 上げ ま し た 。し か し 具 体 化は あ ま り進 ん で いま せ ん で した が 、 橋 下 市長 ・ 松 井知 事 が 単独 の 施 設 とす る 方 針 を 決め た こ とで 、 ピ ース お お さ か 「 リ ニ ュ ー ア ル 構 想 」 は 、「 大 阪 大 空 襲 中心 」 へ と 大 きく 舵 を 切る こ と にな り ま し た 。 そ の 意 味 で は 、 「リ ニ ュ ー ア ル 構 想 」 と「 近 現 代 史 を学 ぶ 施 設」 構 想 を連 動 し た もの と し て 批 判し て い く必 要 が あり ま す。 今 年 度に 入 り 、 橋 下市 長 が 提唱 す る 「両 論 併 記 」の 「 近 現 代 史を 学 ぶ 施設 」 構 想が 動 き 出 して い ま す 。 4月 に 橋 下市 長 は 、小 泉 ・ 安 倍 (第 1次 )政 権 時 の 安 全 保 障 の ブ レ ー ン で あっ た 北 岡 伸 一氏 を 監 修責 任 者 に任 命 し 、 2名 の ア ド バ イ ザ ー ( 日 暮 吉 延 氏 、 熊 谷 奈 緒子 氏 ) を つ けま し た 。そ し て 基本 構 想 策 定の た め の 予 算も 確 保 し、 来 年 度に は 「 基 本計 画 」 を 確 定、 再 来 年度 に は 建設 開 始の計 画です 。 「 近 現代 史 を 学 ぶ 施設 」 の 全体 像 は まだ 見 え て きま せ ん が 、 橋下 市 長 は「 新 し い歴 史 教 科 書を つ く る 会 」等 の 右 派の 意 見 も取 り 入 れ 、日 本 軍 「 慰 安婦 」 問 題や 南 京 大虐 殺 、 領 土問 題 、 東 京 裁判 、 沖 縄戦 等 を 扱う と 発 言 し て い ま す 。「 両 論 併 記 」 を 口 実 に し て歴 史 歪 曲 をお こ な うの は 、 歴 史修 正 主 義者の 常套手 段です 。一連 の橋下 市長の「慰 安 婦 は 必 要 だ っ た 」「 強 制 連 行 で は な か っ た 」等 の 発 言 をみ れ ば 、加 害 事 実 の否 定 を 目論ん でいる ことは 明らか です。 (2)歴 史 認 識 は 市 民 の 手 に よ っ て 闘 い 取 る も の で す 。 そ れ は 20年 来 の ピ ー ス お お さ か の歴 史 が 物 語っ て い ます 。 大 阪 の反 戦 平 和運動 、加 害責任 と戦後補 償を求 める運 動、 反 戦平 和 教 育 と「 日 の 丸・ 君 が 代 」強 制 反 対 運動 等 、 こ れま で 大 阪で 取 り 組 まれ て き た 様々 な 運 動 が手 を 携 えて 、 大 阪 での 歴 史 認 識を 後 退 さ せる 攻 撃 に対 し て 抵 抗し て い き ま し ょ う 。「 ピ ー ス お お さ か 」 へ の 見 学 会 と意 見 の 投 書、 展 示 内容 へ の 要 望書 の 提 出 など 、 様 々 な側 面 か ら市 民 の 声 を届 け て いきま しょう 。

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参照

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