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〈研究ノート〉ローザンヌ大学ワルラス文庫について

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<研 究 ノー ト> 1 )

ローザ ンヌ大学 ワル ラス文庫 について

山奇

加 代 子

I は じめに 1998年は,ワ ルラスの 『応用経済学研究』 (1898)公千J100周年 と,パ レー ト 生誕150周年 にあた り,ロ ーザ ンヌ学派の研究者 にとつて記念すべ き年であっ の た。 これ を記念 して,10月 には,ロ ーザ ンヌ大学でシンポジウムが開かれた。 私 は幸運 にも,こ のシンポジウムに参加 した後,主 催者である同大学のワルラ ス=パ レー ト研究セ ンターの好意により,同 大学所蔵のワルラス文庫等 を,詳 しく案内 して もらうことがで きた。 本稿 の 目的は,こ のワルラス文庫か ら垣間見 ることがで きたワルラス経済学 の形成過程のい くつかの側面 に注 目し,昨 年10月に出版 された拙著 『ワルラス の経済思想 ―一般均衡理論 の社会 ヴイジ ヨン』 (名古屋大学出版会)の 内容 を 補 うことである。 Ⅱ ロ ーザンヌ大学 とワルラスの資料 現在 , ロ ーザ ンヌ大学 にあるワルラス関係 の資料 は, 「ル・フォン ・ワルラ ス ( L e F o n d s W a l r a s ) 」と 「ワル ラス文庫 ( L a b i b l i o t h ёq u e p e r s o n e l l e d e W a l r a s ) 」と して保存 されている。「ル ・フォン ・ワル ラス」 は, 主 にワルラ スの草稿 , 書 簡 な どか ら構成 されてお り, 州 。大学図書館 ( L a b i b l i o t h ёq u e 1)本 稿 は,1998年 12月12日に滋賀大学経済学部で開かれた経済学史学会関西部会第136回 例会で報告 した ものに,加 筆,訂 正 を行 つた ものである。報告 当 日とその後 に,多 くの方 々か らご教示 をいただいた。 この場 を借 りて、おネとを申 し上げたい と思 う。 2)シ ンポ ジ ウムの タイ トル は 「一般均 衡 一応 用経 済学 と社 会学 との 間で (Colloque: L'6quilibre gёnOral entre 6conomie appliqu6e et sociologie)」である。なお ここでの報 告論文集 は,今 年秋 に,妃θυttθ θttγOpttθ物物θ αθs scあθttcθS SOCづa↓θs 誌 の特集号 として 公刊 される予定である。

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8 0 彦 根論業 第 319号

Cantonale et Universttaire)に保存 されている (ローザ ンヌ大学は,ヴ オ■州 の管轄下にある)。

またワルラス文庫 は,ワ ルラスの蔵書,雑 誌,新 聞記事 などの切 り抜 きか ら 構成 されてお り,同 大学のワルラス=パ レー ト研究センター (Le centre d'ёtudes interdisciplinaires Walras―Pareto)によって管理 されている。現在 どち らの資 料 も,セ ンターのホーム ・ベージ (http://www.unil.ch/cwp)で 検索可能 である。 今回のシンポジウムは,10月22・23日 (木・金)に 行われたが,そ の後24日 (土)に は,「ル ・フォン ・ワルラス」 を含むワルラス関係の資料の閲覧 と, 旧市街のワルラスゆかりの地を見てまわるエクスカーシヨンが,主 催者側によっ て計画されていた。ところが,そ の参加希望者が,シ ンポジウム参加者のうち 私一人だけであつたために,計 画が変更された。「ル ・フォン ・ワルラス」は, シンポジウムの主催者であるワルラス=パ レー ト研究センターではなく,州 ・ 大学図書館の管轄下にあ り,通 常土曜 日の閲覧は,許 可されていない。閲覧希 望者の数が多ければ,例 外 も認められたらしいが,今 回の場合は,閲 覧の許可 はお りなかった。 おかげでその分,「ワルラス文庫」 を見る時間を,た っぶ りとることができ た。ワルラス文庫は,小 さな地下室にあ り,机 と照明も置いてあるので,セ ン ターの人に鍵 さえ貸 してもらえば,い つまでもそこで閲覧することができた。 結局,私 は3日 間そこに通 うことができた。 皿 ル ・フォン ・ワルラス訪問 土曜 日のエクスカーシ ヨンでは,閲 覧が許可 されなかったル ・フォン ・ワル ラスには,月 曜 日の午前中に訪れることがで きた。 ここでは,あ らか じめカタ ログで資料番号 をさが し,司 書 に申 し込めば,書 庫から持 って きてもらえる。 資料 の保管上の理 由か ら,書 庫 には直接入れない ことになっているのである。 閲覧は,決 め られた場所でのみ許 される。 私 はそ こで,ワ ルラスの経済学上の処女作 『経済学 と正義』 (1860)に関わる

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< 研 究ノー ト>ロ ーザンヌ大学ワルラス文庫について 81 手稿 を閲覧 させ て もらい,ワ ル ラス 自身が書 いた この本 の表紙 と目次 を見 るこ

とがで きたが,興 味深 か ったのは,次 の 3点 であ る。

( 1 ) 翌1 8 6 1 年に公干J される 『ヴォエ州の租税について のθι' 初響めけ】a t t s ιθ ∝陶け0%】 θk挽減, Imprirnerie de Louis Vincent, Lausanne, 1861)』のタイ

トルが,表 紙にも日次にも含まれていた。両者は,同 一の書物 として公刊 され る予定だったのだろうか。1860年7月,ワ ルラスはローザンヌで開かれた国際 租税会議 に出席 した。このとき,ヴ ォー州で開かれた租税問題についてのコン クールに提出 したのが,こ の論文であると この論文では,『経済学 と正義』で は十分に述べ られていなかった土地国有化論が展開されていると,後 にワルラ スは「自伝 ノー ト」に書いている(御崎1998,p.151)。そこか ら判断すれば,こ れら二つの著作 を合わせて初めて,ワ ルラスの初期の経済思想はより完全なも のとして提示できると考えられていたのかもしれない。 (2)目次の冒頭に 「自伝 ノー ト (Notice Autoblographique)」とあった。「自 伝ノー ト」の作成に取 りかかったのは,1890年代だとワルラスは説明 していた (御崎1998,pp.148-149)が,26才 であったこの頃,す でに構想 していたのだろ うか。そうであるとすれば,ワ ルラスという人は,か なり自意識の強い人であっ たのか もしれない。 (3)同じく目次の 2番 目に 「経済学文献 目録 (Bibliographie 6conomique)」 とあった。ワルラスが自らの著作の整理に取 りかかったのは,「自伝ノー ト」 か ら判断すれば,晩 年の1905年頃だと思われたが (御崎1998,p.166)が,こ れ もこの時にすでに構想 されていたのだろうか。 IV ワ ル ラス文庫 とMorn対 氏 による解説 ワル ラス文庫 は,ワ ル ラス =パ レー ト研 究 セ ンターのあるローザ ンヌ大学 の Ho E.C(高 等 商業学校 )の 建物 の地下 にあ る。その うち ワル ラスの蔵書 は, 5段 のス チ ール本棚 10個分 ほ ど,製 本 された雑誌 が 同 じ本棚 3個 分 ほ ど,そ の 3)ち なみにこのローザンヌ訪間を機に知 り合ったルイ ・リュショネが後に,ヴ ォー州の公 教育部長になり1870年にワルラスをローザンヌ ・アカデミー(後のローザンヌ大学)に招聘 することになるのである。

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彦根論叢 第 319号 他新聞や雑誌記事の切 り抜 きが,某 子箱ほどの段 ボール箱70個ほどに収め られ ていた。 4 ) 同 じ書庫 には,「パ レー ト文庫」 として,パ レー トの経済学関係の蔵書 も収 め られていた。 これは同 じ本棚 3個 分 ほどであつた。案内 して くれたセ ンター のFlorenzo Mornati氏の話 によれば,パ レー トの蔵書の整理は,彼 の死後, 2 番 目の妻がそ うい うことにあ ま り熱心ではなかったせい もあって,ま だ完全 に は終わっていない とのことであった。それに対 してワルラスの蔵書 は,ほ ぼ完 全 に保存,整 理で きていると考 えて もらって よい とのことであった。た しかに 「自伝 ノー ト」 にも晩年 ワルラスが,自 分の蔵書 についての指示 を書いたノー トを作成 したことが触 れ られている (御崎1998,p。166)し,娘 のア リーヌが父 親の資料 の保存 に熱心であったことを考 えれば,不 思議ではない。 またMornati氏によれば,パ レー トは自分の蔵書 には一切書 き込みをせず, ほかにノー トをとっていたのに対 して,ワ ルラスは,多 くの書 き込みやアンダー ラインを残 している。 こうい うところにもワルラス とパ レー トの方法論上の違 いがあ らわれているのだ と,氏 は冗談 まじりに話 して くれた。ワルラスのこの ような習慣 は,研 究者 にとっては,た いへんあ りがたいことだった。 ほかにもMornati氏は,興 味深いことを教 えて くれた。たとえば一般的には, ワルラス とパ レー トでは,パ レー トの方が政治に深 くかかわつていたように思 われているが,実 際には,ワ ルラスの方が現実の社会問題 に対 して生涯,非 常 な熱意 をもっていた とい うこと。それはワルラスが残 した膨大な新聞,雑 誌記 事の切 り抜 きか らも, うかが うことがで きる。実際,私 が見た一部の切 り抜 き だけで も,労 働運動,協 同組合運動,フ ェ ミニズム運動 など,晩 年 に至 るまで 多岐 にわたつていた。 V ワ ルラス経済学がフランスで拒否された理由 ワルラス文庫における経済学関係の雑誌の多 くが,ワ ルラスの晩年まですべ てそろっているのに対 し,雑 誌 『ジュルナル ・デ ・ゼコノミス ト徹朔物aι ttθs 4)パ レー ト文庫 を取 り巻 く状況 については、Bruttin(1995)が詳 しい。

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<研 究 ノー ト>ロ ーザ ンヌ大学 ワルラス文庫 について 娩 θttο物ぢsけθs)』ヤよ,1880年以降の巻が,ま ったく見あたらなかった。同誌は, ワルラスが若い頃(1859-60年頃)編 集者 としてつとめていたフランスの有力な 経済学雑誌である。 Mornati氏によれば,こ れはワルラスがこの1880年に,パ リの経済学者たち と縁 を切 つたことを示 しているという。なるほど,「自伝 ノー ト」の中にも, ワルラスがローザ ンヌで 『純粋経済学要論』 (初版1874-77)を公刊 したあと, それをフランスで普及させようとしたとき,正 統派の経済学者たちから大 きな 圧力がかかった状況が書かれている。特に1879年に,フ ランスの法学部での経 済学の講義を文部大臣に申し出たところ,結 局,拒 否されたこと,そ して1880 年には, レオン ・セイが,フ ランス生命保険数理士協会の会長に就任 した途端, ワルラスは同協会から追い出されたことについては,か なり恨みをこめて書か れている(御崎1998,pp。158-159)。『フランス保険数理士雑誌 (拘物物 例 】θs Acttaづ解sF陶 %。aぢs)』も1880年でス トップしていることに,後 で気づいたが, それも以上の理由によるものであろう。 ワルラスの純粋経済学が,フ ランスではなかなか受け入れられず,ワ ルラス はついに母国で教職を得ることができなかったのは,彼 の青年時代からの社会 主義的な主張が原因だと,私 は拙著で説明した(御崎1998,p.5)。しかしMornati 氏によれば,そ れもまた一つの理由ではあるが,も っと大 きな理由は,数 学を 使用 した純粋経済学という発想そのものが,当 時はまったく受け入れられなかっ たということである。正統派の経済学者たちは,ワ ルラスの純粋経済学を,反 自由主義的と見なしたという。それは,経 済モデル (特に消費者行動のモデル) に数学を使用するためには,人 間の行動 をある一定の厳密な仮定にはめこむ必 要が生 じ,そ ういう手続 きが,現 実の自由な人間行動を否定する思想 として見 5 ) なされたということである。 ただしパ レー トの時代 になると,フ ランスの経済学者の一般均衡理論に対す る態度は和 らいでお り,パ レー トはワルラスのような問題には苦 しまなかった 5)数 理経済学 と反 自由主義 についての問題 は,Zylberberg(1990)において も論 じられてい る (pp.59-64)

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84 彦 根論叢 第 319号 とい う説明であつた。パ レー トが ローザ ンヌ大学で講義 をしたのは,1893年か ら1 9 0 9 年であるが,た しかに 「自伝 ノー ト」の中で も,1904年頃か らフランス での ワル ラスの評判が少 しずつ好転 した ことが述べ られている (御崎1998,p. 1 6 5 ) 。 Ⅵ フ ランス経済学史 とワルラス ワル ラス文庫 について さらに驚いたのは, 学 生の 自由な閲覧 ・貸 し出 しが 許可 されていることであった。それは,ワ ルラス文庫が,ワ ルラスの蔵書であ るとい う点 においてだけでな く,そ れが当時のフランスの主要な経済学文献の コレクシ ョンであるとい う点で,貴 重だか らだという説明をうけた。 た しかに,ワ ルラス文庫の大部分 は,18世 紀か ら19世紀 におけるフランスの 社会科学の文献で占め られていた。それ らと比較すると,イ ギ リスや ドイツの 経済学文献 (原書 または仏訳本)が ,か な り少 ない印象 をうけた。 ワル ラスの経済学の形成過程が,フ ランスの経済学の影響下にあ り,イ ギ リ スの経済学か らはほ とん ど影響 をうけていないことについて,シ ュンペーター は次の ように表現 している。 「マ リー ・エスプリ ・レオン ・ワルラスは,単 にその生誕の場所の関係のみ な らず,本 来のフランス人であった。彼の推理のスタイルだ とか彼の業績の性 質だ とかは,ラ シーヌの戯 出とか,ア ンリ ・ポワンカレの数学 とかが,特 徴的 にフランス的であったの と同 じ意味で,特 徴的にフランス的である。 また彼の 業績のあ らゆる根源 も然 りである。彼 自らは,彼 の父オーギュス ト・ワルラス お よびクルノーの影響 を強調 していた。 しか し以前 に強調 したように,わ れわ れは,彼 の真の先駆者たるセイの影響 をも付加する必要がある。そ してセイの 姿の背後 には,ワ ルラスが多かれ少 なかれ意識的に吸収 していたであろうフラ ンスの全伝統 一コンデ ィヤ ック,チ ュルゴー,ケ ネー,ボ ワギルベールーが浮 0 かび出ている。彼 はアダム ・ス ミスには,慣 例的な敬意 を払 ったが,そ の他の 6 ) ち なみにワルラスは、スミスの 「国富論』については、ガルニエ編の仏訳第 2 版

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< 研 究ノー ト>ロ ーザンヌ大学ワルラス文庫について 85 偉 大 なイギ リス経済学者 は,彼 に とってほ とん ど意味が なか った。」 (Schumpe― ter,」.A.1954,東畑訳 ,p。1742)

ワル ラス文庫 は,ま さにこの シュ ンペー ターの言葉 を実証す る ものであった。 また フラ ンス経済学者か ら受 けた影響 に加 えて,ワ ルラスがルソー全集 (∽ιιθc― けあοtt cοttpιёけθ】θs伊 物υγθ軌 挽 a物―」ac?切θs ttοttssθatt s.e。,Genёve, 1782)

に多 くの ア ンダー ライ ンを残 してい るこ とが, 印 象 的だ つた。

W I l ジ

ェヴォンズからの献呈本

ワル ラス文庫 の中に見 つ けた,ジ ェヴ ォンズの 『経済学 の理論』 (」evons,w. S. 助 θ η佐夕ο拠メQだPθιづけづcaι』cοttοl物7, A/1acmlllan, London and New York, 1 8 7 1 ) は ,ジ ェヴ ォンズか ら献呈 された もの ら しく,扉 に “M . L 6 o n W a l r a s w i t h t h e . …( ? ) c o h p l i m e n t s o M a n c h e s t e r M a y 2 6 t h 1 8 7 4 ルとぃ ぅ献辞が 添 え られていた。 ワル ラスは,1874年 5月 1日 に,自 分 の論文 「交換 の数学的理論 の原理」 ( 1 8 7 3 ) を添 えて,ジ ェヴォンズに手紙 を書いた告 ワルラスは,こ の論文の中で 展 開 した限界効用理論が,す でにイギ リスでジェヴォンズによって発表 されて いることを知 りすジェヴォンズに直接,自 分の理論 を知 らせたのである。そ し て実際 ジェヴォンズは,こ の後, 5月 30日付 のワルラス宛の手紙 (Walras,L. 1 9 6 5 , l e t t e r 2 7 8 ) の中で,自 分の 『経済学の理論』 を 1冊 送 ったので,そ れ を 読 んで意見 を聞かせ てほ しい とい うことを書いているので,お そ らくそれが こ の本であろう。 ワル ラス文庫の 『経済学の理論』 を見 ると,IntrOductionに多 くの書 き込み が されていたが,そ の多 くは英単語の意味 をフランス語で書いたものであった。 しか も,そ の後のベージにはまった く書 き込みがなかった。ワルラスが辞書 を \E d i t e u r s c i e n t i f i q u e , G e r r n a i n G a r n i e r , s e c o n d e d i t i o n , A g a s s e , P a r i s , 1 8 2 2 ) を開, 蔵 してい るが, 書 き込みは見あた らなかった。 7 ) こ の書簡その ものは, ジ ャッフェ編 の 「書簡集J ( W a l r a s , L 。1 9 6 5 ) に収め られてはい ないが, そ の状況は, 5 月 1 2 日のジェヴォンズか らワルラス宛の手紙 ( I b i d . , l e t t e r 2 7 2 ) や 5 月 2 3 日の ワル ラスか らジェヴ ォンズ宛の手紙 ( I b i d . , l e t t e r 2 7 5 ) でうかがい知 ること がで きる。

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86 彦 根論叢 第 319号 片手 に, 苦 労 して読 んだ ことが うかが えるが, I n t r o d u c t i o n だけでやめて しまっ たの は,内 容 に興味が なか ったか らか,あ るいはそれ以上英語 を読 むのが苦痛 働 だったか らなのか定かではない。 ワル ラスは,す でに 5月 23日付のジェヴォンズ宛の手紙 (Ibid.,letter 275) の中で,ジ ェヴォンズの理論 と自分の理論 との類似性 を主張 しつつ,そ の優先 権 をジェヴ ォンズ に認 めていたので,F経 済学の理論』 をあ らためて読 む必要 はなかったのか もしれない。 ワル ラス は,同 年 7月 29日のジェヴォンズ宛の返信 (Ibid.,letter 286)で, 自分 は本 の出版 (『純粋経済学要論』の初版第一分冊)で たいへ ん忙 しいこと, 本 を一度読 んだだけでは意見 を述べ るのに不十分であること,フ ランス語訳が あればあ りがたい ことな どを書いている。 ワルラス文庫 には,ジ ェヴォンズ 『経済学の理論』の他の版 (1879年版,1878 年の伊訳,1909年 の仏訳)も 所蔵 されているはずであるが,残 念なが ら今回は, 1909年のイム訳 しか確認できなかった。そしてそれにはまったく書き込みがなかった。 WHl イギリス古典派経済学からの影響 今回のワルラス文庫訪間で,私 が もっとも知 りたかつたのは,ワ ルラスがイ ギリス古典派,特 にリカー ドや」.S.ミルからどの くらい影響を受けたのかとい うことであつた。 シュンペーターが指摘 したように,ワ ルラスの経済学形成過程に本質的な影 響を与えたのは,フ ランスの経済学であ り,イ ギリスからはほとんど影響をう けていないという仮定のもとに,こ れまで私は研究を進めてきたが,こ のよう な問題に興味を持つようになったのは,1995年 から96年にかけて 『経済セミナー』 (no.490-496)に おいて 「ワルラスの経済思想 (全6回 )」 を連載 している時 に,森 嶋通夫氏からいただいた手紙が きつかけである。 それはワルラスの 「進歩する社会における価格変動の法則」の起源について 8)ち なみにワルラスは,ジ ェヴォンズ宛の手紙をフランス語で書 き,ジ ェヴォンズからは 英語で返信 を受け取 っている。

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< 研究ノート>ローザンヌ大学ワルラス文庫について 87 の質問であった。 この法則 は,F純 粋経済学要論』の第36章に収め られてお り, その位置づけをめ ぐっては,有 名 な」a髄 =森 嶋論争の焦点にもなった。この法 則 は,資 本蓄積 と人口増加が進むにつれ,地 代 は上昇,賃 金は一定,利 子 と利 潤率 は低下する とい う分配法則である。 「進歩する社会 においては,労 働 の価格すなわち賃金 は日立 って変化せず, 土地用役の価格すなわち地代 は日立 って上昇 し,資 本用役の価格すなつち利子 は目立 つて下落する。・i・・・i進歩す る社会 とこおぃては,純 収入率は,目 立 って下 落す る。」 (Walras,L.1988,p.597。久武訳p.412) ワルラスの興味が静的な経済や分析 にあった という通説 とは逆 に,森 嶋氏は, この法則の存在 によって,ワ ルラスの動態への関心 を指摘 し,ワ ルラスモデル の動学化への可能性 を示 した。一方,Ja縫 は,こ の法則 を 『純粋経済学要論』 の単 なる 「コーダ」 と見 な し,あ くまで もワルラス経済学の静学的な枠組み と そのユ ー トピア としての性質 を主張 していた。 私 は,こ の法則が,父 オーギュス トか らレオン ・ワルラスに受け継がれた も のであって,父 子の主張する土地国有化の根拠 となるものであったこと,そ の 法則 の厳密 な定式化 こそが,ワ ルラスに純粋経済学の設立 を決意 させたことを, 9 ) 同連載の中で明 らかに していた。 一方,森 嶋氏は,こ れをリカー ド的な結論 と見なし,リ カー ドとワルラスと の理論的な連続性 を強調す ると同時に,ワ ルラスを 「古典派」 と位置づけてい た。そ こで実際に,ワ ルラス父子 は,こ の法貝Jについてのインス ピレーシ ョン を, リカー ドか らどの くらい影響 を受けているのか とい うのが,森 嶋氏の私 に 対す る質問であった。 私 はすでに同連載の中において も,こ の法則が,リ カー ドの主張 と表面的に は似 ていて も,両 者は異 なる論理構造 をもつ こと,そ れはワルラス とイギ リス 古典派の社会 ヴイジ ョンとの違いに も関連することをすでに主張 していたと ・ ワル ラスは,後 に 『純粋経済学要論』の第39章で 「地代 についてのイギ リス学 御崎 ( 1 9 9 8 ) の第 1 章 を参照 されたい。 御崎 ( 1 9 9 8 ) の第 3 章 を参照 されたい。

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88 彦 根論叢 第 319号 派の理論 の解説 と批判」 において リカー ドの差額地代論 を紹介 し,そ れを批判 している。その主な批判点は,限 界地 に地代が生 じない ということ,地 代,賃 金,利 子の決定が独立 に論 じられ,価 格決定理論 を構成 していない とい うこと に集約で きる。ワルラスが このような批判 をした背景には,こ れ もまた社会ヴイ ジ ョンにおけるイギ リス古典派 との断絶があるか らだ とい うことが私の主張で ある。 そ こで今回のワルラス文庫訪間は,ワ ルラスが どの くらい リカー ドの著作 を 読 んでいたか を調べ,そ の直接的な影響 を知 る良い機会だと考 えたのである。 IX リ カー ド 『経済学および課税の原理』 そ こ で ま ず リ カー ドに つ い て 調 べ て み る と,『 経 済 学 お よ び課 税 の 原 理 』 の 仏 語 版 ( 1 8 1 9 ) の θs p 克物C の θs a θ ″' 沈οt t ο物 づθ pοιづけを? 物θ θ渉】θ ι' 筋轡 めけp a r David Ricard:trad. de l'anglais par Fo S.Constancio:avec des notes

explicatives et critiques par」.一B.Say, J.P.Ailland, Paris, 1819)が見つかっ た。 しか もこれが ワルラス文庫 に所蔵 されている唯一の リカー ドの著作であっ た。中を見 ると,意 外 なほど美 しく保 たれていた。書 き込みやアンダーライン は,価 値論の部分 にわずかあるだけである。 この本の発行年 (1819)から判断 し て, もともとは父のオーギュス ト(1801-1866)の蔵書 だったのか もしれない。 オーギュス トが書 き込み をする人だったのか どうかはわか らないが,わ ずかな 書 き込 みは,そ の くせか ら判断 して,レ オ ン ・ワルラスの ものの ようだ。 (た とえば,パ ラグラフの横 の×印)。「進歩す る社会 における価格変動の法則」の 形成過程が, リカー ドか ら受けた影響 については,こ の本 を見 る限 りでは,謎 である。 X J.Sロ ミル 『経済学原理』 次 に」,S,ミルについて確認す ることにす る と,『経済学原理』仏語版第 2版 (1861)(P克物cのθsが あσοttθ物づθ pθιうけ竹物θ par」。S.Mill,trad.par MM.H. D u s s a r d e t C o u r c e l l e s ―S n e u i l , s e c o n d e e d i t i o n , G u l l l a u m i n , P a r i s , 1 8 6 1 )

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< 研 究 ノー ト> ロ ーザ ンヌ大学 ワルラス文庫 について 8 9 1 1 ) が見つかつた。意外 なことに,こ ちらの方は,お びただ しい書 き込み とアンダー ラインがあった。 しか も書 き込みのある部分 とまった くない部分 との区別が, たいへ んはっきりしているので,何 か手がか りがつかめそ うだった。 最初 に気づいたのは,ワ ルラスが,第 1篇 「生産」の第 1章 か ら第 7章 まで (特に第 5章 の資本 についての根本命題),第 10章 「労働増加の法則 について」 第11章 「資本増加の法則 について」第12章 「土地か らの生産増加の法則 につい て」など,「進歩」にかかわる議論に,た いへん興味をもっていたことである。 この中の 「すべての資本は貯蓄の結果である。」 という文には,「正 しい(Vral)」 などと書 き添えてあったが,こ れは,後 にワルラスがアソシアシオン運動 (労 働者が貯蓄により資本家になることを推進,1865年から69年まで従事)時 代に おいて,繰 り返 した文句である。 第 2編 「分配」では,冒 頭の 「そもそも富の生産に関する法則や条件は,物 理的真理の性格 を持ち,そ こには人間の意のままに動か しうるものは何 もない のである。」 という部分で,「物理的真理の」 というところにアンダーラインを 引 き,「その通 り (Oui)]と付け加えている。これは,ワ ルラスが 『経済学 と 正義』 (1860)の中で強調 した経済学の分類法一自然科学 としての交換価値お 1 2 ) よび生産理論 と,道 徳科学 としての所有,分 配理論 一が,こ こで述べ られてい るの と一致 したか らであろう。ただ しミルが ここで強調 したのは,生 産が収穫 逓減法則 などにより人間の意のままにならない とい うことであ り,ワ ルラスの 主張する物理学的アナロジーによる純粋経済学 とは,意 味が違 う。 また,第 11章 「賃金 について」14章 「職業の差異による賃金の相違 について」 15章 「利潤 について」16章 「地代 について」 にも多 くの書 き込みやアンダーラ イ ンが集 中 している。おそ らくこれ らは,後 に 『純粋経済学要論』で展開され るイギ リス古典派批判一第38章 「生産物の価格 についてのイギ リス学派の理論 1 1 ) ワ ル ラス文庫 に所蔵 されている」. S . ミルの著作 には, 他 に,「自由論』の仏語訳 (あα Lづbθ句ど, Guillamin, Paris, 1860)が ある。 12)自 然科学 としての交換価値 の理論 は,後 の純粋経済学 にあたる。 また,生 産の理論 は, 後 に応用経済学 に分類 されることになるが,当 時 この二つの理論 は未分化であった。一方, 所有 と分配の理論 は,社 会経済学 となる。

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90 彦 根論叢 第 319号 の解説 と批判」 第39章 「地代 についての イギ リス学派の理論 の解説 と批判」 第 4 0 章 「賃 金 お よび利 子 につ い ての イギ リス学派 の理論 の解 説 と批判」― を書 く 土台となった部分であろう。ワルラスはこれらの批判を,ロ ーザンヌ大学の正 教授就任演説 (1871)で,は じめて披露 してお り 時期的にも,つ じつまがあう。 さてこの本の中で, もっとも書 き込みが多かったのは,第 4篇 「生産および 分配に及ぼす社会の進歩の影響」である。特に第 1章 「富の増進 しつつある状 態の一般的特性」の冒頭で,静 態論から動態論へ と議論を移すことが述べ られ ている部分では,「静態 (stadque)→変化 (changement)」と書 き加えがあった。 この部分は,後 の 『純粋経済学要論』の中での,一 般均衡から経済進歩へのワ ルラスの議論の進め方 を紡彿 とさせるものである。また進歩が,自 由と安全 (s6curit6)をもたらす というミルの主張にもアンダーラインがあった。また 第 4篇 でもっとも書 き込みの多かった,第 3章 「産業の資本および人口の増加 が地代,利 潤,お よび賃金に及ぼす影響」の ミルの結論は,社 会が進歩するに したがって,地 主は富裕化 し,労 働者の生活資料の費用は増大 し,利 潤は下落 する傾向にあるというものである。確かにこれはワルラスの 「進歩する社会に おける価格変動の法則」 と類似点を持つが,こ の本が1861年に公刊 されたこと を考えると,直 接的な影響は考えにくい。 それは,オ ーギュス トが,こ の法則の原型 と考えられる法則を述べたのは, 『社会的富の理論』 (1849)においてであ り,こ れをワルラスは,『経済学 と正 義』 (1860)の中でそのまま引用 しているからである。つまリワルラスが,こ の ミルの 『経済学原理』を読んだときには,進 歩する社会の法則 も,土 地国有化 のアイデアもすでにオーギュス トから受け継いでいたのであ り,そ の後,父 と 自分の主張 と, ミルとの間に共通点を見いだしたと考える方が,自 然であろう。 ただしこれは,こ の仏訳 (1861)が,ワ ルラスの読んだ,は じめての 『経済学 原理』であったとすればの話であ り,ま た父オーギュス トが 「進歩する社会の 法則」を述べた際に, リカー ドや ミルの主張に影響を受けていたかどうかにつ いては,ま ったく不明である。

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<研 究 ノー ト>ロ ーザ ンヌ大学 ワルラス文庫 について 91 X l サン ・シモン, マ ルクス ワルラスの父が,サ ン士シモン主義者の集会にたびたび出席 し,ワ ルラスの 経済学形成過程 もサ ン主シモン主義からの少なからぬ影響を受けているに違い

ないと

いうことは, し

ばし

指摘さ

れる

とし

かし

実際にそれがどう

いうものだっ

たかは,十 分 に明 らか には されていない。 ワル ラス文庫 に もサ ンシモ ンの著作 集 め 竹scんθづsあθs】θa庄 溺θ saづ%け―S初切句.Pttcじ能 es】'物れ 泳 sat sttγ sa 】θc脇れθと,Van Meenen,Bruxelles,1859)が あ った。書 き込 み は,ま ば らで, ア ソシア シオ ン,組 織化 ,進 歩 な どの概念 に注 目 してい る こ とはわか った もの の,ど う も体系 的 に把握 で きなか った。 ちなみに,マ ルクスについては,『資本論』の仏語版 (Lθ c(ηづけaらCれサぢ?物θ 冴θι'θcθttθ物づθ pθιウけウ?物θ,Paris,1900-1902)があつたが,書 き込みはまった くなかった。ワルラスのマルクス批判 (あるいは賛同)に 関 しては,主 に論文 「財産の理論」におけるものが重要だと思われる小,こ れは,1896年の 『社会 主義雑誌 (貴θり物θ Sοcあaιsあけθ)』に掲載 され,『社会経済学研究』 (1896)にも収 められている。すなわちワルラス文庫の F資本論』が公刊 される前に,ワ ルラ スはすでにマルクス論 を発表 していたのである。 1 5 ) 『社会主義雑誌』は,ワ ルラスの終生の親友ジョルジュ ・ルナールが編集長 をつ とめていた雑誌で,ワ ルラス文庫 にも,1894-1898年の分がおさめられて いる。ワルラスが同時代の社会主義思想からどのような影響をうけたのかとい うことについては,単 に書物からの影響だけでなく,交 友関係からの影響 も詳 細に調べる必要があるようだ。 1 3 ) 例 えば, J o l i n k ( 1 9 9 6 ) は, ワ ルラスがサ ン= シ モンの歴史観か らいかに影響 を受け, れを乗 り越えることによって,自 らの経済学の方法に到達 したかについて論 じている。 の点については,御 崎 (1997)を参照 されたい。 1 4 ) 詳 しくは, 御 崎 ( 1 9 9 8 ) p . 5 2 を参照 されたい。 1 5 ) G e o r g e R e n a r d ( 1 8 7 4 - 1 9 3 0 ) 高等 師範 の学生であ った ときに, パ リ ・コ ミュー ン(1871) で活躍。その後スイスに亡命 し, ロ ーザ ンヌ大学の仏文学の教授 になった。 そ そ

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92 彦 根論議 第 319号 Xll 終わ りに代 えて 今 回の ワル ラス文庫 訪 間 は,前 もっての準備 や計 画 もな く,限 られ た時 間内 で の こ とだ つたので,断 片 的 な調査 に終 わって しまい,反 省 してい る。 また ワ ル ラスの書 き込 みの内容が ほ とん ど読 め なか った こ とも,致 命 的だつた。 また 書 き込 みが ないか らとい って,ワ ル ラスが読 んでい ない と結論 づ けるわけ には 行 かず ,ま た文庫 にはない書物 か ら,ワ ル ラスが大 きな影響 を受 けてい る可能 性 もあ る。 これ らの調査 には,書 簡や他 の資料 との綿密 な比較検証 が必要で,そ の よう な手続 きな しに断定 的 な こ とを言 うのは,危 険であ る。 しか し,ワ ル ラス文庫 が彼 の経 済学形成過程 を理解 す る上 で,た いへ んお もしろい素材 を提供 しうる こ とは,明 らかであ る。 引用文献

1.Bruttin, F。(1995). La bibliothёque Pareto de l'Universit6 de Lausanne, 妃θυ力θ θttroゃ彦夕物拷θ αtt scあθttcθs sοCづaιθs, 333(100).

2.」olink, A.(1996).T/bθ βυοι筋ウ0物体けどcοttO物ウcsてア1彦ο%'7あ ι何偲, Routledge, London. (石橋春男訳 『レオ ン ・ワル ラスー段階的発展論者の経済学」多賀出版 1998.)

3.御崎加代子 (1997).「(書評)Albert」olink,効θ3距 ι物↓ガο物体け免 οttο物づcsげ Lゐ角 '夕初Ta/tsP Routledge,1996」『経済学史学会年報』35,

4.御崎加代子 (1998),『ワル ラスの経済思想一一般均衡理論の社会 ヴイジ ヨン』名古屋大学 出版会. .

5。Schumpeter,J.A.(1954).ダ あsけο物 げ βCOttο物ウCム 物αιysウs, Allen&Unwin, London. (東畑精一訳 『経済分析の歴史」岩波書店 1955-62.)

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et al,t.Ⅷ ,Economica,Paris,(久 武 雅 夫訳 「純粋 経 済 学 要論 J岩 波 書 店 1984.) 8.Zylberberg,A。 (1990).L'彦 ιοttθ街っづθ ttaれ 彦ケれ0けづ?欲夕て物 F陶 %Cθ ガ クひゴ例イ,Economica,

参照

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