5.老賀八幡神社と三輪妙見社の祭礼にみる歴史的風致 老ろう賀が八幡神社は、上津木か み つ ぎの落合おちあい、中村なかむら、猪い谷だに集落の産土神であり、三輪み わ妙 見 社みょうけんしゃは下津木し も つ ぎ岩淵いわぶち 集落の産土神である。どちらの神社も旧津木村に属し、広川上流の地域を氏子としている。 津木村は明治 22 年(1889)、当時の前田村、下津木村、上津木村が合併し発足し、昭和 30 年(1955)には広町、南広村、津木村が合併し現在の広川町が発足している。旧津木村地域 は広川に沿った山村で、山々に囲まれた豊かな自然が残る地域であり、初夏には広川を覆う ようにホタルが飛び交う情景が広がる。 三輪妙見社は三輪社と妙見社の相殿で、三輪社には「三輪明神の伝説」という言い伝えが 残っている。三輪社は大和の国から三輪明神を迎え、岩淵の里の人々は大変喜び「 紫むらさきの庵あん」 という社を建てて祀っていた。その社の地には今も「明 神 谷みょうじんだに」という地名が残っている。し ばらくすると、三輪明神から「広々とした大和からこの狭い谷に祀られて苦しくて仕方ない。 どこかもっと広い場所に遷りたい。」とのご神託があり、天治2年(1125)に老賀八幡神社に 祀られることになったという伝説が語り継がれている。その後、天正 15 年(1587)には老 賀八幡神社の祭祀を取り仕切る宮座で紛争が起き、岩淵集落は老賀八幡神社から三輪社を遷 すこととなった。三輪明神のご神体を背負い岩淵に帰り、妙見菩薩の社に遷し、三輪社と妙 見社の相殿として、あらためて岩淵の産土神としている。 老賀八幡神社と三輪妙見社はともに明治 39 年(1906)神社合祀の一村一社の合社の定め に従い、明治 40 年(1907)津木村前田の津木八幡神社に遷宮された。戦後信教の自由が認 められると、昭和 21 年(1946)夏に産土神をお迎えしようという運動が地元で高まり、昭 和 22 年(1947)8月津木八幡神社の総代会において、中村に老賀八幡神社、岩淵に三輪妙 見社とそれぞれ古の地に遷宮することとなった。老賀八幡神社では昭和22 年9月 16 日に鎮 座祭を執り行い、翌日招遷宮祭として、平和踊り、瑞穂踊りを奉納し合祀以来40 年振りの祭 典を催している。 老賀八幡神社 老賀八幡神社の縁起伝承によると、神功皇后が後の応 神天皇と三韓征伐からの岐路、当地に立ち寄られた時、 寺杣に宮を建て「御幸之宮」と称した。その後、貞観4 年(862)に現在の地に遷され「老賀八幡宮」と名を改 めたといわれる。この神社は造営から大永7年(1527) まで宮費一切を官費で賄われたといわれ、格式が高かっ た神社であったことがうかがわれる。南北朝時代には、 護良親王が吉野からこの社に来られたという伝承も残 っている。町内には、広八幡神社、津木八幡神社、老賀 八幡神社と八幡神社が三社ありその由緒はさまざまであるが、鎌倉時代に武運の神「弓矢八 幡」として崇敬を集め、信仰されて地方に広まり、この地にそれぞれ創建された可能性が高 老賀八幡神社古絵図
いと思われる。 老賀八幡神社は、鎮守の森が北側に開けた境内の入口には鳥居 が佇み、境内左手には社務所があり、右手の石段を登った先に東 向きの本殿が鎮座する。境内にはイスノキの大木が繁り、境内背 後には大きな杉や楠が林立する奥深い鎮守の森が広がる。本殿は 平成18 年(2006)に改修が行われているが、『広川町誌』には応 永拾五年(1408)と元禄三年(1690)の棟札が記録されている。 現在所蔵している鰐口に「紀州有田郡津木村八幡宮 弘治二年 (1556)十二月吉日」と記され、本殿前の石段には「延宝九年 (1681)六月十五日 奉寄進長二良」、鳥居前の石段には「奉寄 進 享和三癸亥年(1803)十一月吉日 當村市左衛門」が刻まれ ている。『紀伊国名所図会』には「中村にあり。六箇村の産土神なり。八月の祭礼に流鏑馬・ 田楽踊あり。」と載る。『紀伊続風土記』には「本社、末社五社、山神社、門神社」が記録さ れている。これらのことから、江戸期には地域の産土神として信仰されていた様子がみてと れる。 老賀八幡神社の祭礼 老賀八幡神社の秋祭りは、昭和 22 年(1947)招遷宮祭で秋祭りを復活して以降は毎年執 り行われている。明治の神社合祀までは旧八月十四日に執り行われ、祭礼の行事には、神馬、 立 願 りゅうがん 馬 うま 、かけ馬、田楽踊、三面の神楽、その他管弦多くあり、実に華やかな渡御が行われて いた。寛政年間流鏑馬と管弦の一部が廃されたが、その他の行事は明治年間まで続けられた という。現在は、山村地域で人口減少が進み、平日開催では人が集まらないことから、10 月 の第2日曜日に秋祭りが催される。上津木地区の宮総代と役員、獅子舞を担当する 若 中わかちゅうが集 老賀八幡神社 老賀八幡神社 (昭和40 年代)
ていた獅子舞を受け継いだものである。往時の 祭りの賑やかさを取り戻すために、若中達が奮 起して獅子舞を習い老賀八幡神社の秋祭りに 取り入れたいきさつがある。獅子舞は子ども達 が笛を吹き、それに合わせてオニとワニ、獅子 舞が舞う。笛には、獅子舞がおとなしい踊りで は「おやり」、躍動的な動きでは「まくり」と いう二種類の調子があり、獅子舞の動きに合わ せて演奏される。秋祭りの 2 週間ぐらい前か ら落合区は落合公民館、中村・猪谷区は老賀八幡神社で夜に練習が行われる。村々の若衆が 奉納する躍動みなぎるオニ・ワニ・獅子舞の演技や子ども達の笛の演奏は、山里の特徴ある 風情として地域に浸透している。 宵宮では午前中に幟を掲げ、少しずつ祭りの雰囲気が盛 り上がる。落合、中村、猪谷の集落ごとに幟を掲げ、落合 橋に掲げる幟には「八幡神社 昭和35 年(1960)落合若 者中」、老賀八幡神社鳥居前には「老賀八幡神社 昭和37 年7月(1962)」と染め上げられている。祭りを喜び、地 域を挙げて祭りを盛り上げようとする様子がみてとれる。 宵宮の夜には中村・猪谷集落の若中と子ども達が集ま り、老賀八幡神社に参拝した後、総代と役員の家々を巡り獅子舞を奉納する。オニとワニの 剣の舞にあわせ獅子舞は獅子頭を振り、子ども達は笛を奏でる。家廻りの獅子舞の演技が終 了するとお多福が祝儀を受け取り、家内安全を願う剣を模った剣先けんさきをお返しに渡す。家々で はお酒や食事が振る舞われ、子どもから大人まで歓談して和やかに過ごし秋祭りを楽しむ。 宵宮の様子(中村・猪谷) 落合橋の幟 獅子舞練習の様子(中村・猪谷)
秋祭り当日、中村と猪谷集落の総代、役員、若中、子ども達は老賀八幡神社に集まり、そ の年に不幸事があった家を除き集落すべての家々を廻り獅子舞を奉納する。落合集落も落合 公民館に集まり同じように集落の家々を廻る。落合集落には「明治 38 年(1905)張替」と 記された、明治の神社合祀前の祭礼で使われていた大太鼓が今も残 る。当時の大太鼓を二人で担ぎ、山間に太鼓の音を響かせる。家々で は笛と太鼓が奏でる調べに合わせ獅子が舞う。落合集落でも中村・猪 谷集落と同じように、家々でお酒や食事が振る舞われる。 落合集落には、明治期まで行われていた武者行列に使われていた甲 冑が伝わり、秋祭り当日にはその当時を偲び落合公民館に飾り付けら れ、御神酒となれ寿司が供えられる。 正午には子ども達が老賀八幡神社に集まり、子ども神輿が各集落を巡回する。その後、落 合と中村・猪谷の獅子舞が老賀八幡神社に宮入りする。午後2時から秋祭りの神事が執り行 われる。 秋祭り当日の様子(落合) 甲冑
神事終了後、落合と中村・猪谷の獅子舞が順に奉納される。獅子舞を見物する地域の人々 は地元集落の獅子舞に御捻りを飛ばして祭を盛り上げる。その後神輿渡御が行われ、御旅所 でもう一度獅子舞を奉納する。獅子舞奉納後神輿は還御し、境内では子ども達にお菓子が配 られ、その後景品が当たるくじ引きで盛り上がり秋祭りは終了となる。 御旅所の様子 獅子舞奉納の様子
三輪妙見社 岩淵集落の三輪妙見社は『紀伊国名所図会』に「岩淵三輪明神社の社 此村津木谷の奥に て人家五十町 許ばかりの間に散在して、人物 尤もっとも質朴なり。」と載る。その様子は現在の姿と大差 なく描かれている。当時は嘉吉(1441~1444)の年号を記した鰐口が社殿で使われていたと も記されている。 現在、石段を上った境内には三輪社と妙見社が立ち並び、石段には「元文四年(1739)三 月吉日 村氏子中」と刻まれ、『紀伊国名所図会【嘉永4年(1851)】』に描かれている石段が 現在も残ることが分かる。社殿前には享保5年(1720)と文化 10 年(1813)奉納の石灯籠 も残り、境内にはナギの大木が佇み、背後には鎮守の森が広がっている。 紀伊国名所図会(国立国会図書館蔵)
三輪妙見社の祭礼 岩淵の三輪妙見社の秋祭りは古くは旧暦九月九日 に執り行われていたが、現在は毎年10 月2日に催さ れる。前日には三輪妙見社に幟が掲げられる。三輪大 明神の幟には「昭和三十六年十月 岩淵区」と染め上 げられ、秋祭りは古くから執り行われ昭和 22 年 (1947)遷宮に合わせて復活したと考えられるが、 昭和36 年(1961)には地域を挙げて催されていたこ とが分かる。 当日には、祭りの餅撒きのため岩淵公民館で餅搗つきが行われる。もとは子どもたちが神輿 を担ぎ家々を巡った祭りであったが、山村地域で子どもが減少したため取り止めとなった。 しかし、古から続く産土神の秋祭りを少しでも賑やかなものにしたいという地元の人々の願 いから、現在は秋祭りに餅撒きが行われる。餅撒きの準備は前日に洗米して水に浸しておき、 当日は朝から集落の女性が集まり餅を搗く。搗きあがった餅は小さく千切られ手で丸められ た餅と大きな餅に分ける。大きな餅には朱で「五穀豊穣」「家内安全」などの様々な願いごと が書き込まれていく。餅を手で丸めながら集落の人々が語り合うその姿から、秋祭りを迎え た喜びとともに人々の繋がりが感じられる。 午後1時に三輪妙見社で神事が執り行われ、その後餅撒きが行われる。餅撒きが終わると 秋祭りは終了となり、その後、神社の近くの青少年の家に集落の人々が集まり、直会が行わ れる。 神事と餅撒きの様子 三輪妙見社に掲げられた幟 餅撒き準備の様子
老賀八幡神社と三輪妙見社は旧津木村の山間の集落で、地元の人々の篤い信仰によって支 えられ祭礼が続いている。神社合祀によって別の地に遷っても、遥拝所として守り続け、遷 宮にあたっては集落全体で祭典を営み喜びを表している。 老賀八幡神社と三輪妙見社の祭礼は、人口減少や高齢化などの影響から祭礼の形態に変化 が生じているが、人々のその想いは変わらず綿々と執り行われている。山間の集落で支え合 いながら積み重ねてきた人々の繋がりを基盤に執り行われる祭礼は、山間部特有の雄大な景 観を背景に、古から守ってきた社とともに集落と一体となり特有の歴史的風致を形づくって いる。 ■老賀八幡神社と三輪妙見社の祭礼関連図