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<論文>組織的思考の展開 利用統計を見る

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(1)

著者

斎藤 弘行

著者別名

Saito Hiroyuki

雑誌名

経営論集

2

ページ

47-61

発行年

1975-09-30

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005916/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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組 織 的 思 考 の 展 開

は じ め に 組織を 考 えるに 当 って, 斎  藤  弘  行 47 ここでは我々は主として経営的組織を念頭に そ とに はあ る 目に 見 えな 置いてい るのであるがそれだけに限定されない いものが働いてい るとい うことに注 目するとすれば, それは一 体ど うい うこ とを意味するのかを示そ うとするのがここでの課題であ る。組織に働い てい るものは,いわばパ ワーとか, マハットなどと呼ばれているものかもし れな い が,それは確かに可視的なものではない。我々は直接的に それがど うい う ものかをアプ ロ―チするのでな くて,それを考え るこ とに よって組織の理解 を助長すると共に,むしろ,どのような思考傾向にたどりつ くかを推定して みることが目的 である。  このような操作は組織の理解に とってかなり遠回りをすることになる。 ま た極端には,結局理解を 得られないとい うこともあ りうる。この点に関して 相当な非難が加わるかもしれない。  さらに組織そ のものについ ての定義が欠けていると共に, パワーが組織そ れ自体のパワーか,あ るいはそこに活動する人間のパワーかどうか相当混同 されていることについ ても指 摘されるであろ う。これらの点は,未だ筆者の 思考がまとまっていないことを明示するのにほかならない。け れどもこの点 が既にはっきりしてい るならば,組織の研究は完了したことにな るので,そ の意味では完成された理解への出発点にあると同時に,組織の理解の方向を 暗示しているとい うことだけ は語りうる。 組織の諸見解(コジオールによる)  我々はもうしば らくコジ オールか ら組織につい ての種 々な見解を引用す る ことにする。そのことに よって一般的 な理解を獲得すると共に,様々な見地

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の うちの どの点が パ ワーに 関 する研究, さ らに より以上 の展開に 連 結するか を示 すこ とがで きる と想定す るか らであ る。  − ノ  組織概 念は先 ず2 つ の内容を 持 ってい る。 そ の1 つ は 組 織化 であ り,他 は 体系 であ る。 こ れは全 く別個 の ものでば ない とし て も観 念上 区分 するこ とが で きる。 前 者で は組織を 形づ くる活動 を示 し, 後 者で は この 結果 を 示 す。 (結果として出現する制度ないしはある状態のことを言う。)  そ こ で企業(ないしは経営)が組 織 と同 意義 に把 握 さ れ るか ど う か は む ず か しい 問 題 であ るが,特に 組 織化とそ の活 動が 完了 し て し まった結果 として の状 態 とし て考え ると「社 会的 形象 ない しは構成 体」 と し て我 々 の認 識に 入 って くる。 企 業経営 は 他の種 類 の構成 体 と区別 さ れ るけ れ ど も組 織 として一 般的に と らえ るこ と がで きる。  組 織化を 強 調す ると,「組 織化 の活 動 が組 織 とい う現 象を 組成 す る」とい う ノル トジ ー クの定式 化 が示 さ れるとい うのであ る が,他 方で 彼は,組 織を 状 態 として扱 うこと もでき るとい う。 そ の際に は, 組 織が 「 重要 な組 織 的(経 2) 営形成的)規 則 の体系」 とい う ように 理 解さ れ てい る。  コジ オ ー ルはここ で まず 組織 のこ とを ,卜形成 的 活動 の特 別 なもの」 と 考 え てい る よ うであ る。「組 織化 とは, うまく調整 し, 秩 序づけ を する活動 で あ って , 人 間 と事物,人 間 と人間並 びに 事物 と事 物を 一 定 の 目的に 向け て配 列す るこ と であ る」 と語 っ てい る。 もちろ んこ の場 合に 組 織は組 織化それ だ け か, 状 態を 含 めるか のこ とに は 触れてい ない 。 そ れで 今 言 った ような意味 に とる と, エ ルトマ ンとシ ュラ ムの組 織 の考え が こ れに 該 当す るとい うの で 3) あ る。  コジ オ ールは 更に こ こで組 織化 の特色を 示 すた めにい く人か の例を示 すO であ るが, そ れは明 らかに 現実的 な考え か ら離 れ て 行 く傾 向を示 すと共 に, 興 味があ るこ とで もあ る。 彼の示 すリ ンハ ル トの考 えに よるとこ うい う説明 が なさ れる。 リン ハル トは プレ ソ ゲの「 意 識的 部分 か らで きあか ってい る意 識的 生活 単 位 として の組織」に 基づ いて 考え てい る とい われ る。 コジ オール はそ れを「 人 間 の基 本関係を 考え てい るも の」 だ と指 摘 す る。 それは人間に たい す る人 間,物に たい す る人間, イデ ーに たい す る人 間 とい うこ とな ので あ って,そ のこ とは更に ,事物 は イデ ーに, また イ デ 一は人 間と人 間の関係 に 還元 され る」 とい うこ とだ とす る。 こ のた めに 「組 織 の 本質を, 人間 と人

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組織的思考の展開  49 間 の関 係 の うちに み てい る」 のが リン ハル トだ とコジ オ ール は語 る。  我々は こ の よ うな説 明だけ では ど うい う内 容 の ことか は理解 で きない。 た だ我々 の関 心を 誘 うのはイ デ ーとい う用語 の提 出 であ る。 もちろ ん我 々 は こ の語につ い て哲学的 意味 を持 だな い。 また上 記 の使 用法 が哲学的 であ るのか ど うか も分 らない。 例えば 一 般的 な辞 典 で哲 学的 使 用法 の項で は,ト原形」と 4) か ト事物 の本質」 のこ とであ る。そ れ は,「 イ デ アが わ れわれ の外にあ る 存 在 ,真存在を 意味す る客観的 な ものであ るのに対 し, イ デーはわ れわ れの 意 5) 欲 ,意志 の 目標 として主観的 な ものを 意味」 す るとい え る。 またイ デ ー を 6) 「形 状,状 態, 形態」 な どの意味 で 説 明す る ものか お る。  どの ような 意味 に して 乱 イ デ ーが どの ように して人 間 と人 間 の関 係に か かお りあい かお るのか, と くに そ の説 明 プ ロセ スが判 明してい ない ので我 々 は より以上 の詮 索を す ることが で きな い。 た だ1 つ のこ とだ が, イ デ ーは そ れ に相当 する ような対 象物 は我 々 の感 覚世 界に は ない の だとい うこ とを知 る こ とが 必要 であろ う。 こ れに 関 し て, アーベル とル ッツの哲 学辞 典にお い て, カソ トのイ デ ー説 明に 際 して, そ れが 超越 的 な ものであ る旨の こ とに 触れ て い る。 従 って,「対 象 の概 念を 我 々に与 え ない 」とい う。 ところが イ デーには 別 の作 用があ るのであ っ て, そ れが 規制 的 ,調 整的 役立 とい うものであ る。 言いかえ る と,「悟性 をあ る一定 の 目的 に 向け る」作用 であ る。 周知 の ように 人 間 の悟 性 の働 きは 消極的な の であ っ て, それに た い し て,む しろ対 象 の形 成 作用を 助長 す るもの といわ れ る。  我々は これ以 上に 深 く立 入 るほ どに は知 識 が ない 。我 々はた だ何 故こ の よ うなイデ ーな ど とい う用語 が組 織 の説 明 のなかに とり入 れ られるか とい う質 問 を提出す るだけ であ る。 そ れに対 して 解答 は ない 。 また推定 の余 裕 もない 。 た だ我 々は組 織を 理 解 し ようとす るな らば , 何か 隠 れた ものが ,あ るい は形 而上 学的な も のがあ っ て,そ れが 解 明 され ない 限 り永久に 未知 の世 界であ る こ とを知 るだけ であ る。 そ して そ のこ とが土 台 とな っ て,(途中の論述はでき ないけれども)タ ワ ーとか マ ハ ット とい った よ うな不 可 視的 な ものがあ っ て, あ る作 用をな してい るとい う思 想が で て くるこ とに なる。  我々は 組織 の説 明に戻 ることに す る。 コジ オ ールは先 に示 してい る ように 出発点 としては や や組織 化に 傾い てい る ように 見え るのだが , これについ てy ユスッテソ ハ ウス(1951)の説 明を こ う引用 し てい る。「組織 は 一定 の 手

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段 を もって,一 定 の 目的 追 求に当 って関 連性形成 であ るゴ と。 また タイジ ソ ガ ー(1942)か らの 引用 は 次の如 くであ る。「 組織 の 本質 はあ る 実 用 統 一 体 の形成 , 維持及 び 完成 のた めに ,人 間,エ ネル ギ ー,材 料 の協 力 の規定」 で あ るとい うこと。  ところ で この ような説 明方 法が組 織化 の特 色を示 す こ とが で きるか ど うか に つい て コジ オ ールは 疑 問を 投げ かけ る。 す なわち , こ の ような方 法 の本 質 は ,各 々の経 営が 持 っ てい る方策に つい て注 目し,そ の 方 策 (ないしは措置) が主体一 客体関 係, 主 体一 主 体関係 ,客体一 客体 関 係へ と拡大的 に 解釈 され て し ま うこ とにあ るとい うのであ る。 とい うことは企 業 に おけ るあ らゆ る可 7) 能 な活 動並 びに 状 態 が組 織 だとい うこ とに な るのに ほか な らな い 。 そ れ は 「 組織化を 定 義上 , 余 りに 広 く考え てい る」 とい ヶこ と なので あ る。 そ れ は 組織概 念が不正 確 とな る ことで もあ り,別 の表 現に よれ ば 水増 しされ る こと に な る。  だか らとい って, 全般 的 な秩序 過程 と並 んで, シ ュヌ ッテ ソハ ウスが や っ てい る如 く(1951),「 特定 な 組織的秩 序 過程」 を 強 調す ると ど うな るの だ ろ うか とい うことに つ い て も コジ オ ールは言及 す る。 先 ず 秩序 とは組 織に とっ て上位に あ る類 概 念であ って ,これに つい て特別 な種 の 標識 が な くては 特定 な ものが表 現 さ れ ない わけ であ る。 しかし, こ こで組 織 の意 味 で作業 手段 , 設 備,機械 の投入 のみを 考 え ると,非 常に狭 義の 組織 理 解が で きあ か って し ま うのであ る。  これ まで我 々は 主 として 組織化 の意 味へ の傾向に おい て組 織を 考 え, そ れ が 拡大的 に広 義に な るか , それ とも極度 に狭義 に なる かを 想 定 し てきた ので あ るが ,そ れが どち らも十 分 では ない(正しいかどうかは別の問題としても) こ とを知 る。 我 々は ,次 の 課題 として,組 織化 と,状 態 と して の組 織 とい う標 識か ら離 れ て(とい うことはどのくらい離れるのか,またどの程度関係かおるのか 不明であるけれど)> 組 織を 考 え てみ ることに す る。  コジ オ ールは 組 織概 念を どの よ うな 適用領 域に おい て 用い るか を考 え る。 最 も広 く拡大 した領 域 に 組織を 適 用す るときに ど の よ うなこ とが 推定 さ れ る の だろ うか。 コジ オ ール は ボダ ダ ーノフか ら代表 的 に示 し てい る。「組 織 は 人 間的 形成 領 域に 限 定 され るのみな らず,全 体的 な人 間 の外 の 世 界(自然) が 組 織化 され る もの と みな され る」 とする のが ボダ ダ ー ノフ の考え だ とい う

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組織的思考の展開  51 8) のであ る。       9 )  ノレ ロビ ッツもボダ ダ ー ノフを こ うい う ように引 用 してい る。「組 織 の経 験対 象は≪ 人 間的行 為≫ であ る。 とい うのは≪ 各 々の人 間的 活 動≫ は 客 観的 に 観察 す る と, 組織化 を した りあ るい は 組織 分解を した りす るこ とであ るか ら。 そ のこ とか らこ うい う結果 が で て くる。人 は技術 , 社会的 実 践 ,科 学 的 研 究及び 芸術 の領域 におけ る各 々の人 間的 活 動を ,組織 的経 験 の材 料 と みな し, 組織的 見地 か ら研 究 す る こ とが で きる」 と。  コジ オールに よると, 人間 自体が 自然 の組織 化 された 産物 の一 つ であ っ て, 人 間 の活動が 組織化 と組 織分 解 であ る とする ボダ ダー ノフ の考 え方 は 拡大 し 過ぎ てい る とい うのであ る。 そ の ように 理 解 して しま うと,人 間 の特定 の秩 序 行為は なん で も組織 とい うこ とに な って しま うのであ る。 人 間 の全行 為 が す べて 組織だ とす るか ら当 然 そ の よ うな理 解が でて くるこ とに な る のだ とい 10) うのであ る。  反対に ,狭義 の組 織 概 念 の場 合には ,組 織 の対 象を 極度 に限 定 す るか ら, 組織現 象の科 学的 観察 に と って は不 適 格 であ るとする。 コジ オ ール はこ の際 , 特 にベ ソテ(1929)を あ げ てい る。「組 織 問題を あ る構成 体 の 成 立 と 成長 に 依存す るとみ るこ と, また 組織 は 創造 力 あ る人間 の構成 体 創造的 基 本機 能」 とい うベ ンテ の見解に た い し て,「そ れ 自 体プ ロセ スの組織 とい う重 要 な 問 題 が考慮 されない 」 とい う意見 が 示 さ れ てい る。  もう一つ の限定 的 な解 釈 と して ,組 織 問題 は何故 現わ れて くるのか とい う 課 題が 示 され るのであ るが , そ れは 幾人 か の人 間 の協力 活動 に よる ものだ と す るこ とが語 られ てい る。 こ れに 関 し て丿 実践的 意味 よりも本質 的 意味 を持 つ 」問 題であ る と指 摘 し てい る。 そ の よ うに考え る と,ただ 個人 のみが あ っ 11) だ のでは 組織問 題は 発生 しない こ とに な る。 そ の ような解釈 は 概 して ,「多 くの人 間の相互 間的行 為 を研 究 し,当 然 のこ となが ら個 人を 観察 か ら除外 す る ところ の社会 学に そ の基 礎を 置 く」 も のと考え られ る。こ れにた い して , 「経営経 済学的 に は,個 人 経営 を 引 入 れ るこ とは必 要 の ように 思わ れ る」か ら, 組 織問 題 も当 然 そこに 発 生す るであ ろ う。 そ れ故に ,2 人 以上 の人 間が 存 在 しなけ れば 組織 でない か ど うか の 議論 は別 に して,単 一人 の み存在 す る経営 も経営 学 の範 囲に 含め る とす れ ば ,そ こに 組織 的な 思考を 入 れ ること も可 能 であ るとせざ るをえ ない 。 実 践上 は , そ れで十 分に経 営が 動い てい る とす る

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な らば , ど うし ようもない ことな のであ る。  コジ オ ール は ア メリ カに おげ る組織論研 究に つい て も触 れ てい る。 アノリ カに お い ては 「 組織を 個人 と集団 の間の相互 作用 過 程 と み るのであ って, こ の両者 は お互 いに 制 限的 な行為程 過を形成 す る」 と みて い る。 アメ リカの組 織文献 は,社 会 学や 心理 学の方向 を示 すのは 下記 の よ うな考え に 基づ くもの 懲あ る とす る。 すな わち ,そこで は モチペイシ ョソ 行為 への 誘因 の問 題,人 間間的 行為 の経 過(とくに意思決定のスロセス及び情報プロセス),そ の 際 生 じ る コソ フ リ クト とイ ノペ イシ ョソ の問 題が これ であ る。  もちろ ん, こ れ ら考 え はバ・―ナ ードの著 書に 源 泉 が 求 め られ るこ とは周知 の事 実 であ って ,こ れが ,サイ モ ン,バ ッキ, アージ リスに 続い てい るとす る。 だが コジ オ ール に よると, 彼等 は「 心理 学, 社 会学 ,生 理学 の成 果を も っ て,協 働 作用 の人 間的 側面 のみを研 究 し, 企業 の組 織的 組 立並 びに 経過に おけ る, 目的一 手段一 関 連的, 技術的一 形成的 協 働作 用を 考 慮 してい ない 」 か ら狭 すぎ る とい うの であ る。 なか んず くドイ ツの経営 経 済的 組 織 論は経営 12) の 協 働作用 の 観点を 強 調す る, と彼は語 っ てい る。  さて我 々 は最 初に 語 った如 く, コジ オールに よる これ らの組 織 の解 明に お い て, 定義上 の課題 を 見 るのでな くて,組 織 の考慮 に 際 して, どの ような要 素 が顕 著に見 られ るか とい うこと なのであ る。(それはかなり異端であり, 独断 的であるかもしれない。)そ れはか な り「別 の見 方」 を 意 味 す る も の で あ る。 つ まり,組 織化 と かそ の状態に かかお りな く,組 織に 存 在 す るあ る パ ワーへ の注 目 のこ とであ る。 組 織が形成 の過程であ ろ うと,秩 序 の体系 そ の もの で あ ろ うと, また 個人 と集 団のか かお り合いに せ よ,そ の 背 後に は, 目には 入 ってこ ない が ,「動 態的 なもの,あ るい は動 態的 な らし め る もの」が 観察 され る とい う事 実に 注 目す る。 こ のこ とが頂 点に 達 す る のは , 例え ば ,組織 とイ デ ーとの関係を 考え る ことであ る。 これは多 分, 相当に 超越 的 な 思考過程 で あ っ て,なか な か理 解 しがたい こ とではあ るが ,何 か 重 要 な ことが らが潜 ん でい る ように 思 わ れ る。 しかしそ の本質を うま く説 明す るこ とが で きない の は 非常 に我 々を 苛立 た せ るものであ る。我 々は パ ワ ーに 注 目した とい って 乱 そ れ の存在を 証 明 した ので もない し, どの よ うに して注 目 した か も語 った の では ない。

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額  パワーに関する領域について  もちろ ん我 々は パ ワー の意義を 明確に しなけ れば,レ ベワ ーを 含 ん だ , ま た そ れに関す るあ る も の」 に つい て語 るこ とはでき ない か もし れない 。 例え ば ,H , ビアマ ソは パ ワーを , 政 治的 な パ ワー,社 会的 な パ ワー,経 済 的 な 13) パ ワーの3 つに 分け て観 察 す るの であ るが,そ の どれが我 々 の漠 然た る パ ワ ー思考にあて は ま るか さえ も 明言 で きない。 極端 なこ とを 言 えば , こ の3 つ を すべて含 んだ パ ワ ーを 我 々 は考 え てい る のか もし れない 。  ただ我々が ビ アマ ンの 説 明で 注 意し たい のは,「政 治 的及 び社 会的 パ ワ ー は ……無定 形的 と みな さ れ るのであ るが, 経済的 パ ワ ーは構 造 化 さお た もの として妥当す る」 とい うこ とな のであ る。 前の2 つ のパ ワー と後 者 の パ ワー におい てこの よ うな 相違 点 か お る とす れば ,正に我 々が 組織 論 に おい て 想定 し てい る パワーとは ,前 者 のこ とな の であ ろ うが 自信 が ない 。い ず れに して 乱 こ の点を 念頭に 置 くとす れ ば, パ ワーの存立は こ うい う場 合に 明白に な る とい うのであ る。「 個 々 の行為 者 の異 な る目標間 の対 立 が, 正に , 妥協 な く克服 されて,そ の結果 部 分的 服 従, 殊に パ ワーを受 け る行 為 者 の行 為 の対 14) 立を ともな って,一 つ の 目的 に 示 さ れるべ き ことに な ってい る ときに 。」この こ とに よって我 々 が パ ワーの意 味を 理 解 したのでは ない 。む しろ ,益 々, 混 乱 の状態に 入っ て行 く ようであ る。 しかし どの ような理 解を とろ うと も次 の 15) 如 きN. ル ーマ ンの 言葉 だけ は真 実 の よ うに 響 く。「 パ ワ ーは , 代替 案に た い す る優先 性 の配 分に よっ てで き上 ってい る,従 って, 内容 的に は そ の よ う な優先性情況に 依 存 す る」 と 。 また 「 パ ワーは なか んず く…… 社 会体 制 の相 違 の種 類 と程度 に よって , また 個 々 の組 織体系 の分業に よっ て 異 な る も の だ」 と。  アン グロア メリ カの文 献 に おい て , なか んず く「 マネジ メ ン トと組 織」 の 書物に おい て, パ ワー のこ とが語 られる ときに は,主 として , リ ー ダ ーシ ッ プのところ であ る。 また パ ワ ーにつ い て語 るとす ればレ 権 限につ い て も言及 せ ざるを えない であ ろ う。      ,  例えば パ ワーの 特性 が 次 の2 つ の よ うに説 明され てい る。(D ゛ ワ ーとは, あ る特定 の人物 の特 性 で はな くて, 人 々の間 の関連 の一 局面で あ る。(2)パ ワ ーは,他人に 影 響を 与 え て, そ うしなけ れば しない であ ろ うよ うな ことを 他 16) 人 にや らせ る よ うな 個人 の 能力 か ら成立 してい る と。

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また パ ワ ー(とインフル4 ソス)の基 礎 と して5 種 類 の も のを あげ てい るも 17) のが あ るが , こ れはあ る人 が他 の人に 影 響 す る のに 用い る こ とが で きる もの と され てい る。(a)合 法的 パ ワーは文 化ない しは 組 織 か ら由来 す る ものであ る。 そ こで は組 織 が合法的 な ものと受 入れ られ る ときに は じめ て, パ ワーが 合法 的 な の であ る。 組織に おけ る権 限 のヒエ ラル ヒ ーが殊 に この説 明 の例であろ う。(b)専門家 の もつ知 識に基づい た パ ワ ー。(c)あ る特 定 の人 物ない しは 集団 の魅力 に 基づ くパ ワーで ,レ フ ァレ ン ト 。パ ワ ーな い しは同 一化 の パ ワーと 呼ば れ る。(d)報 酬の パ ワーとは リーダ ーが 従 属 者に 報 酬を 与 え る力が どの程 度あ るかに 基づ く。 こ れはレ フ ァレ ン ト 。パ ワ ーと関 連 する。(e)報酬 のパ ワ ーと正 反対 を なす のが強 制的 ぷ ワーであ る。  権 限 に 関 して語 るとす れば, パ ワーとの 区 別を す る か しない かは ここで問 題ない と して も, パ ワーのほ うが広 く,漠然 と した 内容 を も ってい るよ うで あ る。 つ まり伝統的 な マネジ ノン ト論 に おい ては, あ る 地位 に内 在す る権限 を 指す のが 権限 であ るが ,そ れが どの よ うに して パ ワ ーに な る かは追究す べ き余 地 か お る。 この場合, 権限 の源泉 と して, 公 式的 な権 限説 ,受容 説 ,技 18) 術的 適性 説な どか お るこ とは よく知 られてい る。  さて 我 々は パ ワ ーにつ い て これ以 上語 る 余 裕 はない 。 組 織か おる力に よっ て動 態的 に な る ことがこ の ような 説 明か ら得 られは し まい か とす る のが 我 々 の意 図 であ る。 その力 は どの ように 表現 す るか は定 ってい ない 。 仮に, パ ワ ーとした まで のこ とな のであ る。そ こ で パ ワーを 語 る(ないしは取扱うア学 科 領 域 は どの ような ものか お るかを, こ れ まで の陳 述か ら推 定 してみるに , 社 会学 , 社 会心 理学 ,政治学 な どの 名前が よくあげ られ てい る のに気付 く。 モ こに 経 営(経済)学だけ では処 理し きれ ない 課 題が多 くあ るこ とが示 さ れ て い るとい え よ う。  例 えば マ イ ン ツの語 る ところを 聞 くと ,我 々が 通 常, 組 織論 とい ってい る もの は実 は 組織社 会学 ではない のか とい うこ とを 教 え られ る。  こ の際に , 組 織の見方 が前に示 した コジ オ ール の も の と は(彼の示したい くつかの例も含めて)異な ることに 注 目す る。 マ イ ン ツは 言 う。「組織 は, 社 会的 秩 序 形 態 の もとに ,あ る一 定 の カテ ゴ リ ーを 形成 す る。 この秩序形態 は , あ る社会 の≪ 社 会的 組織≫ とい う れ た 社会学や文化人類学に よづて影響せら 概 念 へと統合 され うる。 こ の≪ 社 会的 組 織≫ に 入 る ものは,例えば ,

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組織的思考の展開  55 家 族ない しは 自治体 の如 き 組織な らざ る他の要素 もあ る。血 縁 , 支配 , 階級 , 経済とい った社 会 の構 造 も またそ の≪ 社会的 組織≫ に 入 る。 こ れ らは社 会 的 秩 序 の局面 では あ るが , そ れ自体 ,組織社 会学 の意味 に おけ る独 立 した 構成 19) 体ではない」 と。  これ と共 に , 組織 が , 他 の社会的 生活形 態か ら区別 され る標識 として ,構 成 体的(集団的)性 格, 組 織化 され た存在物, 目標の特 殊 性 とい う3 つ の も のを所有 すべ きだ と指 摘 さ れてい る。 これに照 らして見 ると, 家 族 とか ,都 市交通,地 域 の自 治体 ,全 体 と して の経 済,全体性 と して の 国家な どは 組織 社会学に よっては 組織 とは 言わな い(たとえ主要要素として組織を含んでいると 20) しても)とされ てい る。  これ らの組織 のい くっ か の特色を 前 提として, い わ ゆ る組 織論 は(組織社 会学ではない/ ) ど の よ うな 内容を 有 するか とい うと, そ れは 「方 法 論 で あ って,組 織す るこ とを 教 え よ うとす る」 とい うのであ る。 そ の際 に 「あ る活 動,あ る目的 に 向け られた 規 則,並 びに秩 序の体系 の創造 と ,各 活動 の結果 が組立組 織並 び に経 過組 織 の形態」 に おい て示 されねば な らな い 。  ところが 組織 社 会学 は 「分 析的 学科 であ っ て,創造 す る のでは な く, 所与 の現実を理 解的に 貫 ぎ通 モ うとす る」 とともに ,(すでに言及した如く)一 定 の社会的形 象(構成体)を 組織 とみな す のであ る。 そ こで は多 く の人間が 特 定 の目的 の達成 のた めに , 目的意識 的に , また 合理 的観 点 に 従 っ て協 働し 七 い るこ とが 考察 さ れ る。 そ れで結 局,「全体 とし ての構 成体」に 関 心が あ ると 21) い うこ とが でき る。  上記 の ような説 明は 組織 を 動か す力 と,そ れを 扱 う学 科 につ い ての関 係な い しは, そ の学科 へ の発 展 傾 向(ここでは組織社会学)を ほ と ん ど何 も語 って いない 。我 々は 「あ る不 可 視的 な 力」(超越的なものも含めて)を 扱 うに 際 し て従来 の組 織につ い て の考 え では不 満足だ とい うこ とに 気 がつ き始 めた とい う以外には語 るこ とが で きない 。 組織動態力の説明に関する他の学科  よく我々は組織の変化(とか変更)ないしは動態化とい うことを耳 に す る のであるが,その源泉につい て,前に示した,見えざるものとしてのパワー と,それを扱い うる可能性を もつ学科 の傾向を示した。我々は他に どのよう

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な 説 明 方 向 か お る か ど うか を 間 う の が こ こ で の 課 題 で あ る 。 22) 先 のマインツの説明に よると, アメリカにおいては ,組織社会学がかな り 進歩 してい るのであ るが,その学問は「他の学科 のうちに集積された知識の 上に立ってい る」とい うのである。それは経営社会学だとい う。それ故に ア タリカでは「経営社会学と組織社会学の限界線は大へ ん不明確だ」 とい う指 摘がな されている。  これ以上に我々の関心を誘 うのは,組織社会学は,径営社会学のみに関連 するのではなくて,その他のものに関連してい ることなのである。具体的に は,「政治社会学, 社会学的及び社会心理学的集団研究, 社会人類学的制度 分析が組織社会学の名づけ親」とい うのである。その他のものが寄与してい るようであ るが, 我々は, ここでは組織を動かす政治的な もの(パワー)に つい て語ることにする。それに よって, より具体的に パワーの把握に接近で きると思われるからである。以下に おいて我々は とくにキールッシ ュの所説 23) に従って,経営的組織の政治的体系につい て説明して行 くことにする。  キ ール ッシ ュは組織の(ないしはある社会の)「 マネジ メント体系と し て の 政治的体系」を考えている。それ故に一般に我々が一般的に政治とい う場合 とはやや異なる意味を もつかもしれないが,本質的には同じことなのである。 そこではしば しば語った如く,ある力が働い てい るのであって,それこそが 組織を 運動させているものとい うことができる。 キール ッシ ュはこの政治的 体系は 次の ような4 つの能力を持っていて,それが相互に関連し合ってい る 24) とい う。  ㈲ サイバネティクス能力  「情報獲得と情報処理のすべての過程に関連する」 のがこの能力であ る。 それは現実に関する情報と,予知への要請を含むと共に,次の如き現実的な 像を手に入れようとするものである。利害関係者の個人的な価値と選好,パ ワー関係,支持の程度,政治実施に際して予想されるべき抵抗など。  (b) パワー行使の能力  これは前記の抵抗を克服することである。大きな領域を占めている者の価 値 と選好に出合わざ るをえないこと,それに相応す る決定が下されることが 予 想されるのであ るが,パワーがそれに 基礎を 置いているパワー の 手 段 はT  ̄欠 乏的」 だから,「能率的」な パワー行使が要請されることにな る。

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組織的思考の展開  57 (c) 支 持を 保証 す る能力 この能力な レ こは どの ような政 治的 体系 も機 能 しない こと は 明白であ る。 重 要な ことは ,レ ベワー行使 と, そ のパ ワ ー手段 の 確保 と は区 別 さ れるべ き」 ことな ので あ る。  (d) コン セ ンサ ス形 成 の能力  体系 を支 持 し てい る者 のコンセ ンサ スに 基づい て意 思決定 を 行 な う ような 能力, つ ま りコ ンセ ンサ ス形成 へ の能力を所 有す る ことであ る。 そ のことに よって かえ って , パ ワー行 使の必 要性 は減 少 され るであ ろ う。  この ような4 つ の能力に 関 して政治的 体系 には 次 の よ うな 関 係 (それを個 々の能力の聞の代替可能性という)が存 在す る。  (a) マネジ さ れ る者に たい す る コンセンサ ス形成 へ の能力 を もつ 者は ,わ ず かな パ ワーで よろ しい 。  ㈲  支 持ない しは支 援,及 び パ ワー手段 の獲得 に特 に 巧 みな 者 は パワー行 使に 当っ て「 よりわず かに 能率的」 な力 で よろ しい。  (c) 高い サイ バ ネ テ ィクス能力を示 す 者は問 題 のな かに多 くの要請を はめ こ み, 場 合に よっては多 くの利 害 関係者を 満足 させ る ことが で き る。  (d) 政 治(ここでは経営経済的政策)が , パ ワ ーの行使 な しに , あ らゆる参 加者 との コン セン サスに 基づ い て行 なわれ る ことは ない 。  ここ で特に(d)に つい て しば らく陳 述す ることに し よ う。(1)組 織に 参加 する 者の個人的 価値 , 選好 ,信 念は ,長 期的に変 化 可能 であ ると して 乱 いつ も コソフ リ クト的 で あ る。 これについ てコ ンセン サスを 得 よう とす ることが, 政 治的 現 象な ので あ って, 現象 自体が 「成層 化① して くる。そ の場 合,経営 経済的 組 織は完 全に 同一 的な 価値秩 序を もった チ ー ムに はな らない 。  (2) 政 治を な す 者は関 係 者の価値 と 選好につ い て断 片的 情報 しか もってい ない(つ まりすイゾ ネティクス能力の限定)。 論理 的に は , 革新を した り, あ る 創造性の発 揮に よって コソフリ ク トが 解決 され る筈で あ るが , 限 られた能力 のために , ぷ ワ ーを 行使 せざ るを えない こ とに な る(つ まり部分的な抵抗にた いして政治を実行する)。  ㈲  か くて,政 治的 な マ ネジy ソ ト体系 に おい ては サ イバ ネ テ ィ クス能力 と コン センサ ス形 成 の能力 には 限界か お るこ とを 前 提 と しなけ れ ばな らない 。 (f) 若 し も政 治的 体系 の変化を 望 む とす るな らば ,そ れが 完全 に, しか も

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一 度に 実 行 される機 会は わ ずか であ るこ とを知 るべ ぎであ る。若 し も政 治的 体系り 意思 決定 行為 が完 全 な パ ヮ ーの行使 の みに とど まるな らば ,そ れは 屯 は や, 政 治的 な ものを 放 棄 した こ とにな る。 従 って, 政治的 意 思 決定 は , 「 相対 的に 独立 した 小な る歩 み」 の 結果 に よって特 色づ け られ る とい うこ と 25) が で きる。  政 治的 体系に おげ る変 化 は どの ような 様相を呈 す るかを 観察 す るこ とが 残 26) され てい る。そ れは今, す ぐ前に示 した 「小 なる歩 み」 につい て語 る こ とな のであ る。 さて組織 にお け る 「問題 解 決及 び権 威化 され た意思 決定 に 当 って , < イ ソ クレ メン タル≫ に 行 な う」 こ とを 特 色とす るこ となの であ る。そ こで は 「比 較的 に大 きな 変吏 を予 想す る要 請 は否定 され, まずは, まじめに討 議 され ない か, イ ソクレ メ ンタ リ ズ ムの一般的 戦 略に 適す る ように 修 正 さ れ る」 の であ る。  元来 , 政 治的 体系 に おい て(殊に中心

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組織的思考の展開  59 合 ,根 本的 な再組 織は 包括的 な分 析 と 集中的 な コン セ ンサス形成 の努力 の結 果 であ る のではな くて,政 治的 体系又 は個 々 の メンバ ―の支配的 な パ ワ ー地 位に 帰 因せ し め られ るべ きか もしれな い 。そ の よ うな パ ワー地 位は ,果 たす の はむ ずか しい外 部的 利害関 係者 の要 請を 否定 し, また 組織内 におけ る経営 管理的 及 び実施 的 水準 の抵抗を 克 服 す る」 と。  だが 今 後 この よ うな事 情はい つ もあ るとは 限 らない ことを キ ール ッシ ュは 付け 加 え てい る。政治 的 体系 につ い て, 経営 経 済 は, 絶対的 な パ ワー地 位が そ のま ま継 続 され ること もな い とい うの であ る。 とい うのは次 の如 き社 会的 発展 があ るか らな のだ とす る。(1)進歩 的な 共 同 決定 が 経営 におけ るパ ワ ー関 係 を変 更 す る に の際に,根本的な再組織が一般には不人気となるj。(2)と くに上 級 の管 理層 に と って,伝統 的な パ ワー手段 は 作用 を失 うであ ろ う。 また ,政 府 的 マネ ジ メン ト地 位 の所 有者 は, 一 般的 な管 理 者 や 専門家 の支持 に基づ い て のみ 存在 し うるの であ って,そ のこ とが企 業 に おけ る政 治的 パ ワーの行 使 のため ○唯一 の合法性 と しての所 有 権を 支 え る ものな の であ る。再 組織 乱 こ れ らの支持 に よっ てのみ可 能 とな る。  キ ール ッシ ュの陳述は 更に続 くので あ るが ,我 々は, 組織 におけ る活動力 と して のパ ワ ーの存 在を認 識 した こ とで十 分 であ ろ う。 とはい って 乱 パ ワ ーの意味 は 依然 として解 明され た のでは な くて, 組 織を考 察 す るに は, 政治 的 体系 と して の組織を 主題 にす る こ とが 可 能 であ り, そ れ と併 せ て,不 可視 的 力の 存在を 取 扱 うべ き領 域が 確認 で きた とい うことが で き るの みであ る。 終 り に  冒頭に述べた如く,出発点が混沌 としたものであ った。すなわち,組織O どこに関心かお るのか明快に表現す ることができなかったのである。それ故 に組織の定義的説明を考えているうちに, そ こに作用するあ る力 (ないしは パワー)かおることに思いつ くとい った思考 過程を とる。 また, その ような 力を想定したときに一体 どのような学問領域がこれを扱い うるかについて思 考が延長された。そ のときにはすでに パワーの説明はなされていないのであ る。また,ぷワーを考えることはレ 組織の変化ない しは変更に言及すること なのであ る。そ の上,目に見えない力 としてのパ ワーは,超越的概念として, 形而上学的にも考えることができるであろ う。

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本稿においては,ぷ ワーの取扱いは社会学の助力にあ ると同時に,政治的 なパワーとして政 治学的知識も必要であることに触れるげれ ど 乱 そ れはパ ワーを説明するとい うのでな くて,この力を考慮すると,そち らの方向に学 科が発展するとい う傾向を示 しだのに過ぎない。そ の際に,我々は組織社会 学の存在を知 るわけ であ るが,すでに アメリカにおいて確立されてい るこの 学科が例えば経営社会学 とどのような関係にあるか 屯興味あ る課題といわざ るをえない。  基本とな るべき用語上が未整理(であると同時に不可能)であ るために, 出 発点からの筋 道が錯綜して,いまだに混沌としたものか らぬけ 出 ることがで きない。一つにはテ ーマ選択に理由があると思われる。

1 )E. Kosiol, Organisation der Unternehmung, 1962, SS 15−18. こ の項 にお いて 特 に 断わ りの ない限 りここ か ら引 用 す る。2 ) コジ オ ールは次 の もの を引用 し てい る。 F. Nordsieck, Rationalisierung 一 organisation, 1955, S. 26. なお コジ オ ールはこ れについ て 研究 目標 を どこ にお くか に よ っ て組 織化 か。 規 則の 体系(状 態 )かが 選択 され るの であっ て, 例え ば シュ ラ ムは 組織過 程 に 組 織 の問題 性 が現 わ れる とい って い る。3 ) こ れ に関し て,R. Erdmann (1921) と, W. Schramm (1936) が示 されて い る。4 )UUstein , Lexikon der Deutschen Sprache, 1969, S. 447.5

)r 哲 学用語 辞典 』( 村 治能 就 編), 昭和49年,428−429頁。6

)M. Apel und p. Ludz, Philosophisches Worterbuch, 1958, S. 136.7

) コジ オ ールはこ れ につい て 次 の如 く例 をあげ てい る。「 購買 の 組織 の も とで, 購買 過程 全

般 に 関して全 くすべ て の事 実 及び 手段 が考 え られ る。 そし て本 来 的 な 組織 現象 を十 分 に限 界 づ け るこ とをし ない」 と。8

) こ れ につ い て,A. Bogdanow, Allgemeine Organisationslehre, 1926が 参照 さ れてい る。9

) メレ ロビ ッ ツ も上記 と同じ著 書 を参照 し て い る。 K. Mellerowicz, Grundlagen der betriebswirtschaftlichen Organisation, in: Organisation (E. Schnaufer und K Agthe, hrsgs

), S. 5.10 ) コジ オ ールは, シ ュテ フ ァニ ッ ク==アルマイ ヤ ー 乱  ボグ ダ ー ノフと 同じ 見 解 をし て い るこ とについ て触 れで い る。11 ) こ の ような 基本 的解 釈 問題 は ド イツ語並 び に英 語 文献 に もみ られ るが, コジ オ ール は と くに, ガッ サ ー(1939)や , ウ ル リ ツヒ(1949)の 名前 をあげ てい る。12 ) 何 故ド イツ の経営 経 済的 組織論 が この よ うな立 場を と るか につ い て コジ オ ー ル( と くにs. 18 ) は次の如 く語っ て い る ( し かし ここで は直接 組織 理解 とは関 係 ない か もし れ な い )。 自 然科 学的技 術 は工 学の な かで, 固 有の グル ープの 学科 へ と構成さ れ たの で あ るが, 経営 経 済 学 はそ の 対象 の土 台 となっ て い る技 術, し か も固 有の 学科 を もた ない諸 技 術 を もっ てい る。 後 者 につい ていえ ば,「 方 法 とし ての 一般的 技 術」 とい うことが で き る。( どの よ う な 方 法 ≪ 技 術≫ がと られ るか は 経済的 意 思決 定に 依存 する)。 この 諸技 術 の一 つ が構 造 また は 組 織 技 術 であっ て, そ れは 全 体性 の構 造化 に従事 する技 術なの であ る。 従 っ てそ れ は, 購買, 販 売, 計算 などの 技術 と同じ く, 経 営 経済学 の扱 う問題 領域 に入 れ られ る とい うの であ る。 我 々 は, しか しな が ら, こ こ では 経営 経 済学 と組 織論な いし は両者 の 関 係 を考え る の で は な い。 ま たコジ オー ルの この 考え 方 に全面 的 に賛成 し てい るので は ない。13

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組 織 的 思 考 の 展 開  61 fur Sosialwissenschaft, Band 25 (1974), Heft 2. と く に,SS. 205−209 , 政 治 的 な パ ワ ー(Macht の こ と) は 立 法 権 的 な もの で , 議 会 に お け る 多 数 派 の パ ワ ー, ま た 少数 独 裁 的 な集 団 の パ ワ ー も 考 え ら れ る。 こ の パ ワ ーは 小 な る 集 団 と。 大 な る 一 般 的 に は 構 造 化 さ れ な い 集 団 の 間 の 関 係 を つ く る。 社 会 的 パ ワ ー は 個 人 ま た は あ る 組 織 化 さ れ た集 団 が 他 の 個 人 , 組 織 化 さ れ た あ るい は 組 織 化 さ れ な い 集 団 全し て 一 定 の 行 動 を な さ し め る よ う に す る 能 力 並 び に可 能 性 を も つ こ と。 経 済 的 パ ワ ー は 社 会 的 パ ワ ーの 特 殊 例 で あ る。 パ ワ ーの 行 使 者 が 財 貨 や 用 役 な ど に つ い て の 自己 の 処 理 能 力 を 利 用 し て 他 人 の 市 場 行 為 ( 市 場 参 加 者 の 決 定 自 由 と 行 為 自 由 は あ る) をし て , パ ワ ーを も つ も の の 願 望 し た 市 場 成 果 が 現 わ れ る よ う に す る こ と で あ る。14

) こ れ に 関 し て と く に, Biermann ,a. a 。O., S. 209.15)

N. Luhmann, Macht. 1975, S. 60. も ち ろ ん パ ワ ー とこ こ で は訳 し て あ る が,Macht  の こ とで あ る。16

)J. L. Gibson, J. M. Ivancevich ,J. H. Donnelly, Jr。, Organizations : Structure , Process. Behavior, 1973, PP.286 −287, な お / こ こ で は パ ワ・-i 権 限 , リ ー ダ ー シ ッ プ の 区 別 をし て い る。 し か し 我 々は 区 別 を す る の を 目 的 と す る の で な く て , そ れ ら の 力 が 組 織 の

な か に ど の よ う に あ る の か , あ る い は存 在 す る の が し な い の か に 関 心 が 多 く あ る。17 )E. F. Fuse and. J. L. Bowditch, Behavior in Organizations: A Systems Approach to

Managing, 1973. pp. 141−144, こ れ につ い て の 出 所 は次 の 指 示 が あ る 。J. French and B. Raven, The Basis of Social Power, in Group Dynamics : Research and Theory, D. Cartwright and A. Zander (eds. )1967.18

) 例 え ば, こ れ に つ い て, H. Koontz and c. O'Donnell, Principles of Management, 1972, pp. 57−6119

) R. Mayntz, Die Organisationssoziologie und ihre Beziehungen zur Organisations- lehre ,in Organisation, a. a. o., s. 31, な お 社 会 的 構 成 体 に つ い て は, 社 会 学 で は 社 会 的 形 象 と い っ て い る が, こ こ で は 用 語 に と ら わ れ ない こ と に す る 。 し か も こ の 語 そ れ 自 体 も つ まび ら か で な い 。20 )Mayntz, a. a. O., SS. 21 −32.21 ) と く に, Mayntz, a. a. O., S. 30. な お , 例 え ば 組 織 社 会 学 に つ い て 次 の も の が 触 れ て い る 。   H. Kreikebaum , “Neuere Entwicklungstendenzen auf dem Gebiet der Organisationstheorie" in ZfB, Nr. 10,1965, SS. 666 一671. 例 え ば こ こ か ら次 の よ う な 陳 述 を 引 用 す る こ とが で き る。「 組 織 社 会 学 はそ の 質 問 仏 ≪ 目 標 方 向 づ け ら れ た 社 会 的 体系 ≫ とし て の 組 織 の , 基 礎 と な っ て い る 広 い 研 究 概 況 に一 致 し て , 組 織 の 組 立 と 経過 の 前 提 並 び に条 件 に 向 け る。 し か し , そ れ は 組 織 論 と は 反 対 に, 規 範 的 陳 述 の 形 式 化 に 参 加 す る の で な くて , 例 え ば 企 業 の 全 体 体 系 へ の , 一 定 の 組 織 的 方 策 の 影 響 を把 握 し よ う と す る 。」「 一 般 的 に言 っ て, こ うい う こ と が 確 立 さ れ る 。 組 織 社 会 学 は 組 織 論 と 同 じ 研 究 対 象 を持 つ が, こ の 対象 砿 広 い 範 囲 に お い て, ま た狭 い 問 題 設 定 に お い て 分 析 す る 。」( と く にS. 667)22 )Mayntz, a 。α。O., S.S. 38 一39, 次 の よ う な 表 現 は 興 味 が あ る 。 例 え ば , バ ー ナ ー ド は 組 織 社 会 学 者 と 経 営 社 会 学 者 と も 呼 び う る とい う 。 ま た , マ ー チ と サ イ モ ン の 著 書 は 組 織 の 理論 を余 り に一 面 的 に 経営 か ら 引 出し て い る とい う 欠 点 を 持 つ と 指 摘 す る こ と。23

) と くに 断 わ り の な い 限 り以 下 に つ い て 次 の も の か ら 引 用 す る。W. Kirsch ,Betriebs- wirtschaftspolitik und geplanter Wandel betriebswirtschaftlicher Systeme , in Unter- nehmensf

秘hrug und Organisation (hrsg. von w. Kirsch ). 1973, SS. 27−32.24

) こ れ に 関 し て キ ー ル ッ シ ュ は 次 の も の を 参 照 し て い る。 A. Etzioni, The Active Society -A Theory of Social and Political Processes. 1968.25

) こ の(f)の 説 明 に 関 し て 次 の も の が 指 示 さ れ て い る。 w. E. Esser, Konfliktverhalten in (:)rganisation, 1972. 及 びc. E. Lindblom , The Intelligence of Democracy, 1965.26

) こ の 項 に つ い て , と く に, Kirsch, a. a 。  O., SS. 29−31. な お イ ン ク レ メ ン タ リ ズ (Inkrementalismus ) に つ い て 次 の よ う な 説 明 か お る。 意 思 決 定 に 当 っ て の 処 置 で あ っ て, そ れ は 抜 本 的 な 変 更 を 放 棄 し , そ れ に 代 っ て , わ ず か な , 容 易 に コ ン ト ロ ー ルし う る変 化 が 行な わ れ る。 そ の 変 化 の尺 度 とし て は 現 状 が と りあ げ ら れ る。 Lexikon z{r Soziologie  (hersgs. von. w. Fuchs et al. )S. 300.

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